閑話休題11 中村家文書消失か

 編者は予てより現在残されている文書に偏りのあることに疑問を持っていた。
明治維新以後 中村本家、又は作左衛門家に於いて不明とされたか、或いは江戸
時代
幾度も大火に見舞われた熊本であるから 其のうち災難に遭遇していたかと
想像していた。

 近日、畏友 津々堂様より この間の事情を想像させる以下の落書を頂戴した。

 当国下掛能組中村庄兵衛火本二而隣家少々類焼

此程ハ火事 小(ヲ)嶋い と聞津るに 思ひの外なる今日の昼 風呂の樋垣
のほころびて 清常ならぬと思ひしに 既に氷室と成たれど 折節道城寺の鐘
も落 長安寺の半鐘ハ 物の羽衣にてもなけれバ 聞付ル人
もなく 感陽宮と
もへ上り 雲林院の煙となるをも 通小町の
火消ハ 景清もなく 嵐山の風ハ
烈しく 一時の中 黒土蜘と成果
て 芭蕉の見廻も浮舟にて 東北にくれ 何
と夕顔も志をれはて
小袖曽我も鉢の木も 皆緋桜に焼なして 此の三輪何と庄
兵衛
難波に津けて不自由成ん 小塩キ物の野大根も 敦盛に成りぬれば 茶漬
の菜も當麻にて かゝる難儀を 白髭かな さて
命ハ 蟻通 を寺のかねも 
突ざれバ 阿ハれ火消を 松風にて
村雨がなと 心ハ関寺小町 浮名ハ高砂千
秋万歳 切ハ桜川迄

焼納めたり

    哥 三 

節分の 鬼よりこ已き 火を出して 言訳人に 何登庄兵衛

舞の手も 只ほうひいと 斗にて 天鼓微塵に焼崩したり

四番まで 火事金春の役目にて 中村諷と 舞おさめたり

「注」 以上二点は熊本県立図書館蔵「錦嚢移文 四」に納められる落書である。
年代
不詳であるが 宝永5年10月熊本町奉行に任命された中村家四代 甚五左衛
門は
翌年1月早くも免職となっている。火元となったのは此の時かと推定しておき
たい。
二の丸屋敷であったか京町時代か未調査である。

                               (090606)