25.5.3

閑話休題19 


恕斎日録にみる熊府下河原仙助能

 

 平成二十四年十一月三日 編者は熊本市河原町二番地にもなかの「高砂や」を

開店した。絶滅危機にある熊本の伝統文化、就中能楽の継承を願ってのことである。
 編者が開店の地と卜した河原町は 幕末に絶大の人気を博し、人々が参集した仙助能所縁の土地柄であった。

 以下 恕斎日録既刊の巻一、巻二(弘化二年より嘉永三年)によって当時の界隈の姿を抜き出してみたい。
一部(当時)中村流桜間家月能の次第をも述べて置きたい。

十一巻を目指して開始した日録であるが、一、二巻以降刊行が中断しているので

後日未刊部分の本文を調査し補完したいと念願している。 尚、末尾に 熊本市黒髪

の星出家に残されている「寛政三亥 下河原勧進能番組 於西光寺之番組共」

及び「於六所宮番組」を併載して恕斎日録の理解の一助としたい。 

 

 

弘化二年(1845年)

八月

二十二日 下河原仙助能参り 十九日より相始申候ニ付、今日ハ

御奉行桟敷より致見物候事。 昨日ハ御父様御出被遊候事。

 

二十四日 仙助能見物之事。

 

二十八日 新座(桜間)右陣宅ニて月能興業見物之事、見物所ハ年行事より正面ニ

桟敷を懸置候事、見物の人ニ 真野源之助 御同役、同人家内、幷、佐田右平家内、

此方より御父様御出覧之筈なれど、今日ハ砲術見分有之候ニ付、御出役ニ而御延引ニ

及、御出無之候。 小子、幷おもせ、おかへも参る。真野、佐田両氏の家内は外に

見物所有之候得とも、見へ兼候間、御同役之衆相見へ申迄、一ツ所に相招為申候間、

此方家内共ニ一所ニて見物いたし候処、真野氏ハ七ツ過より相見へ申候。其外 

相部運蔵、山上次郎八―根取役、同道ニ而相見申候。 真野子息豊彦も罷越申候。

右相見申候ニ付、婦人一所ニては如何敷候ニ付、其段 真野氏江相談ニ及申候処、

少しも差支不申候段 噂有之候ニ付、終り迄右家内も一所ニて見物之事、

 

  番組

熊坂―伴馬子供ニてよく出来候由ニて風評宜しく候 箙―徳三郎 船橋―仙三郎

融―角太郎 蝉丸―右陣 元来三番目之所、御父様方御出を奉待見合くり下ケ、

終りに相勤候事。

志水鬼 宗論

 

九月五日 下河原能見物之事

 

六日 同能見物

 

十日 能見物之事

 

 

 

*以上、恕斎日録弘化二年八月から九月に至る凡そ二〇日間に恕斎は下河原へ

五回の能見物に出向いている。 この間には 又 中村流新座能太夫

桜間右陣宅の月並能に家族共々出向いている。後年明治の三名人の一人

と謳われた伴馬の六,七歳の舞振も評判されていた事が分る。

下河原能は一〇日で終わったのではなく、尚一〇日位は続いたものと想定される。

 

 

嘉永二年(1849年)

八月

廿七日 (桜間)右陣方ニ而門理廿五年、左陣三十三年之追善能相催候ニ付見物ニ参り候事。
 嘉一郎・おもせ・おかゑ参る。本丁より おもよ甥、姪同道参る。

 

 今朝 妙心院参拝之事―両人共

 

  番組

鵜飼―角太郎  頼政―貞右衛門  熊野―右陣  鵜頭―徳三郎

 

邯鄲―仙三郎  海人―伴馬

 

頼政の間  入囃子 田村―茂八

中程  仕舞  熊坂

終 右同 歌占―曲より切迄―真野氏より内望―右陣、船弁慶―伴馬

 

 右之通此方より望舞せ候事。

御奉行(所)より八ツ下りニ被参候ニ付、熊野をクリ下ケ申候様申来候由ニ而

頼政の次に入、囃子相催、其次ニ海人を入レ申候処、海人半相済候ニ而 真野氏・

清成氏も相見候由ニ付、此方より内輪申入、伴馬江仕舞為致、且又 鵜頭ハ

徳三郎病中ニ而抜ケ申候ニ付、終り右陣へ何そ舞せ可申 真野氏へ申候処、

歌占望ニ付、終り父子一番完為申候事。

八ツより御郡代 宇野・蒲池・上妻・早川・吉田平 五人相見候ニ付、桟敷へ

上ケ、一座ニ見物いたし候事

 

大阪仙助座参り居、今日右陣熊野を見度候との望ニ而罷越候之事

 

九月

七日 先月一九日より下河原江仙助座能興業いたし候ニ付 町方御横目座敷へ

藤本忠次郎―御横目 より案内ニ而 参候事

 

