住職のつぶやき2004/06


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2004年6月01日
●今月の言葉●
ココ
ココ
ココ
イマココニイルワタシ
ワタシハイマココニイル
ココ
ココ
ココ
ワタシハイマココニイル
ココガワタシノイマノ場所
ココヨリホカニワタシノ場所ハナカッタ
ハズカシイケレドモココガワタシノ場所ダッタ
ココ
ココ
ココ
ココニイルワタシ
ココニイルココガハズカシイケレドワタシノ場所ダッタ
ココガアカルイ
ココガアカルイ
スバラシクアカルイ
           (竹部勝之進『詩集はだか』より「ココトワタシ」)

この詩は、いまから、約30年ほど前に京都の専修学院院長・信国淳先生が紹介してくれた詩です。いまでも、この詩を読まれる院長先生の肉声が耳に残っているようです。ココ、ココ、ココというリフレインが、実にたましいに刻み込まれてくる感じです。言われてみれば、当たり前のことです。私がイマ、ココにいるということは、至極当たり前のことです。でも、その当たり前のことを、なんども確認されてくると、その当たり前が変化しはじめます。
 人間は、動物ですから、居場所を移動できる力をもっています。自分の足でどこにでも移動できるんです。ですから、この場所がいやならば他の場所へいくこともできます。目の前の自分の居場所を拒否して、どこかに彷徨いだしていくのが人間なのかもしれません。自分の居場所に満足しないということは、一面革新的であるように見えます。現状に甘んじてはいかん!という叱咤激励にも変化します。しかし、それは、同時に、いまの居場所を引き受けられないで、そこから逃げ出そうとしている弱虫な態度でもあるのです。どこかにほんとうの居場所を求めて彷徨いでても、そんな場所は永遠にないのでしょう。これは想像ですけど、竹部さんも、そうやって、イマとココから逃げよう、逃げ出そうとされていたのかもしれません。それは、イマとココから逃げていたのではなく、自分自身から逃げ出そうとしていたのでしょう。しかし、それが逆転してしまったということが、この光の体験ではないでしょうか。最後には「ココガアカルイ、スバラシクアカルイ」という言葉に変化してゆきます。
 ここに生の原点があるように感じます。自分を、自分以上に見せようとして、動き回って逃げていた自分が、等身大の自分自身に帰ったという感じです。自分の皮膚の内側に、自分がちゃんとおさまったということです。人間は動物ですから、どうしても、自分の皮膚から抜け出て、もっと大きく、もっと素晴らしいものへと肥大化しようとします。でも、それは、綿菓子のようなものです。それは、虚飾です。
 その虚飾の綿が一気にしぼんでみたら、等身大の自分があったのでしょう。自分の皮膚に自分がおさまるということは、安心するもんです。まさにフィットネスですね。それを堂々とうたいあげるというのではなく「ハズカシイケレド」という表現でされています。ここがまたいいですね。すべての表現が、「ハズカシイ」という原点からなされています。これは、南無阿弥陀仏の南無ということでしょう。すべてを永遠に投げ出してしまった姿です。自分を反省してハズカシイといっているのではないでしょう。その反省している自分そのものが光に照らされて、ハズカシイと表白されています。
 

2004年6月02日
長崎の佐世保で、小学生の女の子が同級生に切られて亡くなってしまいました。その前には、東京関東自動車道の事故で三人が交通事故で亡くなり、それから、兵庫県の加古川では、小学校五年生が、飛び下り自殺、それからそれから、十カ月の男の子がお母さんにどつかれて死亡しました。ビックリするやら、唖然とするやら、だんだんニュースを見ているのが辛くなってきました。
 まさに五濁悪事悪世界という雰囲気です。今朝は今朝で、佐世保のニュースで、どの局も持ちきりでした。まぁ、これは単なる事故という感じがしました。嫉妬と恨みが、変形してあのような事故につながってしまったのでしょう。詳しいことは分かりませんけどね。
 あのニュースを見ていたら、女房が、「同級生みたい!?」と言うんです。あの御手洗さんのお父さんが大分の小学校のときの同級生だったようです。もう何十年も会ってないから、ちょっと自信がないけど、あの仕種やしゃべり方、名前、体格を総合してみると、同級生に間違いないと言うんです。そうすると、三人称的な事件だったものが、俄然二人称的な事件として身近に感じられてきました。
 二年前に奥さんを癌で亡くし、今回の事件で愛娘まで亡くし、なんとも絶望的な感情が涌いてきました。彼は毎日新聞の佐世保支局長だという立場から、記者会見に臨んでいました。できるだけ、自分を遠くに置きながらしゃべろうとしていたことが、逆に、悲しみを誘いました。いままで、当然として、当たり前になっていた日常が、一気に崩れてしまうんですから、茫然自失ということが、ほんとうのところじゃないかと思います。
 マスコミは、どうして、こんなことが起こったのか?どうしたら、こういう事件が起こらないようになるのか?と問うていましたが、そんなことは、難しいんです。ひとつの結果があっても、原因は無数ですからね。ひとつの結果にひとつの原因という単純な生き物じゃないんです。人間は。
 まったく、生きるということは、辛いことです。悲しいことです。それでも、ご飯を食べて残されたものは生きなきゃならないわけです。それでも、人生に生きる意味なんかあるのか?とこころの奥底から問わざるをえません。それこそが、宗教的な問いなのでしょう。キルケゴールの『死に至る病』の「絶望」について、考えたくなりました。


2004年6月03日
昨日の葬儀で、「亡くなったひとは、どこに行ったんでしょうか?」と尋ねられました。「49日までは、この辺にいるんでしょうか?」と。
 小生は、こう答えました。「息を引き取った途端に、浄土へいくのです。浄土って言われても、そんな場所があるわけじゃないんです。たとえれば、空気のような状態へ戻るということでしょうね。」と。
 お尋ねのかたは、ちょっと、腑に落ちないという顔をされたように見えました。続けて「空気のような状態になるんですから、そこらじゅうにいるわけです。亡くなったひとの数のほうが、生きている人間の数にくらべて、圧倒的に多いんですよ。もし、霊が見えるというひとがいたら、そこらじゅうに霊があるわけです。いつでも自分のまわりに一生にいて離れないものが仏さんなんです。ですから、お盆のときの、迎え火とか送り火なんていうのは、やる必要がないんですよ」と。
 それを聞いていた奥さんが、「浄土真宗は私に向いてるわ!」と嬉しそうに言ってくれました。形式がうるさくないという面が、とても気に入られたようでした。昔は浄土真宗が、一向宗とも言われていて、「一向(いっこう)かまわん、宗だ」と揶揄されたようです。それは一面当たっているんですね。形式には一向かまわんという面がね。それも道理にかなっているので、べつにズボラという意味ではないんです。
 そういう意味で気に入られることは、よくあることで、小生も悪い気はしないんですけど、どこかに歯がゆさもあるんです。ズボラで気に入られる面があるからです。お彼岸やお盆だって、人間が作った習慣ですから、わざわざ混雑しているお盆やお彼岸に、墓参にいかなくてもいいわけでしょう。空いているときに、お参りにいけばいいんです。そうやって、人間の作った形式をどんどん本質論に返していくということが面白いところです。一面、理にかなっているんです。
 さっきの「空気のような状態」というたとえを、小生は気に入っています。空気とは、「永遠」の別名です。父母未生以前の永遠です。宇宙が出来上がる前の永遠です。そこは、時間も空間も存在しない永遠です。小生は、その「永遠」を思うとき、なにか、肩の荷が下りたような気がして、とても清々しい気分になります。もう二度と人間に生まれ変わることのない、素敵な世界です。小生を包んでいる空気は、地球上数千メートルまでしかないようです。ですから、宇宙空間には存在しません。しかし、仏さんはどこにでも遍満しているのですから、空気ではまだ、ダメなんですね。ほんとうは。でも、この透明感が永遠を思わせます。目には見えないということです。これは、宇宙でも地球でも共通している性質です。透明ということは、人間にとって、闇と同じように考えられます。透明であれば、光も通過してしまいますから、私たちにはどれほどの光があっても、目に見えないのです。光が光として人間に感じられるのは、光が障害物にぶつかったときだけです。何も障害物がなければ、透明であって、それは人間にとって闇と感じられてしまうものです。
 でも、ほんとうのところは、人間には分からないのですけどね。いかにも空気だとか、永遠だとか表現すると、小生が分かっているようです。しかし、ほんとうのところは分からないのです。それは、残念ながら分からないというよりも、分からなくて結構という意味なんです。親鸞も、自分は地獄にいくのか浄土にいくのか、わしゃ知らんと言ってますよね。死後の世界に関心がないんです。関心がないというよりも、そういう問題関心から完全に解放されているということです。これも譬喩的にいえば、そういう問題をすべて阿弥陀さんにまかせてしまったということなんです。人間の云々できる範疇の問題ではないよと、完全に放棄しているんです。この完全放棄の姿を第三者が見ると、ズボラのように見えるんですね。「なんだ、結局分からないんじゃないか」とけなされるんです。それは、知らなくていい問題ですし、逆に知ってしまったら、これほど恐ろしいこともないんです。世間には、死後の世界をことありげに語る人々がいますからね。
 浄土だろうが、あの世だろうが、地獄だろうが、それは全部<いま>、ここにしかないんです。「あの世」について語っているから、「あの世」があるように思ってしまいますけど、それは「この世」で語っているだけなんです。「この世」で「あの世」について語る限り、それは「あの世」ではなくて、「この世」なんです。まぁ、「あの世」があるといっておいたほうが、人々を説得するには都合いい面もあるんですね。
 そうそう、「浄土真宗は、お念仏していれば、安楽な極楽に生れることができるんだよ」ということも、ご遺族が語っていました。それも、一面は当たっていますけど、それじゃ信仰にはなりませんね。浄土真宗は<いま>しかないんです。自分がこの世が終わってどこにいくのか?というゴールが明確になれば、<いま>に全力投球できるという意味なんです。どこに向かって生きているのかということが不明確だと、<いま>がハッキリしてこないんです。それだと、<いま>が未来のための単なる手段になってしまうんです。明日のために<いま>があるわけじゃないんです。<いま>は<いま>のためにあるんです。
 でもそれは単なる刹那的な<いま>じゃなくて、永遠としての<いま>なんです。そこを間違うと、またまた刹那主義に落ち込みます。「いまさえよければいいんだ」という発想は、刹那主義です。全未来も全過去も含んだ<いま>が開かれてこなきゃダメなんです。
 人生の終点に立ったところから、<いま>を生きるといってみたらどうでしょうか。いつでも実は、終点なんですけどね。それが人間には見えていないだけなんです。


