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「核のジレンマ」
レイ・アチソン 「リーチング・クリティカル・ウィル」代表
(2017.10.16)

 「科学技術は中立ではない」と言ったのは国連ジュネーブ事務局のマイケル・モラー事務局長である。「究極的には、科学技術とは人間の意図、能力、偏見の拡大鏡だ」。彼は、国連総会第一委員会〔軍縮・安全保障問題〕で10月11日におこなわれた新興テクノロジーに関するハイレベル会合を背景にして語ったのだが、感情的には、小火器から核爆弾に至るすべての兵器にあてはまる。ラスベガスで起きた大量銃撃事件であれ広島と長崎での民間人にたいする大量殺りくであれ、科学技術の兵器化は、人間の意図、能力、偏見を最悪のものを拡大するものである。それは、人種差別・性差別・階級差別、また、あらゆる形・規模での抑圧の物理的形態であり、あからさまな実行である。
 それを解決するのは軍縮である。それを解決するのは、私たちのよりよい意図、能力を開花させる規範と法を作り出すことである。それを解決するのは、各国の政府と市民社会が集団的に、協力しながらかかわることである。それを解決するのは対話である。
 それを解決するのは、軍縮を「安全保障」としてとらえ、促進することであり、「軍縮かそれとも安全保障か」ではない。
 核兵器禁止運動に対して、ここ数年に現れた最も懸念される展開の一つは、@核兵器は(一部の国の)安全保障に必要である、したがってA核兵器の禁止と廃絶はグローバルな安全保障と安定を損なう――という主張である。
 これらの主張は、現に核兵器を保有している国ぐにおよび米国との二国間関係あるいは同盟関係に核兵器を含めている国ぐにによってうんざりするほど繰り返されている。
 この主張は、核不拡散体制を傷つけるものである。 彼らは、核兵器を生き残りに必要な国家安全保障のプラチナクレジットカードとして描いている。皮肉なことだが、これらの国は、核兵器がつくりだす危険な状態を理解しているということだ。ただしそれは核兵器が、彼らが敵とみなす国の手にある場合だけである。
 米国代表部は先週〔10月12日〕次のようにのべた。「核兵器禁止条約支持者たちは、一つだけ例を挙げれば、北朝鮮が核兵器とその運搬手段を容赦なく追及し、危険をもたらして国際法に著しく違反しているにもかかわらず、われわれは核抑止を捨てることができると信じさせようとするものである」。
 これには多くの解明が必要だ。第一に、核抑止というのは物体ではない。それは概念であり、民間人全てを焼き尽くし将来世代にガンその他の破滅的健康問題を残す大量破壊兵器への大規模経済投資を正当化しようと決意した者たちの頭でつくられた考えである。
 「そもそも核抑止は安全保障にどのような意味があるのか、という疑問」もある、とオーストリアの代表は述べた。「何も良いことはない、とオーストリアおよび(核兵器禁止条約の)支持者たちは確信している」
 第二に、「北朝鮮の執拗な核兵器の追求」を抑止によって阻止できると見なすのは、中身のないなレトリックである。核抑止力が「効いた」というのなら、北朝鮮はどうやって核兵器あるいは運搬手段の開発に成功してきたのか?彼らは、自国内での6回の地下核実験をおこなってきて、そして今、他の国々の核兵器開発のための実験場としてすでに恐ろしく人種差別的なやり方で使われてきた太平洋に水爆を投下すると脅しているのだが、こうしたことがどうして可能なのか?
 第三に、北朝鮮の核兵器だけが露骨な国際法違反だという考えは、悪意というだけでなく、まったく無法な考えである。米国は他の核保有国とともに、核不拡散条約(NPT)で核兵器を廃絶するよう義務付けられている。国際司法裁判所は1996 年の勧告的意見で、〔NPT第6条にある〕「誠実に」とは、NPT締約国が核軍備撤廃の多国間交渉を首尾よく締結しなければならないという意味である、と明確にしている。
 第四に、バングラデシュの代表が指摘したように、核兵器の保持に賛成する議論は、核で武装した国ぐにの、あからさまに特権維持を求めるやりかたで「核軍縮と不拡散の規範・基準を定めようとする、排他的なグループあるいはイニシアチブにくわわっている国ぐにからしか出てこない。
 核武装している国は核兵器を保有してもよい、不拡散をそこなってもかまわないという考えは、無茶苦茶な幻想である。また、そうした考えが同時に、核兵器禁止を支持する連中は大量破壊兵器を過小評価しようとすることによって安全保障を弱めようとしているといっているのは、不可解なことである。米、英、仏が拡散を防止したいのであれば、いったいなぜ彼らは、〔核兵器を〕手に入れない、あるいは使わないための国際協定に関する交渉や協定に各国を参加させまいとするのか?
