住職のつぶやき2003/10
2003年10月01日
●どこかで自分が被害者だと感じたとき、みずからの暴力に無自覚でいられる。
これを今月のことばに選びました。九月の初旬にベトナムへ行ってきました。そして戦争博物館を見学してきました。そこにはベトナム戦争当時の武器や写真などがたくさん展示してありました。本館が建設中でしたので、プレハブの展示室を次々に見て回りました。汗でシャツがびっしょりでした。
当時、アメリカが枯葉剤(ダイオキシンだそうです)の爆弾を投下しましたので、その薬の影響で生まれてくる子どもたちに奇形が発生しました。ホルマリン漬けの胎児も展示してありました。なんとも悲惨なことがたくさん展示してあって、目を背けたくもなりました。でも、最後の展示室でしたか、ベトナム人民を助けたアメリカ兵の写真も展示してありました。これには大変感動しました。普通であれば、アメリカがこんなに酷いことを我々にしたのだよという文脈で展示するでしょう。でも、その文脈だけでなく、ベトナムの人々を助けたアメリカ兵もいたのだという文脈も存在していたのです。ベトナムは被害者、アメリカは加害者という見方だけでなく、戦争はお互いにとって悲惨だったと受け止めることが、そこにはあったように思います。戦争終結から二十数年たっているせいもあってか、どうも、ベトナムのひとたちには、それほどアメリカを憎んでいる感じがないんです。アメリカからの墓参団的な意味合いの観光客が年間、ずいぶんたくさん訪れているようです。かつての戦場を、現在の眼から見てみたいという欲求は、どの民族にもあるようです。そういうアメリカをベトナムは受け入れています。
いつまでも後ろを振り返ってはいられないということなのかもしれません。街全体がゆっくりと近代化の波に乗っているようにみえました。小生の数少ない経験ですけど、中国人や韓国人の気質とベトナム人の気質はずいぶん違っていると感じました。どこか穏やかでおっとりしていて、ひとなつこく、勉強好きで、優しいという感じです。
以前にも書きましたけど、バイクの波には圧倒されました。あの大河の流れのようなバイクの波が、交差点で交差してゆく様は圧巻です。どうしてぶつからないのだろう?と不思議でならないのです。確かに年間一万件くらいの事故があるそうですけど、私たちは事故を目撃することがありませんでした。絶妙な間をたもちながら、ぶつかる前にお互いに避けていくんです。それでいて、お互いがお互いを邪魔だ!といって排除しようという感じがありません。おれが通るんだから、お前は待て!というエゴの強度を感じませんでした。おそらく日本であれば、「このやろう!」といって喧嘩になるに違いないんです。最近じゃ、クラクションを鳴らしたといって相手を殺してしまうという事件もありましたからね。ものすごく日本人の自我は、ささくれだっているように感じます。アレルギー状態になっていて、ちょっとの刺激で爆発してしまうような、過敏な自我にできあがってしまいました。そういう自我を感じているせいか、余計にベトナム人の自我の柔軟さに感動しました。かつての日本にもああいう自我があったように思うんです。なにか、とっさのことがあっても、余裕のある対応が生まれました。あの小津安二郎さんの映画のような、安心して見ていられる自我がありましたね。気品と落ち着きと優しさと、それでいて威厳のある自我がありました。ああいう自我に日本人は戻れるのでしょうか。
今月のことばのように、日本人の自我は、どこかで自分を被害者だと感じているのではないでしょうか。存在の根底に、「なんでオレがこんな苦しい世の中に生まれたんだろう」「生まれたくて生まれたわけじゃないのに、生み出されてしまった。頼みもしないのに、人間という生物として投げ出されてしまった」という圧迫感を感じているように思います。苦しめているものが、ハッキリ意識できていれば、それへのプロテストが起こります。でも、その対象が目に見えない形であるとしたなら、そのプロテストの感情はどこへ向うのでしょうか。プロテストの揮発性ガスが、日本人の自我にはどんどん充満して膨れ上がっているよう思います。
ですから、ちょっとでも、そのガスに火がつけば、なにが起こるかわからないという怖さも感じます。原爆を落とされているのに関わらず、アメリカに尻尾をふって迎合している日本は、馬鹿じゃないかという批判があります。そういう引火物を近づければ、アッという間にガスは爆発してしまいます。ベトナムの人々は、あれだけアメリカに攻撃されたけど、報復しようという恨みの感情からは逃れています。報復には報復で、目には目をという精神は、彼らにはないようです。それは、ベトナム人の至らなさではなくて、崇高な精神性でしょう。彼らは、確かに戦争は悲惨だった、でも、あれは自然災害と同じようなものだと受け止めているのではないでしょうか。あそこにはメコン川が流れています。いまでも洪水と氾濫はつきものだそうです。ああいう洪水と戦争は同じような質のものだと受け止めています。あの度量の広さはどこからきているのでしょうか。ベトナムの人民は八割が仏教徒だといいます。あれは仏教徒の受容力なんでしょうか。これはちょっと手前味噌ですかね。むしろアジア民族の受容力だといったほうがいいのでしょうか。
一神教の世界といっていいのかどうか分かりませんけど、彼らの世界では報復、いわゆる仇討ちは正当なんですね。報復しないほうが非人間的だというのでしょう。以前クリスチャンの先生から、こんなことを聞きました。あのハンムラビ法典や旧約聖書にある「目には目を歯には歯を」という言葉は完全な報復を意味してはいないと。むしろ「目をやられたら目を奪う程度にしておけ、歯をやられたら歯を奪う程度にしておけ」という意味で、目をやられたのにいのちまで奪ってはいけないという誡めなのだと聞きました。それでも、目をやられたら目だけじゃすなまいという感情が人情というもんですよね。でも、それでは報復の悪循環はおさまらないのではないかと思います。
そこにはやっぱり退一歩して、将来においては手を結べるという道をどうやったら開けるかと考えてかなければなりませんね。自分だけが負荷を負っている、被害者なんだと受け止めたところには、どんな報復の暴力も肯定されてしまいます。どうやったら、その負荷を帳消しにできるのでしょうか。ひとつには誰もが飢えることなく食べられるということが条件でしょう。ひとはひと自分は自分という個人を尊重する人間観も条件でしょう。そして、もっともどって考えると、共同幻想をやぶってゆける内面的な思想の確立でしょうね。それには自分の被害者意識を横において眺めることのできる「アソビ」がなくてはならないでしょう。
昨日の板東先生のお話でも、最近では「あそび」をしてゆきたいとおっしゃっていました。どんなに苦しいことでも、それを「あそび」と受け止められたら楽になりますよとも話されました。それを「あそび」と受け止めるまでには、先生の中でもずいぶん苦しみがあったはずです。目も見えず、おみ足もお悪いなかで、若き求道者に自己の求道の歴程を切々と語っていただきました。こういう、生きた「あそび人」を目の当たりにできることは幸せなことです。自己の内面にある、むさぼりや怒りや恨みの感情をどこまでも見つめ続けてゆかれるお姿を拝ませていただきました。
2003年10月02日
●「時が生まれる」。いつでも、どこにいても、満たされた時が生まれるようにしておかなければと思っています。それは、飢えずに、そして休息がとれ、自由に排泄できるという条件が整ったうえでの話でしょうけど。なぜなら、浄土へは臨終往生でないと親鸞が言っているからです。思いのレベルでは、明日も今日と同じような日が続くだろうと思い込んでいます。でも、身の事実のレベルでは、明日はないわけですね。必ず明日がない日があるわけですね。病院に入院して、でも退院できない日が必ずあるんです。そうすると、臨終のときに仏さまが迎えにきてくれて、それで極楽浄土へいくのであっては間に合わないわけです。思いが臨終をイメージするときには、必ず「次の瞬間ではない」という形でイメージします。今から遊離した未来を想定します。でも、それじゃ間に合わないんでしょう。今、即刻でないとね。そして、その今が、欲望を投影するための今ではなくて、時自身が生まれるような今でなければならないというわけです。時が、浄土という満たされたところから、今に流れてこないとダメなんです。今から、未来へ流れてはダメで、未来から今へと流れないとね。
そこに満足というものがないとダメなんでしょう。もうどうなる必要もない、すでにして満たされた時が、今を承認して今を豊かにしています。思いは永遠に満たされるということはありません。満たされたときには、この世を去るときでしょう。不満足というものが生きるエネルギーなんですから。これでよいということは決して言えません。そうなんですけど、でも、それであっても、この身全体が満足していて、これ以上もう何も必要ないという世界がないとダメなんです。現代の若者は、今が一番大事で、保証されない未来はいらないのだと聞きました。昔は未来にこうなりたいから、今を我慢するという方向性でした。しかし現代では、今友達と楽しくやりたいとか、今そこそこ趣味で満たされればいいんだと、今が関心の中心だと聞きました。この今志向は、現象正定聚志向なんです。今満足がほしいということです。今満たされなければ、やがて満たされるという保証はないのですから。そして、資本主義が「いま即座に欲望を満たせ」という無言の命令を私たちにしてきているのであれば、その到達点は今現在の完全満足ですね。
でもその満足は、人間から努力して至りつけないという逆説をもっています。努力してしまったら、とたんに未来志向になりますからね。むしろ、未来から今へ流れだしてきた満たされた時を受け入れるしかありません。それは欲求のレベルを下げるということではありません。我慢しろとか、欲求を少なくしろとか、精進料理だけにしろとか、そういう排除の論理ではありません。その手の欲求はどれほど満たしても、満足はありません。小生も、無言のダイエット命令を受け入れざるを得ません。だれが命じているわけでもないのに。
いえば、大木がそこにスックと立っている。そこにある満たされた時の満足でしょうか。植物は種が落ちたところから一生移動することはできません。雨の日も風の日も日照りのときもそこにとどまっています。そんな姿に感動したときに開かれてくるのが満たされた時でしょう。ということは、過去がヒントなのかもしれませんね。今が今として成り立ってきた過去にこそ、満たされた時の秘密が隠されているようです。今の成り立ちをどう見るかが、未来をどう見るかのカギですね。面白いことになってきました。未来のカギが過去だったなんてね。へえーっ、そうだったんだ。そこのところをもう少し考えてみたいですね。
2003年10月03日
●吉本隆明さんのCDが、弓立社から発売されました。たくさんあるので、全部は聞けていません。小生は車に乗っているときに聞くので、なかなか聞けません。それだけを聞くという時間はなかなかもてませんね。通勤でもしていれば、電車でイヤホンで聞けるんでしょうけど、それもかないません。
「還相論」を少し聞きました。これは、もう十年以上も前に浅草の教区会館で教団が主催して開いた会の録音です。質問もその当時の声が収録されていました。いまは亡き百々海さんの質問というか、批判も入っていました。大変懐かしかったです。
普通、宗教に入信して、真髄を極めてゆくという方向性を「往相」といいます。そして還相とは、その入信した境地から、もう一度、無信仰の地平といいましょうか、普通の生活に戻ることを意味します。普通は、信仰に入ると信心臭くなって、ひとを勧誘したり冊子を配ったりと、とかくお節介になる信仰者がいます。まぁだれでもその道は通るわけです。でも、その入信の状態から、もう一度、信のない状態、これを信のない状態といっていいのかどうか迷いますね。信仰が深まるといったらいいのでしょうか。「普通の人間」に帰るということが最終の課題になります。そして、親鸞は、唯一その還相の課題を明らかにしているわけです。
信仰には目に見えない精神的関門がいくつもあるように思います。その関門をくぐってゆくと、また次の関門があって、どこまでも関門をくぐり続けてゆくと、やがて最初の地点に戻ってしまいます。つまり未信の状態に舞い戻ってくるんです。それが「宗教の最後の姿」じゃないかと吉本さんは言っていると思います。なんでそうなるかというと、真宗の特徴なのかどうか分かりませんが、「逆説」を本質としているからです。関門の内部に入ったということは、関門の外に出てしまったということと同じなんです。こっちから阿弥陀の世界へ近づこうとしたとして、近づいてしまえば、阿弥陀の愛にゆとりが出てしまいます。悲願ではなくなってしまいます。この悲願は、救いから一番遠くの地点に対して起こされるものです。それなのに、いくらかでも阿弥陀のほうに近づいてしまえば、阿弥陀さんはホッとしてしまいます。そうすると悲願ではなくなります。阿弥陀さんにとって切実な、自分を賭しても救わなければならない存在ではなくなります。いくらかでも救いの可能性が見つかってしまえば、悲願ではなくなってしまうのです。でも、私たちは阿弥陀さんに救って欲しいから近づこうとします。
そして関門をくぐって近づいたような気分になるんです。でも、やがてその愛の逆説に気がつくわけです。仏を求めるということは、救いから遠ざかることなのだと。じゃあこのままでいいのかといえば、このままでいいわけはないわけで、そこで呻くわけです。でも、その呻きを聞きつけるのが阿弥陀の悲願というやつでしょう。何十年も信仰の内部にいる人間と、はじめて宗教を勉強した人間は、仏から見たら同じところに立っているわけです。立っていなければなりません。それは人間が決めた年数や経験であって、阿弥陀の方から決めたものではないからです。
還相とは、そんな逆説をあらわした言葉なのです。ですから、救いから一番遠くにあるのだと感じられたら、そこがおそらく、最終的な宗教の地平なのだと思います。そこは、自分を反省して落ち込んだり、罪悪感にとらわれたり、照れくさく思ったり、そんなところじゃないと思います。自分で自分をよしと、正当化することが、決してできない場所なんです。
2003年10月4日
●小生の同朋新聞の文章を読んで感動し、因速寺の行事に参加したいという方が連絡を下さいました。これはありがたいことですね。まさに、坊さん冥利につきるということかもしれません。でも、実際に会ってみたらガッカリして帰られる姿を思い浮かべると、「来ないほうがいいんじゃの〜」と言いたくなるのでした。嬉しさ半分、そして怖さ半分というのが正直な感想です。小生は、俄然、お坊さんらしくないしね。あの玄侑さんみたいな貞淑そうな感じでもないし…。なんといっても、自分が鏡に写っている我が姿をみても、全然お坊さんという感じがしないんですからね。「これでも、坊さんかよ!」と思ってしまうわけです。
先日も車を運転していて、外を眺めていましたら頭を丸めたお坊さんが荷物をもってセッセと道を歩いていました。小生は「アッ、お坊さんが歩いてるよ!みてごらん!」と子どもに言ったら、「自分だって坊さんじゃない」とたしなめられて、ハッとして我に帰りました。まあ「何とくらべてお坊さんらしくないのじゃ!」と仏さんから批判は受けるんですけど。そうはおっしゃられても、やっぱり、我が姿はお坊さんのイメージとはかけ離れた存在ですからね。会わないほうがお互いのためだと思うわけです。会うのは文字だけ、言葉だけにしておいたほうが身のためだと思います。
小生にとって、パソコンが仏壇のようなはたらきをしてくれています。パソコンの前に座って、「つぶやき」の文章を考えているとき、そこに思索の空間を作り出し、言葉を引き出してくれるのは、やっぱりこじつければ仏さんだと言っていいのでしょう。ですから、パソコンが小生にとって仏壇に相当するわけです。自分というミクロコスモスの扉を開き、そこから言葉たちを引き出してくださるのですからね。一番、自分自身に戻れる場所がパソコンの前です。戻れるというより、自分でも気がつかないミクロコスモスの世界を開示してくれるわけです。ですから、初めから分かっていることを書くわけではありません。何がでて来るかは予期できないのです。いつもいつも扉を開けて、そのコスモスの世界から新しく言葉を届けてくれるのです。小生にとっては、新鮮な驚きでもあります。同じものなら驚きはありません。一日一日と少しずつ変化しているのが日常でしょうからね。
そうそう毎年、因速寺では一枚(12カ月表記)のカレンダーを全門徒さんに郵送しています。平成16年の「浄土カレンダー」の下欄に空白があって、そこに毎年言葉を載せてもらっています。来年の言葉は、蓮如上人の「仏法は無我にて候ううえは、人にまけて信をとるべきなり」にしました。これはもう少し長い文章で、「『総別、人には劣るまじき、と思う心あり。この心にて、世間には物も仕習うなり。仏法には無我にて候ううえは、人にまけて信をとるべきなり。理をまげて情を折るこそ、仏の御慈悲なり。』と仰せられ候う」です。