2004年6月05日
全日空さんのおかげで、貴重な体験をさせてもらいました。3日の朝、エアバスA320型機に登場し、鹿児島に向けてフライトしました。北風だったため、北向きに離陸体制に入りました。加速しながら、滑走路をはしり、地面を蹴って、フワッと離陸しました。グングンと高度をあげて東京湾を南下し、ベイブリッジを眼下に見ながら、機は上昇を続けました。しかし、ずいぶんと下界の景色が、よく見えるんです。小田原当たりにきても、「あれが、小田原市だなぁ」と分かるくらいの高度なんです。その当たりで、どうも変だなぁと感じはじめたんです。通常だと、その変では高度が8000メートルくらいになっているので、それほど、詳細には分かりませんし、もっと違った景色になっているはずなんです。エンジン音も、ゆっくりと聞こえるし、こんなにゆっくり飛んでいて、鹿児島に予定通りに着けるんだろうか?と思いました。
 やがて、富士山に差しかかりました。左下には、雄大な富士が見えてきたんです。残雪が頂上付近に点在し、黒い土色から麓にかけて紫色に変化し、その裾野には緑のジュータンが敷かれているという、絶景です。もう感動しました。友人は、その姿を携帯電話のカメラで、撮影していました。素晴らしいねと、話ながら、ウキウキしていました。おそらく高度は5000メートルか、その周辺じゃないかと思います。
 しかし、小生は内心、おかしいなぁと感じていたんです。いつもですと、こんな低い高度で、ここを通過するわけはないんです。梅雨前線の影響なのか、上昇中も揺れが大きかったものですから、管制官にリクエストして、違う高度に移行したのかな?とも思っていたんです。「あまり景色がいいので、遊覧飛行させてくれているのかね。それとも、なんかのトラブルかもしれませんね」と話していました。もちろん「トラブル」というのは、ジョークのつもりだったんです。
 ところが、富士山を通りすぎてから、機種を南に向けたんです。これも、おかしいなぁと思いました。こんなところで、ゆっくり遊覧していたんでは、予定時刻に着くことは無理だろうなぁとね。すると、機長からアナウンスがありました。話は、右エンジンに故障箇所が見つかったそうで、安全のために羽田空港に引き返すというのです。上昇することができないので、雲の下をゆっくり飛びながら、大島上空を通って戻るというんです。このアナウンスが入ったときは、一同のこころに緊張が走りました。果たして、無事に羽田に戻れるんだろうか?万が一、墜落するなんていうことはないんだろうか?と。
 機はゆっくりと、伊豆半島の真ん中を通過しながら、大島を目指しました。黄緑色の円錐形が大室山だと分かりました。その右には川奈ゴルフ場も見えました。対流圏を飛行するので、通常よりも多少揺れました。スチュワーデスさんにこれからの成り行きについて、聞きました。すると、故障ですと、整備士が入りますから、一時間以上かかるはずです。後発の自社便か、JALさんの便に変更していただくことになると思いますというんです。こっちは鹿児島での予定が決まっていましたから、困ったなぁと思いながら、暗澹と不安を感じながら座っていました。当然、終始、座席ベルトのサインは点灯したままですから、トイレに入ることもできません。やがて、大島のビーコンを通過して、通常の着陸体制に入り、南側から進入し、羽田空港に無事着陸しました。まぁ、無事着陸したから、こんなことを書けるわけですけどね。
 結局、代替機が用意されて、そちらに乗り移って羽田を飛び立ったのでした。乗客のうち二人は、代替機に乗ることを取りやめていました。もはや、鹿児島に行っても会議などに遅刻してしまい、無駄だと判断されたのか、それとも、こんな恐ろしい機械に乗るのはまっぴらゴメンだ!ということだったのかもしれません。予定だと、8時45分に到着するはずでしたが、10時45分に鹿児島空港へ着くことができました。梅雨前線の影響もあって、着陸時には大きく揺れたり、沈み込んだりで、ようやく到着できました。みんな、安堵感を感じているように見えました。後から思えば、あれは貴重な体験だったと思います。あの雄大な富士山の姿を、あんなに間近に見ることは、おそらく生涯のうちで二度とできないことです。また、富士山を左手に見ながら、南下して伊豆半島上空を通過するルートも、二度と体験することができないことです。そう思うと、とても貴重な体験だったんだなぁと思いました。
 鹿児島から東京へ帰るときのスチュワーデスさんに、今回のトラブルの話をしましたら、自分は、まだそういう体験をしたことがないと話していました。何百時間か何千時間かの飛行経験があっても、こういう体験をすることはないんだそうです。それほど希なことだと聞いて、あらためて、私たちの体験の貴重さを感じたんです。
 仲間のひとりが、JRなら特急料金を返してくれるのに、飛行機はダメなのかと話していました。小生は、「それじゃ、富士山の遊覧飛行の料金をいただきたいといわれたらどうするの?」と逆に問いました。そんな冗談がいえるのも無事に戻ったからなんですけどね。まったく生きるということは、九死に一生という現事実を体験することなんですね。


