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     真 宗 会    2008年

                                                                                                                                           

次回は8月8日(金)です!

●昼下がりの法話会、それが「真宗会」です。おつとめをして、お話を聞いて、お茶を呑んでお菓子を食べて、のんびりする会です。でも、本堂でノンビリすると普段とは違った仏法空間にたましいがノビノビします。だれでも参加できます。参加資格は問いません。檀家であるか無いかは問題にしておりません。念のため(^^ゞ 参加懇志・500円位●

                                                                                                                                                                          

新しく「真宗会」のコーナーを新設しました!

■現在、真宗会のお話は、親鸞聖人の作られました『正像末和讃( しょうぞうまつ・わさん)』をテキストにしています。まあ、「和讃(わさん)」といいますのは、ポエムですね。漢語ではなく、和語で教えの意味をうたいあげたものです。日本人のこころのリズムにぴったりの、七五調でうたわれています。

前回から、正像末和讃に入りました。親鸞聖人は70代の後半から80代にかけての著作が圧倒的です。当時の平均寿命を考えると、恐ろしく最晩年ですよね。正像末和讃は84歳ころの作品だと考えられます。お釈迦さまの時代からどんどん遠く隔たってしまった末法の時代に、それであっても、いやそれだからこそ阿弥陀さんの大悲が強大になるんだと熱烈にうたいあげる親鸞の情熱を感じ取れたらと思います。

ある日のレジュメを載せておきます。どうぞ…m(__)m

                                                                                                                                                                         

 

 

  24 弥陀知願の回向の 信楽まことにうるひとは

 
   摂取不捨の利益ゆえ 等正覚にいたるなり

  25 五十六億七千万 弥勒菩薩はとしをへん 


    まことの信心うるひとは このたびさとりをひらくべし

  26 念仏往生の願により 等正覚にいたるひと


   すなわち弥勒におなじくて 大般涅槃をさとるべし
    
 

【現代語訳】 ────────────────────────────
 

 一首目
 

阿弥陀様の知恵と慈悲に育てられた信心を頂戴したひとは、阿弥陀様の救いにおさめとられるという御利益があるので、必ず悟りを得る弥勒菩薩と同じ精神世界が開かれてくるのです。

二首目

 お釈迦様がおっしゃることには、五十六億七千万年後に、兜率天から弥勒菩薩がこの世に降臨して悟りを開くと。しかし、ほんとうの信心を得ているひとは、ただ<いま>悟りを開くことができるのです。

三首目

 念仏によって弥陀の浄土に往生することができるという本願の促しによって、必ず悟りを得られる信仰にいたったひとは、そのまま弥勒菩薩と同じように、このうえない最高の悟りを得ることができるのです。

■あじわい■   
■今日は、「正像末和讃」(58首)の第8回目です。(24〜26首目まで)
 

●第一首目●

 「ネコ安心とサル安心」。浄土真宗の救いは、ネコかサルか?という例え話があります。サル安心とは、サルの子育ての様子から名づけられました。サルの赤ちゃんは、お母さんのお腹にしっかりとしがみついて育てられます。お母さんサルがどんな動きをしても、振り落とされないようにしっかりとしがみついています。しかし、これは、浄土真宗の救いの姿ではないと、たとえられます。
 一方、猫安心とは、猫の赤ちゃんの様子から名づけられました。猫の赤ちゃんは、お母さんにしがみつくことはありません。お母さんが、エサを取りにいっている間も、ジッと住処から離れることはありません。移動するときも、お母さんネコは、子猫のくびったまを加えてヒョイヒョイと移動します。子猫はされるがままです。完全にお母さんを信頼して、全身を投げ出している姿です。これが、浄土真宗の救いの姿だというのです。つまり、母とは阿弥陀さんの譬えです。お母さんに振り落とされまいとして、しがみついているということは、子どもに恐怖心があるのです。振り落とされるのが怖いから、一生懸命にしがみつくわけです。しかし、ネコは、しがみつくことはしません。完全にお母さんに任せて、眠っています。これが「摂取不捨」という意味だと、お説教では話されることがあります。
 親鸞聖人は「地獄一定すみかぞかし」と歎異抄で語られています。どんな苦しい情況にあっても、その地獄から逃げることをしないで、その地獄を引き受けようとするこころが、摂取不捨のこころなのでしょう。阿弥陀様に任せて根底では安心しているからこそ、地獄の苦しみでも引き受けていこうという「生きる勇気」が与えられてくるわけです。

●第二首目●

この和讃は、弥勒菩薩を譬喩として信心の特質を語っています。『菩薩処胎経』には、このように語られています。弥勒菩薩はいま、兜率天にあって仏になるための修行をしておられる。やがて、五十六億七千万年の後には、この世界へ降臨して、必ず仏さまになることができるのであると。そこから、「正覚」(=さとり)に「等しい」位ということで、「等正覚」という名前が付けられたのです。悟りそのものは正覚ですけど、その正覚とほとんど等しい、しかし完全なる悟りではない。必ず悟りを開くことができる、因の位だというのです。
 それを比喩的に、親鸞聖人は、「皇太子のくらい」だとも表現しています。皇太子は間違いなく王様の跡継ぎを意味します。それを比喩的に用いて、真宗の信心を説明しているわけです。信心は必ず、仏になるための因であると。つまり悟りそのものの因だというわけです。しかし、悟りそのものだとは表現しません。なぜなら、生きているということは、「完結」しないからです。「これが結論である」ということはできません。
 生きているということは、常に変化しているということです。頭で考えれば、昨日と同じような今日がやってきたと感じるのです。毎年毎年、同じようなことが繰り返されていると思えてしまうんです。しかし、事実をみれば、日々少しずつ変化しながら身体は維持されているのです。生きるということは、鮮度が大事です。古いものは死に、新しいものが生まれるということが、毎日展開しているわけです。ですから、「結論」がないわけです。
 一応仏教は「成仏」というテーマで成り立っているのです。しかし、仏に成ってしまったときには、「完結」ですから、動きも死んでしまうのです。生きているというときは、「完結」はありません。ですから、毎日苦しんだり笑ったり、怒ったり泣いたりしながら、娑婆の動態を生きているわけです。
 この状態を、「菩薩」といいます。菩薩はインド語の音写で、もとの言葉は「ボディー・サトバ」です。「ボディー=覚」「サトバ=有情」ですから、覚有情ということです。有情とは人間のことです。しかし、ただ単なる人間ではなくて、覚めて生きる人間という意味です。悟りを開きつつ生きる人間です。
 ですから、あらゆる人間の毒を一身に引き受けつつ、常に悟りを体現しているひとという意味です。安田理深先生は「人間の弱点をさらけ出して生きるもの」というような表現をしていました。仏さんには、弱点はありません。感情の変化も貪りのこころも起こらないのですから、ひとから批判される一点の濁りもありません。清潔そのものです。しかし、生きるということは、そうではないわけです。ひとから後ろ指を指させるような毒やら、ひとには決して言えないような秘密を抱えて生きざるをえません。後悔をしつつ生きなければならないのが現実です。
 しかし、それは、すべて有情というものの本性なんです。弱点であっても本性であります。それをさらけ出して恐れることがないという、勇気が与えられるのです。それは、やはり仏さんがいるからなんです。仏さんが私を見ていてくれるからこそなんです。親鸞が「人倫の哢言を恥じず」という言葉を遺しています。ひとからどれほど、批判されようと、非難されようとも、私はこの表現をどこまでも続けてゆくのだという勇気が語られています。それは、仏さんから見つめられている視線だけを信頼しているからです。まさに「唯仏論」です。人間の視線はまったく意に介さないという自信です。
 別に人間の視線を、あえて無視するということでもないのです。「おれのことは仏さん以外分かってくれないんだ!」というひねくれた独我論ではありません。そういう閉じられた独我論ではありません。永遠からの視線に身をすえてみれば、どうしても、こう表現せずにはおられないのだということでしょう。ですから、その言葉の前には「仏恩の深重なるを念じて」と言っているのです。仏と我という関係の中で、初めて表現が生まれてくるのです。
 本題に戻りましょう。弥勒菩薩は兜率天にいまはいるのです。そこで五十六億七千万年という時間がたたなければ仏に成ることはできません。しかし、ほんとうの信心をえたひとは、「このたびさとりをひらくべし」ですから、<いま>悟りを開けるんだというのです。これが親鸞の言いたいことなんです。弥勒は、まだまだ時間がかかるけれども、われわれ凡夫は身は愚かであっても、<いま>さとりを開くことができるのだという宣言です。弥勒菩薩は凡夫のわれわれ以上に尊いかたであっても、自力なんだと、われわれ凡夫は身は愚かであっても、他力たんだというわけです。凡夫にほんとうの自信を回復させてくれるわけです。親鸞聖人は、お手紙にこういうふうに語っています。
 「真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。このゆえに、臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心さだまるとき、往生またさだまるなり。」(末燈鈔)信心が決定したときに往生が決定するのだという意味です。それは、「やがて」ということではなく、<いま>成り立つのだということをいうのです。

●第三首目●

 

これも先程と同じような意味合いです。ただ「大般涅槃」という言葉が出てきます。「大いなる完全なるさとり」という意味です。ここにも、自力での往生ではなく、他力の往生が大事なのだと強調しているように感じます。
 自力というのは、人間の勝手な思いです。しかし現実は他力で生きているということです。正確にいえば、身は他力で生きているのに、人間はいつでも自分の思いで生きているように錯覚している生き物であるということです。錯覚の生き物が凡夫なんです。
 「わが身をたのみ、わがはからいのこころをもって、身口意の乱れ心を繕い、めでとうしなして、浄土へ往生せんと思うを、自力と申すなり」と親鸞聖人は書かれています。錯覚していることにも気がつかず、その計らいのこころでもって、自分の乱れた心をきれいにしたり落ち着かせようとして、立派なものとなって往生しようと考えていることを自力というのだと教えています。
 そういう「自己洞察」のすごさには驚かされます。自己を完全に相対化することができるということが、仏道なのでしょう。それには、自分の見ている自分、あるいは他人が見ている自分を超越してゆかなければなりません。唯仏論と私は言っているのですが、仏から見られた視線へと出ていかなければなりません。この仏の視座は、だれも埋めることができません。人間には分からないのです。まさに「唯仏与仏」の知見です。「分からないというもの」を本尊とするのです。阿弥陀とは、人間には「分からない」ということです。
 「分かる分からない」というふうにいうと、もう人間の理解の世界に引きずり込んでしまうことになります。「分かる分からない」という世界の外にある「分からない」ということです。人間はいろんなことを知っているのです。自分の体が自分のものであるとか。ここは日本という国であるとか、自分は日本人だとか。平均寿命が何歳だとか。今日は11月10日であって、あとひとつきで今年も終わるのだとか、よく知っています。
 しかし、本質的には何も分かっていないんです。いったい何のために生きているのか?どこへ行こうとしているのか?なにがほんとうにしたいのか?なぜ自分は自分なのか?なぜ地球は回っているのか?どうして地球はいまのような形なったのか?なぜ地球は宇宙空間に浮いているのか?なんのために死んでいくのか?本質的なことは何も分かっていないのです。ですから、人間にはほとんど分かっていない世界に住んでいるという開眼が大事なんです。ごく一部分のことについてだけ人間は知りうるのです。ごく表層のことしか分からないのです。
 でも、そのごく表層のことしか分からないのにも関わらず、すべてを分かっていると思い込んでいるのです。それが、凡夫の浅知恵というやつです。「?猴情難学というは、この世の人のこころをサルのこころに譬えたるなり。さるのこころのごとくさだまらずとなり。」(尊号真像銘文)サル山にいくと分かります。サルはいつでもキョロキョロして、落ち着きません。あのサルの姿に私たち人間の散乱粗動を見ているわけです。いろいろな情報が氾濫しているのが日本です。それもマスメディアを通した情報に、右往左往して暮しています。それがほんとうの情報なのかということも疑いなく、鵜呑みにした情報で右往左往しています。まったく落ち着きのないサルと同じじゃないかというのです。そういうふうに人間を完全に相対化する視点が「唯仏論」なのです。

 

2004年 8月10日■(第146回)

 

  21 如来の回向に帰入(きにゅう)して  願作仏心(がんさぶっしん)をうるひとは

       自力(じりき)の回向をすてはてて 利益有情(りやくうじょう)はきわもなし

  22 弥陀の智願海水(ちがんかいしい)に  他力の信水いりぬれば

         真実報土のならいにて  煩悩菩提一味(ぼんのうぼだいいちみ)なり

  23 如来二種の回向を  ふかく信ずるひとはみな

          等正覚(とうしょうがく)にいたるゆえ  憶念(おくねん)の心はたえぬなり    
 

【現代語訳】 ────────────────────────────
 

 一首目
 

阿弥陀如来が起こして下さった願いが十分に身に沁みて、仏に成ろうとする心が起こった人は、自分の意志で他人を感化しようする思いが捨てられて、言葉や立ち居振る舞いそのものが仏道とひとつになっているので、その結果、人びとへ与える感化力が限りなく働くのであります。

二首目

 阿弥陀の智慧の世界である願海に、他力の信心の水が流入したならば、阿弥陀さまのはたらく場の力によって、煩悩と悟りとが、ひとつの味になるのであります。

三首目

 如来には往相回向と還相回向という二つのはたらきがあります。この二つの回向を深く信じ受け入れた人は、すべて、やがて仏になるべき身に到達することができます。そのために、常に阿弥陀如来のはたらきが心に染み渡り、いつでもどこでも、南無阿弥陀仏という心構えが成り立っているのです。

■あじわい■   
■今日は、「正像末和讃」(58首)の第7回目です。(21〜23首目まで)
 

●第一首目●

 親鸞聖人が積極的な意味で使う「回向」はすべて「如来回向」ということです。次に出てくる「自力の回向」とは区別されています。一般仏教の定義では「回向」といえば、「自己の善行の結果である功徳を他に廻らし向けるという意味」(岩波仏教辞典参照)になる。そういうところから、「わが国では、仏事法要に僧侶を招いて読経念仏し、故人の冥福菩提を祈ることを回向とよぶようになった」ともいわれています。

 しかし、親鸞が用いる「如来回向」は、そういう意味ではありません。親鸞は回向をするのはすべて阿弥陀如来だと受け取っています。人間は、その回向を受け取る客体であるという認識です。これは、いままでの仏教にはなかった考え方です。

 そこで冒頭に「如来の回向に帰入して」と出ているわけです。

次に「願作仏心」と出てきます。これは、「仏に作ろうと願う心」という意味です。これも普通は、大乗仏教の菩薩が課題とする願いです。ひとつには、自分自身が仏になろうとする願いをたて、もうひとつは、一切の衆生を助けようという願いをたてるわけです。簡単に言えば、自利の願いと利他の願いです。これを全うするのが大乗の菩薩だというわけです。

 ですから、これも普通は自分が願いを立てて邁進するという自分の願いをもとにしているのです。しかし、親鸞の解釈は、これとは違っています。この「願作仏心」は如来の回向から起こされてくるものであって、人間が起こすものではないという認識があります。

 つまり「自力の回向」という思いを捨なければ、他力には入ることができないという認識があるんですね。自分が人に対して、あるいは自分自身に対して、善行を積んだ功徳を期待して修行したり念仏するのは、ダメなんだという受け止めです。その「自力の回向」という思いが捨てられてこそ、初めて、そのひとの行動や言葉が、他の人びとへの教化力をもってくるというのでしょう。

 イソップの「北風と太陽」の話でたとえるとよく分かります。あれは、北風と太陽が賭けをするんですね。歩いている旅人のマントを、どちらが先に脱がせることができるかというやつです。そこで北風が、ピープーと吹きつけて旅人のマントを脱がせようとします。しかし、旅人は風が強くなったので、かえってマントをしっかり押さえつけて、脱げないようにしようとしました。そこで太陽がやってみました。太陽は、自分の光と熱を一生懸命旅人に降り注ぎました。すると旅人は暑さに耐えられず、自らマントを脱いだというお話です。

 ここでいう自力の回向というのは、北風が一生懸命に旅人のマントをはぎ取ろうとしている姿と同じです。一見すると、力づくの説得力で、マントを脱がせることができるように思うんです。しかし、事実は逆であって、太陽が降り注ぐ熱によって、旅人がおのずとマントを脱ぐわけです。ですから、他力回向というのは、自分自身の信仰の純度を高めるということだけが、課題なのでしょう。その行為全体が、おのずと他者への教化力につながってゆくということなんです。まあ、後先はないのでしょうけど、「自分が先、他人は後」というのが、順当じゃないかと思います。

 でも人間は北風になりたがるんですね。ちょっと調子がいいと、すぐに他人に意見してみたりするわけです。まあ、自分自身に不満足を感じていると、まわりの人間に、そういう茶々を入れてみたくなるわけです。自分の不満足を棚上げして、まわりの人間を責めたてるということはよくあることです。自分の不満足の憂さを晴らすために、まわりに意見してみたりするんですね。

●第二首目●

親鸞は、「海」というたとえが好きです。信心海、煩悩海、群生海、本願海、一乗海など海というメタファーを多用します。恐らく越後の海をごらんになって、感じ取ったことではないかと思います。海は、いろいろな死骸が浮いていても、必ず、それを分解して、海とひとつにしてしまうんですね。

 海ということで、親鸞が強調しているのは、「転成」ということです。転ずるということですね。信仰の落とし穴に落っこちてしまっても、必ず海の力によって転換されて救われていくということです。「海は二乗の死骸を宿さず」といってます。二乗とは、ひとつには、声聞(師匠依存型信仰)ふたつには独覚(独善型信仰)です。依存型と孤立型といってもいいと思います。どのような信仰の落とし穴に落ちても、必ず、最後には転じられて救われていくのだという、転換の力の不朽性を海といっています。

 ここでは、海を本願の智慧の海とたとえています。さらに信心を水にたとえています。これも海を見ていての実感から、信仰のたとえとされていると思います。因速寺も近所を荒川が流れています。幅は百メートル以上もあるんじゃないでしょうか。あの水がいつも枯れることなく流れ続けていることにも驚嘆するんですけどね。あの水がどこからやってくるのか、どこにあれだけの水が蓄えられているのか、不思議です。そして春夏秋冬を通して、とうとうと流れ続けて枯れることがないということが、また驚きです。さらに、あの水が東京湾に流れ込んで、海の水となるんですけど、海は、塩味が薄まることもないんでしょうね。真水と海水が混じり合って、最後には海水になるんですから、これも不思議なことです。

 次に「真実報土のならいにて」ということがいわれてくるんですけど、これは死んでからということではないと思います。昔の解釈では、死んでから浄土にいって、そこでのことだと書かれているんですけど、親鸞はそんなことを言っているのではないと思います。<いま>ということでしょう。もし死んでから浄土に行って、そこでの習慣で…という意味なら、<いま>とは関係ありませんし、「煩悩と菩提が一味だ」などという必要もないんでしょう。

 曽我量深先生は「宗教的信が内に展開する願の世界」と表現されています。信心が本願を受け入れたならば、その信心の内側には本願の世界が広がるのだという意味でしょう。ここでの「煩悩菩提一味なり」という言葉が、信の世界を語っているのだと思います。煩悩とは親鸞が「凡夫というは、無明煩悩、我等が身に満ち満ちて、欲も多く、怒り腹立ち、そねみ、ねたむ心多く、暇なくして、臨終の一念にいたるまで、留まらず、消えず、絶えずと」(一念多念文意)と語られている人間の感情や欲望の集積です。

 この人間を悩ます煩悩と、悟りとが一味であるという表現です。悟りとは、これらの煩悩を完全に断ち切った状態のことなんです。ですから、まったく真反対のことが「一味」であると語られているんですね。おそらく親鸞は、いままで仏教徒が煩悩はダメだと考えていた、その煩悩の分析をされたのだと思います。なぜ煩悩が悪いのかと。そして、煩悩を分析していったとき、そこに煩悩そのものが、悪いのではなく、煩悩を排除しようとする心がむしろ煩悩であるということに到達したのだと思います。いままでは、煩悩を排除しようとするこころは、「菩提心」だと受け止めてきたました。しかし、その菩提心こそが実は煩悩の現れではないのかと。よくよく煩悩の分析をしてみると、煩悩の発生原理は、お釈迦さまが語っていた「因縁性」であるということが分かってきたのです。その因縁性で起こってくる煩悩を、人間の意志でもって、とどめようとすることがむしろ煩悩だと分かったのです。

