住職のつぶやき

 

 

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2005年12月29日

毎年感じることですけど、年末という感じも、年始という感じもしません。子どもの頃は「も〜い〜くつね〜る〜と〜お正月〜♪」と、ワクワクしたものです。しかし人間を長くやってくると、どんどん時間の流れが速くなって、それと同時にお正月を迎えてもなんの感動もなくなるのでした。
 これは、みんなに聞くと、やはり「そうだ」と答えますから、みんな感じていることなんですね。どうしてなのかと、あるひとに聞きましたら、こんな説得力のある言い方をしていました。
「一歳のこどもにとって一年は、その子の百パーセントの人生なんですよ。でも30歳の人間にとっては、30分の1の長さですし、50歳の人間には50分の1の長さだから、だんだん短く感じられるんですよ」と。
 これを聞いたときには、なるほどと納得しました。
 小生は、それと同時に、やっぱり「人間慣れ」してくるからじゃないかと思いました。人間に成りかけのときには、いろんな体験が初めてのことですから、新鮮な感動を覚えます。しかし長いあいだ人間をやってくると、その感動が薄れてくるんですね。雪がふると、感動していたのが、だんだん不感症になってくるんですね。「極楽も、三日もいれば飽きがくる」という川柳がありますけど、人間には、不感症というのがあるんですね。これは人間特有のことでしょうね。それは以前の体験を記憶に蓄えておいて、同じような体験をしても、それには無反応になるということです。以前の体験と今の体験は、間違いなく違っているのですけど、大雑把に受け止めれば同じだと判断するんですね。ということは、人間長い間やってくると、だんだん大雑把になってくるということでしょうね。これは日々実感しているところです。
 しかし、そんなことは言ってみても、お正月や年末は、普段の時間とは違った感情を私たちに与えますよね。微妙に違っています。今日なんかは、仕事納めも終って、なんだか世間が、シーンと静まり返ったように感じられますからね。
 一年で時間が反復されるというのは面白いです。それは、太陽系の惑星は円軌道ですから、そこから来ていることなんでしょう。太陽を軸として、地球は円軌道を保っています。太陽をぐるっと一周する長さを、「一年」と決めたのです。だから、この時間は太陽と地球の事情からきている長さで、人間が勝手に決めた時間ではありません。長く感じるか短く感じるかは、人間の受け止め次第です。物理的な時間は変化していないのでしょう。まあ、厳密にいえば、地球の自転にも摩擦があるから、微妙に遅くなっていることは間違いないのでしょうけどね。
 でも考えてみると不思議なもんですね。どうして太陽のまわりを一定の速度でグルグル回らなきゃならないのか。どうして地球はグルグルと自転しているのか。これも不思議ですね。考えると不思議なことだらけですよ。
 自然界にあるものは、本質的に「円環」なんですね。「直線」というものは、人間の観念にしかないのでしょう。事実はすべて円環じゃないでしょうか。人生も直線ではなく、円環と受け止めると、納得がいくように思えます。死は、生がぐるっと回って帰ってくる地点だというのが、いい受け止めのように思います。
 右へ行こうが左へ行こうが、最終的には出発点に戻っていくわけです。幸だろうが不幸だろうが、ゼロに戻っていくわけです。それは「死」ではなく「往生」という意味だと浄土教はいうのです。
 「往って生まれる」と、いかにも直線的に描いているのですけど、ほんとうは戻っていくのだと思います。生の本質と死の本質が異質であるはずがないのですから。

2005年12月24日

「如」(ニョ)ってどういうこと?と尋ねられて、それが結構長く小生の中で温められていたようです。
 「問い」というのは面白いもので、本人が意識している以上に、そのひとの内面に深く食い込んでとどまることがあります。聞いたときには、それほど大したこともないかと思っているんです。聞かれたことには、一応答えますからね。それで答えたことになっていると本人は思っているんです。それで済んだと思っているんです。いやいや、本人の表層ではそう思っているんです。しかし、当人の深層では、それで済んでいないんですね。残り火のように、深層で、その問いがくすぶっているんですよ。
 そういう「問い」というのが、おそらく宗教的な問いなんでしょうね。問うてみて、答えられて、それで「分かっちゃった」という程度の問いではないのです。いくらひとから答えられても、自分では「それはほんとうだろうか?」と納得しないというのが宗教的なことです。つまり、答は、自分自身の内面からやってこないと、ご当人の答にはならないのですから。
 小生も、「如って何?」と問われて、一応の答はしておいたんです。まあ、仏教では、真理を、「如」とか「空・無自性・縁起・真如・法性・一如・実相・道理」等と表現します。つまり実体のないことを「如」というわけです。人間の意識では捉えることのできないものということです。触れることはできても、捉えることのできないものです。
 人間はどういうことか、仏教をある程度聞き始めると、自分は真理の外にあると受け止めてしまうようです。小生もそうでした。自分は迷って苦しんでいる、それは真理の外にあるからだと考えていました。「如」からかけ離れた存在だと思い込んでしまうのです。
 やっぱり、ひかりに出遇うと、どうしても直感的に自分の闇を感じてしまうのでしょうね。闇は、自分が間違っているからだと受け止めてしまうのです。自分の根性が曲がっているから、自分の修行が足りないから、自分の聞き方がわるいからとね。そうなると、もう自分が許せなくなるんです。
 これって、もう強迫観念になってきます。自分の鼻が邪魔で仕方がないという強迫神経症のひとがいますけど、あれと似てます。普通は、自分の鼻が視線のなかにあっても、邪魔にはならないわけです。花に意識をもっていけば、確かに鼻は見えているんですけど、普通は意識していませんから邪魔にはなりません。これが意識し出すと、もう邪魔で仕方がないわけです。
 それは、鼻ですけど、自分というものが、その鼻になってしまうのです。う〜ん、あの芥川龍之介の『鼻』を思い出しました。鼻は自己のシンボルですからね。あの『鼻』という小説も、シンボリックですね。いろいろに読めます。呑んだり食べたりするときには、長い鼻は邪魔です。お碗に浸かってしまうほどの鼻は、厄介です。生きるために大切な飲み食いという場面に限って邪魔になるわけです。しかし、自分で切ってしまうこともできません。鼻は呼吸のためには大切なものですから。鼻を引きずって生きざるをえないわけです。これって自己のシンボルなんでしょうか。
 まあ、自分もそうですね。自分という意識が対象化されて見えてしまうと、ほんとうに厄介です。まさに強迫してくるわけですから。普段は、「自己」を忘れて生きていますから問題ありません。食事をしたりテレビを見たり、何かに集中しているときには問題ないんです。ただ、感情が昂揚しているときに、「自己」という悪魔が見つかってしまうのです。酒を飲んで仲間と盛り上がっているときとか、テレビのお笑い番組で大笑いをしているときとか、とても嬉しい感情が込み上げてきたときとか、そんなときに「自己」がやってくるのです。
 この「自己」なる悪魔がやってくると、感情が一気に覚めてしまいどん底に突き落とされてしまいます。「おまえ、そんなことやってる場合じゃないだろ!何を呑気に笑ってられるんだ!いい気なもんだぜ!」等と悪魔は囁きます。するといままで感じていた興奮が冷めててしまい、ムンクの叫びみたいな顔つきになっちゃうんですね。
 話をもとに戻すと、結局、自分は「如」の外にあると感じてしまうのです。でも、「如」って、だれでも感じていることだけど、それを言葉で言ったら違ってしまうというようなもんじゃないでしょうか。どっかで感じていることなんだと思うんです。「如」というといかにも高尚なことのように思いますけど、どこにでも吐いて捨てるほどころがっている在り来りのことなんだと思います。
 だから、ハタと膝を打つということが起こるんでしょう。腑に堕ちるということが起こるんでしょう。私たちに無縁のものであれば、触れることはありませんからね。そのきっかけになるスイッチが「如」という言葉なんです。だからすでに私たちは「如」の中にあるわけです。如に蹂躙されているのです。
 その如に降参してお手上げになるしかありません。

2005年12月19日

昨日は、小生の誕生日でした。お寺の忘年会とたまたま重なり、お花を頂戴したり、お祝いをしていただきました。51回目のバースデーということだったのですが、誕生日という実感がなかったですね。
 第1回目の誕生日の記憶はもちろんないんですけど、それがカレンダーとしては、毎年やってくるということ、つまり循環しているというイメージはどうなんだろうかと考えてしまいました。直線のイメージじゃないかなぁ…と思いました。
 子どものころの誕生日は、何が嬉しかったかといえば、学校から帰るとプレゼントがもらえる、そしてケーキが食べられるということだったように記憶しています。しかし51回目ともなると、惰性でやるようになりますね。子どものころは、飛行機でたとえれば上昇中ですけど、51ともなると、もう滑走路が見えて着陸態勢に入っていますから、なんだか勢いがないですね。
 そうそう昨夜、二次会に10人くらいで錦糸町のマリオットホテルのバーへ行きました。いい加減、呑んでいたところ、「誕生日でいらっしゃいますので、バースデーソングを歌わせていただきます」と従業員に合唱してもらったことを思い出しました。シャンパンのサービスがあったので、「誕生日にはシャンパンのサービスがあるの?」と聞いたところ、「いえ、そのようなサービスはいたしておりません。あちらのかたから」と言うではないか。それは息子が注文してくれたシャンパンだったのです。思わずジーンとしてしまいました。
 そんないい気持ちで家路についたところ、女房が、「ちゃっかりしてるわね」と言うのでした。そのわけを聞いたところ、息子はシャンパンを自分からのプレゼントだと言っておきながら、小生の領収証にはちゃんと、シャンパンの料金が明記されているではないか!ひとのフンドシで相撲をとるやつだ!と急に優しい感情から、苛立ちへ変化してしまいました。まあ、それも息子らしいなぁとニヤニヤしてしまったんですけどね。
 忘年会では、例のように「ひと言コーナー」(または「恐怖の自己紹介」とも呼ばれている)で盛り上がりました。「それでは、ひと言コーナーに入りたいと思います!」と小生が叫んだところ、「まだ早い!」とか、「もう少し呑んでから…」という反応がありましたが、そんなことをいいながら、結構しゃべり出すとみんな長いんですよ。だから、全員が時間内に終らなくなるんです。そういう経験則を踏まえて、強引に開始しました。
 今年一年、ほんとうに自分にとってはいいことずくめだったというひともありますし、災難続きだったというひともありました。平々凡々でなにもなかったというひともありました。みんなしゃべり出す前は緊張しているようですけど、しゃべり出すと結構話すことが見つかるもので、しゃべり終わったときには満足感とともに、何だかいい足りなかったような不満足感もあったようでした。何ごとも終るということは、難しいですね。話し終えるということがなかなか難しいと思いました。
 これは人生もそうでしょうね。「終る・終える」ということがね。富山地方では、死ぬことを「しもうてゆかれた」と方言で言うらしいのです。つまり「仕舞って行かれた」ということでしょう。人生のすべてを店じまいして、そして旅立たれたというイメージでしょうか。
 まだまだ店じまいできるほどに整理されてはいないんです。それどころか小生の机のまわりは「散乱」という原野が広がっているのです。なかなか「しもうて」はいけないなぁと思いました。これでよしということのないものが人生でしょうけど、あるとき有無を言わさず店じまいさせられるんでしょうね。
 南無阿弥陀仏で、ちゃん、ちゃん、ちゃんですわ。

2005年12月14日

地球温暖化って、ホントなの?
 日本海側には雪が降っているところが多く、太平洋側も非常に寒くなっています。私の部屋の現在の気温は6°です。手もかじかんできます。
 こんなに寒くて、ホントに地球温暖化なんだろうかお疑いたくなります。先進国といわれているエネルギー消費大国が、地球にCO2を排出しすぎているから、それが原因で地球の体温が上がってきたというの説ですけど、この説は正しいのでしょうか?養老猛司さんが、これも学説だから、鵜呑みにしてはダメなんではないかと語っていたのを思い出します。人間には分からないスパンで地球が変動しているということかもしれないと言ってました。まあ何万年とか何十万年という単位で、この現象を捉えると、人間には分からないということが事実ではないかと思います。
どうも近頃はせっかちになって、人間の分かる範囲ですべてを推し量ろうとする傾向が強いですからね。環境もしかり、そして人間もしかりです。環境は何十億年という地球の寿命の中にあるものですし、人間だって、地球と同じだけのいのちの根っこをもって存在しているのですから、なかなか不可解なものなんですね。
 この季節になると、いつも思うのですが、それは山茶花(サザンカ)の不思議さです。あの花はいつも、北風が寒く吹きつける寒中に花をつけるんです。なんでこんなに寒い時期に花を咲かせるのだろうか?といつも不思議に思います。いくら綺麗な花をつけても虫を惹きつけることもできないでしょう。虫は冬眠しているか、死んでしまっていますから。むしろ虫がいると受粉するのに不都合なことがあるんでしょうか。
 春先に芽を出して、温もりを感じながら開花するというのなら分かるんですけど、なぜこんな寒い時期にわざわざ花をつけるのでしょうか。サザンカは、かなりの目立ちたがり屋なのかなと思ったりします。他の花たちが咲いていないこの時期に、自分だけに脚光が浴びるように、勝ち誇ったように咲いています。まあ、これは人間の欲目で見たことですから、事実とは違っているのでしょう。
 でも、あのサザンカを見ていると、励まされることもあるのです。どれだけ北風が吹こうと、その寒さに負けることなく、生き生きと花をつけている姿を見ると、人間の生きるということへのエールのようにも思えてくるのです。人間が生きるというのも、北風に向かっていくような面がありますね。苦の娑婆といわれるように、苦が北風のように私たちに吹きつけてきます。それにもめげずにというか、その風を自分が育つための栄養にして堂々と生きていけと励ましてくれているようです。
 サザンカを見て、励ましを感じるのは私だけでしょうか。
 

2005年12月09日

「親鸞と青砥藤綱」展を見てきました。会場は、「葛飾区郷土と天文の博物館」(葛飾区白鳥3−25−1・電話3838−1101開催は12月11日までです!)
 行ってみて、まず驚いたのは、区立の博物館としては、とても充実しているということです。天文の方までは時間がなくて見られなかったのですが、郷土資料館としても、大変面白かったです。
 昭和初期の下町の暮しを再現した、実物大の建物のジオラマがあって、とても懐かしい思いに浸りました。まるで、40年ほど時間を逆戻しにしたようで、小生の子どものころの世界に舞い戻ってしまいました。ミゼットや電気ガマ、ちゃぶ台に薄暗い電灯。どうして、こんなに懐かしいのだろうと不思議な感覚に襲われました。
 まあ、それが目当てではなく、「親鸞と葛飾」の関係ということが知りたかったのです。 光増寺(現在は浄土宗・葛飾区東金町6丁目)の縁起によりますと「元仁元年(1224)五月、親鸞が常陸国稲田(現在の茨城県笠間市)から三人の弟子とともに葛西清重の館に赴く途中、五月雨にあってしまったので、雨をしのごうとしていたところ、法海(光増寺の開基)の読経が聞こえたため、親鸞たちは清重の住んでいる渋江の方角を法海に尋ねた。それがきっかけで、法海は親鸞の弟子になり、随信坊と名乗ったと伝えられている。親鸞は渋江と金町を往復して布教につとめ、六月には常陸に戻ったものの、貞永元年(1232)帰洛の際に、当寺を再訪したとされる。」とありました。
 また明福寺(現在は浄土宗・江戸川区江戸川3丁目)の縁起には「親鸞が嘉禄2年(1226)常陸国笠間から帰洛の途中この地に他ち寄った時、旅路の疲れを池の畔で癒していたところに老翁が現れ、旱魃により災禍を恐れ雨乞いの祈祷を頼まれた。親鸞の祈祷の功あって雷が轟き雨雲が天を覆い大雨を降らせたという。いつの間にか老翁の姿は消え失せたが、同地で一夜を過ごした親鸞の夢中に、先の老翁が現れて、この地に留まり布教を行うように告げられた。目を覚ました親鸞は、林のなかに毘沙門天を安置する堂を見つけ、老翁が毘沙門天の化身であることを知り、池の畔に草庵を結んだのがはじまりで、二年後、安貞2年(1228)親鸞は京へ発ったという。」と記されています。(木造親鸞像が親鸞堂のなかに安置されている)
 さらに西光寺(現在は真言宗豊山派・葛飾区宝町2丁目)の縁起には「常陸・下総方面を布教していた親鸞が、武蔵・相模国にさしかかろうとしたときに、渋江(現在の四ツ木)の草庵に立ち寄ったところ、長雨により五十三日の間、葛西三郎清重の館に逗留することになり、その間、この寺の住職が阿弥陀如来の画像を描いてほしいと親鸞に願い出たため、阿弥陀如来像を描き与えたといわれている。」(「親鸞聖人袈裟掛けの松」あり)
 元仁元年は親鸞の52歳ですし、嘉禄2年は54歳ということになります。この年齢のときには、茨城を中心に活動されていたものだと思っていましたが、あながちそうでもなかったようです。もう江戸にまで来て活動されていたとは驚きでした。旧跡寺院は、いまでは様々な因縁によって浄土真宗ではないのですが、「報恩講式」とか「御取りこしの法会」という法会が現在でも催されているようです。これも不思議なことです。
 親鸞がもっと身近になった感じがしました。
 こんなことを小生が感ずるのもおかしなものですけどね。
 どうぞ出かけてみて下さい。(『親鸞と青砥藤綱』という冊子が発売されてますよ。800円です!)
 

2005年12月04日

広島で女児殺害事件があったと思ったら、今度は栃木県・今市市で起こりました。広島の事件のとき、連鎖反応がなければいいがなぁといった危惧が当たってしまいました。愕然としました。
 暗澹とした気分で12月を迎えることになりました。性が、子どもに向かうというのは、大人がちゃんと大人になっていないということの現れなのではないかと想像しました。子どものときから、ちゃんと性に対する妄想を処理して、やがて、初恋や恋愛やら失恋を繰り返し、ようやく大人としての性というものが調教されるように思います。しかし、その歴程のどこかで、脇道に迷い込んだり、行き止まりになっていたりして、その結果、鬱屈してしまったのだと感じられました。
 犯人は、だいぶ性に対して挫折歴をもったひとではないでしょうか。「大人の女性」ではなく、未熟な性を選ぶのは、そこにどうしても挫折を読み取ってしまいます。チカラでねじ伏せることによって、性を自分の自由にコントロールしたいという欲求があったように感じます。
 思春期の青年には、質の強弱はあっても、どこかに「強姦願望」というものが潜んでいるのです。それは、異常なことではなく、自己の性が未熟なために、相手をチカラでねじ伏せたいという欲求が生まれてしまうのです。そこに桃源郷があるはずだと思い込むのです。しかし、やがてその願望は成長とともに静まっていくはずなのです。仏教語に変換すれば、「自利」だけの満足は究極の満足ではないということが、おのずとうなずけてくるからです。人間の性の究極は、やはり自利利他円満だというわけです。これは、空海の大切にした『理趣経』にも述べられていますね。「妙適(ミョウチャク)」とかいうんですね。
 たぶん、どこかで犯人は、その性の細道に迷い込んでしまったのだと思われます。ともかく第三の連鎖につながらないことを祈ります。
 やはり、日本が急激に欧米化したことと、この事件は無関係ではないと思われます。一見すると、現代はものすごく自由が氾濫しているように感じます。昔は、二週間かけて行った京都が、今では二時間半くらいで行けるんですから。まさに思いどおりですよね。お金さえあれば、ほとんどなんでも自由になるように思えます。それは錯覚ですけど。
 しかし、現実は「縁」がなければ、何ごとも実現しないわけです。それは、「思い」とは乖離しています。縁があれば、どんなことでも人間はやります。縁がなければ、どんなことでも行うことはできません。それを決定しているのは、「縁」であって、「思い」でも、「金」でもありません。その縁を誰かが、支配しているわけでもありません。神や仏が管理しているわけではありません。
 縁だと言うと、すぐに、「良縁・悪縁」というように人間は損得で物事を受け止めてしまいます。縁には「良も悪」もありません。
 ただそれが、「思い」と乖離して起こるということだけは間違いないことです。そのことに思い至れば、「自重」ということが起こります。自重という言葉はなかなか言い言葉です。『広辞苑』によると、「1、自分の行いを慎んで、軽々しくふるまわないこと。2、自分の品位を保って、みだりに卑下しないこと。3、自分の身体を大切にし、健康をそこなわないようにすること」とあります。
 なんだか、人間の素晴らしさを全部言い当てたような言葉ではありませんか。「自重せよ」と命令されるのは、「1」の意味ですね。軽はずみな行動はするなと命令される場合に、よく使われます。しかし、2の意味もあるんですね。品位を保つこと、そして卑下しないことです。
 そういうことがなぜ人間に起こるのかといえば、「縁」への想像力だと思います。いまここに座っているのも「縁」なんだと受け止めるチカラです。自分のチカラや思いではありません。この一瞬も、永遠の過去から引き起こされてきた一瞬であります。
 その零度の原点に触れて生き始めましょう。この世は、苦悩ばかりの世界ですけど、「たかが娑婆、されど娑婆」ということでいくしかありませんね。
人間には「幸」などあり得ないのです。全部が「苦」です。苦が原点です。
 

2005年11月29日

 表現活動をするということは、ある種の勇気がなければできないように思います。小生もあっちこっちに、いろんなことを書いてますから、直接あるいは間接な形で、批判やら非難が起こってきます。
 そんなことなら、静かに口をつむんでしまえばいいじゃないか、雉も鳴かずば撃たれまいという諺だってあるじゃないかと、そんなことを言うひともいるわけです。しかし、それは、どこかが間違っていると思うんです。
 やはり、思ったことを外化してみるということは、これは人間にとって本能的なものであって、それこそ、自然な動きなんだと思います。それを、何らかの形で疎外するものは、邪なものだと思います。むしろ、美味いものを食べたら美味いと言い、いやなことはいやだと言い、嬉しいことは嬉しいと言うということは、人間として自然なあり方じゃないでしょうか。ひとが何と言おうと、自分にはこう感じられたと表現することは、誰も止めることができないんです。
 だから、ひとの表現活動を疎外しようとするものに対しては、異議申立をしなければなりません。まあ「表現の自由」ということは、現憲法下では認められているんですからね。
 それも外からの批判ならば、まだ抗することもできるんですけど、一番悪いのは自粛というやつです。「こんなことを言ったら、また批判されちゃうだろうなぁ…」と思うと、「こんなことを書くのはやめよう」と自粛してしまうんです。これが一番悪い方向じゃないかと思います。ひとつを自粛すれば、ふたつの自粛が生れ、ふたつを自粛しようとすれば、三つの自粛が生まれてしまい。最後には、もう沈黙しかなくなるんです。
 その沈黙だって、静かな沈黙じゃありませんよ。我慢してるわけですから。内面では、大声で叫んでいる沈黙なんですから、ほんとうの沈黙じゃありません。実に不健康な沈黙になりますね。
 うちの先々代、つまり祖父さんの格言に「ワガママを言ってくたばる果報者」というのがあります。これは格言じゃなくて、川柳かもしれませんけど、小生にはやはり重たい言葉です。
 ワガママを通せるということも、素晴らしいことです。本質的に人間はワガママなもんですからね。ワガママとワガママとのぶつかり合いが「生きる」ということかもしれません。
 まだ、少ししか生きていないので、「生きる」なんて生意気なことも言えないんですけど、たぶんそんなことでしょう。「生きる」なんて、分かったようなことを言ってますけど、ほんとうは「生きる」なんてまだ、前々分かっちゃいないんですぜ。「生きる」ということの最終章の頁が閉じられたときに、初めて「これが生きるということだったんだ
」と幕を下ろすことができるんです。
 分からんから、生きるということも、また楽しですなぁ。
 ともかく、小さい人間の物差しを自分に当てないことです。人間の相対的な価値観を頼りにしないことです。もっと大きな空と、大きな海を胸いっぱいに呼吸して、いこうではありませんか。

2005年11月24日

ボケ老人は、朝起きて、自分の家族に会ったとき、「どちらさんでしたかねえ?」というらしい。いまは、ボケとは言わずに、「認知症」とかいうそうですけど。(まだワープロもこの文字を知らないので、単語登録しなくちゃ)
 これは悲劇だといいますよね。長年連れ添った伴侶に対して、「どちらさんでしたか?」はないだろうと。まあ、そのつど取り合って、「私は○○というものでして、実はあなたの夫という役目をやってまして…」と自己紹介していたんじゃ、ラチが明きませんけどね。
 でも、よく考えてみると、ボケた老人の方が真実を言い当てているように思いました。だって、昨日までのあなたは、昨日までのあなたであって、〈いま〉出合っているあなたではないんですから。微妙に新陳代謝をしていて、細胞全体が昨日までの身体とは変化しているわけですから、今朝初めて会ったということは、新しいあなたと出会っているのだから、ほんとうは「初めまして…」という挨拶をするのが正しいということになります。
 全部が移り変わり変化して流れているんですね。生き物の世界では。だから、いつでも新鮮な身体が与えられているわけです。ボケ老人は実はボケているわけじゃなくて、真実をそのまま表現しているだけじゃないかと思えました。
 しかし、真実というやつは、実に厄介です。だいたい人間の社会はウソで固められていますから、ウソが正常に見えてしまうんですね。ウソが90パーセントの中に真実が10パーセントまじると、真実のほうが差別されていくわけです。90パーセントのウソが正しくて10パーセントの真実は間違っているというややこしいことになってきます。いま、テレビを賑わしている建築士の耐震設計のウソも、ウソに犯されているから生まれてくるんですね。みんなウソで成り立っているんだから、自分だけじゃないよという開き直りが感じられました。
 そうそう、あの「利息」というやつがどうも納得できないんです。なぜ100円を借りたひとが貸したひとに102円にして返さなきゃならないのか納得いきませんね。あの利息という観念は、ユダヤ人が発明したと聞いたことがありますけど、どうして増えるんですかねえ。まあ、そういう約束だから仕方がないということで現在は成り立っているんですけど。どうも、あの「利息」という観念が納得いきませんよ。100円だったら、ただしく100円返せばいいだけじゃないですか。なんでプラスして返済しなきゃならないんでしょうか。どうも心の中に収まりが悪いです。
 あの利息という観念は、貸した人間が考えたルールでしょうね。借りた人間の発想じゃない。もし借りた人間の発想であれば、それは「御礼」ということでしょうか。つまり融通つけてくれて有り難うという返礼の意味でしょうか。
 ともかく収まりが悪いです。
 それはともかく、人間は「死ぬ」ということも教えられなければ無いものなんですね。幼児のころは、まだ「死ぬ」という観念はありません。自我が固まってきて、「死ぬ」ということを教えられて、初めて「死ぬ」ということが分かってくるんです。あの狼に育てられたアマラとカマラには「死」はありませんでした。だから、人間は人間の言葉で教えられて初めて人間という生き物に成っていくのです。
 死が教えられて初めて、自分が生きているということも教えられるわけです。生きているということが分かるということは、死んでいないということですからね。これは相対的に理解していくわけです。
 だから、自分がいまこの世界を生きて、あたりを見渡してみて、ありのままに世界があるように見えますよね。あたかもテレビカメラで映したように、自分の目には世界が見えていると思っています。しかし、そうじゃないんです。
 それは人間だけに見えている世界なんです。他の生物とは違った世界を生きているわけです。だから、自分の見ている世界がほんとうの世界だと思わないほうが賢明です。どこまでいっても、それは特殊な世界を見ているのだと思っていたほうがよいのです。
ボケ老人や幼児や猫などの生き物を見ていると、理性で塗り固めた大人社会がどれほどウソっぽいかということが分かってきます。やっぱり、「裸の王様」が大人社会じゃないかと思えますよね。
 理性で塗り固めた衣服をまとい、理性で塗り固めた世界をつくっていて、それが正常だと決めつけていますけど、果たしてそうでしょうか。実は裸なのかもしれませんよ。事実は、行くわけでも来るわけでもなく、とどまっているのでも流れているのでもなく、大人でもなく子どもでもなく、正常でもなく異常でもなく、真実でもなくウソでもないのかもしれません。
 果たして自分が「人間」であるのかどうかも分かりません。理性は自分は人間だと思っていますけど、だれもそんなものを保証していませんからね。「地球が丸いなんて、自分が体験したことないからね。ほんとうは四角いのかもしれないぜ」といったひとがいました。「テレビで外国のことやってるけど、ほんとうはテレビ会社がつくった作り話かもしれないぜ。月にロケットが下りたけど、あれも、どこかのセットで撮ったものかもしれんぜ」とも言っていました。疑い出すと、人間の社会はどこまでも疑えますから不思議です。
 そうやって疑って疑って、疑い尽くしていって、とうとう疑えないものに出合ったというのが、デカルトの「考える自分」というやつですね。「考えているから自分はあるんだ」というやつです。疑っている自分があるということは疑えないじゃないかとね。
 その疑っている自分のもうひとつ奥にある自分を白日のもとに引きずり出さないとね。最後は、投げ出すよりないなぁと思います。全部の思いを投げ出して、オモチャ箱を全部ひっくり返して、そこから生き始めるしかないと思います。
 〈いま〉を…。つねに〈いま〉を…。永遠の〈いま〉を…。

