能と草枕考 U

 

はじめに

 

 平成23年(2011)53日 夏目漱石長女筆子三女松岡陽子氏が来熊され、 熊本城

桜の馬場城彩苑講堂で 講演会が催され 楽しい夏目家の家風や内輪噺を拝聴させて頂いた。

編者はこの機会にと 熊本とご縁の深い「草枕」を改めて読み直し、以前このホームページの閑話休題8 に「草枕と道成寺」と題して掲載した後段を アップしてみることにしたい。 元より編者は国文学者でも能の演技者・学者でもない。之は偏に素人の独断と偏見による雑論である。大方のご寛恕をお願いする所である。

 

 「草枕」は 全体が13節に描き分けられている。之を能の構成に準じて 割り振って

みようと言うのが 編者の実験なのである。 

 能の平均的構成は一曲を「序」「破」「急」でつくり、通常 それらを更に 次第、名乗り、道行、着きセリフ、一声、クリ、サシ、クセ、ロンギ、中入り、待ち謡い、キリ と細分

する。

さて、どの様な姿が浮かびあがって来るか 見当が付かない。蛮勇をふるって前へ進んでみるほか 無かろう。 

 

第一節 

 

 「山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とにかく人の世 は住みにくい。

 住みにくさが高じると。安い所へ引き越したくなる。 どこへ越しても住みにくいと

悟った時、詩が生まれ、画が出来る。 ・・・・・」

 

        多くの文学作品は冒頭の一句、一節に全体像が暗示さる といわれる。 

「草枕」の第一節は 作者がその人生観と芸術観を述べていて 本作品執筆の

     動機を明らかにしていると言えよう。

* 能の役者に擬すれば この作品の作者は ワキ に相当する。ワキは一曲

 の作品の中で 主役を演ずることは無い。 劇中では終始 目撃者であり語り

 部である。

        能に当てはめて言えば 冒頭からの文章は「序」であり、ワキの登場「次第」

「名乗り」で始まる。

        又、作者の心象である 美学、詩論、絵画論、外は 能の合唱である地謡と見做し、自然、風景を 舞台の背後で奏する囃子音楽と見做しておきたい。

 

「一人の男、一人の女も見よう次第で如何ようとも見立てがつく。どうせ非人間をしに出掛けた旅だから、そのつもりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮らした時とは違うだろう。 よし全く人情を離れる事が出来んでも、責めて御能拝見の時位は淡い心持ちにはなれそうなものだ。 能にも人情はある。「七騎落」でも、「隅田川」でも泣かぬとは保障が出来ん。 しかしあれは情三分芸七分で見せるわざだ。 我らが能から享けるありがた味は下界の人情をよくそのままに写す手際から出てくるのではない。そのままの上へ芸術という着物を何枚も着せて、世の中にあるまじき悠長な振舞をするからである。

 しばらくこの旅中に起る出来事と、旅中に出逢う人間を能の仕組と能役者の所作に

見立てたらどうだろう。まるで人情を棄てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅

だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎ付けたいものだ。

 

        作者は将にこの作品の中の出来事と人間を、極めて象徴的な 能の仕組みと能役者として描写することを宣言している。 

        因みに「七騎落」は 戦いに敗れた親が我が子を 他人の身代わりに 船から降ろして逃げる物語であり、「隅田川」は 子をさらわれて狂った母が 京から武蔵の国へさまよい、子の死を知らされる話である。

 

第二節

 

 「二、三年前宝生の舞台で「高砂」を見たことがある。 その時これはうつくしい

活人画だと思った。 箒を担いだ爺さんが橋掛りを五、六歩来て、そろりと後ろ向きに

なって、婆さんと向合う。その向い会うた姿勢が今でも眼につく。 余の席からは

婆さんの顔が殆ど真むきに見えたから、ああうつくしいと思った時に、その表情は

ぴしゃりと心のカメラへ焼き付いてしまった。」・・・・

 

 *これは「草枕」十三節の最終部分に対応するようにも思われる。

 

