住職のつぶやき2003/12


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2003年12月01日

時是道理之自証(ときこれどうりのじしょう) 量深

この額を拝見し、曽我量深というひとも、「時」ということが課題であったのだと感動しました。この額の文字は「時これ道理の自証」と読むのでしょう。時間というものは、道理がみずからを証ししているものだという認識を語ったのだと思います。

 「機」といわれる私たちには時間が必要です。しかし、法には時間は無関係です。法は法則ですから、時代に無関係に流れているものです。お釈迦さまの時代も、我々の時代も無関係に流れ続けている法則性です。川の水は上流から下流へ流れるとか、上から茶碗を落とせば、割れて壊れるとか、人間は生れたら必ず死ぬとか、そういう法則性は時代をこえて流れつづけています。しかし、私たち人間には「時間」が関係してきます。自分の誕生は、ある時間とある場所を限定してきます。お釈迦さまが在世の時間には出生できなかったわけです。まぁ、その時代に出生していたとしても、お釈迦さまをお釈迦さまとして尊敬できるわけでもありませんけどね。当時の人々だって、お釈迦さまと同じ街に住んでいても、仏陀として出遇ったひとはごく少ないひとたちです。まぁ、そういう限定を受けて誕生してきます。

 ですから、私たち人間にとっては「時」ということが実に大きな問題になってきます。卑近な例ですけど、身内を亡くして悲しみにくれていても、時間がたつとともに悲しみの感情が薄らいでいくというとこがあります。失恋の痛手を癒すのにも、やはり時間の経過が作用してきますね。感情は時の流れによって変化していくものだと教えられます。「時は癒しの神」とも言われますね。

 そこには難しい言葉ですけど、「不可逆性」ということがあります。つまり、一度起きたことは、取り返しのつかない性質をもっているということです。今朝も九州で大きな自動車事故のニュースが流れていました。あの事故は、起きてしまい、歴史の事実となってしまいました。もう二度と事故が起きなかった以前の時間に戻ることはできません。

 今朝、飼い猫に引っかかれてしまいました。手に傷がつきました。血も流れました。しかしもはや無傷だった時間に戻ることはできません。人間として誕生してしまったということももはやもとへ戻すことはできません。こういう不可逆性の時間のなかを私たちは生きているわけです。

 そして、出会いということも不可逆性に支配されていますね。出会ってしまったということも、もはやもとへ戻すことはできないほどの力をもっています。親子・兄弟・夫婦・師弟という二人称の出会いも、もとへ戻すことはできません。ゲーテではありませんけど「時間よとまれ」と叫びたくなる気持ちもわかります。

 時間という問題は、やはり人間にとって永遠のテーマなのではないでしょうか。曽我量深は、「時間とは道理がみずからを表現しているすがたなんだ」と受け止めました。ですから、ただ単に機械的に、無機的に時間というのは流れているのではなく、そこには「道理」ということが表現されているというのです。「道理」という言葉も、多義的で厄介な言葉です。小生は「人間に対して、それもそうだなぁとうなずかせる力」とでも受け止めています。自分はこの世に生れたんだから、死んでしまう。それもそうだなぁとうなずかせる力といったらどうでしょうか。死ということを、目の前にもってきて、現在にぶつけてくる力です。人間の生は、突き詰めれば死に向って投げ出されつづけています。死は「次の一瞬」です。死は次の一瞬にあるのです。そんな事実を忘れて私たちは生きているんですけど。事実はそういうことなんです。その事実に対して、「それもそうだよなぁ」とうなずかせる力が道理というもんじゃないでしょうか。「思い」は勝手に、存在を忘れ、道理を忘れて浮遊しています。フワフワといつでも空を飛んでいるようなもんです。風船のように、フワフワと飛んでいるんですけど、ちょっと針の先で突つかれると萎んでしまい地に落ちます。しかし、いつの間にか、時間がたつとふたたび膨らんでフワフワと飛び回ります。それが「思い」というものの本質です。どうしても抽象的であり、超越的です。

 でも事実は、絶望的でしょうね。一瞬先の死に向って投げ出されながら生が展開しているのですから。不可逆性でありますから、二度と同じ時間を体験できないのですからね。あの花火のドカーンという爆発と同じです。ドカーンと花火が破裂して、まあるく美しい大輪が散り、そして闇夜に消えてゆきます。後には一瞬の静寂が戻ります。あのドカーンという爆発、そして静寂の寂しさ。あれが生の本質でしょうね。一瞬一瞬、ドカーンドカーンと生が爆発して、その後には無数の静寂が生れます。

 生死の突端が、<いま>という時間にスパークしています。音もなくスパークしています。小生の皮膚細胞のひとつひとつの中でスパークしています。小生には意識することもできず、ただただ、スパークしているのであります。

 蓮如は、人生を「幻の如くなる一期」と表現します。寿命は何十年なんてもんじゃないと。一瞬にしか過ぎないんだと。そのようにみえている「メタ・ビュー」はどこからくるのでしょうか。マクロのマクロという視座しかそういえません。極大のマクロから見つめられたときにだけ、極小のミクロとしてのいのちが見えてくるわけです。そして極小として自分のいのちが見えてきたときにだけ、人間には自由が成り立つように思います。めんどくさい言い方をすれば、極小にまで極大が広がって、生み出した極小だからです。自己の一生も、そして人類の全歴史も、そして地球や宇宙の一生も、その極小の中におさまってしまうのでした。この新鮮な<現在>の回復が願われているように思います。

 

2003年12月02日

●今月の言葉

<いま>という時の中に

すべての過去と

すべての未来が

包み込まれている

「<いま>という時の中に、すべての過去とすべての未来が包み込まれている」を今月の言葉としました。私たちには『真宗聖典』というものがあります。あの中には浄土三部経を初め、親鸞の書かれた著作などが納められています。無量寿経を正依の経典として浄土真宗が成り立っているわけです。つまりお釈迦さまが言いたかったことの中心は、この経典が語っているのだと親鸞は見たわけです。そうすると、千五百年も昔に、お釈迦さまが生きておられて、ある言葉を説法されたのだと、考えられるわけです。それを書き留めたのがお経だろうと。しかし、そのように考えると、お釈迦さまは千五百年前のひとだということになります。

 私たちは歴史を習いますから、千年前に何がどうしたとか、何百年前にだれが何をしたかということを知っています。<いま>から千五百年前に、お釈迦さまが語られた言葉を記録したものがお経だということになると、小生の頭の中のお釈迦さまは千五百年前のひとになってしまいます。

 しかし、ほんとうにそうだろうか?という疑問が起こってきたのです。お釈迦さまは、<いま>、経典の言葉となって、そこに現に存在しているのではないかと。私たちが出会えるお釈迦さまは、どこにいるのかと言えば、<いま>言葉となっている仏陀だと。そのように考えなければ、お釈迦さまを過去の遺物におとしめてしまうのではないかと思います。そのように受け止めてみると、みるみるお釈迦さまがよみがえってきたのです。私自身が出遇うお釈迦さまとは、<いま>のひとなんでしょう。

 そうすると、親鸞もそうですね。<いま>、言葉となって生きている親鸞なんです。八百年も前に存在したひとではなく、自分にとっては<いま>現在に言葉となって呼吸している親鸞なんです。歴史で教えられた遠い昔の親鸞は、存在したのかどうかも分かりません。実証のしようがありません。『真宗聖典』という書物にまとめられた言葉であっても、本当に親鸞が書いたものかどうか分からないものもあります。もっと他のことを書かれていたのかもしれません。ただそれが現在には残っていないのかもしれません。また、もし親鸞が生きておられれば、違った表現の言葉が残ったかもしれません。いま残っているものは、ごく限られた親鸞の言葉であるのです。

 そうすると、親鸞もお釈迦さまも、<いま>生きているではありませんか。言葉となって生きているという感じです。そこに私という存在と<いま>出会っているのです。そうやって考えると、<いま>という時間に、過去のすべてが包まれていると感じられてきます。

 過去はどこにあるのかと言えば、それは人間の頭の中にしかありません。すべての現象は消えてゆきます。それでは、人間は何を生きているのとかいえば、それは<いま>ということになります。その意味で<いま>の中に、宇宙始まって以来の全過去が包まれている受け止めてもいいでしょう。

 それでは、未来はどうなのかと考えます。過去はそうかもしれないけど、未来はまだ起こってこない出来事なのだから、<いま>の中には包めないじゃないかと。しかしそうでしょうか。これから先、どれほど現象の世界が変化しようとも、その行き着く先は無であります。自己も、地球も、そして宇宙も、最後にはすべては消えて無に帰すわけです。無というとネガティブなイメージがありますけど、そういう意味でつかっているわけではありません。有という現象界を成り立たせている無のことです。それはいつでも言うように、「永遠としての無」です。 

 これから先、どれほど科学が進み発展しようとも、人間の生命には必ず限界があります。現象界はすべて移り変わり変化して無に帰します。ということは、<いま>という時間を成り立たせているのが永遠の未来だということです。未来は、やがてやってくるという形で訪れるのではなく、<いま>を成り立たせるように立ち現れてくるのです。存在を存在たらしめてくる未来、<いま>を成り立たせてくる未来、そういう形で<いま>の中に未来が包まれているといえると思います。

 還相としての未来といってもいいかもしれません。永遠の過去を包んで<いま>が往相する、それを成り立たせているのは永遠の未来からの還相であると。往相と還相とがぶつかり合って<いま>を成立させているのだと思います。そういう<いま>が開かれることが、「救い」ということだと思います。それを親鸞は、臨終を待つことはないよ、<いま>如来が浄土から来迎してきているのだから、と比喩的に答えているのです。

 

2003年12月03日 

遊びをせんとや生れけむ

戯れせんとや生れけん

遊ぶ子供の声聞けば

我が身さへこそゆるがるれ

(梁塵秘抄)

俵万智は「正確な解釈ではないかもしれないが、こんなふうに私はこの歌を受けとめてきた。『遊び』という言葉のもつ広がりや、時代的な背景を考えると、少し違うのかもしれないけれど。

 一度聞いたら忘れられないリズムと言葉。自分が生きていくいろいろな場面で、それはふっと浮かんできて、はっとさせて、またすっと消えてゆく。

 遊びをせんとや生れせむ−−仕事でくたびれはてた一日の終わりに、皮肉たっぷりの問いかけとして、この一筋があらわれたこともある。

 戯れせんとや生れけん−−恋の行方の見えない夕べに、甘いため息として、つぶやいたこともある。『梁塵秘抄』からの問いかけが、いつのまにか自分のつぶやきになってしまう。読みとれる以上の思い入れが加わって、歌を増幅させる。」と語っている。

 解説書によると作者は遊女ではないかということらしいのです。でも、万智さんがいっているように、そこに無限に自己を重ね合わせて受け止めることができるのかもしれません。だから、自分とは、時代を超えて、まったく無関係の作者がつくった作品だとしても、無縁とはいえないものを感じてしまうのでしょう。むしろ、自分の内面でくすぶっていた部分を、表に表現してもらったという感動すら感じるのでしょう。

 小生も、そこに自己自身を重ね合わせて読んでしまいたくなりました。おそらく作者のこころに最初に感じられたものは、無心に遊ぶ子供の声であったのではないでしょうか。自分にとっては外なる声として、子供の声がまずあって、その子供の声が、作者の内面にはたらきかけ、「遊び」という言葉に自分の人生を見つめている感じがします。

 まぁ、こんな歌は自分が順風満帆のときには共鳴してこない歌でしょう。万智さんもいうように「仕事でくたびれはてた一日の終わり」とか「恋の行方の見えない夕べ」にこそ感じられるものでしょう。高層ビルに登って下界をみると、そこには米粒のような家屋が密集していることが分かります。その米粒の中で、くたびれ果てているわけです。そのくたびれ果てている自分を高層ビルから眺めている感覚が、この歌にはあります。「あんなちっぽけなところで、ひしめき合って、しのぎを削って、毎日生きてるんだなぁ。」とため息が漏れてくる感覚ですね。

 そんなときに、「あそび・たわむれ」という言葉が、実にぴったりと、自分を言い当ててくるんでしょうね。まして、子供は、それを嬉々としておこなっているという、子供への畏敬すら感じます。「あそび」には終わりがありません。目的もありません。ゲームオーバーになったら、またリセットボタンをおせば、再び楽しめます。それが「あそび」のいいところでしょう。日々の暮らしも、朝がきて夜がきて、寝床に入って、リセットボタンを押しているようなもんですね。同じような日々を、朝がくるたびに生きなければなりません。ほんと、ため息がでるような繰り返しです。それは、まさに「あそび」じゃないかと、突き放して感じてみたくなりますね。

 でも、同じような日々と感じられるだけで、現実には同じ日々はないという厳粛な事実もあります。繰り返しているようでいて、繰り返しではないという日々なんです。一度きりの事実です。この世にリハーサルというものはありえないわけです。生れて、初めて、今日という、そして<いま>という一瞬を生きはじめるわけです。そう思うと、高層ビルからもう一度下界におりて、米粒のような家の中で、ミクロの自分を生きてみたいと感じました。ゲームであるからこそ、この一瞬を十全に遊んでみようと思いました。二度と繰り返しができないからこそ。

 

2003年12月04日

「トランスレーター(翻訳者)はトレーター(反逆者)である」という諺が、西欧にはあるそうです。親鸞仏教センターでは、聖典の試訳ということをやっています。手始めに歎異抄から訳しています。しかし、いつも感じることなんですけど「現代語訳」という作業には、つねにトレーターの罪悪感がつきまといます。本来、翻訳することの不可能な言葉を、現代語に変形させるのですから、「全然意味が違うだろ!」ということにもなりかねません。まぁ、誤解を恐れるならば、初めから現代語訳なんかはやらないほうがいいに決まっています。一番安全な方法は、原文の言葉だけしか用いないという方法です。これは安全です。決して間違いはありません。しかし、<いま>を生きる私たちには、なんのことやら見当もつかないということにもなります。

「親鸞がそんなことを語ったのか」と詰め寄られれば、「そう語られたという証拠はありません」と答えざるをえません。しかし、それでは逆に「親鸞がそのように語らなかったという証拠はあるのですか?」と問えば、それには誰も答えることができないでしょう。あるいは、もっと突っ込んで言いますと、現代に親鸞が生きていれば、そのように表現しなかったという保証もないのです。

 もっともっと、根源に戻って考えれば、「仏説」とは何かという問題にもなります。仏説を厳密に定義すれば、釈迦様が語られた言葉ではありません。あくまで、聴聞者によって聞き取られた言葉なのです。「我聞如是」とか「如是我聞」といって、「かくの如く、我、聞けり」です。厳密に言えば仏説とは、聴聞者の聞き言葉なのです。

 かつて西本文英先生が、「我々には、誰でも仏説を残す責任があるんや」とおっしゃっていました。聞いたということは、そこに責任がともなうんだと。そうして聞きとめてきた人間の言葉が仏説として表現されているわけです。先生の感得された真理の一言は「仏を見ようとおもうたら、この西本を見よ!」です。間違っても「自分が仏だとは言っている」と受け止めてはいけません。普通の反応は、自分が仏だと言っている奴がいると受け止めてしまうのです。その反応を見ていて、先生は「こいつは全然、仏法が分かっていないやつだ」と判断されるわけです。だいたい人間は仏を見たことがないんです。見たことがないのに、西本が仏であるはずがないと憶測するんです。それこそ独断ですね。私たちは、仏を知っていると思っているんです。お寺の本堂に立っている仏像は知っていても、本当の仏は見たことがありません。先生のその真理の一言は、自分で考えたものではなく、まさしく感得されたものです。仏説とはそういう種類のものです。

 ですから、先生はユーモアをもって「『仏説、仏を見ようと思うたら、この西本を見よ経』の一巻ができた」と語っておられました。仏説は、時代を超えて、現在にあらわれるのです。お経はどんどん増産されているのです。決して二千五百年前にとどまっているわけではありません。そうすれば、現代でも仏説が生産され、増産されているともいえるわけです。とすると、小生も、聞いたものの責任として、仏説を残す使命があるわけです。

 そういう広々として広大なものが仏法の世界だと思います。仏説はひとつだと統一する必要はないのです。ひとりにはひとつのお経というところまで、増産されてゆかなければならないのでしょう。

