嘘つきは人間国宝の始まり

 普段の暮らしのなかで嘘をつくと、嘘つきは泥棒の始まりとののしられます。ところが、すべてが絵空事の芝居の世界では、その嘘つきがもてはやされる。優れた嘘つきこそ優れた役者と評価され、なかには人間国宝という名誉を得るひともいて、そうなると嘘つきは人間国宝の始まりです。
 日常生活のなかでは許されない嘘が、劇場という虚構の世界では許される。それは、日常と非日常の境界がはっきりしているから許されるのであって、その境目があいまいだと、嘘も本当も訳が分からなくなります。
 昨年につづき、今年二回目の新潟公演となる、劇団チャリカルキは、実際の居酒屋を劇場に仕立てて、全国公演をおこなっている劇団です。
 居酒屋で酒を飲んでいると、さまざまな嘘が飛び交っているのがよく分かります。嘘八百を並べ立てて女を口説いている男。上司へのお追従を繰り返すサラリーマン。周りの客の会話に耳をそばだてている私は、日常の側にいるつもりで嘘を聞いています。しかし周りの客にしてみれば、彼らこそ日常の側の人。私の嘘に聞き耳を立て、あいつはとんでもない嘘つきだと思っているかもしれません。日常と非日常がごちゃ混ぜの居酒屋をそのまま劇場にする劇団チャリカルキの試みは、日常を芝居の非日常の側に手繰り寄せる方法としては、なかなかなものです。
 劇団チャリカルキの芝居を覚めた眼で見ているつもりで、いつの間にか彼らの非日常に引きずり込まれていたら、それは、チャリカルキが優れた嘘つきだということに他なりません。
 劇団チャリカルキ新潟公演「脚立。」は、5月21,22日、新潟市中央区本町通2、居酒屋「鳥の歌」(025・228・3080夜)にて。
                             (新潟日報 2011・5・14)

TOP PAGE