住職のつぶやき2004/04


                                                                                                                                                            ( ※もといた場所へ戻るときは、「戻る」キーでお願いします)

2004年4月1日

 「一々の現象の中にその現象を生み出す背景がある。一々の現象の中に、現象を生み出す源泉がある。一々の中に全体がある。意識の源泉には隠れた底があって、一々の現象はその中に潜在している。一々の現象は、無限に深い底から顕現する。それが現行(ゲンギョウ)である。そして、意識には、現象の中に無限に深い実在根拠がある、それを種子(シュウジ)という。現象というものは、どこまでも深い底から起こる。その底が現象の外にあるのではない。現象は無限に深いものの現象である。」(『安田理深選集』第3巻「唯識三十頌聴記」)

 一昨日も書いたのですけど、「私」は十億七千万人全体で出来上がっています。ですから、「私」という現象は、無限に深いのでしょう。いま、桜が満開ですけど、あの花が咲くには、根っこがあって、これまた幹と同じだけの大きさをもっているのです。人々は花の美しさだけに目を止めますけど、見えないところに根っこがあります。私も同じで「私」という現象の根っこは無限に深いいのちの歴史をもっています。少なくとも自分が自分になるためには46億年かかっています。いのちの根っこは、どこまでもさかのぼってゆきますから、宇宙開闢のところまでさかのぼれるのです。現象としては「私」ですけど、その背景は無限に深いものです。

 「一々の中に全体がある」とは、「私」の中に全宇宙があるということでしょう。あなたの中にも全宇宙があるのです。それぞれが唯一無二の存在でありながら、全体であるという面白い関係です。私の存在根拠は「無」といわれるほどの広さをもっています。全宇宙ですからね。

何かがあって、自分になったわけではないのでしょう。もともとは無なんでしょうね。無から起こってきて、「私」になっているのです。「私」が現象の世界に入ったのは何十億年も前のことなんでしょう。最初に無から有になったのは、どういう経過だったのか、それは分かりません。そのきっかけは有のほうではなくて、無のほうにあったんじゃないかと想像しています。 親鸞は「法身は、色もなし、形もましまさず。しかれば、心も及ばれず、言葉も絶えたり。この一如より形を現して、方便法身と申す御姿を示して、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願を起こして、現われたもう御形をば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来と名づけたてまつりたまえり」と書いています。その「法身」の事情によって、「一如」から現象の世界へと存在が芽生えたのでしょう。まあここでは親鸞は、阿弥陀さんのことについて語っているのですけど、小生は自己の身体に置き換えて考えています。この肉体だって、「法身」といえないこともないのです。その場合は「方便法身」といいます。法性法身は現象を生み出す根拠ですし、方便法身は現象となった法身を表します。どちらも「法」という秩序によって成り立っている「身体」ですから、「法身」と言ってもいいのです。親鸞はそこまで考えていたかどうか分かりません。でも、親鸞の言葉にヒントを得て、小生が勝手に考えてみると、そういうふうに受け取れます。

 一番身近で考えやすいのが、私の身体なんです。ですから、いつでもそこへ引き戻して考えてゆきたいと思います。もともとは無かったものが、いま「私」として、ここに、仮に在るわけです。もう何年も生きないわけです。そして宇宙と溶け合ってゆくわけです。無いものが仮に在るのです。ですから、お昼のメニューを選ぶのにも真剣になります。教学館の二日目の昼食は、店屋物をみんなで取ります。カレー南蛮にするか、天ザルにするか、それとも丼にするか。いろいろと迷います。一生に一回しか2003年3月31日のお昼ご飯は食べられないんですからね。何億年前にも、何億年後にも、この昼御飯は存在していないのです。まさに宇宙にたった一回の昼食という出来事です。それもメニューを見て注文するのは、時間の都合上、朝食の直後となっています。これが、また苦痛な選択なんです。だって、朝食の直後では、お腹がいっぱいで、空腹感がありませんから、メニューを見てもイメージが湧きません。自分がお昼には、これが食べたいだろうと予測して注文を出すわけです。でも、未来の自分なんか誰も分かりませんから。途中で気が変わったりするわけです。若者は、何を食べるかについては意外と無頓着ですけど、老人は必死です。残り時間がありませんからね。

 メニューを見て、最初に決めたものが、グラつくことがあるんです。カレー南蛮に決めておきながら、みんなが、他のものを注文すると、それもいいなぁと思って、変更したりします。でも、やっぱり、もとへ戻そうということもあるのです。何をバカなことをやっているんだと思われますけど、それほど生きることに必死であるということなんでしょう。一部には、単に食い意地が張ってるだけじゃねぇか!という意見もあるんですけどね。

 しかし「人間の、最終段階でも残っている欲望は食欲だ」とよくいわれますね。たぶん、それはほんとうなんだろうと思います。それも単にエサではなくて、「食事」といわれるように、食というシステムを食べるわけです。うちの門徒で、何十年も旦那さんを介護している方がおられます。介護施設に旦那さんは入っているんですけど、病院の食事は食べないのだそうです。それで、奥さんが毎日、食材を擦って、ペースト状にしたものを持ってゆくのだそうです。そうすると、ようやく食べてくれるのですと語っていました。人間は単に栄養を摂るというだけじゃなくて、食に含まれる愛情とか、思いやりを一緒に食べているわけです。

 ですから、単に食べるといっても、何を食べるか、どういうふうに食べるか、誰と食べるか、ということが重要になってきます。

 仏教でも「四食(シジキ)」といって、食を考えています。1、段食。2、触食。3、思食。4、識食。1段食とは、普通に食べる食事のことです。一度に一生涯の食物を食べるわけにはゆきません。やはり段階的に、毎日少しずつ食べるので「段食」といいます。2、触食は触覚ですね。触れるということが、人間を豊かにし癒し、栄養になるというのです。肌と肌の触れ合いも大事なんですね。触覚は、非言語的な触れ合いですから、とても大切なのでしょう。日本人は、あまり肌と肌の触れ合いが得意じゃありませんけど、小生は少し得意です。何かというと、すぐにひとに触りたくなるので、ちょっと、日本人には向いていないなぁと思ったりもしています。3、思食は、考えるということです。考えるということも人間の栄養になっているというのです。確かにそうですね。何も考えないということは、人間にはありません。何かしら考えています。考えることをやめようとして、やめようとすることを考えています。眠っていても夢をみますから、何かしら考えているのです。人間にとって「考える」ということと、「生きる」ということは同じ出来事のようです。ですから人間を養うのでしょう。4は、識食です。これは3の思食と重なっているようです。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識に感じられるものを食物としているということらしいです。眼で桜をみて、鼻で匂いを嗅いでは、こころが癒されるわけですから、これも私たちの栄養なのでしょう。

 考えることも食事だというのは面白い考えだと思います。私にとっては、親鸞の言葉や吉本さんや安田先生の言葉などが、食事になっているのだと思います。それらの言葉に触れていると、私が一方的に言葉を吸収するというよりも、自分のなかにフツフツと何かが沸き起こってくるんです。これが不思議なことです。先輩の言葉が私の身体の内部に栄養とされていくと、私の内部で何かが動き出し、私から放出してゆくのです。これは面白いことです。教えのもっている特性でしょうね。教えの言葉を聞いたら、聞いたひとのなかで、教えがひとりでに何かを生み出してゆくのです。自分はどこまでも器なんだと感じられます。教えが自分の内部で勝手に増殖してゆくのが面白いです。

2004年4月3日

今月の言葉

坊さんは

いい玉を投げるピッチャーになりたがる

そうやない

ほんとうは

どんなヘボ玉でも

ちゃんと取れる

いいキャッチャーになるこっちゃ

(山辺習学先生の言葉として西本文英先生から

武田定光が聞いた言葉)

ここでいわれている「玉」は、「言葉」の譬喩です。つまり、坊さんは、ひとに対して、法を語ったりするとき、いい言葉を相手に語ろうとします。相手を感心させてやろうとか、感動させてやろうとか、少なくとも、相手によかったなぁと感じさせる言葉を吐こうとします。これは、言葉を商売にしているひとたちにとっては、共通の問題なんでしょうね。

 でも、それは本義ではないと山辺先生はおっしゃっていたそうです。まず、相手がどのような暴投をしてこようとも、どんなヘボ玉を投げてこようとも、それをこぼすことなくちゃんと受け止めることができるようになれというのです。それは、相手の言葉をちゃんと聞けるということでしょう。相手の言葉をちゃんと受け止められなければ、相手に投げ返す言葉もおぼつかないだろうというのです。これは、いい玉を投げること以上に、大変なことなんです。

 今月から教学館ではカウンセリングの演習を学んでいます。この言葉は、カウンセリングの中心課題と共通しています。カウンセリングと聞くと、すぐに、テクニックを覚えるのかと偏見をもってみられがちですけど、そんなことじゃありません。日常生活で、ひとの話をちゃんと聞けているかどうかということの確認です。ちゃんと、ひとと向き合って生きているのか?という確認です。ですから、テクニックがあったとしても、それは二義的なことです。中心のところは、まず他者に対する敬いと愛だと思いました。第三者以上に家族を一個の独尊者として敬うことは難しいです。でも、そこでできなければ、第三者と会っても難しいことでしょう。

 山辺先生の言葉を、直観的に今月の言葉として書いてはみたものの、その意味を実際に尋ねてゆくと、難しく、また大きな問題だということをあらためて感じました。

 いい玉を投げようとすることも、大切な面があると思うんです。やっぱり、相手を思って、できるだけ分かりやすく、納得しやすいように、意味を伝えるということも大切だと思うんです。なんでもかんでも聞いてりゃいいのか、ということになると、ちょっと違うと思います。言いたいことは、ちゃんと相手に理解しやすいように表現するということは、ある種の誠実さでしょう。言いたいことを我慢していてばかりでは、ストレスがたまってゆきますからね。たとえば、こんな場面があります。

