住職のつぶやき2004/03


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2004年3月1日

 

■今月の言葉

杉山に杉林あり


ひとつとて
 

同じ枝振りの
 

杉の木はなし
                                   (武田定光)

杉の林は、植林したものが多く、あまりにも整然としすぎています。雑木の山のような自由奔放さが欠けています。どこかに人為の匂いがあります。根も深く張ることがないので、台風などがくると、すぐになぎ倒されてしまいます。それでも、昔は植林がさかんで、山のあちこちに杉が植えられました。
 いまは建築に木を使う文化がなくなってきました。ほとんど、石と新建材と鉄でできあがっています。日本人から、木の文化がなくなってしまうのではないかと心配です。うちの本堂は昭和26年に建てられました。昭和20年3月10日の東京大空襲のあと、六年目に再建されました。木場の材木商のかたたちの援助によって素晴らしい本堂が再建されました。今度、建てるとなると、もうこの土地では、木造建築は法律上禁止されるのかもしれません。いわゆる防火上の問題なのでしょう。木造建築は、鉄筋建築に比べて改築がしやすく、長い目で見るとコストもかからず、持ちも違うと聞きます。ただし、火だけには弱いそうです。
 前にも書きましたけど、日本の文化はどこかにホコロビを内包しているんです。木造建築は火によって滅びてしまいます。また、服装文化の和服には「着崩れ」ということがあります。帯にしても、「ゆるむ」ということがあります。草履や下駄は「鼻緒」という弱点をもっています。弱さを内包してきたのが日本文化なんですね。それに反して、西洋文化は、弱さを排除してできるだけ、強く固いものを生み出す文化です。これは強固な自我の文化です。日本文化は、むしろ無意識的な文化といっていいのでしょう。自我の文化は、不動不屈、堅固、永続性、強固、論理性をイメージさせます。しかし無意識の文化は、柔軟さ、不思議さ、湿りけ、鵺的、可変性、情緒性といった言葉をイメージさせますね。
 自我の文化は、「ホコロビ」を拒否してゆきます。でも、現実には、老・病・死ということで敗北するのです。無意識の文化は、それらを取り込んでゆこうとします。それらを内包しながら、ノラリクラリとゆこうとします。底無しの無意識の文化が、復活してこなければダメなんでしょう。小生の内部での、無意識の文化の復活が、一本の杉との出会いでした。
 「一本も同じ枝振りの木はない」ということが、小生にとっては、タマシイの解放を促す発見でした。いわれてみれば、それは当たり前のことなんですよね。「そりゃ、そうだよ、同じ木があるわけないじゃないか」と言われてしまいます。他人から、そう言われれば、あまりにも当たり前すぎて、こんなことに驚いている自分がバカみたいに思えるんですけど、でも、小生にとっては、驚きであり、それまで、暗く閉ざされていたタマシイが開かれたような気がしました。
 それまでは、自我の文化の「杉」という言葉で、全体を大雑把にとらえているだけだったのです。論理性だけで、いのちの全体を覆い尽くしていたのでしょう。枝振りが違うなんていうことすら、まったく意識になかったのです。木が生えているというだけです。それこそ、風景の一部に過ぎないという感覚でした。
 しかし、「よく見れば、ナズナ花咲く垣根かな」という芭蕉の句のように、そこに目を止めてみれば、ナズナが咲いているじゃないかという発見です。それはナズナの発見と同時に、自分自身の発見でもあるのです。普段は、風景の一部になっていて、気にも止まらないんです。ところが、ハッと目に飛び込んできたナズナが、健気に咲いている。それは、ナズナとの出会いであり、自己自身との出会いを象徴しているのです。
 小生が、杉と出会ったとき、そこには、自己との出会いがあるわけです。いわばオンリーワンとの出会いですよね。杉林の一本一本の木は、それぞれがオンリーワンなんです。いままで、論理性で、「杉」という言葉に押し込めて彼らを解釈していただけなんです。杉一本一本のいのちを見ていなかったんです。それを、出会いといいました。でも、出会ったから何かが分かったかといえば、なにも分からないのです。ただ、分かっていなかったということだけが、分かったということです。ひいては、自己自身についても、なにも分かっていなかったということを教えているのです。
 いままで論理(言葉)に覆われていた自己が、天然のまんまに現われてきました。言葉以前の自己といったらいいのか、不可思議な存在としての自己が立ち現れてきました。それは不可思議な感覚であると同時に、いのちの瑞々しさを取り戻した感覚でもあったのです。自我の文化は、なんでも済んだことにしてしまうのです。自分とは○○ですとか、世界はこうこうこういうふうに動いていますとか、社会は○○だとか、これはネコで、これは机で、これは○○だとね。すべて、概念や知識のなかに納めこんでしまい、すでに分かったこととして済ましてしまうのです。でも、杉との出会いは、すべては済んでいないぜ!というプロテストでした。いままで、それで済ましてきたのです。人間は理性がありますから、なんでも知識のなかに納めこんで、それで平然と済ましてきました。でも、全然済んでないんですよ。一番身近な、この自分自身を分かったものにしてしまっているんでからね。自分なんて、全然分かりませんよ。そういう形で、自己と出会ってみれば、すべてがまだ済んだことではないのだと分かってきました。
 昨日の自分も、そして今日を生きるということも、まだ済んでいません。次の瞬間はまだ済んでいませんからね。

●2004年3月2日
あるときには親鸞にものすごく近くあると思うこともあり、またあるときは、ものすごく遠くにあると感じるときもあります。でも、その実、それはひとり相撲の域を出ないということでもあります。それで、胸をなで下ろしているときもあります。
 親鸞って、それは、小生にとって、ドーナツのようなもんです。全体に厚みがあって、いろいろな言葉が散りばめられていて、食べ応えもあって、しかし、親鸞っていったい何なんだ!と問い詰めてみると、中空は空っぽで、なんにもないんです。そんなドーナツのようなものなんです。
 一応、毎日親鸞の近くにあって、生活しているように、まわりのひとたちからは見られて生活しているんですけど、その実、中空は空っぽで、実はなんにもないんです。つかもうとすると空っぽで、遠くから見ていると、そこに存在しているようにも見えるんです。不思議なもんです。でも、その周辺をグルグルと歩きまわっているという感じだけはあります。
 蓮如は、人間の一生は幻のようなものだといいます。でも、いくら、そう聞かされても、全然そんなふうには思えない自分があります。そんなとき、自分は親鸞からずいぶん遠い存在だなぁと悲しく思うこともあります。でも、遠いと感じているときのほうが、ほんとうだと思うんです。
 先日の聞法会では、「凡夫だと聞かされても、それじゃ泣き寝入りしろということか」という批判もありました。「グズグズの凡夫で、それに甘んじろといわれても、甘んじられない」と。まぁ受け取るほうは、凡夫をそういうふうに受け止めてしまうんですよね。ただ事実がいわれているだけなんですけどね。聞くほうは、脅迫されているように感じてしまうんです。「凡夫というのは、欲も多く、怒り、腹立ち、ねたみ、そねむこころが暇なくて、臨終の一瞬にいたるまで、留まることもないし、絶えることもないし、消えることもないのです」と親鸞はいいます。それは事実を言っているだけです。でも、それを聞くほうは、「そんなこといわれたって、どうすりゃいいのさ!」と反発したくなるんです。
 その親鸞の言葉を自分の生活のなかで、深く受け止めてみるということができないんです。すぐに、居直ったり、悲しいだり、言い訳してみたりするんです。その言葉の前に、バンザイするしかないんですけどね。もうお手上げなんです。グーの音も出ないんです。
 こっちは、問いが分からないんです。その前にまず答えばっかり欲しがっているんです。「どうしたらいいんですか?」と。答えは南無阿弥陀仏だと親鸞はちゃんと応答しているんです。真宗は答えは簡単なんです。南無阿弥陀仏ひとつでしかありません。でも、こっちの問いが明確じゃないんです。問いが明確じゃないから答えが答えにならないんですね。問いといっても、普通の問いじゃダメなんです。自分そのものが問いにならないとダメなんです。つまり「愚か」ということですね。
 愚かになれば、すべてが新鮮なことになります。赤ちゃんの好奇心は、愚かと一体になっているすごさです。体全体が問いになっている姿です。もう私たちは、あそこへは戻ることができません。しかし、親鸞のいう愚かは、あの好奇心の塊に近づく道でもあります。
 


2004年3月4日 
一昨日は、教団の同朋会議というものが山梨県で開催されました。「これからの真宗寺院のあり方」というテーマでグループ討議が行われました。グループには関東一円の住職や、門徒さん、若手僧侶、開教者が参加していました。ある住職は、自分の子どもの代までは食えるけど、孫の代には寺は維持できないだろうと語られていました。また、葬式が出ると家が一軒消えるのだとも言っていました。そういう状況のなかでは、寺の聞法活動をどうするか?とか、寺院活動のあり方がどうか?という話にはなかなか傾きません。
 だいたい「寺を開こう」というテーマがあっても、門徒が寺に来たがらないんだからしょうがないと居直る住職もいました。寺ではやがて死ぬんだからとか、嫌なことばかり聞かされるから、誰も来たくないんだよ、と。オレたちだって、ご飯食べてるときに、ガラッと戸を開けて門徒が入ってくると、嫌な気持ちになるよねと。そういう煩わしさから、寺の空間と自宅の空間を分けたんでしょうとも言っていました。
 まぁ、「開かれた寺にしよう」というスローガンは、永遠のテーマでして、突き詰めれば、「おまえが、開かれた人間になれ!」ということを迫ってくるテーマなんです。寺という建物が閉鎖しているんじゃなくて、そこに住んでいる人間が閉鎖しているんだろうと。小生も、何か言えということでしたので、「寺が遊び場になればいいんじゃないですか…」というようなことを語りました。そこに住んでいる人間が遊んでいなきゃ、誰が一緒になって遊びましょうか。来た門徒を片っ端から折伏しようとか、聞法会に引っ張り込もうとか、そういうスケベ心から解放されて、遊んでいなきゃダメだと思うんです。それこそ、食えなかったら食えないなりに、なんかしなきゃダメでしょうし。それぞれの状況において、やっていけばいいことです。別に寺を閉じてアルバイトしていたっていいんです。それで、真宗に傷が付くことはまったくありません。そんこなことはどうでもいいのでしょう。兼職できれなければ、したほうがいいし、そうじゃなければ、それなりにやればいいんです。
 でも、生きるという根本のところで、遊びということが大切なんです。遊びとは、余裕でしょうし、何より、そうすること自体が楽しい、そうせざるを得ないことに、なにがしかの喜びを感じているということです。なんで寺にいるのか?と聞かれれば、それは、自分が生きるという根本のところで、遊びを体験しているからだと思います。生きるということは、まったく自明じゃないんです。日々いろいろなことが起こって、自分の意識経験も変化して、それでも、まだまだ生きることが自明じゃないですね。自明じゃないから、遊びになるんですよね。遊びって、最終結論は出ていないということです。それは終わりなき遊びです。
 だいたい、生きるということはどういうことなのか、だれも分かってないんですからね。分かったような顔をしてますけど、全然分かっていませんよね。そうやって、いままでの既成の概念から、どんどん解放されて、自由に遊べるようになればいいんでしょう。寺は、そういうたましいの遊びを会得する場所という意味くらいのものなんです。言ってみれば、必要悪なのかもしれません。ほんとうは無くていいんでしょう。そんなものを必要としなければいいんでしょうけど、でも、ほんの少し意味があるんでしょうね。遊びができなくなった大人に、真の遊びを教える場所としてね。
 ですから、世間の職業に還元できない仕事でもあるんです。職業欄に書くとき困るんです。自由業とか、サービス業とか、あるいは僧侶、僧職と書くひともいるようです。小生はサービス業に入れたほうがいいと思うんです。水商売と同じようにね。水とアルコールを打って何万円という料金を銀座のバーでは取るんです。僧侶もそうです。元手はないんです。吉本隆明さんの言葉でいえば、二十五時の仕事なんでしょう。決してこの世の職業に還元できません。いったい何のために僧侶があるのか、ほんとうのところはよく分かっていません。税務署でも非課税にしてますけど、公益性って何なのか?ほんとうは分かっていないんです。
 世間でやっていることは、ほとんど無意味なんではないですか?と、アンチテーゼを言うという意味くらいなもんです。ですから、二十五時なんでしょう。決められないんです。決められないことに、以前は居心地が悪かったのですけど、最近じゃ楽しんでるんです。世間は決めたがりますけど、ノラリクラリと、それをかわして、「?」といして生きるということもいいじゃありませんか。「?」ということが、遊びの真髄なんです。予測不可能だから面白いんです。

