住職のつぶやき2003/07


 

2003年7月01日
今日は父の49日満中陰法要(納骨)の日です。父の骨が本堂に飾ってあるんですけど、あの骨と父の存在とがまったく結びつかないのです。真宗門徒は、分骨といって、小さい骨壺にお骨を少量取り分けて、京都の本山に納骨するしきたりがあります。親鸞聖人のもとに帰るということでしょう。また、父は生前、生まれ故郷の新潟県(高田市下池部・明安寺)へ帰りたいと言っていたので、実家のお寺用にも分骨しました。大きな骨壺から骨をつまみ上げて、小さい骨壺に取り分けても、骨独特の黴臭いというか、湿った臭いと、ただ骨のカサカサ感が伝わってくるだけでした。このカサカサした物質が父の実存とはかけ離れていて、とても一致してこないのでした。なんでだろうと思います。門徒のひとは、骨にしがみつくひとが多いような気がします。旦那の骨を旦那の実家に奪われると恐怖を感じていた奥さんがいました。家に置いておくと、仕事中に実家のひとが忍び込んできて持っていかれるかもしれないので、お寺で預かってほしいというひともいました。あの骨と死者とが一致しているのでしょうね。それは愛情の強さによるものなのか、あの世観の違いからくるのか、もっとほかに原因がありそうなんですけどね。
 ともかく、残されたもののこころにはポッカリと故人の存在が抜け落ちてしまって穴があいたような状態になります。その穴を埋めるためには時間も必要です。しっかりとした日常の感覚がなくなっていますから、どこかで雲の上を歩いているようなフワフワした状態があります。確かなもの、まちがいのないもの、決して崩れることのないものなどはないのだという感覚が残ります。確かな生の中に、一部分「死」が紛れ込んでいるという状態ではなく、「死」が大部分であって、そのなかにかろうじて「生」が紛れ込んでいるということなんです。「死」の方が永遠です。つまり自分が存在していないということの時間の方が、永遠です。自分が生まれる以前、そしてこの世を去っていったあとの時間は永遠でよね。小生は、この世でイヤなことがあると、この永遠を思い出すことにしています。永遠と比較すると、この世のことはなんとか受け止めることができる余裕が生まれてきます。ドラエモンの「どこでもドア」みたいなもんで、どこでも永遠を思い出すと、楽に生きられるようになりました。
 

2003年7月02日
●「仏の逆転満塁ホームラン」

昨日の父の49日はいい法要になりました。やっぱり、仏教は終わりから始まるという面があります。あるひとの終わり(命終)から、癒しの儀式が出発してゆきます。偉いひとになると、50年おきにやってきます。あと10年で開祖・親鸞の750回忌がやってくるのです。普通のひとは、まあ50回忌で消滅する場合が多いようですね。生前のそのひとを知らない世代は、法事をつとめる動機がなくなるのです。あとはまとめて、「●●家先祖代々」という形で「ありがとうございました」という儀式をやるようです。でも、仏法はそこから更に「何がありがたいんだ?」と突っ込んできます。人間は自分の都合のよいことは「ありがとうございます」といえますけど、不都合なことは感謝できない生き物です。不都合も都合のよいこともひっくるめて「ありがとうございます」になれば、いいんでしょうけどね。ともかく、儀式は生きてるもののためにやるもんなんですね。うちでも、49日を迎える準備が結構大変でした。どの程度のひとに声をかけるのか?引き出物は何にするか?これに結構時間を費やしたようです。これは母と女房が主に担当していました。お斎の席順はどうするか?司会をだれにしてもらうか?乾杯は?挨拶は?会場との送迎はどうするか?等々、細かいことを次々とこなしてゆかなければなりませんでした。
 会食の始まる前に喪主としての挨拶もありましたが、閉会の謝辞は母にしてもらいました。この挨拶がよかったです。小生も酔っぱらっていて、あまりよく覚えていないのですけど…。たぶんこんなことだったと思います。生前の父はお寺のこと、家族のことを一番大事にしたひとだったこと。夫婦だから、生前にはぶつかったりもしたこと。でも闘病生活に入って、美輪(坊守)がよく面倒をみてくれたこと。一緒に介護をすることで美輪と戦友のような気持ちになっていること。そんなことなどを感謝の言葉として述べていました。もう小生の挨拶は不必要でした。いい49日になったなぁと思いました。49日の準備等で、家族にイライラがたまっていたのですが、この挨拶を聞いたとたん、スーッとなくなってゆきました。「逆転満塁ホームラン」というのがあるんですよね。何十年不満をもって暮らしていても、相手の一言で、その何十年のストレスが一気にパーッとなくなっていくということがあるんです。
 門徒のお嫁さんが、やっぱり姑の介護をしていて、感謝の言葉ひとつかけられたことがなかったといいます。最後、病院に入っても、その態度は変わらなかったようです。そしてとうとう息を引き取りました。そのとき、看護婦さんや患者さんから、お嫁さんは言われたそうです。「生前のお父さんは、あなたに本当に感謝してたのよ。いつも、うちの嫁はよくやってくれて、ほんとにいい嫁だって言ってたわよ」と。この言葉を姑の死後に聞かされたとき、いままでの苦労が一気に歓びに変化したといいます。まったく見事な「逆転満塁ホームラン」が美しいアーチを描いて場外に飛んでゆくようでした。イエスの言うように「ひとはパンのみに生きるにあらず」ですね。「言葉によって生きる」のですね。また逆に、ひとは言葉によって死ぬという面もあります。こんな川柳がありましたね。「亭主殺すにゃ、刃物は要らぬ。役に立たぬといえばよい」。この「役に立たぬ」は意味深な言葉です。対社会的に役に立たぬということならまだ立つ瀬もあります。会社の稼ぎがなくなったとか、社会的地位がなくなったという程度ならまだ大丈夫です。しかし、女房に役に立たぬと言われるということは、アッチの方がダメだという隠喩になっていて、これは男としてはグーの根も出ないということです。悔しかったら立ってみな!と挑戦状を突きつけられるようなもんです。でも「なにくそ!」と思っても、肝心のセガレが言うことをきかない。そこにつけ込まれるのですから、たまったもんじゃありませんね。「朝立ちも、小便までのいのちかな」という川柳もありましたね。なんとも、男性は微妙な肉体をもっているもんだと、哀れを感じるところです。そこから開き直って、「役に立たないのがどこが悪いんだい!」いえれば、まだ自分を救えますけどね。それを聞いている女房に、せせら笑われたら、二度とそのひとは立ち直ることができないかもしれません。やっぱり、最終的には神とか仏とか永遠という超越的な精神世界がないと救われないのでしょうね。どんな惨めで悲惨な自分であっても、それを受け容れるということが起こらなければ、安心ということは成り立ちません。


2003年7月03日
昨日のお通夜はまだまだお若い方(男性)でした。ガンの進行がはやく、数カ月でお亡くなりになりました。奥さんの脳の病気を看病され、またお母さんが車椅子の生活と、大変な暮らしをされておられたようです。「もし新興宗教ならば、先祖のご供養が足りないから、こういう不幸が続くんだ!」とか「悪運の因縁を断ち切って運を転じなければなりませんよ」などと勧誘されることは間違いないでしょう。そのようにご親族にお話したところ、「そうなんですよ。何か悪いことをしたのかなぁと思って…」と語られました。こんなに悪いことが続くのは、何か自分が間違ったことをしたのではないか?自分では正しいと思ってやってきたけれども、先祖や霊等という「あの世」のことに関して間違ったことをしてたんじゃないか?という不安が起こってくるのは当然ですね。その弱い部分に新興宗教は侵入してくるんです。そこから深く関わってゆき、いろいろなしがらみの中にからめ捕られてゆくことが多いですね。最近では、お金をとらないという宗教もあるそうですね。以前は、そんなうまいことを言って、やっぱり最後はお金じゃないかと化けの皮がはがれたのですけどね。最近では、まるで善意だけでやっているというものもあるようです。この善意が曲者なんですよね。まだ経済という毒が混じっているほうがかわいいもんです。人間は善意に弱いですからね。それともかく、この疑問をどう受け止めたらいいのかと思います。
 人間のあたまはhow to(ハウツー)が好きです。かつてこんなギターの宣伝がありました。覚えているでしょうか。「♪ようするに〜こういうわけなので〜す。こうすれば〜あ〜なると、分かっていた〜のに〜。そうするよ〜り〜なかったのは〜ようするに〜こういうわけなので〜す。ギターはアイリス♪」と。つまりいま現在自分がこういう状態であることは、過去に、「こういうことをしたからだ」と解釈して暮らしています。ですからいま現在こういうふうに有るということは、過去の自分の行為の結果なのだと分かっているわけです。そのハウツー理論を当てはめて、現在の自分の不幸は過去の自分の行為が間違っていたからだと考えてしまうのです。できるならば、その行為の間違いを正して、もうこれ以上の不幸がこないように清算したいということでしょう。過去の行為のボタンをかけ違えていたのだ。だから、過去にさかのぼってボタンをかけ直したいと。しかし<現在>という状態は、無量無数の因縁の複合産物ですから、なかなか一対一対応にはなっていません。「子供のころに、アリを踏んづけて殺して遊んでいたことが、災いの種じゃ」といわれても困りますね。「拾ってきた捨て猫を、親に叱られて捨てただろ。あのときの子猫が恨んでるんじゃ」といわれてもねえ。「おまえが今日まで食べてきた、牛や豚や魚の怨霊じゃ!」と、ここまで言われれば、それもそうかなぁと思ってしまうのですけどね。
 そもそもボタンのかけ違えということでいうならば、あなたがこの世に誕生したということがかけ違えだったのでしょうね。この世に誕生してこなければ、アリを殺すこともないし、無量無数のいのちを食べるということもありませんしね。この世に誕生したということが、罪を造ってしまったといってもいいのでしょう。でも、これも自分の力ではないですよね。自分が誕生するかしないかを決定したわけではないですからね。気がついたら、誕生していた。気がついたら、これがオレだった、ということですからね。誕生するということは、両親があって、その両親だって、その前の両親があって、先祖は倍々に増えてゆきます。二人の両親が生まれるには四人が必要です。四人が生まれるためには八人が必要です。そうやってさかのぼっていくと、30代さかのぼると十億七千三百万人ほどになります。その先は無量無数になってゆきます。もし一組の夫婦が出会わなかったら、自分は存在していません。また精子と卵子が出会って子宮に着床する確率は何億分の一だといわれています。そうすると、自分が存在する確率は、何億×十億七千三百万で、これを計算することは不可能ですよね。たとえ計算できたとしても、うんざりするような数にのぼることは間違いないです。しかし、これは間違いのない事実なんです。観念としては、オレはオレだ、存在しているのはオレ自身だ!ということはわかります。でも、その観念を支えているオレという存在は、うんざりするような偶然性の産物でしかありません。このうんざりするような偶然性に比べれば、この世の偶然性なんかちっぽけなもんなんですよね。
 これは、いつもいうことですけど、私たちの誕生は、「生」だけでなく「死」も手に入れることなんです。生だけお願いします。死は結構ですと拒否しても、これはセット販売なんですよ。片方だけというわけにはまいりません。両方お買い上げいただけなければ、ご購入いただかなくても結構です、と断られてしまうんですね。ですから、出会ったということの中に別れが組み込まれているわけです。実に悲劇的な存在ですね、人間は。誕生の中に死が組み込まれ、出会いの中に別れが組み込まれているとは。しかし、それでも人間はご飯を食べて、毎日暮らしてゆかなければなりません。これはまさに修行ですね。でも、毎日自分の足元ばっかり気にしながら生きている人間は、ときたま頭を上げたくなるんです。もしや、自分では気がつかなかった神様や仏様がいらっしゃって、そういう存在が自分や社会を操っているんではないかと。そんな超越者の意志があったらもっと生きやすいんですけどね。そういう方の意志に随って生きていけばいいんですから。でも、そんな超越者は存在していません。だから生きるということは、「自己一人」の尊厳性にかかっているんです。縁という偶然性を基盤としながら、その範囲内で自由に生きることが始められます。それも死に向かっての自由ですね。偶然性こそが人生の基盤なんです。偶然じゃないことのほうが少ないんです。どんな仕事に就くか、だれと結婚するか、何を食べるか、休日をどうするか等々。計画が予定通りに実行できるのは、その偶然性が重なった上でのことです。ひとつでも偶然性がなければ実行することはできません。今度のおやすみにディズニーランドに行こう。そう計画したのも偶然でしょう。たまたまテレビを見ていたとか。雑誌が目に触れたとか。女房に提案されたとか。子供にせがまれたとか。そして当日、自動車がちゃんと動いたとか。家族の体調が万全だったとか。そんなこともすべて偶然性のなせる技ですよね。そうやって、細々と考えてくると、実は偶然性のほうが圧倒的なんですよ。偶然じゃないことのほうが少ないのでしょう。もう少し、この偶然性を受け容れるこころの準備が必要だと思います。まったく、偶然にも、この肉体を宿としながら自分は自分のような顔をして、当たり前に自分を生きてきたものだなぁと思います。小生の本当の顔は「偶然性」なんでしょうね。


