住職のつぶやき2004/01


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2004年1月1日

今月の言葉

嘆かれている、あなた

愛されている、あなた

去年の暮れから、この言葉が気にかかっています。そして再び、今朝、布団の中で、この言葉が浮かんできたんです。昨夜の紅白歌合戦のトリは、スマップでした。歌は「世界に一つだけの花」です。「NO.1にならなくてもいい/もともと特別なOnly one」という有名な歌詞です。

 絶対に相対化することのできない「自分自身」をみんな生きているんだということを強烈に訴えてきます。「代わることのできない自己」「かけがえのない自己」そういう、固有性です。人間の社会というのは、なんでも平均化したがります。「自由・平等・博愛」を理想に考えるのも、平均化ですね。みんな同じようになれという要求でしょう。特殊はいかんというのです。学校では、みんなが同じように教科書を理解して、同じように水泳ができて、同じように社交的になって、同じように上手に社会に適応してゆきましょうということなんです。教えられてきたことは、平均化でしょう。

 学校では「死」ということは教えません。つまり「いのちの現実」は教えないということになっています。はじめから「死」を教えてしまえば、生きる気力が失われると思って、大人はいのちの輝きとか、素晴らしさという光の面だけを子どもに教えようとします。まったく大きなお世話といえます。いのちは逆説的です。実に、道化師的なんです。光だけを教えていても、光の素晴らしさは教えられないんです。光の素晴らしさは、闇に出会ったときに感じるものです。闇が深ければ深いほど、光との出会いが鮮烈になるんです。これから、真剣に「死」をどのように子どもに教えてゆくのかということが課題だと思います。そうすれば、おのずから、生の輝きが生れてくるんです。

 でも、差し当たって出てくる問題は、「先生、人間はどうせ死んでしまうのに、どうして宿題をやる意味があるんですか?」という生徒の質問でしょう。この質問にどのように教師が答えるのか?ひとりひとりの教師が、そこで苦悩するということが、教育改革の第一歩でしょうね。

 ともかく、戦後、私たちは平均化することを教育されてきたわけです。だから、「平均寿命」という言葉を神様のように大事に信じているんです。どれほど「おれは、無宗教だ!」と自認しているひとでも、「平均寿命という神」は信じているんです。ですから、「どうして、こんなに早く、ひとは亡くなっていくのだ!」と嘆かざるをえないのです。ひとと比べて、どうこうと考えているだけなんです。「平均寿命」なんていうのは、絵に描いた餅で、どこにも存在していません。それは本来ないものです。ないものを目の前において、いまあるものを判断しているんです。宛にならないものを基準にして、この現実を評価して、それによって、自分が苦しんでいるのです。

 ほんと人間は比べたがる生き物です。自分が平均の中にあるのか、平均の外にあるのか。でも、平均じゃ満足しないという面もあるんです。やっぱり、平均を抜きんでて上位につきたいという願望もあります。若者のファッションを見てても、そう思います。ひとと同じは嫌なんです。ひとより格好よくなきゃ嫌なんです。でも、だからといって、その平均から外れすぎてもダメなんです。平均あるいは平凡じゃいや、でも、かけ離れているのもいやなんです。まったく贅沢な生き物なんです。どうなったら、自分は安心なのか、それを知らない生き物が人間なんでしょう。

 ひとと比べる必要ない世界、たとえ、ひとと比べても、比べたことで、自分が劣等感を抱かなくてよい自分、そういうものを求めているんですね。こころの底では。

 自分をいつも外側から見つめてくれている視線。そういう視線を感ずることです。外から、「自己をまるごと嘆き悲しんでいてくれる視線」。そういう視線を大切にしたいと思います。それは単なる嘆きではなく、愛の表われなんです。永遠からの視線は、自分の外からの視線です。自分の内側にはないと思います。自分がどこまで堕落しても、どこまで落ち込んでいっても、その底から、自分を支えてくれる愛。そういう視線を感じたいのです。

 イエスは、十字架にかけられたとき「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか…」と言いました。この「わが神」という表現が、微妙です。それはどうしても、「私の知っている神様」という意味に聞こえます。それは人間が感じている神様であって、ほんとうの神様ではないのでしょう。「私は神様を知らない」、知っていると思っていたけれども、まったく知らなかったというのが、永遠からの視線でしょう。

 浄土真宗の仏は、阿弥陀さまです。アミダさまは、人間には計ることのできない仏という意味です。それで「無量寿仏」ともいいます。ですから、永遠に人間には分からない仏です。その仏は「わが仏」と表現できません。

 私は神を知らない。私は仏を知らない。そして私は私自身を知らない。いまだ知らない。根源的に知らない。知らないという形で、知らせてくる視線、それが嘆きの視線であり愛の視線でしょう。そこに新鮮な自己との出会いが、あるわけです。まだ自分は「自分自身」に出会っていないのです。過去の自分は知っていても、未来の自分は知らないんです。どのような自分が、自分の中から飛び出してくるのか、未知なんです。その自分に賭けてみましょう。

 またまた『僕の生きる道』の中村先生の言葉ですけど、「先生−−−死ぬことって、終わることじゃないですよね」。まさにそうです。死ぬってことは、終わることではない。何かの始まりなんです。それは、そのひとにしか感じられない世界ですけど、未知の自分自身が感じる世界なんです。そういう自分に賭けてみたいと思います。

 親鸞の語録は「歎異抄」といいます。「異なることを嘆くエッセイ」という意味です。これはひとがひとの間違いを嘆くという意味と、永遠なるものが人間全体を嘆くという意味が重なっています。ごく簡単にいえば、人間は「分かっちゃいるけど、やめられない」生き物なんです。戦争も差別も飽食も、分かっちゃいるけどやめられない生き物です。そのくらい罪は深いわけです。とても、人間の視線では届きません。唯一、その人間全体を嘆くのは永遠なるものです。それは冷たい嘆きではありません。どうしようもないものを、愛し慈しむ愛で満ちた嘆きです。その愛は人間のうちにはありません。いつでも、外から、私を嘆き愛して下さっている視線を感じつつ、生きはじめてみたいと思います。根源へ。

 

2004年1月2日

今年ほどメリハリのないお正月も珍しいです。12月31日と1月1日の間には、目に見えない亀裂があったのに、今年のお正月にはそれが感じられません。31日と元旦の間には、平板な時間だけが流れていました。去年までは、元旦の零時には、東京湾に停泊中の船達が、一斉に汽笛を鳴らしました。遠くからボーッという汽笛が聞こえてきていました。今年は、それも聞こえませんでした。どこで打ち上げられているのか分かりませんけど、去年までは花火の音もしていました。みんなが、新年をことほぐという雰囲気がありました。ところが、今年はどうでしょうか。これは小生だけが感じていることなのかもしれませんけど、どうも、沈滞ムードですね。景気が悪いからだという判断もあるようです。自衛隊のイラク派兵ということも作用しているのでしょうか。暗澹たる歴史の開幕だからでしょうか。とてもことほぐなんていう気持ちになれないということなんでしょうね。そうこうしているうちに、また2004年もあっという間に過ぎていくのでしょう。

 それでも、今年の「元旦初参り(修正会)」は30名ほどが出席していただき、とてもにぎやかな感じでした。用意したゼンザイや甘酒、ピーナッツナマス、黒豆、タコと大根の炊き合わせなどは、もう底を突いてしまいました。

 昨日は、やっぱり「僕の生きる道」と、「シャーロットのおくりもの」に学ぶいのちの姿をお話しました。中村先生の「先生−−−死ぬことって終わることじゃないですよね」という言葉が重たく響いています。

 また、クモのシャーロットは、卵袋を残して死んでゆきます。そして春になったとき、そこから何百匹の蜘蛛の子が生れては、巣立ってゆきます。無量無数の生と死が、見えないところで繰り返されています。

 印象的なのは、ファーン(女の子)が納屋で豚のウィルバーやネズミのテンプルトンやら、ヤギのおばさん、クモのシャーロットと話をしていることを聞いたお母さんが心配して、主治医の先生の相談しているシーンです。うちの子は納屋でひとりっきりでいるから、動物と話をするなんて妄想にとらわれているんだわと思うわけです。お母さんが、ファーンがひとりきりだからダメなのよというと、ファーンは、私には友達がたくさんいると言うんですね。お母さんは、こりゃ重症だと思って、主治医に相談するわけです。すると、先生が、言うことには、私たち大人がおしゃべりだから、動物たちが話してくれないんでしょう。ファーンが動物と話ができるなんて、とても素晴らしいことじゃないかと言います。

 豚は、大きくなると食用に殺されてしまいます。それを聞いてシャーロットは、ウィルバー(豚)を救うために、自分の蜘蛛の巣に文字を描きます。最初は「すごい豚」と書きます。それを見た人間たちは大喜びして、たちまち噂が村中に伝わり、たくさんのひとが見物にきました。その経緯をファーンは、お母さんに話します。するとお母さんはますます心配して主治医に相談にゆきます。だいたい、クモが文字を書くなんていうことがおかしいというわけです。先生、クモが巣に文字を書くところを見たことがありますか!と。先生は、クモが文字を書くところは見たことがないといいます。そればかりか、私はクモが巣を作ること自体が奇跡だと思っているといいます。お母さんは、私だって糸を紡いで編み物をしますわと応戦します。先生は、そりゃあんたは、誰かに習ったからだろうと、クモは誰からも教えられないで巣を編むことができるんだよ、これは奇跡じゃありませんかと。

 このやりとりが素晴らしいです。クモが巣を作ることを奇跡だと受け止められる先生に私も罹りたいと思いました。そういう感性で、自分の身の回りを見つめてみると、奇跡だらけですね。お日様が東から登るのも、雲が形を変えてゆくことも、人体が空気から酸素を取り込むことも、人間が二本の足で歩くことも。見渡せば奇跡の山です。

 普通は、当たり前と思っているんですけど、当たり前じゃないですね。生きるのも、死ぬのも、当たり前じゃないですね。

 もっと微細に日常を見つめてゆきたいと思います。

 

2004年1月3日 

おせちのクワイの煮たのが好きです。クワイを辞書で引くと「慈姑」と書くんですね。慈しみある姑なんです。これはどういうふうな経緯から命名したんでしょうかねぇ。味が、慈しみのある姑の人情に似ているからなのでしょうか。でも、慈しみのある姑の味ってどんな味なんだろうかと、これまた不思議な名前だと思います。

 最初口の中に入れたときには、芋のような、かといってサツマイモのようなフカフカした感触はなく、固さがあります。そしてやがて少し噛んでいるとクワイ独特の匂いといいましょうか、薫りがしてきます。一昔前のクワイは、多少苦みがありました。けれども、最近のクワイは苦みもなく、なんだか平板な味に終わっています。これはどうしたことなんでしょうか。栽培方法が昔と違ってきたんでしょうか。

 あの苦みのある、クワイの匂いのきついのを食べてみたいと思っています。子どものころにはあんまり、好んで食べた記憶はないんです。大人になってから、好きになりました。食も年齢に応じて変化しますね。まさに自分の「食歴」ということも自覚したほうが宜しいと思います。生きるときの目が荒いよりも、目の細かいほうが、微妙な味を味わってゆけますからね。それから、やっかいなのが「情報」ですね。自分が一度体験すると、その味を全部分かったような顔をしてしまうのです。エビフライと聞けば、自分がいままで体験した範囲内でしか想像ができません。クワイと聞けば、「あ〜クワイねぇ…」と、もうすでにクワイのことは一から十まで知っているというような顔になります。そういう傲慢な態度だけは、許しがたいと思っているんです。だって、あなたの体験したクワイは、そういう味だったのでしょうけど、これは違うんだからと言っても、聞く耳を持ちませんからね。ですから、最初の印象とか、最初にできあがった情報で、過去の一切の体験を封鎖してゆくわけです。そういう狭い感受性にだけはならないように気をつけています。

 でも、ちょくちょく、そういう傲慢に落ち込んでいるんです。とくにひととおしゃべりをしているときなど、説明するのが面倒くさくなって、クワイという情報ひとつで、相手とやりとりしなければなりません。そのつど、「お宅の食べたクワイの味は、どんなんでしょうか?」と微に入り細にわたって聞きただしたのでは、会話は成り立ちにくいですからね。

 これは、食べ物のことだけではなく、対人関係においても、いわゆる情報についても、同じようなことが起こります。「あのひとは、こういうひとだ」と決めてしまえば、それ以上の情報は受け付けられません。

 「仏は細部に宿りたまう」とパロッていえば、どんな微細な部分にも、どんな微細な行動や思いの中にも、仏さまは宿っていると思うのです。ただ、人間には仏さまが小さすぎて見えないんです。人間の目は大雑把にできあがっていますから、仏さまを見るほどには精密ではありません。でも、そこにいらっしゃるんだと思います。いつでも、どこにでも、いらっしゃるんだと思います。

 

2004年1月4日

「それを言っちゃ、おしまいだよ」ということがあります。人間は言葉の世界を生きる動物ですから、言葉によって相手を殺すということがあります。喧嘩したときには、感情は激興していても、理路整然を装って、できるだけ理性的に相手を攻撃します。なんで、喧嘩のときには、あんなに、自分の理路整然にこだわるのだろうと思うほどです。「自分は正しいのだ、あなたは、こうこう、こういう点で間違っているんだ」と、いかにも冷静を装って相手の非を撃ちます。怒りの感情とはまったく裏腹に理路整然を称える自分。そこに、人間のもっている作為といいましょうか、救われなさがありますね。感情が爆発しているときには、感情のままでいいんでしょうけど、それをひた隠して、理性で攻撃するという、まさに「言葉の武器」を秘蔵しているのです。

 あいてが、言い返せなくなったときには、自分が勝利をおさめることになりますけど、その勝利は、いつでも空しい勝利ですね。喧嘩は勝手も負けても空しさが残ります。「それを言っちゃおしまいだよ」という爆弾を相手に投げつけて、相手を立ち上がらせないようにするのですけど、やはり空しいです。

 どうしても、「人間とは浅く付き合わないと」と思います。たとえ、それが肉親であってもです。どうしてかといいますと、人間はとてもデリケートな部分があるからです。その「浅く」というのは、「ソフトに」という意味で、決して、本音で付き合うなという意味ではありません。本音で付き合っていいんです。でも、本音はときたま「劇薬」にも匹敵するほどの、力をもちます。それは薬にもなり、毒にも変化しますからね。ひとは、厚顔無恥という側面もあります。ものすごく、頑強な部分があったり、それでいて、ものすごく打たれ弱くもあります。固さと柔らかさを両方兼ね備えています。「自分には甘く、他人には辛い」ということもありますしね。

 言葉は、一言で相手が傷つくこともありますし、一言で相手を立ち直らせるはたらきもします。実に微妙です。ですから、言葉は「生きている器官」と言ってもいいくらいです。言葉は人間が使う道具のよう思っていますけど、ほんとうはもっと身近な「器官」ではないでしょうか。肉体の一部分といってもいいです。ですから、言葉が相手の口から発せられるときには、そのひと個人の独特な音声を伴ってしまいます。仕草も言葉の中に含まれます。言葉はたとえ道具であっても、その言葉が、ある個人から発せられるときには、唯一絶対のものになります。二つと同じ音声はありません。もはや、肉体の一部分のよう溶け込んでいるわけです。それで「個体の器官」とたとえてみようかと思いました。

 ですから、別々のひとが同じ言葉を発したら、それは同じようには聞こえないし、受け止められません。言葉とそのひととは、溶け合って一体になってしまっているからです。いたずらに、同じ「愛してる」という言葉を、女性と男性に発声してもらいます。そうすると、聞いているあなたは絶対に違った感情を体験するはずです。これは極端ないたずらです。でも、そういうことはあるんです。家族の中で、些細なことで喧嘩になったり、刃傷ざたになったりします。以前、新聞の三面記事で、焼き肉の焼き方で口論になり、新聞沙汰になったことがありました。もし言葉がなければ、新聞沙汰にはならなかったでしょう。言葉は、相手の身体の一部分ですから、厄介なんです。

 それほど、言葉を甘くみてはいけません。言葉は、一見おとなしい飼い犬のように、人間にとって従順な道具に成り下がっているように見えます。しかし、実体はどうしてどうして、人間の体の内部に進入して、体の一部部分になって、そのひとを操っているんです。まさにエイリアンのような存在なんですよ。

 人間は、自分で考えて、いまを生きているわけではありません。言葉によって操られ、言葉によって動かされて、いまを生きているんです。言葉はまさにすさぶる神なのであります。

 

2004年1月5日

元旦の新聞の社説は、パッとしませんでした。朝日は、軍隊を憂う、みたいな社説ですし、毎日は、社説がなかったのか発見できませんでした。アテネ一色という感じでした。もう何を言っても空しいという雰囲気が、マスメディアにも漂っているのでしょうか。現在のいろんな状況を、もっと文化の象徴として解釈してみたら面白いと思うのですけどね。ギリシャ悲劇とか、おとぎ話とか、文化人類学的な考察から、考えてみたらどうなんでしょうか。

 いろんなひとがいろんなことを言うというのが、面白いんではないかと、思います。何か考え方が一色なってしまったり、偏ってしまったら、これこそ面白くないわけです。確かに数学や物理学では、正しい「考え方」や、正しい計算の方法というのがあるのでしょうけど、私たちが生きているというときには、様々な考え方があっていい。そして、どれもみんな面白いということでいいと思うんです。こういうふうに考えなければダメだと硬直したら、それこそタマシイの死ではないでしょうか。将来が見えたり、未来が見えたりしたら、ダメなんですね。それは、偏った見方に陥っているからです。必ずしも将来そうなるとは限らないのに、いまから、「そうなるに違いない」と決めてかかって、結局、<いま>を息苦しくしているわけです。一回しか生きられない人生なんだから、その一回に賭けてみて、なんでもチャレンジしてみたら面白いと思います。

 安定志向は、安定しているようですけど、なんだか面白みにかけますね。どこにもつまずきも水たまりもない平板な惰性があるだけですからね。それは、現在の安定が永遠につづくような錯覚にあるわけです。いわゆる「地道」に、そして「平凡」になんていうことは、本来はありえないんです。もともと、どこにも安全地帯はないんだと、どこかで開き直ると、生きるのが少し楽になります。あのスキーの逆説が思い浮かんできました。滑ったことのあるひとは分かっていることです。スキーは体重を谷側に掛けることによって、方向性をコントロールできます。でも、谷側に体重を掛けることは、恐怖なんです。20°くらいの斜面でも、上から見下ろすと九十度くらいに見えちゃうんですからね。ものすごく怖いです。でも、怖がって身を反らせて山側に体重をかけてしまうと、スキーのコントロールを失うわけです。するとスキーの板は見事に直滑降になってしまって、ますます恐怖に陥れられてしまうのです。 

 ですから、怖さをおさえて、敢えて身を谷側にエイヤッとあずけてしまうんです。すると、スキーがコントロールできるんです。これはスキーの逆説ですね。これは、「生きる」ということにもある面でつながっているのではないかと思います。