2005年11月
20日

ちょっと体調崩しました。急に寒けがやってきて、発熱しました。お腹が少し痛みました。たぶん風邪だろうか?と思いました。でも、喉や鼻には異常は感じませんでした。風邪の菌がお腹に入ったのだろうか?とも想像しました。風邪薬を呑みました。翌朝には熱は収まりました。でも、食事の後にはグーッと胃の下当たりに違和感がやってきました。
 これは風邪じゃなさそうだなと分かったのは、三日後くらいです。ともかく、病気というやつは、原因が分からないという不思議さがありますね。つまり、いつ病気になったのか、その最初のきっかけはなんなのか?という、因が分かりません。風邪だって、あのときあのビールスが原因で、風邪の症状が出始めたんですよと教えてもらえれば、納得できるような面があります。
 でも、いつも風邪をひいた後に、そういう素人診断が始まるんです。だから風邪はひいてみないと分からないものなんですね。
 だいたい、風邪の菌は、すでに空気中に蔓延していて、みんな保持しているんだという考え方がありますね。ただ、体調がよいときには、それらの菌は潜伏状態なだけだと。体調が弱体化したときに、菌がゲリラのように活動し始めるのだという説です。これも一理あるようですね。だから対処療法ではなくて、予防医学が大事なんだというわけでしょう。
 結構自分では予防しているようなんですけど、それでもダメなんですね。いつでも、菌というやつは、人間の裏をかいてやってきますからね。鳥インフルエンザだって、鳥の糞の中で菌自体が新種の菌にみずから変形したそうじゃないですか。菌自体が進化するわけですから、これは不思議なもんです。
 菌は、みずから進化することによって、人間に何を伝えようとしているのでしょうか?菌が進化していることは、菌にとって何らかの意味があるからでしょう。それは、人間にとっても大事な意味を伝えているのだと思います。まあ人間は「牽強付会」になりやすい生き物ですから、あまり牽強付会にならない解読が必要でしょうね。
 「あの世」の解釈も、生者の牽強付会に陥りやすいですからね。以前、本願寺のお盆のパンフレットに「そっとしておけるひと」という題名で書かせてもらったことがあります。お盆はどうしても、死者供養という文脈で成り立っています。つまり生者から死者へのはたらきかけという文脈が、否が応でもはたらいています。だから、生者は死者を「そっとしておけない」のです。我々生者の課題は、死者をそっとしておけるということだと思います。
 救われなければならないのは私であって、死者ではないのですから。寂しくて困っているのは、私なのですから。法事だって、自分が仏に対面する場所なんですから。死者供養の場所ではないのです。生死巖頭に一人として立たされているんです。この一人を問うわけでしょう。実はこの「一人が救われれば一切が救われる」というのが仏法のコツなんですよ。
 そこに立って初めて「宇宙軸」としての一人に成ることが始まるわけです。宇宙の中軸であり原点になるわけです。自己が神(ゴッド)に成るわけです。自分の統一する宇宙となるわけです。それと同時に、宇宙の最下層の地獄のノミにも成れるわけです。極大と極小を同時に成り立たせることができるわけです。辺境と中心、最上と最下、初めと終わり、αとΩになることができます。

 2005年11月
14日

このあいだ、テレビを見ていたら、ヒロとかいうマジシャンの番組をやっていました。自動車の中にカギを入れたまま閉めてしまう、いわゆる「キーとじ込み」を、車の外から手を射し込んでキーを抜き取るという手品を見せていました。見る見るうちに手がボディーを通って車の中に入っていくんです。そして車内のキーを抜き取って、再び外に出るのです。抜き取られた後のボディーは硬い金属のままでした。
 周りで見ていたひとたちも、エーッ!と驚いていました。さらに、女の子の腕にあったチョウチョの入れ墨を、手をかざして移動してしまうというのもやっていました。この入れ墨が最後には、本物の蝶になって飛んで行くんですから、これまたエーッ!という感じでした。
 最初は、驚きを感じていたのです。感情的に見てみると、最初は驚きと不思議さがありました。しかし、やがて、見ているうちに、これって、ほんとかよ!、こんなことが現実に起こっていいのか!という、反発する感情が起こってきました。連れ合いが、そんなに反感を持たなくてもいいじゃないのとなだめてくるほど、アンチ感情が起こってきました。
 さらに、ヒロは小学生くらいの年齢の子どもたちの前で、マジックを披露していました。これは、以前のミスター・マリックの手品と同じくらいの衝撃でした。でも、こんなことが、現実に起こってしまっていいのか!という感情はなくなりませんでした。手品なんだから、単純に驚いていればよいのでしょうが、しかし、どうもアンチ感情はなくなりませんでした。
 そしてどうして、アンチ感情に執われるのかを考えてみました。それは、普通の手品の領域を遥かに超えているからだと思いました。カードを使ったものであれば、まだ不思議さの感情だけですが、あれはそれを遥かに超えています。
 もし、小学生たちが、あんなことが現実に起こりえるのだと受け取られたら、これは、オウム真理教に傾斜していった若者たちの二の舞になるのではないかと不安を感じました。これは、あまりに老婆心に過ぎるのでしょうか。
 実は、必要以上に畏れるのには、理由があります。というのも、小生も、テレビで「スーパーマン」をやっていたとき、風呂敷を首に巻いて、お墓から飛び下りるということをしでかしたからです。こんなことをするのは、自分だけだと思っていたら、あの当時、結構多かったようですね。友達にも私と同じようなことをしたひとがいました。彼はお墓ではなくて、二階の窓から飛び下りたそうですから、よく生きていたなぁと思います。小生以上に空想力の強いひとだったようです。小生は、やっぱり、どこかで疑っていたのでしょう。もし、飛べなくてもお墓の高さからなら、致命傷にはならないと、子ども心に考えていたのでしょう。
 やはり地球上は重力があって、重さに応じて下に引っ張られる力が増えていくのですから。つまりニュートン力学の世界が地球上では正しいわけでしょう。あの車のボディーを人間の手が通過するなどということは、起こりようがないのです。だから、あれはマジックであって、そこにはトリックがなければならないのでしょう。
 麻原が、「空中浮揚」というものを写真にとっています。あんなことが、地球上で起こるはずがないのです。そうそう、滝本弁護士も同じ写真を撮ってましたよね。それが、ひとつのマジックであって、トリックがあるのだという前提があればいいのですけど、もしその前提が崩れていくとき、とても怖いことが起こるように思えます。
 小生が、風呂敷を首に巻いて飛び下りたようにです。
 そういえば、曇鸞は、五つの不思議ということを語っていて、仏法不思議がもっとも不思議なんだと述べています。(出典は大智度論ですけど)1、衆生多少不思議。2、業力不思議。3、禅定力不思議。4、龍力不思議。5、仏法力不思議。
(1、衆生には多少がなく、尽きることなく存在していることの不思議さ。2、業の果報の不思議さ。自分の行った行為によって受ける結果が決まっていることの不思議さ。3、竜神が雲を呼び、雨を降らすなどの自然現象の不思議さ。4、聖者が坐禅などの三昧に入って見せてくれる不思議さ。5、一切の衆生を転迷開悟させる仏法の持っている不思議さ)
 まあいまから1800年くらい前の人間が考えた「不思議」なので、現代の感覚とは多少ズレているところがあるけれども、分かるところもあります。天変地異の不思議さは、分かります。衆生の数が増減しないというのは、現在の人口問題を考えると、どうかなと思います。まあ、さまざまな生き物が、生きているということは不思議ではありますけどね。業の不思議というのも、自業自得という意味でしょうから、さほど不思議とは思えません。聖者の不思議さというのは、マジックなどの不思議さと通じているのではないかと思います。特殊な能力をもっている人間にだけ成り立つ不思議さでしょうね。
 最後の仏法力不思議というのが、一番の不思議なんだというんですけど、どうなんでしょうか。自分のようなものが仏法に出遇うということは、まさに不思議じゃないかと言われたりしますけど、そうかなぁ…と思います。
 よく考えてみると、「不思議」と「不可解」は違うように思います。「不可解」とは、マジックを見たときの感情ではないでしょうか。ほんまかいな?という疑いのこころのように思います。ほんまかいな?と同時に、不思議だなぁという感情です。
 しかし、「不思議」というのは、もっと明確な知の領域にあるように思います。だから、不思議だなぁという感情とは別だと思えます。まさに人間の「思議」を「不」と拒絶する作用ではないでしょうか。これは知の領域にあると思います。
 自己の知を徹底して「不」と拒絶する真理そのものを物語っているように思います。相対的な知だけが人間には許されています。絶対的な知は「不」です。非ずです。自己が自己になってきたいのちの歴程は「不」です。自分はやがて消えてなくなるのですが、それも「不」です。いま、ここに、生きているこの一瞬も、自分の思いが入ることはありません。これもすべて「不」です。
 ただ、結果だけが人間には少し分かるだけです。因は不明です。「不」です。
私はどこかに行くわけでも、ここに停まるわけでも、消えるわけでもないのでしょう。「不」ということが、そういうふうに「思い」を超えさせてくれるだけなんです。そうすると、ここ、いま、わたしというものが、明確になってきます。目の前のこの一瞬を生きることが始まります。
 明日のために今を生きているわけではありません。今は今のためにあるんです。「今」を今として解放してあげましょう。

2005年11月12日

同朋会館(京都・東本願寺の研修会館)へ研修へ行ったひとの話を聞きました。講堂からそれぞれの部屋へ帰ったとき、入り口を見ると、脱いだスリッパがバラバラで汚かったそうです。みんな、ここに来ているひとは、さぞ信仰心の厚いひとだろうと思っていたのに、この有り様を見てがっかりしたというのです。
 さて、この発言をどう頂いたらよろしいのでしょうか?
 そりゃあ、門徒といっても娑婆の住人だから、仕方ないよという頂き方もできます。あるいは、こんな愚かな門徒だからこそ、救われなきゃならないんですね。もともと立派なら聞法なんていらないですね、という頂き方もできます。あるいは、そんなことに気が付いたのなら、あなたが率先してきちんと直して上げたらいいでしょう、という頂き方もあります。いやいや、あなたが、みんなに声をかけて、せめてここにいるときくらいは、きちんとしましょうよと教えてあげたらいいでしょう、という頂き方も成り立ちます。
 まあ、いろいろな頂き方があります。
 どういう反応をするにしても、まず、この事実をしっかり頂かないとダメだと思います。小生は「仏は細部に宿りたもう」というふうに言ってまして、どんな小さな、ささいなところにも仏の薫りが宿っています。その薫りをどう頂くかが問題です。
 娑婆は、仏法の応用問題集ですから、素材はたくさん転がっています。ただ、薫りを嗅ぐための鼻がしっかりしているかどうかです。
 さて、小生は、どういただいたかといいますと。このバラバラのスリッパに娑婆世界が映っていると頂きました。乱雑そのものが私の生活です。それをたとえ、努力して上辺だけはきちんと整頓したとしても、その本質はバラバラの乱雑ではないでしょうか。努力して、きちんとすることはいいことです。それには異義はありません。しかし、本質、つまりありのままの自分であれば、それはバラバラの乱雑そのものなんです。そこに本質が露呈しているわけです。
 自分の乱雑さの本質が、そこに露呈しているといただいたのでした。
 そんなことを考えていたら、町田で十五歳の女子高生が幼なじみの男子生徒に殺害されるという痛ましい事件が起こりました。「なぜ!」「どうして?」と思ったんですけど、そんな疑問は、通用しませんね。事実は事実ですから。小中校と親しかったのに、高校に入ってから急に冷たくなったというのが理由だとテレビでは言ってましたけど、ほんとうのところは分かりません。
 恋は盲目といいますね。失恋によって、恋する相手を失うことは世界が消滅してしまうほどの大事件ですからね。「また、他にも出会いがあるさ…」と悟るまでには時間がかかります。普通の場合は、スゴスゴと後ずさりして、彼女から遠ざかるという方向にいくように思います。そこには、まだ帰るべき寄る辺、逃げ込める「自我」があります。しかし、この事件では、後に引けなくなっちゃったんですね。
 彼女と彼が出会っていた場面には、どんな事実があったのか。ほんの少しの食い違いが、ああいう結果になってしまったように思います。おそらく、あの場面には「ほんの少しの食い違い」があったのです。実に痛ましい。
 対幻想は、どうしても関係を閉ざしていきますね。性は相手とだけの関係であって、他者の介入を許さないものです。卑近なことですが、寺がなぜ開けないのかという本質には性が介入しているからです。それは夫婦であり、家族であるからです。教区のテーマで「寺を開こう」というのがありますが、あれは本質的に無理なことをテーマとしているのです。性は閉ざすものですから、寺は閉ざされていくのです。出家仏教であれば、個人ですから、開きやすいです。まあ、そんな寺は滅多にありませんけどね。
 もし、在家仏教でいこうということだと、なかなか難しい問題です。そうそう、あの「イエスの方舟」の千石さんは、夫婦を解体し家族を解体していましたね。どうしても、教団を開こうとする場合に、性は排除されていくのでしょう。性を抱えたままで開いていくということは、永遠の課題です。
 どうしても、「性のベクトル」の他に「法のベクトル」が働かないと開けないでしょうね。閉ざしていく性を許容し、なおかつ、開けるということは、仏法なくして成り立たないのだと思います。唯仏論じゃないとイカンのだと思えます。この世界は仏の世界です。別に寺ばかりが特殊な場所じゃない、この世界、この宇宙が仏界だということで、はじめて開けるのです。どれほど閉ざしていても、そこは仏界であるという認識が、開けを起こすのです。性にほころびをもたらすのです。
 「仏は細部に宿りたもう」。
  

2005年11月07日

「南無阿弥陀仏 これでたくさんであります」
              曽我量深(『曽我先生実語抄』蒲池暁青篇・円照寺発行) こんな言葉に出会いました。この「これでたくさんであります」という言葉が、ズシーンと腹の底に響きませんか。娑婆はいろいろあるんです。「これだたくさんであります」なんて、とても言っていられないんです。不平不満がたくさんあって、また、やらなきゃらならいことがたくさんあって、そんなことは言ってられないんです。
 だからこそ、この言葉がズシーンと響くんですね。「だからこそ」ですよ。
 南無阿弥陀仏、これでたくさんでありますと。
 故・坂東性純先生が、お念仏は御破算(ゴハサン)ですよと言っていたのを思い出しました。ソロバンのときに、ゴハサンデ願いましてはーとやりますよね。あのときの、「御破算」という意味だと。確かに念仏にはそういうはたらきがありますね。一切の娑婆のゴタゴタをスーッと御破算にしてくれるんです。
 不平不満で生きていて、その不平不満以外の生活の場所はあるのかね?と聞かれれば、やっぱり、ないんですよ。もっとこうなったら、もっとああなったらと、不平不満ばかりで生きてるんですけど、その場所を逃げ出して、他にもっと楽な場所があるのかね?と聞かれれば、そんな場所はないんですよ。
 だって、自分が不平不満発生機だからです。不平不満は向こうからやってくるもんじゃないんです。実は、向こうと私の間に作り出されるものです。それをつくって発生させているのが、私自身ですから、私がいる限り不平不満はなくならないという仕組みなんです。
 ひとと言い争っても、喧嘩しても、それは、喧嘩両成敗で、絶対的に正しいことはないんです。どちらにも一理あるというのが娑婆です。イスラム原理主義にも、ブッシュ政権にもどっちにも一理あるんです。絶対的に間違っているということは、なかなかないんですよ。
 どっちも絶対的な正義はないよと達観できればいいんですけどね。自分だけに正義があると思い込みたいので、どうしても暴力なってくるんです。
 そういうところに立てれば、結構、娑婆が楽に生きられるようになると思います。自分が不平不満の発生機だという自覚が大切だと思います。
 だから、〈いま〉自分がいる居場所以外に、自分の居場所はないんですね。
 もう「これでたくさんであります」ということでしょう。たくさんなのに、もっと欲しがるというのも人間の業ですから、悲しいものです。
 欲しがれば欲しがるほど、欠乏してくるんです。

2005年11月0
5日

今月の言葉■

一悪を以て衆善を忘れず(『帝範』)

これは私の好きな言葉です。ひとつ悪いところがあるからといって、全部を捨ててはいけないという戒めです。でも、普通は、ひとつ悪いところがあると、全部を捨ててしまうということがよく起こります。「あいつは、ダメだよ」と言った場合、そのひと全体がダメだという意味になってきます。なかなか「そういうところはダメでも、いいところもあるよ」とはなりませんね。これは戒めです。
 これって、現代を象徴する発想でもありますね。一か百かという発想です。ゼロか百かという発想は、デジタルです。真実というものは、デジタルですから、ゼロか百なんですけど、この世の存在にとっては、だいたいゼロと百の間にあるものなんです。
 九十九よいところがあったとしても、一つ悪いところがあると、全部悪いんだという発想になりがちです。完璧主義のひとに多いですね、この発想は。
 ひとの評価をしているうちはまだいいんですけど、その物差しを自分に当ててしまうとずいぶん困ったことになります。ひとつ悪いところがあったら、全部ダメだと悲観してうまうことはよく起こることですから。
 そんなとき「一悪を以て衆善を忘れず」と口ずさんでいます。でもなかなか効果はありませんけどね。

2005年11月02日

またまた、『新しい親鸞』の間違いを指摘して頂きました。49頁と153頁の「にぐるものをおわえとる」ということについて、「逃ぐるものを追はえとる」が正しく、「結わえ取る」という私の解釈は間違いだと指摘頂きました。さらに、出典は「正像末和讃」ではなく、「浄土和讃」の「十方微塵世界の/念仏の衆生をみそなわし/摂取してすてざれば/阿弥陀となづけたてまつる」の「摂取」の左訓だと間違いを指摘頂きました。
 ふたつも間違いを犯してしまいました。ごめんなさい。小生の本をもっているひとは訂正しておいてください。まったく間違いを流布すると、さらに間違いが拡大されていきますから、これはいけませんよね。
 最初に調べたときには、正しくとも、それを記憶間違いしていたりして、まったくどうしようもないなぁと思います。あらためてお詫びいたします。機会のある度に、訂正しておくつもりです。
 第二弾として、一応の「歎異抄」をテーマにした文書のかたまりを書き上げるところまできました。歎異抄といっても、全体ではなく、前半の十条までなんですけどね。
 それも、「歎異抄」の真実はこれだ!ということじゃなくて、小生の受け止めている歎異抄はこれだ!ということで記すしかないですね。そして書き続けていくしかないんじゃないかと、いま思っています。
 それは文字を書くということと同時に、恥を掻くということでもあります。それもまた一興じゃ〜ありゃーせんか。
 だって、自分が傲慢にも「文字」を書くんじゃなくて、書かれている「文字様」自身が、小生を引っ張っていってくれるんですからね。主客が逆転しているんですよ。だから、「文字様」が、「もう書かんでいいぞ」とおっしゃるまでは、書き続けなければならないように思います。
 

2005年10月31日

昨日、親鸞まつり(報恩講)が勤まりました。
 いまは、「祭りの〜後の〜さび〜しさわ〜、たとえば〜、女で〜わぎらわし〜♪祭りの〜後の〜さび〜しさわー!」(吉田拓郎・『祭りのあと』)風な、けだるさが残っています。懇親会の酒が残っているせいでしょうね。
 せっかく法話が聞けて、ハンドベルが聞けて、身も心もどっぷりと、至福の時をいただいていたのに、その後の懇親会で深酒をすると、どうしても、あの素晴らしい記憶に傷がついてしまうように思えます。ほどほどにしておけばよいのでしょうけど、なかなか、この「ほどほど」ってやつが、難しいんですぅ〜っ。
 西田真因先生のお話は、「真因曼陀羅」という掛け軸二幅を持参されての講演でした。体系的に真宗が何を語っているのかを明らかにしなければ、部分的なことが分かってもダメだというお話でした。特に親鸞絶対化は、教学を閉塞させるということも刺激的でした。(というより、これは小生も言ってることですけどね(^^ゞ)裸の王様のようになっていて、みんな親鸞絶対という魔法に掛けられているといいます。実は王様は裸だったと。
 西田先生の講演は11月2日(水)にも聞けますよ。
午後2時〜「真宗から見た靖国問題」というテーマで講演をお願いしています。場所は「求道会館」(文京区本郷6−20−5)です。興味のあるひとはどうぞ!憲法問題も含めて学んでいきたいと思います。
 報恩講の話に戻ります。
 グロッケン・シュピールの方々には毎年、たましいを癒してくれるベルの音を頂き、感謝でした。なんとも言えないベルの音は、ファンタジーの世界へたましいをいざなってくれます。不思議なものです。「言葉」を介さないという媒体だからなしえる癒しの領域だと思います。
 どうしても人間の「言葉」は、汚れているのですね。「言葉」ということがすでに汚れを本質としているからでしょう。以前聞いた宮沢賢治の「マリブロンと少女」の話を思い出しました。歌手のマリブロンに憧れている少女。少女は教会(キリスト教)の娘です。マリブロンの歌声は人びとを癒します。しかし教会は「言葉」でひとを癒すところです。でも、少女はマリブロンに弟子入りしたいという。マリブロンの返事は「私の癒しは、たとえひとを癒せても一時の慰め。あなたは、もっと違った永遠の癒しができるのだから」と断る。といったような流れだったと思います。
 でも、その感覚は小生にも通じるものがありました。「言葉」は汚れているから、歌声やミュージックというものに憧れます。でも、小生にはやっぱり、汚れた「言葉」の世界しかないんです。そこへ帰るしかありません。
 「指示表出」ではなく、できるだけ「自己表出」に近づいていく言葉の世界へ身を投げていこうと思います。
 そうそう、吉本さんの夢をアリアリと見ました。
 吉本さんのご自宅の茶の間で、吉本さんが私と話していました。すごく元気そうなので、えっと思えるほどでした。ほんとうに安心しました。吉本さんに、法然と親鸞は違うというような話をしました。どこが違うかということで、小生は本人に会っていないからほんとうのところは分からない、しかし、あくまで情報となり言葉となっているテキストから判断すると違っているといっているだけだと説明しています。平面から立体的に親鸞を理解しなければダメだとも話している。
 吉本さんはそれを聞いていて、納得したような顔をしていた。他にもいろいろ吉本さんと話をしていました。最初はお茶とクッキーを出してくれました。それから、いつの間にか横には、小生の子どもたちが座っていて、今度はご飯を出してくれました。ご飯に明太子をバラバラに振りかけただけのものでした。へーっ吉本さんて、案外手際よくご飯をつくれるんだと感心しました。奥には娘さんがこっちの様子をうかがってチラチラと顔を覗かせていました。バナナさんも居て、えーっ、同居してないはずだけどなぁと思ったりもしました。なんだか、思っていたよりすごく元気な吉本さんとお会いして、安心している自分がありました。
 結構リアルな夢でした。
 これも、小生の無意識の中に潜んでいる「吉本的なもの」を芹沢さんが刺激してくれたから、見ることができたのではないかと思います。いつでも、フラットで、開いている芹沢さんは、小生の無意識には欠かせない存在になっています。
 そうそう、こういう大切な行事も、酒を飲まなかったら、もっと得るものが大きいのになぁと、いつも後悔しつつ、でもやっぱり、元の木阿弥といった体たらくで、やってます。あ〜あ、これで今年も暮れていくのかぁ、一年が、ハヤスギルーっ!

