住職のつぶやき

 

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次期の池袋親鸞講座は2009年
10月14日です。

2009年06月6日
日本人は、宗教的だ。〈自分〉という神を信じている信者である。
 その〈自分〉は盲点になっている。だいいち〈自分〉とは何かなど考えたことがない。「阿弥陀仏なんて架空の存在で、だれも見たことがないじゃないか!」とか「浄土なんて誰も行ってかえってきたひとがいないじゃないか!」というひとがいる。
しかし、目で見たことだけが真実ではない。
 だいたい〈自分〉のこころなんか見たことないじゃないか。見たことのないこころは有ると信じ、見たことのない浄土は無いと断言する。これはおかしいじゃないか。
 仏像はシンボルである。人間のこころから生まれたシンボルである。それは〈自分〉のこころが見えないから、見える形にしているのだ。見えないものを見えないままにしておくと、知らず知らずのうちに見えないものにあやつられてしまう。荒ぶる神に支配されてしまう。
 だから、あえてみえる形に、つまり方便の次元に表現し、荒ぶる神を手なずけているのだ。
 人間は祈らずにはいられない存在だし、また依頼さぜるをえない存在だ。
 祈るときには、何か対象が必要だ。そこでいろんな偶像を作り出した。
原始一神教は、偶像を認めない。つまりこころを目で見えるかたちにはしない。目でみえるかたちにしないから、いつまでたっても神様の奴隷になってしまう。神様とはこころのことだから、こころの奴隷になってしまう。あやつるものなくしてあやつられている状態になる。
 すべては脳が、つまりこころが生み出した環境世界だ。人間の手を通した世界はすべてそうだ。神が作ったといおうと、そうではないと言おうがだ。
 だから、いくらでも改変できる。改変できるのだが、これを改変するには、〈自分〉のこころを対象化するということ以外には成功しない。
 「〈自分〉のからだをどう使おうが、他人にどうこういわれる筋合いはない」という風俗に身を任せる女子高生の発言。
 こういうふうにいわせる力学はどこからきたのか?それは、〈自分〉の身体は〈自分〉が自由に使いうる道具だという観念からだ。これは資本主義が生まれてきた原点にある発想ではないか。道具をつかって人間は文明を発展させてきた。その道具を〈自分〉の身体だと決めたのは、何世紀ものまえの人間たちだ。ロックやカントが、紡ぎだしてきた「生命・財産・自由」は、すべて私有できるという観念が、そう言わせているのだろう。
 そいつらもまとめて相対化し対象化していかなければならない。どこまでも覆いを取り去り、ベールをはぎ取り、方便の次元に置かなければならない。
 目で見ることができないのが、こころだ。だから、そのこころを方便化して、目で見える形にして、その方便の神と対話してきたのが仏教ではないか。
  
2009年05月14日
昨日の親鸞講座で今期は終了しました。次期も続投が決まり、2009年度第1回目は10月14日(水)午後6時半〜です。
聴講に見える方々に不思議な縁を感じています。たまたまウォーキング中に、ふと講座のチラシが目に留まり、それで参加されるようになったひと。たまたま本屋で小生の本を手にして参加されたかた。他の講演会で一度聞いたから、それが縁で参加されているかた。ほんとうに、数奇な縁の不思議さを感じております。
 このひろい大都会で、そんなことが起こるんですね。歎異抄の言葉を通して、なんでもない私の日常のなかに、非日常性が発見されてくる、そんな喜びをみなさんと感じていきたいと思っています。
 せめに人間に生まれたのですから、この喜びを感じなくちゃ、生まれた甲斐がないように思えます。
 いまのあなたで、百パーセントOKなんですよと、いつでも全面肯定してくれるのが如来です。いまのあなたで、どこを変革することも、どこを変えることもない、あるがままのあなたの姿でいいのですと、囁いてくれるのです。
 努力して、立派な人間になる必要はないのです。修行して、偉い人になる必要はないのです。本質的に人間は「愚か」であり、「罪深い」のですから。
 そんなことをいうと、「努力しなくていいの?!」と言われちゃいますね。
「やっぱり、そうなっちゃいます!」という感じです。
でも、「努力しなくちゃ」と思っているときは、努力していないときです。実際に努力しているときは「努力しなくちゃ」なんていう意識すら棄てられているのですから。
 子どもに「勉強しなくていいよ」なんて言えない、やはり「努力しなさい」といってしまいます、という意見も聞きました。
 確かにそうですね。「勉強なんてしなくていいよ。あるがままのお前でいいよ」とは言えませんよね。でも、「それならば、なんにもしないで遊んでいよう」と思う子どもがいたら、それはそれでおしまいです。その子はその子の個性として、そう思ったのですから、それはなんとも批判できません。
一度くらい、そんなふうに子どもに意ってあげてもいいのではないでしょうか。
 でも、「勉強なんてしなくていいよ。勉強しなくても、あるがままのお前でいいよ」といつも言ってもらえたら、子どもは勉強したくなるに違いないのです。だって、そのまま、あるがままで全面肯定されているのですから、必ず、何かの行動が生まれてくるのです。愛でお腹一杯になっているから、次に行動が生まれてくるのです。むしろ愛に飢えさせておいて、行動しろということのほうが無理というものです。エネルギー源がないのですからね。
 そして、だいたいが、勉強しようとしまいと、二十歳過ぎればただの人で、さして人生に大きな影響を与えるものでもありません。やはり自分の生れ持った宿業というものが、そのひと自身の人生を決定していくのです。(宿業はいままで生きてきた全人生を全面肯定して受けとめた自覚の言葉です。運命論ではありません。念のため…)そのくらい大きな眼で、子どもを受け入れていれば、必ず子どもは、みずから内発的に何かを始めていくのです。
 先日面白い和歌を聞きました。「子どもに夢を聞く前に、夢を語れる大人になってください」です。夢を生きている大人がいれば、子どもはその後ろ姿を見て生きるのです。自分に夢がないのに、子どもにばかり将来の夢を聞くなというわけです。至極ごもっともだなぁと思いませんか。
 でも、なかなかありのままの自分でよいということにうなずけないのです。それであれこれ、尺取り虫が茶碗の淵をはい回ってグルグル動いているように、「努力すれば、なんとかなる」という幻想を懐いて生きようとするのです。悲惨だなぁと思います。
 私たちが「生きる」というとき、丁寧に言えば「生かされて→生きる」のです。「生かされる」というのは受動です。誕生も、性も姓も民族も時代も器量も性質も、すべて受動性です。受動されて、そこから能動が生まれてくるのです。
 食べるというのも、食欲がかき立てられて、食べるという行為が生まれるのです。読むというのも、読みたい→読む。最初は必ず「受動」です。この「受動」の世界を忘れてしまっているのです。
 受動の世界が分かると、楽になりますよ。すべて受動ですから、自分から何かをしなければならないという無理な力みが消えます。待っていればいいんです。向こうから必ず「受動」を引き起こしてくる縁を待てばいいんです。人間は「動物」です。動いていなければならない動物として限定されています。だから、必ず動きたくなってくるのです。
 「遊びをせんとや生れけむ。戯れせんとやうまれけむ」(梁塵秘抄)と中世に歌われています。人生は大いなる「遊び」であり「戯れ」です。必ずひとは遊びたいのです。子どもは遊びたいのです。何かを求めて遊びたいのです。その遊びの果てには、必ず〈ほんとう〉を探求したくなるのです。 
 人間は、死にたくないのではない。このことのためなら死んでもいいという人生を求めているのだと安田理深先生はおっしゃっています。確かにそうだなぁと思います。どうせ一度は間違いなく死ぬのですから、個性一杯に、自分という舞台を演じきっていきたいと思います。長いのも個性、短いのも個性。しかし自分の人生を、「これでよかった」と言える人生であってほしいと思います。
2009年05月7日
更新が滞っております。ご迷惑をお掛けしております。
住居が二極化しておりまして、生活がまだまだ固まってきません。また、ホームページに映像を載せると消えてしまうという難病にかかっていて、このさい、根本的に作り替えようかと模索しております。
リニューアルしたら、また宜しくお願いします。

ということで、今回は、5月10日(日)午前11時〜の「人間を考える集い--永代経--」のご案内で終わります。
午前11時〜住職法話
12時〜昼食
12時半〜法要
13時〜記念法話
帯津良一先生(帯津三敬病院名誉院長)
14時半〜ハンドベル・コンサート
グロッケンシュピールのみなさん
その後、懇親会です。

参加ご希望の方はご一報ください。



2009年04月14日
弱点をさらけ出して生きられることは、とても強いこころがなければできないかとかもしれません。信仰に生きるものは弱点をひとにさらけ出せるひとだと思います。
 でも、なかなか弱点を見せられない自分があります。できるだけ、ひとに批判されないように、ひとに負けないように強いものになろうとする根性が抜けません。いろんな経験をして、どのような場面に出会っても、うまく処理できる強いものになろうとしています。どんな問題を投げかけられても、相手を納得させるだけの強い論理を身につけたいと企んでいる自分がいます。こういうことは社会では、とてもすぐれた能力として称賛されることかもしれませんけど、それはとても恥ずかしいことです。
 うわべを飾り、虚飾を身にまとい、等身大の自分を、巨大にみせようとする詐欺ではないでしょうか。
 それでは、弱点をひとにさらけ出して、平気でいられるかといえば、そんなこともないのです。やはりいつも強者を指向している自分に気付かされます。車を運転していても、別の車が自分のまえに割り込んできたとき、むかっ腹が立ちます。自分の気に入った速度で走ってくれればいいのですが、自分の前を、タラタラとゆっくり走っている車には腹が立ちます。自分の前に割り込みをしてきた車がありました。そのときも腹が立ちました。そのうちどこかで抜き返してやろうという執念が燃えあがってきました。しかしなかなか抜き返すチャンスがやってきません。気持ちはやきもきしていました。そのうち、その車は左折してしまい、自分の前から姿を消してしまいました。途端に、いままで燃え盛っていた執念のもっていき場がなくなり、肩すかしを喰わされました。
 ふっと覚めて、我に返りました。「煩悩具足の凡夫火宅無常の世界は、よろずのことみなもってそらごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」ということでしょうね。煩悩の燃え盛る家の住人ですけど、一陣の風(浄土からの風)が吹き抜けると、その瞬間に浄土が実現しています。
 煩悩が燃え盛るのも、またそれが風と共に去っていくのも、どちらもおまかせでしかないんですね。どこにも自分の恣意性がない。どこにも〈自分〉が介在していないということです。〈自分〉なんてどこにもないんです。あると思っている思いがあるのみです。
 浄土真宗は裏表がありません。つまり、どんなことでも感じたり、考えたりしたことはすべて、そのままを受け取っていくしかありません。誤魔化す必要はありません。ひとは思ってはいけないと思っていても、つい思ってしまうこともあります。してはいけないとわかっていてもついやってしまう生き物です。
 ですから、そのひとつひとつの思いや行為をありのままに見つめていくことが大事です。それはいけないことであっても、称賛されることであっても、ありのままを見つめていくことです。
 ありのままを、ありのままに〈自分〉でも認め、ひとにも披瀝できる、そういう勇敢なひとになりたいと思います。たぶんそれがほんとうの勇気なんだと思います。だれにでも負けることができる真の勇者なのだと思います。

 
2009年04月02日
因速寺の再建工事もほとんど完了し、3月31日に建物の引き渡しが終わりました。まだ残工事が残っていますから、4月いっぱいは工事が続く見込みです。新しい建物に、人間が馴染んでいくためには、一年以上がかかるようです。電気のスイッチや、建物の構造が身体に馴染むためには、建物そのものが身体化されなければならないので仕方ありません。 年寄りになればなるほど、馴染むのに時間がかかるようです。どうも年をとるということは、身体も脳も柔軟さが消えていき、固定化してくるからなのでしょう。
 アンチエイジングというのが流行っているそうです。老化に抵抗するというのか、いつまでも若さを失わないということなのか、美容や健康に関していわれているようです。外面以上に、内面の老化に抵抗するというのがいいように思います。といっても人間は老化をくい止めることはできませんし、老化することが当然の生き物なんだから、老化に抵抗すること自体が「自力」じゃないかという批判もあるでしょう。
 しかし、仏法には「柔軟心」という言葉があります。無量寿経には、如来の本願を受け入れるものは、こころと体が柔軟になると説かれています。柔軟ということは、いろんな発想を受け入れることができることでしょうか。いろんな考え方ができるということでしょうか。
 私は直感的に、「柔軟」とは、いつでも不安でいられることじゃないかと思います。不安定ということは、ものごとを結論づけないことです。ひとは生きることによって、安定を得たがります。金銭的にも健康的にも地位的にも対人的にも。しかし、それは一時的なものであって、もともと固定化できないものを固定しようとしているだけではないでしょうか。
 ですから、不安だなぁと感じるときは、〈自分〉に転機がやってきていると考えた方がいいように思います。そうはいっても、ひとは不安が嫌いな生き物ですから、なんとか平静を装って、不安にならないように振る舞いたいのです。しかし、生きるということは、いつでも「一難去ってまた一難」が本質ですから、次々に不安の材料が押し寄せてきます。そのとき「もともと」とは何かを考えるべきでしょう。「もともとひとは安心するのがほんとうだ」と考えるのか「もともと人間は不安定な生き物だ」と考えるのかです。「もともと」を後者に設定してしまうのが仏法だと思います。専門用語だと「因位を生きる」ということです。
 柳の枝のように、風に吹かれて右左、それが柳の柔軟さです。禅者・仙涯は「気に入らぬ風もあろうに柳かな」という川柳を残しています。いくら柔軟を大事そうにひとに説き、〈自分〉に言い聞かせたとしても、嫌なものは嫌、気に入らぬものは気に入らぬと、相変わらずの偏屈ぶりをちゃんと受け入れています。この両方の眼が素敵ですね。 
2009年03月22日

更新をさぼりだすと、まさに、ローリングクトーンのように、とどまるところを知らず、一月もの間、サボってしまいました。
言い訳→1、寺の再建にともない、住居を仮住まいと寺との行き来で、あたふたしていること。3月引き渡しに向けて、いろいろと決め事が多いこと。執筆原稿が、他に多いこと。付け加えると、講演も多いかな…。ともかく、言い訳です。

 昨日、有楽町の東京国際フォーラムで開催された、「親鸞フォーラム」へ行ってきました。1200人入るホールにたくさんのひとが集まっていました。第一部は五木寛之の記念公演、第二部は姜尚中(東大大学院教授)・田口ランディ(作家)・本多弘之(親鸞仏教センター所長)によるシンポジウムでした。
 五木さんの講演は、さすがに聞かせますね。今日の絶望的な時代状況は、ちょうど中世の親鸞の時代と似ているんではないかというのが、一番印象に残りました。末世の末世という感じだということでした。
 しかし、その中でも、ひとは生きなければなりません。そのとき、ヒントのように五木さんは、自分の引き上げ体験を語りました。「引き揚げ者は、みんな悪人だ」という懺悔の言葉がありました。ひとのことをなりふり構わず生きなければ、日本へ戻っては来れなかったという負い目。いつでもこの悪人感情はつきまとっているそうです。この悪人の私が救われる教えは、親鸞しかなかったとも述べていました。
 罪に喘ぎ、しかも罪をそぎ落とすのでもなく、罪に引きずられながら生きるのが、悪人ではないでしょうか。
第二部のシンポジウムでは、「生きる意味」について話が煮詰まっていったよう思います。田口ランディは、現代の若者の苦悩は、苦しみ悩んでいるけれども、何に苦しみ何に悩んでいるのか表現できない悩みなのだと述べていました。突き詰めると、生きることの生きがたさや、手応えの無さですね。
 姜さんは、自由を目指して、ひとは生きてきたけど、自由度が広がれば広がるほど、選択という苦しみが増してくるのだと話していました。矛盾ですね。何をやってもいいよと、いわれると、逆に何をしてよいやらわからなくなるのです。どう生きたらいいのかもわからなくなるということです。
 本多所長は、最後は、ひとに会うということ。自分を出てひとに会うということで、肌で触れる生身の人間を回復するという自分の京都での体験を話していました。
 ひとつには、自分で徹底的に考え抜くということと、もうひとつは、自分という殻を出て、ひとに出会うということが大事だと感じました。
 小生は、「貧乏と貧困」は違うと感じました。字義的な意味はあまりかわりませんけど、そのように小生は分けています。貧乏は物質にあり、貧困はこころにあると思います。縄文時代の人間と現代人とを比べると、縄文人は貧乏でした。物質的には現代と雲泥の差があります。しかし貧困ではなかったでしょう。貧しいことによって、実存的に困っていたとは思えません。ただ、現代人は物質的には豊かでも、こころが貧困です。モノがあっても豊かさが感じられないのは、こころが貧しいからです。こころが貧しさを生み出しているからです。
 現代人の救いは、自然への着眼ではないかと思います。ありきたりのことですけどね。「自然に帰れ」はエミールでしたっけね。自分のまわりを見渡してみると、人間の理性から生まれた物質だらけです。つまり環境そのものが脳の中にあります。そうすると、脳を超えるには、脳が生み出したものではないものへ着眼すべきです。それは唯一「自然」です。自然は、人間にとっていつでも超越物です。人間の都合や人間の思いを超越した世界です。ここに着眼し、そこからもう一度人間を見つめるという訓練が必要だと思うのです。これは環境問題ではなく、自己の救いの問題として思うのです。

2009年02月24日
映画「おくりびと」がオスカー賞をとったということで、今朝からやかましいです。小生の中では、いろんな意味の乱反射が起こりました。まだ映画は見てないから、なんともいえませんけどね。
しかーし、えーっ、これって青木新門さんの『納棺夫日記』の焼き直しじゃないの?と直感的に思いました。テレビ朝日では、青木さんと主演のモトキとが交際していたと報じていて、やっぱりそうだったのか!と納得しました。モトキがインド旅行から還ってから、生死を考えるようになり、そのとき出会った本が青木さんの『納棺夫日記』だったそうです。それから交際が始まって、モトキがこれを映画化したいと思ったということです。
しかし、いまから十数年前、青木さんの本が出たとき、ショックを受けて、何十部か取り寄せて販売したのですが、まったく売れなかったですね。あまりにも題材が生々しくて敬遠されたのだと思います。今回のオスカー賞受賞で、再度『納棺夫日記』が売れだすといいなと思います。
ただ、受賞の理由はどういうことだったのでしょうか?どういう評価であれがオスカー賞に選ばれたのでしょうか?そのことを報じているものはありませんでした。そこが一番大事な点じゃないかと思います。
日本人は、なんでも、日本にあったときには大した評価もせず、欧米で評価を受けると、日本人も再評価するという、欧米志向の民族ですからね。オスカー賞をとったことで、もう一度、生死を見つめるようになるかは、実に疑わしいことです。
なかなかとれないオスカー賞を受賞しておめでとうございます!と、監督の両親も涙を流していましたが、なにが素晴しかったのか、自分が評価してあげなければ、虚言でしょう。だれが評価しなくても、自分自身が作品を評価するということが一番じゃないでしょうか。あれが、他人(世界・世間)が、素晴しいといっているから、素晴しいのだと、所詮他人事じゃないでしょうか。
ちょっと感情的になりすぎてますが、何が小生をして感情的にさせているのでしょうか。それは、たぶん、日本人の主体性の無さだと思います。〈自分〉というものが、どこにもいないじゃないかと思います。
まあ「おくりびと」を通して、〈自分〉の死や肉親の死、さらに人生の意味論を問う傾向が生まれれば、よろしいと願っています。でも、これも猫と一緒で三歩歩けば忘れてしまう日本人的傾向性で、所詮むなしいことだと思っていますけどね。
小生は、やはり自分の目の前に落ちている小石を、ひとつひとつ拾い上げながら、やっていくしかないのだと思います。
いやいや、「拾うことを促されて拾う」ということが、真実なのでしょうけどね。
2009年02月12日
昨日のBサロンは、満員盛況でした!83歳〜9歳まで、年齢も幅がありました。テキストの輪読には、9歳の子どもが挑戦!これまた、実にうまく読んでくれました。一同のものは感心しっぱなしでした!
 どんな「集い」であれ、ひとが集まる場所は一期一会が本質ですね。つまり、そのときだけの真実が、そこに成り立ちます。そんな集まりは二度と取り戻せないのです。長い人生のひとときを一緒に過ごすということは、二度とない時間を過ごすということです。Bサロンは、毎回あると思っていても、そのときの集まりは一回こっきりのものです。だから、面白いです。
 とくに、酒が入ってからの自己紹介は面白いです。みんなの前で自分を語るのは恥ずかしいとか、いやだなぁと尻込みしてしまう気持ちもよくわかります。でも、その重たい扉を押し開けると、皆さん、実にいろんなこころの世界を生きていることが垣間見られます。普段会っているときには、とてもそんなことを考えているようには見えないのです。また、自分の内面を語るという場面も、日常生活にはありませんから、とても新鮮です。ひとというのは、実に不思議で奥深いものだと思います。
 家族であっても、自分の内面を語るということは、まずないでしょう。親しければ親しいほど、内面を語ることはないのでしょう。あらためて内面を語るというのは、恥ずかしさを伴います。でも、語ってみると、語ることがとめどなくあふれてくるから不思議です。やはり、人間は言葉の生き物なのだとつくづく思います。
 人間には沈黙はありえないからです。
 普段出会っているひとと新鮮な出会いをするには内面を語ることです。
感動した話をされた三名の方には、すぐ「よびごえ」の原稿依頼をしました。

※先日の万能川柳に「子どもに夢を聞く前に、夢を語れる大人になって」というのがありました。まさに、そのとおりという感じですね。
2009年02月10日
言うべきことは何もないと思う。この目の前に展開する〈現実〉を前にして、どれほどの言葉が、その〈現実〉の一片をも表現することが可能だろうか。いつでも、言葉は〈現実〉を後追いし、〈現実〉の前に沈黙させられる。
 寒空に、すっくと伸びる水仙の花。葉から流れ落ちる水滴、そのひと滴の厳粛な〈現実〉を言葉は表現し尽くすことができない。ひとが生きるということも、そして死ぬということも、すべて取り逃がしてしまう。取り逃がさないためには、沈黙するほうがましかもしれない。沈黙するほうが上品だし、安全でもある。
 でも、果たして沈黙が可能だろうか。いや、沈黙はかなわない。なぜなら、人間には沈黙ということはありえないからだ。沈黙していても、こころの中では言葉が氾濫している。それが人間の沈黙というやつだ。
 〈現実〉の前から怖じ気づいて逃げ出そうとする。でも、思いなおして、〈現実〉へと迫っていこうとるす、そういう衝動が起こる。このムクムクと沸き上がってくる衝動。それだけが、いまの自分を支えているのかもしれない。
 