2004年3月5日
今朝の朝日新聞には「オウム事件が問うたもの」というテーマの対談が載ってました。大澤真幸(京都大学助教授)と養老孟司(北里大学教授)の対談です。
 もはや、宗教家が、対談するということでは、メディアは納得できないんでしょうね。リベラルな知は、非宗教のところにしかないというのが、常識なんでしょう。たとえば寺の住職であり、大学教授でもあるというひとが、メディアで取り上げられる場合には、必ず、○○大学教授という肩書が採用されますよね。住職という肩書は、一宗一派に偏った立場だという先入観を抱かせてしまいますから、採用されません。○○寺の住職の発言よりも、○○大学教授の発言のほうが信用されるという時代になっているんです。住職の発言はうさん臭いと受け止められるんでしょう。
 まぁ、明治期に、脱亜入欧で、アジア文化を捨て、欧米の文化を取り入れて、これからの日本を築いていくんだと決めたときに、そういう傾向がはじまっていたんでしょう。それまで東大にあった「仏教学科」は、「インド哲学科」という名称に改変しなければ、生き残れなかったという事情もあるそうです。仏教という陰々滅々たる、封建的で、非文明的なものを学ぶなんてナンセンスだ。あまインド哲学なら、学問として存続させようということだったらしいです。それ以来、日本では宗教よりも西欧哲学の方が上だという観念をもたされてきました。まあ、日本の仏教界は、江戸時代の寺檀制度のなかで、温存されてきましたから、他の思想と対話するという必要性がなかったことも、そういう傾向に拍車をかけたのでしょう。ですから、そういう傾向に仕向けたのは、宗教の側ではないかという批判もあります。
 現状維持というこころの構えになったとき、他の思想と対話するという必然性を失うのでしょう。現状が50でもなく100でもなく、いつでも0だと受け止めることが、どの世界でも大事なことだと思います。最近のコマーシャルで、0ゼロを使ったものがありますね。石で作られた大きな0を見て、「私は0を見ていると、無限の可能性を感じるんです」というやつです。0は、ものごとを否定する場合にも使います。「あいつの能力は0だよ」とかね。でも、0からすべてが始まると考えれば、0は何かが生れる可能性と明るく受け止めることができます。仏教も0を「空」とか「妙有」とか「縁起」とか表現してきました。それは、存在の本来性を言い当てています。もともと私たちは0から始まってきたのだという受け止めです。
 でもなかなか、0に立ち返れないで、0を見失ってしまうんですね。相手をマイナスと見たり、自分を100だと考えたりしていくわけです。
 対談では、いろいろなことが話されていました。オウムを人ごととして考えてはならないということが、二人に共通していたことだと思います。単純に、みんな死刑にしろ!だけでは済まない問題をたくさん含んでいるからです。どうして、若者がオウムに走ったのか?その要因は、日本社会のあり方にもあるのではないかと述べられていました。ひとつには「身体」が忘れられてしまっているということです。それは「自然離れ、都市化現象」が生み出したものです。養老さんは「参勤交代制度」を導入したらと言ってます。一年に一月くらいは田舎で暮らせというのです。大澤も、「現代の高度情報化社会は、人間の経験が『身体』から乖離する時代だが、そうした身体否定の果てに、一挙に身体の確実性に回帰しようとする傾向が突出して現われることがある。オウムはこうした身体への逆説回帰の極端なケースだ」と述べています。また、「理想が消滅した時代」だとも言っています。高度経済成長期には確固とした理想があったけど、いまはどんな理想も相対化されてしまう時代なんだというのです。オウムは殺人をポアといったけど、あれは、すべてが相対化されてしまわなければ成り立たない論理です。殺人だって、誰が禁止することができるんだというわけです。そんなことは人間が勝手に決めたことじゃないか、だから殺人が絶対に悪だとは言いきれないんだという論理です。むしろ殺人を悪だと決めている人間が、その悪を禁止しているだけじゃないかというわけです。
 おしまいのお話では、オウムと私たちの住んでいる社会が合わせ鏡であって、双方ともが見合って、お互いを異常だと罵っているに過ぎないという展開になります。だから、未知の人間とどうつながり、開かれていくかということが、課題として残されるのだというのです。それが、イラクの問題でもあり、北朝鮮の問題にも通じるんじゃないかというのです。
 大澤は「『我々』も『相手』も固定していると考えると共生は困難だが、共生の技術とは、許せないように見える相手も、そして我々も、いつの間にか変容させてしまう技術である」と言っています。養老は最後の最後に「社会は脳のつくり出すもので、脳は五感と運動という入出力で『外に開かれて』いなければならない。閉塞状況とは、外に壁があるのではない。自分を変えようとしないところから始まる。日本全体が巨大なサティアンになってはならないのだ」と結んでいます。
 自分は正常だ、自分は大丈夫だ、自分はこのままでいいのだというふうに思うことが、オウム発生の一番の原因だというふうに読めてしまいました。でも、そういうふうにしか考えられないというのが、これまた人間のサガですよね。だもんですから、仏教は、人間の外側に如来とか、仏を見いだしたわけです。仏や如来は、人間が拝跪するものではなくて、いつでも人間を外側から批判する存在なんです。仏のいる淨土を「彼岸」といいますけど、あれは、「この岸」じゃないということです。この世じゃないよ!という形で、この世を批判するわけです。この世じゃないということは、あんたがこの世で考えているような世界じゃないよという批判です。それで「彼岸」というわけです。
 人間の脳の中には絶対に取り込むことができないということです。ですから、それは人間にとっては、「否定形」でしか表現できないものなんです。肯定ではないんです。いつでも、どこでも、自分を否定してくれる存在があるということだけが、少しく幻想から覚めることにつながるんです。

2004年3月6日
昨夜、TBS「報道特別番組−告白−私がサリンをまきました−オウム10年目の真実」をみました。主に林郁夫の供述をもとにした、取り調べ中心のドラマ構成でした。林郁夫役を平田満が演じ、取り調べ刑事役を西田敏行が演じていました。なぜ有能な心臓外科医である林がオウムにはいったのか?なぜ、ひとを助ける医師である林が、サリンをまいて、ひとを殺したのか?そういう疑問が、丁寧に読み解かれていく番組でした。
 林の手記を読んでいたこともあって、刑事さんとの関係によって微妙に変化していく心が分かりました。逮捕された当初は、青山弁護士の指示により完全黙秘をしていました。刑事は、林容疑者を「センセイ」と終始呼んでいました。それは、彼が、オウムに入る前に、一番多く呼びかけられていた名称だというのです。彼をまず、オウムの発想ではなくて、「林郁夫個人の頭で考えさせること」に主眼をおいた応答でした。石川県で逮捕された当時は、林郁夫がそれほど重大な犯罪を犯しているとは、警察もみていなかったようです。西田が演じる刑事は、人情派で、ちょっと間抜けな感じを与える気のいいおっさんでした。しかし内面では、しっかりと林のこころをとらえてゆきます。それは林がサリンをまいたなどとはまったく疑っていなかったことです。刑事が犯罪者を完全に信じているという感じを受けました。もはや林というひとりの男の内面に興味をもって入り込み、むしろ林に惚れ込んでいくという感じも受けたのです。自分は刑事だから正常な上位の立場に立ち、お前は犯罪異常者として、裁かれる下位の立場だという見方を抜け出てゆきました。同じ水平の目線で林をひとりの人間として丁寧に扱ってゆく姿勢でした。
 そして、とうとう西田は言います。「センセイは、ほんとうの医者になろうとしたから、オウムに入ったんだよね」と。林は無言のままで、その言葉を聞いていました。
 とうとう、林郁夫は、自分がサリンをまきましたという告白します。それを聞いた西田は、「信じられない」という顔をします。「センセイは、だれかをかばって、そんなことを言ってるんじゃないの?」といいます。そこから林は、一部始終を語り始めます。林は千代田線の車内でサリンをまき、二名の営団地下鉄職員を殺してしまいました。
 車内には、白いコートきた女性が同乗していました。林は「早く降りてくれ!」と心の中で叫びました。「これも真理を守るためなんです。どうか高い世界に転生してください!」という思いでサリンのビニール袋をを傘で突つきました。彼の供述によって、サリン事件の全貌が明らかになってくるわけです。
 取調室の窓からは、日当たりのよい公園で遊んでいる親子なんかを映しだします。その光景を林と西田は見つめます。そして林が語り始めます。「自分は、いままで幸せというのは、苦しい修行の結果にしか得られないものだと信じてきました。でも、なんでもない、こんなところに幸せってあったんですね…」と。そこから「自分は、なんの罪もないひとを、殺してしまいました。まったく取り返しのつかないことをしてしまいました。自分はここに生きていてはいけない存在なんです…。」と語りながら、涙を流し、それが嗚咽に変わってゆきます。西田は、机に突っ伏した林を見つめながら、涙を溜めていました。小生も、そのシーンでは涙がこぼれてしまいました。
 林は「ご遺族に、謝罪の手紙を書きたい」と申し出ます。しかし西田は、「いまのあなたがいくら謝ったって、そんな言葉は、遺族に届くわけがありませんよ、いまあなたのやるべきことはひとつなんじゃないですか?それは、法廷で麻原と戦うことです」と。
 「幸せというのは、なんでもない、ごく日常のところにあったんですね」というようなことを林は語ります。この言葉を吐いたときに、彼は「この世」に帰ってきたのだと思いました。人間が意識的に改変したり、付加したりするところにはないものだと思いました。人間の「本来性」というところにしかないのでしょう。
 でも私たちの日常も、オウムと同じように「修行するぞ、修行するぞ」という努力主義で動いていることも確かなことです。人間が自分を変革したり、社会を変革したり、何事かを変革することによって、幸福を手に入れようとする考え方は、オウムと通底しているわけです。もし、百歩譲って、オウムが犯罪に触れるような行動をとらなければ、おそらく日本では一番激しく仏道修行をする健全な出家者集団として、逆に社会から脚光を浴びた可能性があります。既成教団でも、あそほどの大量な出家者が、あれほど激しい修行をしているところはありませんからね。まぁ、いまだにアレフに残っている人間は、犯罪を差し引いた健全なオウムの部分に惚れ込んでいるのだと思います。一部には、未だにすべては国家権力の完全なる捏造だと信じている人間もいるのでしょうけどね。
 そういう、改変性のところに真実はないのだと、アンチテーゼを打ち出したのが、浄土教なんです。だから、吉本さんも「オウムを批判できるのは、法然・親鸞の淨土系の思想だけだ」といわれているわけです。それはオウムだけではなく、オウムの裏返しになっている資本努力主義の批判にもなっているわけです。
 それは「既在性」の発見なんです。人間が、意識的に関わる前に、すでにして真実が展開しているということへの発見なんです。林郁夫に、「幸せは努力の結果ではなく、なんでもない日常にある」と感じさせたはたらきです。それは、還相の眼差しです。死からの視線なんです。<いま>という時間が、完成された幸福な時間と見えているわけです。その他になにも付け加えるべきものがない時間として見えているわけです。これは西田の見ている世界とも違っていると思います。西田は、確かにひとのいい、優しい人間です。でも彼はまだ、現世に留まっているのでしょう。林は違います。林は、死の視線から逆に<いま>という時間を見つめています。
 それでなければ、単なる平凡なところに幸せがあって、生活に高望みしちゃダメだよという教訓になってしまいます。そんなことを言っているわけではありません。死からの視線が、そういわせているのだと思います。淨土からの視線が、そういわせているのでしょう。これは、いつでも、どこでも、誰にでも成り立つ視線だということです。