2003年7月5日
「わが太陽は銀河の中にある典型的な星で、あと五〇億年もするとガスを噴き出しながら膨張を始める。そして、地球は膨張した太陽に飲み込まれて消滅する。放出するガスがなくなると、太陽は急速に収縮して、最終的に半径が現在の太陽の五〇分の一ほどに縮んだ白色矮星になる。これが、いわば静かな太陽の死である。」と戸塚洋二さんは『アンジャリ』に書かれていました。これを読んだとき、そうなんだ〜、あ〜よかったなぁ〜と安堵感を感じたのです。何事にも終わりがあるということは幸せなことだなぁと感じます。私たちは走り出したら止まってはいけない、よいことは続けなければいけない、若さや健康は老いても維持しなければいけないという、「終われない症候群」にかかっているように感じます。時代が、そうさせているのか、自分の中にしみこんだ何かがそうさせているのか分かりません。どうも、周りからかあるいは自発的にか現代人は急かされているように感じます。谷川俊太郎さんは「だれにもせかされずに、自分は死にたい」と書かれていました。このせかされるということと、終われないということはどこかでつながっているように感じます。
 何か時代の空気でしょうか、何かに追われせかされて、終わらせてもらえないことの苦しみを感じているようです。そんなときに戸塚さんの宇宙の話を読んで、ホッとしたのです。終わっていいんだ、終われるんだ、すべてのものに終わりがあるんだ、そう感じたら、安堵感と同時に、なにか生きる勇気が湧いてきました。目の前のことばかり目がいっていると、自分の前にある健康やら仕事やらを永遠に続けてゆかなければならない、とせかされてしまいます。それは砂浜で、自分の場所に砂のお城を築いて、安心しているようなものでしょう。この城はこれで強固にできあがったから、これで安泰だと。そんなときには砂浜全体に目がいっていません。やがて大きな波がきて、城をさらってゆくのが見えていません。もとのなにもない砂浜の状態が、本来の姿だと見えていれば、ゆとりが生まれます。
 若いころ、夕日を見るのが大嫌いな時期がありました。夕方になって、京都の西山に太陽が沈んでいく姿をみると、とても悲しくなりました。徐々にあたりの景色が闇の中に消えてゆきます。そして涙が出てくることもありました。そのころの情景は、うまく思い出すことができないのですけど、もの悲しい寂しい感情だったことを覚えています。それは若さが、ごく自然に感じる「終わる」ことへの反抗だったのかもしれません。この若さを永遠にとどめたい、老いて死んでいくのはゴメンだという「老い」への反抗とも受け止められます。いまとは大分違う感情だったと思います。どうして、こうも変わったものかと自分でも呆れます。それは「老い」がそうさせるのでしょうか。若いころの自分であれば、太陽にも死があるという話は受け入れられなかったでしょう。拒否感が先にたったことだと思います。しかし現在では、安堵感を感じるという、これは不思議なものです。もしかしたら、若いころは娑婆の重圧をあまり感じられなかったものが、老いてきた現在では、より敏感に感じるようになったということかもしれません。娑婆の重圧が徐々に増してきて、その重圧から解放されたいという表れなのかもしれないです。しかし、若いころには感じられなかった、「永遠」というものの透明感をいまでは感じるようになりました。自分が生まれる以前のいのちの旅、これはDNAという遺伝子の旅でしょうし、また自分が死んだあとの、永遠のいのちの広がり。これは「永遠」というものが闇だということではなく、「透明」であるということです。透明からこの世へ現象して、現象界から透明へ還ってゆく。いのちの「もともと」とか「本来性」という次元が透明感をもって広がってゆきました。むしろこれが小生にとっての「現実」であって、その「現実」の中に現象の世界(この世)が仮立しているという感じです。この世は仮り小屋で、永遠が故郷であるという感覚でしょうか。それはいかにも架空の話のようですけど、それが「現実」のように思います。その「現実」から、この世を生きてみたいと思います。 
 私たちの見ているこの世は「現実」ではありません。人間によって解釈された「現実」であって、本物ではありません。まぁ解釈された「あの世」も「現実」ではありません。
解釈が先にたってしまって、その解釈の世界のなかを「現実」だと思っているだけです。メトロポリス東京は、まさに解釈の世界です。養老さんが『唯脳論』で示したように、脳の現象が展開している世界です。そこには「生身の身体」がないとおっしゃっていました。街に指が落ちていたり、足が落ちているほうが自然だというのには驚きでした。これだけ人間が密集して居住しているのだから、人間の身体の一部が転がっているほうが自然なんだというのです。ライフラインというガス・水道・電気は、地下に埋められ見えないようになっています。これがなければ人間の生活は成り立ちません。生身とか身体というものが極端に見えなくなっているのが「メトロポリス東京」なのでしょう。だから「自然に帰れ!」といっているわけではありません。しかし、人間が隠して見えないようにしてきた身体性が、「本来性」であり「もともと」という世界の産物であることをどこかで見えるようにしていないとダメだと思います。「唯脳の世界」のどこかに風穴が開いていないと脳自体が窒息してしまいます。長崎の幼児殺害事件を目にして、脳の窒息現象が、ここまで進んできていると感じました。


2003年7月7日
昨日は、新盆合同法要があり、80名ほどの方々が参詣されました。一年間に愛する肉親を失った方々が一同に会して、しめやかに行われました。でも、仏教と「お盆」という行事は馴染まないので、説明に困ってしまいます。お盆の起源は盂蘭盆経だということもいわれますし、あれは偽経だというひともいますし、起源は他にもあるというひともいます。真宗では「送り火・迎え火」をたきませんし、精霊棚を作ることもありません。お盆のときだけ仏さんが帰ってくるというのはおかしいというスタンスが真宗の受け止め方です。帰ってくるのであれば、365日帰ってきているのだというのが真宗流でしょう。まあ、真宗的に受け止めれば、お盆の期間は、「仏さまを真剣に思う」ということでしょう。メメント・モリ=「死を思え」です。
 死を思うとき、人間は誠実に生きられます。ひとを恨むこともなく、静かに自らを見つめることができます。ただ、昨日も肉親を亡くされて「ただただ悲しいひと」がいます。そういうひとは涙が涸れるまで泣くことでしょう。泣いて泣いて涙がかれはてて、泣きはらした眼から、水分が出なくなってから、静かに「死を思う」ということが始まります。ただ悲しいときには、仏さんと自分との関係が切れてしまっています。自分もやがて死ぬわけですから、そちらの世界に間違いなく行くわけです。自分も死の世界に片足を突っ込んでいるんだということが分かってくると、「死」の思い方が違ってきます。昨日の記念法話は佐々木正先生でした。先生もおっしゃっておられたように、生と死は相補的です。生は死によって成り立ち、死は生によって成り立つと。ですから死について真剣に考えると、逆に生が輝いてくるのだとおっしゃっていましたね。小生も5月に父を亡くしたのですが、父は骨になったわけではないと思っています。お浄土という世界へいって、空気のような存在になったのだと思っています。固体の身体から解放されて気体のような存在になったと思っています。ですから、どんな空間にも遍満しているわけです。私の身体は父の一部分でもありますし、父を毎日吸って生きているという感じもします。ですから生と死は混在となっていて、決して分裂しているものではないと思います。たまたま固体になっているのであって、たまたま気体になっていないわけで、固体になっている理由はありません。縁があればいつでも気体に変化していくわけです。いつの日か、それが少々楽しみでもあります。
 今日は、終日、49日の返礼で、関東平野をひた走りました。さまざまなお寺に御礼にうかがいました。まだ全部お礼が済んでいないので、まだの方はごめんなさい。まるで巡礼のようで、まだ訪ねたことのないお寺さんにもうかがうことができ、うれしかったです。しかし260キロの走行はいささか疲労しました。次回は、返礼作業はせずに郵送で片づけようと目論んでいます。ところで次回とはだれのことをいうのでしょうかね。


2003年7月9日
長崎の事件の容疑者が、子供だったということを聞いて、みんなこころを痛めています。時代は病んでいる、社会は病んでいるといいます。新聞やテレビで報じられるときにはそう思います。しかし、その事件が自分に降りかかってこなければ、人間はすぐに忘れてしまいます。そして茶の間でご飯を食べながら、悔やんだり、嘆いたり、驚いたり、そして笑ったり…。時代が病んでいると、テレビの映像では感じられても実感としては分かりません。目の前の日常は、昨日と同じような毎日が続いているわけです。時代を嘆く時間は一日のうち、ほんの数分です。そんなことを忘れて目の前のことに専念している時間が圧倒的です。先日も、「私たちがなんとも思わずに暮らしている一日を、ガンにかかって病んでいるひとは、どんな気持ちで暮らしているだろうか」というお話を聞きました。それはそうだよなぁと思いました。私たちはなんとも思わずに退屈な毎日が続いていると感じています。「終わりなき日常」(宮台真司用語)を生きています。その同じ時間をガンにかかっているひとは、ものすごく貴重な一日として生きているのでしょう。それは分かります。でも、そんなことを忘れて退屈だと感じつつ生きている時間のほうが圧倒的に多いわけです。そういうなんの問題意識もなく、ただ生を消費している存在は許されないのでしょうか。
 あの北大路魯山人は、書家とか篆刻家といわれますけど、どうも○○家という職業名に当てはまらないひとです。自由に自分の味の世界を追求したひとですよね。味をどうやって生み出し相手に伝えるか。そのために器に凝って陶器を焼きます。味は、仏教でも「愛楽仏法味」とか、「法味」「如衆水入海一味」と使いますね。味は、香り、色合い、温度、舌触り、歯ごたえ、喉越しなど、ものすごく微妙な世界です。世界三大料理は中華、フレンチ、日本だといわれますよね。料理は、なんといっても一瞬の芸術です。作るまでには素材や調理法に時間がかかります。しかし、喉元すぎれば熱さ忘れるみたいなもんで、どこにも残りません。存在が消えてしまいます。味が残るのは、私たちの記憶の中だけです。味は覚えることができます。別に味を知ったからといって、それがどうしたということですけど、知らないよりは知ったほうが幸福だと思います。いまだに忘れられない鯛のカブト焼きがあります。父が旅行の帰りに、その旅館のお昼に出された鯛のカブトを土産にして食べさせてくれたのです。もう調理してから何時間もたっているのですけど、実にうまかったです。これを超える鯛のカブトにはまだ出会っていないのでした。でも覚えているんですね。そうそう調理は、一瞬の芸術なんです。二度と同じものはできないというのが鉄則です。一瞬のために、ものすごく時間をかけるわけです。これが素晴らしいと思います。魯山人は味を追求した結果、芸術作品を残したのでしょう。でも、あの芸術作品は過去のものです。やはりあの器に料理が盛りつけられ、その料理をこの器で出したときにだけ、その器が生きたのではないでしょうか。ひとつの味の追求が、副産物として焼き物などを残しています。まず「初めに味ありき」ということが魯山人をして魯山人たらしめたのではないかと思っています。どうしても、エロスがなければ、人間は生に水分がなくなります。性的な意味ばかりではなく、さまざまな意欲がかきたてられるものがなければなりません。それは味の世界でしょう。山登りの味は難行苦行ですよね。でもまた登りたくなるというエロスがあります。ひとはエロスとどこかで接しているときにだけ輝きを取り戻すように思います。


2003年7月10日
昨日は浜田先生(精神科医)とお会いしました。先生は、いまはどこに行っても女性ばかりだとおっしゃっていました。美術館へ行っても、芝居に行っても、講演会に行っても、デパートに行っても、山に登っても、いたるところ女性ばかりです。男性はほとんどいません。ある方の講演会を聞きにいったら男性は自分を含めて5人、女性は40人だったと二階堂さんも語っていました。男はどこに行ったんでしょうかね?という問いに対して、先生は「うちで寝てるんだ」と一言でした。確かに、男性は年がいけばいくほど影が薄くなり、女性は逆に輝いてくるように感じます。それは、若者の世代にもいえるような気もします。やっぱり元気なのは女性のほうじゃないでしょうか。それは、炊事・洗濯という、第一義的に人間の生存に関わる仕事を日々こなしている底力じゃないかと思ったりします。そこには理屈は必要ありません。ともかく、人間は食べなきゃなりません、着なきゃなりません、寝なきゃなりません。人間が生物として、必要不可欠の部分を担っているからじゃないでしょうか。男は、どちらかと言えば、首から上で生きています。女は首から下です。つまりこれは修行でしょうね。お釈迦様の十大弟子にシュリハンドク(周梨槃特)がいます。彼はホウキをもって、塵を払えホコリを落とせと掃除をして悟りを開きました。ハンドクさんはあんまり頭がよくなかったようで、記憶するということは苦手でした。そこでお釈迦様は、ホウキを渡されました。決して悟りの智慧はインテリジェント(知性)では開けない、インテレクト(知恵)なんだと教えられたのです。その知恵は常に「具体性」の中から生まれてきます。日々同じようなことの繰り返しの中から生まれてくるものです。体験ですね。それも特殊な体験ではなく、何気ない日々の暮らしの中に潜んでいる知恵です。小生も、いつも首から上で生きていますから、時たま首から下のことを思えと命じられます。朝起きて、トイレに入っているときに何を思うのか?水を飲んでいるということは、どういうことなのか?味噌汁の味をどう味わうのか?時たま、心臓の鼓動を意識して感じるときもあります。些細な日々の暮らしの細部に意識をもっていくことが、日常の新鮮さを回復するには不可欠です。まぁ「自分という存在の背景」に思いを馳せることもあります。自分が自分にまでなってきた背景を感じるとき、人間はアーッと思うことがあります。自分の過去をいただくと、未来が開けるのだと曽我先生は何かに書かれていました。未来の鍵は過去が握っているようです。前ばかり向いていないで、後ろ姿を感じろということでしょう。そこに未来へ前進する力があると。そうそう安田先生もそんなことを言ってましたね。岩波文庫のような古典の書物は、昔のもので過ぎ去ったものではないと。古典こそ、現代を生きる知恵をもっているんだ。現代の意味を常に新しく感じ取るためには古典が不可欠なんだと。「温故知新」(ふるきをたずね新しきをしる)と孔子もいってます。存在の背景を知るためには、首から下のことを思う以外にはないようです。そういう意味では、女性の方が有利なのかと思ったりしています。
 