ここまで、「である調」で書いてきたのですが、ここから「ですます調」でいきます。である調のほうが、思想的には抽象的な表現ができるように思います。ですます調だと、どうも散文的というか、情緒的な感じがつきまとって、詩的にならないようです。
 現代の世界を覆う「不安」という〈現実〉に対して、どう言葉を紡ぎだせばよいのでしょうか。おそらく、私は「考える」ということ以外にないのだと思っています。
 「考える」ということの社会性を復活することが大切だと思います。いままで「考える」ということは個人的な、内面的なことだと思い込んできました。考えるより行動が大事だと思い込んできました。ところが、そうでもないようです。むしろ「考える」ということこそ社会的なのです。
 この社会は、私たちが「考える」ということから生み出した幻想社会です。目の前のものを見れば、人間の「考える」という営みの外にあるものは、まずありません。いわゆる自然は、空と雨と草花くらいです。他のものは全部人工物です。つまりそれは人間が「考える」ということから生み出したものです。だから、それを逆転させればいいのです。つまり目の前のことを変えるには、人間が「考える」ということを変えればよいのです。
 何を考え、どう考えるか、それを初めて世界を変化させていきたいと思っています。
2009年02月01日
なぜ、阿弥陀如来を本尊とするのか?
阿弥陀とは、インド語の〈永遠〉という意味です。英語だとインフィニティか、エターニティーです。面倒くさいから〈永遠〉としておきます。
〈永遠〉をなぜ最も大切にするのかといえば、〈永遠〉という物差しで人間を量るためです。
蓮如の「白骨の御文」には、「朝に紅顔ありとも、夕べには白骨となれる身なり」と書かれています。その後に「誰か百歳の形体をたもつべきや」とあります。さらにそれを「幻のごとくなる一期なり」といわれます。
 朝に元気だったものが、夕方には息を引き取るといういのちの厳粛な事実を述べています。だれが百歳まで生きられようか、まったく幻のような一生ではないかと。
 しかし、考えてみれば、百歳は長寿ではないでしょうか。これが書かれたのは室町時代ですから、平均寿命は現代の半分くらいでしょう。
 ところが、百歳を「幻」だと言い切っているのです。
そのときの物差しは何かといえば、〈永遠〉なのです。〈永遠〉の時間に比べたら、人間の一生はまぼろしのようなひとときではないかといっているのです。〈永遠〉がイメージしずらければ、地球の一生と比べてみたらどうでしょうか。地球は誕生してから46億年たっているといわれます。この地球の一生と人間の一生を比べたらどうでしょう。まさにほんの一瞬ということになりますね。
 ですから、〈永遠〉というスケールで人間を見つめたときに「幻のごとくなる一期なり」という言葉が生まれるのです。
 さらにそんなに短い人生であれば、自分のいのちは明日には息絶えているかもしれません。短い人生には明日はないのだよと教えられます。そうすると、〈いま〉という時間が実に貴重なものなのだと教えられてきます。
 さらに、目の前にいるひととも明日には会えないときを〈いま〉過ごしているのだとも感じられます。明日には目の前には存在しない家族であり、友達であるのです。そう思うと、〈いま〉目の前にしている家族や友人が実に大切なものと思えてきます。
 まぁ、現実には会いたくない家族と毎日面と向かっているのですから、そうなったら願ってもないことかもしれませんけどね。
 人生の本質は、会いたい人には会うことができず、会いたくないひとと会わなければならないということでしょう。
 そんな地獄のような日々のなかに、ひとすじの光が〈永遠〉から差し込んでくるのです。「なんでこんな惨めな人生なんだ」とか「なんで自分だけ貧乏クジを引かなければならないのか」とか「ひとは幸せそうなのに、自分は不幸ばかりだ」とか。そうやって、自分のこころに閉じ込められているとき、ひとすじの光が差し込んでくるのです。〈永遠〉から。 すると、いままで閉じ込められていたこころが開かれて、ホッとため息が漏れて、そして顔を上げて、ようやく立ち直れるようになります。
 そして、目の前のやらなければならないことを、少しずつやれるようになっていきます。だから、〈永遠〉が大事なのでしょう。誰かが苦しめるのではなく、自分で自分のこころを閉じ込めてしまうのが、もっとも深い苦悩です。
 〈永遠〉というスケールをもっていれば、どんなに惨めな人生でも生きていけます。〈永遠〉を大事にしたいです。
 そうそう付け加えておくと、〈永遠〉のスケールも大事ですけど、人間のスケールも大事です。人間のスケールを持たないと日常生活は送れませんよ。ですから、二つのスケールをもって下さい。二つのスケールで生きていきましょう。
2009年01月21日
落ち着いてパソコンの前に座る時間がなく、更新が途絶えています。
本日も、一泊研修で、これから練馬の真宗会館へ出かけます。明日は、その足で狭山までお通夜に行きます。
さて、こうやって、さまざまな用件に追われて生きていますと、これが娑婆というものの本質だと感じます。みんな、だれでも、そうやって生きているのでしょう。
それは、若年から老年までがそうです。予定というものは、必ず押し寄せてくるもので、それには抗しがたいです。
予定に追いまくられて、一生が終わっていくのかもしれません。
大海原の表面は、いつも嵐のように騒然としていますが、その深海では、ゆっくりと海流が流れているのでしょう。どれほど雑事に責められても、深海は穏やかです。穏やかというのは、深層の思考はとどまることなく対流のように動いているということです。
表層の知も大切ですが、深層の知も大事です。この両方が大事です。それで、そのふたつを大事にすることを「複眼」と名づけて、小生の教学を「複眼教学」と命名しています。 緊急と永遠、表層と深層、特殊と普遍の二極から、ものごとを見つめていくことです。
深層を養うためには、あまりテレビを見ない方がいいです。新聞程度がいいように思います。テレビは感情を刺激します。刺激するように作られているのですから、仕方ありませんけどね。テレビを見ていると、一喜一憂がジェットコースターのように襲ってきます。だから、テレビは、あまり見ない方が、おのれの身のためですよ。
吉本隆明さんが、いいこと言ってます。
「僕はことばの本質について、こう考えます。ことばはコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
沈黙とは、内心のことばを主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心のなかで自分のことばを発し、問いかけることがまず根底にあるんです。
友人同士でひっきりなしにメールをして、いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、ことばの根も幹も育ちません。それは貧しい木の先について、貧しい葉っぱのようなものなのです。
本質は沈黙にあるということ、そのことを徹底的に考えること。僕が若い人に言えるとしたら、それしかありません」と。
沈黙が大事だというのは、まさにそのとおりだと思います。まあ、人間には沈黙は成り立たないのですけどね。ただ、自己内対話をすることの時間は大事です。これがいわゆる「聞法」というやつですよ。
ただひとの話を聞くのが聞法じゃありません。そのことばを通して、自己内対話をするのが聞法です。だから孤独な作業です。
ひとと出会っても、メールをしても、自己内対話の時間があれば、いいのだと思います。なぜ自己内対話するのか?と問われても、それが生きることだからとしか答えられません。人間が「生きる」ということは、ことばの世界を縦横無尽に生き尽くす以外にないのです。
じゃあ、どこで如来とか神とか、そういった絶対項と出会うのかと言えば、それは、否定形を通してです。
ブリキ板を槌で打つと、ブリキ板に槌の痕跡が残ります。その痕跡が絶対の痕跡です。ブリキ板は相対有限です。ただ、いまはみえない槌の痕跡が残るだけです。そこに絶対・永遠の痕跡をみるのです。
逆の言い方をすれば、私たちは如来とか神を絶対に知らないということです。私たちが知っているのは偽如来であり偽神です。そこに絶対を知らないという謙虚が生まれるのです。この謙虚が、平和の礎であり源です。それ以外の謙虚は、打算と妥協でしかありません。
2009年01月08日
先日のNHKのETV特集で、久しぶりに吉本隆明さんを拝顔しました。2007年夏の講演会の記録でした。今年で84歳になられると思います。催しを企画された糸井重里さんも吉本さんの体力を心配して、とても講演会は無理だろうと思っていたようですが、吉本さんみずからが、自分の思想をまとめて語ってみたいと申し出たそうです。
しかし、一時間半程度のことでは、語ることは不可能だろうと思っていましたが、やはり無理でした。途中で、講演中の吉本さんのところに、糸井氏が近づき、「お時間をお忘れになっているんじゃないかとおもって…」と進言していましたね。2000人の聴衆から、どっと笑い声が漏れてきました。
2001年に『アンジャリ』(親鸞仏教センター発行)に原稿を依頼したとき、初めて直接電話で話をさせていただきました。頂いた原稿は、漢字の偏と旁がバラバラで、まるで古代の象形文字を解読するような感覚で、原稿化したことを思い出しました。芹沢さんの話によると、大きな拡大鏡のようなものを使って、執筆や読書をされているということでした。しかし、その作業も、苦しいながらも、実に楽しい思い出になっています。
しかし、テレビでのご様子は、あの時よりも随分よくなっていると感じました。いや、病気は進行しているのかもしれませんが、こころは、あの時よりも明瞭に動いている感じでした。
「言語芸術論」というテーマをつけての講演でした。ことばというものをどうとらえるかという吉本思想の中心的テーマを論じていました。
キーワードは、自己表出と指示表出です。吉本さんは、ことばというものは、沈黙に近いものが、いいんだといいます。いいというのは、ことばの原初形体に誓いということじゃないでしょうか。ひとがことばを発したときの声帯の締め方とか、思わず声帯を震わせたときの緊張感や圧迫感などをとてもよく表しているからでしょう。
自己表出とは、ことばがことば自身を表現するような、そこには他者というものが二義的になっているということです。いわば、モノローグmonologueですね。高度なモノローグは詩でしょうね。ひとにどう伝わるか、どう受けとってもらえるかという色目づかいがないのです。
 あるいは、「アーッ、この花きれい!」とか「スゲーナー!この映画!」とか、「もう誰も私のことなんか、どうでもいいんだぁ…」とか、ひとに伝えるためのことばではなく、もうひとを意識することなく、自分の内面から吐露されたことばが自己表出でしょう。
 指示表出というのは、他者のために発せられたことばです。命令や指示、アドバイス、教示、要求、説教などが、それに当たるでしょう。つまり他者に対して何かを伝えるために表現されたことばです。コミュニケーションですね。
 ひとは、コミュニケーションのためにことばを開発したといいますが、最初はモノローグ的なものだったのでしょうね。
 吉本さんもおっしゃっていましたが、自己表出と指示表出はまったく別個になるのではなく、織物の縦糸と横糸のようなものなのです。だいたいことば自体、音声ですから、音声は、どうしても他者の耳に届きますし、他者との関係に生まれるものでもあります。だから、自己表出は、そのまま指示表出になってもいくわけです。
 「このラーメンうまいなぁ!」と声に出せば、となりにいたひとは、「そんなにうまいのか!」受けとって、このラーメンを食べるということになりますね。
 しかし、芸術となると、自己表出度の高いものが、いい作品ということになるのではないでしょうか。
 だから、何かのため、誰かのためにことばを駆使するのではなく、そのことのために表現するのです。僧侶というものも、とかく指示表出をしなければいけないと、自己自身から要求され、またするのが仕事だろうと社会からも要求されます。ですから、表現しろという強迫観念にかられているわけです。
 まあその要求も、一面では当たっているんですが、それほどまじめに取り合わなくてもよいものだと思っています。とはいえ、小生は、若人に「表現したほうがいいよ」と、要らぬお節介をしているものなのですけどね。
 たぶん、親鸞だったら、〈ほんとう〉のために表現するのだというんじゃないかと想像します。ことばはもともと社会的なものなのですけど、しかし、〈ほんとう〉と自己との対話が本質的な表現なのだと思います。そこに当面は他者は介入していません。
 なんのために表現するのか?と問われれば、はやり〈ほんとう〉のためだとしか言いようがないのだと思います。芸術というのもは、その〈ほんとう〉をどうとらえるかということに尽きるのでしょう。音楽でも絵画でも文学でも宗教でも、それは同じです。
 〈ほんとう〉に魅せられた人間は、取りつかれたように〈ほんとう〉と格闘し、それを具象の世界に表現するだけです。
 そこには当面の他者は存在しないのですが、実は、自己と〈ほんとう〉との格闘が他者のこころに深く訴えるものを生むのです。これは逆説的です。譬喩的にいえば、自己という大地に縦穴を掘り続ける。その穴の深さに応じて、他者という大地にまで影響を与えるということでしょう。おそらく大地の深層部は、他者と自己が溶け合っている大地に違いないのです。だからこそ、深く沈潜すればするほど、他者に影響を与えるのでしょう。だから、指示表出は自己表出の深さに影響されるのだと思います。
 別な言い方をすれば、無意味なものほど意味をもっているのです。どうしてかといえば、人間は「意味の病」を生きる動物だからです。「意味の病」に取りつかれている人間には、無意味こそが特効薬なのです。「ひと知るもよし、知らぬもよし、花はさくなり」(武者小路実篤)は無意味をうまく表現していますね。

  
2009年01月04日
新春法話メモ!

因速寺 2009年(平成21年)1月1日午前10時30分〜
                         住職:武田定光 記
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テーマ: −衆生病むゆえに、我病む−
1、人間には変えることのできる問題と、変えることのできない問題があります。変えることのできる問題には、それを変えるだけの勇気を与えたまえ。変えることのできない問題には、それを受け止めるだけの力を与えたまえ、そして何が変えることができ、何が変えることができないかを見極める知恵を与えたまえ。(あるキリスト者の発言)

2、『大無量寿経』の言葉→「我、世において速やかに正覚を成らしめて、もろもろの生死・勤苦の本を抜かしめん」(私は、この世で覚りを開き、人びとをさまざまな生活の苦しみを根本から脱出させたい)

3、48願の第一番の願→「たとえ我、仏を得んに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ」(もし私が、覚りを開いて仏になったとして、ここに苦しみ・飢え・差別があったならば、仏には成りません)

4、『維摩経』の言葉→ 維摩詰言く、「癡(ち)と有愛(うあい)とより則ち我が病生ず。一切衆生、病めるを以て、是の故に我病む。若し一切衆生の病滅すれば則ち我が病滅せん。(『維摩詰経』巻中「文殊師利問疾品第五」)

5、苦の二重性
私が苦しみを感じるということは、如来の救済力が足りないということだ。つまり、如来は、私に対して「ちゃんと救ってやれなくて、ほんとうに申し訳ない」と謝罪していることになる。娑婆を生きる「苦しみ」がなくなるわけではない。その苦しみが、単なる苦しみの愚痴ではなく、如来の謝罪に変化してくる。

6、蓮如上人の言葉→「わがこころにまかせずして、こころをせめよ。仏法はこころのつまるものかとおもえば、信心に御なぐさみ候う」と、おおせられそうろう。(『蓮如上人御一代記聞書』)

6、芹沢俊介『若者はなぜ殺すのか』(小学館101新書)
 「リストカットする若者たちの中には、痛みを感じないという人たちが少なくない。切ったからといって、必ずしも、痛みという健康な身体感覚として『ほんとうの自分』の存在感覚が戻ってくるわけではない。(略)香山リカは、自傷行為の最中に部屋に入ってきた愛犬に傷口をなめられたとたん『“素”に戻り痛みを感じた』という少女の話を紹介している。このエピソードは二つのことを私たちに教えている。ひとつは、切ることが、“素”に戻る通路になっていないということ。もうひとつは、愛情(無条件の受けとめられ体験)の重要性である。愛犬になめられるという思いがけない事態にみまわれたとき、少女の身体が痛みを感じたということは、“素”に戻る通路が『愛情』であることを示唆している。少女の身体に痛みがよみがえったのは、愛犬の無心の愛情行為、自分の『生きづらさ』の表出がまるごと受けとめられている、という感覚を通してであった。」
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元旦の10時半〜、毎年「元旦初参り(修正会)」を開催しています。今年は、「よびごえ」にご案内を載せることを忘れてしまい、みなさんにはご迷惑をお掛けしました。「今年は、やらないの?」という問い合わせもありました。ごめんなさい。
ついうっかりということが、俄然多くなりました。自分も他人も呆れるほどです。ひとの名前は忘れるは、もうどうしようもありません。これは、ひとえに私という人間の特性だと思えますから、ご容赦下さい。別に、悪気があってのことではないのです。
 今年は、メモにもあるように、「他者」ということを念頭において話してみました。自分が安心していることを確保してくれる他者、この他者なしにひとは安心できません。
 自分が自分を形成するためには、他者が必要です。自分がポツンと存在しているわけではないです。生まれてからこのかた、無数の人間関係の中で造形されてきたのが「自分」です。ですから、他者に影響され、造形されてきたのが「自分」というおかしなことになっています。
 「自分」は他の人間ばかりでなはく、食べ物や気候などの環境を自分の身体として受け入れてきました。ですから、「自分」は自分以外のものによって存在せしめられているわけです。しかし、それだからといって、「自分」は他の様々な存在だと思ってはいません。「自分」はやはり、唯一無二の「自分」だと思っているのです。これが面白いですね。まぁ「自意識」というやつでしょうけど、なぜ自意識が生まれるのか?これも面白い問題です。
 一旦自意識が誕生してしまうと、他者の影響を受け続けるのです。「自分」がどんな人間になってきたかは、どんな環境(他者・自然等)を生きてきたかが形成します。先天的なものと、後天的なものがありましょうが、先天的なものといえども、遺伝は何世代にもわたって形成されてくるものだとすれば、後天的なものなのかもしれません。
 ともかく、「自分」が「自分」として、安心して、安定して生きられるというためには、どうしても「他者」を内在化していかざるをえません。他者の目をいつも繰り込んで自分を見つめるということになります。他者の目が繰り込めないと、閉塞します。自分だけの世界に閉じこもろうとします。閉じこもって、閉じこもった世界が、「世界」そのものだと錯覚してゆきます。そこはお母さんのお腹の中のように安泰で安心で快適な世界でしょう。
 でも、そこから出て生きるということが生きることなのです。どうしてかはわかりませんが、そういうことでしょう。出会うということは、出て会うのですよね。
 冷たい風を感じ、重たい体を引きずっていきなければなりません。どうしてなのか?たぶんそれは「修行」なのでしょうね。修行というイメージが「生きる」ということには、フィットしそうなので、修行だと言っておきます。でも、その修行は、何か目的があってやる修行ではありません。目的を持ってしまうと、〈いま〉はそのためのプロセスということになり、欲求不満が溜まっていくばかりです。そういう修行ではなく、目的のない修行をしているのです。その修行はなんのためなのか、そのシナリオを人間は知らない。知らされていないのです。
 知らないで修行なんかできるか!と言われるかもしれません。でも知ってしまうこと以上に、知らないことのほうが安心しませんか。「生きる」ということに目的があったら、こんなにつまらないことはありません。いやいや、パイロットに成りたいとか、運転手に成りたいとか、そういう目的は大いにもっていただいたほうがいいのですよ。その人生の究極の目的という問題で言っているだけです。
 案外、目的のないことで人間は救われているのです。酒を飲むとか、散歩するとか、昼寝するとか、絵を描くとかね。趣味というと、なんだか有閑者の愚かな行為のように見られがちですが、「趣味」とは、究極的な目的のない行為ですよね。それをやって金をもうけようとするひとはいません。ただ絵を描くことがうれしい。ただ歌うことがうれしい。ただ歩くことが楽しいという、目的と行為が一致しているのです。そのとき人間は、解放感を得るのです。
 これを「生きる」ということまで広げて考えてみたらどうでしょうか。生きるということを趣味にしてしまったら、これほど素晴しいことはありません。決して、遊んでいるということではなく、いろんなことをやっているのですが、その全体が、無目的の趣味だと見切れれば、持って瞑すべしでしょう。
2008年12月29日
不定期雇用のブラジル日系人労働者について、テレビが報じていました。突然の解雇で、ブラジルに帰らなければならなくなったというのです。まだ貯金のあるうちに航空券を買って帰るのだそうです。貯金のないひともいるとも言ってました。日本では生きられないけど、ブラジルなら家族が生きられるということらしいです。どうしてブラジルなら生きられて日本では生きられないのでしょうか。
それを聞いていて、日本が、なんだか護岸工事が済んだ河川のように感じられました。日本の里山は、多くの河川が護岸工事をされています。あれを護岸工事というのかわかりません。水路をコンクリートで固めて、大量の水が流れても暴れないようにするための工事です。人間にとって、あの工事は都合がいいようです。氾濫の危険もなくなり安全になったということでしょう。それとも国土交通省から地方に流れてくる予算消化も関連しているのかもね。
ともかく、上流の水が一気に下流へと流れていきます。いまの日本全体の感覚は、こんな感じです。護岸工事をするまでは、川は豊かでした。葦が生えていたり、淀みがあったり、曲がりくねっていたり、急流があれば緩流もあり、水辺にはいろんな生き物たちが暮らしていました。魚たちは、急流には卵が生めないので、緩やかな淀みに生みました。タガメやヤゴが、小石にへばりつき、モロコがスイスイと泳ぎ回っていました。
私にとって、川は、まだまだ未知な世界でしたし、生き物たちの世界が小さな宇宙のように感じられました。
護岸工事は伏流水の流れも変えてしまいました。川は、地表を流れますが、川にそって地下に伏流水となっても流れるのです。護岸工事をすると、伏流水が流れなくなるそうです。いままでの井戸が枯れたりもすると聞きました。
どうでしょうか。いまの日本は護岸工事をされちゃったように感じませんか。一度流れ出したら、一気に下流に流され、どこにもつかまるところがありません。淀みがないのです。いろんな生き物が生きられる川は、なくなったのでしょうか。そして様々な人びとが暮らせる日本はなくなったのでしょうか。
これからは、河川にあえて淀みを作らなければならないということでしょうか。
以前、東本願寺の鳩の糞が問題になって、西側に鳩の家を作りましたね。最初は鳩が警戒して近づかないから、エサを定期的に蒔いて、なんとか鳩の家に住んでもらおうと努力しました。でも、全然ダメでしたね。人間が考えた家を、鳩はお気に召さなかったのです。人間がよかれと思ってしたことは、だいたい裏目に出ることが多いです。ひとつを手に入れれば、ひとつを手放すという状態が人間のやり方のようです。
景気悪化がマスメディアで報じられるたびに、こころを痛めているひとは多いでしょう。でも、オイルショックのときも、バブル崩壊のときも、なんとか人間はそれを乗り越えてきたのでしょう。ですから、なんとか乗り越えていきたいと思います。またいけるでしょう。
『すべての経済はバブルに通じる』( 小幡績・光文社新書)を読みました。金融資本主義は必ずバブルになる必然性があるんだというのです。あらためて人間のもっている浅知恵というものを考えさせられました。やはりいまの時代は「考える」ということ以外にないでしょうね。よくよく「考える」ということをすることが、未来の扉を開くカギだと思います。
2008年12月23日
芹沢俊介さんから『若者はなぜ殺すのか』(小学館新書)を送っていただきました。そのなかで、印象に残っているシーンがあります。それは、リストカットをしたひとの話です。リストカットをすることで、赤い血が流れ、その血を見て生のリアリティを取り戻すらしいのですが、実際にカットをしているときには痛みを感じないのだそうです。ところが、ペットのワンちゃんが、腕から流れる血をペロペロとなめたとき、そのひとは急に痛みを感じたという話が紹介されていました。
 ワンちゃんは、無条件にそのひとを受け入れている存在です。そして無条件に受け入れられている存在に舐められたとき、初めて痛みが「痛み」として自覚されるというのです。それを読んでいて、「痛み」という生理的な感覚すら、愛という土台がなければ、成り立ちえないのだと教えられました。
 リストカットは、皮膚の感覚としては痛みをともなうものでしょう。しかし当人には、その皮膚の感覚が脳まで届かない、あるいは届いていても、どこかで痛みを遮断する生理がはたらいているのかもしれません。自己没入をしているときには、痛みすらない。痛みがないということは、生のリアリティすら感じられないということでしょう。つまり自分が自分であって、「自分」として意識されることがないわけです。そこには自分も他者もない、ただ茫洋としたイメージの世界しかないようです。
 ペットとは、完全に人間に依存し、完全に身を委ねている存在です。そして人間は完全に身を委ねてくれる存在に対して、愛を感じる生き物です。何の条件をつけるわけでもなく、すべての存在をわたしに与えてくれる存在です。「そのままのあなた」であっていいよと丸のまま受け入れてくれる存在です。
 その無条件の身の提供をうけたとき、そのひとは「痛み」が初めて痛みとして感覚できたというのです。ペットが皮膚から流れる血を舐めたというのは、なんという暁光でしょう。当人にとっても、それはあまりに偶然の出来事であったことでしょう。「いたい!」と感じたというのは、どんな感覚だったのでしょうか。ワンちゃんの舌のざらついた感覚が感じられたでしょうか。あるいは、血を舐めたワンちゃんが、うまそうに尻尾を振っていたのでしょうか。それとも飼い主をいたわるように、慰めるように舐めてくれたのでしょうか。どんな感覚だったのでしょう。
 この「いたい!」は、当人が現実に戻ってこられるきっかけになりました。
逆に考えてみると、「痛み」を感じられているということは、もともと愛という土台が成り立っているということのあかしかもしれませんね。
 この生のリアリティというやつは、なんと厄介なものでしょう。リアリティを、ひとは生きているに違いないのです。でも、それがリアリティという新鮮な実感につながらないのですね。だから、それを感じるためにリストカットをするのでしょう。しかし身体を傷つけたくらいでは、リアリティに到達できません。そこには必ず「他者」を通してしか開かれない扉があるようです。
 
