庭師の歳時記

54 梅花皓月図 ‐ 本物では見えない本当の姿

 福田首相が記者たちと会見しているその後ろに、一枚の絵が掛かっています。だれが描いたのか、満開のツバキの絵。その絵はもうしばらくすると、きっとウメの花の絵に掛けかえられ、その後はヤマブキの絵になるのでしょうか、サクラになるのでしょうか、その季節にあわせた絵が飾られるに違いありません。
 花の命は短く、咲き始めたと思えば、すぐに枯れてしまいます。ランのようにひと月以上も咲いているものもありますが、そんなものは例外で、ほとんどが長くて数日。アサガオなどの夏の花は、一日で短い命を終えてしまいます。
 花の命の短さを惜しいと思い、いつまでもその美しい姿をとどめておきたいと思う気持ちがあります。一方で、そのはかなさを哀れと思う気持ち、悲しいと思う気持ち、そしてまたその散りざまをいさぎよいと感ずることもあって、そういった感慨は、もし花が枯れることがなく、また短い命でなければ抱くことはないでしょう。
 花のはかない命に抱く思いを自分の心に重ねあわせ、人々は様々な形で、その姿をとどめておこうと試みてきました。
 絵として残す。言葉につづる。もちろん花そのものの美しさということでは、本物の花のそれにかなうものでありません。しかし花を見て思うこと、心の動き、花を取り巻く情景を盛り込むことによって、時には花そのものよりもはるかに花の真実に近づくこともあるものです。
 月明かりに浮かぶウメの花を描いた絵があります。江戸時代の絵描き伊藤若冲の「梅花皓月図」(写真)。満月とはいえ、三月の月は冷え冷えとしてほの暗い。その月明かりを受け、透き通るように白く光るウメの花が、画面いっぱいに咲き乱れています。しかしよく考えれば、夜のウメは、満月の月明かりのなかでも、これほど鮮やかに見えるものではありません。この鮮やかさは、絵ならではのものではありますが、絵だとしても、その姿は妖艶にして清冽。昼の光のなかでは見えなかった、ウメの本当の姿が見えるようで、それは伊藤若冲の力量によるものといってよいのではないでしょうか。
 首相官邸の壁に、茶の間の床の間に、そして居間の壁に掛かる花の絵。たとえその絵が小学生の描いた絵であっても、たった一枚春の花の絵が掛かっているだけで、部屋には春がやってきます。まあ、見る人によっては、いつまでも冬のままのようですが。
                                (新潟日報 2008・2・29)
写真説明
夜光る梅のつぼみや貝の玉 其角

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