2003年7月11日
本日で、ようやく父の49日の返礼儀式が終了しました。最後は、父の実家の新潟県上越市高田下池部・明安寺でした。父の分骨を持参し伯父叔母に渡しました。小生の子供の頃と同じ建物で、ものすごく懐かしい思いにかられました。父は実家が大好きで、いつもいつも心の底には新潟がありました。本堂でお勤めしているとき、父のことやら、小生が夏休みに実家に遊びに来たときのことなど、憶念していました。お勤めは、嘆仏偈・短念仏・廻向という短いお経だったのです。しかし、最後の勤行のカネがなったとき、ハッと我に帰ったのですが、長い時間が過ぎたような錯覚にとらわれました。お勤めの間は、この世に還元できない時間が流れるものです。最近、お勤めの大切さが前よりも大事に思えてきました。この世を超える空間が生み出せるかどうかは、お勤めにかかっています。それはお経が上手いとか下手とか、そういう次元の問題じゃなく、たましいの深さでしょうね。こっちが、お経の間に、たましいの深いところで、いろいろと遊べるかどうかです。遊んでいると、相手にもそのたましいの遊びが伝わるのだと実感しました。門徒にいい話を聞かせようとか、お経で感動させようとか、そこに「相手」が入ってきたらダメです。ひとり遊びじゃないとダメです。一人遊びができれば、はじめて、それが人に伝播していくもんです。伝えようとしたら、伝わらないもんですよね。 父の実家から少し足を延ばして、ご旧跡の居多ヶ浜(こたがはま)へ行きました。そこは親鸞が35歳で流罪になり、京都から直江津にはじめて上陸した浜です。記念の建物が建っていました。林正寺さんが護っているそうです。そこには「片葉の芦」(かたはのあし)という、片方にしか葉を付けない芦が七不思議のひとつとして伝承されています。越後には親鸞七不思議といって、いろんな伝説が伝わっています。メルヘンというか、ファンタジーというか、面白いものがたくさんあります。この世を超えた世界を表現するには、この世を超えた奇瑞をシンボルとして使うんですね。昔話は、私たちのたましいのレベルにはとても大切です。意識の世界では、戯言だといわれても、もっとふかいところで支えてくれるのは物語なんです。
 直江津の海は穏やかでした。日本海の海は冬と夏では、まったく異なった顔をしています。冬は荒れ狂う獣です。夏は純情な乙女のような素顔をしています。親鸞には「海」というメタファーが多いです。これは日本海の印象が強いのではないかと思います。父性と母性がこれほどハッキリしている海もありません。太平洋では味わえない感触でした。それはともかく父の実家に分骨することで、ようやく父の葬儀が締めくくれました。これから少しく父のイメージを味わおうかと思っていた矢先に、東京ではお盆の行事が始まっていくんです。これはなんと寂しいことでしょうか。こころ静かに、仏を思う週間のはずなのに、忙しさに忙しさを重ねるようなお盆は、なんだかとても寂しいように思います。少しは静かに、そっとしておいてほしいという、優しさもほしいと願っています。それは叶わないことなんでしょうか。


2003年7月12日
お盆突入迄、あと一日というのに、ずいぶん沢山のひとが参詣にみえました。お天気のせいでしょうか。明日が雨という予報が流れると、繰り上げてお天気のうちにお参りしようというひとが多いです。「一日早くてもいいんですか?」とか「早くて済みません」と謝るひともいます。そもそもお盆ってどういう行事なんだろうか?と問いかけてみたくなります。この「そもそも?」という問いが生まれてくれば、仏道入門ということにもなるのですけれども、まぁ普通のひとは、そんな問いは問いません。いつも寺という曖昧な場所に身を置きながら、「なんでだろう?なんでだろう?」とくすぶっています。やはり真宗前夜、門徒前夜なんでしょうね。まだまだ真宗にはなり得ていない自分がここに生きているということでしょう。
 あの長崎の少年(被疑者)のことが気にかかります。あの少年の家には仏壇はないのではないか、家からお葬式を出したことがないのではないかなどと勘繰っています。いわゆる「死」の雰囲気が日常性にないのではないかと思ったりします。テレビのホームドラマに出てくるような絵に描いたような家庭が展開しているようにも思います。死の雰囲気が家庭の中に少しでもあれば、生が萎縮したり変質していくことを妨げる要素をもちます。生が白昼の光のように当然のごとく降り注いでいる場所には、狂気が生まれると思います。それで、それで、それで、ずっと考えていくと、やっぱり「死」を学校で学ばせる工夫が必要だと感じました。老・病・死・孤独・失恋・絶望・寂寥・失意・断念、そんなものを学ぶ機会が必要でしょう。以前は、そんなものはどこにでも転がっていましたが、現在では、そんなことも学びの対象にしなければならないのでしょう。でも、さぁ皆さん、死について考えましょう?と教材に取り上げても、取り上げ方によってはかえってマイナスになったりしますから、これも微妙な問題です。どこかの教師が鶏を学級で飼わせて、それが成長したところを殺させて食べさせたということが、問題になりました。あまり人間の人為が強く働いてしまえばかえってマイナスでしょう。いのちの教育といいますけど、いのちの明るい面や輝かしい面だけを語っても、それではいのちは輝きません。むしろいのちの暗い面に光を当てることによって、逆に生は輝くわけです。現在のいのちの喪失感は、高度経済成長で、明るい未来、都合のよい未来、輝かしい人類というものがたどり着いた喪失感です。つまり人間に都合の悪い「老・病・死等々」は抹殺してきたのです。老と病を抹殺しようとしたのが近代医学の進歩というやつです。長生きはいいことです。しかしなんのための長生きなのか?なんのためのいのちなのか?という問いはなかったのです。
 昔むかし、哲学を勉強すると自殺するぞという迷信がありました。人間とは?自己とは?人生とは?いのちとは?と問うことは、変人のすることで、それを続けていると自殺してしまうというのです。もともとそんなことは答えの出るものではないという諦念がありました。しかし、根本に立ち返って、もう一度はじめの問いを大切にしなければならないと思います。同じことを繰り返し問い、味わうこと。そこから初めて人間の知恵が生まれてくるのでしょう。小生は、環境問題でも、景気の問題でも、遺伝子の問題でも、わりあい楽観して生きています。どこかで、やっぱり人間は酔いが醒めて、しらふに戻って、歩きだすに違いないと思っています。地球最後の日まで、わりあいにまじめに暮らしていくのが人類だと思っています。そのための前向きの異端ではありたいとヒロイズムを夢見ています。大勢のひとが右といったら自分だけは、うそぶいていたいし、みんなが左といったら、おれはイヤだよとそっぽを向いていたいと思います。これは性分です。幼稚園の頃、みんなが園舎で絵を描いていると小生は砂場で遊んでいました。みんなが外に出てきたら自分は園舎に入って遊ぶのでした。どうもひねくれものの性分は、生まれながらのようです。これは死ぬまで直らない宿業ですね。


2003年7月13日
今日もお経を読んでいたら、雑事を離れました。雑事とは、これからの予定を考えたり、御布施がいくらもらえるかとか、声がうまく出ないとか、そんなことです。そんなことをあれこれ思っているうちに、もっと内面に入ってゆきます。そしていわゆる「深い」という状態になってきます。やっぱりお経を称えるということはいいね。お経は、たましいの深海へのアプローチですよ。そして一枚奥の世界へ入ってゆきます。この世の言葉の秩序を超えて、もっと深いレベルのこころの動きに入ってゆきます。そこはこの世の秩序から見れば無秩序な状態にみえて、実は、とても大事な、とても温かくて湿度のある世界があるわけです。ですから、「もののけ姫」や「不思議の国のアリス」が好きなんですなぁ。あのねぇ、それはおとぎ話だというのですけど、実は、そっちの方が身近な世界だと思うわけです。近頃、テレビを見ていると「正義」という文脈と、その「正義」を破壊するという文脈がぶつかっているような感じがします。その間に、大事なものが隠されているように思います。実際、人間の世界には、絶対の正義や、絶対の悪は存在しなくて、その間の濃度の違いがあるだけだと思うわけです。人間を殺すということは絶対的な悪だという「正義感」ありますけど、シジミやカラシめんたいで、沢山のいのちを殺していることには鈍感です。人権といったって、それじゃ、牛権や豚権や魚権や野菜権だってあるわけでしょう。そういう感覚こそグローバルであって、人権だけを取り上げて、いかにも正義を言挙げするのは嫌いです。なんだか「そらごと」という感じですよね。
 今日の法事のひとは、お父さんの分骨を親戚から諫められて断念したそうです。分骨して、骨を分けてしまうと体が分裂してしまうというのです。はしょって言えば、故人に対するイメージが貧弱なんですね。イメージが軽くて、骨という物体のほうが重たく感じてしまうわけです。小生にとっては父のイメージのほうが重たくて、骨という物体はセミの脱け殻と同じなんです。お釈迦様も、仏舎利(ぶっしゃり)といって全世界に散らばっています。散らばったほうがいいでしょう。いろんなひとのイメージをかきたてる素材になれるんですから。これは幸せですよ。骨はイメージをかきたてるための素材というくらいで丁度いいんです。骨が故人そのものだとイメージしたら、それはつまらないことになります。いたるところに仏さまは偏在しているというのが小生のイメージです。かつて、海水浴をしているとき沢山のくらげが海に浮遊していました。その寒天みたいなくらげたちをかき分けて泳いでいました。手やお腹には寒天のようなクラゲがたくさん触りました。まるで、寒天の中を泳いでいるような、不思議な感覚でした。たぶん仏さんもそんなもんでしょう。私たちには感じませんけど、無数の仏さんが空気の中に溶けていて、その中で息をしているんでしょう。だって、この世の人口やいのちの数よりも、あっちに行っている数のほうが圧倒的に多いわけです。それはあまりにも気持ち悪いというかもしれませんけど、実際そんなもんです。人間だけじゃなくて、さまざまないのちが亡くなっているわけです。もしそういういのちたちの魂が浮遊しているのならば、そのいのちのたましいを吸いながら私たちは生きているわけです。肺の中に仏さんが吸い込まれて、ニコチン中毒のような状態になっているわけです。仏さん中毒という状態でしょう。これは楽しいイメージの世界だと思います。
 これは、ここだけの話ですよ。ともかく、イメージの世界を大事に豊かに育ててください。モノの世界は、つまらないもんです。イメージの世界が豊かになれば、モノにそれほど頼らなくてもよくなります。話は変わりますけど、小生は、すぐにイメージの内面世界に入ることができるようになりました。ですからすぐに眠りにつけます。深まるということは、意識が静かになって、三昧に入って、やがて睡眠の世界に入ります。だから車を運転していても、三昧に入ってしまうんですね。これは現実の世界では命取りですよね。そのうち死んでしまうことでしょう。高速道路ではスピードの魅力にとりつかれてますから。高速で死んでしまうことでしょう。ピュ〜ットね。