「画家として余が頭のなかに存在する婆さんは「高砂」の媼と、蘆雪のかいた「山姥」

のみである。蘆雪の図を見たとき、理想の婆さんは物凄いものだと感じた。紅葉の中か、寒い月の下に置くべきものと考えた。宝生の別会能を観るに及んで、なるほど老女にも

こんな優しい表情があり得るものかと驚いた。・・・・老人もこうあらわせば、豊かに、穏やかに、あたたかに見える。・・・」

 

* 能「高砂」の媼の印象が余程漱石の美意識に訴えるものがあったのだろう。編者も日本の老婦人の美しさは 西洋の魔女のイメージと、段違いに美しいと賛成である。

* この節には「山姥」は勿論ながら、「天狗」だの「山嵐」だの「紅葉」など、

(実は、鞍馬天狗、嵐山、紅葉狩)、能の曲名が多く暗示されている。

 

「しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤ

の面影が忽然と出て来て、高島田の下へすぽりとはまった。・・・オフェリアの合掌して流れて行く姿だけは胸の底に残って、棕櫚箒で烟を払うように、さっぱりしなかった。」

 

*作者は 茶店の婆さんと馬子の「那古井の嬢様・・」の会話から 本能的に

   ハムレットにおいて 狂気して水中に身投げしたヒロインのオフェリアを連想し、

   作品の主題を暗示している。

 

 「嬢様と長良の乙女とはよく似ております。」「顔がかい」「いいえ。身の成り行きがで御座んす。」「昔この村に長良の乙女という、美しい長者の娘が御座りましたそうな。」

 「ヘえ」「ところがその娘に二人の男が一度に懸想して、あなた」「なるほど」「ささだ男に靡こうか、ささべ男に靡こうかと、娘はあけくれ思い煩ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう “あきづけばをばなが上に置く霜の けぬべくもわは、おもほゆるかも” という歌を詠んで、淵川へ身を投げて果てました。」・・・「那古井の嬢様にも二人の男が祟りました。一人は嬢様が京都へ修行に出て御出での頃お逢いなさったので、一人はここの城下で随一の物持ちで御座んす。」・・・「もとは極々内気の優しいかたが、この頃では大分気が荒くなって、何だか心配だと源兵衛が来るたびに申します。」

 

*一人の乙女に二人の男、そして乙女の身投げ と言えば それは能「求塚」の

主題そのものであることに編者はすぐに気付いたのである。そして「ささだ男」は「求塚」に登場する一人の男の名そのものであり、もう一人の「ささべ男」は「血沼の丈夫」である。 主役の「長良の乙女」は「求塚」の「菟名日乙女」であり、

万葉集 巻九田辺福麻呂の墓歌及び反歌からとられたものである。

 

 「漸く仙人になりかけたところを、誰か来て 羽衣を帰せ帰せと催促するような気がする。」

 

        能「羽衣]もこの作品の伏線の一つであろう。第十三節の離別の風景もまたこのような心情を反映しているかもしれない。

* 第二節は 能の構成では 「道行き」であろう。画家(ワキ)の話相手の

峠の茶屋の婆さんと馬子の源兵衛は ワキツレの役どころである。

 

 「御婆さん、那古井へは一筋道だね」

 

        能の構成からすると 此処までが「着きセリフ」であろう。何処そこへ

「着きにけり」と言うのが一般であるが、これで十分である。 

第三節

 

* 能には間狂言という役がある。舞台に道具を持ち出したり、橋懸に控えて

いて、舞台を整えてたり 進行を助けたりする。 小女をこの狂言に見立ててみたい。第四節にも登場する。

 

 「長良の乙女が振袖を着て、青馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と

  ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。 女が急にオフェリアになって、柳の枝へ

  上って、河の中を流れながら、美しい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い

  竿を持って、向島を追っかけて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたい

ながら、行方も知らず 流れ下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。」

 

        本文は勿論「求塚」と「ハムレット」が重ねられているが、作者である

画工は 竿を担いだ「羽衣」のワキ白龍であろう。「行方もしらず」は

能の終結の常套句である。「おういおうい」は能であれば 呼びかけの

「のう のう」を連想したい所である。

 

 「気のせいか、誰か小声で歌をうたってるような気がする。・・・障子を開けたとき・・・朦朧たる影法師がいた。・・・

 

