住職のつぶやき2004/12


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2004年12月1日

精神生活


 精神生活とは面白い言葉です。よく耳にする言葉ですけど、味わってみるととてもいい言葉だと思います。わたしたちは肉体と精神の両面をもってこの世を生きています。他の生き物を殺して、それを食料として生きています。肉体は他の生き物を摂取しなければ存続できません。しかし、それが充たされれば満足かといえば、そんなことはありません。
 わたしたちの生活は物質生活の他に「精神生活」もあります。どのような精神を生きているかということが、問題です。自分自身にどのような精神生活をしてきたのか?と問うてみると、これは、お粗末なことだとしかいいようがありません。貪りや嫉妬やねたみや愚痴の多いこと。とても、「精神生活」などと言えるような代物ではありません。
 それならば、仏道という白い道を生きている意味はどこにあるのでしょうか。ただ、そういう、貪りやねたみや嫉妬や愚痴の多いものだということを見せていただけるという点ではないでしょうか。そんなこころがなくなるわけはないのです。ただ、一点、そういうこころを見せていただける。一点の曇りもなく、見せてもらえるということだけが、仏道のあかしなのではないでしょうか。見せてくれるものは、鏡としての仏法ですからね。
 ですから、仏道を歩むものも、歩まないものも、ほとんど同じような精神生活を送っているのです。ただ、紙一重で違っているだけです。その紙一重とは、自分のこころに移った「毒のこころ」ではなくて、仏法の鏡に移った「こころ」を見せてもらえる点ではないでしょうか。それは同じように見えていて、まったく違っているのです。我が「毒のこころ」でありますけども、私を超えている「毒のこころ」だと教えられるからです。自分の自由意志をはるかに超えた「毒のこころ」だと教えられるのです。いままで、自分ではどうしようもないなぁと歎いていたこころが、やがて、それがそのまま「教え」として、自分に降り注いでくるのです。歎かれるようなこころですけど、それが「教え」となったときには、実にクリアーな気持ちさせられます。
 これが、聴聞の御利益でしょうね。これから年末年始にかけて、御利益を欲しがる人々が増えます。真剣に御利益を欲しがっているわけでもないんです。「まあ、できましたら、自分に幸福をお願いします。たとえ、叶わなくても恨んだりしませんから…」というようなお願いです。真剣に御利益をお願いしていないから、恨みも起こらないのです。真剣だったら、相手を恨むでしょう。お願いしても無駄だと分かりつつ、お願いせずにはいられないのも、人間という生きもものサガなんでしょう。
 聴聞の利益というのは、なんにもなくてもいいわけです。裸の自分があれば。それがそのまま教えとして降り注いでくるからです。「仏法はひとり居て、喜ぶ法」なんでしょう。人知れず喜んでいればいいわけで、手を取り合って喜ぶ必要はないように思います。孤独なもんでしょうね。でも、みんな孤独なんですよね。その孤独のひとりひとりが、ひとりひとり輝けばいいわけです。ひとりひとりのところにこそ絶対永遠の光が宿るのだと思います。
 

2004年12月3日
●生き物のいる暮し
何回も書きましたが、うちには三匹のネコがいます。弟の部屋で寝泊まりしていて、あまり顔を見せないモモ(メス)は、もうおばあさんネコです。近頃、昼夜を問わずに、ニャオニャオと鳴いて、うるさいのだそうです。何かが足りないとか、不具合があるわけでもないのに、鳴くそうです。ネコにもボケがあるんだろうかと不審になっています。
 他の二匹のネコたちは、日々の暮らしを淡々と過ごしているふうに見えます。雄のチビは、エサを食べるときだけ在宅し、他の時間は外で過ごしています。以前はそうでもなかったのですが、近頃よく家の中でマーキングのオシッコをするのです。なぜなんでしょうか?若いころはそうでもなかったんですけどね。
 先日も、小生のパソコンやプリンターの配線でこんがらがっているところにしやがったんですよ。どうせするのなら、もっと簡単に掃除できるところにしてくれるといいんですけど、ものすごく掃除に手間のかかるところにするんですよ。それから、洗濯物の積み上げてあるところにしたりと、彼はみんなに憎まれています。それでも、丸くなってあどけなく眠っているところを見ると、憎めないんですね、これがまた。憎しみが一度に吹っ飛んでしまいます。不思議な力をもっています。
 ときどき、大きな傷をつけて血だらけで帰ってきます。喧嘩の傷跡なんです。獣医の先生の話によると、オスのネコは自分の縄張りを管理しなきゃならないんだそうです。それだから、オチオチ家のなかに入って、じっとしていることもできないんだそうです。いつ、自分の縄張りを侵す不審者が侵入しないとも限らないので、見回りで忙しいのだそうです。そんな理由も分からないので、母なんかは「この子は、外が好きで困るわぁ〜。外にいっちゃ喧嘩して、怪我して帰ってくるんだから」なんて言ってるんです。彼には彼の、やむにやまれぬ事情があるんでしょう。なにも好き好んで外に出歩いているわけじゃないそうです。人間には、表が好きな子としか見えないんですけどね。
 三匹目のプチ子は、穏やかな性格で、オシッコやウンチをする以外は、外出しません。ほとんどを室内で生活しています。女の子は、家がいいようです。お陰で、少し太ってきたように思います。五キロくらいはありますからね。
 でも、みんな、お風呂にも入らないのに、臭くないんですね。人間だったら大変ですけど、ネコはどうして、匂わないんでしょうか。あの毛の臭いはとてもいい匂いです。手触りもいいし、温かみがあるし、触っているだけで、こっちが癒されます。やっぱり生き物のいる暮らしはいいなぁと思います。人間のギスギスした心や、傷ついたこころを直してくれる薬みたいなはたらきがあります。
 まあ、彼女たちだって、好き好んでネコに生まれたわけじゃなし、小生だって好き好んで人間に生まれたわけじゃなし。生まれ方は、ほんとに絶対の受動性ですね。小生に何十億という先祖がいるように、あのネコたちだって同じだけの先祖がいるはずです。いや、ネコは多産ですから、人間の比じゃないのかもしれません。しかし、不平不満ひとついわずに、その場を絶対受容している姿には頭が下がります。やはり、ネコ菩薩でしょうかね。