2004年6月08日
●佐世保の事件を契機にしていろいろなことを考えさせられます。昨日の論註の会では、オルファ・カッターのことが話題になりました。私たちが子どものころは、ボンナイフというナイフで鉛筆を削ったり、その前には肥後守という折り畳み式のナイフなどが、日常にありました。ボンナイフで鉛筆は削れるけど、オルファ・カッターじゃ削れないんだという話が出ました。それはナイフの切れ味・精度が格段によくなったということなんです。精度がよくなると、鉛筆を削るときに深く刺さりすぎたりして、逆に削りにくいんだそうです。ある程度、曖昧な切れ味のほうが、削りやすいのだそうです。切れ味としては、悪いけれども、そのほうが人間の身体感覚には合っているのです。
 もともと、道具は、人間の手足の延長のものです。ナイフやスプーンやフォークは、手の形を変形させたものです。その意味で、人間の感性の延長にありました。確かに食事をするときには、その程度の精度でいいわけです。ナイフがオルファ・カッター並みに切れたのでは危なっかしくってしょうがありません。フォークの尖端が、何ミクロンという精度になっていては、舌を刺しかねません。
 しかし、テクノロジーの高度化によって、私たちの日常に、身体感覚を超えた道具が散乱しているということなのです。現代ほど、機械に取り囲まれた生活を人類は体験したことがありません。電子レンジ、デジタルカメラ、カメラ付き携帯電話、ファクシミリ、液晶テレビ、全自動洗濯機、自動車。ちょっと身の回りの機械を考えただけでも、それほどのものがあります。また、作ろうと思えば、機械をつかって、もっと精度の高い道具を作ろうとするのが人類の知恵です。確かに、何ミリという血管を縫うためには、ミクロンという単位の針が要求されましょう。しかし、日常生活にとって、不必要に精度の高い道具が氾濫してしまっているということも否めません。
 あの佐世保の少女(加害者)は、オルファ・カッターが、あれほどまでに、被害者の首を深く鋭利に傷つけるものだとは、想像できなかったのでしょう。もはや日常の身体感覚を超越したところに、道具が存在してしまっているのでした。
知性は、ゼロか一か、白か黒かとデジタルにはたらきます。できるだけ精度を上げてゆく方法に働く傾向性をもっています。テクノロジーは、そういう宿命を負っているといってもいいのかもしれません。これを止めることはできません。しかし、バランス的に考えれば、それに見合った身体感覚を復活しなければ、ダメなんじゃないかと思うわけです。
 かつては、ナイフで指を切れば血が出てしまったり、小刀で手をケガしたりということは日常茶飯事でした。しかし、そういうマイナス面をどんどん削り取って、安全対策だけに目を配ってきたのです。事故が起きれば、その原因を取り除き、どんどん「安全」だけにしてしまったのです。学校で事故がおきれば、学校は安全管理の責任を問われ、その結果、学校は「ことなかれ主義」が蔓延してしまいました。出る杭は打たれるということですから、できるだけ、めだたないように、穏便に、学校運営ができればいいわけです。あの「管理責任」という名の悪魔信仰が瀰漫しているのです。
 それは、いいことですし、誰からも非の打ち所がない方策なのです。問題が起きれば、どうして問題が起こるような原因を放置しておいたのか?!責任者は誰か!責任を問え!ということになって、誰かが辞職するか、死ぬかすれば、それでみんな納得するわけです。結局、最終的にひとりの人間を人身御供にすることで、安心するわけです。むかしの、人柱や、イケニエの信仰と同じです。そんなことで、問題がなくなるわけがないんです。
 まあ、学校というものも、社会全体の中に存在しているわけで、社会全体の毒が弱い子どもたちをとおして噴出しているというふうにも見えるわけです。ですから、学校の問題は社会全体の問題なのです。私たちの問題なのです。
 これは、みんなが指摘するように、社会全体が、人間の理性中心に偏重しているわけです。もはや人間の身体感覚を完全に超えてしまっているわけです。身体感覚をもう一度取り戻すような方策がないものかと、思います。
 芥川賞を受賞した『蛇にピアス』にしても『蹴りたい背中』にしても、身体感覚を取り戻したいという欲求のあらわれのようにも読めます。ほしいものは何もない、ほしいものが何なのか分からない、それを教えてほしいという若者たちの深奥の叫びが聞こえてきます。
 しかし、そういいつつ、自分の体臭に嫌悪を感じたり、脇の下の臭いを消臭し、水洗トイレで、便の臭いを排除し、どんどんどんどん人間であることの「身体性」を排除していく傾向性をも生きているわけです。このアンバランスが、現代の病の根源のようにも思えるんです。いわば頭と身体が、分裂してしまい、バラバラに動きはじめている。それぞれが、右と左へとまったく逆方向に引っ張られ、どんどん加速して身体を分断しているように見えるのです。
 あのオウム事件のときにも、それは感じたことです。彼らのほしいものは、ひとことでいえば、「身体性」の回復だったのでしょう。頭は、すべてを知の支配下に秩序づけて管理統御することができます。「見えすぎちゃって困るわぁ」ということなんです。でも、自分の身体は未知の領域なんです。未知の領域が、一番身近なところにあるわけです。ここから、「超越性」へ飛び込んでいこうとしました。それが「修行」であり、インスタントな薬物を利用する悟り体験でした。
 まあ、身体性の回復、身体感覚の回復ということが、いま一番大切なことのように思います。それには、養老さんのいう「参勤交代」という考え方も面白いです。一年のうち、10カ月は都市で、後の2カ月は田舎で暮らすという提案です。この複眼思考も大事だと思います。
 わが教団でいえば、筆によって写経するという身体活動もひとつの手でしょう。写経はやはり身体活動であるから大切だと思います。別に、写経することが目的じゃなくて、写経をとおして何かを会得していくということが大事なのだと思います。写経して、それを供養するというような目的は不必要でしょう。ただ体を動かして文字を書いてみるというのも大事だと思います。
 親鸞が、念仏を観念念仏ではなくて、称名念仏だといったのも、そのへんに着眼があるように思うんです。観念の念仏は思いの中だけのことです。頭の中といいましょうか、人知の範疇のことです。しかし称名念仏は、声に出すわけです。音声にすることで、身体性を回復するということなんです。音声にすることによって、何かを期待することじゃありません。音声になって行為しているということ、そのことが大事なのだ、そのことがすべてだというわけです。
 身体感覚の回復を、いろいろと考えましょう。子どもには、許容できる範囲で危険を与えましょう。どのへんまで許容できるかは大人の度量です。大人がどこまで許せるかで子どものフィールドは決まってくる面があります。度量の狭い大人は、自分が安心したいために、子どもから危険を排除しようとします。それは子どものためを思っているわけじゃないんです。自分が不安だから危険を遠ざけようとするんです。それは「親の愛」だともいわれますけど、全然子どものためにはなっていません。親のエゴイズムという面もあるんです。
 昔のひとは「可愛い子には旅をさせよ」といいました。それは、危険を与えよということです。親のエゴイズムで安全の牢屋に子どもを閉じ込めてはならないということなんです。
 まあこういうことを言うと、またまた批判を受けるわけです。管理責任を問わなければ、だれが責任を問うんだ!またまた、事故が起きるじゃないか!そのときお前が責任をとれるのか!とね。だいたい「責任をとる」ということすら、どういうことか分かっていないわけです。ほんうとは、誰も責任をとることはできないんです。いつもいつも、どの時代でも事故や事件はあって、その都度、責任が問われて、「以後、このようなことがないように」としてきたんです。それでも、どの時代でも同じような事件や事故が起こるんです。ですから、責任をとるということ自体が、幻想なんです。
 「ひとつの結果には無量の原因がある」わけですから、単純に一対一対応ではありません。しかし、人間の身体感覚から、はるかに超越してしまった機械社会の中にあって、どういうふうに身体感覚を取り戻したらいいのでしょうか。そのことをひとりひとりが、自分の場で考えてみることが大事だと思います。
 そういったからといって、機械をただ使わないようにしようということじゃダメなんです。機械を十全に使いつつ、その中で身体性の回復を考えなければダメなんです。ですから、難しい課題なんです。人類がいまだかつて直面したことのない問題に、いま直面しているわけです。