 2005年10月
26日

なんで、オレばっかりが貧乏クジを引くんだ!どうして、オレばかり、苦労しなくちゃいけないんだ!なんで、オレばっかり惨めなんだ、と思うことが多いです。ねぇ、そういうことって、多くありませ〜ん?
 そんなことを思いながら、お経を上げていたんです。そうしたら、答が返ってきたんです。「ここは苦の娑婆だから…」と。つまり、苦ということが、この世の本質だからという答えでした。
 そう思えたら、そっかぁ…苦しみが本質だから、苦しんでいて当然なんだ。苦しみの本質がより明確に現れて来ただけのことじゃん、と悟ったのでした。どういうわけか、自分は、幸せになれるのが当然だという思い込みがあるんです。もう、出発点がそこにあるんです。どこを基準にしているかといえば、そこなんです。そこをゼロの基準にして、そこから幸・不幸を考えていたようです。
 なんだぁ、その基準が、おかしかっただけじゃん。なぁ〜んだぁ〜と、実にあっけらかんとした気分になれました。
 そうそう、映画の『ラビリンス』の中で、デビッド・ボウイがジェニファー・コネリーに言う台詞を思い出しました。ジェニファーが、「あなたは卑怯だわ!」とかなんとか言うんです。すると、魔王のデビッド・ボウイが「何に比べて卑怯なんだね」と応酬するんです。そこで彼女は黙ってしまうというシーンがありました。
 この台詞を聞いていて、アッと思ったんです。何に比べて…ということですね。比べるという意識は、まったくないと思って、タカをくくっていたんです。ところが、自分の「幸・不幸」感は、まったく「比べて」ということ以外には起こりえないんですね。
 もう生まれたら、自分は幸せになれるのが当然だ、という信仰に凝り固まってますからね。この原理主義的信仰は、日本人に多いんじゃありませ〜ん?
 日本人は無宗教じゃありませーん!まさに原理主義者でーす!「幸せ貪り教」の原理主義的宗教者でーす!イスラム原理主義の宗教者と変わりませーん!自分の幸せを妨害するものは、テロででもやって、やっつけようとしますからね。
 ところが、悲しいことに、その心情は、私の中にも流れていたんでーす!まったく、浄土真宗にあらざる異端者でーす!
 しかし、変な親父が、「人間は幸せになるために生まれてきたんだ!」なんて、披露宴なんかでホザイテますからね。バカじゃん!と思ったりして…。そんなに幸せの基準値を上げてしまったら、この先、二人は、どうなるんだろうと、不安になりました。だって、そんなことは夢であって、現実には、なかなか幸せなんか成り立ちませんからね。
幸せの基準が高いほど、現実が惨めに思えちゃうんですからね。
 親鸞は「地獄一定すみかぞかし」と言ってます。この目の前の現実が、地獄だとね。それは「幸せ貪り教」の信者にとって、受け入れられませんね。でも、その「幸せ貪り教」は迷信じゃないのと批判してきますねぇ。イスラムの原理主義者も、そしてオウムの信者も、それを批判しているんじゃないでしょうか!「幸せ貪り教」が正義で、我々は異端という見方はナンセンスじゃないのか!と。
 そう、そう、と思います。
誰も疑うことのない、「人間は生まれながらにして幸福になるのが当然だ」という宗教を疑ったほうがいいように思います。そうしないと、自分の目の前の現実を受け入れることが困難になるように思えます。

2005年10月22日

「ものを書く」ということ
 ひとは、いろいろなことを考えて、日々を送っています。もう目が覚めたときから、活発に考えています。自分で、考えようと思って考えているわけでもないのに、ほぼ自動的に、脳にスイッチが入り、グイーンと音を立てて機械が始動するように、考え始めます。
 目が覚めて、目覚まし時計を見て、いま何時だろう?と思って、もう起きなくてはと考えます。それから、今日のスケジュールを考えたり、するべき仕事を考えたり、朝御飯のことを考えたりします。そんなことを考えていると、突然、昨夜の酒の席のことが、頭によみがえってきたり、「そういえば、あれって、どうだったかなぁ?」と仕事での疑問や、やり残した仕事がよみがえってきたりします。
 これを意識生活といえば、目覚めている間じゅう、「意識生活」をしているわけです。まぁ、それは寝ているときにも続いているらしいのですけどね。夢は数秒しか見ないというのですけど、寝ている間でも、脳は微かに動いているようです。脳波が無くなるというのは死ぬときですからね。24時間、脳は考えているようです。
 しかし、どれほど考えていても、「考え」そのものを見つめることはなかなかありません。いろいろなことを考えているのですけど、その考え自体を、「なぜ自分はそういうことを考えたのだろうか?」「どうして、そこに拘泥してしまうのだろう?」というように取り出してみることはやっていません。
 考えるということは、水の流れのように、動いています。ですから、上流から下流に流れていってしまい、忘れ去られていきます。それはそれでいいわけですけど、もし、それに問題を感じるようなことがあったら、考えを、書きつけるという方法をお勧めします。ノートでもなんでいいんです。考えを外化(アウフヘーベン)してみましょう。すると、水のように流れていた考えを、すくい取ることができます。そして紙という現象の世界に定着させることができます。考えは、どうしても「抽象的」なものです。ですから、考えているばかりでは、考えそのものを対象化することはできません。それを具象の世界へ定着させてやるのです。
 すると自分の考えが分かってきます。ひとにはみんな、考えの傾向性があります。自分では気づかない傾向性があります。すると、とっさのときに、事故に遭わずに回避することができるようになります。つまり、対人関係などで、トラブることが回避できます。自分が何にこだわり、どうして、そういう考え方になってしまうのかということが、自覚されているからです。そして、ものを書くことを通して、自分が見えてきます。さらに、もっと普遍的な、それこそ人類の抱えている根本的な問題までをも見つけることができるようになります。
 ユングが個人的無意識の底には、民族的無意識があり、その底には普遍的な無意識があると語ったようにね。
 ですから、自分という鉱山を掘るには、「ものを書く」という道具が必要なのです。自分というのは、世界にたったひとりしかいないのですから、まだこの鉱山は掘られたことがないのです。前人未到の鉱山は、まさに宝の山でしょう。この山を掘ってみませんか。
 きっと、いままでとは違った自分が見えてくるはずです。抽象的に考えていたのでは、どこまでも曖昧です。敢えて現象の世界に考えをもたらすのです。それは、抽象的な自分から、具体的な自分への旅立ちでもありましょう。
 これはどんな旅行社も宣伝していない、激安旅行です。それも前人未到の秘境への旅行です。ワクワクしてきませんか。どうぞ、ご一緒に旅立ちましょう。

2005年10月17日

先日、四谷にある、聖イグナチオ教会へ行ってきました。ここは、カソリック(イエズス会)の営む教会で、隣接して上智大学があります。数年前に建替えられて、現在の聖堂は近代的な建物になっています。
 ここのマヌエル・エルナンデス神父と知り合いだったので、教学館の見学研修ということで、20名ほどでお邪魔しました。エルナンデス神父は、スペイン生まれで、24歳のときに来日され、現在は74歳になられています。奥の納骨堂に連れてゆき、僕はここに入るんだと教えてくれました。単身で来日し、そのまま日本に骨をうずめるという、ミッションの凄味を感じました。
 とても日本人には真似のできないことだと思います。移民者の感想を聞くと、やはり、晩年は日本に帰りたいと望郷の念を強くします。それが叶わない場合には、たとえお墓に入っても日本の方向に向けて建ててくれと頼むそうです。やはりカソリック(普遍)という精神は、ものすごいものがあります。小生なんかは絶対に無理です。なんたったって朝飯は、味噌汁に納豆がないとダメですからね。いやいや、いまは全世界で日本食を食べられるんだから、問題ないよっていう声も聞こえてきますね。
 まあ、イグナチオ教会の中は部屋がたくさんありました。礼拝の部屋、神父さんの部屋等々です。見学するだけでも大変でした。
 へーっと思ったこと。壁に、穏やかな女神のような女性が手を伸ばし、その先には赤ちゃんがたくさん描かれた絵が掛かっていました。「この絵は何を描いたものか分かりますか?」とエルナンデスさんが聞きました。「水子供養かなぁ?」というと、それが当たりでした。奥の部屋には、彫刻までありました。その水子マリア像の周りには、各国の子どもがまとわりついていました。イグナチオ教会は国際的ですから、日本人だけの水子を相手にしていませんからね。白人や黒人の子どもも彫り込まれていました。
 それから、納骨堂には、無縁仏を納骨する場所もあって、これも日本の寺と似ていて面白かったですね。結局、カソリックはその国の風習やら宗教をそのまま受け入れていくのですね。
 結局、何を対象としているかといえば、目の前の人間だけなんです。水子でも、骨でもないのですね。人間だけを相手にしているのが、いまのカソリックなんです。それは大切なことです。
 真宗教団も学ぶところではないでしょうか。どうもうちの教団は、目の前のひとではなくて、「理屈」に捕らわれ過ぎてます。だから「水子供養は真宗ではやらない」という理屈を大事にして、目の前で子どもを亡くして苦しんでいるひとに共感することができないのです。問題なのは、水子ではなく、目の前のひとなんですけどね。
 どうしてひとではなく、理屈に捕らわれるかといえば、どのように悲しんでいるひとに共感したらよいか分からないからではないでしょうか。別に方法はないのですね。何も慰めることはできないのです。ただ側にいることしかできないのです。でも、側にいれば、何かが動いてきて、それが癒しに変化していくこともあるんですけどね。小生は葬式の場面でいつも感じることです。何かが自分にできると思っているうちは、葬式に行くのが辛いんです。どうしたら遺族が慰められるだろうかとか、自分には何かやれることがあるんじゃないかという思いが自分を責めるんです。最終的に、遺族を慰める方法は、故人を生き返らせることしかないんですからね。それができない以上、ほかのことは慰めにはなりません。
 自分には何もやってあげられることはないのです。人間にはね。でも、自分がその場で何かを感じていることで、遺族には違ったものが生まれてくるはずなんです。だから、初めから何かをしようと思って葬儀の場に望むことはありません。「何もできない」というところが原点です。あとは、その場にまかしたらいいんですね。
 エルナンデス神父は、熱いひとで、いつでもニコヤカです。徹底的にひとが好きなんでしょうね。つねに開いているひとです。彼に会うと、いつも自分は閉じてるなぁと感じてしまうので、嫌なんですけどね。小生は、人間嫌いで、内気なもんですから、あんまりひとに会うのが好きではないんです。幼稚園の頃、みんなが園舎でお絵描きをしていると、小生はひとりで砂場にいました。みんなが庭に出てくると、小生は園舎に入って遊ぶという、ひねくれ者でした。この根性は死ぬまで治らないんでしょうね。だから、本質的に坊さんには向いていないんでしょうね。まあ、大勢いる坊さんの中に、ひとりくらい変人がいても許されるかも分かりません。

2005年10月12日

すごい言葉に出会いました。
 それは、お葬式の場面です。ご主人を亡くされた奥さんが、漏らした言葉です。
「そりゃぁ、辛いんですけど、主人を亡くしてよかったと思うことがひとつありました。それは、この悲しみを、主人に味わわせなくて済んだことです…」。
 こんなすごい言葉はちょっと出ませんね。
普通は、自分が悲しいということだけで精一杯ですから、相手のことを思いはかるなんていうことはできないものです。しかし、彼女は、向こうの立場を考えていたのです。私がこんなに辛い思いをしているのだから、彼だったら、この辛さに耐えることができなかったかもしれない。この苦しみを味わわなくてよかった。味わわせなくてよかった。辛いのは、私でよかったんだというわけです。
 この受け止めかたは、すごいですね。
もうひとつ。
 これは、お父さんを亡くされた娘さんが、お母さんに投げかけた言葉です。お母さんはお父さんを亡くされて、メソメソ泣いていました。そんなお母さんに向かって
「お母さんが、悲しいのは、お父さんがいなくなって悲しいだけじゃないの。別に、お父さんのことも思ってじゃない…」と語りました。
 これも側で聞いていてドキッとする言葉でした。娘さんも悲しいんですね、でも、お母さんがいつまでもメソメソしているので、だんだん、それが苛立ちになっていったようです。悲しいのは、あんただけじゃないんだからね!私だって!という思いでしょう。
 だから、この表現には、多少苛立ちが混じっていたように思いました。肉親が亡くなれば人間は泣くんですけど、悲しいのはお父さんのことを思って悲しんでいるんじゃなくて、オモチャを取り上げられて泣いている子どもと同じじゃないかというのです。自分が寂しいだけだと、そこにはお父さんはいない。お父さんというオモチャを取り上げられて泣いている子どもと同じだ。
 しかし、そう考えると、肉親を思って悲しむということは難しいことだと思います。ほんとうは自分自身が寂しいだけなんですね。果たして亡くなったお父さんがほんとうに悲しいと感じているのかどうかは分からないことですからね。
 ひとは、極限状態のとき、凄味をもった、側で聞いていてドキッとする言葉を吐くものです。それは、真理の一言といえるほどの味わいをもっています。「一度も愛さずに死ぬよりは、たとえ失ったとしても、愛したことのある人生の方がよい」と語った哲人がいたそうです。これもその通りと頷けますね。

2005年10月06日

縁があって、新潟の「曽我・平沢記念館」へ行ってきました。場所は、北陸自動車道の潟東インターより、東へ15分です。(住所は:新潟県西蒲原郡味方村大字味方。電話025−373−6600)カーナビを頼りに、迷いながら行きました。
 来てみて驚いたのですが、「曽我・平沢記念館」(曽我量深・平沢興)は独立した敷地にはありませんでした。県の重要文化財・笹川邸の中に併設されるかたちで、遠慮がちに建っていました。笹川邸とは、江戸期の大庄屋で、その建物の右側の通路を通って、どん詰まりの裏庭にありました。
 なんという扱いなんだろうと、ちょっと腹が立ちました。笹川邸のパンフレットに順路が書かれているのですが、袋小路のどん詰まりに位置していました。 記念館といっても、曽我先生の展示物はそう多くありませんでした。曽我先生が使っていた落款やステッキ、勲章、揮毫、写真、略歴などが展示してありました。時間もあまりなかったので、ゆっくり見ることは叶いませんでした。
 この側のお寺が先生の生家でした。そこにも寄りたかったのですが、それもできませんでした。
 曽我量深という、真宗教学者が出現しなければ、おそらく親鸞は現代に復権しなかったんじゃないかと思えます。それは、一宗派に出現された先生ですが、地球的な意味をもった出来事だったのです。だから、もっと大々的に、重たい扱いをされてもよいのではないかと内心では思ったのですけど、その思いを打ち消す思いも涌き起こりました。
 そうだよなぁ、先生の偉業は、時代社会にはなかなか理解されないことなんだなぁと思いました。まぁ、「猫に小判」という状況だから、時代から正当に評価されないのは当然かもしれないと思いました。時代というものは、つねに、反仏法的ですから、それが先生を正当に評価できないのは当然です。時代はhow to(ハウツー)を基準に動いていますからね。先生はwhy(ワイ)が基準です。合致するわけがないのです。
また、笹川邸を見学していましたら、(笹川良一とは無関係のようです。彼は大阪出身ですから)、仏間があって、そこの解説に「もとは浄土真宗だったが、日蓮宗に変わる」と書かれていました。そこに日成聖人のヒゲ曼陀羅(南無妙法蓮華経)が掲げてありました。
 江戸期は、宗教と身分が密接に関係していたためかと思いました。「天子天台、公家真言、公方浄土、武士禅、日蓮乞食、門徒それ以下」(これは平田篤胤の表現らしい)が流行語のようになっていた時代です。「門徒」とは、浄土真宗のことです。そのひとの身分のステータスとして宗派が利用されていたのでしょう。おそらく門徒のランキングから、ひとつ上位の日蓮に這い上がったというのが、笹川氏の当時の意識かもしれないと思いました。これは想像です。
 あるいは、宮沢賢治の事情のように、浄土信仰から法華信仰へと傾斜したのかもしれません。まぁ、賢治は、親鸞思想の核心を経由して法華へ行ったというよりも、父親が真宗の篤信家でありつつ、金貸しでもあったという周辺事情によって法華へ行ったようですけどね。
 現在の笹川家は、おそらく日蓮宗でしょうから、いくら名誉県民であっても浄土真宗の学者を、あまりメインの場所には配置できなかったのかもしれません。もっと単純に考えれば、あの場所しか、空いていなかったということかもしれません。それらは、すべて小生の妄想かもしれません。
 曽我先生の言葉が、コピーされ、無料で配られていましたのでもらってきました。

「信は自分自身を信ずる。
 偉いとか偉くないというのでなく、
 とにかく自分自身を信ずる。」


自分自身を信ずるということが、一番難しいことだと思いました。

2005年10月01日

今週号の『週刊朝日』の「今週のピカイチ本」で、拙著が取り上げられました。ほんと、ありがたい限りです。小生が嬉しがっているというより以上に、雲母書房に貢献できればという一念です。
 現在、定期的に執筆しているコラムは、新聞「サンガ」(真宗大谷派宗務出張所発行)」と「おやまごぼう」(金沢教区新聞)ですが、大谷婦人会の「はなすみれ」(会報)と教育新潮社の「仏教家庭学校」からもオファーが来ました。これも、出版の御利益というところでしょうか。

2005年9月30日

ひとから文句を言われたり、批判されたくなければ、何もしないことです。何も言わないことです。ジッと、動かず騒がず、黙っていればいいのです。てんとう虫が、冬場、身を寄せ合って、息を殺して、ジッと固まって生きているようにね。それもひとつの生きかたでしょう。
 しかし、それに我慢できない人間がいるのです。小生のような。
「沈香も焚かず、屁もひらず」という諺があります。沈香(ジンコウ)は最高級のお香です。焚くととてもいい匂いがします。屁は、みなさんご存じでしょう。つまり、ものすごく薫りのよい沈香を焚くこともせず、また、臭い匂いの屁もひらないというのは、面白くないという意味でしょう。よいところもなければ、悪いところもない。長所もなければ短所もない。山もなければ谷もない、そんな平坦で平凡で、波風のない人生は、詰まらないと思います。
 まあ、理想として「平凡でいい」などと口にはしますが、現実は、波瀾万丈というのが人生の常ではないでしょうか。
 大谷婦人会から、原稿依頼がありました。テーマは「生きることへの勇気」です。読者対象は、老若の女性たちだそうです。たぶん皆様には一生、読まれるご縁のない文章でしょうから、ここに、日の目をみさせてやることにしました。どうぞ(^-^)
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■「関わることは、リスクを引き受けること」■
「関わるということは、リスクを引き受けるということ」。これは、あるカウンセラーの言葉です。
 関わるということは、誰かと何らかの関係をもつことです。私たちの日常は、誰かと何らかの関係をもって存在しています。親子・兄弟・夫婦・親類・恋人・同僚・友人等の人間関係を生きています。あらためて、「ひとと関わるということは、リスクを引き受けることだよ」と言われると、確かにそうだなぁと感じます。
 もし、夫婦関係になっていなければ、半身不随のご主人の面倒を見ることもなかったわけです。もし家庭をもっていなければ、ご主人は単身で、自分の好きな仕事に転職できたかもしれません。もし、友達関係でなければ、借金の保証人を引き受けることもなかったことでしょう。もし、恋人関係にならなければ、失恋の痛手を負うこともなかったのです。そう考えると、誰かと関係をもつということは、確かにリスクを引き受けることだと言ってもいいのでしょう。
■関われない症候群■
 現代では、未婚の男女が増えているといいます。それも様々な要因が関係していますが、そのうちのひとつに、この「関わることのリスク」という問題があるようです。もし異性と関わりをもったとして、やがて性格の不一致などで、将来別れることになったらどうしようと思うわけです。いまはよくても、将来不具合が出てきたときは、自分が傷つくわけです。それを恐れるあまり、関係をもつことに躊躇いを感じてしまうのです。それは一見、相手を気づかっているように見えて、実は自分が傷つくことを恐れているのです。
 現代では、このような「関われない症候群」が多いように思います。他人と関われば、リスクを引き受けることになるから、初めからそういうリスクのタネを摘み取っておこうというわけです。ある若者が「彼女は長女だから、将来両親を引き取って面倒みることになるだろう。俺は彼女と結婚するんだ、親の面倒をみるなんて御免だ」と語っていました。他の若者は「彼女が好きだけど、もし彼女が癌にでもなったらどうしよう。そんな悲しいことはない。だから、悲しい思いをする前に、彼女と別れることにしたんだ」と。
 痛手を負う前に、リスクのタネを摘み取っておくという方法は、一見正しいことのように見えてしまいます。それほどまでに、現代という時代は、みんなが不安神経症に罹っているわけです。自分を溺愛し、自分が少しでも傷つかないように、できれば保育器の中に入れて大事に保存しておきたいのです。自分にとって不快なこと、不都合なことが起こることを極度に恐れているわけです。まさに、ナルシズムの極致が、現代の「関われない症候群」なのでしょう。
■リスクの海を泳ぎ切る■
 昔は、まず身体からいきました。考える前に、先に行動がありました。考える前に、すでに他者との関係がありました。理性のチェックが入る前に、身体が先に動いていました。だから「昔はよかった」と語っても意味はありません。まず、理性の緊張を緩やかに解きほぐしていくしかないのです。
 自己の誕生を考えてみましょう。誕生は、めでたいことです。生まれようと思って生まれてきたわけではありません。自分の思いを超えて誕生したわけです。しかし、お釈迦様は、この誕生こそが死の原因だと語ります。病気や事故や老化は、あくまで縁であって、死の根本原因は誕生だというのです。この世に生まれたということが、死の原因を作ったのです。すると誕生ほど大きなリスクはないことが分かります。むしろ、リスクの中に存在しているのが私たちです。存在そのものがリスクなのです。これから将来に、向こうからリスクが襲いかかってくるわけじゃありません。もう、リスクの中にどっぷりと漬かった生活なんです。そもそもリスクを「外にある」「向こうにある」と見る理性が問題なのでしょう。むしろ、リスクを減らそうという思いが、実はリスクを、必要以上に巨大なものに作り上げているのではないでしょうか。「自分が関わらなければリスクは負わないのだ」という発想は幻想なのです。
 そうやって開き直って、リスクの海を泳いでいこうではありませんか。この身体は、リスクと共にあるのです。人間として生まれたのであれば、このリスクの海を自由自在に泳ぎ切ってゆきたいと思います。リスクの海に全身を投げ出して生きることで、初めて「生きた」といえるように思います。ひとと出会い、ひとを愛し、ひとと別れる。しかし、そこに初めて人間として「生きた」といえる実感が生まれるように思えます。
 

2005年9月26日

先日、小生の、この「つぶやき」が、ご主人を亡くされた方のこころの癒しになっていたということをお聞きして、ジーンとしてしまいました。
 「つぶやき」が、ほんとうに無駄ではなかったと、つくづく思いました。ここのところ、なぜ更新が鈍っているかといえば、実は、『新しい親鸞』の第二作目を、執筆中だからなのです。二作目は『歎異抄』です。
 自分が、いままで挑んできた歎異抄が、どこまで読み解けるかという、歎異抄に対する挑戦状みたいな作品です。これに関わっていて、なかなか、頭を切り換えることができなくて、更新が鈍っているのです。
 これは言い訳です。やっぱり、自分が生きているということは、深化し続けているわけでしょうから、いま自分が見えている光景を表現するという義務があるのです。その義務を怠っているということで、申し訳ないことだと思っております。
 昨日、「小菅桂子さんを偲ぶ会」に呼ばれて、白金台のラディソン都ホテルに行ってきました。彼女は、食文化研究家です。72歳で亡くなりました。ほんとうに元気で、曲がったことの嫌いな、それでいて、実に人情味のある、浅草っ子です。裏表のない彼女が、小生も大好きでした。
 昨夜は百名近くの方々が、彼女を偲んで集いました。歌手の二葉 百合子さんや、中華料理家の杜栄さん(新宿ホテルセンチュリー・サザンタワー。シェンロンの料理長)など、多彩な方々が勢ぞろいでした。彼女のご尊父が浪曲作家の小菅一夫先生で、先生の面授の弟子たちが大勢、揃っていました。ひと昔前の、日本文化の創造者たちだと思います。その中に、数寄屋橋の次郎さん(次郎寿司店主)も、当然入っていました。桂米朝さんのお花など、芸という文化の中に、偲ぶ会が、それこそ盛大に執り行われました。 彼女は、20冊以上の書物を上梓していました。有名なところでは『水戸黄門の食卓』(中公新書)『にっぽん洋食物語』(新潮社)『カレーライスの誕生』(講談社メチエ)等です。日本近代が、いかに外来の食文化を取り入れたかということを丁寧に顕彰する作品には、感動を覚えます。
 日本人で初めてラーメンを食べたひとは、水戸黄門ですと語っていました。
 彼女は、個人的には中華料理が好きだったようで、小生も広東料理や、四川料理を一緒に食べたこともありました。彼女の、豪快な笑い声は、今でも小生の耳に焼きついています。東阪企画会長の澤田隆治さんが、彼女テレビ出演番組を、編集して20分くらいの作品にしてくれました。なんと、百本以上のビデオテープを20分に編集されたそうです。さすがに、プロだと思いました。彼女が、映像でしゃべっているんですから。それを見ていて、ますます、彼女が死んだということが、信じられなくなりました。
 人間は、物理的に、死んでいるか生きているかということは、どうでもよいことではないかと思えるのです。そのひとが私たちに残したインパクこそが、そのひとじゃないかと思えます。物理的に、死んだとか、生きたとか、客観的に判断するのでしょうけど、そんなことは信じなくてよいと思います。そのひとと二人称の関係をもったひとは、そんなことはどうでもよいことです。だって、そのひとの声がいまでも聞こえるんですから。
 生も死も、ほんとうは曖昧なもんですよね。それでいいと思います。彼女の声を、小生はいつでも、感じることができます。彼女と一緒に、小生は生きていると感じています。それだけがほんとうのことじゃないでしょうか。
 

2005年9月24日

竹中平蔵が、テレビで、日本の将来を救うのは「オタク」だと言っていました。あの「○○受けたい授業」といかいう番組です。「オタク」というのは流行語ですけど、難しく言えば「プロフェッショナル」だということらしいです。
 もっと簡単に言えば、「専門バカ」ということになりましょうか。別にプロフェッショナルを軽蔑して、そう言っているわけじゃありません。ひとつのことについて、こだわり抜いているひとは、他の世界を垣間見る機会が減りますから、当然「専門バカ」という状態にならざるをえないのです。なんでも満遍なく知っている「無駄知識バカ」とくらべれば、どっちもどっちだという気もします。
 両方とも「バカ」がつくんですから。このバカも、インドの古代語、バガバッド(=仏陀)から来ているというんですから、意味深です。
 それはそうと、オタクが世界を救うというのは、いいフレーズだと思いました。どうも、小生の知り合いにヘイチャン似のひとがいるので、竹中平蔵に対して、潜在的に好意を持っているようです。妙に憎めないです。
 キリストや仏陀やソクラテスも、オタク中のオタクではないでしょうか。ひとつのことに徹底してこだわり抜いたひとでしょう。こだわるということは、とてもよい感性じゃないかと思います。こだわろうと思ってこだわれませんからね。こだわるということも、与えられたものですよね。
 自己の内面から、「そうじゃないんだ、もっと、こうじゃないの」という叫びを聞けるひとがオタクでしょう。自己の内面からの突き上げに、素直に従っていけるひとです。内面からの突き上げを打ち消して、日常におもねないのです。そうそう、あの岡本太郎みたいなひとでしょうかねぇ。あれは、ちょっと行き過ぎですけど、岡本太郎一歩手前くらいがいいんじゃないでしょうか。
 彼の作品である「座ることを拒否する椅子」というのは、絶対矛盾の叫びでしょう。でも、あの椅子の叫びが妙に、人間のこころを打つのはなぜなのでしょうか?この矛盾の味というものを人間はもともと好きなのかもしれませんね。
 「死ぬために生まれた」といういのちの絶対矛盾が根底にあるからでしょうか。  

2005年9月19日

無を想う
無を想うとき、全身の毛孔から、気が流入してくる。気が充満してきて、生きたい、やりたい、という自発性が胎動し始める。毛孔のひとつひとつに、空気が入り込むように、ジワジワと胎動が起こる。
 無を忘れているとき、それは、自分の思いの世界に、つまり幻想の世界に酔いしれているときである。
 そんなときは、娑婆の諸問題が密林のように絡まりあって、自分の行く手を阻み、混乱してくる。それはいやな感じとして、重たくお腹にたまっていく。
 無を想うとき、それは、そんな重たい雰囲気を一気に晴らしてくれる。無の効用はものすごい。
 たかが人生、されど人生である。
 だが、されど人生、たかが人生でもある。
 生きるということが、これほど大きな問題としてのしかかってくるのは人間だけである。生きていながら、生きるということと自分との間に隙間ができるなんて。なんていう生きものだろうか。
 人間はダメだ愚かだと言ってみたり、いやいや、尊い生きものだと言ってみても、しょせん、それは人間内的世界の出来事にすぎない。
 なぜ生きるのか?ということすら不明なのに、一人前のような顔をしている。
 なぜ生きるのか?と問う以前に、すでに生きてしまっているのだから始末が悪い。
 生きていながら、なぜ生きるのか?と問わずにはいられない生きものが私である。
 まだ、その答えは誰も見いだしてはいない。私もである。
 だから、生きるということが、不可解であり、また面白くもある。
 普通、この皮膚に覆われた肉体の内部が自分であり、外部が世界だと思っている。でも、小生は、それを逆転させている。内部こそが外部であり、外部こそが内部ではないのかと。自分の肉体の内部を目でみることはできない。口を開けて口の内部だけはかすかに見ることができるが、大半は不明である。しかし、外部だと思っている世界は、見ることができる。外部のほうが自分には親しいのではないか。外部こそが内部だと思ってみると、全世界の出来事が自分のこととして受け止められてくる。
 自分の肉体は、この全世界なのではないか。全世界を包み込んでいるのではないか。すると眼は、自分の内部を見るようにつけられているようにも思える。
 自分の内部なんだから、もっと遊びごころでもって、いじくってみてもいいのではないか。そんな気がする。
 無から始まって、無に帰る。そんな旅の合間の途中下車。それが〈いま〉という瞬間の旅ではないか。
 もっともっと、理性という阿片を疑って見よう。いたぶってみよう。おちょくってみよう。くすぐってみよう。
 すると、理性の亀裂から、膿のように大事なものが滲み出てくるから。その膿が、流れだして溢れだして、満ち満ちてきたら、きっともっといいことが起こるはずだ。

2005年9月15日

昨日、久しぶりに、「山」を歩くという縁に出くわしました。教学館という若衆宿のメンバーと一緒でなければ、そういう縁は恵まれなかったと思います。まったく、つくづく、「この世は、縁次第だ」と思い知りました。
 こうしている、この一瞬も縁次第なのに、頭ではなんでも自由にできると思い込んでいる傲慢さ、あぁなんという救われなさでしょうか…。
 那須の渓谷を歩きながら、仏法を求めることは、山歩きに譬えられるという話を仲間と交わしていました。
 仏道の門が分からず、ウロウロしていた時期もあります。つまり登山道が分からないという状態です。昨日の道は分かりやすかったのですが、やはり、途中で道に迷うということがありました。これも、仏道を求めるということと似ています。この道だと決めて歩いているのですが、ほんとうにこれでいいのかなぁ?という思いがどこかで涌いてくるのです。
 しかし、またふたたび道を見つけて、「あぁーよかったぁ」となります。上り坂を、ハーハー言いながら登って、ふっと眼下をみると、下界が見晴らしよく広がっていました。「あー、もうこんなに登ってきたんだ」と思います。
 ところが、真宗の山登りは、ここが面白いんです。「もうこんなに登ってきたんだぁ」と思って、後ろを振り返ると、あっという間に登山口に戻されているのです。エーッ、こんなに登ってきたのに、どうして。やっとここまできたのに、また登山口に戻っているなんて、なんでなんだぁ!と叫びたくなるのです。
 しかしよく眼を見開いてみると、やっぱり、ここは登山口でした。
 というような感じですね。つまり、自分もここまで真宗を求めてきた、やれやれ、と腰を下ろそうとした途端に、全部の努力が無になるのです。つまり、初心に帰らされるわけです。そして、自分の努力と思ってきたこころが、無に帰らされるのでした。
 初めのうちは、こんな徒労はやめたいと思います。なんども登っては後ろを振り返り、そして登山口に戻されるということを繰り返しています。まったくの無意味ということを体験させられます。
 しかし、いつしかそのカラクリにも慣れてしまい、今度は、そのカラクリを解こうとします。そしてついに解けるときがくるのです。
 そうか、自分の思いとは裏腹に、登山口こそが頂上だったのだと。そして、いつでも登山口にいることができるようになるのです。登っては後ろをふり返り、また登山口に戻されるということが、ゲーム感覚で楽しめるようになってきます。だって、自分の求めてきた頂上は、登山口そのものなんですから。いままで頂上だと思っていたものは、妄想なんですね。
 登山口に戻されて、すべての努力は如来にはぎ取られて、自分は丸裸の状態になってゆきます。この裸にされることが、実に快感になってきます。信じれば信ずるほど、信じていなかった状態、無信の状態、白紙の状態に戻ることができるんですから、これは楽しいです。自分の肩の荷が、すべて軽くなってくるようです。
 山登りは、信仰を解く、メタファーだったのだと思いました。
 

2005年9月11日

真宗は在家仏教だ、家庭そのものが仏道の道場だ!っていうじゃ〜な〜い。


 でも、あんたぁ、親鸞は、そんなことどこにも書いていませんからぁ!
ざ〜んね〜ん!