 「長年念仏を称えてきて、一度は感動をもって称えていたんですけど、いま念仏を称えても、嬉しくもなんともないんです。これはどうしたことなんでしょうか?」とクライエント(患者)

が語りました。その時、「そうですか、念仏しても嬉しくもなんともないんですか…苦しいでしょうね」とセラピストが答えることもできます。でも、あるセラピストは「そうですか。実は、私もそうなんですよ」と答えています。そう答えたとき、クライエントの眼の輝きが変わりました。まぁどういうふうにセラピストが答えるかということに、正解はありません。唯一の正解は、相手の眼が輝くかどうかでしょう。それは、そうなることもあるし、そうならないこともあります。でも、セラピストがどう答えるかというのは、そのひとの存在全体が問われてきます。つまり、どんな言葉で応答するかというのは、その人の人生全体がかかっているわけです。そのひとが生きてきた人生の重さでしか答えられないわけです。

 相談に来るひとは、ああしなさい、こうしなさいという指示を聞きにくるわけじゃないでしょうからね。そこには、お互いに苦悩する存在を引っさげて、対面するということしかないんです。問うのも、答えるのも、それは全存在をかけて、応答しているわけです。

 まあ、問いの質も浅い問いから、深い問いまで、深度の違いがありますけどね。でも、やっぱり、単純な受け答えのなかにも、全存在、全人生が表現されているのだと思います。やがて、お互いに、存在から非存在へと入ってゆかなければならない身の上として、出会っていかなければなりません。そのへんまでお互いに深まったときに、そこに何かが動くのでしょう。そういう動きがなければ、眼が輝くということはないようにも思います。

 その場面では、セラピストとかクライエントとかの役割も超えてしまうんでしょう。弟子と師匠という役割も超えてしまうんでしょう。そして裸の実存対裸の実存がむき出しになるんでしょう。

 いま、竹の子が旬です。この竹の子の苦さを感じたとき、原始人だったときの自分を感じます。蕗の薹でも、苦瓜でも、ちょっとほろ苦いところに、原始の味があるんですね。そこに裸の実存があるんですね。回転扉に挟まれなくても人間は必ず非存在に入ってゆくのですからね。

2004年4月4日

誕生は、如来そのものの、悶えか?

 「私」が私になりはじめた何十億年前の出来事を憶念してみますと、そこには如来そのものの悶えがあったのではないかと思いました。西欧では「創る」という文化が底辺にあって、聖書でも、「神が創った」と言い切ってしまいました。別に「神」というものが、どこかに在るわけじゃないんでしょう。「神」と語っていても、それは人間のある次元のことを表現しているだけなんです。それは「如来」といっても「仏」といっても、そうなんです。極めて人間内的なことしか表現していないんです。すべてが「人間に於ける…」という意味なんです。

 クセノパネスさんがこんなことを言ってます。

「もし牛やライオンに手があって人間のように手で絵を描くことができたならば、馬は馬のような神を、牛は牛のような神を想像し、かれらと同様な姿をした神を描くだろう」とね。

 そういう限界の内部で表現しているわけです。

 東洋的といっていいのか、インドやアジアでは、「創る」という文化ではなかったようです。「成る」とか、「おのずから」という文化でした。ですから、いのちの最初は人間にはよく分からないと考えました。分からないけれども、その分からないところを考えていくと、それは、いのちの最初のことではなくて、<いま>ということに結びついていることが分かってきました。いのちの最初は、つまり「永遠」ですけど、それが<いま>の根拠となりますからね。「永遠」をどう受け止めるかということが、<いま>を輝かせるはたらきをもっているんです。

 昨日のお通夜では、それを感じました。なぜこの方が人間のいのちを受けたのだろうか?そして心臓の発作で亡くなっていったのか?と。ご高齢の男性でしたけど、病気ではなかったようです。でも、亡くなるときにはどうしても、人間を病気にしなくては納得しない人情があるんですね。これは医学の問題ともつながってくるのでしょう。

 どうして亡くなったのですか?という遺族の問いに対して、「心臓発作」ですとか「出血多量」ですとか「ガン」ですとか、「腎不全」ですとか。そういう病名や現象の不全を答えとして欲求します。つまり、病気でもないのに、亡くなっていくということが納得できないんです。なんの問題もない方が亡くなっていくのは承知しがたいんです。どっか悪かったんだろ!どこかに問題があったんだろう!その欲求の出所は、「正常であれば人間は死なないものだ」という考えがあるんです。これが大いなる錯覚なんですけどね。

 正常であったって死んでいくわけです。それは、病気が死の根本原因ではないからです。誕生するということが死ぬ原因ですからね。あとはすべて、「縁」です。病気だとか、不全だとか、事故や事件だって、すべて「縁」です。それでは死がいつから始まるかといえば、生れた途端に始まるわけです。あるいは母体の胎内で受精した段階に死が発生します。受精したとたんに、死ぬわけです。そして十月十日でオギャーオギャーと生れてきます。あれは、実は死んでいる姿なんですね。悲鳴を上げて死んでいるわけです。生れた途端に死んでいるわけです。死が底辺にあって、そのうえに辛うじて生が展開していくのです。生は仮の出来事です。死は永遠です。つまり「非存在」の期間のほうが圧倒的に長いわけです。

 何億年前の自分、そして何億年あとの自分という非存在の時間を考えると、ボーッとしてきますね。ウットリしてきます。非存在からどうして存在へと変化してきたのでしょうか。それは、おそらく如来という永遠の悶えからじゃないかと思いました。悶えることがなければ、私は非存在のままでよかったんです。生老病死という苦悩を受けることがなかったのです。しかし如来は、その非存在のままでは満足できなかったんですね。たぶん。でも、非存在から存在へと、次元を超越することは、如来の痛みでもあります。抽象から具体の世界へトランジッションすることは、産みの苦しみを味わいます。もともと非存在と如来は同体です。一元なんです。しかし、二元になるということは、根本的な分裂ですから、痛みがあります。

 しかし、一元が一元のままでは満足できなかったんですね。そこで具体の世界へ、つまり二元の世界へ質を転換しました。なぜならば、おそらく一元が一元を証明するためにしたのでしょう。一元が一元のままでは、動きがありませんし、一元である証明もありません。一元が一元であることを証明するには、どうしても二元でなければなりません。二元になってはじめて一元が満足するという構造です。ですから、如来、つまり一元の悶えが、そこにはあるわけです。一元の本体を分裂させ、解体させて、現象の世界へと、つまり二元化したわけです。如来の分裂です。分裂させることによって、はじめて一元を証明しようとするわけです。

 ですから、私が何億年も前に、現象の世界へ超越したということは、如来の悶えが原因だったんじゃないかと思います。

 キリスト教では、ひとり子イエスを、この世界へ遣わしたといいます。それを流用して語れば、阿弥陀如来は、私たちひとりひとりを、仏の子として、この世界へ遣わしたとなるのでしょう。キリスト教の世界では、イエスは特別なひとなんでしょうけど、仏教の世界では、みんながイエスの立場にあるわけです。神ではなくて、仏から遣わされたとね。なんのために遣わされたのかといえば、仏と一体になるためだとね。如来=仏と一体になるために、人間という身体を与えられたわけです。一体になるということが、南無阿弥陀仏として予言されています。南無阿弥陀仏ということは、如来と一体化するということです。

 「機法一体の南無阿弥陀仏」という言葉が蓮如さんにもありますね。機とは自分ということです、法とは阿弥陀如来のことです。ですから自分と阿弥陀さんとが一体になるということが、出生の目的なんです。 

 もともと阿弥陀という非存在のままであれば、「南無阿弥陀仏」という言葉も必要ないわけです。真如そのものですから、言葉で表現することも、考えることもできないものです。それがあえて言葉となって現象の世界に、南無阿弥陀仏という言葉に結実したわけです。南無という私(現象)と阿弥陀という永遠(抽象)に二元化することによって、はじめて一元が一元であることを証明したのです。一元が一元であることは二元でなければ証明できません。分裂することによって、はじめて一体であることが証明されるのです。そこに如来の悶えがあるように感じます。

 ですから、人間の人生には悶えるということが基底にあるように感じます。親子でも男女でも、知人同士でも、悶えを本質としていないでしょうか。本来一体になりたいんですけど、なかなか一体になれないもどかしさを持っているように思います。人間という形は、如来の悶えをなずらっているように思えます。

2004年4月5日

昨日の法事で、表白文を「7回忌」と読まなければならないところを「13回忌」と読み間違えてしまいました。あれ、ちょっと変だなぁと思いながら、そういえば、平成10年に亡くなっておられるのだから、確か7回忌じゃないかなぁと思って、表白文を読むことを途中で中断して、後ろを振り向いて、「ええと、7回忌でしたよねえ?」と喪主に確認しました。そうしたら、「そうです」という返事が帰ってきましたので、「それじゃ、やり直します」と言って、最初から「法名○○法位の7回忌に当たり、親族…」と読み直しました。みんな笑っていましたので、安心しました。

 そして、なんで、そんな読み間違いをしたのだろうと、読経中に考えました。わざわざ考えたというよりも、そんなことが心の中で、おのずから展開していたのでした。そういえば、次の法事の方が13回忌だったからじゃないかなぁ、それと勘違いしたのだろうか。おれって数字にめっぽう弱いからなぁ…。でも、途中で気がついてよかったなぁ…。最後までいってたら大変なことだったなぁ…。今日は朝から、過去帳を間違って書いちゃうし、ついてないなぁ…。でも、こういう日もあるんだよなぁ…等々と、くよくよ考えていました。