        能の仕組みから言えば「破の段」の始まりで、いよいよ シテの登場(一声)である。 橋掛の奥、揚幕の内から シテの声が聞こえ、幕が半分ほど開けられる。能では之を「半幕」と言う。舞台への期待が集まる一瞬である。半幕はいちど下ろされて それから やおら 本幕が揚げられる。

 

 「余が寤寐の境にかく逍遥していると、入口の唐紙がすうと開いた。あいた所へ

まぼろしのごとく 女の影がふうとあらわれた。・・」

 

        シテが幕から一足踏み出した趣である。シテは静かに橋懸を運ぶ所である。

勿論シテは現世の人ではない。冥界の人影である。画工が描ける対象ではないのである。

 

    ・・「御早う。昨夕はよく寝られましたか」・・・

     

        シテは 橋懸から舞台に入り、シテとワキの問答となる。ここへ来て

 ワキは正面からシテに相対する。

 

 「この女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静かである。 眼は五分のすきさへ見出すべく動いている。顔は下膨れの瓜実顔で、豊かに落ち付きを見せているに引き易えて、額は狭苦しくも、こせ付いて、いわゆる富士額の俗臭を

帯びている。のみならず眉は両方から逼って、中間に数滴の薄荷を点じたる如く、

ぴくぴく焦慮ている。鼻ばかりは軽薄に鋭くもない、遅鈍に丸くもない。画にしたら

美しかろう。」

 

        作者(画工)が能面に関心の有る事は 明らかである。 第一節に「高砂」の老女の優しい表情をみて「あの面は定めて名人の刻んだものだろう。」と述べて

いるからである。 

ワキは今風呂場に於いて シテと正面から相対する。 舞台であれば

これは将に 美しい狂女の女面と相対するところである。

若い女面ではなかろう。 少しく世の辛酸も知りえたる 美しい女である。定めし「増女」か、さらには「深井」とよばれる面が相応しいかもしれない。

能面は舞台におけるシテの 所作、見る方角により様々の表情を造るものである。又 女物、狂女物、鬼物と呼ばれる能のシテ方は ほぼすべて不幸な

境涯に生きたのであり、「その不幸に打ち勝とうとしている」のである。

 

第四節

 

    * この節の冒頭は ワキとシテとの心理的問答が俳句を通して述べられている。

シテは左右の障子の外の風景を眺めているが、舞台ならば、ゆったりした

囃子が奏されているかもしれない。 シテは やがて 舞台の中央に 客席

正面を向いて片膝を立てて控えていると 見えなくもない。

 

 「遅くなりました」と膳を据える。・・・

 

         狂言(昨夕の小女郎) が 橋懸の狂言柱から舞台へ出て ワキと問答して 

シテの生活ぶりを語り、その本格的舞台を準備する。 

 「向こう二階の欄干に銀杏返しが頬杖を突いて、開化した楊柳観音のように下を

 見詰めていた。・・・」

 

        ワキがワキ柱の際から シテを見やると、多分シテは左に身を捩って ワキに向き合って居る事だろう。

 

 「突然襖があいた。・・「また寝ていらっしゃるか、昨夕は御迷惑で御座んしたろう。

何遍も御邪魔をして、ほほほ」・・・

 

        能で女が男の部屋を伺う という主題は 「道成寺」に勝るものは無いだろう。

第三節の風呂場の場面、第7節の場面と連動している。

 

 「あの歌は憐れな歌ですね。」「憐れでしょうか。私ならあんな歌は詠みませんね。第一、 淵川へ身を投げるなんて、つまらないじゃありませんか」「なるほどつまらないですね。

 あなたならどうしますか」「どうするって、訳ないじゃありませんか。ささだ男もささべ男も、男妾にするばかりですわ」「両方ともですか」[ええ]

 

        「淵川への身投げ」は 疑いもなく作者の生死観に深く関わって居ただろう。

 オフェーリアの身投げ、長良の乙女の身投げは明らかであり、今や「道成寺」の 白拍子(清姫)の身投げまで 視野に入って来るのである。漱石の弟子藤村操の身投げも動機の一つであったろう。