2003年7月14日
今日もお参りでご門徒とお話しているときに、「欲があってはダメなんですか?」とたずねられました。仏教は、欲を断ち切って清浄なものになるというイメージが強いんですね。でも、商売をしていれば、欲がなければ、ことが運びませんよね。きれいに言えば、社会奉仕と言えないこともないのですけどね。「奉仕のこころで商売をしなさい。決して儲けようと思ってはダメですよ。人さまに喜んでいただけるということだけを第一義に商売をしなさい。そうすれば、イヤでもお金は舞い込んでくるものです」と、どこかで聞いたことがあります。いわれてみれば、その通りなのかもしれませんけど、実際にはそんな思いは起こってこないんじゃないでしょうか。商売は需要と供給の関係ですから、ひとが望んでいるときにいち早く、商売敵よりも早く、商品を消費者に届けたいということでしょう。やっぱり商売は、汚れたこころじゃないとできないということでしょう。子供のときに「ひょっこりヒョウタン島」を見ていたときに、感じたことがありました。眼帯をした海賊が、子供(博士)から教科書を買い上げる場面でした。その子供は、教科書に、沢山の書き込みをしていました。算数の教科書には式と答えがビッシリと書かれていました。その海賊は、その教科書を見て、こんな汚い教科書じゃ売り物になりゃしねえと言って安く買いたたきました。子供は渋々、承知して安いお金を受け取りました。次の場面では他の子供が、その教科書を買いたいと、海賊のところにやってきました。すると海賊は、ものすごく売値を高くしたんです。まぁこれは商売ですから仕方ありません。その時の言いぐさがいいんです。さっきは、こんな書き込みのある教科書なんか売り物にならねぇと言ったくせに、今度は、式や答えが書いてある教科書は、根が高いのは当然だというのです。この海賊の論理に子供の頃、感心したものでした。これが商売の論理であり原点じゃないかと直感したのです。そのマーケットの理論を延長していったのが商社ですよね。全世界にネットワークをもって、全世界のあらゆるものを売り物に変換してしまいました。日本人はエコノミックアニマルだとさげすまれることもあります。
 しかしその結果モノが豊富に氾濫してくると、こころが疲弊してゆきます。モノだけが豊かに見えてしまい、それを支えているこころが見えなくなってくるようです。
 人間が生きるということは、罪なことです。ひとに迷惑をかけて生きざるをえないからです。酸素を吸って毒を吐くわけです。大量消費の根源が人間です。人間が余剰価値をもつからダメなんだとマルクスはいいましたよね。なんで人間は価値をため込むのか?と。それは「明日を思い煩う」からでしょう。明日が不安なんですね。不安を打ち消すために余剰を願うわけです。鳩や雀はため込みません。今日一日の食料は今日一日で消費するだけです。そうそう、リスはため込みますね。冬のために秋口に食料をため込みます。でも人間の比じゃないですね。
 やっぱり、罪ということが生きるということの根底には横たわっていて、そこにすべてがつながっているように思います。小生も、お経を読んで御布施をもらうのがイヤで仕方なかったときがあります。だって定価がないんですから。いくら御布施したらいいんですか?という問いが嫌いでした。「坊主丸儲け」といわれるように、あんまり元手がいらないんですからね。20〜30分間お経をあげて何万円というのは、これは悪徳商法じゃないかと思っていたときもありました。しかし、いまでは読むのは私の問題、それを聞くのは門徒の問題だと思うようになりました。私が読んだお経に功徳があるかないかを判断して、「無い」と判定して苦しんでいるのは私の問題です。ただし、そのお経を聞いてどのように評価し受け止めるかは門徒の問題です。そこに小生の判断を入れる余地はありません。こっちの判断を入れるとしたら、それは越権行為です。まあ、自分が読んでいる、自分の努力で、自分の声帯を響かせて読経をすると自分では判断しているんです。だから、自分のお経はダメだと。しかしそういう評価をする資格が自分にはあるんだろうかと思います。そんなお粗末なお経でも、聞き手によっては、数倍も素晴らしい読経として聞き止めてくださっている場合もあるわけです。それは聞き手の問題ですよね。そのように考えるようになってからは、あまりそのことに捕らわれなくなりました。
 それでも、御布施をいただくときには、忸怩たるものが込み上げてくるのです。有り難うございますと差し出される御布施であっても、恥じる気持ちがどこかにあります。とても、御布施に見合ったことはできていないという思いです。その感覚がなくなったら坊主はおしまいだとも思っています。そんな殊勝なことを思っている矢先に、御布施の包みをひっくり返してみて、「なんだこりゃ!」ということもあるわけですよ。まったく自分は、自分でも枝末のつかない厄介もんだと思います。自分が自分の思い通りにならないんですから、これは問題集ですね。自分とは「問題集」だったんです。
 花が根から水分を吸い上げるのも欲であれば、動物の心臓の動きも欲がなければ動かないんでしょう。欲の力で生きるわけです。その欲を完全燃焼させてゆきたいものです。


2003年7月15日
ここのところ、法事をつとめるときには、父の衣を着ています。多少傷んでいるところもあるんですけど、遠くから見ても分かりませんよね。今日は、暑からず寒からず、実に心地のよい読経の時間を与えられました。読経中、時々腕に衣がスルスル触りました。その感触も気持ちがよかったのです。そうしているうちに、この感触は父が感じていた感触なんだと悟ったのです。いま感じているのは小生なんですけど、間違いなく夏の読経のときにはこの感触を父は感じていたのでしょう。そんなことを思っていたら、小生が父になっていて、父が小生であるような、融通してしまうような感覚に襲われました。読経中に時々、ハッとするんです。この声は父の声だと。小生の声帯が響いて、音声になっているのに、この音声は父の音声だ。ウワーッと。父が私に乗り移ってきて、私になっているのかもしれません。ビックリするんです。なんだか、いまでは姿がないんですけど、父は私に乗り移ってきて、まだ生きているんじゃないかと感じます。
 生と死はもっと融通し合っているんでしょうね。人間の頭では、生と死を切り離したいんですけど、身体のレベルでは溶け合っています。切れないものを切り離そうとしてきた現代人の罪が、あの長崎の12歳の少年にも降り注いでいたんでしょうね。なぜ、あんな事件を起こしてしまったのか?ということが問われますけど、その答えは出ないもんです。親子関係とか、友人関係、社会状況、時代状況などが問題だとか、あるいは先天的な問題だというひともいましょう。おそらく、事件を起こしてしまった少年自身にも分かっていないんでしょうからね。それは「離人症」的傾向なんです。自分が実際にはしているのに、自分がしているという実感がないという傾向性です。この傾向性は、現代に入ってますます大きくなっているように思います。被害者の親が、自首する時間があったのに、なんで自首しなかったのかとか、またある人が、事件を起こして、つかまるまでの時間を日常的に過ごしているのが分からないと言ってました。それは離人症的傾向であれば、当然の行動です。身体性よりも、意識性のほうが圧倒的に肥大化して、そのイメージの世界に飲み込まれてしまっているんでしょう。これは神戸のときにも感じたことです。身体性の回復という筋道がどうやってできるのか?ということが大きな問題でしょう。
 あるお坊さんが夏に子供会を開いています。そのときは山に行ったそうです。その山での遊びが面白いんです。夜くらくなったら、子供を山につれていくそうです。そして、登山道を一列になって登ってゆきます。ある程度のところで、立ち止まり、前の人との間隔をあけるように言うそうです。前の人と自分の後ろにいるひととの間隔をあけて、相手がようやく感じられるところまで間隔をあけます。そして、数分間、そこに立ち止まります。そうすると、山の音が聞こえてきます。山は異界ですから、おかしな音やら、恐ろしい音やらが聞こえてきます。木々がザワザワといったり、ケモノの鳴き声がしてきます。闇の中にひとりでたたずんでいるような孤独感と恐怖感がやってきます。それはなにも、怖がる子どもに無理強いすることではありません。いわゆる遊び・ゲーム感覚で楽しむものです。強制的な肝試しとは、違います。そんな遊びは素晴らしいと思いました。現代人は文明で守られて生活しています。寒さや熱さから守ってくれるコンクリートの家、ケモノが近づけないような火、闇の恐怖を取り除いてくれる照明、ケモノに出会うことなく安全に飲むことができる水。こういう文明で武装しているわけです。その武装を完全に解除させられた状態が、闇の山での体験です。そこで感じる人間としての自分は、孤独であり、弱さであり、ちっぽけさでありましょう。そういう裸の自分を実感できることが大切だと思いました。武装解除させられた人間は実に弱いもんです。でも弱さを知っているから、やさしくなれるのですし、共同することができます。本当の孤独を知っているから身を寄せ合うこともできます。生身の人間の弱さを感じてゆける、そんな装置が必要だと思いました。でも、それはカリキュラムにしてはダメなんですね。方程式にしたとたんに、人間が抜け落ちてしまいますからね。そこが難しいところです。人間が育ってゆくということは、インスタントが成り立ちません。こうすれば簡単だという方法はあり得ません。つねに試行錯誤でしょう。でも、私たち大人たちは、そういうことを個々に心がけなければならないんでしょうね。教育にはレディーメードはありません、いつでもオーダーメードですね。顔が違うように、子ども一人一人にとって、まったく異なった方法しか有効じゃないんですからね。
 河合さんじゃないですけど、大人はもっともっと「たましい」を働かせないとダメなんでしょうね。大人が「たましい」を働かせていれば、子どもと遊ぶ時間が少なくても、どこかで通じていくもんです。ちょっと顔を合わせるだけのすれ違いでも通じていくもんです。子どもと深いレベルでつながっているという実感が現代人にはなくなっているんじゃないかとも思います。でも大人には、この方法があったんですね。「たましい」を働かせるという仕事が。それには大人自身の中に住んでいる「子ども」を育ててゆかないとダメです。それがたましいを働かせるということなんですから。


2003年7月16日
今日のお参りで感動的なお話を聞きました。ある奥さんがゴルフを初められて20年になるそうです。40年前に嫁いできたときにはご主人のご両親、さらにご主人のご兄弟がいて、それは大変な暮らしだったようです。朝のご飯を作って後片付けをして、お昼のご飯を作って後片付けをして、夜のご飯を作って後片付けをして、寒いときには兄弟の布団に行火まで用意したそうです。自分はこの家になんのために嫁いできたんだろうと嘆いていたそうです。まるでお手伝いさんと同じじゃないと思ったそうです。かつての日本の平均的な家族は、こんな風景だったのかもしれませんね。お嫁さんは不満を抱えつつも、離婚などという恥ずかしいことはできない、親にも迷惑をかけたくないという一心で石にかじりついて結婚生活を乗り切ってきたのでしょう。
 あるときご主人が、外から電話をしてきたそうです。「おまえの足のサイズはいくつだ?」と。ご主人は、ゴルフショップから電話していたそうです。奥さんのために靴からクラブから一式を買い揃えて与えたそうです。しかし、その当時女性がゴルフをすること自体がタブーになっていて、お姑さんも「やめなさい」と忠告したそうです。でも奥さんはそのときばかりは勇気を出したそうです。一世一代の勇気だと思います。「ゴルフはパパがやりなさいと言ってるんです!これは私の人生ですから!私はやります!」と返事したそうです。この「私の人生ですから!」という言葉はすごい言葉ですね。ひとからなんと言われようと、自分がやりたいことはやると宣言できる勇気は、素晴らしいことだと思いました。「私の人生ですから!」には感動しました。
 それからというもの、コンビニもなかった時代ですから、お昼ごはんが終わるとコッソリ忍びだしてゴルフ練習場に通ったそうです。いままでペーパードライバーだったのに、ゴルフを縁にして運転も始められました。そのお蔭で両親が病気のときには病院へ連れて行くこともできるようになりました。そのうえゴルフを縁にして、いろいろなひと達と知り合うことができ、世間が広がりました。いろんなひとたちと語り合う縁ができて、いろんな見方もできるようになり、人生観も深まってゆきました。さらに太陽の下を歩き回りますから、体も丈夫になって、いまでは風ひとつひかない体になられたそうです。それまでの奥さんは病弱で、しょっちゅう病んでいたそうです。やっぱり太陽を浴びることはすごく体にいいことなんですね。たったひとつのゴルフという縁が与えられたことによって、いままでの人生が大きく転換してゆかれたそうです。もしゴルフがなければ、自分はこの家にはいなかったかもしれないともおっしゃっておられました。いまでは、いろんな方々がゴルフを楽しむようになりましたから、風当たりもそれほどではありません。その当時であればどれほどの逆風が吹いていたのかと思うと大変だったろうなぁと思います。もはやその奥さんにとっては、ゴルフなしには自分の人生は語れないのだろうと思います。これは、ゴルフをしないひとには全然理解できない世界だと思います。明日がゴルフだとなると、早朝から目が覚めたり、ワクワクして眠れなかったりするということはしょっちゅうあるものです。やはり日常生活を見つめなおしたり、風穴を開けたりするには、何かが必要なんでしょうね。それが山行や絵画や旅行やゴルフやテニスでもいいんです。日常生活とは異なった世界をもつということが、日常生活をより深みのあるものに変えてゆくのだと思います。その奥さんにとってはゴルフとの出会いだったのです。何と出会うかは、それぞれのひとによって違うものです。ご一代記をうかがっているとき、奥さんもご主人もうっすらと涙を浮かべておられました。そこには、奥さんに対するご主人のねぎらいと、苦労をともにしてきた人生の悲喜こもごもを憶念している姿がありました。小生も、熱心に語られるお姿を拝見して、もらい涙が浮かんでしまったのでありました。そして、とてもいいお話を聞かせてもらったという充実感に満たされました。そんなもんですから、皆さんにもお裾分けです。


