JCC 姫路アガペーチャペル 牧師の紹介
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牧師 中庭 一也 1946年生まれ

*1991年、関西聖書神学校を卒業

*同年 JCC姫路アガペーチャペルを開設する。

 キリスト伝道会「活水の群」会友
 播州地区キリスト教宣教協力会実行委員

 

 

 


♪♪ 私がクリスチャンになったわけ♪♪

「罪の報酬は死です。しかし、神の下さる賜物はキリストイエスにある永遠のいのちです」ロマ6−23                                          

聖書はすべての人が「罪人」であるがゆえに祝福されない人生を送っていると言っています。「罪」とは的はずれな生き方を意味しています

以前の私

私は23歳の頃、賭け麻雀の虜となり、職場の仲間達と昼間から仕事中にもかかわらず夢中になる始末でした。しかし,楽しさの最中に説明のつかない虚無感を覚えるようになりました。同時に、このままでは将来が駄目になるのではと恐れと不安を感じはじめ、今のうちに麻雀を止めてしまいたいと思いました。 ところが、心の強い願いとは裏腹に、どうしても誘惑に負けてしまうのです。何しろ4人でなければ出来ないので誘惑の力は私の3倍です。自分の願い通りに止める事が出来ないで、無力感に悩んでいました。                            

じつは、これが罪人の特徴である事を後で知るようになるわけです。

罪とは神に逆らって自己中心に生きている的はずれな状態を意味しています。その結果真の生命の供給者である神との断絶が生じ、ちょど太陽に背を向けると歩く前方には、影がつきまとうように、神に背を向けて歩んでいる為に、無力感、虚無感、不安、恐れなど不安定な状態で歩んでいる惨めな姿が私だったのです。

善い事はこれを行う事が出来ず、悪い事は分かっていながらやってしまう、昔流行した「分かっちゃいるけど辞められない」霊的無力状態に陥ってしまうと聖書は言っていますが、実にその通りでした。

何をやっても心の底からの喜びがなく、生き甲斐や喜びを求めて一時的な快楽に走り、刹那的(その時だけよければ良し)な生き方となります。それが私の姿でした。

私はイエス様を私の救い主と信じました

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 ヨハネの福音書 3:16  

十字架は、私たち人間の罪を赦すために、罪人が受けるべき神の裁きをイエス・キリストが身代わりとなって受けて死んでくださったものです。 この十字架を信じるだけで罪は赦され、神との和解が成立し、罪の世界から祝福の世界に移し替えられるのです。

信じた者は神の子とされて、国籍を天国に持つ事が出来るのです。それは、いつでも帰る事が出来る故郷が天にあるという祝福です。キリストが全て私たちに変わって、すべき事を為し遂げてくださったので、ただ信じるだけで罪の滅びから救われるのです。

信じた結果

悪習慣から解放された。

もちろんマージャンは辞められました。そればかりか、最も難しかった喫煙の悪習慣は瞬間的に苦しみを経験しないで辞めていました。これは神の恵みによるものです。そればかりか、自分の栄達ばかりを考えていた自己中心的な者でしたが、考え方が変えられ、神と人に喜んで仕えたいと願い、その為に正しい生き方が出来るようになりました。その延長線上として、牧師をさせて頂いているのです。

劣等感から解放された。

私は、両親の離婚、母子家庭の筆舌に現せない貧しい生活を経験した薄倖な少年時代を送った事が原因で、自分自身に全く自身がありませんでした。よれゆえ人前で話す事がとても苦痛で、苦手だったのです。無口で有名でしたが、話す事が仕事となってしまったのです。

誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。   Uコリント5:17

 


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