2008年12月13日
私たちは、どうも見えない泡のようなものに包まれて暮らしているのかもしれません。ひとりひとりが、その泡の中に入っていて、その中から世界を見ているのです。
「俺のことを分かってくれる人間なんて、どこにもいやしねぇ〜」という言葉と出会って、そう思いました。「いまの社会は!」とか「世の中ってやつは!」とか、私たちは、すぐにその泡の中から世間や社会を批判したくなります。それで世間や社会を批判したつもりになります。世間とか社会には、多種多様な人間が暮らしていて、それらの個性をまったく殺してしまって、「世間」とか「社会」という言葉を使うんです。
自分対世間、自分対社会という構図で考えると、どうもものごとの本質を見失うように思います。
「どうせ世の中、欲と金じゃねぇーか!」という捨てぜりふもそうですね。それから、秋葉原殺傷事件の加藤君もそんな感じがします。自分だけがとても孤独で、世間から疎外されている被害者だと感じていたようです。自分は孤独で、世間のやつらは幸せという構図で考えています。
そういう構図が生まれてくるのは、やはり、自分を包んでいる泡の中に暮らしているからでしょうね。別の譬喩を使えば、自分だけの「色眼鏡」を掛けて世間を見渡しているといってもいいでしょう。
昨日、建築会議があり、会館のガラスの色を決めることになりました。そのときサンプルのガラスをもって、世間を見渡してみました。グレーのガラスで世間を見るのと、茶色のガラスで世間を見るのとは、じゃっかん感情が変化するんです。グレーよりも茶色のほうが温かく感じるんです。
ははーん、やっぱり私たちは、みんな自分色の色眼鏡を掛けて暮らしているんだなぁと、あらためて感じました。この「自分色」というところがミソです。そのサングラスに色がついていれば、色を意識することができるのですが、自分色は、透明なんです。サンプルの茶色ガラスで、ずーっと見ていると、それが当たり前になって、色がついていることすら忘れてしまいます。それと同じです。「自分色」は自分にとって透明になっていて、色を意識できないという欠点があります。
この「自分色」を意識することは不可能なのでしょうか。おそらく、自分の見え方が正しいかどうかは、分からないという思いをこころの奥底に持っていないと、それは不可能でしょうね。相手も色眼鏡を掛けていて、自分も掛けています。無色透明な真実の眼鏡はありえません。
勝負は、やはり自分の見え方を相対化することです。どこまで相対化できるかということが、人間として成熟するということでしょう。それは「自分色」の色眼鏡にとって、恐ろしいことなんです。自分だけは特別で、自分だけが美しく、自分だけが尊いと思っているのが「自分色」ですから、その特権を剥奪されることですからね。相対化ということは、自分も相手もボチボチだという地平に、立たされますから、それは耐えられないことなんです。
ナルシスがギリシャ神話に出てきます。水面に映った自分の顔を、うっとりしながら眺めているのです。最後には水におぼれて死ぬのです。自分がナルシスだと見えれば救いがあります。でもナルシスは自分を相対化することができなかったのです。水面に映る自分の顔を「自分色」の眼鏡で見てしまったからです。
果たして、自分はどんな顔をしているのか、ほんとうのところは分からないのでしょう。「自分色」の眼鏡を外してみたら、どんな顔に見えるのでしょう。
2008年12月06日
どうも人間の問題は、人間の頭の中にあるように思います。小生を批判する文書がネット上に出いて、曽我量深とか安田理深というビッグネームの文章を引用することで自分の論理を権威づけていると書かれていました。
こっちとしては、そんなつもりはまったくないのですが、どうしてそういうふうに読めるのかを考えてみたのですが、やはりそのひとの頭の中に権威主義があって、その権威主義の眼でみたとき、小生の文章のなかに権威主義的なものが引っかかってきたということではないでしょうか。
曽我量深の表現が正しく、それを権威だとみているそのひとの眼があるのでしょう。もし先人の表現が権威だとするならば、先人の文章を引用することはすべて権威主義になってしまいませんか。後からいくものは、先人の言葉を手がかりにするものです。それが「学ぶ」ということの本質でしょう。
そんなことから世間を見渡してみると、人間の様々な問題は、どうもそのひとの頭の中に問題があるように見えてきたのです。そのひと自身にこだわっている部分があると、そのこだわっている部分で、ひとの姿が見えてきてしまうわけです。
どうもあいつは威張っているなぁ、どうして威張っているんだろうと、そのことが目につきだすということも、自分の中の「威張りたい願望」が反応しているのかもしれません。もっといえば、ひとは自分の見たいようにものごとを見ているということかもしれません。 深層心理学のユングは、自分のこころの深層に「元型archetype」というものを見いだしました。グレートマザーとかアニマとかアニムスというのが有名です。ひとがあるひとを好きになるのは、なぜなのかといえば、それは自分のこころの深層にあるアニマ(アニムス)が反応しているからだというのです。つまり、自分では、なぜそのひとが好きなのか説明ができないのです。それはもっと深層の意識のなかのアニマ(アニムス)があって、それに似たイメージのひとを好きになることだと説明したのです。
アニマ(アニムス)は固定したものではなく、時代とともに違った顔を作り出してくるようです。そう説明されると、なるほどとうなずけるものがあります。
どうしてもナスが嫌いだ、どうしてもネギが食べられない、どうしてもレバーが苦手だというのも、アニマ(アニムス)が反応しているのかもしれません。
そう考えてみると、自分の日常は、自分でも感じ取れない元型に左右された生活だと思えます。元政務次官を殺害した小泉容疑者も、その元型的なものに左右されていたのではないかと思えます。自分のなかに、どんなグロテスクな元型を育てているのか、それを外化する場面がないと、どんどん鬱屈していくように思います。やはり、人間には外化(aufheben)することが必要なのでしょう。少しずつガス抜きをしていくことです。
歌うのも「外化」でしょう。なぜひとは歌うのか、それには答えはありません。でも歌うことでエロスが開花し、ガス抜きがされてゆきます。
呼吸もそうです。新鮮な空気はため込むことができません。すぐに吐き出さなければなりません。吸って吐いて、吐いて吸って、それが「生きる」ことです。
2008年12月03日
11月は、東京にいる機会が少なく、ちょっと更新が滞ってきてしまいました。
ニュースを見ても、暗い話ばかりで、なんだかテレビをつけるのが嫌になってしまいました。新聞程度の圧迫感でちょうどいいなぁと思います。
どうしても映像と音声は、私のこころの奥底まで届いてしまうようで、感情がかき乱されます。そんなことはありませんか。
先日、テレビのない生活を二日間送っていたのですが、実に、頭がスッキリしてきました。書物や新聞はあったのですが、テレビのない生活は、実にいいなぁと思いました。ちょっと実験的に遮断してみるのも、新鮮な「生」を取り戻す方法ですよ。
テレビがなくても、案外、娑婆はそうそう激変していませんからね。相変わらずといった印象です。いつも言うように、人間を一万年単位で考えてみることが大切なんです。そうすると、そんなに人間は変わったことはやっていませんからね。そのくらいの腹のくくり方をして、ものごとに関わるべきです。とはいえ、目先のことで、ガタガタ争っているのが小生の日常でもあるのですがね…。
昨日、中島みゆきの「夜会」に行ってきました。なかなか取れなかったチケットを、奮闘努力の末に、獲得しました。申し込み日の午前十時をめがけて固定電話と携帯電話をもち、一生懸命電話をかけまくって、ようやくゲットしました。電話がつながったときには、心臓がドクンドクンと激しく動いたことを覚えています。えーっ!ほんとにつながったのぉ!と、夢心地でした。
会場は、赤坂サカスの赤坂アクトシアターでした。当日の会場は満席です。入り口付近に「チケットを譲って下さい」と手書きで書かれたプラカードをもっている女性が立っていませした。ごめんなさい、という気持ちで中へ入りました。聴衆は、小生よりも年長のひとたちが多かったように思います。確かに若い人もいるんですけど、やはりうちの教団の聴衆とやや重なってるなぁと安心しました。
「夜会」も15回目だそうで、その都度いろいろなテーマをもって行なわれているそうです。ミュージカル仕立ての演劇でした。コンサートを期待していた我々は肩すかしを食らったような感じでした。今回のテーマは、「山椒太夫」(安寿と厨子王)に沿ったものだったらしいです。でも、みゆきの思い入れが強すぎて、聴衆にテーマが伝わってきませんでした。それなりに部分部分は、なんとなく理解できるものもありました。全体にはなんだかなぁという印象でした。
みゆきは、やはりシャーマンだったという印象がつよかったです。声色もいろいろなものがあるし、語る言葉もシャーマンでした。
おそらく、もうコンサートでは満足できない体になっているんじゃないかと思います。物語を自分で作って、それを自ら演じ、その中に興じながら陶酔するという、願わくば、聴衆も、そこに巻き込んでしまいたいという雰囲気でした。
しかし、これからもみゆきを定点観測してゆく所存です。またまた、チケットを確保して、チャレンジしてゆきたいと思っています。
2008年11月18日
先日、信州(長野県)の伊那へ行ってきました。伊那西高校・飯田女子高校・飯田女子短期大学の報恩講に招かれてのお話でした。生まれて初めて行く伊那谷は、いろいろなことを思わせてくれました。
ここに行くのは、高速バスが一番便利と教えられ、中央高速を朝八時半のバスで出発しました。電車で行っても時間的には変わりありませんということでした。バスは三分の一くらいしか乗客がなく、ひとりで二つの座席を占めることができ楽でした。新宿を出るときには、まだ秋は早いし、それほど紅葉も進んでいないだろうなぁと思っていました。新宿を出ると、初台から高速に乗ったバスは、一路西へ西へと進んでいきます。
たしかに首都圏は都市熱もあり、あまり紅葉はしていません。うたた寝しながらバスに揺られていると、小淵沢付近になると、ようやく紅葉が始まったのかなぁという感じでした。途中、双葉サービスエリアで15分間の休憩があります。双葉でちょうど半分の時間でした。ところが、岡谷を過ぎて、伊那盆地に差しかかると、みるみる紅葉まっさかりの山々が迫ってきました。右には中央アルプスがつらなり、左手には南アルプスがそびえています。あ〜、あれが木曽駒ヶ岳かぁ、あっちは甲斐駒ヶ岳だなぁと、感動しながら車窓を眺めることができました。
三時間半かかった行程も、それほど長くは感じませんでした。沢渡(サワンド)バス停には、すでに若い先生が自動車で迎えにきてくれていました。バスをおりて挨拶を済ませ、伊那西高校へ向かいました。まず校長室へ通され、校長先生に挨拶をし、次々と先生が紹介されました。するとこのひとがなんと宋正元先生の長男さんでした。そういえば、実に似ている。先ほど迎えにきてくれた宗教科の若い先生は、この四月に伊那西高校に就職したばかりの狐野先生でした。エーッ、あの専修学院長の狐野秀存先生のご長男でした!びっくりが二つ続きました。
午後から講堂で学生たちが勤める音楽報恩講でお話をしてきました。テーマは「問いの中に答えあり」です。
自分もみなさん方と同じ年頃のとき、何を考えていたんだろうと思い出しながら話しました。自由に使える金がほしいとか、彼女がほしいとか、もてたいなぁとか、もっとかっこよくなりたいとか、顔のニキビを治す薬がないかなとか、ひとからどう見られてるのかなぁとか、精神的にとても不安定な時期を送っていたと思います。
でも、その不安定そのものが「問い」なんですね。別に、取り立てて、「何々の問題について考えてます」ということじゃないんです。どうしても気になって仕方がないということが「問題」ということです。
それらをひと言で突き詰めれば「劣等感」だったように思います。結局、ひとからどう思われるか、ひとに好かれるにはどうするか、これが問題関心だったのでしょう。つまり評価の根拠を「ひと」というところに置いているんです。ひとが、自分を気に入ってくれれば、自分は安心だけど、ひとから嫌われたら死んでしまいたくなるということです。
つまり自分に根拠を持てないということは「自信がない」ということなんです。いかにもひとの評価なんか気にしていないぞ!おれはおれの道を生きていくんだと力んでみても、ダメなんです。やっぱり「ひと」が気になるんです。
これが不安の根拠だったのです。いまから思えばね。特にここは女子校ですから、美醜の問題は大きな関心でしょう。生まれつきかわいく生まれていれば別ですが、たいだいそうではありません。そこに「劣等感」の地獄というものが待っています。
でも、この問題は、あなたにしか解くことのできない大切な問題なのです。この問題にぶち当たったということは、悲劇です。でもこの悲劇は、仏さまからの贈り物でもあるのです。この問題を抱えて生きるところに、「生」が深まっていくのです。人間として「深まって」いくのです。それを「深化」と私は呼んでいます。生きることは「深化」することだと思います。深くなければ、ただ飯食って排泄しているだけですからね。そして自信をもって「自分」を生きられるようになってもらいたいと思います。
その夜は、飯田女子短大と飯田女子校と伊那西高校の先生と会食し、翌日、ふたつの学校でお話をして、夕方四時のバスで東京へ戻りました。帰りは四時間十五分かかり、お尻が痛くなりました。夜は寝てしまえばいいのですが、四時間は連続で眠ることは不可能です。やはり遠いのかなと思います。
しかし、若人のエネルギーを感じました。私は、話というものは聴衆が話し手から引き出すものだと感じています。話し手は、それなりに話の準備をしているのですが、会場の現場では、そのとおりにいきません。今回も同じテーマで話したのですが、多少内容が違っているのです。ですから、ほんとうは、私が話すというよりも、聴衆が私から話を引き出したということが真実だと思います。私は、しゃべる機械であって、それを操縦しているのは聴衆なのです。
まぁ若人たちに、私の話がどんなふうに響いたかはわかりませんが、人生という書物のほんの一行にもとどめていてくれれば、それこそ幸甚のいたりでしょう。
2008年11月10日
生きる意味があれば、「これこれ、しかじかのために、これをやったんだ」と言い訳できるからね。この行為は、このためだったんだと理由付けしたいんだね。
「哲学は、概念で説明し、宗教は物語で説明する」といわれますが、どうしても物語を抜きにして、人間は生きられないように思います。個々の具体例を捨象して、抽象的な概念にして説明するのが哲学です。「存在」とか「理性」とか、「実在」とか、「真理」とか「絶対項」とかね。確かに、うんと捨象していくと、数学に行き着くのかもしれません。 一方、人間が生きるというときには、どうしても物語性が必要です。それは宗教の特徴だといわれますが、もともと宗教性そのものが人間性なのではないでしょうか。
ひとは幼少期にも物語が好きです。おとぎ話とか昔話が好きです。自分の人生を物語の中に置き換えて、自分の〈いま〉を理解しようとします。自分が物語の主人公であることは間違いありません。決して脇役ではありません。もっといえば、自分は舞台そのものです。自分という舞台の上で〈自分〉を演じるのです。
幼少期の幻覚ですが、自分のこころが暗くなると、空が曇り、晴々とした気分になると天気になると感じていました。自分のこころが天候を左右しているのではないかという幻想に取りつかれたことがあります。
デジャブを感じたのは、青年期でした。既視体験というやつです。旅行で初めて行った場所で、「ここは以前訪れたことがある」と実感するのです。そういえば、「金縛り」もそのころに多かったように記憶しています。
母は、近所のおじさんの夢をみたと言ってました。おじさんが母の腕をつかんで、助けて下さい、助けて下さいとせがむのです。そこで目が覚めたら、電話が鳴り、おじさんの死亡通知を聞いたといいます。これも不思議なものです。
そこから深入りしていくと、オカルトの世界に入っていくのでしょう。でも、オカルトと〈日常〉は融通していて、切り捨ててしまうにはもったいないと思います。
ともかく、ひとには物語性が不可欠でしょう。
生の臨床には不可欠です。ただし、ものを考えるときにだけ概念は必要です。具体性を捨象しなければ、物事は考えられません。抽象は、人間のこころの特権です。まぁ、考えるということ自体、抽象のなせる技ですけどね。
最近、小生は、「永遠から、何十億年かけて人間に生れ、再び死んで永遠に還っていく」という物語で、ひとのいのちを語ったりします。還っていくいのちです。決して、梅原猛のように、あの世とこの世を行ったり来たりするというイメージではありません。還るというイメージだけでいいのです。阿弥陀経の「倶会一処」は、そういうイメージでしょう。すべてのいのちが還っていくというイメージは、好きです。真っ赤な落日をみると、すべてが西方に還っていくという感じがつかめます。
以前の小生は、落日が嫌いでした。実にもの悲しくなるのでした。落日を見て、涙を落としたこともあります。とても虚しく感じていた時期です。最近では、落日が好きになりました。やはり「往きの眼差し」から「還りの眼差し」に眼が転じたんでしょうね。生から死を見るのではなく、死から生を見つめてみるのです。180度の転換ですが、これが人生を違ったものに見せてくれます。
もともと、ゼロなのですよね、私たちは。ゼロから出発してゼロに還っていくのです。その途中にいろいろな形をとったりするのです。それも自分の意志とは無関係に。
寺の天水桶に、セミの亡骸が沈んでいます。このセミ、私と同じです。セミになりたくてセミになったんじゃない。ひとに生まれたくて、ひとに生まれたわけじゃない。でも、そのいのちを生ききった姿は、あっぱれ!というしかありません。
あっぱれな人生を送れれば、それでいいのでしょう。
自分という物語を大切に、そして丁寧に生きてゆきたいものです。
2008年11月06日
今年の報恩講は、二階堂行邦先生と芹沢俊介先生においでいただきました。二階堂先生は、相変わらず、いつでも湧きだす泉のように仏法の味を十分に味わわせていただきました。また、芹沢さんは、王舎城の物語を芝居にするための脚本に取り組んでいることをお知らせいただきました。芹沢さんは『親殺し』(NTT出版)を出版され、現代の親殺しという事件の前には必ず「子殺し」が先行するという論を展開されました。それと『観無量寿経』と『涅槃経』に展開する、王子・阿闍世が父王を殺すという物語をリンクさせながらお話いただきました。
また、親鸞が晩年、長男の善鸞を義絶するという事件についても触れられました。あのような事件で、親鸞を裏切っていく善鸞は、意味的には「親殺し」ですが、それ以前に、親鸞は「子殺し」をしていたのではないかともいわれました。この「子殺し」も刃物で子供を殺したということではなく、譬喩的な意味としていわれるんですけどね。
これも、とても面白かったです。仏教経典は、二千年ほど前に作られたものですが、問題そのものは現代と通底していることがわかります。むしろ現代の問題も古代の問題も、表層のところでは違ったように見えて、実は本質的にはなにも変化していないのではないかとさえ思います。
そうすると、過去にあった問題は、やがて未来にも現れ、現代にあった問題は古代にもあったということになります。「ひとつひとつ誠実に問題を解決して…」などという政治家の発言を聞いていると、いかにも問題が解決されて、問題のない理想の社会が近づいてくるような錯覚にとらわれますね。保革の論戦の場面は、勝ち負けの場面ですから、いかにも説得力があるように思うのですが、遠くから眺めていると、濁ったバケツの水をかき回しているように見えるんですけど、これって余りに悲観的な見方でしょうか。
 どうも、人間が生きるということは、それ全体が、修行のように思えて仕方ありません。仕事をするとか、勉強するとか、生きるということ全体が修行でしょう。ただ、なんのための修行であるかを教えられてはいません。仏教は成仏を目的としていますから、一応、「仏に成るための人生だ」と答えます。しかし、果たして、その仏とは何かと問いだすと、大変なことになります。面白いことに、目的をもつということは、人間に二重の意味を開きます。ひとつには、「そのために人生はあるのか!」と人間をアグレッシブにします。もうひとつには、「○○のために生きるということは、すべてその目的のための方法・手段になってしまう」、つまり「〈いま〉を生きられない」という悲劇を生みます。こっちの面が見落とされることが多いです。
 受験生が、合格という目的をもって励んでいるときは、辛く、また充実している日々を送っていますが、いざ合格すると「五月病」に罹るのです。目的は達成されたら、魅力を失うのです。だから、決して達成できない目的をもつことが人生を積極的に生きられるコツなんでしょうね。「仏に成るため」などと、抽象的な目的を立てておけば、まあ問題ないのです。
 それで人間は満足できるのかというのが、親鸞の問題にしたことではないでしょうか。目的を未来に立ててしまえば、仏教として一応の安泰は得られるけど、それでは一生涯満足はありません。すべてが未完ですからね。修行の途中なんですから。
 〈いま〉に満たされるということはどういうことか?というのが親鸞の問いだと思います。それで親鸞は、一気に〈永遠〉に突き抜けたんでしょう。〈永遠〉という視点から、〈いま〉を見つめる視座が開かれたのです。これを「還りの眼差し」といいます。同じ〈いま〉であっても、「往きの眼差し」で見るのと「還りの眼差し」から見るのと違いです。
〈いま〉に満たされるのが「還りの眼差し」です。「往きの眼差し」で見れば、すべては未完であり、不満です。
 野に咲く草花を、「往きの眼差し」で見るのか「還りの眼差し」から見るのか。自分はどっちだろうか。これから草花を見つめてみたいと思います。
2008年10月31日
自分を映す鏡が必要ですね。鏡がないと、「自分」しか無い人生で終わってしまいます。「自分」中心に物事を考え、感じていくしかありません。まぁ、普通は、これ以外にないんですね。自分が快く、自分が得をして、自分が善いと思い、なんでも自分の蒔いた種は自分が責任を取れると思って生きているのです。それが一人前の大人だと思っているのでしょう。しかし、ほんとうは、その考え方だと「自分」が見えない生き方です。自分から他者を、あるいは世界を見ている限り、そこには「自分」は見えません。これはごく普通のことです。洗面所の鏡を見なければ、「自分」が視界に入ることはありません。ですから、鏡を見ているときとか、たまたま通り掛かった銀行のガラスに自分の姿が映ったときなど、ハッと「自分」を意識するのです。普段は、「自分」を忘れて生きています。「我を忘れる」なんていう言い方をしますが、あれを地で言っているのが私です。我(自分)なんて、見えていないし、忘れきって、まわりの情報に刺激を受けたり、唆されたり、触発されながら日常生活をしています。
宗教というものは、その「自分」しかない存在に「汝」を作り出すことです。つまり、向こうから映し出された自分を意識することです。その「向こうから」というのも譬喩なんですけど、要するに、自分をいつでも意識しながら生きることです。「向こう」に何かあるのか?といわれても、そんなものはないのです。
それは反省ということか?と聞かれると、「そうではない」と答えます。反省とは、自分のこころに映った自分を、善いとか悪いとか評価することです。評価しては、劣等感に落ち込んだり、優越感に浸ったりするのが反省です。そうではなくて、ありのままの自分を意識することです。その場で何を感じ、何を思い、何をやろうとしていたのか?そのありのままの自分を意識しながら生きることです。それを「汝」としての自分を持つと小生は言っています。
植木等の「わかっちゃいるけど、やめられね〜」という歌がありましたが、私の人生そのものを物語った言葉だと思います。まあ「やめられね〜」にも程度がありますけどね。飲酒運転が悪いのを「わかっちゃいるけど、やめられね〜」というわけにはいきませんね。法律に引っかかるようなことは、普通はやっていないでしょう。もっと、微細に自分のこころを意識していくと、ほんの少しの自分のこころの動きに意識が届いていきます。
つまり欲望に突き動かされている自分のこころに意識が届いていきます。欲望をとどめようと思っていても、とどめようとする意識以前に、欲望のほうがはやく動きます。もうまったなしで欲望(煩悩)は動きます。煩悩の動きは、とてもはやくて、いつでも意識以前に動いてしまっているのです。ですから、意識で止めることができません。
そんな欲望の素早さに、いつもしてやられる自分自身を意識させられます。これって「汝としての自分」です。「自分」と「汝」というふたつの主体をもっているのが宗教的主体の特徴です。「自分」だけじゃ、ほんとうは「自分」も無いのです。「汝」として見いだされて初めて、「自分と汝」という二つが成り立つのでしょう。
「煩悩に馳せ使われて、去年今年(こぞことし)」という言葉を思い出しました。まさに、このとおりの自分です。
2008年10月24日
「コンニャク畑」というゼリー状の食べ物を喉に詰まらせて死亡した事故があり、企業は生産を中止したといいいます。昨日は、パンを喉に詰まらせて死亡した事故もあったようです。
 現在の状況は、すべて製造者責任ということがまかり通っているようですが、この傾向はいかがなものでしょうか?それだったら餅も製造中止にしろということか!と憤慨してる良識人もいます。確かに、賞味期限の問題や、農薬混入で食の安全が危機にさらされているときだから、一段と過敏に反応してしまうことはあるのでしょう。でも、ちょっと行き過ぎだと感じているひとは多いでしょう。
 コンニャク畑は食べ方の問題ですから、ひとえに消費者の責任でしょう。正月になると餅を喉に詰まらせて亡くなるご老人が必ずいらっしゃいますが、あれで餅の製造販売を禁止したという話は聞きませんよね。でも、この調子だと来年あたり、餅は製造禁止になりかねません。おそらく数年もたてば、日本人はなんであんなおかしなことをしていたのだと振り返ることもできるのでしょうが、渦中では無理なのでしょう。
 オイルショックのとき、トイレットペーパーを買うために、走り回った記憶も新しいじゃありませんか。後から振り返ると、なんて馬鹿げた!と思えるのですが、渦中では無理なのです。まさに、いまは渦中ですよ。
 小生が子供のころは、近所に空き地と称される場所があって、そこで子供たちは自由に遊べました。事故を起こしたりもしました。近所には運河に貯木し材木を?留している場所もありました。その材木から足を滑らせて亡くなる子供もいました。ある意味、日常に
危険性はつきものでした。でも、それで文句を言ってくる親などひとりもいませんでした。
 日常から、危険という要素をどんどんそぎ落としてきたのが私たちの文化です。でも、危険をそぎ落とせば、そぎ落とすほど、人間の中におおきな澱が溜まっていくのでした。もともと、私たち人間には「危険」がつきものなのです。実に危険です。頭に飛行機が落ちてこないという補償はありません。大地震のとき、地下鉄に閉じ込められるかもしれません。夜中に放火魔がやってきて放火されるかもしれません。留守中に泥棒が入るかもしれません。いろんな危険が日常には潜んでいます。それらを取り除けば、それで安心だと思っているのですが、それをそぎ落とすことは不可能です。警備も防災も厳重に作り上げていくと、建物はすべて刑務所になってしまうそうです。外から進入されないように壁を高くし、鉄格子をはめ、警備を書ける。放火されても燃えにくいコンクリート製の壁にする。地震がきてもびくともしない頑丈な建物にしてと、いきつく建物は刑務所です。
 以前の日本人には、善い意味の「自己責任感」がそなわっていました。しかし、最近は、自分は善人、他人は悪人。問題はすべて企業にあり、自分は無罪だという発想が蔓延しています。これは恐ろしいことです。まさに「善人文化」ですね。自分たちは、いままさに「善人文化」の渦中にいるのだと自覚していなければなりません。
 善人文化の最たるものが、モンスターペアレント、モンスターペイシェント、モンスター門徒などです。彼らは、自分はちっとも間違っていないと思っています。悪いのは、学校や病院や寺だと思っています。でも、彼らをそのようにさせたのは、「善人文化」なのです。彼ら自身が悪いのではなく、文化のウィルスに罹ってしまっただけなのです。
 文化のウィルスに罹っていることに、自覚症状がなければダメでしょう。

