曾良のほそ道 四 壱岐 (1)

 宵の口から吹きはじめた風は雨を呼び、治まる気配をみせないまま雷まで呼んだ。
 雨戸のすき間から入り込んだ閃光が障子をほのかに照らし、遅れてとどく雷鳴が、かすかに家をゆすっていた。
 雷が近づくとともに雨足が強まり、唸るような風も吹きはじめた。
 激しい雨が雨戸を叩いた。
数刻前から、曾良は激しい痛みに襲われていた。腰から背中にかけて激痛が走り、胃の腑が喉をとおって口からでてきそうになる。息をするのも苦しくなり、寝返りを打つことさえままならなかった。
 痛みが治まりかけると、遠ざかっていた音がふたたび聞こえてきた。
 雨が庇を叩いている。どどんという音は落雷の音か、それとも波が岩場に打ち当たり砕け散る音だろうか。海鳴りは唸り声をあげ、家は絶え間なく揺すられてみしみしと悲鳴をあげた。
 障子にさっと光が差し、間をおかずにどしんと音がして、家が大きく揺れた。
 息が止まった。
 家が崩れる。
 七年前の地震以来、曾良は家の揺れに臆病になっていた。
 その元禄十六年の地震のとき、曾良はすんでのところで命拾いをしている。
 あの日は雨こそなかったものの、今日と同じように夕刻六つころから雷がやたらと鳴った。そして五つになってごおっと地鳴りがしたかと思うと、どすんと突き上げるような揺れがきて、家中の戸が外れ、棚が倒れた。曾良は腰をぬかしその場にへたり込んでしまったが、ようやく這うように家の外にでて、出たとたんに家が崩れたのである。曾良は怪我ひとつなかったが、隣の家の亭主が足を折り、五軒つづきの長屋の一番奥で寝たきりだった老婆が逃げ遅れて死んだ。
 部屋の空気が重くなり、蒲団のうえからのしかかってくる。
 息が苦しい。
 息苦しさは恐怖を呼び、痛みの先にある恐怖と荒れ狂う天候を闇のなかで聞く恐怖が、入れ替わり襲ってきた。
 眠りを妨げているのが、痛みなのか嵐の音なのか、あるいは忌まわしい記憶のなかのできごとなのか分からぬまま、ようやくまどろんだかと思うと揺り起こされ、それがくりかえされ、くりかえされたのかどうかも分からぬままに曾良はいつの間にか新大橋の上にいた。
 寒い。
曾良は、背中に悪寒を感じて身をすくめた。
 白いものが落ちていた。
 寒いわけだ。とそう思い、袖にかかった雪を払い落とそうとして、雪と思ったものが灰であることに気がついた。
 細かな灰は、見る間に橋の上を鼠色に染めていった。
 曾良は懐から手ぬぐいをだすと、頭にかかった灰を払い落とし、そのままその手ぬぐいで頭を覆った。
 速めた足にまつわりつくように土煙が舞う。
 ここ何年かの江戸は、地震がつづき火事がつづいて、ろくなことがなかった。
 三年前には富士山が火を噴き、この灰はその時と同じような灰だった。
 闇が江戸を覆っている。ただ降り積もる一方の灰は雪のように解けることもなく、すっぽりと江戸の町を覆い、灰色に染めていった。
 橋の上から見える江戸の町は暗く沈んで、まるで降りつづく灰に、なす術もなく埋もれて消えてしまうのを待っているかのようだった。
 橋を渡ると、深川は見る影もない。家々が傾き倒れ、土塀が崩れて道を塞いでいる。どの家も打ち捨てられ、いつもは人通りの途切れることのない場所なのに、人の姿も見えない。
 そういえばたった今通ってきたばかりの新大橋にも人がいなかった。
 いったいどうしたというのだろうか。みな江戸の終わりを察知して、鼠が船から逃げだすように、江戸の町から逃げだしてしまったのだろうか。
 何か様子がおかしい。
 富士山が噴火したときにも、その前の地震のときにも、家が壊れることはあってもこれほどひどくはなかった。この惨状はまるで元禄十六年の地震のときのものである。
 そう思って川向こうを見ると、日本橋のほうに火の手が上がっている。
 そうだ、この火事はその時水戸様からでた火が江戸の東半分を燃やし尽くした地震火事のものだ。
 川向こうの火事を見ていると、新大橋を荷物を背負い子供や年寄りを背負った人々がぞくそくと逃げてくる。両手に泣きじゃくる子供たちの手をひいた女が、曾良のかたわらを血相を変えて通り過ぎていった。
 泣き叫ぶ声に、罵りあう声。
 どけ、どけと叫びながら、山のように荷物を積んだ大八車が走りすぎてゆく。病人を乗せた戸板に道を塞がれ、苛だつ男たちのあいだで喧嘩が始まった。
 頭の上で火の粉が舞う。その火の粉に追い立てられる人々の阿鼻叫喚。
 これがあの地震火事なら、と北のほうを見ると、すでに本所にも火の手が上がっていた。