 ごく限られた現代を生きる「個」の実感から「普遍」へと共鳴する言葉を模索することも無意味ではないと思われます。とはいうものの、やっぱりトレーターの罪悪感は付きまとってくるんですけどね。

 

2003年12月05日

ここひと月ばかり、通夜葬儀の連絡がありませんでした。暖冬だからかなぁ、いいことだなぁと思っていました。ところが、とうとうお告げが入りました。坊さんは、通夜・葬儀をしていないと、なんか坊主の感性が鈍っていくような気がします。鈍感になって、感動のアンテナが錆び付いていくように感じます。小生が、少しく真面目になるときは、通夜・葬儀の場だと思います。ひとの死は、厳粛なものです。さらに、「本当の事実」です。だれも、これを否定することができない重みをもっています。

 ですから、変な言い方ですけど、体が「死」に飢えていくのです。「死」に乾いてゆくのです。どこかで、死者を呼吸し消化したいと欲求しているんです。お告げの電話をもらって、そういうことを感じました。イラクでふたりの日本人外交事務官が殺害されました。あの二人の死者が、我々に語っているものも大きいと思いました。私たちからすれば、平和の使者であっても、現地人にとっては、侵入者の横暴と映っているのかもしれません。年明けには自衛隊派兵がおこなわれるでしょう。戦後初めて、自衛隊という軍隊が海外に派兵されるわけです。日本の国土の内部で戦うのは自衛かもしれません。しかし領土の外での戦いは、「侵略」と見なされてもしかたありません。それがどれほどの大儀を掲げたものであってもです。

 死者の視線から、我々がどう見えるのか、あらためて考える必要がありそうです。みんな逝く場所ですからね。

 そうそう、河合隼雄さんが、自分は観覧車が好きだと話していました。一番感動したのは、ソウルオリンピックのときの、遊園地にあった手回しの観覧車だといいます。いまでは、お台場にも、そして葛西臨海公園にも、でっかい観覧車があります。ああいうものじゃなくて、おじいさんが手でまわしている観覧車だそうです。

 観覧車は、乗っかると上に登ってゆき、上空から下界を見下ろし、やがて下へ戻ってきます。円環なんですね。そして「みなさん、どんなものを見てきましたかと」尋ねられたら、どうでしょうかと。「下ばかり見ておりました…」ということになるのか。あの円環はちょうど私たちの人生と同じではないかと河合さんは言うのです。やがて下に着いたら全員おりなくてはなりませんと。もうじき降りるわけですと。そのとき、どんな景色をみてきたかですね。

 人間は知恵があるぶんだけ悲惨です。自分の人生とひとの人生とを比べることができるからです。猫は、その点すぐれています。まったく他人と比較するということがありません。比較しないので、羨望も傲慢もありません。人間だけが、あの人の人生は短くてかわいそうだとか、長くて幸せだとか、なんでも言えます。しょせん人ごとなんです。でも、死は永遠の世界への旅立ちでありますから、「長さ」という観念を超えてしまいます。「時間」という概念のなくなった世界です。永遠であり、つねに現在でありつづけるようなものに変わっていくのです。

 真宗が受け伝えてきた仏観というのは、そうでしょう。いのちを自分にまでつなげてくれたすべての先祖と、殺すことで食物としてきてたすべて生命のいのちのつながりが、<いま>、自分にまでなってきているという受け止め方ですね。亡くなったひとたちは、非常に近い存在としてイメージされてきました。だから、お盆のときの迎え火とか送り火という風習がないんですね。先祖のたましいは、遠いところからやってくるのではない、いつも<いま>、私といっしょにあると観念されているんです。それは、私の近くというよりも、私そのものにまでなっているという感覚でしょう。「一切の有情はみなもって、世々生々の父母兄弟なり」(歎異抄五条)と。その因縁世界の広がりは、どこまででも広がっていくイメージをもっています。世々生々の父母兄弟となって私を支えている。ということは、私たちの食物となっているいのちは、世々生々の父母兄弟ですから、父母兄弟を食い殺しているということであります。また、父母兄弟でなければ、食い殺すこともできないのかもしれません。あるいは、父母兄弟が、あえて自分のために身を投げて、食物となって食われてくれているのかもしれません。

 そのようにイメージしてくると、いままで「自分」と考えていた固まりが溶解してゆきます。「自分」とは、どこからどこまでの範囲をいうのかということです。まぁ普通は鏡に映った自分の身体までですね。でも、空気も大地も食物も、他のいのちとつながっていないと、自分は成り立たないのですから。すべての環境も自分だといってもいいのです。これは、目には見えない世界です。目に見えるのは、鏡に映った身体だけです。そこからはイメージの世界です。「一切の有情は世々生々の父母兄弟」というのは、イメージの世界を表現しています。いのち観といっていいのです。いままでいのちを小さくとらえていたけれども、その小さい枠が壊されて、広大なイメージへと膨らんで破裂したのが、この父母兄弟でしょう。そこには破れがあるんですね。人間は固定観念を作り出す名人ですから、いつも「あれはなに、これはなに」と知ることで、固定したがるんです。でも、そういう固定観念が、破れていくということもまた、快感のあるものです。大人になるということは、この破れの快感を感じることではないかと思います。

 「こんなやつだとは思わなかった!」と破れることもあります。「えーっ、そうだったのか!」と破られることもありましょう。まぁ、必ず破られるんですけどね。観覧車から、降りないひとはだれもいないように、破られないひともいないのです。

 

2003年12月06日

近くの団地で、鶏を飼っているひとがいるのです。まだ暗いうちからコケコッコーッコケコッコーッという鳴き声が聞こえてきます。ときたま、未明に目が覚めると、うるさいなぁと感じます。夏などは、熱いので開け放たれている窓から、鳴き声が一段と大きく聞こえます。あの声で近所のひとたちは、寝不足にならないのだろうかと不思議です。小生でさえ、殺してやりたいと思うんですから、近所のひとたちは、もっと迷惑していることだろうと思います。「大千世界のカラスを殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」という都々逸がありましたね。あれはカラスですけど、鶏もひどいもんです。

 まぁ東京の、こんな場所で鶏を飼っているということ自体を懐かしむひともあるでしょう。昔は、鶏の声が目ざましがわりだったんだとおっしゃる方もいるでしょう。でも、小生は大変迷惑しています。あの都営団地は、いまでは老人ホーム化してきていますから、鶏が鳴くころにはみんな起きているから、気にならないのかなぁと思ってみたり、あるいは、鶏の飼い主が団地の有力者で、みんなが迷惑していても、抗議ができないでいるのかなぁと勘繰ってみたりしています。近頃は、日の出が遅く、朝がなかなかやってきませんから、起きるのが辛いですよね。それでも、真っ暗なときに、あの声を聞くと「このやろー」と怒りを感じているのでありました。

 今朝の新聞には「自動思考」ということが載っていました。「人の気持ちは、起こった出来事や状況が直接決めているのではなく、その時、頭に浮かんだ考えである『自動思考』が決めている。つまり、人は落ち込むようなことを考えるから落ち込むのである」と。上司に注意されるとすぐに落ち込んでしまうひとの話が出ていて、そのひとに上司から注意されたときにどういう「自動思考」が起こったかを記しなさいと書かれていました。

 確かに、人間は、単純な事実に反応するばかりではなく、その反応を「考える」ということで受け止めている場合が多いのです。朝、子供が出掛けようとしているときに、「今日は、遅いの?」と声をかけます。帰りが遅くなるのですか?と親が尋ねます。すると、子供は「うるせーなー」といってバタンと扉を閉めて出ていってしまいました。単純に、今日の帰りが遅くなるのかどうなのかという事実を確認しようとしているのに、子供は「自動思考」をはたらかせます。つまり、親の「今日は遅くなるの?」という言葉を、「遅くなるのはいけないことだから、早く帰ってきなさい。早く帰って来ない子は悪い子よ」というメッセージを聞いてしまうのです。子供は親からの強制だと「自動思考」で考えてしまいます。それを簡単に言えば「憶測」というのでしょうけど、日常生活を見渡してみると、この「自動思考」というか「憶測」だらけで動いているなぁと感じてしまいます。

 さっきの鶏の鳴き声にしても、もう少し「自動思考」が複雑にはたらけば、「あの鶏はオレを寝かさないために悪意をもって鳴いているんじゃないか」とか、「飼い主がけしかけてオレを寝かさないのじゃないか」とね。あまりひどいと被害妄想になりかねませんね。でも、そういう状況が世間には充満しているように感じます。

 これだけ人間が密集して暮らしていると、密集していることも忘れて日常化してしまうんですね。満員電車に乗っていると、それが普通の感覚になってしまいます。苦痛を日常的に受けていると、その苦痛が当たり前になって、苦痛とも感じなくなるということがあるのです。以前にも、近所のひとから「うちが覗かれているような気がする」と苦情を聞いたことがあります。サラ金業者の盗聴事件があったように、都市では他者の視線や他者の聞き耳に敏感になっています。それはもはや敏感を通りすぎて、過敏になっているとも言えましょう。そうかと思うと、電車の中でのお化粧行為や、携帯電話では、となりにひとがいないかのような振る舞いも成り立つという、チグハグな情況になっています。昔は、もっと個人の時間が充分にあったのでしょうけど、いまでは、そういう状況が許されないのでしょうね。個人の時間が社会的時間に浸食されてきているのでしょう。もっと、無口に、もっと静寂に、もっと静かに孤独を味わう時間を確保しなければ、この先日本人はどうなるのだろうと心配になります。

 いまNHKで「小津安二郎」生誕100周年特集をやっています。小生も「東京の女」「宗方姉妹」「東京暮色」を観ました。ここまでの印象は、あの時代に流れていたゆるやかな時間の雰囲気です。まぁ笠智秀の物腰のやさしい雰囲気が、そのゆるやかさを感じさせるのかもしれませんけどね。会話と会話の間に流れている沈黙の時間。そのくせ、あまり感情を即座にあらわさないのです。現代の映画であれば、感情の表現がストレートに、間髪を入れず、反応が返ってきます。昔は、ジーッと相手のこころの中を見渡して、その奥から言葉が紡ぎだされるというゆるやかさがあったのですね。現代人の忘れてしまった、ゆるやかさです。

 でも、そこにあらわれている人間模様は、現代とまったく変わっていないということが分かります。失恋やら夫婦のいざこざ、不倫やら自殺という人間の悲哀は古代から変わらないテーマなのだと思いました。人間は、進歩なんかしてないということがアリアリと表現されていました。機械が便利になると、人間まで進歩したのだと錯覚してしまうんですね。これもまた「自動思考」の成れの果てなのでしょうか。

 

2003年12月07日

「権力の最後の姿」は「牧人権力」だとフーコーは言っているそうです。牧人とは、羊飼いのことです。羊飼いは、自分の羊を守るためにはいのちをなげうってケアをするそうです。これは、つまり、ケアする側の権力を言っているのです。つまり、その、これは、ケアする側が、よかれと思って、することのもっている、ある種の力を意味しているわけです。ケアされる側には、それを拒否する権利はないという、無言の圧力になるわけです。

 よかれと思ってやったことが、相手を傷つけていたり、相手を無視していることはよくあることですよね。かつて駅で車椅子の男性が、電車に乗るとき、難儀していたので、手助けしました。なにもお礼を期待してやったことではなかったのです。その方は、私が手伝ったことに対して嫌悪の顔をされたのです。小生も、その方が充分に危なげなく電車に乗ることができるのであれば、そのような手助けはしませんでした。小生から見ると、それはいかにも危なそうな感じだったのです。それを感じたひとは、小生ばかりじゃなく、周りにいた他のひともそうなんです。で、二三人で車椅子を電車に載せました。でも、余計なことをするな!といった顔つきなんです。もちろんお礼の言葉なんかありません。

 みんなもそうだと思うんですけど、なにも、お礼の言葉を期待してやったことではないのです。でも、嫌な顔をすることはねぇだろう!という気持ちにはなりましたね。

 でも、おそらくそれは、あのひとにとって、私たちに「牧人権力」を感じとってしまったのでしょうね。どうしても、肉体的に健常だということに無言の差別観を感じてしまうのでしょうね。それも無理からぬことだなぁと、思います。でも、その出来事は、小生の中にある「牧人権力」を自覚させてくれたので、いい勉強になりました。どうしても、「してあげる」と「してもらっている」ということには、上下関係が生れてしまいます。相互に役割をかえることができるのであれば、その負担度は変化しますけれども、一方的だとすると、それはしんどいかもしれません。

 なにも自分は社会のためにも、ひとのためにも役に立っていないという時期があります。まだ、そういう状態じゃなくても、必ずそういう状態になります。そのとき、ただ存在していることに耐えられなくなってきます。役に立つかたたないかという論理で人間は生きているからです。その意識が持ちこたえられなくなるんですね。ただただ介護され、ただただケアを受けるだけとなると、気持ちまで病んでしまいます。

 そこで、救ってくれるのは、小生にとっては猫です。猫は、なんの役にも立ちません。ただただキャットフードを食べて、寝て排泄しているだけです。お金がかかってしょうがありません。でも寝ている姿を見ては人間は、癒されます。猫は人間を喜ばせようとして寝ているわけではありません。ただ、ただ生きているだけです。あの猫のほうが、人間にくらべてよっぽどすごいたましいをもっていると思います。無益ということに対して、ものすごい免疫力をもっています。でも人間は、無益にはなれませんね。なんとかしたい、なんとか意味を見いだしたいと考えます。

 バカだなぁ、お前!オレをみろよ!と猫が語ってくれたらいいのにと思います。ほとんど仏さんに近い存在ですね。人間は、たくさん知っているので、ダメなんですね。知りすぎてバカになっているんでしょう。何にも知らないような顔をしている猫のほうが、よっぽどすごいです。頭が上がりません。

 死ぬときも、あの孤独はすごいです。だまってジッとして、ただひとりでポツンと眠っているんです。辛いときにはだれかに慰めてもらおうなんて思わないんです。人間より数段上の生き物だと、思わず拝みたくなるのでありました。

 

2003年12月10日

ちょっと、六組の旅行で箱根に一泊で行ってきました。二日間あっという間に過ぎてしまいました。ほんとに「楽しい時間は短く、苦しい時間は長い」と感じますね。物理的には同じ長さなのでしょうけど、なんであんなに感じかたが違うんでしょうか。ナゾですなぁ。遊んでいると、一日があっと言う間です。

 一年があっという間に過ぎる感じだとみなさんおっしゃいますけど、そうすると、一年が楽しい時間になっているということなんでしょうか。楽しい時間は早く過ぎるんですからね。大人になるほど、一年が短く感じられるといいますから、大人ほど遊び好きということになるのでしょうか。

 そうじゃないだろうという吾人もいると思います。「決まりきった日常があるからだ」と、英語だとルーティン・ワークというのでしょうか。日々お決まりの時間に起き、決まった時間にご飯食べて、型通りの仕事をして、決まった家の決まった布団で寝る。すべて決まっていて、なんの変化もないと。そういうルーティンを繰り返していると、一日が早く過ぎるのだと聞いたことがあります。子供のころは、日々変化があったり、感情の世界が変化したり、一日が長かったと思います。大人はルーティン・ワーカーになってしまったんですね。子供の知恵に学びたいと思います。「子供」からもっともっと学びたいと思います。躾けなんてとんでもありませんよ。いつも「子供」から教えられ、導かれてゆきたいと思っています。「子供」は菩薩のような存在ですからね。

 今日は真宗会の日です。準備をしていたときに新しい言葉に出会いました。それは「本願感情」です。こういう言葉があるのかどうかわかりませんけど、小生に聞こえてきた言葉です。別に目新しいことじゃないんですけどね。どうしてみようもないときに、私たちの心の中には、嘆きが訪れます。その嘆きが深ければ深いほど、その嘆きのそこから、それを包み込もうとする感情のあることが感じられたのです。私たちの日常には、絶望につながる扉がいくらでも用意されています。不条理な出来事や事件に出遇うことがあります。なんで私が?なんでいま?なんでこうなるの?と嘆きます。そして、どれほどその嘆きが深く暗いものであっても、決して見捨てることなく包み込もうとする感情のあることが感じられます。人間は、自暴自棄のときって、やけのやんぱちで、自分に暴力をふるい、自分を棄ててしまうことがあるのです。どれほど自分を棄てようとも、決して捨てることのない感情、それを本願感情というのでしょう。 ですから、自分を信じられなくていいんです。自分なんか信じられるものじゃないんです。自分を信じられないのは、信ずる必要がないからです。自分を信じなくていいということが救いなんです。自分なんか、気分次第でいくらでも、自分にウソをつくんです。思い上がったり絶望したり、いくらでもやるんです。そういう自分はもう捨ててしまいましょう。そんな自分を信ずることはやめましょう。そんなのは当てになりませんよ。それじゃ何を信ずるのか?そんな問いすら要りません。なにも信じなくていいんです。信じるものは何もない、こんな幸せなことはないじゃありませんか。