2004年6月11日
昨夜のNHKテレビ「ご近所の底力」をご覧いただいた皆様には、大変失礼をいたしました。前宣伝のわりにといいましょうか、ほんの数秒間しか放映されず、過度のご期待をいだかせてしまいましたことを、深くお詫び申し上げます。
 本堂で二時間もかけて撮影しましたので、20秒は出るのではと期待していたのですけど、それは甘かったと反省してます。ほんの数秒間しか出ず、まったくご期待に沿えるものではなかったと、痛く反省しているところでございます。
 それも、生前に法名を名のるということの趣旨が伝われば、それで御の字だと思っていたのですけど、それすら伝わることなく、ただ、経済的な文脈の中で処理されていたことに、反感も感じているところです。「葬式を安く済ませる裏技」みたいなことで、生前に戒名をもらっておくという文脈でした。あれでは、どうして、生前に戒名をもらっておくことが、経済的なのか?という問いには答えられていませんでした。生前だと安く、死後だと高いという対比もなかったですからね。
 そんなことで、反感を感じていましたら、「テレビというものは、だいたいあの程度のものなんだよ。最初から期待するほうがバカなんだよ」というご意見も頂戴しました。「だいたいテレビはそういうものだから、最初から、撮影をオッケイするほうがよっぽどどうかしてるんだよ。」ということでしょう。まさにその通りでした。NHKを信じた私がバカだったのです。まあ裏切られることを承知で、引き受けたのですから、愚痴をいっても、全部これは私の責任だと感じているところです。なんというお調子者に生まれついたものかと、ただただ呆れています。
 まあ「生前戒名」というキャッチフレーズ自体がおかしいんですけどね。もともと「戒名」も「法名」も生前につけるのが正式であって、死後につけるものではないからです。ただ、現状では、死んだときに付ける名前だという通念が出来上がっていますから、あえて「生前」とつけなければ分からなくなってきてしまったわけです。その一般の通念のほうが、間違っているんですけどね。通念が間違っていると、正式なことでも、異常に受け取られてしまうんですね。恐ろしいものです。
 まあ、坊さんが信頼されない時代になっているということが、大きな問題なんですね。そもそも坊さんと門徒(檀家)とのインフォームドコンセントが成り立っていないということが大問題なんです。インフォームドコンセントが成り立っていれば、それこそ「百万円」を布施しても安いと感じるかもしれません。インフォームドコンセントが成り立っていなければ、「十万円」でも高いと感じるかもしれません。それは、客観的に決められるものじゃなくて、二人称の間で決められる問題です。二人が納得していれば、それでまわりがとやかくいう問題じゃないんです。インフォームドコンセントが成り立った上で、感謝の形が金銭という形をとってくるわけで、その反対じゃないんです。
 これは何度も書いたことですけど、全財産を寄付させるオウムのやり方に対して記者が質問していました。「麻原さん、全財産を寄付させるというのは、法外じゃないですか?」と。すると麻原は「それではいくらなら安いんですか?」と聞き返しました。この返しはすごいですね。布施は客観的な基準では決められないということを麻原はいったわけです。ある人にとっては十万円は安く、ある人にとっては高いんです。それは客観的に決めることができないんです。
 それはともかく、坊さんと門徒が、なるべる裏表なくつきあってゆけるという場が開かれていないとダメなんだと思いました。「裸の付き合い」なんていうのは、土台無理な話ですけど、できるだけ、裏表ない自分で、フラットな状態で出会ってゆきたいと願っています。ともに、凡夫の地平にいたいと思います。

2004年10月13日
●あんまりNHKのことについて、書きすぎたようで、皆さんに同情やら、マスコミはあんなもんだ…みたいな、慰めなどを頂戴し、当惑しています。うちに取材にきたスタッフは実に、一生懸命でしたので、好感をもっています。もう済んだ話ですから、引っ張らないようにお願いします。
 さて、昨日は、東京教区六組の一日バス研修で、茨城県大子町へ行ってきました。親鸞の孫が亡くなった場所(寺=法龍寺)へ参拝しました。息子の善鸞は、50代で親鸞から勘当されています。如信はその息子ですから、微妙な立場だったのではないかと想像します。自分のオヤジがおじいさんから勘当されるのですから、孫の立場は微妙でしょうね。京都に生れて、やがて、思春期のころに、関東へオヤジと一緒に来たようです。オヤジが異安心だということで、直弟子たちからパージされてしまい、北関東、それから福島(白河)のあたりまで、逃げたのでしょうか。どういうコネがあったものか、北に生き延びたんですね。
 おじいさんの親鸞も、最初は、関東の状況がよくつかめていなかったようです。関東に異安心問題が起こって、自分の代理として息子(善鸞)を派遣しました。しかし、親鸞の直弟子のほうが圧倒的に存在感や権力をもっていたようです。息子だからというだけでは、直弟子たちは重きを置かなかったようです。現在であれば、血筋ということが、説得力をもつのでしょうけど、その当時は、血筋以上に法脈が大事だったようです。あまりにも、善鸞の扱いがケンモホロロだったためでしょうか、善鸞は逆ギレしてしまうのです。「お前たちが聞いているのは、建前の教えだぞ!おれは、夜な夜なオヤジから本当の教えを聞いてるんだぞ!」と言ったというのです。これもほんとうかどうか分からないんですけど、どうなんでしょうか。
 まあ、結果としては、関東の門弟たちと善鸞は敵対するんです。その状況を聞いて親鸞はわが耳を疑ったようです。しかし、信頼を寄せている性信房たちが、再三に渡って息子の悪行を訴えてくるので、親鸞も、息子を勘当せざるを得なくなったようです。善鸞は、そのとき、反論の手紙を親鸞に送らなかったのでしょうか?これも疑問ですね。
 まぁ、晩年には親鸞も善鸞を許したということも聞いています。ですから真宗十派教団の中で「出雲路派と山元派」は、第二祖が善鸞になっています。父と子と孫という関係はほんと微妙なもんです。ここにも在家仏教の微妙さが、奇しくも表現されています。
 親鸞がどういう生活態度をとっていたかということよりも、親鸞の思想そのものが、ある種のハードルを壊していくはたらきを持っています。出家を壊してしまい在家へ、修行を壊してしまい念仏へ、人工を壊して自然へと。人間が何かを決めようとしたときに、その内部からそれを解体する動きが生れてくるのです。それだから、いつでも新鮮なものを感じられるんでしょうね。あらゆる過去よりも、現在は新鮮ですからね。あらゆる昨日よりも今日が新鮮です。

2004年06月13日
●「便利なものほど、リスクも大きい」。これは、その通りです。飛行機ほど空間を素早く移動できるツールはありません。携帯電話ほど、緊急の用事を素早く相手に伝えられるツールはありません。インターネットはもっとすごいです。地球規模ですからね。でも、ツールが便利になればなるほど、ツールにトラブルが起こったときには、被害が甚大です。
 最近では、インターネットをご覧になった上で、お寺にコンタクトしてこれらる方が増えてきました。まず、その寺の人間が何を考えているのか?どういうスタンスなのか?何を目指しているのか?そういうことをあらかじめ覗いたうえでコンタクトしてこれらるので、手間が省けます。こっちはタマシイのストリップのような状態です。昔、ありましたね。「覗き部屋」という風俗が。あれは、踊り子からは、観客が見えないようになっているらしいのです。マジックミラーで全面が覆われていて、観客側が暗く、踊り子側が明るくなっているので、踊り子から観客は見えません。ですから観客は、匿名でいられるわけです。これはたとえなんですけど、インターネットのホームページはそれと似ています。演じているほうは、どのように見られようと何も文句はいえないわけです。観客は好きなように見ていいわけです。そこに、匿名という安全が確保されています。
 しかし、善良なひとばかりではなくて、悪意で見るひともあるのでしょうから、そこには常にリスクがあります。大いなる悪意は、「インターネット・ウィルス」を作っている人間ですね。毎日、何通もウィルスに感染したメールが送られてきます。それを削除するのが日課になってしまっていて、もうなんとも思わないんです。なんだか、自然発生的に生まれた病原菌のように思えてしまうのです。あれを「ウィルス」と呼ぶから、風邪にでもかかったような感じに受け取れるのですね。ウィルスじゃなくて、テロとでも呼んだらどうでしょうかねぇ。あのウィルスを作っている人間には、悪意がありますね。まぁ「愉快犯」という奴でしょうか。ひとを困らせて喜んでいるという輩です。
 それでも、何らかの対策をとらなければなりません。ウィルス駆除フソトを注射しておかなければなりません。ですから、便利さと比例してツールにはリスクが増大するものだということをよくよく知ったうえでツールと付き合わなきゃダメなんでしょう。小生も、ずいぶん痛い目にあっているので「機械は信用しねぇぞ!」というスタンスでやっています。ですから、危険は承知のうえでぇ!ということです。悪意で用いたいひとは、どうぞ悪意でやってくださいということです。そのくらいの開き直りがなければ、ホームページなんかやめたほうがいいんです。
 寺は、何もしなければ、しないで済んでいける場所でもあるんです。葬式法事という、鎮魂慰霊の習俗だけやっていれば、それで一生を終わることも可能です。「葬式仏教じゃダメじゃないか!」と社会から批判されようと、「おれの知ったことか!」とうそぶいていれば、一生は終われるわけです。どうせ、布教しようとしても、振り向いてくれるひとはいないんだから、所詮やってもダメなんだよと無気力になっていれば、それで一生は終われるんです。
 それは、そうなんです。小生も無気力だったことがあるんです。いくらやっても、ひとは全然振り向いてくれないんですから、「お前らバカか!もうやめた!」と逆ギレしたときもあったんです。でも、その熱病から覚めてみたら、ひとりで相撲をとってグルグル回りしていたことが分かったのです。ひとを相手にしていたんではダメなんです。世間や社会を相手にしていたんではダメなんです。ひとの評価や関心はどっちでもいいんです。ですから、教団のため、教えのため、社会のため、仏教のため、というところからエネルギーを汲み取ろうとしても、それはできないのです。それでは、どこまでいっても「他律的」になってしまうのです。そうじゃなくて、まず、自分がどうなのか?何を表現し、どういう出会いがほしいのか?何がしたいのか?そういうことから自発的なエロスが導き出されないとダメなんです。そうなると、ひとの評価や社会の評価、ひとが頷こうが批判しようが、どうでもいいという世界が開かれてくるんです。自分が楽しく遊んでいなければ、ひとは緊張してしまいます。ゴリラに近寄って間近で観察するときには、ゴリラが食べているセロリと同じものを食べるのだそうです。食べる真似をするのだそうです。そうすると、ゴリラは安心していて、間近に近寄っても、緊張したり襲ったりしてこないんだそうです。これは動物の本能とつながっています。
 お寺で自分が面白がってセロリを食べていれば、人々は安心して近寄ってくるのではないでしょうか。そうではなくて、お寺に来た人間を食べちゃうぞ!という思いを内心に秘めていたのでは、ひとは緊張と危機感を感じてしまうことでしょう。どれほど、寺のエロスを食べ尽くし蕩尽し尽くしているかということが要のような気がします。
 話を戻します。
でも、インターネットは、どこまでいってもツールに過ぎません。最終的にはフェイス・ツー・フェイスで完結するのです。フェイス・ツー・フェイスのお膳立てをしてくれるものがツールというものでしょう。ですから、宗教は「面授」ということを大切にしてきました。面と向かって感じ合うということです。そうはいうものの小生は、面と向かうのが苦手です。真正面で向き合うのじゃなくて、九十度の角度で向かうのが好きです。目と目を見合って話し合うのは大嫌いです。目と目を見つめ合うと、自己の内面に深く入ってゆけないのです。目を見ないでお互いに、自己の内面に深く降りながら対話してゆくのが好きです。
 小生は内向的な性格なのですけれども、最近、少し、もしかして人間が好きなのかもしれないなぁと思いはじめています。