2008年10月19日
目の前のひとの、つまり、いま、目の前にいる家族のワガママな振る舞いに対して、どうしても「許せん!」という思いが沸き上がってきます。
沸き上がってきては、「これではいかんなぁ…」と、沸き上がってきた後から、思い返します。この思いは、つねに後手、後手なんです。
争いごとは、必ず正義と正義のぶつかり合いだとじゅうじゅう知っているのですが、それでも止まらないです。絶対の正義を知らない以上、自分の側に立った正義を主張しているに過ぎません。そういうことでしょう。
他者に対して怒りを感じるということは、煩悩が正常に働いていることですが、怒りを感じた人間自身をさいなみます。そして、もっと深い問題は、やはり浄土を信じていないということなんですね。浄土とは、「一瞬先に死」があるということと同義です。いつでも、〈いま〉という一瞬は、死の一歩手前の時間です。事実は、そうなんです。でも、そうとは思っていないのです。必ず明日はあると思って生きてしまっているのです。明日があると思い込んでいるということは、浄土を信じてはいないということの表れです。
明日は無いのだと骨身に染みていないのです。そう思うと、怒りを感じる場面には、浄土は消え失せているのですね。もし、いま怒りを感じている相手が、次の瞬間にいなくなっていると思えば、怒りは鎮静化します。次の瞬間は、極端ですけど、たとえば明日、その相手が死んでいると思えば、怒りは消えていくはずです。
よくお葬式の場面で、「こんなに早く亡くなるのだったら、好きなお酒を飲ませてあげればよかった…」と漏らす遺族の言葉を耳にします。肝臓ガンだから、家族は故人に飲酒を禁じていたんですね。これを敷衍すると、人間は、あっと言う間に死んでいきます。その時点から、以前を振り返って、「好きな●●をさせてあげればよかった」というのです。そうであれば、普段から、家族の好きなことをさせておけなければなりませんよね。いつ死がくるか分からないのですから。でも、それができないのです。
怒りを感じる相手が、明日にはこの世にいないのだと真から思えたら、どれほど幸せでしょうか。でも、それができない愚かさが「私自身」です。そう思うことも煩悩でしょうね。
どこかで、怒りの無い自分がいい、怒りは抑えたい、もっと平穏な日常を送りたいという貪りなんでしょう。やはり、自分の力で自分を救いたいという自力のこころの表れなのですね。全然、仏さんを信じていないことが、これで証明されますね。まったく。

2008年10月14日
親鸞は、『教行信証』(信巻)で、仏意釈というものを書いています。
 如来(仏)は、人間を超越しているから、そんな仏のこころをわかるはずはないといいます。しかし、そのこころを推測してみると、という書き出して始めています。ちょっと面倒くさいですが、原文を引きます。
仏意測り難し、しかりといえども竊かにこの心を推するに」とまず述べます。
 「仏意測り難し」と、まず超越している仏意など人間がわかるはずがないと言い切ります。ここまでは、だれでも理解できるでしょう。しかし、そこから「しかりといえども竊かにこの心を推するに」と語る部分がわかりません。超越しているものを、どうして人間が推し量れるのでしょう。
 その理由が長々と述べられます。「
一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして、清浄の心なし。虚仮諂偽にして真実の心なし」と。人間のダメさ加減をじゅうぶんに語った後、「ここをもって如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫において、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざることなし、真心ならざることなし。如来、清浄の真心をもって、円融無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり。如来の至心をもって、諸有の一切煩悩・悪業・邪智の群生海に回施したまえり」と結論します。
 つまり人間は、永遠の昔から汚れきっていて、真実のこころなどというものはない。だから、如来は私たちを悲しんで、私たちを助けるための努力を惜しまなかった。それこそがほんとうの心だし、その大悲のこころを私たちに振り向けてくださったのだというのです。
 自分たちの内面には、真というものはまったくないから、如来が真を振り向けて助けてくれたのだというシナリオです。
 ここで私が注目する言葉は「しかりといえども」と「ここをもって」です。もともと超越している如来は人間には知ることができない。「そうであっても」という逆説をどうして表現することができるのか。
 この「永遠(超越)と世俗(内在)」というテーマは、それこそ人類永遠のテーマだと思えます。
 一神教の世界でも、神が世界を創ったというのですが、これも、どうして絶対者である神の意志を人間が知ることができるのかという矛盾を孕んでいます。
 この永遠と世俗の課題をどう説くかです。 
 親鸞は、「愚」ということを徹底的に掘り下げました。「無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして、清浄の心なし。虚仮諂偽にして真実の心なし」というのは骨の髄までというか、徹底して、どまごでいっても、終始一貫して愚かだということの表明です。
 つまり、どこにも人間には真実はないという披瀝です。その披瀝の根拠として超越性を語ります。つまり、超越性は「ひかり」とも譬喩で語られますが、ひかりはどこまでも対象を明確に照らします。そのひかりが強ければ強いほど、徹底して、どれほどこまかい汚れまでも浮き彫りにします。このひかりとゴミの関係が「超越と世俗」の関係なんですね。
つまり、人間の智恵で内省したかぎりでの愚かさではなく、如来のひかりに照らされた
ところからの愚かさの表現ということが大事な点でしょう。
ここが難しいところです。親鸞のいう愚とか罪悪は、人間の反省から出た言葉ではなく、如来のひかりに照らされたところからの自覚です。しかし、どうして超越性を知らないのに、その超越性に照らされたこころがわかるのか?という問題が残ります。
 これを親鸞は否定語でのみ語ります。「清浄の心なし。虚仮諂偽にして真実の心なし」と否定形でのみ語ります。つまり否定形で知らされる出来事が超越性の証明になります。その「なし」(無し)は、文字だけみれば反省のようですが、反省のこころをも批判している視点からの表現です。反省のこころには、人間的な「暗さ」がつきまといます。しかし如来からの「なし(無し)」には暗さはともないません。もっと静かで穏やかな感情が生まれます。この穏やかな感情を「大悲に照らされて」とか「大悲につつまれて」と譬喩的に表現するんですね。反省とは違うということを述べるためです。
 さらに「如来を知らない」ということは、如来によって照らされた愚かさも知らないということなんです。それを「無慚無愧」という言葉で語ります。

無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまう

蛇蝎奸詐のこころにて
自力修善はかなうまじ
如来の回向をたのまでは
無慚無愧にてはてぞせん

 愚かさを知っていると感じているのは、人間の反省のこころです。それ以上に深い認識は本質的に人間には不可能です。つまり「愚か」だと口では言っていても、本質的には愚かさを知らないのです。それを恥知らずと親鸞は披瀝しています。
 いままで、自分を知っていると思っていた思い、世界を知っていると思っていた思いが、実にちっぽけなものだと知らされます。ほんとうの世界を何ひとつ知らない自分です。全世界を知っていると思っていた知の世界が、ギューッと凝縮されて小さくなってしまいました。目の前にある、携帯電話、袋詰めのミカン・飲みかけの酒のビン・醤油差し、茶筒・ティッシュの箱、新聞、箸立て、マッチ、チラシ、そしてそれらが乗っている机、もう少し遠くにおいてあるテレビ、書棚、紙袋の山、椅子、扇風機、スタンド、食器棚、白い壁、白い天上、フローリングの床、流し台等々。それらを「知っている」と思っていた思いそのものが、ガラガラと崩れていくのでした。目の前にあるそれら物たちは、本質的に何であるのか、実は私は知らないのです。
 人間として、それらをミカンであり、新聞であるとは知っています。しかし本質的に、つまり「ほんとう」には知らないのです。この「知らない」という感覚が増大していくと、まるで、私の目の前の光景は、赤ん坊が目にした世界と同じではないでしょうか。生まれたまんまの自分の見た世界は、おそらくこういう光景だったのでしょう。
 まだ物たちが別々には認識されておらず、一枚の絵のようにぼんやりと認識されていたのでしょう。
 これが親鸞の見ていた「愚」なのかもしれません。それは、禅宗でいう「父母未生の自己」と同じものでしょう。
 こんな深い世界を親鸞は語っていたのだと、あらためて「愚」の広さを感じました。
2008年10月6日
今日は、論註の会に参加しました。課題の箇所は『浄土論註』(上巻)の水功徳です。
東本願寺の『解読浄土論註』の訳には、こうあります。
「仏はもと、どうしてこの願いを起こされたかといえば、ある国土を見られるに、人を呑みこむほどに川や海の水が大波をたて、にごり泡だって人びとを驚かせたり、流水が迫り来たって人びとをとじこめおびやかしたりする。
このような非常の事態を前にすると生きた心地もなく、そこから逃げ出そうとすると恐怖の思いにとらわれるのである。
菩薩は、これらを見られて大悲の心を興され、私が仏と成るにはあらゆる水の流れや池や沼は宮殿にふさわしくととのい、[このことは経(大経)の中に出ている]種種の宝花がしきつめられて水面を飾り、そよ風がその上をやわらかく吹き、光がきらきら輝きあうこと秩序正しく、見るものの心をはればれとさせ、身体(からだ)をよろこばせて、何一つ意にそわないことのないようにしよう、と願われたのである
」とあります。
ちょっと見ると意味が取りにくく、難しいことを言っているようですが、ほんとうは単純です。
仏が人間の世界を見ると、洪水や津波などの災害に脅かされているので、愛を起こして、そういうことのない快適で安全な生活を実現したいと願われたというのです。細かいことを抜きにしてみれば、そういうことです。
大事なことは、そういう世界を仏が御覧になったという部分でしょう。人間が観察して述べているのではありません。
しかしです。そんな安全な世界が実現できているのでしょうか。「いやいや、やがて、そういう世界を実現したいんだよ」という願いであれば、どうぞご自由にと感じてしまいます。本願は、そんな呑気な願いじゃないはずです。
本質的なことは、〈いま〉実現していないものは、将来には実現できません。〈いま〉実現しているものであって、初めて仏の本願が「成就」しているといわれるのです。仏は「本願成就」ということを一方では述べているのですからね。
そう思うと、世界のどこを見ても、そんな安全で快適な生活は実現していないのでしょう。今年は、雨が多く多数の洪水の被害がありました。そういう被害をすべて、地球上から取り去らることは不可能です。
その意味で、仏の本願は、実現不可能です。それなのに、なぜ願を起こしているのかといえば、それは、もはや願ではなくて、絶望の表現なのだと思います。こういう生活を実現したいのだが、仏の本願でもっても、実現することは不可能だというのです。仏の絶望が、そこには表現されているのではないでしょうか。
本願とは、仏の絶望です。
人類は科学を発達させて、いかにも便利な社会を築きました。しかし、天候ひとつ変えることをできません。やっぱり今朝も傘をもって出かけなければなりません。そのひと雨が、多すぎれば洪水ですし、少なすぎれば飢饉になります。ちょうどよいのが、人間には快適なのでしょうけど、それが難しいのです。
ひと雨が洪水を招くのであれば、その雨のひと粒を消し去れなければ、仏の本願は成就してはいないということになります。
私は、本願が仏の絶望だと知ったとき、一粒の雨を消すこともできない仏が懺悔し謝罪しているように感じました。一粒の雨も消すことができなくて、申し訳ない、あなたを快適安全にしてあげられなくて、ごめんなさいと、私に対して謝罪しているように感じます。 そう感じたとき、仏に文句を言いたくなる気持ちが萎えてしまいました。そうか、仏さんも苦悩しているんだよなぁと思いました。
 仏に慰めてほしい、快適にしてほしいとわがままを言っていた自分のこころが恥ずかしくなりました。むしろ仏さんの絶望に同情し、仏さんを逆に慰めてあげたい気持ちになりました。
 こんなことが『浄土論註』を読んでいて感じられました。
不自由で、不快で、私の都合通りにいかないところに、仏さんの謝罪と懺悔があったんですね。
 
2008年10月3日
昨日は、本多弘之先生の「嗣講」授与記念のお祝いの催しが学士会館(神保町)でありました。参加者は170名ほどだったそうです。大勢の出席者に、驚きました。先生の教えを受けている、相応学舎(京都)・三重の学習会・滋賀県の長浜の学習会、東京の教学館・唯識学習会・親鸞講座、親鸞仏教センター関係の有識者の方々、東京教区寺院、それにご自坊の禿龍堂(聞法会)の方々など、そうそうたる方たちのお顔を拝見いたしました。
機を同じくして嵩海史君と田村晃徳君が擬講を授与され、両名の発表と、本多先生の講演がありました。
 久しぶりに伺った学士会館は、内装をリニューアルされ美しくなっていました。台風一過の秋晴れが、お祝いに花を添えていました。
 小生も、発起人のひとりとして名前を連ねていました。当然、全体の開会の挨拶は、二階堂行邦先生がされました。本多先生も、明治の清沢満之の浩々洞、それから真宗大学(巣鴨)の大いなる仏法の流れのなかにお育ちになったという言葉が印象的でした。
 求道は、至って個人的なことのように考えがちですが、その個人も大いなる流れのなかに育てられるのだと、あらためて教えられました。
 突然、小生のところに、祝賀会の開会の挨拶をしてくれと教務所長から依頼を受け、僣越ながらさせていただきました。
 私は先生に対してお祝いを述べるのは、とても不遜ではないかと感じました。正直な自分の感情を述べれば、やはり「御礼」というのがふさわしいと思い、そのように御挨拶させていただきました。
 つづけて先生は、灯台のような存在だとも述べました。大海原を航海する船は、灯台を頼りに航海の安全を手に入れます。私たちはひとりひとり大海原を航海する船のような存在です。遠くの方から、灯台のひかりを頼りに、こっちに進めばいいのだなぁと安心感を得ているのです。そんな灯台のような存在が本多先生です。
 現代は、闇がなくなったといいます。大都会東京には、すでに闇はなくなりました。二十四時間、ひかりがあります。しかし、本質的には人間は闇を生きているのではないでしょうか。どんなに、蛍光灯をつけても、本質的な闇はなくならないと思います。そんな闇夜にこそ、灯台が必要なのです。闇夜と感じるひとにとって灯台は必要なのです。闇夜と感じないひとには、灯台はあってもなきに等しいのでしょう。
 思想家の吉本隆明さんは、「文学というのは、25時の仕事だ」とおっしゃいました。それは私たちの世界にも通じるものではないでしょうか。思想・宗教は25時の仕事です。つまり、この世の価値には還元できないものです。その意味で、この世にとっては無意味なのかもしれません。食べて寝るというだけのことなら、思想も宗教も、そして文化は必要ありません。
 イエスキリストが、サタンに試される場面があります。お前が神の子であるなら、石をパンに変えてみよと。そのとき、イエスはひとはパンだけで生きるものじゃなく、神の口から出る言葉で生きると答えました。これは何を言っているかというと、人間は意味を求める生き物だということです。意味がなければ人間は生きることができません。ただ食べて寝るだけでは満足できないものを本能的にもっているのです。
しかし、現代は、「意味の病」に罹っている時代でもあるのです。秋葉原の青年もそうです。昨日大阪の南で放火事件がありました。その人は「生きるのが嫌になった」と漏らしています。これらは、「意味の病」の病状です。自分にとって特別の意味を貪りたいという、意味の病なのです。意味を求めることは、大切な本能といってもいいのでしょう。しかし、その意味の求め方が分からないと、病になってしまうのです。この意味の病を超えていくには、「無意味」が大事なのです。
 今日の嗣講も擬講も、本質的には無意味なものです。でも、この「無意味」は単なる無意味ではなく、「無意味という意味」があるのです。この「無意味の意味」を開くことが「意味の病」を超えていく方向だと思います。ここに集まられた方々は、やはり「無意味の意味」を追求されている人びとだと思います。
 これからもご一緒に、「無意味の意味」を追求することで、ひとりでも多くのひとが「意味の病」を超えていかれることを念願いたします。本日はほんとうにおめでとうございます。ありがとうございました。
 当日、言えずに終わってしまった言葉も書き加えれば、こんな感じで、挨拶を終えたと思います。
 参加者から、あんな際どい挨拶は、武田さんじゃないとできないとか。自分もお祝いではなく、御礼というのに同感だとか、いろいろご意見をいただきました。祝賀会は、確かにご馳走をいただき、肉体を満たすことも狙いのひとつです。しかし、やはり私たち人間は「言葉」を食べても生きる存在ですから、言葉を欲するのですね。言葉が欲しいんです。
 言葉よりも、行為が大事だという面もありますが、言葉、無くしては生きられない存在でもあります。これからも、肉感のこもった言葉を紡いでいきたいと思っています。
 しかし、本質的には、これも無意味なことなのですけれどもね。

 私たち「無人の会」は今年も公開講座を開催します。よろしかったらどうぞ!

■無人の会・公開講座のご案内■
謹啓
秋冷の候。皆様におかれましては日々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、無人(むにん)の会では、昨年に引き続き今年も求道開会で西田真因先生の公開講座を開催することになまりした。
「秋葉原」が代表されるような殺傷事件が目につきます。それらの容疑者は、みんな〈意味の病〉に犯されているのではないでしょうか。ある容疑者は「自分は特別な存在」とブログに書いていたそうです。意味なしに生きられないのが人間です。その意味とは、自分にとって好都合な意味、自分にとって望ましい意味でしかありません。自分が予期しない災厄などを排除した「意味」なのです。「自分は特別な存在」だと感じていた人間は、意味の病に罹っているのではないでしょうか。
その人間に対して、淨土が救いであると、どうしていえるのでしょうか?無人の会では「靖国の問題」を通して、「真宗国家論」、さらに今回は「淨土」をメインテーマにいたしました。「意味」を求める人間にとって、避けては通れない「意味空間」(西田真因用語)としての淨土を聞いていきたいと思います。たくさんの皆様がご参会くださいますよう、ご案内申し上げます。

■日時:2008 年11月4日(火)午後2時〜5時(一時半〜受付開始)
■講師:西田真因先生(真宗大谷派元教学研究所所長)
■テーマ:〈意味の病〉を超えて
−−−意味空間としての淨土−−−
■会場:求道会館
文京区本郷6-20-5(東大正門前の信号を西に入る。突き当たりの三叉路を北へ上がる。200メートル程で着きます。旅館・鳳鳴館(森川別館)が目印です)
電話:03-5842-4803
会費:三千円
(懇親会:希望者のみ五千円)
■申し込み先:無人の会・事務局
      電話03−3844−1990

あるいは、武田へお願いします。
2008年9月29日
ようやくギックリ腰が、治りつつあります。まだ胡座をかいたり、妙な前傾姿勢をとると痛みがあるのですが、回復しつつあることを日々感じております。ご心配いただいた皆様には御礼申し上げます。
もう若くはないんだから…とか、重いものを持つときは、腰を深く落としてから持ち上げなさい…とか、これはやったものじゃないと分からない痛みなんですよね…とか、患部を氷でひたすら冷やした方がいいですよ…とか、あっためなさい、とにかくあっためて治しなさい…とか、いろいろなお慰めの言葉を頂戴しました。
ギックリ腰は、椎間板ヘルニアだけでなく、激痛筋膜炎というのもあって、小生のはこの筋膜炎だそうです。怪我をした当初は、あの脊椎と脊椎をつないでいる、ナイロンの袋のような椎間板がプチッと突出してしまったものだと思っていましたら、そうでもなく、筋肉が緊張して、こむら返りを起こしたような状態なのだそうです。(遠藤整体師の診断)
 そういうことなら、筋肉の凝りをほぐすためにストレッチをしたり、腰回しをしたりして、リハビリをするのもいいと思い、少しずつ初めています。怪我は一瞬のことなのですね。ですから、自分に起こったことがまだ頭ではよく理解できないのです。あのギクッとやった瞬間は、何が起こったのかよく事態を飲み込めていないわけです。そのあとの、あの痛みが襲ってきて、ようやくこれはギックリ腰だと頭で理解するのです。
 単なる一瞬の出来事なのですが、あのギクッというやつから、人生が一変するんです。(それは大袈裟か!)ほとんど寝たきりになるんですからね。最初は四つ足生活です。なんとか、トイレにはいつくばっていきました。でも、這っていっても、そこから立ち上がることができないんです。壁などにつかまってようやく立ち上がって用を足すことができました。シビンを使うかという提案もあったのですが、そこはまだプライドが許さず、なんとか四つんばいで対処しました。
 少し立つと、今度は杖を使って歩くことができました。頭部をなるべく動かさず、平行移動するために杖を使いました。これで四本足から、ようやく三本足になりました。
 やがて二本足で歩けるようになりました。驚いたことに、自転車は楽に運転できるんですね。腰の位置が変化しないからでしょうか。ただ、道路の段差さえ注意していれば、なんとか運転はできました。怪我したことのあるひとは、体で知っていることでしょう。
 自転車になんか乗って大丈夫なんですか?と声をかけられましたが、以外に平気なんですよね。
 お葬式や法事で、杖を使っている小生を見ては「痛々しいですね…」と声をかけて頂きました。鏡に映った自分の姿は、やはり老人そのものでしたね。ご老人の大変さの、ほんの少しを感じさせてもらいました。
 今回の騒動で、やはり自分の身体は、自分の都合で動いているのではないと、また教えられました。意識は、自分でなんでもできると思っていたのですが、どうもそうではないようです。意識で、自分はなんでもできると思って毎日生きていても、条件が許されなければ、それは実現できません。自分は、ちゃんとやれているというのは、許されているからなんですね。もう、許されない状態になれば、それはすべてをゆだねていくしかありません。
 ゆだねられる世界があるかないか、最後、人間には、そのへんのことがもっとも大きな問題なのだと思えました。それにはやはり〈永遠〉というものをもっているかいないかが分岐点なのでしょう。
 
2008年9月23日
プチッと音がしたんです。賽銭箱を移動しようと思って、抱えたとき、腰のあたりで。
アッ、やっちゃった!という実感。あのいやーな「プチッ」という音が、いまでも忘れられません。耳に聞こえたわけじゃないのです。たぶん身体のなかで、何かがプチッと折れたというか、つぶれたというよう音でした。このプチッを体験しているひとは、実に多いようです。
 いわゆる「ぎっくり腰」というやつらしい!。でも、「ぎっくり腰」などと命名されると、そんなもんじゃないんだぜ!と反論したくなります。「ぎっくり」じゃなくて「プチッ」ですから、「プチッ症候群」とかなんとか、命名したいですね。
 はやく温めたほうがいいというので、弟が使っている「光線」(炭素棒を電気でスパークさせるやつ)で腰を温め、その後はホカロンで温めました。プチッとやった途端に、歩行が困難になるんです。痛みをおさえて、ようやく横になることができました。ところが、温めてもなかなかすぐにはよくならないんですね。咳をすると痛いし、寝ていればまだいいのですが、直立歩行には痛みが起こります。
 どうしてこんなことになっちゃったんだ…とつくづくおのれの軽率さを恨みました。重いものを持つときには、腰を落としてやらなきゃと、普段から注意していたのですが、あいにくそのときには忘れていたんです。賽銭箱は木製ですからけっこう重たいんです。
 でも、いくらどうして?と問うてみても、時間は不可逆性ですから、時間を戻すことはできません。時間というのも、人間にしかない感覚ですから、不可逆性も人間にしかありません。動物には、そのときの痛みや苦しみしかありません。どうして?と問うことはありません。人間は意味を問う生き物なだけに、理由を問うんですね。肉体的な痛みの他に、意味の病という痛みを感じなければなりません。
 こうして正座して、パソコンを打っているだけでも、痛いので、思考まで頭が回りません。ということで…。
 
