今から珈琲の基礎について勉強します。
まず最初は知識・歴史です

●コーヒーの木の知識 

コーヒーはアカネ科の常緑樹。赤道を中心に南北25度前後の熱帯・亜熱帯地方の雨量、土壌、気温など気象条件に恵まれた地方の高所1000~6000フィートで栽培されます。平均気温18~24度で、気温の年較差の少ないところが良く、但し、一日の気温較差は大きい方が良質な豆が出来るといわれています。年間雨量が1600~2000mmあって十分な日照があることが望ましい。
コーヒーは、種子を植えて2~3ヶ月で葉が出はじめ、6~8ヶ月で畑に移植、2~3年たつと5~6メートルに成長して純白の清楚可愛い花を咲かせます。あたり一面にジャスミンにも似た強烈な香りが立ちこめます。花はほんの2~3日で散ってしまい6~7ヶ月で結実します。そして3~5年で真っ赤なチェリーが実ります。

 コーヒー豆の実は、2個1組になっているものをフラット・ビーンズと言い、1個だけのものをピーベリーと言います。このように収穫するまでの長い間農園の人々はほとんど手作業で大切に育てます。コーヒーは5年以上もたたないと私達の手元へは届きません。


●コーヒー豆の種類と味の特徴

アラビカ種

原産地はエチオピアの高原地帯で自生していたもので、白褐色の樹皮を持つ常緑低木。アラビカ種は乾燥・低温・高温多湿・病害虫には弱いが品質が良く生産性が高いことから、世界で生産されるコーヒーの約3分の2を占めている。熱帯の高度2000~6500フィートの高冷地で栽培に適する。他の品種に比べて味、香りが優れているので最も広く栽培されている。カフェインの含量は約1%

ロブスタ種

1895年アフリカのコンゴで野生の珈琲が発見された。世界のコーヒー生産量の約3分の1を占めている。アラビカ種と全く異なる独特の風味を持ち、アラビカ種の2倍のカフェインを含有する。病虫害に強く高度2000フィート迄の低地での栽培に適するので品質はアラビカ種よりやや劣るが近年広く栽培されるようになった。カフェインの含量は約2%

リベリカ種

リベリアが原産地。低地栽培。高温多湿に強いが品質的に劣る。大粒であり立派であるが一般に低級品と考えられるため日本にはあまり輸入されていない。



珈琲の起源と歴史

●エチオピアから世界へ・・・コーヒーのルーツ

   3000年の歴史と伝統を持つエチオピア。その国の中央を走るアビシニア高原の緑地に自生していた野生のコーヒーに、人類が興味を寄せたのは、およそ1000年も前のことです。1000年以上も前に記されたアラビアの文献に薬として紹介されています。
初期のコーヒーは、今日的な飲み方ではなく、消化・強心などの薬理効果が認められて医療に用いられました。その後いろいろな飲み方・食べ方が考えられ試さえ今日にいたっています。その間、スリランカ・インド・ジャワ(現在のインドネシア)をへて中南米・アフリカ各地に苗木を持ち込み、世界のコーヒーベルト地帯と呼ばれる国々で栽培、生産されています。
コーヒーは、当初はその薬効により、少しずつ人々に知られていったコーヒーでしたが、一六世紀にヨーロッパへと伝わり、焙煎法の発達や、インスタントコーヒーの発明、缶コーヒーの開発などを経て、ご存じのとおり、世界中の人々に愛される飲み物となりました







●コーヒーの歴史
コーヒーの起源はいろいろな説があります。
主に「 コーヒー発見の2大伝説」 と呼ばれ、キリスト教説、
イスラム教説が最も有力とされています。
  *キリスト教説:ある赤い木の実と山羊 

アラビア人の羊飼いカルディーは、羊の群れが夜中に野生の赤い木の実を食べて、興奮して跳ね回っているのを見ました。不思議 に思ったカルディーは、その赤い木の実を口にしました。するとすぐに気分が爽快になり 、全身に活力が巡り、夜になっても疲れが出て眠くなるどころか、逆に目が爛々とし て全然眠くならなくなった。夜も眠らず祈りを捧げることに徹していたお坊さんにと って、睡魔と言う眠気は恐るべし敵であった。そんな中でその赤い木の実はお坊さん達を大いに救いであった。それからと言うものみんな祈りを捧げる前には赤い木も実を食べて、スッキリした気分で修行ができるようになり、お坊さんの必需品として広まっていったという。
  *イスラム教説:ある赤い木の実と鳥 