2004年06月15日
「お前が二十歳に〜なったら〜。二人で酒を〜飲みたいものだ〜。ブッカキ氷に〜焼酎入れて〜肴は〜あぶった〜エイのヒレ〜。お前が二十歳になったら〜。女の話で飲みたいものだ〜ハシゴハシゴで、明日を忘れ〜お前の二十歳を祝うのさ〜」これは、河島英吾の「野風増」(ノフウゾウ)という曲の一節です。
 長男がようやく二十歳を迎えたので、昨夜は、この歌詞のように、一緒に飲みすぎてしまいました。子どもが二十歳になることで、ひとつ親の肩の荷が軽くなったような気がします。それでも親子の縁は死ぬまで切れないもので、どこまでいっても運命共同体ではあるんですけどね。
 思春期〜青春期は、チョウチョにたとえればサナギの時期です。幼虫からものすごくグロテスクなサナギに変身します。外からみると恐ろしいエイリアンのような恰好で固まります。人間にもサナギの時期があって、外界と壁を作って相手を受け入れないような時期があります。でもサナギの内側では、成虫になるために、毎日猛烈な動きをしているわけです。大人からみると子どもたちは、サナギに見えます。でもその内側で猛烈な成熟過程を経ているわけです。それを外側から見ることはできません。あるとき、成虫になって殻を破って出てくるんです。そのとき初めて、そうか、内面ではものすごい展開と成熟をしていたのだと感じるのです。
 その時期は、とても危険な時期でもあります。性・暴力・薬物・賭け事・暴走などの負の側面が開花する時期でもあります。俳優の窪塚がビルから飛び下りたのも、そういうサナギ期特有の揺れがもたらしたものじゃないでしょうか。思春期のころに自殺を試みる子の特徴は、理由がほとんど分からないことだそうです。ものすごく人生を速く生ききってしまって、もう自分は生きる意味がないと判断してしまうんでしょうね。あるいは、大人という汚い世界に身をひたすくらいなら、いち早くこの世界からおさらばしたほうがいいと感じるのかもしれません。とても、純粋で無垢なこころの持ち主たちが、そういうことをやるわけです。
 小生も、自分の青春期を振り返れば、ほんとにきわどいことが多かったように思います。まかり間違えば、あっちの世界へ行っていたのではないかということはあるわけです。ですから、たまたま、辛うじて、いま「生」の世界に身を置いているということなんです。ですから、自信満々で「生」を肯定したり、「生きるって素晴らしい」と表現することはできないのです。ほんとに「たまたま」ですからね。
 たまたまの縁で親となり子となり、よくよくの縁で家族になっているんですね。いま自分の生が成り立っている背景を考えてみると、まさに「よくよく」の縁なんですね。奇跡的なことなんですね。