この「人にまけて信をとる」というフレーズがいいですよね。この「まけて」は「負けて」だと思います。世間ではすべからく「オレが、オレが」でまかり通っています。人に負けてはならない、人に馬鹿にされてはならないという優劣感で生きています。普段はそうも思ってはいないんです。自分も優しいところもあるし、人情もある方だと思っているんです。でも、咄嗟にときには「オレが、オレが」がでて来るんです。社会関係の中では、これはあまり出ませんね。会社でお客さんを接客しているときとか、仕事関係の付き合いでは出てきません。人間はいろんな約束事があって、この場所ではこういうふうに振る舞うべきだという規制に従って動いています。ですから法事に来られた門徒の方が、いきなりジャージに着替えるとか、本堂に座ってお弁当を広げるとか、裸になって体操するということはしないわけです。どの場所で、どういうふうに振る舞うべきかが分かっているときには、あんまり「オレがオレが」というのは出てきません。ただ案外その規制がゆるいときに出てきます。呑み屋さんで仲間と飲んでいるときとか、ダベっているときとか、なかでも一番激しいのが家族関係ではないでしょうか。どのようにでも自由に振る舞える空間では「オレが」の出放題です。小生の内面ではそうなっています。親は子どもに対して、無遠慮に振る舞いますし、夫も妻も甘えの関係で、思ったことを口に出して生活できます。いつもは知らん顔の家族でも、たまたま来客が来ていっしょに夕食をするとなると、とたんに優しい家族を演じたりしますね。これも「オレが」の裏返しでしょうね。ひとから優しい人間だとみられたいんですね。自己防衛というやつですね。ひとから冷たい人間だとみられるのは自我が圧迫感を感じるんです。それは「オレが」を保存したいという防衛反応ですね。
普通の社会関係で、職場で「オレが」を出すとどうでしょうか。出された方は、仕事だから仕方ないなとあきらめて合理化できます。上下関係であれば尚更命令に従わざるをえません。気に入らない上司にでも我慢して従いますね。それは仕事だと自分に言い訳できます。でも、家族関係であればどうでしょうか。それは通じませんよね。すでに封建的な家観念が崩壊していますから、家族は無法地帯ですね。親と子と妻と夫と祖父母は、平等に「オレが」を表出できる場所になっています。そんなときに「ひとに負けて信をとれ」と聞こえてきたらどうでしょうか。
これはパレスチナとイスラエルのような問題にも当てはめられますよね。「負けて」それから第三の道を築けと。これは永遠の課題です。仏教には「悦服」という言葉があります。これは、オレにも言い分があるけど、今回はまぁ我慢して、相手の言う事に従っておくか〜と、我慢するということではないように思います。「喜んで服従する」という意味が「悦服」です。そんなことが、人間関係、あるいは国家関係で起こるのでしょうか。起こるかどうかはともかく、それが永遠の課題なんでしょう。
おそらく対人関係の前に、対仏関係で、その課題が解かれていないとダメなような気がします。蓮如さんは「仏の御慈悲」だと言ってますよね。自分が他人に対して服従するということではなく、まず仏が自分に対して服従しているわけです。全面服従です。小生が少しでも苦しみや圧迫を感じたならば、それは仏さまが至らないからだと大悲は誓っているんです。投げ出されてこの世に生まれてきたけど、もし少しでも苦しみがあれば、それは全部私が至らないからなんですと、仏は言っているわけです。ですから、苦しみの影に、仏さまの謝罪が潜んでいるんですね。「負け」は、仏さまの負けなんです。この完全敗北があって、人間は、ようやく息がつけるんだと思います。この「負け」を知っているひとだけが、対人関係にも「負け」を体験できるんだと思います。それはあくまで理想であって、小生ができているかと問われれば、ちょっと待って下さいと言うより他はありませんけどね。
2003年10月5日
●インドネシアのジャカルタから、「よびごえ」のお礼のメールが届きました。やっぱり電子メールはすごいですね。インドネシアから、瞬時に届くんですからね。それも日本語で届くんですね。小生のパソコンから国内の中継地点までは日本語で、そこから海外には英語に翻訳されて、またインドネシアのひとのパソコンで、それが日本語に翻訳されるんでしょうかね。海外には英語じゃないと飛んで行かないと思っていたんですけど、日本語が通じちゃうんですね。これは驚きです。
そうそう、本を注文するのもパソコンですし、事務周辺機器もパソコン注文ですし、預金の残高証明もできますし、メールの交換はもちろん、かなりの部分をパソコンに頼っているのが小生の日暮らしです。もう5台目ですもんね。でも、機械ですから、突然壊れてしまったり、あるいは、操作ミスで、情報を全部なくしてしまったり、動かなくなって困ったこともしばしばです。ですから、機械を完全に信頼しているわけではありません。しょせん機械は機械の限界をもっています。やっぱり、何といっても信頼できるものは、人間の手書きの書類ですね。それも毛筆が一番のようです。手書きであれば、たとえボールペンであっても、誰が書いたのかわかるんです。つまり筆跡というやつで、誰が書いたかを証明してしまうんです。パソコン原稿ですと、いちいち印字した人間の印鑑を押さなければなりませんよね。
パソコンは個性をもちません。個性がないから、誰でもが使えるわけです。それでも小生のパソコンのキーボードは「親指シフト」キーボードなので、かなり個性をもっています。普通はローマ字入力が圧倒的ですよね。この「親指シフト」というのは、富士通が開発したキーボード配列です。基本的にはひらがな入力なんですけど、親指シフトキーといっしょに押すと別の文字を表示するように設計されています。つまりひとつのキーに二つの役割をもたせているわけです。ですから、ローマ字入力だと「さ」と打つときにはS・Aと二つのキーを押さなければなりませんけど、親指シフトだと「さ」と一文字でいいんです。ですから、講演の記録をするときにはとても便利です。入力の速さは、他のキーボードが足元にも及ばないくらいです。でも、個性があるぶんだけ、だれでもが使えるものではありません。ローマ字入力に慣れているひとは、これを使うことができません。また、汎用ではありませんから、機械の値段も高いです。でも、一度これを使ってしまうと、他のキーボードに戻れなくなるくらいの魅力があります。個性とは、そういう種類のものでしょうね。
それでも、しょせん機械ですから、完全に信用はできません。フリーズという、パソコンを使ったひとなら、ゾッとする状態がおきます。画面が固まったまま、どこを押しても、うんともすんとも、なんの反応もしない状態がフリーズですね。このパソコンはまだ買ってから一年足らずですから、まだあまりフリーズはおきません。でも、徐々に老化してくるとフリーズの回数が増えてくるようです。ですから、最終的には、絶対に失いたくない情報は、他の媒体にコピーをとっておいたり、あるいは手書きで情報を保存します。とくに、いろんなパスワードは、手書きで別のノートに書いておきます。IDやパスワードは、結構たまってくるんですよ。どれが、どのパスワードだったのか、だんだん混乱してきます。メールでも、メールパスワードと接続パスワードとがあって、どこにどのパスワードを入れるのか間違えていたこともありました。便利になった分だけ不便になるということは、当然のことですね。新幹線が止まれば途端に不便になります。徒歩で移動していたときには、不便はありません。それは便利がないからです。便利と不便は背中合わせで、便利が増えるほど不便が増えるんです。
寺という場での仕事は、いたってアナログです。墨筆で法名を書いたり、お経を読んだり、話をしたり。これらは、機械をまったく媒介にしません。ウエットの中のウエットな仕事です。どこにもドライな感覚はありません。人間のウエットな部分には、そういう次元のことが通じますね。いわゆる「情」というやつですかね。情というのは、なんとも、いわく言い難い部分ですね。西洋では、つね日頃、愛していると伴侶に伝えておかないと、離婚されてしまうと聞いたことがあります。でも、日本人は、口で情を表現することが苦手ですよね。まぁ西洋のひとも、必ずしも心が伴っているわけではなくて、社交辞令として言っているんだとか、保険的な意味で言っておくだけだよ、ということも聞きました。ですけど、日本人はたとえ社交辞令としても、それは無理でしょう。「可愛さあまって憎さ百倍」とか「犬猿の仲」とか、「同床異夢」とか「愛憎はあざなえる縄のごとし」とか「恋は盲目」とか、さまざまに人間の情の微妙さをあらわしていますね。
寺は、存在していないひとを媒介にして行事が進みます。通夜から葬儀から何回忌というのは、すべて主人公は存在していません。存在していないひとの命日から出発します。極めて情的ですね。情を外せば法事は成り立ちません。つまり、この世に存在していないということの大切さを感じ取るイベントですからね。目を開けて見れば、そのひとは存在していません。無です。でも、目を閉じて感じてみると、そのひとの面影が思い浮かべられるじゃありませんか。このイメージはどこにあるんでしょうか。無ではありません。かといって有でもありません。無と有の中間のところにあるんだと思います。まさにそれは情の空間ではないでしょうか。
ですから無いことが大事なんですね。無いことにどれだけのイメージを膨らませることができるかです。自分のいのちの過去だって、生まれてから記憶に残っているだけではありませんよね。生命の歴史をへて自分にまでいのちが流れてきているわけですから。それは目には見えない歴史です。でもジッと目をつぶって自分のいのちを内観してみると、目には見えないいのちのたくましさに感動します。そして、このいのちは自分のものではないという実感がやってきます。
そんなことを考えていても、日頃は、実に自分を大切にするなんてことにはなっていないんですけどね。「そんなことばっかり言っていると、お坊さんみたいになっちゃうぞ!」と脅迫する声が聞こえてくるんです。
2003年10月6日
●「治安」について考える番組をNHKでやっていました。なかでも窃盗団がどういう家を狙うのかということで、ゾッとしました。まず、高額納税者のリストをもとにして、職業欄に「農家」とあるところをチェックします。高額納税者ですから、お金持ちであることは分かりますね。なぜ農家なのかといえば、全員が農作業に出て留守である確率が高いからです。それからもうひとつは、高額納税者であって、しかも職業欄が空欄であるところにチェックを入れます。そのわけは、無職ということは、土地で大儲けしたか、株で儲けたかのどちらかだからだそうです。そのチェックをもとにして、物件の物色に当たるそうです。
番組には、元暴力団関係者がモザイクで出演して、手口を紹介していました。日本の状況は日本人が情報収集し、実行部隊は中国などの外国人を使うのだそうです。犯罪をおこなって、すぐに帰国させてしまえば、つかまることがないからです。意外だったのは、ここ数年の犯罪発生件数は都市部よりも地方に集中していることでした。番組では、地方都市の中規模病院に連続窃盗に入った事件を紹介していました。なぜ地方なのかといえば、それは防犯意識が低いからだそうです。被害に遭った病院のほとんどは防犯設備を設置していなかったそうです。まぁこんな田舎に、そんな悪いやつはいないだろうという安心感ですね。地域が割合に顔の見える空間だという安心感は地方にゆけば感じますね。
小生も、以前大分の妻の実家の周辺をザックを背負って四時間くらい歩きました。そうしたところ、村中で小生が歩いていることを知らないひとはいないというくらいに情報伝達していたのでビックリしました。まぁ歩いているのが小生であるということを知っているひとはいませんけど、「なにやら見知らぬ人間が歩いていた」という情報が伝達されました。ですから、村全体が自然な防犯組織にできあがっているわけです。でも、今回の事件は、その盲点を突いた犯罪ですね。犯罪組織の根拠地は東京であっても、高速道路で地方へ行って、そこで犯罪をしてサーッと高速で逃げてしまえば足どりがつかめないのも納得がゆきます。村人の中に犯罪者がなくとも、外から侵入し、あっという間に去ってゆくのであれば、それは、まさに盲点でした。
無菌状態の場所に、強烈な病原菌が侵入するようなもんですね。やりたい放題ですね。それはカギもかけていないでしょうし、そして隣とも離れているし、まして防犯装置なんか考えも及びませんよね。
それに対して、警察の不甲斐なさを放映していました。ともかく犯罪件数が圧倒的に増えてきた現在では、警察官の数が足りないそうです。確かに小生の周辺でも、交番にお巡りさんがいない状態が多いですね。地域の見回りにでかけていて留守だそうです。交番には電話しか置いてありません。これじゃもしものときには、何ら役にたちませんね。いまは、交番よりも、コンビニが頼りになる防犯拠点なんだそうですね。二十四時間営業ですから、必ずひとがいますし、通報装置も発達していますから、もしものときにはコンビニに逃げ込むといいようです。
ともかく犯罪が多発していて、軽度な犯罪にまで手が回らず、重度の犯罪を重点的に解決して、威信を保ちたいという考えのようでした。取材中でも、喧嘩の鎮圧に現場の警官から要請の無線が入りましたが、こっちも手が放せないから応援は無理だと応答していました。この番組を見ている犯罪者にとっては朗報だと思いました。うまくやれば、つかまらずに事を実行できると考えるはずです。ハハーンと思ったんです。因速寺でも、賽銭泥棒の実行犯が墓地に潜んでいるとき、110番をしたけど、なかなかパトカーがやって来ずに、とうとう犯人は塀を乗り越えて逃げてしまいました。警官が来たときには、時すでに遅しで、墓地には賽銭箱が転がっていました。そりゃそうだよなぁ、次から次へと犯罪が起こっているのに、たかが賽銭泥棒ごときに真剣になれるか!というのも分かるような気がしました。やはり、ひとが一人くらい死んでいないと、警察もまともには取り扱ってくれないんでしょうね。いやな時代になったもんです。もう、こうなったら自分で自分を守るということしか道はないようです。今後、ますます犯罪が増えてゆく傾向になりましょうから、自衛をどうするかですね。
出演していた警察関係者は、今後の対策として地域全体が自衛という観念をもっていろんなことを考えてゆくしかないという雰囲気でありました。これは地方には、まだ有効な考え方かもしれませんけど、東京ではどうでしょうかねぇ?小生の町会でも、もはや地域共同体は壊滅的だと思います。郷土愛なんて皆無です。たまに御神輿を見ることもあるんですけど、まったく町会役員とその周辺でやっているという雰囲気ですよね。これは、町内にマンションや団地があるためだということもあります。マンションや団地は、自分たちで独立した自治会をもっていますから、地域とは無縁です。そうすると、同じ町内の人間という感覚は生まれませんし、治外法権の国家が町内という空間にポツポツとできあがってきたようなおかしな感覚です。まぁ、道を歩いていても知らないひとばかりですから、気軽といえば気軽な面もあります。これは都市のよさでしょうね。匿名で生きられるという自由さがあります。近代以前の社会であれば、どこのだれが何をやっているかが、地域住民にすべてバレていて、暮らしにくいということがありましたよね。あそこの家の誰々が、何々会社に勤めたとか、あそこの子が離婚して出戻ったとか、そういう町内のゴシップは結構氾濫していました。そういうことから考えると匿名性は自由ですね。空気になれますからね。どっちがいいのかといえば、小生は都市の匿名性が好きです。これは楽ですよね。道を歩いているとき、「こんにちは。お出かけですか?どちらへ?」なんて、聞かれることもないんですからね。まぁ、「こんにちは」くらいに収めておけばいいんですよ。「どちらへ?」は余計なことなんですよ。そういう気遣いが必要だ思います。ひとには、いろいろ事情があるんですからね。
ですから、つながりの強い地域社会より、つながりの薄い地域社会のほうが小生は好きです。その反面、防犯という面では、弱いんですね。ですから自衛するしかありません。因速寺でも、四回くらい賽銭泥棒にあってますから、警報装置を設置しています。防犯と防火の両面の装置です。でもなかなか、実際の犯人はつかまえられず、我が家の住民がよく引っかかってしまうんですよ。聞くところによると、そういうケースが多いですね。あんまり我が家の住民が引っかかってしまうので、防犯装置の電源を切っているというケースが多いようです。因速寺では、住民が引っかかっても、それにもめげずに毎日、毎日せっせと防犯装置を作動させているのでした。
小生も、一度防犯装置に引っかかってしまって、大きなベルが鳴りだして、そのまま逃げてしまったことがありました。酔っぱらっていたせいもあってか、なんでそんな行動をとったのか、後で考えてみてもよく分からないんです。
まぁ自分の内面に泥棒の視座を繰り込んで考えるという傾向をもつことが大事だと思います。外からどう見えているのか?これは、防犯だけでなく、すべてに通じることだと思います。どうしても目は自分から外を見るように出来ています。なかなか外から自分がどう見えるかということが分かりません。それは不可能なことですけど、外から見えたらどう見えるかなぁとイメージすることです。このイメージ力が大切です。
自分は外からどう見えるのか?宗派は外からどう見えるのか?日本は外からどう見えるのか?常に「外から」という視座を繰り込んでいないと、なかなか本質は見えないように思います。
2003年10月7日
●イメージ力について
目を閉じると、亡き人を思い出すことができます。目を開けると、面影は消えてしまいます。これは不思議なことです。そのひとは死んでいますから、目を開けていれば、見えません。存在していないのですから見えないのは当たり前です。でも、無かといえば、そんなことはありません。無ではないのです。なぜなら目を閉じるとそのひとのイメージを思い出すことができますからね。イメージとして亡き人は存在しています。目を開けているときには見えない世界です。このイメージの世界のほうが本当じゃないかと思うこともあります。
つまり見えない世界のほうが本当じゃないかと。星の王子様も言ってましたよね。「ほんとうのものは見えないんだよ。目でみることはできないのさ」と。見える世界は何かのシンボルなんですね。そのシンボルを通して、見えない世界をイメージするんです。自分のいのちの過去をイメージしてみます。地球が出来上がってから、いのちが発生し、そのいのちから連綿として小生にまで受け伝えられてきたいのちをイメージします。これは見えない世界です。見えているのは、小生であり、親であり、兄弟だけです。この見えている世界から見えない世界をイメージします。