        しかし 本作のシテは二人の男を「男妾」にしこそすれ、身投げしそうで、

最後まで身投げはしない。画工はどのようなシテの結末を用意しているの

だろうか。

 

第五節

 

        能には「狂言回し」と言う言葉がある。 舞台を進行したり、説明したりする。 又、狂言役者は一人ではない。 シテにシテツレ、ワキにワキツレがあるように、狂言では シテ、アド、小アドなどと言う。本節の髪結いの親方を狂言のシテ、小坊主了念を小アド、前節の子女を小アドと見做して

置きたい。

 

 「観海寺の納所坊主がさ・・苦味走った、色の出来そうな坊主・・文をつけたんだ。」

 「本堂で和尚さんと御経を上げてると、突然かの女が飛び込んできて・・そんなに

  可愛いなら、仏様の前で、一所に寝ようって、出し抜けに、泰安さんの頸っ玉へ

  かじりついたんでさあ」・・「気違に文つけて・・その晩こっそり姿を隠して死んじ

  まって・・ことによると生きてるかもしれねえね」

 

        床屋の親方により シテの狂気が語られる。此処に 若い僧(シテツレ)に激しく懸想する女、逃げ惑う男が提示され、能「道成寺」が暗示されている。

 

 「いくら和尚さんの御祈祷でもあればかりゃ、癒るめえ。全く先の旦那が祟ってるんだ」

 

        本作品の 那古井のお嬢さんも納所坊主も 現世では 道成寺のように

焼き殺されたり 日高川に飛び込んだりはしない。現世は平々凡な日常の

積み重ではあり、此処では シテの狂気の真の原因が「先の旦那」(二人目の

シテツレ)が明示され、作品の終結が用意されている。

 

第六節

 

        本節の前半は 春の夕暮れの静寂の中、画工は詩境、画境にさ迷っている。

あるいは その心境は 能であれば 地謡でクセを謡い、ゆったりとした囃子が奏されているかもしれない。

 

 「生き別れをしたわが子を尋ね当てるため、六十余州を回国して、寝ても醒めても、

 わすれる間がなかったある日・・あつ 此処にいた、・・南無阿弥陀仏と回向する声・・」

 

        通常の能では 狂女は子を探して廻る女である。画工は 「三井寺」「百万」

 「桜川」にも増して、此処では「角田川」を思い描いた様である。

 

 「開け放った幅3尺の空間をちらりと、綺麗な影が通った。・・振袖姿のすらりとした

  女が、音もせず、向こう二階の縁側を寂然として歩行て行く・・焦きもせず、狼狽も

  せず、同じほどの歩調を以って、同じ所を徘徊している・・有と無の間に逍遥して

いる・・うつくしき人が、うつくしき眠りに就いて、その眠りから醒める暇もなく、

幻想のままで、この世の呼吸を引き取るときに・・おういおういと、半ばあの世へ

足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。」

 

        本節の半ば以降の この部分は 能の構成からみれば あるいは舞どころ、序の舞、又は中の舞のような箇所に 当たるかもしれない。通常 観客はまさに眠気を催しながら、この上なくゆったり奏する囃子と舞いを 舞台に見る訳であるが、画工は シテを少し離れた橋掛に移している。 即ちそここそ 現世と幽冥界の境だからである。

 

第七節

 

 「寒い。手拭を下げて、湯壷へ下る。・・余は湯槽のふちに頭を支えて・・

 「温泉水滑洗凝脂」

        本節こそ「草枕」前半の山場である。狂気のシテがワキに迫る緊迫の一場面である。 前半は動の前の静である。画工は生死に思いを巡らせて、

スウィンバーンの詩や、ミレーの描くオフェーリアを想い、自身の工夫を

那美さんにかさねている。

 当然、白楽天の詩は楊貴妃を連想し、何れ現れる女の裸体を予言する。

但し 能「楊貴妃」にはこのような直接的の表現は用いられていない。

 

 「どこかで弾く三味線の音が聞える。・・旅の衣は鈴掛の・・」

        人の一生は旅である・・と 画工は昔を思い、この那古井への湯治を 想い至っている。長唄の元は 勿論 能「安宅」である。

 