是界―十三郎  実盛―仙助  桜川―惣右衛門  望月―仙助  

禅師曽我―乙次郎

 

 

 

十日 今日町方御横目岩佐貞左衛門案内ニ而 下河原能見物江加々山権内

   相誘罷越候こと。

 

   此度能見物 おもせ二度、嘉一郎二度、おかゑ三度参る事。

 

   *以上嘉永二年の下河原仙助能へ 恕斎一家は自身も含め都合九回

   の見物であった。

    又 仙助一座が肥後藩中村流新座太夫桜間右陣による「熊野」の見物を

願い出て許されていることも注目される。

   

十九日 宇土三宮社祭礼当時迄本座太夫を雇来候処、先日宇土町別当より

当年より右陣方へ雇度段申向候処、同職之者参り来り候跡に付相断申候処、

彼方町奉行より申達候ニ者 本座の方ハ不便利之筋有之、以来新座を雇可

申旨候段書付を以相達候ニ付、其趣を以再応雇申候間、右陳より本座太夫   

江懸合申候処 存寄等無之候ニ付、当年之処ハ安心いたし、其上役方へも

相答 昨日より罷越相勤候事、  右之段ハ昨朝角太郎を呼承り置候事、

 

   ―元来本座を相断候事ハ、当時下河原に仙助能参り居、此者共を三宮社の

   舞台を借り三日舞せ可申由ニ付 本座太夫より故障を申、其跡ニ而者穢レ

   有之 神事之能ハ相勤かたく候段申候処、彼方社司より其跡ニて清メ祓ヒ

   をいたし候へハ支無之候段申候得共、本座太夫申つのり承引不致、其跡

   不気受ニ相成、当年よりハ本座之方江不弁利之筋有之候とて宇土町別当

   より相断申候由なり、其後右陣方へハ仙助能之儀ハ相止メ申候ニ付 安心

   いたし参り可申段別当より申候由也、元来本座方不気受ニ相成候故ニ而

   此節相断候由なり。

 

 

* 仙助一座が熊本府内の興業のみならず近郷の町へも巡回興業を試みて

いたらしい事が推量され、又之に地元、特に誇り高い本座太夫が故障を

申し立てたらしく、遡って清正時代に藤埼宮の翁の前後を新座と争い、

藤崎宮への出仕を差し止められたとする伝説を思い起こさせる事例である。

 

    

 

 

付録

熊本市史 通史 教育と文化 二六四より

下河原勧進能及び西光寺、六所宮能番組

 

寛政三年(一七九一)亥四月

三月廿九日  初日番組

 

     千歳     堀井作左衛門

  翁  面箱     伊籐甚作

     三番神    有松倉次郎

 

  勝原助三郎  禮脇     吉田卯一  堀井十三郎

  高砂    堀井灘八    河為繁三  掘富三郎

 

                灘八    

  箙     池田甚八    十三郎   富三郎

 

  見止メ 堀井仙助      卯一    富三郎

  松風    甚八      繁三

 

  仙助            卯一    富三郎

  邯鄲    浅野良助    繁三

 

  倉谷三蔵          堀井桂次  富三郎

  大仏供養  良助      繁三

 

     附祝言     暮ニ及相勤

 

    末広           堀井十三郎

    千とり          灘八

    弓矢太郎         十三郎

    膏薬練          伊藤甚作

 

以下略記 但、右列 能、左列 狂言

 

四月三日  二日目

 

 「難波」 「八嶋」 「海人」 「正尊」 「鳥頭」

       「昆布柿」 「棒縛」 「石神」 薩摩守」

 

 

 

 

四月七日  三日目

 

 「氷室」 「夜討曽我」 「景清」 「葵上」 「熊坂」

       「音曲婿」 「宗論」 「靭猿」 「菊のはな」

 

 

四月八日  四日目

 

  「三輪」 「歌占」 「雲雀山」 「望月」 「鵜飼」

        「今参」 「随方角」 「歌仙」 「神鳴」

 

  四月九日  五日目

 

  「一角仙人」 「井筒」 「烏帽子折」 「田行」 「融」

          「二人大名」 「附子」 「三十日囃子」 「酢はしかみ」

 

  四月十日   六日目

 

  「嵐山」 「錦木」 「角田川」 「鉢木」 「大仏供養」

        「萩大名」 「鬮罪人」 「三人片輪」 「竹の子」

 

  四月十一日  七日目

 

  「竹生島」 「張良」 「三井寺」 「安宅」 「安達原」

         「佐渡狐」 「米市」 「金岡」 「釣女」

 

  四月十八日  八日目

  「賀茂」 「春栄」 「俊寛」 「輪蔵」 「悪源太」

         「角水」 「宗八」 「武悪」 「梟山伏」

 

  四月十九日  九日目

 