ものだってそうですよね。ものの成り立ちをイメージしてみます。すると、そこには無量無数の因縁がイメージできます。イメージ力が低下していることが、大問題なんでしょうね。それは、空想の世界です。空想の世界をどうやって広げてゆけるかということです。阿弥陀経なんか空想の世界でしょう。でも、その空想の世界が、実は人間にはとても大切なんだと思います。近視眼的には、空想は不必要です。車を運転するのに空想はあんまり役に立ちません。むしろ邪魔かもしれません。でも、マクロに見ていったとき、自分の一生はなんのためなのか?とか、世界はどうして有るのか?とか、なんで死ぬために人間は生きるのか?という問題に対しては、ものすごい力を発揮します。
未来は見えません。見えているのは現在であり、過去だけです。この過去を通して未来をイメージするわけです。未来は考えてみると、「思い」の中にしかないんですね。どこにもありませんよね。「未来だ」というときには、まだ分かりませんし、「未来」は常にいまになって、過去になってゆきます。人間に分かったときには、それは過去になってしまいます。ですから、未来はどこにあるかといえば、過去でしかありませんね。
不思議なことです、700年まえに書かれた歎異抄が、現代を照らす鏡なんですからね。時代を超えて、ほんとうの世界を暗示しているのが歎異抄です。過去にこそ、ほんとうの未来があるといえそうです。ですから、未来を尋ねるということは過去を尋ねることなのです。過去は失敗の連続で、未来にもっとよいことがあるんだと考えてしまうと、それこそ夢想になります。未来のカギは、過去が握っているんでしょう。
2003年10月8日
●吉本隆明さんのCDを聞いていて、ちょっとどうかなぁと思うことがありました。それは我々の教区が主催した研修会での質疑応答でのやりとりの中にありました。話は永遠の課題と緊急の課題の問題から派生していました。吉本さんが、たとえば事故で手や足を失ったひとがいて、そのひとの問題が完全に解決するということはどういうことかという問題提起をされていました。まぁその障害者に、保険の制度を整えろとか、仕事を与えろといった問題が当然あって、その次元の問題は、「緊急の問題」に属する問題だといってました。でも、制度や条件の改善という「緊急の問題」がいくら解決しても、それで問題は全然済まないといいます。つまり、外的な問題が解決しても、そのひとの内面的な問題(たぶんそういうことかと了解しましたけど…)は済まないので、それは「永遠の問題」に属することだといいます。そしてその両方の問題が解決しないと本当の問題の解決にはならないのだとおっしゃいました。
その問題を受けて、ある人が、それでは永遠の問題が解決するということは、そのひと個人の内面で、そのことを受け入れて乗り越えるということがなければならないのではないか?と質問しました。それに対して吉本さんは、それは全然違いますと反論していました。解決には様々なレベルがあって、優秀なひとは、障害があっても、刻苦勉励して手がなくても針仕事ができるとか、ものすごいひとがいて、一般人よりすごいひともいると。でも、それはそのひと個人の解決であって、社会的な解決にはなっていない。その他大勢のひとの解決には何ら関係ないことじゃないかとおっしゃいました。解決にはレベルがあるということは小生も賛成です。保険の問題や就職口の問題など、そして針仕事などの自己の能力開発も大切でしょう。でもそれでも、全然解決しない問題は残るので、それは各個人の、個人の場所から、そのことを受け入れて乗り越えていくということでなければ「永遠の問題」は解決しないし、その個人の内面でしか解決の場所はないと思いました。それは外的に解決できないと吉本さんもおっしゃっているように、極めて個人的な内面の問題に還元さぜるを得ないのじゃないでしょうか。要するにひとには分からない問題ですよね、永遠の課題って。
確かに、社会が本当の理想の形になるということが大切なんです。だからといって、個人の解決は他人に影響をもたらさないということはないし、要するに社会といっても、個人の寄せ集めなんだから、その各個人の内面のところで解決がなされなければ、永遠の課題は超えられないと思うんですけどね。もし個人の内面に還元できなければ、それは緊急の課題では半分しか解決していないよと否定的に語るしかないじゃないですかねえ。永遠の課題の解決は、極めて個人的なところにしかないよと言っちゃったらどうなんでしょうか。「個人」という言葉がダメなら「実存」と言い換えてもいいんですけど。
まぁ、刻苦勉励して手仕事を熟練していなくても、だれでもが、自分の障害を受け止められて、そのうえで乗り越えられる場所はどこにあるのかということだと思います。いつでも、だれでもが、その苦しみを受け止め、乗り越えるということがどうして可能なのかというのが突き詰めてゆくと親鸞のテーマだと思います。それも、自力修行ではなく、なんにもしないで、乗り越える方法がなければなりません。それが公の道なんですよね。万人に公開された道じゃなければなりません。
社会には様々な段階があって、いまの社会が果たして「進歩」に向っているのか「頽廃」か、「滅亡」かは、最終的に見届けないと分からない問題です。地球科学では、最終的に地球は爆発して滅亡するということが、自明のことになっているそうです。そう考えると、今現在は退歩なのか進歩なのか、果たして何なのかは分からないことになります。そうすると社会がどのような段階にあろうとも、その時代に生きた人間が、その時代を「現代」と感じ取り、その場所で救いが成り立たなければなりませんよね。つまり永遠の課題は、どの時代でも、社会がどんな段階にあろうとも、その時点で解決されたということがなければ、救いにはなりません。やがて来るべく社会制度などが完備されて、誰もが平等だと思える社会ができても、劣等感の問題や、差別の問題はなくならないように思います。それは、極めて実存の内面にある問題だからではないでしょうか。
最終的には、この世とこの身体とをどのように受け入れるかという、根っこのところにある問題が永遠の課題の問題だと思います。
でも、自分だけ救われて、それでいいんだと言っているわけではありません。根っこのところには、そういう、「世界と自己」の受容があっても、それだから、それで全部解決した、といったら言い過ぎです。最終的に、救われた人間の語る言葉は、阿弥陀さんの本願のような形になるんじゃないでしょうか。つまり、「生きとし生けるものが、すべて救われなければ、自分の救いは完璧なものではない」となるでしょう。目の前に苦しんでいるひとを見て、それでも「自分は救われてよかった」なんて、言えませんよね。目の前のひとの苦しみにこころが動くというのが人間ではないでしょうか。だから歎異抄(4条)でも、「いそいで自分が、まず仏にって、思うように人々を助けることができる」と示されているのでしょう。自分が仏になったのであれば、ひとを助けることも完遂できるでしょう。しかし自分は仏ではないのですから、助けることを完遂できません。でも、助けることができなければ、自分自身の救いも完成したものにはならないのだという悲願がありますよね。
ですから、すっ飛ばして言ってしまえば、永遠に救いの完遂はできないのだという絶望のところに立つと同時に、自分はその完遂の初めの一歩のところに立つということでしょうか。救われたが故に、救いの一歩手前に立つことができるといったらいいのでしょうか。涅槃経の阿闍世の無根の信が浮かんできました。阿闍世は、最初、地獄へ落ちるのを怖がっていたのですけれども、やがて「すべての人々が苦しみを受けるならば、自分はその人々の代わりに苦しみを受けて、それでもいいんだ」と転換します。あの阿闍世の精神が、たぶん救われた人間のこころに広がる世界だと思います。
2003年10月10日
●昨日、父の分骨を本山に納めてまいりました。母と弟と息子と小生の四名で行ってきました。東京は秋冷という感じでしたので、京都はさぞやと思って準備したのですが、天候もよく、まるで真夏日のような暖かさでした。まだまだ、紅葉には早く、観光シーズンは到来していない様子でした。
本山には須弥壇収骨というシステムがあって、親鸞聖人の木像が安置してある須弥壇の中にお骨を納めます。なんでこんなところに納めるようになったのかはよく分かりません。まぁ、東本願寺は四度も火災に遭ってまして、その度に再建の財力・人力が必要だったのですね。それで、本山を維持発展させるためのシステムを開発しました。それが「相続講」というものです。それに加入して一定金額を寄付金として納めると、御礼として須弥壇の下に分骨させてあげましょうというシステムです。
最初に他の参列者と共に先生のご法話をお聞きし、それから、本堂の裏に通されました。そこは暗い廊下でした。蝋燭の行灯がポッとともっていました。一同が参列して、そこに着座しました。すると係りのお坊さんが、桐箱に入ったお骨を須弥壇の扉を開けて中に収めます。一同合掌して、その場を後にし、本堂の正面に着座します。すると読経が始まります。他の参詣者と共に、焼香をしました。
なんで、そんなことをするのか、それはよく分かりません。それでも実にファンタジックな行事でした。おそらく親鸞聖人の御真影(ごしんねい)のおそばに参りたいという門徒の要求に応えた形が、須弥壇収骨なのでしょう。親鸞自身は、「おれは、そんなところにおらんぞ!」と言っているかどうか分かりません。しかし、門徒の情は、宗祖・親鸞聖人といっしょにお浄土に生まれたいという欲求が強かったのでしょう。そのシステムが出来上がった当時は、現在以上に人気があったのではないかと推測します。現代では、なぜそういうシステムがあるのか?なんで、親鸞聖人の木像の下に納骨するのか?なんで、こんなに暗い場所でおこなうのか?などの疑問をもつひともないようです。ただ、そういうものなのだと受け入れているように見えました。
お骨は確かに八センチ四方の桐箱に入っているから、スペースはとらないでしょうけど、毎日これだけの骨をあの狭い場所に納めたならば、物理的に収納は不可能だと小生は疑問をもってしまいました。妙に興ざめしている自分を発見しました。
本山での納骨が済みましたら、次は東山の八坂神社の上にある大谷祖廟へ納骨にゆきました。ここは親鸞聖人の骨が埋まっているといわれる場所です。読経を聞いて、それから階段を上って納骨の儀式を受けました。こちらのほうが、何となくおもむきを感じました。納骨するお墓の背景はすべて東山の緑ですからね。少しく感動しました。
ついでといっては叱られますが、せっかくですから、曽我量深先生のお墓と安田理深先生のお墓にお参りしようと思いつきまして、寺務所で墓地の場所を尋ねました。案内図をもらいました。「新1区の15番」が曽我先生、「2区の42番」が安田先生でした。しかし、この大谷の墓地は、地理的、歴史的な事情があって、段々畑のような墓地になっていますので、目指すお墓にたどり着くには大変な苦労をしました。夏日のような太陽が、容赦なく照らしますので、汗を拭き吹き、墓地の階段を上りました。安田先生も曽我先生も、同じような竿石の小さな、かわいらしい墓地でした。両先生らしいなぁと思いました。曽我先生のお墓は「同朋有志」となっていて、建立の月日も「昭和44年」となっていました。確か先生は昭和46年6月20日がご命日ですから、亡くなる二年前に建てられたもののようです。竿石の南無阿弥陀仏の文字は、どうも曽我先生の文字のように見えました。
息子が、「これは誰のお墓?」と聞きますから、「お前のいのちの恩人のお墓だよ」と答えておきました。もしこの先生がいなければ、お父さんは仏法の流れに触れることはできなかっただろう、そして、大谷大学にも行かなかっただろう、もし大谷大学に行かなければお母さんとも出遇うことはなかっただろう、だから、お前は生まれていなかっただろう、そうして煎じ詰めてゆくと、いのちの恩人だということになりましょう。
曽我先生は、「これから、ますます仏法は明らかになってゆくことでしょう」とおっしゃっていたそうです。つまり、末法史観には立っておられなかったのです。末法史観は衰退史観でしょう。時代が下れば、ますます仏法から遠ざかってゆくのだと、やがて仏も法もなくなってゆくのだという衰弱史観です。でも、曽我先生は、ますます仏法が発展する時代になるのだと考えておられました。そうでしょうね。問題は常に新鮮な時代の要求です。でも、その新鮮な要求に答えるものは、古典なのでしょう。「温故知新−故きをたずね、新しきを知る」ということだと思います。だから、問題が新しければ、また新しい輝きを太古の知恵は放つはずなんです。それは、新しい言葉の創造でしょう。言葉の創造というよりも、言葉の世界の創造ということではないかと思います。ひとつの言葉を作り出すというよりも、言葉の世界が大事だと思います。ひとつひとつの言葉がかもしだしている言葉の世界ですね。たとえば、歎異抄の言葉の世界、あるいは詩のもっている言葉の世界、あるいは吉本隆明さんの言葉の世界、曽我先生のもっている言葉の世界。言葉は、単語で独立しているという面もありますけれども、他の言葉たちと連携を取り合って存在しているも言えるわけです。それは「文体」といってもいいのかもしれません。作家はそれぞれ自分の「文体」というものをもっていますね。でも、文体ってなんだ?そこに出してみろといわれると困るんです。だって、言葉は、五十音の羅列ですし、漢字は約1万語あるわけでしょう。それらを組み合わせたものが文章ですし、そこからかもしだされてくる雰囲気や匂いのようなものが文体ですよね。だから、捉えどころがないわけですが、しかし、そこに厳然とあるものでしょう。そういう文体が生まれてこないとダメなんでしょうね。
まぁ、小生はいままで専門用語として真宗が使ってきた言葉を、もう一度、各自の実感の場所から、とらえ直してゆくことが大切だと思っています。出来上がった言葉を使って通じている世界は、いつでも閉じてゆきます。まぁ経済効率を考えれば、単純な言葉で、全体に正確に伝わればいいんでしょう。たとえば、科学記号なんかはそうですよね。H2Oが水以外を指しては困るんです。混乱しますからね。でも、こと実存の問題に関しては、その水の美味さやまろやかさ、温度によって姿を変えてゆく不思議さなど、記号から漏れてしまう部分をこそ表現してゆくことが大切なんでしょう。有名な話ですけど、先生が「氷が溶けたら何になる?」と子どもに聞いたという話がありましたね。子どもは「氷が溶けたら春になる」と答えたそうです。先生が予想している答えは「水になる」でしょう。でも、それは記号の世界ですね。人間の世界は、そうではありません。そこから漏れてしまった世界、そこに大切なものがあるんですよね。ひとの一生を単純に表現すれば、「生まれた、そして死んだ」でしょう。でも、その間に悲喜こもごもの豊かさが挟まっているんですよね。
2003年10月11日
●昨夜は、別所哲也さんと柿沢未途さんのトークショーとショート・フィルム鑑賞会に行ってきました。ショート・フィルム映画は以前、アメリカン・ショート映画といわれていたそうです。日本語に訳せば、短編映画となります。ヨーロッパやアメリカでは、監督志望者の登竜門的存在になっているそうですが、あまり日本では知られていません。別所さんが、ジョージ・ルーカス監督に一通のメールを送ったところから、日本での映画祭が企画されたそうです。ルーカス監督もショート・フィルムの制作を通して、現在に至っているそうです。別所さんは、1999年から、ショートフィルム映画祭を主催されています。六本木などで六月に開催すると言っていました。
ショートフィルムの定義はまだ決まっていないようです。一応最長でも25分程度のものとしているそうです。作品は1分のものもあり、長いのは40分というようなものもあるそうです。つまり、映画は長さではないという主張があるようです。短くても、その中に、ひとを感動させる要素があり、かえって長い映画より、メッセージを直接観客に伝えることができるといいます。ですから、作り手も、学生あり会社員ありで、それこそ自由につくられているそうです。ジャンルも、コメディーあり、サスペンスありサブストーリーあり、ホラーありと、多種多様だそうです。
今回は、グランプリをとった二本のフィルムを観ました。「ザ・ライト・オブ・ダークネス」と「オフサイド」です。最初のはサスペンス調でした。アメリカのとある田舎道を夜中に若い女性が、ひとりで車を走らせています。ガソリンメーターも、すでに底を尽き、やがて車は止まってしまいます。恐怖に怯えながら、仕方なく彼女は眠ろうとします。ところが、怖そうな黒人が足を引きずりながら車に近づき、フロントガラスなどをドンドンと叩きはじめます。彼女は恐怖のあまり、パニックになります。それでもガラスは壊れないので、大きな石をもってきて、ガラスを打ち壊し、恐怖におののく彼女を、運転席から引きずり下ろしました。必死にハンドルにしがみつく彼女、しかし力尽きて地面を引きずられてゆきます。やられちゃうのか?!これからどうなるんだ!と思っていると、次の場面では、電車がやってきて、彼女の車をはねて引きずり、大事故を起こしました。もし、車に彼女が取り残されていたなら彼女は即死でした。そうなんです、その黒人は彼女を襲おうとしたのではなく、彼女を助けるために引きずり出したのです。
そこには、黒人は怖いものだという先入観が先にやってきて、とうぜん彼女が襲われているものだと判断してしまう私たちがいました。