2004年06月17日
●昨日、教学館主催の公開講座が開かれました。講師はあの『納棺夫日記』の著者・青木新門さんでした。
 満州で、ご自分の妹を亡くされた原体験が、いまの青木さんのたましいの核を為しているように思いました。たまたま就職先が、「○○互助会」という葬儀会社だったということもあって、やがて、納棺の専従職員になっていくのです。納棺夫という言葉は、現代語ではないらしいんですね。辞書にも書いてありません。誰いうともなく、遺族から「納棺夫がきたぞ!」という声に初めて、「ノウカンフ」という音が存在したそうです。
当時は、どの家庭でも百パーセント、身内が死者を納棺していたようです。男衆が、酒を飲んで、さあやるか!という感じでなされていたそうです。なかなか素面では難しい作業のようです。人間の体は死ぬと、穴という穴から、液体が出てくるそうです。それも膿のような血の混じった液が出てくるそうです。遺体をひっくり返しながら、死に装束をさせることが、大変な作業になってくるそうです。まったく、むごたらしい様子なんだそうです。
 それでも、丁寧に、上手にされる身内の方もいるそうです。そんな身内のやり方を青木さんは見ていたので、「こういうふうにやってあげたらいいんじゃないですか?」と、別の場面で助言したそうです。「分かってるなら、お前がやれ!」ということになって、とうとう、自分が納棺をするという結果になってしまったそうです。
 納棺を専門にするひとがいるらしいということを聞きつけて、依頼を受けるようにまでなったそうです。しかし、身内には、納棺夫であることを隠しながら、仕事を続けていたようです。ところが富山県は人口が35万人くらいですから、ウワサが広がってしまい、おじさんが血相変えて駆け込んできたそうです。
 死体を拭くような仕事はやめてくれ、身内の恥だからやめてくれ、という要求だったようです。おじさんとも決裂して、勘当という状態になったようです。死穢への差別ですね。
 お話の中で、感動したところは、いままで納棺夫を卑下していたのに、あることを転機として誇りをもって作業ができるようになったという話でした。これにも予期せぬ出来事が縁となっているのでした。以前の恋人のお父さんを納棺するということになってしまったようです。恋人は、東京へ嫁いでいたので、まだ実家(富山)にはやってきていなかったようです。よかったと胸を撫で下ろして納棺の作業をしていました。汗だくになって作業をしていると、青木さんの額を拭いてくれるひとがありました。それは、会いたくないなぁと思っていた恋人だったのです。ハッとしました。それでも、作業をやめるわけにはいきません。最後まで終わりました。そのとき、彼女の目は涙をため、青木さんにこころの底から、感謝をあらわしていたそうです。その彼女のまなざしによって、青木さんは納棺夫という仕事をしている自分が丸ごと肯定されたように感じたといいます。
 いままで卑下していた仕事に誇りを感じ、彼は、医者の着る白衣を購入し、ドクターバックに道具をつめて名実ともに納棺夫となったのでした。何を着るかなんていうことは、まったく決まっていません。まさに青木さんが独創によって作り上げた仕事の領域でした。
 この卑下から誇りへの転換は、私たち僧侶にも共通している課題だと感じます。世間からは葬式仏教じゃだめだ!と批判されていますから、なんとかしなければと忸怩たる気持ちをもちながらも悶々としているという状態が、「良心的」な仏教者の精神性だと思います。その悶々すら感じていないじゃないか、もう末期症状だと批判するひともいます。
 しかし、法事・葬儀という習俗を中心にして動いてきた寺院は、なかなか親鸞の思想と合致していかないんです。親鸞は「父母の供養のためにいっぺんも念仏したことがない」とか「自分が死んだら加茂川の魚にやってくれ」といったり、「不回向だ」、あるいは、「出家のひとの法は、国王に向かって礼拝せず、父母に向かって礼拝せず、六親につかえず、鬼神に礼せず」ともいっています。およそ、習俗としての死者儀礼とは相応してこないんです。
 そこで現場の、いわゆる「良心的」な僧侶は悩むわけです。そこからなんとか、教えと習俗の折り合いをつけるために、一切の儀式は、仏縁であるという位置づけをしてきました。「亡き人を縁として」「葬儀を縁として」「お盆を縁として」という位置づけです。それは正しい受け止め方なのでしょう。しかし、どうしても、儀式は方便であって、教えが真実だという使い分けが生じてしまうのです。儀式は、まぁまぁどうでもいいんだ、むしろそれを縁として正しい法を伝えることが重要なのだと。
 その状態では、どうしても葬儀・法事を卑下していた青木さんの精神性とつながってしまうように思うのです。まぁ、堂々と儀式をするというのも、どうかと思いますけど、しかし自分のやっている儀式にエロスを感じないで、方便だと軽く見ているとしたら問題ではないでしょうか。小生は、もっと儀式を「遊ぶ」べきだと考えています。青木さんが、自分なりに、前代未聞の「納棺夫」という像を彫像していったように、創造的な遊びがそこにはあります。通夜・葬儀は、ある種の神話的な演劇空間なんです。その演劇空間の主役になって、その舞台で自由に遊んでみるということが大事だと思います。
 教団としては定式があるんですけど、それを自分なりに現場の住職がアレンジしていくべきじゃないかと思うんです。音楽の世界でもそうです。原曲があっても、それを編曲しなければ、売り物にはなりませんよね。原曲が教団の定式であれば、それを編曲していくというのが末寺の僧侶の仕事であり、エロスを感ずるところではないでしょうか。
 小生も、若いころは通夜・葬儀が嫌でした。嫌いということは、どこかに葬儀・通夜を執行する自分に対する卑下があるんです。まぁ、「良心的」な僧侶は、自分などに大事な葬儀を執行する資格が果たしてあるのだろうか?と悩むわけです。とても、そんな資格はないなぁと思いつつ、それでも浮世の義理で仕方なく出かけていくわけです。
 それでも、少しずつやっているうちに、徐々に通夜・葬儀に対する小生の態度が変わってきたのです。それは「自分は何もできないものである」という目覚めを得てからです。遺族を慰めるということであれば、亡き人をよみがえらせるということしかないんです。それは小生には不可能です。また、よみがえらせることができないであれば、どれほど、素晴らしい儀式を執行しても、ゼロに等しいんです。ほとんど、無意味なんです。それであれば、自分は何もできないものでありますし、もともと何もする必要のないものであるのかもしれません。そう気がついたときに、ものすごく通夜・葬儀の場が楽になったのです。
 むしろ、小生が何かをはたらきかける場所ではなく、小生が死者から何らかのメッセージをいただく場所なんだと場が転換してきたのです。そして棺のなかの故人とフラットな形で対面できるようになってきました。じっと故人を見つめていると、みなさんとても安らかなお顔をされていることがわかります。人間という苦しみの生活を終えて、ようやく仏さまに成って満たされたお顔をされています。生きている人間のほうが、欲がらみの醜い顔になっています。自分もああいう顔に成りたいなぁと思うようになりました。
 小生にとっては、何かをはたらきかける場所というよりも、何かを感じ取らせてもらい、何かを教えてくれる場所が通夜・葬儀なのです。そうすると自然と通夜・葬儀が、尊いものであって、また創造の場でもあることに気がついたのです。自分が故人から感じ取ったものをフィードバックしてお伝えする場所へと変わっていったのです。感じたまんまをフィードバックするのですから、作為性のレベルが低くなってきます。作為性が完全になくなることはないんです。ただそのレベルが低くなってくることは間違いないんです。
 何もしなくてもいい、ただその場所にいるだけでいいということが、いまの心境です。その場所に出会わせてもらえるということが有り難いのです。故人にとっては赤の他人でしょうけど、その赤の他人が棺の近くでいろいろなものを感じさせていただくのですから、とても有り難い場所なのであります。いのちの何事かを学べる学校が、小生にとっての通夜・葬儀なのでしょうね。
 また演劇空間でもありますから、衣装もちゃんとしていなければなりません。照れくさそうにキラビヤカな衣をつけていたのではダメなんです。衣装は衣装とし、ちゃんと着こなされていなければなりません。ある種の「聖なる役割」を衣装はかもしだしてくれるのです。非日常性の演劇空間なんですからね。そして、発声も大事です。声を発することで、その空間がまた「聖なる空間」に転換させていくんです。それは聴衆のためもありますけれども、それだけではありません。自分自身のたましいがより深いレベルに降りていくためでもあるのです。より深いレベルに降りていくことで、よりふかく感受性が高まってくるのです。小生のたましいを震わせる読経は、聴衆の胸を震わせる読経の響きでもあるのです。これは、やってみれば分かることです。自分の耳と聴衆の耳がひとつになってくるような感じです。ですから、自分がその声に感動しないようでは、聴衆は感動しません。それは声の善い悪いではありません。深くなればなるほど、だれでもが頷く音声があるはずなんです。
 そうそう、「遊べる」ということは、まず自分が自由になっていなければなりません。どれだけ自由になれるかということが勝負です。親鸞の系譜は「非僧非俗」ですから、俗性と聖性を兼ね備えていないとダメなんです。最近の僧侶は元気がないぞ!といって、空元気をかきたてようとする人びともいます。自信をもって、僧侶は故人を導かなければならないと豪語しているひともいます。そうなってくると、俗性にウソをつくことになります。やはり自分のような一介の凡夫が、葬儀をつとめることなんてできないんです。資格はないんです。その資格のないものが、仮に導師を演じさせてもらっているんです。ですから、導師である人間のほうに自信をつけたんでは偽善になってしまいます。どこまでいっても、無資格のものがやっているという自重が大事なんです。重んずるのは、人間ではなく、法そのものでしょう。