2008年9月20日
ここのところ、あまり歩くことをしていませんでした。暑いし、すぐに汗だくになるし、乗り物に乗ることが多かったのです。久しぶりに、歩いてみると、実にいいなぁという感じを持ちました。
 ひとは移動する速度に応じて感じ方が変わり、見える世界が違ってくるという、実に当たり前のことを、あらためて嬉しく思いました。プーンと香ってくる匂いによって、「はは〜ん、このへんの家で、サンマを焼いてるなぁ…」とか、「ここのうちは、カレーだぞ!」とわかりました。晩御飯を作っている匂いを感じると、そこに生活している人間の姿が感じられました。そして、とてもいい気分にさせてもらえました。
 ドラマで、よく茶の間が映ったりしますけど、だいたい、どの家庭でも、台所や居間は似たりよったりですよね。小生も、仕事がら、門徒さんのお宅にお邪魔する機会がありますが、だいたい似たりよったりの風景です。テーブルに、昨日の食事につかったであろう醤油や、今朝見たであろう新聞などが、無造作に置かれていて、あの風景を見たとき、小生は、実に安心します。生活というのは、乱雑を本質としていますから、まとまりのないものなのでしょう。
 確かに、住職が来るというので、あらためてキチンと片づけられている家もあるのですが、あれは、非日常的なことで、普段は乱雑なのだと思います。これは小生の性格なのかもわかりませんが、あんまりキチンと整理整頓されていると、窮屈な感じをうけます。多少乱雑に散らかっているほうが、ありのままの姿で、安心するんです。
 それはそうと、ゆっくり歩いていると、目に映る世界は、ゆっくり動きます。自転車だと見過ごしていた風景も、歩くとゆったりとした風景に変化します。そして、ゆっくりとその世界を味わうことができます。近所の都営団地の一階には、花壇のような空間があって、住人が思い思いの植物を植えています。とても可憐なちっちゃな花を咲かせているものや、野菜を植えているひともいます。美しく咲いていても香りのない花もあります。個性が咲き誇っていました。
 つくづく、動く速度に応じて、見える世界が違ってくると感じました。自動車なら一瞬のうちに通りすぎてしまい、花など目にも止まりません。自転車だと、少しは見えてきます。でも、まだ早すぎる感じがします。歩きだと、一番たくさんのものが目に入ります。歩くことが、世界をたくさん味わうための、ちょうどよい速度なんですね。ゆっくりは、一番多くのものが見えるんです。
 「生きる」ということに関しても、速度に個人差があるように思います。感受性をすり減らして暮らしていると、やはり生きる速度は速いんじゃないでしょうか。まわりの景色が、どんどん過ぎてゆき、あまり多くの物事を感じ取れないのではないでしょうか。そして「一年が速いなぁ…」と加速度的に時間が過ぎてゆきます。
 「生きる」速度をできるだけ、ゆっくりさせたいと思います。どうせ短い人生なんですから、ゆっくり、そして生からいろんなものを感じていきたいと思います。私たちは、つつがなく、平々凡々に人生を送りたいと思っているのですけど、もし平々凡々だったら、何の味わいもない人生になるのだと思います。思い通りにならない「苦」があるから、人生の味わいがより深くなっていくのでしょう。ですから、どんな映画やドラマをみても「苦」の要素が入っています。もし「苦」の要素がなければ、人間は感動しない生き物なのです。「苦」を恐れることなく、生に立ち向かっていく勇気を持ちたいです。
 

2008年9月16日
「自分のこころに騙されない」というテーマ。
14日の新聞には、またまた2000万円の振り込め詐欺被害があったと載っていました。老女は、次男から携帯電話の番号が変わったと連絡をもらっていました。数日たって、サラ金会社から、「おたくのお子さんが借金しているから返済しろ」と電話がかかってきました。まさかうちの子がと思って次男に確認の電話をかけたら、借金をしていたというので、やむなく百万円ずつ十数回支払ったといいます。
以前、携帯の番号が変わったという電話をかけたのが、詐欺グループだったのです。ですから、ほんとうの次男には確認がとれていなかったのです。近頃の振り込め詐欺事件は、まるでドラマ仕立てですから、なかなか見破ることができにくくなっています。
もうひとつの事件は、昨日の石川県の「カマ男」事件です。縁日で仲間からからかわれたとか、その腹いせにトラックで縁日に突っ込みカマを振り回した殺傷事件です。
その二つの事件に共通しているのは、「自分のこころを信じていること」です。振り込め詐欺事件では、これは間違いなく次男だと思い込んでしまったことです。もうひとつ、突っ込んで、そのことを疑うことができなかったのです。騙すやつは一番悪いです。しかし、それに騙されないためには、自分のこころを疑うことです。
カマ男事件では、怒りの感情と自分自身とが分離されていないことです。怒りの感情が自分自身だと信じてしまい、怒りと自分とが分離できないことの悲劇です。これは秋葉原の事件にも共通しています。
人間は、どうしても自分のこころと自分自身を切り分けることが難しいのです。そのためには、如来とか仏さんという絶対項が必要です。それを「永遠」といってもいいです。
永遠を前におき、それに対座するのです。うちの教区では、リーズナブルな仏壇を作りました。四万円の厨子型仏壇です。私は、マイ仏壇(my butsudan)と呼んでいます。ひとりで「永遠」と対座する空間を持ちましょう。そして自分自身のこころを振り返る時間を持ちましょうというわけです。
どうも仏壇は長男が守るもの、仏壇は本家が祀るもの、仏壇は死んだひとがいなければ買わないものという非常識がまかり通っています。ほんとうはひとりにひとつ仏壇が必要でしょう。仏壇はいくつあってもいいのです。
以前は、家という観念があって、一家の統合の象徴として仏壇が機能していました。しかし現代では、「家観念」も「名前観念」も消えつつあります。そして個人が個人として永遠と対座する場面に入ってきました。
「先祖」というのも「永遠」の象徴なのです。
仏壇をお参りするときに、「今日も一日、宜しくお願いします」とか「今日も一日有難うございました。」とか「今日も一日お守り下さい」とか、人間は勝手な欲望を仏壇に押しつけます。自分が安泰で、安寧で平安であればいいという願いです。たとえ人類の平和を願おうとも、その願いは人間の勝手な願いです。こっちから永遠に向かって、何事かを要望したり、御礼を言ったりするのが仏壇ではありません。小生は、仏さんに何かをお願いしたことはありません。故人の成仏をお祈りしたこともありません。それは越権行為です。成仏は、阿弥陀如来のお仕事です。人間は、そのお仕事の証人でしかありません。
仏壇の前は、自分自身のこころの有り様を、ありのままに見せてもらう場所です。この「ありのまま」というのが味噌です。自分のこころに起こってきたことを、脚色せずに、ありのままに見ることは、実に難しいのです。そこで「永遠」が必要になります。永遠と対座することなしに「ありのまま」は、なかなか実現しません。どうしても、自分のこころで脚色してしまうのです。
「よかったよかった」と自分を慰めてみたり、「こんな自分でどうするんだ!」と叱咤してみたり、情けなくなってみたり。それは自分のこころを信じている姿あって、「永遠」を信じてはいないのです。
人間は、生まれてからこのかた、自分の「こころ」という劇場を生きてきました。自分が主人公の舞台を生きてきました。ですから、この自分というこころの劇場を疑うことができないのです。「永遠」というものと出会わない限り、なかなかその劇場からおりることができないのです。
ですから、自分が知っていることは間違いない、自分の感じていることは間違いないと思って生きてきたのです。自分を疑ったことがないのです。この頑強な自分のこころを疑うことが仏教なのです。
自分のこころを信じるな!というメッセージが、仏からのメッセージです。そのために仏壇が必要なのです。
仏教では、「欲望・怒り・悲しみ・憂鬱」などの感情を「煩悩」といいます。これらは縁がもよおせば、必ず起こってくるものです。これが起きなければ死んでいるのと同じです。激しさは個人差がありますが、これらの感情を感じないひとはいません。
 しかし、それらは、自分のほんとうのこころではありません。一時的な現象として感情は起こりますが、長続きしません。一過性のものです。それを仏さんから「一過性の感情が起こっていますよ」と教えられるのです。すると、やがて一過性ですから、必ずそれは去ってゆきます。感情が起こったときに、それを止めようとしてもなかなかうまくいきません。起こったときには起こったままにしておくことです。でも、それは自分のほんとうのこころではないと、どこかで知っておかなければならないのです。感情は自分のほんとうのこころではないとね。
 ですから、感情を自分だと思ったら間違います。自分のこころに騙されるなということは、感情を自分だと思ってはならないということかもしれません。
 それでは、ほんとうのこころとはなんでしょうか。そうやって尋ねていくと、「ほんとうのこころ」なんかはないのかもしれませんね。
 感情に振り回されて、ひととぶつかったり、ひとと関係をもったり、親鸞は「愛憎違順」といいます。愛と憎しみが交互に起こってくるのが私たちのありさまだと教えます。
「怒り腹立ち多く暇なくして、臨終の一念にいたるまで、消えず絶えず」とも教えています。つまり死ぬまで、一瞬の間も煩悩の起こっていない時間はないというわけです。これほどまでに永遠と対座して、自分のこころの微細な部分までをえぐりだしているのです。 「根源的な無知」が自分自身なのでしょう。なぜ自分は人間に生まれたのか、なぜ男なのか、なぜこの時代なのか、死んでどこにいくのか、人生の目的とはなにか、こんなことを全然知らないで生きているのですから。ただ、目の前の煩悩に追いまくられ、けしかけられ、日々を右往左往しているだけなのかもしれません。縁があれば、「私も、カマをもつかも…」と思います。
 こんなことを考えていると、自分はいつでも「永遠」に落ちていくのです。この世に生まれる以前の「永遠」、そして自分がこの世を去っていた後の「永遠」へと落ちていくのです。過去も未来も永遠だということが分かってくると、逆に、この〈いま〉という時間が掛け替えのないものとしてよみがえってくるのです。
 どうせ人間に生まれてきたのだから、いっちょ、自分の思ったように、自由に生きてみようではないかと。そういう積極性が生まれてくると、いやいやしていた仕事も、やりがいのあるものへと変化していくから不思議です。
 永遠を忘れているときには、そんなことは思わないのです。仕事がいやだなぁ、また明日もやらなきゃなぁと思って愚痴が出ます。でも、永遠の〈いま〉を生きているんだと気がつくと、そうか、いっちょやったるかぁという気分になるんです。一度しか生きられない人生だからこそ、〈いま〉にすべてをかけて生きてみようと思うのです。
 そのうち死んじゃうんだから、いっちょやったるかぁという具合に積極的に生きたいと思います。
 それもこれも、永遠からメッセージが届くことによって生まれる積極性です。自分では忘れていても、必ず「永遠」から届くのです。それが生きた仏壇のはたらきです。
自分のこころを信じない、仏さんも、先祖にも依存しない。自立した生き方が生まれるのです。
 話は前に戻りますが、振り込め詐欺に騙されないようになるには、永遠と対座することです。そして自分のこころを徹底して信じない構えを身につけることです。

2008年9月15日
我癡・我見・我愛・我慢を唯識思想では、この「四煩悩」を最大の煩悩と見いだしました。
我癡とは、「ほんとうの自分を知らない」という病です。我見とは、「自分という視点からしか物事を見ることができない」という病です。我愛は、「自分中心にしか愛せない」という病です。たぶんここまでは、他の生き物も少なからずもっている煩悩だと思います。ライオンが食べ物を奪い合っているのは、自分がかわいいし、自分のファミリーを愛しているから、他者に獲物を取られることに怒りを感じるのでしょう。
でも、最後の「我慢」だけは人間にしかない煩悩なのでしょう。
これは、私たちが普段、「我慢しなさい」とか「我慢しなきゃ」というときの「我慢」の意味とは違います。普段は、忍耐するという意味で使っているんですね。でもここでいう「我慢」の慢とは「他人に対して心の高ぶること。自ら高ぶること」と辞書には出ています。仏教は「慢」について詳しく分析して考えてきました。その中で「?と慢」を分けてこんなふうに説明しています。「『?』はおのれの性質(美貌や若さや血統や学識など)をすぐれたものと考えて、自己に執着する心のおごりであるのに対して、『慢』は、おのれは他人よりもすぐれていると妄想して、他人に対して誇りたがる心のおごりである」と。?慢の?は内面に「俺が一番さ」と思うこころであり、慢は、それが外面化されたものと考えているようです。
それらは、一番のおおもとをたどると、「比べる」というこころから起こってくると述べています。自分と他人を比べて、自分のほうが上だと考えるのです。これは、人間が努力してやめようと思えばやめられる性質ではありません。慢は人間が人間として存在する限り、死ぬまでなくなることのない傾向性なのです。
でも、この慢心によって、私たちは自惚れると同時に、慢心によって自分を傷つけてもいるのです。日ごろのこころを振り返ってみれば、自分はひとと比べて喜びを感じていませんか。テレビで大惨事を見るにつけ、「あれは大変だ、かわいそうに」といいつつ、自分が安泰であることに幸せを感じるのです。内心の奥では「ああならなくてよかった」という安堵感を得るものです。
記憶に新しい秋葉原の事件でも、あの場に自分がいなくてよかった、自分の身内がいたら大変だったと感じてしまいます。
隣の芝生は、緑に見えるといいます。それはいつも他と比べ、自分の幸せを計っているという人間の性を語ったものです。自分と他を比べては劣等感を感じ、あるいは優越感を感じるのです。優越感のときには傷つきませんが、劣等感は傷つきます。それは「なんで自分だけ、こんな惨めな目にあうのか?」とか「なんで自分のうちにだけ不幸が訪れるのか?」と自分を自分で打ちのめすからです。
もし、それが自分の慢心が引き起こす病だと見えなければ、劣等感に打ちのめされて人生を間違ってしまうかもしれません。
慢心は、人間である限りなくならない「存在の病」です。ただし、それは慢心が引き起こしていることだと見えなければなりません。「自分のこころが見えるようになる」こと、そして自分のこころにだまされなくなるようになることが仏教の最大の目標なのです。

2008年9月11日
「こころ」は、どこにあるのでしょうか?
最近、そんなことを思うんです。「こころ」は実在しているのでしょうか?とても、しっかりしたものとして「こころ」はあるのでしょうか?
どうも、それは疑わしいのではないかと思うんです。
「こころ」ほど、あやふやで、得体の知れないものはないのではないでしょうか?
「こころ」のひとつのはたらきである、「記憶」なんて、思い返してみれば、あやふやですよね。忘れっぽいことを歳のせいにしますけど、結構、若いときにも忘れっぽいですしね。若いころの「こころ」と齢を重ねた「こころ」はずいぶん変わってきたと思いませんか。若いころだったら、こんな反応をしたのに、いまでは違った反応を起こしています。
また「こころ」のはたらきである「感情」なんか、もっとあやふやですね。喜びや悲しみや、怒りや憂鬱感。親鸞がいう「凡夫というは、無明煩悩われらが身に満ち満ちて、欲も多く、怒り、腹立ち、嫉(そね)み、妬(ねた)むこころ多く、暇なくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、消えず、絶えずと」(『一念多念文意』)は、まさにそのとおりです。これらは、自分が自由にコントロールできない「こころ」として起こってくるわけです。それが悪いことではありません。「こころ」の事実を、静かに見つめてみれば、そのとおりというしかありません。
煩悩の嵐が起こったら、それが通りすぎるまで、じっと待つしかありません。煩悩は台風のようなものですから、どこからともなく沸き起こってくるものです。まさに煩悩は業病ではないでしょうか。人間存在の業の嵐が、「こころ」という大海原を駆けめぐります。しかし、少したつと、またもとの静かな状態に戻っています。不思議なもんですね。
自分の「こころ」は確かに在ると言いたいのですが、果たしてあるのかどうかもよくわかりません。在るものだったら、ここに出してみろといわれても出すわけにもいきません。
あやふやなのに、結構、このはたらきに支配されて右往左往させられていませんか。あやふやでありつつ、人間を縛りつけているのも「こころ」です。わかっちゃいるけど、やめられないというのも「こころ」のひとつのはたらきでしょう。
さらに「こころ」のひとつのはたらきである「意志」というものも、あやふやです。いやいや、確かに、こうもしたいああもしたい、あれもやりたい、これもやりたいという思いはあるんです。でも、究極的にどうしたいのか?ということは分からないんです。よく話すことがあります。「人間は究極的に幸せを知らない生き物ですから、どうなったらこれで幸せかということは知らずに、煩悩に馳せ使われているのが私たちの一生ではないでしょうか」と。
「意志」を仏教語に変換すれば「菩提心」でしょうね。悟りを開きたいと意志することが「菩提心」です。でも、法然は菩提心なんか必要ない、「不回向」だといいました。それを明恵が「菩提心を捨ててしまったら、仏教ではない!」と批判しました。それは確かに、自分自身のこころの有り様をみれば、煩悩に汚染されています。それだからこそ、一歩でも悟りに近づけるように意志して努力するのが仏教じゃないかと明恵はいうのです。煩悩だらけだといって、初めからあきらめてしまったら仏教じゃない、ダメな人間だからこそ一歩ずつ努力するのが仏教だと明恵はいいます。この考え方はよくわかりますよね。現代でも通じる考えです。
でも、法然は、「菩提心は捨ててしまえ」というのです。どうしてでしょうか?
おそらくこれは私の推測ですが、法然は、自らの「こころ」を省みて、「自分から意志して仏道を求めたことはない」と思っていたのではないでしょうか。つまり、こんな生活は嫌だ、煩悩に馳せ使われている生活も嫌だ、自分自身の愚かさを否定したいと考えて、とうとう気がついたら吉水(京都東山)にたどりついたのでしょう。法然の内面を正直に語れば、「逃げてきた」という感覚、「如来を拒否し続けてきた」という感覚が強かったのだと思います。とても、「さあ、これから仏道を学ぶぞ!」といった殊勝な感覚ではなく、逃避してきたという罪の感覚が強かったのだと思います。ですから、自ら努力して仏道を求めているとは思っていなかったのでしょう。たまたま、いろんな経験をすることを通して、自分を受け入れられずに拒否し続けてきた結果があるだけだと思っていたのでしょう。それなので、「さあ、これから一歩ずつ仏道を学ぼう」などという殊勝な意志は持ち合わせていませんよと法然はいうのです。ですから「不回向」は法然の如来に対する懺悔の表現なのでしょう。
元来というか、本質的に、人間は仏道を求めることなどできないのだと思っていたのです。仏道を求めるような器量が少しでもあるのならば、阿弥陀如来の愛は必要ありません。まったく修行や努力や菩提心のないものだからこそ、愛が必要なのです。おそらく法然の内面はそういうものではなかったでしょうか。明恵より、法然の考え方のほうが私たちには理解できません。明恵の発想は、人間に馴染みの深い考え方ですから、分かりやすいのです。かえって法然はわかりません。
これは明恵ばかりではなく、仏道を求める多くのひとに誤解されました。そして現代では誤解されています。
はなから努力を否定してしまったなら、仏道は成り立たないじゃないか、それをもっと敷衍すれば、人間社会は成り立たないじゃないかという批判につながります。この考え方によって、法然は親鸞は弾圧されたんです。いまでも、この疑問を浄土教に投げかけられれば、いつでも弾圧の条件になります。「浄土教は、努力を捨てて、堕落した人間を生み出す邪教だ!」とスローガンをたてられれば、これはいつでも弾圧されてしまいます。
話がとんでもないところへ行きそうなので元へ戻しましょう。
つまり、自分の「こころ」をどのように見ているかということが法然と明恵では違うんです。仏道を求める意志を自分から起こせる「こころ」だとみるのか、あるいは自分の外からの促しだと見るのかの違いです。自発が外発かです。明恵は自発、法然は外発とみました。
まぁ、親鸞はどうみたかといえば、「仏道を求めるこころ、そのものが煩悩だ!」と見たのですから、もうその場所から少しも動くことができません。どっちの方向に修行をしていっていいやら、動けなくなってしまったのです。明恵のように、少しでも努力をしようとしたら、それは煩悩に汚染されてしまいますからね。まさに十字架に張り付けられたようなものです。そのとき、「こころ」を自由に動かせると思っていた心が死んだのですね。「こころ」が死んで、「存在」によみがえったのです。
身も蓋もない話ですが、「行為」としては、明恵も法然もそんなに違ったことはやっていません。法然だって、一日に七万遍の念仏を日課としていたといいますから、かなりの努力家であったことは間違いありません。ただ、自分の「こころ」をどう見るかということが180度違っていたのです。
法然の誤解を解くために、親鸞は「不回向」ではなく「如来回向(他力回向)」という言葉をつくりました。自分にはひとつも仏道求めたいというこころは起こりません、ただ如来が私をして仏道に向かうように強制してくるのですと語ったわけです。私の内面には菩提心はありません。菩提心は、自分のいまある現在を拒否するこころです。ちょっとみると菩提心は殊勝なこころのようですが、実は現状に決して満足しない貪欲のあらわれでもあるのです。
親鸞の教えは究極的に「受動」です。受動からすべてが生まれます。身体も、そして「こころ」もです。煩悩も不思議なことに自分に起こってくるものですし、菩提心も起こってくるものです。でも、それには主語がありません。自分が起こしているわけではないのです。つまり無我ですね。起こす主体なくして起こってくるものが「こころ」です。その「こころ」を自分が起こしたと考えるか、受動と考えるかです。
そう考えてみると、「こころ」って架空の存在ですね。どこかに実在しているわけでもない、でも、無いわけでもない。逆に自分を縛りつけるものでもある。科学的に物質として「こころ」を取り出すことはできません。肉体は器官の集合体ですから、モノは取り出せても「こころ」は取り出せません。「こころ」は機能ですからね。コトに属します。
架空の存在が「こころ」だとすると、とても面白いことになりませんか。その架空の存在から、様々な文化や政治や経済が生み出されてきたのですから。当たりを見渡してみると、みんな人間の「こころ」から生み出されてきたものばかりです。マンションや道路、電柱や伝染、自販機に照明灯等々、これらも全部、架空の「こころ」から生まれてきた化身ですね。面白いですね、私たちは架空の世界に住んでいるとも言えませんか。


2008年9月10日
やはり、親鸞の基本発想は、二元と三元の複合体ではないでしょうか。
二元というのは、「淨土・穢土」あるいは「淨土・聖道」、「娑婆・淨土」「極楽・地獄」「往相・還相」「真実・方便」「機・法」等々の対概念の思考パターンです。
三元は「正定聚・邪定聚・不定聚」「要門・真門・弘願門」「真・仮・偽」「18願・19願・20願」「双樹林下往生・難思往生・難思議往生」等の思考パターンです。
基本は二元なのだと思いますが、それを展開するときには三元になっているようです。これらが組み合わされて親鸞教学が成り立っています。
カンディンスキーは『点・線・面』という本を書いています。これを借りてくると、親鸞にとって「点」とは「一心帰命」「一念」「一乗」の「一元の発想」でしょう。「線」とは上に書いた「二元の発想」です。さらに「面」とは「三元の発想」を語っているように思います。
一元とは、究極的にこれがあれば、他のものは捨ててもよいという決断の表現です。しかし一元に立って、他のものを捨ててみると、実は捨てたものが逆に大事に思えてくるのです。そこで、捨てた対概念を大事に取り上げて二元の発想が生まれます。さらに、二元の発想で考えていると、次に三元へと深まっていくのでしょう。
自分と仏という二元の発想で考えていると、どうしても発想がデジタルになってしまいます。穢土を捨てて淨土を目指すというだけでは、デジタルな信仰に陥ります。その発想は行き詰まります。
法然の教学はどうしてもデジタルな感じを受けます。おそらく法然自身も、そのことは感じていたことだと思います。浄土教には三部経等の表現があって、「三元」の表現もあるからです。一→二→三は、人間が恣意的に作ったものでもなく、もともと人間のもっている思考性そのものが「三」を要求してくるのだと思います。そうそう、キリスト教でも「三位一体」などの発想が生まれてくるのも、人間の思考性の欲求が生み出してきたものでしょう。
ですから法然も「三信」(至心・信楽・欲生)を直観していました。それを親鸞はさらに発展させて、自分の教学の基本構造に据えていきます。
つまり「二元の思考」では、どうしても「あれか、これか」という取捨選択の発想になってしまいます。これも、「一元」を生み出すためには大事な発想なのですが、そこから三に展開していかなければ、教学が安定しません。壺でも二本足の壺では倒れてしまいます。三本の足でようやく安定して立つことができます。教学も同じです。
「あれかこれか」は、あれを取ってこれを捨てるのですから、大切な決断です。しかし、捨ててみると、実は捨ててきたものが大切なものとしてよみがえってくるのです。もし捨てるものがなければ、これを選び採ることができなかったのですからね。これも思いつきですが、田舎暮らしに幻滅して、都会暮らしを欲求するのが若者の心性ですね。ところが実際に都会で暮らしてみると、都会暮らしの矛盾や嫌らしさをいやというほど味わいます。翼が折れ、希望を失って再び故郷の田舎に戻ります。戻ってきた田舎は、捨てて出ていった田舎とは違って受けとれるのです。
三元とは、そんなふうに自分を育ててくれた「場」というものの大切さが見えてくる視点でしょうね。「場所」というものなくして、自分は存在していません。自分もあなたも彼も彼女も、「場所」においてあるのです。その場所が、淨土を映す鏡として意味転換されてくるのが信仰というものではないでしょうか。
捨てたものが、実は掛け替えのないものだったと気づくことです。


