寛永15年 中村少兵衛 有馬湯治
〃 16年 江戸下向と天海招請能
[細史4935]
一筆令啓候、9月23日之芳札、令被見候、無事上著之由、
可然存候、有馬湯治之由、尤候、湯相応候哉、次、約束申候源氏供養之
仕舞付、早々御調候而被差越、大慶候、在国中慰ニ見可申と存事候、
猶追而可申述候、 恐々謹言
     10月5日
       中村少兵衛殿

[細史4990]
10月8日之芳札、遂披見候、其方之事、松平出羽殿より出雲へ被下
候様ニと被仰遣ニ付而御越候由、寒時分太儀存候、爰元相替儀無之、
我等無事候間、可御心易候、次ニ、仕舞付之事、先日被差越、相届候、
則其段以書状申候、尚追而可申延候、 恐々謹言
     10月25日
       中村少兵衛殿

[細史5112]  12月18日 中村少兵衛宛書状 前掲済

寛永16年 中村少兵衛 江戸下着 天海、沢庵招請能へ
閏11月11日 宮城和輔外7名宛書状
[細史5500]
一筆申入候、仍此前加藤肥後守所ニ居申候中村少兵衛と申者、
歳五十以上ニ而御座候、其上久敷病人之儀候、
松出羽守殿・我等なと見廻ニ江戸へ罷下候、乗物ニ乗不申候へハ、
何共成兼申ものニて御座候間、乗せ申度存候條、其御心得被成可被下候、  恐々謹言
    閏11月11日
       宮木越前様 市橋三四郎様 兼松弥五左衛門様 
       村越七郎左衛門様 北見久兵衛様 山崎権八様
       野々山新兵衛様 花房勘右衛門様

[細史5512]
閏11月19日 天海宛書状
其後ハ不得御意候、我等所ニ被成御尋度由、度々被仰聞候得共、
其刻普請半ニ而差延申候、次ニ、中村靭負と申候能を仕候者、我等見廻ニ
上方より罷下候、御慰ニ靭負能を懸御目申度候間、来月2日ニ朝より
被成御出被下候ハバ、可忝候、左候ハバ、沢庵和尚へも可申入候、
尚宗ごん院へ申入候、    恐々謹言
     閏霜月19日
     僧正様
  尚々、来2日天気悪敷候ハバ、3日ニ仕度候   以上