神は光だった。光は明るさだった。明るさは神だった。
華美さまに太陽あれっ!
(かみさまにひかりあれっ!)
God In The Sun
残しておきたいもの企画
神と原爆
第二次世界大戦が終わって、60年以上が過ぎました。
原爆が投下されて、同じく60年以上が経ちました。
戦争も原爆も、遠い存在になってきたように、感じられます。
平和運動も、行われていますが、お祭り化しているように感じるのは、私だけでしょか。
日本では、戦争は、遠い存在なようです。
一部、平和貢献の名の許に、戦場に派遣されている組織もありますが、幸いな事に、直接、戦闘に加わるまでには到っていません。
軍隊は持たない、戦争はしないと言う憲法は、素晴らしいと思います。
残念ながら、守られてはいないようですが。
さて、わが国で、戦争が終わってから、60年も過ぎると、ほとんど人が、戦争と言うものを、理解できなくなっているようです。
知ってはいても、理解しては、いないのです。
まるで、私たちは、必ず死ぬ身であると言うのを、知ってはいるけれども、死ぬ事を、理解して、生きていないのと、似ている気がします。
原爆も、同じでしょう。
もう、見た人はいない。写真や、体験談はあっても、実際の現場を知らない。
写真や、体験談では、本当の原爆の凄まじさは、とても伝わらないのです。
今も、各地で地震や、水害で、多くの被害が出ています。
それらが、テレビやラジオ、新聞などで伝えられています。
それでも、現場の凄さと言うのは、ほとんど、伝わりません。
伝わらない、伝える事の出来ない事も、数え切れないくらいにあるのです。
まして、60年も前の、原爆の凄まじさなど、伝わっていないに、等しいのではないのでしょうか。
長崎に落とされた原爆が、どれほどの物か、ご存知でしょうか。
広島に落とされたものよりも、威力が大きかったのです。
しかし、地形の関係で、被害者が、少なくて済んだのです。
もう一つ、落とされた場所が、どこか、ご存知でしょうか。
長崎に落とされた原爆は、浦上の教会の、ほぼ真上だったのです。
教会の上。
神様を礼拝する場所の、頭上だったのです。
長崎は、キリスト教に、とても、縁が深い場所です。
しかも、殉教者が、とても多い場所なのです。
26聖人殉教の地。島原の乱。雲仙地獄による、キリシタン弾圧。
隠れキリシタン。
そして、教会上空での、原爆。
なんと、多くの血が、流されたのでしょう。
それに、長崎では、ショッキングな事件も、多く起きています。
子供が子供を、あやめる事件です。
長崎と言う地は、何か、そのような、神秘的な、何かがあるのかもしれません。
長崎の原爆。教会の上での爆発。
私は、イエスの事を、思い出します。
イエスは、神が人となって、地上に現れました。
彼は、人々を救いにきたのです。
でも、われわれは、彼の声に耳を傾ける事無く、彼を処刑してしまいました。
神の子を殺したのです。
しかし、神からの、復讐は受けていません。
イエスは、われわれの罪の為に、亡くなられたのです。
長崎の原爆も、同じ気がします。
教会の上、神を礼拝する場所の上です。
しかも、長崎は、盆地のため、原爆の威力よりも、少ない被害で、済んだようです。
それでも、少ない数ではありません。
他の場所ではなく、私が引き受けようと言って亡くなられた、イエスのような、気がします。
まさに、町自体が、殉教者のようでは、ないのでしょうか。
しかし、原爆を落とした国は、原爆を落としたことを、正当化しています。
世界最大の、キリスト教の国がです。
キリスト教の国が、キリスト教の教会の上に、原爆を落とす。
なんと言う、悲劇でしょう。
大統領になるのに、聖書の上に手を置いて、宣誓する国がなのです。
原爆投下を正当化するという事は、正当な理由があれば、いつでも、原爆を使うことがある証拠でしょう。
そんな考え方がある以上、また、原爆は使われます。
でも、神は、原爆を落としたことの正当性を、認めてくれるのでしょうか。
神の名の許に行われる殺人。
神は、それを、喜ばれるのでしょうか。
われわれの罪の為に、自らを犠牲にされたイエス。
そんなイエスを使わされた神が、原爆投下や戦争を、喜ばれる事は、ありえないはずです。
原爆投下や、戦争を起こした人が、神の前に立たされた時に、どう、判断されるのでしょうか。
それは、神のみぞ知るでしょう。
正しい事が、善い事とは、限りません。
すべての人が、本当に、平和を望んでいるのでしょうか。
原爆や戦争は、人々の心が、極端な形で、表に出てきたものでは、ないのでしょうか。
私たちは、自らを犠牲にしてまで、他人の幸せを、望むのでしょうか。
まず、他の人が、幸せになって欲しい。
その後で、私が、幸せになりたい。
そんな人が、多くいると、平和も来るでしょう。
しかし、まず、自分が幸せになりたい。
物が欲しい。
金が欲しい。
権力が欲しい。
全てを支配したい。
神にでも、なりたいのでしょうか。
ありもしない不安や、欲を作って、他者を攻撃する事を止めない限り、欲深さが、なくならない限り、平和が来るのは、遅くなりそうです。
敵を倒して、不安を取り除くために、何かを、誰かを、傷つけ殺しても、永遠には生きられないのです。
無用な殺生をしたが為に、神の前に立たされた時に、神によって、裁かれるのです。
私は、正しい事をしたのだと、神に宣言しても、裁き主たる神が、認めてくれなければ、どうにも、ならないのではないのでしょうか。
悪人は、自分のした事を、正当化します。
でも、裁くのは、本人ではないのです。
正しい事と、善い事は、同じだとは限りません。
悪人を裁く事は、正しい事でしょう。
でも、悪人を、改心させる事は、善い事だと思います。
神は、それを、望んでいるのでは、ないのでしょうか。
どんなに正当化しても、原爆を投下して、多くの犠牲者が出たのは、事実です。
それに、そのような、原爆を使った人がいるのも、事実です。
そして、原爆を投下した人や国が、原爆の被害に遭わない保証は、何処にも無いのです。
原爆が存在する以上、原爆が使われることは、必ず、あるでしょう。
いつの日か・・・。
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