2008年9月6日
だいぶ更新が滞ってしまいました。
 夏の暑さだったり、雑事に取り紛れていたり、特に小生の部屋はトタン張りの二階家なので、まるでサウナと同じです。もちろん引っ越したときにエアコンはつけたのですが、効いてくるまでには時間がかかり、とにかく汗だくになるので、どうしても二階に寄りつかなくなってしまいました。
 そんなことで、日常生活から思想性がぬけていくような日々を送っていましたら、税務調査をしたいと税務署から電話がありました。8月28日から29日に行きたい二日間欲しいというのです。29日は土地の問題の打ち合わせがあって、ダメなので9月10日〜11日なら空いていると返事をしました。そうしたら、28日一日だけでも伺いたいというので承諾しました。
 28日は9時半過ぎに若い税務署員がやってきました。上司の統括官は12時半から伺うという説明がありました。
 それまでに、金銭出納帳や御布施の受領証や仕分け帳などを用意しておきました。以前の税務調査ときには、それらの資料を片っ端からひっくり返して、「ここは、どういう意味ですか?」とか「なんですか?」とか逐一、聞かれましたので、たぶん今回も、そういうことなんだろうと思っていました。ところが今回はコピーを取って調査するそうです。
 税理士の先生もお二人、同席していただけました。
 初めは、家族構成から、仕事の内容など、またどういうふうに御布施の額を決めているのかとか、細かいことをいろいろ聞かれました。それをそのつどメモに取られました。
そして、帳簿など五年間の資料を全部、税務署に持ち帰ってコピーしたいというのです。
そうとうな量になりましたが、彼は、それを自転車に積んでお昼には引き上げていきました。経費削減のために車は使えないそうです。亀戸(税務署)から因速寺まで、暑いさなか、自転車で往復していました。
 お昼から統括官と一緒に、若い職員もやってきました。雑談をしながら、涼んでもらいました。二人とも自転車を背広姿でこいできたので、クールダウンしないと汗だくになってしまいます。
 いよいよ調査が始まりました。過去帳はあるのか?と問われるので、個人別の過去帳の棚まで案内しました。これもコピーしたいというのですが、大量過ぎて無理ではないでしょうかと提案しました。何を知りたいのかを斟酌して、「告げ帳がみたいんじゃないですか?」と聞いてみました。要するにいつだれが亡くなって、いつ通夜と葬儀をしたのか?それがちゃんと帳面に載っているのか?それが知りたいんではないですかと、親切にも教えてあげました。
 ちなみに「告げ帳」というのは、御告げ(死亡通知)があったときに、最初に記す帳面です。そこには、個人の俗名、法名、命日、通夜葬儀の日程、遺族の氏名と住所、電話番号、本籍、門徒番号、過去帳番号等の個人情報が記されています。それもコピーしたいといわれました。小生は、別に隠すこともないので、すべてコピーを許してやりました。
個人情報なので、決して漏らすことは致しませんと約束してくれました。
 それから、墓地をみたいというので、暑いさなか、墓地の台帳をもって、墓地へ行きました。あらかじめ統括官が付箋をしたお墓をみにいきました。つまり、新しい墓がいつ建って、そのときの冥加金はちゃんと帳簿についているのかを確認したかったようです。
 途中、調べていると、領収証がないことに気づき、部下に指示すると、税務署に全部もっていってしまったということがわかり、再び若い税務署員は、汗をカキカキ税務署まで取りにいくことになりました。
 彼が戻ってきて、再び調査が始まりました。ところが、また別の資料がないと調査が進まないとわかり、再び資料を税務署まで取りにいくことになったので、小生は車を出してやりました。そのほうが早いです。しかし天候が急に変化して、途中で土砂降りになりました。車で来て大正解でした。自転車であの雨にあっていたらと思うと、何をか言わんやです。
 統括官は、小生のもっていた鞄の中身を見たいといいます。まるで、警察官の取り調べのようで、とても嫌な感じをうけました。これは任意調査の域を超えているのではないかと思いました。鞄なんか見たってしょうがないのにと思いましたが、隠すと怪しまれると思って、すべて見せてやりました。彼は満足そうでした。次に、小生の手帳を見せてくれといいます。ちょっと嫌だったのですが、別に問題はありません。小生は二年連用手帳を使っています。彼は丹念に手帳にある細かい記載に眼をやりました。すると次には去年の手帳を見せてくれといいます。ここには置いていないので仮住まいにあるから、取りにいってくるといいますと、彼も一緒についてくるというのです。小生は「そこまでやるの?!」といったら、彼はためらって、「それはおまかせします」と引き下がりました。
 今度は、葬儀の御布施が記載漏れではないかと、指摘されました。確かに記載漏れがあり、謝りました。すると、彼は「住職の給与として、修正申告してもらいます。」といった後に、「これは仮装隠蔽で、重加算税ということになります」というので、税理士も私たちも、「それはないでしょう!」と抗議しました。だいたい、人間のやることですから、どうしても過失といいましょうか、ミスというものがあります。それを、故意に隠していたと判断するのですね。それはあまりに悪意に満ちた判断ではないでしょうか。
 だいたい任意の調査ですから、帳簿のコピーでも拒絶することは可能なんです。しかし私たちには別段、隠すという意図はありませんから、すべてコピーを許可しました。仏さんに見せられないような帳簿は付けていないつもりです。ただし、うっかりミスはあるのです。凡夫ですから、自分では気づかないミスは必ずあります。
 小生は、いろんな役をしなければならない関係上、経理は、すべて坊守に任せてあります。ですから、税務署の指摘する問題はすべて坊守のミスということになり、かなり坊守は落ち込んでおります。
 あまり落ち込んでいるもんですから、小生は、「あなただから、この程度で済んでいるので、僕がやってたらもっともっとミスは多かったんだよ。」と伝えました。それでも全然効き目はありませんでしたけどね。
 どれほど弁明しても税務署は仮装隠蔽だと判断するかもしれません。でも、ほんとうのことって、実は如来さんにしか分からないんじゃないかと思います。たとえ、どれほど過大評価されようとも、またどれほど過小評価されようとも、ほんとうのことって、如来にしか分からない。如来だけが、私の〈ほんとう〉を知っていると思えます。
 どうしても私たちは人間の眼を気にします。過小評価されたくない過大評価されたいと思います。しかしその過大評価されたいという煩悩が自分を苦しめているんですね。
西元文英先生が、よく「御覧のとおり」と言っていたことを思い出しました。だれがどのように見ようと、自分は自分なんだ。たとえ自分で自分を過小評価(劣等視)しようと、過大評価(優越視)しようと、それは〈ほんとう〉の姿ではない。〈ほんとう〉の私の姿は、如来にしか分からないということでしょうね。それでこそ、仏教徒と胸を張って生きていけるのではないでしょうか。仏さんをモラルの基準にして生きているのが仏教徒ですからね。
 逆に、ひとを見たら隠しているんじゃないか、嘘をついているんじゃないかと、ひとを疑ってかかる性格が身についてしまっている税務署員を哀れに思いました。仕事ですから仕方ないんでしょうけどね。もし職業病として、ひとを疑うということが身についてしまったら、それはあまりにも哀れではないでしょうか。それはあくまで職業であって、彼らの人間性までには及んでいないことを信じたいと思います。
 そして一緒に、酒でも呑み交わしたいと思いました。

2008年8月17日
猛暑が続いている東京です。この暑さのせいか、連続で四人のかたのお葬式がありました。先日まで、アブラゼミが鳴いていたのですが、今朝から、みんみん蝉とツクツク法師が鳴き始めました。ようやく夏も終わりに近づいているのだなぁと感じます。
だいたい、私の子供のころの江東区は、工場地帯だったので、セミが鳴くこと自体、信じられないことでした。最近ではセミが鳴いていて当たり前になってきたので、自然がだいぶ戻ってきたのでしょう。
それにしても、体も以前の一部分であることを思い知らされます。大きな自然のバイオリズムってやつと、人体は連動しているのでしょうか。必ず葬儀が重なります。産婦人科の先生に伺ったとき、やはり生まれるときは重なるといいますから、人間の生死にはやはりリズムがあるのでしょう。
突然死は、まわりの人間にとってショックです。まったくこころの準備もなく亡くなっていくのですから。それに引き換え、徐々に死に至る場合、家族の受け止め方は違っています。最愛の肉親が亡くなっていくことを、こころの中でシュミレーションできます。そんなことは考えてはいけないと、打ち消しながらも、気がつくとシュミレーションしている自分が意識できます。
ガンの場合、余命が宣告され、徐々に死に至るわけです。誰しも死に向かって生きているのですが、それを意識させられるか否かは、大きな違いです。意識させられる場合、本人も家族も、ナーバスになります。
特別介護を受けざるを得ない老人を抱えている家族は、いつ終わるともしれない介護生活に疲弊していきます。長生きはいいけれども、いつまで続くのだろうという思いが嫌でも沸き起こってきます。それを考えると突然死は、家族にとってショックですが、介護の苦しみは感じなくて済むわけです。
どちらがよいのかと聞かれても、即答できません。自分はどっちだ?といわれても難しいです。
どちらにしても問題が残るのが人間の死ではないでしょうか。なかなか「これでよかった」と受け止めることが難しい問題です。

ここまでは、昨日に書いていたところです。今朝は随分涼しいですね。セミもまったく鳴いていません。一雨ごとに秋が近づいているようです。
昨日の話題に戻りましょう。
究極的には、やはり「ゆだねられる世界」がなければ、「これでよかった」とは言えないでしょうね。人間の考えの世界だけで考えれば行き詰まるしかありません。堅く握った自分の考えの世界を、手放してゆだねていくことができれば、たましいの落ち着き所が定まってくるように思えます。
今朝、オリンピックを見ようかとテレビをつけると、斉藤環さんたちが、なぜ現代の若者たちがひとを殺したり、自殺が多いのかということを論じ合っていました。まぁ、どこをどういじってみても、難しいことですけどね。私はやはり、現代の教育に「死」が脱落していることが問題じゃないかと思いました。「死ぬ」ということだけは、学校で教えませんね。この世を如何に生きるか?ということは教えますけど、死は教えません。また先生自身が教えられないのかもしれません。でも、これは先生は教えるひと、生徒は学ぶひとという関係では、教えられない問題でしょう。先生自身も自分自身に問うべき問題です。ともかく、現代では、生だけを教えて死を教えないことが、大問題ではないでしょうか。
 生と死の両面を教えて初めて、人間は育っていくのだと思います。いままでは、教育機関では教えてくれないかから、自分で独学して死を学んできたというのが日本人のやり方ですよね。
 文学や哲学などを駆使して、人間が死をどう考えてきたかなら、教材になるように思います。いわば「死生学」を打ち立てていくべきでしょう。
 
2008年8月9日
マスメディアは、北京オリンピックを盛り上げようとしているように感じます。確かに開会式は盛大でした。ここまで中国もやれるようになったのかと、ちょっと上から目線で感じてしまいました。開会式のセンスは、素晴しいものでした。
北京に雨雲が近づいていたので、空中に薬を散布して、海上に雨を降らせ、開会式には降らせなかったとアナウンサーは語っていました。全中国の威信をかけたということがわかりました。
しかし、あの華々しい開会式の裏側では、チベット問題やら、グルジア問題がくすぶっています。漢民族に抑圧されている少数民族がどれほどあることかと思わずにはいられません。13億人がひとつの国というのが不自然なんでしょう。連邦制かなにかで、それぞれの民族の自治権を育てていかなければ、矛盾は解決しないように思います。
一昨日には、中華航空の爆破予告があり、新疆ウイグル自治区では、爆弾事件があり、はたまた毒餃子問題の要因が中国にもあったことを認めたというのも、どうなんでしょうね。以前は、日本に全部責任を転嫁していたんですからね。その責任をどう取るんでしょうか?また日本は、どう追求するのでしょうか?
以前読んだ本(『貝の文化羊の文化』?)で、中国は殷(東部)の文化と周(西部)の文化が混在していることを学びました。殷の文化は、実利的な文化で、いわゆる本音文化だそうです。漢字では「貝偏」が重んじられます。貝は古代、金銭の役割をもっていました。ところが周の文化は、建前の文化で、漢字は「羊偏」を重んじます。「羊」と「大」が合体して「美」という文字ができました。「羊」に「我」を合体させて「義」ができました。
日本人に納得できないのは、この殷の文化と周の文化が中国人に混在としていることだといいます。毒餃子問題も、はじめは周の文化で、義を立てる。自分たちにはまったく不義はないと。しかし、実利的にまずいと思うと手のひらを返したように、殷の文化で過ちを認める。それが、なんの矛盾もなく感じられるのが中国人の感情だそうです。
そういえば、中国は、「中国台湾一国主義」で、台湾の独立を認めていません。これは周の文化です。ところが、オリンピックでは殷の文化で参加を認めるというのも、その現れかもしれません。
そうそう、中国共産党の支配する中国は、周の文化でしょうけど、解放経済は殷の文化なんでしょう。それが矛盾しないと感じるのが不思議ですけどね。
自分の中で、どうも、もうひとつオリンピックに対する盛り上がりが欠けているのは、そんなことが鬱積しているからなのだと思い至りました。
以前、岡本太郎が、オリンピックを批判して、「なんで、速く走れる人間とか、得点をたくさんとれる人間だけを集めてやるんだ。あんなものはオリンピックじゃない!全国民、全人民が、一生に体操をやるとか、みんなが一緒に参加できるものこそオリンピックじゃないか!」と怒っていたのを思い出します。
それもどうかと思いますけどね。ただし、より早く、より多く、より強く、より巧みに、という優秀な人体の見本市みたいなものは、なんだか見ていても面白く感じないのも正直なところです。そんな難しいことを言わないで、単純にオリンピックを楽しめばいいじゃないかというのも、その通りなんです。はい。


2008年8月4日
『現代語 歎異抄』が朝日新聞社から出版されました。親鸞仏教センター編・訳になっています。小生がセンター2001年7月開設当初から関わり、退職する2006年6月まで、毎月歎異抄の現代語訳作業を担当してきました。まだ、神田の仮事務所だった頃、小さいテーブルを囲んで、5人で研究会をしたことが懐かしく思い出されます。神田駅周辺は、小さい事務所やら、店舗が立ち並び、夕方には、居酒屋にサラリーマンが一杯やる姿がありました。あの雑多な感覚がよかったです。
それから、文京区向ヶ丘にしっかりした事務所が建てられ、研究員も徐々に増えてきました。作業を終えるころには、12人の研究員が作業をしていました。この研究会もやがて何らかの形に結実するのだろうとは思いつつ、まだ具体的にはなんの宛もなく毎月の作業をしていました。
ところが、ある日、朝日新聞出版の岡恵里さんから、モーションがありました。『親鸞仏教センター通信』で発表されている現代語は、面白いのだけれど、原文がどうしてああいう現代語に翻訳されたのか、その過程が見えない。どういう討論をへてああいう訳語に落ち着いたのか、その過程を本にしたいという申し出がありました。
それは私も面白い企画だと、乗り気になったのですが、実際にどういうふうにして形にしていくのか、まったく見当も着きませんでした。岡さんの部下である大原智子さんが、実際に小生とやりとりをする編集員になりました。
そして、どういう形にしていくか、何度か会議をもちました。まず、70本近くあるテープを聞かなければなりません。何年も前の研究会ですから、小生も記憶にありませんから、まずテープを聞きました。これを聞くだけでも、重労働でした。テープを聞きながら、現代語訳にとって重要な討論のところをテープ起こししてゆきました。ところが、すべての訳語に全員のコンセンサスがとれたわけではありません。ある表現にどうしてもこだわるひともいます。また、あっと言う間に全員一致で訳語が決まることもあります。これはこれで困るのです。本にするとなると、一般の読者を想定しなければなりません。私たちにとっては、全員一致でも、一般読者はどうして、そういう訳語に落ち着いたの?という疑問は残ったままです。その場合には、小生が、理解できるような形で解説をつけました。それも、誰かがあたかも発言したかのように作り上げたのです。
 ただテープを起こしただけでは、とても読み物として耐えるものにはなりません。それを加工する作業が必要です。
また、研究員の名前を入れて討論を紙面に再現すべきか、仮名をつけるか。しかし、研究員の出入りも多く、全員の氏名を載せることもできません。また本多所長の発言の扱いをどうするかなど、いろいろと議論を重ねました。
最終的には、あえてA〜Dの四人に絞り、研究会を再現するという方法を採りました。しかし、どうしても、原文が訳語になるには飛躍し過ぎているところが生まれてきました。その場合にも、小生が読者に理解しやすくなるために、文章を作って埋め合わせをしました。しかし、あまり文章を作ってしまうと、小生の自論を展開することにもなりかねません。その兼ね合いに苦労しました。
一応の方針が出たのが、2007年の秋だったと思います。後は、決められた手順で作業を進めていきました。小生がA〜Dの発言をワープロでつくり、それを大原さんに送信します。やがて大原さんから「?」やら指示がついた文書がPDF文書とテキストファイルで送られてきます。それを小生が読み、訂正などを書いて、再びメール送信します。そんなやりとりをする日々が始まりました。
 結果的には、本として出版するには多くを削除しなければならなくなりました。文書に「トル」と書かれた部分が多くありました。小生も泣く泣く削除に賛成しました。
 一般読者のニーズを大事にするには、そうするしかないのだと思いました。やはり手にとってもらわなければ困るということです。研究者や専門家に読んでもらうものではなく、あくまで一般の読者をに読んでもらうということが狙いだったのですから、それも仕方ないでしょう。
 果たして、これでよかったものかどうか小生には判断できません。自分の子供が生まれたようで、自分ではよいとも悪いとも評価できないものです。シェフが自作の料理の価値をほんとうには評価できないというのと似ていると思いました。やはり他者からの評価しか頼りにならないのです。しかし、他者の評価がこれまたまちまちで、結局、ほんとうのところは分からないということになるようです。
 だいたい、書物というものの価値もほんとうのところはよく分からないことです。なぜ書物を作るのか、なぜ読むのか、そしてどうなりたいのか?本質は仏のみが知ることなのでしょう。

 

2008年8月2日

「僧侶は、僧侶らしくしてくれなくちゃ、困る!わたしら、娑婆の人間と同じじゃ困る!やはり聖職者は聖職者として、あってもらわにゃ困る!」
こんな批判の声を聞きました。
この門徒たちからの浄土真宗僧侶への揺さぶりは、よく耳にするものです。でも、この批判は浄土真宗僧侶以外に対する批判としては成り立っても、浄土真宗僧侶への批判としてはあたっていません。それでも、私たちはどこかで「聖職者として振る舞え」という世間からの無言の要求を受け続けています。この要求から、完全に逃れることはできません。やはりどこかで、衣を着ているときには、この要求に応えてしまっています。そんな自分が、どこかで偽善を犯しているとも感じているのです。まことにウジウジとしてしまっているのです。
冒頭の批判の声を直接に受けたときには、小生といえども、「そうですねぇ〜アッハッハ」くらいの受け答えをする場合もあります。まあその門徒との関係の深さで答えが変わるのですけどね。とても親しい門徒に対しては、「ちゃんと仏法を聞いてきましたか?僧侶も門徒も、ともに凡夫だということを忘れていませんか?」と逆襲することもあります。
まず、「僧侶と門徒」という分類が強固にこころの中に出来上がっていたとしたら、その分類のこころが、まず壊れていなければなりません。「僧侶と門徒」という分類の前に、土台として「凡夫」がなければなりません。「凡夫」という言葉は、仏の仰せであり、私たちへの呼び声ですから、自称としては成り立たないことを述べておかなければなりませんね。
「ともに凡夫のみ」という呼びかけがあれば、たとえ世間では僧侶の体たらくとして批判されたとしても、凡夫性が僧侶を通して現れたと受け止めることができます。つまり、自分に凡夫性を教えてくれる象徴に変化するのです。しかし、凡夫は凡夫の凡夫性を絶えず忘れていくものでもあります。偉くて、清くて、正しくて、美しいものだと自分自身を思い込みたいんですね。そんな妄想を抱くわたしに対して、「ともにこれ凡夫のみ」として教えてくれるのが他者です。たとえ、僧侶であったとしても、ともに凡夫だと、そして凡夫性をわたしに教えてくれる象徴だと受け止められるのを、「聞法」というのでしょう。
もし、この凡夫性という大地から、足を離してしまったら、それこそ偽善になります。どこかで、聖職者たろうとしたら、それは偽善になります。それが浄土真宗僧侶の掟のようなものでしょう。
他者からどうみられようが、自分自身は凡夫性を表出して生きるものだという自覚が浄土真宗僧侶のモラルのように感じます。聖職者という高みにたつ必要がない、どこまで落ちても、落ちたところが凡夫の大地、安心の大地と受け止めたいです。愚かしくて、ドジで、忘れっぽくて、分かっちゃいるけど、やっちまって、同じことを繰り返し間違えて、ほんとうにどうしようもない存在としてあることが、これほど有り難いと思えるものが浄土真宗ではないでしょうか。
それが堕落として見えるか、教えとして見えるか、その決断が大事です。

2008年7月21日

何を本尊としているのでしょうか?

現代人は、「テレビを本尊にしている」と思います。家庭でテレビのある場所は、一番よい場所です。家族のみんなが見えるように、いつも家族と一緒にいられる場所です。ほんとうは、その場所は、御本尊のある場所でしょう。
テレビが出始めのころ、ナショナルがチークのデザインのを売り出しましたね。あれって、別名「仏壇型テレビ」といわれました。色合いが仏壇に似ているからです。いままで仏壇が置かれていた場所をテレビが占領したのです。そのときから、日本人の本尊は、仏ではなくテレビになったのです。
テレビの言うことは、なんでも正しいのです。会話の途中で「その情報は、ほんとなの?」と聞かれたとき、「だって、テレビで言ってたよ」と応えれば、相手は、それ以上追求しません。健康志向の番組も、テレビが報じれば、いかにもそれがほんとうだと思えてしまうのです。テレビは、必ず、「そのように見てほしい」という作り手の意図が入っています。その意図は、誰にも見えないようにできているのです。
テレビは、分かりやすさを追求しています。グルメ番組、クイズ番組、ニュース、旅行番組、なんでも「分かりやすさ」が絶対の価値とされています。難しい番組は、あっと言う間にチャンネルを変えられてしまいます。それでは視聴率が下がり、スポンサーが納得しません。視聴者が一番に望んでいる「分かりやすさ」を提供しないと、テレビ番組として成り立たないわけです。
食べ物でいえば、噛んで含めるようになるまで、柔らかく、消化しやすくして視聴者に与えられます。私たちは噛む必要がないのです。ですからどんどん咀嚼力が減退します。もう固いものには見向きもしません。つまり、分かりにくいものは拒否するのです。
しかし、テレビの中では、いつも柔らかいものを食べていても、現実の生活は訳の分からないことだらけです。食えない、噛めない問題ばかりが山積しています。ちょっと現実の生活を振り返れば、なんでこんな生活しているんだろう?これはいつまで続くんだろう?もっと違った人生が、自分にあったんじゃないか?楽になる方法はないのかな?等々。愚痴の種はたくさんあります。これって噛めない問題じゃないですか。
つまり、納得できない現実が、延々と展開しています。でもこれは、禅の公案ではないかと思いませんか。公案とは、禅の求道者に与えられる課題です。たとえば、「隻手(セキシュ)の声」というのがあります。両手で手を打てば、パンパンと音が出ます。それでは片手の音とはなにか?と問いかける公案です。その課題を求道者は一生懸命解くのです。
日常生活とは公案のようなもので、愚痴を吐くような問題を解かなければならないのでしょう。「愚痴」とは、自分に与えられた、自分にしか解けない公案ではないかなと思います。
「なんで、こんな…」という受け止めがたい現実が、そのまま公案なのです。私たちは現実から問われているのでしょうね。その答えは、自分自身にしか解けません。他人が代わって答えを出してくれるものでもありません。