 そこで、「正信偈」でも「不断煩悩得涅槃」(煩悩を断ぜずして涅槃を得る)と語っているのでしょう。むしろ断ずるどころではない、煩悩なくして人間は一瞬たりとも生きていけないわけです。自我というものがなければ、生きていけません。自我といっても、生理的な免疫作用までを含んで使っているのですけど。自己を自己として保存し、生き長らえようとするはたらき全体を自我としておきます。

 以前にも書いたように、源信僧都は、「煩悩は因縁より生ずと解知するを菩提となづく」といっていますからね。その見方を親鸞は踏襲したのでしょう。教行信証には引用していませんけど。

 親鸞にとって、自己は、煩悩が十分に展開する「場所」として受け止められていたのではないかと思います。たとえれば、テレビのようなものです。テレビのスイッチを消しておけば、そこにはなにも移りません。スイッチを入れると、いろいろな番組が放映されています。スイッチを入れるということは、我々が誕生したということをたとえているのです。スイッチを入れた途端に、映像には様々なものが映し出されます。でも、テレビそのものが、何かを作り出しているのではないいんですね。ただ、放送局から電波に乗ってやってきた映像を移しているにすぎません。受像機は、あくまで電波を受け取る場所なんです。身体も、そういうふうになっているわけです。身体そのものは、場所であって、その中に流れてくる電波によって様々な表現やら行動を起こすわけです。笑ったり、泣いたり、怒ったり、悲しんだり、それらは、そのとき身体という場所に流れてきた電波の表現でしかありません。別に、なにか実体があるわけではありません。

 身体と環境は一如の関係ですから、密接です。添加物の多いものを食べるという環境に生きていれば、ガンにもなるんでしょう。空気が悪ければ喘息にもなります。身体と環境はひとつなんですね。

●第三首目●

 

ここにも「如来二種の回向」とでてきます。先にも書きましたように、如来回向の方向性に二種類あるというわけです。親鸞は『教行信証』の冒頭でこのように書いています。「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について、真実の教行信証あり。」と。さらに『如来二種回向文』には「自利・利他ともに行者の願楽にあらず。法蔵菩薩の誓願なり」と押さえています。つまり、往相回向(自利)も還相回向(利他)も

ともに人間のここなう回向ではなく、法蔵菩薩の誓願のことをいっているのだと親鸞は解釈しています。

 親鸞は、真実の行も真実の信心も、真実の悟りも、すべて人間が作り出すものではなく、法蔵菩薩が人間に与えてくれるものだと考えているのです。ですから、人間からすれば、すべては法蔵菩薩が還相回向によって、与えてくれるものだというわけです。まったくの受動性ですね。しかし、そこから、人間は生きるわけです。生きるという能動性の面は、往相回向と表現するんです。

 すべては回向なんですけど、回向の方向性が違うだけです。生きるという能動性は往相、生かされるという受動性は還相であります。事実はひとつなんでしょう。しかし、それを受け止めるときに二つに分けて表現することができるというだけです。

 最近思うことは、生きるという事実は自力も他力も変わりがないんです。また人間のやれることは、五十歩百歩のことでしかないんです。人間は空は飛べませんし、身長だって三メートルもあるひとはいません。まあドングリの背比べのような状態なんです。ただ、生きるという事実は同じであっても、それをどのように受け止めるかということが違っているだけです。

 宗教は、受け止める世界のことなんですね。ですから、自分の力で生きてきたと思うのか、それとも生かしめられてきたのだと思うかの違いだけです。

 本論に戻ります。その如来の回向を深く信ずるひとは、「等正覚にいたる」と述べてきます。等正覚というのは、正覚=仏と等しいという意味ですから、あと一歩で仏に成れる段階という意味です。これは親鸞がよくいう、「正定聚」とか、「不退転」という意味と同じことです。「必ず仏に成るべき身と定まる」ということだと述べています。いまは仏ではないけれども、必ず仏になれるというのです。これを仏の因位を得るという言い方もします。仏の種をもったと。柿の種は必ず柿になります。だから、急がなくてもよいのです。でも、まだ実の成る成木ではありません。親鸞は皇太子みたいなものだともたとえます。必ず天皇になることが約束されている位なんだといいます。というとは、つねに仏に成れる可能性を秘めつつ、日々を送るということです。つまり、仏になってしまったら、それは幸せであるかもしれないけれども、どん詰まりです。人間は完成を目指しますけど、もし完成してしまえば、それは、いいようですけど、終着です。そこから動くということがありません。

 そこで親鸞は、相撲でいえば大関のくらいを等正覚としました。つねに、初心の喜びを感じながら、しかしそれは、闇雲に努力するということではなく、何もしなくても、ちゃんと仏に成ることができる位だと。それは、<いま>を十全に生き尽くすということなんでしょう。

 そういう生き方のところには、必ず「憶念」という精神生活が与えられてくるのです。つまり仏を思い、本願を思い起こして、忘れない状態です。人間は忘れていても、仏のほうが人間を忘れないのです。ですから、必ず人間には気になることを思い起こさせて、憶念させつづけるわけです。息が止まるまで、憶念しつづけさせるんです。

 生きるとはなにか?仏とはなにか?浄土はなにか?人間とはなにか?等々と、様々な問いを投げかけることで、人間に留まることをゆるしません。息が止まるまで、留まることをゆるしません。ですから、一生涯、菩薩の道を歩むのでしょう。仏に成ってしまったら、それこそ面白くないんです。ですから、仏に成ることを返上して、あえて菩薩の道を楽しみながら歩むというのがいいように思います。しかし凡夫は楽しむというよりも、喘ぎながらでしょうけどね。


 

2004年 6月10日■(第145回)

 

  像末五濁(まっぽうごじょく)の世となりて  釈迦の遺教かくれしむ

   弥陀の悲願ひろまりて  念仏往生さかりなり

   

 超世無上(ちょうせむじょう)に摂取し  選択五劫思惟して

   光明寿命の誓願を  大悲の本としたまえり

    

 浄土の大菩提心は  願作仏心(がんさぶっしん)をすすめしむ

   すなわち願作仏心を  度衆生心(どしゅじょうしん)となづけたり

    

 度衆生心ということは  弥陀知願の回向なり

   回向の信楽うるひとは 大般涅槃をさとるなり

【現代語訳】

────────────────────────────
一首目
 お釈迦様がこの世を去られてから何千年もたちました。この時代には、もはやお釈迦様の教えそのものが時代に相応しなくなりました。逆に阿弥陀如来の大いなる慈悲が広まって、阿弥陀様にすべてを任せて往生するという教えが盛んになりました。
二首目
 この世を超越して、永遠の時間を費やして成就された阿弥陀如来の救いは、あらゆる衆生を助けなければ、自分は仏にはならないと誓われた、大いなる慈悲のこころを根本とされているのです。
三首目
 阿弥陀様が私に乗り移って「道を求めさせようとする心」は、仏に成ろうとする心でありますし、それはそのまま生きとし生けるものを仏にしたいというお心だと名づけられました。
四首目
 生きとし生けるものを仏にしたいというお心は、阿弥陀様の方から、私に乗り移ってきたお心です。そのお心を得るひとは、やがて、この上ない悟りの世界を得ることができるのです。


■あじわい■   
■今日は、「正像末和讃」(58首)の第6回目です。(17〜20首目まで)
 

●第一首目
 時代が経過するほど、人間は堕落してゆくものでしょうか。「末法史観」に立てば、一応そういうふうに理解できます。現代の若者でも、昔を懐かしんで「昔はよかったなぁ」と漏らすそうです。昔というのは、自分が幼かったときのことでしょう。幼いときには、自分を対象化して生きることがありません。即物的といいましょうか、日々の対応に追われていて、自分を遠くから眺めるということはありません。しかし、人間を少し長くやってくると、自分を遠くに置いて眺めることができるようになります。
 そのとき、「昔はよかったなぁ」と漏らすわけです。この感慨は、2千年前からあった感慨のようです。人間は過ぎてしまった時間を懐かしむという傾向性をもっています。それは結論が出ていることですから、安心して眺めることができるのです。しかし、いまという時点は、まだ安心して眺めることができません。未来となると、もっと不安になってしまいます。
 「昔はよかった」という言葉は、いまと未来を不安で生きるひとの感慨なのです。親鸞聖人も、末法燈明記などを引用されて、一応末法史観にのっとって話をされます。いまの時代となっては、お釈迦様の教えも時代には相応しなくなってしまったという歎きがあります。「遺教かくれしむ」というのは、お経が図書館にしまわれてしまったようなものだと聞いたことがあります。博物館では、たくさんのひとが、古美術や文化財としてお経を眺めています。しかし、その教えによって、自分を受け止め直してみようとか、生きるヒントを求めようとするひとはいないということです。そうなってしまったのは、お釈迦様に責任があるのか、後代の人間の責任であるのか、ちょっと分からないところでもあります。
 親鸞聖人は、お釈迦様の教えが見えなくなっても、阿弥陀様の教えが盛んになるんだとおっしゃいます。それは、「いつでも、どこでも、だれにでも」開かれている教えだからだというわけです。時代や地域や民族を超えている教えだという自信があるのです。人間は、裸の自分にいろいろなものを蓄積して救われようとします。修行や経験や知識や学歴やら、様々な属性を自分の身につけて、なんとかしようとします。しかし、念仏の教えは、そういうものを、全部はぎ取ろうとします。「人間は足りない、足りないといって、求めているけれども、足りないのではない。もちすぎているのだ」という安田理深先生の言葉があります。その「もちすぎている」意識を取り除いてくれるのが本願なんです。プラスではなくて、まったくのマイナスです。そして裸の自分に戻そうとするわけです。
●第二首目
 この和讃は、大きな理念を語っている和讃ですね。大無量寿経全体の要点をまとめたような和讃です。この世を超越して、永遠の時間をかけて願われた阿弥陀様の誓願を、「大悲の根本」とされたのだというわけです。
 永遠なるひかり、永遠なるいのちの誓願ですから、これは永遠性をあらわしているのです。無限ということです。帰命無量壽如来(正信偈)ですから、「無量」とか「無限」ということなんです。人間はそれにくらべて有限なものですね。有限なものが、無限なものを分かるはずがないんです。でも、そこに無限を分からせようとするのが阿弥陀の本願なんです。つまり、超越性を与えてくれるわけです。自分はどこまでも有限ないのちのものであっても、その有限ないのちのものにこそ、無限な超越性に触れさせようというわけです。無限な超越性に触れることができれば、有限な存在として十分に自由に生きることができるというのです。それで、信心を「安心」といったりするわけです。いつでも、どこでも、阿弥陀様と一緒ということは、いつでも、どこでも無限の超越性に触れえることができるということです。それは、自分の最後をいつでも見届けているということでもあります。別な言い方をすれば、自分の「死」が終点であって、それは<いま>成り立つことであるかもしれないと思っているということです。終わりをもって、<いま>を生きるわけです。そうなると、「いつまで生きてもよい、いつ死んでもよい」ということになってくるのではないでしょうか。意識的には「いつ死んでもよい」とは絶対にいえないんですけどね。しかし、「いつ死んでもよい」ということでもあるわけです。死が生の中に位置づけられてくると、死は逆に生を輝かせるはたらきをしてくるのです。親鸞聖人は信心というのは、「長生不死の神方」だといってます。「長生きして死なない」わけです。
 まぁ、長いとか短いという観念から、解放されて生きるということなんですけどね。
●第三首目
 「浄土の大菩提心」というのは、絶対他力の信心のことです。先生である法然聖人は、「菩提心は不要だ」といいました。自分で発心して、身を奮い起こして行を励むなどというのは、自力だから、そんなものは必要ないのだというわけです。一般人は、そんなことできないじゃないかというのです。特殊な人間だけが助かるのであれば、それはエリートの宗教になってしまうじゃないかと。
 それに対して、憤然と怒りをあらわしたのが栂尾の明恵上人でした。そもそも仏教は発心して、道を求めようとするから成就するのであって、発心することを否定してしまったらそれは仏道じゃない!と批判されました。その批判も一理あるんですね。常識ですからね。
 明恵上人が批判されたときには法然聖人はすでに亡くなっています。ですから、その師匠の論難に対して、親鸞聖人は、受けて立たなければならなかったわけです。師匠の本意は、「自力の菩提心」を否定したのであって、「他力の大菩提心」を否定したのではないと。むしろ、法然聖人のいいたかったものは、「他力の菩提心」のことなのだと弁明したわけです。
 つまり、自分が発心したと思うのは、思い上がりだというわけです。自分が発心しようと奮い立ったのも、奮い立たせる他力のお心がはたらいているからなのだというのです。親鸞聖人の立場は絶対他力ですから、「自分」とか「自分の努力」という考え方は存在しないのです。そう思わせるはたらき、そういう行為を促すはたらきを「他力」としていただいているわけです。そこまで、表現すれば、明恵上人も否定はされなかったのではないかと思います。おそらく、それならば分かると言ったはずです。
●第四首目
 これは三首目とつながっています。他力の菩提心は、願作仏心だといいます。そしてそれがそのまま度衆生心だといってくるわけです。このふたつのこころは、菩薩の課題なんです。ひとつには願作仏心→これは、仏に成ろうと願う心ですから、自分が仏に成りたいという志願です。これは自利の誓願です。もうひとつの度衆生心→これは、衆生を済度したいと願う心ですから、すべてのひとを救いたいと願う志願です。これを利他の誓願といいます。このふたつの自利と利他を円満したいというものが大乗の菩薩の志願なのです。 このふたつの志願を満足させるものが、阿弥陀の信心だという押さえです。なぜなら、それは人間が起こすこころではなくて、阿弥陀様から回向されてくる心だからだと親鸞聖人はいうのです。
 もし自分が起こす心であれば、自利と利他とは分裂してしまいます。自分が満足するときは、他人が置き去りですし、他人を先にしていると、自分に欲求不満が残ります。適度に自利と利他とを使い分けられる器用なひとはいいのでしょうけど、徹底したら分裂するより他ありません。
 それは、自分というものを、分かった立場で考えるからです。自分というものは、無量の縁を生きるものであって、ほんとうに有るといえるものは縁だけなんです。関係性だけなんです。自分なんていう実体はないわけです。ですから、自分が自分のためにしたことでひとが助かっている場合もありますし、その逆に自分が他人のためにしたことで、他人に不利益がいく場合もあるわけです。縁は固定的なものではありませんから。「小さな親切、大きな迷惑」というのもあります。逆に「大きな迷惑、小さな親切」ということもあるのでしょう。願作仏心は、如来が仏を思えという誓願ですし、度衆生心とは、如来が私を助けようと思う誓願です。自分にとっては「外なる心」からの促しなのです。

 


 

2004年 4月10日■(第144回)

 

  菩提をうまじきひとはみな  専修念仏にあたをなす

 頓教毀滅とんぎょうきめつのしるしには 生死の大海きわもなし

   

 正法の時機とおもえども  底下の凡愚となれる身は

  清浄真実のこころなし  発菩提心いかがせん

    

 自力聖道の菩提心  こころもことばもおよばれず

   常没流転の凡愚は  いかでか発起せしむべき

    

 三恒河沙の諸仏の  出世のみもとにありしとき

  大菩提心おこせども 自力かなわで流転せり

【現代語訳】 ─────────────────────────── 
 

一首目

正しい悟りを得ることのできないひとは、みんな、ただひたすら念仏するひとたちに対して恨みをもって、仕返しをしようとします。即座に、そのままで救いが成就する教えを滅ぼそうとするから、永遠に迷いの世界から逃れられないのです。

二首目
 

いまの時代が、仏法(教・行・証)の盛んな時代だと思えたとして、底知れない愚かさをかかえた自分自身には、真実といえるようなこころがありません。そのような身にとって、「悟りを求める心」などどのように発すことができましょうか。

三首目
 

自分の努力で悟りをえようとする心というものは、考えることも言葉で表現することもできません。常に迷いの生活をへめぐってきた愚かなわたしにとって、どのようにその心を起こすことができしましょうか。

四首目
 

無量無数の仏たちが、この世に出現されたときに、私はその仏たちの教えを受けてきました。しかし、どれほど自分の努力で仏になろうとする心を発したとしても、「自分が努力した」という思いが邪魔をして迷いの生活に転落してきたのです。

■あじわい■ 

■今日は、「正像末和讃」(58首)の第5回目です。(13〜16首目まで)

第一首目

 

「菩提をうむ」いう「うむ」は、漢字なら「倦む」となるのでしょう。「いやになる。あきる。退屈する。あきて疲れる」という意味です。「菩提」は、「さとり」そのものです。ボディーの音訳です。仏道を求めるということは、まず菩提心をおこさなければならないということです。悟りを求めようと思わなければ、さとりは開けないじゃないかと思います。しかし、親鸞の先生である法然聖人は、そんなものは要らないのだといいました。不回向だと。人間から求めるなとどいうことは要らないのだと。なぜなら、阿弥陀様の慈悲心が私たちをさとりに導いてくださるのだからだといいます。そこで当時の仏教界は反発したんです。まず悟りを求めようという心を発すことが、仏道の第一歩なのに、その第一歩を否定するのであれば、それは仏道ではない!と。これは常識で、いまでも通じる考え方ですよね。

 親鸞は、先生である法然聖人が、批判されていましたので、そこから「菩提心」は菩提心なんだけど、先生のいうのは「大菩提心」なんだといいました。それは人間の発すこころではなくて、仏さまそのものが人間にはたらく菩提心だといったのです。ですから、文字は同じ「菩提心」でも、横の菩提心と竪の菩提心があるんだといいます。竪というのは、自力の努力によって得ようとする菩提心で、それでは悟りを開くことはできないといいます。むしろ横超の菩提心なんだと。「横超というのは、これは阿弥陀さんが私たちに発してくださる信心なんだ」というわけです。ですから、人間から求めて得られるようなものじゃなくて、仏さまのほうから人間にはたらきかけてくる作用だというのです。

 まあ承元の法難で、弾圧をしてきた人々は、専修念仏の人々を快く思っていないわけです。「頓教毀滅」というのは、念仏の教えを破壊するということです。頓教というのは、「そのまま、ただちに救われる教え」ということです。ですから、「そのうち救われる」とか、「やがて、努力の結果に救われる」とか、「明日には救われる」ということを許さない教えです。念仏の教えに触れたならば、即刻、その場で救われる、そういう教えなんだというわけです。これも常識からすれば、納得し難い考え方ですよね。どんな道だって、徐々にですからね。華道でも柔道でも剣道でも茶道でも、どのような「道」でも、いきなり免許皆伝にはなりません。日々鍛練して上手になっていくのでしょう。それなのに、頓教とは、そんな常識をひっくり返してしまいます。触れたら、即座に、その場で、救いが成り立つ教えだというのです。そう聞いてもなかなか、納得できないので、ああでもないこうでもないとやらざるを得ないんですけどね。ですから、人間の側からすれば、どうしても、漸次ということで、ようやく少しずつということになってしまいます。教えは、いま即刻、即座に救いを成就しているんですけど、こっちに、それを受け入れる準備ができていないんですね。なかなか、本願とピッタリひとつになるということが難しいわけです。

第二首目

 

正法の時機とおもえども」とは、この時代がたとえ正法という仏法の盛んな時代だとおもったとしても、という意味でしょう。愚かな身である私には、「清浄真実のこころ」もないという大いなる悲しみがあります。だから、自力の菩提心を発すことなどできないのだというわけです。

 念仏の教えは「難中之難無過斯」と正信偈でもいわれています。「難の中の難、これに過ぎたものはない」と。この「難」ということは、「得ることが難しい」という意味じゃないと教えられたことがあります。「難」であるということが分かるということは、得たひとが言った言葉だというのです。ですから、得られるまでは難でも易でもないのです。得られたときに、はじめて「難であったなぁ」と感じられるというのです。