 本所のあの辺りには吉川様のお屋敷がある。この火の勢いでは、もう火はまわっているに違いない。
 東のほうを見れば、中の橋の辺りも火の海だ。きっと芭蕉庵のあった辺りも、曾良の家のあった六間堀町も燃えているだろう。
 火が左から右に走り、右側の半ば傾いた家が、一瞬のうちに火に包まれた。
「馬鹿野郎。こんなとこで何うろうろしてんだ」
 後ろの声に振り向くと、嵐雪がこちらを見ている。隣には、烈が嵐雪の袂をつかんで立っていた。
「さっさと逃げねえと、焼け死んじまうぞ」
 嵐雪の言葉とも思えない激しい口調だった。
 曾良は呆然としたまま嵐雪と烈の姿を見ていた。
 なぜここに嵐雪がいるのだ。
 嵐雪は富士山が噴火するひと月前に亡くなっている。そして烈はもっと前、嵐雪の八年も前に亡くなっていた。
「いつまでもぼやぼやしてんじゃねえよ」
 嵐雪はそう言うと、烈の手をとって小名木川にかかる万歳橋のほうに逃げていった。
 ふたりは曾良に見せつけるように、手を絡ませ寄り添うように歩いていく。その姿は、この混乱のなかにあっても、むつまじい男と女の道行に見えた。
 曾良はそんなふたりを言葉もなく見送るしかなかったのである。
 曾良はため息をつき、天を仰いだ。見上げた空を染めていた炎の赤はすでに消え、狂ったように舞っていた火の粉ももう見えない。
 東の空が白みかけていた。
 夜明けが近いのか、とその薄明かりを眺めていると、廊下を近づいてくる足音が聞こえ、その明るさが障子にかすかに映った外の明かりであることに曾良は気づいた。
 足音は部屋の前でとまった。雨戸を開けるがたんという音がして障子がぱっと明るくなり、部屋のなかに淡い光が差し込んできた。
 母屋の方から若い女の声が聞こえてきて、雨戸を開ける音がとまった。
「はあい、ただいま」
 まだ幼さの残る娘の声がこたえた。部屋で寝ている曾良を気遣ったのだろう、つぶやくように小さな声だった。
「お千代、何してますの」
 居丈高な声が娘を呼ぶ。その声に急き立てられ、娘は小走りに廊下を戻っていった。
 娘の足音が遠ざかり、あとには波の音だけが残っていた。
 渚に戯れるような穏やかな音だった。
 いつの間にか嵐は止んでいた。そして体を引き裂くような痛みも、嘘のように治まっていた。汗をかいたのだろう、粘つくような湿気が体にまとわりつき、蒲団とのすき間から不快な臭いがたちあがってきた。
 それにしてもいやな夢だった。
 倒れた家に押しつぶされそうになったり、火に追いかけられて逃げ惑ったりと、このところよく地震火事の夢を見るが、嵐雪がでてきたのは初めてだった。
嵐雪は、迎えに来たのだろうか。
 夢のなかの嵐雪は、初めて会ったころのままだった。嵐雪とともに髪をおろしたはずの烈もそうだった。
 人づてに尼になったという話は聞いていたが、烈とはあの日六間堀の曾良の家で会ったのが最後で、その後会うこともなく、尼の姿を見ることもなく烈は亡くなってしまった。
 嵐雪がすべての烈が、坊主になった嵐雪に習って尼になるのは何の不思議もないが、むしろ尼になることを望んでいたのではないか、と曾良はその話を聞いたときに思った。
 嵐雪に可愛がられれば可愛がられるほど、そして嵐雪のことを思えば思うほど、自分が遊女であったことを悔いていたのではなかったか。
 もし嵐雪に拾われていなければ、烈も吉原のほとんどの遊女たちと同じ哀れな末路を辿っていたに違いない。牛や馬のようにこき使われ、少しでも体を壊せば打ち捨てられて誰にも見取られずに死をむかえる。死んだら死んだで西念寺にごみのように投げ込まれ、売女と法名をつけられ葬られる。そんな遊女たちの最後をいやになるぐらい見てきてた烈が、尼になるのに、何の迷いがあっただろうか。
 烈は曾良を一瞥したきり、じっと嵐雪の顔を見上げたまま、しがみつくように寄り添っていた。
 そんな烈の姿を見れば、たとえ嵐雪にさっさと逃げねえかと言われても、簡単にはいとうなずき、ふたりのあとについていくことなどできるわけがなかった。
 曾良は蒲団のなかでため息をつき頭をめぐらした。ほの暗い部屋のなかで、障子戸だけがやわらかな光に照らされている。
 このような明るい光を見るのは何日ぶりのことだろう。そしてこんな穏やかな波の音を聞くのも、壱岐に来て初めてのことではなかったか。
 この家で臥せってから何日が過ぎたのだろう。曾良にはもう今日が何日かということも分からなかった。
 曾良は目を天井に戻し、そのまま目をつぶった。