2004年3月8日
「子どもを心配するのは、親の贅沢や」というドラマのセリフがありました。「てるてる家族」での浅野ゆう子のセリフでした。聞いたときには、へぇーという感じでした。
 子どもを心配するということは、我が家では日常茶飯事のことです。長男次男ともに、オートバイに乗っていますから、家に帰ってくるまで、どこかで心配しています。この心配というのにも、深度があって、ものすごく心配というのじゃなくて、どこかで気にかかっているという程度の心配です。いずれ、子どもともお別れして、どっちが先か分かりませんけど、この世を去ってゆかなきゃならないんだなぁと知りつつ、やっぱり、この関係を長続きさせたいと願っているわけです。オートバイを止めさせれば、それで、済むかといえば、済まない問題なんです。親はいつでも、あれさえなければ、あれさえ…と思って心配する生き物なんでしょう。それが贅沢だといわれれば、そのとおりだなぁと思ってしまうんです。
 心配することも贅沢なら、もっと味わいがあって、旨味があってもいいはずなのに、あんまり贅沢だとは感じられないのが悲しいところです。子どもにとってみれば、親の心配なんかは、いつも鬱陶しいと感じられる程度のものです。
 でも不思議なもんです。どうして、小生の子どもとして誕生してきたのか?最近では体も小生より大きくなり、ますます不思議だと思っています。そして、けっこう話してみると、いっぱしなことを言ったりするんです。親に意見したりということもあります。そんなときには、たくましくなったもんだなぁと、嬉しくも感じるんです。これも贅沢の味わいなのかもしれません。
 子どもは親の見えないところで成長するといいますけど、まさにそうですね。親の目に見えているところでは、全然成長しません。あるとき、ふっと、お前もそんなふうに考えるようになったんだなぁと気がつくのです。「男子三日会わざれば、刮目して見つべし」とは、よくいったもんです。そんなときには、小生が子どもで、子どもが親になったような錯覚にとらわれます。
 家族は、そういう役割の変更がいつでも起こっているものなのかもしれません。お父さんとお母さんの立場が逆になることはよくありますけど、子どもと大人の変更は少ないかもしれませんね。社会的には、親子は歴然と親子なんですけど、内面的には役割が変更されてもいいのではないかと思いました。これは、まるでママゴトですなぁ。でも、割合にそういう家族関係もあるようです。娘に叱られて、喜んでいるお父さんという図は、結構ありふれているようです。お父さんは、いつまでたっても子どもという役割から抜けられないんですね。お母さんに甘え、娘に甘えているのが、安楽なんでしょう。
 「自立できない男」は、社会的には評価されませんけど、もともと男は自立なんかできない生き物じゃないかと、駄々をこねてみたくなります。身の回りのことなんか、カラッキシダメですからね。手足がなくて、頭だけで生きているのが男でしょう。ですから、地に足がついていません。弱い生き物なんです。

2004年3月10日
やっぱり、自分が生れてきたということは、如に背を向けてきたことだったんですね。動きのない非存在であれば、人間という存在に結実する必要はなかったんです。非存在に満たされて満足していれば、そこから動いてくる必要はなかったんです。不動のままでよかったんです。不動から動へ、非存在から存在へと一歩を踏み出したということは、そこに、「背く」ということがあったんではないかと思うんです。如である非存在に満足していなかったわけです。その背きがいつから始まったかといえば、何十億年も前に始まっていたのです。自分が自分になるまでの生命の歴史をたどると何十億年です。何十億年かけて、背きつづけてきたんです。そしていま、背きつづけた歴史の結果として、<わたし>という存在にまで結実してきたわけです。そうすると<わたし>という存在は、背きの歴史であったといっていいのでしょう。
 そして、この<わたし>という存在が、非存在になるとき、初めて如と和解することになるのでしょう。そんなふうに、考えてみてもいいかなと思っています。
 そうそう、聖書のエデンの東ですね。失楽園を彷彿とします。知恵の実を食べて、知恵をつけた人間が、神の掟を破ったことで、楽園を追われます。あれは、神によって追い出されるんですかねぇ。もう、額に汗して働いて食え!と神様に叱られるんですよね。縄文文化から弥生文化になれといわれているようですね。小生の話は、自分自らが、楽園に背いて出てしまうというお話です。楽園に飽き足らなくて、そこから存在へと脱出してしまったという話です。神様は出てきません。このへんももう少し考える面白いと思います。
 真宗には「機の深信」という教えがあって、これは「我は現にこれ、罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)より、常に沈み、常に流転して、出離の縁あることなき身としれ」と書かれています。「わたしは、現に、罪悪のただびとです。わたしはいのちとなって流れてきた何十億年という時間をかけて、常に背き、常に反逆してきた存在です。このようにまったく救いの出口のない身なのだと知りなさい」という意味です。救いを求めてきた人間に、こういう衝撃的な言葉を投げかけるのです。出口はない、救いはないとね。
 なぜ、そんなキツいことを言うのかといえば、それは、自我を殺すためなんでしょう。救いがあるのだよ、と教えれば、自我は、なんとか自我を生き延びさせようと画策するんです。自我は逃げよう逃げようと背きつづけてきた張本人なんです。その自我の反逆で、わたしが存在にまでなってきたんですから。そしてさらにまた、逃げようとする動きに拍車をかけて、淨土まで逃げていこうとしているんです。どこかに息抜きのできる安楽はないかと、自我は逃げ出そうとするんです。そんな自我に照準を当てて、自我を殺してしまおうと如来は飛び掛かってくるんです。
 お前の死に場所は、ここ以外にないんだ。出口はないんだと迫ってね。「信に死して願に生きよ」とね。死にたくない、死にたくないと逃げ回っていたんですけど、フッと気がついてみれば、自我はもともと死んでいたんじゃないかと気がつくんです。「自分があって…」と、まずはじめに自我を前提に考えていたんですけど、もともと、自分なんてないわけなんです。有るといえば、全部が自分なんですけど、無いといえば、まったく実体はないわけです。そして自我はドロドロと溶け出して、溶解していくんです。
 自我が溶解すると、生きることが楽になってきます。自分を計算にいれなくていいからです。そりゃ、生きているときには、他人とぶつかり合いますけど、そのときはそのときで、喧嘩を楽しめばいいわけです。これは止めようと思ってやめられるものじゃないんですから。賜った喧嘩は、買っていくしかないんです。まぁ縁ですからね。四六時中喧嘩することもできないんです。縁がないと。縁があれば、起き、縁がくれば去ってゆきます。ですから縁にまかせておけばいいんです。まぁあんまり自分を勘定にいれないことです。自分といっても、自分でもなんだかよく分からない生き物なんですから。何をするか、何を考えるか、どう感じるか、自分でもよく分かっていません。だから生きるのが面白いんですね。決めないことです。自分はこうだとね。決めてかかるとロクなことはありませんよ。
 もっともっと、自我が壊れて溶解していかなきゃダメなんですね。先入観とか偏見とか、そういう自我の固さがくずれていくことが、生きるということなんですからね。