 「突然風呂場の戸がさらりと開いた。誰かきたなと、・・階段の上に何物かあらわれた・・

 黒いものが一歩下へ移した・・一段動いた時、余は女と二人、この風呂場の中にある事を覚った。・・漾わす黒髪を雲と流して、あらん限りの背丈を、すらりと伸した女の姿を

 見た時は、ただひたすらに、美しい画題を見出し得たとのみおもった。・・放心と無邪気とは余裕をしめす。・・神代の姿を雲のなかに呼び起こしたるが如く自然である・・凡てのものを幽玄に化する一種の霊氛のなかに髣髴として、十分の美を奥床しくもほのめかしている・・赤裸々の肉を浄洒々に眺めぬうちに神往の余韻はある。余はこの輪郭の眼に

落ちた時、桂の都を逃れた月界の嫦娥が、彩虹の追手に囲まれて、しばらく躊躇する

姿と眺めた。輪郭は次第に白く浮き上がる。今一歩踏み出せば、折角の嫦娥が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に、・・白い姿は階段を飛び上がる・・ホホホと鋭く笑う女・・」

 

        本節の後半は 動の部分と言えよう。先ず「羽衣」の天女が衣を脱いで、沐浴

 せんとするところに、狂気が乗り移り、「道成寺」の清姫の如く 画工(ワキ)に挑みかかってくる。 あわや、画工がワキの役柄を踏み外そうとする瞬間、女は狂いながらも、天女の本性をも棄てきれず、身を翻したのである。

        「桂の都をのがれた月界の嫦娥」とは「羽衣」における謡「月のかつらの身を分けて、かりにあずまの、するが舞」、「月の桂の花や咲く、げに花かずら・・」

 が連想されてあるのは 疑いないであろう。

        本節の見せ所のあとは、能であれば 前場「破の段T」が終わり、次の山場をを期待させながら、劇は進行する。

    

第八節

 

 「御茶のご御馳走になる。相客は僧一人、観海寺の和尚で名は大徹というそうだ。

 俗一人、二十四、五の若い男である。・・」

 

        緊張を脱して、「破の段U」の始まりは お茶で一息という按配である。劇はワキと狂言の語りで始まる。ここで大徹和尚はアド、老主人は小アド、 久一青年はツレに近い 少し軽い役の トモ(多くは太刀持ち)として置きたい。

 

 「今日は久しぶりで、うちへ御客が見えたから、御茶を上げようと思って、・・」

 「いや、御使いを有難う。わしも大分ご無沙汰をしたから、今日位来てみようと

 思っとったところじゃ」

 

        これは能「鞍馬天狗」の冒頭 そっくりである。

 

 「姿見橋の所で・・今芹摘みに行った戻りじゃ、・・」

 

        能「求塚」は 「若菜摘む、生田の小野の朝風に・・」とシテ、シテツレが登場する。

        やがて、ワキと狂言の応答の中で 青年が招集されて満州の荒野へ出征する予定が語られ 死の予感がその場を支配する。

 

第九節

 

 「御這入りなさい。ちっとも構いません」

 女は遠慮する景色もなく、つかつかと這入る。

 

        愈々「破段U」のハイライトである。 シテはさらさらと舞台に入って、ワキとの問答がなされる。その中には 愛の劇中劇まで準備されていているが、 遠からぬ ワキとシテの離別を暗示している。

  

 「轟と音がして山の樹が悉く鳴る。・・「地震」と小声で叫んだ女は、膝を崩して余の机に靠りかかる。・・女は崩した、からだを擦寄せる。余の顔と女の顔が触れぬばかりに近付く。細い鼻の穴から出る女の呼吸が余の髭にさわった・・」

 

* 画工は七節から立ち直って、清姫の再度の挑発は 撃退した。

 

 「あれは私の従弟ですが 今度戦地へ行くので、暇乞いに来たのです」・・「鏡の池の

 方を廻って来ました」・・「身を投げるに好い所です」・・「私は近々投げるかも知れません」

    ・「私が身を投げて浮いているところ・・やすやすと往生して浮いているところを、綺麗な画にかいて下さい」

 