 山登りをしていても、頂上に着くまではどこが難所だからよく分かりません。登ってみて、後から思えば、「あそこが難所だったなぁ」と分かるわけですからね。ですから「清浄真実のこころ」というのも、そうなんでしょう。初めは「清浄なのか不浄なのか」さえ分からないわけです。教えに出会って、自分のこころが明らかになってきたときに、はじめて「不浄」であるということが見えてくるわけです。

第三首目

自力聖道の菩提心、こころもことばもおよばれず」といってます。これは「無念無想」というような悟りの世界をいっているのでしょう。そうすると神秘的な体験主義になります。やはり親鸞の世界は、「言葉の宗教」だと思います。言葉は世俗のものです。凡夫の世界です。仏教では言葉の地位は低いようですけど、親鸞の世界では重たいものです。言葉では決して表現することができないということが分かっていて、しかし、その言葉で表現できないところを、言葉を尽くして表現していくという世界です。表現し尽くしてしまったらかえってつまらないんですね。どこまでも表現を超えているものであるからこそ、どこまでも言葉で表現してゆくことができるという楽しみがあります。

 もし「言葉も心も超越している」だけのものであったならば、人間に触れるということはありえないんです。それでは菩提心の縁にもならないんです。ですから、この世を超越しているものと、この世のものとが、どこかで触れるわけです。その「触れる」ということが真髄でしょう。超越しているものは、超越しているままであれば、人間には触れえないのです。しかしごく普通の生活をしている人間に、どこかで触れるということがあって、はじめて、そこに親鸞の世界が成り立つのです。それは人間に何かを付け加えて触れるわけではなくて、そのままで触れるということです。むしろ、人間に何かを付け加えようとする意識を取り去って、そこに成り立たせてくれるのです。

第四首目

 

「三恒河沙の諸仏の出世のみもとにありしとき」。自分は何十億年もかけて自分になってきたわけですけど、そのとき、様々な仏さまに出会ってきたのだというわけです。「出世のみもと」というのは、沢山の仏たちが、この世に現われて、その身元ですから、すぐ近くに親しんでいたということです。それでも、悟りを得ることができませんでした。なぜなら、その悟りを求めようとするこころが「自力の心」だからだったのです。

 自力というのは、自分で悟りを得たか得ていないかを判断するこころです。たとえば、自分で「さとりなんて一生かかってするものだ」いう判断をします。でも面白いことに、悟りを求めて精進している限り、完全な悟りを得えことにはなりません。何かが不十分だから求めるわけでしょう。「不十分だ」という意識が自力のこころなんです。このこころも人間は好きですから、日々求めて生き生き生きていこうという心は称賛されます。明日に希望をもって生きていこうというこころもそうですね。でも、その希望は、死に直面したときには無力なもんです。老・病・死を排除したときにだけ、生き生き元気に…というこころは成り立つのです。そうでないときには、成り立ちません。でも、仏さまは、いつでも、どこでも、だれにでも救いを実現したいという願いを立てています。

 どんな状況の中でも絶望することなく生きて、生をまっとうしてゆける人間になってほしいと願っているわけです。ですから、どうしても「自力」ということでは限界があります。自分から「ようし、頑張るぞ」と奮い起こすようなこころでは、長続きしないのです。大菩提心というのは、もっと静かな、でも、決して諦めない、それでいて、朗らかなこころであるようです。

 私は「大菩提心」と聞くと、何か空気ような存在をイメージします。空気は眼に見ることはできません。でも、いつも自分のまわりにあって、自分と離れることがありません。自分をつつんでいてくれるようでもあります。そして、これがないとまた人間は生きてゆくこともできません。そうすると空気によって、生存を支えられているという面もあります。でも、空気は自分自身ではありません。自分にとっては、外のものです。外のものですけれども、それによって支えられ、空気を摂取して体を成り立たせているのです。ですから、自分のいのちそのものだともいえます。そういう面白い、複雑な関係が空気と自分との関係ではないでしょうか。「大菩提心」とはそんなイメージです。

 そうすると、もう「浄土」とか「本願」とか「信心」とか、言葉は違いますけど、全部同じイメージを暗示しているのだと思います。ただひとつ南無阿弥陀仏ということを。 

 

                                                                                                     

 

2004年 3月10日■(第143回)

 

  命濁中夭みょうじょくちゅうよう刹那にて  依正二報滅亡し

 背正帰邪まさるゆえ  横にあたをぞおこしける

   

 末法第五の五百年  この世の一切有情の

  如来の悲願を信ぜずは  出離その期はなかるべし

    

  九十五種世をけがす  唯仏一道きよくます

  菩提に出到してのみぞ  火宅の利益は自然なる

    

 五濁の時機いたりては  道俗ともにあらそいて

    念仏信ずるひとをみて 疑謗破滅さかりなり

    

 

【現代語訳】 ─────────────────────────── 
 

一首目

 

いのちの汚れが増して、寿命が短くなり、環境も人間も、ともに滅亡してしまうのです。正しいことは背かれ、邪なことが横行します。

二首目
 

末法の第五番目の五百年には、この世のすべての人間は、如来を大慈悲心を信ずることなくして、救いへの出口はあり得ないのです。

三首目
 

九十五人の外道は世界を汚しています。ただ、ひとつ仏道だけが清いのです。悟りを求めることだけが、火の車のような娑婆の生活では利益をもたらすのです。

四首目
 

五濁という汚れきった時代になったので、出家者も在家者も、みんな我先に念仏を信ずるひとを見ては、謗って破滅させようとはたらいてしまうのです。

■あじわい■ 

■今日は、「正像末和讃」(58首)の第4回目です。(9〜12首目まで)

第一首目

 

もう、惨憺たる状態が述べられていますね。いのちが汚れきって、寿命が短くなって、自分自身も、そして環境も滅亡してしまうのだと。正しいということには背を向けて、邪なことが横行するのだと。

 確かに、テレビを見ていますと、そういう気持ちになることもあります。政治家の汚職やら、鳥インフルエンザの発生を隠していた経営者が自殺してしまいました。子どもの虐待死にも、怒りと悲しみを感じました。これは、まったく人間性がどんどん悪化しているように思えてしまいます。でも、しかし、人間性が悪化しているのではなくて、もともとあった人間の本性が暴露されてきた、表に現われてきたというふうに理解すれば、それほど驚くべきことでもないのでしょう。もともと、人間は罪悪深重なんですからね。いまさら悪くなったわけのものでもないでしょう。人間の罪悪性が、より明らかになってくる時代が「五濁」と呼ばれるものなのかもしれません。

第二首目

 末法も五番目の五百年になると、もう末期なんだから、後は阿弥陀さんの慈悲を信じなければ、この絶望から脱出することはないのでしょうという意味ですね。「出離」というのは、迷いの生活を脱出するということです。機の深信は「我は現にこれ、罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に沈み、常に流転して、出離の縁あることなき身としれ」と書かれています。まったく脱出の出口はないと知りなさいと如来はいいます。そういう自覚を促すわけです。出口はないということを教えて、脱出させようとするわけです。救いの縁の一番遠いものを救おうとされるのが如来だからです。救われたものには用はないわけです。だから、どこまでも、「救われない」という場所に身を置くわけです。阿弥陀さんの救いの手の中に入ってしまったら、それで救いは終わりです。どこまでいっても救いのないものを、どこまでいっても救おうとはたらくものが如来です。

第三首目

 「九十五種」というのは、お釈迦様当時の「外道(げどう)」の思想をまとめて表現したものです。六師外道といいます。六師というのは、六人の思想家です。それぞれに弟子がいて、全部で九十五種と総称しています。ただ、ひとつ仏道だけが清いのだと親鸞聖人はおっしゃいます。「火宅の利益」とでてきます。火宅っていうのは、法華経の中のたとえです。子どもが火事の家の中に遊んでいて、その子どもを早く家から脱出させるために、大人が「外にオモチャがあるよ!」と叫ぶというたとえです。まぁたとえなんですけど、子どもにゴチャゴチャ、火事の悲惨さを説いても仕方ないから、いま緊急の措置として、オモチャという、一番子どもが欲しがるものを手だてとして、外におびき出そうというわけです。その一番の手だてがお念仏だと親鸞聖人はいいたいわけです。うなずけばいいというのでしょう。これから修行せよとか、ゴチャゴチャ言わないわけです。ただ、生きているという事実を受け入れよと。生きていることが、吾が思いを超えた不可思議な出来事であるということに頭を下げよというだけです。うなずくだけでいいんです。受け入れるだけでいいんです。他になにも要求してきませんからね。「そうだったか!」と驚嘆せざるを得ないんです。

第四首目

 五濁という汚れた時代、汚れた人間性の時代になってしまったら、在家者だろうが出家者だろうが、みんなして、念仏の信者を批判して破滅させようとするのです。これは明らかに承元の法難の出来事を指していると思われます。

 念仏を信じて称えるだけで、救われるなんていうのは、信じられませんよね。やっぱりいろいろな修行をしたほうが効果があると考えてしまいます。でも、そういう考え方が承元の法難の一番もとにある考え方なんでしょう。この「こうすれば、ああなる」という発想は、出家者だろうが在家者だろうが、みんなもっていますよね。小生も、もっています。そういう発想が、親鸞・法然を弾圧した人間の底にあるんです。ですから、小生が親鸞を弾圧したといってもいいのでしょう。努力をすればなんでもできると、どこかで思ってるんです。人間が思い上がっていますからね。

 よく、「浄土真宗は、精神的に老齢してこないと分からない教えだね」といわれたりします。つまり、自信満々の発想で生きているときには、なかなか染みてこない教えだというんです。イエスが聖書で、私は病のひとのために来たんだという言い方をしてますけど、それと通じるものがあります。病の自覚症状がないと、なかなか仏法の言葉は身に沁みてこないんです。

 ちょうど、阿闍世が、親を殺して悩んでいるときに、仏法に出遇う縁が開かれるのです。自信満々のときには、仏縁がないんです。ですから自力無効ということが大切なんです。それは、何かやってぶちあたったから自力無効になったんじゃないんです。人間はもともと自力無効なんです。その本性が明らかになったというだけの話です。自分で努力して呼吸しているわけじゃないでしょう。努力で心臓を動かしているわけじゃないでしょう。もともと、自力無効なんです。努力じゃないんです。

 そういう「生きる」ということの基底を念仏は表現しているんです。「オウム、10年目の真実」というテレビ番組をみました。サリンを撒いた林郁夫役を平田満さんが、取調官を西田敏行がやってました。林が、西田の接し方によって、徐々に変化していくんです。林郁夫はもともと、心臓外科医でしたので、西田は林を終始「先生」と呼んでいました。とても印象的なシーンがありました。これは「よびごえ」にも書きました。林がこう言うんです。「私はいままで幸せというものは、厳しい修行の結果にしか得られないものだと思っていました。でもそうじゃなかったんですね…」と。取調室の窓からの眺めは実に穏やかな日常の風景が広がっていました。林と西田はその光景を眺めていたんです。そこから「自分はなんの罪もないひとびとを殺してしまったんです。まったく取り返しのつかないことをしてしまいました。私はここに生きていてはいけない存在なんです…」と。ここに懺悔がありました。まさに阿闍世の回心を見ているように感じました。

 「ああすれば、こうなる」という発想は林が、「厳しい修行の結果にしか得られないものだ」という発想と同じなんです。<いま>という時間を拒否して、<いま>以上の何かを求めて彷徨っていく発想なんです。そうではなくて「なんでもない、こんなところにあるものなんですね」という逆転が怒ります。そこには当たり前の、ごく普通の日常生活があるんです。穏やかな日差しが木々を照らし、そのしたに人々が歩いているという、ごく普通の光景です。でも、そこにこそ幸せがあるのだと、林には映っているんです。

 こう言うと、高望みをしてはダメだよ、ご飯が食べられて健康であれば、それを喜ばなくてはダメだというお説教と間違われてしまう危険性もあります。健康が一番だよ、それ以上高望みしてはいけないよと。でも、そんなことを言っているわけじゃないんです。「生きる」ということの基底を言っているんです。林に、そう言わせた、あるいは、そう思わせた力です。それが他力とか、仏法というものの力でしょう。

 ですから、仏法は、いつで、どこでも、だれに於いても成り立つものなんです。だって、生きているということが仏法なんですから。生きているところに流れているものなんですから、特別なものじゃないんです。だれもが、それによって生きているものなんです。空気みたいなもんです。でも、空気は、当たり前すぎていて、だれも感謝もしないもんです。ただ、その空気の力に気がついたひとが、空気に感謝するだけなんです。

 感謝のところには、必ず懺悔があるんでしょう。いままで、気がつかなかったことへの申し訳なさがあるんです。それこそ、如来さんは、私が生れるはるか昔から、私に願いをかけていて下さったのだと真宗ではいいますね。私は、その如来に背いて背いて、やっと人間に生れてきたと。人間に生れたということ自体が、如来に背いた結果なんだと。如来に飽き足らず、人間になって、反逆してきたわけです。如に満たされていなかったわけです。如であれば、存在になる必要はありません。如に飽き足らないから、存在となって生れてきたわけです。ですから、生れるということは、罪なんですね。反逆罪なんです。それは何かをしたから反逆だというのではなくて、存在したという事実が犯罪なんです。

 エデンの東のように、みずから如に背を向けて存在界へ出生してきたわけです。何十億年も背きつづけて、生れてきたわけです。如から逃げて逃げてきたことが、いまようやく自覚化されたんです。そして如と和解するのです。林郁夫は、そこまでいったのではないかと思います。もはや西田以上の世界を見ているのだと思いました。

 


2003年

12月10日■(第140回)

 

  

      釈迦如来かくれましまして 二千余年になりたまう

    正像の二時はおわりにき 如来の遺弟悲泣(ひきゅう)せよ

   

   末法五濁の有情の 行証かなわぬときなれば

       釈迦の遺法ことごとく 龍宮にいりたまいにき

    

   正像末の三時には 弥陀の本願ひろまれり

    像季末法のこの世には 諸善龍宮にいりたまう

    

   大集経にときたまう この世は第五の五百年

    闘諍堅固(とうじょうけんご)なるゆえに 白法隠滞したまえり

 

【現代語訳】 ──────────────────────────── 
 

一首目

 お釈迦様がお亡くなりになってから、はや二千年あまりがたちました。もうすでに正法・像法の時期は過ぎてしまいました。残された仏弟子たちは悲しみ嘆かずにはいられません。共に血の涙を流しましょう。

二首目

 濁り切った末法を生きる私たちは、到底、修行やさとりを達成することはできません。お釈迦様の遺言であるお経も、龍宮に納められてしまい公開されなくなるのです。

三首目

 正法・像法・末法の時期には、弥陀の本願が広まります。しかし像法・末法のこの世では、様々な善根やお経が龍宮に納められてしまうのであります。

四首目

 『大集月蔵経』に説かれていることには、この世は第五番目の五百年に当たります。この時期には、争いや戦いが激しくなるので、仏法は隠蔽されてしまうのです。


■あじわい■ 

■今日は、「正像末和讃」(58首)の第二回目です。

第一首目

 この和讃は最初から、ものすごくトーンの低いといいましょうか、嘆き悲しむ感情に満ちているように見えますね。最後の「悲泣せよ!」ということろは、なんとまぁ、悲しいことではありませんかということでしょう。

 それは仏法そのものが衰退していくというよりも、仏法にかかわる人間が衰退していくということなんでしょうね。正法の時期も像法の時期も過ぎてしまい、どんどん人間の状況が衰退していくことを、仏法から遠ざかると嘆いておられるのでしょう。

第二首目

 前回も述べましたように、末法には「行と証」が存在しないということですね。ここでも、「行証かなわぬ」ということですから、人間が行や証を修めることがかなわないという意味にもとれますよね。そしてお経が、釈尊の「遺言としての法」であるというのも悲しみのこもった言葉です。お経を、お釈迦様の遺言だというふうに聞きとめることもすごいことだと思います。正信偈を読んでいても、遺言だというふうには聞けませんね。親鸞聖人には、そのように受け止められたのでしょう。遺言とは、残されたものに、この言葉をたよりに生きよという指針でしょうし、命令でもあるのでしょう。しかしそれらのお経が龍宮に納められてしまい、持ち出しできない状況になってしまうということでしょう。これは『摩訶摩耶経』に出てくる話だそうです。仏滅後千五百年になると、龍王が教法をもって海に入ってしまうというお話です。教行信証にも「教法龍宮に蔵まるなり」(聖典361)と出てきます。

 この龍宮に納まるということは、どういうことなんでしょうか?それはおそらく、お経が図書館に納められてしまうということかもしれませんね。大切な文献として、あるいは文化財として、最も珍重されるような形をとって、一般大衆から断絶させられてゆくということでしょう。国宝となっている文献も、当時は、その当時の現代であって、古くもないんです。後からみれば、古いから大切だというんですけどね。どうなんでしょう。うちの阿弥陀さんも鎌倉時代のもので、古い文化財ですけど、もし博物館に入ってしまったら、だれも手を合わせるひとはいなくなるでしょうね。博物館で仏像に向って手を合わせるひとはいせまんよ。拝観といいますけど、観覧になっていますよね。仏像をみて、「へぇ〜、ずいぶん古いんだねぇー」「細工がこまいかいねぇー」とか、言って感嘆したり、感心したりするんですね。決して、手を合わせて拝むひとはいません。たまにはいますけどね。

 でも、うちの本堂に安置してあると、みんな手を合わせるんですよ。そのときにだけ、仏像が本尊になるんですね。最初から本尊じゃないんですよ、あれは。手を合わせるひとがいなければ、単なる木彫りの人形に過ぎません。拝むひとがあって、はじめて人形が本尊になるわけです。

 経典もそうですね。貴重な文献として図書館に納められていても、仕方ありません。それはそれなりに大事にするということも、いいことです。でも、貴重なものだといわれるほど、大衆から遊離してしまうというデメリットもあるわけです。お経も文献としてだけ研究されれば、それは悲しいもんだと思います。つまり、そのお経の文字から、現代を生きる私たちが、刺激を受け、示唆を受け、生きるヒントを感じ取れなければ、それは、お釈迦様の遺言に背くことになるんではないでしょうか。もしお経を読んで、<いま>を生きる人間に感動を呼び起こせなければ、それは文献であっても、お経ではないのでしょう。

三首目

 「正像末の三時には、弥陀の本願ひろまれり」。この和讃には、親鸞聖人の本音があらわれていると思います。確かに、いまの世の中は末法の末という、どうしようもない世界であります。しかし、どういう時代状況であろうとも、どれほどひどい時代であろうとも、「弥陀の本願」がひろまるのだという積極性が表現されています。ここには、単なる悲観ではない明るみがあります。最初の和讃のような悲しみとは違った感情を感じませんか。

 実は、この感情は「本願感情」といってよいのでしょう。「本願感情」とは、時代状況などがどんどん悪くなればなるほど、そこにより強く、悲しみを超えさせようという本願が起こるという感覚ですね。本願は、もっとも苦しみの多いものに対して、より積極的にはたらきかけて、その苦しみの状況から救い出そうとはたらくのです。世間でも「出来の悪い子ほどかわいい」という言葉がありますね。阿弥陀さんもそうなんでしょうね。自分自身ではどうしてみようもない、もうどうにでもしてくれと、投げ出さざるをえないということがあります。そのような苦しみの底の底から、その苦しみの世界を抜け出させようと働いてくるのです。

 安田理深先生の言葉に「夢を見ぬ、絶望せぬ。そこに凡夫の自覚がある」というのがあります。人間は、生きているとき様々な苦しみに出会います。まさに四苦八苦の生を生きています。でもそんなことも忘れて、ちょっと調子がよいと、「おれもなかなか捨てたものじゃないな」と思い上がります。夢を見て生き、夢が破れて、絶望するという人生を生きています。そんな人生に向って、「絶望しない生きかたがあるよ」と、その言葉は教えてくれるのです。

