種樹郭タクダ傳 (付・漁翁)
タクダ師という言葉を知ったのも、タクダ師が庭師、植木屋のことだと知ったのも、永井荷風の日記「断腸亭日乗」によってでした。荷風のいうタクダ師とは、唐宋八大家のひとり、柳宗元の「種樹郭タクダ傳」のなかに登場する植木屋、郭タクダのタクダからきた言葉。郭タクダは、その文章のなかで時代の天才的な植木屋として描かれています。「種樹郭タクダ傳」を読んでみると、すでに千二百年も前に、植木屋の技術は現在のものと変わらぬものだったことがわかります。そして柳宗元は、今のタクダ師たちが失いつつある精神についても説いていて、身に覚えのある私などはどきりとさせられました。現代のタクダ師たちが失いつつあるものは何か、そして荷風があえて庭師をタクダ師と呼んだ理由は何か。それは「種樹郭タクダ伝」をお読みいただければわかることと思います。
ついでですが、絵本の名作「よあけ」も、柳宗元の「漁翁」をもとにしたものとか。柳宗元恐るべし、です。
柳宗元(773〜819)
種樹郭A駝傳
(新釈漢文大系71 唐宋八大家文読本(二) 星川清孝著 明治書院からそのまま引用した)
郭A駝不知始何名、病僂、隆然伏行、有類A駝者、故郷人号之駝、駝聞之曰、甚善。名我固當。因捨其名、亦自謂A駝云。其郷曰豊樂郷。在長安西。駝郷種樹。凡長安豪富人為観游、及賣果者、皆争迎取養視。駝所種樹、或移徒、無不活且碩茂、蚤實以蕃、他植者、雖窺伺傚慕、莫能如也。有問之、對曰、A駝非能使木壽且孳也。能順木之天、以致其性焉爾。凡植木之性、其本欲舒、其培欲平、其土欲故、其築欲密。既然已勿動。勿慮。去不復顧。其蒔也若子、其置也若棄、則其天者全、而其性得矣。故吾不害其長而已。非有能碩茂之也。不抑耗其實而已。非有能蚤而蕃之也。
(A:袋を意味するタク)
他植者則不然。根拳而土易。其培之也、若不過焉、則不及。苟能有反是者、則又愛之太恩、憂之太勤。旦視而暮撫、已去而復顧。甚者爪其膚、以B其生枯、揺其本、以観其疎密。而木之性日以離矣。雖曰愛之、其實害之。雖曰憂之、其實讎之。故不我若也。吾又何能為哉。問者曰、以子之道、移之官理可乎。駝曰、我知種樹而已。理非吾業也。然吾居郷、見長人者、好煩其令。若甚憐焉、而卒以禍。旦暮吏來而呼曰、官命。促爾耕、C爾植、督爾穫。蚤繰而緒、蚤織而縷。字而幼孩、遂而鶏豚。鳴鼓而聚之、撃木而召之。吾小人輟DE、以労吏者、且不得暇。又何以蕃吾生、而安吾性耶。故病且怠。若是則與吾業者、其亦有類乎。問者F曰、不亦善夫。吾問養樹、得養人術。傳其事、以為官戒也。
(B:馬へんに念、C:冒をへんに力、D:夕をへんに食、E:雍の下に食、F:口へんに喜)
通釈
郭タクダは、そのはじめは何という名であったか分からない。背の曲がる病気で、背がもり上がってうつぶしになって歩くのが、駱駝に似ているところがあるので、それゆえ郷の人は駝と呼んだのである。駝はこれを聞いていった、甚だ善い。私を名づけてまことに当たっている、と。それによって彼は自分の名を捨てて、彼もまた自分でタクダといったということである。その郷を豊楽郷という。長安の西にある。駝は樹を植えることを仕事としていた。およそ長安の豪族や金持ちで物見遊山の庭を作る者や、果実を売る者などは、皆争って駝を迎えて彼の培養と視察とを請うのであった。駝が植えた所の樹は、遷し易えることがあってもよく根がつき活きて、大きくなり茂って、早く実がなり殖えないものはなかった。ほかの植木をする者が、うかがい見て見習い慕っても、それに及ぶことのできるものがなかった。これを尋ねるものがあると、彼は答えていう、タクダは木を生命長く、その上茂らせることができるのではない。