2004年3月13日
「如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、」と歎異抄はいいます。
 如来が善を知っているように、善を知っているのであれば、それはわたしが善を知っていると言うこともできましょう。また如来が悪を知っているように、悪をしっているのであれば、わたしが悪を知っていると言うこともできましょうというような意味になります。つまり何が究極的に悪であり、善であるのか、それは分からないという表明であります。一見、娑婆の知恵がついてくると、善悪を知っているかのように振る舞って生活しています。でも、ほんとうには分かっていないわけです。ある程度は分かったつもりで生きていますけど、究極的には分からないのです。
 分からないから、自分を勘定に入れないで、その場その場の対応で判断して生きていくより他はありません。自分を未来になげだす勇気を語っているように感じます。究極的には何が善であり、悪であるかは分からないから、判断を如来に任せて、一歩を踏み出そうという勇気です。これが生きるということの根本にないと、安心して生きるということができなくなります。一歩を踏み出すということは、右か左かの判断をするということです。その一歩が取り返しのつかない一歩になるかも分かりません。不安になります。でも、そういう一歩を踏み出すということが生きるということなんです。
 自分にしかできないような仕事は何でしょうか?と就職相談にきた学生が語るのだと鷲田先生はおっしゃっていました。それに対して、誰にでもできる仕事だから、あなたができるのであって、初めから、あなたにしかできない仕事なんてありはしませんと応えるそうです。自分にとって、その仕事が向いているのかどうかは、如来にしか分かりません。究極的に善悪が分からないように、自分に向いているかどうかは分かりません。分からないから、自分に与えられた目の前の仕事を精一杯、引き受けてゆくしかありません。
 小生にしてみたところで、僧侶という仕事が自分に向いているのかどうか、よく分かりません。自分は向いていないのではないかと思うことがあります。でも、向いているかどうかは、自分が決めようと思っても決められない問題です。それは最終的には如来が判断する問題なんでしょう。そういうふうに考えると、<いま>という場所が安定してきます。 
 自分が決められない問題を自分で決めようとすると、ストレスになります。もともと自分には決められない問題なんだと、「自分」という意識から解放されると、楽になります。人間は自分で自分の存在の意味をつくりだしたりします。でも、そんなものは、自己満足です。本当は分からないんですから。分からないというかたちで、自分の判断を放り投げてしまえば、<いま>が楽になります。最終的な判断の根拠を自分に置かないということが大事なんでしょう。 自分の意識を信じるんじゃなくて、自分のいのちの根っこを信じるといったらどうでしょう。自分の無意識を信ずるとか、いのちを信ずるといったらどうでしょうか。眼には見えない、無量無数の先祖のDNAを信頼して、そこにすべてを投げ出して生きてみたいと思います。だいたい人間は、そうやって生きているんでしょう。自分じゃ、自分の判断で生きているように思いますけど、無意識で生きているということが、事実なんでしょう。自動車の運転だって、意識で運転していません。無意識で運転しているんです。考えていちいち、操作してやっていませんよね。生きるというのもそうなんです。無意識で生きているんです。
 今日、浦安の霊園に納骨法要に行ってきました。霊園には墓石の高さ制限があって、みんな同じような形のものになっていました。それでも、個性を出して造ってありました。ほとんど「○○家」というのが多いのですけど、中には「妙法」とか「和」とか、それから「無」というのもありました。これは禅宗のひとのお墓かなぁと思いました。「無」っていうのは、何もないということですよね。でも、何もないということであれば、「無」という字もないはずなんです。でも、「無」という字はあるんです。この「無」という字をもって、「無いよ」ということを表現するわけですから、矛盾しています。
 無意識の無もそうです。「意識じゃないよ」ということをあらわすために無意識というのでしょう。そんなものは、無いんですけど、「無いよ」いうメッセージを聞くことによって、有ると思っている意識が批判されるんでしょう。意識で生きていると思っている思いが批判されるんでしょう。いままで意識が大で無意識が小だと思っていたのですけど、無意識が大で意識が小だという逆転が起こりました。ほとんど無意識だなぁと思いました。そう思っていたら、自分を知っていると思って自分を縛っていた観念が、解き放たれました。自分を知らない、自分を知らない、自分を決して知ってはいないと。


2004年3月15日
少なくとも、45億年かからないと、今日の自分は生れていないのでした。2004年3月15日という日は、空前絶後の今日でした。自分にはいろいろな不平不満がありますけど、でも、それもこれも45億年という歳月がないと、成り立たないものなのでした。
 そういう眼差しが、ほんとうに「冷静」という眼差しでしょう。「だだ仏の一道、独り清閑なり」と教行信証に出てきます。この「清閑」というのが、この眼差しじゃないかと思います。この冷静な眼で、つねに見つめられているという感覚でしょうか。人間のほうには「いつでも」ということはないわけです。時々、しばしば、そんなふうに感ずるというだけのことです。だから毎日、仏さんを見ていると、有り難くもなんともないわけです。あんまり、仏さまを見ていてはダメなんでしょう。たまーに見るのが、丁度いいのです。人間は、なんでも当たり前にしてしまう毒をもっていますからね。
 たまーに、「そうかぁ、見つめられていたんだ」と感ずる程度でいいんでしょう。仏さんには時はありません。「いつでも」です。「いつでも」ということは、無時間です。時間というのは、変わる、変化するから時間なんですけど、「いつでも変わらない」ということは無時間といってもいいでしょう。人間は有時間です。時間とともにあるものです。ですから、「いつでも」とはなりません。「たまーに」ということです。あるときは有っても、あるときには無いのです。自分の感情を見つめていると、時間とともに変化していくのが分かります。楽しいとか、悲しいとか、憎たらしいとか、日常生活で、様々な感情を私たちは体験します。その中に「平静」というのもあります。これを仏教では「捨受(しゃじゅ)」と呼びます。平静なときには何にも感じていないのではなくて、捨という感情を体験しているのだと考えるようです。つねに自分の中をなにがしかの感情が流れていると受け止めます。何にも感じられないとか、面白いことがないと言うときがありますけど、ほんとうは微細なところで感情が働いているのです。微細だから、「ビ・サンレント」、なんちゃって。
(山形、行ってきますm(__)m)


2004年3月16日

等身大よりも、もっと速く
通りすぎてしまいたい
ひとの目にとまらぬ速さで
ひとはわたしを見たというけど
わたしは、もはやそこには居ない
自分にも速すぎて、自分が見えないのだから


こんな言葉が浮かんだので、メモしてみました。いままで、自分には自分が見えていると思っていたんですけど、それは一瞬の映像でしかなかったようです。速すぎて、自分には見えないものなんだと思いました。あのアニメ、「エイト・マン」が、走るときには速すぎて、衆人には見えないんです。あんな感じですね。一瞬だけ、ほんのひとコマだけ映像が、チラッと見えるんです。でも、サーッと消えてしまいます。
 それは鏡でジーッと自分の顔を見ていても感じるんです。自分は分からないなぁと。奥が知れない、得体の知れなさをもっています。なぜこういう顔面にまでなってきたのか、ますます分かりません。ジーッと見ていると、自分が自分ではないような感じになってきます。不思議なもんです。
 ですから、当然ひとから見られた自分は、一瞬の片鱗なんでしょうね。今日も境内で門徒の夫婦に出会いました。小生は「こんちわ」と声をかけたんです。奥さんは「あーっ、こんにちわ」とすぐに小生だと分かったようです。上下のスーツで、肩掛けカバンを背負っていましたので、最初は寺の住職だということが分からなかったようです。ご主人にも声をかけたんですけど、誰だか分からなかったようで、奥さんに「お寺の住職さんよ!」と促されて分かったようです。小生は、少し恥ずかしくなって、スタスタとその場を後にしました。もう少し名実ともに、門徒から寺の住職だと分かられるようじゃないとダメなんでしょうね。相手を混乱させてしまいますからね。
 でも、そんなふうに装おうなんて、これっぽっちも思っていないんですから、困ったもんです。オレはオレだ、で生きていくしかないと思っています。ひとからなんと見られようと、オレはオレでしかないわけです。まぁ、だいたい、一瞬の片鱗を見て、ひとは判断するもんです。そんな判断を相手にしていちゃいけませんね。
 吉本隆明さんが「『一番価値が多い生き方というのは普通に生きることだ』と決定するわけです。」と言っています。普通というのは、「最も価値がなさそうな生き方をしているひと」ということです。自分にはなかなかそれができないとも言っています。以前、たしかお坊さんの存在意義みたいなことを話されているところでも、最も価値のない生き方ができれば、それこそが、坊さんの社会における存在意義だというようなことを語られていました。つまり社会とまったく反対の価値観ですよね。社会は、普通じゃだめで、価値があったり、役に立ったりするほうがいいという価値観でできあがっています。それを裸にしてしまうには、社会の価値観を根底からひっくり返すものでなければなりません。それだけが、坊さんの存在意義だというのです。これはなかなか面白いですね。
 これは、親鸞の言葉でいえば、「還相の視座」でしょう。死からいまの生を逆照しています。人間は、死をもってこられたら、この世の価値観は全部吹っ飛んでしまいます。役に立とうがどうだろうか、全部吹っ飛んでしまいます。でも、こっちの価値観がほんとうだということなんです。「ほんとう」という意味は、より本来的だということです。「本来」とは、生の始まる前と死の終わった後のことです。死からの視座でしょう、それは。
 もうひとつ。

いくはかえるで
今日は昨日で
わたしはあなたで
彼女は彼氏
死ぬは生きるで
後ろは前よ
裏が表で
ポッカリ空よ

なんじゃ、こゃりゃ!でしょうか。時代は進歩も退歩もしていないんじゃないかと思うんです。いかにもカレンダーの時間を生きているように、共同幻想で生きてますけど、でも、それってほんとうなんだろうかと思うんです。生きてるんですけど、それは未来に向って生きているんじゃなくて、永遠の過去に向って生きているような気がするんです。生れてきた根拠、生れてくる前の永遠の過去に向って日々を送っているのではないかと思うんです。
 一応、自我は直線が好きですから、まっすぐと未来へ向って、突き進んでいるように思い込もうとします。数字がどんどん増えて1999年→2000年→2001年→2002年→2003年→となると、なんか、どこかに向っているような錯覚にとらわれますね。数字が変わると、どこかが変わったように思います。たしかにみんな老いてゆきますから、どこかが変化してきます。できることができなくなり、皮膚のシワが増えたり、白髪が多くなったり、目が悪くなったりします。それは永遠の過去への旅支度かもしれませんね。それは往くのではなく、還るのではないでしょうか。あるいは、どこにも向っていないのかもしれません。
 ハンダゴテで、鉛を溶かすような感じです。ハンダゴテに向って鉛の線を押し当てるとドロドロと溶けます。未来という名のハンダゴテに過去という名の鉛を押し付けて、そこにドロドロと溶けているのが<いま>という場所ではないかと妄想します。つまり、それは存在が「○○のため」という手段にならないということです。「○○のため」という目的意識が社会性を成り立たせています。でも、「○○のため」じゃない、生そのものが、そこにドロドロと溶けているという感じです。生きるのは「○○のため」じゃない、生きるということ、それ自体のためにあるということです。ドロドロとしてね。
 そうなると、存在は、未来からの流れによって満たされてゆくように感じます。どこにもいく必要もないのかもしれません。そこにただ、生きていさえいれば、それでいいのかもしれません。どこまでいっても人間以上でもなく、人間以下でもないのですから。自分という存在に未来が流れ込んできて、自分という存在を満たしてゆきます。まさに「当来」の未来がやってきて、存在を満たします。いつでも死の口は開いていて、一瞬の出来事で存在は消えてゆくのです。でも、辛うじてたまたま、存在のほうに重点が置かれているだけです。たまたま死のほうに重点がうつれば、消えてゆきます。それを決定しているのは「たまたま」というものです。決して自分ではありません。「たまたま」わたしであって、「たまたま」あなたではないだけです。だから、「あなた」がわたしであって、「わたし」があなたであってもよかってんですね。
 吉本さんがいうように「普通に生きる」とか「価値がなく生きる」ということはできないことです。どこかに、自分の存在以上の何ものかを付与したくなるんですね。「○○のため」という価値をね。それは死を忘れているときです。一瞬先にある死を忘れているとき、人間は人間以上のものになったような錯覚にとらわれます。
 「死」といったからといって、小生は死を知っているわけではありません。死すら分からないんです。生も分からないんですから。そうやって、どんどん軽くなってゆけばいいのでしょう。こっちにため込む必要はないのでしょう。何も知らないということと存在がひとつになったときに、ほんとうに空っぽになっていくんでしょうね。