 生きることに安定を、平凡をと思って身を反らせていると逆にコントロールできなくなるというような、そんなことがあるように思います。

 相田さんの詩に「いいことはお蔭さま、悪いことは身からでたサビ」というのがありましたね。これは倫理の根底ですね。「悪いことは身からでたサビ」と受け止められたら素晴らしいと思います。そういえば、曽我先生が病床にあって、苦しんでいたとき、先生は「こうなるのは当然でありますからね」と痛みに耐えていたと聞きます。無量無数のいのちを殺して食べ尽くしてきたんだから、このくらいの苦痛は当然の報いだというわけです。これはいのちの倫理ではないでしょうか。いまこうあって、息をして、生きて、食っているということは、もう生きているというだけで、大罪悪なんですね。自分が生きていなければ、地球の食料はひとりぶん浮くわけですし、自分が呼吸をしなければ、炭酸ガスが少なくなるわけですしね。生きていることは、罪悪だという倫理観が、やはり根っこになきゃダメなんだと思うんです。平凡とか安定という発想の根っこには、どうも、「生きていることはいいことだ」という前提があるようですね。生きているということは、とんでもないことですよね。罪悪ですよね。それでも、罪悪なんて感じることなく、無感覚に生きているわけです。

 

2004年1月6日

青森で、一家五人が焼死するという痛ましいニュースがありました。幼い子どもが四人と、奥さんがひとり亡くなり、その旦那とお父さんも、火傷で重体と書かれていました。なんという悲しい出来事でしょうか。その出火原因を辿れば、些細なことなんです。まぁ全国的にみると、火事の原因で一番多いのが、放火ですね。それから、煙草とたき火の順番だったと思います。その原因をもっとさかのぼれば、人間が「火」を使うという知恵をもったことです。プロメテウスが神様から「火」を盗んで人間に与えたことになってますけど、どうなんでしょうね。

 火は道具としては、画期的ですけど、人間も火によって燃えてしまうという弱点があります。仏教では、法華経に出てくる「火宅」という譬えが有名です。「火宅三車の譬え」といいます。子どもが家の中で遊んでいると、家が家事になってしまいました。それを見ていた父親は、子どもたちを早く家から外へ出そうとします。しかし、「火事だ!」と言っても、子どもは夢中になってオモチャで遊んでいるので、聞く耳をもちません。父親は、機転を利かせて、「外に、君たちの欲しがっている鹿の車や牛の車が置いてあるよ!一番先に出てきた子には、この車をあげるよ!」と叫びました。すると、子どもたちは、夢中になって遊んでいたオモチャから手を離して、一目散に屋外に飛び出してきました。そして、子どもたちは火事の難を逃れました。外に出てきたところで、父親は、鹿や牛ではなくて、もっと素晴らしいゴージャスな白牛の車を与えたというお話です。

 「父親」はお釈迦様の譬えですし、「子ども」は私たち衆生であるという設定です。娑婆には楽しいことがたくさんあるから、いくらお釈迦様が「こっちに出ておいで、仏道のお話を聞きなさい」といってもとても、聞く耳をもちません。火事の家のなかにいるようなもんだよ、危ないから早く出てきなさいといっても無意味です。だから、娑婆のオモチャよりももっと魅力的でゴージャスなオモチャがあるよと言って、衆生を誘引しようというわけです。そして外へ出てきたときには、子どもたちが欲しがっていたオモチャ以上のオモチャを与えようというのです。あの成田山新勝寺にも、そのことが書かれているそうですね。お正月には、莫大なお賽銭が入るわけですけど、それは、人間の欲望がなせるわざです。家内安全・交通安全・学業成就・商売繁盛・除災招福など、様々な願い事が神社仏閣には渦巻くわけです。「ああなりたい、こうなりたい」と。つまり、子どもは鹿や牛の車がほしいと願っているわけです。でも、一応その子どもの要求をかなえてあげようといいます。ほんとうは、そこには真の幸福はないのだけれども、とりあえず、火事の家から逃れるためには、仕方ないけど、その要求を聞いてあげようと。そして、火災から逃れたところで、初めてほんとうのオモチャ、つまり仏法を与えようというのです。

 ですから、成田山でも、御札・お守りが本道ではないと知っているんです。方便だと。取り敢えず、仕方ないのだと。しかし、どうなんでしょうかねぇ。方便で終わってしまっているという面はないんでしょうか。出てきたところで仏道を与えようとしたら、子どもたちは「チェッ!そんなもんいらねえよ!約束が違うじゃねえか!」ということにならないんでしょうか。おそらく浄土真宗だったら、その火事の現場に飛び込んでいって、子どもたちに「火事だよ!そこにいたら死んじゃうぞ!」と無理やりにでも手を引いて、外に出ようとするんじゃないでしょうか。でも、火の廻りがはやく、いっしょに焼け死ぬということもあるわけですね。その譬えでは、お釈迦様はどこにいるんでしょうか。家の外のような気がしますね。子どもといっしょに家の中にいないのではないでしょうか。どうでしょうか。家の中にいるのであれば、そんなことを言うより、実行に移すほうが速いような気がします。子どもは、親が血相かいている事態には敏感に反応しますよ。これは一大事なんだって、本能的に感じ取って行動するはずなんです。まぁ、譬えですから、そんなに興奮しなくてもいいんですけどね。これは、寺側の論理の問題なんで、そこにお参りにくる人間の論理ではありません。お参りにくる側の論理は、また違っています。

 親鸞の語録『歎異抄』には、その「火宅」の言葉が、こんなふうに使われています。「火宅無常の世界は、みなもって、そらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておわします」と。普通は、前半はよく分かると言いますね。最後の「ただ念仏のみぞまこと」というところが分からないと。これは、鏡なんです。ただ念仏という鏡にだけ、この世が火宅無常で、そらごと、たわごと、まことなしと映るんだというお話です。ですから、火宅無常の世界の他に、どこか別にまことが存在しているわけではありません。別の場所にまことがあるのであれば、そこへ逃避していくだけでしょう。そうじゃないのでしょう。

 火宅無常とは、煩悩の火に燃え盛っている私自身の身体と環境のことです。火事の燃料は私自身から噴出しているわけです。ですから、自分がそこから逃げても、火事はなくなりません。火事の燃料が私自身なんですから。そういう存在が生きるこの世は、「ほんとう」ということがありませんね。

 ひとから、「あなたは、ほんとうの生き方をしていますか?」と問われて、胸を張って、「そうです」と答えられるひとはいるでしょうか。百パーセント清廉潔白ということは、まずないはずなんです。よくよく、自身の心を覗いてみれば、うそ・いつわり・二枚舌・自己保身・悪口・詐称など、がゴロゴロころがっているのです。

 だからといって、この自身の身体と環境を捨ててどこかに逃げすこともできません。やはり、「所詮、そらごとたわごと」なんですけど、「されど、そらごとたわごと」を生きるということになるんでしょうね。善人には成れないんです。もともと悪人なんですから。見誤っていただけなんです。もともと悪人だったということで、初めて等身大の自分に落ち着くわけです。悪人という言葉は、情けない言葉じゃありません。自身が悪人と受け止められるということは、光の体験でもあるのですから。自身の底の底の、本質に光が届く。そこに見いだされた言葉が「悪人」という言葉なんです。懺悔と讃嘆が交互に繰り返す、怒濤のような言葉です。寄せては返す波のように、とどまるところなく、繰り返されてゆくのです。

 小生も、火事を体験したことがあります。もう少し手遅れになれば、全焼しそうになったのです。そのときの火傷の傷がまだ、残っています。メラメラと襖から天井に向って這い登ってゆく火が、いまでも鮮明に記憶に残っております。普段は、そんな場所に、火はありませんから、場違いな感覚があるんです。火災の現場に出くわすと、一瞬不思議な場所にいるような、変な感覚になります。ともかく、手当たり次第に火をたたき落として、消火するんですけど、不思議な感覚だけは残りますね。

 まさに、譬えとしてではなく、現実として「火宅無常」を体験したのでした。でも、不可逆性の現実があって、彼らのいのちは戻ってきません。逆まわしのできない火宅無常であります。ほんとうに厳しいものだと思います。合掌

 

2004年1月7日

上半期の行事予定表をつくりながら、今年もずいぶん行事や予定があるものだと、しみじみ感じました。半年先まで、自分が生きているという保証はどこにもないのに、半年先の予定を記しているんです。まったく、ナンセンスなことだと、つくづく思うのでした。なんという傲慢でしょうかね。図々しいにも程があるといわれそうです。

 そんなこと言ったって、予定を書いておかなきゃ、社会生活は成り立ちませんよ。約束でこの社会は成り立っているんですからね。もしかしたら、そのときには自分はこの世にいないかもしれないので、約束できませんということになったら、この社会は成り立ちませんね。

 そして、きっと、自分がこの世を去っていくときには、手帳に予定が書かれているけど、実行できないということが起こるのでしょう。手帳には、主人のいない約束事が空しく書かれているだけなんです。遺族が、その筆跡を見て、「まさか、自分がこんなに早く死ぬなんて思わなかったんでしょうね」と語り合うんです。悲しい場面ですね。

 でも、みんなそういうふうにして、この世を去っていくわけでしょう。普通は、自分が死ぬなんていうことを思わないうちに、この世を去っていくのでしょう。自分がやがて死ぬと分かっていて、死んでいったひとたちは、少ないはずです。死ぬとは思ってもみないで、死んでいくんです。そりゃ、頭では、やがて死ぬんだとは思っていても、余命何年、余命何カ月という宣告を受けずにいるだけです。たぶん、小生が宣告を受けたら、きっと、いま以上に、わけの分からないことを言いはじめるのだと思います。いまでも、ひとから「あんたの言うことは、よく分からん」と言われるので、きっともっとその頻度が高くなるのだと思います。惚け老人の言葉を、「ようやくおじいさんも、神の言葉を話すようになった」と受け止める種族があるそうです。この受け止め方がいいですね。亡き父も、神の言葉を話していました。身は現世にあっても、たましいは、この世にはないという感じですね。感受性も、現世のものとは変わっていました。現世とのズレが、実に妙味なんです。まったく現世とリンクしていないわけじゃないけど、たましいは現世にありません。ときどきは、現世に戻ってくることもあるんですけど、往来が自由になっているという感じでした。

 そんな父のたましいが、うらやましいなぁと思いました。小生も、ああいうふうに神の言葉を話せたらいいなぁと思いました。そして、きっと話してやるぞ、きっと話せるようになるんだと思うようになりました。現世の光の部分をズーッと絞り込んでゆくと、逆に闇の世界が広がってゆきます。そうすると、現世の光の部分より、闇の世界のほうが圧倒的に巨大であることがわかるんです。宇宙空間にポツンといるような感覚でしょうか。その圧倒的な闇の中から遠くに地球を眺めている感覚といったらどうでしょうか。そういうことが、地球上にいるときに感覚できるんだと思えるのです。

 そう思うと、老化への一歩を辿り辿り、やがて死を迎えることも多少の楽しみではありますね。そして最後には「永遠と合一」するわけです。自分の生れる以前の時間、そして死んでいった後の時間、それは、「永遠」です。それと合一するわけですから、楽しみです。今日もお通夜があります。もっともっと、たましいの世界で遊んでみたいと思います。現実は、同じことは二度とないのです。同じように見えていて、実は微妙に違っています。昨日と今日は、同じように見えて微妙に違います。ですから、その瞬間、瞬間に、自分をどう表現するか。それしかないんです。そして、それが仕事なんです。

 

2004年1月8日

江東区は、マンションだらけになって、人間のごった煮状態になっています。十何階建てというような、高層の建物が多くなりました。あの建物を見ていて感じたんですけど、人間のこころにもあんな高層の建物があるようです。こころが高層建築になっているのです。いま、自分のこころは、3階にあります。しかし隣のひとは12階にあります。そうすると、こころとこころが通じることはありません。すれ違いです。ところが、自分が8階にいて、隣のひとが8階にいるときだけ、共感したり同感することができます。エレベーターのように、いつも心が住んでいる場所は変化しています。相手が、いつも同じ階層に住んでいるとも限りません。だから、相手の住んでいる心を確かめるために、言葉をかけるのでしょう。

 相手が9階にあるのを知って、自分はあえて5階に留まってみたり、相手の住んでいる階まで探りを入れてみたり、様々にこころのエレベーターを楽しむこともできます。

 妙に上機嫌で、相手がどうも、20階あたりに住んでいるように見えることもあります。でも、あんまり上機嫌だと、逆にこっちが滅入ってしまうこともあります。「なんで、ひとりだけルンルンなんだよ!」こっちの身にもなってみろよと。ひとが上機嫌でいるとき、案外自分は冷たい感情を起こしていることが多いです。テレビのバラエティー番組で、バカはしゃぎをしている場面をみると、嫌悪感を感じて、チャンネルを替えている自分がありました。自分が多少、上機嫌であるときには、そんな番組のノリに応じてゆけるんですけどね。勝手なもんです。気分というやつは、自分でも自由にコントロールすることができませんから、気難しいもんです。

 いつもいつも、NHKのニュースのように無表情じゃ、つまらないときもあります。でも、案外、あの無表情に馴染んでいて、感情がニュートラルなときには、ありがたい番組でもあります。自分も、こころが何階に住んでいるのか分からないときがあるんです。それは民俗学的にいえば、ケの状態です。ケの状態を長くつづけていると、ケが枯れてくるんです。つまりケ・ガレの状態になります。ケガレは、ケが飽和状態になるまで、膨れ上がった状態です。そこから一気にケが放出されて、ケガレ状態を破壊して、ハレが訪れます。でも、ハレは爆発状態ですから、これも長続きしません。また日常のケの状態に戻ります。ケ→ケガレ→ハレ→ケ→ケガレという循環を繰り返して、人間の時間は流れてゆきます。

 昔の時間は、結構その循環にメリハリがありました。暮れと新年の間には、一気にハレが爆発していました。しかし、現在では、そのメリハリがなく、ハレの爆発が小さいですね。それはケが溜まってプレッシャーが十分にかかっていないからだと思われます。抑圧の状態が少ないんでしょうね。まぁ資本主義は、我慢しない主義ですから、高度に資本主義が発達した社会では、抑圧は少なくなるのが当然なんです。我慢しないでも、ガス湯沸器で、冷水を瞬時に熱湯に変えることができるんです。いまでも「瞬間湯沸器」という名前で売られてるんじゃないでしょうか。冷たいご飯だって、三分まではホカホカに変わります。フランスに行かなくてもフランス料理は食べられますしね。欲望はなんでも、瞬時に満たしてよいわけです。そういう社会を理想としてきましたし、生活の部分ではかなり理想に近づきました。

 その反動で、メリハリのない状態になっているのでしょう。抑圧がないわけですから。そうはいっても、これで満足したとは決して思えないのが人間です。やはり、自分では意識していなくても、心の奥底では、ケがプレッシャーによって、抑圧されているのだと思います。宮台真司が「終わりなき日常」といったように、永遠回帰の日常性こそが、プレッシャーとなって、人間に重たく重圧をかけてきているのでしょう。大いなるハレを望んでいるようです。大爆発をしたいんですね。

 小泉首相が靖国神社に参拝したとき、近隣諸国からクレームがつきました。そういうときには、「外国人から、とやかく言われる筋合いじゃねえ!」と大爆発したいんですね。アメリカから、金だけ出してひとを出さないなんて、卑怯じゃないかと、非難されれば、「行ってやろうじゃねぇか!」とマジ切れするわけです。いまの日本人は、大義名分が欲しいんですね。「大義名分欲求不満症候群」じゃないかと思うんです。諸外国からも、日本は大したもんだよ、恐れ入谷の鬼子母神だと言われたいんでしょう。

 自分自身の中でもプレッシャーがかかり、それが徐々に肥大化していることを自覚しています。「一点突破、全面展開」という欲求です。でも、まどろっこしいようですけど、少しずつですね。一歩一歩ですね。自分の一生分の食料を一気に食べることもできないように、少しずつ少しずつ食べてゆきましょう。

 冬の晴天には富士山が雪を頂いて素晴らしくきれいに見えます。目は何十キロ離れていても一気に対象を我が物とできます。しかし、現実の身体は一歩一歩しか近づけません。目のように一気には届きません。目の速度から、身体(触覚)の速度へと、シフトダウンが必要でしょう。

2004年1月9日

お通夜にいく前に、部屋にいたとき、母親が「たこ焼き買ってきたから食べていきな」とのたまう。母親「だって食事していかないんだろう…食べていったら?」と再びのたまう。

小生は「いまはいらない」。

「いま起きたところだから、食欲ないから、いらない」と返答しました。

すると、母親は「勝手にしろ」と。

 愛情ほど恐ろしいものはないと、ゾッとします。最初は、愛情の表現から、たこ焼きのお勧め、それから、強要、最後には、その愛情が受け入れられないときには、逆ギレという状態です。おそらく、そういう結末になるだろうと、うすうす分かっているんですけど、小生も無理して食べる義理もないので、正直な感情を吐露しておきました。そういう結末にしないで、「分かったよ、食べていくよ」と返答すれば、すんなりいくんですけどね。食べると言っておいて、保存しておけばいいわけですからね。そういうところにも、小生の優しさの配慮が欠けていると、つくづく後になってから分かるんです。嫌になりますね。ささくれだった感情の表出に、自分ながら、嫌気も差すのですけど、その場になると、また違った自分が生れてくるんですね。リハーサルは通用しないんですよね、現実は。

 選んで、親となったわけでもないし、選んで子となったわけでもないのに、格別な縁でたまたま親子になったのですけど、それを忘れてしまうんです。あたかも親子であるのが当然だというところから、起こってくる感情の行き違いです。親子だから、愛されるのは当然、愛を受け入れるのも当然、愛を贈与するのも当然という関係です。

 やはり、親と女房とでは、ワガママの度合いが違います。親には、無条件で反発したり、感情をそのままストレートにあらわすことができます。というより、もうすでに、吐露してしまっているんです。嫌いなものは嫌い、好きなものは好きと、ワガママ放題です。でも女房には、多少の遠慮があります。やはり契約関係だという面が多少あるからでしょう。条件付きですよね。「あなたが、私を愛する限りにおいて、私はあなたを愛する」という条件付きでしょう。でも、母親の場合には、そういう条件はありません。相手がどう思おうと、親子という関係は不変です。生まれながらですから、離れるにも離れることができません。もっとどろどろとした関係です。母親は小生を体の一部分くらいにしか感じていませんし、いわゆる「わが子」ですから、これまたなんでもワガママに振る舞います。遠慮がありません。その分こっちも遠慮がありません。密着しすぎているんですね。

 ほんとうは偶然の関係なんですけどね。それが見えないんです。

 昨夜、亡き父の夢を見ました。リアルな父が笑っていました。温泉ランドのようなところで小生は入浴していました。すると女房が小生を探しにきました。「珍しいひとが、会いたいって、外で待ってるから行ってみたら?」と。小生は誰が待っているんだろうと思って、外のベンチのところへ行ってみました。しかし、お客さんがベンチに座っているだけで、見つかりません。女房が、「よく見てよ」というので、小生は注意を集中しました。すると、なんと父がベンチのひとつに座っているんです。そして小生がやってくるのに気がついて、ニコニコと笑っているんです。小生は、近づいていって父のベンチの片方に座りました。他のベンチにはお客さんが座っていました。小生は父に「やっと、来ることができたんだね?」と問いかけます。すると父は、手に食べ物をもちながら、そうだよと答えました。すでに父の腕をさすっている小生がありました。細く柔らかい腕でした。父のいる風景が当たり前になっていて、小生に会いたいというひとが他にいるのだと思っていたんです。ところが、そうじゃなかったんです。父だったんです。「そうか、父は去年この世を去っていったんだよなぁ」だから会いたがっていたんだなぁと思いました。