 もし、自分は○○を信じているんだ!というふうに凝り固まると、それ以外を信じているひとに対してアンチ感情が起こってきますよね。真宗は逆説的にいえば「何も信じなくていい信仰」とでも言いかえたらいいのではないでしょうか。仏さまも、神様も、そして自分すらをも信じない信仰だと。そんなことを言ったって、親鸞聖人は阿弥陀如来を信ずると言ってるじゃないか!と批判されるかもしれません。あれは、親鸞というひとが述べている信仰告白ですから小生とは違います。親鸞は親鸞でいいんです。親鸞のように自分も阿弥陀如来を信じていますなんて言う必要はないんです。ああいう表現が親鸞の限界でもあります。それは、何も貶しているわけじゃありませんよ。親鸞という器量は小生とは異なっているということを言っているのです。むしろ親鸞の感じていた世界と、小生の感じていた世界は同じようなものだという実感が、そう言わせるのです。親鸞は「阿弥陀を信ずる」と表現し、小生は、「何も信じなくていい」と表現するのです。でも、言いたいことは同じようなことなんです。

 そのとき感じたことを、そのまま表現してみる。言葉にしてみる。そうすると、自分でも驚くような表現が生れてくるんです。おそらく親鸞もそうだと思います。あの「如来廻向」という表現は親鸞でも、エッーと驚くような大転換の言葉だと思います。自分が表現したというふうにはいえないような表現が、親鸞の奥底から生れてきたのです。ですから、親鸞も自分を信じていなかったのでしょう。自分以外の何か、仏以外の何か、それはまだ信じたことのない何か、そういうものが起こってくるんです。これはアクシデントのような出会いかたですね。ですから日々また新たに自己に出会っていくともいえるわけです。

 「今日」という一日は、前代未聞、空前絶後の「今日」という一日ですね。地球が、そして人類が、いまだかつて経験したことのない一日です。そして、いまだかつて経験したことのない「自己」です。そんな「自己」と新しく出会っていく「一日」なのです。

 

2003年12月11日

ひとり聞法

昨日、門徒の方から、家の前を毎日掃除しているということをお聞きしました。別にひとにほめてもらおうとか、そういうことで始めたものじゃないと言っておられました。でも、朝早く掃除していても、声をかけるひとはいませんねとおっしゃっていました。昔は、おはようとか、なんとかあったもんだけど、まったくなしですねと。大人ばかりじゃない、子どもまでもが、挨拶をしないといいます。大変に嘆いておられました。 

 自分は、家の近所がきれいになって気持ちがいいからやってることなんだけど、挨拶のないことに不満をもらされていました。まぁ、人間ですから、気分のいいときもあれば、悪いときもありますよね。アメリカみたいに、「アーユーファイン?」と挨拶されれば、「アイム、ファイン、センキュー」と答えなければいけないということもありません。ファインじゃないときだってありますからね。ファインじゃないのに、無理してファインと答えることほど辛いことはありませんね。

 子どもはまだしも、大人が子どもにそういう教育をしていないからだともおっしゃっておられました。しかし、これは東京ばかりじゃなく、都市部の抱える問題でしょうね。先住民のところに新住民が入り込んできて、ストレンジャーばかりになってしまったからです。特に江東区はマンションラッシュで、ひとの密集地帯になってきました。ですから、小生でも道を歩いていて知り合いにはまず会いません。先住民であれば、「こんちわ」くらいの挨拶はありますけど、新住民は無視です。そういうギクシャクがあって、人間にいろんな変化をもたらしているのだと思います。「知らないひとと口をきいてはいけませんよ」というのは、どこでも聞くことですからね。ライオンの檻の前を、静かに通過するように、だれとあっても、感情や表情を変えずにいなければならないとね。相手を無闇に刺激してはダメですよと。一時期「キレル」というのがありましたけど、感情が過敏にアレルギー体質になっていますから、ひとには関わらないほうがいいというのが、通り相場になってます。これは都市部の抱える闇なんでしょうね。これはますます強くなってゆく傾向でしょう。

 それをよく表しているのが、東京のタクシーの運転手と、地方の運転手の対応の違いです。東京じゃ、タクシーの運転手は怖いくらいの対応ですよね。でも、地方にいくと妙に親切で、こっちがゾッとするくらい優しいひとたちが多いです。これは、都市と地方の空間の違いが人間にもたらす、ハッキリとした変化ですね。

 話を戻しましょう。

 だいたい、通勤のひとは、これから嫌な職場に向うわけですから、ファインなはずがありません。子どもにしたって、鬱陶しい学校へ行くわけですから、ファインなことがあるわきゃないんです。だから、挨拶したいという気分になれないというのも分かるような気がします。しかしそのかたは、毎日掃除しながら、そんなことを考えながら、ホウキで道端を掃いているそうです。そして、なんだかんだとこころの中で思いながら、気がつくと掃除が終わっているというありさまです。これは、おそらく「ひとり聞法」でしょうね。

 ひとがどうこう思おうと、自分はこの仕事をすると決めたわけです。そして、自分の日課としてこなしていくとき、こころの中では様々な葛藤やら、感情の動きを体験することができます。そして、気がつくと、その感情の動きも終わっていて、あとには美しさと、清潔感と、やり終えた達成感を感じ取ることができる。空から始まって、空に終わる。こんな素敵な「聞法」はないなぁと感じました。

 そう思うと、通勤だろうが、通学だろうが、仕事だろうが、一切合切が「聞法」ということだと受け止めてもいいように思います。普通は自分のこころを鏡として聞法していますけど、それを自分以外に基準を置く、自分以外に鏡をもつというところが仏道のいいところです。

 わだかまりが残らずに、たまってしまったこころの滓を全部取り除いてくれて、スーッと初心に立ち返らせてくれるのが聞法の味だと思います。生れたまんまのみどり子の状態にもどしてくれるといってもいいのでしょう。子どもに帰ることができるよろこびとでもいいましょうか。

 まぁホウキをもって掃くというのは、釈迦十大弟子の周梨槃特(シュリハンドク)さんの専売特許ですね。他にも「ひとり聞法」に都合がよいのは、歩くことだそうです。あのルームランナーではダメだそうです。やはり、屋外に出て、景色を見ながら歩くのがいいようです。どうしても、景色が変わってゆかないと脳の動きも固定してしまうのではないでしょうか。景色が流れ移ってゆくことで、脳の思考の糸車もドンドン回転して糸を紡ぎだしてくるように思います。ギリシャ時代には、逍遥学派というのがあって、もっぱら散歩しながら思索をしたようです。やはり歩くということは、考えるということと深くつながっているのです。

 でも、最近じゃあんまり人間は歩かなくなりましたから、考える力が劣ってきたのではないかと思います。一歩一歩、コツコツと地道に歩む。小生のようにパソコンしか相手にしていないような人間は、ますます思考力が劣ってきて、頭と内臓系しか最後は残らないのかもしれないと、少し恐怖を感じています。

 

2003年12月12日

河合隼雄さん推薦の『シャーロットのおくりもの』(あすなろ書房)を読んでみました。実に、温かい気持ちにさせられました。農場を舞台に展開する動物たちのお話とでもいったらいいか、ファーンという女の子と愛する豚(ウィルバー)の物語といったらいいか、迷います。作者はニューヨーク生まれのE.Bホワイトさんです。この本は全世界で一千万分も売れている本です。よくディズニーが映画化しないものだと不思議なくらいです。それとも寡聞なため小生だけが知らないのかもしれませんけどね。そういえば、この作家の「スチュアート・リトルの冒険」はアニメ化されましたよね。

 『シャーロットのおくりもの』は、50年前くらいのアメリカの農村地帯の牧歌的な生活空間の中でのお話です。ファーンの家に子豚が生れたところからお話は展開します。斧をもってお父さんが、豚小屋に行こうとします。なんで豚が生れたのに斧をもっていくの?とファーンは不思議に思います。お父さんは、小さすぎるから始末するんだといいます。それを聞いたファーんは、一心不乱になってお父さんを制止しようとします。「なんで、子豚を殺すの!小さいからって殺していいわけないじゃない。別に、小さく生れてきたのは子豚のせいじゃない!もし私が小さく生れてきたら、お父さんは私を殺すの!」というようなやりとりが起こります。お父さんも、ファーンの必死な抵抗にあって、殺すことをあきらめ、その代わり、どんなに子豚を世話するのが大変か、お前が育ててみたらいいさ、というのです。ファーンは、喜んで子豚を世話します。

 子豚の名前はウィルバーと付けました。子豚はやがて大きくなって、近所の農家に売られてゆきます。ファーンは毎日学校が終わると、その農場にいって小屋のなかのウィルバーと話をします。この年頃には、まだ動物と話ができるんですね。大人になるとさっぱり動物とは話ができなくなるんですけどね。

 ところがヤギのおばさんが、ウィルバーに大変なことを教えてくれるんです。お前は、毎日楽しそうに、よく食べて太ってきたけど、冬になったらどうなるか知っているの?と聞くのです。冬になったら、殺されてハムやベーコンになるんだよと教えるのです。それを聞いたウィルバーは、血相を変えます。死にたくない、死ぬのはいやだと鳴きだします。そこから、クモのシャーロットの知恵をかり、現実主義者のネズミのテンプルトンの手を借りて、その大問題を乗り越えてゆくのです。どうやって、その難関を切り抜けてゆくのか、そこからは、実際に本を読んでいただけたらと思います。途中には涙を誘う場面がありまして、小生も、胸が温かくなる思いをしました。結末は、決してハッピーエンドばかりじゃないんです。

 いろんなことを教えられる場面が随所にあります。やはり、世界で一千万人が愛読していることがよくわかります。少年少女向けの本とばかりはいえません。大人のための絵本といってもいいのかもしれません。

 そして、自分のいままで歩いてきた人生を絵本にしたら、どんな本になるのかと想像してみました。平凡なようでいて、実際には波瀾万丈という絵本ができるのではないかと思いました。

 

2003年12月13日

昨日は「イラク戦争の現場から〜メディアでは分からない現地報告会〜」に行ってきました。この会は、うちの門徒の柿沢未途都議が開催しているゼミナールで、今回は第3回です。講師は木山啓子氏(国際NGO・JEN事務局長)、そして未途さんとのクロストークでした。

 やはり現地で活動されていたかたのお話は、マスメディアから受ける感触とはだいぶ違ったものを感じました。「支援」ということを、いかに地道に、その国の人々を大事に行うかということを教えられました。支援の鉄則は、その国の人々に依存体質を作らないことだといいます。あくまで、自国の人々が、自分たちの手で管理運営できるように支援をさせてもらうということだそうです。

 実際に、戦禍で破壊された学校を修理建築するという仕事に関わっておられたそうです。一時期よりはましになったけど、まだ略奪が横行していて、学校の配電盤やら電気のスイッチまでもぎ取られていました。略奪品を売買するアリババ・マーケットというのがあるそうです。 イラクの一般市民の生活は割合に平穏だそうです。それは、テロに遭いやすい場所とそうではない場所があるだけで、そういう見極めがあれば、まずまず平穏だという意味だそうです。遭いやすい場所とは、米軍施設などの近く、国連関連の近くなど、テロの標的になりそうな場所には近づかないというのが、身を守る術だそうです。

 イラク市民に、フセイン時代と現在とくらべてどうかと質問したそうです。そうしたら、フセイン時代には、おおっぴらにフセイン批判をしたら、すぐにしょっぴかれるという恐怖があったそうです。いまはそういう恐怖はない。しかしいまは電気や水道などが滞ってしまって、ものすごく不便だと。失業率も七十パーセントですしね。だから、どっちもどっちで、一概にくらべられないという感想だったそうです。

 それから、NGOのエマージェンシーのリストは山ほどあるなかで、重要な決まりは、決して武装をしないということだそうです。もし強盗がきたときに、我々が武装しているということだと殺してから略奪をするけど、もともと武装していないということが分かっていれば、銃を突きつけられても、いのちまで取られる可能性は低いということらしいのです。それでも、やはり危険性は付きまといますね。一滴の血も流さないほうがいいけど、一滴の血も流さずに支援はできないのだという決意のようなものを感じました。木山さんというひとは、松任谷ユミに似た顔をしていました。とても、芯の強いひとだと感じました。

 それから、自衛隊派遣の話に移りました。

彼女は、まず政治的な観点よりも、実利的な観点で反対していました。自衛隊員ひとりの日当が三万円で、千人が一日働けば三千万、十日で三億円です。それに日本から資材を運ぶ運搬費用などを加えたら、ものすごくコスト高になるというのです。もし、そのお金をNGOに頂ければもっと有効な支援ができるといいます。自衛隊は軍隊ですから、どうしてもトップダウンの指令系統で動きます。そんな軍隊がイラク民衆の望む形で支援できる可能性は低いともいいます。米軍でも、学校を直したりしているそうです。しかし、やりかたが杜撰で、まったく修復になっていないということがあるそうです。彼らは、自分たちの計画通りに作業をしていくだけで、それがイラクの民衆にとってどうかという観点では支援しないと語っていました。それでは本当の支援ではないと。

 それから、自衛隊が、どれほど支援をしにきたんだといっても、やはりイラク民衆の目には軍隊と映ってしまうだろうとも言っていました。別に自衛隊が来たせいで治安が悪化するということはないだろう。しかし、テロの標的が増えるということではありますと。やはり米英の手下として見えてしまうということは免れませんからね。自衛隊を派遣する小泉さんであっても、別にイラク民衆のために派遣するわけではないですよね。日本の国益のために派遣するんですからね。そういうストーリーが読めてしまえば、ますますイラクの民衆は、「やっぱり、自分たちのためじゃなくて、日本のため、アメリカのために、支援しにきたんじゃないか」と受け止めてしまうのではないでしょうか。

 スライドの写真もいくつか見せてもらいました。略奪にあってスッカラカンになっているビルやら、爆弾で破壊された宮殿やら、ビルが映っていました。しかし、不思議にもひとつだけ無傷の建物があったのです。それは石油省のビルです。アメリカ軍が素早くここだけは押さえて、まったく無傷のままで、現在も管理されていました。これには驚きですよね。あまりにもあからさまというか、ほんとに何が目的であるかが、明々白々ですね。「やっぱり、そうか!」という思いが拭いされません。そのご相伴に日本もあずかろうとしているわけですからね。

 まぁ、百歩譲って支援のプロであるNGOの専門家とチームを組んで行うということであれば、少しはイラク民衆のお役に立つことができるかもしれません。でも、NGOは、ノン・ガバメントですから、ガバメントは、それを了承しないでしょうね。

 もはや米軍の撤退ということしか、治安の回復は望めないようにみえますけど、どうなんでしょうか。

 ティアラ江東の帰りに、扇橋二丁目交差点にある「はな」という焼鳥屋さんで一杯やりました。ここは門徒の息子さんのやっているお店です。鳥が新鮮で、とてもリーズナブル。ネギマにハツのガーリックは美味しかったです。ぜひ一度、訪ねてみて下さい。小生は焼きとりが大好きであります。まったく「頭」と「胃袋」の事情の落差が、これほどあるのかと呆れ返りますね。ごちそうさま。

 

2003年12月14日

クリスチャンのタクシー運転手さんに出会いました。三十代でしょうか。上野から乗ったら、ユニフォームの小生を見て、「噺家さんですか?」と切り出してきました。あぁ、和装コートを着ていたんで、噺家と思ったのだと思います。「実は坊さんなんだ」と切り返しました。すると自分は家がクリスチャンで、幼児洗礼を受けたんですと言います。

