一題 貝塚天満御位之記 抄
天正十一未七月四日 午刻紀州より御門跡ヲ始御女房衆悉ク御舟ニテ泉州貝塚ヘ御上著 御開
山様無□御着御渡海諸人群集難有申所成 雑賀衆是迄送リタルハ平太夫根太夫・・・即刻為案内
筑州ヘ圓山内匠助御使ニ被遣候 筑州ヘ御書折節到来之ヨシニ而 大樽十御音信也 浅野弥兵衛
石佐吉羽柴久太郎羽柴美濃守イツレヘモ御書御音信ハ無之・・・
* 岸和田中村孫平次ヘモ内匠登リ掛ニ御案内トシテ罷越 頼廉ヨリ折紙遣候・・・
    ・・・・
    ・・・・
一 七月十四日 藝州ノ安国寺毛利家ノ使トシテ筑州ヘ被参堺ニ逗留ノ由・・・
一 * 岸和田孫平次御礼参 御門主新門主奥門主御見参 申次刑部卿相伴主水刑部卿両人 二献夕
  飯 湯漬也 孫平次与力河毛須次郎佐藤次郎 左ニ一両人御トヲリヘ召シテ御盃被下
  孫平次より御三所ヘ銘々一腰馬代御進上之 御門主様ヘ者一腰馬代並三種大樽三荷此方心分
  之 於御座敷門主様より太刀銀十枚新門様ヨリ一腰毛馬奥門様より越後十端コレハ翌日城ヘ
  ヲクラルゝ也
    ・・・・・
一 八月一五日 筑州有馬湯池為御音信胴服二ツ大樽五御使圓匠 石田佐吉ヘ綿五把増田仁右衛門ヘ
  綿五把使者廿二発足廿七日帰寺
    ・・・・
一 九月九日 上様ヘ筑州御内儀ヨリ為御返礼孝蔵主ト云比丘尼被参也 ・・・
一 九月廿五日 有馬湯ヘ貝塚より御発足 是より御船小浜御トマリ廿七日湯山ヘ御着御門跡様上様
  御児様 御供少進侍従宮内卿也 十四日アカリ小浜御泊十五日堺御坊御一宿十六日貝塚ヘ御帰寺
    ・・・・
    ・・・・
一 筑前守殿ヘ歳暮之御祝儀小袖三帯三筋御書日付十二月廿八日御使圓匠 浅弥吉五百疋御書アリ
  増田仁右衛門石田佐吉五百疋ツゝ御書ナシ 筑州大坂ニテ越年候云々諸大名被罷登候ニ付而
  町家ニ寄宿候ト云々
一 * 十一月三十日 岸和田中村孫平次ヘ歳暮小袖二綿五十把河毛佐藤ヘ綿五把ツゝ使益少

天正十二申歳
一 * 正月十六日 中村孫平次年頭礼参 御門跡様御対面 太刀一腰馬一匹刑部卿申次主水
  御相伴 御肴三献ニ而御酒参ル 上様ヘ御祝儀トシテ進物有之御時 新門様へ被参
  一腰一疋 奥門様ヘモ同断 河毛佐藤百疋ツゝ進上御礼ヲ申也 新門様ニテハ御肴二献也
一 正月筑前守殿ヘ年頭御礼太刀一腰馬代千疋増田仁右衛門石田佐吉ヘ五百疋ツゝ 筑前殿ヘ
御書有之取次弐人方々者刑部卿書状御使圓匠御書日付正月十六日御使発足ハ十八日也
一 * 廿一日孫平次ヘ刑部卿少進年頭之礼ニ罷越 上々様より先日之御返礼 御門跡様新門様より
  御一腰一疋ツゝ上様より綿五把佐藤河毛両人ヘ弐百疋ツゝ主水曉雲モ礼ニ罷越訖
    ・・・・
    ・・・・