 そして、次に浮かんできたのが、「間違える」っていうことは、まったく予期してないことが起こったということなんです。それまでは、自分は大丈夫、なんでも思い通りにやりおおせるんだと思っていたんです。でも、自分の思いや計画とはまったく違った展開になってしまうこともあります。そこで「自力のこころ」を批判されたような気がしました。

 あっそうか、思い通りにいくかどうかは、別次元のことなんだとね。特に小生は数字に対するアレルギーみたいなものがあって、数字のことを考えていると途中で無意識が邪魔をしてくるんです。正しい数字は7回忌なのに、もしかして13回忌じゃないの、どっちだったんだよ!?と無意識が突っ付いてくるんです。それで、いままで正しいと思っていた数字への確信がぐらついてしまって、最後には不安になってしまうんです。歴史の年号にしても、計算の数値にしても、よくそういうことがあります。たぶん、数字をつかさどる脳の領域が粗雑にできているんだと思います。

 まあそれは分かりませんけど、ともかくなんでも自分の思い通りにいくことばかりじゃないぞ!と教えられました。生きるということの根底は絶対他力ですからね。間違えるということも絶対他力なんです。これは面白い世界ですね。悪気があって、間違えているんじゃないんですから。能力不足とか、だらしないから、惰性になっているから、緊張感がないから間違えたんだろうと批判されれば、ごもっともと言わなきゃならないんですけどね。でも、間違えたという事実は絶対他力なんです。言い訳してるのか!と叱られても、仕方ないんです。そうとしか言えませんから。

 でも絶対他力と表現すると、もうすぐに、如来という存在を考えてしまって、そういう人格が働いているのだと実体化してしまうんで困ります。そんなものは存在していません。ただ事実を言ってるだけなんです。事実は絶対他力なんですけど、それを受け入れられないのが自分という「自力のこころ」です。

 綿密に計画して、間違いを減らしていかなくちゃならないというこころが動きます。これは、世間では大切なこころだといわれていますよね。そりゃコンピューターに間違いがあっては困るんです。收支計算書に誤りがあったら困るんです。そういう世界には間違いは許されません。でも、なんでも完璧に計算しておけば、それですべてがうまくいくんだという発想は、どこかに落とし穴が開いているように思います。なんでも完璧に計算し、実行していれば、六本木の回転ドアに子どもが挟まれる事故なんか起きないんです。科学の粋を集めた飛行機が落ちるなんていうこともないわけです。事故が起きるのは、その人知の隙間で、いつも起きています。どこかに盲点があるんです。盲点をできるだけ少なくして、安全を確保したいと思うんです。それで21世紀にまで知力を集めてやってきたんです。それでも、事故は後をたたないわけです。なぜなら、思いも寄らない間違いが人間には起きるからです。人間の考えた範囲内では、それで十分安全だということになっています。でも、その人間の知の範囲を超えたことが必ず起こるんです。どうしても絶対他力ですから、仕方ないんです。

 「縁」がもよおしたら、何をしでかすか。何が起こるか分かりません。そういうものが、人間のもともとの本性なんでしょう。こっちのほうがほんとうなんでしょう。「思い」は不確かですよね。ごうまんです。そんなことを書いていたら、次男が自動車事故を起こしたという一報が入りました。幸い自損事故で、身体には影響がなかったようで安心しました。それでも車は自分では動けないくらいに壊れてしまったようで、彼は事故のショックと、車がつぶれてしまったショックで冬眠してしまいました。娑婆は試練の連続ですなぁ。

2004年4月7日

鈴木大拙のお話の中に、浅原佐市の「他力には自力も他力もなし、ただいちめんの他力なり」という言葉が紹介されていました。実は、小生はソニーのCDクラブに入会しています。その案内の中に「禅者の言葉−−鈴木大拙講演選集(全六巻・15000円)」というのがあり、まだ鈴木先生の肉声をジックリ聞いたことがなかったので、早速購入しました。いつも、車の中で聞いています。特に、遠方のお通夜の行き帰りに聞くのが大好きです。これだと長い間、聞いていられるのですからね。

 やっぱり聞法は「ながら聞き」がいいですね。歩きながら聞く、通勤の電車に乗りながら聞く、運転しながら聞くという「ながら聞き」です。体は車の運転に従事していますけど、頭には鈴木大拙の肉声が染み渡ってゆきます。一生懸命、ただ聞くことだけに専念するより、「ながら聞き」のほうが、じんわりと染みてくるような気がします。聞くことに専念すれば、もっとよく聞けるように思っていました。でもそうではないようです。聞こうと専念すると、かえって心の構えに隙ができてしまうのでしょう。むしろ、その構えをはずして、他のことに心を向けていると、言葉が不意打ちを食らわしてきたり、ジンワリと煮魚に煮汁が染み渡るように、たましいの奥底まで言葉が染み渡ってくるようです。たぶんそれは、「聞く」という能動的な構えがはずれて「聞こえてくる」という受動的なことになっているのだと思います。「聞く」という言葉は、元来、受動的な意味を表しているように見えて、実際には「能動的な聞く」と「受動的な聞こえてくる」という意味を孕んでいるのでした。

 まあ、六枚のCDですから、いろんなことを言っているんですけど、大拙は妙好人の話が好きで、何回か浅原佐市の話をしていました。その中に出てきた言葉です。

「他力には自力も他力もなし、ただいちめんの他力なり」は。

 金子大栄(真宗教学者)との対談のなかでも、その言葉が出てきていました。大拙はその中でも、盛んに「自力も他力もないんだ」と言うんです。あるいは「他力には自力も他力もあり」ともいいたいとも言っています。それから、「自力とか他力とかいう言葉も使いたくないんだ」とも言うんです。まぁいろんなことを言ってるんです。

 それは、もうすでに「他力」という言葉を吐いた途端に、吐いた人間と吐かれた言葉が別れてしまうという宿命を負っているからです。「他力だ」と言えば、「他力」という言葉をつかっている人間は、どういう立場で「他力」をつかっているのだ?と、すぐに問われてきます。

 これは南無阿弥陀仏という言葉についてもいえることです。「阿弥陀仏」といったんでは、動きがないと。阿弥陀仏が阿弥陀仏のままでは、静止してしまいます。阿弥陀仏は生きとしいけるものを助けようという誓いですから、動きじゃなきゃ困るんです。もしひとりでも助かっていないものがいるのならば、自分は「阿弥陀仏」という名前を返上すると言ってるんですからね。ですから、常に救済のために動いているはたらきなのです。

 その誓いに応答するのが、「南無」ということです。南無というのは、人間が自分のこころを頼まないで、如来にすべてをまかせるという意味です。ですから、阿弥陀仏の救済にすべてをまかせるということで、「南無」が「南無」となるのです。しかし、南無も、「それじゃ、お助けお願いします」と頼むのでは「南無」じゃないのです。人間が助けを求めたのではダメなのです。人間が助けを求める前から助けているわけですから。人間の助けを待って、それから助けるんじゃ手遅れなんです。また人間の求める助けは、どうしても欲望充足のための祈願ですからね。それなので、そのすべてをまかせる心そのものが、人間のこころじゃなくて、如来のこころなんだともいうわけです。助けを求めるこころも、そして助けそのものもすべて如来のこころなのだというわけです。それで絶対他力となるわけです。

 阿弥陀仏は、救われる可能性のあるものであるならば、助けようとはいないわけです。まったく救いの手がかりのないものだけを助けようとするのです。救われる可能性のないもの、つまり救いの条件のまったくない無条件のものを助けようとするのが、これまた無条件の大慈悲なのです。「救いの可能性が無条件にないもの」と「無条件に救済しようとする大悲」とが呼応するのです。両方とも無条件なんです。無条件と無条件が合い応ずるのです。両方とも手がかりがないのです。

 フッと、自分のいる居場所が、ズブズブと地面にめり込んでいくような幻想にとらわれることがあるんです。ズブズブと地面深くに沈んでゆくような感覚です。これは、なんといったらいいのでしょうか。あの「自身は、現に、罪悪生死の凡夫であり、無始の永遠から、いままで、常に迷いに埋没して、その世界からの出口はない」という「機の深信」の言葉を聞くと、この居場所の地面がズブズブといいだして、自分がそこに埋まってゆくのです。地面にめり込んでいくんです。46億年の寿命をもって、<いま>ここにあるいのちのが、迷いをへめぐって、ようやく自己という存在に結実したのです。その迷いの歴史の深さを感じると、地面にめり込んでいかざるを得ないのでしょう。決して、存在が軽くないのです。重たく重たく、重力がドンドンと増してゆきます。そしてひとより上昇しようとするこころまでもが、ズブズブと地面に埋めつくされてゆくのです。その存在の重さを感じたら、ただ沈黙するよりほかないのです。そしてジッと耳を澄ましていたいと思います。

 

2004年4月9日

イラクで日本人三人がテログループによって誘拐されました。まさに、驚愕すべき事件です。日本全体が、驚愕の中に落としこまれましたような感じです。自衛隊員がなんらかの攻撃にさらされるだろうとは予想していましたが、日本人の、それもNGOや写真家が狙われるということまでは及びも尽きませんでした。それも殺害ではなくて、誘拐という形は、考えてもみませんでした。