 拙者、そんなこといいながら、在家仏教を喧伝してますからぁ、セップクーッ!

 芸人・ハタヨーク風にやってみました。いやはや、在家性は、大乗仏教の行き着く最後の姿だということは、間違いないところでしょう。いつでも性・どこでも性・だれでも性という大乗の原理を追い求めていくと、そこへいくしかないのです。
 ですから、いまの出家仏教教団のみなさんも、内実は在家仏教になっているわけです。そうだろー、やっぱり在家仏教じゃなきゃダメなんだぜぇって、私どもは言っちゃってるわけです。でも、そんなに喧伝するほど在家性は大層なもんじゃないような気もします。
 つまり、在家こそが仏教だと自信満々で言えるようなもんじゃないのかもしれません。仕方なく在家性になってるというのが正直なところかなぁと感じています。まぁ、親鸞が家庭をもったということが、私たちの自信満々の根拠になってるんですけど、それって、あんまりおおっぴらに言えるようなことでもないような気がします。親鸞だって、この私の生活スタイルこそが、大乗仏教に叶っているんだとは、どこにも言ってませんからね。恥ずかしながら、こういう形になってるだけなんですよというニュアンスのほうが強いと思います。
 家庭生活そのものが仏道の道場なんでしょうけど、それは仕方なく、取り敢えず、そういう形になっているといったほうが言いように思えます。親鸞だって、迷いながらためらいながら、引きずられながら、そういう生活形態をとったのではないでしょうか。決して、これが大乗仏教の典型だとか、模範だという意識はなかったように思います。
 どこまでも、「これでよいのでしょうか?」と如来に問いかける生活をされていたのだと思います。それは一生涯を、プロセスとして生きたということでもありますし、自分の一生を如来の前に供養して生きたと言ってもいいように思えます。
 ですから、親鸞を金科玉条に掲げて、私の在家性を弁明するものにしてはならないと思います。親鸞と私とは横並びですから、どこまでも、私の自己責任だと思います。
 そうなってくると、この私の生活が、真の意味で大乗の原理に叶っているのかと、あらためて問われてきます。ちょっと、そういう問いを建ててみると、冷や汗もんですなぁ。
タラタラ…。

2005年9月07日

■今月の言葉■

善を抑止できるのも善なんです。なぜなら戦争の本質は善対悪の構図ではなく、善対善の戦いだから。悪は互いに相手の中にしかない。問題は悪への対自ではない。むしろこの、悪への対峙という意識に問題が潜んでいる。この善、あるいは高揚する正義を、人類は今後どうやって抑制するかがポイントだと思う。 
(『戦争の世紀を超えて』姜尚中+森達也著  森達也氏の言葉) 

人間の内なる「善」を批判できるのは、超越項だけです。神・仏といった超越項だけが、人間の「善」を批判できます。
 人間の外部に、いつでも超越項を確保しておくことです。でも、人間は外部のつもりが、いつでも、それを内部にすり替えるという姑息さをもっています。これが厄介です。さんざん人間は、神・仏を立てて戦争をしてきたじゃないかと批判を受けるのも当然のことです。
 自分は神ではないのに、神の御告げだとか、啓示だとかとしゃべりだします。その神は、超越項ではなくなって、人間内的利用物に変質しています。
 徹底した外部を確保するということだけが、課題です。自我拡大や組織拡大を批判してくるような外部をです。
 

2005年9月03日

何年ぶりかで、カラオケに5時間あまり従事していました。カラオケボックスに、六人で入ったのですが、5時間あっても全然歌いきれないといった状況でした。当初の予定では、4時間予約で開始したのですが、それでも足りなくて一時間追加したのでした。それも平均年齢は、おそらく50歳前半になろうかという男たちが、熱狂して歌に興じる姿は、もはやこの世のレベルをはるかに超えているのではないかと感じました。
 ひとが歌っている最中に、自分の歌う曲を探すために本を読みあさっている光景が、妙に愉快でした。あれは根本的にカラオケの絶対矛盾ですね。ひとが歌っている間しか、自分の歌を探すことができないという根本矛盾です。ほんとうは、歌も聴いていたいのですけど、自分の歌を入力しておかないと、一生順番が回ってこないという状況が生まれますからね。
 やっぱり、人間は「利他」だけでは満足しません。「自利」もないとね。一番いいのが自利利他円満なんでしょうけど、なかなか難しい問題です。そのためのひとつの方法は、あらかじめ自分の歌う曲を、念頭に置いておくことです。そうすると、いち早く曲名を入力することが可能だからです。でも、これも厄介で、ひとが歌っている曲を聴いて、連想して「アッ、そうだ!あれ歌おっ!」と連鎖反応が起こってくるからです。これもまたカラオケの一興ですなぁ。
 またまた、思いついたからといって、あまり連続で入力しておくと、出番が続きますから、聞いているひとに「またかよ!」という顰蹙も受けます。ですから、頃合いを調整しながら、入力するというワザをこなさなければなりません。そのうえ、あまりテンポの同じ曲を入力するのも考えものです。やはり、アップテンポの曲の次はスローテンポと、メリハリをつけないと飽きられます。
 こう考えてくると、結構、カラオケに興じることも、いろいろと大変な手続きが待っているのだなぁと感慨も一入です。
 結局、自分の好きな歌を好きなだけ歌うというのがカラオケなんですけど、そこには他者の存在がどうしても必要(いやいや、お一人でカラオケ三昧に没入することのできるW氏は論外ですけど(^^ゞ)だと思いました。そして、これは、目には見えないパッチワークのように個人の歌が、他者の歌と織り込まれて、カラオケという布が織られていくのです。昨夜のカラオケは、どんな布が織られたのか、いまから反省してみたいと思います。
 正直に言えば、小生は、カラオケには飽きていたはずなんです。以前は、というか、自分がはまっていた頃は、結構行きましたが、徐々にそのエロスも減退してゆきました。それは、自分の歌う歌が限定されてきて、「また同じ歌を歌っているよ!」という内面の囁きが聞こえてきたからです。ですから、カラオケに行っても、本心から興じるというよりも、お付き合いというこころの構えになっていました。しかし、昨日の「中年カラオケ大会」は、ちょっと違っていました。自利の満足が、かなりあったように感じました。自己流のカラオケに没頭していいんだという「受け止められ体験」をしたように思えました。ともかく、ひとのことはどっちでもいいということが全面受容されているところでした。
 そうそう、ここのいいところは、決してひとの歌に拍手をしないという不文律があるのです。別に、そういうルールを決めたわけではないようです。おのずからそうなっているようです。これが、いいです。まあ、拍手をしたいひとはすればいいよ、でもオレは次の曲を探すので精一杯だから、といったスタンスで全員が了承しているのですから、面白いです。
 これが、この会の継続の秘訣かなぁと感じました。それは自分が歌った歌に拍手をもらえるのが嬉しいのは分かっているけど、本心からの拍手ならまだしも、おざなりの拍手なら、こちとらぁ、いらねぇんだ!という毅然とした態度もあるのでしょう。だから、どこかで、こいつらに思わず拍手させてやるぞ!といったエロスも隠れているのは間違いないと思いました。これは、かいかぶりかなぁ?
 ともかく、自分の歌に没入していい、歌いたいだけ歌っていいということを全員が認め合っているのです。それでいて、バラバラにはならないという不思議な空間でした。まさに異次元空間かもしれません。あれは、きっと「一夜の疑似浄土」だったのかもしれません。あれだけ歌うと、カラオケボックスを後にするときには、妙な達成感というか、ひと仕事やりとげたという満足感すら感じていました。
 帰り道、「ここに参加すると、次回からは、また新しい曲を覚えてこなけりゃならないかね」とNさんに諭され、これは、遊びではなくて、修行なのかぁ!とあらためて中年パワーの底知れなさにおののいている私でした。
 

2005年8月31日

8月が終わり、夏が終ろうとしています。ここ二三日は、朝晩の風も、ようやく涼しさを運んでくるようになりました。
 小生は、暑い夏が好きです。スイカ・とうもろこし・枝豆・ビール・冷し中華等々、夏の食べ物が好きです。ひとによると、夏は嫌いだというひともいます。連れ合いも、冬好きで、夏が早く終ればいいのにと漏らしています。
 なんといっても、夏は着るものが少なくて済みますから、これだけでもいいです。冬だったら、何枚も重ね着しなければなりませんから、大変に面倒です。
 さらに、冬には風邪をひきやすいというデメリットもあります。ちょっと油断をすると、風邪をひきますからね。でも、「夏なのに寒くて風邪をひく文化」という万能川柳のように、クーラーで夏風邪をひくひともずいぶん多いですね。
 虫たちの声も、ずいぶん大きくなってきました。ようやく秋です。
 小生は、カレンダーを一日ずつ赤ペンで消していくのですが、これは、微妙な感じです。厄介な一日が終ったという感慨もありますけど、自分の生きる時間を一日ずつ削っているようにも感じます。持ち時間は、後、どのくらいだろうか?と思います。
 いやいや、時間を量的に換算してはダメだ、質的に考えないと、と自分を励ます声も聞こえてきます。「深化!深化!深化!」とね。量的に横へ横へと時間を延ばしていくのではなく、質的に深く深く深く生きろと。
 その果てに、いったい何が見えてくるのか。それはまだ分かりません。しかし、深化以外にないのです。ミミズが土を食べて、尻尾から吐き出すように、ひたすら、そうやって小生も、言葉を食べては、言葉を吐き出して、深化の道をたどりたいと思います。 

2005年8月30日

どうも、親鸞の思想をズーッと延長してゆくと、いまの仏教のスタイルからどんどん離れていくように感じます。親鸞の思想の延長上から、逆にいまの仏教のありさまを見てみると、かなり違ったものが見えてくるように思います。
 いつでも性・どこでも性・だれでも性を突き詰めてゆくと、教団もお寺も坊さんもいらないところへ行き着きます。それは、お釈迦様も、親鸞も、予期していたことなのかもしれません。
 最澄が書いたと伝えられる『末法灯明記』には、「末法の時代に、出家の坊さんがいるなんていうのは、街に虎が徘徊しているようなもんだ」と書かれています。つまりあり得ないということです。
 出家とは、閉鎖性です。この広い世間から、脱出して閉じるということです。お釈迦様も出家教団をつくりましたから、閉じているのです。まあ、自分たちくらい閉じた教団があってもいいじゃないかということだったのかもしれません。大衆全体を出家させることは不可能だから、出家の旗印となって、ひとつの契機となろうとしたのかもしれません。
 しかし、親鸞は出家を前提にしていません。やっぱり在家性です。それは、大乗仏教そのもののもっている傾向性でしょう。いつでも性・どこでも性・だれでも性という傾向性が、親鸞をそうさせたのだと思います。その傾向性は、特殊化や閉鎖性をひっくり返してしまいます。
 それこそ、逆にリメイクすれば、「街の中に虎がいるようなもの」ではないでしょうか。あり得ないものが、現にあるということです。しかし、それをだれも見たことがありません。
 親鸞が要求したのは、ただ「信」ということひとつです。それ以外には何も要求してきません。信がほんとうかどうか?という確かめです。

2005年8月25日

本堂で読経をしていました。すると、庭からセミの声が聞こえてきます。今日も、読経をしているとセミが鳴き出しました。
 小生の読経の声が、セミに何らかのメッセージを送っているのでしょうか。どうも、周波数が同調するのか、セミは、やたらと、ハッスルして鳴いています。おそらく、読経の響きは、セミとどこかで通じているのでしょう。ということは、あらゆる生きものに通じる何かをもっているだと思いました。
 読経を聞いていると、妙に眠気がやってくるというのも、脳波にアルファー波が出るからでしょう。それは癒しであり、鎮静であります。人間の理性よりもっと深いところに通じるものが読経でしょう。もう、意味が分かるとか、分からないとかいう世界を超えているように感じます。
 それにしても、セミの鳴き声こそほんとうの読経ではないでしょうか。彼らはなんの駆け引きもなく鳴いています。明日のために頑張って鳴いているわけではありません。仲間に叱られるからでもないでしょう。気持ちがいいから鳴いているのでもありません。ただ、本能的な何かが、そうさせているのでしょう。
 それに比べて人間は、いろんな理由をくっつけます。やっぱり、法事だから読経しなきゃならないなぁとか。お朝事のお勤めだからとか。僧侶の仕事だからとか。しかし、よく考えると、それらはみんな後付けの理由ですね。ほんとうのところは、セミと同じように分からないのかもしれせまん。
 明日のために〈いま〉を生きているのでもありませんしね。〈いま〉を〈いま〉として生きているだけなのでしょう。私たちは、ほんとうに「理由」が好きですね。理由を持たないと何もできないかのようです。
 でも、「理由」という縛りから自由になってもいいのではないでしょうか。縛りつけているのは、「理由」という意識ですよとセミは鳴き続けているのかもしれません。
 そんな夏ももう終ろうとしています。いくらか朝の空気がひんやりしてきました。秋が待ち遠しいこの頃です。

2005年8月22日

お坊さんって、この世にいる意味ってなに?と聞かれたことがあります。小生は、すかさず「必要悪」と応えました。
 まあ世間的に見れば、小生なんかは、外見上、いわゆる「お坊さん」と世間的に認められている概念とは、ものすごくかけ離れたところにいます。ですから、「お前に、坊さん、云々って言う資格あんのか?」といわれれば、すごすごと退散するしかありません。
 まあ、百歩譲って、一応、宗教法人の代表者という立場でものを言えば、やっぱりお坊さんは、どう考えても必要悪です。
 本来的に必要ないわけです。みんながみんなお坊さんの感性をもっていて、みんなで葬送の儀式なんかつとめてしまえば、それでいいわけです。まあ現代社会では、必要にされてますけど、本来的に不必要なものだと思います。そこまで考えてきたとき、「必要悪」という意味で考えると、ずいぶんと「必要悪」の職業が多いことに気が付きました。
 お医者さんもそうです。本来的には必要ありません。みんなが医学の知識をもって、みんなが手術なんかできて、それで治癒されていけばいいわけです。だから必要悪です。警察だってそうです。公務員だってそうです。そうやって考えていくと、必要悪じゃない職種というのはほとんどないということになって、不思議な感覚にもなります。
 やっぱり、この社会になんらかの意味で存在しているということは、なんらかの意味をもっているのでしょうね。でも意味がなくてもいいじゃないかと思うこともあります。
 意味なんかなくても、立派に生きている生きものたちはたくさんいますからね。
 自分がほんとうに何をやりたいのか?何がほんとうに好きなのか?そういうことを徹底的にこだわっていくしかない社会になってきました。これは、まあ、自分との勝負ですね。社会はもう勝負の相手ではありません。ほんとうに勝負をするのは、この自分自身との戦いです。
 この戦いが一番手ごわいのではないでしょうか。敵が外部にある内は、ある意味で幸せというか、気楽です。突き詰めて考える必要はありませんから。でも、自分自身が敵となると、大変です。自分には自分自身が見えないからです。見えている自分は影の自分ですから、ほんとうの自分ではありません。ほんとうの自分との格闘は、透明なるものとの格闘ですから難しいです。
 中川一政画伯が、「絵は上手い下手じゃない。生きてるか死んでるかだ」と書かれていました。せめて生きている自分自身を探ってゆきたいと思います。

  2005年8月1
9日

この「つぶやき」も、ここのところ更新が滞りがちです。伊東君から、「ホボ毎日と書いてあるから、しょっちゅうチェックしてるんですよ。でも、全然更新されていないじゃないですか」と、突っ込まれ。小生は「それじゃ、どうしたらいいんでしょう?」と尋ねたら、「あの『ホボ毎日更新』というのをやめたらどうですか?」と提案され、「分かった!」と小生は返答しました。
 そこで、「ホボ4〜5日ごとに更新」と改めさせてもらいました。「ホボ毎日」じゃ、看板に偽りありですね。やっぱり、フェアーじゃないといけません。
 テレビを見てると、選挙ばっかりですね。郵政民営化問題ですけど、これはやっぱりやらなきゃならないんでしょうね。「官から民へ」というスローガンですけど、これは、社会主義的気質から資本主義的気質へ改造していくということですから、大変なことです。それでも、資本主義的気質だから、即「弱肉強食」というものへ傾斜するものでもないでしょう。いままで資本主義が生き残ってきたのは、その中に社会主義的気質(たとえば、社会保証や健康保険や年金制度)を醸成させてきたからでしょう。
 でも、やはり日本は長いこと日本人の習俗ですべてをやってきましたから、なかなか欧米型には近づけませんね。あいかわらず談合は続くでしょうし、天下りも続くでしょうし、コネ文化や謝礼文化は続くでしょう。ただ、表面におできのように晴れ上がったところだけが、手術でカットされるのです。おできが生まれる体質そのものは何等変わっていないと思います。
 しかし、体制がどれだけ変わろうとも、決して変わらないものを内面に持ちたいものです。蓮如さんが「焼けても失せぬ重宝は、南無阿弥陀仏なり」と言ったといいます。つまり、全世界が焼けてなくなってしまったとしても、南無阿弥陀仏があるという自信です。そこに立てれば、この世を少し楽に生きられるはずです。あらゆるものが究極的は無に帰すのですか、これほどの安楽はありません。
 誰かが得をしたり、自分だけ損をすると考えるからこころが乱れるのです。もうあらゆるものが、大損なんです。それが本来性です。
  

2005年8月17日

人間は、神や仏ではありませんから、未来は見通せません。それほど立派なものでもありません。愚かな凡夫なのだと思います。
 あのときああしておけばよかったのに。なんであんなことをしてしまったのだろう。もっと、ああしてあげておけば、こんなことにはならなかったのに、と人間は後悔する生きものです。
 しかし、そのときには、それが過去にどのような結果を招くか分からないのです。愚かしいことですけど、分からないのです。
 あの肉を食べたことが、胃ガンを発病させたのかもしれません。あの一本のタバコが肺ガンのきっかけだったのかもしれません。あのストレスが癌の発生原因だったのかもしれません。日常には、そういう因子はたくさんあります。
 しかし、人間には、それが分からないのです。まったく回避する方法がありません。この世は複合汚染の娑婆ですからね。
 人間は自ら招いた業によって、自らが結果を受けていかなければなりません。自業自得の道理です。
 せめて、歎いていくよりも、もっともっと平らな気持ちで、それらを受け止めて生きたいと思います。人間には受け止めるということしか仕様がありません。それは消極的なようですけど、地獄を恐れない勇気でもあります。
 ひとつひとつ受け止めて、生きましょう。
それは、やらなければならないことですし、やれることですし、やらねばならないことだったのです。

2005年8月15日

今日は8月15日です。第二次大戦終戦から、60年目ということで、新聞やテレビは大賑わいです。日本は加害の側にいるのか、これは靖国問題です。あるいは、被害の側にいるのか、これは広島・長崎原爆問題です。昨日、姜尚中が、「靖国と広島を結びつけて問題を考えていない」という指摘をしていました。
 これはそうだなぁと思いました。新聞では、「お国のために死んだのか、国によって殺されたのか」という見出しで、靖国問題を考えていました。
 さらに、高橋哲也の『靖国問題』(筑摩新書)が28万部を突破!なんていう広告も載っていました。
 まず、歴史認識をアジアの国々を含めて整備していくことが大事でしょう。加害か被害かという論理だけでは、歴史認識は正しく描けません。
 いろいろありましょうけど、小生の視座からみると、「死者どどう関係するのか」という一点に行き着くように思えます。顕彰なのか追悼なのかという議論もありますけど、たとえ追悼といっても、何をどう追悼するのか?という質の問題です。
 もし、人間が人間の思惑によって、追悼や顕彰をするのであれば、それはすべて「死者の利用」ということになります。
 追悼という意識は、それこそネアンデルタール人あたりから始まっているようですけど、追悼が個人の単位から村や社会、そして国家へと拡大されることによって、政治の力学に利用されてしまいます。
 初めは肉親を亡くした悲しみの感情があります。それが個人の単位から家族、村、社会、国家と拡大していくと、どうしても、故人の意味づけをせざるを得なくなります。故人の死は、無意味ではなかったという意味づけです。あるいは、故人の死のお陰で私たちの今日があるのだという理由付けにもなります。
 しかし、それらは、すべて「生者による死者の利用」という問題になります。その問題を教えているのが、歎異抄の第5条「親鸞は父母の孝養のためとて、いっぺんにても念仏もうしたること、いまだそうらわず」です。
 親鸞は幼くして両親を亡くしていますから、とうぜん父母への思いは強いものがあったと思います。紅葉のような手を合わせて、一心に念仏していたかもしれません。そんな想像をかきたてられます。おじさんに連れられて、9歳のと青蓮院で得度しますが、「これが亡き父母の冥福を祈る一番の孝行じゃ」などと説得されたのかもしれません。まったく勝手な想像ですけど、そんな気もします。たかだか9歳の子供が、難しい哲理をもって出家したとは思えません。
 しかし、二十年間比叡山で生活しているうちに、それも変化していったのでしょう。そして師・法然の教えと出会って、いままでの念仏が間違いであったことに気が付いたのです。ですから、「いっぺんにても」と強調しているのは、いままで、供養の念仏しかしてこなかったという深い反省のあらわれです。供養の意識とは、「生者による死者の利用」意識です。つまり、易しくいえば、故人をこころの中に思い浮かべることです。そして故人の冥福を祈ることです。「どうか安らかにお眠りください」とか「どうか私たちを見守っていて下さい」という追悼の意識です。
 ほんとうの故人は、人間の思いを超えた世界へ旅立たれたのです。思いを超越した彼方へ。しかし、人間の情は、それを許しません。私にとっての故人を、いろいろとイメージしてしまいます。それがいけないということを言っているわけではないのです。私たちは、追悼する生きものです。死者を利用する生きものです。自分の慰めや、民族の慰めにすることができます。その罪を、如来から批判されているのです。
 一般的な意識であれば、追悼は正しいことです。奨励されるべきことです。しかし、如来からいえば、人間には追悼ということは成り立たないと批判されているのです。それでも追悼をしたいのも人間の性です。故人のために追悼したいのではなく、自分自身の慰めのためにしたいのです。いやいや、故人のためという形をとって自分を慰めているのです。
 妙好人・庄松さんが、村人から「お前のために立派な墓をこしらえてやるぞ」と、ほめられたとき、「おらは墓の下にはおらんぞ!」と応えました。私たちの追悼という意識は、墓の下に故人を閉じ込める意識です。安らかに眠っていてくれなければ困るのです。しかし、ほんとうの故人は仏となって、宇宙全体、地球全体に広がっているのでしょう。私たちの思いを超えて、いつでも、どこでも、だれのところにもいらっしゃるのでしょう。追悼という閉塞した意識が破壊されて、広々とした世界へ解放されていかなければなりません。
 それには、故人からの視線、向こうからの視線に生者がさらされなければなりません。生者から故人を見る視線ではなく、故人から生者を見る視線です。実は、そんな視線はありません。ないのですが、それを敢えて、こちらから考えてみるのです。そこに何かが生まれるはずです。
 まだまだ、いろいろな問題がありますけど、突き詰めていくと、広島・靖国の問題を超えていくカギは、歎異抄第5条だと思っています。

2005年8月10日

オウム真理教の壁には「ひとは死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ」と貼紙されていました。それを見たとき、「もっともだなぁ」と感じました。しかし、彼らが、それを標語のように称えるとき、何を思っていたのがろうかと考えてもみました。
 この世の価値は、すべて無価値だ、なぜならひとは死んでしまうからと思っていたとしたら、どうも仏教の履き違えのように思えました。仏教も、結論はそういうことでしょう。ひとは必ず死ぬということです。しかし、それだから、この世は無価値だとは結論しません。もし、結論したとしたら、それは真理を握ってしまうからです。
 「ひとは必ず死ぬ」という言葉が思い出されてくるとき、救いにあずかっているのです。この世に価値を置いて生きている自分自身が、完全に相対化されてきます。そして、一切が無価値だと教えられてきます。教えられてくることを通して、〈いま〉ここにある自分の現実が、ものすごく尊いものとして輝いてくるのです。ですから、「ひとは必ず死ぬ」という文言は、救いなのです。
 ただ、正直なところ、自分には、そのように思えないということがあります。だから、思えるようになるのだと「こうあるべき」と「べき論」を立てたならば、それは、人間を縛るものになります。
 人間はほんとうは死んでいるのです。真実は死です。ただ、〈いま〉ここに生きているということは、仮の存在です。嘘の存在です。だから、尊いのです。生が絶対的なものと受け止められた、それこそ地獄でしょう。この世しかない、この世が絶対なのだと考えたら、それほどはかないことはないのです。
 ほんとうは、小生は存在していないということが真実のあり方だと思えます。それでは生きているのはどういうことかといえば、真実から背いたありかたで有るということです。罪の存在であるということです。
 悲しいことだけど、この世を絶対化している自分が罪の存在として相対化されるのです。
 だから、「かならず死ぬ」という言葉は、人間の言葉ではなく、如来の言葉となるのです。もしその言葉を人間が努力目標にしたり、「べき論」で受け止めたら、それは、仏教ではなくなるでしょう。
 オウムの標語なんてナンセンスだ!という受け止めかたは、世間的です。オウムの貼紙の中にも仏法のセンスを感じ取っていけるというのが、大乗仏教だと思うのですけどね。
 こっちの眼があれば、どのような現象の中からも仏法を感受していけるというのが、大切だと思えます。

 2005年8月0
5日

昭和20年3月9日夜半から、東京にはB29の編隊が襲来し、一晩で約十万人の人びとが焼き殺されました。うちの母とおばあちゃんは、近くの荒川に逃げ、凍るような川に入って、難を逃れました。しかしもともと体の弱かったおばあちゃんは、それがもとで亡くなりました。
 いま、本堂には直径30センチの丸い観音像のレリーフが置かれています。角が何カ所も欠けてしまい、爆弾の熱でひん曲がってしまった鋳物製の観音像です。本所(墨田区)緑町の門徒宅の焼け跡から見つかったものです。もともと、所持していたものらしいのですが、焼け野原に行ってみると変わり果てた姿になっていたそうです。
 敗戦後60年間、大事にもっていたけど、これを機にお寺に納めたいとお持ちになりました。じっとレリーフを見つめていると、戦禍の悲惨さがしみじみと伝わってきます。茶色く焼け焦げて、ひん曲がっているので、いろいろなことをそこから感じ取ることができます。逃げまどう群衆の中に、わが子を見失う親の姿。火と煙が、暴風のように群衆に襲いかかる。そこには、悲鳴と怒号と猛火の轟音が響いていたのではないでしょうか。
 人間の愚かしさを、身をよじりながら訴え掛けてくる観音の姿がそこにあります。このレリーフの前に座ると、なんと人間は愚かしいものかと、つくづく感じさせられます。戦争は人間が存在する限りなくならないものですね。
 その戦争を起こす根っこのところには、自分とつながっている煩悩性があります。戦争を憎むということは、同時に自分自身の中に流れている煩悩性を憎むことでしょう。自分は善のところに立って、向こう側にある悪を批判するのは簡単です。また、人間を改善してゆけば、戦争がなくなるというのも夢でしょう。人間の愚かしさをあまりに浅く見積もりすぎてます。
 どこまでいっても向こう側の観音の視座から、見つめられる人間の愚かさが問題なんです。
 文章で反戦の言葉を聞くこと以上に、目の前に、モノとなっている観音像のほうが、訴え掛けてくるものが大きいと感じました。三次元の物体が、物体を超えた作用をしてくるのです。これは、本尊と同じような意味がありますね。モノはモノを超えたはたらきをするのだと思います。
 でも、やっぱりモノが大事なんですね。モノがないと、人間にはダメなんでしょう。「あに離念に同じて無念を求めんや。生を離れて無生を求めんや。相好を離れて法身を求めんや。」と親鸞も教行信証(行巻・法照の引文)で語っています。モノの大事さがあらためて感じさせられました。
 観音像の前には、沈黙しかありません。