「もしかして、洗礼名はヨハネ?」

「そうなんです。ヨハネなんです。あんたもヨハネと聞くと、「そう」と答えるひとがおおいです。女の子だとマリアが多いんですよ」

「英語だと、ジョンとマリーだね」

「そうですね。あの〜、告悔室で告白したこともあるんですよ…」

「へぇー。アッ、そこの角を左に曲がって、次の信号右ね!」

「はい。小さいころに、万引きしてつかまったことがあって、それを…」

「そうなんだぁ」。

「あの、告悔室ってどう思いますか?」

「そうねぇ、告白すれば罪が除かれるんでしょう。イタリアじゃ、告白すれば罪が許されるから、毎日告白して、毎日犯罪を犯しているひとがいるんだそうですね。」

「そうなんですよ」。

「告白すれば、なんでも許されるというのはどうかなぁ?確かに許されることは大事だし、当然、最後はそこにもっていかなきゃならないんでしょうけど、ちょっとインスタント過ぎやしない?相手が、本当に罪の意識をもって、苦しんで、その苦しみの底にいったときに、許すということがあってもいいと思うけど、一回くらいの告白じゃ、とても、そこまではいかないんじゃないかなぁ…。相手は、許されることを予想して告白にくるわけだから、やっぱり、許されないことをしたという自覚が深くなければ、許しちゃダメだと思うんだけどね。」

「あの〜、実は、自分は軽自動車を窃盗して刑務所に入っていたことがあるんですよ…」

「そうなの〜」。

「それだけのことなのに、ひとの見る目が変わってくるんですよね…」

「アーッ、そこ、そこで降りるから止めて!なんだか、深刻な話を私のようなものにしてくれてありがとう。お釣りはいらないからね。」

「あっ、どうもすみません…」

車を降りてから、もっと話を聞いてあげたい気分でした。小生も、若いころに自転車を拝借したことがあって、その話をしようかと思っていた矢先に、自宅に到着してしまいました。つい出来心といいましょうか、魔が差すということあるんですね。「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いをもすべし」と親鸞は語るんですけど、やはり自分は「業縁」のはたらきに押し流されて生きるものなのだと、教えられます。予測もつかない自分が自分の中に潜んでいるのです。「外面如菩薩、内心如夜叉」ということがありますよね。ジャンバルジャンのように、神父との出会いによって、善人に変身するということも起こりえるんです。

 人間は、現時点では、いつでも「善悪無記」と唯識ではいうそうです。善悪無記とは、善にも悪にも動くことができるゼロ・ポイントに「現在」はあると考えます。そうですね、悪いことをしてきた人間が、また悪いことをする可能性もありすまけど、善を行う可能性もあるわけですから、善悪無記なんですね。『クモの糸』の主人公であります、大悪党カンダタのように、クモを助けてやるということも起こるわけです。逆に、善人であっても、未来に悪事をしないとも限りません。ですから善悪無記です。

 ひとは南無阿弥陀仏を忘れているとき、悪に傾きますね。南無阿弥陀仏がどこかで自覚されているときには悪への傾きが修正されるのですね。ここでいう悪とは、道徳的、刑法的な悪をいってるんですけど。ひとを憎いと思うとき、南無阿弥陀仏を忘れていますね。目の前のひとが、家族であろうと、なんだろうと、一期一会の実存として見えていません。限りのあるいのちをもった実存として見えていないんです。もっと比喩的にいえば、相手をいままさに息が絶えようとしている重病人と見えていないということです。相手がもし重病人で、断末魔の苦しみを受けている人間であれば、そのひとに対して憎しみは起こってきません。「人身、受けがたし」という眼で、相手を見る事ができないんです。それは南無阿弥陀仏を忘れていることです。すべて悪は南無阿弥陀仏を忘れているときに起こってくるのです。

 相手がどれほど憎らしいと思っても、ちょっと待てば、相手は必ず死ぬんですと養老猛は言ってましたね。そうそう焦らずに待っていればいいんですよと。そういう余裕があればねぇと思います。

 それにしても、小生に告白してくれたタクシーの運転手さんは、あれからどういう気持ちでいるのだろうと思います。罪は絶対に消えませんからね。やってしまったことは、やってしまったことなんです。だれが正当化しようが、ダメなんです。もともと取り返しのつかないことをする生き物なんだというところまで開き直れればいいんですけど、もし、その罪を帳消しにしたいということだと、苦しみますね。やはり、とことこんいくと、「宗教」的なものが人間には欠かせないんでしょうね。

 

2003年12月16日

山形教区へ一泊で行ってきました。今年は暖冬で、峠の雪も少なく、興ざめでした。そこで生活しているひとには、申し訳ないのですけど、本音です。福島から在来線に入って、米沢へ抜けるところに板谷峠があります。下を覗き込むと、せせらぎが聞こえてきそうな川が流れています。例年ですと、ここは、一面の銀世界で、電車の音も消されて静かです。どうもそういう風情に浸ることもできずガッカリでした。

 まぁ暖冬だ暖冬だと騒いでいて、CO2の出し過ぎが問題だとマスメディアは言ってます。でも、そうとばかりは言えないと養老さんが言ってましたね。地球の変化なんか何億年単位で動いているんだから、たまたま、地球がそういう時期にさしかかっているのかもしれないじゃないかと。CO2の出し過ぎというのは、ひとつの仮説であって、それが全部だというのでは全然ないんだと。現代の悪いところは、ひとつをもって全体を判断するということだといいます。これは確かにそのとおりと思いますね。ひとつ悪いところがあると、もう全部ダメなんだと判断する傾向が、人間にはあります。まさに、原理主義ですね。まぁ「一悪を取りて、衆善忘るる」という故事がいってるとおりですね。この傾向は、現代に始まったわけじゃなくて、古代からあったんでしょうね。あったから、そういう故事が残っているんですからね。

 そういえば、人間の未来ということも全然わかりませんね。仏教は、一応人間を「仏道を歩んでいるもの」だと見ます。毎日ご飯食べて、寝て、働いて、と生きてますけど、その全体はどういう意味があるのかといえば、それは「仏に成る」ためだと考えます。別に菩提心があろうとなかろうと、人間は生きる意味を求めて生きているわけですから、成仏を願っていると言っていいと思います。一見すると、「幸福」を求めていると見えるんです。でも、人間は、決して何が究極的な幸福であるかを知らない生き物ですから、それは絵に描いた餅なんです。馬の目の前にぶら下げたニンジンと同じです。老・病・死という限界状況を突きつければ、人間の考える「幸福」はくずれてしまいます。ですから、ほんとうは「もろい幸福」を求めているんじゃなくて、その全体を受け入れる意味を求めていると見るべきでしょう。たとえ、老・病・死があっても、それでなおかつ生きる意味があるといいたいわけです。どれほど不幸な状況であろうとも、それを受け入れる意味がほしい、もし意味さえみつかれば、人間は不幸を受容できるんです。そしてその意味を見いだすということが「成仏」という言葉で考えられてきたのでしょう。

 人間は、何に成りたがっているのかと問えば、それは仏に成りたがっているのだと仏教はいいました。それを現代風に言えば、「自己自身に成る」といってもいいのでしょう。でもそれは比喩的です。「自己自身」なんてだれも分からないのですから。エーッ自己自身なんて、もうすでに成ってるじゃないかと反論されそうです。成っているんなら、ご飯食べたり、生きるという必要はありませんよね。固定しているんなら、それでもいいんですけど、やっぱり、毎日動いて食べて排泄して仕事して、と人間は動きますから、どうしても「成る」という言葉じゃないと掴みきれないでしょう。人間は動物ですから、動くものです。動いてどこかに向っているということでしょう。一瞬一瞬「成っていく」ものだと受け止めたらどうでしょうか。成長といっていいのかどうか迷いますけどね。若いころは成長でしょうけど、成熟から老化へ下降線を辿ることも「成長」といいえるんでしょうか。熟年という言葉を作り出したように、「熟する」という動詞として人間をとらえたいんですね。やはり「成っていく」ものでしょう。それじゃ何になっていくのか?そこに「自己自身」という暗号を起きました。それは何だか分からないものです。自分がどうなりたいのかも分からないでしょう。少し健康、少し贅沢、少しリッチになりたいのは分かるけど、究極的にどうなりたいのか?なんていうことは分かりません。そこに「分からん」という壁があるんです。その「分からん」という壁を味わってやろうと思います。

 人間に未来が分からないように、自己自身に成るということも何になるのか分からないんです。分からないからダメなんじゃなくて、分からないから味があると受け止めたらどうでしょうか。それは究極的に分からないということで、少しくらいのことは分かっていないと困りますけどね。究極的に分からないという壁にぶちあたると、逆に<いま>という時と場所が輝き出します。壁が見えないときには、<いま>がないんです。それまでは、<いま>は未来のために費やされてしまう材料として大事にされません。<いま>自身を<いま>自身として尊ぶということができません。

 そういう意味で、分からんという壁は大事なんです。分からんということが骨身に沁みてくると、子どもや猫や草花と同じレベルに立てるんだと思います。分からんという壁だけが、自分自身を徹底的に相対化し、対象化してくれるんです。今日も分からん、明日も分からん。たかが分からん、されど分からん。分からん<いま>を味わい尽くすことにエロスを感じています。

 

2003年12月17日

宗教の救いは、現実的な利益には直接結びつきません。ただ、「空しさ」を超えるということが眼目だと思います。いわば、「意味の救済」でしょう。現実的な利益は、人間の欲望の数ほどあります。これでよいということはありません。そして、人間は現実的な利益が満たされたとしても、「空しい」という感覚からは逃れることができないようにできています。石をパンに変えろといったサンタの要求を、すんなりとイエスはかわしていますね。人間はパンのみで生きられない生き物であって、言葉によって、つまり「意味」によって生きるのだと。この「パンのみ…」という、この「のみ」が大事だと思います。

 この世は、苦しみ多い娑婆だから、この苦しみの娑婆の生命が終わったときに救われるんだということじゃ、あんまり頂けませんね。安田理深は「一応、未来の救いということもできるが、厳密には現在の救いである。厳密にいえば未来に救いはないのである。現在ということが救いである。むしろ救いのないものには現在がない。永遠のはたらきとしての現在がない」(『親鸞における時の問題』)と明言しています。

 浄土教は、すぐにお浄土に往生して、やがて救われるのだと神話的に説かれてきました。しかし、「厳密には現在の救い」と言いきられます。それじゃ浄土教じゃないじゃないかと批判されそうですね。でも、もし、いま救いが成り立たなければ、死んでからなんて、当てになりませんよね。明日のことは分からないのが人間ですからね。どうして「現在」といえるのかというと、「つまり過去とは、過去についての現在の意識である。(略)つまり未来とは、未来についての現在の意識である。過去も未来も現在の意識の転変である。」ということで分かります。過去といっても、未来といっても、それはどこにあるのかといえば、「現在の意識」としてあるのだというわけです。過去は、後悔や記憶の意識としてあります。未来は、希望や予想の意識としてあります。しかし自分の現実は<いま>という現在しかありません。今月の言葉のように、<いま>という中に過去も未来も包み込まれているわけです。そういう意味での<いま>であって、過去・現在・未来と切り離された中での<いま>ではありません。

 よく言うことですけど、<いま>が幸せだと感じられているとき、それまで自分が生きてきた過去が全部生き生きとしてきます。<いま>喜びに満ちて結婚を迎えられるご兩人には、いままでの出会い、お付き合いの過程、さらにさかのぼれば、自分が男に生れ、女に生れたこと、一切合切が、よかったこととして受け止められます。でも、<いま>が苦しみに打ちひしがれているとき、過去は、すべて後悔と絶望の種になります。「なんで、あのとき、あんなことをしてしまったのか…」と暗くなります。幸せも、不幸せも<いま>が決めることです。

 逆ギレすれば、それじゃ、「いまさえよければ、それでいいのか!」となります。それに対しては、「いまがよくなければ、過去も未来もよくない」と答えることにしています。

 実は浄土教というのは、死んでから浄土にいくというんですけど、その死をどこに設定しているかというと、「次の一瞬」に設定しているんです。別に平均寿命をもってきて、後十年とか二十年とかに設定しているわけじゃありません。親鸞の臨終は「いのち終わらんときまで」です。ですから、それは「次の一瞬」なんです。あと何十年なんて、呑気なことを考えていないのです。常に死に接して生きているということがほんとうなんです。でも、未来は決して現在にならないという、いやらしい面もあります。現在といったときには、それは現在の意識であって、未来は分からないということでもあります。救いが現在になってしまったら、これはつまらないものでもあります。人間は手に入れたものには、すぐ飽きてしまうものです。地獄の底から救われたといいますけど、その時には感謝感激雨あられで、欣喜雀躍でしょうけど、少したつと、そんなことも忘れてしまい、当たり前の日常が始まるんです。そしてマンネリ化するんでしょう。ですから、現在ということも、曲者なんです。その意味の現在は、実は、「過去」といいうる状態の現在なんですけどね。「過去化した現在」といったらどうでしょうか。

 現在に救われるということは、逆説的にいえば、現在には救いはないということを表しています。そこでいう、現在とは、「未来化した現在」だからです。常に一瞬先の未来としてある現在です。ですから、いま救われたと過去形で語ってしまったら、それはいのちを失うのです。過去形、あるいは現在完了形で語れないのが「救い」というものです。そこに「救い」の鮮度を保つわけです。

 明日がゴルフに行くと分かっていると、前日は眠れないし、早朝から目が覚めてしまうんです。もう、嬉しくて嬉しくて、目覚まし時計よりも前に目が覚めるんですね。小学校のころ、遠足の前日がそうでしたよね。嬉しくて嬉しくて、寝られないという経験を、いまこの歳になって体験しています。あれは面白いですね。まだ、当日にはなっていないのに、当日の出来事が、前日の<いま>、嬉しいという感情を引き起こしてくるんです。当日になってみれば、惨憺たることで苦しんでかえって来るんですけど、前日には、そんなことは見えないんです。これは譬喩ですけど、そういう性質を「救い」はもっていると思います。

 別に、それだからといって、お浄土へゆきたいなんて、これっぽっちも思ってはいないんですけどね。そういう話じゃないんです。<いま>という時間を未来からの流れとして、浄土からの流れとしてうけとめるということです。さらに<いま>は流動しています。自分は昨日の自分とは生理的には違っています。新陳代謝で、身体はつねに流動的に動いています。<いま>という固定的な点はないのです。つねに流れです。永遠が、流れてゆくせせらぎとして自分はあるのだと、最近思います。何かのために<いま>を生きているわけじゃありません。<いま>を十全に全うするために、<いま>自身を生きるわけです。そうやって考えていると、自分という存在がどんどん小さく感じられます。どこを切り取っても自分という実体がないからです。すべてが縁に溶解してゆきます。小生の肉体の切れ端だって、かつての豚肉か魚の肉なんでしょう。吸い込んだ空気は、肺の胚嚢まで届いて、そこで酸素を吸収して、二酸化炭素を排出してと、勝手に動いていますしね。オシッコが出たいと思うのも、向こうからやってくる要求で、自分で起こしているわけじゃありません。自分というものがどこに有るのか?と考えると、どんどんなくなっていくんです。そしてなにかチッポなごま粒のようなイメージになってくるんです。

 劫濁のときうつるには

有情ようやく身小なり

五濁悪邪まさるゆえ

毒蛇悪龍のごとくなり(正像末和讃・親鸞作)

この「身小なり」というのは、そういうイメージかと思います。ほんとうは、小さいんですけど、顔だけは大きな顔をしているんです。「自分が生きているんだ」と思っているんです、でもほんとうは、小さいもんだぞ、無いもんだぞ、と囁いてくれるんです。仏が。仏さんがそう囁いてくれるので、ようやく小生はシラフに戻れます。その囁きをいつでも聞けるようにしておきたいと思います。そうしないと、いつの間にか、大きな顔になっているんですから。

 

2003年12月18日

今日で、満49歳になりました。なる前は、49は年寄りだと思っていたのですけど、なってみると、あいかわらずはなたれ小僧だと思います。「やっと49歳になりました」なんて門徒のひとに語ると、「まだお若いじゃないですか」と返ってきます。それは自分の年齢にくらべて若いといっているんです。「まだまだ…」というんです。その「まだまだ…」って、どこから出てくるんだろうと不信感をもちます。自分に比べてみると、まだ若いということであって、そのひと自身になったことがないんだから、「まだ…」なんていえないんじゃないかなぁと。だって、50で死ぬかもしれないんでしょう。そうすれば、もう末期的ですよね。50で死ぬということだとすると、80で死ぬひとと、時間の濃度は同じではないと思うんですね。