 テログループの実体も分からないし、ビデオテープ(三人が映っている)も真実かどうかわからない以上、日本政府として、ちゃんとした対応はできないと、福田官房長官は述べていました。これは、でも、時間稼ぎというか、マスコミ用の返答というか、苦し紛れの発言じゃないかと思いました。恐らく水面下では、日本政府をあげて必死になって対応に追われていることだと思います。このビデオテープが届けられてから、三日以内に自衛隊を撤退させなければ三人を殺すというのですから、必死になって救出の手だてを画策しているはずです。

 この事件の報道を知ったとき、小生は、自分が首相(小泉純一郎)の立場に身を置いて、反応していることに気がつきました。首相は、かなり苦しい立場に立たされたなぁという感覚です。日本人を見殺しにはできないし、かといって自衛隊を撤退させることは、アメリカとの関係もあってできないし、身が引き裂かれているのじゃないかと感じました。米兵は600人くらいが殺されているんですからね。たかだか3人くらいが人質にとられたくらいで、アタフタしてもらっては困るというのが、アメリカサイドに立った見方でしょう。

 でも、自衛隊が攻撃をされたという問題とは質が違いますからね。非戦闘員である民間人を狙うというのは、禁じ手のない戦争の恐ろしさを感じます。これは、アメリカもそうなんですけどね。しかし、ちょっとテログループも一番の日本政府の弱点を狙ってきたという感じですね。敵ながら、ものすごく巧みな戦術をつかってきたなぁと、感心すらしてしまうほどです。

 最終的には、どういう結末になるのか、ちょっと目が離せないといったところですね。アメリカ兵600人よりも、日本人3人の方が、日本人にとっては驚愕する事件になっているということは、どういうことなんじょうか。新聞の見出しも、ものすごく大きな活字で大々的に報じていますよね。そして、この自分自身を振り返ってみても、驚愕しているということは、やっぱり、身近なものいとおし、ということなんでしょうね。葬式をしている場所では、肉親が涙を流していても、その側を通る通行人は、なんとも感じることなくその場所を素通りできますからね。身近なものにいとおしさを感じるのも自然な感情なんでしょう。やはり「ものを、あわれみ、かなしみ、はぐくむ」という人情には、限界のあることなんでしょう。

 でも、現地に入った三人は、やはり死の覚悟をどこかで考えていたはずですから、それはある面では、仕方ないことだとしても、日本にいる3人の家族の心情は、大変なものだと思います。なんとか、無事に、最悪の場合になったとしても、最小限の犠牲で、解決してほしいと願わずにはいられません。「そもそも自衛隊派兵」云々というところまでさかのぼっていえば、なんでもいえるんですけど、いまは、ただ、無事を祈るだけです。

 

2004年4月10日

無意識を育て、無意識を豊かに駆使してゆこう。

 意識を信頼せずに、もっと、無意識を大切にしてゆたいと思います。どうしても、人間は意識の世界で長年やってきたものですから、意識の世界を信頼してきました。でも、本当に意識の世界は安心なのでしょうか。

 桜の根っこは、見えない世界です。見えない世界によって支えられています。人間も、無意識に支えられてこそ、安定しているのではないでしょうか。意識の世界は、ハッキリしているようですけど、根がないのです。根は、見えない世界でもありますし、矛盾と同居できる世界でもあります。

 意識の世界は、無意識の世界からの暗示の世界ではないかと思ったりします。断片的に意識の世界に起こってきたものは、無意識の世界からの暗号ではないのかと思います。意識の世界で起こっていることを、意識の額面どおりに受け取ってはダメかもしれません。暗号、あるいは暗示として受け取ったほうがいいように思います。

 何かを暗示しているんでしょう。でも、それは予知とか、占いの示現とは違います。暗示していても、意識の世界では翻訳できないような暗示なんでしょう。

 今日は、バスを使わないで駅まで歩きたいなぁと思ったのは、何かを無意識が暗示しているんでしょう。体が重たいなぁと感じるとか、今日は魚じゃなくて肉食べたいなぁとか、ひとの意見に対して、妙に逆らってしまったり、テレビを見ていると、なんだか感情的になってしまったり、意識に浮かんでくるものは、何かを暗示しているのだと思います。

 意識がうまく翻訳できない次元で、暗示してきます。そういう暗示の世界を楽しんでしまいたいのです。もともと無意識の世界から、私たちは「存在」に入ってきたのですから。

 無意識の次元は、エロスに満ちているように感じています。

 

2004年4月12日 

ここのところ、更新のレベルがさがっています。

 ちょっと、ほかに書くものがありまして、手を抜かしてもらっています。まだまだ、レベルが落ちてくると思われます。何卒宜しくお願いします。

 阿弥陀経を法事で読んでいましたら、ここのところ、どうもあの、舎利弗(シャリーホー)という文字が気になって仕方ないんです。最初は「長老舎利弗」と出てきます。舎利弗っていうのは、お釈迦さん十大弟子の中で、「知恵第一」といわれた弟子です。その舎利弗を目の前にして、何も聞かれもいないのに、お釈迦さんが「極楽っていうところは、こんなところだよ」と一方的に語りだすんです。ですから阿弥陀経は「無問自説経」なんていわれるんですね。「問い無くして仏陀自らが説かれるお経」という意味です。

 「舎利弗よ、舎利弗よ」と、なんと38回も呼びかけているんです。知恵第一とよばれた舎利弗に対して、それも一方的に、なんでこんなにまで実名をあげて呼びかけるんだろうと不思議に思えます。普通の対話の場面を考えても、大勢の中で舎利弗さんにだけ、38回も呼びかけるというのは異常です。よっぽど集中力のない、出来の悪い子に対してなら名前を呼ぶということもあるかもしれません。しかし知恵第一ですからね。不思議です。

 あの舎利弗という言葉を自分の名前に置き換えて阿弥陀経を読みなさいと教えられたことがあります。お釈迦さんが、あなたの名前を呼ぶようにして読みなさいとね。

 そんなことは前から知っていたのですけど、ここんところ妙に、あの「舎利弗」という文字に引っかかってしまうんです。以前は読みとばしておけたのに、最近じゃ、妙に緊張してしまうんです。またあった、またあったという感じで、そこにくると少し緊張するんです。素通りできない文字になっています。

 なんでここまで、極楽について舎利弗に語ったのか。これは実に暗示的なお経だと思います。たしかに般若心経も不思議なお経ですけど、阿弥陀経も暗示的です。

 どこかに極楽という国があるわけではないのでしょう。楽を極めたところにある次元ということでしょうから。でもどこかに、惹かれるものを感じますね。親鸞の教学体系のなかでは20願の世界だとして、まぁ割合軽く見られがちですけど、阿弥陀経だけに眼を止めているとちょっと違った見え方もしてきました。

 自己否定的な表現がないのが阿弥陀経の特徴です。わずか一カ所、「不可以少善根、福徳因縁、得生彼国」というところにだけ否定的な意味を残しています。「少善根、福徳の因縁をもって、かの国に生れることを得べからず」と読まれています。そのことはちゃんと親鸞も教行信証で押さえていますね。「少善根」というところに自力のこころを見たのでしょう。

 極楽は実は、私たちが生れてきた故郷なんだし、そこへ行けばいいんだよ、そこに帰ろうよ、この世は魔境なんだよという、お釈迦さんの大慈悲から生れた説法が展開しているように感じます。

 いつでも帰れる場所があるから、この世を自由に演じてゆけるんでしょうね。縁があればいつでも帰ることができるんですから、もうしばらくこの世で遊んでゆきたいと思います。

 

2004年4月14日

ここのところ、コンピューターウイルスに感染しているメールがやたら多く届きます。ウイルスを駆除するためのソフトがはたらいて、そういうメールは自動的に削除されます。ですから、ご本人は感染していないと思って、小生にメールを送られていても、届きません。ご本人は、「なんで返信が来ないんだ」とご立腹でも、たぶん、そういう事情なんです。ごめんなさい。

 アドレスだけを見ると、これは安全そうなんだけどなぁと思いつつも、監視システムが「危険です」と結論を出せば、削除して駆除せざるを得ません。そこのところを宜しくご拝察ください。

 便利なものほど、一度、事が起きると事後処理が厄介だということがありますね。便利が当たり前になっていて、以前には不便とも感じていなかったことが、「不便」と感じてしまうんです。人間の脳は面白いもんです。

 いまじゃ京都にはノゾミに乗れば2時間20分くらいでゆけます。以前は三時間かかっていました。その前は7時間でした。そして早くゆけることが当たり前になってくるんです。ちょっと2時間20分じゃ早すぎます。食堂車にオチオチ行ってもいられませんから、廃止されましたね。3時間くらいはほしいと思います。あれじゃ、乗った気がしないですよ。居眠りしていると、アッという間に着いちまうんですからね。

 日本人は、便利にかまけて、余裕を忘れているとはよく聞くセリフです。でも後戻りはできないという運命なんです。行くところまで行き着くしかありません。もし人類の大きな流れが、そういうものを必要としないときがきたならば、採用しなくなっていくんでしょうし、もし必要だと感じれば残っていくんでしょう。

 うちの本堂は、全部イス席にしました。ですから安心してお参りすることができます。以前は正座をするのがほんとうだという感じがありましたけど、いまでは、それは不可能です。老いも若きもイスという生活様式になれてきました。これは、お年寄りからみれば、堕落かもしれませんけど、現代人が選びとった形式なので仕方ないのです。

 新築マンションだって、すべてトイレは洋式ですよね。ということは、和式は文化として不採用になってきました。これが日本人の骨格構造にどういう影響を与えるか分かりません。ともかく老いも若きもイスがリラックスできるわけです。本堂では、やっぱりリラックスしてもらわないとダメです。柔らかくなっていないと、味も染みてゆきませんからね。