2004年12月4日
●根っこをどうやって、回復していくのか。
 どうも、近頃、人間の根っこが、危うくなっているように感じます。自分が自分であっていい、自分が自分のままで、ここにそのまま安心して存在していていいのだという、存在の肯定感覚が希薄になってきているように感じます。そういう存在の肯定感覚を、人間の根っこと呼んでみました。
 相田みつをさんが「点数は後、人間が先」というような言葉を残していますね。つまり、点数という評価、ひとからどう思われるか、ひとからどう評価されるかということが、重大な関心事になっているように思います。それは実に相対的なことなんですけど、絶対的に受け止められています。
 そんなことは、自分の存在のごくごく一部分のことなのに、そのごくごく一部分のことが、絶大な感覚で受け止められているんですね。それは存在の根っこが希薄になっているからじゃないかと思うんです。根っこのほうが、絶大なのに、皮がすべてだと誤解しているわけです。根っこを回復するにはどうしたらいいのでしょうか?
 それには、やっぱり自己の存在の背景を想うということしかないように思います。何十億年といういのちの旅をしてきた自己の存在を想わないわけにはいきません。「永遠」というものを想わないわけにはいきません。永遠などは考えてみようもないものなんですけど、その考えられない永遠を考えてみなければなりません。
 「我は、これ、現に、罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、常に沈み、常に流転して、出離の縁あることなき身」であると歎異抄は語っています。自分が何億年前の過去に戻って、自分の存在を見てきたような語り口ですけれども、そういう実体的な事実を語っているわけではありません。それは見ることはできません。ただ、自己存在の根っこを想うとき、そのような表現をとらざるを得ない深さを自己がもっているということでしょう。
 想う以上に深い自己の根っこが横たわっているのです。深く深く、どこまでも深く、深くなれば深くなるほど、横へも広がってゆきます。まさに、自己存在は「縁」でしかないのだと思えます。縁がほとんどなのに、「思い」は、それを認めようとしないのです。宿業因縁の結果が<いま>というものなのに、それを「思い」は認められません。「兎の毛や羊の毛の先にいる塵のような出来事も、すべて宿業因縁以外にはないのだ」という歎異抄の受け止めは、重たく響きます。
 人間には、結果しか知らされていないんですね。原因は無量無数だから。ただ、その結果に直面したとき、無量無数の宿業因縁を想えということなんでしょう。一瞬たりとも、宿業因縁の現れでないことはないのだと。一瞬一瞬が、人知を超えているのでしょう。