 人間以外の生き物は大体短命です。猫だって長くて20年くらいでしょう。でも20年の中に青年期・老年期があるという濃度で生きているわけです。飼い猫を1歳で飼ってたとしても、15年たてば、もうご老体です。こっちが二十歳のときに飼った猫が、自分の年齢を超えてゆくということですよね。自分は35歳でも、むこうはもうよたよたのご老人ですからね。小さいときにはミーチャンなんて呼んでるんですけど、もうご老体になっているのに、ミーチャンはないだろうと思いませんか。

 自分の寿命には「平均」なんてないと思うんです。何歳で死ぬかということは、もう絶対的ですよね。死ぬということがなければ、なんでもチャランポランでいいんでしょうけど、死ぬということがあると、どこか真面目になんなきゃダメだよなと思います。『シャーロットのおくりもの』(ホワイト著)でも、友達のクモのシャーロットは、死んでゆきます。主人公である豚のウィルバーは殺されずに天寿をまっとうします。クモは豚より短命です。でも、短命のクモの死の中に、悲しみと同時に、感動が混在しています。どうして、人間は悲劇に感動するんでしょうね。万事うまくいきました。幸せに暮らしましたとさという終わりかたじゃ、もうひとつ感動しないという面があります。

 そう思うと、またまた人間は、やはり感動的な生き物なんですね。ただ息をしているというだけで、ものすごい感動的な生き物なんですね。それは必ず終わりがくるからです。希少価値というやつでしょう。そのひとが人間として生を受けるまでに関わった人々は、三十代さかのぼれば十億七千三百万人ですからね。映画が終わったときに制作に関わった人々というのが、字幕に書かれていますね。人間のいのちも制作に関わった人々が字幕に流れたら、上映時間は何年になるんでしょうね。この世の時間だけでは、自分というものは計れないものをもっています。それだけ深く大きいものです。そういうことを人間はすぐに忘れてしまうんです。この世だけの目じゃなくて、あの世とこの世を見通す永遠の視座が欲しいです。永遠を持ち込んでくると、娑婆の些細なことは、だいたい合意できます。親鸞も「如来が善を知っているように私が善を知っているというならば、『善を知っている』と言えよう、如来が悪を知っているように私が悪を知っているというならば『悪を知っている』と言えよう」と言ってますね。つまり、人間はほんとうの善も、ほんとうの悪も知らないのだという懺悔が表現されています。だから、法律はいらねえ、と言ってるわけじゃありませんよ。いくら法律があっても、それが本当に悪なのか、ほんとうのところは分からないという謙虚があるわけです。約束事に違反したということで裁かれますけど、それじゃ、それが本当に悪なのかどうか分からないという面もあるんですね。

 それはともかく、時間というのは、たってしまえばあっと言う間、待っていると長い、楽しい時間は短く、苦しい時間は長いと、ほんとに伸縮自在なもんですね。時計で計れる時間は社会的な時間です。自分ひとりであれば、時計は必要ありません。義理としての時間です。義理を果たすために時計があるんでしょう。でも、自分の内面に流れる時間は、いつも停滞しています。人情の時間といったらどうでしょうか。それは、いつでも、<いま>しか流れていないから、あたかも停滞しているように感じるんでしょうね。自分の内面を覗いていると、時間の流れはありません。無時間ですね。自分ひとりなら無時間でいいのでしょう。そんなことを言っているから、待ち合わせの時間に遅れたり、時計を見て、ハッとして現実に引き戻されたりするんです。やっぱり、娑婆では、小生は「変な奴」「変わり者」と受け取られているようです。よく言えば、「まれびと」という奴でしょうか。あっはっは。

 

2003年12月19日

「よびごえ」66号(年末年始号)への感想が少しずつ聞こえてきました。そして思うことは、かっこよく言えば、自分はなぜ、こうやって表現活動をするのだろうか?という問いでした。別に、お坊さんだから、教化活動の一貫だと思ってやっていることでもありません。別にやらなければならないということでもないんですよね。忙しいんだから、そんなことやらなくてもいいはずなんです。因速寺の法務と教学館と親鸞仏教センターの仕事で、イッパイイッパイなんだから、その他にやらなくてもいいんですよ。そうやって、考えてみると外的な強制力はまったくないはずです。それではなぜなのだろうか?と考えてみると、やっぱり、「そうせざるを得ない」という感情なんですね。やらずにおれないという感情です。

 人間は、「意識の動物」ですから、どうしても意識化して言葉化しないと気が済まないという性質をもっています。美味いものを食べたときには、やはり「美味しい!」、岡村風に言えば「お〜いし〜ぃい!」と叫びたくなります。別にそういう声を上げなくてもいいんです。でも上げないと美味しさが十分に満喫できないんです。だから、食事は、共食したほうが美味いんですよね。孤食では、味が十分に美味さには変換できません。「食う」と「食べる」は違うといいます。「食う」は生き物が生理的に食物を摂取するということですけど、「食べる」とはやはり文化が入ってきます。そこには、他人が入ってきます。どんなに美味しいものでも、ひとりで食べるのは味気ないものです。

 小生も、学生のころ、つまり若いころは、結構、孤食で済ましていました。孤食でも、十分美味しいんですから。しかしだんだん、人間という生き物を長年やってくると、孤食と共食では全然味が違うということが分かってきました。若いころは、美味いものは他人に分けるなんてことはしません。自分で独り占めするほうがいいんです。でも、最近はそういう感覚はなくなりましたね。やはり他人がいないとダメだと思います。

 「美味しい」という言葉を出すことによって、相手と美味さを共有するエロスが大事なんでしょう。そう考えてみると、小生の表現活動も、共食願望のあらわれなのかもしれません。何を食っているのかといえば、それは、「ほんとう」ということでしょうか。人間にとって、それは「ほんとう」だと感じられること、実際にそうだと深くうなずかざるをえないこと、そんなことを日常の中から拾い集めてきて、提示するということなんでしょう。これは涅槃経が、「一切衆生悉有仏性」−生きとし生けるものには、ことごとく仏性がある− という精神と重なっていると思います。どんなチッポケな日常の出来事にも、そこに「ほんとう」というものの性質が入っているという意味でしょう。ただ、私たちはそれを見落としているんです。大雑把にしか見ていないんですね。もっとミクロの眼で見てみたらどうでしょうか。人間の腸内には、百兆個の細菌が住んでいるそうですね。その百兆個の細菌が、腸内で、どんな活動をしているのか。それは目で見ることはできませんけど、想像してみるとどうなんでしょうか。一つ一つの最近に人格があったら、これまた面白いですね。人間はすぐに善玉とか悪玉とか分けたがりますね。でも、善玉悪玉の中間に位置するものだっているでしょうし、善から悪へ悪から善へ寝返るやつもいるでしょうし、これはまったく魑魅魍魎の世界ですね。もっと想像をたくましくすると、この地球も、宇宙全体から見れば、細菌のひとつかもしれません。宇宙という大きな腸の中に点在しているひとつの細菌にしか過ぎないのかもしれません。その小さな細菌のなかに、また46億人という小さな細菌が住んでいるということなんでしょうね。

 ここまでいくと、なんだかファンタジーの世界に入ってきます。でもファンタジーの世界のほうが、よっぽど人間の「ほんとう」を語っている場合が多いです。『千と千尋の神隠し』でも、そうですね。ストーリーを要約すれば、「千尋の夢物語」なんです。たった、一瞬に見た夢かもしれません。でも、あの中で繰り広げられる世界に、ドキドキワクワクしながら映画を観ました。あれは一瞬の千尋の夢かもしれないし、そこに人間の一生が入っているようにも見えます。初めもなく終わりもない、勝ち負けでもない、意味があるなしでもない。そこにあるのは、一直線のモチーフではなく、円環のモチーフです。終わりが初めだったり、初めが終わりだったりする円環のイメージです。

 でも、ひとは、どうしても、カレンダーのように直線に進む時間も要求するんですね。死に向ってまっすぐに進んでいる時間観念と、それから循環の時間観念と、両方の時間が必要なんでしょう。どっちかひとつということもないと思います。毎日は、繰り返しのようでもあり、繰り返しのように見えて、実は二度とない時間を生きているということでもあります。この両方の時間を大事にしたいですね。

 

2003年12月20日

16日のお昼ころから、お腹の調子がおかしいのです。下痢止めを飲んでもよくならず、なんだかゴロゴロと不安な状態が続いています。内蔵の調子が悪いと、これは、精神にも影響を与えてきて、弱気な感覚が付きまといます。おそらく食あたりではないと思われますので、残る可能性は、風邪の前兆かといぶかしく思っています。そういえば、今日は、喉がいがらっぽく、違和感があります。これはやっぱり、案の定、風邪かな?と判断しています。どうして風邪の前兆は分からないうちに忍び寄るのでしょうか。かかりはじめのときには、風邪だと分からないんですよね。だいぶたってから、喉が痛いとか、頭が痛いとか、熱があると自覚症状が出てきます。もうそのときには手遅れで、風邪薬を飲まなければならなくなります。なんとか前兆段階で、早めに手を打つことはできないのでしょうか。

 もう、風邪にかかる前に、風邪薬を飲むというのはどうでしょうか。これも有効なようで実際には無理ですね。だいたい、風邪薬は、風邪の炎症を押さえることしかできませんから、予防は不可能なんでしょうね。傷の手当てをするのが風邪薬で、傷を受けない方法はないようです。だいたい、風邪とは何なんでしょう。なぜ風邪を引くのでしょうか?

風邪のウイルスは、なんのために生身の生物にとりつくのでしょうか?どういう目的があるというのでしょうか?道教では「虫」ということをいいますね。「腹の虫がおさまらない」とか「虫の知らせ」とか、「虫が好かん」とかいいますよね。あの「虫」は、人間の体のなかにいる虫だそうです。どんな虫なのか見たひとはいないと思います。風邪も虫のせいなのでしょうかね。

 そうそう、いまネクトンビームという、岩を削った粉を飲んでいるので、そのせいかとも思います。いやいや、苦汁(にがり)を飲んでいるせいかもしれません。胃は正常に空腹感をもたらしてくれるのですけど、腸がどうもいけません。それでも、毎日アルコールを飲用していますので、改善の見込みもありません。ほんとに、自分の身体は、いろんなものと関係し合っていて、都合通りにはいきません。「業縁存在」ということをつくづく知らされます。気分は、自分で作れませんから、様々な人間関係やら肉体関係やら、食物関係などで作られるんですね。あぁ、その肉体関係っていうのは、生理体の微妙な動き、胃や腸などの動きのことをいっているんです。あっちのほうじゃありませんから。

 気分ひとつとっても、自分の自由にはできない厳粛なもんだと思います。人間を大きく支配しているのは、気分ですよね。気分がよければ、大体のことは受け入れられます。でも、気分が悪いと、全部がダメですね。「キレル」とか「むかつく」というのは、気分を表現していますけど、この気分すら「他力」のなせるワザなんだと思うと、ちょっと楽になります。

 

2003年12月21日 

「昔は、弥陀の誓いをも知らず、阿弥陀仏をも申さずおわしましそうらいしが、釈迦・弥陀の御方便にもよおされて、いま弥陀の誓いを聞きはじめておわします身にてそうろうなり。

 もとは、無明の酒に酔い伏して、貪欲(貪り)・瞋恚(怒り)・愚痴の三毒を飲み、好み召し合うてそうらいつるに、仏の御誓いを聞きはじめしより、無明の酔いも、ようよう少しずつ醒め、三毒をも少しずつ好まずして、阿弥陀仏の薬を常に好み召す身となりておわしまし合うてそうろうぞかし。」この親鸞のお手紙の文章が好きです。

「無明の酒に酔い伏し…」というフレーズが特に好きです。ほんとに酒を飲むと、言わなくていいことを言ったり、第三者の悪態をついたり、小さい出来事を誇張したり、助平になったり、大げさにゴシップを喧伝したり、まったくどうしようもないものだと後になってから、後悔することが度々です。それにも懲りず、また夕方になると呑むんですよ。ここんところ、ほんとに寒いですから、熱燗なんて出されたら、まぁ、飛びつくように貪るんですね。また、寒くなると、熱燗がやたら美味くなるという相乗効果があるんですね。あの、「千と千尋の神隠し」に出てくる、顔ナシのように、呑むは食うはで、むさぼりの極致を展開します。

 映画「サヤのいる風景」でしたっけ、主人公の女性(サヤ)は、食べるという行為を他人に見られると、ものを食べられなくなるんです。あれを見たとき、小生はハッとしたんです。自分の中にも、そういう感覚があったからです。「食べる」という行為は、人間がむさぼりの生き物に変身するときですね。つまり野生をむき出しにして、獲物にむしゃぶりつくという様相です。その姿を他人に見られると、ものすごく恥ずかしいという感覚があります。サヤは、恋人と二人でも食べられないんです。恋人に部屋を出ていってもらっている間に食事を済ませるんです。外食なんて、もってのほかです。恋人と二人でもダメなのか、小生よりこれは重症だと思いました。

 でもなんで、食べるという行為を恥ずかしいと感じてしまうのでしょうか。地下鉄など、電車の中でものを食べているひとは、まずいませんね。行儀が悪いというのか、それはマナーだという考えもあります。例の四人掛けのボックスシートや新幹線なんかだと、食べることは許されるんですね。どうして地下鉄などでは、はばかられるんでしょうね。やはり「食べる」という行為は、野生がむき出しになるからでしょうか。それとも、口を開くことで、体内が覗かれるという恥ずかしさでしょうか。体内から皮膚がめくれている唯一の器官が唇(くちびる)ですね。ピンクから褐色まで、微妙にクチビルの色は違います。この器官は、生れて一番最初に他者に吸いつく器官ですね。母体という生理体に吸いつくことで、栄養を摂取し、他者を確認する初動です。女房が言ってましたけど、生れたての赤ん坊は、まだ目も開かないのに、自分の頬が母体の乳房にふれると、自然に乳首の方向に口をもっていくんだそうです。誰にも教えられていないのに、自動的に乳首の方向が分かるんです。その動作を見ていると、まったく別個の生き物のように見えてきて、「わが子」という考えを超えてしまうのだそうです。「わが子」だから可愛いわけですけど、別のエイリアンのような生物に見えてしまうい、ゾーッとすることがあったといいます。よく乳児や幼児を殺してしまうという事件がありますけど、きっとあの幼い生き物の中にあるエイリアン性が見えてしまうんでしょうね。このエイリアン性は、子どもをもったことのあるひとならわかります。誰でも「あーあれね」と気がつくはずです。

 フロイトが「口唇期」と幼児の発達段階に名前をつけましたね。クチビルで他者を確認し、愛を確認すると。でも、これは発達段階だけの名前じゃなくて、そういう側面を人間は死ぬまでもっていると見たほうがいいんでしょうね。クチビルで柔らかいものにふれると、人間は安心しますよね。マシュマロとか、綿あめとか、乳首とかね。欧米の愛の表現では、必ずクチビルで相手と接触するという行為をとりますね。喫煙は、幼少期に口唇期を十分に味わえなかった代償行為だと言ったひとがいます。クチビルが寂しいという、大人のおしゃぶりなんだと。そういえば、そう言えるのかもしれません。お猪口をクチビルに当てるのも、代償行為かもしれませんしね。

 近代は、生と死を見えないようにしてしまったといわれます。生も死も病院の密室で行われる秘儀になってしまいました。出産と臨終はすべて秘儀です。家庭や地域、まして道端に生や死がころがっていては困るんです。タブーということでしょうかね。そうすると、「食べる」という行為も、タブーなのかもしれないと思います。公衆の面前で「食べる」というタブーを犯してはいけないとみんな心の底で思っているんです。密室で行うことだと思っています。セックスも飲食も同じなんですね。「化粧」もそうなんですね。あれもタブーなんでしょう。そのタブーの根っこは、やはり死という非日常性とつながっているんでしょうね。「食べる」という行為が、死という人間の野生性を連想させるんです。「食べる」ということの背景には、生き物を殺すという死が内包されていますからね。他の生物の死が人間の「食べる」なんです。「殺」から「食」へと意味を転換しています。そして、「食べる」の最終形は、自己自身の「死」へとイメージがつながります。「食べる」の反対は「食べられない」です。「食べられない」ということと「食べる」は裏腹にくっついています。「食べられない」ということは「死」ですから、どうしても、「食べる」は「死」と密接に関係しているんですね。