 しかし、考えてみれば、絶望しない人間はだれひとりとしてありません。突き詰めて考えれば、人間だれしも、死ぬために生れてきたんですからね。オギャーと生れて、つまるところどこに行き着くのかといえば、これは「死」に決まっているんですね。これは生きとし生けるものに平等に与えれられている宿命ですね。このいのちの現実に触れたものは絶望せざるをえません。

 普段は、そんなことを忘れて生きているだけです。でも、忘れて生きていても「死」のほうは忘れてくれないんですね。ですから、死を抱えて生きているということは、絶望を抱えて生きているということなんです。それはほんとうのことかもしれないけど、そんなことを言っちゃ「身も蓋もないよ」ということになります。そうなんです、真実は「身も蓋もない」のです。「身も蓋もない」ということわざの意味は「表現が露骨過ぎて、味わいも含みもなく、聞いていてうんざりする様子。」≪三省堂 必携故事ことわざ・慣用句辞典≫だそうです。人間はしょせん死ぬために生れてきたのだ、と言ってしまうと、露骨過ぎて、ウンザリしますね。でも、どれほどウンザリしても、これは真実であるという味があります。死に向って生きているということほど確かなことはありません。ただ人間は、その現実を直視することに耐えられないので、いろいろとごまかしをして生きているだけです。「健康で、元気で、長生きして」といいますけど、それは現実を直視することが怖いので、逃げているだけです。

 先日、河合隼雄さん(カウンセラー)のところに来る、クライエントのお話を聞きました。「先生、私は生きがいがなくて、生きることができません」と訴えるそうです。それに対して河合先生は「みんな、生きがいがあって生きているけど、あなたのように生きがいもないのに生きているなんて、こんな素晴らしいことがありますか!」と答えられたというのです。「なんの役に立たないといいますけど、あなたが私の前に、こうして来て、生きがいがないという話を聞くことが、私にとってどれほど役に立っていることか!」と。

 そのお話を聞いていて、「別に、生きがいがあって生きているわけでもないんだけどなぁ」と思いました。「生きがいは何ですか?」と聞かれて、即答できるひとは、よっぽど幸せなひとかもしれません。だいたい、「そんなことを考えたことはないよ」とか、「そんなこと忘れて生きてるよ」というのが多いんじゃないでしょう。「身も蓋もない」話しを繰り返せば、ひとは死に向って生きてるんですから、人間に生きがいなんて持てるはずがないんです。生きがいを持ってる、なんていうほうがどうかしてるんです。

 でも人間は生きがいがあろうとなかろうと、寿命が尽きるまで生きなければなりません。もっと「身も蓋もない」話しをすれば、だいたい、この自分の体は自分のものじゃないんです。自分に与えられたものであって、自分のものではありません。ですから、自分の都合通りにはいかないようになってます。「死にたくても死ねない、生きたくても生きられない」という厳粛ないのちを生きているんです。もう、いのちそのものも「絶対他力」ですね。

四首目

 大集経というお経があります。これを親鸞聖人は教行信証に引用されます。密教的な雰囲気の濃い経典です。そこには末法の考え方が述べられています。五五の五百年説といいます。正法五百年、像法千年、末法千五百年です。その時期には争いがたえず、仏法が隠れ滞ってしまうと書かれていいるのです。まさにいまも「闘諍堅固」が多いです。イラクとアメリカの戦いを見ていますと、闘諍堅固ですね。あれは違う文化の戦いではないと筑紫哲也さんは言っていました。同じ文化の内輪もめだと。つまり一神教同士の争いなんです。正義は自分のところにしかないと考える考え方が一神教の根本にはあります。正義がひとつだとなると、他の宗教は間違っているということになります。それにくらべて仏教は多神教だから、平和なんだと。しかし、真宗は多神教ではありません。もし多神教であったら、それは宗教にはなりません。いわば「成熟した一神教」です。多神教は「あれもこれもよし」という立場です。それでは自分の立場はどこにもありません。「あれかこれか」という信仰決断がありません。自分はこれに帰す、それに帰せば一切が「方便」となります。

 


 

2003年11月10日■(第13 9回)

 

   康元(こうげん)二歳丁巳(ひのとみ)二月九日夜、寅時夢告(とらのときゆめにつげにいわく)

  正像末浄土和讃 愚禿善信集(ぐとくぜんしんあつむ)

 

 弥陀の本願信ずべし 本願信ずるひとはみな

 摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益にて 無上覚(むじょうかく)をばさとるなり

  

 

【現代語訳】 ──────────────────────────── 
1首目

●康元(1257年)の二月九日の夜、未明に、夢のお告げがありました。「阿弥陀の本願を信じなさい。本願を信ずるひとはすべて、摂めとって捨てない救いの御利益によって、必ず仏さまになることができるのですよ」と。

正像末における浄土を表現した詩集。 愚禿、善信が集めました。


■あじわい■    

■今日から、「正像末和讃」(58首)に入ってゆきたいと思います。

 先の高層和讃と浄土和讃が書かれたのが、親鸞の78歳頃だといわれていますが、この正像末和讃は、85歳頃ではないかと考えられます。ともかく聖人の著作は、七十歳後半から八十代前半に集中しています。現代の老人の状況から考えますと、とても考えが及ばないように感じます。そのような高齢のお年で、よくあれほどの著作活動のエネルギーがあったものだと、ただただ感心するばかりです。まあ親鸞聖人の円熟期は八十歳前後だと考えていいのだろうと思います。聖人は京都に帰られて、関東の門弟とのやりとりなど、臨床の知を言語化することの重要性を感じはじめたのではないでしょうか。

 さて、この正像末和讃の、正像末というのは、仏教のひとつの歴史観であります。お釈迦様が亡くなられてから五百年の間を「正法の時期」と申します。その時期は、まだお釈迦様の教えが存在し、それを修行するものもあり、それによってさとりを開くものもあるという段階です。そして、次の千年間を「像法の時期」と申します。この時期には、教えと修行するものがあるだけで、さとりがなくなるのだといいます。さらに次の一万年間を「末法の時期」と申します。この時期は、もう教えだけあって、修行するひともなく、さとるものもないというふうに言われています。もっとそれから時代が下ると、「法滅」といって、もう教えもなくなるのだという衰退史観であります。図にするとこうなります。

【一般的な正像末の考え方】

時代

釋尊在世

仏滅後千年間「正法の時期」→教・行・証が存在している

仏滅後千年間「像法の時期」→教・行が存在している。

仏滅後一万年間「末法の時期」→教が存在している。

その後「法滅」

仏滅紀元前949年〜紀元後51年→正法の時期

紀元後51年〜1051年→像法の時期

紀元後1052年〜ここから一万年は末法の時期(1052年永承7年)

【親鸞の正像末の考え方】

時代

釋尊在世

仏滅後五百年間「正法の時期」→教・行・証が存在している

仏滅後千年間「像法の時期」→教・行が存在している。

仏滅後一万年間「末法の時期」→教が存在している。

その後「法滅」

仏滅紀元前949年〜紀元前449年→正法の時期

紀元後449年〜551年→像法の時期

紀元後551年〜ここから一万年は末法の時期(化身土巻360頁に証拠あり)

 

この末法史観は、「当時の信徒に危機意識を起こさせるために説かれた」(仏教語大辞典)といわれています。しかし親鸞は、ただ単にお釈迦様の教えがすたれてしまうから悲しいのだとは言っていません。「浄土真宗は在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萠、ひとしく悲引したまうをや。」(化身土巻357頁)で記されています。阿弥陀様の誓願は、なにもお釈迦さまが、いなくなったから弱まってしまうとは考えていません。いつでもどこでもだれにおいてもはたらくものであるのならば、お釈迦さまが存在していようと、どれほど時代が下ろうとも、同じことだというのです。

 また、正像末和讃の正式名称は、「正像末浄土和讃」ですから、やっぱり、テーマは「浄土」というものを明らかにするという一点にあるんですね。教行信証という書物も正式名称は、『顕浄土真実教行証文類』ですね。人間に「浄土」という根拠が明確になれば、どのような時代にあろうとも、どのような地域や国家に存在していようとも、だれでもが、そのことを乗り越えてゆける存在の勇気をえることができるとういのでしょう。

 曽我量深先生は、「末法史観」に対して、「本願史観」ということをおっしゃいました。これは衰退史観ではありません。しかし、単なる発展史観でもありません。時代の濁りが増して、人間の諸問題が多発してくると、そこに、人間の苦悩が深くなればなるほど、濁りが増してくればくるほど、大悲の力が増してくるというような時代の見方です。まさに、人間の苦悩と反比例して、ますます力を増してくる大悲の力強さを物語っているのであります。

 そういうことを根っこにすえて、正像末和讃を読んでゆきたいと思います。

 まず初めに、八十五歳の親鸞聖人が、夢の告げを受けられたと書かれていますね。親鸞聖人ほど夢を大事にしたかたもないと思います。まぁ明恵聖人も四十年間夢の日記を書かれていますけど、ちょっと毛色が違っています。有名なのは「三夢記」ですね。十九歳のときに聖徳太子のお墓であります、磯長のご廟に籠もって夢告を受けます。それから二十八歳の比叡山大乗院での夢告、さらに二十九歳の六角堂での夢告、そして晩年のこの夢告です。

 夢告は、すべて菩薩からの啓示のようです。夢といっても、私たちのみるような夢ばかりではなく、行者が、ある課題を抱えて、堂にこもるという形で夢告を受けます。それは半睡半覚の状態でみるようです。ですから、夢ともうつつともつかない状態なのでしょう。それは、世間でいう「夢枕に立つ」というものとはちょっと違うものでしょう。自己の内奥にある課題が、イメージとなって、現れて自己自身に何事かを表現してくると受け止めたらどうでしょうか。

 この和讃が書かれたときも、何かの課題を−それを聖人が自覚していたかどうかは別として−もっておられたのでしょうね。その応答が、「弥陀の本願信ずべし」だったのでしょう。聖人にしてみれば、そんなことは、もう、日常生活のなかに隅々まで染み渡っていて、いまさら、「本願を信ずべし」なんていうことは、新鮮な響きをもっていなかったのではないかと思います。そこにはマンネリ化があったのかもしれません。あるいは八十四歳のときに長男の善鸞さんを義絶していますから、内面的にも大きなうねりを体験しておられたのかもしれません。また関東の門弟たちには、どうも自分の本意が伝わっていないのではないかという不安も感じておられたことでしょう。いわゆる、聖人も生身の人間ですから、教団問題やら、家族の問題などで、やはり煩悶されるということもあったのだと推測されます。そのようなときに、この夢の告げがあったのではないかと思います。

 弥陀の本願を信ずるなどということは、あらためて取り上げることのほどでもないほどに、わかりきっていたことなのに、様々な問題の根っこは、どこにあるのかといえば、やはり「弥陀の本願を信ずる」ということでしかないのだと、決着したように受け取れます。この一点が明確になることが、娑婆の諸問題の解決の根っこにあるのだと感じられたと推測されます。

 どうして、「弥陀の本願を信ずる」ということが、解決になるのかといいますと、それは問題解決の要だからです。歎異抄では「信心を要とすと知るべし」とおっしゃっているように、諸問題に振り回されるのは要が不明確であるからです。時代には時代に応じた問題がたくさんあります。中世には老人介護の問題や臓器移植や不登校の問題はありませんでした。しかし違ったかたちで聖人のまわりにも問題はあったはずです。その問題に応じてゆくときの基本的態度が「信」という問題です。そして、自分というイメージが崩れてゆくのです。自分だけが信心を得て気持ちよくなっていればいいというだけでは済まない問題がでてくるわけです。基本的に救いは、自己一人のうえに成就するものでしょう。しかし、現実の生活は、他者と無関係で成り立ちません。自分だけ救われてよかったということで終わるならば、それは真の救いではありません。

 そして、自分というもののイメージが崩れてゆきます。いままで自分個人の身体だ存在だと思っていたものが、実は共同体のものであると崩されてゆきます。つまり「縁」で成り立っているのだと思い至ります。縁そのものが自己であり、そのほかに自分という実体はないのだとわかります。であれば、時代の苦しみは、そのまま自分の苦しみに浸透してきます。

■「摂取不捨について」

 摂取不捨というと、阿弥陀さまの慈悲のこころで、生きとし生けるものを包んで救ってくださるという明るいイメージがありますね。しかし、聖人は「摂取」の意味を次のように記しています。「もののにぐるものをおわえとる」と。これはどういう意味かといますと「逃げよう逃げようとする者を、綱で結わえて逃げられないように取り押さえる」という意味です。こうなってきますと、ちょっと強力な強制力を感じませんか。逃げよう逃げようとしているもの、決して逃がさないぞと強力に引っ張ってくるわけです。ですから、一度阿弥陀さんににらまれたら、決して逃げることができないということなんです。なんだか恐ろしい感じですね。

 それは、内面的な意味でいれば、「その問題が気になってしかたがない」ということなんだと思います。その問題関心から解放されることがないということでしょう。罪と罰のラスコリニコフにとってみれば、完全犯罪で老婆を殺してしまったことが、気になって仕方がないのです。法律的にはなにも彼を責めるひとはいません。ただ、殺人という行為の重さが彼の意識を苛むのです。これは涅槃経の阿闍世でもそうですね。父を殺したという罪意識です。彼は国王ですから、自分が法律をつくる側の人間です。別にだれも彼を裁けるはずがありません。完全犯罪を犯した人間と同じ立場です。しかし、そんな彼が罪におののいているのです。その問題関心から彼を解放しないように摂取不捨の力がはたらいていると言ってもいいのでしょう。しかしその心の底を破って、罪の解放がもたらされます。そこまで完遂されて、はじめて摂取の光明といえるのでしょう。

■愚禿善信集

 浄土和讃と高層和讃は、「愚禿親鸞作」となっていますが、この正像末和讃だけは「善信集む」と記されています。主著の教行信証でも、「愚禿親鸞集」となっていますから、同じ体裁です。自分が作ったというよりも、集めることを促されて編集したという意味かもしれません。自分は編者であって、作者は如来であるというのでしょう。それなので、冒頭に「夢に告げていわく」と述べているのだと思われます。面白いことに、聖人の「自己」理解は、いつも受け身型になっています。「せしめたまえり」とか「したまえり」とか「せよ」とか、全部受け身型が親鸞の特徴です。


 

2003年9月10日■(第13 8回)

@阿弥陀如来化してこそ 本師源空としめしけれ

    化縁(けえん)すでにつきぬれば 浄土にかえりたまいにき

A本師源空のおわりには 光明紫雲のごとくなり

 

音楽哀婉雅亮(おんがくあいえんがりょう)にて 異香みぎりに暎芳す

B道俗男女預参し 卿上雲客群衆(けいしょううんかくぐんしゅう)

  頭北面西右脇にて 如来涅槃の儀をまもる

C本師源空命終時 建暦第二壬申歳

  初春下旬第五日 浄土に還帰せしめけり

【現代語訳】 ──────────────────────────── 
1首目

●阿弥陀如来が師匠・法然聖人に化けて、この世にお出ましになりました。しかし人間としてこの世にとどまり、教え導く時期が終わってしまいましたので、お浄土へお帰りになりました。

2首目

●本師・法然聖人のご臨終のときには、光明が輝き、紫色の雲がたなびくようでした。菩薩がたの奏でる音楽もえもいえず、かぐわしい匂いが当たりにたちこめました。

3首目

●そこには、出家者も在家者も、男女を問わず、あらゆる階層のひとが群集しました。聖人は頭を北に顔を西に向けて、釈迦如来が涅槃に入られたときと同じ形をとられました。

4首目

●師匠・法然聖人の命終のときは、建暦二年(1212年)壬・申の年、正月の下旬、25日です。その日に、お浄土にお帰りになられました。


■あじわい■ 

 法然上人の和讃は、全部で20首あります。高僧和讃の中で分量的には三番目になります。

■@首目の味わい■

この一句に、あとの三句の和讃は納まることでしょう。阿弥陀如来が具体的に、表れるときには、人間の形をとってあらわれるということです。親鸞にとっては、実際に指導を受けた法然聖人が、そのひとでした。だからといって、誰においても法然が阿弥陀如来の化身だとは受け止められません。また固定することもないのです。自分にとっての直接の師匠の徳を考えてみると、これは阿弥陀如来のはたらきに違いないと弟子が受け止める世界です。それは二人称の関係の中で弟子に受け止められる出来事なのです。ですから、師弟関係の起こらない間柄で、「あのひとは阿弥陀如来の化身だ」などといえば、それはとんだ誤解をうむことでしょう。

 これは善知識の問題です。つまり、自分の師匠とは何か?という問題なのです。仏道は、どうしても、生きた人間を通して表現されるものですから、ひとを通します。ひとを通すことによって、ものすごく限定されるわけです。あるひとにとっては、あの先生は、私にとってかけがえのない師匠だと思われていても、他のひとには、たちの悪いおっさんと受け止められることもあるのです。ですから、きわめて二人称の関係で起こるできごとです。しかし、だからこそ人間にとっては厄介なことなのです。人間は、愛執をもっています。師匠との出会いが不快ほど、師匠を絶対化してしまい、この他の師匠は全部偽物だなどと思ってしまうこともあるからです。これをつきつめてゆきますと、カリスマができあがります。それは恋愛感情とものすごく似ています。ロミオとジュリエットのように、恋路に邪魔が入れば入るほど、ふたりの愛情は燃え上がるという厄介な問題をもっています。「あばたもえくぼ」とよくいいますけど、他人から見て、どうしてあのひとがいいのかしらといぶかしく思っていても、当人にとっては、それが最高の幸せであるかのような感情になるのです。そして恋愛感情に入ったひとは、その感情からなかなか抜け出ることができません。結婚は、恋愛の墓場だというひともいます。恋愛感情も、そのひとと日常生活に入ってくれば、徐々にさめてゆき、なんでこんなひとと結婚してしまったのだろうかと後悔すら生まれることもあります。それで初めて、生身の他人と出会ってゆくわけです。一生、恋愛感情に支配されていることはまずありえません。まぁ実際には恋愛感情がさめてゆきますから、それを他の条件によって埋め合わせながら、生活してゆくということが本音でしょう。たとえば、子どもとか、お金とか趣味とか…。結婚生活をきっかけにして生まれてきた様々な条件を支えにして、日常生活を組み換えてゆくわけです。

 しかし、共同幻想の世界、つまり集団や教団のもっている毒は、そういう恋愛感情を一生もたせようとするのです。また、恋愛に酔っているほうが樂なんです。それはカリスマの指示どおり、教団の指導で動いていればいいんですから、自分で生きることに悩むことはありません。これはロボットですね。自分が一番かわいいように、自分を守ってくれる教団を人間は愛するんです。以前にも書いたように「夫は夫自身を愛するために妻を愛し、妻は妻自身を愛するために夫を愛する」のです。愛情関係が深いということは、自分に都合のよい状況を与えてくれるという条件つきなんです。自分に不都合な状況を与えるものに人間は愛着を感じません。これはペットでもそうですね。エサをくれたり、優しくなでてくれたりするひとに、ペットはなつきます。自分に危害を加えるようなひとには絶対に近づきません。人間もペットと同じです。自分を愛して優しくしてくれるひとに愛着を感じるんです。それが二人称の関係であれば、問題はさほどでもないのですが、三人称の関係にも持ち込もうとするのがいやらしいところです。つまり、「この先生は、絶対に素晴らしい先生だから、あなたもこの先生を崇めなさい」と強要、強制することがいやらしいところです。

 曽我先生のエピソードを思い出しました。広瀬杲先生が、曽我先生に指導を頼もうと、先生をお尋ねしたそうです。そうしましたら、曽我先生は「あなたは、若いんですから、もっと若い先生にお願いしなさい。」と断られたそうです。普通なら、「そうか、そうか」といって、優しく受け容れるというのが先生というものでしょう。しかし、キッパリと若い先生をたずねなさいとはねつけたところに、曽我先生の仏者としての態度があらわれているように思います。