一 二月 此頃根来寺雑賀成敗之儀有之 諸国人数二月廿日已前ニ大坂に可罷越ト云々
一 三月八日 晩茲許ヘ申来趣ハ三助殿岡田助三郎津川玄蕃頭浅井新八此三人六日ニ生害セラルゝ
  ト云々筑州以ノ外立腹ニテ富田原左衛門ヲ以ケ様之影目候哉ト不審候 為ニ三介殿ヘ被越候云々
  既に来十五日尾州表ヘ諸勢被差遣由也 然ハ泉州表ヘ之働ハ可為延引之由風聞有之
一 十日 既ニ今朝筑州出馬之由申来也江州出陣
一 勢州峰城表ニテ合戦筑州方得大利云々 其後尾州犬山ヘ池田紀伊守森勝蔵申合御手
  遣則犬山ヲキリ下リ其外所々放火 但し如仰後分ト云々 筑前一味也

一 十八日雑賀衆船手陸路ニ岸和田城表ヘ打寄船手ハ大津マテ相働陸路ヘ大津之下迄相働
岸和田城ヘ人数不出加勢之衆モ城際ヘ一所ニ陣取 但ヌカ塚ヘハ人数入置ニ付テ
不放火当国所々放火ニ而諸勢佐野邊ヘ打入候也 根来寺相働ヘキ由申也 但説々不同
十九日廿日雨降故ニ人数不相働ト云々
一 廿一日 船手百三十艘計陸路ヘ一同ニ上口ヘ罷上也 堺湊迄岸和田請手ニハ土橋平之丞
  兄弟三人物主トシテ四五千計有之 然處岸和田中ヨリ打出キリ懸リ處ニ四時分ニ雑賀衆
  敗軍上口ヘ上リタル人数モ打帰ル處ヲ又懸合 先勢ヲ追崩数多討捕岸和田ヘトリアツメ
  タル首七百六十九ト云々 此外所々討捨アリ 根来衆モ罷立テ半分過ハ根来寺法師頭也
  下和泉ノ在所近木ト云所ニ鳥羽中村積善寺持者所々被城落城悉放火 富中澤此両所ハ
  悉ク放火候得共城ヲハ相抱ヘ候 其日翌日廿二日両日之間ニ根来寺衆雑賀衆陸路之衆
  悉ク罷下ト云々 船手衆ハ相残廿二日晩岸和田ヘ打出頓テ佐野ヘ打帰也 重而根来雑賀
  不及相催 但佐野ヘ為番手少々在之云々
一  * 廿二日 中孫平昨日之合戦ニ本意之ニテ当寺ヘ為御礼被参 於御堂不取敢御見参 御盃出テ
   御酌ニテのまれ帰城アリ 新門様奥門様同前ニ見参也 御トリサカナノ躰也
一  尾州清州ヘ徳川三河守着陣 三介殿一味 三月十六日十八日森勝蔵今ハ武蔵守と云池田紀伊守
   及行失利云々 此説色々不同也 多人数打取トモ申三四百計トモ合戦ハ十七日併ミイツレ
一戦ハ必定也
     ・・・・
一  四月十日圓匠尾州勢州之陣より帰ル 勢州松島之城扱ニテノキ和談云々左候ヘハ勢州ハ一邊候
   筑州理運 尾州表モ過半其分也
一  * 去九日尾州合戦森武蔵守池田紀伊守父子ヲ始歴々之者共其外軍平一万計討死則敗軍
   然共筑州覚悟堅固ニ候故頓テ三千カタノ召連候訖 軍兵討死之分ハ其節風聞ノコトクニハ無
   之何レニ家康大利此時也
     ・・・・
一  (六月)此頃尾州之内木曽川ヲ越テムカイ家康一味之城三ケ所アリ 筑州ヘ一味申談 ・・・
