夏目漱石 謡曲俳句 他 (岩波書店 漱石全集 巻十五)

 

明治二十三年

 

       白雲や 山又山を 這ひ回り (山姥)

 

明治二十八年

 

       飲む事一斗 白菊折って 舞わん哉  (菊慈童) 

 

       憂ひあらば 此の酒に酔へ 菊の主  ( 〃 )

 

       黄菊白菊 酒中の天地 貧ならず  ( 〃 )

 

       菊の香や 晋の高士は 酒が好き  ( 〃 )

 

十月

 

   喰積や こゝを先途と 悪太郎  (狂言 題不明)

 

   時鳥 弓杖ついて 源三位  (頼政)

 

   轡虫 すはやと絶えぬ 笛の音  (松虫)

 

       弁慶に 五条の月の 寒さ哉 (橋弁慶)

 

       去ん候 是は名もなき 菊作り  (恋重荷)

 

   十一月

       土佐坊の 生け捕られけり 冬の月 (正尊)

   十二月

       寒月や 薙刀かざす 荒法師  (橋弁慶)

 

       行年や 実盛ならぬ 白髪武者  (実盛)

 

       うてや砧 これは都の 詩人なり  (砧)

 

明治二十九年

    一月 

       東風や吹く 待つとし聞かば 今帰り来ん (松風)

    三月

 

       朧の夜 五右衛門風呂に うなる客

 

       山伏の 竝ぶ関所や 梅の花 (安宅)

 

       朧故に 行衛も知らぬ 恋をする  (西王母)

 

    八月

       琵琶に名は 青山とこそ 時鳥  (経政)

       落ち延びて 只一騎なり 萩の原  (巴)

 

       謡ふべき 程は時雨つ 羅生門  (羅生門)

 

   十一月

       攝待や 御僧は柿を いくつ喰う  (摂待)

   十二月

       鼓うつや 能楽堂の 秋の水

 

       大将は 五枚しころの 寒さかな  (景清)

 

       六波羅へ 召されて寒き 火桶哉  (熊野)

 

       白旗の 源氏や木曽の 冬木立  (巴)

 

明治三十年

 

    二月

 

       霞けり 物見の松に 熊坂が  (熊坂)

 

       山の上に 敵の赤旗 霞みけり  (箙)

 

    四月 

       謡 五句

       春の夜を 小謡はやる 家中哉

       

       隣より 謡うて来たり 夏の月

 

       肌寒み 碌を離れし 謡ひ聲

   

        謡師の 子は鼓うつ 時雨かな

 

       謡ふものは 誰ぞ 桜に灯ともして

 

    五月

 

        折り添て 文にも書かず 杜若  (杜若)

 

       大手より 源氏寄せたり 青嵐  (忠度)

         

明治三十一年

 

    五月

 

       永き日を 太鼓打つ手の ゆるむ也

 

明治三十二年

 

    一月

 

       拂へども 拂へどもわが 袖の雪  (鉢の木)

 

    二月

 

       梅散るや 源太の箙 はなやかに  (箙)

 

       梅の下に 槇割る翁の 面黄なり  (翁)

 

       梅の精は 美人にて 松の精は翁なり  (東北・高砂)

       女郎花 土橋を二つ 渡りけり  (女郎花)

 

       聞かばやと 思ふ砧を 打ち出しぬ  (砧)

 

明治三十五年 倫敦にて虚子の訃を聞きて

 

       きりぎりすの 昔を忍び 帰るべし  (蝉丸)

 

明治三十六年

 

       蝙蝠に近し 小鍛冶が 鎚の音  (小鍛冶)

 

 

明治四十年

 

       両掛や 関のこなたの 苔清水  (蝉丸)

 

       大鼓 芙蓉の雨に くれ易し

 

       後仕手の 撞木や秋の 橋掛り  (道成寺)

 

       遠近の 砧に雁の 落るなり  (砧)

 

       女うつ 鼓なるらし 春の宵

 

       白絹に 梅紅ゐの 女院かな  (東北)

 

       桔梗活けて 宝生流の 指南かな

 

明治四十一年

 

       鼓打ちに 参る早稲田や 梅の宵

 

       飯蛸や 膳の前なる 三保の松  (羽衣)

 

       花曇り 尾上の鐘の 響きかな  (高砂)

 

       山伏の 関所へかかる 櫻かな  (安宅)

 

       強力の 笈に散る 櫻かな (安宅)

 

       眞蒼な 木賊の色や 冴帰る  (木賊)

 

       五月雨や 主と言はれし 御月並  (月並謡会)

 

明治四十三年

 

       朝寒や 太鼓に痛き 五十棒

       

謡曲藤戸

       浦の男に 浅瀬問ひ居る 朧哉  

 

大正元年

 

       雪の夜や 佐野にて食ひし 粟の飯  (鉢木)

 

大正三年

 

       経政の 琵琶に御室の 朧かな  (経政)

       冠に 花散り来る 鞨鼓哉  (花月)

       鎌倉へ 下る日春の 惜しき哉  (千手)

 

大正五年

 

       琵琶法師 召されて春の 夜なりけり  (経政)

 

年月不詳

 

       帰り路は 鞭も鳴さぬ 日永かな  (小督)

 

明治三十七年 

俳体詩 

     

  送別   舞ふべくも 袖短くて  (小袖曽我)

 

  無題   糸車 夕の月に ひきさして  (黒塚)       虚子

 

宿乞う僧を 紙燭して見る  (八島他 ワキの定型) 漱石

 

尼 一  女郎花 女は尼に なりにけり  (女郎花) 虚子

 

       歌に読みたる 砧もぞ打つ  (砧)     漱石

 

連句

 

       歳々に 淋しくなりし 熊祭り     四方太

       九郎の館は 迹ばかりなり       漱石

 

 

       花更けて 御室の御所を 退るなり   四方太

       銘をたまはる 琵琶の春寒       漱石

 

              平成二十三年七月十日 金春流 肥後中村 選

 

 

 

[参考]

明治三十年

正岡子規へ送りたる句稿 その二十六 十二月

        朧枝子来る

      淋しくば 鳴子をならし 聞かせうか

                                 

        *朧枝は玉名郷士徳永右馬七で済々黌の英語教師。

         編者中村の伯父である。