 人類という大きな流れのなかに、自分が漂いながら、流れているということを考えさせられます。

2004年4月15日

本堂でお経を読んでいる。赤本の勤行本です。左奥には、お棺が安置されてあります。お棺を覆っている布は結露で濡れてキラキラ光っていました。遺体が腐らないように、ドライアイスがたくさん詰められているのでしょう。お棺全体が冷たくなって、結露して、水滴が垂れています。銀色の布が妙に鮮やかに光っています。

 参詣人がたくさんいます。最後に、蓮如の書いた御文を読むことになりました。しかし御文が見つからないんです。白骨の御文は赤本の勤行本には載っているはずなのに、みつかりません。側にいた人が、自分のもっていた本を渡してくれました。その本は布製のカバーがついたものでした。そして御文のページをめくって探しました。すると、バラバラと本がバラけてしまいました。まったく、なんということなんだと、焦りながら、もたもたしていました。

 そのとき、何事も、思いのままになるかどうかは分からんぞ!縁がなければ、何事も成就しないのだ!という格言めいた言葉が聞こえてきました。

 そこで、夢が冷めました。パジャマが汗で濡れていました。ゴーゴーゴーゴー、うるさいなぁと思いながら目が覚めました。気がつくと、それは、自分のイビキの音だったようです。

 でも、あの格言めいた言葉は、その通りだなぁと思いました。まったく夢の中でも、そんなに教えたいのかと思ったほどです。夢の仲間で出てくるなんて、嫌な奴だよなぁと思います。でも、逃げられないんです。きっと。地獄の底まで追いかけくるんです。如来は。

 摂取不捨というのは、「逃げるものを結わえ取る」と親鸞は書いてますからね。嫌だよ嫌だよといっても、ひもをつけてがんじがらめにされて、引っ張っていかれるんですね。こっちの自由なんて蹂躙されてしまいます。

 引きずられてゆきながら、なんか、ブツブツ言いたいんです。ゴルゴダの丘にズルズルとね。そうそう、キリスト教と浄土教が似ているとよくいわれるんです。でも、浄土教は、イエスの場に自分を見いだすことなんですね。そう考えるとキリスト教と似てくるなぁと思いました。ひとりひとりが、全人類の罪をになって死んでいくんでしょう。自業自得としてね。イエスに自己を見いだせば、これは浄土教になるなぁと思ったりしています。

 

2004年4月16日

ひとつのことをいうためには、それに関連する無数のことについて語らなければなりません。でも、それらのことを省いて、ひとつのことを語ろうと思います。

 昨日、イラクの日本人3人が解放されました。日本全体が、喜ばしいと賛美しています。家族の人々も、安堵のあまり全身の力が抜けてしまったほどでしょう。危険を承知でイラクくんだりまで出かけていって、多くのひとに迷惑かけやがって!という感情の人々が、家族に対して無言電話をかけたり、頼みもしないのにタクシーを何台も依頼したり、対応に困った家族が留守録にしておいたら、その中に仏壇の金をチーンと鳴らしたイラガラセもあったそうです。

 そういう日本人がいるということをなんとも情けないと感じる自分もあります。でも、そういう感情が、私の中にまったくないかと問われれば、何分の一かはあるように思えてきます。解放された三人を見ていても、自分の中に違う感情が涌いてくるんです。まあ限られた情報の中で、それらをつなぎ合わせて自分なりに彼らの人間像を作ってしまって、その人間像に対して反応しているのかもしれませんから、まったくの見当違いであるかもしれません。でも、テレビを見ていると、自分の中に三人に対する感情の違いが見えてきたのです。二人のひとは、イラクのためにとか、なんか、すごく主張をもってイラクに入ったような感じを受けました。しかし、ひとりのフォトジャーナリストは、自分のために行ったんだと思います。解放されたときのインタヴューで、二度とイラクに来るなと犯人からいわれているけど、自分は写真をとるのが仕事だからなぁ…と漏らしていました。そこには、別にイラクのためとか、なんたらという主張じゃなくて、自分のために、写真のために、ということが動機になって動いているように見えました。そして、自分はこのひとに同感的なんだということを感じました。前の二人は、このひとのようには好意的には受け止められなかったのです。こんなことは、自分の内面に閉じ込めて語らない方がいいんですけど、仕方ありません。

 そこには「大義名分」に対する小生のアレルギーがあるんだなぁと感じました。いやあ、ほんとうは大義名分なんてないんだよということかもしれませんけど、情報は限られているもんですから、まったく見当違いかもしれませんけどね。

 私はあのカメラマンに好意的でした。いわば自分の利益だけのために行くんだといってもいいわけでしょう。そこには大儀はないのです。でも、行かざるを得ないという欲望が動くんですね。ひとから、金になるから行くんだろう!と非難されれば、返す言葉もないわけです。名声がほしいのかといわれれば、そうかもしれないと返答するしかありません。なんといわれようと、彼はまたイラクに行くんじゃないかと思いました。

 彼には、自己犠牲ということがまったく感じられませんでした。そこに清々しさを感じてしまったのです。小生から見ると「悪人だなぁ…」という感じなんです。どこにも「善」の要素がないのです。それは、歎異抄的な文脈でいってるんですけどね。ほんとうに自分自身の内奥の声に導かれて動いて生きているんでしょうね。

●また父の夢をみました。本堂で法要の後、みんなで、テーブルを囲んで会食をしています。ここは、昨年行ったベトナムの寺院の内部のようでもあります。そうそうホーチミンの仏教会長さんが座っていました。なんだか、よくわけの分からない精進料理を食べていました。小生も食べました。

 やがて、法要も終わり、自宅の茶の間に戻りました。そこには、すでに父がいました。炬燵のようでした。父は、丼の中の餅を食べていました。スープは白く濁っていて、湯葉をドロドロに溶かしたようなものを食べていました。小生は戸をガラガラと開けて茶の間に入ってゆきました。すると、父は、「定光は、いろんなことをやりすぎだよ」というんです。小生は、またお説教かよ!と内心で思いました。顔を合わすと、そんなことを言われるので、あんまり顔を合わせたくないなぁと思っていたんです。でも、父はもういないはずなのに…とも思っているんです。

 目が覚めて、そのことを女房に話したら、「また、出てきたの?生きているとき以上に、お父さんに会ってるんじゃないの?」とイヤミを言われました。

 

2004年4月17日

昨日のBサロンには、二人の新人さんが舞い込んでこられました。ひとりの方は、午後6時45分頃に来られていました。しかし、7時を過ぎてもひとが集らないからなのか、「ちょっと下に行ってきます」といって階段を降りて、表に出ていったっきり、二度と戻ってはこられませんでした。

 「こりゃ、場違いなところに来ちゃったな」ということなのか、「予想と全然違う雰囲気だな」と思われたのか、看板だけを見て入ってこられたのか、まったく分かりませんでした。小生は、初めてきたひとに、いきなり「どういうご縁で?」とか「なんでこの会を知ったんですか?」とは問わないようにしています。まぁ、少し会に馴染んできたら、聞くようにしています。だいたい、初めて参加されるかたは、ここに来られただけでも不安と緊張を強いられているのですからね。場所にも馴染んでいませんし、そんな中で、どこから来たんだ!?と問われれば、ドギマギとしてしまうに違いありません。最初は、脅かさないように、ビックリさせないようにしています。

 二人目のかたは、最後まで付き合っていただきました。酒盛りで、自己紹介もしていただいて、嬉しい限りです。この方はインターネットをご覧になって参加されたそうです。でも、そういえば、会の写真がホームページには載ってないんですよね。ですから、どんなことをやるのか、まったく見当もつかなかったといわれました。最初はお話でもあって、それから、パーティーでもあるのかと思ったと言ってましたね。

 そうかぁ、学習会の写真をネットに公開しておかなきゃダメなんだと反省しました。でも不思議なことに、酒盛りの写真はたくさんあるんですけど、学習会の写真が一枚もないんですよね。これは困ったもんだと思いました。以前の雑誌の取材のときにも、学習会の写真を載せたいと申し出られたんですけど、これが一枚もないんです。そうだ、学習風景の写真をとらなきゃと思いながら、何年間もずっと撮っていないんです。これは怠慢なのか、縁がないのか、不思議なことです。昨日も学習風景は撮らずじまいでした。まったく…。

 昨日は十二時近くまで飲んでいて、みなさんの帰宅はだいぶ遅くなったようです。奄美大島原産の黒糖の焼酎が差し入れられ、これに飲まれました。ロックで飲んだので、今日は辛い一日でした。

 初参加の方いわく「毎日ホームページを更新しているお寺が、どんなことをやっているのか知りたかったので…」と、来られた動機を語られたので、これはやっぱり「石の上にも三年」といいましょうか、「愚公、山を移す」といいましょうか、「継続は、力なり」なのか、やっぱり、更新をしなくちゃいけないなぁと、フンドシを巻きなおしました。

 そうそう、フンドシは「締めなおす」でしたね。

 それで、昨日のBサロンでの学習は、「権威と権力」について考えました。欧米では権威(authority)という言葉が肯定的に受け取られるけれども、日本では否定的なのはどうしてだろうか?という河合隼雄さんの言葉から、いろいろな話しが出ました。河合さんは、教師と学生の間で話を展開していました。

 学生に質問されたとき、教師がドキッとするような質問内容だったら、教師がどう対応するだろうか。教師の権力をつかって、質問を封じ込めるか、それとも、権力を行使しないで、「次の時間までに答えるから待ってくれ」といえるかどうか。そのように言えるということで権威が高まるのではないかいうようなことを話していました。権威は、自分から作るものではなくて、まわりの人間が感じる世界に作られるんじゃないでしょうか。