2005年8月01日

今月の言葉

前向きなんて、できっこない

後ろ向きなら、死ぬだけだ

できれば「よこむき」でありたい

                        (自死願望者の言葉)

 この言葉は、NHKのETV特集「ネット自殺を追う」(05,07,30)の中で、自殺願望をもった女の子が語っていた言葉です。正確ではありませんが、そんなような言葉を吐いていました。
 「こよむき」っていうブログまで展開し、同じような感覚のひとたちと交流していたようです。これは素敵な言葉じゃないかと感じました。「前向き」という言葉は、いつでもアグレッシブで、積極的に生活している人間を表現しているのでしょう。
 以前の川柳に「前向きで/駐車場にも/励まされ」というのがありましたね。やっぱり、なかなか前向きに生きられないから、駐車場の「前向き駐車でお願いします」という看板にも慰められてしまうんですね。
 「後ろ向き」なら、後悔だけです。自閉的に死を待つだけだと言います。
 彼女は、ものすごくナイーブな子で、ひと一倍感受性が強くて、ささいな心の変化にも、極度に反応を示すようなひとのようです。番組の中でも、どうせ生きていたって、この先、いいことないみたいだし。どうせ苦労ばかりが多いのなら、死んだほうがどれほど楽か分からない。生きる意味が分からないから、死にたい。でも死ぬ理由も見つからないから、まだ死ねずにいる。でも、一緒に死んでくれるひとがあったら、怖くないかもというようなことを語っていました。
 初回は、集団自殺を発見され、未遂で終りましたが、とうとう秩父の山の中で集団自殺してしまいました。
 番組のチューターが携帯電話で、「死んでほしくない」と彼女に伝えたそうです。彼女は、「あなたは止めないと思ったから…」自殺の計画を話したといいます。政府も、自殺サイトの取り締まりやら、あの手この手を打っているようです。
 まあ、以前から「生きづらさ」とか「豊かさなのかの悲劇」などということは、よく話題に登っていました。
 いまの時代は、養老さんじゃないけど、「脳万能社会」だと思います。すべてが、脳の中に取り込めてしまい、それですべてが分かったことにして済ましているのです。「生きがたさ」なんて、今ごろ始まったわけじゃないでしょう。古代や中世の時代のほうが、よっぽど生きづらいわけです。これほど生きやすい社会の中にあって、生きづらいというのが妙です。
 ひとつには、彼女も言ってますけど「快か不快か」という原理が、巨大になりすぎているのです。この先いいことないし、というのは、不快だということです。快があれば生きてもいいけど、不快じゃ生きる意味がないと即断します。
 二つ目の原理は「損か得か」という原理です。生きていていいことがあるということは、快楽であって、自分が得をする話というだけです。
 大人は、生きろ!生きるのが当然だと、生を絶対化して自殺願望者を非難します。自殺願望のひとのこころが分からないと、首をかしげたりします。この大人の対応も全然ダメでしょう。そういう大人は、人生の苦渋の意味が分かっていません。自分は頑張って苦労を突破してきたんだという、たんなる自慢のこころに酔っているだけです。それでは、大人と思春期のひとたちの溝がますます深くなるばかりです。
 モノがなかった時代のほうが「生きやすかった」のです。モノさえあればと、未来に希望が持てたのです。しかし、いまは、モノがあふれているのです。そんな時代をまだ人類は体験したことがないのです。ですから、思春期の青年の苦渋は、いまだ人類が体験したことのない苦渋なのです。そういう認識がなければダメです。大人以上に、苦しい時代を若者たちは生きているのですから。
 その問題を、大人も、「こころの青年」に戻って考えてみるべきでしょう。誰しもこころのなかに「少年」や「少女」の部分をもっているんですよ。それを育てなければダメでしょう。
 それはともかく、その二つの原理だけで人間は生きているわけじゃありません。「本当を求めて生きる」という原理もあるのです。生きることの、本当の意味は何か?本当の愛は?ほんとうに生きるとはどういうことか?ほんとうに自分がやりたいことは何か?
 こういうふうに、自分に「ほんとう」を問いかけてみるのです。寿司職人であっても、ほんとうに美味しい寿司はどういう寿司かと、日々求めているのでしょう。床屋さんなら、ほんとうに納得のいくカットは、どうするのか?商社マンなら、ほんとうに人間が納得のいく売買の方法はあるのか?とか。デパートガールならば、ほんとうにお客様に感謝される接客とはなにか?とか。そういう、ほんとうという感覚を鍛えなければダメなのでしょう。
 「人生に生きる意味がない」と結論づけるには、あまりに早すぎます。どうせ「意味なんかないんだ。誰も意味を知らないんだ」と結論づけるのも、早すぎます。また、たとえひとから「これが人生の意味だよ」と教えられたとしても、そんなものは、自分の答えにはなりません。やっぱり、自分でコツコツ探し求めていくものです。
 まだ、だれも「生きる意味」なんか見つけていないのですからね。自分自身が生きる意味は、自分自身が見つけるしかありません。
 いま境内には鉢植えのキュウリとトマトとナスがあります。彼らも毎日少しずつ成長しています。花からキュウリが実をつけて、徐々に大きくなっていく様を見るのが楽しみです。どうしても、動物も植物も、少しずつなんですよ。一気にやってしまってはダメなんですよ。小生は、ものすごくセッカチな質ですから、一気にやってしまいたいんです。でも、そんなときに、キュウリから「ダメだよ、少しずつだよ」と叱られるんです。
 自分で、こつこつ生きてみて、そこから何かをつかまないとダメです。この自分は誰にも変わってもらえない生きものですからね。だから、自分にしかできない仕事が「生きる」ということです。そして、自分にしか見いだせない「生きる意味」を見いだす楽しみを見つけてほしいものです。
 必ず、開かれます。必ず、開けるようになっているのです。ナスがナスになるように。

2005年7月30日

親鸞にとっての「信」ということはどういうことなの?と聞かれると、なかなか一言で返答できない自分があります。
 否定形なら表現しやすいんです。「依頼する」とか「そう思って疑わない」とか、そういうことでは無いのが親鸞の「信」だと表現することはしやすいのです。でも、なかなか肯定形で表現するのが難しいです。それはどうしてでしょうか。
 それは、歎異抄が「如来よりたまわりたる信心」と表現するように、「向こうからやってくる」というニュアンスがあるからでしょう。人間の側に、なんら必然性がないわけです。つまり、自分がモーターだとすれば、電流が来ないのに、回ろうとしても、それは無理です。でも、自分が回っているといっても、モーター自身には、なんら力はありませんから、電気が流れているだけだと表現するしかありません。こんな形かなと思っています。
 ひとつ直感的に言えることは、親鸞の信は知性を超越するということでしょう。それは知性にひとつも手を加えることなくして、超えるのです。別の言い方をすれば、信と知性の棲み分けでしょうか。知と信の境界を明確にするということでしょうか。伝統的な言い方をすれば、「知の限界を知る」ということでしょう。
 おそらく親鸞の一生涯の仕事は、その境界の明確化だと思います。これも伝統的な言い方をすれば「機法の分際を知る」ということです。「行と信」を明確に分けたことです。



 

図で表現したいのですが、これがホームページでうまく表現できるかどうか心配です。この図は「見えないものが見えてくる図」と読んでいます。パックマンが三つ口を開けているようですけど、中央のところに三角形が見えませんでしょうか。そこに三角形は書かれてはいないのに、人間には三角形が見えるという不思議です。これが信ということでしょうか。

2005年7月28日

あの、とうとう、『新しい親鸞』(雲母書房)を上梓いたしました。29日頃には店頭に出るらしいです。小生が、いままで、考えてきたものを、まとめた処女作です。書き終えてみると、何だか、穴だらけの傘を見るようで恥ずかしいです。まだまだ、詰めが甘いなぁと思いつつ、でも、お粗末でも、これがお前だ!と突きつけられているようです。でもでも、あらためて読んでみると、なかなかいいこと言ってるじゃんという部分もあります。自画自賛ですなぁ。
 なんだか、自分が書いたものであっても、書物となると、別の生きもののような感じがしてくるものです。これは今回初めて味わったことです。雲母書房の社長に、「世に出ると、もっとひとのものになりますよ」と言われてしまいました。これは確かなことです。自分から出てきた文字であっても、自分のものではありません。
 これは、恐らく親鸞の中にも流れていた感覚じゃないかと思いました。あの『教行信証』の中の「正信偈」の最後には「ただこの高僧の説を信ずべし」と記されています。インド・中国・日本の浄土教の先輩たちの言葉をまとめて、このひとたちの説を信じなさいとだけ述べているのです。そこには、親鸞はいないのですね。
 親鸞が自身に感じ取った感覚をもとにして、インド・中国・日本の先輩方の著述を読むと、「ここにも、素晴らしい言葉があった」「ここにもあった」と感動して引用されたものが『教行信証』でしょう。その引用眼というものは、親鸞独自のものですけれども、文字テキストそのものは、先人のものです。ですから、親鸞は執筆者という立場ではなく、どこまでも編集者という立場なのです。これを編集したから、みんな、先輩方の教えを信じましょうよというわけです。ですから、表面の文字テキストには親鸞は現れていません。ただ、テキストを編集するという視座に親鸞がいるのです。
 編集は独創ではないと即断してはダメです。編集こそが独創なのですから。私たちが読んだり聞いたりした情報は、過去に、どこかで聞いたり読んだりしたものなのです。「これは自分の独創だ」と思っていても、そんなものは、先人がどこかで言っていることなんです。ですから、独創なんかないんです。すべてが編集でしかありません。
 ただ、その編集眼のところにだけ独創の輝きがあるわけです。
 学生のころ、美術の時間に石膏のデッサンがありました。面白いもので、同じ石膏をデッサンしても、ひとつとして同じ絵はありません。そこには独創しかありませんでした。
 そんなことを思って、曽我量深選集をパラパラとめくってみていましたら、小生の言っているようなことは、すでに語られていたのです。先人がすべて語っていたのです。ですから、独創はないのです。「これは独創だ!」などと躍り上がって喜んではダメなんです。
 ただ、その文字テキストに感動している自分が、そこにあるだけです。それでいいのでしょう。
 

2005年7月24日

昨日の地震には、驚かされました。小生の生涯の中で、一番大きな地震でした。ちょうど、境内で水撒きをしているところでした。ジワジワと揺れるような感じがしたと思ったら、いきなり、グラグラと大きな揺れがやってきました。「これは、関東大震災だぁ!」と思いました。
 両足で踏ん張っていないと、倒れてしまいそうな感じです。本堂がグラグラと大きく揺れているのが分かりました。これは気のせいかもしれませんが、大地が波のようにうねったように感じ取れました。
「これが、大地震なんだぁ!」「もうダメかもしれない」「これから、どんな揺れがやってくるんだろう!」。次々と思いが駆けめぐりました。
 やがて、揺れも収まりましたが、なんだか、まだ揺れているような感覚だけが残りました。大地全体、世界全体が揺れるという体験は、人間の意識に大きな動揺を与えるものだと思い知りました。あの阪神大震災を体験したひとたちの精神が衝撃を受けたというのも、納得がいきました。私が体験したのは、震度五ですから、それ以上の揺れは、想像もできません。それはとても、数字では表わせないのでしょう。
 まだまだ、余震があるということも報じられていますから、心構えだけは、もっていたほうがいいと思います。これといった対策もないのですから、それしか方法がありません。
 当方は、被害がありませんでしたが、お隣の江戸川区や足立区は、もっとひどかったようです。同じ大地の上にあっても、地震の周波数が極端に現れる場所と、そうでもない場所があるのも不思議なところです。震源は千葉県西部ということですから、江東区もそうとう揺れていいのでしょうけどね。不思議です。
 あらためて、地球という大地も「生物」なのだと思い知らされます。揺れ動き変化していくものなのです。決してとどまってはいないのです。それも人間の都合とは別次元で生きているのです。

2005年7月21日

もう、十年以上前になりますが、インドを訪れたことがあります。そのとき、よく聞いた言葉に「ノープロブレム」がありました。インド人は何かというと、「ノープロブレム」といいます。訳せば「何も問題はありませんよ」という意味です。
 それも、明らかに問題がありそうな状況のときに、その言葉を吐くのです。電車が時間どおりに来ないとき、飛行機が時間どおりに飛び立たないとき、あるいは、買い物で、商品が壊れていたり、お釣りを間違えても、すべて「ノープロブレム」と言うのです。
 イスラム教徒も、よく「インシャアラー」というと聞きました。これは、「アラーの思し召し」という意味で、結局、「すべてのことは、神様がお決めになったことだから…」という意味になります。
 友達と待ち合わせして、何分遅れて来ようと、待たせたほうは「インシャアラー」と言うそうです。それで、決して「私が悪かった」と謝ることをしないのです。つまり、待ち合わせの場所に来られるかどうかを決めておられるのはアラーの神様だけだから、人間には分からないことなのだよというわけです。
 ノープロブレムにしてもインシャーラーにしても、どこかで人間の罪を免罪する言い訳のように聞こえます。これと、親鸞の他力とはどこが違うのでしょうか?
 親鸞の場合には、やっぱり、この世の努力を尽くすというところにあると思います。初めから、手を抜いて生きるということじゃないと思います。友達との待ち合わせには十分に努力して間に合わせるとか、問題が起こらないように、あらかじめいろいろな手を講ずるということでしょう。そして、最後にもし、あるとすれば、やはり如来のみぞ知ることだったと、受け止められるのです。しかし、最初から、神様の許しを期待して行動するのは他力主義ではないでしょう。それは親鸞も「薬があるからといって、あえて毒を飲むようなことはしちゃダメだよ」と言ってますよね。
 それは、根本的にはというか、究極的には、如来のみぞ知る出来事には違いないのです。生の究極はそれしかありません。どれだけ努力してみたとしても、究極的には如来しか本当のことは分からないのです。だからといって、最初から如来を当てにして、ものごとに関わろうとするのは間違いでしょう。そこには、表層と深層の違いがあるように思います。
 深層のことは、すべて如来の世界です。人間には分かりません。しかし、表層のことは人間が努力して作り出していく世界でしょう。その位相の違いが明確になっていないと、如来の世界と人間の世界が混乱します。混乱するから、戦争やテロに神様が顔を出さなきゃならないんでしょう。ですから、神様の名前を、人間の正義を主張したり、言い訳の道具にしたりしてはダメなんでしょう。
 そうは言ってみたものの、自分の生活をみると、やはり言い訳に使っている面が多いのです。情けないことです。これが、謗法の徒というやつでしょう。まったく。ですから、テロリストなどを自分とは異次元のものだとは言い切れません。私と通底しているのですから。

2005年7月19日

今朝の朝日新聞に、梅原猛が、何やら書いていました。どうせろくでもないことを書いてるんだろうと思って、しかし、一応、「世間的」には、注目されている人間なので、情報収集という意味で読みました。
 やっぱり、案の定というか、ダメでした。いまの仏教には道徳がないとか、僧侶が肉食妻帯して堕落したとか、という体たらくでした。何を、見当違いなことを言ってるんだと、呆れました。
 あなたは、どこに立って、そういう発言をしているのでしょうか?と思います。一般人と僧侶の間に立って、傍観者として、「お坊さんが道徳を身につけていないからダメなんだよ」と愚痴っているとしか思えません。自分は、どこに立っているのでしょうかねえ。
 まったく、「仲間外れのコウモリ」的な立場に腹立たしく思いました。このひとは、「僧侶はどこまでも清僧であって、一般人とは違う」という考えに立っています。もう、この考え方を取った段階で、×ですね。人間を差別的に考えてしまっていますからね。
 まあ、こういう考え方をもっている一般大衆も多いですから、梅原さんに同調するひとが後を絶ちません。山折さんも、同じような考え方でしょう。
 結論を言えば、道徳なんていうものは、枝葉の問題なんです。もっと根っこの「人間」そのものが危ないのが現代だと思います。道徳は「いかにするか」というハウツーの問題です。善を行なうか悪を行なうかという行為の問題です。しかし、その道徳が成り立つためには、まず、「人間」が確保されていなければなりません。ちゃんとバランスのとれた人間がなければダメです。ちゃんとした「存在感覚」と、「存在の安定感」がなければなりません。その「存在感覚」が確保されたところから、おのずから生まれてくるのが、梅原さんのおっしゃる「道徳」というものなのです。
 幼児虐待なんかのニュースをみていると、人間の「存在感覚」が衰退して、すり切れてしまったように感じます。その加害者に対して、「善を行なえ」など言っても、まったく無意味でしょう。まず、人間存在を確保して、安定させることが急務です。
 いまの社会は、「緊張」しきっています。家庭も学校も職場も、ですから、その緊張の糸を少しでもほぐしていくということが大切でしょう。そのために、僧侶はどんどん堕落していたほうがいいのです。どの場所に人間がいようとも、緊張しなくていいんですよ、というサインを発していればいいのでしょう。
 僧侶なんかに、夢をたくしてはダメなんです。人間存在そのものに、夢を見てはダメなんです。
 そうそう、本山の研修に向かう新幹線の中で、小生が缶ビールをおいしそうに飲んだので、同行しておられた門徒のひとの緊張が解けたというエピゾードもありました。その方は、本山に研修にいくのだからと、こころを引き締めて緊張しておられたのです。ところが小生が、朝っぱらから、缶ビールを飲んでいたので、緊張の糸がとれたんですね。門徒のひとは、それでずいぶん樂になったと、後日談で語っておられました。
 これは自慢話みたいですけどね。でも、そうやって緊張の糸をほぐしていくということが僧侶の仕事でしょう。逆に「人間は善人であれ!」みたいな、より緊張を高めるようなサインを発してはダメなんです。そういうことを梅原さんは全然分かっていません。まあ、どうしても、「自力」の発想に浸っているから、仕方ないことですけどね。
 でも、親鸞の視座から言えば、全然分かってないということになります。「善」というものが、どれほど、人間を犯すものかということが分かっていないんですね。
 ちょっと、朝っぱらからイラッとしたので、愚痴ってしまいました。

2005年7月1
8日

るひとから電話が入りました。「あの、浄土真宗では、迎え火とか炊かなくてもいいんですよね?それから、キュウリやナスで馬を作ったりもしないんですよね?お墓参りもいいんですかねェ?」と。
 取り立てて、そうしなきゃならないということもないので、「ええ…」と答えるしかありませんでした。内心では、「一番必要なものは、信心なんですよ!」と叫びたいところですが、そんなことも言えませんでした。浄土真宗を、外見から規定することは不可能です。つまり、「こうこう、こういうことをしなければ、真宗ではない」とか「こうこう、こういうことを必ずするのが真宗なのだ」と規定することもできません。外見や行為からは決められないのです。
 ただ、「聞法」、つまり「信心」を磨くということだけが行なのです。その他のことは、まあ二次的なことです。ですから、「これはしなくてはならないのですか?」と聞かれると、「別に、それをしなければならないということもありません」と返答するしかありません。でも、それじゃ、真宗は何もしなくていいということになりませんか?と批判を受けることになります。
 何もしなくてよいということは、ありませんけど、何をしなければならないということもないのですから、困ったものです。宗教は、外面から教えることができないということと通じているのでしょう。
 ただ、聞法などという行為を通じて、教えの近くに身を置いていると、教えから薫りが香ってきて、それが、そのひとに染みつくようになってきます。それは、やはり「言葉」を通じてでしょうね。
 人間には、生きる原理が三つあって、ひとつには快・不快の原理、ふたつめは、損・得の原理、みっつめは真・偽の原理です。普通は、ふたつめまでで生きていますが、第三の原理が顔を覗かせることがあります。自分は本当に生きているのだろうか?本当の自分とは何だろうか?本当の生き方ってどこにあるのか?という、この「本当か?」という原理が、内面にはたらくことがあります。
 みんな無意識のところでは、そういう原理をもっています。それが顕在化してくれば、よいのでしょう。その原理がスムーズにはたらき出すために、教えの「言葉」があるのだと思います。そのために寺があるのでしょう。
 いつも、「寺」というものと、「真宗」というものが、ギスギスとした関係です。寺は、親鸞以前から、この世に存在する遺物ですからね。まず、第一の原理は、寺には真実はないということです。在家であって、寺であるということは、相容れません。矛盾です。第二原理は、真実は遍満しているということです。真実は、寺以外のところにあるものではありません。いつでも、どこにでも流れているものです。そこから、第三の原理は、それであれば、寺に真実がないとは言い切れないということです。
 この第三原理にいたって、ようやく寺が、真宗化する基盤ができあがります。寺はつねに真宗を指さし続ける「指」の役目でしょう。その指を失ったら、真宗ではないとは言い切れると思います。
 

2005年7月14日

新盆になるから、お参りにきてほしいというおじいさんから依頼があって、近所の団地を訪ねました。お宅に入って仏壇を見ると、仏前には、いろいろと飾りやら、お盆の御供物が上がっていました。仏壇の中を覗いてみると、「○○○○先祖霊位」と書かれた紙が、ど真ん中に貼ってありました。「おやおや、本尊もないのか…」と内心でつぶやきました。さらに、位牌に書かれた文字を見ましたら、その戒名らしきものには、「釈」という文字がどこにも入っていません。これまた「オヤオヤ…」と感じました。
 もう、「お宅の宗旨は何ですか?」と聞こうという気持ちすら起こってきませんでした。おそらく、「何宗もとなきものなり」なんて答えられることは間違いありません。もし、「お宅の宗旨は?」と尋ねて、「分かりません」とか、真宗以外の宗旨を言われたら、次の応答をしなければなりませんよね。うちは浄土真宗だと言わなければなりませんし、もし相手が違った宗旨であれば、この先、困ってしまうでしょう。それじゃ、他のお坊さんにお願いして下さいというようなことにもなりかねませんし、「便宜的に私がやっておきましょう」ということになって、その場が、白けてしまいますよね。
 まあそういう問題を起こす前に読経をして帰ってきました。施主も、それで満足しているようでした。
 自分は何宗か?という問いはなくても、「新盆には、お寺さんを呼んで、お経をあげてもらうものだ」という観念ははたらいていたようです。まぁ、お経は亡くなった仏さんに捧げる食事のようなもんだと思っているのでしょうね。そこに「自分」というものは入っていません。まあ自分とは無関係だと思っているんですね。こういう習俗としてのお盆は、すごい力をもっていますね。でも、習俗と別に浄土真宗があるわけではないでしょう。浄土真宗の中に包まれて習俗があるのだと思います。
 何宗ともなきひとの家に行って、小生が読経すれば、そこは浄土真宗の空間になってしまいました。別に、何宗ともなき仏壇ではあっても、読経する人間が浄土真宗に生きていれば、その時間・空間は浄土真宗になるのですね。これは面白い体験でした。
 そうかぁ、小生が「本尊」だったのか!と思い至りました。どこかに「正しい浄土真宗」があるわけじゃないんですよね。本尊が安置されれば、そこは仏壇ですよね。そういう構造だったのか!と思いました。

2005年7月12日

ともかく、現代は、「罪」ということが見えなくなっている時代ですね。
 平々凡々と生きている一般市民から、ロンドンのテロリストまで、罪ということが見えなくなってしまいました。それじゃぁ、かつては見えていたのかといえば、やっぱり見えなかったんでしょうね。
 歎異抄13条で、唯円さんは、造悪無碍(悪いことをしても差し支えないと考える)のひとたちに好意的です。常識的に考えれば、この人たちは浄土教徒の中でも跳ね上がり分子ですから、批判しなければならないところです。でも、好意的なんです。それよりも、むしろ、造悪無碍を批判している常識人を手厳しく批判していますね。
 この態度はどこから生まれてくるのでしょうか。それはやっぱり、共に罪あるものという認識からでしょうね。造悪無碍の連中は、自分たちが悪いことをしていることを重々承知してるんですよ。でも、常識人は、自分はまったく罪や悪とは無縁だと思っていて、こっちのほうがよっぽど程度が悪いというわけです。
 善ということが、罪を見えなくしているのです。常識人は自分が善に立っていることすら無自覚なんです。でも、常識人がなんと多いことか。生きるということは、罪を造ることなんですよね。食べるというのは、殺すことですし、商売をするということは、騙すということですし、競争することです。食べられるということは、どこかのだれかが飢えているということの反面ですからね。「だから、死んだほうがいいんだ」とは言いません。やっぱり、我が身が可愛いし、罪を引っさげて生きなきゃダメなんでしょう。退っぴきならないことです。
 もし、自分が、あの事故を起こしたJR西日本の運転手さんだったら、と考えたらどうでしょうか?ひとは、被害者には自己投影しやすいのです。被害者には罪はないのですから。無罪には同上やら共感が起こりやすいです。しかし、有罪と同化するというイマジネーションは起こりませんね。
 親鸞は、何を行い、何をしゃべり、何を考えるかは縁次第だと言っています。つまり、縁があるかないかしか介在しないのです。人間の価値とか、善悪基準とかは、入り込む余地がありません。彼は縁があったから運転していわけです。私も縁があれば、あの電車を運転していたわけです。そこには、何等主体はありません。すべてが縁ですから。縁だけが、すべてを知っています。
 その深さまで来て、初めて「共に罪あるもの」という共感が成り立つように思います。「犯罪者の不正を免罪するのか!」という批判は、浅薄です。表層のことしか見ていません。まあ、そういう発言をするひとは、自分が善人であることに無自覚なんですけどね。
 ともに罪あるものという地平が開かれなければなりません。テロリストのみなさんにも、そう言いたいところです。人間しょせんはボチボチなんでしょう。絶対に正しいひともいないし、絶対に悪いひとなんていうのもいないんです。チョボチョボですよ。
 相手を過大評価しすぎなんですよ、「絶対悪」として。だから、相手を殺したくなるんですよ。物理的に殺す前に、「黙殺」してしまえばいいんですけどね。人間ディスポーザーを使って、完膚無きまでにみじん切りにしてしまえばいいんですよ。そうすれば、生きている人間は、「土偶」みたいなもんですから、そうそう目くじらを立てなくてもよくなるんじゃありませんか。
 共に罪あるもの、罪に同化しているもの。それが人間という生きものの愚かさでしょう。たとえ「平凡」であっても、極悪人という罪から免れることはできません。

2005年7月11日

今年の新盆合同法要には、95名の方が出席していただきました。
毎年思うことですが、「新盆法要」には、永代経法要や報恩講法要とは、違う雰囲気が漂っています。それは、身近なひとを亡くした悲しみにうちひしがれている方もおられましょう。また、身内しか知り合いがいませんから、まわりのひととも壁が出来てしまうこともやむを得ません。
 控室では、奥に座っているひとに、お茶を手送りするような風景も見られませんでした。なんだか、身内だけで、あとは全部他人という感じで、冷たい感じがしていました。しかし、今年は、その雰囲気がありませんでした。なんだか、柔らかな感じでした。
それはどうしたことでしょうか?不思議でなりませんでした。
 ようやく、仏さんが、はたらき出したのかと思いました。仏さんには「身心柔軟の願」がありますからね。仏さんの本願に出会えば、身も心も柔らかく柔軟になるというわけです。
 2005年7月0
4日