 いつまでもニコニコと笑っていました。小生は久しぶりに会えたことが嬉しくて涙をダクダクと流していました。その泣き声で、自分自身が目覚めてしまいました。眼は涙の海になっていました。生前の親子のわだかまりなんかは全部吹っ飛んでしまうんですね。仏さまとなった父はいつでも笑っていました。とても懐かしく感じました。

 この父と生きている母と悲喜こもごもの日常を展開しています。むしろ父のほうが、「母性」だったのだと、いまにして思えるのです。言葉も女性言葉でしたね。「〜してよ」「〜いいわよ」「〜行ってきなさいよ」「〜だったのね」「〜そうよ」と女性形の語尾でした。観音菩薩の性質をもったひとだったのだと思いました。これからも、まだまだ、父と会って話をしたいと思いました。そうやって、生きているものと無限の対話するのが、仏さまの性質なのだと思います。小生が生きている限り。

 

2004年110日

痛ましい事故で、肉親を亡くされたかたのお通夜でした。事故というのは、突然です。いままで平穏な生活を送ってきた人々に突然襲いかかる魔です。まったく予期することのできなかったアクシデント。これは、残されたものにとっては、大地震です。大地が揺れ、まっすぐ立っていることもできないほどの衝撃です。

 「肉親」というのは、一見別々の個体に見えますけど、体がつながっている存在です。肉を分け合うほどに親しい関係です。ですから、一心同体といってもいいのでしょう。その片割れの肉体を失うわけですから、遺族にとっては、体の半分を失い、右足を失い、左手を失うほどの痛みを伴います。体が二つに避けて、バランバランになった状態です。通夜葬儀という、儀式は時間と共に執り行われてゆきますけど、こころはそこにありません。ボーッとした浮遊感覚の中にあります。もはや、どっちが東やら西やら、自分がまっすぐ立っているのかどうか、今日が何日で、今が何時であるのか、そういう現実感覚を喪失してしまいます。昨日まで、当たり前に顔を合わせていた家族が、いまは、動かない人体となって、柩のなかにおさまっているんですから。この「動かない人体」ほど、やるせないものはありません。見れば見るほど、眠りから醒めて、しゃべりそうな感じです。「ねぇ、なんとか言ってよ」「目を覚ましてよ」という言葉も、とても切なく感じます。

 現実とは、なんとも、厳しいものだと思います。不可逆の現実は、人間にとって、ものすごく厳しいです。小生は、なんとかこの酷い現実を受け止める力を家族に与えてください!この悲しい現実を受け止めるだけの力を我に与えたまえ!と祈っていました。

 時間を逆まわしにすることは、小生にはできません。死者を復活させることもできません。まったくの無力です。無力の前に、頭を垂れる以外にありません。そして、引き裂かれた人体が、やがてジワジワと修復し、またもとの体に戻ることを待つしかありません。残されたものは、この悲しみを抱えて、生きてゆかなければなりません。どうして、なのか?それは、自分のいのちは自分のモノではありませんから。所有物ではありません。自分にとっては、与えられた乗り物みたいなものです。寿命が尽きるところまで、付き合ってゆかなければなりません。「生きるにも生きられない、死ぬにも死ねない」そういう現実を引っさげて、ご飯を食べてゆかなければなりません。朝、目を覚まさなければなりません。トイレにも行かなきゃなりません。働いたり、学校へ行かなきゃなりません。もはや、生きるということが、ひとつ修行のようなものなんです。自分が自分になるためのね。木が毎年、年輪を重ねるように、春が来て芽が出て、夏には葉を繁らせて、秋には散らせて、冬には寒さに耐え、そうやって、繰り返して生きるんです。

 曽我量深先生が、「生きるということは、私たちが法蔵菩薩の御修行を裏からさせていただくこと」だとおっしゃっていました。娑婆を生きることは、まさに四苦八苦です。楽しい時間よりも、苦しい時間、空虚な時間のほうが圧倒的に多いはずです。まさに、現代では「豊かさのなかの生きがたさ」ということがテーマですけど、これは、お釈迦様の抱えたテーマと同じなんです。王子という王宮生活の豊かさの中での空しさが出家の動機なんですから。

 「なんで、毎日毎日、ご飯食べなきゃダメなのかなぁ…爬虫類みたいに食い溜めできないのかなぁ」と漏らしていたひとを思い出します。こういう日常生活は、お経に出てくる法蔵菩薩のご修行みたいなもんだと曽我先生はおっしゃいました。まぁこの菩薩は、生きとし生けるものを救いたいという願いを起こして、どうやったら全員を救うことができるのか、その方法を見つけようと一生懸命に修行されました。それこそ、永遠の昔から修行されてきたとお経には出てきます。

 とても人間にはできるような修行じゃないんですけど、でも、自分がこの世を生きていくときに、生きがたさを感じたときには、きっと法蔵菩薩も、さぞやご苦労されたことだろうと、了解したらどうかというのです。それを「裏から」と先生はおっしゃったのでしょう。自分の生きていることは、修行だと言い切ってしまうと、ちょっと言い過ぎでしょうけどね。でも、修行みたいなもんじゃありませんか。人間は三度三度、違った食事をしないと、生きられない贅沢な生き物です。猫のプチ子は、同じ猫の缶詰を、毎日、飽きもせずに美味しそうに食べています。まったく頭が下がります。でも、最近は、多少飽きてきたようです。缶を開けて、お皿に入れても、匂いをかいで、フンとそっぽを向いてどこかに行ってしまうんです。「こう毎日同じものじゃ、ネコだって、飽きちゃうわよ」と言ってるみたいです。ネコも、人間並みに堕落することがわかりました。人間特有の堕落が、他の生き物にも影響を与えるんですね。「朱に交われば赤くなる」とは、よくいったものです。

 そんな時にも、ため息が出ちゃいますね。「あ〜ぁ」とね。でも、小生は前から、「念仏は、涙か、ため息か」と言っていて、現代人の念仏はため息念仏なんだと受け止めています。空しい時、悲しい時、フッと漏れるため息、あれはお念仏なんですね。人間のどうしようもなさの表現であると同時に、仏さまが、人間に対して付かせてくださるため息なんですよ。人間の「あ〜ぁ」というため息と、仏さまがつかせてくれる「あ〜ぁ」は、二重になっているんです。もっといえば、人間と仏さまの共同作業がため息じゃないでしょうか。人間ってどうしようもない。どうしようもないという絶望と、そのどうしようもないものと、どこまでも同伴してくださる仏さまのね。

 そういただいてみると、現代は念仏大流行じゃないでしょうか。ただ、ため息が念仏として聞こえるかどうかの問題じゃないでしょうか。私たちの耳が、鈍感なだけで、あらゆる生き物が、念仏を称えているのかもしれませんよ。

 

2004年1月11

今日、今年初めての法事が行われました。法事は、故人を弔うというよりも、やはり自分が問われる場所だと思いました。なにより、小生が問われます。仏さまからね。「どうなんだ!言ってみなさい!ソモサン!」と。

 読経は、肉体的疲労が伴いますけど、法話は、仏さまから問われる時間です。できるならば、やめたい時間です。しかし、十字架にかけられて、仏前に引きずり出されるのでした。同じようなことを話していても、聴衆も違えば、時間も違いますから、決して同じ話にはならないというのが面白いところです。無の空間に、小生のパフォーマンスが表現されるのでした。始める前には、いやな感じが伴いますけど、法話が終わってみると、自分に充実感があったり、仕事をやり終えたような満足感も、起こる場合があります。 

 聞くところによると、法話をするのは真宗くらいじゃないかというのですけど、そうなんでしょうか。他宗派の法事に参加したことがないので、一度参加させてほしいと思います。もぐりで、他の寺の法事を体験してみたいと思います。

 法話は、聴衆を前に、自分自身が問われる場です。聴衆に、話が響いたとしても、相手を水辺につれてゆく迄です。そこから、水を飲むかどうかは完全に相手に任された問題です。こっちが、どういう斟酌もできない問題です。

 一期一会で、スパークする表現が法話なんですね。お説教とは、ちょっと違います。自分が、これは正しいことだから、信じなさいと説教するということと、法話は違います。スタンスがね。法話は、小生が仏さまから、問われる場ですから、聴衆は二義的な存在です。まぁ聴衆がいなければ、できないことですけど、聴衆そのものが問題ではないんです。やはり、自己自身のなかに、深く沈んでいる人間そのものなんです。そこに行けば、行き着けば聴衆とも出会えるはずです。自己の内面に深く深くおりてゆくときに、そこに普遍への扉が用意されているのだと思います。

 

2004年1月12日

生命誌研究者の中村桂子さんが、新聞の書評で『DNA−すべてはここから始まった−』(ワトソン・ベリー共著)を取り上げていました。見出しは「生物学が゛社会的゛になった50年」とありました。つまりヒトゲノムの解析に関して、米英大統領がコメントをしたり、単なる生命現象の研究が、いわゆる「社会的」なものに影響を与えはじめてきたというのです。そして興味深いことを書かれていました。

「遺伝子から見た人類の未来を扱った最終章では、遺伝学が発展し、多くの人が、゛自分は遺伝子のサイコロをでたらめに振った産物だ゛と考えるようになれば、今日存在する宗教より古い知恵が宗教の役割をすることになるのではないかと言っている。」

 まぁ著者は、だから、遺伝子治療を行って遺伝子的不公正を是正すべきだといっているようです。中村さんは「社会の現状を見ると、やはりここはもう一つ慎重でありたい。これは読者である私の選択だ」と結んでいます。

 科学は、それがやってはいけないことかどうかという問題よりも、やれることは可能だと考える性質をもっています。ですから、倫理の問題よりも、実用性が最優先されます。科学者は、やれることは可能だし、実行したいという欲求をもっていますから、必ずやります。クローンだろうが、なんだろうが、必ずやるわけです。どこまでなら、やっていいのかという倫理的線引きはほとんど無意味です。ですから、実行された時に、どういう問題が人類に投げかけられてくるのかと、想定問題集をつくって、あらかじめ考えておくべきなんでしょうね。

 それにしても、自分は遺伝のサイコロをでたらめに振った結果なんだと、受け止めたときに人間にはどのような影響を与えるのでしょうか?小生は、もともと、人間は偶然の産物だから、なんとも感じないんですけどね。もし、人間の意味づけがなされて、当然こういう理由からあんたは存在したんだということになると、そっちのほうがゾッとします。自分の存在まるごとが、人間の人知の範囲内におさめられてしまい、ぜんぜん面白くありませんよ。でたらめだからいいんじゃないでしょうか。でたらめだから、人間にとっては、荘厳なものなんだと思います。

 いま目の前にある、現事実には、なんの理由もないじゃないですか。ネコがいて、花が咲いて、自分がいて、空気があって、日が昇ってというありふれた日常の現事実には、なんの理由もありません。もし、それに理由を求めたら、それは人知の世界に転落してしまうでしょう。地道に生活して、贅沢もせず、子どものために生き、誰にも迷惑をかけずに、食事にも気をつかってきた、平凡にひたすら優しい方がガンになったりするわけです。世間には好き放題やって、酒や煙草に女や博打にうつつを抜かしているひとが、悠然と長生きしていたりするわけです。もし、人知が、そこに介入していたら、そんな不条理なことは起こらないはずです。人知の外の世界があるから、面白いんでしょうね。

 一から十まで、ほんとうは人知を超えている日常なんでしょう。それだから、なんだか、もう諦めてしまって、全部いい加減でいいやという投げバチな感情をよしとしているわけでもありません。でたらめであれば、未来だって、決まったもんじゃありませんよね。未来だってでたらめなんですから、そこに無限の可能性だって隠れているかもしれませんよ。でたらめということは、人知の及ばないことだということですからね。

 あの「たかが」と「されど」というベクトルの逆流を思い出します。「たかが人間」、「たかが人生」と刹那的に受け止めたとき、その底から違うベクトルの逆流が起こります。「されど」というベクトルの逆流です。「たかが」がなければ「されど」は動きだしません。「されど」「されど」じゃ、上昇志向です。そこに「されど」への断念が必要でしょう。「たかが」と全部を達観したような、見切ったベクトルがね。もう、自分も、人生も、世界もまるごと「たかが」と、一度キッチリと見切らないとダメだと思うんです。その見切った底から、「されど」という欲動が起こってくるんです。

 たかがデタラメ、されどデタラメとね。

 

2004年1月12日

一週間ほど、腰痛で苦しんでいます。先週、お通夜に行ったとき、車から装束カバンを出そうと、腰をかがめて引っ張りました。そのとき、腰と背中のところに、ズキンと激痛が走りました。ア〜ッやっちゃった!と思いました。これはもしかして、ぎっくり腰か!と。車の横で待っている葬儀場職員は、丁寧にお辞儀しているし、こっちは背中が痛いしで、なんとか、その場を取り繕って、痛みをこられていました。しかし、なかなか痛みがとれませんでした。

 それ以来、背中にはホカロンを貼って、背中と腰をマッサージして、なんとか治療につとめました。あれは、たぶん、背中の筋肉がこむら返りをするようなもんなんでしょうね。背中にもたくさん筋肉がありますから、筋肉と筋肉がコンガラガッテしまうのでしょうか。背中をある角度にすると、ズキンと痛みが走りました。それ以外ではなんともないので、たぶん「筋」を痛めたのだと思います。寝床で寝返りをするだけで、痛みで目が覚めました。

 それでも、病院には行きませんでした。整形外科にいっても、湿布と痛み止めの注射くらいが関の山で、あとは安静にするということしか手がありませんからね。それが近代医学の限界ですから。小生は、ともかく、湿布はしないで、ホカロンで温めて自然治癒力を高めるという方法をとりました。あとは患部のマッサージですね。それが功を奏したのか、今朝はいくぶん楽になってきました。用心しながらも、躊躇なく立ち上がったり、座ったりできるということは、こんなに楽なんだと思いました。そのときには、当たり前になっていて、楽だともなんとも思わないんですね。アクシデントに見舞われたときには、この「当たり前」のすごさに敬服します。

 そういえば、介護の神様と言われている三好春樹さんが、「当たり前のことを、当たり前にできる、というのが介護の基本」だとおっしゃっていました。介護福祉士の研修会の話だったか、茶髪のお兄ちゃんたちが、たくさん受講にきていたそうです。そこで問題を出したそうです。三日もご飯を食べていない要介護老人に、どうやって栄養をとらせて体力を回復させるかという問題です。まぁ、優等生の答えだと、強制的に食べさせるとか、点滴をするとか、もっと程度が悪ければ、気管を切開して栄養を流し込むとか、そういう医学的な対処に傾くそうです。でも、その茶髪のおにいちゃんの答えが、名回答だと言うんです。彼の答案には「特上の鰻重を取る」と書いてあったそうです。普通、食欲がないというひとに接したとき、ひとはどういう反応をするかです。特上の鰻重をとって、いっしょに食べるという、この日常の「当たり前」的反応が大事なんだと三好さんは言ってました。介護老人だからといって、特別な人間じゃない。教科書で習う老人は、別に特別な老人じゃない。ごく普通の人間が老化したまでです。ですから、日常のごく当たり前の生活の中での反応で接していくことが大事なんですね。

 この「当たり前」のことを、当たり前にできるということのすごさをあらためて感じたんですね。でも、そういうアクシデントに見舞われないと、人間はこの「当たり前」のすごさにも気がつかないという鈍感な生き物ですね。ケアをしてくれる家族の優しさなんかも普段は感じられません。「当たり前」にしているということが、愛を見えなくしているということでもありますね。その意味では、アクシデントに見舞われるということも無意味じゃないのだと思います。

 これはまったく程度が違いますけど、あの、首からしたが事故によって動かない星野富尋さんが言ってしまた。自分は事故によってたくさんのものを失ってしまったと。それはものすごく悲しいことだと。でも、いまでは、こう思うのだと。事故で失った以上のたくさんのものをいただいていると。こういうお話を聞くと、人生にはまったく結論はないのだと、つくづく、光を感じます。自分が、もし事故にあって身体の自由が奪われたらと考えているときには、悲観的なことしか妄想しません。でも、実際にその身になってみたら、全然違った世界が開かれてくるのだと、そういう可能性が残されているだとおっしゃるのでしょう。どこまでいっても、希望が残されていると。自分が、そうなったら、どんなに苦しいだろうかと想像しているときと、実際にそうなったときには全然別の世界が見えてくるのだと、そういう厳しい指摘でしょう。

 そうなってくると、やはり、ぎっくり腰も、なかなか味のある痛みなのだと思います。でも、なかなか、激痛の最中には、こういう文章も書けないんですけどね。だいたい、椅子に座っているというだけでも、腰が痛いですからね。

 

2004年1月14日

あらためて「宗教とはなにか?」ということが気になります。おそらく、最終的には、自分がそう思ったから、そうなんだという受け止め方でしか成り立たない言葉なんですね。

 西谷啓治さんは「宗教が何であるかということは外から理解することはできない。すなわち、宗教的要求のみが宗教の何であるかを理解する鍵であり、それ以外には宗教を理解する道はない」(『宗教とは何か』)とおっしゃっています。さらに、その宗教的要求について「ただ他のあらゆるものが必要性を失うところ、その効用性を発揮しえなくなるところに、それらが、すべて役に立たなくなる生の段階において、初めて宗教が必要となり、生における宗教の必然性が自覚されてくる」とも語っています。

 宗教という言語自体は、レリジョンの翻訳語であるとか、あるいは中国の「宗」と「教」の合体後であるとか、いろいろといわれています。親鸞も、教行信証で、「真実の教/浄土真宗」と書いていますから、その宗と教をとれば、宗教だということもできます。宗とは、ムネとも読み、一番大事にしていることという意味です。ですから、あなたが一番大事にしているものはなんですか?と問われている、また、その表明が宗教という意味だと考えられます。

 現代日本人が一番大事にしているのは、家族・健康・財産の順番だったでしょうか。そこに共通しているのが、「私の」という自我です。「私の家族」が一番大事なので、他人の家族ではありません。「私の健康」が一番大事で、他人ではありません。「私の財産」が大事で他者のではありません。ですから、昔は神様が大事だったけれども、いまは「自分」が神さまになっているわけです。自分が一番大事なんです。小生は以前それを「自我教」と呼びました。自分が神の座に座った時代が近代だともいわれていますね。

 ですから、無宗教だとか無信仰だとかいっても、自我教の信者であることは間違いないところなんです。だから、「私は信仰をもっていない」とイケシャーシャと言ってのけることができるんです。神様なんか信じる必要がないんです。それは神様よりも確かな自分という神様を信じているからです。ほんとうは無信仰じゃないんです。

 自分がいま見ている世界を眺めてください。たとえば、机があったり、窓があったり、タンスがおいてあり、テレビがあって、と部屋が見渡せます。この視角は世界にふたつとない視角です。他のひとには成り立たない視角です。百人いれば、百人の視角が存在します。「見るということは支配することである」という言葉があります。自分の眼により、あいての存在を狙撃し、相手を自分の視野のなかに張り付ける支配です。日本人が、見られることに、被害感覚をもつのは、そのためです。見るということ事態が支配だからです。

 それをよく示しているのが、日本猿です。大分県の高崎山の猿山には、注意書きがあります。それには「サルと目を合わせないで下さい」です。サルと目を合わせると、サルは真っ赤な顔で怒りだします。あれは原始的な人間の本能と通じています。「見る」ということは力関係をあらわしています。サルは集団で上位のサルの目を見つめることはしません。見ることができるのは上位のサルだけです。下位のサルは目を合わせません。下位のサルは「見られる」対象であって、「見る」主体にはなれないのです。見る主体は、上位のサルに限られるわけです。目を合わせることは、威嚇を意味し、あいての支配に逆らうことになるからです。まぁ、人間でも若人がよく「ガンをつけた」などといって、喧嘩をしていますよね。あれはサルと同じ本能を人間がもっていることをよく示しています。