 今度、電車の中でなにかを食べてみたいという衝動がやってきました。タブー破りですね。法律で罰則はありませんけど、衆人の眼が驚きと禁止を示すでしょうね。まぁ、パン程度なら大丈夫でしょうけど、めん類とか、ご飯ものは、難易度が高くなるでしょうね。若者の車内携帯や、車内化粧、地べた座りは見たことがあっても、まだ車内牛丼食い、車内カップヌードル食いはありません。こんど、熱々チゲ鍋食いに挑戦してみるというのはどうでしょう。

 ちょっと、筆が滑り出したので、このへんでお終いにします。やはり「無明の酒に酔い伏し」ているということだけは、間違いのないことだと思います。m(__)m

 

2003年12月22日

大家族で暮らしていると、いろいろと気遣いも大変です。子どもの言い分、女房の言い分、弟の言い分、母の言い分と、それぞれの言い分があるからです。それが一番よくあらわれるのが、食事時間のテレビ番組の選択権です。食事以外の時間は、それぞれの部屋に非難していれば、衝突はありません。しかし、食事のときには、嫌でも顔を合わせなければいけませんから、大変です。それぞれの思惑があって、混乱します。チャンネル争い以外でも、いろんなことで衝突があります。お風呂の温度も、ひとによって「これじゃ寒い」と感じたり、ひとによっては「これじゃ熱い」と感じるように、生活の態度も温度差が違います。部屋が汚れていても、これなら許容範囲と感じるか、汚らしいと感じるかも温度差があります。そして、自分の温度差だけを中心にしていくと、当然相手と衝突することになります。

 ですから、ここでの衝突回避の特効薬は、自らの温度差をよく把握しておくことになります。自らの温度計は、他人の温度計とは違うメモリが打ってあるのだと、つくづく知っておくことが大切です。そのうえに、どの温度計も絶対温度ではないということも知っておくべきでしょう。すべてが相対温度であるとね。でも、自分の温度計が絶対なんだと叫んだとき、衝突が起こるんです。そこから後は、暴力の強いもの、発言力の強いもの、声の大きなもの、論理的な強者が圧倒するということになるんです。簡単に言えば、内輪もめなんですけど、言葉が弾丸のように飛び交って、あっちこっちで爆発し、さながら戦場と化します。後には、タマシイに弾傷の残った死体があるという、寂寞とした静けさがやってきます。戦い済んで日が暮れてという感じですね。強者どもが、夢の後なんです。その後を、猫が歩いては、死体の頬をペロペロと舐めているという、寂しい風景があります。これは戦争だ!と思います。

 でも、なれてくると、なるべくぶつからないように、衝突を回避するチャフを発するのです。流れ弾に当たらないように避けることにも、注意を怠らないようになります。衝突防止装置を働かせて、相手とぶつからない、うまい交わしかたを覚えるのです。その衝突防止装置も、徐々にグレードアップしていくようです。最近じゃニアミスはあっても、大衝突はしないようになりました。祖父がよく「もの言えば、クチビル寒し、秋の風だなぁ…」と言っていたことを思い出します。大衝突の後はクチビルが寒いのでしょう。「言葉が通じない世界を地獄という」という法語を曽我量深は残しています。言葉があるから、言葉が通じないという状態が起こります。はじめから言葉がない猫と人間の世界では衝突は起こりません。言葉のない生き物が、救いになるのは、そのせいなんですね。仏さんも無口ですけど、猫も無口です。なんとも清々しい態度で、いつでもマイペースで生きています。

 以前、飼い猫のチビ太君が母の足にまとわりついて、転倒させてしまいました。母は倒れて足を打ち、痛い、痛いとうなっていたそうです。そこに、チビ太がやってきて、何食わぬ顔をで、母をペロペロと舐めていたそうです。猫は、自分に転倒の責任があるとは全然思っていないんですね。倒れた飼い主をただペロペロと舐めただけです。それを見て、お前が倒したのに!という怒りが消えてしまったことでしょう。無責任といえば無責任ですけど、猫には責任という観念がありませんから、怒るにも怒れなかったのでしょう。そのあとも、自分は悪かったという顔をしませんしね。もし責任を感じていたら、うちにはいられなかったかもしれませんよね。ひとがやったことであったなら、大変な騒ぎになっていました。人間は因果関係に対して責任を感じる生き物です。たとえ故意にしたことではなくても、自分が原因で他者に迷惑をかければ、当然、謝罪やら、損害賠償をしなければなりません。この責任という観念がなくなれば、社会生活は成り立ちませんね。

 でも、家族は単なる契約社会じゃありません。そこに人情が入ってくるから、とても厄介です。「ひとを愛するこころは、同時にひとを憎むこころでもある」という法語のいうとおりです。「可愛さあまって、憎さ百倍」という言葉もあります。目の中に入れても痛くなかったはずの孫によって、祖母が殺されるという事件もありましたよね。フーコーというひとは、権力で最後に残るものは、「牧人権力」だというそうです。つまり「善意の暴力」です。相手のことを思ってしてあげるという暴力です。「あんたは、黙って見てたら、危なっかしくってしょうがないんだから、私があんたを護ってあげるわ」という権力です。こっちからすればお節介としかいいようがないんですけど、相手はそれが「愛」だと勘違いしているんですね。そしてその「愛」を拒否したときには、怨みに変質するんです。映画の「ミザリー」のように、一見介抱するような形をとって、男性が拘束されてゆきました。あの女の情が、実に恐怖を感じさせました。自分の愛の中に男が存在している限りは、溺愛します。しかし、いっぽ愛の外へ出ようとしたときには、ハンマーをもって、男の足を叩き、骨折させて逃げないように拘束するのです。あれが、善意の暴力ですね。善意は、そのなかに潜む毒が意識できないようになっているんです。見えないんです。だから恐ろしいのです。

 「こんなにしてやっているのに、『のに』がつくと、愚痴がでる」という相田みつをさんの詩もありましたね。「のに」が増大すると、怨みになり、そこから暴力が生れてくるんです。飼い猫のプチ子を愛しているのに、全然彼女はこっちを向いてくれないんです。それが高じてくると、「このやろう、こんなに可愛がってやってるのに、なんてやろうだ!」と怨みが出てくるんです。愛は、高じさせないことですね。ほどほどの愛がいいようです。

 たとえれば、目一杯の愛情のアッパーカットを振るわないことですね。まぁジャブ程度で小出しにしているというのがいいようです。アッパーカットは、当たれば相手をノックアウトしますけど、外れたら自分へのダメージも大きいです。ジャブ程度なら、自分も相手も程々に刺激し合えます。外れたってたいして自分は傷つきません。人間は「程度の生き物」ですから、ほどほどがいいんですね。強く抱きしめれば相手を押しつぶし傷つけます。ほどほどに抱きしめれば、それは愛撫に近い快感になります。「程度の生き物」だから、窒素と酸素の混じった空気で呼吸できます。酸素だけでも窒素だけでもダメです。この「ほどほど」の効力を見直してみたらどうでしょうか。でも、あんまり「ほどほど」と言っていると、チャランポランなやつだと見くびられます。やっぱり、キレルときには、ほどほどに切れ、叫ぶときにはほどほどに叫ばなければなりません。「絶対」とか「永遠」というイメージがあるから、逆に「ほどほど」に耐えられるという面があるのだと思います。たとえば、「如来(絶対)が善を知っているほどに善を知っているのなら、人間が善を知っていると言うこともできる」と親鸞は、いいますけど、その如来(絶対)というイメージが、あるから、人間がのぼせないでいられるんですね。「如来」という言葉があるから、「如来」という存在を人間が知っているということでは全然ありません。「知らない・分からない」というイメージを擬人化して「如来」と仮に名付けているのです。

 「十方微塵世界の/念仏の衆生をみそなわし/摂取して捨てざれば/阿弥陀と名づけたてまつる」と親鸞は和讃で歌っています。阿弥陀は人間が命名したものであって、そういう実体があるわけじゃありません。仮説なんです。「名前」があるから、「実体」があると思い込んでいるようですけど、そうじゃありません。実体のない名前、まぁイメージを名詞化しただけなんです。まぁそう、カッカせずに「ほどほど」で行きましょうや。

 

2003年12月24日

「浄土真宗は、ある意味、鬼っ子のようなものですから…」と五木寛之さんが語っていました。テレビ「百寺巡礼」という番組で、寺内大吉と対談するなかでの言葉です。毎回、五木さんが日本全国の寺々を回って、感想を語るという番組が「百寺巡礼」ですね。ご存じの方も多いと思います。今回は、港区・芝の増上寺でした。寺内さんが、現在のトップをつとめられているということでした。増上寺は、法然聖人が開かれた浄土宗のお寺です。京都では知恩院が有名です。増上寺は大本山とか、言ってるようです。もともとは知恩院が本山じゃないかと思うんですけど、いろいろな宗派の都合もあるんでしょう。浄土宗も、鎮西派、西山派、深草派、禅林寺派と別れて、現在は存在しています。

 それはさておき、番組では、五木さんが、「浄土宗からは、一向一揆のようなものは生れていませんね」と寺内さんに振ってます。寺内さんは、「まぁ、争いをしないというか、そういう安定感を、当時の為政者が好んで、浄土宗を自分の教えとしたんでしょうねぇ…」というような返答をしていました。増上寺は、徳川家の菩提寺ですから、徳川三百年の安泰とマッチしたのが浄土宗という教えだったのだと言いたかったようです。その会話に続いて、冒頭の五木さんの言葉が出てきたわけです。でも、この会話は、両者の間で少しズレています。テレビですから、編集されているのかもしれませんけど。寺内さんの話は、為政者が宗派の平和的性質に共鳴して、自己の宗派として取り込んだのだというニュアンスでした。ですから、法然の教えがどうかという問題には触れていませんでした。しかし五木さんは、その法然の弟子である親鸞から生れた一向一揆は、非平和的な傾向性をもってしまった、それは浄土宗から生れた鬼っ子なんだというニュアンスでした。この「鬼っ子」という言葉をどう理解したらいいのでしょうか。

 一向一揆とは何だったかということは一面的には言えないようです。今回のイラク・アメリカ問題にからめて一向一揆の問題を語るものをみたことがあります。宗教における「戦闘」という問題です。浄土系にも、戦闘をやむなしとする傾向性があったではないかと。しかし、一方には、一向一揆は、中世の民衆が初めて自主独立して、自治を確立したのだと高く評価される面もあります。圧政に苦しんでいた民衆が立ち上がって、共闘組織をつくり、治外法権の解放区を築いたという面もあるんです。「百姓のもちたる国」といって、北陸では、殿様を有名無実の存在にしてしまったのですからね。

 そこには、どうしても、目覚めの問題がかかわってきます。民衆が目覚めるということです。目覚めるためには、必ず世界観や人生観が要求されます。自分たちはいったいどういう世界に住んでいるのか?人生とは何なのか?ということが要求されます。その人生観・世界観を与えたのが真宗なんでしょう。殿様のもっていた世界観の内部に民衆があったときには、従順に支配されていても、殿様の世界観を超えた民衆は、もはや自主独立という道しかありませんからね。そこにどうしても、「闘争」という面がでてきてしまうわけですけど、それは形を変えた異議申し立てですから、必然的なんですね。まぁ後世の我々が、暴力は問題じゃないかといっても、その場に生きていないわけですから、無力です。まあ当時の民衆が異議申し立てのためにとった多くの方法のなかのひとつなんでしょう。

 江戸の徳川家康は、真宗を自分の宗派とはしませんでした。三河での一向一揆の猛威を目の当たりにしていましたから、当然ですよね。むしろ浄土宗を選びました。浄土宗が真の平和主義的宗教だと受け止めたからなのでしょうか。そのへんは微妙です。三河では浄土宗の寺に一向一揆の監視役をつとめさせていたということもあって、浄土宗と一向一揆勢力とは、水と油の状態だったことがわかります。意地悪な見方をすれば、浄土宗が権力の手先になっていたということも、無きにしも非ずではないでしょうか。民衆の側に真理があるとするならば、目覚めを促す真宗が一揆勢力にエネルギーを与えたのは、納得がいきます。どうしても目覚めという問題から考えると、浄土宗ではなく、真宗だったんですね。

 でも、人格としての法然は、円満福々たる顔をしていますけど、教義は「決断」という厳しいものでした。どうも、浄土宗は、その人格の側面を継承して、信仰の決断という厳しい面を継承していないように感じてしまいます。なんだか、宗派攻撃みたいで嫌なんですけど、どうもそんなふうに思えてしまいます。法然は主著『選択集』で、念仏をとって他の行を捨てるという「選択選捨」ということを言います。ひとつを選ぶということは、他のものを捨てるというけとです。ひとりの女性を選ぶということは、他の女性を捨てるということです。それは譬喩ですけど、どうしても信仰には決断ということがあります。どうしてかといいますと、それは、ひとりひとり、人間には「視座」が違うからです。自分の見ている視座と他人の立っている視座は必ずひとつではありません。ですから、自分にとっては、こういうことを選ぶという内面の決断があります。

 まぁ決断といっても、自分から決めるというニュアンスよりも、決まってくるというニュアンスのほうが強いと思います。

 

2003年12月26日

●「不愉快な満腹感」

この言葉をあるシェフから聞きました。シェフなんだから、さぞかし美味しいものを毎日食べているんだろうと思っていたんです。ところが、料理をつくるときには、いろいろと味をみながらやっているので、そこそこお腹が満ち足りてしまっているそうです。その満腹感を「不愉快な満腹感」と語ったのです。小生は、そういう世界もあるのかと驚きました。やはり、三度三度、ある程度決まった時間に食事をするということが、大事なんですね。空腹と満腹というめりはりがないと、たとえ満腹であっても、満ち足りた感覚がやってこないんですね。

 仏教では、「食べる」といっても、いろんなバリエーションを提起しています。「四食(しじき)」、つまり、段食・意食・触食・識食といいます。段食とは、我々の普通の食事のことです。触食とは、「触れる」ということが、人間にとって、何らかの栄養になるという考えです。赤ん坊は、ただ、大事に寝かされて栄養を与えていても大きくなれないそうです。大きくなれないばかりか死んでしまうそうです。そこに大切なことは、ボディータッチです。つまり抱っこをしたりあやしたりという、肌と肌の触れ合いだそうです。触れ合いが、人間にとって大事な栄養だということです。これは、赤ちゃんばかりでなく、大人にも必要なことでしょう。ですから「触れる」ということも、人間を支えている食事だと仏教は見るわけです。

 それから、意食と識食ですけど、意食は、「考える」ということでしょう。人間にとっては「考える」ということも食事なんだといいます。もし考えるということがなければ、人間は生きられません。いろいろなことを考えて、苦しんだりよろこんだりしながら感情生活を送っています。自己を思い、ひとを思い、という考えることが食事だといいます。もし何も考えるな!といわれたら、それは苦痛でしょう。「考える」ということは、人間にとって余分なものではなくて、必需品なんですね。生きるための不可欠の栄養なのです。

 それから識食ですけど、これも精神の栄養をいっているようです。人間はただ思い、考えるというだけでは、生きられないというのです。どこかで、「ほんとう」ということを求めているのです。もし「ほんとう」を栄養として食べることがなければ、生きられないのでしょう。子どもを育てるというときにも、「ほんとう」があります。掛け値なしで、自分の子どもを愛するという、そこに「ほんとう」に近づきたいという願望があります。恋人を愛し、結婚するというところにも「ほんとう」が潜んでいます。そりゃ、自分の都合のいい相手を愛しているに過ぎないという面は確かです。「夫は夫自身を愛するために、妻を愛し、妻は妻自身を愛するために、夫を愛す」ということも事実でしょう。しかしそれだけではないように思います。そこに自分だけではなくて、他者とひとつになりたいという「ほんとう」が隠されているのです。人間は、人と間という文字でできています。間とは、人間関係ということでしょう。関係性も栄養としているという、これは大切な指摘だと思います。