もう一本のフィルムは、「オフサイド」です。場面は第二次対戦中のヨーロッパです。白黒映画でした。イギリス兵が塹壕のようなトンネルで、サッカーボールを壁にぶつけています。やがて、ボールを蹴ってしまいました。向こう側には敵のドイツ兵が、同じように塹壕に入って、機関銃でこちらを狙っています。すると向こう側から、ボールがポーンと返ってきたのです。イギリス兵は、白旗を掲げて、恐る恐る塹壕から這い出し、ボールを片手に泥んこの戦場に立ちました。するとやめろと制止する仲間を横目に、二人三人と塹壕から這い出しました。ドイツ兵は彼らを撃ちません。それどころから彼らもヘルメットをはずして、出てきました。つまり言葉も通じないのですが、暗黙の了解で、敵兵同士だけど、サッカーをやろうというサインを送ったのです。それにドイツ兵も応じて、この場でサッカーの試合が始まりました。ローアングルでカメラは泥んこのボールを追い、楽しく真剣にサッカーに興じる彼らを撮ってゆきます。最終的にどっちが勝ったのかよく分かりませんけど、試合が終わって、また再びお互いの陣地の穴へ消えてゆくという作品でした。
いまはお互いに敵兵として、国家の命令によって戦争をやっているんだけど、本当はこんなことやりたくないんだよなぁという感情が伝わってきました。エンディングでは、「聖しこの夜」が流れてゆきます。これは、あのリリー・マルレーンと同じだなぁと思いました。敵兵どうしが、リリー・マルレーンをいっしょに歌ったという。このサッカーの話しも、実話だそうです。観終わった時には、すごく感動している自分がありました。さすがにショート・フィルムのフェスティバルでグランプリを受賞した作品だと思いました。
ショート・フィルムの極致は、あのコマーシャルじゃないでしょうか。メッセージの基調は単純ですけどね。これを買って?とか、お金を借りて?とか、ものすごく単純です。それはひとつの欲望を叶えてあげましょうという提案なんですけど、そのなかに、これはすごいなぁというフィルムもありますよね。今年は、あの「ねんしょー系、ねんしょー系」というドリンクのCMが大賞を取ったと聞きました。たかが15秒か30秒の長さで、何かを伝えるという、これこそショート・フィルムの極致ではないでしょうか。いつでも、どこでも、場所を選ばずに、テレビで鑑賞することが可能ですしね。
全然話しは変わりますけど、念仏もショートですね。どれだけ、お釈迦様の悟りの内容をコンパクトに短く表現することができるかと考え抜いて、出した答えが南無阿弥陀仏ではないでしょうか。どうしても、悟りの知恵のきっかけは「言葉」を契機とします。人間には外なるものであって、実は人間の内を気付かせる契機です。言葉を立てないといって「不立文字」と禅宗ではいいます。でも、言葉なしには成り立たないでしょう。言葉を使って、言葉を超えるということではないでしょうか。
2003年10月12日
●吉本隆明さんに、「吉本さんのおっしゃることは、知ではなくて信と言ってしまったらどうなのでしょうか?」というような趣旨の質問をしたことがあります。そのときのご返事は、確かシモーヌ・ベイユのお話をされていました。ベイユにキリスト教の牧師が一生懸命、入信を勧めていたけども、入信しなかったといいます。それは、信仰でも、理念でもいいんですけど、そういうものを信じている人間は、信じていない人間よりも、どこかで上に立っていると思っているのだと指摘されました。「具体的には、ないんだけれども、どこかで、そう思っているんですよ」と。でも自分は、そういう信仰とか理念を信じているひとのほうが、信じていないひとよりも下にあれたらいいと思うとおっしゃいました。
これは、やっぱり、仏教的にいえば慢心ということでしょうね。うぬぼれというか、比較して自分のほうが上位にあると思っているということだと思います。でも、それは何かを信じているから自分のほうが上にあると思うということではなくて、人間の自我に潜在的にある問題だと思うのです。比較したり、自分のほうが上位にあるというのは、信仰とか理念がなくても潜在的にもっている問題でしょう。人間の自我は、どうもいつも揺れ動いているものなのだと思います。自分が自分であるということの根拠、あるいは必然性は、どこを探してもみつかりません。自分の身体を切り刻んで、これこそが自分だといっても、なぜそれがあなたでなければならないのかという問いには答えられません。別のひとであってもよかったわけです。やっぱり、人間は身体が先に生まれてきて、意識はあとからそれを受け入れるという順番になっているから、不安定なのではないでしょうか。意識のほうから、これが自分の身体だといえる必然性は、ないように思えます。だから、自我は不安定なのではないでしょうか。
それなので、自我は安定を求めます。いろんなものを周辺に集めて自我を固めてゆこうとします。ひとや物や意味づけを求めます。健康、お金、家族、地位、名誉、食料、肩書、土地等々です。差別心というものも、比較するこころから起こるのですけど、ごく簡単に自我を固めることができます。「あいつは馬鹿野郎だ!」と、相手をおとしめれば自分の自我が高められて安定します。自分は、馬鹿ではないという意味づけで守ることができますからね。
ですから、およそ人間である限りは、そこに慢心とともにあるのだと言えると思います。
でも、教団は、ベイユに入信を勧めた牧師のように、「教化」ということをしなければなりません。強制的な勧誘から、ちょっと試してみないというお勧めまで、程度の差こそあっても、やっぱり「教化」をしなければなりません。自分が食べてみて、美味しかったら、ひとにもどうですか?と勧めるのが、まぁ普通のありかたかもしれませんけどね。でも、信仰は、ある人には薬になっても、あるひとには毒にもなるものだと思うのです。まぁ「劇薬」ですかね。異安心という毒に陥らないという保証はないのです。薬が強力であるほど、毒か薬かの差は大きいです。
ひとに信仰を勧めるとき、そういう毒と薬のことをよく知った上で、おこなわなければならないということだけは言えると思います。教団は、自分のところの信仰は、絶対善だという立場から、勧誘するんですけど、それは間違いだと思うのです。それは信仰のなんたるかを知らないから、呑気なことが言えるのだと思います。原理がどれほど善であろうとも、ひとの状況は千差万別です。あるひとには薬でも、あるひとには毒ということもあるのです。
海図も地図もなしに山や海に入るような、恐ろしさを信仰はもっていると思います。とても微妙なセンスが必要なのだと思います。
2003年10月13日
●因速寺は、真宗大谷派の東京教区に属していて、その下部組織である六組に位置しています。ずっと教団あげて、同朋会運動をおこなっております。名前は厳めしいのですが、結局、仏法とご縁をもっていただくためのお勧めの運動ということに尽きます。名称は推進員養成講座と、これまた名前が厳めしいのですけど、まぁ要は、仏法とのご縁を日常的にもっていただけるひとになってもらうというだけのことです。
六組が、その講座を開催する順番に当たっていますので、来年度から聞法会を開催してゆく運びとなりました。しかし、この集いに参加してくださる人員をどのようにお誘いするかという大問題が持ち上がってきました。できるだけお若い方を、ということなのですが、30代の方は、やはり生活をするということが大半の関心事になっております。忙しいといえば、これは年齢に関係ないのですけど、やはりなかなか難しいことです。聞くところによりますと、三重教区は30歳代までという制限をもうけられているそうです。うちの六組でも、できるだけ若いひとをということなのですけど、やはり、40代から50代、そして60代までの方々にお勧めしていこうということになりました。原則論としては、求道に年齢は関係ありませんから、20代であろうと、70代であろうと、そんなことは無関係なのです。それはそうなのですけど、やはり40代・50代を中心にして考えてみようということになりました。人間を生きてきますと、いろいろと身内の不幸や、ご自分の病気など、人生の辛酸をなめられて、ようやく人間について、人生について、考えてみようという準備が整うのも事実なんです。
大無量寿経にも「易往而無人」と述べられています。「往き易くして、ひと無し」と。求道の道は、誰でも入ることは容易なのに、しかし、なかなか入るひとはいないものですと。仏法とのご縁を結ばれたかたは、いとも簡単に、そのハードルを飛び越えてしまうのですけれども、縁が結べないかたは、ラクダが針の穴をくぐるほど難しいものなのです。小生が、寺に生まれたということも、ラクダの穴程度のもんじゃありませんよ。なんといっても、小生のいのちの先祖は三十代前には十億七千万人ほどあるんですから。もし、一組の男女が出会うことがなければ、さらに、その卵子と精子がぶつかるという出会いがなければ、自分は寺には生まれていません。奇跡としかいいようがありませんね。それほど、難関のハードルを越えて今日、仏法に出会わせていただいているわけです。まぁ生まれただけじゃだめなんですけどね。それだけでは「宝の山に入りて、手をむなしくしている」ようなものです。
ともかく、そういう仏法との出会いの準備をしていこうということになって、六組でも準備会が開かれました。当日の日程やら、チラシの作成やら大変です。作業が終わってみんなで食事にゆきました。扇橋にある「味久(あじきゅう)」という磯料理店です。ここは、磯料理ならなんでも、ものすごく美味しいですよ。小生の気に入っているのは、サザエのエスカルゴ風というやつです。普通は壺焼きでしょうけど、これは壺の中にサザエを小さく切り、その中にバターとガーリックで味付けしたソースが入っているんです。絶妙な味です。それから、鯛のカブト煮ですね、絶品は。ビールに始まって、焼酎を飲んで気持ちよく店を後にしました。すると、「住職!」と声をかけるひとがいました。その方は先日、身内の方を亡くされた方でした。見ると、ご家族とごいっしょで、側の焼鳥屋さんから出てきたところだそうです。「じつは息子が、この焼鳥屋さんではたらいているんです!」とおっしゃる。続いて、「過去帳、書いてくれました?」と尋ねられ、「もう書いてありますから、いつでも取りにきて下さい」とご返事しました。いろいろとお話しして、小生たちの集まりの話をして、ぜひ聞法の場に足を運んでみませんかとお誘いしました。まぁダメだろうなぁ、たぶんお見えにならないだろうなぁと思いながらお声をかけました。またごいっしょに呑みましょうと握手して分かれました。
驚いたのは、次の朝です。その方がお寺に見えたのです。そして、その仏法の集いにぜひ参加させてほしいと申し出られたのです。こっちが、エーッ!とびっくりしました。本当ですか!という驚きです。でも嬉しいもんですね。お互いに酔っぱらって交差点で話したことが、ご縁になってね。もし、あそこで飲んでなければ、そしてあの時間に店を出なければと思うと、まさに不思議なご縁としかいいようがありません。こういう、不思議なご縁があるから、人間やっていてよかったと思うこともありますね。
別にお金が儲かったとか、そういう喜びとはぜんぜん異質の喜びですね、これは。一錢にもならないことだから、喜べるんでしょうね。人生、いたるところに落とし穴があるといいますけど、それは偶然の転換点かもしれませんよね。落とし穴に落ちなければ、見えなかった世界があるはずなんですね。そう思うと、仏法とはなんともありがたい起き上がりこぼしのようにも思えるんです。決して、人生に結論をもたせませんから、どこまででも、そのことを「過程」として受け止めてゆけるゆとりが生まれます。
ちょっと物分かりがよすぎるキライがあって、自分でも気持ちが悪くなってきましたので、この辺でやめておきます。外は台風のような大雨が、降っています。本堂の瓦に穴があいてるんで、雨漏りしないか心配です。本山の瓦どころじゃねぇーぞ、まったく。本堂を見に行って来なくっちゃ!と。
2003年10月14日
●小生は、寝るときにイビキがひどくて、周りの人に迷惑をかけています。これは鼻が悪くて、恐らく鼻腔に鼻茸があるように見えます。この鼻茸が腫れていて、鼻腔を塞いでしまい、鼻で呼吸することを妨げるために、必然的に喉から空気を取り入れなくてはならないからでしょう。特にアルコールを飲んだ後のイビキはひどいそうです。ですから、点鼻薬(点媚薬じゃない)が、一年中手放せません。これがないと不安で、外出したときに忘れてしまったことを思い出すと、もうダメです。どこかの薬局に入って点鼻薬を買わなければならないのです。何もしないでいると鼻茸が腫れてきて、鼻で息をすることが苦しくなってきます。それで、苦しいときには点鼻薬をシューッとひと吹きやります。するとたちまち、鼻の通りがよくなって、快適な気分にしてもらえます。なんだか地球上でも呼吸困難になることを体験しながら生きているようなものです。
もう何十年も点鼻薬のお世話になっていますから、メーカーや味、匂いにも敏感になりました。成分は塩酸ナファゾリンとか、マレイン酸が主成分なんですけど、メーカーによって微妙に薬の配分が違います。パブロン、コーワ、ルル等々いろいろ使ってみました。最近ではナザールの「スプレー」点鼻薬を愛用しています。これはなかなか香りもいいしのです。刺激の強いものは、噴射したときに鼻にツンときて奥にジーンと痛みを感じますから、ダメです。何十年も使っていると、これは後遺症が出るだろうと不安をもちながら使っています。以前、「思いっきりテレビ」で点鼻薬のことをやっていて、多く使用するとどういう結果になるかをやってました。すると、以前よりも鼻水が多く出るとか、大したことしか言ってませんでしたので、安心しました。
それでも、お医者さんにお話したら、それはやめたほうがよろしいということでした。専門の耳鼻咽喉科で診てもらって下さいということでした。それは、そのほうがいいに決まっていますよね。でもなかなか行かないというか、行けないという現状です。だましだまし、やっていれば、それで済んでいますので、万策尽きたときにしかお医者さんには行かないもんですよね。風邪を引いても、売薬でなんとかしようとあがいて、もがいて、どうしようもなくなったときにお医者さんに診てもらうというのが定石ですよね。 でもイビキは他人に迷惑をかけるので、なんとかしたいと思っていたところに、なんと「薬になるテレビ」で、イビキ解消法をやっていたんです。これが実に簡単です。それには梅干しを用います。梅干しを少しだけとって、バンドエイドに塗ります。それを眉間のところに貼るという簡単なものでした。鼻にそって、縦でも横でもいいそうです。テレビでは五人の男性にアルコールを飲ませて、この方法の効果を測定していました。結果は、五人中三人に効果がありました。二人はダメでした。これを見て、女房はさっそく試してみたくなったそうです。一番の被害者ですからね。しぶしぶ小生は、バンドエイドを眉間に貼って眠ることになりました。結果は、大成功だったそうです。小生は、鼻に少し違和感を感じていましたが、それでも、泥のように眠るので、ほとんど関係ないのかもしれません。
専門の医師に言わせると、梅干しのクエン酸がどこかを刺激して、効果があるのではないかと言ってました。漢方の先生は、眉間には鼻づまりを解消するツボがあるので、そこを梅干しが刺激するのだと言ってました。眉間に貼ってみると、少し梅干しのいい匂いがしてきました。寝る時間にはちょうどお腹も空いてくるころなので、なんだか空腹を思い出しました。美味しそうだなぁと感じつつ眠りにつきました。
でも、西洋医学でも、まだハッキリ効果が認められていないということに、逆に安心したような次第です。医学でもまだまだ分からない世界がたくさんあるのだと聞いたことがあります。以前にも書きましたが、若いころ、右下腹が痛みだして病院へ入院しました。これは盲腸だということで、明日の朝手術をすることが決まりました。ところが翌朝、再び検査をしてみると、すべて数値が正常になり、痛みも消えているのです。先生は、おそらく盲腸ではないらしいので、退院して下さいということでした。小生の部屋は二人部屋でした。もう片方のひとは瀕死の状態で、明日にでもいのちが終わる方でした、入れ代わり立ち代わり見舞い客が涙を流しては病室から出てゆきました。生と死の分かれ目を体験した一泊入院でした。
結局、西洋医学でもまだまだよく分からないことが多いんですよね。ですから、民間療法は馬鹿にできません。周富徳さんが、コーラに生姜を入れて、煮立てて飲んでました。風邪の特効薬だといってました。これも試してみたいなぁと思っています。
あの親鸞というひとも、風邪をひいたときには、布団をかぶって何日も寝るという日本人の伝統的な手法を採っていたようです。熱が出るときには、理由(因縁)があって出るのだから、それを放出させて、治癒を待つのでしょう。西洋流は、熱を即座に冷やすことで排除しようと考えます。赤ちゃんが発熱したとき、アイスノンを抱かせるという療法もあるんですよ。「鳴かずなば、鳴かせてみようホトトギス」ですね。日本流は「鳴かずなば、なくまで待とうホトトギス」ではないでしょうか。そういう結果が表れたことには、無量無数の因縁があるのだから、その因縁が自然にほどけるのを待つしかないというのが日本流のようです。いや、アジア流というべきでしょうか。待つということが、大切なんですけど、小生には難しい課題でもあります。もはや、心身ともに、ヨーロッパのサイボーグになってしまっていますのでね。
でも、今晩も、梅干しを貼るか?と聞かれたら、どうしようかとためらってしまうのでした。やっぱり、泥のように、そのまま寝かせてほしいと思います。ご迷惑でしょうけど。
2003年10月15日
●いま東京フォーラムで、「人体の不思議展」というのをやっています。最初は面白そうということで出かけましたが、見ているうちにだんだんと、気分が悪くなってきて、やめてしまいました。だって、超リアリズムなんですよ。本物の人体を、輪切りにしたり、臓器だけを取り出してみたり、すべてプラスティック加工してあるとはいえ、ものすごいリアルさです。なんでここまでリアルにしなければならないの?と嫌気が差してきました。この人体の模型?模型じゃないなぁ、これは、本物なんだから、でも本物であって全然違っている物体?これは、いったいなんなんだぁー!