 これは、善導大師の二河の譬喩にもあらわれているシーンと重なります。東の岸からお釈迦様がお浄土の阿弥陀さんのところへ行け!と勧めるのです。そして西の岸の阿弥陀様が、お前を護ろう、この白道を渡っておいで、どんな不安でも私が取り除いてあげよう!というのです。それで行者は15センチくらいの白道をわたっていくことができるのです。これは譬喩なんですけど、お釈迦様は、つまり人間ですね。いくら師匠といえども人間です。その人間のできる仕事は、「私のところへ来なさい」ということではありません。むしろ「阿弥陀様のところへ行きなさい」と指示することです。私たちを助けてくれるはたらきは、阿弥陀様です。決して人間ではありません。師匠という人間を縁として、阿弥陀様がはたらくわけです。ですから、ひとなしには救いは成り立ちません。そこで、昔からお釈迦様は教主、阿弥陀様は救主と言ってきたのです。教えの主は、生きた人間です。でも、教えの内容は阿弥陀様なのです。その内容、つまり意味によって人間は助かってゆくのでしょう。

■A〜C首目の味わい■

 これは、淡々と法然聖人の命終を記したという和讃です。高僧の往生のときには、奇瑞といって、不思議なことが起こるといわれてきました。法然聖人がこの世を去るときにも、音楽が聞こえてきたり、かぐわしい匂いがたちこめたりしたという伝承です。これは、物理的に、そういう事実が起こったというよりも、その現場に立ち会ったひとたちの心の中に、そういう情景が感じ取れたということでしょう。法然聖人の存在があまりに大きく、また尊すぎて、普通の表現では、それをあらわせないのです。そのために、ちょっと不思議な表現になっているのだと思います。

 それから、お釈迦様と同じ形で亡くなられたとか、その日が1月25日だとか、実にリアリズムで表現されています。なんだか日記のような淡々とした表現ですね。その淡々とした表現の影に、ものすごい感情が渦巻いていることを感じてしまうのです。大きな感情の変化のときには、人間は逆に淡々としてしまうことがあります。師匠を失った悲しみと、しかし、師匠に会いえた喜びと思い出が親鸞のこころの中にあったのだと思います。

 かけがえのない存在を失ってみると、はじめて、そのひとの存在の大きさや重みを感じるものです。この世に生きているあいだは、いくら別々のところで暮らしていても、どこかに存在感があります。おそらく流罪になっているあいだも、親鸞にはそういう感情があったはずです。別々のところに暮らしていても、やはり師匠を思い慕うこころがあります。しかしこの世から完全に姿を消してしまわれたとなると、それはまた全然違うことです。まぁ親鸞は法然聖人の死に目には会うことはできませんでした。後から聞くわけです。そのときの感情は、思い量ることはできません。親鸞は悲しみのあまり、血の涙を流したと伝説ではいわれています。

 このことを自分自身に置き換えて考えてみます。これはまったく見当外れかもしれませんけどね。小生は父を5月23日に亡くしました。それからすでに二カ月半になろうとしています。死別はずっと前のような感じもしています。病床の父を見て、いろんなことを感じました。苦しそうな顔をしているときもあり、眠っているときもあり、徐々に生体の反応が鈍ってゆきました。最後は、死に目に会えませんでしたが、明らかにいのちの動きが感じられない顔をしていました。眠っている顔と、死んだ顔は同じようでいてまったく違っています。精気がないといわれますけど、いのちの営みが完全になくなってしまった顔は色も土気色になります。

 焼き場に行って焼骨したあと、骨を分骨しました。でも、この骨が父であるとはぜんぜん思えないのです。骨はセミの脱け殻のようなものですね。父そのものは、全然別のところにいます。それは、私の中に生きているのでした。読経をしているとき、ふっと父の声が出るのです。この声は、父の声だと思うんです。またお風呂に入っているとき、ふと見た鏡に父の背中が写っているんです。実は、それは鏡に映った自分の背中だったのです。そんなことを体験しているうちに、父は自分の内部に生きているんだと思えるようになりました。あの骨は、脱け殻ですから、なんの執着もないのです。分骨したら体がバラバラになっちまうなんて言うひともいますけど、そんなことはまったくありません。そう言うひとは、故人が自分と疎遠になっているんです。故人が自分の内部に生きていると実感できないから、脱け殻の骨にしがみつくんですね。ほかにしがみつくものがないから、ほねにしがみつくんです。哀れですね。でも手を合わせると、故人と自分はひとつになれます。


 

 

2003年4月10日■(第137回)

@源空勢至と示現し あるいは弥陀と顕現す

    

上皇群臣尊敬し 京夷きょうい庶民欽仰きんごう A承久の太上法皇は 本地源空を帰敬しき

 

釈門儒林しゃくもんじゅりんみなともに ひとしく真宗に悟入せり 

B諸仏方便ときいたり 源空ひじりとしめしつつ

  無上の信心おしえてぞ 涅槃のかどをばひらきける

C真の知識にあうことは かたきがなかになおかたし

  流転輪廻のきわなきは 疑情のさわりにしくぞなき

【現代語訳】 ──────────────────────────── 
1首目

師匠・法然聖人は勢至菩薩や阿弥陀如来のお姿のように現れて、天皇や家来あるいは様々な地域、立場の人々にも拝まれました。

2首目

承久の年に法皇となられた持名院親王は、法然聖人に帰依されていました。そのうえ、奈良や京都のお坊さんや儒教の学者までが上人の教えを聞き、真実の信仰を獲得されました。

3首目

過去未来現在の様々な諸仏が時期到来して、法然聖人の姿となって現れて、超越的な信仰を教えて下さったからこそ、涅槃の鍵を掴むことができるのであります。

4首目

本当の仏道の師匠に会うことは、ものすごく困難なことであります。迷いのわだちを超えられない理由は、仏さまの知恵を疑うからなのです。

 


■あじわい■ 

 法然上人の和讃は、全部で20首あります。高僧和讃の中で分量的には三番目になります。

■@首目の味わい■

法然聖人は、どんなひととも分け隔てなく対面された方のようです。親鸞とは少し違ったタイプの人格者だったようです。むしろ蓮如上人のタイプではないでしょうか。ですから、様々な人々から、当時の天皇や家来、それから京都の人々や田舎の人々からも絶大な信頼を得ていました。まさに「臨床の達人」ではなかったでしょうか。悪人では救われないのですか?と問われれば、いや阿弥陀如来は善人や悪人を選ばないのだよ。だれでも頼めば助けて下さるのだよ、とお応えになられました。これは臨床の知恵です。つまり人と人の間の関係で有効な発言です。しかし親鸞は「悪人成仏」ということをいいます。これは阿弥陀如来と自己との関係で有効な発言です。自己が阿弥陀如来の知恵に照らされたときに、「悪人」という自覚が生まれるのです。はじめから「悪人」は成り立ちません。阿弥陀の知恵の光に出会うということがなければ、「悪人」は倫理・道徳的な悪人になってしまいます。ですから、親鸞のいう「悪人」は罪の自覚であると同時に、信心の行者として誕生した独立宣言でもあるのです。法然と親鸞とは微妙に違います。親鸞はどちらかというと、「基礎の教学」を大事にされました。つまり自分と如来(道理)との関係を徹底して表現しようとしたひとです。「他者」に積極的に関わるというよりも、「他者」が自分に関わろうとしてきたときだけアクションを起こしたひとです。手紙を読むとそういう傾向がよくわかります。自分にとって真宗が絶対の教えであっても、それを辻に立って説法するというタイプではありません。内心深く仏法を蓄えていて、その教えに生きる姿が、余韻として表現され、他人に影響を与えるということになったのでしょう。ですから、「ひと」よりも「言葉」を大切にされた内向的な性格のひとだと思います。目の前の人が救われていくということが大事であることには違いないのです。しかし、目の前にはいなくても、未来永劫にこの世に出現する人類が、この教えの法則によって誰でも救われていくんだという原理を表現することに力を注いだのでしょう。普遍的な救いの法則を表現しようとしました。それも76歳を過ぎてからです。

■A首目の味わい■

「承久の太上法皇」とは、「後堀川天皇の父で、出家せられて持明院守貞といわれ、諡名を後高倉院といわれた方」だそうです。こういう天皇も法然聖人を尊敬されていました。しかし、そういう京都の学僧や天皇たちに対して、親鸞は「しかるに、諸寺の釈門、教にくらくして、真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし」と厳しく批判しています。天皇でも仏道の真実に照らせば判断を間違うことがあるのだという批判です。それでも、最後には真宗の信心に入ることによって間違いに気がつき悔い改めることになるのだという押さえだと思います。真宗は、決して人間が結論を出す宗教ではありません。すべては「御仏のなせるわざ」というのが究極的な受け止めでしょう。ですからお棺のフタが閉まるまで、決して結論はでません。昨日も自殺のお知らせが入りました。お彼岸にお参りに来て、お茶を飲んで話していったひとです。まだ50そこそこの人でした。彼も、自分で自分に結論を出してしまったのでした。悲しいことです。「思い」が身の事実を裁いてしまうのですね。「人生に結論なし」と叫びたい気分です。結論は仏さんが出してくれるんです。人間が出す必要はありません。本質的に、出せないのですから。しかし「結論が出ないような宗教じゃものたりない」という批判も起こってくるでしょう。結論はこの世では出ないという結論なんです。これほどハッキリした結論はありません。結論はすべて仏にまかせるということが、南無阿弥陀仏の「南無」ということです。すべてを任せるということです。任せたならば、どんな状況になろうとも、仏さまのしてくださった状況を不平をいわずに受け容れるということです。任せただけでは、半分です。絶対に任せるということは、絶対に受容するという責任がともなうのです。その責任すらも仏さまに任せてしまうんですけどね。

■B首目の味わい■

 いきなり「諸仏方便」と始まります。諸々の仏さまが、衆生を救おうという手だてを作られて、法然聖人となって現れたという意味です。次に「無上の信心おしえて」とあります。真宗における救いとは「信心の獲得」ということに尽きるでしょう。親鸞の主著である教行信証では「信巻」に一番多くのページを割いています。浄土真宗の信心とは、決して自分の内部に取り込むことのできないこころを言うのです。これも同朋新聞の5月号(巻頭)に書きました。「外なるこころ」と書きました。知恵や才覚や、知識という人間の内面に確保することのできる知恵ではありません。自分の内部には決して起こらないというこころ。これを「こころ」と表現していいのかどうかためらわれます。そこではむしろ自分は「汝」として見出される自己です。その「外部のこころ」から、「それでよろしいでしょうか?」「それが本当でしょうか?」と常に問いかけられるものになるということです。二河喩では「汝、一心正念にして直ちに来たれ」と呼びかけられる存在になるということです。自分が、この「如来のこころ」を我が心として、自分と他人を裁いて生きるということとはまったく違います。自分は愚かで、自己中心的で、愚痴も多く、貪欲でケチで、気が小さく、怒りっぽいまんまです。そういう愚かな自分をダメだというのではありません。そういう愚かな存在に呼びかけてくるのが如来のこころです。ですから、自分は「呼びかけられつつあるもの」という「汝の位」に立つのです。自分の内部に、信心が存在したら、これは恐ろしいことです。自分と如来とがイコールになってしまいますからね。自性唯心というのは、そういう危険があるんです。人間は神を仰いでいると、いつの間にか自分が神だと錯覚してしまうのです。偉くなったような気持ちになるんです。知らず知らずのうちに、そういう毒に侵されてしまうのです。常行三昧という修行では、仏像のまわりを南無阿弥陀仏と称えながらグルグル回ります。そして意識が疲労感で朦朧としてきたとき、仏さんと出会うそうです。これは神秘体験ですね。神秘体験も、宗教のトッピングとしては許されても、それが本道だということだと恐ろしいことです。アヘンと同じ作用をもってしまいます。恐ろしいです。

 ですから、人間と如来の分限をハッキリと分けなければ宗教の健康性は保てないと思います。自分を善・真・美・徳・良等のプラスの価値に位置づけることはできません。それは如来の領域に属することです。キッチリとそこが切れていないと、ダメです。ちょうどヘソの緒のように母体と胎児の間に血流が起こらないように、キッチリと分けていないとダメです。母と子とは血液型が違います。なぜ胎児の時に母体から血液を受け入れないのかといいますと、それは細胞膜で遮断されているからです。細胞膜は面白いんです。血液は決して通さないけれども、栄養やら何やらをだけ通すようにできているんです。人間と如来の間の細胞膜が信心ではないでしょうかねぇ。

 真宗の言葉でいえば、「機法の分限を分ける」ということです。これは親鸞が生涯を貫かれた仕事ですし、それを曽我量深先生がより明確にされました。「分水嶺」という譬喩でなされましたね。まぁそこは不一不二ですけどね。

■C首目の味わい■

「真の知識にあうことは、かたきが中になおかたし」。仏道の師匠に出会うことはものすごく大変なことです。予定して出会うわけではありません。また求めても得られるものではありませんから。華厳経の「入法界品」では、善財童子が仏道の師匠を求めてゆく姿が描かれています。53人の先生に出会いとうとう悟りを開くわけです。ここから東海道53次は来てるんですね。よく求道の問題は師匠を得たかどうかだと言われます。涅槃経では、「一切梵行の因は善知識なり。一切梵行の因、無量なりといえども、善知識をとけば、すなわちすでに摂尽しぬ」といってます。求道の問題は、師匠が見つかれば90%は成功したようなもんだというのです。いまは亡き、百々海さんも、師匠を求めて苦しんだかたです。茨城県の板敷山で同行とこもり、信心を求めたそうです。とうとうニッチモサッチモいかなくなって、どうしても解決が着かず、百々海さんは桜井先生の道場の門を叩かれたと聞いています。生涯、桜井和尚を一師と仰いだ生活でした。NHKのラジオ番組で、金光さんが百々海さんにインタビューされていましたね。桜井和尚の教えを語るということで、エピソードともなっているお話をされていました。紹介しましょう。桜井和尚「百々海さん、盆栽っていうのは、右へ延びようとすると針金で曲げられ、左へ延びようとすると切られ、ようやく見られるようになるそうですなぁ〜」と。つまり、このころは寺で悶々とされていた百々海さんに、不自由の中にこそ、自由があるのだということを教えられたようです。それも、盆栽を譬喩にとって、決して押し付けでなく、ヒントを投げかけられたようです。ひとは何でも自由にやれそうに思うけど、現実には様々な問題があって、思うようにはできないものです。しかし、その不自由の中にこそ、真実が隠されているのでしょう。そういえば「思い通りになったら、人間はどこまで堕落するか分からない」という法語がありました。これは世間的なことばかりでなく、出世間的なことにも当てはまるのだと思います。

 それから、もうひとつ。「百々海さんなぁ、『空車を押したらあかんよ〜』」です。荷車を例にとってのお示しでした。これも先の譬喩と同じことを語っています。荷車というのは、重たい荷物を積んで運搬するためのものです。それは私たちの生活を比喩的に表現しています。生活するということは、様々な問題やら悩みを抱えることです。ですから、生活は重たいものです。しかし、私たちはその重荷を捨てて、身軽になって助かろうと考えてしまいます。つまり、煩悩を断ち切って身軽になって、助かろうと発想します。しかし、それは本当の救いではないのだと桜井先生は教えられたのです。種々雑多な悩みや問題を邪見にするのではなく、むしろそれらの問題を栄養にして育ってゆく信仰を示されたのだと思います。

 正信偈には「不断煩悩得涅槃」とあります。煩悩を断ぜずして、涅槃を得ると。これは煩悩があっても、それに妨げられずに涅槃という悟りが得られるのだと書かれているようです。つまり煩悩がある「にも関わらず」と。しかし、「にも関わらず」ではなくて、煩悩が「あるからこそ」悟りを得ることができると読まなければならないと思います。煩悩によって悩まされ煩わされるわけですけども、その煩いやら悩みによって、育てられて行く精神生活を物語っているのだと思います。自分が邪魔にしている、問題によって、実は自分が育てられていたのだということでしょう。和讃では「一切の有碍に障り無し」といいます。有碍という障害物によってこそ育てられるのです。


 

2003年3月8日■(第136回)

 

@源空三五のよわいにて  無常のことわりさとりつつ

 

厭離の素懐をあらわして 菩提のみちにぞいらしめし A源空智行の至徳には 聖道諸宗の師主も

  

みなもろともに帰せしめて 一心金剛の戒師とす 

B源空存在せしときに 金色の光明はなたしむ

  禅定博陸まのあたり 拝見せしめたまいけり

C本師源空の本地をば 世俗のひとびとあいつたえ

  綽和尚と称せしめ あるいは善導としめしけり


【現代語訳】 ──────────────────────────── 
1首目

師匠・法然上人が、十五歳のお年のとき、この世の無常をさとられて、淨土を願うご本心を明らかにされ、仏道修行に入られたのです。

●2首目●

法然上人の知恵も修行も優れた徳をたたえていたので、聖道門の諸宗派の先生方も、みなさん法然上人に帰依されて、大乗菩薩戒を授ける戒律の先生と崇められたのです。

●3首目●

法然上人がご在世の頃、上人から金色の光明が輝いていることを九条兼実公が目の当たりにされ、拝まれたのです。

●4首目●

師匠・法然上人の本当のお姿を世間の人々は口々に、「道綽禅師に違いない」あるいは「善導大師に違いない」という評判でした。


■あじわい■ 

 法然上人の和讃は、全部で20首あります。高僧和讃の中で分量的には三番目になります。

■@首目の味わい■

「三五」とは十五歳のことです。その年に法然上人は比叡山へ登られたと伝えられています。「厭離の素懐」というのは、「厭離穢土、欣求淨土」の志という意味でしょう。穢土(この世)を厭い離れ、淨土をねがい求めるということです。浄土教は、この世の苦しみに出会い、その苦しみのない世界を求めようという形で菩提心を表現してきました。「こんな辛い世間なら、いっそ死んでしまいたい、死んで極楽淨土へ行くのだ」とか「この世で一緒になれぬなら、せめてあの世の極楽の蓮のうてなで添い遂げよう」という類はみんな、この世を逃避して、あの世の極楽を求めようという形になっています。この発想もよくわかるところがあります。教えでは確かに「苦の娑婆だ」と教えられます。しかし苦しみというほど大袈裟なものじゃなくても、娑婆は「うっとうしい」とか「面倒くさいなぁ」とか「厄介だなぁ」「複雑だなぁ」「微妙だなぁ」という感情がつきまとう場所です。現代のような、機械文明が発達した時代ならともかく、古代・中世・近世などの一般大衆の暮らしは大変なものだったのでしょう。地震や飢饉、洪水、台風などの自然災害に対して無防備でした。水を手に入れることや火をおこすことすら大変な労力だったでしょう。そんな中で人間が生きていくことは、やはり苦の状況だったと思います。本質的には現代でも苦しみの状況は変わらないのですけれども、生活条件はずいぶんと違います。本質的には老・病・死という限界状況が現前とあるのです。四苦八苦ですから、怨憎会苦・求不得苦・愛別離苦・五蘊盛苦と生老病死です。たとえ、何の不自由も不便も不健康もなく過ごしていれば苦しみがないように感じます。しかしよくよく自分の心を覗いて見ると、「自分はなんのために、ここまで生きてきたのだろう?」とか「何か仕残してきたものがあるんじゃないか?」とか「自分の居場所はどこにあるんだろう?」とか「自分が死んだら家族はどうやって生活していくのだろう?」という微かな不安が起こってきます。悲しいもので人間は、この世で永遠の平安を得ることはできない生き物なのです。どうしても、自分を揺さぶり続ける不安がつきまといます。ですから、やっぱりこの世を去って行くときに、本当の意味で不安や喜怒哀楽から解放されるということなのでしょう。亡くなられた方々のお顔を拝見しますと、本当に安らかなお顔をされています。あれはすべてのストレスから全面的に解放された姿だと拝んでいます。あの姿をみれば、やっぱり西方極楽世界へ旅立たれたのだと皆が思うのももっともだと思います。そこから振り返ってこの世を見れば、やはり自分の目の前には微かな不安が横たわっています。だから「この世にいる間は苦しみから解放されないから仕方ないのだ」と諦めて現世を受け入れてきたという消極的な浄土教もあったわけです。現世に対して諦め主義でやってきた面が確かにあります。この世をいかに作り替えても、本質的な苦しみはなくならないと諦めてきたわけです。それは究極的には正しいことではあります。つまり、どれほど小泉政権を変革して、他の人間が政治を行っても、人間の四苦八苦の状況は変わりません。それは対象や環境に苦しみがあるのではなく、人間のこころが起こす苦しみの状況だからです。人間がいなくならなければ苦の状況は変わらないということです。これは、本質論です。まぁ、それでも、この世の改良に精を出さなければダメだという面もあります。やはり「より安全に、より快適に」ということは人間の宿業だから、そういう改良も必要でしょう。「より安全に」ということは、反戦・永遠平和という課題ですし、「より快適に」は全人類が無差別にお互いを尊重し合い、生存の苦しみをできるだけ削減できるという課題です。これも大事なことです。この問題と信仰問題は、密接に関係しています。信仰問題は「なぜ生きるか?」という質のものですし、娑婆改良問題は「いかに生きるか?」という質です。