 ですから、私の視角は、私の眼によって支配することのできる世界なのです。私たちはカメラがレンズをとおして映像を切り取るように見ているのだと錯覚しています。しかし、そうではありません。わが支配の領土を睥睨しているといっていいんです。ですから、私にとって有意味なものは、見えていても、そうでないものは切り捨てることもできるんです。

 これは人間が神の視座を得たといってもいいわけです。自分以上に偉いものはないということですね。たとえ、テレビにどんなに偉いひとが映っていたとしても、「ばかやろう!偉そうなこと言ってんじゃねえ!」と言ってスイッチを切ってしまえば、相手を抹殺することもできるんですからね。眼は、火星の砂も見ることができますし、海底3000メートルの深海だって見ることができるんです。テレビという眼の代理によって、どこまでも支配することができるんです。

 ところがです、西谷先生もいっているように、自我という神様も効用性を発揮できない状態がくるんです。それは老・病・死の現事実です。自我という神様も死ぬときがくるんです。いままで一番大事にしてきた本尊が役に立たなくなってくるんです。そのときになって、初めて、自我以上のもの、自分を超えた何かを真剣に求めるということが始まります。それは個人差があって、始まらないひともいます。

 仏教は、その自我教の本尊である自我を完全に相対化することによって、骨抜きにするという方法をとります。

 普通は「宗教をもっている」とか「自分は信仰をもっていない」とか、そういうふうに宗教という言葉を使います。それはある種の文化現象としての「宗教」を念頭において言っているんですね。仏教とかキリスト教とかイスラム教とか、あるいは○○会とか、○○教とか、その宗教団体や宗派、あるいは、その宗教の理念を信じているという場合に「宗教をもっている」と考えているようです。

 そうじゃなくて、向こうからつかまれるということがあるんです。とりつかれるといいましょうか。ですから、自分からは、なぜ浄土真宗を選んだのか、その理由が分からないんです。それは生まれがそうだったから、といわれれば、それでおしまいなんですけど。そうじゃなくて、向こうから迫ってくるもの、遭遇してくるものとしてやってくるんです。向こうから、つかまれてくるという感覚から開かれるのが宗教でしょう。ですから、「自分が選んだとは言いきれないもの」を本質としています。その視座から開かれてくるものは、私だけの世界です。不共業なる世界です。そうやって、徹底的に相対化させられるわけです。でも、そこから見られる世界は、すべてを生かします。何教だろうと、自分の世界のなかの出来事に変換できます。私がバイブルを読めば、そこから仏法の香りを嗅ぐことができます。バイブルが絶対か仏典が絶対か、という二者択一の世界を捨てることができます。そうやって、自分の視座=自分の世界を大事にするということになります。

 百人存在していれば、百の世界があり、千人存在していれば、千の世界があるのです。たった一つの世界は、幻想なんです。そんなものは、どこにも存在していません。もともと、人間は一国一城の主なんです。そういう徹底した相対化が、平和の基本原理なんだと思います。

 

2004年1月15日

世間では、牛がどうだとか、こんどは鶏がどうだとか、なんだかやかましいことです。ほんとに、ちっぽけなことをマスメディアは、拡大して「これこそが、一大事だ!」と騒ぎ立てます。また、日本人は勤勉でバカ正直な民族ですから、それを真に受けて、これが一大事だ!と受け止めてしまうのです。

 昔、トイレットペーパーがなくなる!と騒いだときのことを思い出します。もうスーパーや薬局なんかに長蛇の列が出来て、なんだかバカみたいと思っていました。我が家でも、北に紙があると聞けば、駆けつけ、南にあると聞きつければ馳せ参じるという、付和雷同を演じていました。小生は、やっぱりバカみたいと思っていました。紙がなければ、水で流して手を洗えば済むことじゃないか。インドを見なさい!と言ってました。あっちのほうがよっぽど衛生的じゃないか。紙なんか使うよりと。

 ともかく、テレビや新聞が、いまや全世界の真実を伝えているんだという信仰があるんです。そんなことはないんです。情報の一部分を伝えているに過ぎないんです。それなのに、その情報がすべてだ、一大事だと思い込んでしまうんですね。ものごく過敏になりすぎています。まぁ、そういうふうに考えていると家族のなかでは、だんだん相手にされなくなってくるんですけどね。

 小生は焼きとりが大好きなので、この報道で焼鳥屋さんがどれだけ迷惑しているかと懸念します。まぁ鳥刺しは除いても、他のものは加熱すればだいじょぶらしいですから、問題ないでしょう。

 話は変わりますけど、昔は仏壇が占めていた場所を、いまではテレビが占領するようになったと聞いています。一番尊い場所が、仏壇の場所だったんですね。でも、いまでは仏壇がありませんから、その場所がテレビの設置場所になっていて、みんなに尊ばれていると聞きます。仏壇のある家庭でも、別室にしつらえていて、もはや家族の団欒とは差別された空間に置かれているんです。それは仏壇を尊ぶという形で、それこそ仏間という特別室になって丁重に扱われているのです。でも、狭い家では、茶の間に仏壇が置かれていて、それこそが小生の好きな仏壇の置き場所でした。家族と仏さんがいっしょに飯を食ったり、笑ったりという、それは別に仏さんを粗末に扱っていることにはならないと思います。それは、逆でしょう。小生は、茶の間のゴチャゴチャした空間に仏壇が置かれているとホッとするんです。仏さんと親しい関係なんだなぁと感じるわけです。でもそれは小生が感じるだけで、当人は全然そんな感覚はなかったりするんですけどね。ここしか置くとかがなかったから、仕方なく置いているだけで、案外汚れていたりしても平気なんですけどね。

 実の父が亡くなって、ようやく仏さんがどういうふうに生者に関わってくるのか、少し感じられるようになりました。こっちが気がつかなければ、ぜんぜん音信不通の関係だということです。夢にでも出てくれれば、思い出すんですけどね。法事とかがあればね。でも、普段は忘れ去られている存在だということがよく分かりました。

 それでも仏さんは何とも言いません。ただ黙って生者を見つめているんでしょう。生者がどのように仏さんのことを思おうとも、また忘れていようとも、それとはまったく関係なく、ただ黙ってこっちを見つめているんだと思います。

 小生の場合、父はいつでも笑顔なんですけどね。笑顔が、妙に悲しくて、でも嬉しくて、切なくて、なんとも言い難い味がします。こういう仏さんとの関係が好きです。ほんと、仏さんはいい味を出してくれます。

 それはなんだか、タマシイの深いところの出来事だと思うんです。ニュースで、牛がどうした、鶏がどうしたという、次元の問題よりも、もっともっと深い領域の出来事だと感じているんです。

 

2004年1月16日

「自分」から生き始める。

そんな言葉が浮かんできました。「自分」を大事に大事に受け止めなおしてみたいと思うようになりました。自分の知っている「自分」は、記憶のなかにあるだけです。まだ自分の知らない「自分」だって、あるはずなんです。そして、自分にしか感じられない「自分」のデリケートな味を味わってゆきたいと思います。肉体の構造は他人と似ていても、まったく同じではありません。同じものを食べたって、微妙に違っているはずなんです。同じドラマで涙を流していても、これも受け止めるこころでは微妙に異なっているのではないでしょうか。

 「諸仏の世界」−もろもろの仏の世界というのが、お経には出てきます。これは、インド人の感性ですから、日本人にはちょっと馴染めないんですけどね。その辺を差し引いて考えてみると、いろんな国にはいろんな人種だとか、民族がいて、それぞれ生活しているというイメージでしょう。身近な人間たちも、諸仏のように、それぞれの世界をもっていると。阿弥陀経には東方世界、南方世界、北方世界、西方世界、下方世界、上方世界という六方の世界を語っていて、それぞれの世界があって、その世界にはまたいろんな仏が住んでいるという表現をしています。

 つまり、ひとつの仏にはひとつの世界があるというわけです。仏と世界とは一対一対応だというのです。それを敷衍すれば、我々一人一人があるということは、ひとつひとつ違った世界があるということです。難しくいえば、「主体と環境」とは不即不離の関係だということです。ですから、この世界と、小生が見ている世界は、私だけの固有の世界だということになります。となりにひとがいれば、そのひとの世界が、また別にあるわけです。

 図書館にはたくさんの蛍光灯があって、それぞれ違った光を放っています。光源はそれぞれ違いますけど、それに照らされている世界はひとつに見えてきます。光源は異なっていても、光は喧嘩しません。共同にひとつのものを照らすはたらきをします。 

 これと同じ構造なんですね。私たちには世界はひとつにしか見えないんです。地球はひとつだと、日本もひとつだとしかね。照らされた対象はひとつなんです。でも、それを照らしている光源は、ひとりひとり全部違うんです。ですから、ひとりのひとが亡くなることは、ひとつの世界がなくなることです。主体と環境はそれほど密接に関係しているのでした。

 そうすると、自分の感性とみんなの感性が違うということなんですね。同じように見えるのはどこか、自分のデリケートな部分に無自覚であるということになってきます。生きることに積極的になれないときは、全部が同じように見えたり、感じられたりしているときです。同じように見えていても、実際は自分にしか見えていない固有の世界なんだと、受け止めなおすときに、ようやく生きることへの瑞々しさがよみがえってくるんでしょう。

 そこにサザンカが咲いているだけで、そして、そこにあなたがいるだけで、それだけで、ものすごく不思議なことなんですよね。この「不思議」という感覚がよみがえってきたとき、少しは生きることに明かりが差します。「不思議」がなくなったとき、人間はこころがささくれだって、ストレスが増幅して、傲慢になってくるんです。前代未聞の「自分」から生きはじめたいと思います。まだ見たこともない、また読んだことも、体験したこともない「自分」を生きはじめましょう。今日から、いや、今から。

 

2004年1月17日

宇宙的自己

 朝方、尿意をもよおしてトイレに立ちます。寝床からやっと這い出して、トイレにたどりつき放尿を済ませて戻ってきます。体が冷えているせいか、なかなか眠りがやってこないで、ウトウトしている状態になります。このウトウトの状態のとき、頭が勝手にいろんなことを考えはじめます。そして、このウトウトの状態のときに生れてきたことが、「つぶやき」のヒントになることが多いです。

 今日の「宇宙的自己」という言葉も、そのウトウトの産物です。体が休止状態のときって、かえって頭が自由に動くようです。体が動くときは、かえって頭が不自由になっているときなのかもしれません。一方には覚醒した意識状態のときがあり、他方には無意識の状態があります。こういう意識のレベルを人間はもっています。自分の意識が、どのレベルになっているかで、考えも感情も変わってくるように思います。小生のウトウト状態は、かなり覚醒した意識に近いです。夢まで深くはなっていませんけど、完全に覚醒しているわけではないという微妙な状態です。

 これは、不遜な思いですけど、あの親鸞の夢の告げというのと同じような質の意識レベルだと思います。夢の告げを受けようとして、親鸞は籠もるわけです。課題があるんですね。ですから、意識でもなく無意識でもなく、その中間の状態になったときに、夢告が生れるのです。でも、夢告ですから、それは、自分が勝手に見ようと思って見たものではありませんし、完全なる夢でもありません。それなので、自分の心に映ってきた夢であっても、自分にとっては課題的なんでしょう。ですから、夢の告げをいろいろと解釈されている方もいますけど、完全に覚醒した意識で、解析されても、どうも見当外れという感が拭えませんね。親鸞にとっても、よく意味が分からない夢だから、尊いのですし、暗示的なんですね。ですから、あ〜でもない、こ〜でもないと、味わっていけばいいんですよね。

 小生の「宇宙的自己」ということは、そのウトウト状態では、すごく輝いていた言葉でした。なんだか嬉しいという感情がありました。でも、覚醒した意識から見ると、以前から言ってきたことじゃないか、つまんないよという感情が涌いてきました。覚醒した意識を「昼間の意識」というとすると、こいつは、妙に大人のように計算高く、ニヒリスティックな奴なんです。斜めにものごとを見ているいやらしい奴です。でも、ウトウト状態の自分のほうが、純でウブで、生々しいのです。そのウトウト状態が「宇宙的自己」という言葉を教えくれました。

 つまり、自分は宇宙的歴史をもってここにあるということです。自分のいのちの先祖をたどると、ものすごい数の先祖が現われます。両親があって、その両親がふたりずついてと、やっていくとものすごい量になります。どんどん、さかのぼって、いのちのルーツをたどっていくと、地球にいのちが生れたとき、そして太陽系、銀河系、さらに宇宙が発生したときまでさかのぼってゆくのです。自分のいのちには、宇宙と同じだけの歴史が刻み込まれているのです。自分が、ここに有るという、この単純な出来事のなかに、天文学的な時間と空間があるのだと思うと、実にフワーッとした気分になります。自分が宇宙空間に浮いているような、あるいは自分の体内に月や火星や銀河系が内蔵されているような、ファンタジーが広がります。

 そして、この世を去ってゆくとき、つまり死ぬときには、また再び、その宇宙の状態に還元されてゆくのでしょう。永遠の時間から生れた自分は、永遠の時間に戻ってゆくのです。空気のような状態にもどるわけです。有機生物に吸収される酸素の状態ですから、他の生物のなかにも溶け込むことができますし、そのへんに漂うこともできます。もはや時間とか空間という次元から解放されます。

 どこまでも極大であり、どこまでも極小になるような自己のイメージは面白いです。こういう「宇宙的自己」が、ほんとうの自分の姿なんだと知らされました。覚醒時の自分は、仮の自分なのでしょう。時間がくれば滅びてゆきますし、空間的には東京にいれば、京都には存在しませんからね。

 ウトウト状態の自分は、とても平和で、いさかいもなく、消費も少なく、差別もせず、暴力もふるわず、これこそが、ほんとうの自分の位相なんだと思いました。覚醒時の自分が、そもそも諸悪の根源じゃないかと思ったりしています。天を向いて、人間は、必ず眠ります。なぜ眠るのか?ということは、医学的に解明されているのでしょうか。疲労してくると休みたくなるとか、休息をとらないと体力が生れないとか、いろいろ言われているんでしょうけど、どうもよく分かりません。電車のなかで、ウトウトしているときがあります。ほんの数分なんですけど、何時間も眠ったような気分になりますよね。数分間、寝ただけでリフレッシュするという仕組みはよく分かりませんね。生理的に「眠る」ということが、まず先にあって、その後付けでいろいろな説明がつくのでしょう。

 「眠り」の時間に、人間は「感情」を養うのだと聞いたことがあります。もし人間に眠ることがなければ、感情は育たないのだと。そうかもしれませんね。癒しの時間であり、回復の時間でもあり、創造の時間でもあるとすると、「眠り」は限りなき、創造の主ということになります。実は、人生そのものが、実は大いなる創造物なんでしょうね。生きるということ全体が、創造行為なのでしょう。

 ウトウト状態は、私の創造の泉でありました。

2004年1月18日

亡き人は、生きているものの中に生きはじめる。亡くなった途端に、生きているもののこころにドーンと入り込んできて、生者の中で生きはじめる。あのエイリアンの卵のように、体の中に産みつけられて、生者のなかで育つようです。

 そんな実感がしてきました。この世を去ったときには、どこかに遠い旅立ちをするようにいいますけど、そうじゃないんでしょう。オナラのように、プーッと出たら、あとは、空気と交じって、そのへんに滞留しているのでしょう。気体よりももっと、細かくなって、その場に溶けてしまうんでしょう。だから、人間は故人のたましいを吸い込んだり吐いたりして、死者とともに生きるわけです。

 その場所は、生者には、近いようでいて、遠いのでしょう。見たりさわったりすることができないからです。そこは「永遠」でしょう。時間と空間という概念を超えた永遠でしょう。その永遠の中にポツンと生者の空間もあるのかもしれません。ですから、時間で表現すると、「弥陀成仏のこのかたは、いまに十劫をへたまえり」と親鸞もいうわけです。十劫とは、無限時間ということでしょう。また空間で表現すれば、「西方、十万億土」と表現しますね。これも無限距離ということでしょう。それは、私たちの時空間を超越していることを暗示しているんです。でも、それがまったく人間と接触しないかというと、そうじゃないのです。この日常の時空間と接触しながら、永遠だと、超越しているんだというわけです。ですから、「いま・ここ」ということがなければ、超越・永遠ということも成り立たないわけです。

 ですから、「永遠の中にある」といってもいいのでしょう。小生までの先祖の死は無量です。宇宙が始まってからの小生の先祖は、無限ですね。その先祖と一直線につながっているのが小生のいのちです。時間を縦軸として、空間を横軸とすれば、縦軸にも横軸にも無限にひろがっているのが小生のいのちです。横軸とは、空気や食べ物など、私を支えている一切合切です。自分が、自分の眼で見ることのできる身体は、六尺ほどのものです、目方も20貫です。これが等身大の自分の身体です。他に自分の身体はないわけです。でも、目をつぶって自分の身体を思うとき、実は、無限の広がりをもって感じられてきます。南太平洋を泳いでいたマグロの肉体が小生の肉体となり、オーストラリアの平原にいる牛が骨となり、九州の芋焼酎が体液となり、フランスの赤ワインが血となると。地球上に、小生の体が融通して溶け合っています。そして、時間的には無限の過去からのいのちのつながりがひろがってきます。30代前の先祖は、十億七千三百万人ほどです。このいのちの広がりをどんどん押してゆけば、無限の因縁のうえに自分の身体があることが分かります。

 自分がここに、ある、息をしているという、ただそれだけで、チョー不思議な現象ですぞ。火星にロケットが行ったなんてことで、驚いたりしている場合じゃありませんぞ。この自分のちっぽけな身体を見よ!です。

 

2004年1月19日

日本仏教の巨星・坂東性純先生、逝く

 まだまだ、全然、実感が、ないのです。まさか、先生が、お亡くなりになるとは…。お具合が悪いということはお聞きしていたのですが、こんなに早く…。一度、先生のお顔を拝見したく、最後のご挨拶を遂げてきたいと思います。

 これから、まだまだ、ご指導を仰がねばと、思っていましたので、なんとも、空しい感じがあります。まさに日本仏教の巨星でした。それは日本に留まらず、全世界的に影響力のある先生ですから、世界的な意味でも、大きな痛手なのだと思います。いつでも、ジェントルで、物腰の静かな、それでいて、燃えるような求道心の先生でした。なんだか、とても辛いです。

 先生はお若いころ、坂東報恩寺という伝統ある寺院をになってゆくことに、ためらいや戸惑いがあったと語られていました。親鸞の高弟である性信房の開基のお寺ですからね。普通の末寺とは、重さが違います。お寺を逃げて逃げて、なるべく真正面から引き受けないようにしていたそうです。しかし、九州のお寺に泊まり込みで、求道の問題をぶつけ合い、ようやく自分と真宗とが真正面に向き合うことができたのでした。そのお寺は、入門したときに、いままで履いてきた靴を取り上げられてしまうのだそうです。つまり、信仰の決着がつくまで、ここから出ることはできないという決断を迫るのです。若いころには、こういう信仰のしのぎを削るということが大切なんですね。

 そして、英語が堪能だった先生は、鈴木大拙先生の教えを受けて、全世界に仏教を表現してゆく業績を残されました。先生の英訳された歎異抄を、昨年、小生たちがベトナムに旅行にいったとき、佛教大学に寄贈させていただきました。