どうも単純に学術的な関心で、この「剥製」をつくっているようには感じられないんです。作り手の遊び心といいましょうか、技巧に走る様子が、なんとなくこっちに伝わってしまうんです。その遊び心が妙に、気分悪いと感じるんです。人体の皮を一部分だけ残して、それに人口の骨を細工して入れてみたり、これはなんだか、オモチャじゃないの?と思いたくなります。その遊び心を、実に学術的な関心でオブラードしているように見せるんです。まったく嫌になりました。
みんな献体された人体だそうですけど、こんなふうに見せられるんだったら、献体するんじゃなかったと、後悔しているんじゃないかなぁと勘繰ってしまいました。またこんなものを、素人の我々が見せられて、それで何を感じるのでしょうか。そこには知ることは絶対にいいことなんだという、そういう原理主義があるように思いました。ディスクロージャーとかいって、何事も情報を知る権利があるんだといいますけど、「知らぬが花」ということもあるわけですよ。手品だって、タネを見せられたら、興ざめですよね。見えないところに騙されて、それで喜んでいるという部分もあるんですからね。何事も、まるごと見えたら面白くないんですよ。人間だって、裏も表も見えたら、こんなに詰まらないことはないですよね。いくら素敵なアイドル歌手だからといっても、そのひとと全日いっしょに行動していたら、必ず興ざめすることになるわけですよ。見えないということの大切さを感じた次第です。
仏さんだって、丸々全部見えてしまったら、こんなに詰まらないものはないのでしょう。ですから小生は「チラリズム」と言ってるわけです。仏さんの顔はたまに見られればいいんですよ。毎日見えたら、こんなに鬱陶しいものはないわけです。女性の下着だって、チラッと見えるから色気があるので、丸まる見えていたら、なんとも感じませんよね。これは、すべてに通じる真理なんです。仏さんは、いつでも顔を見せているのかもしれませんけど、こっちはたまに見えればいいんです。そうじゃなくっちゃ、感動なんてものは起こらないんです。感動が起こるのは、意外性ですよ。驚きでしょう。驚きって、いままで見えなかったものが見えたり、体験したりするときに起こるんですよ。常時じゃなんとも感じませんよ。
以前、うちの本堂は暗すぎて、何が安置してあるのか、阿弥陀さんの顔も見えないような有り様でした。それで小生が住職になってから、小さいライトを三つ購入して、阿弥陀さんと親鸞聖人と歴代の絵像をライトアップしました。ですから、下からよく見えるようになりました。それで得々として、ある門徒のおばあちゃんに、「これで何が飾ってあるか、よく見えるでしょう。以前は真っ暗でしたからね」とお話しました。すると、そのかたは「何が飾ってあるか分からないほうが有り難いということもあるのよ」と切り返され、一本取られました。それもそうだなぁと、いまではつくづく感じております。「何事がおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙、流るる」でしたかね西行さんのうたは。そういうこともあるわけですね。「知る」ということは、譬えれば「手づかみにする」ということです。手づかみにされた情報には、感動はありえないわけです。できるだけ、「知らない」ということが感動の泉なのでしょう。「知らない」というこを知るために人間は生きているようです。これはまた、ソクラテスの「無知の知」みたいなことになってしまいました。
「真智は無知なり」という親鸞の言葉は重たいですね。
2003年10月16日
●紅葉見物に出かけて、見事な紅葉を見た後、ロープウェイの事故で御夫婦が亡くなりました。ゴンドラがロープから外れて鉄柱にぶつかった反動で振り落とされたようです。原因の究明はこれからおこなわれるようですが、関係者は、なぜゴンドラがロープから外れたのか、まったく考えられないと言っていました。点検やら安全装置がちゃんと作動していたのに、なぜ?と言っています。まぁ事故は、予想もつかないところからやってくるものなんですね。いつでもそうです。理性は、こうすればああなるという法則性をもとにして機械を作っていますから、その範囲内の出来事しか予測できないわけです。いつも、「まさか」ということで事故は起こります。
それは多重偶然性ですね。つまり、ひとつの偶然性では、それほどの事故は起きないのですけれども、その偶然性がたくさん重なって起こるということです。もし、その旅行に行こうという気がおきなければ、当然事故には遭いません。夫婦のどちらが誘ったのかは分かりませんけど、どちらかが同意していなければ、あるいはどちらかの夫婦に別件の用事があったならば、旅には出ていません。また、その夫婦が直前に病気で旅にゆけなければ、夫婦喧嘩でもしてキャンセルになれば、事故には遭いません。もし、御岳のトイレに行っていて、他のひとがそのゴンドラに乗っていれば、事故には遭いません。その他にも、見えないところにはたくさんの偶然性が重なっていることが分かります。
起こりようもないところに、起こるものが事故です。まぁ、飛行機がその最たるものでしょうね。万が一といいますけれども、万が一でも事故は必ず起きます。それは理性の予想を裏切るようにして起きます。何百トンもある巨体が、空を飛べるはずがありません。理性は、計算して飛べるということを実証していますし、普段はそれに乗って移動しているわけです。でも、いつ落ちても不思議ではないということを、どこかで知りつつ乗っているわけです。小生は、そのスリルが好きで、飛行機に乗ってるんですけどね。でも、なかなか落ちるものでもありませんけどね。でも、思いを超えたところから事故はやってきますから、絶滅させることはできないのです。飛行機の耐用年数というものがあるんですけど、先進国で使われていた機体は、発展途上国にどんどんセコハンで売られてゆきますね。その後はどうなっているのか、小生はよく分かりません。落ちたときが、賞味期限切れということになるんでしょうか。インドに行ったとき、ビーチサンダルを履いた現地人が、我々の乗る飛行機に燃料を入れていて、ハイテク機とビーチサンダルというアンバランスが、妙でした。落ちそうで、なかなか落ちませんけど、落ちたときには、やっぱりねと思えるんですね。
でも、あのロープウェイは、恐ろしいです。小生もたまに乗ることはあります。もし、ここから落ちたらとか、ゴンドラが止まってしまったらという思いがよぎることはあります。でも、あの支柱にぶつかるという発想はありませんでした。ぶつかった衝撃で、機外に投げ出されたときに、あの夫婦は何を見ていたのでしょうか。支柱にぶつかった衝撃で、意識を失うほどのダメージを受けていたのでしょうか。もし鮮明に意識があったならば、落ちるまでの光景は、なにを見ていたのでしょうか。山の緑が、だんだん近づいてきて、一気に衝撃とともに意識を失ったのでしょうか。15メートルという高度は、ほんの一瞬なんでしょうけど、落ちてからも意識は少しの間とどまるものなのでしょうか。あるいは落ちかたによっては、骨折程度で済む場合もあるのでしょうか。病院についてから亡くなられたと、報道されてましたけど、あの場所ですでに亡くなられていたのではないでしょうか。
そして、この事故の一報を受けた息子さん(40歳)は、どのような衝撃を受けたでしょうか。小生も、息子がバイクの事故で、警察から「息子さんが、救急車で病院に運ばれて、口はきける状態です」と連絡があったと女房から伝言されました。その時の感情と似たようなものが起こったのでしょうか。不思議なもので、あまりに衝撃が大きいと、その情報が真実味を帯びて聞こえてこないのです。ものすごく、取り乱してしまうように思えるのですけど、いざ、その場面になってみると、なんだか実に冷静な感情が湧いてくるんです。これは衝撃が強すぎて、こころが、それをまっすぐには受け取れないように、衝撃を和らげるはたらきをするのかもしれません。
いままで、元気だった、両親の姿がこころのなかにあって、なかなか目の前に動かなくなった遺体を受け止めることはできないでしょう。寝ている姿と遺体とは、似て非なるものですね。たとえ寝息を立てずに、まるで死んでいるように眠っているときでも、やっぱり遺体とは違うかすかな動きがあります。なんといっても顔色がまったく違います。生きているときと死んだときの顔色の違いは、小生の父で体験しました。数十分前まで生きていた時の顔と、死んだ顔は、どこかが違っています。悲しみが襲ってくるのは、そのひとの元気だったときの面影がこころのなかに押し寄せてきたときです。死そのものではなくて、元気だったときの、笑い顔とか、シグサとか、そういうものが悲しみを引き起こしてきます。
ただただ悲しいんです。そんなことは、どっちでもいいぜ!と投げやりな気分でいっぱいなんですけど、社会的な約束事として通夜・葬儀を営まなければなりません。親戚が、そうしなさいと説得します。元気な両親と通夜葬儀という儀式とは、まったく結びつきようがありませんから。その現実を拒否したいという感情が、坊さんに対してぶっきらぼうになったりします。小生も、逆ギレ状態に会ったことがあります。電話の応対が逆ギレか、と思えるような態度でした。でも、次の日に実際、お会いしてみると優しいひとに変わっていました。死ということへの拒否感が、人間を変えてしまうのです。
息子さんたち、家族が、その現実を受け止めるまでには、どうしても時間が必要です。時間が癒してくれるという面があるんです。
でも、死は絶対ですね。だれにでも平等に課せられている出来事ですし、絶対に動かすことができません。まぁ、「死は体験できない」という逆説があるんです。体験したときには自分の意識活動はなくなっていますから、それを対象化して体験することは不可能です。ですから、二人称・三人称の死までしか体験できません。死については、考えることはできても、体験できません。ですから、死について考えるということだけが、人間に残された道です。死について考えはじめると、いままで考えていた「生と死」のイメージが変わってきます。仏教といっても、そのイメージの変化なんです。「死ぬのが怖くなくなる」とか、「いつ死んでもいい」とか、そんなに、大それたことを言う必要がなくなるんです。生の中にころがっている、死の匂いを感じ取り、それを大事にすることです。そうすると「生と死」のイメージの変化が起こり、その変化を味わえるようになります。それが、一番「死」と近いところにあるんだと思います。そんな保証はどこにもないのですけれども、小生にはそう思えるのです。
2003年10月17日
●今朝は、お茶碗に一膳と、お仏飯をふたつも食べてしまいました。控えめにしなくてはいけないのに、こんなに満腹では、どうしようもないなと感じました。「どうして控えめにしなくちゃいけないの?」と聞かれて、「なんとなく、食べすぎると体によくないと思って」と答えたことがあります。だれかに規制されているわけでもないのに、自分は自己規制しているのでした。昔から、「腹七分目で医者いらず。腹八分目で病なし」と言いますよね。でも、それが控えめにできないということが、実に浅ましいことです。満腹ですと、やっぱり、考えることもだらけてくるような気がします。どこかで、ハングリーになっていないとダメなような気もします。
モノがない時代には、なすすべもなくハングリーにならざるを得ませんでした。しかし、現代では、敢えてハングリーを作り出さなければならないという難しさがあります。いわゆるダイエット・ブームというやつですね。もう、日本全体がダイエットに沸き返っているといってもいいでしょう。何か太っているということが非人間的だといわんばかりの無言の強制力をもっています。アメリカでは、太っている人間は、自分の健康管理能力がないと評価されて、出世できないと聞きました。恐ろしい時代ですね。
そういえば、中国初の有人ロケット「神舟(シェンチョウ)5号」が、無事に着地後、乗組員の息子が、お父さんに尋ねた言葉の第一声が「お父さん、ご飯たべた?」でしたね。どこかの国も、「こんにちは」という挨拶が「ご飯たべた?」という言葉だと聞いたことがあります。まずご飯を食べるということが、健康や幸せの第一義じゃないかという生々しい人間のいのちからの叫びのようにも感じます。
それでも、いまテレビじゃ北朝鮮の飢えたひとびとの映像や、アフリカの飢餓のニュースが流れたりします。食えないひとが、地球上では、ものすごい数に登っているわけです。食べるのが当たり前になっている日本では、想像もできません。どれほど日本が不景気だといわれていても、飢え死にするひとはいませんからね。ホームレスだって、飢え死にするひとはいませんよね。
昨日も、テレビで、ネタの大きな回転寿司屋さん特集をしていました。マグロの倉庫には、マイナス七十度のなかに、たくさんのマグロ達が積まれていました。海から、じゃんじゃんマグロを取ってくるんですね。いまに海にはマグロがいなくなるんじゃないでしょうか。私たちは世界中の食材を食い荒らしている状態ですね。うちの猫も、缶詰を食べています。それもタイで生産されているやつです。おそらくこれもマグロが入っているやつです。タイでは、有数の輸出品目になっているそうですね。ペットフード産業も全盛期だそうです。それでも、開けたての缶詰はちゃんと食べるんですけど、少し時間をおいたり、冷蔵庫に入っていたものは、見向きもしないんですよ。空腹のときにそういう缶詰を、茶碗に入れてやると、最初は興味津々で駆け寄ってくるんですけど、クンクンとやって「なんだ古いの?」と捨てぜりふを吐いたようにして、その場から立ち去っていくんですよ。この猫の姿を見たときには、怒りというか、情けなさというか、なんとも言えない気分になるんです。「てめー、贅沢いってるんじゃねえぞ!」という感情です。「世間じゃ、野良猫がいっぱいいて、ごみ箱をあさってる奴もいるんだぞ!そんな奴にくらべたら、お前は天国だろ!そんなに食いたくないなら、もうやらねえぞ!」という怒りです。その怒りの感情の後に、こんな感情も起こってくるんですよ。「でも、考えてみりゃ、お前も浅ましいもんだなぁ。おれたち人間と、ちっとも変わってねえや。人間が一番偉いように思い上がってるけど、そうじゃねぇや。お前たちばかり、責められねえんだよ。やっぱりお前も、おれも同じだなぁ」という同感がありますね。「考えようによっちゃ、お前たちのほうが偉いよ。だって、毎日同じような缶詰ばかり、美味そうに食ってるんだもんな。それで文句ひとつ言わねえんだから。偉いもんだよ。人間だったら、また同じもんかよ!と文句タラタラだよきっと…」。
こういう飽食時代は、もうやってこないような感じもします。これからはDNAの組み替えや、クローン技術を駆使して大量に生産力を安定させるしかないのでしょう。食料が無くなるのがいいのか、それとも、将来どういうことになっていくのか分かりませんけど、ハイテクで増産した食料を食べたほうがいいのか、どっちを選ぶんだと迫られれば、やっぱり後者を選ぶでしょう。
パソコンを前にして、そういうことを考えたり、テレビを見て、内心忸怩たるものを感じつつも、いざ、食材が目の前に展開した瞬間に、そういうことは一切吹っ飛んでしまうわけです。そして、ジワジワと体重が重たくなっていくわけです。
2003年10月18日
●昨日は、親鸞仏教センター第1回シンポジウムが開かれました。定員80人の会場が、いっぱいに埋まりました。テーマは「科学技術文明と現代の不安」でした。講演は国府田隆夫先生で、パネラーとして東大の下田先生と所長の本多先生が加わりました。国府田先生のお話は、宇宙誕生から現代まで140億年という大スペクタクルの中で、いのちとは、そこから生まれた心、そして科学というものを提起していただきました。科学は「ため論」ではなく、事実認定の範囲を越えられないという言葉が印象的でした。「ため論」というのは、科学はなんのためにあるのか?という目的論的議論には関わらないということです。それは科学の限界なのでしょう。
「科学と宗教」との関係は、対立・平行・対話・統合の中の、対話がいいのではないかとケネス先生がおっしゃいました。統合という考え方は、キリスト教文化の中でなければ生まれてこない考え方でしょう。また、「相補的」だという意見もありました。
小生は、吉本さんの言葉を借りていえば「緊急の課題と永遠の課題」というふうに考えられると思います。やはり科学の問題は、緊急の課題に属する問題でしょう。いま起こっている問題をどうクリアーしてゆくのか、という人間の知恵の結晶が科学でしょう。しかし、どこまで科学が発展しても、それでも解決できない問題があります。それは、実存の問題です。なぜ死ぬために人間は生まれ、生活を営み、そしてどこへ去ってゆくのか?という問題です。荒っぽくいえば、科学技術は人間を絶対の満足へ近づけようと動きます。しかし、人間は悲しいことに、「これで満足だ」といえない動物です。必ず現状に満足しても、それでは飽き足らないもの、不満が生まれてきます。なんにも不満足はないはずなのに、それでも不満があるというのが人間の内面の問題です。ひとから見れば、なんの不満もないような生活をしていても、それでも当人は不満足だというひとは世間にたくさんいます。
そういう内面の問題が永遠の課題に属する問題です。この問題は、時代性と無関係でもあります。仏教はこの課題に取り組んできました。つまり、外見上の不都合や、制度の不都合、身体的な不都合を全部取り除いても、それでもなお取り除けない問題をどうクリアーするかです。これは、社会が発展している時代もあり、そうでない時代もあり、まだ未来には、様々な不都合がクリアーされている時代もありうるでしょう。しかしその時代性に関わらず、クリアーされなければなりません。ですから、緊急の課題と永遠の課題は、ちょっと異質です。同じレベルで論議できない面があります。それは永遠の課題が極めて内面的な課題だからです。実存的なんです。
その次元の解決は、個人的なことであって、全然社会的なことじゃないと吉本さんは批判されていました。すべてのひとが、内面的も外面的にも不都合を越えられたと実感できたときに、初めて、永遠の課題が解決されたということだとおっしゃっていました。それはそうでしょうけど、でも、やっぱり、その課題が乗り越えられるのは、個人の内面じゃないかと思ってしまいます。