    先以筑州ハ六月廿八日之夜馬五六騎ニテ大坂ヘ帰城 是ハ暫時之儀也 各長陣迷惑之由ニ候ヘ共又七月
   六日ニモトノ陣所ヘ可被打帰由也 今度ハ小牧表ヘ可有行云々 又談合アリテ出陣ハ八月
   十日云々 ・・・
        ・・・・
一  廿日 従筑州鵜飼八蔵と云う人使者ニ来ル 北伊勢一揆蜂起之事ニ候也 秀吉直札 刑部少新迄来ル
   然共御門主様ヨリ秀吉ヘ御書被遣候 浅弥兵ヨリ添状有之 一揆之事此方ニ無御存 則北伊勢坊主中ヘ
   御書四月廿七日被遣也 刑少両人ヨリ添状アリ イナヘ郡朝明郡坊主衆中
        ・・・・
一  六月十七日  ・・・ 筑前ハ六月廿八日之夜五六騎ニテ大坂ヘ帰城 是ハ暫時之儀也 各長陣迷惑之由
   ニ候ヘ共又七月六日ニモトノ陣所へ可被打帰由也 今度ハ小牧
表へ可有行云々 又談合アリテ出陣ハ八月十日云々 ・・・
昨九日ニ筑州儀至坂本進発云々
        ・・・・
一  筑州濃州大垣城ヨリ七月晦日?大坂帰城
        ・・・・
一  * 八月四日河内国高屋ノ城奥烏帽子形ト云古城普請 筑州ヨリ被仰付由ニ而 中孫平人数ニ而コサルゝニツキ
   今日為見舞益田少将披遣之御書アリ 鍬五十丁御音信也 新門様よりモ御書 是モ鍬御遣候 孫平次十六日帰城
     ・・・・
一  又尾州小牧表ヘ筑州出陣木曽川ヲ八月廿六日コサルルト云々廿八日清州邊迄御手遣 悉放火
     ・・・・
一  尾州表今度一戦無之 筑州ヨリフカ??トヲシツメテ又新城三ケ所被申付 越中佐々内蔵助敵ニ成 則
   前田又左衛門ト大合戦アリ 九月九日ト十一日十二日ニ合戦アリ 佐々打負ヨキ軍兵十人余
雑兵数輩討死二千計ト云々 ・・・
今度秀吉家康和談既ニ相調誓詞等互ニダサルヽ 家康家中石河伯耆守酒井左衛門已下既ニ罷出雖及一礼
又相破? マツ??筑州ハ城三堅固ニ被申付 諸勢取入打入 秀吉自身ハ九月晦日江州坂本迄御帰陣
ソレヨリ京都ヘ御ノホリ十月二日
一  十月三日 ・・・ 今日三日京都ヨリ申来趣ハ筑州昇進之事申入云々只今四位参議大将ヲカネラルヘキト云々
   ・・・此節可有参内由也 又院御所ヲ東馬場ニタテラレ春宮親王御即位ト申沙汰アルヘキト云々 御築地ヲ
   十月五日ヨリツキハシメラルヘキ由ナリ
   御即位ニ三千貫御作事ニ五千貫院ノ御入目三千貫都合壱万貫御請也
         ・・・・
一  秀吉公三日昇進云々 六日大坂ヘ帰城 今度帰陣之御音信綿五十把進之 御礼一腰一疋 ・・・
御使越中少進 ・・・
         ・・・・
一  秀吉公十月廿七日ニ泉州表ヘ出馬必定候處東国表より注進アリテ俄ニ廿日晩ヨリ唯五騎ニテ坂本マデ御越云々
   其後風聞ニ候無差儀秀吉坂本に逗留 北伊勢ニ不審之儀アリテ一戦被申付由其沙汰有之