 やはりお迎えだったのか。
 目を閉じた曾良の耳には、壱岐の穏やかな波の音だけが聞こえていた。


 曾良は、壱岐の風本で吐血した。
 大坂に着くころから、曾良は鳩尾のあたりに鈍い痛みを覚えるようになっていた。痛みは時折激しく時に貧血をともなって曾良を襲い、難波津から船にのり、瀬戸内をゆくあいだもおさまることはなかった。
「岩波殿、顔色がすぐれぬようだが、瀬戸内のこのような凪で船酔いとあっては玄界灘ではどうなることやら。何しろ名にしおう荒海でござるからなあ」
 曾良の不調を船酔いと思った同僚たちは、そう言って笑った。
 同僚たちの揶揄ともとれる笑いに曾良も情けない笑いを返していたが、曾良は今度の腹痛がいつもの腹痛とは少し違ったものであるような気がして、心穏やかならざるものがあった。
 痛み自体はもう三十年も前からの持病によるものである。事あるごとに襲ってくる腹痛は、いつもそれなりの時間が過ぎれば嘘のように消えていた。だから最初に鳩尾の辺りに鈍い固まりを感じたときは、「またか」と思い、今度もまたそのうち治まってくれるものと思っていたのである。しかしその腹痛がいつもと違ってなかなか治まらない。治まるどころか、日に日に激痛の間隔が短くなっていた。
 そしてとうとう鞆ノ浦の泊りで下血した。曾良はこれまでにない便の様子に、手にした落とし紙を恐る恐る確かめ、紙が真っ赤に血で染まっているのを見て愕然とした。
 下血はその一度きりだった。腹の具合も何となく持ちなおして、しかし曾良は自分の体にただならぬことが起きていることを知ったのである。
 旅は始まったばかりである。まだ博多にすら着いていない。これから壱岐に、対馬に、五島に、はるか薩摩、大隅にまで行かなくてはならないのである。その気の遠くなるような道のりを考えたとき、はたしてこの体はそこまで持ちこたえてくれるのか、と曾良は不安に駆られるのだった。このままなんとか持ちこたえてくれ、いや持ちこたえてもらわなくては困る、と腹に違和感を感じたときに、便意をもよおしたときに、曾良は祈るような思いで落とし紙を確かめるのだった。
 体の不調を気取られてはならなかった。見つかれば旅はその場で終わりとなる。その場に置き去りにされるか、江戸に帰されるか、いずれにしろ旅をつづけることはできないのである。
 今度の旅は公儀による諸国巡見の旅。自分ひとりの気ままな旅でも、翁とともに巡った乞食の旅でもない。御使番が倒れたというのならまだしも、随員のひとりが倒れたからといってその旅が滞ることはなく、予定は予定どおりにこなされていくのである。
 期待に胸をふくらませて挑んだ旅であった。筑紫へはもちろん、須磨の浦からこちらには、翁でさえ足を踏み入れたことがない。このように長い船旅も初めてである。かつて去来から、長江もかくやと聞かされていた瀬戸内の海が、今目の前にある。穏やかな水面に、大小の島々が点在する。島影の向こうに島影がかすみ、その間をとりどりの船が行き来している。漁民たちの漁る姿も間近に見え、それは松島や象潟とはちょっと違った趣があった。
 しかしそのような風景を目の当たりにしても、常に不安が先にたち、初めての風景を愛でる喜びを喜びとすることができなかった。腹に違和感を感ずれば不安になり、また感じなくともいつくるか分からない下血に怯えつづけた。
 不安に苛まれながらではあったが、なんとか博多まで辿り着いた。海路ということもあった。梅雨の真っ只中ではあったが、天候にも恵まれた。このまま穏やかな日がつづいてくれればなんとかなるだろうと思いはじめた矢先に、雨が降りはじめた。博多から壱岐への渡し場、肥前の呼子までは陸路である。夏の雨とはいえ、雨は体を冷やし、体力を消耗させる。一日中激しい雨のなかを歩きつづけると、晴れているときの何倍も疲労した。気取られてはいけないという思いが、疲労に拍車をかけた。そしてとうとう壱岐への渡し場、呼子でふたたび曾良は下血してしまったのである。
 曾良は雪隠のなかで腹の痛みに脂汗を流しながら、下血がおさまるように、雨があがってくれるようにと祈った。これからしばらくは船での移動が多くなる。梅雨とはいえそうそう雨の日ばかりということはないだろう。その間に下血も腹の痛みもおさまってくれれば、このまま旅がつづけられる。甘い考えではあったが、曾良にはもうそう祈る他なかったのである。
 しかし曾良の思いはかなわず雨は降りつづき、腹の痛みはおさまらなかった。呼子から船に乗って壱岐の郷ノ浦へ、そして郷ノ浦からふたたび陸路を歩いて風本に辿り着いたところで、曾良は吐血した。
