細川家と肥後中村家                                                                
   室町時代を通じて幕府の重臣として続き、足利家の最側近であった細川家は    
  政治的側面は別として 文化的側面を語ることは 極めて難しいことである.それは   
  細川家の歴代当主及びその周辺の諸文化が あまりにも長期にわたり且つ広範であ
  り 同時に夫々が 重厚であるが為であろう.日本の精神文化である 和歌、連歌
  、漢学、絵画、書、能楽、茶道、華道、包丁、礼式、諸工芸、諸武道、宗教、その他 
  あらゆる分野に於いて 史上にその名を留めている. 細川家の文化に付いての 
  総合的専門的著書は 今日もって 著されたことがない. 学問に於いても 創作  
  に於いても 一、二の分野に限られている. NHK大河ドラマにも 最も面白い  
  史実と逸話に富む大名家であろうが 余程のプロデユウサーでなければ 採り上げる  
  ことが出来ないだろう.                               
   筆者もまた近世の細川家の能楽という一面のみ 肥後中村家との関わりを以下    
  紹介してみたい.   


その1 戦国末期の細川家能楽

その2 細川忠利公と金春流肥後中村家の出遭い

その3 細川三斎公と肥後中村家

その4 加藤家改易と細川家

その5 中村家 肥後 再入国(new)

その6 細川三斎と桧垣の塔

その7 再入国から島原の乱へ

その8 島原の乱 中村父子参戦

その9 寛永の華 細川家御下屋敷 天海・沢庵・柳生招請立能

その10 初代勝三郎政長(勝兵衛、意斎、少兵衛、靭負、庄兵衛)より 2代左馬進正辰(靭負、伊織)へ