 東京教区の教学館の開講式では、必ず先生に最初の講義をいただきました。「仏道を学ぶということ」というテーマだったと思います。先生は、「自分は、自ら仏道を学ぼうと思ったことは一度もありません」と語られました。自分は仏法から逃げ回ってきたのだと、しかしその逃げ回ってきた足跡をみると、それが求道の歴程であったのかもしれないとおっしゃいました。「仏道を好きなものは、変態だ」と安田先生は書かれています。そうなんでしょうね。仏道をはじめから好きなものは、どこかおかしいですよね。わさびや七味唐がらしのような味ですから、最初から好きなひとはいません。でも、その香辛料を、食材に振りかけたり、塗ったりすることで、食材がほんとうに美味になるという、そういう効果があるんです。ただただ、甘味だけを欲しがっている人間には仏道は不必要です。甘味とは、「自分の都合のよいものは、好き、都合の悪いものは嫌い」という、ごくふつうの感覚のことなんですけど、人生は、それだけじゃ済まないものを含んでいますからね。

 イエスもそんなことをいってますね。自分を必要としているのは、病人だと。健康な人間は自分を必要とはしていないと。そうなんですね。自分が病人だという自覚がなければ、病気を癒したいという欲求も起こってこないんですからね。それじゃ、病人だけが求めればいいじゃないかということになりそうですけど、そうじゃないんです。人間は、みんな病人なんです。ただ自覚症状がないだけなんです。自分は健康だと思い込んでいるだけです。自覚症状がないから、末期的になっても分からないんです。

 でも、お正月の浅草、観音様でひとがごった返す中で、「悔い改めなさい!神の世界は近づいた!」とスピーカーで流しているひとたちがいました。ああいうのもどうかと思いますよね。大きなお世話だぜ、まったく、と思っちゃうんです。

 ああ、坂東先生の存在の大きさが、これからますます感じられてくることでしょうね。いなくなることによって、逆に存在の大きさが増大してくるんです。逆なんです。残された私たちは…なんて考えちゃダメなんです。ただ、いまは、先生のことだけをひたすら考えればいいんです。

2004年1月20日

昨日の唯識の会では、繋縛と繋属ということを教えられました。自我意識は、本来無我であるのに、それを自我だと思い込んでいます。でも、その自我意識も、何もないものを自我と考えるはずはないので、その当体を阿頼耶識だと仮定しています。阿頼耶識という意識も面白い意識で、存在の根源でありながら、現象世界そのものであるというような、変わった性質の意識です。私たちの存在は、その阿頼耶識という根源から生れてきて、今日自分にまでなっているのですけど、この現象世界そのものを生み出してくるものであると同時に、現象世界そのものになっているという不可思議な性質です。現象世界を縛りつつ、現象世界に限定されているということだそうです。

 有名な言葉に「摂して自体と為し、安危を同じくする」というのがあります。阿頼耶識は、どのような境遇になろうとも、それを自分自身だと引き受けて、安全なときも危険なときも、その身とひとつになろうとするのだというのです。如来の大悲とは、そういう性質なんですね。無条件に、そのひとと一心同体になろうとするというのが究極の愛の形です。人間には不可能な愛です。人間の愛は、一心同体にはなれません。わが子が重病になっても、親は代わってやることができません。

 愛は、危険な状態から、安心の状態へと変えることだと思われています。貧乏な状態から裕福な状態へ、病気の体から健康な体へ、鬱の状態から躁の状態へと、状態を変化させることが愛だと。でもそれは究極的なことではありません。究極的な愛は、苦しんでいるものと一体になるということです。同体になるということでしょう。どのような境遇であろうとも、無条件に同体になろうとするものが究極です。

 無始以来の宿業を背負って自分は今日、このような限定を受けて、ここに有るのです。まさに宇宙的自己です。他のひとと代わってもらうことはできません。唯一絶対のものです。なぜ他者じゃなく、自己は自己なのか、これも不思議なことです。この全宇宙のなかのチリのような存在がどうして、成り立ったのか?考えれば考えるほど不思議です。

 今朝のニュースで、クローン・ペットがついに開発され、販売されていると言っていました。シュワルツネッガーの映画でやっていたことが現実になりましたね。自分の愛するペットが死んでも、皮膚の細胞があれば、クローンで再生できるというのです。これはアメリカの話ですけど、やがて日本でも行われるでしょう。日本では人間への応用は禁止されているそうですけど、やがて行われるに決まっています。科学には、「べき論」はありませんからね。「可不可論」しかありません。生命倫理の学者が、クローンといっても完全に同じじゃないとか、健康が保てないとか言って批判してましたけど、焼け石に水でしょう。人間の場合でも、たとえクローンが可能になったとしても、生育歴が違えば別人になるんじゃないでしょうか。つまり一卵性双生児と同じことになるんじゃないでしょうか。記憶まで、移植できるということなら、別でしょうけど、そうなってきたら、それこそ、かなり瓜ふたつに近い状態になるでしょうね。

 そうすると、死を超えるかもしれませんね。でも、そうなったらなったで、また恐ろしいですけどね。死のない生は、無感動に違いないですから。人間が、生き生きしたり、元気になるのは、どこかに死の香りが入っています。素晴らしい景色を眺めて感動しているときも、それは一回性ということが条件です。いつでも眺められるものじゃないし、景色は時々刻々変化していくということを知っているんです。美味しい料理を食べたときも、これは一過性であります。映画をみて感動したときも、瞬間の出来事です。終わりがあるという、死の香りを人間は本能的に知っています。その死の香りに促されて感動がやってくるんです。

 ですから、無限の寿命をあげようと言われても、人間はやっぱり、拒否するんじゃないかと思います。クローンいかがですか?と言われても、結構ですとね。あの「ベルリン天使の詩」の主人公も、天使を廃業して人間になりたいと言い出しました。寿命も無限、なんでも思い通りになるという天使は、人間の願望です。でも、願望がかなってみたら、こんなに灰色で憂鬱な世界はないんです。すべてのものは手に入っても、「感動」だけがないんです。人間は、それほどに「感動」が生きるエッセンスになっていることを思います。

 感動多い日々を生きたいと思います。坂東性純先生へ思いを馳せつつ、そう思います。

2004年1月21日 

今年はカレンダーを買いそびれてしまい、結局、ワープロの中にあったカレンダー機能を使って、自作することにしました。この機能は、一応、枠の中に日付と曜日を並べてくれるというものです。ですから、祝日は、自分で数字の色を赤く変えてやらなければなりません。また、坊さんには必需品であります、「友引」の印をつけなければなりません。はじめは、友引の日の数字の文字色を変えてみたのですが、土曜日が水色で、日曜日が赤色なので、ここに友引が当たると、紛らわしいことになり、やめました。それで、日数の数字の下にアンダーラインを引くことで対応しました。

 自分の手帳には「六曜」といって、友引や先負、先勝・大安・仏滅というのが記されていますので、これを参照しながら、アンダーラインを引いてゆきました。なぜ友引が重要かといいますと、ご存じのように、火葬場の休業日だからです。都営も株式会社の火葬場も、東京は休業です。ですから、友引は、お通夜はあっても、お葬式はありません。そうすると、友引の日中は、突発的なことがない限り予定が確実に入れられるわけです。お坊さんの仕事は、消防署と似ている面があって、火事や急病も突発的ですけど、死も突発的なんです。でも、友引だけは、割合に安心して予定を入れられるので、教団の行事やら余暇の時間に使うことができるんです。

 真宗大谷派教団では、「浄土真宗は日の善し悪しは選ばないのだ、友引や仏滅などは迷信だから採用しないように」という不文律があって、『真宗大谷派手帳』では、記載されていません。確かに原理的には、そりゃ正しい、ご立派なことなんですけど、実用の面からいうと、友引は実にありがたい効果を発揮しているのです。地方によっては、友引に火葬場を休業にするのはナンセンスだという抗議から、取りやめたという話を聞きました。それで、日曜日に休業にするようにしたそうです。でも、お寺は日曜日は法事が殺到しますから、そのうえにお葬式が重ならないので助かりますけど、かえってウイークデーの研修会などが、いつお葬式でつぶれるか分からないという不安を抱えているとも聞きました。お葬式がないからといって、法事の殺到する日曜日に研修会などはできませんからね。

 習俗とは、ソフトに関わらなきゃと思います。習俗は、理性的思考からいえば無根拠だという面もありますけど、やはり長年、民族のかかえてきた経験知の集積という面もあるんですよ。こどもの頃、オチンチンが赤く腫れ上がって、かゆくて仕方なくなりました。うちにいたおばちゃんが、「これは、僕が、ミミズにおっしこをひっかけたせいだよ。ミミズにおしっこをひっかけるとオチンチンが腫れちゃうのよ。だからミミズをきれいに洗って返してあげなさい。そうすれば、すぐに治るわよ」といわれました。それで、小生は、庭の石をひっくり返してミミズを見つけてきて、水道水できれいに洗って逃がしてやりました。そうすると、少したって、かゆみと腫れがひいてゆきました。

 いまから考えると、おかしいところもあるんです。小生は故意にミミズにおしっこをひっかけたという記憶はないのです。まぁ、立ちションをしたときに、偶然ひっかかってしまったということはあり得るなぁと思います。おしっこで濡れた地面の下にミミズがいたかもしれませんからね。でも、おしっこをひっかけたミミズと、洗ってやったミミズはどう考えても同一人物じゃありません。ということは、そこになんらの因果関係もないんです。でも、それでことは済んでしまったということがあるんです。不思議なことですね。

 それ以来、小生は立ちションをするときには、なるべく乾燥している、つまりミミズの住居がなさそうな場所を選び、また、右左になるべく霧状になるように致すことにしています。地面と小生のオチンチンがオシッコで線状につながることで、ビビッとミミズのテレパシーが届かないようにするためです。

 笑っちゃいますけど、そんな民間伝承みたいな世界を日本人はもっていました。友引とか、仏滅だって、同じようなもんでしょう。なんだかよく訳がわからないんですよ。でも、それで、うまくことが済んでいくこともありますよね。かえって理性の罪のほうが、習俗の罪よりも重たいということがあるように思えるのです。

 それはともかく、カレンダーで来年までの予定を書き込んで作り上げました。できあがってみて、なんだか嫌な気分になりました。近い未来にはたくさんの書き込みがありますし、来年に近くなるほど、白紙の部分が多くなります。でも、こんなことを何年も繰り返していくのかと思ったら、なんだか嫌な気分になってしまいました。もういい加減にしてほしいなぁと思いました。

 亡くなられたかたの顔をみると、ほんとに安らかそうに見えます。もうカレンダーをつくる必要も、なんの予定もないなんて、どんなに幸せなことなんだろうと思いました。あの寝顔のような死に顔を拝見するたびに、生きているもののどんな幸せな顔も、あの死に顔ほどには幸せではないなぁと思います。

 

2004年1月22

私たち真宗門徒は、複眼的な視点をいつも要求されています。つまり「出家的な見方」と「在家的な見方」とでもいったらいいのでしょうか。たぶん親鸞の関心も、「日常」をどういただくか、どのように了解するかという点にあったと思うんです。「日常」とは、私たちの欲望生活ですね。あまり親鸞は自分の私生活については書き残さないタイプのひとです。奥さんの手紙が大正10年に発見されて、ようやく、少し立体的に親鸞の私生活がうかがえるという程度です。

 親鸞の言葉には次のような言葉があります。

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろずのこと、みなもってそらごと、たわごと、まことあることなし」。

 また「凡夫というは、無明煩悩われらが身に、満ち満ちて、欲も多く、怒り、腹立ち、そねみ、ねたむこころ多く、ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、消えず、絶えずと、水火二河のたとえにあらわれたり」と。

 「日常」とはそういう、自分の身に起こってくる煩いです。「欲がなけりゃ、人間は生きられないぜ!」と居直っているわけではありません。その欲に身を焼かれ、焦がされているということへの大いなる嘆きです。人間は、基本的に善人的傾向をもっています。つまり、あんまり欲張っちゃいけないとか、ひとに勝とうとしてはいけないとか、むさぼってはいけない、日々努力しなくちゃいけない等という自己規制をもっています。あの極悪非道の悪人カンダタだって、チラッとクモを助けてやろうという仏ごころを起こすことがあります。そして、それはいい気持ちになる瞬間でもあるのです。人間は、ほんとうのところは善が好きなんです。でも、善は好きでも、なかなか行えないというところが、いいところなんですけどね。やっぱり自分は善を行えない人間だよなぁと悩むところに、また人間の素晴らしさがあるわけです。自分は善が行えるものだと自認したときには、恐ろしいものになります。また努力さえすれば、善人になれるのだというときには、傲慢になります。自分が善に執われているときは、まわりが見えなくなるときだからです。むしろ親鸞は、人間がどれほど善に傾斜していっても、それは偽善であると見抜いたひとです。

 そういう煩いを親鸞は、いつも見つめていたひとだと思います。自分の内面に起こってくるどんなささいな煩悩でも見逃さないほどの眼力をもっていたのでしょう。それだから、「臨終の一念にいたるまで、とどまらないし、消えないし、絶え間ないのだ」と断言できるんでしょう。

 親鸞は、外見は問題にしませんから、関心はほとんど内面に集中します。外見というのは、生活の形態ですね。職業とか、地位とか、貧富とか、性別とか、民族とか、年齢とか、経験を問題にしないのです。どうして問題にしないのかといえば、それは、死からの距離はみんな等距離だからです。生を前提にしてゆくと、そのような経験とか、年齢が問題になりますよね。でも、生を前提とせず、死から光を当ててゆくと、そんなことはまったく問題になりません。「出家的な見方」というのは、その死のほうから光を当ててゆく見方ということです。

 それでも、私たちは在家生活をしています。やはり、欲望という名の生活形態をしています。それは比べることのできる生活です。年齢や貧富や性別や経験は比べることができます。この「在家的な生活」も大切な面はあります。社会生活は、それで成り立っているわけですから。でも、それだけじゃ人間は息が詰まってしまいます。いわば「在家的な生活」どこかで、ブッタ切って、見る見方を要求しているんです。深層のところでは、誰もがそれを欲求しているのだと思います。それが「出家的な見方」でしょう。死からの視線です。死からの視線をもってくると、すべて肯定できます。いま亡くなろうとしているひとにとっては、年齢がどうだろうが、経験がどうだろうが、男だろうが女だろうが、健康か不健康かなんてまったく問題になりません。その臨終の視線を誰もがもちたいんでしょう。全的肯定を促す視線ですからね。

 父が亡くなる数カ月前、よく口にしたのが「よかった」という言葉でした。「今日は天気がよくて、よかった」。「ナマコが美味しくてよかった」。「お茶が美味しくてよかった」。「気候が暖かくなってよかった」。「植木鉢の花が咲いてよかった」。「○○が早く帰ってきたからよかった」。この「〜よかった」という言葉が、新鮮に小生の耳に残っています。「〜よかった」と受け止めているときには、父の心は本当に穏やかでした。すべてをまるごと肯定できる優しさを感じられました。

 健康なときには、「よかった」という言葉は聞くことができませんでした。むしろ「〜それじゃ、だめだね」「〜そんなんじゃ、なんの意味もない」「〜もっと〜しなけりゃ」という語尾でした。ペシミスティックな語感がありました。ところが、臨終間近になったときには、ほんとうに温かく穏やかなこころに変わってゆきました。その「よかった」という言葉を聞くたびに、私たちも穏やかになって、感動すらもよおすことになっていました。この「〜よかった」という視線は「出家的」だと思います。もっといえば、「〜よかった」という受け止めは、自分の生涯のすべてを「よかった」と受け止めているようにも思えたのです。

 いま目の前に起こっているすべてを「よかった」と受け止められるということは、自分の一切の過去を受け止められることなんですね。でも、人間は、余裕のあるときには、自分の過去の一切を打ち消してしまいたいという欲望も起こってくるから厄介なんです。自分の思い通りにことが運びませんからね。「善し悪しの文字をも知らぬひとはみな/まことのこころなりけるを/善悪の字、知り顔は/大そらごとのかたちなり」という親鸞の言葉が重たく響きます。都合のよい自分は受け入れて絶賛し、都合の悪い自分は拒否して、殺そうとする。そういう日々を生きている私たちは、まるで欲望という大海原の大波にもてあそばれているようです。

 ベッドで、呼吸の疾患で辛くて辛くて、もう死にたいと思うと、ある患者さんが言っていました。でも、いざ、痰が絡んで呼吸困難になると、必死に看護婦さんの呼び鈴を押している自分がいたといいます。死にたいという思いは、余裕があるときにしか起こってこない感情だというのです。いのち自身は、縁の尽きるまで生きたいと欲求しているわけです。

 

2004年1月23日

愛知県のお寺で、ペットの供養に課税され、提訴しているという記事が新聞に載ってました。「読経や火葬、火葬後の法要を請負業・ペットの遺骨を保管する納骨を倉庫業」と認定し、それで、税務署は五年間で600万円の税金を支払えといってきたそうです。それには納得がいかないということで、その宗教法人が提訴し、全日本仏教会も支援する構えだと載ってました。

 まぁ、税収不足で、どっかから捻出しなければならないので、税務署も必死なことは分かりますけど、これは難しいと思いますね。もし、その愛知の税務署の見解が正当だということになれば、それは全国に波及しかねないということになります。全国にはペット供養をしているお寺がたくさんありますから、これは全国的な問題だということで、全日本仏教会も「異義あり!」ということになったんでしょうね。

 事実はよく分かりませんけど、ペット供養で大儲けしているお寺もあると聞きますから、これは明らかに、宗教活動じゃなくて収益事業だという判断を税務署が下したのかもしれませんけどね。でも、税務の点からどう見るのかということと、宗教的な視点からどう見るのかということは違います。ペットなら収益事業で、人間なら宗教行為だと見なすというのも税務の観点からでしょうね。法律は、人間と他の生き物を分けて考えますから、ペット供養を「倉庫業」とか「請負業」という判断をするのでしょう。でもお釈迦様の視点からみれば、一切衆生悉有仏性で、人間以外でもすべての生きとし生けるものは平等に尊いのだということになります。ですから、ペットと人間を線引きすることはできません。

 長年いっしょに暮らしてきた犬やネコのような存在は、もはや単なる生き物ではなく、家族の一員だという感覚で受け止められますよね。ひとが亡くなれば、悲しいように、ペットだって悲しいのです。

 でも、なかなかペットと人間のいのちが同じく尊いという感覚にはなりえないということも事実ですね。もはや、人間は「万物の霊長」だとか、「基本的人権」だとかいって、他の生物以上に尊い生き物だということが、暗黙の了解になってしまっていますね。小生のところには、ネコが三匹住んでいます。その方たちを「飼う」という表現をしますもんね。「飼育する」といいます。「ご飯」じゃなくて、「餌(エサ)」といいますね。もう、日常的に接している段階で、差別感覚をもっているんです。ネコは人間より小さいので、足で蹴ったり叩いたりできますから、暴力で押さえ込んで人間のほうが偉いんだぜと誇示することができます。もし、ネコがトラくらいの大きさだったら、これは反対ですね。ネコがネズミをオモチャにするように人間がオモチャにされてしまいます。

 ですから、お釈迦様が一切衆生悉有仏性とごらんになったように、平等にいのちを見ることはできませんね。他の生物を「見る」ということのなかに、「見下す」という意味が抜きがたくあるわけです。見下して、食べ物だと見なければ、豚肉や鶏肉、牛肉だって食べることはできないのです。その意味で、他の生き物のいのちを食べるということは、大いなる差別感覚のうえに成り立っているのです。そういう差別感覚があったから古代には贖罪の儀式が、生れたのでしょう。アイヌにとっての熊とか、イヌイットにとってのアザラシとか。人間のいのちと地続きの観念があったからこそ、その生き物たちを殺すことには罪の感覚がわき起こり、贖罪の儀式をせずにはおられなかったのでしょう。

 ペットは、すべてを見通していて、人間に飼育されているような顔をして、実は、もっとしたたかに、人間を癒してやっているのだと思っているかもしれませんね。飼われているような顔をすりゃ、人間なんてイチコロだぜ、人間は単純なんだから。おれたちの癒しの力も知らないで、いい気なもんだぜ、と思っているのかもしれません。犬よりはネコには、そういう悟り顔を見て取ることができます。

 供養は商売だという税務署も、それから供養は宗教行為だと反論する側も、そういう罪の感覚があるんでしょうかねぇ。なんだか、両方とも自分の正当性を押し立てているだけのように見えます。当のペットたちは、どう思っているんでしょうか。それよりも、あのイヌイットやアイヌの人々のような、いのちの感覚を回復することが、大切だと思いました。「一切の有情は、世々生々の父母兄弟なり」と歎異抄はいいます。すべての生きとし生けるものは、生まれ変わり死に変わりして、親となり兄弟となっているものだと。それがいのちの事実なのでしょう。でも、なかなか、そう思うことが難しいのです。そういう感覚で受け止めることが難しいのです。事実が見えないんです。そういう現実に頭を垂れざるをえません。善悪のみを言い立ててことが済んでいく人間の世界は、賤しいものだと思いました。

※これは全くの別件です。いま全日空の機内販売で「SEIKO オートマチックウオッチANAモデル」を売っているそうです。これは、セイコーと全日空のパイロットが共同開発した腕時計です。飛行機おたくの小生としては、喉から手が出るほどほしいんです。早速、ネットの通販で購入しようとしたら、機内販売限定だから、売れないというんです。エーッ頭固いんじゃないの!売ってよ!ダメです!