最近「問いの中に答えあり」(問中有答)というテーマでお話することが多いです。よく耳にする問いですが、このテーマが面白いなと感じています。「問い」とは、まさに問いかけられている問題、つまり「愚痴」です。愚痴は、現実の問いかけに対して、どう応えてよいやら分からないときに出てくるのです。それは人生から問いかけられているといってよいでしょう。
先日の山形でのお話のとき、「どうやったら、生きることに勇気が持てるのでしょうか?」という問いを投げかけられた。この問いが生まれること自体が素晴しいことです。愚痴を吐いていた自分から、一歩深化しています。「あ〜あ、どうしたらいいんだ…」と愚痴を吐き、その底から、「じゃあ、どうしたら生きる勇気が持てるんだ?」という問いが生まれます。
その問いは重みのある問いですが、その問い自身の中に答えがあるのです。ひとはどういう問いを問うたかで、人間のスケールが決まってしまいます。
私は「『どうしたら?』という問いが消えたとき、答えが出るよ」と応えました。「どうしたら?」という問いは、正直な、また誠実で重たい、これ以外に問いようのない形の問いです。ひとは苦しい場所に立たされたとき、必ず「どうしたらいいんですか?」と問います。
しかし、その問いがもっと切実になってくると、問うている人間と問いが一体化してくるのです。問いそのものに溶けていくといってもいいでしょう。
つまり、「どうしたら?」と問うている時期は、切実なのですが、まだ余裕があるのです。ひとに答えを求めて、その答えを方法論として自分が採用して苦境を脱しようと考えているのです。まだまだ自信満々で、余裕があるときに「どうしたら?」という問いが生まれてくるのです。その段階では、まだ問いと自分との間に隙間があります。一体になっていません。
もはや、「どうしたら?」という問いが問えなくなるときがきます。それは問いが問うている人間と一体化したときです。つまり、その苦境を超えるための方法論を、もはや問う必要がなくなるのです。それはひとに答えを出してもらう問題ではなく、自分自身が生きることで応答していくしかないのです。それが問いと問うものとが一体化するということです。
答えを求めている間は、まだ問いが問いとして成熟していません。どんな答えをもってきたとしても、それが答えとならないと知ったとき、問いが消えます。
「どうしたら?」ということは、苦境を超える方法論を聞いていると同時に、その苦境の意味を問うている姿なのです。「○○のために、この試練が与えられているのだ」と解釈したいのです。しかし、結論をいえば、意味などありません。根底的に生きるために意味などありません。意味があって、私たちは人間に生まれてきたものでもありません。
苦しみの意味はないのです。なんのために苦しんでいるのか分からないのです。
ひとには誕生日と命日があります。生者は誕生日しかありません。でもいつか命日が生まれます。物心がついてから、私は「わたし」という舞台を、「わたし」という役を与えられ、決して降りることなく、命日まで演じ切らなければなりません。すると、どうしてもシナリオが欲しくなるのです。演じていることの意味を知りたくなるのです。
でも、それを知りたいという思いは、切実な求道心ですが、それは同時に煩悩なのです。親鸞というひとは、求道心こそ煩悩だと見切ったひとです。求めることが、迷いだと達観しました。師匠の法然も、菩提心は不必要だと語りました。求めることが、迷いの原点だと悟ったからです。
しかし、意味があろうがなかろうが、「わたし」という舞台を演じなければなりません。現実は待ったなしです。この現実に「わたし」が負けて、もう、意味があろうがなかろうがやるしかないと演じていくのです。意味という煩悩から解放されて、現実に対応していくしかありません。そこを生きる姿が、「問い」と一体になった姿でしょう。
現実が問いかけているのです。一瞬一瞬。それに対して、「わたし」が生きるということが応答なのです。人生は、問いのみがあって答えがないのです。答えがないから、人生が味わえるのです。そこにエロスを汲み取ることができるのです。
「生きていてよかったとか」、「これが人生の意味だったんですね」とか、そういう表現は嫌いです。そんな言葉がすべて消えていく広大な世界を仰ぎたいものです。


  2008年7月5日
昨日、鎌倉、東慶寺にある松ヶ岡文庫に行ってきました。ここは鈴木大拙先生が晩年お住まいになったところです。
横須賀線の北鎌倉駅から少し山手に歩いていくと、東慶寺の入り口があります。東慶寺は、江戸時代、駆け込み寺として有名です。北条氏が立てたお寺で、江戸時代にも力のあるお寺でした。山を借景にして階段を登っていく途中の斜面に東慶寺は建っています。本堂はこじんまりとし、実に奥ゆかしく建てられています。京都の大寺と違い、控えめな感じが実に素晴しい。
アジサイが所々に咲き、鶯が時々鳴いています。境内を山に向かって歩いていくと、結界があり、「松ヶ岡文庫の関係者のみ通行できます」というような立て札があります。そこを開けていくと、さらに130段の石段が続きます。ひんやりとした空気に包まれながら、苔むした崖の石段を、静々と登っていきました。ここを大拙先生も、一段一段登られたのかと思うと、感慨深いものがあります。
階段を登り切ると、ピシッ、パシッという妙な音がしてきました。私は、ピンときました。これは警策(坐禅のときに用いる棒)の音だとわかりました。案の定、松ヶ岡文庫仏教講座の参加者が坐禅を組んでいたのです。邪魔をしないように、音を立てずに建物の側を通り抜けました。しかし入り口(受付)がどこにあるのか分からない。奥までどんどん進んでいくと、雨戸もしっかり戸締りされている建物に突き当たりました。ここでもピンときました。これは書庫だなぁと。書庫の周りをぐるっと回ってみても、入り口らしき場所がありません。もう一度、坐禅会場の方へ取って返して上を見上げると、別の建物がありました。その階段を登りつめると、ようやく玄関に「受付」と書かれていました。私はホッとしました。
ガラガラと受付の扉を引くと、上がり框のところに受付の女性が、「こんにちは」と声を掛けてくれました。「武田です」というと、その女性は、机の上にある参加者名簿に目を落とし、探し始めました。「あのー、話をするようにと…」と私。女性は「あーっ済みません。先生でしたか!」とあわてられました。
奥に案内されると、そこここに大拙のオーラがわだかまっているのが感じ取れました。ひとりで松が丘文庫を切り盛りされている伴さんが出迎えてくれました。忙しそうに立ち回られ、「どうぞ、こちらでお食事を…」とテーブルに案内され、私はお弁当をご馳走になりました。
東慶寺という静寂の空間と、大拙のオーラに飲み込まれている私は、何が何やら分からないまま、なされるままに食事を全部いただき、デザートの葛切りまで終えたとき、少し落ち着いて、ようやく我を取り戻したような感覚でした。
「武田先生は、もっとお年の先生かと思っていて…」と伴さんがおっしゃるので、「一度お目にかかっていますよね」とお応えすると、「あのときは、暗くて、真っ黒の服装ですしお顔もよくわかりませんでしたので…」とおっしゃる。
案内をされてきた女性も、面識のない私を招請される伴さんはすごいと、伴さんの直感力に敬服していました。
女性に「一度はお断りしたんです。松が丘文庫などという権威のある場所で私などが語れるはずもありません」と私は告げました。「しかし、伴さんが私の直観で、武田さんをお願いしたんですから…とおっしゃるので、もしお断りすると、伴さんの直感力にケチをつけることになりますから、お引き受けしたんです」と話しました。
私を接待してくれたその女性は「伴さんは直感力のある方なんです」と応えてくれました。
私が食事を頂いた場所も、またその二階には大拙先生のベッドがいまだにおかれているとか、横の部屋は書斎になっていて、そこで研究を続けられていたとか、いろいろと拝見させていただき、尚いっそう、私は怖じ気づきました。
あの大拙の日常空間に分け入って、この私が何を語れるのだろうかと、ますます緊張しました。
二時になり、先ほど皆さんが坐禅を組まれていた会場「随庵(ズイアン?)」に案内されました。三十人ばかりのひとが思い思いに、座敷に座っておられました。その中を分け入って、椅子に座りました。古田紹欽先生亡き後、駒澤大学の石井修道先生がお世話をされているそうです。石井先生の司会で、講座が開会されました。
テーマは「〈零度の存在〉−偶然から必然へ−」としました。

 自分はほんとうの自分を知らない〈いま〉の自分はいつでも未知なる自分です。「見る」ということは、そこに必ず時間差が生じます。これが自分の身体だと感覚したときにも時間差があります。厳密にみると、一瞬前の時間の自分しか知り得ない。つまり過去の自分しか知り得ないのです。つねに〈いま〉という時間は流れていきますから、ほんとうはいつでも〈いま〉の自分は未知の自分です。いまだかって、自分を自分の肉眼で見たひともいませんし、感覚したひともいません。ですから明日自分がどうなっているか、ほんとうのところは分からないものです。それが事実なのに、私は私を知っていると妄想しています。自分のことは自分が一番よく分かっているなどというひとがいますが、あれは間違いです。自分はいつでも「零度」です。
 そう考えると、自己評価というストレスから解放されます。人間は、何に関心があるというと、自分自身について一番関心が深いのです。集合写真をみても、いち早く自分を探します。ひとからほめられれば、このうえない喜びを感じ、けなされればいやな気分になります。自分でもほめてやりたい自分に出会ったときには喜びますし、情けない自分に出会ったときには殺してやりたいと思います。ひとからどう見られるかという煩悩から、解放されることが救いでしょう。
 先ほども、受付の方に参加者に間違われました。それは見る方によって、どのようにでも見られるのが私です。お寺で門徒の方々と一緒に旅行にいきますと、よく私のことを旅館の方が「添乗員さん!添乗員さん!」と呼びかけてくれます。その方から見れば、私は添乗員に見られるのです。とてもお坊さんには見えませんねともおっしゃっていただきます。それは、そのひとの世界のことですから、それを尊重しなければなりません。決して私はそんなものではないと否定する必要はないのです。
 この世界は、そのひとにとって、掛け替えのないそのひと固有の世界なのです。その人の世界では私がどう映るかは、そのひとに任された世界です。ですからいろいろに見られるのです。それでいいのです。
 お坊さんに見られないからといって、お坊さんに見られるように振る舞おうという無理な緊張は無用です。また、お坊さんに見られなかったからといって相手をたしなめる必要もないのです。私は目の前のあなたの世界の住人なのですから。あなたの世界では、どうぞ自由に私を御覧になってくださいというしかありません。
 果たして、私という実体があるのならば、それは間違いですよと言うことも可能でしょう。しかし、私という実体がないのですから、それはできません。私自身でも私が分からないのですから、ケチをつけることもできないのです。
 世界はひとつではありません。十人いたら十人の世界があり、百人いたら百人の世界があるのです。あたかもひとつの世界に住んでいるように見えますけど、それは世界が重なっているだけで、事実はひとの数だけ世界はあるのです。それはそのひとの固有の世界ですから、だれも侵すことはできません。
 あえて無理をして、お坊さんらしく振る舞おうとすると、妙な匂いがくっついてしまいます。自然体ではありませんから、妙な匂いです。私は、らしく振る舞うということができませんし、嫌いです。それはほんとうの自分ではありませんから無理がはたらきます。できるかぎり無理のない生き方をしたい。自分は自分らしく生きたいと思っています。
そうやって無理して生きているものから解放して、自由にしてくれるのが仏法ではないでしょうか。
まだ他にもいろいろしゃべりましたが、一時間半のおしゃべりを、みなさん静かにお聞きいただき、ほんとうに有り難い体験をさせていただきました。
 これは私がしゃべっているというよりも、大拙のスピリチュアリティーが私に乗り移ってしゃべらせているのだと感じました。しゃべるのには別に台本がありません。ただ思いつきです。ですから私は単なるスピーカーであって、大拙のスピリチュアリティーがしゃべらせているのだと感じました。イタコの口寄せと同じ現象ですね。なかなかこれは面白いことです。
 伴さんによると、受付の女性が「人生には意味がないというお話を聞いて、肩の荷が下りた」と言ってましたよとお聞きし、とてもうれしい思いでした。
 ただでさえ生きていくのは大変なのに、そのうえ自分の妄念でがんじがらめに縛られ、苦しんでいるのです。そこから、ほんとうに融通無碍に、自由自在に解き放ってくれるのが仏法です。
 ほんとうに素晴しい一日をいただきました

 

2008年6月26日
この六月は、大切なひとをふたりも失いました。ひとりは同い年の従兄弟で、もうひとりは義母(連れ合いの母)です。従兄弟は埼玉県新座、義母は大分県宇佐市です。こう立て続けに身内を失うと、こころの深いところがボーッとして、日常とズレを生じてしまいます。そのひとと、どれだけの関係の深さをもったかが、そういうボーッとした感覚を深めるのでしょう。
昔から「喪中」とか「喪に服す」という表現をするのは、そういう状態のことなんでしょうね。なかなか日常の時間とズレを生じてうまくいかないから、あまり日常のことに専念せずに、ゆったり生きろという意味なのでしょうね。こころに受けたダメージは、急には回復しないということがよく分かります。
特に命終すると、たちまち通夜、葬儀と立て続けに、この世の習俗に引っ張り回されますから、ただでさえこころにダメージを受けているのに、そのうえに追い打ちをかけられます。ですから心身ともに疲弊していきます。
義母は、思いついたり、目にしたりすると、何かにメモを取る癖がありました。亡くなってから、家計簿のようなものをめくっていましたら、いろいろな詩や言葉や歌が出てきました。その中のひとつです。
「手つかずの 明日あるならば 急ぐなと 鳩鳴く畑に クワふりおろす」というのが好きです。
東京生れの母は、京都市役所で務めているとき、父と知り合い、やがて大分の寺に嫁ぐことになります。戦前戦後の激動期を生き抜き、やがて大分の里の寺で生活します。生活環境の変化は激しく、どれほど苦労したことかと想像させられます。
義母は花が好きで、寺の境内にいろいろな花を植えて育てていました。夏の暑いさなかでも、朝晩の水やりは欠かしませんでした。絶対に、私たち手伝ってくれということはいいませんでした。それは遠慮ではなく、自らの決めたことは自分でやるという、決意のようにも感じました。花好きも、ひとつの道だなぁと感心しました。
そうそう、ビールも好きでしたね。生ビールが大好きでした。ビールを飲むと、実に陽気になって、義父をはらはらさせる場面もありました。いつぞやは、日田にサッポロビールの工場が出来たということで、みんなで行きました。機嫌よく酔っぱらってくれたことを思い出します。
通夜に、小生が、家計簿などをめくって、義母の書いたものをワープロで打ち出し、みなさんに披露しました。それらの言葉を見つめていると、義母が何に感動し、どういう考えで生きてきたかがよく分かり、義母のこころが、そこに現れてくるようでした。それがまた悲しみを誘うことになりました。しかし、悲しいときには、涙が枯れるほど泣かなければいけません。立ち直れないくらい悲しまなければなりません。それでいいのです、と小生は思います。
生きるということも、「させられている」ことなのですから。なにも好き好んで生まれてきたわけではないのですから、いくところまでいくしかありません。
小生と出会って下さっているみなさんも、ほんと、一期一会の奇跡です。いつでも、どこでも、この奇跡を忘れないことです。いや、忘れてもいいのです。でも、すぐに思い出せるようにしておくことです。

2008年6月10日
一昨日の秋葉原魔殺人をどう考えればいいのでしょうか。ひとつには、原因を加藤智大容疑者個人の生育歴に還元する方法。つまり、精神異常や人格障害が原因だとみる考え方です。もうひとつには、彼をしてあのような凶悪な犯行をさせてた時代背景に還元する方法です。
ほんとうのところは、その両方なのでしょう。私たちは原因をひとつに絞りたいのです。また、刑法はひとつに絞って量刑を決めます。しかし、ほんとうのところは、原因は多元的で、ひとつには絞れないでしょう。凶悪犯罪が多くなったと嘆くのはまだ早いです。いつの時代にも、このような事件が起こり得るからです。ですから、時代を嘆くのではなく、人間そのものを嘆くべきでしょう。
彼は「善人なのか?悪人なのか?」と問われれば、「善人」と答えるしかありません。善人は、自分は正義だと思っています。ただしその正義が社会や、周りの人びとから評価されないのです。そのことへの不満があります。その不満がやがて、自分は正しいのになぜ社会は自分を正当に評価しないのだろうと考え、被害妄想に取りつかれます。自分は正しいのに、どうしてあいつらは、おれを正しく評価しないのか、おれがストレスを感じるのは、間違っているあいつらのせいなんだと考えていきます。
善人特有の感情は、被害者感情です。正しい自分のほうが攻められ、正しい自分のほうが不利益を被っていると妄想するのです。それを見返してやろう、ストレスを解消しようとして、凶行に出るのです。凶悪犯罪の根底には、必ず容疑者の被害者感情があります。それは自分を善人だ、自分には非がないと思っていることです。自分に正義を立てたとき、人間は凶行を行なえる根拠をもつのです。
もし自分が間違っていると思っていれば、凶行は行なえません。行なおうとすることも間違っているのですから、凶行に歯止めがかかります。自分が間違っていると思っているひとを『歎異抄』は「悪人」といいます。
ですから、自分が善人なのか?悪人なのか?とひとりひとりが自分自身に問いかけてみるべきです。それが平和へ至るための一番遠い道のりですが、それ以外にはない、一番手堅い方法なのです。(ずいぶん、更新を休んでしまいました。7月出版の本の校正に掛かりきりなので、と言い訳しておきます)


2008年5月28日
小生の住んでいる江東区・東砂とほど近い潮見で女性が殺害されたとテレビや新聞で報じられています。当初、女性が住んでいたマンションから、外出、あるいは持ち去られたという形跡がビデオカメラに写っていないのが不思議だといわれ、どのように失踪したのかが取り沙汰されました。
マンションの住人が事件に関わりのあることを捜査関係者は、薄々わかっていたのかもしれません。被疑者の男性の部屋の調査をしたところ被害者女性と同じ形のDNA反応が出たということが決め手で逮捕されたようです。
同じマンションの住人ということもあり、被疑者は逮捕以前、何度もマスコミにインタビューを受けている映像がテレビで流されました。それを見た人びとの感想は「普通のひと」でした。いかにもどこにでもいそうな、取り立てて見る人を刺激するような要素のまったくない風体の男でした。
いわゆる評論家も、「普通のひと」というアイテムに満足できず、何らかの異常性を、映像から読み取ろうとしていました。インタビューの映像には、被疑者が何度が笑うシーンがあり、あの笑顔が異常だと言ってました。もちろんそのインタビューを受けてたときは、おそらく女性を殺害し包丁で切り刻んだあとのことでしょうから。
他の評論家は、彼がなぜこれほど異常な行動をとったのか、彼の生育歴を徹底的に調査すべきだと発言していました。さらに、精神科医は、乖離性障害だとか、精神の異常があるのではないかとも話していました。
被疑者が、なぜこのような残忍な殺害を行なったのか、それこそ私たち「普通のひと」には理解しかねるという態度が、評論家たちに共通の感性でした。小生は、そのテレビを見ていて、因果律の見えざる強制力を感じました。つまり、こういう事件を起こした人間には必ず何らかの異常(原因)があると結論づけたいのです。異常の原因がたくさんあってはダメなのです、たったひとつに絞りたいのです。そしてその原因を特定して、特定された原因を人間から取り除けば、二度とあのような犯罪は起こらないと考えたいのです。
こうやって人間は、さまざまなものを異常の原因として取り上げ、人間社会から排除しようとしてきました。ところが、ところが、そんな原因はひとつとして見当たらないのです。確かにいかにも原因らしい要素は見つかるのです。幼少期に母が離婚し、愛情を感じることがなかったとか、学童期にいじめられて自殺を企図したとか、表面的に穏やかだが、一旦キレルと手がつけられなかったとか。そういう原因が特定されて、マスコミも私たち「普通の人びと」も安心するのです。そして何年もすれば、忘れ去っていくのです。再び異常な事件が起これば、またぞろ、それを繰り返してきたのです。そういう社会が私たち人間の社会です。
被疑者があのような犯罪を犯した原因はあるのです。しかし、それはたくさんの要因が複合していて、どれかを特定することはできないのです。なぜなら、それらの要因をもっているひとが、必ず彼と同じ犯罪を犯すのかといえば、そうはいえないからです。
となると、マスコミは不満です。「普通の人びと」の欲求に答えられなければ視聴率はあがりません。ハイエナのようなマスコミは決して満足しません。「普通の人びと」が満足しないからです。
小生は、なぜ彼があのような犯罪を犯してしまったのか、見当違いかもしれませんが、納得できました。確かに、彼は妄想を抱いていました。彼女が欲しいという妄想です。それを実行するかどうかは、縁次第です。普通は、妄想までですが、そこから実行へ移したことが彼の異常さです。自分の欲望を最優先してしまったのでしょう。自分にとって快感を得るものを、自分の自由にしたいという心性が底辺にあります。現代日本は、自己の欲望をかなりの水準で達成できる社会になってしまいました。つまり「不自由」のない社会です。マスメディアも、いかにも人間の欲望が自由にかなえられることを私たちに提示していると思います。こういう時代が人間の精神に影響を与えないはずはありません。
被疑者も被害者をちょっと脅せば、自分の思いが遂げられるに違いないと考えたのでしょう。しかし、自分の欲望の向こう側には、自分の自由にならない存在がいたのです。性はあくまで、お互いの合意が底辺にあって成り立つ関係です。確かに、マゾヒズムやサディズムという極端な関係もありますが、大半は、それほど極端な形にはならないはずです。 被疑者は包丁で女性を脅し、自室に連れ込むことには成功したようです。しかし、女性に抵抗され、それを封じるために包丁を使ってしまったのでしょう。彼は、自室に連れ込むまでは、自分の欲望が実現しました。ところが、抵抗を受けた段階で、初めて自分の目の前にしている存在が、自分の自由にならない存在として立ち現れてきたのです。この自分にとって不自由な存在を制止する手っとり早い方法が殺害だったのでしょう。その後は、逮捕を恐れて、証拠隠滅するために肉体を分解して、すべてを消し去ろうとしたのでしょう。
かつて養老孟司(解剖学者)が語っていましたが、人体を解剖するとき、一番感情が動かされるのが、顔と手だそうです。顔と手は絶えず動きをもっている場所だそうです。その動きがまったくなくなった肉体が、逆に人間の感情を揺さぶるのです。他の部分は、バスタブで血液を洗い流してしまえば、食肉と同じ様な感覚でさばけるようです。被疑者もかなり肉体を細分化するのに手こずったと思えます。しかし、証拠隠滅しなければ、「自分」の過去も未来もすべてが抹殺されてしまいますから、すべての感情を押し殺して作業にいどんだと思えます。このような成り行きは、想像がつきます。
ようするに、被疑者は、「普通のひと」だったのです。「普通のひと」が犯罪を犯すことが、これほど「異常」なことに写るのです。私たちは「異常」というレッテルを貼って、社会から葬り去りたいのです。被疑者を「普通のひと」にしておけないのです。しかし、それは不可能です。なぜなら社会は「普通のひと」が構成しているからです。
妄想は誰にでもあります。しかしそれが実行されるかどうかは、どうも何らかの「異常」というよりも、契機(縁)のように思えます。「普通のひとは、ああいうことはやらないわ」と言いますけど、そういうひとほど自分の「異常さ」に気づいていないひとでしょう。自分は「普通」、犯罪者は「異常」と決めつけた方が自我は安泰ですからね。
自分の内面に広がる魔性に無自覚な存在が「普通のひと」を形成しているように思えます。被疑者も内面に広がる魔性に無自覚だったのだと思います。欲望という名の魔性に。欲望は、彼自身ではないのです。欲望は彼を突き動かしてくる魔性です。その魔性が見えなかった。魔性が魔性だと見えれば、魔性から自分自身を遠ざけることができます。見えたからといって魔性がなくなるわけではありません。魔性は依然として魔性に違いないのです。ただ、それが見えるということが、魔性から覚めていくことなのだと思います。
ほんとうは、欲望と自分とを切り分ける刃物が、被疑者には必要だったのです。


2008年5月23日

自縄自縛(ジジョウジバク)とか蚕繭自縛(サンケンジバク)(『浄土論註』)という言葉があります。自縄自縛は、自分の縄で自分がグルグル縛られるということですし、蚕繭自縛は、カイコが自分の糸で自分をグルグル巻きにしてマユを作るように自分を縛ることを教えています。
 でも、これは、カイコを横で眺めているひとがいえることで、カイコ自身は、そんなことはつゆ知らず、相変わらず自分の糸で自分をグルグル巻きにしているのです。
 誰も苦しめるものがいないのに、自分で自分を縛りつけ、自分で苦しんでいるのです。でも当人は、自分で苦しんでいるとは思えず、苦しめる相手が自分の外にいるかのように感じてしまうのです。あわれな存在です。
 その自分のありさまの全体像を、見せてもらえる幸せが仏教の幸せです。見るだけでいいのです。自縄自縛は死ぬまで治らない病気ですから。ただそういう病気だと見るだけでいいのです。
 見れば、その病気から解放されるのです。実に簡単なことなのですが、「見るだけ」が至難の業なんです。
 仏教では、迷いの構造を「三道」といいます。惑→業→苦の三つの循環を繰り返すのが人間だといいます。惑とは、惑いです。まあ、不安がもとになって、自分が他者から苦しめられていると感じる被害妄想の感覚です。被害妄想がもとになって、つぎに「業」を起こします。業は、カルマkarma =行為です。行為は広い意味を含んでいます。行為は、働くとか運動することだけでなく、話す食べる寝る、考えることも行為に含みます。被害妄想の人間は、他者に向かって口汚く冷たく接します。不安の原因は他者にあると思っていますから、傷つけられる前に、こっちから攻撃してやっつけてしまおうとするのです。しかし、その業の結果、相手をやっつけてもやっつけられなくても、ため息しか出ません。そのとき感じるのが「苦」です。やっつけるといっても、必ずしも犯罪行為のように凶器で相手をやっつけるわけではありません。口で口撃したり、内心で「死んでしまえ」と思うことも「業」なのです。しかし、そういう汚い行為は必ず反作用があります。その結果自分が一番ダメージを受けるんです。こんな世の中なら、早く去ってしまいたいと思うこともあります。
苦を感じると、なんで自分だけがこんなひどい目に遭うんだと、また「惑」が起こります。そして業をつくり、さらに苦を感じるという循環が「三道」と呼ばれます。
こういう循環をやってるなぁと、見えればいいんですけどね。なかなか娑婆の真っ只中で、煩悩の坩堝に巻き込まれているときには、それが見えないんです。