  「山姥」 「小袖曽我」 「藤戸」 「桧垣」 「河水」

         「八幡の前」 「千切木」 「牛盗人」 「土筆」

 

  四月二十日  十日目

 

  「放下僧」 「熊谷」 「道明寺」 「乱」 「船弁慶」

         「鍋八揆」 「作花」 「釣狐」 「薩摩守」

 

  

 

 

四月廿四日  十一日目

 

  「舎利」 「卒塔婆小町」 「鞍馬天狗」 「当麻」 「土蜘蛛」

         「包丁聟」 「入間川」 「悪太郎」 「小傘」

 

  四月廿二日  十一日目

 

  「咸陽宮」 「鉄輪」 「野々宮」 「望月」 「橋弁慶」

                      雨振出し不相勤

         「三人男」 「純太郎」 「縄ない」

                  望によって又々相勤ム

                           「蝸牛」

 

  四月廿七日  十三日目

 

  「実盛」 「芦刈」 「吉野天人」 「道成寺」 「橋弁慶」

         「相合烏帽子」 「不聞座頭」 「狐盗人」 「空腹」

 

  四月廿八日  十四日目

 

  「和布刈」 「七騎落」 「班女」 「道成寺」 「俊寛」

         「文角力」 「髭やぐら」 「狸腹つづみ」 「花折」

 

  四月廿九日  十五日目

 

  「葛城」 「藤栄」 「唐船」 「石橋」 「大瓶猩々」

         「舟渡聟」 「なき尼」 「若菜」 「通円」

 

 

  五月九日於西光寺之能番組

 

  「通小町」 「大江山」 「松風」 「望月」 「河水」 「船弁慶」

         「粟田口」 「牛盗人」 「釣狐」 「文荷ひ」

以上

於六所宮能番組

 寛政三年九月十二日 初日

 

  「翁」 「高砂」 「八嶋」 「二人静」 「羅生門」 祝言「弓八幡」

         「麻生」 「素袍落」 「通円」

 

  

 

 

九月十三日  二日目

 

  「賀茂」 「忠則」 「草紙洗」 「海士」 「清経」

         「萩大名」 「千鳥」 「弓矢太郎」 「多古」

 

同十四日   三日目

  

「九世戸」 「鞍馬天狗」 「求め塚」 「望月」 「飛雲」

         「佐渡狐」 「宗八」 「靭猿」 「長光」

 

 九月十五日  四日目

 

  「第六天」 「舟橋」 「弱法師」 「乱」 「船弁慶」

         「八幡前」 「無布施給」 「随方角」 「蝉」

 

 九月十六日  五日目

  

「竹生島」 「小督」 「松風」 「正尊」 「殺生石」

         「文角力」 「鈍太郎」 「牛盗人」 「鳴神」

 

 同十七日  六日目  不知

 

 同十八日  七日目

  

「氷室」 「柏崎」 「葵上」 「望月」 「夜討曽我」 

        「懐中聟」 「吃」 「三十日囃子」 「蝸牛」

 

 九月十九日  八日目

  

  「紅葉狩」 「橋弁慶」 「定家」 「鉢木」 「鵜飼」

        「相合烏帽子」 「甘礑」 「米市」 「竹子」

 

 九月廿日  九日目

  「邯鄲」 「頼政」 「三井寺」 「石橋」 「鵺」

        「音曲聟」 此外不分

 

 九月廿二日  十日目

 

  「頼政」 「邯鄲」 「桜川」 「石橋」 「馬乞佐々木」

        「雁大名」 「三人片輪」 「歌仙」 「楽阿弥」

 

 

 

 九月廿日雨天ニ而止候付今二十三日分ハ其代りニいたし候由之事

 九月二十三日番組

 

  「項羽」 「雲雀山」 「融」 「鐘巻道成寺」 「調伏曽我」

        「華子」 此外不知

 

 今廿四日より三日之日延

 同廿四日番組

 

  「小鍛冶」 「錦戸」 「三山」 「安宅」 「黒塚」

        「入間川」 「鬮罪人」 「石神」 「二九一八」ー不相勤

 

 九月二十七日番組

 

  「國栖」 「景清」 「高野物狂」 「石橋」 「千引」ー不相勤

        「昆布柿」 「法師母」 「三十日はやし」 「寝替り」

 

 九月廿九日番組

 

  「枕慈童」 「自然居士」 「華筺」 「藤戸」 「鷺 乱」

        「孫聟」 「小傘」 「枕物狂」 「二九一八」

 

 十月朔日番組

 

  「大江山」 「花筐」 「遊行柳」 「河水」 「鵺」

        「犬山伏」 「隠し狸」 「縄ない」 「寝替り」

 

 十月二日番組 終り

 

  「綾鼓」 「班女」 「朝長」 「檀風」 「植田」 祝言「猩々」

        「宝槌」 「磁石」 「若菜」―不相勤 「福の神」  

                                  以上