HOME >> 非核の主張・提言━提言・声明
 
 ●提言・声明
 
Q&A 自民党9条改憲案の問題点と危険性
小沢隆一(東京慈恵会医科大学教授・憲法学)
(2018/5/15)

はじめに
 71年目の今年の憲法記念日を、皆さんはどこで、どのように迎えましたか。
 私は、5月3日といえば、毎年、地方での憲法集会に招かれ東京を離れていましたが、今年は久々に、所属する全国憲法研究会(全国憲)主催の講演会に聴衆として参加し、歴史学者の加藤陽子東大教授、全国憲会員の志田陽子武蔵野美大教授の講演を楽しく拝聴しました。約850人の大入り満員の会場は、6万人を擁した有明の「5・3集会」に劣らぬ熱気と真剣さに包まれていたと思います。
 同日、安倍晋三首相は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(「日本会議」のフロント団体)と「民間憲法臨調」共催の「改憲派」集会に、昨年に続いてメッセージを寄せて、「改憲に取り組む時がきた」と訴えました。しかし、昨年の発言に比べると「迫力」に欠けるものだったようです。今年は、昨年来の「憲法に自衛隊を明記する」との主張について、「一石を投ずる気持ち」「この1年間の議論の活性化は喜ばしい」などとしか言えませんでした。本当の胸の内は、喜んでなどいない(いられない)はずです。
 それでも、彼の改憲への執念だけは衰える気配がありません。その9条改憲の野望の息の根を止めることで、「森友・加計」問題、「自衛隊日報」問題などに示される「ウソとごまかし」の政治、権力の私物化を一刻も早くやめさせること、すなわち内閣総辞職に追い込みましょう。
 そのために、以下では、自民党の9条改憲案の問題点と危険性を、Q&A方式で明らかにしてみようと思います。

Q:自民党が考えている9条改憲案は、いずれも1項、2項を維持して「自衛隊明記」の条文を加えるもののようですが?
A:確かに、今のところは、石破茂元自民党幹事長らが主張する9条2項削除ではなく、1・2項を維持する、いわゆる「加憲」方式を想定しているようです。しかし、現在浮上している改憲案は、いずれも9条2項が残されたとしても、それを死文化させる可能性が高いものです。
 @「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための必要最小限度の実力組織として…(中略)…自衛隊を保持する」。
 A「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な措置をとることを目的として…(中略)…自衛隊を保持する」。
 B「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として…(中略)…自衛隊を保持する」。(傍線はいずれも引用者)
 なぜかというと、これまで政府は、憲法9条の下で、「自衛のための必要最小限度の実力の行使」や「必要な自衛のための措置」(砂川事件最高裁大法廷判決からの引用)という表現で、個別的自衛権の行使は合憲だとし、安保法制(戦争法)制定後は、集団的自衛権行使にもあたる「存立危機事態」での武力行使をも正当化してきました。それでもなお、9条の下では集団的自衛権の全面的(フルスペック)な行使はできないという「限界」を設けています。しかし、前記@、A、Bいずれの改憲案でも、集団的自衛権行使の全面的な行使を禁ずる要素や文言は見当たりません。それは、「必要最小限度」という言葉を削ったAとBについては、とくに当てはまります。
 全面的な集団的自衛権をも行使できる自衛隊は、国際的には「軍隊」となんら違いがありません。こうして9条の2が憲法に加えられれば、「戦力の不保持」を定めた9条2項は実質的に意味を失い、死文化するのです。

 Q:前問の@案は「必要最小限度」という言葉を使っていますが、これはAやBの案より自衛隊の活動を限定する意味はありませんか?
 A:いいえ、おそらく違うでしょう。
 @案は、たしかに「必要最小限度」という言葉を使っています。これは、自衛隊という組織の「目的」を示す規定です。ここでの「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つ」という目的に照らして、自衛隊がどれくらいの規模の組織であれば「必要最小限度」と言えるでしょうか。それは、なかなか見定めがたいでしょう。要するに、ここでの「必要最小限度」という言葉は、抽象的であいまいなのです。
 一方、これまで9条解釈で使われてきた「自衛のための必要最小限度の実力の行使」という言い方は、自衛隊の武力行使という活動が「自衛のための必要最小限度に止まるべきだ」という「上限」ないし「基準」を示すものでした。この「基準」にもとづいて、政府はこれまで「長距離爆撃機や大陸間弾道ミサイル(ICBM)、攻撃型空母などを保持することはできない」と述べてきたのです。こちらの「必要最小限度」という言葉は、いわゆる「専守防衛」の観念ともかかわって、それなりに限定的な意味を持っています。
 しかし、@案で使われている「必要最小限度」という言葉は、そうした意味合いとは違います。この言葉に自衛隊の活動を限定する意味を読み込むことはできません。