 でも、どうしても、話題が食い物になってしまうのは、やはり小生が賤しいせいでしょう。そうそう、東京駅で最近美味しい駅弁を発見しました。名前も「日本の洋食」という弁当です。聞くところによると、これは人気らしですね。値段は1200円と割高なんですけど、津々井のタンシチュウとか、鎌倉どこどこのペンネとか、○○鳥のローストとか、それぞれ老舗の味が入っているんです。まぁ駅弁ですから、温かくはないんですけど、そこそこ味がいいんです。宜しかったらお試しください。最近は、アメリカで作った駅弁が、「BENTO」というシリーズで売られていますね。あれって味はどうなんでしょう。カリフォルニアかなんかで作って冷凍で輸入して売ってるんですね。どうも、はじめから食べたいという感じがしないんですけど、これは偏見でしょうか。

 駅弁をひろげて缶ビールでも呑めれば、もうこの世の天国のようなありさまです。そのうえ車窓は刻々と変化して、いろんな風景を楽しませてくれるんです。電車の旅はいいもんです。小生が眺めたとき、田んぼで仕事をしているひとがいました。あの人の一生はどんな一生なのだろう。どういう生活をしているのだろうと想像することもあります。おそらく、小生は二度と出会うことのないひとを、車窓から見眺めているのだと思います。あのひとの一生にすれば、ほんの数秒のことですけど、ほんの数秒だから、とても尊い、とても希少な時間を垣間見ているんだと感動します。二度と再現するこのできない、空前絶後の景色を眺めることができるなんて、こんな素晴らしいことはありません。

 酔いがまわると、いろいろと想像がわき起こります。映画「天国と地獄」も、確か特急の電車のシーンがありましたね。あれは以前東海道線を走っていた「つばめ」でしたか?身代金を電車に乗せて静岡方面に輸送しろと犯人が指示するんですね。それも、確か、厚さ八センチだったかのカバンに金を用意しろというのです。次の指示を待っている刑事に、連絡が入って、身代金の入ったカバンをトイレの窓から投げ落とせというんです。刑事たちは、電車の中で金の受け渡しがあるものだと決めていたのです。走行中に特急の窓は開きませんからね。しかし、そこに盲点があったのです。実はトイレの窓が八センチくらいなら開くんですね。そして、車内に犯人から電話連絡が入り、トイレからカバンを投げ落とせと指示されます。とうとう金がまんまと犯人にわたってしまうというシーンがあったことを思い出します。いまの新幹線はそんな隙間はありませんね。犯人が、その八センチに目をつけたというところに、意外性がありました。きっと鉄道マニアの犯人だったんでしょうね。

 そうそう、中国にいったときのことも思い出しました。電車で太原から大同へ移動したときだったか。一応、我々一行はグリーン車?に乗せてもらいました。ソファのスプリングもゆったりとした椅子でした。テーブルを挟んで、前には中国の女性が座りました。中国もソ連と同じで、広軌の線路ですから、電車の大きさも日本のものよりずいぶんと大きかったです。少し乗って景色を楽しんでいると、その女性が何やらカバンから出して、食べはじめました。最初に魚肉ソーセージをムシャムシャと食べはじめました。歳の頃は20代でしたので、あのマルハの赤いラッピングのソーセージを頬張るには、ちょっと品がないという感じに見えました。すると、彼女は、食べ終わった赤いラッピングを窓からポイッと捨てたのです。見ていると、次にカバンからバナナを取り出しました。皮をむいて、これまたムシャムシャと全部食べてしまいました。すごい食欲で小生は呆気にとられました。よっぽどお腹がすいていたとしか思えません。そしてバナナの川も車窓からポイッと捨ててしまったのです。さらに、何やら取り出して、まだムシャムシャ食べています。それも食べ終わると、その包みを床に下ろしました。さらに驚くことに、その包みを、足の先で、小生のほうに押してきたんです。つまり、「自分の出したゴミじゃありませんよ〜」という感じで、足で押してきたんです。まったくこの女、何考えてるんだ!ガキみたいなことしやがって!と頭にきました。きれいな顔をしているのに、やることはまったく下品な奴だと思いました。ゴミもポイポイ捨てるし、ひとに責任をなすり付けるなんて、なんてひどい奴だと思いました。このひとりをもって、中国人全体を推し量るのは間違っていることは重々分かっているんですけど、ちょっと、それって国民性なの?!と疑いたくなりました。つまり、自我の強烈さですね。

 それはそれとして我々一行は、食堂車へもゆきました。テーブルがいくつか並んでいました。次々に中華料理が運ばれてきました。日本で食べる中華とは全然違っていて、現地の中華というやつです。しかし、その食堂車には、我々日本人だけがいて、後で気づいたのですけど、貸し切り状態だったようです。それでほかに現地人はだれも乗っていませんでした。ところが、ある視線に気がついて、ふっと後ろを振り返ったのです。するとどうでしょう、連結機の窓から、こちらを凝視しているたくさんの顔があったのです。エーッとビックリしました。日本人の食事の風景を見つめているのか、あるいは、豪勢なもの食いやがって、うらやましいという感情で見つめているのか、なんだか衆人環視の中で食事をしているようで、とても気分が悪くなりました。食事もそれほど美味しいというものでもありませんし、そのうえ、見張られているようで、ほうほうの体で食堂車を後にしたことを覚えています。

 電車は、様々なイメージを呼び起こし、まるで「走馬灯」という表現がピッタリの乗り物です。もっともっと旅をしたいと思うこのごろです。五木さんのように「千夜千泊」ができたら幸せだと思います。街角を曲がれば、そこに知らない世界があり、それが旅だとは永六輔の発言ですね。知らない世界を知って、また日常へ戻ってくると、日常が少し違って見えるということが旅の味でもあります。あの車窓から見えた農夫は、いまどんな時間を過ごしているのだろうかと、フッと思いがよぎるのでありました。

 

2003年12月27日

再放送で、テレビドラマ『僕の生きる道』をみました。みながら涙を流してしまいました。そして、原作の本を買ってきて読みました。そして、また涙を流しました。本を読んでいると、主演の草g剛の姿が浮かび、頭の中で、文字が声に変わりました。余命一年の高校教師は、生きるということに荘厳さを、そして周りのひとびとに、愛と感動の大事さを伝えてゆきました。役名は中村秀雄先生。彼の言葉には、とても素晴らしいものがありました。

「読まなかった一冊の本」の話があります。

「ここに、一冊の本があります。この本の持ち主は、この本を読みたいと思ったので、買いました。しかし、今度読もうと思いつつ、すでに一年が経ちました。この本の持ち主は、これを読む時間がなかったのでしょうか。いえ、たぶん違います。読もうとしなかった。それだけです。そのことに気づかない限り、五年経っても十年経っても、持ち主が、この本を読むことはないでしょう。

 受験まであと一年です。みなさんのなかにはあと一年しかないと思っている人もいるかもしれません。でも、あと一年しかないと思って何もしない人は、五年あっても十年あっても何もしないと思います。だから、一年しかないなんて言ってないで、やってみましょう。この一年、やれるだけのことをやってみましょう」

 この一冊の本のたとえは、いろいろなことを教えてくれます。「読もうとする」ということを「生きようとする」と言いかえてみたらどうでしょうか。そうすると、平均寿命が80歳くらいあるから、まだまだ、このままでいいやと思って、自堕落に、惰性で生きているということに対する批判のようにも聞こえます。生きていると思っているけど、あなたは、本当に生きているといえるのですか?という問いにも聞こえます。いつかは「本当に生きよう」と思っているけど、まだ生きたことがないんじゃないですか?生きることを先送りにしていませんかという問いかもしれません。

 中村先生は同僚のみどり先生と結婚してゆきます。余命一年であることを知りながら結婚してゆきます。みどり先生のお父さんは、どうして死んでしまうことが分かっている男と結婚するんだと結婚に反対します。そのときのみどり先生の言葉がすごいんです。

「死ぬとわかってる男は彼だけじゃない。世の中の男、全員よ」

このセリフを聞いたとき、ドキッとしました。自分も娘があります。もし余命一年の男性と結婚したいと言い出したら、おそらくみどり先生のお父さんと同じように反対すると思います。そう思っていただけに、そのセリフにはドキッと胸をえぐられました。百パーセント死ぬのに、そのことを忘れほうけていたことに、ビックリしました。自分は死なないほうに足を置いているような錯覚をしていました。みどり先生に済まないと思いました。

 いまをいまとして、十全に生きなければならないのでしょう。生きるということは、いろんなことがたくさん詰まっています。食べるとか、歩くとか、話すとか、聞くとか、見るとか愛するとか。どれをとっても、二度と繰り返すことのできない、かけがえのない一瞬に違いありません。それは将来のための捨て石ではないはずです。確かに将来のことも大切かもしれないけれども、<いま>を十全にいただくということがなければ、そんな将来は絵に描いた餅だと思います。

 そして、生きるということは、長さではなくて、やはり深さという単位で計るものなのだとつくづく思います。中村先生のセリフに「一年は二十八年よりながいですよね」というのがあります。長さではなく、質です。

 大事に、一瞬一瞬、生きるを、味わってゆきましょう。必ず終わりがあるのですから。

 

2003年12月28日

ここのところ忘年会が多くて、肝臓がだいぶ疲弊しているようです。自重しなくてはと思っているんですけど、ついつい酒量がいってしまいます。昨日は、また、「一貫の会」という、サバイバルな会がありました。ひょんなことから、企画された会なんです。市川の古谷という寿司屋で、年末に「一貫の会」をやろうということから始まりました。つまり、寿司屋のネタを端から端まで、全部一貫ずつ食べるという大食い選手権みたいな会なんです。女性はY・Mさんと姪のI・Mさん。イニシャルで勘弁してください。結局、全部で29貫食べました。かなり満腹でした。もちろんビールあり、酒ありで、まったく、もう、ほんとうにごちそうさまという感じの会でした。

 ほうぼう・トロ・スミイカ・ヒラメ・カンブリ・タコ・ゲソ・エビ・みる貝・赤貝・ウニ・イクラ・青柳・シャコ・穴子・カッパ・小柱・平貝・しめサバ・鰺・鰯。記憶に残っているものは、そのくらいです。たまには、全部人間の野生を開放して、食に徹するということも大切だと、後で感じたのでした。いまの社会では「飽食」がいかんとか、食糧問題をどう考えているんだとか、マグロ消費社会日本の病理をどう考えるんだとか、坊主は、禁欲すべきなのに、飽食とは何事だとか、様々な社会的な問題があります。

 でも、たまには、そんなことは、まったく考えないで、エロスを開放することも大切だと思います。こういうことは、だいたいオフレコで、言ってはいけないことなんです。これは隠しておかなければならない論理なんです。きれいにものを言うのであれば、つまり、自分の正当性や統一性を守るのであれば、言わないほうが身のためなんです。でも小生は、自分を半分しか語らないということに耐えられない面があって、ついつい、漏らしてしまうのです。

 こういうと自己弁明や、自己正当化になるんですけど、やっぱり、言ってはいけないこと、思ってはいけないことを、人間はついつい、知らず知らずに、ヒョッと考えてしまう生き物なんです。

 自暴自棄になれば、中村先生(すいません、まだまだ『僕の生きる道』を引きずっています。そのドラマの主人公の名前が中村秀雄です)のように、「僕のいのちですよ。どうしようと勝手じゃないですか!」と叫ぶような人間なんです。その叫びに対して、主治医の金田先生は「君に自分で死ぬ権利なんかない!」と応答しています。

 自分は、自分ではないと、最近思います。自分は、いま思っている自分ではない。自分は、常に流動的に変わっていて、つかみどころがありません。自分の好きな自分はいい自分、嫌いな自分はダメな自分と、あたかも裁判官のように振る舞っている自分があるんです。その全体が、問われているんですね、中村先生。

「幸せな人間とは、後悔のない人生を生きている人だと思います」と中村先生はいいます。つまり、後悔がないとは、その一瞬一瞬、生きている一瞬一瞬を全力投球で生き抜いているひとのことでしょう。でも、そんなことができるやつはいません。みんな、どこかで息抜きを求めながら、でも、それだけではダメで、悪戦苦闘しているわけです。

 娑婆には、年末特有の静けさが漂っています。やはり、一年の終わりは、日常とは違う時間が流れます。あっという間に過ぎてしまった今年一年を振り返り、永遠を思いたいと思います。「終わりあるが故に<いま>新たに。終わりあるが故に<いま>を大切に。目に見えない<いま>を慈しみたい」

 

2003年12月29日 

年末のご挨拶に、門徒の方々がお寺を尋ねてきます。いろいろな顔をしてやってこられます。またいろいろな人生上の事情を抱えてやってきます。「近頃、いかがですか?」と切り出すと、みなさんは、そのときのご自分の事情について語られます。商売をされているかたは、ますます景気が悪く、大変な時代になったことを嘆かれます。「みんなウソを言わなきゃ生きられない時代になっちゃったよ!悪いことをしなきゃ生きられないんだぜ。大変な時代だよ」と。「ほんとに大変な時代ですね」と受け止めて、それでも自分の内面には「ウソを言わないで生きてきた人間はいないし、悪いことをしなかった時代もかつてなかったんだよなぁ」と反論する意識のあったことも事実です。とても切羽詰まった感じで表現されていましたので、体だけは大事にしてほしいと思いました。

 それから、よくあるのは、「近頃、いかがですか?」に対して、「はい、だいぶよくなったんですけどね…」とご自分の病気のことに関して話をされるひともいます。「膝が痛くてね。いろんな先生にみてもらっているんですけど、ダメですね。ひどい先生だと、もう歳なんだから、それくらいは仕方ないって、はじめから取り合ってくれないんですからね。そりゃ私だって、そう思いたいけど、でも好きで歳とったんじゃないですからねぇ。」と、延々とご自分の体調について語られるかたもいらっしゃいます。はじめは相手に関心が向いているんですけど、徐々に、相手の話がお経のように聞こえてきて、自分の意識が朦朧としてゆくのがわかります。最後には、小生の意識が朦朧としていることを察して、相手は退散するという結末になります。

 それでも、この次はない、もう二度と会えないひとに出会っているのかもしれないと思えば、少しだけ、いとおしさも感じてくるのです。顔が違うように、ひとりひとり、生きている世界も微妙に違っています。御夫婦でこられても、奥さんが一生懸命、小生に話しているのに、旦那さんは、退屈そうに、かたわらで煙草を吸って、はやく話が終わらないかなぁというふうな態度を示されるときもあります。奥さんは、一番身近に生きている旦那さんにも話が聞いてもらえないんだなぁと可哀相に思います。やはり住んでいる世界が、夫婦といえども違っているんです。まさに「同床異夢」です。もう長年夫婦をやってくると、夫婦であることが当たり前になってきます。もう、惰性で夫婦生活を送っているわけで、新鮮さも失われてきます。性的な関係も新鮮さを失い、お互いに惰性になってきます。伴侶とはよく言ったもので、お互いがお互いを伴っているトモガラになり、ある場合には戦友になり、またある場合には宿敵になり、やがて、人生の大半をともに過ごした人間同士という関係になります。

 夫婦とは、よく「空気のような存在」とも表現しますね。あるのが当たり前、でも、なくなったら生きてゆけないという、微妙な関係です。でも、「あるのが当たり前」という面だけを強調しすぎです。その反面を見失っていることが大罪ですね。夫婦は、お互いがお互いを支えにして成り立っているという実にデリケートな関係でもあります。ある旦那さんは「ご飯をつくってくれりゃ、あとはなんにもいらない」と言っていたひともいました。それを聞いていた奥さんは笑っていましたけど、おそらく深い信頼関係があったうえでの言葉なんでしょう。

 これもよくいうことですけど「男やもめにウジがわく。女やもめに花が咲く」と。奥さんに先立たれた旦那さんは、ほんとに周りから見ていても可哀相なくらいに落ち込んでゆきます。それほど奥さんが支えになっていたということでしょうね。奥さんがご顕在なときには、自信満々の方でした。立派すぎるくらいに、勇敢にみえました。戦友会でも会を取り仕切っていました。でも、奥さんの死は、旦那さんのこころの死をもたらしました。奥さんは、単に奥さんなのではなく、やはり、母親という意味をもつのでしょう。自分をまるごと受け入れてくれて、支えてくれる存在が「母なるもの」です。男は世間に出れば七人の敵があるといいますよね。どれほど戦いに傷つき、家に帰ってきたときでも、まるごと自分の存在が受け入れられているという安心感を与えてくれるのが「母なるもの」です。炊事洗濯であれば、実の親でもまっとうすることができます。しかし、そこに性的なものまでも受け入れてまっとうさせてくれるのは、「母なるもの」としての伴侶なのでしょう。そうであるから、男は「母なるもの」が失われたときには、自己の存在が失われたほどの打撃を受けるわけです。いままで「母なるもの」という保育器のなかでぬくぬくとワガママを言いつつ生きてきた男が、保育器から放り出されて、丸裸で生きなければなりません。しかし、みどりごとして寒風吹きすさぶなかを生きなければなりません。辛いことですけど、食べて生きなければなりません。どうしても、生きていること全体が、なんらかの修行であるとしか思えませんね。