南無阿弥陀仏は、ディスポーザー。
 ディスポーザー(disposer)とは「生ゴミ粉砕機。食物のくずなどを細かく砕いて下水に流す台所用電気器具」です。
 生活の中で感じたモヤモヤとした煩悩を、微塵に粉砕して、法水という下水に流してくれるはたらきは、まさに南無阿弥陀仏のはたらきです。どうも、まわりのひとたちのストレスの原因を聞いてみると、ほとんどが対人関係のようですね。職場での人間関係に疲れてしまっているひとが多いようです。
 あんなひどい奴はいない。どういう育ち方をしてきたんだ!?と、頭をかしげたくなるような場面は多いですね。常識的に考えて、あんな態度を取るというのは、奇人変人だ!と内心でののしっているときもありますよね。
 しかし、相手は変わりませんよね。そこに登場するのが「南無阿弥陀仏ディスポーザー」です。相手を生ゴミのように粉砕し、みじん切りにして、下水に流せる道具ですからね。こんな便利なものはありません。ひとつ、この道具をお買い求めになりませんか? まあ、相手は変わらないのです。絶対に。だとすれば、自分の内面をかき乱してくる煩悩をどうにかしなければなりません。それは、自分の考えを変えるということではありません。自分の考えも、これまた変わらないものです。そうではなくて、自分と相手のあいだに起こってくる煩悩をどうにかすればいいのです。
 犬や猫と人間は喧嘩ができません。それは、言葉が通じないからです。言葉の通じない世界は、静かなものですし、ストレスは少ないのです。
 人間が、ストレスを受けるのは、相手の言葉に対してなのです。その言葉が、自分自身の内面に衝撃を与え、かき乱してくるのです。ですから、その相手の発した言葉が、自分の内面に届くときに、それを変換するような装置が必要でしょう。そこにディスポーザーを取り付けてみましょうか。
 そうすると、小生には、相手は粉砕されて「病人」だと受け取れました。相手は自分と同じ人間だと思うから腹も立つんです。「あいつには常識がない」と言いますけど、相手は「病人」ですから「常識」がなくて当たり前なんです。常識なんて通用しないんです。相手が自分と同じようにまともな存在だと言う前提があるから、腹が立つんですね。その証拠に猫には腹が立ちませんよね。(いや、そうでもないか。猫にオシッコを引っかけられれば頭に来るかぁ)もともと、相手を自分と同じ「常識ある人間」だと考える固定観念がないからです。
 ストレスを感じる相手を「病人」だと、徹底して思い切れたら最高だと思います。それで初めて、相手と「初対面」に出会えるのでしょうから。固定観念を横において、新たに出会うということが起こります。それには、まず相手を病人だと思えなくてはダメでしょう。自分が知っている相手を徹底して粉砕して、〈いま〉出会う初対面の相手となるわけです。
 それでも、やっぱり、なかなか相手を「病人」だとは見切れないんですけどね。
なかなか南無阿弥陀仏に徹底できないんですね。徹底できないから、南無阿弥陀仏に励まされるんですけどね。

2005年7月0
2日

「愚」ということは、言葉とともにあり、言葉に寄り添い、言葉といのちを共にする。
 親鸞の言いたかった、「愚」という世界は、おそらく言葉の世界でしょう。宗教の偏りの一方の極には、神秘主義があります。それは言葉を超えていく方向性です。もう一方の極は、現世主義であり、コスモス化し秩序化し計量化していく方向性です。 
 いままでの浄土教の概念でいえば、一念主義(無念主義)と多念主義(有念主義)という分け方ができます。その中間のところにあるのが「愚」だと思います。
 愚というと、無知とか、一文不知というイメージが強いです。ですから言葉も捨てていく方向性だと勘違いされてしまいます。極端な言い方をすれば、「仏法に教学などはいらない」とか「能書きじゃ、仏法は分からん!」という表現をとって、教学を学ぶという行為自体を放棄させようということにもなります。
 念仏は、何もペンとノートでもって勉強しなければ分からないということはありません。しかし、違った形の勉強があるのです。それが聞法とか聴聞という形でいわれてきたことです。インテリジェンスをはたらかせるというよりも、インテレクトをはたらかせるということです。これは密接に関係しているのでしょうけどね。
 無学文盲の妙好人は、母をなくし?坊さんから「娑婆の母は必ず死ぬ。そうではなくて本当の母を探せ」といわれて、それがインテレクトをはたらかせるきっかけになったとようです。執拗に「母とは何か?本当の母とはだれか?」という問いを抱えて、お説教を聞き回ったといいます。
 それは、まさに「愚」という次元の出来事だと思います。愚なるがゆえに、言葉を大切にするのです。人間は言葉で考える生きものです。言葉は人間が考えた結果を表現するための道具ではありません。言葉によって自分自身が教えられていくのです。言葉によって、自分自身にさせてもらっていくわけです。
 離言の真理を、言葉によって表現し、味わい、言葉によって、励まされていくのです。それが愚というものの生き方だと思います。

2005年7月01日

長い間、更新できない状態が続いていました。ひとつには、仕事の優先順位が、なかなかやってこなかったということです。来月の半ばには、処女作『新しい親鸞』(雲母書房[キララショボウ])が出版される運びとなっています。そのことの追い込みがあって、なかなか更新ができませんでした。別に病気でもありませんので、ご心配なく。
 本が出ましたら、またお知らせしたいと思っております。
 いま境内には、鉢植えのキュウリ・ナス・トマトがあります。大須賀さんが下さったものです。彼らを毎朝見るのが楽しみです。あっと言う間にキュウリは大きくなるんですね。キュウリ揉みにしたり、モロキュウにしたり、漬け物にしたりと、いろいろと母と女房がまかなってくれます。ある朝、母がヘチマのみたいに大きくなったキュウリを持ってきました。「見て!こんなに成ったのよ!鉢の裏側にあったから気づかなかったけど、こんなに大きくなるんだね!」と驚いていました。家人も玄関まで出てきて、「スゲーや!」とか、「ほっておいたらどこまで大きくなるんだろう!」と驚いていました。ちょっとした、小さな幸せを感じた朝でした。
 トマトの成り具合を調べるために、葉っぱをよけてみました。雨露に濡れた葉をひっくり返してみても、まだ青くて食べられそうにありません。露に濡れた手を鼻のところにもっていったとき、あのトマト特有のアクの強い香りが、ツーンとしてきました。小生は思わず「そうそう!これがトマトの匂いなんだよ!」と内心でつぶやきました。お店で売っているトマトには、この個性的な香りはありません。この匂いが嫌いだという理由で、トマトを食べないひともいるようです。しかし、小生の子どものころ、トマト畑の中を横切っただけで、この匂いが体に染みついたのを思い出しました。なんとも個性的というか、アクの強いというか、「オレは、トマトだぞ!どうなんだよ!」と強烈な自己主張をしているように感じられました。
 むしろ実の部分には、その個性がありません。葉っぱやツルにあるんですね。でも、この匂いを嗅いだことで、いきなり子どものころにタイムスリップしたような不思議な感覚になりました。映画の『時をかける少女』では、ラベンダーの香りを嗅いだときに、少女が異次元にスリップしていくんでしたよね。小生はトマトのようです。
 匂いという世界は、人間の深層意識と深いつながりがあるようですね。眼とか耳以上に深いのではないでしょうか。それでアロマテラピーなどが流行っているのかもしれません。匂いで、意識にはたらきかけて、リラックスさせたり緊張させたりということがありますからね。
 思わず、小生は子どものころにタイムスリップできて、とても新鮮な喜びを感じた朝でした。もっと、もっといろんな自分を体験してゆけたらよいと思います。「自分」といっても、そんなものは実体としてどこにもありませんからね。「自分」というものがあるのだと思っているだけですから、実体はありません。「自分」は、実体として無いのに、「ある」と思っているから不思議ですね。
 安田理深先生は、それを「うわさ」だとおっしゃっていたと思います。「自分があるらしいよ」というウワサだと。確かにそうでしょうね。「自分」というのは、ひとと会えばいろんな反応もしますし、食べたり走ったりしますからね。でも、本当の自分は何か?と考え出すと、無内容になってきますね。そうすると、やはり「うわさ」だったのかなぁと思います。
 最近、思うのですが、煩悩はそうそう大した問題じゃないですね。やはり「自力のこころ」が問題なんでしょうね。煩悩は自身を悩ましたり、苦しめたりします。ですから、自覚症状があるんです。しかし「自力のこころ」というやつは、透明人間のようなものですから、自覚症状もありませんし、正体がつかめません。ですから厄介なんです。病気でも自覚症状のあるものは、案外軽いんだといわれます。厄介なのは自覚症状のないやつです。キルケゴールじゃないですけど、自力こそが、「死に至る病」なのでしょうね。

 2005年6月2
4日

どうも現代社会は、20願的段階に入ってしまったようです。西欧に追いつけ追い越せと頑張っていた時代は、19願的段階です。親鸞は、ある種の信仰次元を「19願」となづけました。修諸功徳(しゅしょくどく)とか、臨終現前(りんじゅうげんぜん)という信仰次元です。つまり、もろもろの功徳を努力して修め浄土往生を願う段階、あるいは、将来において自分のいのちが終わろうとするとき、阿弥陀さんが前に立ち現れて自分を救ってほしいと願う段階のことです。
 この信仰次元は、自分にはまだまだ努力する力も残っているし、将来に必ず開けがやってくるのだと賭けることのできる段階です。親鸞は信仰次元について、19願と命名しますけど、それを社会の段階に適応できるように思います。世界を見渡してみれば、まだまだ19願的段階の社会はたくさんあります。「発展途上」という言葉で象徴されますけど、まだまだ社会的不具合の調整が可能な段階の社会です。その段階の苦悩は、社会的貧しさゆえのものであって、豊かさゆえのものではありません。
 ところが、この日本は20願的段階に入ってしまったように思えます。20願も親鸞のくくりです。四文字熟語で、植諸徳本(じきしょとくほん)とか、係念定生(けねんじょうしょう)とかとくくりますけど、もうひとつよい命名ではないように思えます。まあそれは先輩のご説を並べたという感じですけどね。
 内容的にいえば、七地沈空(しちじ・ちんくう)です。菩薩道は、初地から出発して十地へと徐々に信仰の深まりを獲得していく道だと教えられています。ところが、七地から八地へグレードアップするところに、難関があるというのです。その難関を「七地沈空の難」といいます。曇鸞が『浄土論註』で、そのことを書いています。
「菩薩、七地の中にして、大寂滅を得れば、上に諸仏の求むべきを見ず、下に衆生の度すべきを見ず。」と。
 菩薩とは、仏道をもとめる人間のことです。この菩薩が、一生懸命に努力して仏道を歩んできて七地という段階にはいると、ある種の悟りのような段階に入ってしまうというのです。その段階に入ると、もはやこれ以上悟りをもとめる必要もないだろうと思い、また下にいる衆生を救わなくてはという思いも減退してくるというのです。ある種の満足感に満たされてしまって、これ以上動かなくなるというのです。
 それを社会の段階に当てはめてみると、現代の日本社会は、まさに20願的段階に入ってしまったように思えるのです。「一億総中流化時代」とか以前は呼ばれました。「豊かさの中の悲劇」と象徴されるような事件が多いように思えます。
 もはや、将来に向かって、切磋琢磨するという志向性が減退してしまった社会です。このような20願的段階の社会は人類がいまだかつて体験したことのないものではないでしょうか。
 上にも志向性がはたらかず、下にも動けないという、まさに宙づり状態が現代社会です。また、親鸞は、20願的段階を「胎生(たいしょう)」という言葉で象徴しています。これは、仏の胎内というイメージだと思われます。救いの主である仏と一体化し、仏の胎内に入ってしまう状態です。いままで19願的段階で、切磋琢磨して修道を続け、ようやく仏と一体化したのです。それで、もう満足なわけです。これ以上なにも必要としないのです。それが「胎生」です。ここでは「?利天(とうりてん)」の快楽を受けることができるといいます。あるいは、「七宝の宮殿」ともたとえられています。七つの宝で作られた快楽の宮殿です。でも、そこには、いのちの通ったものがないということです。いくら宝があっても、人間のこころが満たされないということを象徴しています。
 問題としては、三宝を見ることができないということです。三宝とは仏・法・僧です。つまり、「拝む」ということができないのです。仏と一体化してしまえば、仏との距離が無化します。それはある種の恍惚感であっても、仏を外に見て外化することができないわけです。拝むということは、仏と人間とが距離をもつということです。
 胎生というのは、仏と一体化してしまうことです。一体化してしまえば、外化することができません。簡単にいえば、初心に帰ることができないのです。
 そうそう、森達也のドキュメンタリー映画『A』を観ました。オウム真理教の内部に入って荒木さんを中心にオウムをとった作品です。その中の信者は、ごく普通の青年たちでした。でも、この娑婆には、自分のいる場所はないのだと語るところが、妙でした。それは、出家者の清浄な志でもあります。娑婆は、結局「死なずに生きているだけの場所」」であり「自己の欲望を満足させるだけの汚れた場所」に過ぎないと見えてしまったのです。これは出家を志す清浄な意欲なのです。それは、往相のベクトルです。清浄な世界へ向かおうとする意欲です。親鸞以前の段階にある宗教は、みんな往相のベクトルだけです。
 そこから還ってくるというベクトルがありません。もう一度、オウムに出家する前の汚れた段階に、やすやすと戻ることができて初めて本物になるのです。戻ってきた段階は、元と同じではありません。360度展開されて着地するからです。前と変わることなく、まったく変わった世界へ出ることです。
 いままで汚れた場所であり、欲望の場所だと、蔑んで見下げていた娑婆が、拝めるようになるという展開です。清浄な菩提心と同化していた自分が、逆に菩提心から見つめられるものへ変化することです。
 この胎生の段階を超えるには、まったく外部からの声が必要です。浄土論註も「神力加勧を得ずは」といい、親鸞は「善知識」というものを提起してきます。こころを閉ざそう閉ざそうとするところに、開こう開こうとはたらく外部からの勧めが必要なのです。草花が、明るいひかりを求めて芽を出し、葉を繁らせていくように、外へ外へと開かれていかなければなりません。
 オウムの段階を超えるには、親鸞しかありません。世間は、彼らを娑婆へ引きずり出そうとします。それは元の木阿弥でしかりありません。360度の展開がなければ、彼らは娑婆に戻ってこられません。外部というのは、先輩の声でもありましょうし、何より「言葉」です。言葉は、先端の尖った錐のように魂の穴を開けます。そして、地下水のようなたましいの水を、地表へと噴出させてくれます。
 こんなことをいうのは手前味噌であって、たとえ思っていたとしても口に出してはいけないことだと思っていました。しかし、言ってしまいます。日本社会の20願的段階を超えるには、やっぱり、親鸞しかないと。

2005年6月
21日

親鸞が35歳で越後に流罪になったとき、師匠の法然は讃岐の国へ、隆寛は陸奥の国へ、空阿弥陀仏は薩摩の国へ、幸西は壱岐の国へと流されています。京都では40数名の専修念仏者に指名手配が出され、四人が死刑になっています。
 それでも在京の弟子で、なんとか無実を証明して生き延びたひとたちもいたようです。それまで法然は、「救われるためには念仏だけでいい」といってきたのですけど、生き延びたひとたちは、「念仏でもいいよ」という天台系の発想にねじ曲げて生き延びたのでした。それほど過剰に弾圧の刃を向かせた背後にある、既成教団を脅かした要因は何だったんでしょうか?
 それは、「ただ念仏」ということだけです。それは、簡単にいえば「そのままでよし」という存在の全面肯定でした。弾圧した側は、神仏を軽んじているとか、菩提心を否定しているとか、自分勝手に宗教を名乗っているとか、いろいろないちゃもんをつけてきました。それを煎じ詰めれば、「そのまま」を受け入れられないということだけです。
 法然、親鸞の系譜は、存在に何かを付け加えたら間違うという発想ですからね。まったく逆なわけです。ハウツー(how to)を一刀両断にぶった切る発想ですから、これは恐ろしいわけです。
 ハウツーの知恵は、「これからどうしたらよいのか?」と、未来に何事かを期待する発想です。これは、一見すると浄土往生を願うかたちに沿っているようにみえます。浄土教の文脈に移していえば、「どのような行為をしたら、浄土に往生できるのでしょうか?」という発想です。
 それに対して、親鸞は、自分は念仏という行為が浄土へいくのか地獄へいくのか知らんという態度です。ハウツーの知恵がまっぷたつに切られてしまいます。
 そして、「すでにあった存在」へと、着眼させるのです。この自己存在にどんな不足があるのかという逆のベクトルから迫ってきます。「そのまま、来い!」と如来はいうのですけど、自分は何かを付け足したいんです。でももし自己存在に何かを付け加えたら、それは全部間違うよということなんです。
 これは、しかし、人間にとって恐ろしいことなんです。弾圧を引き起こしてきた恐怖はここにあるのです。ハウツーに死ねということですからね。「死ね」というと、次には「死んだらどうなるんですか?」とハウツーの知は逃げていくのです。ハウツーの知は実にしぶといです。ウナギのように、つかみ所がありません。でも、そのハウツーの知が、射止められる瞬間があるんです。
 そして、「そのまま」という存在の大地に着地するのです。「そのまま」に目覚めれば、初めから、「そのまま」だったんですけどね。なにも変わっていないんです。なにも変わっていないんですけど、まったく違っているんです。
 信仰の道は実に険しい道です。ひとには絶対に険しさが見えない道です。その道は弾圧に遭い、死刑にもつながる険しい道です。なんといっても人間が一番恐れる道ですからね。

2005年6月19日

深澤助男新潟大学教授のお話を聞きました。「清沢満之と曽我量深」が、テーマでした。深澤先生は、秋田県生れで、新潟に移り住んでから35年とおっしゃっておられました。いかにも東北の農民を彷彿とさせるようなオーラを放った先生でした。親鸞が「田舎の文字をも知らぬ、あさましき…」と語っているような、その視線の延長線上に焦点を結ぶような、野人という印象を受けました。
 それでいて、現在は副学長をお勤めになる哲学出身の先生です。そのインテリジェンスの薫りと田園をもくもくと農作業をする農民の姿が、二重写しになったような不思議な先生でした。
 「浄土真宗の専門でもない私のようなものが、このような場でお話することもはばかられるのですが…」という腰の低さにも圧倒されました。
 清沢先生は、錐でギリギリと穴をあけるような発想のタイプで、どうも理性というか、頭で考えられたけれども、曽我先生は、感応動交という本能で発想したタイプだと受け取りました。どうしても、清沢満之は、40歳という若さで亡くなっていますから、これからという感じが残りますね。天才ですから、まったく惜しいという感じです。
 一方、曽我量深は96歳まで生きましたから、やっぱり、罪の重なりということが、発想の根底に流れているように思えます。
 深澤先生は、私は新潟人であり、蒲原平野にうごめく蒲原人だと明言されていました。その土地に生き、その土地の空気を吸って生活したものに通じる感覚というものが曽我先生にはあるとも語っていました。蒲原平野は、それほど肥沃な土地ではなく、開墾して農作業をするにはとても難儀な場所だそうです。まさに、腰まで田に漬かって田の管理をする農民が、発想の原点なのでしょう。
 親鸞も、自分で望んだわけではありませんけど、越後に島流しになって、この農民の感覚に圧倒されたのではないかと思います。
 この、頭から身体へという下降は、思想が土着するためには、どうしても、通らなければならない関門のように思えます。それで、曽我先生は、仏法は農業と深い関係があるといわれるのでしょう。
 インテリジェンスが、そこへいくことは、至難のワザなわけです。吉本隆明さんはこんなことを言ってます。
親鸞は、〈知〉の頂きを極めたところで、かぎりなく〈非知〉に近づいてゆく還相の〈知〉をしきりに説いているようにみえる。しかし、〈非知〉は、どんなに「そのまま」寂かに着地しても〈無智〉と合一できない。〈知〉にとって〈無智〉と合一することは最後の課題だが、どうしても〈非知〉と〈無智〉とのあいだには紙一重の、だが深い淵が横たわっている。なぜならば、〈無智〉を荷なっている人々は、それ自体の存在であり、浄土の理念によって近づこうとする存在からもっとも遠いから、じぶんではどんな〈はからい〉ももたない。(略)しかし〈無智〉を荷なった人々は、宗教がかんがえるほど宗教的な存在ではない。かれは本願他力の思想にとって、それ自体で究極のところに立っているかもしれないが、宗教に無縁な存在でもありうる。そのとき〈無智〉を荷なった人たちは、浄土教の形成する世界像の外へはみ出してしまう。(『最後の親鸞』)
 つまり、どこまでも「そのまま」に成ろうとする知は、「そのまま」無智を生きている人間にはかなわないということです。無智を生きている人々とは、おそらくプロレタリアートといった概念をイメージしておられるように思えます。しかし、これは、インテリジェンスが抱える根本的な問いでしょう。
 しかし、どうもそこでいわれる〈非知〉と〈無智〉は、そんなに大きな違いのようには小生には見えないのです。どっちにしても同じ穴のムジナじゃないかなぁと思えます。どうも吉本さんは、〈無智〉を高く評価しすぎているんじゃないかなぁと思ってしまいます。〈非知〉から〈無智〉へと移行しようとすること、あるいは、移行できない断念は、インテリ特有の罪感覚のように思います。
 おそらく親鸞が、感じ取っていた、「不思議」という感覚は、〈非知も無智〉もひっくるめた人間の観念性を一切拒絶したところからいわれてくるのでしょう。親鸞が言っていることは、というより、そのように小生に受け止められることは、「不思議」という感覚をどれほど鮮やかに〈いま〉回復するかということのように思えます。それをおそらく吉本さんは、「非知」と語っているのでしょうけど、その「非知」は、どうももうひとつ解放感につながっていないように思えます。
 もうひとつ「底が抜けていない」といった感じがします。まあ1974年に書かれた作品ですから、現在の吉本さんの思想的段階とは違っていると思いますけどね。親鸞がいう「愚か」とか「不知」とか、「不思議」には、ぬくもりがあるんです。解放感があるんです。「非知」といってしまうと、壁を感じます。いやいや、親鸞も同じような言葉を語ってはいるんですよ、それはそうなんですけど、親鸞は壁がありません。
 譬えると、強烈なライトで壁を照らしている感覚ではなくて、強烈なライトで星を照らしている感覚です。壁に光が当たって、これが壁だと分かるということではなく、どこまで照らしても星空の星にはライトが届かないといった感覚です。すべてライトの光が夜空に吸収されて壁がない。もちろん星にはひかりは届きません。でも、ひかりが当たる壁はないのです。すべて吸収されてしまうのです。
 これは感覚ですけど、そこまでいくと、「不思議」とか「無知」といっても、解放につながります。生意気なようですけど、ちょっとそう思いました。
 曽我量深は、「念仏は原始人の叫びだ」といいます。その原始人の叫びが、この私の中にも流れているという、この驚きが、そういわせたのだと思います。

 2005年6月1
7日

歎異抄13条では、どうも造悪無碍(ぞうあくむげ)を擁護しているように感じられますね。造悪無碍というのは、阿弥陀さんの本願があるんだから、どんな悪いことをしても障りにならないから、どんどん悪いことをしてしまえという跳ね上がり分子のことです。
 歎異抄の著者は、そのひとたちを擁護して、跳ね上がり分子を批判している正統派を批判しています。一応、跳ね上がり分子にも「薬があるからといって、毒を好んではいけませんよ。悪いことをすることを、阿弥陀さんは喜んではいませんよ」というニュアンスで、やんわりと諭しているのですけど、正統派の批判ほど語調は強くありません。これはどうしてなのだろうか?と思いました。
 最近思うことは、やっぱり、生きているということは、造悪無碍にならざるを得ないということです。故意に悪を作ろうと意識しなくても、すでに悪を作っているのですからね。自分が生きているということは、多くの生きものを殺して生きていることですし、長年生きてくれば、ひとにはいえない罪もずいぶん作ってきましたしね。これはもう、たとえ夫婦であっても、ひとにはいえない罪がありますよね。お墓の中までもっいかざるをえないものがあります。
 しかし、そんなことは知らぬ存ぜぬというような顔をして、いけシャーシャーと暮らしているんですからね。「虫も殺さないような顔をして」と表現されますけど、あれは自分のことですね。罪を作ってきた自分を考えると、昼間は表を歩けないような感覚にもなります。あーそうか、それで、夕方になると、少しウキウキしてくるんでしょうかねぇ。
 国会答弁を聞いていても、「おれの主張は正しいんだ」というオレガ、オレガという我の張り合いで、気分が悪くなってきます。それなりに、建設的な質問もありますけど、どうも、自分の正義を振りかざして相手の揚げ足を取るというような、醜いことになっている感じがします。あれは、ショーなんだから、あれでいいんだというひともいますけど、聞いていると嫌気が差します。どうしても「善」ということに対しては、どこかにうさん臭さを感じてしまうのです。
 結局、歎異抄の著者は、造悪無碍のひとたちを批判できるような自分ではないという戒めを内心に蓄えているような気がします。正統派のひとびとは、自分たちの悪についてはまったく無自覚なんでしょう。悪を無自覚で、跳ね上がり分子を批判しているわけです。そのことが、許せなかったんじゃないでしょうか。
 でも、歎異抄の著者の内面には、どっちも存在していたんでしょうね。跳ね上がり分子の部分も、そして正統派の部分もあるのだと思います。だから、両方とも気持ちが分かるわけです。どっちにも言い分があって、どっちも分かるわけです。そのことがあって、第三の視座、つまり「如来からの視座」ということが上から開かれてくるのでしょう。
 「如来の御恩ということをまったく忘れ果てて、我もひとも、善し悪しということをのみ申しあえり」(後序)とね。
  

2005年6月14日

本山から戻りました。
 二泊三日の同朋会館での生活は、日常を思いっきり振り返る「超時間体験」でした。二泊三日のスケジュールに従った規則正しい生活は、ワガママ放題の「日常」をあらためて浮き彫りにしてくれます。
 先生のお話を聞き、座談会を体験し、お内仏のお給仕の仕方を学び、諸殿を拝観するというスケジュールは、確かに盛り沢山で、それなりに疲れることでもあります。門徒の方々も、日頃の生活とは違った「超時間体験」に、お疲れの様子でした。
 でも、疲労感にも、ふたつあって、徒労感の残るものと、充実感の残るものとがあります。今回の本山体験は、充実感の残る疲労感ではないかと思えます。これは、内緒ですけど、普段の諸殿拝観のコースにはない内事(ナイジ)を拝観できたのが御利益でした。内事とは、門主の公邸をいいます。調度を輪島塗でしつらえた応接室は豪華絢爛でした。ここもあの求道会館を設計された武田伍一さんの設計だそうです。たしかに、そこここに大正モダニズムの匂いがありました。
 お話は、近田昭夫先生でした。いままで「お墓参りと法事だけをしていた檀家」という存在が、「仏法を聞くほんとうの門徒」になると何が変わるのか?というお話が印象に残りました。いままでは、校庭で遊んでいる生徒だったけど、仏法の校舎に入ってみるとどこが変わるのでしょうか?それは景色が違って見えるということだとお話されました。
 校庭から校舎を眺めているのと、校舎から校庭を眺めるのは、確かに違ってきますよね。校庭で遊んでいるときには、校庭そのものは見えません。校舎の窓から眺めることによって初めて校庭が見えてくるわけです。校庭とは、私たちの日常生活いうことです。日常生活が、どのような生活なのかということがアリアリと見えてくることです。
 そんなお話を聞いていて、ある門徒の方が、仏法を聞いても自分の性格は全然なおらないんですと漏らされました。少しくらいよくならないとと思っていても、そうならないんですと。
 小生は、それは自分の性格ができあがるまでに、何十年、いや何億年とかかっているのだから、変わるわけはありませんと言いました。夫婦にしても、まったく違った存在が一緒になるのですから、ひとつになるはずがありません。ひとつになれるはずだという幻想が、ひとを苦しめているのでしょうね。ですから、思いっきり喧嘩したらいいんです。ぶつかったらいいんです。まあ、ぶつかろうとしてぶつかっているわけじゃないし、喧嘩しようとして喧嘩しているわけじゃありません。ぶつかってみたら、またやってしまったと後悔するだけです。煩悩は間髪を入れずに湧きおこってくるもんです。
 他の参加者も、そうだそうだ、仏法を聞いたって変われるもんじゃないよ、夫婦だってバラバラでいいんだよと肯定していました。小生は、少し変な流れになっているなぁと感じました。実は「変われる・変わらなくちゃ」と思っているのも幻想なら、「変わらなくていい」というのも幻想だと語りました。
 いくら仏法を聞いても、自分じゃ少しも変わっていないと思えるのです。あいかわらずの体たらくです。しかし、長い間、聞いてくると、周りの見方が少しずつ変わってくるのです。周りが私を見つめる目が少しずつ変化してくるのです。まあ、変化してくるかどうかも分かりませんけど、そんなことはそっちのけにして、仏法を真正面から聞いていくことだけしかありません。その一本道をいけば、後のことは、まあ、仏さんがいいようにしておいてくれるわけです。
 仏法を聞くというと、先生のお話を聞くことだと思ってしまいます。まあ、それも大切なことです。どうしても、人間は言葉の生きものですから、「教えの言葉」を通して、何かを気付かせてもらうということです。しかし、それだけが聞くということじゃありません。日常生活の、夫婦喧嘩や親子喧嘩、兄弟喧嘩に職場のイザコザで湧きおこってくる煩悩を見せていただくというのも「聞く」ということです。校舎から校庭を眺めるというのは、そういう意味でしょう。なにも自分が美しいものに変わることじゃありません。醜い自分をアリアリと見せていただくのも仏法を聞くということなのです。醜い自分をアリアリと直視することは、辛いことです。しかし、そこがちょっと違います。仏さんに照らされた自分をみるのと、自分の濁った眼で自分をみるのとはちょっと違います。
 普通、反省するというのは、自分の濁った眼で自分を見つめることです。こんな自分はダメな自分、こういう自分はよい自分と自分を二つに分裂させる見方が「反省」です。そうではなくて、二つに分裂させて見ている自分そのものを仏さんに照らされるということです。
 自分が堕落しているから醜いわけじゃありません。そのままです。深く深い自分のいのちの根っこがそうさせているのです。