2004年12月7日
●ある坊守さんから、こんなお話をお聞きしました。「あの越後の地震をみると、この世には神も仏もないんですね…」と門徒さんから問われるそうです。そう問われると、なんとお答えしてよいのやら、困ってしまうというのです。
 小生も、そのお話を伺っていて、ほんとにそうだなぁと感ぜずにはいられませんでした。越後の、それも親鸞聖人の流罪の聖地でもあるご門徒たちが、あのような酷い目にあうということはどうしてなんだろう?と疑問になるのも無理からぬことだと想像できました。
 しかし、たとえどれほど信心深くあろうとも、天災はそういうものをまったく無視して起こってくるのでした。
 そこで小生は思いました。「神も仏もあるものか!?」と歎いておられるそのひとは、まさに信仰の門に差しかかっておられるに違いないと。現実は、神も仏もないありさまが展開しているわけです。いくら念仏していても、いくら仏壇をお参りしていても、いくら信心深くあろうとも、そういうこととはまったく違った現実が展開しているわけです。まさに神も仏もあるものかというのが現実です。
 しかし、そこで私たちが試されているのだと思います。そういう待ったなしの天災に遭ったときに、いままで私たちが、神や仏をどういうものとして扱ってきたのかということがあられてくるのです。神や仏を信じて崇めていれば、自分に都合のよい状態がやってくるに違いないと思って接してきたのかと問われてきます。
 正直言えば、神も仏もほんとうは関係ないんでしょう。自我関心しかないわけです。自己保身しかないわけです。そういう自己保身の道具として神仏をまつってきたわけです。そういう現実が露にされてしまったわけです。
 でも、それが信仰の入り口に立ったということだと思います。その関門をくぐらないと信仰には入れないのだと思います。損得という関心から、さらに真偽という信仰の深部に入っていかなければならないのです。
 神を呪い仏を呪っているのです。そういうものが我々の現実なんです。しかし、その神仏を呪っているものこそが、信仰の門をくぐる資格を有するわけです。神仏に反逆し続けているものだけが、信仰の門の内側に摂取されてくるのです。呪うのであれば、どこまでも仏を呪っていいのです。恨みたいほど仏を恨めばいいのです。その呪いや恨みが尽きてしまうほどに呪ってみれば、その後には仏の慈愛がやってくるのでしょう。もともと、仏の懐の中で呪い、恨んでいたことが分かるのでしょう。
 旧約聖書のヨブ記を思い出していました。信心深いヨブが、妻や子どもを失い、財産を奪われ、散々な目に遭わされます。それでも彼は「神は与え、神は奪う。神の御名ほめられんかな」といいます。つまり、どれほど幸せになろうとも、どれほど不幸になろうとも、それは神様のなさっていることだから、私には一切関与することはできないという断念があります。それは見事な断念ですけど、ちょっとも神を恨まなかったのだろうか?と不審を感じます。これほど神様中心の生活をしてきたものに、なぜ私に不幸を降り注ぐのだ!という恨みが起こったに違いないのです。生活全体を神様が支配されているという認識があるれば、必ずそうならないでしょうか。これは、一神教の特徴ですね。神が宇宙・世界を創造されたというのであれば、我々の一挙手一投足も神の支配のなかにあるわけですから。
 そこには、きわめて人間的な神像のあることが分かります。そこへいくと、浄土真宗は、一見すると一神教に近い「阿弥陀如来」なる仏のイメージを用います。ただ、その仏さんはきわめて人間的な要素が脱色された仏のイメージであります。阿弥陀さんがこの世を作ったというわけではありませんからね。成るべくして成ってきた世界であると受け止めます。つまり因縁によって今日このように在るのだと受け止めます。
 ですから、この世を生きるということは、無量無数の因縁の編み目のを生きているのであって、仏の支配された世界を生きているわけではないのです。そこには仏のコントロールという視点はありません。ただ無量無数の因縁の総体を「阿弥陀如来」と人格的に表現しているに過ぎません。いま、この一瞬に、このように在るという私の現事実は、不可思議な因縁によるのだとしかいいようがありません。その境遇が自分にとって心地のよいものであれば、幸せと感じ、自分にとって心地が悪ければ不幸と感じるだけで、現事実そのものには幸も不幸もないのです。
 ですから、信心していれば幸せがくるとか、不幸がやってくるとかいう予測を信じてはいないわけです。人間にとって自分の死が最大の不幸なんですけど、その不幸は、いつ始まったかといえば、この世に誕生した時点ですからね。生まれなければ死はありません。しかし誕生したということが死の始まりですから、これは誕生したという最大の不幸のなかに生まれてくるわけです。
 そういう最大の不幸の情況にありつつ、なぜ生きるのか?ということが問われるべきでしょう。それには「身体が先、理性は後」としかいいようがないですね。宇宙が始まって以来の過去と、宇宙が消滅するまでの未来とが、<いま>という一瞬のところに火花を散らしているという、そこにこそ、秘密があるのだと思います。