2004年06月20日
●十万年くらいの単位で、ものを考えることも必要ではないでしょうか。
 ちょっと、現代では近視眼的になりすぎていて、ちっちゃな事に目くじらを立てすぎるんじゃないでしょうか。みんな、ちっちゃな事が、気になって仕方なくてどうしょうもないという焦りさえ感じてしまいます。もうちょっと、長い目で、つまり十万年くらいの単位でものを受け止めてみるというのも大事じゃないかなぁと思います。
 確かに、円高で一円上がった下がったといっては、戦々恐々とすることも大事なんでしょうけどね。やっぱり、デパートじゃ一円足りなきゃ売ってくれないし、一分過ぎてしまえば、JRの電車は発車してしまいます。それも大事なんしょうけど、しかし、経済的にも、時間的にも、そして人間関係でも、あまりにちっちゃな事で、ギスギスしすぎじゃないでしょうか。許し許されるという穏やかな関係があってもいいと思います。
 お寺という、人間の生と死を見つめさせられる場所に生活していますと、ほんと、現代が近視眼的になりすぎていて、怖いくらいですね。もっと曖昧で、もっと灰色で、もっと黄昏の状態を大切にしてゆきたいと思います。それだから、小生は夕方から、夜が好きなのかもしれません。一日の仕事が終わって、居酒屋さんの暖簾が出され、いまころですと店の前に打ち水がしてあって、路地をゆくと、風鈴がチリンとなるような、そんな黄昏時が大好きです。黄昏時は、人の顔も昼間とは見え方が違っています。どことなくホッとして一日が終わった落ち着きを取り戻しています。
 おそらく、原始人も、我々と同じような夕暮れの西の空を見つめていたんでしょうね。いま、小名木川の貨車の引き込み線が撤去されて、広大な土地が広がっています。すでに再開発の予定地になっていて、巨大なショッピングセンターやら住居が建つらしいです。広大な荒れ地にたたずんでいると、こんなにも空が広かったのかと、びっくりします。建物があると、空の範囲を狭めてしまうんですね。建物がすべて取り壊されて荒れ地になっている空間は、原始時代の荒野と重なっているのだろうと思います。
 小生の100代前くらいの先祖が、原始人としてこの地を跋扈していたのではないかと想像します。その原始人の体内にあったDNAを小生は受け継いでいるのです。やっぱり原始人なんでしょうね。血液型がどうのこうのといってますけど、あんなものは、いいかげんなものだと思います。だってAに近いBや、Bに近いOなどがあって、判然と分けられるもんじゃないでしょう。でもだれしもが原始人であったことは間違いないのでしょう。
 昨日のBサロンでも、「そんなこと言ったって、おれは生きてるんだよ」というひとがあったので、小生は「いや、死んでるんですよ」と応えました。相手は「えーっ」という顔でしたけどね。つづけて小生は「生きていると思ってるだけで、本当は死んでるんですよ。死んでるんだけど、生きてると思って迷ってるんでしょう」と言ったように記憶しています。多少酒も入っていることもあって、そんなふうに応えました。本当は死んでるんでしょうね。ただ生きていると思っているだけなんでしょう。正確にいえば、死につつある状態だということです。生きるということは、死につつある状態を継続しているということです。終着点は死です。これは間違いないところです。ですから、生とは「いまだに死んでいない状態」です。上に放り投げられたボールが、地面に向かって落下しつつある状態と似ています。死に向かって落下しつつある状態が生です。
 ですから、「思い」には死は存在しないんです。私たちの「思い」は永遠を思い描いています。「限界」なんて全然考えていないんです。ひとの死を見て、自分もああなるんだなぁと思い描いていいるだけです。自分がなくなるなんてことは「思い」は受け入れられないんです。 ですから、そうギスギスと自分は生きてるんだ、という思いを確固としたものだと思わないほうがいいんです。そこは曖昧にしておいて、生きているのか死んでいるのか本当はよく分からないと思っている程度でいいんでしょう。そのへんが柔らかくできていると、何かと便利がいいですよ。柔軟性が生まれてきますからね。何かとぶつかっても、こっちが柔らかければ、事故の被害は低く押さえられますからね。柔らかくいきましょう。


2004年6月24日
●聖書の教えと真宗の教えが似ているという感想を頂戴しました。確かに、共鳴する部分がたくさんあります。その理由として、イエスが仏教を知っていたからだとか、あるいは、浄土教(真宗)が、ネストリウス派(キリスト教の亜流)の流れであるからだとか、そういう宗教発生史的な観点から考えるのは面白くありませんね。また証明しようもないでしょう。
 やはり、「ほんとう」ということが、人間にはたらくときには、似たような表現にならざるをえないということじゃないでしょうか。「ほんとう」ということは、民族や時代を超越するものでしょう。でも、人間は、「ほんとう」の片鱗をつかまえると、自分のところにだけ「ほんとう」があるような錯覚にとらわれてしまいます。「ほんとう」を自分の掌中に収めたような気になるんですね。その「ほんとう」は自分のところにだけあって、相手のところにはないような錯覚ですね。でも、自分のところに「ほんとう」があるのであれば、相手のところにもあるのかもしれないという想像力が大事なんでしょうね。
 小生は「ほんとう」は人間の外にあるのだと考えたほうがいいように思います。いつでも外部にあるものだとね。ですから、「ほんとう」に触れたと思ったときでも、それは、人間の掌中に収めてはいけないと思わなければダメなんでしょうね。
 むかし、よく山へ行きました。山ではこんなことをマナーとしているんです。「山から持ってかえるのは、思い出だけ。残していいのは足跡だけ」と。これが登山者のマナーなんです。でも、心ないひとたちが、高山植物などを採取して、持ってかえってしまうのでした。自分の掌中に収めないと気が済まないんですね。でも、山の草花は、そこに咲いているから元気であって、美しいんです。自分の庭に閉じ込めてしまったら、台無しです。いつでも、自分の身近なところに草花を独占したい、自分は山へ行くことなく、いつでも見ていたい、こういう欲望が、マナーを破ってしまうんですね。傲慢なものです。
 「ほんとう」ということも同じだと思うんです。「ほんとう」を自分の掌中に収めてしまったら「ほんとう」は腐ってしまいます。いつでも、「ほんとう」の世界に「ほんうと」を残しておける勇気、そこに清々しさがあるんです。その「ほんとう」の泉から、人間は少しだけ水をいただければいいんでしょう。どの宗教でも、どの思想でも、その「ほんとう」の泉から、少量の「ほんとう」を頂戴して表現しているにすぎないのではないでしょうか。人間のこころをうったり、感動するのは、その中に流れている「ほんとう」に触れるからではないでしょうか。そう考えるようになってからは、何教だとか何宗だとかは、最重要な問題には見えなくなりました。最終的には、ひとなんです。個人なんです。この宇宙に存在する、たったひとりの個性なんです。