        那美さんは長良の乙女に執着している。 この節では 朔北での戦死と

鏡の池の投身自殺が 主題として浮上してきている。 女は「求塚」の能も

ハムレットも、かつて東京、又は京都で 学んでいたのかもしれない。

画工は 女に「若いうちは随分御読みなすったろう」と問いかけている。

 

第十節

 

        画工が逍遥する鏡が池で連想するのは オフェーリアである。柳の枝で

 編んだ冠に野の花を挿した冠をかむり小川を流れ下る。 その姿に重ねるのは

 澱んで動かない池の中に音もなく落ちる深山椿に飾られた那美さんである。

 しかし、彼女の狂気の真因が 画工には未だ掴めていないのである。

 

 「多くの情緒のうちで、憐れという字のあるのを忘れていた。憐れは神に尤も近き人間の情である。御那美さんの表情のうちには この憐れの念が少しもあらわれておらぬ。

この情があの女の眉宇にひらめいた瞬時に、わが画は成就するであろう。

 

        画工の捜し求める「憐れ」は ここでは 如何にも曖昧である。

 

「なんでも昔、志保田の嬢様が、身を投げた時分からありますよ」「いんにぇ。あの嬢様じゃない。ずっと昔の嬢様が」

「ある日、梵論字が来て・・」「梵論字というと虚無僧の事かい」

 「梵論字が志保田の庄屋へ逗留しているうちに、その美しい嬢様が、その梵論字を

 見染めて・・どうしても一所になりたいというて、なきました。」

 「ところが庄屋どのが、聞き入れません。梵論字は聟にはならんというて。とうとう

 追い出しました。」

 「そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て・・あの向こうに見える松の

 所から、身を投げて・・とうとう、えらい騒ぎになりました。」

 

        能「求塚」の二人の男に求められた?名日乙女の主題から、今や

 能「道成寺」に転換している。金春流「道成寺」のワキのカタリは以下である。

 

「昔この所に まなごの荘司と申す者の候いしが、一人の息女を持つ。

 また奥より熊野詣での山伏のありしが、かの荘司がもとを定宿とし、

 年々とまりけるが、いたいけしたる土産などを持ち来たり、かの息女に

 与えしかば、荘司娘を寵愛のあまりに、かの客僧こそ汝がつまよ夫よなど

 ざれけるを、幼心にまことと思い年月を送る。

 

  さるほどにかの客僧、またある時 荘司がもとに泊まりしに、かの女

 申すよう。いつまで我をばかように捨て置きたもうぞ。この度は奥へ連れて

 お下りあれと申す。 その時客僧大きに驚き、夜に紛れて荘司がもとを逃げ去りぬ。

 

  女逃がすまじとて追っかけしに、山伏この寺に来たり、かようかようの仔細

 によりこれまで参りて候。まっぴら助けてくれよ申されければ、この寺の老若

 寄り合い談合し、おおよそに隠しては悪しかりなんと思い、その時撞き鐘を

 下ろし、その中に隠す。

 

  さるほどにかの女、日高川のほとりを上下へと走りありきしが、おりふし

 水増さりて 越すべきようもなかりしかば、一念の毒蛇となって、日高川を

 やすやすと泳ぎ渡り この寺に来たり、ここかしこを尋ねありきしが、鐘の

 おりたる事を不審に思い、竜頭をくわえ七まといまとい、尾にて叩けば鐘は

 すなわち湯となって、山伏も即時に消えぬ なんぼう恐ろしき物語にては候わ

 ぬか。」

 

        吊り上げられた鐘から現れた蛇(般若面)は 僧達に 調伏される。

 

 「あれ見よ蛇体は現れたり・・祈り祈られかっぱと転ぶがまた起き上がって

 忽ちに、鐘に向かってつく息は 猛火となってその身を焼く。日高の川波、

 深淵に飛んでぞ 入りにける。」

 

「三抱えほどの大きな松が、若蔦にからまれた幹を、斜めに捩って、半分以上水の面へ

 乗り出している。鏡を懐にした女は、あの岩の上からでも とんだものだろう。」

 

*「蔦にからまれた幹」は 能[定家]における 式子内親王に対する歌人定家の執拗な愛を 連想させずにはおかない。

 