2005年6月
10日

明日から、本山へ推進員養成講座の後期教習で出かけます。総勢40名で本山で研修するのを楽しみにしています。
 本山といっても、所詮は人間がつくった建造物なのですが、しかし、本山には本山の重みがあるから不思議です。いまは、千畳敷きの御影堂は修理中ですけど、あのお堂の中に静かに座っていると、ジーンとこころの奥で何かが動くのを感じることができます。お朝事(アサジ)という、朝のお勤めは、静寂な古都の空気の中に静まり返った瞬間を体験できます。お朝事は、何度体験しても新鮮な感動を受けます。
 目の前には親鸞聖人像が安置され、自分と対座する格好になります。親鸞聖人は、私に何を語りかけられるのか?それをお聞きするのがいまから、楽しみです。親鸞像も、たかが人間の彫った像ですけど、しかし、これまた感動が与えられるシンボルでもあります。たかが、木像。されど木像です。
 現代は、あまりに情報が氾濫しています。音のある生活に押しつぶされています。
なおさら、ひとり、静かに、端坐して、物思いに浸るということの大切さをあらためて感じることができます。
 「ひとり生まれ、ひとり死に、ひとり去り、ひとり来たる」(無量寿経)と教えられる「独」の意味をあらためて噛みしめてきたいと思います。

 2005年6月
6日

先日の同朋大会(日比谷公会堂)の講話は、小川一乗先生でした。その中で記憶に残っている話を少し。
 テレビを見ていると、ひとが亡くなったときには「天国へいった」という表現が多いといいます。もう「往生した」とか「極楽へいった」という言葉すら死語になってしまったと嘆かれていました。
 先生は、それは真宗系の研修会ではなかったそうですけど、ひとが亡くなられた場合には、「往生した」と言えなければならないとお話されたそうです。ところが、研修生は、「まだ死んだこともないのですから、とても往生したとは言えません」という応答だったそうです。そこで、先生は、死語の世界を知っているか知らないかは理性の問題だといわれ、自分のいのちの成り立ちを考えてみることを通して、「往生した」と言える世界を獲得してほしいと答えられたといいます。
 そのやりとりを後ろで聞いていた、師匠クラスのお坊さんが、「ひとは死んだら極楽に往生するに決まっとる!そんなことも分からんのか!」と若い研修生を叱咤されたそうです。
 この一連の話を聞いていて、小生は、この問題はなかなか難しい問題だと感じました。柳田邦男さんが言うように、死は「一人称の死・二人称の死・三人称の死」のフェーズがあって、それぞれに微妙にことなった色合いをもっているからです。
 つまり、「ひとは死んだら極楽にいくのだ」という表現も三つの位相が考えられます。第三者的にいう場合は三人称の死のフェーズです。さらに、自分にとって愛するひとが亡くなった場合に、彼(彼女)は間違いなく極楽にいったとうなずけるかどうかは二人称のフェーズですし、自分の死後、極楽へいくのだと思っているというのは一人称のフェーズです。
 たぶん、その師匠クラスのお坊さんは、この三つのフェーズに揺らぎがなく、一本化されて受け止められているのでしょうね。でも、ご自分だって、若いころはそう受け止められない時期があったはずなんです。そのところを若手のひとびとと共感するという作業が抜け落ちているように思えました。そこが抜ければ、単なる「近頃の若い奴はなっとらん!」という老人のぼやきと同じですよね。
 まあ浄土真宗であれば、浄土真宗の教えの神話世界をもって成り立っているのです。阿弥陀如来が、大昔に人びとを救いたいという願いを起こして、お浄土をつくられて、そこにあらゆる人びとを導いて、苦しみを取り去って仏にしてあげたいという神話世界で、浄土真宗の教えの世界は成り立っているです。これがオーソドキシーです。
 キリスト教ならキリスト教のオーソドキシーがあります。神がつくられた人間が、神から禁止されていた知恵の実を食べたことで、罪を得てしまった。その罪を人類の代表であり、神が使わされたメシアであるイエスが十字架にかかることで償われた。その奇跡をいかに受け入れるかということです。これがオーソドキシーでしょう。
 それぞれに神話的(これを神話的と表現することに抵抗感のあるひともいるでしょうけど)な世界観をもとにして述べられているのです。
 ですから、話を戻しますと、親鸞だと、阿弥陀さんの淨土に往生するかどうかということが当面の課題になって表現されてきます。しかし、親鸞は、淨土があるかないかとか、死んだら往生するかしないかとか、そんなことは究極の課題ではないのです。親鸞にとって究極の問いは、必ずこの世が終わったら阿弥陀さんの淨土に往生させてあげるという阿弥陀の言葉を受け入れられるかということです。ですから、淨土があるかないかは、阿弥陀さんの問題であって、人間の関与する問題ではないと受け止めていたようです。ただ、人間ができることは、その阿弥陀さんの語っている世界を〈いま〉受け入れられるかどうかということです。
 若い研修生たちが、自信をもって極楽に往生できるかどうか分からないということは、正直な感覚だと思います。もし、自分が信じられなくて、ひとに説くならば、虚偽ではないかというのですから。それは、淨土語を学ぶなかからひとりひとりが会得していく課題です。
 浄土教の言葉は、日本語とちょっと違います。まさに「淨土語」なんです。ですから、淨土語を学ばないと淨土の言葉は理解できません。それは英語を学ばなければ、appleの意味が分からないのと同じです。少しずつ言葉を学ぶことで、その言葉がもっている意味世界がひもとけていくのですからね。
 だからといって、お葬式の場面で、遺族から「お父さんは、どこへいったのでしょうか?」と問われて、「私には分かりません」と答えるのは間違っているのでしょう。やはり、「二度と苦しみのない仏さまの世界へ行かれたのです」とお答えしなければなりません。人間という苦役から解放されて、喜びとか苦しみという感情のない静かな世界へ行かれたのだと思います。
 もし、「分かりません」と答えたならば、たとえば、どの電車に乗ってよいか迷っているひとに向かって、「自分は立川へ行ったことがないので、この電車がどこへ行くかは知りません」と答えるようなものです。電車には「立川」と書かれているのであれば、それは、立川に行くことを信じて、「これに乗りなさい」と教えるはずですよね。そう答えられないということは、「日本語の意味の世界」を信じていないということになります。「立川」という記号の成り立ちを信じていません。自分に誠実になろうとするあまり、目の前の遺族に関心が向かなくなります。それは自分を大事にしている態度で、相手を大事にする態度ではないでしょう。相手を大事にするという視点から、考えてみる必要もあるのです。
 まあ小生のイメージで語れば、やはり、「存在の故郷」が淨土であると思います。時間と空間を超越した世界であり、自分たちのいのちの源であり、そこから来て、そこへ還っていく世界というイメージです。
 これからは、人間の死後に対して豊かなイメージをつくってゆかなければダメでしょう。それはあくまで「イメージ」であって、「概念」になってはダメなんですけどね。概念は理性で作り上げた世界です。アストラル界とか、ナントカ界というのがあって、というふうに概念化したとたんに、死後は汚れます。イメージの世界は、「そうであってもよし、そうでなくてもよし」という融通性のある世界です。概念化したときに、死後は死後でなくなり、「この世」の存在に仕立て上げられてしまうのです。この罪だけは犯したくありません。
  

2005年6月5日

家族という他者と暮らすということは、やはり、修行ではないでしょうか。まず、自分が誕生した段階では、この家族を意識的に選んだわけじゃありません。父・母・祖父という関係性の網の目に生まれてきました。さらに弟が誕生してと徐々に増えてゆき。結婚して子どもが生まれて、大家族期を経過して、さらに祖父と父が亡くなり、減少していきました。
 どの時点を切り取っても、意識的に選んだものはありません。結婚は、意識性が強いように思いますけど、ほんとうのところは分かりません。結婚は「はずみ」といいますから、熟慮した結果の選択ではなくて、もっと無意識的な判断がはたらいているのです。なぜ、扶養され、あるいは扶養し、同居し、共同生活しているのかということも、意識からは導き出せません。どうしても、「縁」として付与されているという感覚のほうが強いです。うちには猫が三匹もいて、彼らも同居しているのですが、なぜか、ここがうちだと自分で決めているようです。寝るために必ず帰ってきますからね。ここにも、目には見えない無意識の帰属意識がはたらいているようです。
 でも、家族の中間は空洞なんでしょう。これは、河合隼雄さんが『中空構造日本の深層』で指摘していたことです。ものごとの取り決めでも、日本人は、だれが決めたということではないけど、いつのまにか決まっていると言ってました。子どもを育てるということも、誰かがひとえに責任を負っているというよりも、家族全員で子育てしているとか、地域で育てているということですね。猿山の猿のように、集団の構成員が全体で小猿を育てるのです。
 それが、戦後ヨーロッパの思想が濁流のように流れ込んできて、個というものが屹立したものとなりました。いままで経験したことのない文化が「個」ですから、様々な日本の深層と齟齬をきたしてきました。以前はお墓の中を子どもたちは飛び跳ねて遊んでいました。しかし、現在は塀で囲まれて墓地に関係者以外、立入禁止になってしまいました。事故の責任を管理責任者という個に凝縮したためです。管理責任を問い、損害賠償をするというヨーロッパの思想が、日本人の深層を揺さぶりました。どんどん閉塞したものに追い込まれているようです。
 しかし、以前ハワイの海岸へ行ったとき、そこには、立て札が立ててあるだけでした。「ここから先は危険です。でもこの先へ行きたいのならば、自分の責任で行って下さい。」というようなことが書かれていました。日本であれば、フェンスか何かで塀を作ってだれも入れないようにするでしょう。この違いをどう考えればよいのか、戸惑いました。管理責任や損害賠償という思想はヨーロッパのものなのに、この立て札は、自己責任であると示されています。この発想は、以前の日本人の感覚に近いと思います。たとえ、子どもが路次から飛び出して自動車とぶつかったりしても、お互いさまだからと引き下がりました。現在では、すぐに損害賠償に傾斜していきます。
 それはともかく、家族の真ん中は空洞になっていたほうがいいように思います。誰かが中心では駄目なのでしょう。旦那は大黒柱といいますけど、大黒柱でも、かみさんという女性の存在なしには建つこともできないのです。家族には家族の匂いというものがあります。その家族、その家族に個別の空洞域があって、それでもって家族が保たれているように見えます。
 そういえば、小生の子どものころは、地域に「空き地」がたくさんありました。まさに空洞域ですね。そういうアソビの部分が、どこにもなくなってきているように思います。家族の間にも「空き地」をつくらないと駄目なんでしょう。
 

2005年6月2日

テレビのスイッチを入れたら、可愛いブタの子どもたちの映像が映っていました。お母さんのお腹から生まれたての、まだ、へその緒も切れない状態ですることは、お母さんのオッパイを探すことです。
 ツンツンとお母さんブタのお腹を探ってゆきます。とうとう、乳首を捜し当てました。見ていて感動しました。子豚のかわいさといったらないです。でも、でも、体重が百キロを超えると、出荷されていくのです。養豚業者のおじさんは、「なんとも言えない気持ちだね」と語っていました。
 小さい子豚から、百キロのブタにするためには、大変な月日がかかります。ブタと人間が、たくさんの出会いをしてしまいます。だから、もう、豚肉じゃなくて、いのちになってしまったのです。いのちになってしまったブタは、「出荷」という名称からはずれてしまいます。いのちになってしまいました。
 いのちを人間は食べることができません。いのちから、食糧へ転換しなければ、食べることはできません。まあ、現代では、その過程を他人が代行してくれますから、ひとりひとりで、転換作業をする必要がありません。まさに、資本主義の分業が成り立っているのです。だから、いのち性が見えなくなっているのです。
 しかし、その代行作業を解体してみると、実は、ああいう生臭いことが噴出してくるのです。
 朝、見た番組では、ヒラメの生き締めをやっていました。とれたてのビクビクと動くヒラメを包丁で叩いて気絶させ、針金を脊髄につっとおし、背骨の神経を缺き出すという作業を映していました。レポーターが思わず「残酷」という言葉を吐いてしまいました。でも、それを「おいしい」といって食べている自分がいることも分かっているのです。
 仲買のおじさんは、だから、生きもののいのちを大切に、自分は魚に支えられているということを語っていました。どのように、人間が正当化しようが、どれほど美化しようが、決して逃れることができない罪が人間の罪です。
 「生きる」ということ、さらに「いのち」ということは、ものすごく残酷ですし、罪深いものです。そういう罪深さを忘れてしまったら、「いのち」という言葉が宙に浮きます。人類、すべて死刑囚なんです、ほんとうは。それを忘れているから呑気に、平々凡々とか言っていられるんですね。まったく。
 さて、その問題と、親鸞とはどうつながるのでしょうか?ねえ?
 

2005年5月30日

永代経法要が終わり、ホッとしているところです。呑みすぎた体のだるさが、ここちよくもあります。
 昨日の法話は、元東本願寺教学研究所所長・西田真因先生にご出講いただきました。京都から持参された巻物二幅に、独自の図を貼り付け、仏教を構造的に教えてくれました。
 「話をするのに10時間程いただきたいところですけど、今日はそれを一時間でやれということなので、どこまで話せるか分かりません」と前置きされてお話されました。
 1、意味空間と物理空間
 この本堂には、70名くらいの方が座っています。これは物理空間です。しかし、意味空間は、70名の方がおられれば、70の意味空間があるのです。それぞれの世界があるのです。ただそれが重なっているだけです。
 2、意味場
 通販生活の表紙に「首相の椅子はいくらで買えるか?」という言葉が書かれていました。みなさん、首相の椅子はいくらで買えると思いますか?(聴衆は、百億円というひともありますし、20万円というひともありました)百億円と答えた方は、この椅子という物質の値段を考えたわけではないでしょう。首相という地位を手に入れるために費やしたすべての金額を考えられたのでしょう。しかし20万円と答えたかたは、この首相が座っている椅子そのものの値段を考えたのでしょう。それが意味場の違いです。この「首相の椅子はいくらで買えるか?」という言葉は、ふたつの意味場が重なっているのです。
 3、南無阿弥陀仏ということ。
 いままでの仏教は、六道輪廻を超えるには、煩悩を滅却するという形になっていました。しかし、親鸞の教えは、その煩悩を滅却しようとすること自体が煩悩だだと自覚されました。親鸞以前までは、煩悩は悪いことであって、その煩悩を滅却するのはよいことだ、つまり仏道だと受け止められていました。でも、その煩悩を滅却すること自体が、自我から出てきた煩悩であれば、これは、構造的に煩悩を断ち切ることは不可能なのです。そこで、大きく仏教が転換していくのです。
 南無阿弥陀仏は、言葉としては不完全です。南無は「任せる」ですから、「阿弥陀仏に任せる」ということが南無阿弥陀仏の意味です。そこには、誰が?という主語が抜けているのです。主語は、「私」です。「私が阿弥陀仏に任せる」となって完成します。しかし、それでも、まだ、抜けているものがあります。「何を?」ということです。「私が、何を阿弥陀仏に任せる」のでしょうか?その「何を?」ということは、今日語れませんので、次回までの宿題ですとおっしゃいました。
 まあ、言葉で言えば、「自分の往生淨土の課題を任せる」ということなんじゃないかと武田は思いました。それを非神話化していえば、「自分の物差しを横に置けるようになる」ということでしょう。これが、自分だとか、これが人生だとか、これが日本人だとか、これが正しく、これが間違っているという判断をしながら、人間は日々を生きているのです。自我という世界の国王となって生きています。その国王の眼を横に置く、つまり、自分の物差しを頼りとしないということです。
 ですから、何が究極的に真実であるかという判断を、根本的に阿弥陀様に任せるということじゃないでしょうか。それを「人知を超える」といってみたり、「自力無効を知る」といってみたりするのです。
 自分の自我の殻を脱ぎ捨てて生きるということが、南無阿弥陀仏の意味だと思います。まだ、明日は生きたことがないのです。これは誰でもそうです。まだ明日になってないのですから。
 でも、人間は自我の方程式をもっていて、今日の連続した明日がくるに違いないと推測するのです。まあ、そういう方程式をもたないと社会生活は成り立たないのですけどね。でも、根本的には、明日は誰も生きたことがないのです。それを分かったことのように考えると、逆に生きることにみずみずしさがなくなってきます。その腐りかけた日常を活性化させてくれるのが、南無阿弥陀仏という視座の転換だと思います。
 とにかく、10月30日(日)の報恩講が待ち遠しいです。仏法の獅子吼と、ハンド・ベルの音色に、身も心も任せたいと思います。

2005年5月27日

こんなに苦しくても、すべて私たちが悪いわけじゃないんです。すべて、如来が悪いんです。あらゆる衆生、つまり生きとしいけるものすべてを救おうと誓っているのが如来です。でも、もし、ほんの少しでも苦しみや悩みを感じているひとがいたならば、それは、如来の救済力が足りないということです。救おうという力が弱いからです。私たちには一切責任はないのです。
 まあ如来さんにもいろいろ事情はあるのでしょうから、そうそう、如来が悪いと責めたてるのも如何なものかと、叱られそうですけどね。しかし、そこだけはハッキリ言っておかなきゃならないのです。如来が全部悪いんだとね。
 自分には、一切の責任がないのだ、すべて如来が悪いんだとハッキリ言えないと信仰にならないように思います。如来と人間と、半々で責任を負っていきましょうということだと信仰にはなりません。全部如来が悪い。そう言い切れて、初めて信仰の土台が形成されるように思います。
 全責任を如来に負ってもらって初めて、生まれたまんまの自分を静かに見つめることができます。父を殺した阿闍世王子が、お釈迦様から、「お前には罪はない!悪いのは私のほうだ!」と告白されて、初めて人間として生まれ直したようにです。不思議ですね、自分の罪を自分で負おうとしたとき、罪を負いきれないです。全責任を如来が背負われたときに、初めて、自分の責任を、敢えて負って生きようという心が生まれるのです。しぶしぶではなく、敢えてです。
 人間の感じたり、知っている罪は程度が浅いのです。そんな罪悪感や罪責感は、表層です。そこでは、ひとの顔は暗く浅いです。しかし、もっと深く、人類はじまって以来の罪をイメージすれば、それは、自分の罪悪感くらいでは太刀打ちできません。そこまで来ると、如来が出てこざるをえません。そして「罪悪深重」と表現される悪人と自分が同化してくるのです。
 親鸞が「ただほれぼれと弥陀の御恩」を感じるというのは、その裏に「ただ呆れきった悪人」が裏打ちされています。底無しの罪と、底無しの大悲は同時進行で深まっていきます。宇宙の彼方を目指してすすむロケットのように、人間の知から遥か遠くに突き進んでゆきます。

2005年5月25日

ふたつの時間の流れ。
 往相の時間と還相の時間とがあります。往相の時間とは、普通に流れていく時間のことです。誕生から死へ向かって進んでいく時間のことです。仏法は、そこにもうひとつの時間を開きます。それが「還相の時間」です。無限の過去と無限の未来とが出会い、火花を散らしている〈いま〉という時間です。
 自分が自分にまで成ってきた何十億年の過去、この一瞬も、過去になりつつある〈いま〉です。どこから、その時間が流れてくるのかといえば、永遠の未来からです。一瞬先にある永遠の未来です。あるのは、この一瞬です。そこに過去と未来とが火花を散らして成り立っています。ここは、往相の時間とは質をことにした時間があります。無の時間といってもいいのです。計量することが不可能な時間でもあります。
 こんな時間を頂戴して生きているなんて、素敵なことです。この宇宙が始まって以来、初めての今日を迎えているのですから。永遠へ向かって旅をしている地球号の乗客です。この還相の時間を開かないと、人間は根本的に落ち着かないように思います。看護師さんの見習いの方が、書かれていました。日々の看護で、ちゃんと治るひともいるけど、亡くなる方もいるわけです。そんな方のお役に立てればと思っていますと。しかし、不安です、自信がもてませんと。
 死ぬことは、敗北や不幸なことじゃなくて、永遠の世界へ還ってゆかれたんだと思えなければ、心底、患者と向き合えないように思います。自分が抜け落ちているからです。自分の死をも含めた死生観が必要です。
 地球上の生き物は、全部還っていくのだということです。この娑婆での生活は、仮の生活であって、永遠の世界へ還るためのステップなんだというくらいに思えたらいいと思います。人間の思いや計算を超えた静寂な「永遠世界」へ還りたいと思います。
 死生観は、看護学で教えてもらえないのでしょう。また、お若い方なので、身近な人の死をあまり体験していません。ですから、死ということへの免疫もありません。できるならば、仏法に縁を結んでほしいと思いました。死後の世界をまことしやかに説く宗教へは導かれないでほしいと思いました。死後の世界をいろいろに語れば、それは、この世のことになってしまいます。死後は、人間の思いを超越しているものですから。
 

2005年5月23日

どうして、身内に悪いことが続くんだろうと首をかしげる時期が、人生には必ずあります。周りを見渡してみると、みんなそこそこ幸せそうに暮らしているのに、どうして自分のところにだけ、災難が降りかかってくるのだろうかと、不安になるときがあります。 悪いことが起こると、連続して起こるということはあるんですね。いやいや、世間は広いですから、毎日、おかしなことや、不幸はたくさん起こっているわけです。ただ、それが、たまたま自分の身内の範囲内で起こると、これは、ちょっと変だなぁと首をかしげます。
 旧約聖書に出てくるヨブは、まさに、その典型だといえましょう。家族は死に、自分は病気になり、財産はすべて失ってしまうのですからね。日本人なら、これは必ず、見てもらいますね。イタコでもノロでも、原始的な呪術でもって、見てくれるわけです。この世の原理原則では解けない難問を、呪術者は見てくれるのです。
 しかし、ヨブは見てもらっていませんね。ただ、「神は与え、神は奪う、」といって、人間には神の御心は分からないのだという態度をとります。あそこが、小生の好きなところです。神の心は、所詮人間には分からんのだという諦観があります。まあ一神教の強さでしょうね。この世を生み出し、動かしている原理は神だという強固なベースがあってのことですけどね。そこへいくと、仏教は、何も、この世を仏さんが動かしているとはいいません。縁起だといいます。誰かの作為ではなく、あらゆるものごとは、縁によって動いているといいます。
 何も、神様が、ひとを苦しめるために日照りにするわけじゃありません。洪水にするわけでもありません。そこには、作為のない現事実があるだけです。たまたまそうなっているに過ぎません。身内に不幸が続くのも、たまたまそうなっているだけです。たまたまそうなっているだけなのに、そこにはきっと裏があるに違いないと思うのは、人間の邪推というもんです。たまたまの縁に翻弄され、苦しみため息をついて日々を生きるのです。
 ただ、自分の行いが悪いとか、誰か人間を超えた神仏が動かしているという考えだけは取らないほうがいいと思います。人間は、すぐに物語を作りたくなるんです。先祖の祟りだとか、鬼神が支配しているんだとかね。それは、全部人間の頭の中から出てきた妄念です。先祖を祀らないと祟り、供養すると護ってくれるというギブアンドテイクの物語が好きです。でも、そんな物語にでも頼らないと、自分が保てないというのも人間なんです。連続する不幸に対して、人間は、そのままに不幸を受け止めるということができにくいのです。何らかの理由が欲しいのです。それは、理由があったほうが納得しやすいですからね。でも、ほんとうは、そんな理由はないのですけどね。
 たまたまの縁というのは、「偶然」ということです。そして、この偶然性の方が、この世では圧倒的なのですよ。誕生と死は、まさに偶然そのものです。その中間の生存期間も、ほとんどが偶然で動いているのです。ですから、「偶然性が土台の生き物が人間だ」と開き直らないと駄目です。因果論は、人間の理性の世界だけで通用するものです。つまり、ああすればこうなる、こうすればああなるという因果論はです。
 結局、人間の意識が、ひっくり返らないと駄目です。この一瞬だって、偶然性の賜物ですから。電車の事故も交通事故も、ガンの発病も、すべて偶然性の賜物です。そこには、なんら人為的なものはないのです。人災といいますけど、本質は、偶然性です。誰かが悪いわけじゃないのです。何かが悪いわけじゃないのです。たまたまということが本質なのです。
 このたまたまということによって、人間が癒されていくのです。安田理深先生が、火災に遭ったとき、「隣家の火によってうちが焼かれたでもないし、あいつが焼いたでもない。焼けたということがほんとうだ」というようなことを述べていました。この、たまたま焼けたということに気が付いたとき、根本的に先生は癒されたと述べていました。そこには人為はないのです。もし何らかの人為、つまり加害・被害という問題にとらわれていたのでは、癒しは起こらないのです。
 人間には結果しか教えられていません。因は不明なのです。ただ受け止めるしかありません。

2005年5月21日

またまた、昨夜は藤原紀香主演のテレビドラマ「天国へのカレンダー」を見てしまいました。
 自らがスキルス性の胃ガンにかかりながら、懸命に看護に従事する看護婦さんの役を演じていました。さすが、紀香の演技には感動しました。確かに美人ですけど、中でも彼女の眼がもっている説得力がずば抜けていました。表情のメリハリが、ハッキリしていて、あそこが演技のもっている説得力でもあり、また、所詮、演技だという架空性も保持していて、安心させられるところでもあります。 
 yes today is nice day to die(今日は、死ぬには、とてもよい日だ)という詩が印象に残りました。阪神大震災を契機にして、紀香自身は、自分の役者としての存在を、もう一度問い直したそうです。その流れの中でこのドラマに賭けたわけです。ガン患者役のために、激ヤセして挑戦したといいます。
 ガンは、誰に起こっても不思議ではない病ですから、テーマが普遍性をもっていました。何の前触れもなく、いきなり死を宣告される場合が多いのですから、そのとき、自分はどうなってしまうのだろうと、みんな不安を抱えています。まあ、そんなことを考えても、仕方ないということで、日常は過ぎてゆきます。しかし、ある時点で、どうしても、宣告を受けなければならないときがくるのでしょう。
 それまで、見ないようにして通りすぎてきた、自分自身の死と直面させられるのですから、まさに青天の霹靂というところでしょう。
 やはり、生きている間に、死ぬということを、どれだけたくさん考えたかということが、そのときの、最後の人間の実像として現れてくるのだと思います。人間は、ほんとうは、自分自身の死を考えることができないのです。対象化できないからです。しかし、考えることのできない死をできるだけたくさん、そして深く考えるということだけは許されています。お墓を買ったから一安心という方もいるでしょう。それも少なからず、自分の死をイメージしてのことでしょう。しかし、そこに腰を下ろしていたら、深まりません。
 究極的には、死というのは、一瞬先の出来事です。いつもいつも、日常は、一瞬先の死から未来をもらって生きているのです。死を呼吸しながら生きているのです。死は嫌だなぁと思って、遠ざけようとする意識が、どうしても働いてしまうのですが、それは、間違ってるなぁと感じます。遠ざけようとする意識が、死を必要以上に驚怖する意識なんだと思います。
 ですから、「終わり」から生き始めなければならないのでしょう。生から始まって、死で終わるんじゃなくて、死を原点にして、そこから生を軽やかに生き始めましょう。死を原点にすえると、いろんな御利益が与えられますよ。日本人は、結構、欲求水準が高いです。もっともっとと上を向きたいんです。でも、死を原点に据えると、世界が自発的に動き出します。それを親鸞は、回向の世界と表現します。自分という実体は、どこにも無い、あるのは、世界だけだ、となります。自分を止めてみると、世界が自発的に動いていることにあらためて驚きます。
 そうそう、子どもの頃に熱を出して寝込んでいると、普段はなんとも思わなかった家族の気遣いが、あらためて再発見されてくるようなもんでしょう。ちゃんと朝になると、日が昇って、新聞配達のバイクの音がして、テレビのニュースが始まり、うとうとしていると、やがてご飯を母が運んできてくれたり。普段の今頃は、学校で、友達と遊んでいるのになぁと思いつつ、風邪という非日常性が、日常をあらためて非日常性に転換してくれるのです。自分がここにいなくても、世界はいつもと少しも変わることなく、動いているんだなぁという感慨がやってきます。
 そうそう、千石イエスが、「客観が動く」と言っていたのは、そんなことなのかもしれません。回向ということの、彼なりの表現だったのかもしれません。何も、自分の都合がいいように世間が動き出すということじゃないんでしょう。自分の意志とは別次元で、すべてが他力で動いているのだという感慨なんでしょう。
 まず、自分が止まってみることでしょう。止まってみれば、周りの微妙な動きが分かります。自分も含めて、せっかちな日本人は、止まるのが一番苦手なんですけどね。これは難問ですなぁ。