 宗教教団の教祖もそうでしょうね。たしかに権威がなきゃならないけれども、それが権力を行使するようになったら、恐ろしいことになるのでしょう。教祖は常に、信者と同じ地平に立っていないとダメなんでしょうね。これは手前味噌ですけど、「親鸞は、弟子、一人も持たず」といってますからね。教祖としての権威が、やがて権力に移行していく危険を十分に知っていたひとだと思います。教祖として崇められていくと、いつの間にかいい気持ちになってしまい、権威に酔っていくんでしょう。そこに魔が潜むんですね。

 親鸞が60代に、関東の教団を離れて、生まれ故郷の京都に帰られたのも、その魔を察知したからじゃないか、そういう要素があったのじゃないかと、小生は思っているんです。宗教的権威をまわりのひとたちに感じさせる人間には、どうしても権力の方から、そのひとに近づいてくるんでしょうね。教団という組織になれば、教祖がいくらフラットな人であっても、取り巻きが教祖を権威から権力へと捏造していくということが起こります。教祖と信徒の間に生れる中間管理職のような存在が、一番権力をうまく利用できる場所になってしまいます。「親鸞聖人は、このようにおっしゃったのだ!」と中間管理職が、社員である平信徒に語り、自己の権力をうまくはたらかせていこうとします。親鸞は手紙で、「仰せにないことを、仰せだと、いうことはナンセンスだ!」と批判してますね。こういう教祖と弟子の関係は、日本の天皇と軍部の関係にも感じますね。教祖個人は実に人格と権威を兼ね備えた人間であっても、組織の最上位に位置づけられていくと、それを利用する人間たちが生れてきてしまうんですね。

 親鸞は、その最上位から、身を遠ざけて京都に逃げていった感じがあります。やっぱり、娑婆に苦しんで悲鳴を上げている人間に、「救済の法則」だけを届けたいと願ったのが親鸞ではなかったでしょうか。この水を飲みさえすれば、渇きが癒されるのだと言ったのでしょう。水の入れ物はなんでもいい。それが、うまく、確実に渇いた人間の喉に届けばいいとね。届くようなシステムであればいいとね。それを疎外する要因は極力排除していくというのが親鸞だったように思います。

 そうそう、禅の大家のところに、仏法を教えてくれとやってきたひとがいたそうです。禅の大家は、まあ上がれといって座敷に通し、お茶を出したそうです。それも空の茶碗を目の前において、急須からお茶を注いでゆきました。客が見ていると、お茶が茶碗からあふれだしました。客が「アッ!」と声を出しました。すると、大家は「これがお前の姿じゃ!」と一喝したそうです。人間の知恵でいっぱいに詰まっている茶碗に、いくら仏法のお茶を注いでもダメなんだ。全部こぼれ落ちてしまうのだ。まず、その人間の知恵でつまった茶碗を空にせよ!と譬えをもって教えたそうです。

 でも、どうやって人間の知恵を捨てるのか、これがまたまた至難のことなんですけどね。こっちからは、どのようにしても手がかからないんです。向こうから手をさしのべてもらわないとダメなんですね。

 その茶碗、人間の知恵でいっぱいにつまっているんですけど、でも、その茶碗を受け止めている世界全体、宇宙全体が仏法空間だということじゃないかと、いま、思えました。

 

2004年4月18日

昨夜、NHK教育テレビで、ETV特集「競争ではなくて〜子どもをめぐる対話」というのをやっていました。出演者は宮城教育大学教授の伊沢紘生さんと教育評論家の斎藤次郎でした。

 その中でショックなことがふたつありました。ひとつは、長年日本猿を研究されてきた伊沢さんの言葉でした。「野生のサルにはボスはいない」という言葉でした。小生は寡聞で、それを知りませんでした。どこの猿山に行ったってボスのいないサルの集団を見たことがなかったからです。日本猿の研究者の間でも、ボスがいるということが、もう定説中の定説で誰も疑わなかったそうです。しかし、青森で伊沢さんが観察した集団には、それらしいサルが見当たらなかったそうです。伊沢さんは自分の観察眼がダメなんじゃないか、どうしてボスが見つけられないのかと、自分を責めたそうです。しかし、あるときフッと、その謎が解けたといいます。「もともと、サルたちにはボスは存在しないのではないか?」と。まったく逆転の発想だとおっしゃっていました。その逆転の発想に立ってみると、いままでの定説の間違いが見えてきたといいます。そして現在では、伊沢さんの説こそが定説になっているそうです。

 なぜ、ボスの存在が定説になってしまっかというと、それまでの研究者が研究の対象としてきたサルたちは、人間に餌付けされたサルたちだったのでした。確かに餌付けされたサルたちには必ずボスが存在するのです。しかし、自然界のサルたちにはボスは存在していないのだそうです。餌付けされたサルたちは、人間の与えるエサをどのように取るかという、いわば価値観が一元化されているのだといいます。だから、力の強いものから弱いものへと序列ができるのは当然です。しかし自然界では、価値観が多面的です。木の芽を食べるもの木の皮や草を食べるものものいます。さまざまな価値観があって、序列の生れる必然性がないのです。まぁ集団で生活しやすいから、一緒に固まっているけれども、一人になりたいときには一人になったり、寂しくなったら集団に戻ったりと、実に自由人として暮しているというのです。自由というのは、こういうことだなぁとサルがうらやましくなりました。「サンガ(僧伽)」もサルを見習いたいなぁと思いました。

 餌付けされたサルというのは、もうすでに人間の価値観が投影された形になっているんですね。人間の価値観を投影して、サルたちを観察していたということだったんです。

 この辺から現代の教育の問題を考えようというのが、番組の企画でした。

 それからもうひとつショックだった言葉があります。それは斎藤さんの「子どもは大人になるために生きているんじゃない」という言葉でした。子どもは子どもとして生きているんであって、なにも大人になるために彼らは生きているんじゃないというのです。そして斎藤さんは田舎の小学校の4年生として留学しました。小学生の中に混じって、子どもというものを学ぶという体験でした。そこから、サルと同じように、大人の価値観によって子どもを見ていることの間違いを指摘していました。子どもに感性を磨かせたいなどといっている大人がいます。しかし、そういう教育をしたいといっているあんた(大人自身)の感性は、なんぼの感性なんじゃ!といってましたね。

もう、生れてきた子どもたちは白紙だという間違った大前提があるんですね。白紙だから、そこに大人がいろんなものを書き込んで、一人前の大人にしようと企むんですね。しかし、昔から「親の背中を見て子どもが育つ」といわれますように、親の前では子どもは育たないんですね。親の生き方を子どもは後ろから見ているのであって、教育されたような顔をしておきながら、大人を逆に観察しているのだと思います。でも、子どもも大人に移行してきて、自分の子どもに同じようなことをやるんですね。不思議なもんです。

 でも、「子どもは大人になるために生きてるんじゃない」という考え方は、「成長」とか「成熟」という言葉を破壊してしまうでしょうね。そもそも、「○○のため…」という、この「ため」ということを破壊してしまうでしょうね。子どもは子どもとして完結しているんだから、足したり引いたりする必要がないというのですから。もうそのままで完成しているというわけでしょう。子どもは「未完成な大人」だという考え方が成り立ちませんね。

 しかしこの見方は実に仏教的だと感心しました。子どもにしても大人にしても、<いま>が完成だという見方ですね。<いま>に、もうすべてが整っていて、完成しているのだという受け止め方が素晴らしいと思いました。完成している<いま>が、生きることの原点であって、そこからしかモノは生れてこないと思います。<いま>ということの楽しみ方、受け止め方の力量が低下しているようにも感じました。

 何かのために人間が生きているわけじゃないのでしょう。<いま>を完全燃焼するために生きているといってもいいでしょう。完全燃焼というと、ちょっと、バーンアウト症候群的に聞こえてしまうので、<いま>を十全に味わいつくすとでも言い換えましょうか。

 

2004年4月20日

歎異抄には「あいつは『本願ぼこりで、悪いやつだ!』と批判している人々も、悪や汚れた煩悩を兼ねている存在なんでしょう。それこそほんとうは、本願を誇っていることなのではありませんか」と語られています。「本願ぼこり」というのは、阿弥陀さんの本願は「悪人を助けてくれる本願だ」と考えて、どんどん悪いことをした方がいいんだと考えることをいいます。

 まぁ「本願ぼこり」という言葉もおかしな言葉なんですけどね。本願があるから、どんなもんだい、と誇るわけですから、ほんとうは、本願を誇るというよりも、本願を信じている自分を誇るということになっているんでしょうけどね。多くの解説書には「本願に甘える」という表現がしてあります。本願は、何をしても救ってくれるんだから、どんな悪いことをしたって大丈夫だい、と阿弥陀さんに甘えているというわけです。

 身近な譬えに置き換えます。 どんなに酒を飲んだって、警官は許してくれるんだから、少しくらいお酒を飲んで運転しても大丈夫だい!、というのと似ています。別に、日曜日だからといって、家族サービスなんかしなくたって、奥さんは許してくれるんだし、オレのことを全部分かってくれているんだから、同僚とゴルフ三昧になっていても大丈夫だい!、というのにも似ています。

 でも、そういうひとたちは、「悪いことだなぁ」ということをどこかで感じながら悪さをしているんですね。歎異抄の著者であります唯円は、そのひとたちに同情的ですね。むしろ「本願ぼこり」をダメじゃないかと批判しているひとに対して鉄槌を下しています。徹底して、いわゆる善人批判なんです。まぁ、善人は自分の罪悪に対して無自覚になってしまうからなんですね。あるいは、自分の罪悪を無意識にでも感じているから、それを打ち消そうと、善人になりたがるということのほうが正確でしょうね。