2004年3月17日
他人の意識に焦点を当ててはいけない。他人の無意識に焦点を当てて接してゆかなければならない。
 その人が言葉で語ること以上に、語らざるを得ない背景、語ることで、漏れてしまう無言の言葉、そういうことに耳を澄ませなくてはならないと思います。どうしても、音声はいやがおうでも、わたしの耳の鼓膜を振動させるので、その振動のほうに気が取られてしまって、無意識の世界に目が届きません。それは、ほんうとに、そのひとを大切にするということにはならないのでしょう。ひとを大切にするということは、意識じゃなくて、そのひとの無意識を丁寧に扱うということだと思います。
 吉野弘さんがいうように「正しいことを言うときには、相手を傷つけやすいということに気がついて」いなくてはならないのでしょう。でも喧嘩の坩堝にあるとき、ひとは、怒りの感情を押し殺してでも、理路整然と正義を喧伝します。むしろ、正しいことを言っているときには、怒りの感情を押し殺しているんだと受け止めてしまいたくなります。
 正義は暴力性をもっていますからね。正しいことを言われてお説教されると、聞いている人間が圧迫感をもつのはなぜなのでしょうか。窮屈に窒息させられるような、被害を感じます。それは、正義のもっている暴力性でしょうね。でも、ある場面では、相手を二度と立ち上がらせないように、正義でノックアウトするときもあるんですけどね。でも、正義でノックアウトしたときには、したほうもされたほうも、空しさが残ります。正さのしでかしたカタストロフというものは、だれも救いようがありませんね。殺伐だけが残ってしまいます。
 喧嘩という二項対立の場所から、遊離して、それを眺められるようになれたらなぁといつも思います。それには、相手の無意識に焦点を当ててゆかないとダメなんだ思いました。生身の人間は、傲慢で、おこりっぽくて、寂しがり屋で、弱いもんです。自分では意識できませんけど、頼みもしないのに、生み出されて、投げ出されてあるわけです。何十億年かけて投げ出されてきたわけです。どこかで、被害者だということを体で知っているんです。ですから、傷ついているものなんです。それが生身の人間でしょう。
 そこらへんの深さから、様々な煩悩が起こってくるのでしょう。その傷を埋めるために、おこりっぽくなったり、寂しさに涙したり、むさぼったりするのでしょう。存在が病んでいるわけです。何十億年かけて病んできたんです。
 人間の生存の条件を仏教では「十二因縁」と教えます。
無明(無知)→行(潜在的形成力)→識(識別作用)→名色(精神と物質)→六処(心作用の成立する六つの場。眼・耳・鼻・舌・身・意)→触(感官と対象との接触)→受(感受作用)→愛(渇愛、妄執)→取(執着)→有(生存)→生(生れること)→老死(無常なすがた)。順次に前のものが後のものを成立させる条件となっている。(中村元『仏教語大辞典』)
 人間が生存するための条件を順番にあげていって、これを逆に見てゆけば、迷いから離れることができると考えたようです。小生は、「老死」で終わっているところを、もういちど「無明」に戻すべきじゃないかと思っています。直線じゃなくて、円環で表現したらどうかと思います。意識は直線が好きですけど、無意識は円環じゃないでしょうか。
 三好春樹さんも言ってましたけど、年を取って歯が抜ける、髪が抜けるということは、赤ちゃんに還っていくことじゃないかと。寝たきりになるのは、乳児に還ることだと。これは直線的な時間の観念からは生れてきませんよね。やっぱり還相といいましょうか、円環の時間論でしょう。まぁ、乳児は可愛い赤ちゃん、寝たきり老人は、醜い赤ちゃんでしょうけどね。そうすると、成長するとか、成熟するとか、発展するということが、どうもあやしいというふうに感ずるんです。還るという視点をとると、生れた時点が成熟の頂点ということになりませんでしょうか。そこから、老いて帰りの道が始まるんですからね。
 無明ということは、「無知」ともいわれていて、「分からない」ということですけど、その「分からなさ」を受容できるということが、いいように思います。それこそ、無意識が自分だということでしょう。意識は仮の姿、無意識こそが、ほんとうの姿といえるように思います。
 動物のわたしは、どこかへ、速く速くと動こうとします。昨日も、山形新幹線はものすごいスピードで走りました。福島までの在来線を走るときには、まだこの世のスピードですけど、福島からの、ほぼ直線なレールを走るときには、この世のスピードとは思えません。羽根が生えれば、たぶん離陸できるほどのスピードです。なんで、そんなに速く走るのか?どこに向って、そんなに速く走るのか?速く走って何になろうとしているのか?
 大地を突っ走る新幹線の座席にうずくまって、小生は眠りに落ちていきました。


2004年3月19日 
吉本隆明さんが『智慧の実を食べよう』(糸井重里編)の中でこんなことを言ってます。
「『日本国家とは何だ』と質問すると、(日本人は)まず間違いなく百人いたら百人に近い人がみんな、頭のてっぺんから足の先まで、自分も質問をした人もみんな含めて、日本列島なら日本列島も含めて、農家の人だったら、自分の持っている田畑のことも含めて、そういうもの全部を入れて全部が日本国というふうに思っていると思います。(略)無意識であろうと、意識的であろうと、そう思っていると思います。それは甚だ東洋的であると思います。
 ところで西洋の先進国、どこでもいいです。アメリカでもいいし、ドイツでもいいし、フランスでもいいけれども、そういうところの人にも『国家というのは何だ』と質問します。ゼロの人も百の人も、多分百%、百人なら百人、『それは政府だ』って言うと思います。『アメリカとは何だ』と聞いたら、要するに『ブッシュ政権だ』と、こう言うと思います。つまり日本人とまるで違うということです。(略)それはどちかがいい悪いじゃなくて、世界の地域を二分しますと、大体そういうふうに言えるので、どちらがいい悪いということはないのです。(略)どちらがばかで、どちらが利口だということもないんです。ばかだと思えばみんなばかだと思えばいいので、それには差別はないよ、と。」
これを読んでいて、たしかに、自分は典型的な東洋人として、頭のてっぺんから、足の先まで、そして海岸線で切り取られた日本地図の日本を、国だと思っていました。政府とは思っていませんでした。政府は、その時代に変わってしまうけど、日本という国は不変のものだろうくらいに思っていました。それは、人間が恣意的につくった観念の体系であったとしてもです。国境線と海岸線がほぼ一致しているということは、特殊な事情なんでしょうね。地続きで、単に線引きされた国境線の国々とは、とうぜん国家観念が違ってくるのも仕方ないことじゃないかと思います。
 アメリカ人のインディビデュアルと日本人のインディビデュアルは、かなり違うんでしょうね。つまり「私有」という観念はアメリカ人の場合、自分の土地は銃をもって死守するということらしいです。いくら国や政府が、その土地を提供してくれと頼んでも、嫌なものは嫌だと銃をもって死守することらしいです。日本人なら、たいていは、明け渡さざるを得ないと考えてしまいますよね。自分の土地を行政に、只同然で取り上げられて、公共の道路にされてしまったということも聞いたことがあります。排ガスや、騒音で環境は悪くなるは、自分の土地が削られるはで、泣いても、最後は泣き寝入りしなきゃならないと語られていました。まぁ、最後は公共のため、みんなのためなんだから、仕方ないんだと考えてしまいます。だって、自分は日本という国に住んでいるんだからと。国という観念が巨大で、私はものすごく小さく感じています。それこそ、国という大きな風呂敷のなかに自分があるんだと。そこから逃れることはできないと感じています。
 でも、アメリカ人の場合、自分と国家、いやいや政府は、対等の大きさなんでしょうね。自分はいまの政府を政府として認めていないと考えれば、それでおしまいです。それは「お前達」であって、自分とは違うと。その「お前達」のなかに自分は入っていないのだと感じるんです。日本人は、「お前達」とは感じないんでしょうね。「自分達」と受け止めてしまうんでしょう。たとえ選挙で現与党ではない党に投票していたとしても、多数決で決まったんだから、政府の意向に従うべきだと考えてしまいます。その辺にインディビデュアルの観念の違いがありそうです。
 突然ですけど、仏教の世界観は、二重になっています。「共」としての世界と「独」としての世界です。「共」という世界は、普通の世界観です。日本があり、アジアがあり、世界があって、地球がある。そういう大きな風呂敷のなかに包まれて自分達が住んでいるんだという世界観です。これは現代人であれば、ごく普通の観念ですね。おそらく日本人でもアメリカ人でも、そこは共通でしょうね。そこに、もうひとつ「独」としての世界を仏教は開きます。つまり、代替え不可能な自己の世界です。これはもうまったく、この世にふたつとない世界ですね。空腹のとき、ひとに代わってご飯を食べてもらっても、自分は満腹になりません。何不自由ない生活しているけど、でも、鬱々とした感覚から逃れられないとか。そのひとにしか感じられない独自な世界です。まぁ、他人からは分からない実存的な世界といってもいいでしょう。
 だから、仏教は「共」という世界の中に、「独」という世界を確立したわけです。そこに真のインディビデュアルを見いだしたのでしょう。「独」の世界を理解するための譬喩があります。
 ここにひとつの茶碗があります。私の目には一個の茶碗にしか見えません。部屋には何本かの蛍光灯がついています。つまり、光源は何個もあるわけです。この茶碗は、一個にしか見えないんですけど、それを照らしている光源はたくさんあるのです。どの光が、この茶碗を照らしているのか、分けることができません。どの光も重なり合って茶碗を照らしています。それを私はひとつの茶碗として見ることができます。
 これはおかしな譬喩かもしれません。解説します。光源というのは、私たちひとりひとりの見ている世界を表します。たくさんの光源があって、茶碗を照らしているとういのは、世界を見つめているということです。一人一人、まったく違った光源をもって、世界を見つめています。あたかも世界はひとつであるかのように、みんなに見えています。しかし光源はまったく違うはずです。つまり「独」の世界はそれぞれ固有のものです。他とは相いれないものです。でも、光が他の光とぶつかり合ったり、反発し合ったりせずに融合しているので、ひとつに見えてしまうのです。ひとつに見えているというのは「共」の世界を表しています。しかし事実は「独」の世界なんです。
 この「独」の世界は誰にも奪われることはありません。「独」の内的世界として、全世界が包摂されてしまうのです。「独」の内的世界が事実であって、「共」の世界は二義的なわけです。この「独」の世界の独立宣言をしなければならないのでしょう。世界が風呂敷のように私を包み込んでいるんではなくて、私が世界を包み込んでいるんだと。逆立しなきゃならないんでしょう。世界の中の私ではなくて、私の中の世界として。

