細川家と肥後中村家 続                                                                

   室町時代を通じて幕府の重臣として続き、足利家の最側近であった細川家は    
  政治的側面は別として 文化的側面を語ることは 極めて難しいことである.それは   
  細川家の歴代当主及びその周辺の諸文化が あまりにも長期にわたり且つ広範であ
  り 同時に夫々が 重厚であるが為であろう.日本の精神文化である 和歌、連歌
  、漢学、絵画、書、能楽、茶道、華道、包丁、礼式、諸工芸、諸武道、宗教、その他 
  あらゆる分野に於いて 史上にその名を留めている. 細川家の文化に付いての 
  総合的専門的著書は 今日もって 著されたことがない. 学問に於いても 創作  
  に於いても 一、二の分野に限られている. NHK大河ドラマにも 最も面白い  
  史実と逸話に富む大名家であろうが 余程のプロデユウサーでなければ 採り上げる  
  ことが出来ないだろう.                               
   筆者もまた近世の細川家の能楽という一面のみ 肥後中村家との関わりを以下    
  紹介してみたい.   

その11 武家としての2代中村伊織.

その12 武家役者中村左馬進(伊織)正辰

その13 忠利公思召「国の名物・天下の目明し」

その14 光尚公伊織に「道成寺ほか」を申付けらる

その15 喜多七太夫・中村伊織立会能の事

その16 慶安2年藤崎宮石灯篭

その17 郷土史料「拾集物語」より(含臼 杵紀行)

その18 中村伊織 「関寺」を舞い納める

その19  3代中村庄兵衛正純

その20  御使番 中村庄兵衛正純の立場.

その21  高木家蔵「細川家寛文御能番組」

その22  寛文江戸藩邸能の事等.

その23  中納言水戸光圀公様と嶋屋吉兵衛.

その24−1江戸中期の中村三家
その24−2江戸中期 本家から分家へ芸系の継承の頃甚五左衛門と庄右衛門
その24−3享保19年御能番組
その24−4寛保二巳年七月於御花畑

その25  江戸後期の中村家

その26  肥後藩 町方奉行所と中村家、新座、桜間家

その27  明治以降の中村家と能楽


その28−1恕斉日録に見る芸能関係抜粋 其一(時習館訓導時代)
その28−2恕斉日録に見る芸能関係抜粋 其二(ペリー来航と中村流他、嘉永四年から六年まで)
その28−3恕斉日録に見る芸能関係抜粋 其三(安政大地震・郡代時代)
その28−4恕斉日録に見る芸能関係抜粋 其四(中村流と伴馬転流他、安政五年

その29明治8年 肥後人物志と中村正苗