2003年7月17日
お寺にいると、ほんとに心が休まりません。来客のチャイムがなり、出てみるとセールスだったりするわけです。お衣のセールス、草履やスリッパのセールス、仏教書のセールス等々が、来るわけです。以前にはエホバの証人の信者も勧誘に回ってきたこともありました。そうかと思うと、電話がなり響いて、出てみると、これもセールスだっりするわけです。証券とか株とか、先物取引等々です。皆さんはお寺はさぞ静かな仏さまの空間だろうと想像していらっしゃいますけど、ここに住んでみると全然違っていることがわかります。もっと森閑として、静寂があって、獅子おどしかなんかのコトンという音が響いて、というイメージでしょうけど、実際はまったく違っております。むしろ、温泉にいって、来客も電話もない世界にいると、ここにこそ静寂があるなぁと実感するのです。寺にいるとかえって、世間に振り回されているような被害妄想にかられるのでありました。まぁこれが娑婆ですから仕方ありません。とはいうものの、昨日でお盆も終わりましたから、一息ついているところです。今日は、論註の会があり、そのあと暑気払いということになっていまして、いささか楽しみなことです。そのせいか、今日は朝早く目が覚めてしまいました。日曜日なんかは、ぜんぜん目が覚めないんですよね。仕事があるということを、肉体が知っているんですね。サラリーマンの皆さんにも「サザエさん症候群」というのがあって、日曜日の夕方、あのサザエさんのテーマソングがかかると、憂鬱になるんだそうですね。「♪チャチャッチャッチャチャ〜チャチャッチャッチャチャ〜チャチャッチャッチャチャ〜ッウン♪」でしたっけね。まさに、生きるということは、修行としかいいようがありませんね。生きたくなくても生きなきゃなりませんし、死にたくても死ねないという現実がありますよね。終わりのない修行に、日々邁進しているということでしょうね。でも人間は、ただその日暮らしてゆければよいということだけでは満足しないもんですね。なにか、意味がほしいもんです。自分の成長を子どもの成長で気がつかされるということもあります。結婚した日を思い、女房が実家で親子であった時間よりも、小生と夫婦になった時間のほうが多いんだなぁと感じたりします。普段は前ばっかりみて生きてるんですけど、いや生きてるということすら忘れているんですけど、時々は後ろを振り返るということも必要ですね。仏さまの前に手を合わせるということは、後ろを振り返るということでありますね。自分の過去を思い、生活の歴史を思い、家族の昔を振り返るわけです。故人を思うことによって、自分を過去に送り込んでみることもあります。仏壇は、そういう意味でドラえもんの「ドコデモドア」のように、時間を融通するものですね。現在と過去との時間をね。私は「時間」ということが気になっていて、いろんなことを思います。あのミヒャエル・エンデの『モモ』に出てくる時間泥棒との戦いや、浦島太郎の龍宮城時間とかね。最近感じているのは、時間は流れてくるもんだということです。私たちが船に乗って時間の川を登っているという感覚ではなくて、船は止まっているけど、上流から川が流れてくるという感じです。上流に向かって進んでいるというよりも、上流から流れてくる水にぶつかっているという感覚です。船自体は静止したままです。つまり未来から時間という川が流れてきて現在になっているわけです。ですから、自分にとって「有る」といえるのは現在しかありません。未来は、いまだ来らざるということですし、過去は過ぎ去ってしまったものです。その未来と過去が現在として「有る」わけです。この「時間」という観念も人間特有のものでしょうね。歴史をもつということは、他の生き物ではないことでしょう。そして歴史を持つということは、「生と死」をもつということです。他の生き物は「生と死」を持ちません。だから生と死に苦しむこともないわけです。ただ人間から見ると「生と死」をもっているように見えるだけなのです。梅雨明け間近のこの頃に思うことです。


2003年7月18日
昨日の論註の会は、「雨功徳」がテーマでした。まさに梅雨時にふさわしいテーマですね。仏典には「雨」と書いて「あめふらす」と動詞で読んであります。雨は名詞だと思っていましたけど、動詞なんですね。そういう身近なテーマを選んで、人間に浄土をイメージさせようとしているわけです。浄土教は、なんで浄土なんて厄介なことを言い出したのか?という問題提起もありました。仏教は、カツ!とか言って、そういう人間の思弁を捨てろ!ということの方が分かりやすいじゃないかと。そうですよね、そういう人間の思弁を捨てて清浄な世界を獲得するのが仏教じゃないかと。人間の日常生活はウザッタイことばっかりですから、そんなものを全部捨てて楽になりたいという衝動はあります。いっぺん、乱雑に散らかっているテーブルのものを思いっきり取っ払ってみたいという衝動にかられるひとは小生だけではないでしょう。スカッとしたいと思います。そういう思いで道を求めて、スカッとしたこともあります。疑似悟り体験というやつですね。もうそれこそ、全部が見えて、悟ってしまって、楽しくて嬉しくて、眠れなくなったこともあります。でも、すべてが見通されてしまうと、「現在」が楽しくないんです。「分かる」ということは、安心できることなんですけど、未知と出会えなくなるんです。不安とか未知とか不可解というものに出会ったときに、人間は不安も抱くと同時に、何かの出会いがあるんですね。スカッと分かってしまうと、綺麗な白紙のような透明感を得ます。しかし白紙はそのうちに飽きてきます。やっぱり何か書かれていないと、人間は耐えられません。そして自分が捨てたはずのウザッタイ日常に舞い戻ってくるんです。舞い戻ってくると、この「日常」というものが少しずつ味わえるようになってきます。いままで「日常」から逃げようとか、捨てようとかしていたんですけど、案外「日常」は馬鹿にできない豊かさがあるなぁと骨身に沁みてきます。日常を捨てようとしてたのは思い上がりだったなぁとも思います。捨てようとしていた「日常」に支えられているという面があるからです。スカッとしたいという思いは衝動ですから、止めることはできません。一度はスカッとしてみるのもいいもんですよ。無駄なことは何一つないんですからね。
 また、そんなにスカットしっぱなしの人間ばかりじゃありませんよね。やっぱりノラリクラリ、わかったようなわからないような、そういう人間もいるわけです。第一、人間は日々いろんな問題に直面しますね。テストでたとえれば、それは応用問題ばかりでしょう。こうすれば、こういう答えが出るという簡単なもんじゃありません。結婚を決意するということも、自分の生活が壊れるんじゃないかとか、将来に渡ってこのひとと一生をともにすることが出来るだろうかとか、でも相手と分かれることができないくらい愛しているしとか。そういう決断に対するためらいとかがあるわけでしょう。そして決断したとしても、後で後悔したり、こんなはずじゃなかったのに、ということもあるわけです。スパッとなかなかいかないのが人間の生活じゃないかと思います。そういうノラリクラリしている人間に対して呼びかけてくるのが浄土教だと思います。
 小生も、なんで浄土教は面倒くさいんだろうと思うときもあります。それは仏法が面倒くさいというよりも、人間の本質が面倒くさいもんなんですよね。その面倒くさい人間の本性に応じて語ろうとしているから、仏法が面倒くさいように見えるんですね。仏法は、迷いを捨てろ!といきなり人間に要求しないのだと聞いたことがあります。まず人間の迷いに沿って迷いの構造を解明することによって、次第に迷いから離れることができるといいます。だから、一見すると面倒なことを言っているように思うんですけど、小生にとっては歩みを共にしてくれる教えだと思っています。日々の暮らしはすべて応用問題ですから、また答えもひとつではありません。様々な答えがあります。どの答えを選んでもいいわけでしょう。
 昨日は少し時間があったので、会場近くの外山公園を散策してみました。抜け弁天(新宿)から徒歩で15分くらいでしょうか。その界隈の町並みも面白いんです。人間が住んでいる街という感じがします。狭く入り組んだ小道は、とても自動車が通れないような道です。直線の道は、どこかに無理があるんですね。やっぱり、太くなったり狭くなったり、曲がっていたり、下り坂や上り坂があったり、植木がおかれていたり、そういうものが道というものじゃないでしょうか。そんな町並みを見ながら外山団地に入りました。この団地も大きな団地でした。外山公園はもともとは尾張藩だったかの屋敷跡らしく、広大な庭園であったようです。築山のような小高い山があって、名前は「箱根山」と命名されていました。どこに山があるのかちょっと分かりませんでした。見るとライトバンに野菜を陳列している八百屋さんの周りに、奥さんがふたり買い物にきていました。その奥さんに尋ねると「そこを曲がっていくと、小高い丘がありますから、それが頂上ですよ」と教えてくれました。途中にキリスト教会がありました。こんな自然環境の素晴らしいところにあるなんてと、うらやましくなりました。階段を50段くらい登ると頂上でした。頂上にはひとが7〜8人休める場所がありました。標高は44,6メートルと記されていました。小生が登っていってみると恋人らしきカップルが語らいをしていましたので、居づらくなってすぐに降りてしまいました。多少汗ばんだ体に、そよ風が心地よいのです。しかし頂上からは森が繁っていて、なにも見えませんでした。でも、首都圏の喧騒が遠くに聞こえていました。メトロポリタンにポッカリ開いた穴が外山公園でした。この公園には森林とよべるくらいの森が繁茂していて、山の空気を呼吸することができました。野良猫やカラスがあちこちに見えました。二つ並んだベンチにお年寄りが二人腰掛けて語らっていました。その隣のベンチにはカラスが二羽止まっているのです。人間に馴れているのか、餌でもやっているところなのか、全然逃げないんですね。まるでヒッチコックの『鳥』のワンシーンのような光景でした。とても想像力をかきたてる場面でした。そしてまた別の道を歩きながら抜け弁天まで戻りました。同じ道に帰ることができなかったというのが正直なところですがね。その途中の家並みや、ひとが避けなければ行き交うこともできないような隘路を通りながら戻ったのです。そこに暮らすひとたちの匂いを嗅ぎながら、クネクネと曲がりくねった道を歩きました。
 そんなことをしていたので、論註の会の会場についても、なかなかその空間にこころが入ってゆけませんでした。毎月の会ですから、同じ情景なんですけど、いつもの会と全然違うんです。いままでの散策の余韻が残っていて、身はそこにあっても、たましいが入ってゆけないという感覚でした。いままで歩いてきた感覚と情景が心身に染みついていて、なかなか現実に戻ってきませんでした。「歩く」というのは、そういうことなんですね、単純に肉体だけを使う作業ではないんです。身体を使っているんですけど、脳も一緒に歩いているんですね。心身合体した作業が歩くということです。そしてそこを歩いた感覚は生涯忘れることもなく残っていくんですね。これは不思議です。自分の身をもって歩いた場所は、違う感覚が残ります。この感覚が、等身大の移動のスピードなんでしょうね。歩くことによって、初めて「距離」ということが実感できます。電車や自動車によって移動していても、「距離」は体感できません。早回してビデオ映画を見ているようなもんです。確かに時間は稼げますけど、等身大の距離感じゃないんです。 
 仏道ということも、道ですから、どうしても「歩く」ということに関連しています。一歩一歩違った場面を見ながら、匂いを嗅ぎながら、眺めながら、右へ左へ、登って下って、身体で味わっていくもんだと思います。道が続く限り、歩き続けてゆきたいと思います。味わい続けてゆきたいと思います。


2003年7月19日
劇団文化座「若夏に還らず」−森口豁「最後の学徒兵」より−を観劇してきました。若夏は「うりずん」とルビがふってありました。沖縄地方の言葉で、4月頃の陽気をそう呼ぶのだそうです。ストーリーは、戦時中、アメリカ捕虜兵を処刑したとされているB・C級戦犯の物語です。それも、この2000年の時代に生きる劇作家が、その事件を書こうとして、タイムトリップし、1945年の日本海軍士官候補生として当時を体験するという設定でした。当時への誘い役として登場するのが、田口少尉という、まさに米兵の首をはねた当事者でした。田口少尉は、頭を丸刈りにした、謹厳実直で優しくて、華奢な体つきをしている学徒兵そのものでした。「自分の夢は、学校に戻ってホッケの養殖を研究することなんです。しかし、いまは、その海が戦場と化してしまっている…」と語っていました。そんな優しい彼が、軍隊という組織の力によって、首をはねるところまで追い詰められていくわけです。島に墜落したグラマン戦闘機のパイロットを捕虜としてつかまえます。そして、隊長の命令によって、田口が首をはねる役にさせられます。捕虜は殺してもよいという日本軍の規則があるのでした。当然、隊長は捕虜を保護しなければならないというジュネーブ条約の規定を知っていたそうです。田口は軍規に違反することもできず、恐れ戦きながら、兵隊たちが見つめるなかで、とうとう日本刀を降り下ろし米兵を斬首しました。エーッイ!とばかりに降り下ろした刀をもったまま、へたり込む田口少尉。手に持った日本刀がワナワナと震えていました。ここで第一幕が終了しました。
 これは軍隊という組織であれば、際立って見えてくる組織暴力のむごたらしさですね。頭では、鬼畜米英だとか、天皇のために身を捧げるのだと理解して参戦しても、敵と対峙したとき、どういう行為をとるかはまったく別の力がはたらくものだと思います。あの大岡昇平の『俘虜記』で、茂みに倒れていた自分の近くに機関銃をもった米兵が近づいてきたとき、どういう行為をとるかは、自分の思惑をも超えてしまっていました。あの『俘虜記』の副題というか、添えられていた言葉がありましたね。「わがこころのよくて殺さぬにはあらず」という歎異抄の言葉でした。それに続く言葉として、「さるべき業縁のもよおさば、いかなる振る舞いおもすべし」があります。もし、その場になれば、自分はどのような行動をもする可能性をもっているということでしょう。だから、いまここで、その行為が善いとか悪いとかいってみたところで、どうしてみようもないわけです。
 やがて、軍事裁判にかけられ田口少尉は昭和25年、朝鮮戦争勃発ちょくぜんに絞首刑にされてゆきます。それもアメリカの不十分な調査と尋問によってでした。「ファースト・シーマン・タグチ○○。デッド・バイ・ハンギング。○○デッド・バイ・ハンギング」「デッド・バイ・ハンギング」という英語が延々とくりかえされてゆきます。ハンギング=つるされることによるデッド、つまり絞首刑ですね。しかし「田口は三回殺されている」という主人公のセリフが頭に残っています。最初は、天皇のために殺された、二度目は、アメリカのために殺され、そして三度目は私たちに忘れ去られる形で殺されていると。この受け止めには重たいものを感じました。あのとき、あの時代状況におかれれば自分も同じようなことをしただろうし、それが過去のものとして終わるわけではなく、また将来に起こり得るものとして感じられました。
 組織における暴力の力学は、それを決断した主体が曖昧なままに行われるということです。アメリカは、田口の自由意志で行ったものだと決めつけてゆきます。しかし、実際には上層部の命令です。でもその命令の出所は曖昧です。最後の決断は、無言の強制力によって決定していくからです。あるいは、上官の無言の意志をくみ取って部下が実行するという形で行われます。話は変わりますけど、あの新田次郎の『八甲田山』でも、上層部が無言で強要する真冬の雪山行軍を部下の自由意志であるかのごとくに決断させていくのです。部下は、命令に従うだけです。しかし、上層部が命令したということになれば、責任は上官が負うことになります。もしその雪山行軍演習が失敗したならば上官の責任になります。そんな責任を部下であるお前が上官に負わせるのかという無言の強要がはたらきます。上層部に呼ばれた部下は、その場の空気が読めません。そしてとうとう、自分が望んで提案したかのごとくに、雪山行軍を決行し、結果的に多数の死者を出してしまうのでした。あの時の命令の巧みな作用に、背筋が寒くなるものを感じます。だれが最終的に命令の責任をとるのかをぼかすことで、成り立っていた組織だったのです。それは太平洋戦争の責任が、結局軍部の独走だったのであり、天皇の命令ではないのだと言わしめるところまではたらいています。命令をするときには、上官の命令は天皇の命令だと伝え、失敗すれば、お前の自己責任だという理不尽なのです。
 これは現代の企業でも同じシステムらしいですね。ある企画が失敗すると、部下の自己責任ということになるそうですね。つまりトカゲの尻尾きりですね。そういう企業戦士の戦死も後を斷たないようです。この芝居は過去のものではなく、現代にも形を変えてはびこっているシステムの暴力を感じました。