2004年12月8日
●結婚式に行ってきました。結婚式はいいですね。無量無数の因縁の中にある二人の人間が結合するという劇的な式典です。若いふたりは、大海原に船出する一艘の小舟のようです。か弱くもあり、初々しくもあります。
 以前、詩人の谷川俊太郎さんは、「ぼくは結婚式は暗く、葬式は明るいと感じる」言っていました。葬式は、人間という苦役から完全に解放され、二度と苦しみのない世界へいかれたんだから明るく感じるというんです。しかし、結婚式は、見ず知らずの二人がひとつ屋根のしたに暮らすんだから、これは暗くならざるをえないというんです。自分が出した御祝儀で、二人は何を買うんだろうか?トースターだろうかとか、いろいろ考えてしまうそうです。すると、そのトースターがどういうふうに彼らに作用していくのだろうかとも考えてしまうそうです。つまり、その二人の結婚生活に何らかの影響を、ぼくの御祝儀が与えてしまうんじゃないかというわけでしょう。そう考えると憂鬱になるというんです。
 それは面白いなぁと思いました。まあ、葬式は真実しかありませんけど、結婚式には虚偽が混じりますからね。二人が末永く幸せにとか、いったって、そんな夫婦はいないわけですよね。意見の食い違いやなんかが必ずあるわけですから。そして、間違いのなのものは、二人を引き裂く死を含んでいるということです。葬式は、もう事実しかありませんからね。もう死んじゃってるわけですから。未来はないわけです。しかし、結婚式は不安を抱えた未来があります。
 小生も祝辞を述べたのですが、如来を永遠の仲人として末永くお幸せにとしかいえませんでした。人間個人個人は、ガラスのコップのような存在です。必ずぶつかれば割れてしまうものです。しかし、如来を仲人して、そこにショックをくい止めるクッションがあれば、決して割れることはありません。如来とは「御教え」です。教えを頼りに、お互いが、自分自身を相対化して見えればいいんです。絶対化していく傾向性をもつ自分のこころを常に相対化してくれるはたらきが必要です。
 それにしても、ご両親の思いは複雑なものだと思われました。とくにお嫁さんのご両親は悲しいことでしょう。もぎ取られていく悲しみがあります。あの両親への最後の挨拶は、涙を誘います。出会いと別れは、いつも背中合わせなんでしょうね。
 みんなの寄せ書きを新郎新婦に渡しました。そこには「相手の人生を変えてしまったという加害者の自覚が、自己を救う」と書かせてもらいました。相手の人生に何らかの一石を投じたわけですから、それは加害性があります。もし、自分と結婚していなければ、相手には不利益が降りかからなかったかもしれません。自分と出会ったために、別れの悲しみを与えるということになるのですから。この加害性をいつも見えるようにしておければと思います。その加害性への自覚が、究極的には自己を救うのだと思います。被害者では自己は救われません。被害者は善人ですけど、加害者は悪人ですから。


2004年12月11日
●昨日、親類のおじさんが拙寺を訪問してくれました。お墓参りを終えて、一献傾けました。一献が二献、三献になり、ずいぶんお酒を頂きました。おじは熱燗、しかも手酌で、つまり自分のペースで、小生も手酌で、ビール・ワイン・熱燗を同時進行的に頂きました。とても、楽しい時間を過ごすことができました。
 楽しいときにも酒、悲しいときにも酒があります。酒は人生のよきパートナーではないでしょうか。お酒を飲んでお話ししていると、いろいろな知恵が涌いてきます。出家仏教では、お酒を「般若湯(ハンニャトウ)」、つまり「知恵のお湯」と名づけて飲まれているそうです。五戒のひとつに、「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」というものがありますからね。お酒を飲んではいけないという建て前になっています。その戒律を破らないで、どのようにして酒を飲むか?そこに苦心の跡があります。つまり、これは、お酒ではない、知恵の水だ。知恵=ハンニャ(般若)の湯と命名したのです。どうして、般若湯と名づけるようになったのか、これまた不思議です。
 おそらく、これを飲むと知恵が涌いてくるという意味ではないかと想像します。試しに、お酒を飲んでみると、アラアラ不思議、知恵が涌いてくるじゃありませんか。普段は考えもみなかったような思考が生まれてくるのです。自己の内面に深く入り込める働きを、お酒が促してくれるのです。でも、徐々に杯の数が増えてくると、知恵に毒が混じってくるのが玉に傷ですけどね。ほどほどがいいのでしょう。ほどほどがいいに違いないのです、何事も。しかし、その「ほどほど」というのが、分からないんです。
 おじは、毎晩二合の酒を飲むそうです。何十年もその習慣を崩していません。歳を尋ねたら83歳になるといいます。これがおじの「ほどほど」なんでしょうね。小生も、「薬だと思って、二合は毎晩いただくことにします」と約束しました。こういう傾向もあってか、近所の酒屋さんには、「いい住職だぁ」とほめられています。何といっても、売り上げ向上に貢献しているんですからね。内需拡大の政策にも貢献しているんですよ。大袈裟に言えば。
 近頃、ワインなんかも、「楽天」を通じて手に入れています。安くて美味しいワインが結構出回っています。チリやオーストラリアのワインも好きです。ブドウの種類は「カベルネ」種が大好きなんです。ワインは、あの独特の深みのある香りがいいですね。これは日本酒にはちょっとないところじゃないでしょうか、と小生は思います。日本酒党には批判を受けるでしょうけど。
 それにしても、酒を交えて歓談していると、やがて、おじもロレツが怪しくなってきました。そして、徐々に神の言葉を語りはじめました。人間、八十をこえると、徐々に人間の領域から神の領域へと入っていくように思えます。もはや、人間には通じない言葉を語りはじめるからです。小生の父も、晩年には、人間に理解できない言葉を語り始めました。自分の世界ではちゃんと完結しているのですけど、まわりの人間には理解不能でした。でも、それは、ボケとかじゃなくて、やっぱり人間を超えて仏や神の言葉を語りはじめるのだと了解したほうがいいように思えます。
 父が晩年、見舞いにきてくれた親類を指さして、「ここになんで、死んだひとたちが集まっているんだ…」と不思議がっていました。小生の目からみれば、ちゃんと足もあるし、親類のひとたちに間違いないのですけど、父の目からすると、みんなすでに死んでしまって、この世にはいない存在だと見えていたようです。これも、意味深な話だと思います。あと何年もたてば間違いなく、みんなあっちの世界へいっているのですから。その姿を先取りして見えていたのかもしれません。
 父は、癌の告知を受けていましたから、余命を知って過ごしていました。余命を知りつつ生きるということは、人間を神の領域へとトランジッションさせる何かがはたらくのだと思いました。当事者でもない小生が、余命を知りつつ生きるってどういうことなんだろう?と思うのと、本当の当事者とはまったく異なった世界が見えていたのだと思います。
 人間から神の領域へ、さらに仏の領域へとトランジッションしていくのが、人生を全うするということなのかもしれませんね。最後は、ただ仏の手しか残らないのでしょうね。南無と誕生させしめて、阿弥陀と迎えとる、南無阿弥陀仏のひとり働き、ここにあり!といったところでしょうか。


