閑話休題 義経公所持 薄墨の笛
「 久能寺 寺物 薄
墨之笛 損候ニより
当在国の節 拵
直遣了畢 末代
無他出 可被重
寶之候也
文禄四年 中村式部少輔
卯月廿二日 一氏 花押 」
記1.当時中村一氏は駿府城主.太閤の
小田原攻めの後、一氏に宛行れた.
記2.上記文書は 静岡久能寺HP
より採録したものである.一氏が芸能
を好み且留意していた証左であろう.
平成12年 月 全国中村家の会は
同寺を訪れ、笛と文書を拝見し、編者
愚息一路は ご住職のご好意により
同笛を吹かせていただいた.
記3.肥後中村家系図は初代勝三郎の
祖父を孫平次一氏としている.嫡流
でないとしても、之により太閤大奥に
召されたことが肯かれるだろう.
尚、肥後中村家では、本家(千石)8代、
分家(弐百石)2代が孫平次を名乗って
いて、細川家中で認知していた.
記4.「東都劇場沿革誌料」によれば歌舞伎
中村勘三郎家は一氏弟中村右近を祖と
している.太閤により蜂須賀家付家老
となった右近二代目重勝の庶子が初代
勘三郎とみなされる.中村一門は当時
相当な傾き武家のようである.(勘三郎
家については、閑話休題に別項を立てる
予定である).