安田先生の言葉に「自分は一切衆生の中のひとりであり、一切衆生を代表するひとりでもある」というのがあります。ひとりは、ひとりであって、ひとりじゃない。関係存在が人間だといいますけど、ひとりが救われれば、つまり永遠の課題を乗り越えられれば、全人類が救われるということと同じだけの意味をもってくるということでしょう。それが仏陀=お釈迦様の悟りの意味だと思います。個人というのは、人類のひな型であって、また別の面では、まったくの「例外」という意味を持ちます。しかし、その根っこの部分では、融通しているということがあります。大乗経典の末尾には、必ず「一同が救われて、喜んだ」という形で終わりますね。小生も、最初は、それじゃ自分と全然無関係じゃないかと思っていたんですけど、そうじゃないですね。
それまでは、小生の宇宙観といいましょうか、世界観が、大きな袋の中にたくさんの国が詰まっているという感覚であったのです。地球という星に、たくさんの国があって、たくさんの民族がいて、いろんな生き物がいると。確かにそういう見方も成り立ちます。小生は、そういう世界観しかもっていませんでした。しかし大乗経典はそうじゃないですね。
自分がひとり存在しているということは、この世界は自分だけのもの、自分だけの宇宙だという世界観です。その宇宙を統合している視座は、「自分」という視座以外にはないということなのです。それまでは、宇宙はひとつ、世界はひとつだと原理主義的に受け止めていたのです。でも、そう考える理由はどこにもないのですよね。宇宙はひとつだ、世界はひとつだと教えられてきましたし、そう信じて生活してるんです。でも、それは人間の世界だけに通じる共同幻想でしょう。事実は、ひとつの生物にはひとつの世界、ひとりの人間には、ひとつの世界が存在しているんです。だから、「同床異夢」ということがあるでしょう。人間は外見上は同じように見えますからね。でも、内面は全然違います。個人と個人には必ず差異があります。
ですから、ひとりが永遠の課題をクリアーしたということは、ひとつの世界では解決されたということなんです。決してそれは個人的なことだといえないのです。個人的だと批判する視角は、大きな袋の中に世界があり、世界はひとつだという原理主義にのっとった見方なのです。個人的なことだから、それは詰まらないことだという価値観にもなりますよね。でも、そうじゃないですね。
不安とか、不満という問題は、社会にはないんです。いや、いや、いろんな社会的な要因で不安になるんですけど、でも、不安を感じているのは唯一無二の実存(個人)なんですよね。経済不安、政治不安、家庭不安、教育不安、精神的不安様々な不安の要因はあります。でも、それで困っているのは、代替え不可能な絶対的な実存ですよね。
まぁ百歩譲って、それでもよしとしようと、でも、それじゃ目の前に困っているひとがあって、それでも、実存は救われたと呑気なことをいっていられるのか!と言われるでしょう。ですから、最終的には、救われた個人は、法蔵菩薩のような本願の形で表現される以外にないんです。つまり宮沢賢治がいっているように「世界全体が幸福にならなければ、個人の幸福はありえない」と。これは本願の形ですね。だから、悲願なんでしょう。ひとりでも、内面に不都合を感じるひとがいたなら、自分は「救われた」とは表白しないというのですからね。
(ちょっと時間切れですm(__)m)
2003年10月19日
●昨日は、後輩の結婚式が水戸であり、出席してきました。ひとの結婚式は、何回出席してもいいもんですね。若い二人が、希望を胸に、一同に祝福されながら、にこやかにしている姿は、いつ見ても微笑ましいものです。最後に、両親への感謝の儀式があります。あのシーンもいいですね。新婦のご両親は、娘との別れの儀式になりますから、これまた辛いシーンです。新郎の両親は、どちらかというと楽天的に見えます。やっぱり、新婦の両親の涙が、絶妙な味わいですね。奪うほうは楽天的、奪われるほうは悲惨です。
あの最後の感謝の儀式が涙なみだになるので、敢えておこなわないという方も増えています。でも、小生は、あの儀式が一番好きです。どうしても、これから二人がいっしょになるということ以上に、あの儀式が披露宴のメイン・イベントじゃないかと思えるのです。喜劇よりも、悲劇の与える印象が、とても素晴らしいと感じてしまうのです。あのご両親の流す涙には、いろんな意味が込められているようです。幼いころの娘の思い出、その成長の過程が、一度に思い出されたり、これから、再び会えなくなることの辛さや悲しさ、そして、これから、新郎と仲良くやってほしいという思い、更に娘が嫁ぎ先で苦労するのではないかという不安と心配が、一挙に押し寄せてくるのです。まぁ、永遠に別れるということではないのですけれども、疑似的な娘の葬儀という意味もあるわけです。
小生も、二十数年前には奪った側の人間ですから、奪われた側の両親には大変な苦しみを与えたわけです。花束を渡しているとき、小生にまで悲しみが伝わってきて、涙をこらえるのが精一杯でした。新婦の父は、号泣という泣きっぷりでした。見事だと今にして思います。小生も、娘の披露宴では、あんなふうに、なりふり構わず号泣したいなぁと願っています。あれは、やっぱり、どうみても、疑似的な葬儀ですね。
奪った側は、相手の家族や、新婦の運命を大きく変えてしまうのです。小生といっしょにならなければ、こんな苦労はしなくてもよかったのに、たまたま事故みたいなもので、出会ってしまって、運命を変えてしまったわけです。そういう罪といいましょうか、加害性は、どうしてもぬぐい去ることはできません。
しかし、どうして人間は、ひとを好きになったり、いっしょに生活したいと願うものなのでしょうか。不思議なものです。それは人間は、人と間と書くように、間がなければひとは生きられないのだともいわれます。関係存在なのだと。それもそうなのでしょう。でも、真実は分からないのではないかと思います。過去には、こうして、何千何万、何億の出会いと別れがあったのでしょう。「縁」ということの重さを思わずにはいられませんでした。
2003年10月21日
●気がつくと、一日更新することを、まったく忘れていました。こういうこともあるんですね。それだけ、他の用件に気を取られていたということでしょうか。今日は、山形教区の教学研修会へ出講してきます。山形へ通うようになってから、以前に比べて、山形が近くなったように感じます。通うと距離感も縮むものなんですね。
昨夜のお通夜は91歳のご老人(女性)でした。人の最後に立ち会うという仕事が僧侶の仕事なのですが、やっぱり、お告げ(死亡通知)が入ると、いろいろと考えることもあります。しかし、いろんなことを思ってみても、いざ開式の時間となって、祭壇の前に座ると、そういう雑念が吹っ飛んでいくんです。そして、念仏の声の中に、自分自身も身を浸してゆきます。あの読経の響きは、発声者と聴衆を同時に癒すはたらきをもっています。小生は、お通夜のお念仏と、葬儀の路念仏(ジネンブツ)が大好きです。漢文を音読していくときには、さほど感動しないのですが、あの息の長い、ナーアーアームーーアーミーダーアーアーという音が実に気持ちがいいです。目を閉じて、読経することが多いのですが、目を閉じていると、すべての世界が、その音の響きの中に存在しているような幽玄を感じます。
最後に鐘がなって、儀式が終わります。そうすると、ようやく小生は現実に引き戻されてくるんです。まぁその念仏の間に、精神が深まってくると、いわゆる三昧の状態に入ります。三昧は、意識が無意識のほうに近づいていくる状態です。その状態は、実に眠くなってきます。夢を見るところまではいかないのですが、眠る状態の一歩手前にこころがあるわけです。
それから、法話の時間に入ります。この法話も、自分の言いたいことはあるんですけど、実際にその場になってみると、思っていたときとは違った展開になったりします。これがまた、法話というものの醍醐味でしょうね。初めから言いたいことを伝えるということでは、法話になりません。粗筋はあっても、展開は違うというのが法話の味です。小生は、同じようなことを話したつもりでも、聞き手が変われば、また内容が違ってきます。こちらは、また同じことを話すのでは悲しいなぁと思いつつお話しても、実際には新鮮な内容になってきます。それは、法話が話者だけではなく、聴衆によっても造られてゆくことを表しています。話者と聴衆の合作が、法話なのでしょう。
また、こっちが同じ話をするのかなぁと、マンネリ化しようとすると、それを拒否する動きが起こってきます。たとえ、同じお話だとしても、その場所と時間と聴衆が変われば、まったく違ったお話ともなるわけです。まさに瞬間芸なのでしょう。そして、法話の声が、その場所に残ることはありません。聴衆のこころに記憶として残ってゆき、すべてが消えてゆきます。まるで雪が深々と降り積もり、やがて日の温もりに溶かされて、やがて気体となって消えてゆくようなものです。消えてなくなるからいいんですね。 これは読経のときにも感じる感情です。因速寺では日曜日に多いときには六軒も法事があります。すると、まことに失礼千万なことなのですけれども、マンネリ化という魔が起こってくるわけです。「また同じ式次第の法事をしなければならないのだなぁ」という怠慢が起こってきます。これは宿業因縁で起こってくるものなのです。努力で治るような種類の魔ではないわけです。それほど深いものです。だれでも、小生の境遇にあれば、同じようなことが起こるというのが、宿業因縁というやつです。
しかし、マンネリ化の魔が起こってくるときに、それを排除してくれるのが「現実」です。実際に、その場になってみれば、さっきまで思っていたこととは違ったことが起こってくるということです。読経のどの部分を取り上げてみても、万劫の初事、つまりいまだかつて出会ったこともない時間が訪れてくるのです。生まれて初めて体験するナムアミダーなのです。どの部分を切り取ってみても、生まれて初めて体験する発音です。さっき称えたナムアミダーと、いま称えたナムアミダーは、違います。時間が違います。それは生まれて初めて体験する時間でしょう。そういう「現実」というものが、マンネリズムの魔を排除してくれるのです。自分の努力では排除することは不可能です。その種の「現実」は、いたるところに展開していて、「生きる」ということのどの部分を切り取ってみても、そうなんですね。
その「現実」から、いつも新鮮な時間をちょうだいすることができます。それはいつも予期せぬ形で、向こうから訪れてくださるのでした。そうやって、マンネリ化という怠惰を、辛うじて抜け出すことが可能になっています。マンネリ化を生み出すものは、意識なのですね。死ぬまで付き合ってゆかなければならない、意識というやつなんです。それでも、どこまでマンネリ化してもいいよ、という許しがあります。なぜなら、マンネリ化が起こってきたとき、瞬時に、そのマンネリ化を排除する「現実」がはたらいてあげるからねと言われているように思えます。自分の意識を信ずるのではなく、「現実」を信じてゆきたいと思います。
2003年10月22日
●東京へ戻りました。米沢盆地から、福島へ抜ける山並みの紅葉が素晴らしかったです。もう少したつと、もっとよくなるようでした。ここは、カーブがきついので、いくら山形新幹線「つばさ」号でも、スピードが出せません。その分、紅葉が楽しめるようになっています。冬には雪の静けさがあり、春にはたくさんの緑が息づき、なんともこころが洗われるような感じがします。
小生は一瞬、その場所を通過するだけです。通過して、勝手に、「いいなぁ」と溜め息を漏らしているだけです。しかし、あの紅葉の葉っぱや、樹木たちは、そんな呑気なことをいっていられないのでした。これから、寒い冬を迎え、更に、一生、あの場所を住処としています。種が落ちた場所を一生の住処として、そこから一ミリも移動することがありません。これは動物には、分からない世界です。植物だけの業の世界でしょう。あの紅葉という、赤や黄色の葉っぱは、植物自身の自殺でもあるそうです。自殺というと大げさですけど、アポトーシスというやつでしょうか。つまり、これから寒い冬に備えて、養分を蓄えなければなりません。そのために、あえて、葉っぱの付け根で養分が葉に流れないように、コックを締めるのだそうです。それで葉緑素がなくなって、黄色や赤になるそうです。あの紅葉は、植物自身の冬に向けての自衛手段なんですね。植物の知恵といっていいのでしょう。植物は自らの体を環境に適応させています。しかし人間は、自分に環境を合わせてきました。これは動物といっても、人間にしかないことのように思います。サルだって、自分の体に毛を生やして寒さに備えますよね。でも、人間は衣服をまとうことで、寒さを凌ぎ、毛を退化させました。毛が退化したから、衣服を着たのではないのです。衣服をまとったから、毛が退化したのです。
サルにとっては、衣服は無駄なものですし、余剰ですね。余剰は邪魔になります。でも、人間は余剰を身にまとうエロスを感じてしまいました。皮膚の余剰が衣服でしょうし、手足の余剰が技術文明になります。利息という余剰も、自分は動かずに楽をしたいというエロスから生まれてきました。昔こんなことが言われました。「この世の中で一番馬鹿な奴は、自分の身体を使って稼ぐ奴だ。次に利口な奴は、その人間を使って稼ぐ奴だ。一番利口な奴は、その人間が生み出した金を動かして稼ぐ奴だ」と。つまり、どれだけ自分が動かずに、苦労をしないで生きられるかということがエロスになっています。つまり、これは徹底した怠け者が、最高のライフ・スタイルだということになります。生産に費やす時間を極力小さくして、消費に費やす時間を無限に拡大したいということですね。
「なまけもの」と呼ばれている動物がいますね。あれは、ほとんど動きません。食事も、木の葉っぱを少し食べれば、あとの何十時間もの間は、なんにもしなくていいそうです。だから、人間から、あの動物は「なまけもの」と呼ばれています。もし将来その動物が言語を使って話せるようになったら、人権侵害で訴えられるでしょうね。人権ではなくて、動物権となりましょうか。本人は怠けている意識はないのですからね。自らの欲するところに従って、本能のおもむくままに生きているだけでしょう。それを人間が「なまけもの」とレッテルを貼っているに過ぎません。でも、あの姿が、人間の究極的な目標なのかもしれません。しかし、そういう人間を「なまけもの」とは呼ばずに「優れた人間」と羨望の声で呼ぶのでしょう。
そういえば、「田舎にはジョギングをしている人間はいない」という何とかの法則みたいな現象がありますね。まぁ若者も少ないということもありましょうし、そんなことをしている余裕はないということもありましょう。それに比べて東京の皇居のまわりをジョギングしているひとは多いですね。やっぱり、走っているけど、「なまけもの科」なのかもしれませんよね。生産時間は短く、消費時間をたくさん獲得しているひとですね。人間にとって、何もしなくてよいということほど苦通なことはありません。食べて、その他は眠っているということはできません。もし「なまけもの」のように、食べる他はジーッとしていることができれば、これは大したもんです。でも、やっぱり人間は、余暇ができれば、動き回るのでしょう。つまり「あそび」を開発するわけです。生産することがエロスに直結していれば、それはそれで結構でしょう。しかし普通の場合、生産には苦痛がともなうものです。ですから、仕事の他にエロスを感じる部分をもっています。それが、まぁ文化の源泉でもありますね。
赤ちゃんが泣くので、おっぱいを与えます。最初はお腹が空いていますからグングンと飲みます。しかし、お腹がいっぱいになると、乳首をくわえなくなります。それでもまだ乳首を口にもっていくと、赤ちゃんは乳首をもてあそび出します。舌で乳首を転がして遊ぶのです。小生は、あそこに文化の源泉があると感じています。
そういえば、この「住職のつぶやき」というのも、無駄ですよね。なんの生産性もないわけです。毎日更新していても、別段生活に変化があるわけでもありませんし、体制に変化を与えているわけでもありません。むしろ逆であるかもしれません。なぜ更新しているのか、よく分からないところもあるのです。まぁ習慣ですかねぇ。それとも、書くことで、自分が持ちこたえられているということもあるのかもしれません。
でも、究極的には、自分の人生と同じだと感じます。生まれて、生きて、そして死んでいく。アから始まって、ウンで終わっていく。これって、大いなる無駄かもしれませんね。どうせ、ウンで終わっていくわけです。みんな終わっていくわけです。<終わっていく生>をいま生きているのです。もう、そこには無駄だとか、無駄じゃないという考えが吹っ飛んでしまうような凄さがあります。生々しいいのちがいのちとして展開しているというだけです。それこそ、140億年という宇宙の歴史を引っさげた自分といういのちが爆発しているだけです。
2003年10月23日
●親鸞は、すべての、あらゆる問題を「信心」という位相に投げ込んでいるように見えます。「信心」という位相が人間に開かれるならば、それでほとんど根源的な問題は解けてゆくのだと思っていた節があります。吉本隆明さんの「永遠の課題」という言葉を使うと、信心が成り立てば、永遠の課題が解けてゆけるということになりましょうか。この問題は、他人からみれば、どうしても「ひとりだけ問題が解決したといったところで、それはひとりよがりじゃねえか!」という批判をこうむります。でも、苦悩の現実は、個人のところに覆いかぶさってくるのですから、総論の苦悩はなく、各論の各論というところで解決されなければならないでしょう。
たとえば、いま不登校で悩み苦しんでいる親御さんにとっては、イラクがどうの、テロがどうの、景気がどうの、等々の問題は、第一義的な問題じゃないわけです。極端にいえば、世界がどうなろうとも、目の前の、自分にとって一番切実な問題(苦悩)が解けなければ生きられないわけです。そして、そのひとがいま背負っている苦悩の深度は、他人からは見えない、他人からは推し量れないということです。いま頭痛で苦しんでいるひとは、北朝鮮が云々なんていうことを聞くよりも、いち早く頭痛の苦しみを取り除いてほしいということだけなんです。