 そこでお願いがあります。もし、どなたか全日空機に搭乗されることがありましたら、買ってきてもらえないでしょうか?代金と送料は当然お支払いします。あるいは、全日空にコネのある方、あるいは、オーションかなにかで手づるのある方いらっしゃらないでしょうか?ご一報宜しくお願いします。

 

2004年1月24日

仏教は、いかに「当たり前感覚」を崩すかということに関心をもってきました。息をするのが当たり前、飯を食べるのが当たり前、歩くのが当たり前、蛇口をひねるとお湯がでるのが当たり前。つまり生きているのが、当たり前という感覚をいかに突き崩して、「不思議」を復活させるかということです。

 よくよく生きるということを微細に観察してゆけば、あたりには「不思議」が満ちていることに気がつくのですけど、大雑把に見渡していると、それこそ「当たり前」にしか見えないのです。まぁ、太陽は東から登って西に沈んでゆきますから、これは自分が、地球上に存在していようが、いまいが、それにはまったく無関係に営まれております。それこそ、当たり前だと見えるのが、ごく普通の感覚なのです。安定した日々が毎日同じように展開されることを人間は望んできたわけです。ハラハラドキドキする日々よりも、安穏無事な生活を望んできました。それなのに、仏教は、安定などないのだ!安全地帯はどこにもないのだ!と迫ってくるんですから、みんなに嫌がられるのも納得がゆきます。仏教は流行るはずがないんです。流行るときには、必ず誤解で流行するんです。仏教は静かなもので、いつでもひとりに帰ることができる教えです。集団になって何かをするというようなものではないのです。

 お釈迦様は、安穏で豊かで、なに不自由のない生活をおくっていたのでしょう。人間というものは贅沢なもので、欲望生活が満たされても、それが手に入ってしまえば、「当たり前感覚」という魔に襲われるのです。手に入れるまでは、ハラハラドキドキしていても、手に入ってしまえば、当たり前になり、やがてものの価値が感じられなくなります。そして、欲望の満足だけでは、満足できないものを求めだすわけです。それが、お釈迦様の出家の動機でしょう。これは実に贅沢な動機といってもいいのです。普通なら、なにを贅沢なことを言っているんだ、もっと貧しいひとがいるのに、それで何が不満なんだ!と叱られるような動機ですよね。でも、ひとからなんと言われようと、お釈迦様はその言葉に耳をかさずに、自らの内奥の声にしたがったのです。まぁ自分に正直になったといってもいいのかもしれません。

 お釈迦様は、自分の存在の意味を求めてゆきました。死ぬために生きているということはいったいどういうことなのか?と。日々の糧を求め生きる意味はどこにあるのか?と。でも、そうは言っても、いったい何がほしいのか自分には分からないわけです。求めてはみたけれど、何を手に入れれば満足するのか分からないのです。それで、存在の意味をおおっているのは煩悩という欲望性だと見て、この覆いを排除するための難行苦行をするのでした。でも、大きな矛盾に気がついたのです。難行苦行をする志が、濁っているではないかと。いままでは煩悩を打ち消すことはいいことだと思ってきたけど、その志が煩悩から生れているんじゃないかと。そこに気がついたら、苦行をしようとする志が萎えてしまいました。そして、とぼとぼと歩いて木陰に休んでいると、ミルクを供養してくれるスジャータという娘さんに出会うわけです。そのミルクを飲むことによって、自分のいのちは自分の思いではどうすることもできない不思議なものだと気がつくのです。それが悟りの内容でしょう。まさに他力によって生きていることに目が覚めるのです。

 そこで、存在の意味を問い求めてきてた志が根絶されるのです。「思い」は、○○のために自分は生れたのだと認識したいのです。意味を問うということは、自分に都合のよい解釈を望んでいるだけです。大義名分がほしいんです。その存在の意味を問うということの傲慢さに気がついたのです。「思い」より、「いのち」のほうが先なんです。先験的です。

 そこに、自分の一番身近ないのちが「不思議」として復活したのでした。ですから、なんのために生きているのかなんて、分かったもんじゃないんですね。人間の理性で意味づけすることを徹底して打ち消してくるのが、いのちの不思議さです。理性で意味づけされるほど、いのちはちっぽけなものじゃありません。意味もなく人間は生きられるものなのかといいますけど、だいたい意味なんか考えて飯を食っているわけじゃありません。うまいからですよね。空腹感がやってくるからですよね。ですから、自分は「生きるために食べている」なんて、傲慢な言い方をやめました。「食うために生きているのだ」と言っています。より美味いものを食べ、より美味いものを飲み、より楽しいことを求めて生きているのです。

 だって、明日はないかもしれないんですよね。いのちの現実は厳しくて、いつもいのちは「まさか!」を教えてくれます。「まさか!こんなに早く…」「まさか、こんなことになるなんて…」「まさか、こんな病気にかかるとは…」。まさに「人生にはいろんな坂がある。上り坂に下り坂、そしてマサカという坂もある」とはよく言ったものです。

 でも自分の出発もマサカから生れてきました。両親の体内でマサカ合体するとは思わなかったものが、出来ちゃったわけです。まさにマサカからの始まりです。小生も、女房からこどもが出来たと聞いたときには、マサカと思いましたね。飼っていたカブト虫が、いつの間にか卵を生んで、たくさんの幼虫が育っていたときと同じような驚きでした。土の下をひっくり返してみたら、幼虫がたくさん出てきたんです。そのときの驚きと同じような驚きでした。とっても不思議な感覚です。

 ネコがお皿でガツガツと食事をしていました。ものすごく美味そうに食べていました。それを見ていて、小生も君と同じだよなぁ、生きている意味なんか分からずに、ただガツガツと食っているんだよなぁと思いました。以前は、ネコを見ていて、哀れだと思ったことがあるんです。死に向って一直線にガツガツ食っている姿が、妙に可哀相だったんです。何も分からずに、ただひたすらガツガツと食っている姿が。でも最近は、そうは思わなくなりました。僕も君と同じだったよ、ただ美味いからガツガツと食っていたんだって。そう思ったら、ネコとようやく肩を並べられるような気がしました。ようやくネコ並みになれたんですよ。

 でも、どうして小生が人間に生れてきて、プチ子がネコに生れてきたのか、理由が分かりません。たまたま人間に生れ、たまたまネコに生れたわけでしょう。意図して生れたわけじゃありません。ですから、たまたまが逆になれば自分はネコに生れていたかもしれません。そうすると、自分の目の前にいるネコが自分で、自分がネコだったということもあり得るわけです。たまたま、いまはそうなっていませんけれども、そういうことだってあり得たわけですよね。だから人間だからといって威張ることもできないんですよ。ネコ並みでちょうどいいんだと思います。

 

2004年1月25日

今朝の天声人語に「古代の哲学者プラトンやアリストテレスはもちろん、近代の天才ガリレオさえも重力には思い至らなかった▼現代の私たちは、先人たちが考え抜いた末の成果だけをつまみ食いすることが多い。高校で学ぶ公式や原理原則がその典型だ。それだけを頭に詰め込む作業は無味乾燥に陥りやすいだろう」と書かれていました。いわゆる「学力低下」や「ゆとり教育」にまつわる論評をしていました。

 これを読んでいたとき、小生はギクリッとしました。それは「現代の私たちは、先人たちが考え抜いた末の成果だけをつまみ食いすることが多い」という箇所でした。お釈迦様の言葉にしても、親鸞の言葉にしても、その言葉が生れてくるまでには、かなりの熟成期間があったはずです。でも、言葉として結実してきた表面の意味しか受け取らないで、当たり前に使っていることがあります。その罪を指摘されたような思いがしました。

 小生は若いころ、京都の専修学院という全寮制の仏道道場におりました。そこでよく耳にした言葉があります。それは「仏教なんて知らなかったほうが、よっぽど楽だったなぁ…」というものです。つまり、仏陀・釈尊の言葉や親鸞の言葉が、私たちには理解できないでいたので、毎日教えられる教言が、不良債権のようにドンドンドンドンと膨らんでゆくのでした。まったく消化不良の状態で、毎日食事を与えられるようなものでした。さらに日常生活は四六時中、いわゆる仏法漬けの状態ですから、求道的問題関心から逃げることができなくなっていたのです。

 念仏ってなんだ?自分がほんとうにやりたいことはなんだ?人間が生きる意味ってどこにあるんだ?というような問題関心によってがんじがらめの状態にされていました。そこでは、もう、仏教なんて知らなかったほうが、よっぽど楽だったと愚痴が出てくるんです。仏道に出遇う前の自分に戻りたいと、何度思ったことか。しかし、もはや仏道に出遇う前の自分には戻ることができなくなっていました。仏さんの「摂取不捨(摂めとって捨てない)」という慈悲は、こういうことをいうのかと思いました。逃げようとしても、もはや逃げることができないほどにつなぎ止められているということでしょう。

 それでも、分からずながらでも日常生活をしながら、仏道の関心にとらえられていると、「そうか!」と開かれることがあるんです。「アーッこのことを、教えている言葉なのか!」と、自分の日常と教言とが、一致するという体験を得るんです。まさに「腑に落ちる」という感覚ですね。果たして、そういう意味で親鸞がその言葉を語ったかどうかは別にして、自分には親鸞の言葉がこのように響いてきたということがあるんです。そして、ひとつの言葉の意味の世界が開かれてくると、他の言葉の意味にも通底していて、徐々に教えの意味世界全体がこういうことを語っていたのかということが分かるようになってきました。

 たとえば「他力」という言葉ですね。これは他人の力を当てにするということじゃなくて、仏さんの衆生を助けるはたらきをいうのだと教科書的に受け止めていました。最初のころは、それじゃ自分は何もしなくていいのかなぁ、毎日生きているのは自分の力で生きているんじゃないのかなぁと思っていたんです。他人の力を宛にするということじゃないんだ!ということまでは言えても、次の仏さんの衆生を助けるはたらきだというところになると、なんじゃこりゃ?という感じになってしまうのです。全然実感がともなってこないんです。それで、どういうことなんだろうか?と、分からなさをかかえながら寺院生活をするというスッキリしない状態で生きていました。

 でもあるとき、フッと、それじゃ、他力でないことがあるのか!と逆転してきたんです。当たり前に吸っている空気は、木が出した酸素じゃないか。飲んでいる水は、天から与えられる雨水じゃないか。着ている服はメイドイン・チャイナじゃないか。この肉体だって、両親という人体から与えられたものじゃないか、といろいろと他力を数え上げていくと、「自力」なんてどこにも存在していないことに愕然としたんです。「自力」というのは幻想であって、いのちの事実は「他力」なんだと開かれました。

 だから、在家生活が大事なんですね。家族という他者との欲望生活が仏道の道場だということがようやく納得できたんです。家族であっても、他者です。他の生命体です。そこには、怒り腹立ちの欲望生活が展開してゆきます。自分だけでなんでも自由にできるという空間ではありません。結婚生活をしているひとなら、骨身に沁みて分かっているはずです。自分の都合だけで生きることはできないと。完璧にできるかどうかは別にしても、つねに他者への気遣いやら配慮がなければ家族はうまく動いてゆきませんよね。プロ野球の新庄選手が「パパ帰って来て!」という子どものひと言で、アメリカから戻ってくるようなもんです。まさに他力ですなぁ。ですから、個に閉じこもろうとする閉塞性を、関係性はつねにぶち壊しにかかってきます。それすら、他力なんですよね。

 そうすると、衆生を助けるはたらきを他力というと受け止めていた了解が、また壊されてゆきます。衆生を助ける仏のはたらきと受け止めてしまうと、もはや助ける仏と、助けられる衆生という実体化が生れてしまいます。それは、神話的に語ればそうかもしれませんけど、事実は、そんな仏なんていやしません。ただ、一切合切が他力なんだということへの感動と驚きがあるだけです。いままで自分があって、自分の力でなんでもできるのだ、そして自分の力で生きてきたのだという思いが幻想であって、そんなものはありゃしませんよ、もともと他力だったんですよというひっくり返りがあるだけなんです。そういうひっくり返りを、「助けるはたらき」と象徴的に語っただけなんです。

 もともと「他力」という言葉は、中国の宗の時代の曇鸞というひとが使った言葉です。これは仏教用語というよりも、民衆が使ってきた俗語だったそうです。仏教用語では、「利他」という言葉しかありませんからね。曇鸞さんは「たとえばロバにまたがっていくこともできないような身分の低い者でも、転輪聖王(神話上な王様です)の行列に従っていきさえすれば、たちまち虚空にかけのぼり、あらゆる世界におもいのままに遊行して、少しも障害となるところがない、というようなのを他力と名づけるのである」(東本願寺出版部発行『解読浄土論註』下巻の訳文)と譬喩として語っています。

 ちなみに自力というのは「たとえば、人あって、三途の苦しみをおそれるために、いろいろな禁戒(おきて)をまもろうとし、禁戒をまもることによって禅定を修し、禅定によって神通力を身につけ、神通力によってありとあらゆる世界に遊行することができるようになる、というようなのを自力と名づけるのである」と語っています。まあ結論としては、「他力に身を任せるべきむねをよく聞いて、信心を起こすべきである。けっして自分だけの小さなおもいにひっこんで、ひとりよがりにならないように」といわれています。自力というのもなんだかよく分かりませんけど、やはり自分で刻苦勉励してなんでも行えるということなんでしょうね。

 これをヒントにして、親鸞は独自の了解をしてゆきます。でも長くなるので、このへんでやめておきます。

 ですから、曇鸞さんが「自力・他力」でどんなことをイメージしておられたのかということはよく分かりません。それを親鸞が、どう受け止めたかということは分かります。でも、それをまた、小生がどのように受け止めるかということは、また自分に任されていることなんだと思います。

 そして時代が変われば、受け止め方も少しずつ変化してくるというのが自然なんです。もともと曇鸞さんがどう考えていたかとか、親鸞がどう考えていたかなんて分かりませんよ。だから、そこに真理があるんじゃないと思います。これも、長年親鸞と関わってきて、腑に落ちたことのひとつなんです。まぁあまりにもビックネームなもんですから、親鸞とか、法然とか、道元というと、もう、その存在にこっちが負けちゃうんですね。そのひとたちの言葉のところに真理があるんだと決めこんでしまって、自分には太刀打ちできないと白旗をあげちゃうんです。

 そして、意味が分からないのは、自分たちの能力が足りないからだと引っ込み思案になってしまうんです。そうじゃないんでしょう。もともと、彼らの表現がよく分からない表現形態をとっているだけなんです。意味不明な表現に出会ったとき私たちは、「それは素晴らしく、意味が深い」と勝手に受け止めてしまうだけなんです。

 ただ分かることは、彼らが、そういう表現をとらざるをえなかった熟成の重さですね。その熟成の過程に思いを馳せるということじゃないでしょうか。まあ、よく分からない言葉を飴玉のように口のなかに転がして、生活しているときに、もしかしたら、こういうことじゃないかと意味が溶けだしてくることがあるんです。でも、それが果たして親鸞の表現したかったことかどうかは分かりません。分かりませんけど、小生にはその言葉の熟成の旨味が、このように感じられたということです。それでいいんだと思います。

 それが、仏教の面白いところでしょう。ですから、私たちが、このように受け止めましたということが大事なんでしょう。もし、過去の人間の表現、それがお釈迦様でも、親鸞でも、が絶対の真理であるならば、後代の者の表現は、全部偽物だということになります。それは原理主義というもんでしょう。時代が変われば違った表現が生れてこなければならないのです。それが生きた仏教というものです。そして、まだお釈迦様も、親鸞も表現したことのない仏教があるはずなんです。それを表現する鍵を<私>が握っているということです。つまり、まだ書かれたことのないお経が、<私>のなかに眠っていると言ってもいいんです。

 そうすると、ワクワクしてきませんか。<私>にしか書けないお経があるとは、なんと素晴らしいことじゃありませんか。

 

2004年1月26日

吉本隆明さんの『最後の親鸞』をBサロンでは読んでいます。今回のところでは、親鸞の語録『歎異抄』第九条が語られていました。この条は、弟子の疑問に答える形で出来上がっています。冒頭は弟子の「念仏を称えていても嬉しいという感情が涌いてきませんし、はやく極楽浄土へ行きたいという気持ちも涌いてこないのはどういうわけでしょうか?」という問いから始まっています。それに答えて師匠・親鸞は「私も同じような疑問をもっていたが、お前もそうだったのか!」と答えています。そしてそこからの展開が、まさに妙味なんです。

 ほんとうは喜ぶ心が起こるものだけれども、その喜びを制御しているものがあるんだというのです。その制御している当体は、煩悩というもので、この煩悩をもったものを如来の慈悲は救おうとされているのだから、実は煩悩があるから救いは決定的なのだと。だから、弟子よ、嘆くことはないのだよ、念仏を称えていても喜べないからこそ、極楽浄土へは必ず行くことができるのですよと。

 こういう丁寧な浄土真宗の救済の論理を展開したところは他に見ることはできません。まさに逆説的な救済の論理ですね。そのところを吉本さんは、こんなふうに書いています。

「<煩悩>のせいで、称名念仏も嬉しくなく、いそいで浄土へゆく気にもならないからこそ、かえって「往生は一定」なのだと親鸞がいうとき、この相対的な世界像はすこし揺らぎはじめる。つぎには、下品の下生、悪人にこそ、浄土へゆくべき正機があるとして、いわば<信心>の強弱によってできあがる観念の秩序を、逆に転じようとする浄土真宗の真髄があらわれるからだ。」と記しています。