木の天然自然に従って、その生まれもった生きる働きを導くことができるだけである。およそ樹木の性は、その根本はまっすぐに伸びるようにと欲し、その土をかけ養うことは平均していることを欲し、その土壌はもと植えてあったものであることを欲し、その根本の土を固めるには密ですき間のないことを欲するのである。すでにそうしてしまうと、あとは動かしてはならない。心配もしてはならない。そこから立ち去ってあとは二度と振り返り見ないがよい。その植える時は子を育てるときのように大事にし、植えて手放すときは棄てるようにすれば、その木の天性はそこなわれず完全で、その生きる働きが、適切に行われるのである。それゆえに私はその成長を害しないだけであって、それを大きくし茂らせふやすことができる力があるのではない。そのなる実を抑えへらすことをしないだけであって、それを早く実らせ多く殖やすことができる力があるのではないのである。
ほかの樹を植える人はそうではない。根は拳のようにかがまって土は前と変わり、その土を寄せ養分をやるのに、もし度を過ぎるのでなければ足りない。かりそめにも是に反して良くやっていても、また木を可愛がっていつくしみが過ぎ、心配して熱心が過ぎて、朝に良く見ては暮れに撫で、もはや立ち去ってからまた振り返り見る。甚だしいのはその木肌に爪を立てて生きているか枯れたかを験してみ、その根元をゆり動かして土にすきがあるか密につまっているかを調べてみる。そうして木の生きる働きは毎日離れて行ってしまう。これを愛しているというけれども、その実はこれを害している。これを心配するというけれども、その実はこれをいじめているのである。それゆえに私には及ばないのである。私はその上何ができようか。何もできないのである、と。問うものはいった、お前のやり方を、役所の政治に移して行うことができるだろうか、と。駝はいった、私は植木のことを知っているだけである。政治は私の仕事ではない。しかし私は村里に住んで人の長であるものを見ると、好んでその法令を面倒にして、大変人民を憐れんでいるようでありながら、結局人民に禍をしている。朝に晩に役人が来てさけんでいう、役所の命令で、お前たちの耕すことをうながし、お前たちの作物を植えることをはげまし、お前たちの収穫を監督する。早くお前たちの糸を繰れ、早くお前たちの糸を織れ、お前たちの幼児を育て、お前たちの鶏や豚を十分に成長させよ、と。鼓を鳴らして人民を聚め、拍子木を撃って呼びつけるのである。私たち農民は食事をやめて、それで以って役人をねぎらいもてなすのですらも、また暇がないのである。その上どうして自分たちの生活を繁昌させて、自分たちの生きるための心の働きを安全に保とうか。とてもできるものではない。それゆえ、病んでその上仕事を怠ってしまう。このようであれば、政治も私の仕事と、それこそ似ているところがあるのであろうか、と。問うものは喜んでいった、それも善いではないか。私は樹を養うことを尋ねて、人を養う術がわかった、と。このことを書き伝えて、それを役人のいましめとするのである。
断腸亭日乗(文庫版) 永井荷風
漁翁
漁翁夜傍西巌宿
暁汲清湘然楚竹
煙銷日出不見人
欸之一聲山水緑
廻看天際下中流
巌上無心雲相逐
老いた漁師は夜を西の岩陰で過ごし、
夜が明けたら清らかな湘江の水を汲んで竹を燃やす。
もやが消えて日が出るが、そこには人影は見て取れない。
山と水の緑の景色の間に漁師の歌う船歌が寂しく聞こえる。
はるかに天の果てを顧みつつ流れを下れば、
岩の上から雲が無心に迫ってくる。
よあけ (福音館書店)