2003年7月20日
昨日のブッディーサロンでは、『こころの処方箋』(河合隼雄著)の「心の支えがたましいの重荷になる」という章を味わいました。そこには、仕事が生きがいだと言って生きてきた中年の男性が、あるとき抑うつ症になって、仕事が嫌になり、自殺したいと思うようになったことが述べられていました。なぜ、そんなことになるのかを河合さんはこんなふうに描いています。「このことに対する説明として、いままでこの人の心を支えてきたものが、この人のたましいにとっての重荷になっている、と考えてみた。イメージで言えば、心の下にたましいというのが存在しているので、心の支えになっている。しかし、たましいの上にのっかっているものが大きくなってくるほど、たましいの方は重荷に感じる、というわけである」と。まぁ「たましいが有る」といっても机が有る、椅子が有るというのと同じに「有る」わけではないと断られています。ただ「心というものがあると仮定して話をする方が便利なように、それよりもう少し深く考える場合は、心の下(奥)にたましいがあると考え方が便利なことが多い」と精神分析家らしい表現で語られています。無意識とか、こころとかと同じように、「たましい」も仮説であって、実体があるわけではないというのです。「こころ」というのも仮説で、果たして「有る」といえるのかどうか分かりません。「有る」と感じて私たちは暮らしていますけど、それは作用として有るのであって、実体としてあるわけではないでしょう。「たましい」もそれと同じですよね。特に真宗教団では「たましい」という言葉にアレルギーがあって、なかなか公には使えない言葉になっています。お釈迦様は「たましい」などとは言わなかったとか、霊魂不滅と仏教が混同されるような言葉は使うなとか、もう「たましい」という言葉を使っただけで、あいつはおかしいと言われてしまうような風潮にあります。でも正依の経典であります『無量寿経』には「神(たましい)を開き体(み)を悦(よろこ)ばしむ(開神悦体)」と書かれているんですがね。
 小生も、この「たましい」という言葉が好きです。人間は傲慢にも言葉で言い当てられたものと、実体は揺るぎなく結びついているという実体論に執われています。「こころ」と言えば、「こころというものが有る」と考えています。「テレビ」という言葉とテレビというモノが一対一対応であると思い込んでいます。それはあたかも言葉という鎖でモノや作用をがんじがらめに縛り上げているようなものです。そんな人間の呪縛から「たましい」という言葉は、すり抜けてしまいます。どうしても、人間の言葉の世界に落ち着きにくい言葉として反乱を起こしています。それじゃあ「たましい」とは何か言ってみろ!と批判されます。しかしどれほど人間の言葉で表現し尽くしても、その網からすり抜けてしまう言葉が「たましい」ではないでしょうか。人間は、言葉で呪縛できないものに不安を感じたり、いかがわしいとレッテルを張ったりします。しかし、そこに小生は、生きているものを感じるわけです。
 まあ河合さんのように「たましいがあると考えた方が便利なことが多い」という程度に言い留めておけばいいんですよね。そしてこう言ってます。「たましいの特徴は矛盾に満ちている。人間の心はそのなかに矛盾が存在するのを嫌うので、たましいの方は矛盾をかかえこむのだ。たましいは極めて個別的であると共に、極めて普遍的である」と。この「矛盾」ということが大切だと思います。そして小生は、そこから派生して、ものごとの真実は矛盾ではないかと思っているのです。ちょっと坊さん臭くなりますけど、やっぱりこの「いのち」というものは、矛盾に満ちていますよね。生まれるということが死の原因ですし、日々死ぬためにご飯を食べて年をとっているわけです。皮膚の細胞が死ぬということがなければ、新鮮な細胞は生まれきません。新陳代謝は、死と再生の大矛盾ですね。こういう矛盾の大地によって人間のいのちが営まれているわけです。生命ということばかりでなく、人間の愛というのも矛盾です。相手を思う愛が強いほど、相手を縛り拘束する足かせになります。愛が深いほど、裏切られたときの憎しみは激増します。本来純粋である愛が、悪魔にも変身してゆきます。これも愛の矛盾ですよね。ものの豊かさもそうですよね。ものがあれば便利で、快適な生活が営めます。しかし、その反面、ものの有り難さが感じられなくなり、ものを粗末にする生活が生まれます。もののないときには、ものを求めることが生きがいになりましたが、ものがあふれれば、生きる方向すら失ってしまうという、矛盾も起こっているわけです。
 でもこころはそういう矛盾を認めたくないんですよね。正しいこと、豊かなこと、元気なこと、快適なこと、社交的なこと、健康なこと、それらはいいことであって決して失ってはならないことだとかたくなに思い込んでいるわけです。矛盾などあってはならないことだと排除したいんです。こころは直線的ですよね。曲がりくねることを嫌います。一本気とか、本気とか、純情とか、真心とか、それは直線的な感じがします。まあ真昼の太陽のようなイメージでもあります。でも太陽には「昼下がり」や「夕まぐれ」や「たそがれ時」などもあるんです。小生は昼でもないし夜でもないという状態が好きです。浅草の路地なんかで、小料理屋さんが夕方になると、店の前に水を打ち、盛り塩をして、お客を入れる準備に取りかかっている姿を見ていると、とてもいい気分になってきます。これはたんなる酔っぱらいの戯言かもしれませんけど、小生はワクワクするものを感じてしまいます。こころは、お酒やたばこは体に悪いと知っているんです。でも、分かっていてもそれでも吸いよせられていくという矛盾があるんです。でも矛盾の方がものごとの「ほんとう」には近いように思います。直線よりも、まがりくねった曲線のほうが楽しみがあります。もっと言えば、直線には直線のよさもありますけど、まがりくねった曲線には曲線のよさもあると言いたいところです。


2003年7月21日
今日、葬儀で火葬場にゆきました。火葬炉から出てきた骨は少なかったです。やはり骨粗鬆症になられていたということもあり、療養中ということもあって、少なかったです。骨のなかにボルトのような金具が出てきました。それは生前、腰を折ったときに埋め込まれた金属でした。こんな大きな金属が体内に埋め込まれていたならば、さぞ苦しかったろうなぁ、痛かったろうなぁと思いました。でも、これでやっと、この金具から解放されて、二度と苦しまない世界へいかれ、安らかになられたに違いないなぁと感じました。生きたくて生きているわけじゃありませんけど、やっぱり「生きる」ということは苦しいもんです。これも修行なので仕方ありませんね。
 火葬されて、後に残るものは骨だけです。以前から言うように、あの骨と故人とはひとつではありません。全然別のものです。故人は、空気のように気体の状態に戻ったのだと思います。つまり、そこは死の世界であると同時に、生まれる以前の世界でもあります。生のよってきたところと、死のいたりつく先は同じなのです。それは「無」といってもいい世界でしょう。「無」という言葉も「有」の対概念ですから、あまりよくありません。無というと、有を否定した形にしか考えられませんからね。そういう無ではなくて、存在の起源であり、死の到着点であるような無です。生の起源は迷いであり、死の終着は悟りであると、浄土教は考えてきました。教理的には、そう説かれてきました。迷いの世界から悟りの浄土へと。しかし、それに小生は疑問をもっています。そんな直線的なものなのだろうか?と。むしろ循環的ではないのかと。生の起源へ死は到着していくということではないのかと思います。ではなぜ、やっかいな人間という固体(肉体)へ凝縮してこなければならないのでしょうか?生の起源と死の終着が無であるのならば、そのまま無であったらいいじゃないか、なんでわざわざ厄介な有の世界へ具体化してこなければならないのかと。そうやって、妄想的に考えていると、この人間という存在は阿弥陀の自己矛盾じゃないかと思い至ったのです。阿弥陀は阿=〜ない・弥陀=量るですから、無限定を表します。否定そのものがいのちなのに、その阿弥陀自身が有という肯定を生み出すのはおかしいじゃないかと。そうなんです。この私という存在は、阿弥陀の自己否定であり、自己矛盾なんです。阿弥陀が私となって具体化し、そしてまたその具体化した私を阿弥陀の世界へと送り返す、そういう厄介なことをしているわけです。なんでそんなふうになっているのか分かりません。でも、そうでしょう。ですから、私は阿弥陀なのですね。阿弥陀の自己否定型なんです。一切の生きとし生けるものは、すべて阿弥陀の自己否定型です。
 (六組推進員養成講座の企画会へ行くので、ここで筆を置きます。m(__)m)


2003年7月23日
浄土教は、難しい宗教だなぁとあらためて思いました。苦しんでいるひとを助けましょうとか、社会を改良しましょうとか、いまある問題を解決しましょうという宗教ならば、人間には分かりやすいのですが浄土教はそうではありません。そういう問題に、矢が尽き、刀が折れたところから出発している宗教だからです。ですから人間には分かりづらいです。その意味で極めて「内面的」な宗教です。確かに、生きていく中での苦しみに直面しているところから宗教は生まれてきます。その苦しみから少しでも離れてしまえば、それは宗教ではありません。でも、その苦しみを除去していくという方向ではなくて、どんな苦しみでも、その苦しみを引き受けて立ち上がらせるという方向です。つまり改良したり、除去したりできる問題ならば、それは改良すべきでありますが、どうしても人間からぬぐい取れない問題であったならば、その問題を引き受けるか拒否するかしかありません。
 仏教は、老化・病気・死という限界状況をどうするか?というところから出発しています。これは人間の限界状況ですよね。変更不能です。たとえ医学が進歩したといっても、サーズとかエイズとか、新しい病気が生まれてきますし、老化と死にはお手上げですよね。考えてみると、人間が進歩と呼んできたものは、この三つを否定し、帳消しにしたいという足掻きだったんですね。そのことに気がつく前には、「人間は進歩してるんだ」と思っていたんです。やっぱり、機械文明は便利だし、スーパーに行けば、全世界の食材が揃っているし、京都のご本山へ日帰りで、行ってこられるんですからね。小生にとっては、歯医者さんとの付き合いで「進歩」の有り難さを知ることができました。小生は歯が弱くて、小学生の頃から歯医者さんとの付き合いが絶えません。でも小学生の頃の治療と、最近の治療では、痛さが全然違うんです。それは感じている自分自身が痛みに鈍感になってきたのかもしれませんけどね。でも、麻酔の注射針が歯肉に刺さるときの痛みの違いとか、歯を削るときのドリルの振動の違いとか、様々な場面に「進歩」を感じるわけです。これはものすごく有り難いことだと感謝しています。こういう「進歩」なら大歓迎だと思います。でも、それはそうなんですけど、本質に立ち返って考えてみると、やっぱり文明とは、お釈迦さんが出家したときの動機であった老化・病気・死を排除してきた歴史だったのです。なるべく老化しないように、病気にならないように、死なないようにと、一生懸命頑張ってきたのが「人類の進歩」というやつだったんですね。そして、この三つの問題は、人類にとって永遠の問題でして、何万年前も、そしておそらく何万年後にも変わることのない問題だと思われます。これこそ人類永遠のテーマです。
 そうそう、お釈迦様が、死をどうとらえたかというエピソードがあります。これは超有名なお話です。キサーゴータミーという女性がお子さんを亡くされて、亡骸を抱いてお釈迦様の前にやってきて、「この子をよみがえらせて下さい」と頼んだというお話です。お釈迦さんは、そのとき、「それは無理だよ、だって死んでるんだから、あきらめなさい」なんて答えなかったんですね。まず、その女性の発想を受容します。「そうか、そうか」と。「分かったよ、生き返らせてあげるよ。でも、ひとつ条件があるんだ。まだお葬式を出したことのない家に行って芥子の種をもらってきなさい。そうしたら、やってあげるよ」と答えたそうです。彼女はインドの家々を回って、お葬式を出したことのない家を探しました。ところが日が暮れても、そういう家はなかったといいます。途方に暮れてお釈迦様のところへ帰ってきました。そして彼女は、「一軒もお葬式を出したことのない家はありませんでした」と語りました。それを聞いてお釈迦様は「それは、困ったなぁ…」と返答したそうです。その言葉を聞いたとき彼女は、「もうよろしいのです、お釈迦様…」と答えて、帰っていかれたといいます。ひとつには、彼女は、子どもを亡くして悲しみに飲み込まれているけど、みんな悲しみを抱えて生きているんだわ、自分だけじゃなかったのねと気がついたのかもしれません。もうひとつは、ひとはみんな一度は別離を経験しなければならないということへの気づきもあったでしょう。そして、その当時、超弩級の超能力者のように評されていたお釈迦様でも、死を変更することはできないという落胆ですね。どんなに、優れた超能力者であっても、死という絶対現実だけは変更ができません。これが、死のすごいところです。つまり人間の「ああなりたい、こうなりたい」という思惑が完全に遮断された世界なのです。人間の思いが届かない世界といってもいいのでしょう。
 人間の知恵を光りにたとえれば、懐中電灯のようなもんです。夜空の星に向けてみても星までは届きません。まして、光りも夜空に飲み込まれてしまい、闇と同化してしまいます。光りは何か、ものにぶつからないと光りにならないということなんです。ですから夜空は、闇でありますけど、それは別の表現をとれば「透明」ということです。闇という言葉は、光りがなくなった状態ですから、まだ徹底した表現ではありません。白ではなく黒だと人間に領解されてしまいます。ところが「透明」ということであれば、闇とは違ったニュアンスが残ります。光りがないということではなくて、光りでも届かない、そして光りも飲み込まれてしまう透明の夜空が残ります。この闇から透明へというこの変化が大事だと思うのです。この闇であったものが透明になるということが、ゴータミーの内面に起こったのではないかと思うのです。