 まさに「この相対的な世界像はすこし揺らぎはじめ」ますね。ああすれば、こうなるというハウ・ツーの観念が通用しませんからね。念仏しても喜べないのは、お前の信心が足りないからじゃ!とか、修行を熱心にやらないからじゃ!とか、もっと経験を積めば喜べるようになるのじゃ!とか、親鸞は答えていません。そういう答え方は、すべてハウ・ツーになります。そしてハウ・ツーの論理に持ち込んだとき、宗教は、人間の観念のなかに取り込まれてしまいます。そんなところに浄土真宗はないはずです。

 極端な言い方をすれば、まったくハウ・ツーの役に立たないものが浄土真宗だといってもいいのでしょう。この世の価値にまったく還元できないものが信仰でしょう。これを信じれば健康になるとか、病気が治るとか、長生きするとか、家庭が円満になるとか、平和になるとか、平等になるとか、そういうこの世の価値とはまったく反対に位置しているものです。

 それでも、親鸞の末裔やら弟子たちが、寄ってたかって親鸞を宗祖として祭り上げ、寺院化し教団として組織化して現代に至っていますから、やっぱり「現世利益」的なコマーシャルの布教をせざるを得ないという葛藤があるんです。真宗を信仰していただければ、とてもありがたい効能があるんですよとコマーシャルしませんと、教団としては困るわけです。でも、内心では、そんなコマーシャルをしていること自体が、どこかでうさん臭いということを知りつつやっているわけです。

 まぁ、百歩譲った言い方をすれば、結果的に、バランスのとれた精神状態になるとか、それで健康になるとか、家庭が円満になるということはあったとしても、別にそれが目的ではないのです。これはグリコのオマケであって、やっぱりグリコ・キャラメルを買ってもらわなきゃダメなんです。

 まあ親鸞も念仏の信仰によって「現生に十種の利益」が得られると語っていますけどね。1、冥衆護持の利益・2、至徳具足の利益・3、転悪成善の利益・4、諸仏護念の利益・5、諸仏称讃の利益・6、心光常護の利益・7、心多歓喜の利益・8、知恩報徳の利益・9、常行大悲の利益・10、正定聚に入る利益と。でも、どれもこれもみんな、信心の内的な利益なので、欲望生活のうえでは、ほとんど利益と受け取れないようなものばかりです。

 もし自分に都合のよい状態を願って念仏に近づこうとすると、まったく利益を失ってしまうのです。だから親鸞は、念仏がほんとうに浄土にいける原因なのか、地獄に落ちるような条件なのか、私は知らないと第2条では言ってますね。弟子たちは、楽になりたいんです。だから楽になれるためなら念仏でも称えよう信じようと考えていたのでしょう。でも親鸞のいう念仏は、ハウ・ツーの知恵では接近できないようになっているのです。むしろ、そのハウ・ツーの知恵を転換させようと迫ってくるのです。

 とうとう、親鸞は、「どのような修行によっても仏になることのできない身ですから、いずれにしても地獄は決定的な住処なのであります」と弟子たちに答えざるを得ませんでした。君たちは、極楽がいいところだと聞いているから求めているんだろう、それは煩悩の仕業だよ、欲望を満足させたいから極楽にゆきたいんだろう、でも、実は私は喜んで地獄へゆける信心を君たちに教えてきたんだよ、とでも言いたかったのかもしれません。

 これは、『歎異抄』の第2条の説き方なんですけど、9条とは対応の仕方が違っています。9条では、煩悩のあるものこそ、浄土への往生は間違いないと説いています。でも2条では、煩悩のことには触れないで、地獄は決定的だと説いてきます。おそらく2条で対面している弟子たちは、まだ、そのハウ・ツーの知恵の問題性が自覚されていないからではないかと思います。9条では、この歎異抄の著者である唯円房個人にターゲットを絞って語られていますから、臨床の極致なのです。

 唯円というひとは、念仏を長年称えてきて、やはり宗教的歓喜体験を得た人だと思います。これこそが、真実の教えだという喜びに打ち震え、念仏の教えに出会ったことを心底から喜んだ人でしょう。第2条の弟子たちは、まだそこまで段階が進んでいません。念仏を称えていて本当に浄土にゆけるのでしょうか?という疑問の段階にあります。唯円房は、その段階よりも深い段階にあります。そこまでやってきて、昔には喜びがあり、感動的な日々が送れていたのに、最近、ちっとも感動がないのはどうしてなのだろう?という問いが生れてきたのです。

 親鸞は、その原因を人間の知恵によって左右できる範疇の問題には見ていません。煩悩のせいだというのは、人間の自由意志や努力の範疇を越えているということなんです。この煩悩というのは、いわば無気力・無感動・無関心の煩悩でしょう。念仏を称えていても、無感動だということが愚痴となるわけです。でも、煩悩は、自分にとって、受け身的な出来事です。自分の都合で、腹を立てたり、泣いたりできませんよね。いつも感情は向こうからやってくるものです。自分の内部にある煩悩ひとつを自由にコントロールすることはできないというところに、往生が決定的だという原因を見ているのです。

 それを吉本さんは「人間はただ、<不可避>にうながされて生きるものだ、と(親鸞は)云っていることになる。(略)一見するとこの考え方は、受身にしかすぎないとみえるかもしれない。しかし、人が勝手に選択できるようにみえるのは、ただかれが観念的に行為しているときだけだ。ほんとうに観念と生身とをあげて行為するところでは、世界はただ<不可避>の一本道しか、わたしたちにあかしはしない」と言っています。

 この<不可避>というところに、動物的な自己を突き抜けて植物的な自己に根を下ろしたという感じがします。動物的な自己とは、いかにも人間は自由に動くことができ、なんでも自由に考えられ、どのようにでも意志できるのだという思い上がった自己をあらわしています。でも、ものごとの本質は動物的な自己にあるのではなく、まさに植物的な自己のところにあるわけです。

 寺の境内には、鳥の糞に交じっていた種が発芽して、自生しているものがたくさんあります。墓と墓の間に落っこちて、いつのまにか根を張り、墓石を動かしてしまうものもあります。種は、落ちたところから一ミリだって自分で動くことはできません。そこが墓と墓の間の薄暗く汚れた場所であっても、そこから身動きすることができません。あと数センチズレれば太陽があたる場所だったかもしれません。その数センチのために、枯れていった種もあったはずです。辛うじて発芽することができた種は、その場所を一生の住処として生きてゆきます。雨の日も風の日も雪の日も、その場所から一ミリも動くことはできません。ほとんど一切が<不可避>で埋めつくされています。

 あの植物を見ていると、人間の本質をよく教えられます。動物的自己は、現実を否定して<不可避>に対してノーを言い続ける自己です。いまという現実を否定して、もっともっと、どこかへと彷徨いだす自己です。でも、ほんとうは一歩も動いていないのかもしれません。「自分」という場所からね。まさに種のように、「自分」という落ち場所にとどまっているのでしょう。でも、わたしたちは動くことができるから、どこへでも行けるという錯覚の中にあるんです。ほんとうはあの植物と同じように、一歩も動くことができず、<不可避>に圧倒されながら生きているのでしょう。寒空の寒風にさらされて、真っ赤に咲くサザンカを今日も見つめたいと思います。

 

2004年1月27日

昨日は鷲田清一さんのお話を伺いました。「近代は、人間を一以上でもなく、一以下でもないものとして規定しました。そして、生まれながらに平等であって、スタートラインはみんないっしょだということにしました」という言葉がありました。

 確かにそうだなぁと思います。鷲田さんもお話されたように、選挙へゆけば、20歳以上であれば、男女区別も、貧富の差もなく、生れも経験も、家柄も、商売も一切を捨象して、一票と数えますよね。選挙権がないのは、未成年者と天皇くらいでしょうか。近代以前には、人間を一として見ることはありませんでした。一として見えるということは、近代という時代の制約のなかに生きていることを示しています。また、人間は平等だという考え方もそうですね。現代の日本に生きていれば、人間はみんな生まれながらにして平等だと思っていますよね。現実は、そうなっていないという面はあっても、理念としては平等なんだと教えられてきました。近代という時代は、そういう理念を共有している空間をいいます。

 親鸞の時代は、そうではなかったでしょうね。生まれながらにして平等だという理念などありませんでしたね。一以下でも一以上でもないという観念もなったでしょう。ところが、「弥陀の五劫思惟の願を、よくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」(歎異抄)という言葉を語っているんです。平たくいえば、阿弥陀如来の慈悲のお心をよくよくいただいてみると、これは親鸞一人のためだったのですとなります。この「親鸞一人」ということが意味深長です。

 小生は、この「一人」を特殊としての一人であり普遍としての一人であると受け止めています。自分は人類のなかの特殊として生きていますよね。顔が違うように、自分と同じひとはこの世にひとりとして存在していません。まったくの例外、まったくの特殊として生きています。ですから、他とはまったく隔絶された個人です。しかし、この特殊としての一人のなかに、普遍を見ていると思います。つまり、自分が救われた道は、万人が救われる道であると受け止めていたのではないかと思うのです。むしろ、特殊としての一人に普遍としての一人が溶け込んでいるといったほうがよいかもしれません。特殊な自分のなかに全人類が内包されているとでもいいましょうか。

 親鸞は「石・瓦・礫のごときわれら」ともいいます。路傍に捨てられているような存在としてのわれらです。これは一人の内容ではないでしょうか。一人の内容としての「われら」と語っているのだと思います。そこでは、自他が融合しています。一人としての私と、普遍としての私が融合しているのだと思います。私が救われたという実感の底辺に、地続きに普遍の衆生がつながっているんでしょう。だから、私の救いが万人の救いになってくるわけです。

 この個人という身体感も、近代的眼でつくられた意識であるのかもしれません。わたしたちはこの皮膚でおおわれた内部を「自己」とか「自分」と呼んで疑ったことがありません。でもほんとうにそうなのでしょうか。それは、視覚的に見られただけの感覚じゃないでしょうか。目をつぶってみると、聞くということも外部のことなのか内部で起こっていることなのか分かりません。解釈としては、遠くの音が聞こえるといいますけど、聞こえるということは自分のところにあるんです。音は外部で発生したとしても、聞こえたときには、それは鼓膜の内部に変わっています。臭うということも、自分の近くで起こっていることですし、味わうということ、触れるということも自分の近くで起こっています。食べるということは、外部にあるいのちを自分の内部にとりこんで自分自身に変換させるわけでしょう。そうすると、外部と内部の境界が曖昧になってきませんか。

 以前にも書いたように、小生は、この皮膚でおおわれた内部が外界であって、外側に見えている外界が内部ではないかと、そんな妄想にかられることがあるんです。外界に見えている人々はすべて、自分の内部のものであると。それを皮膚で逆に閉じ込めているわけです。そうすると、親鸞一人という皮膚に、外界の普遍的人類がすべて包まれるというイメージにもなります。これは妄想なんでしょうか。

 右腕で左腕をつかんでみると、自分は能動的につかんでいるのか、はたまた受動的につかまれているのか分からなくなります。能動とか受動というのは、理念の段階ではよく分かることですけど、現実には実に曖昧なことになってきます。自分は自分の足で歩いていると思っているんですけど、逆から見れば、地球の重力に引っ張られているともいえます。

 もっと妄想を重ねてゆくと、自分は生れてきた源に向って生きているようにも思えるんです。自分のいのちは、宇宙と同じだけの歴史をもって、この世に存在してきました。そして、この世を去って、再び源へ帰ってゆくのだと。源から生れて、源へ帰ってゆくのだと受け止めています。ですから、生きるということ、老いるということは、源への旅の途中ということになります。「生きて行く」というよりも、「帰る」という感覚のほうが強いです。ひとはみな、生れた途端に帰り道の帰路につくわけです。「成熟」とか「進歩」「発展」という右肩上がりの観念には、どうも馴染めないのです。それでは人生の円環が閉じないように感じます。やはり、人生は円環じゃないとね。右肩上がりで、どんどん直線的に登っていったら、いったいどこへ行くのでしょうか。

 ゆっくり、ゆっくり、円環をたどってゆきたいと思います。

 

2004年1月28日

考えてみると当たり前のことなんですけど、新聞を賑わす諸悪は、全部人間の内部から起こってきたことだったんですね。つまり、自分と共有している「人類」という類の内部から起こってきたんです。諸悪ばかりではなく、諸善もですね。

 人類の諸悪も、諸善もすべて、自分の内部と通底していて、その底から起こってきたのだと受け止めると、世間がちょっと違って見えてきました。テレビや新聞を見ていて、怒りを感じている自分があるんです。テロも許せない、差別は許せない、圧政は許せない、殺人は許せない、虐待は許せないと。でも、それらの諸悪は、自分と無関係にはありえません。むしろ、自分が怒りを感じているのは、自分を支えている人類の罪に対してなんです。もっといえば、自分が自分自身に対して怒りを感じているというふうに感じるんです。ホロコーストも、テロも戦争も、差別も、どう考えても善とは見なすことのできない様々な出来事も、実は自分の底と通底して切り離すことができません。

 過去の歴史を振り返ったり、ガンガンと目の前に展開する犯罪を見ていて「このような所行は、とても人間の仕業とは思えない…」「人間以下だ !」と批判することがあります。でも、そのような所行は、人間以下でも人間以上でもないのでしょう。同じ人間の内部から起こってきた所行なんです。人間だからこそ、人間以下の所行をおこすわけです。人間だからこそ、非人間的な諸悪をおこすわけです。人間の内部に存在している罪が、ドンドンとあらわになってきた時代が現代なのでしょう。

 親鸞の語録『歎異抄』の「歎異」というこころは、そういう人間に対して投げかけられた感情ではないかと思えます。「歎異」とは「異なっていることを嘆く」というこころです。「そりりゃちょっと違うよ、まっとうじゃないよ」と感じるわけです。人間以下だよ、非人間的だよと感じることが多いです。だからといって、その非人間的な所行をした人間を切り捨てて、自己と無関係の位置に置かないということです。もしその人間を切り捨てて無関係の位置に置いてしまえば、「嘆く」ということではなく、「断罪」という感情になります。「嘆く」という感情と「断罪」の感情は似ていますけど違います。「嘆く」というときには、嘆かれる相手と自分とが地続きなんです。通底しているわけです。「断罪」は自分とは関係が切れていて、一方的に相手の非を断罪するという感情です。それこそ、精神的殺人でしょうね。

 法律は、そんな感情を入れずに、法規どおりに断罪するわけです。法律に照らして人間の罪を裁くわけです。そこに感情を入れないというのが特徴でしょう。お互いに、この規則を守って、その範囲内で生活しているのに、その規則を破ったのだから、あなたは罰をうけるべきだというのが法律の精神でしょう。そこには感情は入りません。

 しかし、歎異抄的世界は、それとは次元を異にしています。そのひとが、どのような行為をするかは、そのひとの自由意志で決定できるものではなく、無始以来の過去からの因縁なのだと受け止めるのです。ひとつの行為が生れてくるには、無量無数の因縁があるとみるわけです。そして、自分のこころでは、そんな非人間的な所行はしないと思っていても、因縁がたらけば、そうするんだと見ていくのです。人間なんて、自分で決めたことくらい、すぐに裏切るものだということをよくよく知っているのです。まさに「どうしようもないものだ」ということを知っています。

 しかし、その「嘆き」を人間が人間に対して起こしている嘆きではないと見るのが宗教でしょう。人間に感じられる嘆きの感情であっても、その感情は、自分の外部からの感情であって、内部の感情ではないと受け止めるわけです。その「外部」ということを、擬人化して如来とか仏というふうに呼んでいるだけです。ですから人間が人間の非道に対して嘆いている以上に大きな嘆きとでもいいましょうか、外に嘆きの光源を見ていくのです。そうすると、人類の目を背けたくなるようなホロコーストや、すべての諸悪も、すべて「自分」の内部から起こってきた出来事なんだと見えてきます。そういう諸悪に対して、自分は怒りや嘆きを感じているんですけど、その嘆いている自分自身が、実は嘆かれている全存在なんだと思います。

 小生は、ほんのちょっと嘆いているだけです。一日の24時間のうち、ほんの数分間嘆いているだけです。あとの24時間と何分間は、そんなことはすっかり忘れて、他のことで取り紛れているんです。「断罪」なんてのも、そして更には「嘆き」なんてものも、人間には末とおらないものですね。中途半端な、そしてちっぽけなもんだと思います。そういうことも含めて、全存在がつねに嘆かれているんだと、嘆きの光源を外部に見たとき、その諸悪が光に照らしだされます。大いなる嘆きの前に、ひざまずかざるを得ません。

 

2004年1月29日

「成る」ということが、難しい時代に入りましたね。

 現代は、ひとりひとりが、自分とは何か?と考え、自分を規定しなければ生きられない時代だと鷲田清一さんは言ってました。近代以前は、生れ、結婚、職業などが、すでに決まっていましたから、「自分」というものを考えなくても済んでいたそうです。親の職業を受け継ぎ、親戚の決めた結婚相手と結婚する。それは、一面では不自由なのですけれども、反面、自分で判断したり、自分で決断する苦労はないのです。現代では、人間を生れたときはみんな白紙の状態だと考えます。ですから、使用前のCDのような状態ですから、なんでも自由に書き込めるのです。封建的な社会から、第二次世界大戦をへて、いままでの不自由を捨てて、自由の世界へ羽ばたいてきたわけです。お手本のアメリカが200年かかってなし遂げてきたことを日本はほんの50年ほどでやってしまったわけです。その、急激な変化が、いまの日本で様々な現象を引き起こしているのでしょう。

 それは、「自由なるがゆえの不自由」とでもいいましょうか。自由であることの苦しみが始まっているように見えます。いままでは、まわりが決めてくれていたことを、今度は、自分自身が決定しなければならないからです。まわりが決めてくれていたときには、その「決め」に自分は責任を負わなくてもよかったわけです。ですから、一面では無責任で生きられたわけです。

 かつてアニメの『エヴァンゲリオン』で、主人公に自由をあげようというシーンがあったのを思い出します。画面には主人公がフワフワ浮いたような状態で描かれています。斜めになったり、逆さまになったり。アッ、そうそう、テレビを見ている私たちから見て、逆さまなので、主人公にとっては、それが逆さまなのか、まっすぐなのかさえ分かりません。その主人公に語りかける影の声があります。「これがお前の求めていた自由だ!」と。「ここがそんなにいいのか?」と。主人公は、自分の求めていた自由は、こんなのじゃないんだと、たぶん言っていたと思います。影の声は、それではお前に不自由をあげようといって、画面の下に地平線を描きます。すると、主人公はその地面の上に立つことができました。つまり、たくさんの不自由のなかにほんとうの自由があるのだと、影の声が語っていたのだと思います。なんの不自由もない空間は、ほんとうは自由でもなんでもないのだと。「自由」なんていうのは、あんたの思いの中だけにあるので、現実にはそんなものはないのだと。むしろたくさんの制約があるなかでこそ感じられるものなのだというのです。

 現代は、その主人公がフワフワと浮いている状態なんでしょうね。ひとつには欲望はほとんど瞬時にかなえることができるような社会になったということも、一因なんでしょう。そこそこ食える社会になったということです。戦前は食えないということがまずあって、そのために食うための社会性をもたざるを得ませんでした。食うという要求が、逆に個人を社会に押し出して、そのなかで生きる意味やら、社会的責任を得ていたのでしょう。