 話を戻しましょう。親鸞の浄土教は、あの世(淨土)で頂戴するご利益を現世で頂戴するという教えです。ですからより欲が深いというか、根源的です。曽我量深先生は、その課題を「信に死し願に生きよ」と教えられました。つまり「あの世」が楽、「この世」が苦と判断評価しているこころに死ぬということです。人間の価値評価を捨てることです。捨てるということは、価値評価をしないということではありません。人間は人間である以上、比較評価、利害損得から離れることはできません。ただ、その本質を見破るということです。比較評価して価値付けしながら人間は生きていても、それは人間が勝手に評価しているだけであって、<現実>ではありません。たとえば、自分は背が低いと悩んでいるひとがいます。それは比較の苦しみです。事実は事実です。それを低いからダメだと価値評価をして苦しむわけです。その価値評価の心の本質を見破るのです。そうすれば、価値評価の苦しみから解放されます。そうすると、この娑婆が違って見えてきます。そういう見え方の変革を淨土の利益と教えてきたわけです。

■A首目の味わい■

法然上人は知恵第一といわれたほどの秀才でした。ですから聖道門の諸先生もやがて法然の弟子となったようです。例えば、美作の観覚得業・比叡山の叡空・相模の重宴阿闍梨・丹後の迎摂房などがそうです。彼らに大乗の戒律であります一心金剛の戒律を授けています。一心金剛戒とは、円頓戒とか菩薩戒といわれ、『梵網経』に説かれている大乗の戒律だそうです。この戒律が師匠からひとたび授けられると、金剛のように固く、決してその徳が失われないので、「金剛戒」といったようです。親鸞は「無戒名字」ということをいいます。これとは違いますね。どうしても法然は、聖道門の場に身を置きながら浄土教を主張していたひとです。自分は生涯結婚もせず、また自分への誡めも厳しい戒律の師匠でした。だから、他宗派の知識人たちも一目置いていたわけでしょう。もし法然が親鸞と同じような生活態度で暮らしていたら、恐らくもっと厳しい弾圧にあったことだと思います。確かに4人が処刑されているのですが、それは思想的な問題よりも、軽犯罪法の領域の問題でやられているのだと思います。親鸞が越後へ流罪になったのも、おそらく結婚という生活態度が目についたのだと思います。現在から親鸞の態度を見ても普通ですよね。結婚しないお坊さんは、まずいません。聖道門だろうが浄土門だろうが、みんな結婚します。結婚していないお坊さんがいるとするなら、それは宗教的問題とは違ったことが原因となっているはずです。

■B首目の味わい■

これは九条兼実が見た、法然上人の姿だと思います。九条家は藤原家の一門で、兼実は鎌倉幕府の摂政・関白にまでなっています。親鸞聖人が得度したときの儀式上の授式者である慈円は、兼実の弟になります。兼実は法然から受戒するほどの仲だったようです。ですから、あくまで兼実が拝んでいる法然をうたっているわけです。宗教的な表現は「客観的」ということはありません。あくまで主観的です。「だれから見ても真実」ということはありません。やはり「自分に於いては」という選びがあります。その選びが誰に於いても成り立つという意味で普遍的なのです。あくまでそのひとにとって、どのように見えたかということが大事なのです。誰が見ても、そうに違いないということとは質が違います。ほかならぬこの自分自身も、自分の評価している自分と、他人が見ている自分にはズレがあります。こんな身近な存在でも、「客観的」ということは成り立たないのです。それが宗教的真実というものです。九条兼実には法然上人から光明が放たれているように見えたのでしょう。これは大無量寿経の弟子・阿難と師匠・釈尊との関係もそうですね。阿難が、なんで今日のお釈迦様は光り輝いておられるのですか?という問いをお釈迦さまに投げかけています。他の弟子は、そういうふうにお釈迦さまを見ることはできませんでした。信仰は、客観的というよりも、受けとめた人間の内面に成り立つ事実だということを物語っています。

■C首目の味わい■

法然上人は、もともと道綽禅師、あるいは善導大師の生まれ変わりに違いないと世間のひとびとには見られていたようです。道綽禅師といえば、「聖道門・浄土門」と浄土教を分析された方ですし、善導大師は称名念仏を淨土往生の正しい行だと位置づけた方です。法然上人は、その浄土教の大成者の生まれ変わりだと信じられていたようです。これは当時の民衆の視点と親鸞自身の視点が入っているのでしょう。親鸞聖人は「吉水の草庵」時代には、「親鸞」ではなく「綽空」と名のっておられたようです。これは道と源から作られた名前でしょう。あるいは善信という名前を用いられます。当時の貴族は諱(いみな)や字(あざな)氏(うじ)姓(かばね)を使い分けていましたね。それとは違う意味ですけれども、親鸞も幼名は範宴、それから綽空、善信、親鸞と四つの名前を用いています。善信と親鸞は生涯使われています。おそらく善信房親鸞と使うのでしょう。法然も、法然房源空ですからね。そのまま解析すれば導・源・天・曇から作られているわけです。自分は七高僧という、浄土教の伝承者の願いでできあがっているという使命感が、そう名のらせたのかもしれません。ちょっと普通に見たらおこがましいという感じではないでしょうか。いまでも、自分の尊敬するひとの名前を一字もらって自分の名として名のるということは、ちょっと失礼な感じがします。しかし、恐らく「失礼」などといって引き下がってしまうような、人間の倫理観を超越したのでしょうね。失礼だろうがなんだろうが、こう名のらなければ自分は存在しないのだと了解されたのかもしれません。つまり自分の全身は南無阿弥陀仏でできあがっている、もし南無阿弥陀仏がなければ自分は存在しないと。ですから自分が生きているということは南無阿弥陀仏が生きていることであるという自信がみなぎっていると思います。南無阿弥陀仏の歴史が七高僧なのであって、七高僧が念仏を伝えたのではないのでしょう。南無阿弥陀仏が自ら代表者を七人決めて、それぞれの人間に役割を与え、念仏をこの世に出現させたのでしょう。人間が生み出して伝えた人為的なものが念仏ではありません。南無阿弥陀仏の教えは、宗教の究極的到達点にある教えです。いつでも、だれでも、どこにおいても、お釈迦さまの悟りを実現することができる超越的宗教です。あまりに超越的なので、目立たないのです。生活様式も生活態度も何も変わることはありません。お墓参りもあんまりしないひともいます。愚痴も多いです。それでも、超越が成り立つから不思議です。こういうものは「宗教」という概念を超えてしまっています。いまだかつて、見たことも聞いたこともない教えです。まさに「街の中に虎が歩いているようなもの」なのでしょう。そんなものは人間は信じるはずがありません。

 


■200

3年2月10日■(第135回)

 

@本師源空(しょうにん)世にいでて  弘願の一乗ひろめつつ

 日本一州ことごとく 淨土の機縁あらわれぬ

A智慧光のちからより  本師源空あらわれて

 浄土真宗をひらきつつ  選択本願のべたまう

B善導源信すすむとも  本師源空ひろめずは

 片州濁世のともがらは いかでか真宗をさとらまし 

C曠劫(こうごう)多生の間にも  出離の強縁しらざりき

  本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし

 


【現代語訳】 ──────────────────────────── 
●1首目●

師匠・法然上人が、この世にお生まれになって、唯一の普遍的な救いの教えを広められたから、日本全国に、淨土の教えに触れるきっかけが生まれたのです。

●2首目●

阿弥陀如来の智慧の力によって、師匠・法然がこの世に出生され、浄土真宗を開かれて、選択本願の教えを述べられたのです。

●3首目●

もし、善導大師や源信僧都が、淨土の教えを説かれたとしても、師匠・法然上人がその教えを広められなければ、世界の端っこに住み、煩悩に汚れきっている私たちは、どのようにして浄土真宗の教えを頂戴することができたでしょうか。


●4首目●

生まれ変わり死に代わりしている間にも、その迷いの循環を脱出するきっかけを知りませんでした。師匠・法然上人がいらっしゃらなかったならば、せっかくこの世に生まれてきたのに、今回も空しく過ぎてしまったことでありましょう。


■法然上人について■ 


然上人のフルネームは、「法然房(ほうねんぼう)・源空(げんくう)」といいます。法然が「房号」で、源空が「法名」ということになりましょう。長承2年(1133)に、美作国・久米南条の稲岡荘(現在の岡山県の久米町)に誕生しました。娑婆は、平家の末期となり、京都の街は源氏の荒武者のために血煙がたっていたと言われています。源信僧都が亡くなってから116年後に、法然は生まれましたから、直接にお会いしているわけではありません。
 父親は、漆間時国(うるま・ときくに)といわれ、久米の押領使として治安警察の役目をしていたそうです。ところが法然9歳のとき、かねてより対立していた稲岡荘預所・源定明によって殺されてしまいます。ところが、父は死に臨んで、敵を恨むことを捨てて出家し、敵味方ともどもが救われる道を求めよと遺言しました。このことが法然上人の出家の動機であると言われています。
 その遺言に従って、法然はその年の暮れに、菩提寺の観覚得業について仏教を学び始めます。そして上人の優れた才能に着目した観覚は、承安三年に京都・比叡山へ入門させます。時に上人15歳だといわれています。はじめは西塔の源光に師事し、ついで皇円について天台教学を学びました。しかし、やがて比叡山のあり方に満足できなくなって、18歳のとき、遁世して西塔・黒谷の別所におられた叡空に師事します。叡空は、ここで初めて「法然」という房号(名前)を与え、それと同時に、源光の源と叡空(えいくう)の空の字をとって、「源空」と法名を与えました。
 叡空のもとで、修行に励んでいたのですが、求道の志を真に満たすことができませんでした。山を降りて、奈良へ行き、洛外の諸師について諸宗派の教義も学びました。そして再び比叡山・黒田にへ戻り、報恩蔵に入りました。報恩蔵には一切経五千巻が収蔵されていました。法然は、この一切経を泣く泣く五回読んだといわれています。ところが、承安三年(1175)の春、上人43歳のとき、ふと善導大師の言葉が目に飛び込んできました。その言葉は
「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざるをば、これを「正定の業」と名づく、かの仏願に順ずるがゆえに。(『観経疏』善導作)
でした。意味は「こころを一つにして、阿弥陀如来の名号(南無阿弥陀仏)を念じて、いつでもどこでも何をしていても、お念仏を忘れないようにしなさい。これこそ、『ただしく淨土往生を決定する行ない』だと名づけます。どうしてかと言いますと、それは、阿弥陀様がそのようにしなさいという本願に従うことだからです。」となりましょう。
 この一文に出会って、「ただ念仏」の信心を獲得されるのです。それから、上人は黒谷を出て、東山の麓・吉水に草庵を結び、当時の民衆と共に専修念仏の道を明らかにされました。
 しかし、このように専修念仏が盛んになると、旧仏教から批判が起こってきました。そして、元久元年(1204)には、比叡山の衆徒が専修念仏の停止を訴え、その動きに呼応した奈良の興福寺が、「興福寺奏状(こうふくじそうじょう)」という文書を朝廷に提出し、法然上人たちを弾圧したのでした。法然上人は、四国へ、そして親鸞聖人は越後へ流罪になりました。門弟四人は鴨川の三条河原で死罪になりました。五年後、赦免になり法然は京都に戻りましたが、1月25日80歳で亡くなりました。(建暦2年のことでした。)
 法然上人の大きなお仕事は、やはり、主著である『選択本願念仏集』(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)を著されたことでしょう。これは、浄土宗を立教開宗した独立宣言の書です。法然上人が『選択集』を著す以前にも、淨土の教えはありました。しかし、それは「念仏も」という扱いでした。様々な修行の中に念仏も入れておきましょうという程度の扱いでした。特に口で念仏を称える称名念仏などは、だれでも出来る簡単な修行だから、まぁ劣った人間にでもできるだろうから、これも修行のひとつとして加えておきましょうということでした。しかし、法然上人は、「念仏も」という念仏ではなく、「念仏のみ」、念仏だけが真実の行だと主張したのです。念仏以外の行は不要だとおっしゃいました。それを聞いた諸宗の学者は、カンカンに怒りました。そうでしょう、他にもいろいろな修行をやっているひとがいるのに、その人に対して失礼じゃないかということもあります。また、そんな口で称える念仏だけで、他の修行はいらないなどというのは暴言だというのです。こっちの批判のほうがもっともだと思いませんか。法然上人の肖像画を見ると、温厚なアンパンマンのようなお顔をされています。しかし、内面は阿修羅のようなお心でした。念仏だけを取り、他の行は捨てよ!というのですからね。これは厳しい指摘です。「あれを取るのか!これを取るのか!」と私たちに迫ってきます。しかし、この厳しい信仰の選択に感動したのが親鸞聖人だったのでしょう。果たして、法然聖人とどういう出会いをされたのか、ご和讃を味わってゆきたいと思います。

■あじわい■   
 法然上人の和讃は、全部で20首あります。高僧和讃の中で分量的には三番目になります。
■@首目の味わい■
和讃には「源空(げんくう)」と書かれているのですが、それに親鸞聖人は「しょうにん」というフリガナを付けています。やはり御自分のお目にかかることのできた生きた念仏の先生ですから、そういう感動をもって「しょうにん」と書かれたのだと思います。やはり、生きた人間を先生としなければ、なかなか信仰には入ることはできないと思います。これを「面授口訣」といいます。面と向かって、口伝えに授けくださるという意味です。どうして生きた人間なのかといいますと、書かれた文章では、自分の思い込みで読むからです。自分の思い込みで分かったつもりになるのです。しかし生きた念仏の師匠であれば、「それは違うぞ」と批判して下さいます。手ほどきとご指導を受けることができます。 現在知ることができるエピソードは、親鸞聖人は、吉水の法然上人の草庵へ、降るにも照るにもいかなる大事にも先置いて、百日通いつめたと記されています。三カ月と十日ですね。小生はただ通いつめたのではなく、やはり問答をされたのだと思います。それは何も記されてはおりません。しかし、たくさんの先輩を差し置いてでも質問されたに違いないと思うのです。求道心というものは、周りのことなど目に入らなくなるものです。脇目もふらずに自分の問いに誠実に促されてしまうのです。ひとつには、念仏ひとつで本当に往生できるのでしょうか?という問いではないでしょうか。法然はそれに「念仏以外に、往生の行はありません」と答えたかも知れませんね。つまり、念仏とは阿弥陀様にすべてを任せるということですから、それ以外にありません。なぜなら、この念仏は、阿弥陀様が本願にかなう行だとおっしゃているじゃありませんか。人間が勝手に作り上げた修行じゃありません。もし、お金持ちじゃなければ救われないというであれば、貧乏人は救われないということじゃありませんか。もし、頭がよくないと救われないということであるなら、バカな人間は救われないということじゃありませんか。もし、聞法経験が長いひとだけが助かるのなら、聞法経験の少ない人は助からないじゃありませんか。もし戒律を保てるひとだけが助かるのなら、戒律を保てないひとは助からないですよ。ですから、最も簡単な称名念仏を往生の行とされたんですよ、と法然上人はおっしゃいます。
 これぞ大乗仏教の真髄ですね。大乗仏教は「だれでも、どこでも、いつでも」という大条件があるんですね。これをはずしたら仏教じゃなくなってしまうんですよ。それが「弘願の一乗」といわれている仏教でしょうね。「一乗」というのは、「たったひとつの乗り物」という意味です。これ以外には衆生が助かる乗り物がないという意味です。「弘願」ですから、「広々として大いなる本願の愛」である「一乗」であります。これは比叡山でエリート仏教を学んできた親鸞にとって大変なショックだったのではないでしょうか。そして、法然に出会って親鸞は「雑行を棄てて、本願に帰す」と宣言されたのでした。この日本に初めて、淨土の教えが開かれる時が来たのだ!という感動が表れています。
 