 旧約聖書の『ヨブ記』を読んでいると、そう思えます。働き者で、家族思いで、信仰厚く、清廉潔白な生きかたをしているヨブ。まさに、非の打ち所のない生きざまです。そんなヨブを見て、悪魔が神様と賭けをします。「ヨブが、神様、あんたを、いかにもいい子ぶって信仰しているのは、自分の欲望が都合よく満足しているからなんだよ。もし、不幸のどん底に落ちてしまえば、あんたを呪うだろうよ!」と悪魔は、神様を罵ります。神様は「ヨブはそんなひとじゃない。決して神を呪うようなことはしない」と。それなら、ヨブを不幸にしてみようじゃないかと。きっと神様を呪うはずだと。そこから神様と悪魔の賭けが始まります。

 悪魔は、ヨブの伴侶を病死させ、息子たちや娘たちも殺します。財産も奪い、体も病気にさせます。いままで幸せの絶頂にあったヨブは、一転して奈落の底です。それでも、ヨブは、神様に対して恨み言はいいません。「神の御こころは、私には分からないのだ」と受け止めています。まぁ普通であれば、ここまで、一生懸命、神様の命令にしたがって信仰してきたのに、なんで私をこんなひどい目に遭わせるのですか!と恨み言をいうはずです。ちょっと話が違いすぎやしませんかとね。もしそういう言葉が出てきたとすると、ヨブのこころは、ギブアンドテイクの信仰だったということになります。神様に真心の信仰をささげることで、現世の利益を保証してもらおうという発想です。ヨブはギブアンドテイクの信仰は成り立たないということをよく知っています。

 でも、ほんとうに人生においては、ヨブと同じような目にあうひともいます。よわり目に祟り目ということがあります。そのときに、神や仏を恨むのか、それとも、「神の御こころは、私には分からない」と言いきれるのか、それが問われるところでしょう。

 ギブアンドテイクは資本主義の論理です。もっといえば、意識の論理です。一+一=二というのは観念の世界でしかなりたちません。鯨(一)+リンゴ(一)がどうして、二になるのか。現実の世界では、二にはなりません。足し算が成り立つのは、観念という抽象の世界の中だけです。学ぶということは、観念の抽象力を強化していくことです。でも、現実はギブアンドテイクではなりたっていないのです。縁の世界です。ゼロ+ゼロ=ゼロという世界です。そこには有り難くして、有るという現実が横たわっています。

 スーパーで買い物をすればお金を払います。お金も抽象の産物です。事実は野菜が私の手元にやってきて、その代価を支払うわけです。でも、それは、御布施だと考えたらどうでしょうか。代価の本質が御布施だと。只で野菜をもらったんでは相手に申し訳ありません。ですから、私からの御布施としてお金を支払います。一応定価がないと困ります。なぜなら、その親切に対していくら支払ったらよいか分からないからです。親切に対しての報酬は、ゼロから無限大までを含みます。それでは困るので、一応定価らしきものを設けます。でも、真実は御布施と御布施の関係です。野菜農家も、人々に財施をほどこします。その御布施に対して、私たちも御布施するわけです。事実は御布施と御布施で成り立っているというのが現実ではないでしょうか。それを忘れて資本主義のように思っていますけど、やはり、それは二次的なんでしょうね。

 資本主義からは、「有り難う」は生れてきません。労働の代価とか、交換価値の産物で、自分の得たものは、自分が当然の権利として獲得できるのです。ですから、「有り難う」、「あること難し」と感謝する必要はないのです。当然の権利なんですから。当たり前に自分が手に入れられるのです。もし「有り難う」が成り立つとするならば、それは、「御布施経済」ということでしょうね。お互いがお互いに御布施するという、そこに初めて「有り難う」が成り立ちます。ほんとうは、自分には値しない幸福を恵まれるわけですから、感謝が生れます。

 その底には「縁」ということの不思議さがあるわけです。生れるのも縁、食べるのも縁、結婚するのも縁、病気になるのも縁、ひとを殺すのも縁、死ぬのも縁です。縁が圧倒的な現実なのに、縁を拒否する自分もあるんです。ギブアンドテイクを要求する自分があるんです。

「ヨブさん。あんたは立派だよ。確かに、口では神を呪わなかったよ。でも、内心、ほんの少し、もしかしたら、ほんの一瞬でも『なんでなんだよ!なんでオレなんだよ!』と思わなかったんですか?」と聞いてみたいです。だって、人間は、そういう生き物なんですから。愚痴蒙昧の自分なんですから。

 

2003年12月30日

地引き網を引くように、毎日パソコンの前に座ります。そして、何かが引っかかってくるのを待ちます。獲物がとれたときに、このつぶやきを更新することができます。収穫ゼロということは、まずありません。海は恵みの母ですから。

 そういえば、ここのところ自分の発想が、もしかしてワンパターン化しているのではないかと思うときがあります。知らず知らずのうちに、パターン化しているのではないかと。ゴルフスウィングでも、自分のスウィングは、自分では見えないものです。どこが間違っているのか、どこに癖があるのか、自分ではなかなか自覚できないのです。はじめは正しい形を覚えても、徐々に自分の都合のいいパターンが出来上がり、間違った形が癖となり、固まってしまうものです。考えるということも、それと同じことが起こります。もう南無阿弥陀仏と聞けば、あああのことだと了解できてしまうのです。でも、そのワンパターンを崩し崩しゆくことが、ほんとうは考えるということなんですね。

 しかし、これは難行苦行なんですよ。なかなか、難しいことです。考えは、形にはめたほうが易しいからです。安心して考えられますし、型通りにものごとが見えてしまいます。特に、共同幻想としてのいまの社会では、自分の立場は、真宗大谷派というセクトに属していて、因速寺という場が限定されています。その立場を、もとにして発想するということが抜きがたくあります。まぁ、そういう共同幻想のなかで、考えるということも大切な面もあるんですけどね。でも、悪い面は、自己正当化が抜きがたくあります。自分のところに「ほんとう」があるんだと、もうなんのためらいもなく、疑うこともなく信じてしまっているんです。そして、そこからものごとを考えようとしていくわけです。

 親鸞は、「真宗」という言葉を、セクトの意味としては用いていないようです。それを砕いて言えば「ほんとうを一番大切にする」ということでしょう。「ほんとう」を大切にするということであれば、別に真宗大谷派というセクトばかりじゃないはずです。世間にはいろいろなところに、「ほんとう」を大切にしているひとたちがいます。ただ、その「ほんとう」の要素を、完璧に、欠け目なく保持しているセクトや人間はいないという、だけのことです。ですから、あのオウムの中にも、なにがしかの「ほんとう」があったと思います。どこにも、だれのうえにも「ほんとう」がなければなりません。それを誤って、自分のところにしか「ほんとう」はないのだと錯覚してしまうということが、地獄の始まりです。

 若いころには、そういうふうに考えることもできませんでした。一かゼロか。白か黒かというデジタル発想しかできませんでした。大人を見ていて、一カ所悪いところがあると、「化けの皮がはがれやがったな!」といって、非難してました。普段は、正論で、清く正しく生きているような顔をして、裏では嘘八百じゃないか!と批判していました。でも、もう五十歳になろうとしている自分には、そのような考えは成り立たなくなってしまいました。若いころは、どうしても、人間を過信していて、「人間はほんとうは正しい生き物だ」と思っているんです。ですから、大人を見ていて、少しでも悪いところがあると、人間にあるまじき言動だと批判できるんです。批判の鏡は、純粋志向です。でも、この歳になると、全面的に正しい人間なんているはずがないとわかってきました。悪徳政治家と世間から批判されようと、「ほんとう」をどこかに宿しているものです。そうすると人間の「ほんとう」というものは、どこにでも、ほんの少しだけ宿っているものだと分かってきました。もともと、そういう有り方でしか「ほんとう」は成り立たないのでしょう。それをある一面から裁断すれば、白黒をつけられるもので、現実にはほんとうは曖昧なものです。

 またまた、『僕の生きる道』(橋部敦子作)のワン・シーンを思い出しました。高校三年の女子生徒・杉田さんは、進学ではなく歌手を目指すことを決意します。担任の中村先生は、はじめは、無謀な夢を描かずに進学を勧めます。しかし彼女の決意の固いことを知り、歌手を目指すことを応援します。その経緯を同僚に話すシーンです。

「杉田さんを見ていて思ったのです。歌手にチャレンジすることをしなかったら、絶対後悔するだろうって。僕は、夢が叶うかどうかより、後悔するかしないかのほうが大切なような気がするんです」

「私もそう思います」みどりが同意するのを見て、久保が気に入らないといった風に立ち上がった。

「中村先生さ、すごくいいこと言っているように聞こえるけど、それってきれいごとなんじゃない?僕は、夢って、叶わなくちゃ意味がないと思うけど」

「そうですね。そうかもしれません。正直に言うと、どういう進路指導が一番正しいかなんて、僕にはわかりません。いえ、もっと言うと、教師が進路指導をしていいのかさえ、わかりません」

「わからない?それで生徒たちの将来をちゃんと考えてるって言えるのかな」

「将来を考えるから、わからなくなるんですよ」

ここから、少しやりとりがあって、最後に中村先生はこう告げます。

「将来のことを考えるのは、とても大切なことです。でも、将来を考えすぎて、今を見失ってはいけないんじゃないでしょうか−−」と。

 付け加えておきますと、「みどり」というのは、同僚であり、中村のフィアンセの先生です。また「久保」というのは、やはり同僚で男性の数学の先生です。みどり先生と交際していましたが、ふられてしまいます。

 久保先生は、教師として、やはり生徒に堅実な道を選ばせたいと思って進路指導をしていました。一時の気の迷いで生徒の夢を応援してはいけないと。普通はそうでしょうね。歌手になれるひとは、一握りですし、ただ単に歌手に憧れているというだけでは失敗してしまいます。失敗して傷つくよりも、いま進学しておいたほうが彼女の将来のためになると。そのほうが後悔が少ないだろうと。

 しかし、中村先生は、後悔しないために、いまを大切にしろといいます。それがどんなに無謀な夢であっても、それに賭けて自分の人生を生きてみろと応援します。生徒の将来を考えるから、どういう進路指導がいいのかわからなくなるという態度にすごく好感を感じました。「どういう進路指導が一番正しいかなんて僕にはわかりません」と言いきるとき、そこに、生徒と同じ目線に立っている中村先生が見えてきました。歌手の夢を諦めさせて、進学を勧めるほうが親も安心するでしょうし、学校の教師としては、堅実な指導だと思われます。普通はそういう指導になります。私がもし、そのうよな立場だったら、そういう指導をすることでしょう。でも、そこには、自分が教師であるという立場がどこかに介在しています。教師という立場からものを言っているという感じがします。しかし中村先生は、教師という立場を捨てて生徒と同じ人間という立場に立っているように見えます。もっといえば、いつ死がやってくるか分からない限界状況を生きる人間同士として。

 小生が、感じていたのは、やはり自分が僧侶だとか坊主だとか住職だという立場から、ものを発想することの落とし穴です。中村先生は、教師であっても、教師という立場を超えた世界を生きていました。それを成り立たせたのは、おそらく「余命一年」という死の宣告でしょう。中村先生は、病気になる前、コトナカレ主義のサラリーマン教師でした。しかしスキルス性の胃ガンで、余命一年と宣告されてからは、ひとが変わったように積極的になりました。その積極性がみどり先生のハートを射止めたのです。中村先生が主治医の金田医師に漏らしたこの言葉が、実に切ないです。

「皮肉だなと思って−−。僕が病気になっていなかったら、みどり先生とは一生同僚のままだったと思うんです」

 

2003年12月31日

まったく、静かな大晦日です。時間が止まったのではないかと思うほどです。小鳥のピィピィと鳴く声だけがあります。この静寂が、ズーッと続いてほしいと願います。

 子どものころはお正月の来るのが楽しみでした。大晦日は特別な日で、夜中に自転車で上野の山へ出かけてみたりしました。上野の陸橋から眼下に通る汽車を眺めていました。客車のうえに40センチくらい雪がかぶっていました。東京は無雪なのに、この汽車は遠くの田舎から、野を越え山を越え、橋を渡って長旅を終え、やっとのことで終着しました。なんだか、ジーンとしてしまったことを覚えています。

 大晦日までは、今年ですけど、来年という時間がどのように開けるのか、お正月は特別な日でした。たとえれば、上流から下流へと川が流れます。流れは徐々に速くなり、とうとう滝に差しかかります。水が下に落ちていくので、滝に落ちていく部分は、上流からは見えません。そこから先は、川が切れているように見えます。この感覚と、来年を待望する大晦日の時間感覚が似ています。別に、物理的な時間が変化するわけではないのに、明日は2003年の12月32日であってもいいのに、なぜか2004年に馴染みが涌いてきません。まだ体験したことのない2004年は、どういう年なのか、まったく予想もつきません。

 政治・経済の状況を見ますと、どうも暗澹たる気分になる情報ばかりです。「嘆きの年」なのでしょうね。その嘆きが、人間が人間を嘆くという程度の嘆きではなく、もっと深まらなければならないと思います。人間の起こす嘆きは、自分の都合通りにいかないという嘆きです。ヨブ記の如く、不条理が襲いかかってくることもあります。

 まさしく「人間には変えることのできる問題と、変えることのできない問題があります。変えることのできる問題には、それを変えるだけの勇気を与えたまえ。変えることのできない問題には、それを受け止めるだけの力を与えたまえ、そして何が変えることができ、何が変えることができないかを見極める知恵を与えたまえ」です。

 人間が、嘆く程度の嘆きは浅く、その人間が、嘆かれているという嘆きは深いものです。人類全体が永遠に嘆かれているんでしょう。嘆いているものを擬人化すれば、神とか仏ということになりましょう。しかし、人間は自分が嘆くということは分かっても、なかなか嘆かれているという受動感覚が分かりません。それは言葉を変えれば、愛されているということでもあります。人間に嘆きが起こるということは、神や仏の救済能力がないことを証明しているからです。嘆く必要のないために、人間に平安を与えようと、神や仏は、救済を誓われたのでしょう。ですから、人間が少しでも嘆きを感じたときには、その背景で、神や仏が嘆いているんです。神や仏が、人間に対して「済まない」と謝罪している姿なんです。神や仏に、頭を下げさせ、謝罪させ、弁済させる結果になっているのです。これこそ、五逆罪の「出仏身血」(仏身より血を出すという罪)なんでしょうね。

 人間の嘆きより深く、広大な嘆きを感じ取りたいと思います。この嘆きに触れるということが、人間に何をもたらすのか、それを味わいたいと思います。人間の身体が新陳代謝で時々刻々変化しているように、実はこころも変化してゆく可能性があります。いままで知っていた自分ばかりと付き合ってきたのですけど、未知の自分と出会ってゆく可能性もあります。これまた『僕の生きる道』の中村先生の言葉ですけど、「先生−−−死ぬことって、終わることじゃないですよね」。この言葉に対して主治医の金田先生は「……そうだよ」と答えました。中村先生は、死は終わることだと思っていたのです。しかし、そうじゃない、たとえ言葉は「死」という言葉であっても、意味が変化しているのです。人間は変化する生き物です。いままで考えていた観念が壊れて、新しいものに変化することができるんです。それは、臨終の一念にいたるまで、つづくものです。ひとは、死の一念になるときまで、歩みつづけ変化しつづける生き物だと思います。大いなる愛の中で…。

 

(つたない文章に、今年一年お付き合いくださいまして、本当に有り難うございました。来年も、息が続く限りやってゆきたいと思っています。どうぞ、お許しください。m(__)m

 

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