 以前「マユ人間」ということを聞きました。もっと昔は「コクーン族」という言葉がありましたね。カイコは自分の出した糸で、自分が安心して住める空間をつくります。グルグルと、まさに母の胎内のような温かくて、柔らかくて、なんの心配もない空間をつくり、そのなかでジッとしています。この中にいれば、安心でなんの緊張もいりません。自分の口から出した糸で、疑似子宮をつくり、その中に住むことは安心のように見えても、自分の糸で自分自身を縛りあげているというふうにも感じられるところが悲劇的です。

 他者との関係には緊張が伴います。また関係すれば、関係したという責任というか、縁の重さが生れます。関係というのは、無色透明ではありません。関係したということが、なんらかの縁の重さを生み出します。道端で、すれ違っても、他人であれば、そばに落ちている石ころと同じですから、無視してやりすごせます。なんのエネルギーも、こっちは使う必要はありません。しかし、知り合いであれば、会釈をしたりします。そのときでも、仏頂面はできませんから、ニコニコと顔の筋肉をゆがめて、頭を軽く下げるという筋肉を使います。相手が、こっちと同じだけの会釈を返してくれれば、まぁ安心しますけど、もし、相手が無視したような態度を取れば、いらぬことを考えてしまいます。「なんだあのやろう無視しやがって!」という怒りの感情を消費しなければなりません。また、「自分のほうに何か落ち度があったんじゃないか」と自分の側に問題があったんじゃないかと、あれこれ考えてしまうということにもなりかねません。まったく使わなくていいエネルギーを使わなければならないことになり、それだけで疲労してしまうということになります。そんなエネルギーを使いたくないから、家から外へ出ないというひともいるようです。

 まったく、縁というものは重たいものです。知り合ってしまえば、もう、もとの知り合う前の関係には戻れないという、不可逆性もありますね。だから、コクーン=マユに閉じこもりたいという要求も分からないではありません。

 マス・メディアでは、定職に就くひとが少なくなり、フリーターが何十万人にもなっていると騒いでいます。そんなこともあってか、村上龍は『13歳のハローワーク』という本を出したのでしょう。パラパラめくってみたのですけど、なんだか全然面白くありませんでした。自分は何に興味があるのかを問いかけて、それなら、こういう仕事があるよとお知らせするという本になっていました。確かに、何に興味があるのか?という問いかけは面白いんですけど、だから、こういう職業があるよといわれても、ちょっと待ってくれよといいたくなる気分です。だって、魚が好きだから、魚市場や漁師や水族館ではたらくということは、そんなにうまくつながっていないと思うんです。解剖学の養老さんだって、昆虫採集、特にゾウムシの研究が趣味ですけど、あれと解剖学がどうつながっているのか分かりませんよね。そのハローワークだと、たぶん虫が好きなら昆虫学者とかを勧めるんでしょうけどね。ちょっと、単純すぎるという感じがしました。興味と職業の関係は、もうちょっと複雑な気がします。

 いずれにしても、いろいろな社会現象は、いままで人類が経験したことのないほどの重さをもっているのでした。おそらく資本主義が最後に行き着く姿が日本にあらわれているのでしょう。それがいまの若者たちの肩に重たくのしかかっているように感じます。現代を生きる若者は、ものすごく大変だと思います。あらゆることを自分で判断し、選択して、決定し、決定した結果は自己責任として引き受けてゆかなければならいのですからね。

 小生が息子と話しても、最終的にはなんのために生きているのか分からない?と漏らしますね。まあ小生だって、分からないわけですけど、「人間に成っていくということじゃないの…」という返答をしておきました。そうしたら息子は「だって、もう成ってるじゃん」と答えました。小生「お前、もう、成ってるのかよ?オレは、自分自身、まだまだだと思ってるけどね…」と。その会話はものすごく象徴的だと、後から思い返して感じました。彼は、もうすでに完成してしまっているのだというふうに、自分を受け止めているということです。もうこれ以上なにも必要ないと。でも、それは、安心して悠然と語っているというよりも、そうとしか思えないという悲鳴のようにも聞こえました。

 そうそう、仏教じゃ、人生の目的を「成仏」というふうにいいます。「仏に成る」ことが目的だと。まぁ平たくいえば、「仏」なんて、目標はないのでしょうけどね。一応の目標として掲げているだけで、そんなものはないんでしょう。ただ、この「成っていく」という心の構えが大事なんだというのでしょう。それも、刻苦勉励してガリガリと額に汗をしてというのじゃなくて、渋柿がいつとはなしに熟れて熟柿になっていくようなことが「成っていく」というモチーフなんでしょう。ですから、極めて植物的だと思います。

 これも東京のひとつの悲劇ですけど、日常には自然がないですよね。都市という人工空間に、辛うじて植物を植えているという感覚です。ほんとうは、大自然の中に人間が辛うじてお邪魔しているというのがまっとうな感覚なんですけど、それが逆転しています。ですから、植物が花をつけて、実が熟れていくということは目にしたことがありません。スーパーに並べてある野菜が、どうやって自分の口にまで届いてくるのかなんて、考えたこともないんです。ですから、「成っていく」という感性はなかなか、育ちにくいのだと思います。でも、現実には、人間は「成っていく」生き物じゃないかと思います。それも自分で理想とするものに成っていくというよりも、日常というものに引きずられながら、なんだか、知らず知らずのうちに、自分自身に落ち着いていくという感覚でしょうね。若いころには、「観念」がものすごく肥大化しています。全宇宙を飲み尽くすほど肥大化しています。でも、人間に成っていくと、だんだんとその肥大化した観念が、そぎ落とされて、とうとう、最後は自分の身丈にちょうどよく納まってくるのでしょう。等身大の観念で生きることができるようになることが、成っていくということじゃないでしょうか。それはほんとに植物的ですね。

「二十歳過ぎれば、ただのひと」という言葉があります。青春時代は、夢や理想に燃えて生きてきますけど、二十歳過ぎれば、なんだか平々凡々としたただの大人になっただけじゃないかというノスタルジーを感じる言葉です。これも昔の言葉で、いまでは、「30過ぎればただのひと」くらいになっているんでしょうね。30歳で成人式をやったらちょうどいいくらいに成熟の過程が延び延びになっているんでしょう。成人式で暴れる青年が、ここのところ目立ちますけど、あれは、かつて中学校の荒廃期を思い起こさせますよね。30歳で成人という定義が宜しいように思います。

 この「自分」を生きるのは、「自分自身」しかないのだという新鮮さをどうやって取り戻したらいいのでしょうか。見えすぎてしまった未来とか、見えすぎてしまった自分自身とか、それは単なる「情報」でしょう。ほんとうは比べることのできない「自分」を誰もが生きているのです。そういうユニークな、つまり「唯一無二」の自己自身を回復しなければと思います。もともといのちは、唯一無二なんですけど、それが観念によっておおわれてしまっているんです。「どうせオレなんて…」「たかが、知れている…」と。そういう観念を破って、いのちそのものの叫びを聞かなければなりません。自己の内面の奥深くからの叫びを。心臓の鼓動の音に、ジッと耳を澄ませてみたいと思います。

 

2004年1月30日

●新約聖書のマタイ伝に「ぶどう園の労働者のたとえ」という面白いたとえ話があります。イエスは、いろいろなたとえ話をされますが、ここでは「天の国は次のようにたとえられる」といって、天国を譬喩として説いています。

 いきなり脱線ですけど、父が生前中、銀座にある「天国」という天ぷら屋さんに入ったことがあります。お昼時分になってきたので、父に「あの天国(アマクニ)という天ぷら屋さんあるじゃない?」と聞くと、「あれは、天国(アマクニ)じゃなくて、天国(テンゴク)っていうんだよ」と父は答えるんです。小生は「天国(テンゴク)じゃないよ、天国(アマクニ)だよ!」と言い張って、二人とも自分の説を曲げないんです。そして、店に入って、あれが天国(テンゴク)でも天国(アマクニ)でもなく、天国(テンクニ)と読むんだとわかったときは、二人とも顔を見合わせて笑ってしまいました。キリスト教でもないのに、天国とは、これいかに、という感じですね。

 ええと、聖書に戻ります。

 ある家の主人が夜明けになったので、自分のブドウ園ではたらく労働者を雇うために出かけてゆきました。最初に出会った労働者を日当六千円で雇いました。九時ころに広場にいくと何もしない人間がいたので、この人にも日当六千円で働いてもらいました。そして十二時と三時にも行って、同じように労働者を雇いました。さらに五時ころに広場にゆくと、だれも雇ってくれないと言って立っているひとがいたので、このひとも雇いました。

 夕方になって、みんなを並ばせて全員に日当の六千円を払いました。夜明けから働いているものは、夕方の五時に来たものよりも多くもらえると思っていたのに、同じように六千円しかもらえません。それで不平を言いました。「最後に来たやつは一時間しか働いていないじゃありませんか。自分は暑いさなかを辛抱して働いたのに、なんで同じ待遇なんですか!」と。

 それに対して主人はこう答えました。「私はあなたに対して不当なことはしていないじゃないか。私はあなたと日当六千円という約束で働いてもらったのだから、自分の分をもらったら帰りなさい。最後に来たひとにも同じ待遇で扱ってやりたいんだ。なんだね、君は、自分のものを自分のしたいようにしては、いけないとでもいうのかね。それとも、主人である私の気前のよさをねたんでいるのかね」と。

 多少、小生の脚色も入っていますけど、だいたいこんな譬喩です。聖書には、お金に絡んだ譬喩が結構ありますね。それでも、イエスの当時の人々にはピンとくる譬えだということは、やはり、ユダヤ人の金銭感覚の鋭敏さに由来するんでしょうね。もって生れた金銭感覚なんでしょうね。世界の三大商人は「ユダヤ人・中国人・インド人」といわれますからね。

 また脱線しますけど、かつてインドに旅したとき、インド人のお数珠屋さんで白檀の念珠を買いました。そのときの口上が素晴らしかったです。顔はインド人なんですけど、まるで日本人顔負けの日本語で、お客を説得するんです。「お客さん、この数珠が高いのは当たり前ですよ。だって、これは品物が違うんですからね。お客さんには、安物を売りたくないんです。そうでしょ。もし、安物を買って、日本に帰り、白檀の香りがなくなったら、あなたはどう思いますか。「やっぱり、偽物をつかませやがった!」と言って私を恨むでしょう。そしてあなたはインド人を恨むし、二度とインドに来ないでしょう。私はそんなことはしたくないんです。だからいいものを買ってほしいんです。だから高いのは当たり前でしょう。」この口上を聞いているだけで、ほれぼれとしましたね。この一件で、インドの人と日本人の金銭感覚といいましょうか、商才の違いに愕然としましたね。

 ネパールにいったときにも、手に腕輪をたくさんもって、「買って?買って?」と近づいてくる少女を相手に値切ったことを思い出しました。二個ならいくら?十個買ったら、いくらにする?といろいろと尋ねました。その少女はおそらく小学校の4〜5年生といった年格好です。すると彼女は、仲間の少女といろいろ相談して、それこそ暗算をして、「それならいくらにする」と言ってくるんです。その商談の上手さに、これまたビックリしました。特に金銭感覚のない小生だから、驚いたのかもしれませんけど、それにしても世界の人々は金に対して鋭敏なんですね。こんなことに驚くのは、日常生活で、ほとんど円しか使わないということの弱点なんでしょうかねぇ。

 話を戻しましょう。

 このイエスのたとえ話を聞くと、まず、一日中働いていた人間に同情したくなりますよね。労働対価が、これじゃ目茶苦茶じゃないかと思います。最初は、給料袋に入れてみんなに渡せば、こういうトラブルもないじゃないかと、その主人の配慮のなさを思いました。でも、これはイエスの譬喩なんですよね。それでイエスはなにを言いたかったんだろうと考えました。それで、これは牽強付会かもしれませんけど、自分たちの浄土教の論理に近づけて考えてみました。おそらく朝から働いている人というのは、自力聖道門のひとではないかと思いました。仏の教えのとおりに一生懸命に汗水たらして修行してきたのに、ほんの少し、仏の教えをただ信じて念仏しただけのものと同じ利益というのは納得いかないという話じゃないかと思います。おそらく夕方一時間しか働かないというひとは、神様を幼子のように、ただただ信じているひとだと思います。ただ信じているだけの人間と、神様の戒律を厳格にまもり、一生懸命修行につとめているひととが、同じ利益だということなんですね。

 主人というのは、つまり神様の譬喩ですけど、自分があなたと取り交わした契約には何も間違いがないじゃないかとも言ってます。だから、ただ幼子のように信じたひとと一生懸命修行しているひととが同じ待遇でいいんだというわけです。それに不服をいうのは、主人、つまり神様をねたむことであって、反逆だというわけです。最後の「わたしの気前のよさをねたむのか!」というくだりがいいですね。芝居なら大見得を切るところでしょうか、クライマックスですよね。

 イエスはおそらく、不服をいってくるひとたちを念頭において、この譬えを話していると思えます。普通の金銭感覚であれば、主人の不当さを感じるはずです。聖書を知らない私たちでさえ、この譬喩を聞けば、最初から働いていたひとに同情的になりますよね。それじゃ、資本主義は成り立たないだろうと思います。決して、最後一時間だけ働いた人間に自分自身を見るひとはいないでしょう。でも、イエスが言いたいのは、このひとの信仰の純粋さなんですね。このひとは、主人がいくら支払うかという契約は交わしていません。ただ、主人がブドウ園で働かないか?という誘いに乗ってきただけです。ですから、幼子のような純粋な信仰を表現しているのでしょう。そして、ひとはみんな、この幼子のような信仰によって救われるのだと言いたいのだと思いました。

 これを読んでいて、浄土教の祖師・善導の譬喩を思い出しました。念仏を称えるなんて簡単な修行と自分たちのような難行苦行の修行をしているものが、同じ極楽浄土へゆけるなんておかしいよ!という論難に対しての譬喩です。

 善導は言います。確かに、君たちの言うように、念仏を称えるなんていうことは、お金にたとえれば、一円くらいの値打ちしかないのだよ。もし、極楽浄土へゆくためには、一万円貯めなければ行けないとしよう、それを一円から貯めるのは大変なことなんだよ。君たちはそう思うのだろう。君たちは「もう、だいぶ貯めた」とね。でも、この一円は、君たちの見ている一円とはちょっと違うんだよ。実はね、もうすでに9999円貯まったうえでの一円なんだよ。だから、この一円が手に入れば、極楽浄土へ行くことは間違いないのだよと。

 これもだいぶ脚色してますけど、大体こんな譬喩です。これは善導の人間観を土台にしているのです。つまり、人間に生れて生きているということだけで、もうすでに9999円貯まっていると見ているのです。論難者は、人間に生れたことをゼロ円として見ているのです。この違いですね。でも私たちはやはり、一円と聞けば、ゼロから貯めて一万円にするための一円だと見てしまいますよね。これは、私たちの「ああすれば、こうなる」というハウツーの知恵を批判しているわけです。善導さんは、人間としていのちを受けてここに、ただ「存在している」というだけで、もうほとんどの課題は済んでいるんだと見ています。どれほど、社会的に見て無価値に見えようとも、なんの役にも立っていないように見なされていることでも、そこにひととして「ある」ということが、実はとてつもないものを秘めているのだというわけです。

 それは、「これから、こうして、ああなって」という未来というものにあまり価値を置かない見方ですね。それよりも自分の全過去をどう見るかということに重点があります。目には見えない自分の全過去を無限の価値として見いだせるかどうかです。未来に希望をもちたいのならば、実は自分の過去を見直せということなんです。過去に絶大の価値を見いだせるものには、未来に価値を要求しなくても、それなれにちゃんと応分に与えられてくるものです。

 聖書を素材にしながら、仏教の教えを味わうという、なんとも贅沢な料理を味わった感じがします。聖書でも、仏典でも、坩堝のなかに入れて、グルグルかき回して、そこから立ち上ってくる馥郁とした香りに酔いしれたいと思います。

 

2004年1月31日

今朝の五木寛之さんのテレビ番組「百寺巡礼」では、滋賀県の石塔寺を紹介していました。番組の最後に、野原に座って近くの花を指さして話を始めました。これはセイタカアワダチソウです。これは、アメリカからの渡来種です。その側にはススキが穂を風になびかせています。セイタカアワダチソウは、ススキが生える場所を好んで根を下ろすそうです。そして在来種のススキとの攻防のすえに、セイタカアワダチソウがかなりの勝利をおさめたようです。しかしバブルがはじけたころから、それが逆転してきて、ススキがもち返してきたのです。そしていまでは、同居する形で群生しています。

 これは面白い現象ですね。これを日本の文化に置き換えて考えてみると、日本文化は外来文化なしに考えることはできません。渡来の文化に影響を受けつつ、しかし、そこに日本独自の文化を築いてきたわけです。ススキとセイタカアワダチソウの関係が、まさにそのことを教えくれています。こんな話だったと思います。

 セイタカアワダチソウといえば、喘息やアレルギーを引き起こす、人間にとっては有害な植物というイメージしかありませんでした。タンポポにしても、すべて外来種に駆逐されて、在来の植物の植生が変化してしまい、なんだか、恐ろしいというイメージですね。でも、在来のものが、外来のものに影響されながら、また復活してくるという、これは実に面白い現象ですね。

 先日も鷲田さんが、京都の呉服店の店主が、スーツで呉服を売っているという話をしていました。ほんとに西欧文化を抜きにして日本人を考えることができないんですね。生活環境はすべて西欧であっても、どこかで日本人の持ち味が出てくるんですね。スーツを着ていても、やはり握手より、お辞儀をすることが多いですね。ベッドで寝るといっても、ベッドの上に綿の布団を敷いて眠りますよね。お年寄りだと、替え巻きを掛けているひともいますよね。

 だから、文化は混在としながら、しかしどこかで独自性をもっているという不思議な形をつくるんですね。

 近頃では、日本人らしくとか、大和魂とか、純粋思考をしているひともありますね。でも、自分たちは他の民族とは違って、もともと純粋なものであるという観念がどうかしているんでしょうね。そんな純粋なものはないんでしょうね。もともと、日本列島はアジアにくっついていたわけですからね。もともとの純粋に戻るんであれば、モンゴロイドというところまで戻らないとダメなんでしょう。それでも、戻りかたが足りないでしょうね。もっともっと戻って、人間とか、類人猿とか、もっとどんどんもどってゆかないとダメでしょうね。そして最後は、いのちの源までもどってゆかないとね。そのへんまでイメージを豊かにもってくるといいと思います。中途半端なところで線引きをしないということです。

 みんな同じいのちの源から生れてきたものであっても、現在の生物のかたちは千差万別ですね。これも面白いものです。同じ日本人でも、千差万別です。源は同じでも千差万別であるということが、大事ですね。

 ですから、私がゴキブリでなくて人間であるというのも、なんかの間違いかもしれませんよね。たまたま人間になったわけですから、ゴキブリでなかったという必然性はないのです。どうしても人間なければならなかった理由はどこにもないんです。

 人間に生れたことは、どう考えても何かの間違いなのでしょうね。間違って人間に成り下がってしまったのでしょう。自分の存在が間違いだと受け止めてみると、妙に存在が軽く感じられませんか。自分が自分である理由はどこにもないんですから。でも、理由はないけど、自分は自分になってゆきます。自分の体を自分だと受け止めて生きざるをえません。これも不思議なことです。なんで自分の体を自分自身だと、なんの疑いもなく思い込んでいるんでしょうか。これも傲慢なことですね。

 

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