2008年5月16日
壮絶な引っ越し作業が、ようやくひと段落して、ホームページを更新しようかという思いになりました。
11日の梱包作業、12日〜14日までの引っ越し作業、15日〜16日の仕分け作業と、ものすごく疲労しています。体のどこかに、まだ疲労という固まりが残っているようで、ズシーンと体が重たいです。
 何をする気にもなれず、ドロドロとした日常を経過していました。それは引っ越し業者がやってくれるのですが、どうしても、業者ではできない部分や、取り残し、また引っ越し先を指示したり、その置き場を指示したりと、三階建ての会館と、本堂の地下を往復するのは、思ったより大変でした。
 また、昨日今日の、開封作業が、これまた難行苦行ですーぅ…。
しかし、来年も、もう一度引っ越しをするかと思うと、もううんざりです。母などは、「もうどうにでもなれ」と言って、作業を放棄してしまいました。
 しかーし、本堂に阿弥陀さんが戻ってきて、お飾りが整うと、実にすばらしい限りです。天井も高く、空間が広いので、絢爛豪華、そして重厚な荘厳さが、身の引き締まる思いをかもしだします。まぁ、是非、ご縁のある方はお参りください。(でも飾った翌日から、ほこりがたまっていくのがわかります。広いということは、掃除が大変ということなんですね)
 やはり、仏さんのお飾りは、方便とはいえ、すばらしいです。目には見えない仏さんを、目で見えるように表現することを「方便」というのですが、モノとなって表現されたお姿が、なぜ人間に感動を呼び起こすのでしょうか。これは、モノであって、モノを超えているとしか思えませんね。
 だれも行ったことのない浄土、だれも見たことのない仏さん。それを形にすると、こんなにも人間に訴えるものがあるんですね。やはり、具象は大事です。形がないということは抽象ということです。抽象ということは、無責任ということでもあります。決して、目で見ることができないのですから、なんとでもいえるし、なんとでも考えることができるのです。「方便」をもたないということは無責任ということなんですね。
 しかし具象は、目で見、手で触れることができるのですから、これは逃れることができません。現象の世界に入ったということは、諸行無常の法則の中に入ったということです。形あるものは必ず崩れていくというはかなさをもっています。具象はどのよう見られようと、そして触られようと、文句をいうことができません。バーミヤンの石像が破壊されても、仏像は黙って、それを受容しているのです。人間の罪を黙って受け止めていくのです。あの責任のとり方は、人間にはできません。
 仏像は、所詮作り物です。でも作り物を生み出さざるをえなかった人間のこころは尊いものです。物質ではない仏を具象化させたのはすごいことです。
 最近、「超越」とか「無」と話したり、考えることが、なぜ恥ずかしいのだろうかと思いました。「阿弥陀さんは相対世界を超越しているのです」と考えたとします。そのとき「超越しているのです」と語るとき、実に、傲慢というか、不遜な気分になるんです。だいたい、相対的な存在であるお前が、どうして「超越している」といえるのか!と問いが起こるからです。
 ですからなるべく「超越」などという言葉を使わないほうがいいなぁと反省します。
でも、そういう言葉を語らないで、考えたり、しゃべったりできるだろうかというと、これが不可能でもあるのです。
 そして、問いがわだかまっていたのですが、「いいじゃないか」と思えるようになりました。所詮、「超越」と語ったとしても、それは、どこまで語っても、どこまで考えても「真の超越」ではないのですから。人間が考えたり語れることは、どこまでも相対有限な世界の次元のことです。決して「超越」には、かすってもいないのですから。「超越」を語ったときに、「超越」に触れているように錯覚していること自体が問題なんですね。
 超越は語れもしないし、考えることもできなかったのです。あーあよかったー。


2008年5月5日

ひとつの視点で、物事を切り刻むことはできません。わたし個人の経験を、万人共通の経験として語ることもできません。また、ひとつの処方箋で、すべての問題に答えることはできません。
 でも、ついつい、そういうことをやってしまいがちです。また、そういう視点やら処方箋がどこかにあるかのように思いたいのも、凡夫の性(さが)です。
 実は、真宗書誌学の基礎的研究を、末寺の住職として成しとげられた佐々木求巳先生の『真宗典籍刊行史稿』を頂戴し、ご苦労を忍びました。先生は明治42年に山形県に生れ、昭和4年に真宗大谷派・伝求寺(新宿区改代町)に入寺され、昭和8年に大谷大学(京都)に入学され、それ以来、真宗文化史の研究に生涯を捧げられました。(昭和62年、78歳没)
 いわゆる古文書ですけど、それを文明五年〜近世までの出版目録に蒐集整理され、刊行されました。戦前には相当数の書物を収集されていたようです。
 ところが太平洋戦争が始まり、先生は徴兵され戦に行かれました。昭和20年3月10日には東京が大空襲を受け、伽藍ともどもすべてが灰塵に帰してしまいました。
 先生は次のように、回顧しておられます。
「東京空襲の業火は、自坊はもちろんのこと、これら累積の資料も研究カードも、すべてを一握の灰と化してしまった。気をとりもどし、焼跡を取り片づけながら、灰を握って、しばし落涙をとどむることができなかった。
 ところで、戦後、物資の不足は、伝世された文化財も一片のクズ紙として理解されたにすぎず、聖教類まで廃紙として売られていき、先徳の努力も亡びていく危機にさらされた。いかに打ちひしがれたとはいえ、ただそれを傍観していて、それで先人に対して責任がすむであうか、先人の残した文化所産を後人に伝えることがわれわれの責任であると決意したとき、学問もなく、智もなく、財もない自分ではあるが、幸いに自分には、貧にも、困難にも対応できる体力と根気だけはある。時代の混乱の中に完成など考えてはならない。ただ、我武者羅に事にあたってゆく、それで倒れたなら、それだけで満足すべきでなかろうか。との、いままでの焦燥のうちに一脈の静けさをうることができた」。
 努力して収集した資料をすべて焼かれてしまった無念は、とても余人が思い計ることはできません。私なら、再び戦争が起こらないとも限らないし、たとえ一から収集を始めたとしても、また焼かれてしまえば同じことだから、やめておこうと考えます。所詮、人間の書いたものは、そらごと、たわごとだから、「焼けるとも失せぬ重宝は、南無阿弥陀仏なり」(蓮如の言葉)を大切に生きようとなったと思います。
 ところが、先生は、南無阿弥陀仏という「抽象」に逃げ込まず、徹底して地を這うようにして収集を開始し、まさに「具体」に生きようとします。先生は先人と後人への責任として、ふたたび立ち上がっていかれます。それ以来、30年間の収集が続きます。ですから、本堂も仮本堂のまま三十年が経過していました。その間のことを先生の薫陶を受けた高橋正隆氏は「寄せられた浄財は、すべて市井に流失した聖教の買い取りの費用にあてられたのである」と書かれています。
 それまでに先生を促したものは何だったのか?それを知りたいと思います。確かに浅野朝量や柳宗悦との出遇いも作用していたのでしょう。しかし、それだけではないでしょう。
 文化的作業は、所詮、「口舌の徒」とさげすまれることも度々です。戦火で焼かれれば、灰に帰してしまうようなはかないものです。別に、食べて寝るだけの生活であれば、文化などは不必要なのかもしれません。しかし、人間には「こころ」があるのです。「こころ」は、目で見ることはできません。それは書物にも還元できないことでしょう。でも、「こころ」は「言葉」によって形作られていくのです。そして言葉は当然、文化の所産なのです。いわば眼に見えない「こころ」の基礎を形成しているのが文化なのです。即効性はないにしても、「言葉」の収集整理が、「こころ」の土台を形成するのです。
 それにしても、先生が再び研究を発起されるのは、「責任感」だけではないように思えます。やはり書物を愛しておられたからではないかと思います。先生が亡くなって、お寺にお邪魔する機会がありました。ガラス棚の中に、純白のサラシを藍で染めた布がありました。お聞きすると、これは求巳先生が、ご自分で染められ、それを型紙に張り付け、古文書のケースをつくられていたのだそうです。これは、愛という言葉以外では言い尽くせないでしょう。私など、千里退いて、師の影を踏まずといった感じです。
 「抽象」は、膨大な「具体」の積み重ねのうえに、かろうじて成り立つ世界だったのです。私は、すぐに「抽象」にすり寄ってしまうのですが、もっともっと「具体」を丁寧に扱っていかなければならないと教えられました。
 

2008年5月1日
去年の10月から始まった池袋親鸞講座ですが、第一回目のお話が、テープ起こしされましたので、掲載させて頂きます。
はじめに

今年度の第一回目になります。初めての方もいらっしゃるということですので、できるだけ全体的に話していきたいと思います。一条ずつ読んでいくという進め方もありますが、『歎異抄』はテーマ別に二十の条があり、底のほうで全部つながっています。どの条を取り上げても、他の条は関係ないということではなく、全部下のほうでつながっているのです。ですから、今回からは何条とはくぎらずに、右へいったり左へいったり、いろいろな条を読みながら、テーマ別に進めていきたいと思います。
第一回目は、「信ずるということ」という大きなテーマを出しました。信ずるということは、西欧のほうにも、キリスト教に代表される一神教の中で「信」ということが大きな問題になっています。また、儒教でも「仁義礼知信」という形で「信」が問題になっています。当然、仏教でも「信」ということが問題になっています。いろいろな文化圏にまたがりながら「信」という言葉が成り立っています。今回はこのような壮大なテーマを掲げてしまい、自分でもどのようにしたらよいだろうかと決められずにこの場に来たようなことです。
しかし、中心の課題は『歎異抄』ということですので、『歎異抄』が「信」ということをどう捉えているのか。『歎異抄』の信の世界とはどういうことなのか。結論としてはそのようなところを目指していきたいと思っています。
テキストは『歎異抄』(東本願寺発行)を使いますが、この『歎異抄』というのは、岩波文庫からも出版しておりますし、ベストセラーであります。岩波文庫では百刷ほど刷られているくらい、たいへん売れています。『歎異抄』は約一万二千字と短いです。ですから読めばわかるように思うのですが、しかし実際に読んでみると、奥が深くていったい何がいいたいのかわからないというような実感を持たれているのではないかと思います。
『歎異抄』で特に有名なのは第三条の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というところです。善人が往生するなら悪人はなおさら往生できるという大胆な表現をしています。ですから、だれもが「それはどういう意味なのか」と考えます。短いながらにすごく深いことが語られていて、一瞬わかりそうに思うのですが、突き詰めて考えていくと何だかよくわからない。そういう印象を『歎異抄』は持たれていると思います。
親鸞といえば、やはり『歎異抄』なのですが、主著は『教行信証』です。ただしくは、『顕浄土真実教行証文類』といい、略して『教行信証』といいます。これは親鸞聖人が自分で筆を取って書かれたものです。漢文なので非常に読みづらいこともありますし、いろいろな経典・論書の引用がほとんどです。八割方は先輩方の引用で、親鸞のいっている箇所はごく僅かなのですけれども、「文類」という形で編集されていますので親鸞の主著だといわれます。
『教行信証』は親鸞が筆を取って書いたのだから、『教行信証』を読めば親鸞の真意がわかるだろうということで、皆さん『教行信証』に挑戦しますが、『教行信証』では挫折するといいますか、よくわからない。そこで何がいいかという『歎異抄』を読みます。薄いということもありますし、平仮名と漢字の和漢混交文で書かれていますので、多くの方がこれを入門書に使います。

『歎異抄』の著者について

『歎異抄』は弟子の唯円という人が書いたということになっていますが、本当のところはだれが書いたかわかりません。作者の名前が書いていないからです。『歎異抄』には原本がなく、全部写本として伝わってきました。要するにコピーです。人の写したものがずっと伝わってきており、著者名が入っていないという不思議な書物なのです。
ですから、だれが著者なのかということが学者の間で問題にされておりました。江戸時代には、親鸞聖人の孫(如信)ではないかと考えられていました。幕末から明治にかけて、妙音院了祥という『歎異抄』の研究をされていたお坊さんがいました。その人は、『歎異抄』に名前の出てくる唯円が著者ではないかと考えました。九条と十三条に「唯円房」と親鸞が呼びかける段落が出てきます。そのことを考えると、おそらく唯円が話し手として『歎異抄』を書かれたと思われます。ですから、唯円という人が著者ではないかということが現在では定説になっています。
ただこの唯円という人がどういう人物なのかということも、確定していません。当時の門弟の名簿を調べると、唯円という人が何人か出てくるわけです。茨城県の水戸の西側に河和田というところがあり、「河和田の唯円」といわれているのが、先ほどの『歎異抄』に出てくる唯円です。了祥さんは、この人が『歎異抄』を書いたのではないかといわれ、現在では、それが定説のようになっています。しかし言語学者や国語学者がこの文体を調べたところによると、どうもこれは関東の文体ではないらしい。私も聞いた話なのですが、どうも関西圏の人ではないかという説です。そうなると、河和田にいた唯円ではなくて、親鸞の遠縁にあたる別の唯円ではないかという意見もあります。亡くなったのが奈良県の下市です。ですから著者も謎めいています。
『歎異抄』とはそのように謎めいた書物なのです。もし自分が書くのであれば、普通は名前を記しますね。私は『歎異抄』に著者名がないということは、あえて自らの著者名を秘したのではないかと想像しています。ひとつのものをまとめて世間に提示するということは、どうしてもそこに「正しい」という「義」を立てます。その「義」を立てて世間に問うわけです。けれども唯円の場合は、自らに「義」を立てる、自らが正しいというところに立つということ自体が問題でありました。そういうニュアンスが全体にあります。自分が「義」を立てて主張すること全体がナンセンスだということです。
第十条には「義」という言葉が出てきます。「念仏には無義をもって義とす」(テキスト十八頁)という文章です。義が無いことが正しいということだといっています。そうなると自らの著者名をそこに記すということは義を立てることになりますから、むしろ真宗という教えに反していく。そのようなこともあって著者名を秘密にされたのではないかと思います。これは私の想像であり、何も実証的なものはありませんがそう感じています。

弟子に証される真実

そのように謎の書なのですが、私たちの魂を揺さぶるといいますか、日本人の心を揺さぶるものとして『歎異抄』は愛読されてきました。そういうことがありまして、親鸞といえば『歎異抄』ということになるのです。語録であり弟子が書いたものですが、弟子の書いたところにむしろ本当の親鸞が表れているという不思議な書物です。普通は自分が筆をとった『教行信証』に自分のいいたいことが全部あるはずです。『教行信証』を見てもちろん感動する箇所はありますが、多くのところは感動しないという変な印象を持ちます。
これもエピソードですけれども、前に私たちの教団で「毎日法語」というものを作りました。お坊さん五、六人で今まで感動した言葉を全部持ち寄り、それを「毎日法語」にしようといって作り出しました。そうしたらみんな持ってきた言葉がかなり重複しており、ほとんどが『歎異抄』からの引用でした。中には『教行信証』とか他の経典の言葉もありましたが、多くが『歎異抄』の言葉でした。こういう結果になると、『歎異抄』の解説本を作ればいいのではという話にもなりました。
このようなことが起こったということは、私たちが何を親鸞と感じているかというと、主著の『教行信証』ではなくてむしろ『歎異抄』を親鸞と感じているということなのです。弟子の書いた『歎異抄』のところに、本当に親鸞がいいたかったことが残っていると感じるという不思議な書物であります。
やはり仏教というのは弟子の伝統なのです。お釈迦様も自分で筆をとって書いたものはありません。すべて「如是我聞」とか「我聞如是」という、「かくのごとき我聞きたまいき」、このように私は聞いた、私はこのように受け止めましたという言葉で始まっています。中には始まってないものもあります。始まってないものは省略されているだけです。あるいは、「オーム」という言葉で始まっているものもあります。「」という真言の「」は「オーム」を音写したもので、オウム真理教の名称に使われています。聖なるものを口に出す場合は、最初に「オーム」といってから話したそうです。だからオウム真理教は、名の付け方がうまいと思います。経典の始めには「オーム」がついているわけです。
そのように、お釈迦様が自分で筆を取ったことはありません。筆をとったらお釈迦様の真意は伝わっていかなかったのではないかと思います。
親鸞の『教行信証』は、師匠の法然上人を弁護する書物なのです。の浄土真宗、法然や親鸞の系統が弾圧されるということがありました。親鸞は越後へ、法然は土佐の国へ島流しになるわけです。後に弟子の親鸞が先生である法然上人のいいたかったことは、実はこういうことなのだと、法然を弁護するために『教行信証』を書いていくというのが動機のひとつです。ですから必ずしも親鸞の自己主張を当時の知識階級に問うという形ではありませんでした。法然を弁護するための書物なのですが、同時に親鸞思想の核心が書かれています。不思議と動機が重なっています。
しかしこの親鸞の『教行信証』以上に『歎異抄』というものが、親鸞の真意を表現してしまっています。それが現代までつながってきています。岩波文庫の売り上げではかなりの違いがあります。『教行信証』は、四十から五十刷ぐらいですが、『歎異抄』は百刷と倍位になっています。そのことは、弟子のほうが上であるとか、親鸞の文体が下手であるというような話ではなくて、やはり親鸞がいなければ唯円は生まれなかったわけです。法然がいなければ親鸞も生まれなかった。そういう意味では法然と親鸞というのは、真宗という宗派の名前ではなく、真(本当)を宗とするということを二人で表現された。二人でひとつの仕事をされています。法然がいなければ親鸞は生まれませんし、親鸞がいなければ唯円も生まれていないわけです。これはどちらが上で、どちらが下ということではありません。そこにやはり真宗というものを表現しよう、顕かにしたいという要求があるのです。

死の事実を隠す文明

先ほどいいましたように、『教行信証』の正式名は『顕浄土真実教行証文類』です。これをどう読むかというのも大きな問題です。浄土を顕かにする真実なる教行証を集めた文類と読むのか。浄土真実を顕かにする教行証の文類なのか。これをどう読むかというのも解釈が分かれるところですが、いずれにしても真実というものがあります。本当ということです。本当ということを私たちがどこかで求めているのではないでしょうか。本当ということを知りたいというのが宗教的な要求といえるでしょう。
人間が人間であるということは意味を求めるということです。他の生物と違うのは唯一意味というものを求めます。意味ということがなければ人間は生きることができないのです。私たちが今日まで生きてきたというのは、どこかで自分の存在の意味というものを実感してきたわけです。自分がここにいるということの意味、そういうものを求めるのが人間です。なぜ意味を求めるかといえば死ぬということがあるからです。もし人間に死ぬということがなければ意味を求めるということはありません。人間はどこかで死ぬということを学ぶわけです。このことも人間に習わなければ、人間の言葉で教育されなければ、私たちには死ぬということはわかりません。
死ぬということがどこで教育されるのかは、身近な自分の肉親であるとか兄弟であるとか、テレビを見てとか雑誌であるとかいう情報を通して死ぬということが教育されます。教育されて初めて、自分も死に、親兄弟も死ぬのだと学んでいきます。学ぶことを通して逆に生きている意味はなんなのだという問いが出ます。
私たちは死に向かって生きているので、その死で終わってしまいますが、それに向かって生きていることの意味はどこにあるのか。この問いが根本的に人間の底辺にあります。深層にあります。日常生活でどういう仕事をするとか、どういう経歴であるとか、どういう肩書きであるとか、どういう民族であるとか、何語なのかなど、いろいろな属性があります。けれども、それがどのようなものであっても、例えば天皇であったとしても、総理大臣であったとしても、死をもって人間は終わっていくのだと必ずどこかで知っています。
普段は隠蔽しているだけなのです。文明というのは死を隠蔽します。人間が作り出してきた文明が進歩や発達したということをどこでそう見るかといえば、結局死というものをできるだけ見えないように遠ざけるというというところです。死をなくしていくということを文明が進歩発達していると私たちが呼んでいるだけです。別に進歩や発展はしていません。昔は京都まで七、八時間かかったところを二時間半で行けてしまいますから、確かに機械は発達しています。けれども人間は変わっていないのです。そこに問題があります。
文明というものは死を見えないようにしようとします。本当は消してしまいたいのです。医療技術を発達させて、なるべく死を遠ざける。あるいはクローンでどんどん生き延びていこうという方法もあります。死ぬということをどんどん削ぎ落とす。あるいは上からベールを張って見えないようにします。飛行機にも四番という席はありません。全日空は四十四番の席がありませんでした。私が乗ったのは四十三番で、次は四十四番のはずですがありませんでした。死をないことにしているのです。日本航空は十三番がありません。「十三日の金曜日」を連想する数字ですからでしょうか。西欧東洋関係なく、結局死を見えなくして隠して小さくしています。しかし、隠すだけで絶対にあるわけです。死は見えなくはならないのだけれども、見えなくなるように押し込んでいって、その上のところだけを私たちは文明と呼んでいるのです。
これは前年度の講義で申しましたが、「損得・快不快・善悪」の三つの原則にあてはまります。損か得かというのは資本主義の大命題で、損になることを捨て得になることを求めます。気持ちが悪いことより気持ちのよいものを求めよう。悪いことよりは善いことをしよう。だいたい昼間の文化というのは全部これで説明できます。
文明とはこの三つを原則として動いているのです。けれども、これだけでは物足りないものも人間は持っていまして、それを親鸞は「顕浄土真実」と求めたわけです。本当ということは何か。本当とはいったい何なのだという問いとなって表れます。本当に生きるとはどういうことなのか。死をもって私たちには意味がなくなってしまいます。死をもって私たちは無意味になるわけです。無意味だといわれてもなおかつそこに生きる意味はあるのでしょうか。

深層の自己の問い

死をもって無意味になっても、なおかつ生きる意味はあるのかということが、宗教的な問いになってくるわけです。深層の問いになってきます。この問いに魅入られた人は、この問いからなかなか退くことができなくなります。みすみす死んでしまうのに生きる意味なんなのだろうか、本当に生きるとはどういうことか、本当の自分はどういうものなのかと、本当ということに魅入られた人は本当のことを知らなかった自分には戻れなくなることがあります。そのようなことを阿弥陀様の言葉を使えば「」と表現されます。おさめとって捨てないという慈悲の言葉として『』に出てくる言葉です。一切の衆生を阿弥陀様はおさめとって捨てないということをいっているわけです。
このことは単に一網打尽に愛してしまうという一神教の神のような意味ではありません。おさめとって捨てないというのは、その問いから逃がさない。本当ということを知った人間はそこからあとずさりできなくなるというか、深層の問いに目覚めたら、そのことを知らずには生きられなくなります。そういう伝統が宗教というものを求め続けたのだと思います。これは西欧であろうと東洋であろうと同じことだと思います。
自己を二つに分けるとすると、「表層の自己」と「深層の自己」になります。「深層の自己」を私は別のいい方で「メタ自己」と呼んでいます。メタなる自己、メタファーとかメタフィジックスの「メタ」です。「メタ」というのは、「何かの後に」とか「それを超えて」という意味があります。「メタ自己」があって「表層の自己」があります。
人間はみすみす死んでしまうのになぜ生きるのか。そのようなメタ自己の問いが人間を突き動かします。そのときにどういう表れ方をするかといえば、親鸞は浄土という形で表します。あるいはフロイトやユングなどは、深層の無意識だという捉え方をします。無意識にもいろいろな段階があって、個的な無意識があり、民族的な無意識があり、普遍的な無意識があるというように、無意識にも階層分けをします。深層の自己ということを、深層の無意識という形でユングやフロイトは問題にしていきます。
深層の問題について、仏教には存在論であるがあります。「ただ識のみあり」と、存在はただ識だけであるといいます。唯識は南インドのバスバンドゥ(世親)という人が一番大成するわけですが、この唯識思想でいえば深層をだといいます。その上にはというものがあって表層の自己があると受け止めるわけです。
そのようなものを、私たちのメタ自己の要求といいますか、表層の問いではなくて深層からの問いとして私たちに要求します。その深層の問いということは、地球の中でもいろいろなところに起こってくるのです。それに対して親鸞という人は、本当というのは浄土だといっているのです。浄土真実としてその問題を取り上げていきます。親鸞は浄土として受け止めますが、どの時代のどういう文化の中に生まれたかということによって違いがあります。プラトンでしたらイデアとか、お釈迦様でしたら空であるとか、バスバンドゥなら阿頼耶識で、親鸞は浄土だと受け止めます。
浄土真宗というと浄土真宗だけに真理があるように錯覚します。仏教というと仏教だけに真理があるように錯覚しますが、そん