閑話休題 正月御謡初之御式 


正月御謡初之御式

正月三日

一 今晩御謡初付 七ツ半時揃ニ而 御一門衆御家老中
  松井式部御中老御備頭御留守居大頭組外着座
  御物頭並同列迄長袴之出仕 歌仙之御間
  御上段江被遊
  御出座候上 中村藤記罷出 弓矢之立合相勤退去 役者共
  罷出 御一門衆御家老中松井式部御中老御備頭
  御留守居大頭江 御酒頂戴被 仰付旨 御用人申伝傳
  御一門衆御家老中松井式部御中老 御敷居内江
  被進出着座 少間越置 御備頭御留守居大頭右之
  並ニ座着 御三方三ツ御土器八寸小角二三種盛
  前ニ三ツ御土器居ヱ
  御前ニ差上 高砂初リ 右同八寸小角載三ツ御土器
  是ヲ載 右之面々江引渡之初献
  上之御土器ニ而
  御前被 召上御三方より脇ニ被差置 御一門より一吟頂戴之
  御土器八寸より脇ニ被差置候 猶又 
  御前中之御土器ニ而被 召上 初メ被 召上候御
  土器之上ニ御重 御三方之脇ニ被差置 御一門衆より
  又一吟頂戴右之通御加ト結 御一門衆より下タ之御土器ニ而
  一吟頂戴 初頂戴之御土器ニ重 被差置タ之
  御土器ニ而被
  召上已然之御土器之上御居ヱ重なから八寸之上ニ被遊
  御上 御銚子御加御土器引之八寸茂引申候 何レも
  御禮申上 復座
   但御一門衆御家老中松井式部御中老 中柱之
   御間南之御敷居内座着 風間之御杉戸御敷居
   内御備頭御留守居大頭座着 右頂戴己後
   御一門衆御家老中松井式部御中老御
   備頭座着 御備頭御留守居大頭御給仕口御屏風内座着
  二番目東北相済蝋燭心切り上 数御土器 二通リ
  出置 御銚子御加出掛リ居候内 何レも御酒頂戴被
  仰付旨 御用人申傳 組外より御物頭己上 二人宛
  罷出 御酒頂戴御肴獲歩御使番頭御歩頭
  御物奉行大組付之内 御給仕御小姓組長袴
  着勤之 右相す蝋燭心切候上 役者共
  罷出候而 三番目之御囃子老松初り御薹ノ物
  御押御銚子御加御給仕御小姓役長袴着
  勤之 御囃子相済被為
  入候事

         右謡初之式壱篇三枚宮村氏雑撰録巻六十六所載也
         昭和十二年八月二日三望亭ニ於て冩ス 此日出征之兵士
         四名仮泊ス 其武運長久ヲ祈ル者也矣
         昭和十二年八月二日 三望亭主人 上妻識

 * 注 上記御謡初式の年代は不詳であるが 「弓矢の立合」を勤めた中村藤記正苗は
     中村家分家第3代であり、安永二年(1773)家督、寛政六年(1794) 致仕であ
     り、藩主在国のある年の正月である。
 **注 細川家の謡初は 花畑の御殿で行われていたが、座着の位置は時代により
     異なっているようである。万延二年の御謡初が 六代庄右衛門誠卿の日録に図
     入りで  残されているが 上段に向かい二ツの部屋を開けはなし、右手廊下に
     一門他 重臣が西向きに列座、 御酒頂戴には敷居内へ進み、中村家は二之間
     中柱のたもと、太夫、囃子は段々に敷居際に下り、狂言、地謡 町年寄が敷居外
     の畳廊下に座し、着座・奉行・物頭は廊下南の三之間より北面して拝見となっている。
     いつれも脱剣と記されている。