2004年12月12日
●近頃、あの、継ぎ当てのしてある靴下を思い出すことがあります。小生が子どものころ、靴下がすり切れて穴があくと、母が必ず継ぎ当てをしてくました。靴下をひっくり返して、破れた穴に布切れを小さく切って縫っていくのです。縫いおわったら、ふたたび靴下をひっくり返して履くわけです。素足に履くと、その布切れの部分が擦れて、不快感を感じたことも思い出します。時々、うまく修復がなされているのか、破れた部分がよかったのか、それほどの不快感を感じなくても履けるものがあるんです。そんなときには、小さな幸福を感じていました。
 ズボンも、膝が抜けてしまって、よく継ぎ当てをしてもらいました。そういえば、子どものころはよく走りました。そしてよく転びました。大人って、あんまり走りませんね。小生も、電車には駆け込み乗車で、よく走りますけど、その程度でしょうね。それに比べて、子どもはよく走ります。
 そういえば、江戸時代の人間は走ることができなかったという話を聞いたことがありました。なぜなら、左手と左足を同時に出して歩いていたからだそうです。これって、やってみると、なかなか歩きづらいです。江戸の大火事を描写した絵に、逃げまどう市民が描かれていて、みんな、走れなかったので、手を上に上げて叫んでいるそうです。江戸時代には「走る」ということが特殊技能だったようです。つまり「飛脚」ですね。一般市民が、上半身と下半身をひねって歩く歩行方法は近代になってからのものだというのです。これって、本当でしょうか。本当だとしたら、90ヘイぐらいでしょうか。
 子どものころのうわっぱりも、肘がよく抜けていて、継ぎ当てをしてもらいました。当時はティッシュもなかったので、腕で口をぬぐったりしていて、よく汚れていました。バスタオルなんかも、一家に一枚でしたね。最後にお風呂に入るひとは、バスタオルがビショビショに濡れていて、冷たい思いをしました。小さな不幸を感じたものです。ですから、できるだけ早く入浴するように、我先にという感じでした。でも、それが普通の家庭生活だと思っていましたので、苦とも思わず過ごしていました。
 なんで、近頃、継ぎ当ての靴下を思い出すのか、自分でもよく分からないんです。懐かしさと、あの素足に当たる不快感とが入り交じって思い出されます。それは、「老い」というもののひとつの作用なのかとも思います。小生も50になるので、もう「老い」の領域に入ってきました。法事をつとめた後は、睡眠をとらないとダメなんです。文庫本は眼鏡がないと苦痛ですし、お酒も弱くなりました。顔を見ると若いもんですから、「老いなんて十年早いよ!」といわれちゃうんですけど、身体年令は、間違いなく老いなんです。
 しかし、突き詰めて考えると「老い」ってなんだろうか?と思います。生まれた途端に老い初めているのが人間ですから、なにも老齢になったときに老いが始まるわけではないのです。明恵上人は15歳のときに「我はすでに老いたり」といってますから、感覚の鋭いひとは、もう思春期には老いを受け止めているんですね。これは、相対的に考えた老いではないわけです。あの人に比べて、自分が若いとか、老いているとかいうものではないのです。まして平均寿命と比べてという問題ではありません。絶対的な老いの感覚なのでしょう。
 まあ現代では「老い」ということが、そのまま「ダメだ」という劣等意識と結びついていますからね。つまり役に立たなくなったという劣等感です。若いころにはできていたものが、いまとなってはできなくなったと。しかし若いころには分からなかったことや、見えなかったことが齢を重ねることで見えてきたりもしているわけで、一概に「ダメ」とは言えないわけです。 若いころには、ひとりで寿司屋のカウンターには座れなかったですよね。いまなら出来るという楽しみも老いにはあるわけです。老いには老いの楽しみというものがあってもいいんじゃないかと思います。そんなものはないというのは、発見する作業を怠っているだけのような気がします。
 常に何かを発見する喜びというものが、人生にはあるように思います。「よく見ればナズナ花咲く垣根かな」(芭蕉)で、フッと目を止めたところに、新しい発見があるものです。普段は何の気なしに通りすぎていたものに、眼が止まったとき、新たな楽しみが涌いてきます。それが世間では喜ばれないことであっても、小生も病気になりましたけど、あの病気のお陰で見えてきたものがあったんですから。ころんでもただでは起きないというしぶとさが大事です。 父は癌の宣告を受けて、三年でこの世をさりました。そして永遠の浄土へ帰りました。いまは浄土から我々を見ていてくれるのだと思います。私もやがて永遠の浄土へ行くのですから、まあ、ちょっと待っててねという感じです。でも、余命を知りつつ生きる本人と、その家族は、普段の時間が違って感じられます。この食事を二度と一緒にすることがないのだと知りつつ食べるご飯は違った味がしますよ。でも、本当は、死の宣告をみんなが受けているんです。ただ余命が知らされていないだけです。仏さんだけが余命を知っているのでしょう。その余命は明日で尽きるのかも知れませんよね。