■A首目の味わい■
 「智慧光のちからより 本師源空あらわれて」ですから、法然上人がお生まれになったのは、阿弥陀様の智慧の力によるのだとうたわれています。法然上人は人間ですから、人間の母親から生まれたのに違いないのです。しかし、法然上人の存在の偉大さを感じてみれば、それは母親から生まれたには違いないのですが、その全体が阿弥陀様のお手回しだったのだということでしょう。生んだのはお母さんでも、生ませた力は、阿弥陀如来であるとしか受け取れないという、受け取った人間の感動を表現しているのです。そして「浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまう」です。浄土真宗を開かれたのは法然上人なんですね。エーッ親鸞聖人じゃないの?という疑問がありましょう。そうじゃないんですね。真宗を開いたのは法然だと親鸞は受けとめているのです。それも宗派としての浄土真宗ではなく、「教理体系」としての「宗」を表現しているのです。現在では宗教法人法が明治にできあがって、セクトとしての「宗派」の意味で「浄土真宗」が常識になってますけど、法然・親鸞はそのように受けとめていなかったのです。まあ当時でも、幕府公認の宗派はありました。南都六宗と真言宗・天台宗は公認ですよね。つまり、王法仏法両輪論で、現世のことは王法、つまり時の権力者が統治し、来世のことは仏法が統治する。この両輪によって日本を統治してゆこうという政治理論です。ですから、鎮護国家、国体安定維持のために仏教界は祈りを捧げるわけです。権威は宗教に求め権力は時の幕府が握るという支配体制の一環なのです。その支配体制を内面から崩壊させてしまったのが法然・親鸞の出現です。いままでエリートだけが宗教的権威を手にすることができたんです。しかし、念仏を称えれば、誰でも宗教的権威を手に入れることができるというんですから、これは革命思想ですよね。そんなことで島流しにさせられたのです。ですから、宗派は権力構造をもってしまうものなのです。宗派の共通了解からはみ出てしまえば、異安心批判を受けて宗派からはじき出されてしまうのです。現在の我が大谷派は組織として、そこまで統制する力がありませんから、リベラルになっています。これは敢えて思想としてリベラルになっているというよりも、時代の流れの中で仕方なくリベラルに見えるようになっているだけです。統制の力が行き届かないので、一見自由にみえるのでしょう。西本願寺教団はもっと組織的に整備されているようで、そのぶん統制力をもっているようです。それが宗派としての教団の本来のあり方でしょうけど、大谷派教団は、バラバラが功を奏しているようです。これは余談ですけど。
 ともかく「宗」は、「むね」とも読み、法然聖人が浄土宗を独立宣言されたというのは、人類の新しい依り所を提示したという意味だと思います。既成教団への殴り込みのようなもんでしょう。「宗」を名のらなければまだ、島流しにはならなかったと思います。他教団が怒ったのです。国家の許可も得ないで、自分で教団を作ったとは言語道断だと。つまり公のものじゃないというのです。国家=公という一般通念はいまでも通用しますね。国が認めたものは安全・安心・信頼感があると。これも時と場合によるんですけどね。浄土宗の独立はおかしいじゃないかと、阿弥陀仏だけを拝んで「神様」を敬わないのはおかしいじゃないか、そんな教団は認められんと批判していますね。他の教団は神様も、仏さまも一緒に手を携えて、社会の安定に寄与しなければいけないと言っているわけですから、こっちほうがまともだと思いませんか?でも、それじゃ信仰にならないんですよ。「ただ念仏のみぞまこと」という確信がなければ信仰にはなりません。この「ただ」が大事なんです。「あれもよし、これも良し」では倫理道徳にはなっても信仰にはなりません。そこには自分の全存在がかかっていないからです。それは宗派としての浄土真宗が一番だという意味じゃありません。自分にとっては絶対ですけれども、他の人にとって絶対かどうかは分からないのです。キリスト教に縁のあるひともあるでしょう。禅宗に縁のあるひともあるでしょう。登山道が違うように、どこかの道からしか登れないのです。決して同時には登れないのです。自分にとってはその教えが「絶対」にならなければ信仰にはなりません。しかし、その絶対の信仰が他の人にとっては絶対ではなく、かえって毒にさえなるのだという危機意識がなくてはなりません。自分にとって絶対だから、ひとにも絶対だとなるとファシズムになります。
■B首目の味わい■
 「善導源信すすむとも 本師源空ひろめずは 片州濁世のともがらは いかでか真宗をさとらまし」。これは実感です。善導・源信がいくら浄土教の教えを書かれていても、それを読む目がなければ読めないもんです。小生からいえば、善導・源信・源空・親鸞すすむとも、曽我量深いまさずばという感じですけどね。いくら大事な経典があっても、それをどういう眼で読むかという視座が与えられなければ、経典なんて読めないんですよ。しかしその眼さえできれば、どんな経典でも読むことができるわけです。ですから、この視座が大事になってくるのです。「片州濁世」という認識も大事ですね。自分の住んでいる日本は、世界の端っこのちっぽけな国であるという認識です。自分は世界の中心だというのではなく、端っこであるということは大事です。いえば、端っこが一番よく世界を見える角度なんですね。端っこへいくほど視野が広がります。真ん中にいたんでは真ん中のことは見えないですよね。余談ですけど、政治文化の坩堝である東京にいたのでは、東京は見えないんです。かえって田舎に行って、田舎から見ると都会のことがよく見えるんです。世界の一番端っこから物事を見るということが、片州という言葉には含まれているように思います。
 それから「真宗」とは先の「淨土真宗」と同じ意味ですよ。浄土真宗の略称です。淨土を本当の依り所として生きるという宣言ですね。この世は仮の世で、淨土が真実の場所だという意味です。でも、それは死んだらいいところへ行くという意味じゃありません。また、この世は苦しいけど、あっちへ行けば楽になるという意味でもありません。極楽とは、一瞬先にあるところです。何年も先のことじゃ、宛になりません。一瞬先にあるものです。そこに真実があるんです。でも今は娑婆なんです。いずれ死んだら楽になるという意味じゃなくて、その真実に触れると、この苦しみを引き受けて立ち上がって生きることができるということなんです。真実に触れるということは、そのままでは触れられないのです。一度生きながら死なないと触れられないのです。この世に死んで、あの世の真実に触れる、そういう実感がないと、淨土が真実にはならないのです。これは微妙なところでありまして、またものすごく大切なところであります。
■C首目の味わい■
「曠劫多生のあいだにも、出離の強縁しらざりき 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし」。曠劫多生の間とは、自分のいのちを受けとめる時の神話的表現です。決して、自分のたましいが生まれ変わったり死に代わったにしてきたと思っているわけではありません。自分のいのちに対する深い感動を、表現するときには神話的・詩的に表現する以外にないのです。卑近な例ですけど、ほんとに美味しいものを食べた時とか、心地がいい時には「もう死んでもいいよ!」と言ったりしますね。それじゃ、いま殺してあげましょうかと言われれば、それは困るわけです。感動した時には、詩的表現を取らざるを得ないんです。「出離の強縁」とは、迷いのいのちから脱出する、本当のご縁を知りませんでしたと、しみじみ振り返っておられるわけです。もし、法然上人に出会うことがなければ、この世に生まれては来たけれども、やっぱり空しく人生を終わってゆくしかなかったのだという親鸞聖人の感懐です。それは法然上人に出会えた感動と、出会うことの不可思議さ、尊さ、かたじけなさ、さまざまな聖人の感動が忍ばれるご和讃です。
 この「空しさ」というのが、宗教的感性なんですね。ものは豊にあって、人間関係もそこそこうまくいって、人生も順調だとしても、そこはかとない「空しさ」というものを感じることがあります。自分では精一杯生きてきたと思っていたのに、ひとから認められるわけでもなく、家族から感謝されるわけでもなく、ここまで人生を送ってきたけど、「それがどうしたというんだ!」という声が聞こえてきたりします。この「空しさ」という内面の疼きこそ、菩提心の動きなんですね。菩提心は、道を求めたい!という積極的な動きではなく、人間に「空しさ」を感じさせることでひとを求道に向かわせるわけです。ですから、微妙というか、デリケートなものなんですね。その微妙なところに感じることができれば、「妙な世界」が広がってくるのです。ですから、人生につまずいて信仰の門を叩いたというひとは多いと思います。この世で成功したひとには、あまり信仰は無関係かもしれません。ですから、この世で成功して言うことなしという人生は、逆にいえば不幸なことなのかれしれません。つまずいたり、嘆いたり、苦しんだり、悩んだり、それらすべては、如来の呼び声なのかもしれないのです。
 「人の口には戸は立てられません」。人間の口からは魑魅魍魎が飛び出してきて人間を傷つけます。でも、相手の口をふさぐには、相手を殺す以外にないのです。そうじゃなくて、どんな言葉が出てきても、それにたじろがない自分に成りさえすればいいのです。そのために人の口を借りて如来が私を試しているのかもしれません。悪口は、自分の一番痛いところを突いてきます。どほれどつつかれても、「いいよ」といえる勇気が大信心ではないでしょうか。

【質問に答えて】

問い:今日の所ではないのですが、親鸞聖人が「非僧非俗(ひそうひぞく)」と言って、自分は僧でもない、俗でもないと言ってますけど、あれはどういう意味なのでしょうか。私は、あれは数学の理論として受けとめれるよく分かるのです。あれば〇(ゼロ)という意味でしょうか?つまり何にもないということがゼロですし、また1・2・3という数字の基礎になるものがゼロです。様々なことをやってきて自分がここにいるんですけど、現在はゼロである。本来的に自分はゼロであると、このように受けとめるとわかり易いのですけれども…。

答え:そうですね、ゼロということです。これは仏教では「空」とか「妙」とか「真如」とか「如来」とか「真理」と表現しています。言葉は違いますけど、同じことを言ってます。つまり、親鸞聖人が「僧でもない、俗でもない」というのは、二元の世界を超えたという宣言です。人間のあり方は二つのあり方しかないのです。僧でなければ、俗人ですし、俗人でなければ僧なんです。その二つを否定しているということは、二つの世界を超えたということです。つまり、超越ですね。有と無の両方を超えたといってもいいでしょう。本来的に自分はゼロである。しかしゼロであるから、存在を許容することもできる。否定であると同時に全存在の肯定でもある、そういうゼロの宣言が「非僧非俗」なのですね。


■2002年1月10日■(第134回)

 

@男女貴賤ことごとく 弥陀の名号称するに

    

行住坐臥もえらばれず 時処諸縁もさわりなし

A煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども

 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり  

B弥陀の報土をねがうひと 外儀のすがたはことなりと

  本願名号信受して  寤寐にわするることなかれ

 

C極悪深重の衆生は  他の方便さらになし

 ひとえに弥陀を称してぞ 淨土にうまるとのべたまう

 

【現代語訳】─────────────────

●@阿弥陀如来の御名を称えることは、男性であるとか、女性であると   か、身分が高かろうが低かろうが、そういうことは一切問題になりませ   ん。歩いていようが、止まっていようが、座っていようが、伏していよう   が無関係です。いつでもどこでも自由自在に称えることができます。

●A欲や怒りにこころのまなこがふさがれて、私たちを助けてくださる阿弥   陀如来の光はみえませんけれども、如来の愛は、いつでもどこでも、   私の身を照らし守って下さっているのです。

●B阿弥陀如来のお浄土へ往生を願う人は、外見は様々に異なっていま   しょうとも、南無阿弥陀仏のいわれを信じて、寝ている時も起きている   時も忘れることがありませんように。

●C私たち、極悪の衆生は、他に救いの手だてがありません。ただひたす   ら阿弥陀如来の御名を称えて、淨土に生まれるのですと源信僧都は   おっしゃいました。

あじわい    
    

今日は源信僧都の3回目のお話です。(源信僧都のご和讃は10首)いつもは三種の和讃を頂くのですが、今日は四種頂いて、源信僧都の和讃を終わります。次回からは法然上人のご和讃を頂きます。

@第1首目の和讃の味わい

 当時は、男女や貴賤の差別があって当たり前の社会でした。そのなかでこういう和讃を作られたのは、本当に阿弥陀如来への信仰が徹底的に貫かれていたことを感じます。人間は、いつでも、「こうでなければならない」という固定観念をもっています。南無阿弥陀仏を称える場所は仏壇の前とか本堂の中、お墓の前と、決めたがります。歩きながらとか、寝っころがって称えては失礼になるとか、そういう具合に決めたがります。しかし、そんなことにまったく頓着しないのがお念仏です。出たい時に出ればいいのです。まるでオナラのように、あるいはゲップのように飛び出すこともありましょう。それでもいいのです。

 なぜなら、自分が「よーし、念仏を称えよう」と思って称えた念仏も、あくびと一緒に飛び出した念仏も、お念仏の値打ちにはまったく変りがないのです。念仏は、人間が計画的に称えられるものではありません。すべて、ご縁によって称えさせられるものです。ですから、念仏が出てしまうのも、出て来ないのも、すべてご縁でありましょう。人間の自由にはならないのです。すべて如来のおぼしめしであります。

A第2首目の和讃の味わい

 この和讃は、正信偈にも引かれていますね。「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」とあります。私たちは煩悩をもっています。「怒り、腹立ち、ねたみ、そねむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、断えず消えず」と親鸞聖人は教えてくれました。でも、煩悩のせいで救いの光が見えないと嘆くのではないとおっしゃいます。だって、煩悩に苦しんでいるもののために救いの光があるからです。自分の煩悩を嘆くのではなくて、その煩悩の身を助けてくださる阿弥陀様をたのむのです。だから、煩悩があるということは、阿弥陀様の救いの光を受ける資格があるということですから、頼もしくなってきます。

 私たちは直接、肉眼で如来を見ることはできません。心の眼で感じるだけです。私は「背中に如来の愛を感じる」と表現しています。直接、見ることはできません。見ることはできないけれども、背中に愛を感ずることができるということが、「大悲ものうくことなくて、つねにわが身をてらすなり」という意味なのです。肉眼で拝めるようになってから、阿弥陀様を拝むのではありません。決して肉眼で拝むことができないということを通してだけ、如来の愛を背中に感ずるのです。

 如来は私たちを超越しております。その意味で、決してこの世にふれる縁がありません。しかしふれる縁がなければ、私たちは「救われる」とか「さとる」ということは成り立たないのです。そこに、ふれ得ないという悲しみを通してのみふれる縁が開かれるのです。ここは微妙なところですが、真宗の要(かなめ)です。この機微に気づいていただくと宜しいかと思います。

B第3首目の和讃の味わい

 これも第1首目と同じような意味合いです。「外儀」とは、外見上のことです。外形がどれほど異なっていても、南無阿弥陀仏の意味を信じて片時も忘れないようにというのです。まぁ起きている間は、念仏を忘れないことはできます。しかし寝ている時も忘れるなということは、どういうことでしょうか?

 これは、「思い込み」とか「そうに違いない」という程度の信心では太刀打ちできないということです。親鸞聖人のいう信心とは、人間が「そうに違いない」「淨土はあるにちがいない」「如来はいるに違いない」という思い込みを破って、如来が私に乗り移ってくることなのです。私のこころの最深部に乗り移ってくるので、乗り移られたら、如来が私を動かし始めるのです。丁度、エイリアンが人間の内部に住みつき、外見は人間であっても内面はすべてエイリアンになってしまうようなものです。如来に人間が占領されて、外見は人間であっても、内側はすべて如来に乗っ取られて生きるということです。そうなれば起きていようが寝ていようがすべてが、如来のいのちを生きるということが成り立つのです。

 それはもちろん比喩ですが、違う面からいえば、「縁を生きる」ということになります。自分という実体はどこを探してもないのです。自分は縁です。肉体だって何兆という細胞の集合体です。だから、どこまで細かく切りわけても自分というものは出てきません。自分はこの世に存在しているように思っているですけれども、それは思っているだけであって、確固としてあるわけではありません。その証拠に、あと何年かで消えてなくなるのですから。

C第4首目の和讃の味わい

 私たちが救われる手だては、南無阿弥陀仏以外にありませんと親鸞聖人は受けとめられているのです。別に南無妙法蓮華経や、南無釈迦如来や、アーメンで助かるのであれば、それはそれで結構でしょう。しかし、自分においては、南無阿弥陀仏以外になかったという信仰告白がこの和讃だと思います。

 別の言い方をすれば、それは自分が自分に成ったということだ思います。現在の自分を十分に受け入れられたということです。現在の自分が受け入れられれば、過去一切は、その現在を成り立たせて下さったかけがえのない過去になります。過去への恨みはなくなります。そして過去が受けとめられたということは、未来への明るみにつながります。人間にとって、最大の問題は、「過去」だと思います。「後悔」は未来にはありません。必ず「過去」です。この「過去」をどう頂くかが、人間の最大の課題なのです。歴史をどう頂くかが問題なのです。

 話は変わりますが、最近、あの有名なフランクルの『夜と霧』の新訳が出ました。以前の翻訳は霜山徳爾さんだったのですが、今回は池田香代子さんが手がけました。(原書も終戦後と七十年代と違いますけど…)あの『もし世界が百人の村だったら』や『ソフィーの世界』の翻訳者です。実に読みやすい本に仕上がっておりました。フランクルは皆さんもご存じだと思いますが、あの第二次大戦下のドイツ軍によるユダヤ人のホロコーストに犠牲者となった方です。精神科医の彼が、ユダヤ人という理由で強制収容所へ収監されます。食べ物もろくに与えずに強制労働をさせ、病気になったらすぐにガス室送りにされます。衛生状態や居住環境も劣悪をきわめておりました。その強制収容所での暮らしを解放後に記した本が『夜と霧』でした。その中で実に興味深いことを述べておられます。

 その部分を抜き書きしてみます。

「先生(収容者)、話があるんです。最近、おかしな夢をみましてね。声がして、こう言うんですよ。なんでも願いがあれば願いなさい、知りたいことがあるなら、なんでも答えるって。私がなんとたずねたと思います?わたしにとって戦いはいつ終わるか知りたい、と言ったんです。先生、『わたしにとって』というのはどういう意味かわかりますか。つまり、わたしが知りたかったのは、いつ収容所を解放されるか、つまりこの苦しみはいつ終わるかってことなんです」

「それで夢の中の声はなんて言ったんですか、とわたしはたたみかけた。相手は意味ありげにささやいた。「五月三十日…」この男は、わたしに夢の話をしたとき、まだ充分に希望をもち、夢が正夢だと信じていた。ところが、夢のお告げの日が近づくのに、収容所に入ってくる軍事情報によると、戦況が五月中に私たちを解放する見込みはどんどん薄れていった。すると五月二十九日、彼は突然高熱を発して倒れた。そして五月三十日、戦いと苦しみが「彼にとって」終わるであろうとお告げがあった日に彼は重篤な譫妄状態におちいり、意識を失った、五月三十日、彼は死んだ。死因は発疹チフスだった。」(略)

「ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることか何かを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることが私たちから何かを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげんに、生きることの意味を問うことをやめ、私たち自身が問の前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけくる。私たちはその問いに答えを迫らせている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。」(略)「私たちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいてていた」。

 夢の告げを受けた男は、生きることの意味を必死に求めていた。なんで強制収容所に入れられて、自分のいのちがたわいもないに左右されるのか。この理不尽に対して意味が欲しかったのでしょう。しかし、その問い方では、人間は生きられないとフランクルは言うのです。問いを百八十度転換しろといいます。私が人生に期待するのではなくて、人生が私たちに何かを期待しているのだというのです。私たちが人生の意味について考えるということは、利害損得を欲しがっているだけなのです。つまり「意味があるなら生きよう」「意味がなければ死のう」。その意味とは利害損得です。それは仏法的にいえば貪りのこころです。ですから「いいかげんに意味を問うことをやめよ」というのです。むしろ、いのちそのものが私たちに無言の声をかけているのだ、その声を聞けといってます。いかに運命的に不可解な境遇に置かれていても、そのことの意味が解けるならば、その苦しみを引き受けられるのです。それはもはや生の意味だけではなく、生と死を含んだ生きる意味でなければならないのです。根本的に「愚か」にならなければ、それを引き受けられないことだと思います。根底の愚から、生が始まるのです。

 

                                                                                                                                                                         

■2002年

11月9日■(第133回)

 

@本師源信和尚は 懐感禅師の釋により

      
 處胎経をひらきてぞ 懈慢界をばあらわせる 
  
A専修のひとをほむるには 千無一失とおしえたり


 雑修のひとをきらうには 万不一生とのべたもう   
     
 B報の淨土の往生は  おおからずとぞあらわせる 
 

 化土にうまるる衆生をば すくなからずとおしえたり 

       
【現代語訳】 ──────────────────────────── 
●淨土を教えて下さる本当の先生・源信和尚は、懐感禅師(えかんぜんじ)の解釈によって、處胎経(しょたいきょう)を引用されて「懈慢界(けまんがい)」とい  う教えを私たちに示して下さいました。
●もっぱらただお念仏をとなえるひとを誉められて、千の中にひとつもお浄土に往生できないひとはいないと説 かれ、また逆に念仏以外の行を交えて修めるひとを非難して、万の中に一人も生まれることはできないとおっ しゃいました。
●真実のお浄土へ生まれるひとは、多くありません。また方便化土に往生するひとは、少なくありませんと教え て下さいました。

