初日への手紙

     「東京裁判三部作」のできるまで  井上ひさし著

「芸術とは、情熱の別名だ」
 これは井上ひさしが、「東京裁判三部作(夢の裂け目、夢の泪、夢の痂)」の一作目「夢の裂け目」を書くにあたってこしらえた言葉です。
 芸術家が、自らの作品に情熱を注ぎ込むのは、当たり前のことです。受け手にとっても、作品に情熱を感じ取ったときに、身を震わせ、涙を流すのですから、情熱の伝わってこないものを芸術とは言いたくない。その当たり前のことを、井上ひさしが言葉にしたのは、この三部作を作るには、余程の覚悟が必要だと考えたからなのではないでしょうか。
 この本は、井上ひさしが、三部作のプロデューサー古川恒一(この本の編者でもある)にあてた手紙によって構成されています。それぞれの戯曲の企画段階から完成まで、その都度プロデューサーに送られた手紙。そこには、戯曲には表われない、井上の創作時の生の姿が浮き彫りにされています。
 初めのうちは、「完璧な確信」とか「こちらのもの」といった、自信満々な言葉をつかう作家の姿があります。それが初日が近づくにつれ、次第次第に変わってゆく。自らを「遅筆堂」と称する井上は、この三部作でも台本が仕上がりが遅い。「夢の痂」にいたっては、出来あがったのが初日の三日前です。切羽詰った井上の手紙には、「非力」や「天下一の極悪人」という卑屈な言葉が並び、そこには、覚悟したはずなのにさまざまに揺れる井上の情熱の姿があります。
戯曲に表われる情熱と、その戯曲を書きあげるために注ぎ込まれる情熱。注ぎ込まれる情熱は、削り取られ、磨り減って、磨り減るとともに、井上ひさしが裸に剥かれてゆきます。「初日への手紙」は、井上ひさしが「東京裁判三部作」を書きあげてゆくあいだの、生々しいドキュメンタリー。つまりもうひとつの「東京裁判三部作」です。
 ところで、編者の古川恒一は、新潟市の古町、料亭鍋茶家の近くで生まれました。芸者さんの三味線の音を子守唄代わりに聴いて育った古川が、井上の芝居のプロデューサーとなって、自らの三味線の音で井上ひさしを踊らせている。幼馴染の筆者には、そのようにも読めました。
 古川と筆者は、学校をでてからは疎遠でした。古川は演劇の王道を歩み、筆者はその底辺にいる人たちとの交わりをつづけていました。その古川との再会は、井上の芝居に出ていた文学座の塩島昭彦を介したもの。今は亡き名優塩島昭彦は、この本をそしてこの稿をどう読んでいるでしょう。
                               小林益夫(庭師)
                                    (2014・1・12 新潟日報)

小林一茶 作 井上ひさし 左塩島昭彦 右矢崎滋

日本人のへそ 作 井上ひさし 左塩島 中石田えり 右平田満

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