 冒頭の文章は、そういう意味でしょう。本願ぼこりのひとたちを批判している善人たちだって、煩悩を兼ね備えているじゃないかと、それは本願に誇っていることじゃないかと唯円は批判しています。煩悩を備えているということは、もうすでに、本願ぼこりなんだというわけです。これから、本願に甘えようとか、意識的になる以前に、もうすでに本願ぼこりじゃないかと。

 つまり本願ぼこりだと、批判するということは、そのことで、いい気になっている自分があるじゃないかというわけです。批判するということは、自分を善の立場に立てているだろう。自分を善に立てるということ自体が、本願を疑っているということだと批判してきます。自分を善に立てるほどの偽善に無自覚になっているんですね。そこを唯円は撃ってきます。

 唯円の見ている「本願ぼこり」は、もっと深いですね。生きているということ自体の問題です。意志的に悪をするとか、善をするとかいう以前に、生きていること自体が「本願ぼこり」なしには存在しないのだと受け取れます。この肉体を自分のモノだと思い込んでいること自体が、「本願ぼこり」なしにはありえないという感じです。

 「本願ぼこり」という言葉にもいろんな側面があります。「本願に甘えて、あえて悪いことをする」という主張。あるいは、そういうことを主張する人々。それから、善人が批判の対象として見ている「本願ぼこり」という主張、あるいは人々。それから唯円の考えている「本願ぼこり」という主張です。

 唯円の見ている「本願ぼこり」も、表層と深層があるようです。表層の「本願ぼこり」とは、あえて悪いことをする人々のことです。これらの人々に対しては「邪見・邪執である」と批判しています。薬があるからといって毒を飲んではいけないよと批判しています。そこで、阿弥陀さんは悪を奨励しているわけじゃないよと教えます。悪というのは、宗教的自覚の言葉であって、「悪事を行う」という行為に対してじゃなくて、存在の受け止め感覚なんだというわけです。

 そして善人批判に向うわけです。そこで唯円が見ている「本願ぼこり」は、もう南無阿弥陀仏ということとひとつなんです。人間の存在そのものが、南無阿弥陀仏なんだというのです。つまり、阿弥陀さんに、全面信順して存在しているのが我々だというのでしょう。悪を犯しながら無自覚でいられ、自分の身体を無前提に自分のモノだと思い込み、それでもなおかつ善の立場に立とうとする罪悪性なんですね。

 ですから、「本願ぼこり」の位相をどのレベルで受け止めるかということで、いろんな意味の乱反射が起こってくるんです。言葉はひとつだから、意味もひとつだというのは迷信ですね。言葉はひとつでも、意味は無数にあるという考えに立たなければダメでしょう。その「言葉」ということを、「人間」と置き換えてもいいんです。ひとりの人間がひとつの意味だけを表しているわけではありません。無数の意味脈に生きているんです。そういう態度が、曖昧さを許容する力だと思います。意味の一元化は血なまぐさいですからね。

 なんとも微妙な生き物なんですね、ひとは。

 

2004年4月23日

昨日は親鸞仏教センターの二周年の記念集会が開かれました。「家族と宗教」という問題をめぐっていろいろ考えさせられました。

 煎じ詰めてゆくと、歎異抄5条のところに行き着きます。「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情は、みなもって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏になりて、たすけそうろうべきなり。」(親鸞は父母の供養のためといって、いまだかって、一回も念仏したことはありません。その理由は、生きとし生けるものは、みなすべからく生まれ変わり死に代わりしてきた、父母や兄弟だからです。すべて、この次の生で、仏になったときに助けることができましょう。)

 前半の文節と後半の文節をつないでいるものが「そのゆえは」です。この「そのゆえは」がやはり、大事な問題なんだと思います。前の文節は、親鸞は父母の供養のために一遍も念仏したことがないという、大きなメッセージを突きつけてきます。この言葉が、どのような場面で、どういうふうな語り口で語られたものなのか、それを知りたいと思うのですけど、それは、見えきてません。この「親鸞は父母の供養のためとて…」という言葉だけが、舞台のうえにスポットライトを浴びて、燦然と輝き、あとのは暗黒の中にあります。燦然と輝いて、キラキラとしています。そのために、他の場所の暗黒がより深く感じられるほどです。

 果たしてこのような言葉を、実際に親鸞が語ったのかどうかさえ、分からないのですから。しかし、このような言葉だけが、残されたのです。この残された短い文章は、希少の宝石のようなものですから、どのようにでも、受け止めることができます。そしてこの受け止め方が果たして正解であるのかどうかも分かりません。また、正解なんか、もともとあるものなのかも分かりません。しかし、噛んでも噛んでも、味が消えてなくならないチューイングガムのようなイメージが歎異抄にはあります。

 小生は、親鸞は、やはり父母の供養のために念仏をしたのだと思います。してきたのですし、いまでもしてしまうのでしょう。これは、肉親を亡くしたひとでしたら分かる感覚なのだと思います。遺族感情としては、亡くなった肉親のイメージとともに生きているわけですから、愛したいとか、話をしたいとか、あるいは、あの時もっとこうしていればよかったという後悔や、自責の念などと共にあるわけです。それなのにどうして「一返にても…いまだそうらわず」と親鸞は語っているのだろうかと思うわけです。その遺族感情を否定してくるものはいったい何なのだろうか?と思うのです。

 その答えが「そのゆえは、一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟なり」という言葉だと思えます。この「そのゆえは」から、ガラッと世界が変わってくる感じを受けます。まず、なぜこの文章が「そのゆえは」という前段の答えとなるのかという疑問です。ほんとうは、「そのゆえは」ではつながらない文章なんです。「そのゆえは」というところで、百八十度何かがひっくり返って、ひねられて表現されてきています。

 つまり、そこには亡き肉親は「対幻想」の世界に閉じ込められているのですけど、その「対幻想」がひっくり返されたところから、言葉が出てきているのです。対幻想はどこまでも関係性が閉じてゆきます。どこまでも、亡き人の面影を追い求めて念仏して、念仏して、突き詰めてゆきますと、ふっとその面影が見えなくなってしまうところがあります。フッと暗闇の中に迷い込んだようになってしまいます。すると、向こうの方から強烈な光がこっちに向ってやってきます。この光は一気に自分を包んでしまいます。この逆光はものすごくまぶしいもので、目を開けて見つめることができません。その光の正体を見てやろうと思っても、あまりの逆光の強さに眼がくらんでしまいます。とうとう、この光には背を向けざるを得ないことが分かります。背を向けてみると、そこには一面の「一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟」という世界があったということではないかと思います。

 この言葉の発生源は、その光そのものです。光そのものの視座からのみいえることであって、人間からはいえないことです。人間はどこまでも対幻想を生きるものですから、光の世界を見ることはできません。もし、その光の視座が見ているように人間が見えたのならば、今晩の豚カツは食えないわけです。すべての生き物は父母兄弟なのですから、豚カツは父であり母であり兄弟を食べることになります。ですから、光の視座に立つことはできません。それなのにどうして、親鸞が人間の言葉でもって、そのことを書き留めることができたのでしょうか。おそらくそれは、対幻想の眼に対して、逆光線が当たったところから出てきた言葉なのでしょう。対幻想が解体させられたときに出た破片が、それらの言葉なのでしょう。

「一切の有情はみなもって世々生々の父母兄弟」という言葉は、光の言葉です。これは、人間からみた世界を物語っている言葉ではありません。そういう世界を見ることができないということの告白なのです。人間には見ることができないという懺悔なのです。でも、それを考えることだけは許されています。考えるということだけしかできないのです。その言葉と一体になることと考えることとは違っています。

 小生も、よく自分の先祖は30代さかのぼると十億七千万人だという話をします。それは話です。考えられたことです。数字は間違いのない数字ですけど、それは考えを突き詰めただけのことです。もし実感としてそれが成り立てば、道を歩いている他人に対して兄弟よ!といえるのでしょうけど、それはできません。やはり、自分にとっては、生活を共にしている肉親が家族だという思いが実感としてあります。それ以外は他人なんです。ですから、考えと実感とは違います。でも、それを考えてみると、いままでの実感とは違った世界を感じることができるのです。ですから、考えてみることは大事なんです。やっぱり無駄ではないのだと思います。光の世界を人間の言葉で真似てみるということがいいのだと思います。

 光の世界が見ている大きさは人間を超えています。それこそ、関係性そのものの世界です。絶対他力の世界といってもいいのでしょう。その世界を人間は実感できないという形で、出会っていくのだと思います。その実感しがたさが、親鸞に「一返にても…いまだそうらわず」と語らせたのではないかと思います。人間が追善供養をしようと思っていること自体が、実はごうまんなことだと跳ね返されたのでしょう。亡き肉親は、光そのものとなって、親鸞を包んでいるではないかということではないでしょうか。救われていないのは、亡き肉親ではなくて、親鸞自身ではないかという跳ね返しです。そこで跳ね飛ばされて、ようやく光となった両親と共存したのではないかと思います。

 逆光と一体の亡き人ですから、それは見ることはできないのかもしれません。しかし、その光に包まれて<いま>があるということを、どこかで実感するのではないかと思います。

 

2004年4月25日

ぶりに、二日酔いを体験している朝です。こういう日に限って、日本晴れなんです。これは何か、法則があるのでしょうね。きっと。好天の前日は、酒の進みが早いとか、「二日酔い注意報」なんか出してくれるといいんですけどね。ご法事がたくさんあるというのに…。それも分かっているはずだったのに…。