2004年12月15日
●「我が心がよくて殺さぬにはあらず」(歎異抄13条)
 「兎の毛、羊の毛の先にいるチリばかりもつくる罪の宿業にあらざることあることなし」。
すべてが縁であると歎異抄は受け止めています。しかし、自分は、我が心が善いから殺さないのだと、実に根深く思っているんです。傲慢にも。
 イエスが、姦淫の罪を犯した女にとった態度はすごいです。ユダヤの律法によって、石打ちの刑にしようと集まってきた民衆に対して、イエスは「姦淫の心をもって女を見たものは姦淫したこととおなじだよ」といいます。ユダヤの律法学者は、イエスがどういう対応をするか興味津々で見つめていました。もし、石打ちの刑をやめろ!といえば、律法を犯すことになるり、イエスは罪人と見なされます。しかし、刑を取りやめろ!とはいいませんでした。
 かといって、石打ちの刑を肯定してしまえば、イエスの愛の教えは成り立ちません。いわば、イエスは苦渋の選択を迫られたわけです。そのときのイエスの態度は、実に見事ですね。
 「姦淫の心をもって女を見たものは姦淫したこととおなじだよ」。イエスのこの言葉を聞いた民衆は、ひとりふたりとその場を去っていったそうです。最後に、イエスは女を許しました。律法を破ることもなく、愛の教えを貫徹したのです。
 小生は、イエスもすごいけど、民衆もすごいと思いました。日本人なら、そうはいかなかったかもしれません。「だれも、姦淫の心なんか、これっぽっちも起しちゃいねえぜ!」としらを切るでしょうね。でも、民衆は自分を恥じたのです。あの姦淫の罪を犯した女と同罪だと恥じたのです。
 この受け止め方がすごいと思います。歎異抄に戻れば、縁がないから殺さないのだということは、もし縁があったら、やってるわけです。ただ縁がないというだけであって、やっぱり罪人なんでしょう。でも、罪人だと感じられない寂しさがあります。もしイエスの見ている深度までで考えれば、罪人でないひとはだれもいないということになります。
 そこに律法で裁くことなく、みずからの内に、罪を恥じるこころが芽生えるのでしょう。さらに、すべてが縁であって、それ以外はないのだと、つくづく骨の髄まで染み渡るように納得しなければならないのでしょう。
 

2004年12月18日
●いろいろな情報に惑わされて、自分のやるべきことをないがしろにしている感じがします。
 以前から、いわれていることですけど、情報が豪雨のように降り注いできますから、東京という場所は、散乱粗動の場所です。
 ものごとをジックリ、深く考えるという場所でには適していないのでしょう。
 夕焼けの美しさにこころが洗われたり、雨蛙の声に、うつつを抜かすという余裕は与えてくれません。
 でも、人間の「生きる」ということには、そういうことが不可欠のように思えるのです。
感動して涙を流すという経験が、どんどん薄らいでいくようで、怖いです。
 どうして、人間は涙を流すことで、眼の曇りが、ぬぐわれていくのでしょうか。それは分かりません。
 でも、涙を流す経験が、大人になるほど減っていくのが怖いです。子どものころは、もっと「泣く」ということが日常にあったのに…と思います。
 もっと、理性以前の状態に戻りましょうよ。戻れないのは、分かっているんですけど、でも、戻りたいと思います。でも、それって、必ず達成できるように思えるんです。
 30代前の先祖は、十億人ですから。
50の誕生日に、そんな思いにかられました…。