2003年7月25日
三好春樹さんから「異文化としての老い」という言葉をお聞きしました。さすがに「介護の神様」と巷では噂されている方です。いままでの、発達心理学的なといいましょうか、人間はこの世に生まれてからどんどん成長し、成熟して、より素晴らしいものになっていくのだという幻想で老人を見ていないんです。成長とか発達という視点で見られるのは、かろうじて大人になる時点までですよね。その大人の頂点から、老化という段階に入ると、それは下降線をたどって、衰退しかありません。つまり、若者には未来があっても、老人には未来がないということです。そういう発想で、老人介護に関われば閉塞していくしかありません。老人は、若いときにはできたことが、できなくなるという段階ですからね。それでは、老人にも、そして老人介護をする側にも、光りはないでしょう。そこから、三好さんは、文化人類学のレヴィーストロースに刺激されて、とうとう「異文化としての老い」という視点に到達されたようです。つまり、老いというものを、成長とか発達という視点でみるのではなく、まったく別の文化をもった段階として見ようというのです。若者の視点からみるのではなく、その視点では把握できない、異文化の生物として受け取り直そうとしたのです。年寄りは歩くのが遅い、動作が鈍いといいますけど、それはお年寄りにちょうどよいスピードで動いているだけなんだともおっしゃっていました。それを「遅い、鈍い」と受け止めてしまうこちら側の問題がいままで見えていなかったということでしょう。こちら側が、いままでできていたことができなくなるというマイナス史観で老人を見ては、老人を差別してきたんだと反省させられました。
 自分の見方や人間観や世界観の中に、すべてを押し込めて解釈してきたことの傲慢を感じます。その世界観では、把握できない生物、生き物として老人を見直してみれば、まったく違った見えかたがしてくるのだと思います。うちには猫がいるんですけど、猫に対しては、ひっかいたり、オシッコしたりという悪さをしても、案外、みんな自然に受け止めているんです。「まぁ仕方ないか、しょうがないよね」と受け止めて、あんまり恨みなんかが残りません。でも、これを人間がしようものなら大変です、恨みが残ってしまいます。やっぱり、猫はどこかで、人間とは違う生き物だ、違う文化をもった生き物だと知っているんですね。でも、老人や幼児には、それが通用しません。自分と同じ人間だと思い込んでいるからです。それなので、自分の尺度をもとにして幼児やら、老人を評価して、差別していくわけです。老人や幼児も、猫と同じくらい私たちにとっては異文化の生き物なんだと、あらためて受け取り直すことを教えられました。
 うちにも母がおります。年齢は75歳です。とても75には見えないくらい若々しいです。でも、体は正直で、膝が痛いとか目が緑内障だとか脳に動脈瘤があるとか、いろんなことが起こってきました。でも普段は、憎らしいくらいに元気にしているので、老人の域に達していることを忘れてしまうのです。特に口が元気ですから、こっちが閉口することが多いです。しかし、それもこれも「異文化の生き物」なんだと受け止めてみると、少し違った見方ができるようになりました。
 三好さんは老人と幼児とはつながっているといいます。ふたつとも全部まわりのひとにやってもらえないと生存できない段階です。幼児も異文化ですよね。あの長崎の12歳も異文化の生き物かもしれません。この異文化論をどんどん、つきつめてゆくと、仏教でいう「不共業」(ふ・ぐうごう)という概念にまで達します。「共にならざる業」ということです。不共業の対概念が「共業(ぐうごう)」です。これは種とか、類という概念に近いです。人類ということでいえば、日本人もアメリカ人も人間ですから、言葉を通じて意思を伝えることができます。二本足で直立で歩くとか、ふたつの目で外界を見るとか、共通の部分です。しかし不共業とは、似ているけれども異なっている部分のことです。これは特殊とか、実存とか、孤絶という概念に近いです。小生は、人間でありますから、他の人間と共通の部分があります。ですから、人間用の風邪薬を薬屋さんから買ってきて飲めば喉の痛みがとれるのです。製薬会社は風邪薬を販売するまでにたくさんの実験をしています。そしてこの体重のひとは、このくらい服用すれば、こんな効果が出ると分かってくるわけです。同じ量の薬を飲めば同じような効果が出るというのは、人類がどこかで共通の部分をもっているからですよね。その段階において、個体が千差万別であれば、薬は薬局で売れません。すべてのひとに異なった処方箋が必要になります。
 でも、不共業の面では、同じような生活をしていても、ガンになるひととならないひとがいます。喫煙で肺ガンになる率は高いですが、発病しないひともいます。発病は遺伝だけでもないようです。こうすればこうなる、ああすればああなるという因果律が必ずしも一致しないのが「特殊」という面です。
 そこまでいくと、老人が「異文化」であるばかりでなく、自分の目の前にいるひとはすべて、自分にとって異文化のひとであるといえると思います。それはなにも異文化だから切り捨てるという意味ではなく、異文化として新しく出会ってゆけるという意味です。ちょうど、猫に私たちが癒されるようにね。「同床異夢」といわれるように、どんなに親しい人間でも、また一卵性双生児だろうと、必ず他者とは違った面があります。いわば他者と断絶している部分、どうしても理解できない部分があるはずです。そういう場面に出会ったときに、こっちが試されるんでしょう。異文化として尊べるか、あるいは、異文化として排除するかと。
 でもこれも三人称の場合には、受け止めやすいけど、二人称の関係が強くなるほど難しいんでしょうね。相田みつをさんが「こんなにしてやったのに、ノニがつくと愚痴がでる」と書かれていました。こっちから相手に投げかける愛情が強いほど、それに応えてくれないときには「ノニ」が出ます。小生は猫にも「のに」を言ってました。愛情を注いでいるはずなのに、全然こっちを向いてくれないんです。そこでも試されました。猫に「ノニ」と言っているお前は、何ものなのか?と。


2003年7月26日
昨日、鎌倉新書さんの取材を受けて、寺の活動などをお話ししていました。「ブッディーサロンとはどういう意味なんですか?また、なんぜそういう会を始めようと思われたのですか?」と。毎月開いているサロンをなぜ始めたのかと問われて、あらためて初心に返らされたように思いました。毎月開いていると、これは習慣性になってしまい、悪くいえば惰性に流されます。いまさら、なんで始めたのか?という問いは起こってきません。他者から問われて初めて、初心に立ち返ります。いまの自分が、かつての自分に問いを投げかけているという感覚でした。「おい、お前どうなんだ?なんで、そんな会を始めたんだ?」と。若手の会を始めたいと思っていたところへ、あるひとがやってきて、そのひとりと始めたのが事の起こりだったと記憶しています。もう十年近く前のことでしょうか。そんなふうに応えたと思います。でも、なんで若手の会を始めたいと思ったのか?とさらに重ねて問われると、答えが見つからないんですね。後から考えると、ああだったこうだったと思い当たるんですけど、そういう衝動が起こってきた最初の一歩といいますか、初動段階は、意識できないということのようです。別に義務であるわけのものでもなく、強制でもありません。初期のブッディーサロンは、ほとんど飲み会だったような気がします。最初のころは、飲み会だけで満足していました。しかし、徐々に顔を合わせるメンバーも固定してくると、だんだん話題もなくなってくるんです。そうすると飲むことにも飽きてきて、なんか読もうよ?ということになります。そして、河合隼雄さんのものやらに、手を出しはじめました。ただ飲むだけじゃ人間は満足しないんですよ。やっぱり肴がないとね。だから、はじめは勉強会をはじめようということでもなく、ただ飲むことから出発していったんですね。
 ですから、勉強が主体ではなくて、飲むことが主体でした。飲むというエロスをより楽しく、より過剰にするために、肴として勉強が始まってゆきました。これは常識からいえば本末転倒かもしれません。でも、ものごとの自然な流れからいけば、これこそ本末順当ではないかと思います。
 やはり「あそび」が大事なんです。これは、取材にこられた薄井さんもおっしゃっておられました。自分が取材をした住職さんは、みんなどこかにあそびがあったと。そうだと思います。ひとり遊びが、お寺の核にならなければダメだと思います。ひとりで、砂場で楽しそうに遊んでいると、よその子が「どれどれ…」と覗き込んできて、やがて自分もいっしょに遊ばせてとなるわけでしょう。ですから、ひとり遊びをどれだけ満足してやれるかということが大切です。これは、かつてインドへ行ったときにも感じたことです。民衆は、悠々とあそんでいるんです。確かに我々から見れば貧しいということがあります。でも、彼らにとっては、それがちょうどよい生活環境なのでしょう。私たちの尺度で判断して、「貧しい」と決めつけることは傲慢です。彼らの笑顔には、屈託がありません。どうやって生活しているのかわかりませんけど、その日その日を笑顔といっしょに生活していました。彼らにはあそびを感じました。
 どうやったら、ものごとを遊べるか?とつねに考えていくことを学びました。やっぱり生きていれば苦しいこともあり、厄介なこともあります。でも、そのものごとひとつひとつを遊ぼうと考えてみるのも楽しいもんです。取材の最後には、住職という仕事は楽しそうだと思うと彼は語っていました。やろうと思えばなんでもやれるからです。仕事であっても、それを遊びに転換することもできます。ゼロから無限大まで広がれる可能性を秘めた仕事だと思われたようです。
 そういえば、自分は、最近遊んでいないなぁと感じてもおります。やっぱり余裕がないと充分に遊べません。「今日はなにをして過ごそうか?」と思えるような日々がないと、遊びが涸れてゆきます。でも、なかなかそういう時間のないのが実状ですね。サラリーマンであれば、定年まではそんな時間はとれないというのが現実かもしれません。普段は仕事の関係に追われ、休日は家庭の関係に追われです。でも、定年で、やっとこれからのんびりできると思っていた矢先に、ガンにかかって亡くなるというひとも、それなりにいます。ですから、自転車のように、こいでいないと倒れるような生活の中で、遊びを見いだす方法がなければダメでしょうね。小生は、きっと、日常の隙間に、そんな遊びの時間を見いだせるはずだと信じてはおります。
 まず「わくわくするような瞬間」を見いだすことです。自分は何に「わくわく」しているのかを自覚することから初めてみましょう。きっと、日常のある瞬間には「わくわく」があるはずです。それはどんなちっぽけなことでもいいんです。その瞬間を見逃さないことです。それは道徳的にいいことでも、悪いことでも、そんなこととは別次元のことです。まぁ犯罪は困りますけどね。犯罪にならないギリギリのところで、試してみてください。高速道路をある瞬間ぶっ飛ばすとか、これはあんまり公言できないことですけどね。(「ぶっ飛ばす」も、制限速度内でのことですと免罪符を付けておきます)以前、路上観察学ということを言ったひとがいます。小生は、日常行動観察学でゆきたいと思います。それは自己観察ですよ。そして「わくわく感」をたくさん見つけられれば、それはきっと遊びにつながってゆくに違いないと思います。それにしても日常は、あまりにも、「当たり前」に展開していて、些細な起伏に気付かないもんです。それは生活が大雑把なのではなく、見方が大雑把なんです。ミクロに見てゆけば、日常は宝の山かもしれませんぞ。