2004年3月20日
何年たっても、御布施を上手にもらうことができなくて困っています。どうもぎごちないんです。恐らく、御布施に見合った何事かを相手にお渡ししていないからでしょう。品物ですと、定価があって、代金として金銭を受け取ることがシックリします。スーパーにいくと、中トロがビニールパックされています。値段を見て、まぁまぁ妥当だと判断した場合には、カゴに入れてレジに向います。もうすでに、値段を見た段階で、これは妥当だとお客が判断できます。しかし、御布施となると、これは定価がないんですよね。まぁ、こっちから要求するものでもないので、これまた困ってしまいます。
 そして、何がしかのお金を御布施としていただくのですけど、どうもそれに見合った何事かを相手に渡していないような気がします。ですから、いつも、どこかに、ストレスを感じてしまいます。これは何年たっても直らないものです。「お前が、財施(経済的支出)に見合った法施(宗教的支出)を門徒に施していないから、後ろめたいんじゃないか!」といわれれば、その通りなんですけどね。後ろめたければ、ちゃんと法施を施せばいいんだということになります。それもごもっともなことなんですけどね。でも、それもどこまで施しても、その手の後ろめたさは残るような気がします。施してもいないで、そんなことを言うのは怠慢だと言われそうですけど。でも、多分そうでしょう。どこまでも釣り合いが取れないというものなんじゃないでしょうか。もし、釣り合いが取れていると受け取れる地点があったとしたら、それは、おかしいように思うんです。どこまでいっても、釣り合いのとれないものだと思っていたほうがいいと思います。
 絶対に見合うハズがないんです。この世の価値と、あの世の価値が対等になるハズがないわけです。もし釣り合いがとれたとなったら、それはこの世の価値に、あの世の価値が還元できたということですから、おかしいのです。そうは分かっていても、どうも後ろめたさが残ってしまいます。
 出すほうも大変だけど、もらうほうも大変なんです。それも純粋に宗教的な謝礼として頂戴したものなら、まだ慰めもつきますけど、案外そんなことじゃない場合が多いんです。「御布施」と書かれていれば、まだいいほうで、法事のときでも「お経料」と書かれたのがありますからね。お経を読む労働に対する対価という意味でしょうね。そうかぁ、声をつかってお経の文字を発声することに対する対価なのかと思っちゃいますね。それならそれで、まぁ納得もつきますけど、でも、自分のやっていることは、文字を発声するということ以上のものなんだという思いがどこかにあるんです。ですから「お経料」じゃおかしいんじゃないかと思っちゃうわけです。大したことでもないのに、なんだか、大げさだよと思ったりもするわけです。
「お話」にいったときにもらう謝礼のほうが、まだ納得している部分があります。それは、自分に対して支払われた謝礼ですから、なんか納得いくんですね。「お経を読む」ということは、まぁ私じゃなくてもいいわけですから。代替えが聞くんですけど、お話をするということになると、私じゃなければダメなんです。つまり、お経を読むという行為に対してじゃなくて、武田定光という人間に対して支払われるからです。それでも、話の内容に謝礼が釣り合っているのかと聞かれれば、それはお恥ずかしいことです、ということになってしまうんですけどね。 しかし、サービス業なんていうのは、だいたいそういう性質を孕んだ職業なんじゃないでしょうか。サービス業とは「日本標準産業分類の大分類の一。旅館・下宿などの宿泊設備貸与業、広告業、自動車修理などの修理業、映画などの興行業、医療・保健業、宗教・教育・法務関係業、その他非営利団体などを含む」(広辞苑)と出ていました。またマイペディアという百科事典によりますと、「第三次産業とほぼその範囲を同じくし、経済の発展が一定段階に達すると国民総生産に占めるこの部門の比率が向上する。最近は情報産業の発達などによりますます重要性を高めている。」「日本では、1974年に第三次産業の就業人口が50%を超え、1998年では63,2%に達する」とも出てました。
 日本では多くの人々が、生活必需品を生み出すとか、つくりだすという産業ではなく、抽象的なことに関わって生活しているということらしいです。ということは、自分の仕事のどこかに済まなさを感じている職業の人々が多いということでしょうか。
 それは、第三次産業や第二次産業だけじゃなくて、第一次産業だってそうだと聞いたことがあります。だいたい、「職業(しょくぎょう)は職業(しょく・ごう)だ」と。仕事は、業なんだいうんでしょう。「海や川に、網を引き釣りをして、世を渡る者も、野山にイノシシを狩り、鳥を捕りて、いのちを継ぐともがらも、商いをもし、田畠をつくりて生きるひとも、ただおなじことなり」と親鸞はいってます。つまり、そうせざるを得ないようなものがあって、そうしているだけであって、別にひとからほめられたり、どうこう言われるものじゃないというわけです。どうしてもどこかに罪業性というものが漂っているのは、そのせいでしょう。いのちを殺して食って生きているということが根底にあって、その上で、あーだ、こーだと言っているわけですから、みんなどこかに罪業を感じて、つまり済まなさを感じて生きているものなんでしょう。そうすると、どんな職業だろうと、どのようにこの世に生存していようと、そういう罪業性と同伴しているわけです。あんまり、大きな口をたたけたもんじゃないと思うんです。いかなる「善」も人間の側にはないものだと、つくづく、そう感じてもいいのでしょうか。

2004年3月22日
真冬に戻ってしまったようです。咲き始めた桜も沈丁花も、さぞや驚いていることでしょう。異常気象といわれて久しいですけど、何年単位でみて、異常なんでしょうね。百年単位なのか、千年単位なのか、万年単位なんでしょうかね。
 そういえば、岩波文庫は、古典の宝庫ですけど、あれも、そこそこ売り上げを保っているようですね。面白いもんです、何百年もまえの人間が考えていたことを、現代人が学ぶんですからね。もし、発展とか、進歩ということがほんとうだったら、ああいう本は読む価値がないということになりましょうねぇ。もう古い人間の考えてたいことだから、振り返る必要はないはずでしょう。でも、「温故知新」という言葉があるように、どうしても、古いということがなかったら、新しいということが輝かないようです。だいたい「温故知新」という言葉自体も古いんですけどね。孔子がいったらしいですからね。
 人間の「生」は日々同じようなことを繰り返しながら、どこかに変化を要求します。まぁ人間は「意味を求める生き物」だともいわれるのは、そのためでしょう。「時間」という観念を知ってしまった人間は、どうしても「意味」を求めざるを得ません。生きる意味を問うということは、おそらく何千年前も、これから何万年たとうと同じ質の問題として残ってゆきます。こういう永遠の課題の深さに、応答してゆくには、どうしても古典を経由しなければなりません。そうすると、古典にこそ、ほんとうの新しさがあるといってもいいのでしょう。古典こそが新しいとね。逆説的な表現です。
 「古い」ということは、「深い」ということとつながっているようです。ここのところ、古代海洋石の粉末を飲用しています。何万年も前の海底の堆積物が化石のようにつもり積もった石です。これを飲用することで、粘膜が丈夫になりました。石なんですけど、それが、何万年の時間をへて<いま>のこの身に染みてゆきます。「古い」ということが、日々の新鮮さを取り戻させてくれます。

2004年3月23日 
自分の内部にしか世界はない!自分の内部こそが世界なんだと、一度言いきりたいと思います。一度、そういうふうに言い切ってしまわないとダメです。言いきった後から、いろいろ考えてみたいと思います。イスラエルとパレスチナの問題にまた火種が投じられて、私の内部がまた痛みだしました。
 もう「許す」ということが、絶対不可能な関係に両者はあるんでしょうね。でも、どんなことがあっても、相手を許せるかという問題を投げかけられて、たぶん、許せないと反応してしまうんでしょうけどね。でも、許せるかどうかは、こっちの器量にかかわっていることなんです。だから、こっちの器量をいかに柔軟に、そしてゆるやかに広々とさせておけるかということだけが、問題なんですね。
 「あの、いいのよぉ〜」というテレビ・コマーシャルを思い出します。あれは確かプリンターのコマーシャルでしたね。そのプリンターで印刷された地図を広げながら女の子が道を歩いていると、間違って水をかけられてしまいます。たぶん有名な女優さんなんでしょうけど、小生には分かりません。そのとき、女の子は笑顔で「いいのよぉ〜」と言うんです。どんなに水をかけられても、そのインクは落ちないので、全身に水をかけられても笑っています。そしていつでも、言う言葉が「いいのよぉ〜」なんです。あれは、耳に残ったコマーシャルでした。 いつでも、笑顔で「いいのよぉ〜」と応答できる異様さが印象的でした。あれは、演技だから可能なことなんですけど、でも憧れてしまいました。「いいのよぉ〜」と全面的に相手を許せるということは、人間のこころの深いところで、誰もが願っている衝動なんじゃないでしょうか。
 だいぶ世知辛い世の中になって、いつ自分が「オレオレ詐欺」で騙されるか、「メールアドレス売買」に引っかかって、不正請求されるか、ピッキングの被害に遭うか、戦々恐々となっているのが、東京の人間の心情じゃないでしょうか。スペインのテロ以来、東京でも電車のなかに警官が乗り込んで、警戒を強めています。ニュースを見ていると、どうもピリピリした雰囲気が伝わってきますね。ほんとに、過敏に、そして過剰に反応しすぎるアレルギーのような心性になってしまっているようです。
 あのコマーシャルのように「いいのよぉ〜」とのんびり受け止められる心性に憧れるのも理由がありそうですね。でも、ああいうコマーシャルに、ついつい引き込まれてしまって、商品を買わせられるんじゃないかと恐れているひともいるんですね。小生は、例の「シャパネットタカダ」で商品を手に入れることがあります。ひとから言わせると、あのコマーシャルに騙されているというんですけどね。でも、あの社長の話し方も魅力的ですけど、割合にいい商品を安く提供していると思います。まぁ、最終的にはコマーシャルに踊らされていようと、だまされていようが、どうだろうと、自分が最後は責任をもってやるしかないんです。だから、自己責任だと腹をくくっていればいいことなんです。あの社長に騙されても文句ないなぁ…と思ってしまうのでした。
 まぁ「いいのよぉ〜」といえる腹ができていればいいんだと思います。
話は全然変わります。肉親を殺されたときに、それでもお前は「いいのよぉ〜」と言っていられるのかという声が聞こえてきます。林郁夫の撒いたサリンで亡くなられた地下鉄職員の奥さんがテレビに出ていました。あのときは、林のために死刑にしないでくださいと裁判所に陳情書を書いたひとです。でも、いまは、そうしたことがどうなんだろうか?と搖らいでもいました。自分の夫は殺されてこの世にいないし、でも林は生きている。しめしめ生き延びられたと思っているのかもしれないと涙ながらに語っていました。最終的に、どういうふうに心が落ち着いていくのか、それを見つめてゆきたいと思いました。
 被害者も加害者も、ともに潜在的に被害者じゃないのかと思えてきました。今朝のニュースでも、ひき逃げ事件を報じていました。そういう加害の罪と、被害の悲惨とを引きずってゆかなければならないのが人間というものなのでしょうか。