 こういう取り返しのつかなさを、久しぶりに体験させてもらっています。酒飲みならば、この感覚はよく分かると思います。そりゃ、分かってるんですって。前もってね。なんで分かっているのに、やってしまうのか?と問われても、それは分からないんです。いろいろ言い訳をしてみても、反省してみても、直らないものがあるんですね。この、どうしようもなさを感じつつ、好天をうらんでいるんです。

 どうして、ひとは酒を飲むのでしょうか?この問題は、未開の原始時代までさかのぼらなければ解けない問題でしょう。果たして、原始時代までさかのぼっても解けない問題かもしれません。大脳が肥大化したところに起因するような気もするんですけど。大脳の明晰さや緊張を、大脳自身が麻痺させようとする欲求なんでしょうか。他の生物は、アルコールは毒だと知っていて、近づかないようです。

類人猿は、酒を飲むそうです。以前テレビでやってました。なんとかという木の実をサルが食べてるんです。この木の実はお腹のなかに入るとアルコールに変化する物質をもっているそうです。するとサルたちは、酔っぱらってフラフラになって歩いているんです。果たして酔いを楽しむために、木の実を食べているのかどうか分かりませんけどね。木の実を食べたら酔っぱらってしまったというのが、正解かもしれません。でも、好んで食べるということは、やっぱり酔いを楽しんでいるんでしょうね。人間に近い構造なので、やっぱり、堕落形態も似ているんですね。

 ああ、こういう状態になりますと、あの言葉が聞こえてくるんです。「さるべき業縁のもよおせば、いかなる振る舞いをもすべし」という歎異抄13条の言葉が。業縁がはたらいてきたときには、それを止めることができません。やってしまうんです。どんな振る舞いをするか、予知できないんです。それは意志の力が弱いとか、理性が甘いとか、自覚が足りないとか、いろいろいわれるんですけど、そんなものでは止められないんです。もっと深く強いものがはたらいているわけです。

別に、その「業縁」というような実体がどこかにあるわけではないのですけれども。そんな「業縁」という奴がはたらいて私をそうさせてしまうということでもないんですけどね。でも、そういう性質が、とても強い性質が、備わっているんです。反省ではとても届かないほどの深さがあります。それでもやっぱり反省してしまうんですね。「あーあ、あんなに飲まなければよかったのに…」と。反省してしまうということも、業縁なんでしょう。止めることができません。

 深い深いところからやってくる「業縁」というやつに、翻弄されながら、重い身を引きずっていくしかありません。

 

2004年4月26日

芹沢俊介さんの本に『母という暴力』というタイトルのものがあります。あるお母さんが、このタイトルを聞くと、子どもを産むこと自体が犯罪のように感じて、嫌な感じを受けるといっていました。もう、子どもを産んでしまっているんだから、どうしようもないじゃないと。それを暴力だといわれてみてもどうしようもない。だからそんな本は読みたくないと。

 確かにセンセーショナルなタイトルですから、タイトルそのものに、ある種の力がはたらいてしまいます。でも、小生は、そこに芹沢さん自身の罪意識を感じるわけです。自分自身に深くある罪を自覚したところからの、懺悔の表現だと思っています。別に、第三者に向って子どもを産むことは暴力だから、やめて下さい、などといっているわけではないと思います。

 彼の語っている「母」ということは、象徴語であって、別に生理的な母体だけを指しているわけではありません。そういう意味では生理的な男性にも備わっている「母性」の問題を語っているのでしょう。

 それは愛の問題でもあります。愛は、無関心から暴力までを含んだ言葉ですね。愛の意味する範疇は、低次のものが無関心だとすると、その中間帯に恋愛や師弟愛や家族愛や隣人愛なんかがあって、一番高次のものは、暴力なってくるように思います。最終的には「あなたのため思ってやっているんだから、あなたは私の提案に絶対服従しなければならない」という暴力につながってきます。愛のレベルが低いときには、そこまではいきません。まあ相手の都合もあるんだから、そこそこで諦めましょうということになります。しかし愛のレベルが高次に達しているとき、相手への関心が、絶大になります。それはサディズムにも似てきます。相手の中へ自分を投げ込んでいくと、最終的には相手を食べてしまうということへも傾斜してゆきます。ひとがひとを食べるということもありますけど、生み立てのわが子を食べてしまうネコの愛情にも似ていますね。危険を察知して、相手に殺されるよりは、一番安全な自分の胎内に納めてしまおうとして、ネコは自分の子どもを食べてしまうのでしょうか。ここに最終的な愛の形を見る思いがします。愛は自己一体化をもって完結するのでしょう。

 どうしてもそうなってゆきますね。一体化する傾向を愛は必然的にもっているようです。そういえば、阿弥陀さんの愛もそうなんですね。「摂取不捨」の意味に「逃げるものを結わえとる」と親鸞は書いてますからね。あのひともずいぶん逃げ回ったんでしょうね。阿弥陀さんの愛は、生きとし生けるものを救う愛だといわれています。そういうと、ものすごく温かい愛情表現のように聞こえますけど、一方「逃げていくものを逃がさない」という表現は、まさに暴力を感じますね。だいぶ逃げ回ったひとじゃないと、ああいう解釈はできないのではないでしょうか。

 普通、「逃げる」というのは、そのものから遠ざかるとか、相手の力の及ばないところへ走り去るという意味ですね。しかし親鸞のは、「求めること自体が逃げることになっていた」という感じじゃないでしょうか。仏道を求めるということは、その道理に近づいてゆくことですよね。阿弥陀さんに近づいてゆこうとするわけです。しかし近づこうとすることが、実は逃げることになっていたという自覚から生れて来た言葉なんでしょう。

 阿弥陀さんは、そのままで来いといわれるわけです。人間に対して無条件の救いを約束しているんです。しかし、人間は「そのまま」では行けないと思っているんです。ですから、仏道を求めて一生懸命阿弥陀さんに気に入られるようにお化粧をして出かけようとするんです。一生懸命に仏道修行をするということ自体が、実は「逃げる」ということになっていたのですね。「そのまま」を忌避していたわけです。これが悲劇的なことですね。逃げて、逃げて、逃げまくって、とうとう逮捕されてしまったということでしょうね。

 その極致が「愚か」という世界なんでしょう。

 

2004年4月29日

いよいよゴールデンウイークに突入しました。毎年、ゴールデンウイークがやってくると、ホッとするんです。それはみなさんもそうなんでしょうね。季節もよくなってきますし、行楽に出かけようというエロスがムクムクと涌いてきますね。

 その反動なのでしょう、お寺では法事が激減します。休日なのに、ご法事が少ないという、普段にはないスタイルに入ります。五月以外は、土日はご法事がたくさんありますので、ゴールデンウイークが楽しみなんです。やっぱり、ゴールデンウイークにはゴールデンウイークの空気というものがありますね。これは不思議だと思うんですけど、休日には休日の空気というものがあります。「そんなものは、人間がつくった幻想じゃないか。鳥やネコには休日とか平日とかないじゃないか。そんなものは幻想だ。一週間が七日だとか、一年が365日だとか、全部幻想だ!」ともいえるんですけど、やっぱり休日には休日の空気に変わるんだと感じるんです。まさに「休日空気」です。

 都市のウナリが、なくなったように感じます。平日の都市には低音のウナリがあるんです。よーく、静かにしていると、低音のウナリが、ウワー〜ンとしています。これは、車の音や工場の音などが、混じりに混ざってつくり出される音なんでしょう。以前は、平日の夕方になると、すごく気になっていた音なんですけど、いまではまったく感じなくなっています。それが休日になると減少し、ゴールデンウイークになると、まったく消えたような感じになるんです。それで空気が変わったように感じるんでしょうか。

 確かに人間の世界を、人間の観念が作り上げた恣意的な幻想の世界だと定義すれば、その世界の中での出来事なのでしょうね。なんとなく、静かで、時間の流れもゆっくりして、人々のこころも、穏やかになっているように感じます。

 普段の土日でも、「休日空気」があるんですけど、ゴールデンウイークほど静かではありません。やっぱりゴールデンウイーク、そして年末年始の静けさとは違いますね。この「休日空気」はひとびとに何がしかのエロスを引き起こす作用をもっているようです。家でジッとしていられないような衝動を引き起こしますね。もう、ゴールデンウイークには旅行をするということが、家族の恒例行事になっているところもあるようです。

 そのエロスに導かれて、外へ外へと動き出すからでしょう。法事は御法度になっているんでしょうね。ゴールデンウイークに法事をしたいというところは、少ないです。これは因速寺だけの現象ではなくて、おそらく全国的な現象なのだと思います。ゴールデンウイークは、行楽にいそしむということが、全国民的なあり方なので、その時期に法事をすると、来られる人々に迷惑だと思うからでしょうね。この時期に法事の案内をもらえば、「なんでゴールデンウイークなんかに法事やるんだ!」といぶかしく思われるのではないかと考えてしまうからでしょう。以前、永代経法要をゴールデンウイークの最終の日曜日にしたことがありました。そのときの参加者は少なかったことを覚えています。そういう教訓をふまえてからは、ゴールデンウイークをはずすことにしています。(今年は16日です)

 しかし、小生は、この時期、寺に滞在する時間が長いので、いろいろな仕事を済ませることができるので助かります。世間の静かな「休日空気」を吸いながら、家族との共同の時間を過ごしたり、貯まっている仕事をこなしたりと、非常に有り難い時間であります。世間がゴールデンウイークの「休日空気」に気を取られている隙に、小生は、コソコソとみずからの陣地を構築したいと思っています。みんなが、遊んでいる隙に、コソコソと受験勉強を積み重ねている受験生のように、内心では姑息な考えだなぁと呆れております。まあ、所詮は、「ひとり相撲」ということなんですけどね。



 

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