2004年6月26日 
●昨日、加藤典洋さんのお話を聞きました。「他力の努力とは何か?」ということを主題にしてお話が展開しました。この主題は、私たち教団人を意識してのことかと思ったのですけれども、あながちそうではないということが、お話を聞いていくうちに分かってきました。文芸批評や現代の小説の未来を考えてきた、ご自分の精神史の中からおのずから凝固してきたテーマのようでした。
 1995年の震災とオウム事件をへて、小説が「ある萎縮」を起こしたと氏は語ります。
「1990年代以降、2004年を迎えた現在までのおよそ十五年間に数多くの小説に接し、感じられること。それは、この出来事の後、日本の文学と社会に、ある萎縮が起こったのではなかったか、ということです。現世を否定すること、あくまで軽薄に唾を吐くこと、彼方への欲望に身を委ねること。それに対して、足がすくむようになった。そして一方でその萎縮への反動として、やみくもな破壊や大きな共同体といったものへの自己投入が、空転するままに描かれるようになった。」(『小説の未来』朝日新聞社)と。
 オウムの目指したものは、「現世否定と彼方への欲望に身を委ねること」でした。それを突き詰めた形で示したのがオウム事件でした。その突き詰めた結果が、あまりにもセンセーショナルなものであっただけに、その反動というか揺り戻しがおかしな現象として現われているというわけです。
 オウムは「自力の極致」だということになると、それでは、「他力の極致」とは何か?が問われてくるわけです。現世否定とか、彼方への希求ということが破れたから、今度は一気に現実に舞い戻るということでは、人間が萎縮してしまうわけです。60年〜70年代の若者たちが理想に燃えて全共闘運動を戦いました。しかし、結局現実は何も変わらないじゃないかといって、社会生活に安住してゆきました。安住なのか埋没なのか分かりません。そこには、形を変えたニヒリズムがあるように思います。「どうせ、世間や社会は、理想どおりにはいかないもんだぜ」とかつての自分自身の姿とダブらせて、現在の状況に唾を吐いているわけです。
 しかし、そういう状況の中にあって、それにも関わらず、理想なり、夢を描いてゆけるか?ということが、これからの問題なのでしょう。(「これから」なのか、「永遠の課題」なのかね)
 ひとには理想がなければ生きられないという面があります。それは大統領になろうというような理想もあるでしょうし、家族を大切に愛したいという理想もあるでしょうし、病床のかたが、今日よりは明日、明日よりは明後日、良くなるに違いないという理想まであります。自分では無自覚であっても、人間は何らかの理想をもっているように見えます。そういう理想がちゃんと、育ってくる泉を大切にしたいと思います。
 そういう意味では、仏教の中でも浄土教は特異だと思います。いままでの仏教は、「一切皆空なり」とか「諸法は無我だ」とか、「分別を破れ」とか、そういう人間の実体的な発想を破ろうとしてきました。つまり「現世否定」ですね。しかし浄土教は、その原理を「淨土へ往生する」という神話的な形で表現するのです。まあ、現代では宇宙空間に淨土という場所があって、そこへ行くんだと思っているひとはいません。ですから、言葉だけあって、実体がないということでもあるんです。いやいや、「意味」としてあると言ったほうが正確ですね。しかし、私たちの理性は、そういう実体的な世界観だけで成り立っているわけではありません。夢であるとか、自分がなぜ人間として生まれたのかとか、なぜ死ぬために生きているのかといった実存的な部分も抱えているわけです。そういう実存の問題に答えるためには、文学とか神話的な表現であるとか、深層心理学や宗教がなければなりません。
 そういう実存の問題に対応して、「淨土」という表現が要求されてきたのでしょう。理念的に「淨土」という理想郷をひねり出したというものではないと思います。もう、生理的な欲求に近いくらいの表現ではないでしょうか。
 親鸞は、自分が死んだらどこへいくのかという問題関心から解放されています。それは、如来が決めるべき問題であって、自分は如来の連れていってくれるところへいくだけだという形で、解放されています。それは、理性的判断を中止したということではなく、気になって仕方がないという問題関心から完全に解放されたということです。
 それは別の表現をとれば、<いま>淨土からひかりが届いているといってもいいのでしょう。淨土に旅立つのは、<いま>だというわけです。あと何年先というようなことはないのが、いのちの現事実だというのです。ですから、<いま>、即の時に淨土に往生するのが真の浄土教だと親鸞はいいます。「やがて」とか「少しずつ」とか、「そのうちに」というようなことは、ダメなんだというのです。ですから、親鸞が見ている人間は、「臨終」の人間なんです。元気で生きている人間であっても、いのちの事実は「臨終」だと見るわけです。
 しかし、手紙などの表現をみますと、「ようよう少しずつ」というようなことも言ってるんです。昔は阿弥陀さんのことなど知らないで、欲望を謳歌して生きてきたけれども、今日この頃は阿弥陀さんの教えを聞いて、少しずつ、欲望の罪にも気がついて、少しずつ教えに馴染んできたのでしょう、というような表現です。このような「二人称」の場面での表現と「一人称」の場面での表現とでは、だいぶトーンが変わっています。原理的には「一人称」の表現を取りつつ、臨床の場面では、「二人称」の表現も受容するという形です。
 でも、本当に言いたいことは、「一人称」のほうじゃないかと思っています。つまり、腹は一人称にあるんだよなと思うんです。「淨土に往生するためには、何もしないでいい」ということがあるんでしょう。こうしたらああなるとか、そういう方法論的な発想に死になさいということなんです。<いま>死になさいとね。そうなると、主体が変わるんです。主が客になるわけです。能動がなくなり、絶対の受動の世界になるわけです。「見る」のではなく、「見せられる」のです。「行く」のではなく「行かされる」のです。「考える」のではなく、「考えさせられる」のです。「生きる」のではなく、「生かされる」のです。それを親鸞は「如来の回向」と表現したのだと思います。自分は一瞬一瞬、日常生活の中で判断し選択して行動していることは間違いないんです。でも、それを選択したこと、行動したことの受け取りかたは、絶対受動なんです。
 そこには、底流に縁ということがあるんです。自分でしたいと思ったことができるのも、あるいは失敗してしまうのも、それはすべて縁であると受けとめているのです。思っていてもできないこともありますし、思っていなくてもしてしまうこともあるわけです。その全体が縁という妙味で展開しているのだいうことです。それが自分にとっては「〜される」と受けとめられるわけです。
 ある意味では、「理想」に死ぬということもしれませんね。理想が叶うかどうかは縁が決めることだからと、知りながら理想を描いて生きるということなんでしょう。どちらに重心があるかといえば、縁のほうなんでしょうね。それだからといって、「すべてが縁が決めるんだ」と達観していられるかといえば、そんなことでもないんです。やっぱり、日常生活の時間に追われ、問題に追われ、一分一秒を削って仕事をしなければならないわけです。そういうミクロの生活と、それから、マクロで見た生活とが同居していなければならないのでしょう。
 どうも吉本ばななが「何も変わらない」と小説で語っているのは、そういう翻りがないところからいわれているような気がして心配です。主客が翻ったところから、「現実は変わらない」というのであれば、明るい感じがします。もし翻りがなければ、それは、ニヒリズムに落ち込みます。そこから「一生懸命」という感覚はよみがえってこないでしょう。
 「淨土」という言葉が、神話的表現なのであれば、「この世」が神話的でないということも言い切れないのではないかと思います。「淨土のお飾り(荘厳)」の内部であると受けとめてみると、実に面白いことではないかと思えたりするのです。
 それにしても、加藤さんのお話には刺激を受けました。いろいろと無意識が触発されているのでしょう。四時半に目が覚めてしまいました。

2004年6月30日
●先日、「いま時は、町に危険が多いから、なるべく電車は利用しない」というひとに会いました。渋谷駅での事件など、ほんとに物騒です。それから、男性だと、女性から痴漢に仕立て上げられて訴えられるというケースも多いそうです。満員時には、男性は、すべてバンザイをして電車に乗らなきゃならないのか!と思います。地下鉄サリン事件のときにも、電車でした。そういう意味では、いま時は、電車が危ないということなのかもしれません。
 しかし、それはそうでしょうけど、やっぱり、電車を利用しなきゃ生活できないというのが都市の生活ですね。危険であっても、あえて乗り込んでいかなきゃなりません。勇気を奮い立たせて…。
 そうそう、未婚男性が、結婚にためらいを感じるのは、相手にリスクを感じるからだという面もあるそうです。もし相手が何がしかの病気にかかっていたらどうするのか?もし相手がガン系統の遺伝をもっていたらどうするのか?もし相手が、ひとり娘で、その両親の老後を自分たちがみなければならないとしたらどうするか?もし、相手が早世して自分が残されてしまったらどうするのか?その反対に自分が創世したら、相手はどうするのか?等々と、相手に対するリスクを考えると、結婚に踏み切れないということもあるようです。結婚は、「危険」を背負いこむことになりますからね。こういうところにも、「安全に、安全に」という神話が作用しているように思います。あまりにも安全を全生活にわたって行き渡らせようとすると、ものすごく消極的な人間が生まれてしまいます。
 でも、そうやって、安全に安全にと考えていくうちに、人生はあっと言う間に終わっちゃうんですよね。どのみち、「人生は賭だ!」くらいに思っていたほうがいいように思います。「塞翁が馬」ということもありますし、「瓢箪から駒」ということもあります。よくよく、考えてみるとリスクが味わいに変わったりしますからね。何か行動を起こす前に、リスクを考えすぎると、一回きりの人生を生きたことにはならないように思います。たとえどんな状況がきても、それが最終的な結論ではありません。結論は、最後にお棺の蓋がしまるときに出せばいいんです。それまでは、全部プロセスですからね。
 以前は、お寺の境内で子どもたちが、よく遊んでいました。しかし、いまでは境内がブロック塀で囲まれていて、一カ所の門からしか中へ入れません。小生も、小さいころはお墓をピョンピョン飛び越えて、友達と鬼ごっこや隠れん坊をしたことも思い出します。門番のおじさんに、よく怒られました。もし、お墓の石が倒れたらどうするんだ!とね。墓石は、石を積み上げてあるわけですけど、そんなにしっかり接着しているわけではないようです。ですから、古くなってくると、バランスが崩れることもあるそうです。もし、墓石が倒れたら危ないということは、もっともです。いま時は、管理責任を問われますからね。もし子どもが遊んでいて、墓石の下敷きにでもなってしまったら、管理者が、そういう事故を未然に防ぐための方策をしていなかったということで、刑罰が下るんです。こういう、管理することで安全を強制してゆく方法は、どこかおかしいんじゃないかと思います。安全に安全に、快適に快適にという志向性が、人間の全生活を覆い尽くしていくと、素晴らしい社会が生まれるのでしょうか。たとえ、素晴らしい社会ができたとしても、そのとき人間は、人間の顔をしていないんじゃないでしょうか。だって、我々の身体は「老・病・死」というリスクで充満していますからね。まぁこれも程度問題なんでしょうけどね。ある程度、危険を温存しながら、いかないと、ますます人間は「人間の顔」から離れてしまうように思います。昔は、危険は、その辺にころがっていたもんです。しかし、この頃じゃ、危険を育てていかなければならないという、おかしな状況がやってきているのでしょう。

 
 

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