2004年12月22日
●今月は、家にいないことが多く、更新回数が減っています。更新しなくちゃ、と思いつつ、どんどん日々が暮れてゆきます。小生は、やっぱり、「書かないと」というか、パソコンのキーを打たないと、考えることができないのです。ですから、書くことが考えることだと思っています。書かないで考えていても、そのときの感情などに流されているだけで、ほんとうに考えているとはいえないように思えます。
 自分の考えていることを、現象の世界へ定着させていくと、実にお粗末なことだと分かります。頭で考えているときは、素晴らしいことを考えているようでも、それを実際に現象の世界へ、つまり「秩序のある言葉の世界」へ移しかえてみると、大したことはないということがよく分かります。また如何に、自分の頭が混乱していたのかということも分かります。よくこれで、人間同志のコミュニケーションが円滑に動いているものだと呆れます。家族が、「昨日は、眠りが浅かったなぁ…」と言葉を発してきても、こっちは「へーソー」ぐらいの受け答えしかできません。つまり、相手に関心を向けていないんです。どうして、眠りが浅かったのか、悪い夢でも見たのか、あるいはどこか体調が悪いのか、などという気遣いができません。ただ、相手の言葉を聞き流しているに過ぎないのです。
 だいたい、人間は自我関心が中心ですから、相手のことなんかどっちでもいいんでしょう。自分に関係の深い存在は、大事にしますけど、そうではない関係には冷たいんです。また、人間は、キッチリ言葉を厳密に使用して使っていなくてもいいんでしょうね。曖昧だからこそ、コミュニケーションがうまくいっているのでしょう。厳密に相手の使っている言葉の意味を問いただせば、会話はギクシャクしますからね。適度に聞き流すということも大事な要素でしょう。たとえ、言葉の意味を理解していなくても、「そうそう」といって聞くことも大事なようです。ただ、やっぱり、そのなかでも、相手のヘルプを見逃さないようにしないといけないと思いました。つまり、相手がとても気にしていることが語られる場合があるからです。場面は日常のありふれた場面でも、相手が深く関心を懐いている問題が語られることがあります。それを見逃さないという注意は必要だと思います。
 そういう意味では、家族の発言に、いつでも編みを張りめぐらしておいて、深い問題が語られた場合には、それを丁寧に拾ってゆくということも家族には必要な気遣いだと思います。普段は、家族の存在は「自明」になっていて、何とも感じません。これはちょうど、空気のような存在なのです。でも空気がないと窒息してしまいます。家族もそれと同じようなもんでしょう。普段は、存在さへウザッタイんです。でも、意外とそのウザッタイ家族をこころの肥料としている場合もあるわけです。肥料は臭いんです。でもそれが肥料なんですよ。とても栄養があるそうです。
 学生の時、京都の北山に住んでいました。あのへんはまだ田んぼや畑が多かったです。近くには京都名物の「すぐき漬け」をつくっている農家が多かったです。小生は、酸っぱくて臭くて、嫌いでしたけどね。小生が畑の横を歩いていて、ふと畑をみるとビニールで覆われている畑があったんです。焼きたてのカステラのなめらかな肌のように、そのビニールが光っていたのです。お日様も照りつけて、気持ちのよい日でした。ついつい、フラフラとその上を歩いてみたくなったのです。足を一歩、そこへ乗せました。するとズボッと埋まってしまったのです。足を抜いてみると、チョコレートがとろけたようにドロっとしています。さらに、ものすごい悪臭が漂ってきました。実は、その場所は、大量の豚の糞にビニールを覆って発酵させ、堆肥をつくっているところだったのでした。小生は、その悪臭のとれない足を近くの用水路にひたして洗い流しました。それでも全然臭いがとれません。家に戻っても、靴が臭くて脱ぐことができませんでした。いつまでも臭くて、困り果てたことを思い出します。
 みずからの好奇心の招いた災厄を呪いました。好奇心は、小生にとって師匠のような存在ですけど、ときたま、恐るべき魔物に変身するのでありました。