イスラムの僧オマールは、領主の娘との関係 に疑いをかけられて、イエメンのモカを追放されました。やむを得なく山中を心も身体もボロボロになりながら彷徨い歩いていました。空腹に耐えられなかったオマールは、小鳥がついばんでいる赤い木の実を見て食べてみることにした。まずはその赤い 木の実をとって、煮出してそれを飲んでみると、疲れや飢えが一気に取り除かれた。 その後、その汁を病人に配り、何人もの病人を救っていった彼は、さながら聖人として尊敬され崇めたてまつられた。その反面、アルコールを禁止されているイスラム教徒にとって、コーヒーの煮汁はアルコールにかわる興奮作用のある嗜好品であった。 まだ生の豆を煮た汁を飲んでいるだけだったので、青臭く、あまり美味しいとは言え ない代物だったけれど、コーヒーの煮汁はとても重宝された飲み物だった。

 
●歴史文献に登場したコーヒー
  実際にはコーヒーは、2つの発見説よりももっと古い時代に文献に登場しています。文献には「コーヒー」ちいう名称ではなく、「ブン(バン)」または、「バンカム」という名称で記述せれていた。ペルシャの名医と言われたラーゼス(850~922)は、ペルシャ、エジプト、インド、ギリシャの医学を総合した本「医学集成」の中ではじめてコーヒーを薬として取り上げ、「エチオピアやイエメンに自生するブンとその煮汁バンカムは刺激的でサッパリとした味を持ち、胃に非常に良い」と記述している。続いてイスラムの大科学者アビセンナ(980~1037)「医学法典」にてブンとバンカムを取り上げその効用を医学的に述べている。
ラーゼスやアビセンナの書物に登場するコーヒーは、現代のように抽出されたコーヒーの記述ではなく、煮汁もしくは実そのものの効用について述べられたものだった。


●嗜好品としてヨーロッパに広まったコーヒー
 コーヒーが飲み物になったのは、14世紀にアラビア半島にあるイエメンかららで、15世紀あたりからアラビア世界に広まったと言われています。この時代のコーヒーは現代のように豆を煎るということはされていなかった。最初は成熟した果実の種子を煮て柔らかくした物を食べたり、その上澄みを飲んだりしていました。
炒り豆を使用しるするようになったのは、1450年頃ペルシャ長い柄のついた大型のスプーンでコーヒー豆を焙煎し、砕いて煮出して飲むようになったてからだといわれています。
1510年にエジプトのカイロに伝わり現在のコーヒーハウスのように、人々が珈琲を飲む憩いの場もでき始めていた。ところが1511年にメッカの支配者カイール・ベイは、コーヒーがコーランの教えに背くとして飲用禁止令を発令。あやうくコーヒーが飲めなくなりかけた。しかしカイロのサルタン国王がコーヒーの愛好家であったため、直ぐに禁止令は撤回された。その後17世紀に入りイスラム文化と共にコーヒーがヨーロッパに入り、最初の珈琲店が1645年にイタリアのベネチアでオープン、それから10年の間に、ロンドンやパリでもコーヒーハウスが次々とオープンしました。音楽家バッハが「コーヒーカンタータ」を作曲したり、コーヒーハウスでコンサートを開いたりしたのが1732年頃

●日本人が最初にコーヒーを飲んだのは江戸末期
日本で最初にコーヒーを口にしたのは、織田信長や豊臣秀吉であるといったせつもあるが、記録に残っているのは元禄時代(17世紀の終わりから18世紀)に長崎出島にオランダ人が持ち込んだのが最初だと云われています。外 国人とかかわりを持っていた日本人のほとんどが、コーヒー独特の焦げたような匂いを好む事が出来ずに飲もうとはしなかったそうです。日本人がコーヒーの効用を活字にした記録が江戸末期にあった。それは当時の函館奉行のある通達である。「和蘭コーヒー豆、寒気を防ぎ湿邪を払う」とその薬効を説き「黒くなるまでよく煎り、細かくたらりとなるまでつき砕き二さじ程を麻の袋に入れ、熱い湯で番茶のような色にふりだし・・・・・」と飲み方まで指南している。(読売新聞札幌版2001/1/20)北海道稚内、宇谷公園に「津軽藩兵詰合の記念碑」がある。この記念碑がコーヒー豆をかたどって作られているのは、その史実に基づいて立てられたからだという。
また福岡の太宰府天満宮の古文書の中に「寛政9年6月19日長崎の井田要右衛門が、かひぃ一包と砂糖一包を奉納す」という文献も発見されている。一般に広まったのは、明治の終わりから大正初期にかけてだと云われています。上流階級の人極々一部の人が文化的な飲み物ということで飲み始めた。



   全日本コーヒー協会資料より


 

ギンカ珈琲教室、インターネット編
20 第一章
コーヒー豆知識、歴史

21 第二章 ドリップコーヒー立て方

22 第三章 サイホン立て方

23 第四章 アイスコーヒー立て方

24 第五章 美味しい珈琲の条件

25 付録1 コーヒーと健康

26 付録1 紅茶、ハーブ立て方



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