 Q:安倍首相は、「憲法に自衛隊を明記しても、自衛隊の任務、権限は変わらない」と繰り返し答弁していますが、本当ですか?
 A:いいえ、まったくのウソです。
 そもそも、自衛隊の任務、権限を変えないのであれば、憲法改正の必要がありません。小さな変更であれば、法律の改正で済ますことも可能です。そうではなく、憲法改正という大がかりな手段をとるということは、自衛隊の任務、権限の大幅な変更をもくろんでいると見るべきです。それが賢い主権者としての確かな眼≠ナはないでしょうか。
 前述の通り、自民党の9条の2の諸案によれば、集団的自衛権の全面的な行使も可能になります。そのための自衛隊の活動が、現在の任務や権限の範囲内にとどまるはずはありません。憲法が改正されれば、その下の自衛隊法、武力攻撃事態法、重要影響事態法、国民保護法などのさまざまな法律(軍事立法)も改正されて、その内容が一新されることになるでしょう。「自衛隊の任務、権限は変わらない」という言葉は、9条改憲を国民に受け入れさせるための策略、デマ宣伝の類と考えるべきです。「甘い言葉」にはくれぐれも注意しましょう。

 Q:この間、自民党は「自衛隊へのシビリアン・コントロールを憲法に明記する」とも言ってきました。それなら安心な気がしますが。
 A:いいえ、これも「甘い言葉」の類として要注意です。
 そもそも、「憲法に自衛隊を明記する」場合に、政治(家)による統制(コントロール)をまったく抜きに「明記」することなどありえない話です。あの明治憲法ですら11条で「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」と定めて、「統治権の総攬」者すなわち主権者である天皇が「大元帥」として軍を指揮命令することを盛り込んでいたのです。軍事組織が憲法に明記される際に、シビリアン・コントロールは必須のアイテムであって、特典ではありません。
 さらに問題なことは、自民党の9条改憲案には、自衛隊に対する政治的コントロールを現在よりも後退させようという意図が込められていることです。先に紹介した自民党の9条改憲の3つの案は、いずれも次の条文を盛り込んでいます。
 「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する」。
 この「内閣の首長たる…」に気をつけましょう。現在の自衛隊法7条は、「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」と定めています。「内閣を代表して…」には、総理大臣の指揮監督権が閣議を通して行使される意味が込められています。これに対して「首長たる」という言葉は、他の大臣と区別された総理大臣(だけ)を意味しますから、自民党の改憲案では、首相の「指揮監督」は、「閣議を経なくても構わない」という解釈が可能です。要するに有事に際して、首相が独裁的な権限を振るうことも可能なのです。とても恐ろしい規定です。

 Q:そもそも、今の自衛隊にシビリアン・コントロールの遵守を期待できるでしょうか?
 A:もっともな疑問です。南スーダンでのPKO活動に続いて、2003年のイラク戦争後の現地での活動に関する自衛隊の日報の隠蔽問題は、自衛隊という武装組織が、防衛省の官僚組織と一体になって、国会と内閣、そして情報公開請求をした市民に代表される主権者国民に対して、ウソ偽りを続けてきたことを意味します。彼らとその組織には、シビリアン・コントロールの考え方が根付いていないのです。
 もともと憲法9条に反する形で創設された自衛隊という組織には、憲法や議会制民主主義に対する忠誠心、隊内外での基本的人権の尊重の点で大いに疑問があります。これは、一面では戦前の旧軍隊以来の「悪しき伝統」を引き継いでいるのではと思いたくなります。小西洋之参院議員に対する自衛隊幹部による「暴言」も、その一端かもしれません。また、隊内の反憲法的な風土が、セクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントを頻発させているのではないかも気がかりです。これらについても、しっかりと調査・検証する必要があるでしょう。
 いま自衛隊について早急になすべきことは、それを「憲法に明記」することではなく、現在のシビリアン・コントロールの体制も順守できないような状況とその原因を徹底的に洗い出して、平和主義・国民主権・議会制民主主義・基本的人権の尊重などの「憲法精神」をしっかりと「尊重し擁護する」組織に鍛え直すことです。