「高い巌の上に一指も動かさず立っている。 この一刹那!女はひらりと身をひねる。

帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、既に向こうに飛び降りた。」  

 

        かくて、日高川に飛び入った蛇と、流れ行くオフェーリア、身を投げた

長良の乙女と華厳の滝の藤村操、そして この物語の主人公が この世の不条理の死に相対している。

    * 能の構成でみれば 此処で「破の段U」が終わる。

 

第十一節

 

* これより 序破急の「急」となり、短い終局の「キリ」となる。

*「草枕」全十三節のなかで最も緊張感の無い、霞のような記述である。

 アイ狂言の体である。 或いは 後場のシテの登場を待つ「出端」でも

あろうか。 

 

第十二節

 

        前節のゆったりした気分を引き継いで、「待謡」で画工(ワキ)の心象が

述べられ、主人公(那美さんー即ちシテ)の動き(ハタラキ)が用意されて

更に型の多い 終局の山場[キリ]となる。

 

 「向こう二階の障子に身を椅たして、那美さんが立っている。・・右の手を風の如く

 動かした。閃くは稲妻か、二折れ、三折れ、胸のあたりを、するりと走るや否や、

 かちりと音がして、閃きはすぐ消えた。女の左手には九寸五分の白鞘がある。」

 

        「道成寺」の大蛇は 打杖を二度、三度振って挑み掛かる。現世の主人公の武器は白鞘の短刀なのであろう。

        本作品の中の刀は これが二度目で、最初は 第八節の終わりに、出征する青年の 血にけむる長刀を思い描いている。

        編者の属する金春流の芸論「六輪一露」では「一露」は「一剣」であって、

 「六輪」は生々流転の宇宙を示しす。「一剣」は命の光に 象徴されている。

 作者が明治三十年代に そこまで深読みしていたかどうか分からない。

 

 「あの女を役者にしたら、立派な女形ができる。・・天然自然に芝居をしとぃる・・

 画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものは悉く画として見なければならん。

  能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん・・あの女は、今まで

 見た女のうちで尤もうつくしい所作をする・・自分でうつくしい芸をして見せるという

 気がないだけに 役者の所作よりもなおうつくしい。」

 

        画工は那美さんを まず女形と見立ててみるが、その無意識にみえる所作のうつくしさは 象徴の極致とも言うべき能の所作と 見做したのである。

        画工は 風景の囃子を聴きながら、高台へ上り草原に(脇柱)座を占めて、 シテの型所(キリ)に立ち会うのである。

 

 「雑木の間から、一人の男があらわれた。・・藍の縞物の尻を端折って、・・野生の

  髯だけで判断すると正に野武士の価値はある。」

 

        通常、能の夢幻構成(前場・後場)では、武将の後シテが この様ないでたちである。面は「平太」であろう。しかし、編者は この[草枕]では

シテを那美さんと想定している。さすればこの男は シテツレである。舞台に

登場しなかった納所坊主泰安も 隠れたシテツレである。 斯くして「求塚」の三角関係が勢揃いする。

 

 「互いに認識したように、次第に双方から近付いてくる。・・二人は春の山を背に、

  春の海を前にぴたりとむきあった。」

 

        どこかで見たような景色である。第二節の「高砂」の橋掛である。能ではしばしば、シテとツレ、又はシテとワキが舞台で向き合って謡うことがある。

 

 「腰から上を少しそらして、差し出した白い手頸に 紫の包。これだけの姿勢で充分

  画にはなろう。」

 

        女の帯にある懐剣に一瞬緊張が走るが、これでは画にならない。この

 受け渡しは、役の違いこそあれ 羽衣を返す白竜(ワキ)と それを受けとる

天女のイメージである。

        シテツレの野武士は シテ(天女)に未だ愛されているにも拘わらず、

 遠い世界へ別れねばならないのである。ワキもまたシテとの別れを予感

しているのだろう。

 

 「短刀は二、三度とんぼ返りを打って、静かな畳の上を、久一さんの足下へはしる。・・

  ぴかりと、寒いものが一寸ばかり光った。」

 

        能の終局に シテはシテ柱際(常座)で 余情を残して 足拍子を二つ踏む。馴れない観客は 少しハッと息を止めるかもしれない。

 

