大正の終わり頃のことです。大阪浪花座の東隣にオープンしたカフェパウリスタで5銭のコーヒーとドーナツを食べながらコーヒーが益々大衆の飲み物となるだろうと直感した創業者竹三郎は早速ブラジル・コロンビア・ヨーロッパなどを歴訪、コーヒー農園やヨーロッパのカフェを視察。帰国後本業の株屋をすてて、珈琲の研究に没頭する日々をおくります。

次第に気軽にコーヒーが飲めるお店も増え、数年を待たずにして喫茶店を始めホテル、レストランなどの御得意様に高い評価を頂き業務も盛んになりました。又、各国の貴賓来阪の節、桐箱に納めたコーヒーを度々献上致しました。初期の頃は自転車の荷台にコーヒーを載せて配達していました。戦時中コーヒーの入荷がストップし代用品が出回り材料難にあえぎ苦慮、高級コーヒーにこだわり止むなく一時中断




かつてコーヒーを頑なに拒んだ京都。
その地で高級珈琲専門店として、
ゆるぎない信頼を築いてきたギンカコーヒー


京都といえば、万人に知られた宇治茶の本場。しかも、茶の湯の伝統や京料理など、日本茶が暮らしの中に深く溶け込んだ町です。それだけに大阪などと比べ珈琲を受け入れるのも遅ったところでもあります。ギンカコーヒーは、第2次大戦中の中断の後、二代目社長の半浦明がさまざまな悪条件を克服し、京都で戦後いち早く高級珈琲専門商店として復活。
レストランや喫茶店など数多くのお得意先から厚い信頼を獲得、ゆるぎない評価を得てきました。その原動力となったのは、良質の豆を選び抜く目と、それを磨き上げる焙煎、ブレンドの技術に他なりません。
 
長い歴史と共に大阪浪花の地で培われ育まれてきた豊かな経験を生かした“高い品格とソフトな味覚の高級珈琲”伝承の秘伝の味と香りは3代目濱田武雄社長に今も変わる事なく守られ引き継がれています。レストランや喫茶店など数多くのお得意先から厚い信頼を獲得、ゆるぎない評価を得てきました。その原動力となったのは、良質の豆を選び抜く目と、それを磨き上げる焙煎、ブレンドの技術に他なりません。
昭和40年頃の濱田社長
若き頃の配達風景
   
 
明治44年頃、近代化の風潮が高まり明治から大正へと移り変わろうとしている頃、東京銀座にカフェパウリスタがオープン。パリのカフェーを真似た洒落た感じで文人、詩人、画家等の文化人が集うカフェとなりコーヒーは近代的・文化的な飲み物として讃美されました。このパウリスタはブラジル・サンパウロ州のコーヒー宣伝用の店だった事もあり、5銭でコーヒーを飲むことが出来ました。大正に入りカフェパウリスタをきっかけとして全国の主要都市の街中に珈琲を飲ませる喫茶店や酒食を兼ねたミルクホールなどの店舗が急速に増えて行き一般大衆にも親しまれるところとなり、ハイカラなご婦人達や人々お洒落な憩いの場となりました
 


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