         ・・・・
一  今度北伊勢ヘ秀吉出馬 敵城一ケ所アルニ付城アマタ被申付也 然所三介殿より懇望ニヨリテ和平相調
三郎殿よりハ妹岡崎殿ト云ヲ御出シアルナリ 津田源兵よりモ人質出也 家康実子石河伯耆守人質ニ
実子共ヲ出す 則三介殿ト秀吉ト集会アリテ秀吉より紙子二ツ金廿枚北伊勢一揆兵糧捨テタルヲ取置分
二万五千俵其儘三助殿ヘ被進之 参会之時脇差国行腰物アラ身三助殿ヘ被進之 父子之約束アリ 
家康事秀吉ト存分残ルニ付テ入魂之段無同心候ヘ共 三助殿ヨリ種々御懇望ニ付而 家康ヲモ赦免ト云々
霜月十五日ニ家康三州ヘ帰国ナリ 両方之新城悉破却也 秀吉ハ霜月十七日ニ江州坂本ヘ帰陣

一  秀吉坂本ヨリ上洛アリ 叡感アリテ三位大納言ニ転任アリ 当日ノ様體 摂家ノコトシ 勅使
 菊亭前内府勧修寺大納言久我大納言頭ノ中将四人也
     ・・・・・
一  十二月一日 ・・・
一  三州家康之実子十二月廿日比京着 石河伯耆守供 近日大坂コサルヽト云々
     ・・・・・
一  秀吉ヘ歳暮之御音信小袖三浅弥兵ヘ御書被遣候 石田佐増田仁一ツ小早川藤四郎小袖二
一  家康之息大坂hコサルヽト云々 供千計ト云々 息之名ハ於義伊ト云々 石河伯耆守罷登 是ハ頓而
   下一シトナリ 大坂ニテ筒井之家ニ置ルヽト云々

  天正十三酉歳
一 為年頭祝儀秀吉ヘ太刀馬代千匹御書御日付正月十三日
        ・・・・・
一  * 正月五日浅弥兵御礼ニ被参 中孫平同道 御対面 雑煮御湯漬以上三献御相伴 此間御三方浅弥兵
孫平主水刑部少進 後ニ弥兵与力一人被召出御盃被下小袖一被遣也
   弥兵より御三所ヘ御小袖一重ツゝ御太刀一腰何モ同前 於御前弥兵ニ御太刀抔黄金二枚被遣之
      ・・・・・
一  十三日徳川息於義伊御音信小袖二胴服一石川伯耆守ヘ小袖二杉田ヘ小袖一 御使寺内相模
      ・・・・・
一  二月廿二日 三介殿勢州ヨリ到大坂御着城 秀吉御馳走 有閑ニテ廿四日振舞アリ 御能難波田村張良 
金剛太夫 巳上三番
   ・・・・・
一  秀吉廿七日任権内大臣ヲタツル ・・・
一  十日秀吉公初テ参内アリ 路次肩衣小ハカマ 橘ノツシ 得善所ヨリ歩行ニテ長橋局ニテ衣冠ニ
アラタメラレ天盃頂戴三献御相伴也
   ・・・・・
一  廿日 根来寺雑賀衆為成敗秀吉人数今日先勢出陣 又ハツカニ羽柴孫七郎出陣其外所々に陣取也
一  廿一日秀吉出馬ニツキテ新門様奥門様大津迄為御迎御登□□御両所刑部卿少進氏能卿ヲハシメテ侍衆以下
   御供 下間名字ハ三人也 御門跡様ハ御不例ニ付テ御出無之 御三所ヨリ秀吉ヘ御太刀馬代大津ニテ御見参
秀吉八半時岸和田ヘ御入城 多勢驚目?