第十三節

 

 「死んでおいで・・と那美さんが再び言う」

 

        退場の囃子に送られて、シテやシテツレは 橋掛より幕へ退場する。即ち 冥界へ去り行くのである。 この節ではシテに比べるほど重い ツレ(野武士)と トモ(久一・・太刀持ち)が 朔北の戦場、満州へと離別するのである。 

 

「岸には大きな柳がある・・久一さんの頭の中には一尾の鮒の宿る余地がない。。」

        川べりの木は柳でなければならない。死の予感―流れ行くオフェリアである。

 

 「船は面白いほどやすらかにながれる・・」

 

        川水と岸は オフェーリアの連想である。人々すべてこの船の客人であるが、三途の川を渡る訳ではない。能では彼岸と此岸は明快では無いのである。

 

 

 「とんかたんの絶間から女の唄が、はああい、いようう―と水の上まで響く。」

 

        不思議な唄ではないか・・これは囃子の掛け声でなくて何であろうか。

 

 「花の海は霞の中に果てしなく広がって 見上げる半空には崢エたる一峰が半腹から

  微かに春の雲を吐いている。」

 

        なか空に花と雲を見上げるのは 能「西王母」や「羽衣」の結句(キリ)を連想させずには措かない。

 

 

「那美さんは茫然として、行く汽車を見送る・・その茫然のうちには不思議にも今まで

  かつて見たことのない “憐れ”が一面に浮いている。・・余が胸中の画面は

この咄嗟の際に 成就したのである。」

 

        那美さん(シテ)は 遠ざかりゆく男と現代文明を 茫然と見送るが、

 一瞬に「不幸に圧しつけられながら、その不幸に打ち勝とうとしている顔・・

第三節」を解脱して、「もとは極々内気の優しいかた・・第二節」の表情を

創ったのである。それは画工が神に尤も近いとおもう「憐れ」の表情であり、

彼が那美さんの行く末に期待する「高砂」の媼として 幕へ退場することで

成就したのではないか。ワキ(画工)も又やがて橋掛から幕に入る筈である。

 

まとめ

 

  以前、編者は「草枕と道成寺」という題のもとに 漱石と能の関わりを纏めて見たが、

 元々、[草枕]には「道成寺」「求塚」以外にも多くの曲が隠されており(特に高砂と羽衣)、又 一曲の能作の仕組みが 上手に取り入れられていると感じていた。漱石のこの鋭敏な解析力は ギリシャ劇やシェクスピア劇の研究から得られたものだろう。英文学者である野上豊一郎が後継の勤めを十二分に果たしている。

このような試みは 百人百様 立場や経験により異なってくるだろう。私論への大方のご叱正と 各位それぞれの 試みを願うものである。 最後にご参考のため 能「草枕」?の編者なりの役席と構成を 一表にしてみたい。

 

1.配役

 

シテ;   那美            間狂言

シテツレ; 久一(兄さんの子)     アイ;    床屋の親方

   〃   ; 野武士(離縁された夫)   アイ;    僧 大徹

( 〃  ; 泰安 納所坊主)      小アド ;  小僧 了念

                       〃   ;  那古井の隠居 

  ワキ  ; 画工             〃   ;  兄さん(本家へ養子)

  ワキツレ; 茶屋の老婆          〃   ;  那古井の小女

〃  ; 源兵衛

         

 

2.構成

  

序;     第一節より第二節    ・・起

  破の前段;  第三節より第七節    ・・承

  破の後段:  第八節より第十節    ・・転

  急;     第十一節より第十三節  ・・結

 

付録; 漱石の謡曲熱を知る編者とすれば、彼の遺品のなかに謡い本など残されている

はずだと、関係の記念館、図書館等など 尋ね廻り、東北大学付属図書館漱石文庫の夏目漱石データベース 和書 413−418 に辿り着く事が出来た。

当時ワキの名人宝生新校訂の 謡本外6点である。内容は今は不詳であるが、

何れ 閲覧してみたいものである。 先ずは 問合せ先 関係の方々に厚く御礼を

申し上げたい。

 

以上      2011.6.16.