 「核軍縮の前進は常に、国際の安全保障環境と国際協力レベルの向上を先導する力になってきた」と、先週エジプトの代表が述べた。「かくして核軍縮の停滞は、安全保障環境の悪化の根本原因と見ることができる。逆説的ではあるが、それは核軍縮を進ませないための口実として使われている」
 これは古典的な板挟み状況である。核武装国の言い分はこうである。われわれは核兵器を廃絶することはできない。なぜなら核兵器は、他の国が核兵器を手に入れあるいは使用して危険をもたらすのを防ぐために必要な安全保障になるからである。軍縮はそうした環境をより安定化させるものなのに、「安全保障環境」が不安定だから軍縮を前進させることもできない。
 この状況は、核兵器禁止条約は一発の核兵器の廃棄ももたらさない、と付け加えれば、〔ジョージ・〕オーウェル的な様相をさらに帯びてくる。もちろん、核兵器をなくすという決定は保有国にかかっている。それは軍縮を実現するかどうかについての彼らの選択であり、禁止条約の選択ではない。
 さらに、オーストリア代表は、このロジックでいけばNPTは非加盟国が核兵器を取得することを防げなかったから失敗だったとみられかねないと説明した。「もちろん、そうした仮定は核保有国が〔禁止条約に〕参加しない正当な言い訳にはならない」とオーストリアはのべた。「核保有国の一国でも禁止条約に参加すれば、それだけでこれまでの議論は誤りだったと証明される」
それでは、核軍備撤廃の達成方法が核軍縮を通じてでないとすれば、いったいどんな方法を核武装国と核兵器支持国は考えているのか。
 もし最も断固とした「不拡散の提唱国」〔米国〕が、イランとの包括的行動計画であれ、NPTそのものであれ不拡散の協定を否定あるいは順守を拒否するというなら、〔核兵器〕拡散を防止する最善に方法は何だというのか?
もしわれわれの制度が、他国を核兵器の取得、その使用や使用の威嚇に走らせる仕組みになっているなら、核戦争を「抑止」する最良の道は何なのか?
 他国との協定を破棄している北朝鮮が米国との対話に参加すること、ましてや協定を結ぶことなどどうして期待できるというのか?
 サモアの代表は、彼らの地域が核兵器の実験場と使われたことから来る「恐怖の傷跡と不信」を強調し、同地域の非核地帯化こそが核兵器に対する「抑止力」だと述べた。この意味で、核兵器禁止条約は、核兵器の開発、取得、保有、使用、使用の威嚇に対する「抑止力」ではないのか? われわれは、防止しようとしている〔核使用、核戦争〕をが起きる可能性に依拠した古典的な理解にもとづく「抑止」措置に力を注ぐのではなく、この類の防止措置に対してこそ全力を注ぐべきではないのか?
 「核軍縮で今年ついに達成された前進は、あまりに多くの命と生活が暴力と紛争の犠牲になってきた時代において、また、タガの外れた脅威があふれている時代において、生まれたばかりの希望である」と先週アイルランド代表が述べた。脅威は満ちており、もし放置されたままになったら、われわれは皆その結果に苦しむだろう。リヒテンシュタインの代表が喝破した通り、核武装国は義務を特権と取り違えている。
 彼らが果たすべき責任は軍縮である。ところが逆に彼らは、積極的な変化をつくろうとしている者を「分断的」と非難する。
 インドは、「核兵器は権力者の命令で消滅することができると考えている者と、核兵器はより積極的に主張されるべきだと考える者との間に亀裂」があると述べた。 パキスタンは、「人道的、倫理的な根拠で核兵器を禁止することは、安全保障上の考慮を矮小化しそれらをすべて排除する分断的なアプローチ」と述べた。カナダは、禁止条約の背景にある思いは共有するとしつつ、条約が「国際社会のさらなる分断をもたらした」と述べた。
 だが現実には、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が10月10日に国連総会第1委員会で述べたように、われわれを分断しているのは、禁止条約ではなく核兵器である。今はそれがわれわれを分断していても、より良い人間性――より良い能力と意図は、勝利するにちがいない。それがわれわれの唯一の希望である。