一  秀吉御着陣虎口ヲ為見廻千石堀ト云城ヲ乗崩畢 城内之根来衆悉討果 ・・・
一  廿二日シャクゼン寺扱ニテ落城 不及放火
一  廿三日澤城扱ニテ落城放火ナシ 同日秀吉根来寺ヘ御陣ヲ寄セラルヽ 寺衆悉迯去 ・・・
今夕日ノ入以前ヨリ根来寺ノ通リ焼煙上テヨリ其夜大焼 天カカヤク也 根来寺放火雑賀之内輪
散々ニナリテ自滅ノ由風聞 慥之注進イマタ無之
   ・・・・・
一  廿四日 ・・・ 粉河寺炎上 ・・・
一  廿五日 秀吉今日雑賀ヘ御越紀三井寺其外見物可有之由申来
      ・・・・・
一  濃州稲葉右京亮・・・取次少進法印。。。
      ・・・・・
一  四月三日 雑賀御陣為御見廻新門様奥門様御発足・・・秀吉御見参・・・新門様ヨリ猩々皮一枚
   道服二銀五十枚・・・
一  * 十三日 中村孫平ヘ御音信小袖三馬樽三 紀州奥郡ニ先懸以来在陣ニ付テ被遣之 御書アリ
使番衆刑部卿添状
一  雑賀ニテ秀吉御陣ヲ見廻リトシテ三介殿御通也・・・三介殿馬上也 下馬アリ御礼儀有之・・・
一  十八日 徳川義伊殿秀吉御陣見舞ノタメニ雑賀ヘ御越也 石泊モ供ト云々
       ・・・・・
一  雑賀ノ大田ノ城ニ楯籠リタル者共・・・廿二日ニ詫言済テ五十人生害サセレレテ其外ハ悉ク
タスケラルヽナリ・・・此詫言ハ連々蜂須賀彦左衛門御使ヲ被申候 其旨ニテ御免アリタルナリ
一  廿四日 秀吉可有御開陣由・・・今日御帰陣延引
一  廿五日 ・・・御開陣 如昨日於彼御茶屋御一献御湯□折二合御盃台二 秀吉卿御一所
   門跡父子御三人 御相伴衆一人モ無之候 殊ノ外御気色能候而諸人満足不過之 暫御物語
   有之ご挨拶・・・今夜堺ニ御逗留云々
      ・・・・・
一  廿六日 ・・・今度刑部卿圓匠為御使罷越候所ハヤ大坂h御帰城ニ付 大坂ヘ参候所一段御懇候義也
   天守又女中ノ御入候御ウヘ御納戸迄御
自身御案内者にて両人ニミセラレ候・・・
一  五月三日 寺内屋敷可請取申由ニ付テ 刑部卿圓匠益少大坂ヘ罷越 御帷子三被遣候 翌四日
   秀吉御自身に御出有テ縄打ヲサセラルヽ也 ・・・
一   ・・・・・
一  * 五月八日 中村孫平次岸和田城ヨリ江州甲賀ヘ被罷越也 其儘甲賀ヲ領知トシテ居住ノ用意也
   明日為御音信縮廿端道服一 刑部卿為御使被遣候 御書アリ 
一   ・・・・・
一  廿七日 羽柴美濃守秀長 今度於坂本秀吉御頼ニ付コサレ下向之次ニテ今日被参 御門跡様?御両所様
   御見参 ・・・
一   ・・・・・
一  七月三日 土州之長宗我部御成敗ニ付テ今日秀吉御自身淡州洲本表迄御進発云々 先勢ハ六月十六日
美濃守殿大将トシテ御出陣 ・・・
一  木津城七月五日落去 讃州阿州両国手ニタツル敵ナシト云々 ・・・
一  越中国佐々内蔵助懇望ハ家康達而被申ニ付テハ其身御赦免 国ヲハ秀吉ノ御使ヘ渡置 高野ノスマイト云々
一  七月六日 秀吉ハ上洛 ・・・京都ニテハ玄以宿所 元妙願寺ト云寺ナリ 夫々要害ヲ構ヘ堀ヲホリ天守ヲ
   ア□□ラアリ ・・・
一  十日 中島天満宮会所 由己ト云人始テ御礼ニ被参也 御対面 依御所望 新門様御前ニテ由己作ノ
軍記ヲヨマルヽ也 一番別所小三郎兄弟切腹諸卒ヲ助ル事 二番惟任日向守謀反信長公父子御最後 三番
柴田修理助ト江北ニテ合戦秀吉御本意之事
一  今度秀吉御在洛 関白ニ成給 近衛殿前入道殿下前久公之御猶子ト云云々
   七月一日参内アリ 禁中ニ御能アリ 上下京ノ手能 秀吉ヨリ被仰付ト云々 関白ニ成給フニツキテ
殿上人諸太夫ナリニナリタル人十人モアリ 御能五番 弓八幡田村三輪紅葉狩呉服ノ切 ・・・
今度御能ニ関白殿ヘ所々進上アリ 上下京衆ヨリ・・・能ノ太夫ハ上京ニテハ ほりけ ワキハほりけカ