 吐血で、曾良は体の不調を隠しおおすことができなくなってしまった。
 曾良は巡見使の本陣とは別の網元の五左衛門の家に運びこまれ、島でただひとりの医者の診察を受けた。
「ただの船酔いと思っておったんだがなあ。吉川様のご紹介というのであてにしておったのに、やはり年寄りは駄目だ。とんだお荷物だったわい」
 曾良はおぼろな意識のなかで、御使番小田切靭負の近習、服部正三郎と、診察を終えた医者が廊下でかわしている会話を聞いていた。医者の声は聞こえなかったものの、服部のあからさまな声は、曾良の耳にも聞こえていた。
 田舎医者の見立てがどうだったのか定かではない。しかし医者が声をひそめ、それにこたえる服部の「お荷物」という言葉で、曾良にもふたりの会話がどのようなものであったのかは十分に想像することができた。
「岩波殿にはこれから先、日向、薩摩と活躍してもらわねばならぬのに、いや、参ったな。どうかな、ここでゆっくり養生してもらって、体調が戻りしだいどこかで合流してもらっては」
 もうひとりの近習、郡司三郎右衛門が、曾良をかばうように言った。
「何を悠長なことを。そんなにのんびりできる旅でないことは、郡司殿も重々承知のことではないですか。ただでさえ殿に手が掛かるというのに、これ以上足手纏いを増やしてどうなさるおつもりですか」
 郡司の言葉に服部は容赦がなかった。服部の剣幕に、郡司は言葉を返すことができないでいた。
 曾良は近習たちの会話を聞くまでもなく、吐血をしたときに自分がもう長くないと思っていた。
 来たか。
 曾良は、咳き込んだ口を押さえる手に血の赤を見たとき、そう思った。
 不安が、旅をつづけることに対する不安から、はっきりと自分の最後の時の不安に変わっていた。
 いつも何となくやり過ごしていた腹痛ではあったが、いずれこれがもとで最後の時を迎えることになるだろうという漠然とした予感はあった。深川六間堀の長屋でひとり腹痛に喘いでいるとき、自分はこのまま人知れず死んでしまうのだろうかという思いに襲われ、それは七年前の地震で命拾いをしてからいっそう強くなった。まわりのものもつぎつぎと死んでゆく。去来が死に、丈艸が死んだ。三年前には、其角、嵐雪と相次いで亡くなっている。次は自分かと思い、その時はこれがもとで死ぬのだろうと、ひと事ではない訃報に、それだけで鳩尾の辺りが重くなるのだった。
 吐血はその予感を現実のものにするには十分すぎるほどに十分なものであった。
 曾良は来たかと思い、そしてここが死に場所ならば申し分ない、と思った。
 日々旅にして旅を栖とすることを理想とした翁の言葉にならうならば、この壱岐で死ねるならば本望、という思いが脳裏を過ったのである。
 翁は、臨終が近くなって、
  旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
と詠まれた。旅路の果ての死。旅の途中で、誰からも見取られることなくひっそりと迎える死こそ、翁の求めていた死ではなかったのか。そうあってこそ初めて翁の俳諧世界は完結する。翁はたしかに日々の暮らしを、そして俳諧にむかう姿勢を旅の心をもって送っていた。そして最後までその気持ちを持ちつづけたまま死を迎え、そういった意味では、旅に病み、旅に果てたともいえる。しかし現実の翁の死はおおぜいの門弟たちに看取られてての、畳のうえでの大往生であった。
 翁が望んでしかしかなわなかった死に様を、自分が迎えようとしている。これが本望といわずに、何を本望といえるのか。
 曾良はそう思いながら掌の血を見つめていた。
 冷静だったのはそう思ったその一瞬だけだった。
 目の前に白い靄のようなものがかかってきて顔から血の気が失せていく。自分の掌の血の赤さえはっきりと像を結ばなくなってきた。それが吐血による貧血のためなのか、あるいは血を見たことによる動揺のためかは分からなかったが、視界が徐々に狭まっていくにしたがって、数瞬前の冷静さとは裏腹の混乱が曾良を襲った。
 死にたくない。
 そう思ったときに二回目の吐血をしていた。曾良は気を失い、気がついたときにはこの五左衛門の家に担ぎこまれていたのである。

                                          つづく

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