そういうところに、親鸞の語る「信心」という位相があるように思います。ですから、真宗はいちいち手取り足取り、これをしなさい、これはしてはいけませんよという倫理は第一義的に語りません。聖書やコーランにしても、ものすごく神様がお節介に、それこそ口うるさく人間の生活の諸般にわたって語りますね。でも仏法は、そういうことは、人間にまかせてあるという態度ですね。つまり、手取り足取り、いちいち指図しなくても、「信心」という位相がその人間に開けるならば、それはおのずから、バランスのとれた精神生活が生まれてくるのだから、おのずと倫理が生み出されてくると考えるわけです。ですから、人間にとっては、表層の心理というよりも深層の心理に属するところを問題にするわけです。人間が自分で分かっているこころの世界の奥底ですね。普段はあんまり奥底を考えたりしません。でも、身内の死とか自分の病に直面するとき、奥底のこころが開かれます。
「信心なんか、こころの持ちかた次第で、なんとでもなるじゃないか」とか「個人的なことで、それじゃ社会的な問題には答えられないじゃないか」という批判はいつの時代でもありました。そういう考え方は「こころ」をあまりにも、軽く見積もり過ぎているように思います。まぁ社会といっても、たくさんの人間たちの共通意識で出来上がっているわけですよね。ですから、個人の意識が変われば、社会もおのずから変わっていくという考えなんです。それはものすごく時間のかかることでしょうけど、それ以外に社会が変わるということもありえないわけです。
人間は、目が外界を見るような構造になっていますから、どうしても、「外を変えよう」としてきました。これは丸山圭三郎さんのいう「逆ホメオタシス」という奴ですね。環境を変えることにエロスを感ずるというありかたです。自分が変化するのではなくして、自分の外の環境を変えようとするわけです。いまの教育問題でも、たとえば、不登校の問題でも、親に原因があるとか、いや学校に原因があるとか、いや遺伝がそうしているんだとか、実は社会全体に原因があるんだとか、ぜんぶ自分の外側に原因があるという発想をとります。それは人間という生き物の性(さが)なのでしょう。何十万年もかけて人間は、自分に問題があって、自分が変わるという方法をとってこなかったわけです。すべて問題は環境にあるのだと見て、環境を変化させることで安心してきたわけです。これはまさに性ですね。
でも、その何十万年の性の問題を仏教は指摘するわけです。実は、問題は自分の内側にあるじゃないかと。そしてみんながみんな、自分の内面を変化させようと考える以外に根本的に世界が変わることはないじゃないかというわけです。
これも極端な話しですけど、「世界が幸せにならないのは、自分の信仰の不徹底にあり」ということになってきます。すべての問題が、この「信心」という世界に還元されてくるわけです。自分の内面が世界を造っているのだということであれば、世界で起こっている問題の原因は、この内面にあることになります。ですから、内面だから、外界とつながってないのだという考えは間違っています。信心の位相をちゃんといただき、ちゃんと表現するということがなければ、世界の幸福はないということになります。徹底した内面化が信心の位相ということになりましょう。
ですからその「永遠の課題」を徹底して、外化して表現していくこと、それが永遠の平和や幸福につながるのだと思っています。
2003年10月25日
●昨日は、「今、いのちを考える」と題して、ホスピス医と語るという講演会がありました。ホスピスの先生が、「僕の生きる道」というテレビドラマを用いて、お話しして下さいました。このドラマはスマップの草g剛が主人公で、若くして癌の宣告を受けるというストーリーでしたね。そして、亡くなるまでの生きかたを描いたものでした。ご覧になったかたも多いと思います。
不治の病にかかると、ひとはまず「なんで自分だけが、こんな目にあわなきゃならないんだ」と口にします。確かに、不治の病のかたの苦しみは大変なものでしょう。健康なものには、まったく予想もつかないことであります。でも、よく自分に引き当てて考えてみると、「なんで自分ばかり、苦労しなけりゃならないだ」という場面は、日常にあるじゃないかといいます。「なんでおればかり…」という感覚は、程度の差はありますけれども、不慮の苦しみと通底していると思います。
ひとは未来に希望がもてるとき、生きる意欲が湧いてきます。何かしら未来に希望をもって、人間は生きているものです。でも、不治の病になれば、未来はありません。未来がないと人間は生きる力を失ってしまいます。ホスピスという場所は、いわば未来がない場所です。医療が、健康な状態へ戻すという「往相の医療」であるならば、これは、死を受け止めてゆく医療ですから、「還相の医療」と名付けてもいいのでしょう。ホスピスばかりではなく、現在では八割のかたが病院で死を迎えてゆくわけです。その意味で、必ず退院日のやってこない入院というものがあるわけです。これは、ほとんどのひとにとって当てはまることなのです。その意味で、医療は、健康に戻すという医療と、死を看取る医療とが必要なのです。
でも、言うは易しで、現場はそんなに単純なものではないようです。死に対する言いようもない恐怖、悲しみ、そういうものが波のように押し寄せてくるようです。そのどうしようもなさに対する怒りを医療従事者に向けてぶつけてくるそうです。「こんな目にあったのは、あの医者のせいだ」とか「あの看護婦が触ったから、悪くなったんだ」とかね。そういえば、父も晩年、看護婦さんが覗きにくるとか、自分を馬鹿にした対応をするとか言ってましたね。その怒りの根底には、そういうどうしてみようもなさへの怒りがあったのだと思います。
それでも、そういう患者のもとに毎日ゆかねばならないのですから、先生たちも大変です。先生たちは、何もできないけれども、「聞く」ということはできるとおっしゃっていました。その患者さんの声を受け止めて積極的に「聞く」と。医者は患者のカルテにすべてが書かれているから、患者そのものを見ないで、情報を見るそうです。そういう医者は「聞く」ということに関しては失格ですね。
小生も、まったく場面は違いますけど、通夜の席にゆくのがいやでした。表面上では、遺族は「宜しくお願いします」とか丁重な態度をとって坊さんを迎えます。しかし、まわりの目は、「葬式坊主」とか、「御布施泥棒」とか「坊主丸儲け」という冷たい視線です。そして何より辛いのは、苦しんでいる遺族に対して何もしてあげられないという自分自身への負い目です。だって、もうすでに、仏さんは亡くなっているのですから、なすすべがありません。これ以上なにをすることができるのでしょうか。若いころは、通夜・葬儀がとても重たく、できれば行きたくないという感情が強かったものです。しかし、あるとき、その感情から抜け出ることができました。それは、「何もできない」ということは「何もする必要がない」ということじゃないかということに気付いたのです。何かしなければいけないということは、何かできるはずだ、それを怠っているのではないかという負い目だったのです。しかし、「何もできない」という原点に立つと、「する必要がない」という開けになってきました。何かできると思っているのは、思い上がりだったのです。せめて読経で慰めることができるじゃないかとか、法話で慰められるのではないかとか、様々に自分の負い目を帳消しにする行動に出ようとしました。でも、そういう動機から発せられた行動は、遺族には通じてゆかないように思います。なぜなら、それは、関心の中心が、遺族にではなく、自分自身の負い目に向いているからです。自分の負い目を帳消しにするための行為だからです。
しかし、何もできないし、する必要がないとなると、その負い目から解放されるのです。そして、何もできないからこそ、何かができる、いろんなことがそこから始まるのでした。小生は、お経の現代語訳を作ってみんなに配っています。その時、ご覧いただかなくても、後で読んでもらってもいいし、不必要であれば、駅のごみ箱に捨ててもらってもいいんです。それほど相手に期待しているわけではありません。そして通夜で法話をしています。私たちのいのちは宇宙と同じだけの深さと広さをもって、自分にまで届けられてきていることを、そして、この人生が終わると、また阿弥陀様の世界へ帰ってゆくのだと。
浄土真宗には、「引導」という儀式がありません。他宗派では、「引導」があります。つまり、坊さんが、故人を仏界へ引き導くという儀式なんですね。坊さんは聖職者だから、一般人にはない力をもって、故人を導くのだそうです。しかし、真宗では、そういう考えをとりません。実は、亡くなった故人を「仏さま」と受け止めるわけです。煩悩を完全燃焼して、涅槃(ニルバーナ)に入られた仏さまであるのです。ですから、人間が仏さまを導くのは本末転倒です。むしろ人間が、仏さまによって導かれるのです。ですから「引導」という儀式は必要ないのです。
そうすると、小生は導く必要もないし、何もする必要がありません。ただひとつ、仏さまによって導かれればよいのです。つまり仏前に手を合わせて、仏さまの声なき声を聞かせていただくということです。その場で何が聞こえてくるか、何を教えていただけるのか、それが楽しみになってきました。通夜の一番前の席に座って、仏さまからいろいろと教えていただばよいのです。こちらから何かをする必要は、まったくありません。そういうことに気付くと、お通夜の席がずっと楽に受け止められるようになりました。
また、そこでのご遺族とのお話も、いろいろと聞かせていただくことが有り難くなりました。亡くなる前の故人の様子や、生前中の人となり、思い出やら、ときには恨みなども、療養中の出来事など、聞かせていただくのです。ご遺族のお話も大事な聴聞の場です。特別に、お坊さんにしか話せないような内容もあるわけです。その尊いお話をうかがうことも、楽しみのひとつであります。楽しみというと、正確ではありませんね。やはり「尊さ」でしょうね。
まあ、坊さんは医療者と異なって、相手がすでに亡くなっているところから、スタートします。しかし、親しいひとですとお見舞いにゆくこともあります。もちろん、衣(ころも)ではなく、洋服でね。衣でゆくと、相手が、もうお迎えにきたの?と早とちりされますからね。そこは注意が必要でしょう。
そうそう、先日も、癌の末期のかたのお見舞いにゆくときに、「どのようにお見舞いにゆけばいいのですか?」と尋ねられました。「元気になってね」も「頑張ってね」も「早く治ってね」も通用しないことをお互いに知っているわけです。まぁ、別に言葉をかけるだけがお見舞いではありませんよね。黙って手を握る、顔を見るということもお見舞いでしょう。でも、小生はやっぱり、患者を菩薩として、その境界を聞かせていただくという態度が大切だと思うのです。自分にはまだわからない、死を目前にした心境を、患者さんは生きているわけです。つまり自分の少し前を歩いている先輩なわけです。その先輩の感じておられる心境を教えていただくという態度が大事だと思います。まあ「聞く」「聞かせていただく」ということになろうかと思います。こちらから何かができるわけではありませんし、する必要もないのです。向こうから頂戴するものを頂けばよろしいのでしょう。
それは「還相の見舞い」でしょうね。生者は、生を善と考え、よろしいことだと無前提に思い込んでいるわけです。死者は、そのよろしい状態から、悪い状態へと移行した、哀れむべき存在だと差別しているわけです。もう、そういうところに差別があるんです。その見方をひっくり返さないとダメでしょうね。
(明日は、報恩講・親鸞まつりです
m(__)m)
2003年10月27日
●昨日は、報恩講でした。関係者各位には、本当にご苦労さまでした。また、ご参詣頂いた皆様には感謝申し上げます。
法話は、二階堂行邦先生でした。先生の法話では、「信じているつもりが、実は疑っている」という深い疑いの問題を述べられました。「おれは仏教なんか信じないぞ!」という疑いは、はっきりしているから、それほど深刻な問題じゃありません。実は、自分は信じているんだと思っていること全体が、実は疑いになっているという、これが問題だとおっしゃいました。本願のお言葉には「ただ、五逆と正法を誹謗するものは、救いから排除する」と書かれています。この文章を小生は「目ざまし時計」と呼んでいます。もし、この言葉がなければ、信仰自身に酔い、信仰の中に眠り込んでいくことになります。だってそうでしょう。すべての生きとし生けるものを助けてあげますよというのが本願のお言葉ですから。こんな私でも助けて頂けるのですか?と問いかければ、本願は無条件に助けくれるわけです。それでよかった、めでたしめでたしとなります。それは眠り込んでいく信仰です。そこに、「唯除」という言葉があるんです。「ただ除く」と。
自分が阿弥陀様のお救いの中にあるんだと思っているひとに対して、そうじゃないだろう、お前は、救われる条件があると思っているかと逆に問われます。ほんとうにすべてを阿弥陀様にまかせて生きているのかと問われるんです。そんなことより、面白おかしく、楽しく健康で長生きして、順調に生きられれば、仏さまなんか必要ないと思ってるんじゃないのかと問われます。苦しいときの神頼みで、もし願いが叶えば、あとは神も仏もあるものかというのがお前じゃないのかと。そういわれれば、そうなんです。そういう奴を「五逆・謗法のもの」というのだと教えてくれるわけです。つまり救いから除外されているものという意味です。ですから、阿弥陀様に救いようがないと、見捨てられたものという意味です。でも、その見捨てられたものをこそ、見捨てずにはおかないというのが大悲という性質です。唯除されて救いから除外されたものにこそ、大悲が強力にはたらくのです。
ですから、いつでも自分は救いの外にあるわけです。救われざるものとしてあるわけです。でも、それでお終いではなくて、そこから、救いの内側に転ぜしめようという大悲をこうむることになります。外側にこそ、大悲がはたらくのです。もし、内側になってしまったら、ここは、仏さんの救いの世界に入っているようですけど、実は外側なんですね。浄土には、浄土という言葉は必要ありません。浄土には救おうという必然性が起こってきません。この娑婆で苦しんでいるものにこそ、救いがはたらく必然性があるわけです。そういうダイナミックな展開が「唯除」という世界なんです。
それから、二階堂先生は、「煩悩不具足」ということをおっしゃいました。煩悩(ぼんのう)とは欲望ですね。お経には、「煩悩が満足している凡夫よ」というお言葉が出てきます。「具足」というのは、欠け目なくそなわっているという意味ですから、「煩悩成就」という言葉もあります。しかし、我々は、煩悩が不具足だとおっしゃいます。まだまだ、もっともっと、と願っているのが我々ですよね。これで満足だということがありません。もし将来に不老長寿の科学が発達して人間が死ななくなったら、これは幸せなことなんでしょうかと。二百年も三百年も生きられたら、自分は今日することを明日に延ばし、明日のことを明後日に延ばし、そうやってズルズルと生きるしかなくなると思うと。これが幸せなんでしょうか。そこに終わりがあり、死があるということが、人間の輝きを放つのではないかとお話しされました。
ほんとうに煩悩が満足していれば、これこそ凡夫なのでしょうけど、我々は煩悩不具足の凡夫だとおっしゃいました。煩悩がほんとうに具足していれば、つまり満足していれば、それこそ仏さまなんでしょうね。
小生も、「人間とは、何が本当の満足かを知らない生き物である」と言っています。どうなったら、自分がこれで満足だといえるのか、そのことを知らない生き物です。ですから、いつでも欲求不満の状態で生きているわけです。まぁ欲求が時々は満足することもあるんですよね。美味しいお酒を飲んだときとか、美味しい料理を食べたときとか、素晴らしい音楽を聞いたときとか、自利利他円満したセックスが完成したときとか、持ち家が完成したときとか、子どもの成長を実感したときとか、日常生活では、時々の満足は起こります。でも、それも束の間、すぐに、そんなものには飽きてしまうのが私たちですね。
よく受験生が、受験勉強に明け暮れて、ようやく念願の大学に入って、5月になると、「5月病」という状態になるそうです。無気力、無感動な状態に陥るのだそうです。つまり何かの目標に向って生きているときに、人間は生き生きとしてきます。でも、その目標が達成された時には達成感があり、喜びの絶頂にあっても、その感激はやがて鎮静化して、何とも感じなくなってくるものです。
いつでも、どこにいても、生き生きとして生きられないとしたら、それは救いにはなりません。アンニュイ(退屈・倦怠)とか、憂鬱という状態から、人間を救いたいというのが大悲でしょうね。そんな贅沢なことを言っちゃあいけねぇ、人間はほどほどの満足で我慢しなくちゃいけねえんだというおっしゃる吾人もあるでしょう。でも、そんな中途半端なことであるならば、信仰なんかいらないわけです。もっともっと人間の奥深い欲望を満足させようという、そして本当の幸せを与えようというのが、大悲です。ですから、ここまで来たら遠慮はできないのです。どうしても、大悲は、いつでも、どこにいても、憂鬱から解放して、生き生きとしたいのちを取り戻させようとします。こっちが遠慮して、尻込みしようとしても、もはや逃げることはできないのです。大悲が、愛を突きつけてくるからです。この愛を受け取ってもらわねえと、おれが困るんだ!と迫ってくるわけです。もう押し売りのような状態ですね。受け取れねえということになると、暴れるぜ!という状態です。もう阿弥陀さんが暴れたら、これは手がつけられないんですよ。
だって、いつでも、どこでも、だれにおいても、絶対の満足を与えないと気が済まないというのが大悲の欲望ですからね。阿弥陀さんの欲望は、人間のような半端な欲望じゃありません。生きとし生けるもの全体をターゲットにしています。それほど大きな大欲望が大悲なんです。