伯父りうはト云入道前虎屋ト云タル者也 下京ノ大夫ハ禁裏御能ニ何ニテモ被下事無之 大夫若衆ナト
ナレハ御扇被下事ナトアリ 今度ハ秀吉公ヨリ越後ノ帷二百進上ニテ ソレヲ則悉被下訖 ケ様ノ物
極攪Z位モチテ書テ遣候 舞台ヘ出遣事無候也
一  十八日秀吉公ヘ為御使刑部卿貝塚ヨリ今日発足 ・・・御祝トシテ一腰鳥目三千疋御進上 廿一日ニ
   大坂ヘ御帰城也 ・・・
一  八月上旬秀吉北国ニ御進発 加州金沢邊迄御馬ヲ被寄ヘキ由ナリ 廿日頃ハ佐々身上御詫言三介殿
   御口入ニテ相済 髪ヲソリ小者一人ノ躰ニナリ秀吉御陣床ヘ走入候也 御対面アリテ余リニ不便之式トテ
   越中国一郡被遣也 以来大坂ニ在城仕候別之知行可被下云々 則在大坂 越中惣国ヲハ前田孫四朗ニ
被遣候 ・・・
一  八月三十日 御門跡様中島寺内へ御移 諸侯人以下御供申也 ・・・
一  九月三日 有閑法印始而御礼ニ被参候 御太刀馬代?縮 少進奏者 ・・・
一  九月八日 今朝早々ヨリ秀吉公和州ヘ御越也 此中 国分国替以下有之 和州筒井伊賀国ヘ被遣 和州ハ
   美濃守殿被遣候・・・
一  八日 秀吉公ヘ御門跡様御礼ニ御出候 新門様奥門様御同道 上様御児様同前 上さまハ北ノ政所ヘ
   為御礼ナリ 御門主ヨリ ・・・刑部卿民部卿宮内卿主水凌雲御礼申也 美作法橋同前 少進侍従ハ上様御児様之
   御供ニテ遅クニ参 ・・・表ノ三献過而御三所御茶湯 座敷ヘヨヒ申サルヽ 宗及茶立 ・・・
一   ・・・・・
一  十月七日 京都ニハ秀吉公申沙汰ニテ禁中ニ而茶湯アリ 雖無其例 当時秀吉此道御執心ノ故也
   宗易ヲ利休居士ニナサレ禁中ニテ御茶タツル也 御前ノ御茶ハ秀吉公タテラルヽ ・・・

一  廿七日 正親町殿同侍従殿烏丸殿三人御礼ノタメニ御下向 一夜トマリ廿八日御帰京 刑部卿他行ニ付 
少進法印ニ奏者被仰付候
一   ・・・・・
一  十一月廿九日 夜四半時大地震 夫ヨリ十余日不止 ・・・
一   ・・・・・
一  一九日 小早川左衛門佐吉川治部少輔堺上着 ・・・ 廿四日御能アリ
   金剛又兵衛大夫ヲ仕能三番 藝川衆御モテナシノタメ也 ・・・

*夕中村孫平治御礼ニ被参候
一  廿七日 秀吉早々ヨリ御出ニテ 終日御遊興 御連歌アリ 残雪ノ石ヲ御目ニカケラル
一   ・・・・・

 天正十四戌年
一  正月三日 秀吉公ヘ御門跡三所ノ御礼ニ御成 何モ御太刀馬代 上様御児様北政所様ヘモ御礼ニ御出候 。。。
一   ・・・・・
 
一  十七日頃秀吉公御上洛 金座敷ヲ京都ヘモタセラレ内裏ニテサシクミ叡覧アルヤウニトノ御事也 ・・・
一   ・・・・・
一  三州徳川御成敗ニ付テノ御出馬可有由有之所 三介殿御自身三州ヘ御下向 種々御□アリテ無事ニ可相調由
   沙汰アリ 石川伯耆守ヨリモ其通申来
一  廿九日 三州岡崎ヨリ三介殿御帰リ 家康ハ其日浜松ヘ帰城云々
一   ・・・・・
一  二月三十日 関白殿京都ヨリ大坂ヘ御帰城
一   ・・・・・
一  廿一日頃千人切ト号シテ大坂ノ町人ニテ人夫風情ノモノ数多ウチコロスヨシ種々風聞アリ 
   大谷紀之介ト云小姓衆悪瘡気ニツキテ千人殺テ其血ヲネフラハ彼病平癒之由 其義申付ト云々世上風説也
   今廿一日関白殿御耳へ入テ如此ノ儀今マテ申上ヌ曲事之間 町奉行衆ヲ生害サセラルヘキ事ナレトモ命ヲ
   御免ナサルヽトテ 町奉行三人江追籠ナリ 此儀被仰付 関白殿ハ今日御上洛也
     盗人事 人ヲ切事 博奕事 酔狂事 徒者事
   此五ケ条ヲ高札二枚ニセラレ・・・紀之介所行ノ由風聞一圓雑談也 
一  三月三日 関白殿ご上洛 於京都御殿御普請可有定由ニ付而巳為御音信鋤百挺被遣候 御使河野越中
御書日付三月二日(編者曰聚楽第?)