2004年3月24日
今日は何をして過ごしたのか?と自分に問うてみても、なんとも答えようのないものが、日常というものなのでしょう。朝は少し禁欲的に、ご飯を多めに食べないようにしておいて、夕方にはガツガツと飲食に興じるという日々を送っているような感じでもあります。
 今日、オレは、○○という大きな仕事をしていたのだと、みんなに臆せずに言えるような仕事なんて、この世にないのかもしれませんね。まぁ、現代では「公」の仕事が重たく「私的」な仕事が軽いと見なされています。アルバイトで一日はたらくよりも、公務員の会議のほうが重たいと見なされます。「公」の仕事には「私的」な欲求が混じっていないから、重要に感じるんでしょうかね。いわゆる「公務」というものは、いつでも、上位にあると受け止められてきたようです。「公務」ですから、「私的」な関心としては、嫌々であっても、みんなのために渋々やっていることだから、上位なんでしょうか。
 消費資本主義といわれる経済体系のなかに生きていて、ほとんどのひとが生産ということから、分離して生きているわけです。生産活動は、重苦しくても、消費は欲望の解放ですから、貯まっていた欲求を放出することです。しかし、生産のプレッシャーがないところに、消費に比重がかかってくると、もう消費すら欲望の解放感がなくなってしまうのでしょうね。風船だって、貯まっている空気がプレッシャーとなって、破裂するときには一気に放出のエネルギーになります。その空気のプレッシャーがなくなってきたようです。つまりハレとケとケガレ論で考えると、ケの状態が少なくなってきたのでしょう。ケとは鬱々とした日常であって、生産のために欲求にプレッシャーをかけることです。そしてケが枯れてきて、ケガレ状態になり、一気にそのプレッシャーに火がついて、ハレとなるわけです。
 このケ→ケガレ→ハレ→ケ→ケガレ→ハレというサイクルが、昔は長い時間を要していたのですけど、現代では一日の中で行われているように感じます。朝禁欲的になり、昼間持続的になり、夜享楽的になるというサイクルです。
 ここのところ寒い日が続いているので、気分まで鬱々としてきますね。いわゆる「ナタネヅユ」(菜種梅雨)というのだそうです。菜の花が咲くころには、こんな天気になるそうです。天気と気分というのは、すごく密接に関係しているように思います。こういう天気のときには、ケガレてしまいます。まさにハレ(晴れ)を欲求しますね。天気がどんよりしているから、逆に、酒で人工的にハレを作り上げようという欲求がはたらくのでしょうか。自堕落になってくると、体はシンドイし、精神的にも鬱々としてきて、「これはどうしようもないなぁ…」と呟いたりするんですけど、案外、そういう頽廃的な感覚も、好きだったりして、おかしなもんです。そういう自分から少しだけ距離を置けると、少しだけ自由になれたような気がします。「牡丹と薔薇」(フジテレビ番組)を見ているときに、そう感じました。
 


2004年3月28日
一道は万路につうず。しかし、万路は一道を得ず。

二兎(にと)を追(お)う者(もの)は一兎(いっと)をも得(え)ず《故》
 二匹の兎(うさぎ)を同時に捕まえようと追いかけても、結局一匹も捕まえられなくなる。同時に異なった二つのことをしようと欲張っても、どちらもうまくいかないものである、という意。ローマの古いことわざ。
〈原文〉If you run after two hares,you will catch neither.〔二匹の兎を追えば一匹の兎も捕まえないだろう〕
〈類句〉虻蜂(あぶはち)取らず
≪三省堂 必携故事ことわざ・慣用句辞典≫
と辞書に載っていました。
 
 法然が、いままでの仏教から「浄土宗」を独立させようとしたということに大きな意味があると感じています。上の辞書をなんでもってきたかといいますと、この「宗」ということを考えたいからです。法然までは、南都六宗と天台・真言までが国家認定の宗教ということになっていました。そこに「淨土」を「宗」とするという独立宣言を打ち立てました。当然既成の教団からは、批判が出てきました。それが『興福寺奏状』です。1、新宗を立てる間違い。2、新像を図する間違い。3、釈尊を軽んずる間違い。4、万善をないがしろにする間違い。5、霊神を敬わない間違い。6、淨土を誤解している間違い。7、念仏を取り違えている間違い。8、国土の秩序を乱した間違い。このような箇条を立てて法然の浄土宗を批判し、そこから弾圧が始まりました。
 つまり、既成教団は、ときの権力者から認定された教団でなければほんとうの教団ではないと批判しています。自分だけで宗を立てたのでは混乱するだろうというわけです。これはいまでもそうですよね。まぁ宗教法人法という法律に合致していれば、宗教法人になれるわけですから、現在はいろんな宗教団体が成り立っているわけです。その法律に合致していなければ、そんなものは宗教団体ではないと見なされてしまいます。宗教法人の教化活動については事業税もかかりません。境内地も非課税ですから、狡賢いひとが、そこを狙って、脱税工作に宗教法人を売買しているようなことも聞いています。実際、うちにも、「宗教法人を買いませんか?」という電話がかかってきたことがありました。
 またいま、いろいろマスコミを騒がしている釈尊会に象徴されるように、新興宗教や新々宗教などは、どうもうさん臭いという感じが漂っていますね。その煽りを受けて、既成教団も、宗教と名のつく団体は、全部うさん臭いというレッテルがベッタリと貼られているように感じます。だから、だれか、これらを一掃して、これこそが、正真正銘の宗教団体だと認定してくれないかなぁという要求も起こってくるわけです。そのときには、どうしても、公の、つまり客観的な公準が要求されてきます。そこに出てくるのが国家とか、政府というものの示す公準でしょう。国がとか、政府が、認めているのだから、まず間違いないだろうと考えてしまいます。でも、その公準が「宗教法人法」なんですから、これはあっても、無きが如しです。だいたい宗教法人法は、宗教とはなにか?ということを判定する法律じゃなくて、宗教法人の財産が誰に属し、どのように管理されているかということを判定する法律です。だから、無力なんです。そもそも宗教とはなにか?なんて、だれも決めることができないからです。「宗教」という言葉は、霞みたいなもんです。そこに漂っていて、在るように見えるんですけど、実際にそこへ行ってみると雲散霧消するようなものです。ですから、言葉だけがあって、実体がないんです。
 そこから、公準を決定するのは、国家ではなく、いきなり個人というレベルになってきます。自分が決めるということ以外に、正しい宗教か、間違った宗教かを判定することはできません。でも、現代人は、「個人」を生きているように見えて、実は「個人」を生きていませんから、個人で判断することに自信がもてません。自分で考えたり決定したりすることは間違っていると思っています。つまり自信がないのです。ですから、なにかに頼ろう、だれかが判断してくれた正さに身を任せようとします。でもこればっかりは自分で判断しなければならないんです。自分の鼻を頼りに、自分の勘を頼りにしなければなりません。そこに「宗」ということが問われてくるのです。
 法然の周辺に集まってきたひとたちは、かなり自由な感じを得ていったのだと思います。念仏に酔いしれて好き放題のことをしたり、あえて悪戯に浸ってみたり、わざと飲酒・邪淫に耽ってみたり、いままで恐れていた神様に屁を吹っ掛けてみたり…。つまりそういうことは社会の風紀を乱すことにもなりますし、秩序がメチャメチャになるじゃないかという批判を受けるわけです。まぁ造悪無碍という感性ですね。阿弥陀さんは悪い奴やら愚かな奴こそ、救ってくれるんだから、わざと悪いことや、ひとの嫌がることをしてみたり、そういうことがいいことなんだと考えていくわけです。それはいままで規制して我慢してきたことを、解放するという一種のデカダンスでもあるわけです。いままでケが枯れてきたものを、一瞬にしてハレへと爆発させるエネルギーでもありました。
 夏目漱石風にいえば、「露悪者」というのでしょうか。わざわざ自分の欠点なんかを大衆の前にさらけ出したり、自他ともに顰蹙だと、眉をひそめるようなことをしてみたり、そういう傾向をもったものを露悪者といいますね。大衆の嫌がることをしてみて、眉をひそめる顔を見て面白がったりという傾向性が「露悪」です。それは公序良俗を守って暮らしている人間にとっては、許しがたい行為なんです。そんなことをしたら秩序がメチャメチャになってしまうじゃないかという批判も分かりますね。
 小生が学生の頃、いつでも、どこでも衣を着て行動しているひとがいました。私服の上に簡衣を着て歩いていました。それこそ学校にいるときでも、河原町に飲みにいくときでもです。小生は、「あんなこと、やめればいいのになぁ…」と思っていました。たぶん、彼は、信仰はいつでもどこでも成り立つものじゃなきゃダメだという思いがあったんだと思います。それで、呑み屋にいくときにも簡衣をつけていたのでしょう。つまり、衣を着ていないと、宗教性が損なわれると感じていたのではないでしょうか。そんな宗教性はメッキみたいなもんです。それよりも、彼を見た大衆が、彼個人を批判するのではなく、現代の宗教界そのものを批判する目をもってしまうことに危惧を感じました。ひとりの行動が、ひとりの行動を超えて影響を与えるということがあるんです。それは問題なんです。現代版の造悪無碍です。
 しかし、サリンを撒くというような造悪は、これは絶対にノーです。やりすぎです。造悪にはどうしても、許容範囲があるように思います。でも、造悪は長続きはしないもんです。悪をつねに、真面目に(?)行おうとすることは、善を行う以上に難行苦行ですから。だいたい、造悪には限界が必ずやってきます。社会の側からは、弾圧までいかないにしても、批判がありますし、内部的には、徐々に鎮静化していくものです。新興宗教に入信する場合でも、初代は熱心です。熱狂といってもいいくらいのエネルギーがあります。しかし、二代三代になると、それは鎮静化してゆきます。
 親鸞は、宗教性の内部に入るには条件はないといいます。条件がないということだけが条件だといいます。宗教性の内部に入ってしまったら、これは、当たり前になってしまうんです。無感動になってしまうのです。ですから、いつでも宗教性を新鮮に体感できる場所に身を置いて置くわけです。それは、宗教性への入り口に立つということです。内部には決して入らない入り口の場所です。そこ以外では宗教性に触れえないからです。つねに「外側にいることだけが内部を感じる場所だ」というのです。 
 ですから、宗教性の内部にあるものだと自認している人間を批判するのです。造悪無碍をする人間は宗教性の内部にあると自認しているわけです。自分の行為が、何がしかの宗教性に影響を与えるのだと考えているからです。でも、宗教性の外部にあれば、どのような行為も宗教性とは無関係、無縁の場所になります。それを歎異抄では「業報にさしまかせて」といっています。行為は、自分の意志を超えている次元にあります。だから、「宿業のなせるワザだよ」といいます。なぜラーメンじゃなくて、日本ソバが食べたいのか?なぜ、そうしたのか?それは説明がつかないんです。
 六本木ヒルズの自動ドアに六歳の男の子が挟まれて死にました。だれがそうしたのか?なぜそうなったのか?それは分からないことです。いやいや、後からならいくらでも、言い訳できますけど。事件は、人間の意志をいつでも超えています。マスコミが騒いでいるので、大変なことのように思いますけど、ああいう事故になるかならないか、私たちはギリギリのところで日常を送っているわけです。ですから、何にも不思議ではないのです。
 子どもが舗道からちょっと、車道に走り出たために、車に轢かれて死ぬということは日常茶飯事なんです。なんにも不思議はないんです。運転手だって殺そうとおもって走っているわけじゃない。たまたま偶然と偶然が重なって起こっているだけなんです。そこには、人間の意志を超えた「縁」という世界があるだけなんです。そういう時代性を私たちは生きているんです。嫌でもなんでも。そのギリギリのところを、私たちは日々送っているんです。ギリギリのところで、たまたま死ではなく生の側にベクトルがあるだけです。無形ではなく、有形の側にあるんです。でも、必ず無形の側にいくんですからね。別に不思議ではないのです。 
 話を戻しましょう。「宗」ということは、自分がどこに立っているのか?と問いかけてきます。何を中心にして生きているのか?と。明治の曽我量深という念仏者と鈴木大拙という禅者の関係がそれを見事に教えています。曽我量深は鈴木大拙に向って「あんたは言い過ぎだ」といいます。大拙は量深に対して「あんたは遠慮しすぎだ」といいます。大拙は「あんたは、もう仏に成ったと言ってしまえばいいんだ」と。しかし量深は「自分は仏ではない、あくまで凡夫である。しかし、仏を証明する凡夫なんだ」と。二人は生涯、禅と念仏と違う立場に立ち尽くしました。つまり「宗」は異なりました。しかし、異なっていましたけれども、見ている世界は同じだったように思います。そこまで「宗」を徹底していくと、最後は一致するんですね。「不和の和」「不二の二」とでもいいましょうか。それは同化ではありません。立場は違っていても、同じ世界を感じることができるんです。それが「宗」の面白いところでしょう。同じ「宗」にしようとすることは、かえっておかしいんです。それぞれが自己の「宗」を徹底すること以外に同感はないのだと思います。