2004年12月26日
●ある門徒の方から、宗教の勧誘がしつこくて、困っているというお話を聞きました。例の○○学会だそうです。その住宅は8割のひとが、入会しているそうです。その方は、事あるごとに家に押しかけてきて、入会を強要するといいます。
 かつては、そういうお話もちょくちょくあったようですけど、現代でもまだそういう状況だということをお聞きして、ちょっと驚きました。特に婦人部の勧誘が激しいそうです。家に上がってきて、お仏壇を見るなり、「こんなものは役に立たない!」と言ったそうです。でも、役に立つ宗教ほど、恐ろしいものはありません。役に立つということは、人間にとって役に立つ宗教ですから、人間が宗教を利用することになります。これは、実に恐ろしいことです。
 まあこれは、よく聞く話ですけど、たとえば、交通事故に遭ったり、火事にあったり、あるいは病気になったりしたとき、「それみろ、あんなもんを信仰していたからだ!」と批判するひとがいます。そうかと思うと、災難に遭ったひとは、「幸いに、この信仰をもっていたから、この程度の不幸で済んだんだ。この信仰に入っていなければ、もっと酷い目にあったはずだ」と語るひとがいます。これは、両方とも、どこかおかしいと感じます。どこがおかしいかといえば、両方とも、「人間の解釈」だからです。信仰に入っていたから、あるいは入っていなかったから、幸・不幸になったのだという「人間の解釈」を信じているからです。
 いつもいうことですけど、人間は不幸の真っ只中に生まれてくるわけです。なんといっても、この世の最大の不幸である「自分の死」が、誕生したとたんに発生するのですから。これは、信仰があるとかないとか以前の問題です。人間の解釈以前のできごとです。それであるのに、信仰があるから、ないからと人間が解釈していること自体が、チャンチャラおかしいというもんです。ですから、「浄土真宗を信じているから、幸せなのだ」という解釈の立場を小生は取りたくありません。そもそも「幸せ」なんていうものは、その時々にコロコロと変化するものです。相田みつをさんは「幸せはいつも、自分のこころが決める」と語られていますね。こころはコロコロと状況に応じて変化しいます。気分やフィーリングで変化します。また、「善いことはお蔭様、悪いことは身から出たサビ」ともいってます。この受け止め方が宗教の倫理観としては正しいように思います。善いことが起こっても、それは、たまたまの巡り合わせであって、別に信仰とは無関係ですし、また悪いことが起こったときには、ひとのせいにはせずに、静かに人間存在の重さをかみしめるということです。人間は、いつでも、「解釈」を信じてしまうのです。「ああすれば、こうなる」「ああしていたから、こうなったんだ」とね。そんな解釈を信じてはダメなんでしょう。人間の解釈そのものを、如来や神といった超越項の前に放擲するわけです。それを信仰というのだと思います。
 しかし、それにしても、日常生活で顔を合わせて暮しているのですから、その門徒の方の苦労は並大抵ではないでしょう。同情と励ましの言葉を差し上げました。最終的には、自分が決断しなければならないことなのです。こればかりは、他人がどうこうすることはできないのです。
 祟りがあるとか、不幸になるぞという脅しに屈することのない信心を確立していくしか、それに対抗する手はないように思います。結局、祟りを恐れるということは、「不幸」を恐れるということです。その宗教に入会しなければ、自分に不都合な状況がやってくると脅迫するわけですから、それは不幸を恐れるということです。そこでこっちがグラつくのは、自分の内心にも不幸を恐れるこころが潜んでいるからです。もし入信しなければ、不幸になるかもしれないという脅えです。そこから、ひるがえって「どんな不幸な状態にあっても、よし」という内奥の決断が要求されてきます。まさに「地獄は一定すみかぞかし」という歎異抄の言葉が、導き手となるでしょう。
 できれば、幸せなほうがいいです。飢えないほうがいいです。しかし、そうだからといって、不幸にならない保証はどこにもありません。人間存在自体が不幸の上に成り立っているからです。ですから、不幸という大地の上に、ほんの少しの幸福という雪がかぶっていると考えたらどうでしょう。もともとが不幸なんです。幸せなんていうもんはないのだというくらいの覚悟で娑婆を生きていればよいのだと思います。たまたま不幸に出会っても、それは、人間の本来性が現われただけだと、見切ってしまえばいいのだと思います。
 

2004年12月28日
●「人生、あらゆることが、偶然」
 昨夜、みんなとお酒を飲んでいて、この言葉が、実に新鮮に響いてきました。ビニールの船に、刺身が盛られていました。自分はマグロを食べるか、あるいはスズキか、あるいは、カンパチか。どれに箸が向かってゆくのか、それは偶然だ。自分はいま、何が食べたいのか、そんなことは、考えもしない。考えもしないのに、箸が獲物に向かっていく。それは本能なのか、直感か。「考え」よりも先に、インスピレーションが、箸の方向を決めてゆく。そして、次々と口に獲物を放り込んでいく。
 これは、自分にとって、偶然の出来事ではないでしょうか。「意識」や「考え」というものは、ルーティンをたどります。つまり、毎日同じことができるという前提で動いています。ですから偶然の出来事が起こってもらっては困るのです。偶然をできるだけ排除して、計画通りの一日を送りたいのです。
 しかし、人間の「生きる」ということは、偶然と偶然の集積ですから、計画通りにはいきません。何の変哲もない、この一瞬も、実は偶然からの賜物です。それを忘れていたんです。この一瞬は計画通りだと、タカをくくっていたのです。そうではなかったのです。この一秒一秒が、実は偶然の集積なのです。
 盃を口に運ぶたびに、「偶然」「偶然」と感じられてきました。



 

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