一   ・・・・・
一  三月廿二日 新門様ニ而丹波ノ梅若大夫ニ御能サセラルヽ也
   雲雀山 望月 鐘巻 籠破 生贄 猩々
一  晦日 ・・・大伴宗麟関白殿ヘ為御礼堺津ヘ着岸 ・・・
一   ・・・・・
一  四月 関白殿ノ御妹ヲ三州徳川ヘ御嫁入ナリ 今廿八日五日以前ニ大坂を御発輿アリ 板輿拾二挺乗物三十挺 
花麗之儀不及書載
一   ・・・・・
一  六月十日頃越後国上杉喜平治景勝関白殿ヘ為一礼参上 銀五百枚山布三百端進物也 ・・・十七日
当門跡ヘ従喜平治使可有之 但・・・
一  七月十九日御影堂御棟上 ・・・
一   ・・・・・
一  関白殿御堂御覧アルヘキトテ当寺ヘ御成 御膳アナタヨリメシヨセラレ夕飯ヲハコナタニテ用意ニテマイル
   終日御連歌有之 及暮還御

一  九月九日 関白殿ヘ今日ノ御祝儀御小袖
一   ・・・・・
一  十月 三州徳川上洛関白ヘ一礼之事 種々存分有之 然共相調当月廿日ニ国ヲ可被立ト云々 附其
   大政所十日頃ニ三州ヘ御下向 是ハ御証人之躰ナリ 面向ハ御息女ニ逢被申度ニ付彼是下向之分也
一   ・・・・・
一  廿六日三河国徳川家康大坂ヘ為一礼参着 此中種々扱アリテ令入眼候
   右之廿七日関白殿ヘ被参 飯アリ 進物金百枚縮百端 引出物ハ鷹三好 郷ト云刀 則重正宗ノ脇サシ
   端茶壺―白雲 
   廿八日 美濃守殿振舞能アリ 金春大夫 昨廿七日為御礼與門様御出 御美濃守亭見参被申事
一  三十日 家康ヨリ使者松平忠右衛門ト云々 御門跡ヘ一腰毛馬阿品門様ヘ毛馬與門ヘ毛馬返礼也
一  十一月朔日 九条禅閣廿日計御逗留今日上洛 関白殿ハ一昨日御上洛 家康今日上洛
一   ・・・・・
一  去月廿六日ヨリ堺南北ノ堀ヲウムルナリ 関白殿ヨリ被仰出候事 十一月三日四日之時分ハ
   大方ウメタルナリ 自身御出 普請即時ニハカユクト申

一   ・・・・・
一  十二月廿日 煤払い 如例年 但・・・ 
一  廿七日 関白殿新門様ヘ御茶湯ニ御出ニテ御カエリニ門主見廻リトテ立ヨラセラレ イツモノ所ニテ
   内儀ノ事也 ソト見参申サレテ還御也 
   大晦日新門様與門様御両所迄関白殿へ御茶湯ニ呼マイラセラルヽ 関白殿御ツクリ等ニ御自身
御情入ラレタルト云々
               平成二八年一月二五日 宇野主水記 抄了 中村勝