2003年7月27日
本郷にある求道会館で開かれた公開シンポジウム「生きにくい時代に¨いのち¨の回復を求めて」に行ってきました。パネリストは高史明さん、目幸黙僊さん、そして司会は大住誠さんでした。そのなかで面白かったところを少々、紹介してみます。高さんは、「個人の死が全体の死に結びついているという視点が現代では失われている」と指摘されました。理性中心の見方で見ると、死が見えなくなり、死が見えなくなると生がわからなくなる、つまり生も死も分かっているつもりでいて、全然実感としては感じられなくなっているのだと話されたように思います。目幸先生は、ユング派の先生ですから、いのちは無意識のいのちと意識のいのちがあって、意識が無意識と切れてしまうと、いのちが枯渇すると指摘されました。それから大住さんの司会によってパネルディスカッションが始まりました。大住さんは、臨床心理士としての実例を通して十年前と現代では心理的病状に変化を感じると述べられました。以前は、雑念が浮かんできて勉強が手につかないとか、他者の視線が怖くて電車に乗れないというように症状がハッキリしていたというのです。そして、自分でもその症状にわずらわされて苦しんでいるから、そこから治りたいという動機もハッキリしていたそうです。しかし最近では、症状が不透明になっているそうです。理由もなく虚しさや寂しさを感じるとか、生きている実感がもてないとか、自分がバラバラになってしまっているなどと訴えられるそうです。 また、本人がそういう症状の状態から治りたいのかどうかも曖昧になってきているそうです。症状も曖昧になり、動機も曖昧になっているのだとおっしゃっていました。そこには、家族の人間関係の変化が見られるそうです。時代社会の変化、文化の変化を一番強く受けるのが子どもたちです。実際には親子・兄弟の間で情緒的なコミュニケーションをとる事ができなくなっているというのです。やはり言葉を通して自我がつくられてゆくのですけど、言葉は心の一部でしかありません。どうしたら、自我でないいのちが開かれるのでしょうかとお話されました。
 小生は、大人の中に住んでいる「子ども」をどのように育てる事ができるかということが大事だと思っています。大人だって、かつては子どもだったわけです。ですから大人の中にかつての子どもが住んでいるに違いないんです。その子どもを矯正して大人に仕立ててしまったのか、あるいは心のヒダヒダの中に子どもを埋め込んでしまったのか、あるいは、子どもがいても無視して暮らしているのかもしれません。やっぱり子どもは、無為ですからね。役に立つとかたたないとかいう有用性だけで生きていません。ほとんど無意味なことをして過ごしているときもあります。キャッチボールだって無意味でしょう。砂場遊びも無意味ですね。全然生産性には結びつきません。いやいや「余暇が大事です」というひともいます。その「余暇があればこそ、明日も元気に働けるのです」と主張するひともいます。そんな余暇は遊びじゃありませんよね。「明日への英気を養うんだ」というのもダメです。大人は遊びすら、生産性に還元してしまおうとするんです。将来のための一助に変えてしまうんです。でも、それじゃ子どもは育たないと思います。無意味性は、実は私たちのいのちの根底なんですよ。人間として生まれたのは死ぬためですからね。こんな無意味なことはありません。これが人間の根っこです。その無意味性の代弁者が子どもでしょう。大人の中に住んでいる子どもは、生と死を共有するものです。
 大人にとっては無秩序のよう見えますし、無計画であり、非生産的であり、後退であるように見えるんです。でも、いのちはそれほど直線ではいきません。曲線的なもんです。
 まず大人が「あそび」を充分に身につけることです。そうすれば、やがて子どもたちも遊べるようになりましょう。遊びには必ず「生と死」の境界線がつきものです。ですから大人から見ると危なっかしくて見ておれないという面が必ずあります。万年塀の上を歩くという度胸試しや、橋の欄干を手放しで歩くということを小生もしたもんです。遊びはいのちがけだったんです。親には言えない危ない遊びをたくさんしてきました。でも、それが生きているという生(ナマ)の感覚を取り戻してくれるんですよね。でも、いまでは、管理社会よろしく監視された中で子どもを養育しようとしています。子どもは親の監視の枠内で遊んでいるんです。安全な養育であるだけ逆に悲惨ですね。その枠の外でなくては子どもは育たないのに。でも社会はずいぶん物騒なことになってますから、ますます危機管理を徹底していこうとしています。自分の子どもを親の管理下に置くことがますます叫ばれてくるようです。安全で、安心な社会になると同時に、子どもの野生がそぎ取られてゆくんですね。危機があったからこそ、それへの備えができたのに、はじめから危機がなければ、備えるということもできないじゃありませんか。
 以前も書いたように、やっぱり「勘を育てる」ことが大事なんでしょうね。あるいは「無意識を育てること」が大事です。なるべく子どもを自由にさせておくことです。ものすごく心配しながら、自由にさせておくことです。心配するのは親の宿命といいますか仕事です。でも、それを子どもにぶつけてはダメです。子どもには関係ないんですから。あくまで親の仕事ですよ。それが「勘」や「無意識」を育てることになると思います。心配を子どもに押しつけないんですから、外から見ると無責任な親だと映るんです。無関心な親と、積極的関心の親とは外から見ても分かりません。ただ、親が内面でものすごく心配していることは、必ず子どもに伝わってゆきます。親の無意識が育ってくると、それは子どもの無意識にも響いてくるんですね。あるいは無意識は親も子も底のところではつながっているかもしれません。共有しているんでしょうね。
 小生の子どもも、バイクに乗ったり、警察のお世話になったりとずいぶん野生を育てています。ものすごく心配ですけど、この心配をあんまり子どもに押しつけないようにしています。心配するのは親の勝手ですから。でも、チョウチョが成虫になる前にサナギという段階を通るんですよ。思春期はサナギ期みたいなもんだと思います。サナギのまんま羽化しないかもしれませんしどうなるか分かりません。でも、最終的にはどうなっても大丈夫という安心もあります。「最後には、安心した生活が待っている」なんてことは、この世ではあり得ないんです。「雨降って地固まる」どころか、「雨降って、ぬかるみになる」というのが本質ですよ。どうころんでも、一難去ってまた一難というのが、娑婆の鉄則です。最後には、みんなお骨になっていくんですからね。こんな安心なゴールはありません。そう思うと、<いま>を十全にあそびほうけたいという衝動がムクムクと湧き起こってくるのでありました。明日からは九州だ!と。(でもこれは内緒ですよ。寺では法事もあるんですから、ナイショ、ナイショ、ナイショの話はアノネノネです)


2003年7月28日
●やる気が無い、でき無い、しょうが無い、全部「無い」で終わっています。昔は三無主義とか、六無主義とかがありましたね。無気力・無感動・無責任などと若者の精神性を批判されました。でも、ふっと思ったのです。この「無い」の「無(む)」という漢字は阿弥陀さんの別名であります「無量寿仏」の「無」と同じじゃないかと。無という漢字がついたときには、それは仏さんと近いんじゃないかと思いました。阿弥陀さんの別名は、無量光・無碍光・無対光・無称光・無辺光といいます。やたらに「無」だらけですね。人間が、やる気が無いとき、無気力のとき、そのときは仏さんと近いんだと思うんです。むしろ逆に、「〜ある」というときには、遠ざかっているんじゃないでしょうか。やる気が有るとか、気力が有るとか、意義が有るというときには、遠いんでしょうね。そういうときには、仏さんは必要ないんです。ひとりでやってゆけるんですから、助けがいりませんよね。でも、「無い」というときには、必要です。それで、阿弥陀さんには「無」という名前が付いているんだと気がついたのです。無は実に優しい言葉だったのです。
 ひぐらしの鳴き声を聞きながら、「無い、無い、無い」とつぶやいてみました。


2003年7月29日
●田んぼを渡る甘い稲の薫りが、鼻から入って、全身かけぬけてゆきます。体全身の毛穴から、しみこんで全身に染み渡っていくようでもあります。宇佐郡院内町下恵良にいると、「もののけ」の世界へトリップしていきます。あの映画「もののけ姫」の冒頭で、千尋と両親が車を降りて、トンネルへ入ってゆく場面を思い出します。千尋は怖がって嫌がります。でも無神経そうなお父さんは、面白そうだから行ってみようとトンネルへドンドン入ってゆきます。お母さんもお父さんについてゆきます。千尋だけが、怖がっていました。やがてトンネルをぬけると、そこは「もののけ」たちの世界になっていました。あのときのトリップ感を、いま、ここにいて感じてしまいます。
 東京に身を置いていたときと、自分は変わっていないはずなのに、でも、どこかが少しずつ違ってゆきます。環境と身体は不一不二ですから、必ず変化しているんですね。夜には街灯に煙と見紛うほどの虫たちが乱舞しています。食事中には、羽虫が家の蛍光灯の周辺を飛び交い、セミが舞い込んできます。洗面所には、オニヤンマの死骸が干からびていました。この住居は、自然の中に間借りしているという感覚です。本来ここは、無数の昆虫やら「もののけ」の世界です。その世界の中に辛うじて住まわせてもらっているということが正直な感覚です。自然が先で人間が後ということです。それでも、岳父の表現でいえば、ずいぶん人工的になったといいます。圃場整備といって、田圃もきちんと直線に整備されてしまいました。これは全国的に均一化したようです。そういえば、夜になると「もののけ」の音が以前はありましたが、それも少なくなりました。フクロウの鳴き声なら分かりますけど、得たいの知れない生き物の音や、とても生き物の出す音ではないような音もしました。ここにいると、自分がとても小さい無力な生き物のような感じがしてきます。裸の人間に戻されていくのです。裸の人間にされて、原野に放たれたなら、どんなに無力でしょうか。ここのところ宮城県で群発の地震が続いています。以前の長崎・水俣市では土砂災害がありました。こういった天変地異をみるたびに、人間は無力だと実感します。自然は常に動いているもんですね。川は人間の力をあざ笑うように氾濫し、山は人間を押し流し、地面は胎動します。人間は大地を人間の都合のよいように利用しています。大地は、ひたすら黙っておかされ続けていました。でも、そうそう人間の都合に合わせているわけにもいかないのでしょう。人工物の恩恵にどっぷりと浸かっている自分の中に、これは仮の世界なんだと感じているところがあります。
 東京はまさに、人間の脳から生み出された共同幻想空間です。養老さんじゃありませんけど「唯脳論」ですね。人間の脳の範囲を超えてしまうものを排除します。当然、人間のコントロールできない自然は排除されます。老いや死も排除されます。すべてが人間の予定の中で動いているような錯覚にとらわれます。自我というやつは、そうなんです。予定を無効にするものは排除されるんです。そうやって自我を安定させたいんです。自我を安定させるためには、なんでもやるんです。目の色を変えて「安全」ということを確保しようとしています。「安全」を確保しようとするということは、つまり「不安」なんです。不安を抱いていると、ちっぽけなことが、ものすごく危険なこととして感じられるんですね。東京は、そういうアレルギー体質になっているように思います。疑心暗鬼な場所になりました。そこには「もののけ」は住めないんですね。むしろ「暗鬼」という鬼が出没する世界になってしまっているんです。


2003年7月30日
●声を出さないで読書をすることは、悪魔と対話している姿であるとキリスト教の修道院ではいうそうです。現代では、黙読が圧倒的な読書法です。それを疑ってみたこともありません。文字というものを初めて教えられたときには、音読が常識でした。文字を音声と共に認識し、やがて、声に出さなくても文字が読めるようになります。声に出していたときには、疲れてしまい、それほどたくさんの文字を読むことができません。しかし黙読は、どこまでも延々と読むことができます。そうして、やがて音のない文字の世界を広げることができるのです。そうすると、こんどは、こころというものの世界ができあがってゆきます。つまり、自分の内面の動きを読めるようになります。そして「内語」の世界を作り上げてゆきます。自分の内面では、何を考えても、何を思ってもいいんです。とても人前では言えないことでも、内語では言うことが可能です。その意味で自由です。
 かつて、古代には、コトバはコトノハといわれ、コト=事実、ハ=部分と考えられていたそうです。ですから、コトバは事実と相応しているということですから、ウソは成り立たなかったそうです。一度口に出したことは、事実ですから、それを裏切ることはありませんでした。また、呪いや祈願も音声となって初めて効力を発揮するわけです。南無阿弥陀仏というコトバも、様々な場面で称えられてきました。でも人間が何かに祈るという祈願の場面よりも、人間がどうしてよみうもない場面で称えられてきたように思います。人間の臨終の場面とか、もう切羽詰まってニッチモサッチモいかない場面です。また、ナンマンダブと連続して称えていると妙な気分になってきます。恍惚としてきます。南無阿弥陀仏というコトバは、中国の人々も翻訳しにくかったとみえて、そのままの音で漢字に写したようです。その意味で、南無阿弥陀仏は、民族を超えて、様々な意味合いに用いられてきたといってもいいのでしょう。小生は、南無阿弥陀仏はなんともパワーのあるコトバだと思っています。どのような場面に称えていても、どこかででその場面に変化を強いるコトバだと思います。祈願のときに称えていても、お葬式の場面で称えていても、どこかに、その場面を変化させていく力をもっています。法然聖人は「往生の業は、念仏を本と為す」といってます。また「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」ともいってます。ともかく、南無阿弥陀仏というコトバが日常的になってきたときに、そこには何かの変化が起こるものだという確信がありました。南無阿弥陀仏は、仏さまの名前であり、人間の救済の原理であり、完結であるからです。京都・専修学院の院長・信国淳先生は、晩年「御名を称える会」をはじめられました。ともかくお念仏を声に出して称える集いです。人類のコトバがすべて消え失せても、最後に南無阿弥陀仏だけ残ればいいんだという感情でしょうか。南無阿弥陀仏は、自分が称えているようにみえて、称えてみると称えさせられているという感情がわいてきます。そこに自分が主体だと思ってきたものが、客体という場に転ぜられるのです。
そうそう昨日の「もののけ姫」の話題ですけど、あれは「千と千尋の神隠しの間違いだよ」と指摘されました。やはり、田舎にはもののけが宿るんでしょうね。普段の意識と違ったベクトルがはたらいてしまうのでした。


 

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