水戸家家臣 佐々木介三郎と中村家

寛文6年8月2日細川綱利公は下屋敷表舞台に水戸光圀公を招請され、七番のお能を興業され、うち六番を中村家三代庄兵衛に仰せ付けられた。
以降庄兵衛は度々水戸屋敷に参上し、公のお稽古に立合い、水戸家役者嶋谷吉兵衛に中村流の奥義を伝えている。
貞享2年6月28日大日本史編纂事業のため史料蒐集を目的として九州へ
入っていた佐々助三郎一行が肥後川尻へ着し、細川家より種々便宜と丁重の
接待を受け、7月8日綱利公は中村庄兵衛を使者として、肥後大津へ使わされている。 
「一、・・・・・
一、越中守殿より御馳走之段々先書ニ委細申進候、末藤新衛門以下何も今日
  筑後境南之関と申所迄送り被申候 尤所々ノ郡奉行出合、諸事肝煎被申候。
  去八日之晩大津と申宿ニ一宿仕候所、越中守殿より為御使者中村勝兵衛ヲ
  被下候、此仁事も殿様御存知之仁故被仰付由ニて、諸事御丁嚀之段難尽
筆紙候事、
一、       
8月12日     介三郎
            史館衆中               」
大日本史編纂記録 平成13年神道古典研究所 紀要7号より