2004年3月29日
21歳の青年の死。眠るように柩の中に横たわっておられました。写真は、まるで遺影には見えないで、ラガーシャツを着た青年の記念写真のようでもありました。思い出の品々が柩の上に置かれています。クマのプーサンのマスコット、彼女とのツーショットの写真。
 突然の死に、ご両親や兄弟は、ただ泣き崩れるばかりでありましょう。小生も読経をしていて、とても悲しくなったり、自分の子どもと置き換えて考えてみたり、複雑な感情を体験しました。いままで、まったく「死」ということとは無縁のところにあったのですから、まさに、突然としか言いようがありません。ただただ、泣き通す以外に為す術はありません。
 「運命というものが、あるんでしょうかねぇ?」とお父さんに尋ねられたので、「それは、生きている人間が自分を慰めるために、発明した言葉でしょうね」というようなことをお伝えしました。生きているのも、そして死んでいくのも、人間の意志とは無関係にあるものですから、人間にはどうすることもできません。もはやすべてを如来にまかせる以外にありません。
 人間は、遅かれ早かれ一度は別れなければなりません。そんなことは頭でじゅうじゅう承知しているんです。でも、まさかこんなに早くと思ってしまいます。ただただ頭を垂れるのみです。
「涙には、涙に宿る仏あり、この御仏を法蔵という」という木村無相さんの詩を思い出しました。人間は涙を流す生き物です。その涙は、単なるしょっぱい体液ではありません。その涙に宿っている仏さまがいるんだというのです。その御仏が、働いて、その涙を浄化してゆくのでしょう。涙にどうか御仏を見いだしていただきたいと願います。
 泣いて泣いて、泣き疲れて、涙が枯れるまで泣いて、そこから、ようやく遺族が立ち直ることができてくるのでしょう。悲しみも、四六時中あるわけではありません。故人を思い出すときに、より悲しみが襲ってくるのです。故人を忘れている間は、感情は動きません。記憶の中の故人とコンタクトしたときに、初めて悲しみの感情が涌きおこってくるのです。初めはものすごく大きな感情の揺れが襲ってきます。しかしそれが時間とともに、少しずつ小さくなってゆきます。
 悲しみの底の底まで降りていって、そこから少しずつ癒され立ち直ってゆくのでしょう。私たちの心は身近な人々によって守られています。ちょうどサッカーボールのようにできています。あのボールは、白と黒とが継ぎ接ぎになっていますよね。継ぎ接ぎの革がつなぎ合わされてボールになっています。あの継ぎ接ぎの白と黒は他人の存在なんです。白は母であり、黒は父であり、右の黒は兄であり、左の白は妹であり、知人でありと、そういう人間の革で、私のこころは守られています。ボールの革は均等の大きさですけど、こころのボールは均等ではありません。両親の革は大きく兄弟は、その次のサイズでしょう。友達も同じようなもんでしょう。ですから、両親が亡くなると子どもは、こころが破壊されたようなものなんです。その破れてしまった革を修復するのには、時間がかかります。親にとって子どもも同じように大きなサイズです。破けてしまったら、これまた大変な修復の時間がかかります。でも、必ず修復できる柔軟性をもっているのが人間のこころのボールでもあります。
 最後の最後には、念仏よ、起ってくれ!と願わずにはいられませんでした。
 こんな悲しみに遭いながらでも、残された人間は生きていかなければなりません。一緒にあの世にいってしまいたいと思うこともあるでしょう。でも、それもできません。なぜなら、この身は、自分の所有物ではないからです。あくまで如来からの預かり物です。縁が尽きるまで、放棄することはできません。縁が来れば、嫌でも放棄せざるを得ないのですから。


2004年3月30日
●「身体も、私の身体ということがあって、身体というものも、なお対象的に外に見ることができる。私の身体となるから我所である。対象化される限り我所である。私の意識が私かというと、我々の心理もまた、私の心理として対象化される。すると、私そのものとは、全く形式というもの、ほとんど内容にならぬものとなる。だから我執は、その形式に対する先験的情緒である。」(『安田理深選集』第3巻「唯識三十頌聴記」)

 昨夜の唯識の勉強会で、感動的に学んだ文章です。私とは何か?と問い詰めてゆくと、私といえるようなものはないということに行き着きます。私の考えや行為はあくまで、対象化されたものです。対象化された範囲内でしか知ることができません。「あんなこと言わなきゃよかったなぁ」とか、「あんなこと、なんでしてしまったんだろう」とか、「もっとこうしておけばよかったのになぁ…」と、人間は自分の心や行為をこころの中で思い起こすことができます。それも、ビデオレコーダーで録画したように思い起こすわけではありません。そこには、必ず評価が含まれています。良かったとか悪かったとか、まあまあだったとか、後悔やら反省やら、ときには有頂天になったりもします。それら全部、評価が入っています。
 しかし、その評価をしているもの、反省をしているものそのものは見ることができません。ですから、私は、私の知っている範囲内を「私」だと思っているだけです。何が私かを追求していくと、最後は分からなくなってきます。ですから、安田理深先生は「全く形式というもの、ほとんど内容にならぬもの」と表現されています。
 「私」というものがまずあって、生きていると普通は考えています。この「私」は自明のことですから、問うこともありません。普通の日常生活をしていて、「私とはなんだ?」と考えている人間はいません。そんなことは問うまでもないこととして、あるのです。職場の普通の会話の中で「すみませんけど、私とはいったいなんなんでしょうか?」と問うたら、ちょっと変人じゃないの!と思われちゃいます。ですから、そういう疑問は、たとえ、万が一、起こったとしても、こころの奥深くに隠して見えないようにしてしまうんです。「おれ、なにバカなこと考えてるんだろう…さてっと、仕事、仕事」と自問自答の末に、無意識の奥底に隠して封印してしまうことでしょう。でも、奥底にしまって、カギまでかけたのに、あるとき、フッと、そういう問いが、ムクムクと沸き起こってくるときがあるんです。この問いは、人間の無意識がもっている本能のようなものですから、意識で隠しおおすことはできません。でも、そんな問いを、真面目に話せる場所がないんです。たましいの解放区がないんです。
 おそらくオウムに吸いよせられていった人々は、たましいの解放区を、そこに見いだしたんでしょうね。やったことは最惡でも、オウムに近づいていった動機は、ものすごく純粋なものだと思います。娑婆では、ちょっと気恥ずかしくて、真面目に問うことができない問題を、オウムでは正々堂々と正面切って話題にすることができたんですからね。
 この「私」という問題は、実に盲点であって、いまだ未開拓な原始林のようなものでしょう。「私」という知によって把握された世界は、ものすごく緻密に科学的に解明されてきました。DNAのようなミクロの単位から、果ては火星探査まで、しかし、この「私」そのもの、それらを対象的に研究している「私」そのものは未開だったのです。安田先生がいわれるように「全く形式というもの、ほとんど内容にならぬもの」ですから、見るのも恐ろしいものです。夜空を眺めて宇宙の深遠を感じることがあっても、この「私」そのものが深遠だなんて、だれも感じたくはありません。「私」だけは、確固とした存在として「在る」と言いたかったんです。しかし、「白昼の死角」のように、「私」があったわけです。問い詰めれば、無内容で、分からないものなのです。在るように思っているだけであって、それは「形式」に過ぎないわけです。ですから、我執とは、「形式に対する先験的情緒」だと安田先生はおっしゃるのでしょう。「私」はあると思っている感情だけがあるのであって、それは「先験的情緒」だと。本来、無内容のものなのに、その無内容なものが在るとして、本能的に執着するわけです。
 ほんとうは「私」などという実体はないわけです。在るように思っているだけであって、本来は無いのです。「私」と考えさせるような作用があるだけであって、実体はありません。それなのに、テレビの番組争いが起こるんですね。「ニュース」を見たいという奴、「笑っていいとも」を見たいという奴、「思いっきりテレビ」を見たいという奴。個人の嗜好や興味が違いますから、どうしても、争いが起こります。後は自分がチャンネル権を奪取できるか、あるいは相手に服従して涙を呑むか。殺すか殺されるかしか残っていません。
 自分の我を通そうとすると、必ず相手とぶつかり合います。本来、無いはずの「我」が前面に出てきてしまうのです。どうして、そこまで自分のワガママに対して、誠実に動こうとするのでしょうか。何か、それほど、大切なものが「私」というものなのだと、暗示しているように思えてきます。ワガママに振る舞わせることによって、「私」の独尊性を教えようとしているのではないでしょうか。絶対に他者とは相容れないほどの独尊性が「私」にはあるのでしょう。唯一絶対無二の存在が「私」なんですね。本来、他と比べることもできないほどの独尊性なんです。
 「無内容」といいましたけど、それは、何も無いという意味じゃないように思います。無内容とは、逆にいえば、全世界が自己となっているという意味じゃないでしょうか。全部が内容となっているのでしょう。特別なものだけが内容になっているわけじゃありません。つまり全世界によって成り立たされているのが「私」というものだと言ってもいいのでしょう。「私」の先祖は三十代さかのぼると十億七千万人ほどになります。十億七千万人によって成り立っているのが「私」であるのです。つまり、「私」とは、十億七千万人そのものであります。全生命即「私」、全先祖即「私」であります。生命の縦軸には、全生命の歴史があり、横軸には、広大な環境との融合があります。空気は木が出した酸素です。空気と融合しなければ「私」は存在しません。水も大地も、食べ物もすべて融合しています。時間と空間に融合し、それらによって成り立たせられているのが「私」ですから、無内容ということは、全宇宙を内容としているということでもあるのです。ですから「私」ほど広大なものもありません。「私」ほど、深遠なものはないのです。そこに独尊性があるのです。
 それほど広大であり、深遠な存在なんだぞ!そういう存在であることに目覚めよ!というために、如来は人間に「ワガママ」という特技を与えたのでしょう。「ワガママ」は独尊性に目覚めさせるための如来の暗示だったのです。


 

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