「碍(さわり)は衆生にあり。ひかりの碍(さわり)にはあらざるなり」と曇鸞(ドンラン)さんは言ってますね。太陽は、いつでも私たちを照らしていてくださるのに、暗い暗いと愚痴っているのは、自分が扉を閉ざしているからだよと。自分の雨戸を締め切って暗い暗いといっているだけなんだよと。扉を開けてごらんよ、外はピーカンのまっ晴れだぜ!と。その扉のカギは、外からかかっているんじゃないんだよ。内側からかかっているんだよ。
あぁ、それから、昨日のハンドベル、またまた素晴らしかったですよ。目を閉じて9人の演奏を聞いていると、まるでひとりのひとが演奏しているように聞こえてしまうのでした。ひとりのひとがたくさんの手で、53個のベルを演奏しているんですよ。あっそうだ、これは千手観音だ!と直感しました。千手観音がひとりでたくさんのベルを鳴らしている姿だと感じられました。感動すると、どうして鳥肌が立ったり、涙が出てきたりするのでしょうか。それは意識を超えているからでしょうね。作為や意志がまったく介入することがありません。ベルの音が、たましいの深いところに響いてしまうのです。この響きに対して、人間は抗うことができません。ほんとうに天使が奏でているのかもしれませんね。奏者が語られていました。いかにも私たちが演奏して、みなさんを癒しているように思えますけど、実は演奏している自分たちがベルの音によって癒されているのだと。これは名言だと感じました。
小生に引きつけて考えますと、自分たちの称える念仏やお経によって、自分自身が癒されているのか?と問いを投げかけられたように感じました。でも、そこまでいかなければならないのでしょうね。でもどうでしょうか、お通夜や、葬儀のあのときの念仏には、そういう効果があるのではないでしょうか。とても気持ちのよい感覚がありますね。自分がもし癒されていないならば、聴衆にも伝わっていかないものなのですよね。それは、もう「誰かのため」という思いを超えていることですからね。
人間には、目的意識をもって何かをするということを日常にしています。でも、その瞬間、瞬間はどうかといえば、何かのためという意識を超えているわけです。一瞬一瞬に生と死があり、明と暗があるのでしょう。この一瞬一瞬を丁寧に観察してゆきたいと思います。「ひとのいのちは、いずる息、入る息を待たず」と書かれておりますからね。
2003年10月28日
●「その肩の 無頼のかげに 月やどる」
今朝、NHKを見ていましたら、沢木耕太郎さんが出演していました。五年前にお父さんを亡くされたそうで、その時のルポ?を『無名』という本にまとめられたそうです。冒頭の句はお父さんが書かれたものだそうです。俳号は「五十八(いそはち)」、実名は「二郎」だそうです。通夜葬儀は、身内だけでおこない、父の死を、『その肩の』をお送りしてお知らせしたといっておられました。『その肩の』は、お父さんが残された俳句の句集だそうです。お父さんは、まったく上昇志向のないひとだったといいます。酒一合と本があれば、それで幸せだったといいます。清貧といいましょうか、品格があるといいましょうか、そういう方だったのでしょう。感情を激するということを見たことがないと沢木さんはおっしゃいました。
父と子は、なかなか難しい課題です。病床に横たわっている父に接して、初めて父の顔をまじまじと、真正面から眺めることができるのでしょうね。これは、小生も感じたことでした。それまで父の顔とこれほどの近距離で、対面することはありませんでした。小生も五月に父を亡くしているので、自分の内面ではどうだったのかと問いかけながら沢木さんの言葉に耳を傾けました。父が死ぬ、いなくなるということは、どういうことなのか、まだよく分からないのだとおっしゃってもいました。これも小生と同感でした。身近なひとを亡くすということは、確かに感情的には悲しいことに違いありません。でも、その感情の合間に、冷静に死ぬとはどういうことなのか?いなくなるとはどういうことなのか?と考えている自分があるんです。それには答えはでません。小生は、だまって目を閉じて、そのひとを思うところに、仏さまとなってそのかたはいらっしゃるんだと感じています。感じているところに、おられるので、実証する必要がありません。目を開いている世界だけが真実だとは思っていません。むしろ目を閉じているほうが、真実に近いと思っているんです。
目を閉じていると、昼や夜の違いを超えられます。遠いとか近い、美醜とか、肌の色の違い、恰好の違い、痩せているとか太っているとか、様々な違いを超えるはたらきを教えてくれます。目を閉じることの利益は計り知れません。そうすると、自分のこころの世界がどんどん広がります。こころで世界を感じ、ひとを感じ、仏さまを感じることが始まります。
沢木さんは句集の題名を『その肩の』と名付けました。それは父が、誰かをみて、その人の背中に無頼を感じたのだと思うと語っていました。でも、実は平凡で、自分を表に出さずに、清楚に生きた父の背中にこそ、無頼ということがあるんじゃないかというのです。無頼とは、博打を打つとか、女を買うとか、飲んだくれるとか、そういうイメージがありますけど、お父さんは、そういうことができなかったタイプだそうです。しかし、その平々凡々とした無名の父の背中には、無頼があったと感じたのだといいます。それを聞いていて、小生もそうだなと感じたのです。なんだか無頼というと、無鉄砲という感じがしますけど、存在の勇気といいますか、大地にスッくと立つ大木のような勇気を感じました。
とくに、小生が感じたのは、その書名『無名』でした。アナウンサーが、お父さんのことを書きながらテーマを決めたのか、あるいは初めから決まっていたのかを尋ねました。沢木さんは初めから決まっていましたと答えました。沢木さんの執筆のスタイルは、書きながら、その方と対話して理解するという方法をとるそうです。しかし、ここでは、テーマが「無名」と決まっていたといいます。誰かのために書いたのではなく、自分自身のために書いたともいってました。
人間なかなか「無名」にはなれないものです。どこかで自分が生きたアカシを残してゆきたいと欲望します。観光地にゆくと、建物や樹木に、自分の名前を刻んでいるのを見かけますね。○○参上とか、○○愛を込めてとか。あるいは、小生の寺でも、門徒のかたは墓に名を残すことを望みます。やはりどうしても人間は名前を固執します。そんな人間が、「無名」になれるとは、至難の業です。
お父さんの最後の言葉は「なにもしなかった、なにもできなかった…」だったと聞きました。そのことの意味がどういうことだったのか、いまだに解けていないのだそうです。小生はそれを聞いたときに、なにかに対する敗北や無念ということではないような感情を受けました。その通りじゃないかという感情でした。人間は、無から始まって、また無へ帰ってゆくのだと思います。宇宙の初めから、今日までいのちの連鎖をくぐって小生まで届いています。この世が終わって、また宇宙の原初へ融解してゆくのだと受け止めています。つまり無なんですね。そう考えると、有は仮の出来事となります。有は、存在です。有が仮であって、無が本当だと、重さが変化してゆくことが逆に、いまを自由にします。
無名になれたら、これほど楽なことはないのかもしれません。有名を望んでいるんですけど、本心の根っこのところには、無名になれたらいいなぁと思う欲望もあるように思います。有は辛いですね。有は、どこかで力みがあります。有を確保しよう、保っておこうという力みがあります。でも、無は本当の安楽であるように感じます。
沢木さんはお父さんに『無名』を見たのでしょうね。無名の凄さを感じたのですね。そこには、無念とか、妙なヒロイズムが感じられません。透明な「無名」の姿を感じることができて、さっぱりとした気持ちにさせてもらいました。「無名」こそが、テーマなんですね。
2003年10月29日
●ウイリアム・アダムス主演の映画、「アンドリュー」を観ました。以前ビデオでみていましたが、今回テレビでやるというので観ました。洋画劇場だから、日本語版なんですけど、それなりに面白かったです。いわゆるロボットのお話です。未来の家庭には家電製品のように、ロボットが購入されて、家事などを手伝ってくれるわけです。アンドリューも、ご主人に買われてそのご家庭ではたらきます。ロボットはご主人の命令に服従します。それを面白がって、意地の悪い子どもが、二階から飛び下りろと命じると、アンドリューは飛び下りました。そして故障してしまいます。しかしご主人であるお父さんは、彼に読書を勧めたり音楽を聴かせたりして、教養を身につけさせてゆくのです。そしてどんどん改造を重ねてゆきます。バージョンアップを重ねると、涙を流したり、人間の感情をも理解できるようになりました。実は、彼はその家庭の娘さんに恋心を抱いてしまうのです。とうとう、結婚生活のような形にまで至り着きました。そして彼は、議会に対して自分にも人間としての人権を与えてほしいと訴えを起こします。どこも人間と違っているところはないのだから、いいだろうというわけです。皮膚も人造ですし、外見上は人間とまったく変わりがありません。そして議長に対して、権利を認めてほしいと言います。「議長、あなたの臓器は私が造ったものですから、ロボットと同じものが入っている。それでも人間だ」とアンドリューは言います。未来にはかなり人工の臓器が発達しているという設定です。つまり、ここまで人工臓器だとロボットで、ここまでだと人間だという線引きはできるのか?という問いなのです。すると議長はこう反論します。「それは人工臓器で自分は生きている。しかし、人間には必ず死ということがあるのだ。君は永遠に生きてゆけるだから人間ではないのだ。よって、人権は認められないのだ」と。それを聞いてアンドリューは引き下がります。そして、改造をしてくれる医師に、人間と同じように死ぬための改造をほどこしてほしいと訴えます。体液を入れ換えて、機械がさび付くようなものを注入してゆきます。これであと10年もすれば、動かなくなるというのです。
愛する娘は、いまは75歳近くになり、容貌も変わりました。アンドリューといっしょにベッドに入っています。そして二人は手を握りあい、そしてゆっくりと目を閉じて、死を迎えてゆきました。
この映画はいのちについて考えさせる形になっています。不老長寿で永遠の生命を手に入れたとき、人間はほんとうに幸せなのか?という問題提起です。アンドリューは、永遠のいのちをもっています。ですけど、可愛がってくれた家族は、どんどんと老いて死んでゆきます。それを見ていることが辛いのです。自分も愛する家族といっしょに、この世を去りたい。こういう欲求が、人間の最後に残る欲求かもしれません。
そうすると、生きているということは、どうも、やっぱり、死に裏打ちされているということに突き当たります。どこかで人間は死ぬということを頭で知っているんですけど、もっと無意識の部分では、体感的に死を知っているということになるのかもしれません。なんで、ひとの死に涙を流し、こころを震わせるのでしょうか。生きている間で感じる感動的な出来事にはかならず死の匂いが含まれています。音楽を聴いても、絵をみても、美味しいものを食べても、そのときに感じる感動は、一回性という限定を免れません。そのとき、その場所でしか感じられない真実に感動しているわけでしょう。体感的には限りがあるということをどこかで感じているのだとおもいます。それは、やっぱり、死の匂いを予感しているということだと思います。葬式でも、結婚式でも、涙を流すのは、死の匂いに裏打ちされているからでしょう。意識的には、死の匂いを排除したいのですけど、無意識的の部分では、ものすごく死の匂いを欲しているのではないでしょうか。
2003年10月31日
●亡くなられた人々の顔を拝見していると、とても幸せそうな、満足そうな、笑みさえうかべているように見えるのです。数えてみると何百人のかたの死に顔を拝見してきました。確かに、技術で安楽に見えるように処置をするということはあるのでしょうけど、それでも、やっぱり、眠っているように見えるのは、それだけではないと思います。
若いころは、亡くなられたかたの顔を拝見することに拒否感をもっていました。いやだなぁと感じていました。しかしいま感じているのは、拒否感もないことはないのですけど、それも全部まるごと飲み込んでしまおうとする感覚です。それは自分が、老いて死んでいくということから、現在を見るようになったからだと思います。生から死をみると、死は恐ろしく、生を裁断してくる悪魔のように感じられます。でも死のほうから生をみると、死のほうが本質的で、安楽であるように感じられます。「死」というから、なんだか暗い感情がはたらくのでしょう。だって、「死」は生が奪われたかたちを表していますし、敵対関係といいますか表裏関係ですよね。もともと、生と死は対概念ですから、死は生を排除したもの、生は死の排除されたものという関係にあります。それは「生と死」という言葉のもっている、ある種の意味の強制力であって、ほんとうには「死」をまともにとらえていないと思います。
ですから、小生は「死」と呼ばずに「永遠」と言い換えています。人間は生から死へと下降してゆくのではなく、生から永遠へと回帰してゆくのだと受け止めています。そうすると「死」として受け止めていた暗い感情が、温もりをもったものへ変わってゆきます。この世を去ってゆくことは、永遠なるものと溶解してゆくことだと受け止められます。すべての生あるものが、永遠へと溶解してゆくのですから、これは素晴らしいことじゃないかと思います。
ですから、亡くなられた方々の顔を拝見すると、うらやましいなぁという感情すら起こってくるのでした。「うまくやりましたね」とか、「よかったですね」と声をかけたくなります。そして、私たちに永遠の世界への誘いをしてくるわけです。死んだ人が迷っていて、それが災いして生者に迷惑をかけるのだというマヤカシがありますけど、あれは、人間の欲望が作り出した物語なんですね。迷えるタマシイなるものを実体化して、それを利用するわけです。
真宗が、「浄土」とか「極楽」といってきたものは、そういう実体的世界を表現した言葉ではありません。小生も「永遠」という言葉で語っていますけど、そういう何かがあるわけではありません。もし、それを実体的に有る世界だと考えたとき、それは欲望の世界に引きずり込まれてしまいます。あの世なるものがあって、死んだらそこへいくんだ、さらにこの世でおこなった修行の成果によって、いいステージに登れるのだというマヤカシは、親鸞によって、「方便化土」として批判されています。
それでも、百歩譲って考えてみると、この世が仮の世だと受け止めたとき、人間は活気を取り戻すんですよね。不思議です。以前、幸福の科学の方とお話ししたときに感じたことです。この世だけにしがみついて、この世だけに意味を見いだすだけでは、人間は安心しないようです。この世での修行の結果が、この世において出るのではなく、あの世なんだという観念は、人間を勇気づけますね。この世でのおこないの結果はあくまで過程ですから、結論にしなくてよいという面があります。すべての結果が出るのは、あの世なんだというわけです。
それはある種の勇気と元気を与えてくれます。親鸞の指摘した19願という意味世界は、そういう世界であるわけです。まぁ、そこまでで人間は満足しますから、そこから先はもう言う必要がないということかもしれません。でも、親鸞はそこではだめで18願が真実の世界だと言ってきます。一度は、この世から観念を引き離します。つまり19願の意味世界へと誘います。そこから、再び観念を引き離して、18願へと深化させてゆきます。
つまり実体的に考えている世界を超えてゆこうとします。その世界は、「行く」でもなく「帰る」でもなく、「消える」でもなく「留まる」でもなく、「未来」でもなく「過去」でもなく「いま」でもない世界です。そして、「世界」という名詞で語ることをも拒否する世界です。人間が名詞化して、モノとして認識しようとすることを拒否する作用のことです。
そういう作用と、いま、ここで、私が接しているわけです。真宗でいう「まかせる」とか「南無する」とか「たのむ」というのは、そのことを言っているのでしょう。自分の認識の世界では把握不可能だとして、その認識の手を放擲してしまうことでしょう。これは存在の根っこの話ですから、日常の浅い意識の次元を語っているわけではありません。
そうして考えてみると、「永遠」なるものと、この自分が根っこの部分で、すでに溶解しているのだ気がつきます。いままで「生と死」を截然と分けて受け止めてきた部分が溶解しだすのです。日常の表層の意識では、確かに「生と死」は区別されていますけれども、もっと存在の根っこの部分では、溶解しているようです。死につつ生き、生きつつ死んでいるというような状態ではないでしょうか。一番身近な、目脂・耳垢・鼻くそ・尿・垢・ウンコ・フケなどの老廃物は、自分の一部分の死骸であって、かつての自分自身ですよね。ですからミクロの世界では、生と死が混在としているということだと思います。そんなふうにミクロの世界まで意識が入り込んでしまいます。
果たして、自分は生きているものなのか、死んでいるものなのか、そのへんがすごく曖昧になってきます。この曖昧感が、とても気持ちよく、温かく感じてしまうのです。存在の根っこが曖昧であるということになると、逆に、いま生きているということが新鮮さを取り戻してきます。決められたものは、死骸です。固定化されたものは死んでゆきます。生きているものは「流れ」なのでしょう。もっともっと曖昧になれば、人間は元気を取り戻せるでしょう。決してこの世は仮の世で、あの世が真実だと思い詰める必要もなくなります。あの世へ行く必要も、帰る必要もなくなります。そこに存在のゼロ度が開かれるように思います。ゼロ度には永遠が包まれていますし、そこから「いま」がはじまることになります。つねに「いま」が生れます。「いま」は人間にしかありません。ゼロ度にたって、人間の「いま」を新鮮に生きてゆきたいと思います。それは、未来へゆくわけでも、過去へ帰るわけでもないのですから。