雑感 「 江戸の旅行記 」

                    肥後金春流 13代 中村 勝三郎

  

   「 旅衣 末はるばるの都路を 今日思い立つ浦の波 船路のどけき春風の

   いくかきぬらん あとすえも、いさ白波の はるばると、さしも思いし播磨潟

   高砂の浦に つきにけり。」

               

   上は 9世紀初頭に実在したとされる 阿蘇大宮司友成の上洛に題材を採った

   能の名曲 「高砂」の道行の一節であるが、世阿弥が作曲した十四世紀の当時

   足利幕府と阿蘇家は補任や訴訟など 上方と九州は度々の往来を繰り返していた。 

    有史以来 わが国は今日では 想像できない海洋国家であり 明治の鉄道敷設

   まで主要な交通は帆船によっておこなわれている。中でも瀬戸内海こそ今日で

   言えば 東海道新幹線に比さるべき大海道であり、冒頭の一節も将しくその証左

   であろう。

    天正3年 島津家久による「家久君上洛日記」、 天正15年豊臣秀吉の

   「九州御動座記」 同年 細川幽斎の「筑紫紀行」 文禄5年阿蘇玄與による

   「上京日記」 等は夫々に文化的、政治的背景によって行われたものであるが

   途中の寄港地、滞在地などの民情をも写していて興味深く読まれるものである。

    近世江戸期の参勤交代の記録は凡そ事務的なものが多いが、 むしろ平和の

   時代を謳歌した庶民の旅日記こそ 目に鮮やかな叙景、風俗、物価などがこまか

   に描写されていて興味が 尽きることがない. 

    人々は男女を問わず 三三、五五で参宮や漫遊に繰り出し、どのように貧しく

   とも、 旅人に一宿一飯を供する人々が全国津々浦々に満ち々ていたことに驚かさ

   れる。

   就中 日向佐土原の山伏野田泉光院による托鉢廻国記 「日本九峰修行日記」は

   平和このうえない庶民の姿を伝えていて、理想郷としての国のあり方を今日に

   示唆しているかとも おもえる。旅行記中の白眉とも言えるであろう。

    文化九年九月から文政元年十一月まで 鹿児島から青森まで 六年二ヶ月の

   道中で 泉光院が見聞した犯罪は 国際都市長崎に於ける隣家の夜盗一件のみ

   であった。 大方の人々は 善意にみちて好奇心に溢れ 風流で信仰心の厚い生活

   者として描写されている。

   昨平成l十八年六月から 熊本史談会例会で 熊本市秋津の 弥富家文書

   「安政四年 日光道中記」 の解読中である。 海川山野 道中いたるとこ

   ろで 「筆舌に尽くし難し」 と景観に感嘆を 繰り返している。 

    美しい国があり、美しい人々が在ったのである。

   (注)日本九峰修行日記は三一書房 「日本庶民生活資料集成」より               

           平成十九年五月十七日  「豊前街道顕彰会のため記す」