言葉の意味
■懐感禅師→もともと中国の長安(唐)・千福寺に住していました。初めは法相宗でしたが、後に善導大師にお会いして、浄土教に帰依され、『釋淨土群疑論』(七巻)を著されました。
■處胎経→『菩薩處胎経』のこと。
あじわい    
今日は源信僧都の二回目のお話です。(源信僧都のご和讃は10首)
─────────────────────────────────────────── 
●1首目の和讃の味わい
處胎経というお経に「懈慢界(けまんがい)」ということが出てきます。源信はこれに注目しています。また親鸞も上に引用したように、お浄土の途中に十二億那由他の場所に「懈慢界」という世界があるのだといってます。懈慢界というのは、「執心牢固ならず」といってます。つまり、一生懸命に、ひたすらただ念仏になっていないというのです。執心とは、こころにいつでも、そのことだけを熱心に思いとどめているということです。また牢固とは、そのこころが堅固でまったく揺るぎないものという意味です。
 でも、そうなれないひとは、みんな「懈慢界・懈慢国」というところに引っかかって、真実報土に往生することができないのだといわれています。懈慢とは、字が示していますように「懈怠慢惰」の略で、懈とは「おこたる、なまける」、慢は「あなどる、おこたる、おごる」という意味です。
 結局、真実の淨土への途中下車です。「やれやれ、これでお浄土の近くまできたな」と腰を下ろそうとすると、そこは懈慢界だと教えられるのです。これは神話的に「淨土の途中に懈慢界があるぞ」と教えいるようですが、人間の修道の問題でいえば、「退屈」ということです。ちょうど歎異抄第9条の唯円の心境が、この懈慢界の心境です。お念仏の教えに出会って、感動したこともある。しかし、長年お念仏の教えを聞いてくると惰性になってくる。マンネリ化してきます。ですから、面白くおかしくもないということになります。これは誰でも通る道だと思います。唯円房も「念仏しても、喜びもないし、早く真実の淨土へゆきたいという気持も起きません。これはどうしたことなのでしょうか?」と親鸞聖人に問うています。
 親鸞聖人は、「わたしもそうだ」と応えています。そして「よくよく考えてみれば、喜べるはずのものが喜べないのは、これは煩悩がそうさせているんだよ。でも、阿弥陀如来はそんな煩悩に苦しんでいるもののためにあるんだよ。だから喜べないということは、かえって喜ぶべきことなんじゃないでしょうか」と教えてくれます。
 この展開は凄い展開です。まさにアミダ如来の救済の妙を表現された言葉です。ちょっと見ると、言い訳のような、屁理屈のようにも聞こえます。「人間はどうせダメなんじゃない。努力したって所詮ダメなんじゃないの」と歎くとき、「そういうダメな人間のためにアミダ如来の愛があるんですよ」といわれるとどうでしょうか?光を感じないでしょうか?自分をダメ人間だと思っているひとには、光ですけれども、自分はまだままた自信満々で、なんでもできると思っている人には言い訳に聞こえるのではないでしょうか。
 親鸞聖人は、人間的な努力というのは、頭にふりかかってくる火の粉を払うようなものだといってます。また禅宗の方では、自分の鼻にウンコがついているのに、どこかに臭いウンコの匂いがするといって、臭いのもとを探そうとしているようなもんだといってますね。自分の力で自分が持ち上がらないように、所詮人間的な努力は徹底できないものなのです。
 努力は大切ですが、努力主義はだめなんです。以前にも書きましたが河合隼雄先生の「ものごとは努力によって解決しない」という言葉が思い出されますね。自分の境遇が苦しいとき、自分は努力が足りなかったんだと自暴自棄な解釈を人間はしてしまいます。あるいは、自分は努力しているのに、あいつがいるから、上司がいるから、自分が生き生き生きられないんだと解釈します。結局、自分で自分の責任をとれない人間の愚痴なのでしょう。
●2首目の和讃の味わい
 この和讃も1首目とつながっています。専修のひととは、真実真実を得た人という意味です。一生懸命、ただ念仏だけを称えている人という意味ではありません。お念仏を何万遍となえようと、それは淨土往生の条件にはなりません。いくら称えても、それは全部阿弥陀如来に功徳は奪い取られてしまい、自分の手柄にはなりません。それは、自分の中に淨土往生の自信をつけようとしているようなものです。しかし、自分の中に自信をもてるような人には、アミダ如来の慈悲は必要ありません。唯円房に親鸞聖人がいうように「煩悩に苦しみ悩んでいるひとのために慈悲はある」ということです。つまり自分には、まったく自信のもてない者のために、阿弥陀如来が自信の根拠となって下さるのです。自分に自信をもつ必要がない。自分はいつまで不安であってもいいのです。なぜなら、アミダ如来が、そんな私を見つめて下さっているからです。そこに自信を感じるのです。自分の内面にではありません。
 「不安はわたしのいのちやもん」といった森ひなさんの言葉が思い出されますね。「人間は所詮不安なもんだよ。どこまでいってもこれでいいということはないさ」と居直ることとは違います。その発言には救いはありません。「人間は所詮不安なもんだよ」という言葉が、自分を慰めるための言い訳ではなく、如来の言葉としてうけとめられたら、これは救いとなります。自分の狭い心で自分を解釈し、あるいは自分の狭いこころで亡き人を解釈している、その狭さに気づくことです。安心の大地にたって、どこまで不安になることができるということではないでしょうか。
 真実の淨土には、ふれ得ないという形で、私たちは淨土にふれるのです。お浄土に帰るのは、この息の根がとまったときです。身と心が一つになるのは、そのときまでお預けということでしょう。人間は身と心がバラバラの生き物です。身はここにあっても、こころここに非ずという生き物です。
●3首目の和讃の味わい
この和讃も、1〜2首目とつながっています。真実報土へ往生するひとはほんとに少ないのです。化土(けど)に行ってしまう人が多いのです。ここでいう「化土」とは、自分のこころのなかということです。自分の心のなかにすべてを詰め込んで、「これが世界だ」「これが自分だ」「これが人生だ」と全部分かってしまったひとです。
 大無量寿経では、「易往而無人(いおうにむにん)」と書かれています。「往きやすくして、ひと無し」と読みます。「あら往きやすの淨土や」と蓮如上人も書いています。ゆきやすいのです。なぜならば、まったく努力を必要としないのですから。誰でも、いつでも、どこにおいても実現可能な道です。もし、努力で行こうとするならば、この「三千大千世界を持ち上げるようなもんだ」といわれています。もし山の中を駆けめぐる修行をしろというならば、年寄りは実現できません。また、このお経を暗記しろということであれば、知力のないひとは実現できません。また口で念仏を称えなさいということが条件であれば、声帯切除手術をしたひとは実現できません。このお念仏の教えは、念仏すら必要としない教えです。

 ですから、親鸞聖人は「行から信の世界を開いた」といわれるのです。親鸞聖人が若い頃、法然上人の吉水の草案でのエピソードが語られています。「信不退(しんふたい)、行不退(ぎょうふたい)」のエピソードです。淨土往生には「行(修行・実践)が大切か、あるいは信(信心・信仰)が大切か」という論議になりました。そこで、座敷を二つに分けて、行が大切だと思っているひとは右へお座りください。信が大切だと思っている方は左へお座りくださいと、なりました。大多数の弟子たちは、右の「行の座」へ座りました。しかし、親鸞聖人と他数名は、左の「信の座」に座りました。いよいよ先生であります法然上人がお越しになり、「わたしも信の座に座ろう」とおっしゃいました。この話は多少眉唾的なところもありますが、やはり信ということが親鸞の面目だと思います。
 でも大多数の弟子たちは、信ではなく行の座についたというのも分かるような気がします。だって、信というのは「内面のこと」でしょう。でも「行」というのは、実践ですから、人から見ても分かりますし、自分自身のやり甲斐にもつながります。現代でも「不言実行」というのが日本人の美学にありますよね。「男はだまってサッポロビール!」というコマーシャルが以前ありました。ひたすら黙々と、愚痴もいわずに、仕事をする姿はすがすがしいものです。 しかし、親鸞聖人の世界へきますと、それはダメです。たんなるヒロイズムということになります。何をしたかということより、そのひとはどういうこころの世界を生きているかのほうが大切だというのですから。
 行為(行)と思い(信)とは、一応次元が異なっています。行為は行為の次元、思いは思いの次元で動いています。それは独立しているのではなく、微妙に連動し連関しながら動いています。でも、現れてくるときには異なった次元のこととして現れてきます。思いは、言葉か行為かという表現しか方法はありません。何を思っているのかは、他人には分かりません。言葉や行動にあらわさない限り。ですから、周りから見て、あのひとは真面目なひとだと見えても、実際そのひとの心のなかは、どういうものかは分かりません。これは日常よく見受けられることです。
 何を行為し、その結果何を思ったかということが大切なんです。行為も、そして突き詰めると「思い」すら宿業因縁だということなのです。自分で、なんでも自由に思うことができる、あるいは自分がなんでも自由に行動することができると思っている、この「思い」が問題になってきます。これは親鸞の世界では「自力のこころ」と押さえられてきます。
 これは、人間が生きているときの基本的な心の構えのようなものを言っています。人間がものごを突き詰めて考えるとき、「これしかない」という結論を出します。「やっぱり、あいつは死ぬまで変わらない人間なんだ」とか「所詮、金をもっているやつが、この世では一番強い」とか、「どうせ、自分はどこまでいっても、ボチボチだ」とか、「まあ、自分の人生を振り返ってみれば、まぁまぁよかったんじゃないか」とか。自分や、自分の人生や、他人や、世界情勢や、その他のものについて、人間は評価を与えます。しかし、その最終的な評価は絶対なものではない。最終的な評価は人間が、人間的に解釈した結論であって、それは真実ではないということです。それが真実ではない、本当ではないのだとして、自分の狭い心のなかに閉じ込めないということ。つまり、「こころの破れ」ですね。これが他力ということでしょう。 つねに破れていないとだめです。溜まってしまって、澱のように淀んでしまいます。そこが破れていれば、どれほど溜まっても、それが流れていきます。
 親鸞のいう信心とは、「きっとそうに違いない。淨土があるに違いない。仏さんも、いるに違いない。そうに違いない」などと、思い込むことでは、全然ありません。信心とは世界観であり宇宙観であり、人生観であり、人間観である。人間は、「そうに違いない」と思い込むことはできません。そんな憶測や思い込みや推測が信心ではありません。宇宙の軸ともいえる、要を得ることです。それは、人間的な「知」(類推・判断・記憶・決断等)では、把握できないことがらに出会って、知の挫折をくぐることです。自己存在は、人間の知を超えているのです。来年の同朋新聞の第一面には「自身の<いのち>こそ本尊」というテーマで、書きました。アミダとは、偶像化された木彫りの人形ではありません。どっかにいる不思議な如来でもありません。ここのに鼓動を内ながら私の身体とまで成ってきた歴史そのものです。これほど身近な本尊はありません。宿業因縁(しゅくごういんねん)の身体にまで成ってきた歴史のすべてです。この不思議な身体をおいて他に本尊はありません。まあ「本尊」という言葉も、もともと密教経典である『大日経』の言葉です。親鸞は「本尊」という言葉を使いません。モノではなくコトとして流れる本尊です。徹底的に人間の把握を拒否する本尊です。

                                                                                                                                                                       

 

■2002年9月10日■

■七高僧について■〔親鸞聖人の仏教史観が「七高僧」です〕

          正信偈に親鸞聖人の七高僧の頂き方が表現されています。

  

@源信和尚(げんしんかしょう)のたまわく われこれ故仏(こぶつ)とあら

  われて

 化縁すでにつきぬれば 本土にかえるとしめしけり

 

A本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに

 念仏一門ひらきてぞ 濁世末代おしえける  

   

B霊山聴衆とおわしける 源信僧都のおしえには

  報化二土をおしえてぞ 専雑の得失さだめたる

 【現代語訳】

●源信僧都のおっしゃることには、「私はもともと極楽浄土の仏です。この娑婆世界にやってきて衆 生教化の仕事をしておりましが、この度、教化をするべき縁が終わりましたので、極楽淨土へ帰  らせていただきます」とおっしゃいました。

●源信先生は、丁寧に、お釈迦様が説かれた全仏教のなかから、念仏の教えひとつを開かれて、 濁り切った末世に公開して下さいました。

●お釈迦様が説法されていたラジギールの霊鷲山で、聴衆となっておられた源信僧都の教えに   は、「淨土に報土と化土の違い」があり、「専修と雑修」の問題性をはっきりとのべておられます。

あじわい 

今日からは源信僧都のご和讃に入ってゆきたいと思います。(源信僧都のご和讃は10首)

@源信僧都とはどんなひとか?

源信(天慶5年[942]〜寛仁元年[1017]76歳没)

 奈良県、葛木郡当麻の出身。父は卜部正親、母は清原氏である。しばらく両親のもとで育てられたが、源信7歳のとき出家するようにと遺言して父はこの世を去った。その後は母により育てられたが、源信は父の遺言を守って13歳のとき比叡山の旅僧に伴われて山に登り、天台座主・良源(慈慧僧正)の門に入った。良源は源信を可愛がり、また学業優秀であったので、一躍、名前を一山にとどろかせた。天暦5年、源信15歳のとき、村上天皇の要請によって宮中で経典の講義をした。天皇は感動して、源信に僧都の位と布をお礼に下さった。15歳の源信は、この喜びを母に告げようと、御礼の布を持たせて当麻の里に使いをだした。ところが母は、このことがかえって源信の驕慢心のもとになり、仏道修行の妨げになると心配し、これを喜ぶどころか、「心得違いをしてはならぬ」といさめられた。源信は、このことで浮き世の栄華や名誉が取るに足らないことをさとり、執着のこころを断ち切って、もっぱら自己の仏道修行に励まれたということである。

 源信は、そののち経蔵に入り、釈尊一切経を五回も学ばれた。しかしまだ真実の安心に到達できず、山を降りて遠く伊勢の大廟に参詣し、真実の道を示して下さいと祈りました。それからまた京都に戻り、六波羅蜜寺の空也上人を訪ねて道を聞き、天禄年中に30歳前後で、比叡山の北の奥、横川の楞厳院に入られたのである。

 寛和元年には円融帝の皇后の要請により『往生要集』三巻を著した。源信の生涯の著書は、七十余部、百五十余巻といわれている。内容は小乗・大乗・権実・顕密・聖浄・漢詩・和歌に至るまで幅広い。しかし、その根本精神は極重の悪人はただ弥陀の名号を称えて淨土往生すべしというものであった。寛仁元年に病にかかり六月十日息を引き取られた。御歳、七十六歳であった。

A『往生要集』三巻が主著。

親鸞聖人が『教行信証』に引用された『往生要集』の文章(行巻と化身土巻にあり)を引用しておきます。ページ数はすべて、東本願寺発行の『真宗聖典』です。

●(行巻・聖典188n)

「『双巻経』(大経)の三輩の業、浅深ありといえども、しかるに通じてみな「一向専念無量寿仏」といえり。三つに、四十八願の中に念仏門において、別して一つの願を発して云わく、「乃至十念若不生者不取正覚」と。四つに、『観経』には、「極重の悪人、他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生まるることを得」と。已上」

●(化身土巻・聖典三三〇n)

「西方、この閻浮提を去ること十二億那由他に懈慢界あり。乃至 こころを発せる衆生、阿弥陀仏国に生まれんと欲する者、みな深く懈慢国土に着して、すすんで阿弥陀仏国に生まるることあたわず。億千万の衆、時に一人ありて、よく阿弥陀仏国に生ず」と云々。(略)何をもってのゆえに、みな懈慢によって執心牢固ならずと。ここに知りぬ、雑修の者は「執心不牢の人」とす。かるがゆえに懈慢国に生ずるなり。もし雑修せずして専らこの業を行ぜば、これすなわち執心牢固にして、定めて極楽国に生まれん。乃至 また報と淨土に生ずる者はきわめて少なし。化の淨土の中に生ずる者は少なからず。(以下略)」

B正信偈に見える親鸞の源信観

 源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 極重悪人唯称仏

 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我

 (源信、広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して、一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土、正しく弁立せり。極重の悪人はただ仏を称すべし。我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども。大悲、倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。)

C『尊号真像銘文』(和文)に見える親鸞の源信観

「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」(往生要集)

「我亦在彼摂取之中」というは、われまたかの摂取のなかにありとのたまえるなり。「煩悩障眼」というは、われら煩悩にまなこさえらるとなり。「雖不能見」というは、煩悩のまなこにて仏をみたてまつることあたわずといえどもというなり。「大悲無倦」というは、大慈大悲の御めぐみものうきことましまさずともうすなり。「常照我身」というは、常はつねにという。照はてらしたまうという。無碍の光明、信心の人をつねにてらしたまうとなり。つねにてらすというは、つねにまもりたまうとなり。我身は、わがみを大慈大悲ものうきことなくして、つねにまもりたまうとおもえとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらわしたまうなり。「念仏衆生 摂取不捨」のこころを釈したまえるなりとしるべしとなり。

D全体を通しての味わい

 やはり、源信そのものの信仰の世界と、親鸞聖人がいただいている源信の信仰とは異なっていると思います。どうしても、源信は日本浄土教の過渡期的な存在ですし、念仏を取り上げて衆生の救済を強調しているのですが、どうしても、神秘主義や能力主義に影響されているように思います。善導もそうであったように、聖道門の中に身を起きながら淨土思想の普遍性を打ち立てたということではないでしょうか。

 しかし、石田充之先生も述べているように、源信の信仰は「求道的生命感に溢れる浄土教色を色彩ゆたかに打ち出されている」と思います。二十五三昧式を著し、念仏結社をつくり昼夜を問わず称名念仏を励んでおられたといいます。僧俗男女百五十名の参加者があったそうです。

E第一首和讃の味わい

 この和讃には種本があります。それは『源信僧都行実』で、「我はもと、極久住の大士なり。化縁すでに尽きて、今本土に還る」とあるそうです。親鸞聖人は、源信和尚をお浄土からこの世へやってきた阿弥陀仏の化身として仰いでいたのでしょう。もともと淨土におられた源信僧都が、わざわざ衆生済度のためにこの娑婆にお出ましになり、教化の縁が尽きたので、また自分の故郷へ帰られるという、なんとも温かい淨土と娑婆の交流を表現されています。

F第二首和讃の味わい

 この和讃は主著である『往生要集』の「それ、往生極楽教行は濁世末代の目足なり」によっているそうです。源信僧都の学問は、前にも書いたように小乗・大乗・聖浄・顕密と多岐にわたっておられます。しかし、そのなかで念仏一門だけが、時代を超越した救済の道であると示されました。(目足とは目=智慧と足=実践のこと)

G第三首和讃の味わい

この和讃も『往生要集』の文章によってつくられているそうです。霊山とは、北インドのラジギール(王舎城)の北東にある山です。そこにお釈迦様の説法の場所があります。小生も一〇年前ほど行ってきました。山の頂上にいくらか平らな場所があって、そこに香室と呼ばれるところがあり、そこでお釈迦様が説法されたといいます。ここで説かれたのが大経や法華経です。

 この山頂はの鷲の形をした場所があり、霊鷲山とも呼ばれます。また耆闍崛山とも音写して呼ばれます。

 ここでお釈迦様が説法されたとき源信僧都は聴衆となっておられたというのです。もともと淨土から娑婆に来られている方ですから、二五〇〇年前に存在しておられたなんていうことは当然至極と思います。もう淨土から娑婆へ、娑婆から淨土へ自由自在という感じですね。

 しかし、そのあとの「報化二土をおしえてぞ、専雑の得失さだめたる」はちょっと教理的に厳密な信仰のお話に入ってゆきます。

 阿弥陀様はどんな人間をも救って下さいます。しかし、お浄土にゆく途中に懈慢国土という国があって、ほとんどの人はみなそこに留まって阿弥陀さんの淨土へ行くことができないといわれます。どうして行けないのかというと、「懈慢によって、執心牢固ならず」とおっしゃっています。つづけて「雑修の者は執心不牢の人とす。かるがゆえに懈慢国に生ずるなり。もし雑修せずして専らこの業を行ぜば、これすなわち執心牢固にして、定めて極楽国に生まれん」(聖典330n)といっています。

 懈慢の「懈」とは、「おこたる・なまける」という意味ですし、「慢」は「おこたる・あなどる」「自負してあなどる・こころがのびゆるんでおこたる」「なまける」「おそろかにする」「おごりたかぶる」「おごる」という意味です。懈慢国は阿弥陀さんの淨土の手前にあるというのですが、それは譬喩です。たとえお念仏を称えていても、その信仰が「なまけ」や「おこたり」や「おごり」に陥るならば、それは真実の淨土ではない、そういう信仰上の難関を比喩的に表現しているのです。

 だから、執心とは、「こころがいつもそのことに従事している状態」で、牢固、そのこころざしが金剛のように堅固であることが求められてくるのです。徹底してお念仏しろというのです。なまけるな!かたときも忘れるな!というわけです。まだ源信僧都の世界は聖道門の世界です。自分の力をあてにして一生懸命励みなさいという論理です。しかし、親鸞聖人までくると、一生懸命やっていても、それだけでは真実にかなっていないのだとおっしゃってきます。いかに行為を徹底しても、それを行う心が真実にかなっていなければだめだというのです。

まとめて

源信→回向。

法然→不回向。

親鸞→如来回向、と教えられています。

一切衆生の次元から、自分を見直してくる。60兆という細胞から出来上がっている自分。それにつらなる他の生命態、空気、水という私の身体となっている環境。ますます「日本人」というアイデンティティーをもっと掘り下げて、「人間」というアイデンティティー、そして「一切衆生」というアイデンティティーにまで深めてゆかなければならないと思います。如来からの回向というのは、つねに自分というものの実体化を否定してくるはたらきです。決して、人間の正義には加担しない、永遠の他者が阿弥陀として私たちを批判してきます。

                                                                                                                                                                                              

詳しいお問い合わせは因速寺まで。

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