2005年5月19日

NHKの朝ドラ「ファイト」を見ていて、登校拒否を始めたユウ(娘)の苦悩に感情が動きました。友達との心的トラブルから、教室で孤立してしまったユウ。「もう教室には自分の居場所はない」と感じてしまいました。友達の仲間にいつでも入っていたい、孤立したくない。そのために、自分の感情を押し殺して周りに合せてしまう自分の不甲斐なさ。とうとう、その綻びがちぎれてしまいました。
 初め、お父さんは、なぜユウが学校へ行かないのか分からず。無理矢理、力任せに、登校させようとします。しかし、ユウはますます頑になり、閉じこもってしまいました。そんな彼女の逃げ場は、厩舎でした。そこには、彼女の愛しているサイゴウ・ジョンコという馬がいます。馬と彼女は、無意識のレベルで共感し合えるのでした。
 不登校や登校拒否という問題は、現代社会の大きな問題です。いままでは、子どもは学校へいくのが至極当然で、疑ったことがありませんでした。しかし、それにアンチを訴え始めたのが「現代」という時代です。昔は、こんなことはなかったのだから、親が甘やかした結果なんだという、無責任な発言は、的外れです。不登校は、いつでも、どこで起こっておかしくない時代が「現代」なのだと受け止めなければなりません。
 我が家でも、そういう問題に直面したこともありますし、相談に乗ったこともあります。うちの場合は、教師の体罰がきっかけでした。相談に乗ったひとは、やはり友達との心的トラブルが原因だったようです。
 小生もいろいろと悩み、考えましたが、結論的にいえば、まず親が、「学校へいくのが当たり前」「登校しない子どもは、異常な子ども」という固定観念を捨てることです。それが至難の業ですけど、結論です。勉強がみんなから遅れるんじゃないか、受験にも影響があるんじゃないか、一人前の社会人になれないんじゃないか、そういう不安をまずぶち壊していないと、子どもとの関係は修復できません。
 現代は、国民全体が裕福になった分だけ、子どもに対する投資や期待が巨大になりました。昔は、子どもを放任していたわけじゃないんです。親の仕事が忙しいから、子どもへの干渉が少なかったのです。しかし、現代は、子どもを視野に入れておける時間が長くなった分、子どもを支配することも多くなったのです。愛が十分に行き渡る分だけ、過干渉にもなってしまいました。
 子ども社会の問題は、親社会の問題でもあります。まず、親自身が人間を根底から考え直す時代に入ったということです。
 ひとつには、学校で「死」ということを教えないということが問題です。成長・発展だけでは、子どもたちは、大人社会の嘘を直感します。「なぜ、みすみす死んでしまうのに、いま一生懸命勉強するのか?」。この子どもたちの声なき問いに、真摯に答えていくしかありません。これが答えられて初めて、根本的な不登校の問題を解決したといえるように思います。

2005年5月16日

森達也氏の『「A」撮影日誌−オウム施設で過ごした13カ月』(現代書館発行)に、こんなくだりがありました。
「地下鉄サリン事件前に一度脱会したが、社会にどうしても馴染めず、今度は恋人とともに再出家を果たした。「どうして一度オウムを離れたの?」と尋ねれば、「情欲に負けました」との答えがかえってきた。恋人は今どこにいるのか分からない。上九一色にいないことは確かだが、どこか他の施設できっと修行に励んでいるはずだと彼は言う。
「情欲はもうないのですか?」
「まだあります」
「いずれは消えると思いますか?」
「ええ、もちろん」
「情欲は消さなくてはいけないのですか?」
僕のこの質問に、彼は静かにこう答えた。
「どんなに愛し合った夫婦でも最後は死に別れます。愛情が深ければ深いほど、いずれ死に別れるときの苦しみは大きい。愛という執着は最終的には苦しみに行き着くだけなんです。ならばその愛を断ち切るほうが苦痛も少ない」
 そこまで言って、彼は僕の納得しかねるという表情に気付いたようだ。声の調子が微かに変わる。
「苦痛から逃れるのではなく、大きな喜びに気がつくんです。一緒に修行さえすれば、今言葉にできなかった部分も、きっと感覚してもらえると思うのですけど」(
 この本を読んだとき、やはり、宗教は親鸞以前と親鸞以後とに二分化できるように思いました。情欲を断ち切る方向の宗教と、情欲を受け止める方向の宗教とに。情欲を断ち切る宗教は、突き詰めると死へ行き着きます。「いまある」ことの否定ですから、それは、最終的に死を指向します。
 〈いま〉を完全に受け入れるということがなければ、私たちには、存在の根っこは成り立ちません。問題は〈いま〉なのです。
 先日の集いで、「自分は修行もしいていないし、信ずることはできません…」と発言された女性がおられました。小生は、すかさず「あなたは、もう十分に修行をされてきました。」と返答しました。彼女は、自分の意識としては、別段、滝に打たれたり、坐禅を組んだり、断食をしたりという修行はしてこなかったと考えていたようです。しかし、別に、そんな難しい修行をしてこなくても、生きているということは、修行なのです。毎日、目を覚まして歯を磨き、顔を荒い、脱糞して働き出します。家族と言い争ったり、嘆いたり、大笑いをしたり、買い物をしたり、旅行に出かけたり。こういう日常茶飯事すべは修行です。
 そういう日常の取るに足らないことが、彼女には「修行」だとは見えていないだけのことです。修行はもっと小難しいことをやるもんだという先入観があるのでしょう。
 さらに、いのちの根っこをさかのぼれば、私がこの世へ出てくるまでには、何十億年もかかっているわけです。言い換えれば、何十億年もかけて、目には見えない修行をしてきたといってもいいのです。その修行の結果として、いま人間として生を得て、ようやく満願の日を迎えようとしているのです。それなのに、まだまだ修行が足りないと思い込んでいるのですから、まあ、自業自得なのかもしれませんけどね。
 また、「修行もしていないから、信じられない」という発言は、修行すれば、自分にも信じられるんだという傲慢性が潜んでいます。やはり「知の病」があるわけです。
 この存在に何か、他のものを付け足さないと救われないという発想は根強いです。経験や知識や知力や年令などを、付け足さないと駄目だというわけです。日本人は「教育」が好きですから、どうしてもそういう傾向性になりがちです。しかし、「ある」という存在の根っこの問題には、無効なんですけどね。
 「自分では、修行らしいことを何もしていない」と考えている、その発想を疑ってみたらどうかと思います。信じること以上に疑うことは大事です。疑いが中途半端だと、信も所詮、中途半端です。

2005年5月12日

昨日は、父の3回忌・祖父の33回忌の法事でした。自分が主催する法事が、こんなに疲労するものかと感じました。開始時間が過ぎても、お見えにならない方がいらっしゃるので、お宅に電話をすると、「法事の案内をもらっていない」と言われます。当方としては、お出ししたはずなのですが、先方はもらっていないと言います。そういえば返信の葉書もありません。やはり当方の手違いだったのでしょう。本日、早々にお詫びに伺いました。すると、先方も、自分の落ち度だと考えて、お詫びのために、いま因速寺に向かわれたそうです。行き違いになってしまいましたので、取って返してうちへ戻りました。やっと先方にお会いして、お詫びを申し上げることができました。
 なんとも、テンヤワンヤの法事でした。これからは、親戚も増えることだし、声をかける範囲を狭めたほうがいいのではないかとおっしゃいます。しかし、それを考えると、どの範囲で切り捨てるかという大問題にぶちあたります。あっちを呼んで、こっちを呼ばないということになると、これも如何なものかということになりましょうしね。まあ、最終的には、ひとから悪く思われたくないという名利心が、障害なんですけどね。
 法事は準備段階が大変ですね。御案内文の作成、宛て名書き、返信葉書の作成、会食会場の予約、人数の確認、席順の検討、引き出物の選択と袋詰めに名札つけ等々。まったく、誰のための、そして何のための法事なのか、分からなくなります。法事の主人公は、この世に存在していませんから、法事の中心は空洞なんです。中心は空で、その周りに種々雑多な仕事が展開しているという感覚でした。
 父と祖父は水と油でした。決して、お互いがお互いを受け入れるということは、生涯、なかったように見えました。父(祖父)と娘(母)という関係のところに、父が養子としてやってきたわけですから、その家族は、暗澹たるものであることは、容易に冊子が付きます。母は、ふたつの異性にとっての蝶番であると同時に、愛の十字架によって引き裂かれてもいました。そう思うと、やっぱり、人間は寂しさには耐えられない生き物なのだと、つくづく感じます。
 それは、二人の気質が違いすぎたということも関係していますけれども、やはり、どの角度で人間関係を結ぶかということが決定的なのだと思います。門徒と住職、あるいはご近所同士、あるいは仕事関係であるとか、叔父と甥の関係であるとか、どの角度で人間関係を持つかが、決定的です。
 ただ、やはり、自分を徹底的に客観化できる視座がなければ、どの角度で出会おうとも冷静にはなれないと思います。人間関係を絶対化してしまうと、必ず相手を神秘化します。あんな悪い奴は、死んだほうがいいと思うくらいに偶像化します。相手は、縁によって様々な生育過程の中で、性格が決まってきました。ですから、絶対的なものではないのです。しかし、それが分かっていても、相手を偶像化して絶対化しますね。そうやって絶対化していること自体を客観化させてくれる視座を仏教は提供してきました。
 無明の酔いを醒ましてくれる働きが仏法です。相手を絶対に許せないほどに偶像化しています。それは自分自身を絶対化しているところから起こってくるものなのでしょう。絶対と絶対が衝突するのです。神と神が衝突するのです。
 思いと思いが衝突するだけです。事実はいつも冷静なものです。厄介なものは、いつでも人間の頭だけです。人間の頭を切り換えれば、ほとんどのトラブルはありません。しかし、その切り換えができないんですね。愚かしいことに。だから、どうしても仏さんが必要なんです。仏さんの薬を飲まなきゃならないんですね。

2005年5月09日

毎度のことですが、法事を勤めた後には、疲労感と、「これでよかったのだろうか?」という慙愧の念がやってきます。どれほど美声で読経できても、どれほど法話がうまくいっても、どれほど相手に感謝されていようとも、その後には、悔いる気持ちが湧いてきます。特に、全力投球して、相手にも感謝されて、まったく非の打ち所のない法事であった場合に、強く感じる気持ちです。これは、どこからやってくるものでしょうか。
 確かに、浄土真宗の本質からいえば、法事も葬儀という儀式も必要ないわけです。ただ、南無阿弥陀仏ひとつをみんなが称えていればいいわけです。また、在家仏教ですから、本来、専門の僧侶は必要ないわけです。寺院という伽藍も必要ありません。普通の生活をしていること全体が真宗ですから、それ以上に付け加えるべきものはないわけです。
 以前、友人から、「浄土真宗を実践するなら、寺を出ろ」といわれたことがありました。親鸞のように生涯を在野で生きろというわけです。確かに、それも一理あるなぁと思いました。こんなに後ろめたい気持ちが湧いてくるのであれば、寺を出るのもいいなぁと思ったことでした。
 若いときには、そんなことも思いましたが、いまはそういうふうには考えないようになりました。それは老化のせいかもしれません。ただ、寺を出たとしても、ついて回る問題があります。それは、後ろめたさの払拭です。中世からのテーマでいえば、滅罪の問題です。罪滅ぼしです。生活の澱のようにたまってくる後ろめたさや後悔をなんとか晴らしたいわけです。そのために様々な儀式やシステムを作り上げてきたのでしょう。法事もそのひとつでしょう。亡き人の追善供養という意味合いもありますが、もっとああしてあげればよかったのにとか、自分の不甲斐なさを悔いるという滅罪のシステムでもあります。中世の「魔女裁判」もカタルシスのシステムだったのではないでしょうか。
 しかし、どこまで逃げても、自分というものから逃げきることはできません。たとえ極楽浄土へ行って、「これでよし!」といえたとしても、「よし」といっている自分が残るんです。決して、「これでよし!」とはいわせないものがあります。生きるということは、そういう夾雑物や、澱のような罪と共にあるということなのでしょうね。それを断ちきって、スッキリしたいのでしょうけど、そういわせないものがあります。罪と共にあるということが、本質なのかもしれません。
 生きるということは、殺生を抜きには成り立ちません。嘘をついたり、自分を大きく見せたり、虚偽と分かっていても大儀として語らざるを得ない場面もありましょう。仏教でいう十悪の中には、殺生(他の生き物を殺して食べる)・偸盗(ひとの物を自分のものにする)・妄語(嘘をつくこと)・綺語(奇麗ごとをいう)・両舌(二枚舌)・悪口(ひとの悪口をいう)があります。生きるということは、この罪を抜きには成り立ちません。たとえ、寺を出たとしても、こういう問題から逃げきることはできません。孫悟空はキントウンに乗って地の果てに文字を書きました。しかし、結局、それは仏さんの手の中の出来事だったという話がありますね。あれは、自分からの逃避の断念を語っているのでしょう。
 真宗は、肉体的な修行がありません。ですから、「これをしていれば真宗です」と自他ともに大義名分が成り立ちません。修行があったほうが楽だったんでしょうね。それをやっていれば、とりあえず存在が確保されますから。ひとには出来ない修行をやったから、お坊さんの資格があるのだと、自他ともに認めることができます。しかし、真宗は無の行です。それはゼロであると同時に無限大でもあります。どこまでやってもいいし、何もやらなくてもよいという受容性があります。ですから、何かをしているから真宗だともいえませんし、何もしていないから真宗ではないともいえないわけです。
 それが恐らく親鸞の「非僧非俗」の極致でしょうね。決して大義名分を与えないというシステムです。僧だとも俗だとも認めさせないわけです。居直ることも、自負することも許さないのです。そういう自分は何者か?と問われれば、「影」としてあるとでもいえるのでしょうか。親鸞の言葉でいえば、「因位」でしょう。コトの次元に立つことです。モノの次元に立たないということです。「これでよし」と自認する場所に、自己を置かせないのです。娑婆における存在の根拠をすべて奪うことです。これは、人間にとって恐ろしいことです。人間は存在の根拠が、喉から手が出るほど欲しいものですからね。
 大海原に漂っていたものが、ちっぽけな無人島にたどりつき、そこに存在の根っこを置こうとします。せめてそれくらいは許されるだろうと思って。しかし、その無人島すら奪ってしまうのです。どこにも根がなくなるわけです。
 ですから、自己は何者か?と問われれば、「いま、ここで真宗を学びつつある者です」と答えるしかありません。人生のあらゆることを南無阿弥陀仏の象徴として意味了解していきたいと思っているものです。悔いるこころを引き起こしてくる大本は、自分のこころじゃなかったんです。それは、自己の中に疼いている本願そのものじゃないでしょうか。そうなれば、悔いるこころを絶対化しないで、罪とともに、そのドロドロの湿地帯を生き始めなければなりません。

2005年5月07日

JR西日本の尼崎での列車事故から、十二日が経ちました。民放のワイドショーでは、連日、事故関連の番組を組んでいました。そういったことには、どちらかというと冷静な態度をとってきたNHKでも、今朝は特集していました。
 事故を起こした電車にJR西日本の社員が乗っていたのに、救助活動を行わなかったとか、その後、別の電車区のひとたちがボウリング大会や宴会やゴルフをしていたとか、これは不謹慎だという論調でした。もう、「坊主憎けりゃ、袈裟まで」といった感じで責められていました。まあ、JRもJRなんですけど、それを指弾する側も指弾する側ではないかと思えました。JR西日本の社長さん、自殺しなければいいがなぁと心配になりました。どこかに責任の所在を見つけなければ気が済まないので、社長をボロカスに糾弾していますね。しかし、そう言いつつ、別に社長を責めても仕方ないんだよなぁと、どこかで知りつつやってるんです。矛盾ですね。
 大所に立って見ると、これは、やはり国鉄から、JRという会社へ移行したことの弊害ではないかとも思えます。JRが、利潤追求型の組織に変貌していったということでしょう。電車に乗り合わせていた職員は、自分は「事故を起こした側に属する人間だ」という認識がなかったようです。そういう認識がなくとも、救助活動をするのは当然だといえば、それっきりですけども、恐らく、上司に連絡して、自分はどう動けばいいのか?という指示待ち症候群におかされていたのでしょう。
 それからATS(自動列車停止装置)も新型を導入する予算を大幅に削っていたという、まさに利潤追求型の企業と化していたのでしょう。民営化ということは、こういうリスクを常に負うわけですね。それを見逃してきた国の側にも責任がありましょう。
 今後の動きは、事故調査委員会の報告待ちでしょう。ハード面では、機材の新型化で対応しましょうし、ソフト面では、イジメとも思える懲罰機構を変革していくことでしょう。さらに、安全ということを最優先するような組織に体制替えしていかなければならないでしょう。交差点でも、事故が起きなければ新しい信号は設置されません。いつでも、後手後手の対処が常套です。ということは、永遠に事故はなくならないということでしょう。
 それにしても、事故を起こした側を追求するマスコミは、発狂的ではないかと思えます。まあ、これほど善悪がハッキリ分かれる事故もありませんからね。マスコミにとっては、またとない餌食を見つけたわけです。彼らも、要するに視聴率を上げるためならばどんなことでもするという企業体ですからね。安全か視聴率かと天秤にかければ、視聴率に加重がかかる場合もあるわけです。そういう意味では、JRを批判する資格はないといえます。そういう、自分の側の罪には無感覚で、獲物を探すハイエナのような有り様に、憤りも感じるわけです。
 マスコミは常に善の立場に立って、悪をたたき潰し、大衆を煽るわけです。当事者でもないのに、当事者の眼を盗んで、指弾し、そこに大衆を巻き込んで煽るわけです。せめて、そういう煽動には、冷静でありたいと思います。しかし、不景気な世の中ですから、みんなハレがほしいんですね。一気に爆発したり、一気に盛り上がったり、一気に鬱陶しさを晴らしたいという欲求がたまってます。そのガス抜きの作用を与えてくれるものならば、対象は何でもいいといった感じですよね。
 北朝鮮を経済封鎖しろ!とか、外国に首相の靖国参拝をとやかくいわれる筋合いはねえや!とか、死刑制度は絶対堅持!とか、いろんな、対象をガス抜きに使おうとしています。だいたい、いつの時代にも、この種の鬱陶しさはつきものなんです。時代のトーンとしての鬱陶しさは、別に不景気だからとか、右傾化しているからとか、おかしな犯罪が増えたからというだけの問題ではないと思います。どの時代にも、いつでもある、基調音としての「鬱陶しさ」なんでしょう。それは、自分のいのちが死へ向かっているいのちであることを無意識の内に知っているからです。どれほど、この世的に「意味のあるもの」であっても、それをあざ笑っている死があります。しょせん、それが何になるんだ!とほくそ笑んでいる死があります。この死に見入られれば、この世のあらゆるものが、色あせてしまいます。
 そういう重圧が、生活の節々で感じられるのでしょう。それが澱のようにたまってゆき、どこかの時点で爆発を期待しているんです。どうせやがて死を迎えるのであれば、自他ともに死の世界へ道連れにしようとするテロリズムです。
 そういう流れから身を遠ざけることが大事だと思います。それには、死をやがてやってく悪魔と見るのではなく、自分の還るべき世界であると受け止め直すことです。百八十度、立場を変えて見るということです。今度の事故では107名の方が亡くなっています。一度に大勢の方々がなくなったのでニュースになりました。あれが一名であれば、マスコミの餌食にはなりません。しかし、現実にはたったひとりの死があるだけです。そのひとにとっては絶対的です。
 さらに、事故がなくても人間は必ず死ぬということです。そして、最終的には、誰が悪いということではないところまで縁はつながっています。刑事的に事故の原因が分かったところで、そのひとたちにとっては何の意味もありません。事故の原因をひとつに決めなければ、裁くことができないので、一応の原因は特定します。しかし、縁は無量無数です。たまたま、あの電車に乗ってしまったとか、たまたまオーバーランしてしまったとか、たまたま運転手が速度を超えたとか、たまたま、そこにマンションが建っていたとか、たまたま臨界点を超えてしまったわけです。この「たまたま」という縁を積み重ねたとき、臨界点を超えて大惨事になったのです。ほんとうの原因は、その「たまたま」にしか還元できません。
 もっと突き詰めれば、「たまたま」この世に生まれたということが死を決定的なものにしてしまったという事故の始まりなのです。

2005年5月0
5日

「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。」
 この歎異抄・第九条の言葉が、近頃、小生のこころの中に浮かび上がってきます。この言葉は、『教行信証』を書いている親鸞からは、想像できにくい言葉ではないでしょうか。確かに、『教行信証』の執筆の動機が、師匠法然の弁明・弁護ですから、どうしても他者に対して向かっていくトーンが高くなりますよね。それでも、愚禿悲嘆述懐といって、「悲しきかな愚禿鸞…」という内省の深い言葉もあります。しかし全体を占めるトーンは、義を立てるというアグレッシブなものを感じます。
 この歎異抄の言葉は、どうしても、他者へ向かっていくトーンからは生まれてこないように思えます。この言葉を表現したひとのこころは、他者よりもっと遠くの深淵に向かって、その深淵を覗き込みながら、モノローグとして語られているように思えます。喜び勇んで、西方極楽浄土へいくんだ!という感情の高まりからは、身を遠ざけています。どちらかといえば、感情の高まりを冷却する作用を持ちます。「進むは極楽、退くは無間地獄」とムシロ旗を掲げて突進していった一向一揆の人びとの、その感情の高まりを冷却する作用をもっていると思います。
 煽るというよりも、覚ますのです。そして、このフレーズは、決して、ニヒリズムに陥っていないというところが、またいいところです。主張の基本的な骨格は、ひとはみんな浄土を願って生きているんじゃないかと呼びかけて、「生きる意味は何か?」を問わせます。そして、最終的に人びとが、「それじゃ、浄土を目指して生きよう」と向きなおったとき、実は、ひとは、浄土を目指して生きたいなんて願えないものなんだよとひっくり返し、更に、でも、そう願えないものだからこそ、実は浄土に生まれる資格をもっているんだと翻転してゆきます。この翻転構造が基本的な骨格です。
 「ひとはみんな浄土を願って生きるものだ」という理念から、はずれてしまうのが人間じゃないかと絶対に肯定してゆきます。ですから、理念の方に身を寄せずに、そのままの人情の方に重心を置かせます。そのときの視座は、いわゆる如来からの視座になっているのでしょう。人間が人間を対象化した視座ではありません。人間から見れば、人生は無意味でしかありません。突き詰めれば、死ぬために〈いま〉を生きているのですから。その無意味な生を、有意味にするわけではありません。無意味と有意味を分断して受け止めている知、そのものを翻身させるわけです。
 「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。」と声に出して読んでみると、どうしても、自然に、こころが落ち着いてくるのはなぜなのでしょうか。それは、完全に人間の理知が超えられているからではないでしょうか。そして、落ち着いたところで、いま・ここ・自分を、新鮮な頂き物として、あらためて受け止めることができるからではないでしょうか。
 それは、一点一角も変更することのできない、そのままの、存在まるごとの肯定感覚が底流に流れています。その流れの中から、「なごりおしくおもえども…」とトツトツと語り始められているように思えます。
 さてさて、今朝は、どんなふうに聞こえてくるのやら。

2005年5月03日

■今月のことば■ 
エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた服着、手袋と袖)の間にちらちらと見える肌の間歇、誘惑的なのは、このちらちら見えることそれ自体である。更に言い換えれば、出現−−消滅の演出である。                                                       ロラン・バルト (『テクストの快楽』) 
 小生は、エロスということを使う場合があって、みんなを色めかすことがあります。結構、みんな喜んでくれたり、騒いだりと、感情の揺れを体験する言葉が「エロス」という言葉です。もともとは、ギリシャ神話の登場人物です。辞典にはこんなふうに記されています。「彼の持つ弓矢には魔法の力があり、金の矢で射られると誰でもエロースの選んだ相手を激しく恋するようになり、鉛の矢で射られると激しい憎しみを抱くようになる。ある時、彼はたまたま金の矢で自分にかすり傷を負わせてしまい、後に妻となるプシュケと恋に落ちた。」(ギリシャ神話小辞典より)
 また、ギリシャ語で、アガペーと対置される場合の「愛」を表現しているようです。
 男女がなぜ惹かれ合うのかというのは、人類永遠のテーマだったのでしょう。その現象を神話的に表現したのが「エロスの物語」なのだと思います。そこには、ふたつのまったく別のものをひとつにしようとする運動があります。
 それを丸山圭三郎さんは「欲動」と呼んでいたようです。仏教的にいえば、「菩提心」でありましょうし、瞬間的な欲動から永続的な欲動まで、幅の広い概念として「エロス」は使えると思います。私たち浄土真宗の教学でも、「欲生心(ヨクショウシン)という言葉を大切にします。人間を生かしている根元のところにある「欲」をエロスという言葉で小生は了解しています。
 ロラン・バルトがよく、そのエロスの現象を解明してくれています。エロスはどこにあるかといえば、「チラリズム」だというのです。それを「間歇」という言葉で語ります。手鏡を使ってスカートの中を覗いた教授がいましたが、あのひとは、その「チラリズム」の衝動に身を任せていました。恐らく、浜辺でビキニ姿の女性を見ても、彼の食指は動かなかったはずです。そこには、間歇がないからです。ひとのエロスのありかは、いつでもこの間歇のところなのでしょう。
 「出現−−消滅の演出」とバルトはいいます。いつでも出しっぱなしの状態には、人間はエロスを感じません。民俗学の概念でいえば、ケの状態を人間は望んでいるのですが、ケはケの状態を保てません、やがてケが枯れてゆき、ケガレの状態になります。平和がいいのですけど、平和に飽き足らないものを感じてゆきます。幸せという状態は、それが当たり前の日常になってケガレてゆくと、苦しくなってきます。そこで、ケガレを一気に突破してハレをもたらそうと欲動していくのです。
 ですから、ケの状態を一気に消滅させてハレの状態を垣間見たいのです。そこにエロスがあります。しかし、ハレもいつの間にかケの状態へと転落してゆきます。こういう、出現と消滅の運動のところにエロスはあります。
 仏や浄土というものも、出現と消滅のところにあります。仏は、常に私たちを救おうと、四六時中はたらいているのでしょう。しかし、私たちからすれば、救いの手の中に入っていることを望みません。救いを希求するのですが、それが叶ってしまえば、救われた状態がケの状態になってしまいます。苦しみから救われた瞬間はよくても、その状態が永続すると退屈してくるわけです。仏の手の中から脱出したくなるのです。極楽ほど退屈な場所はなくなるのです。ですから、その極楽から、もう一度、苦の場所に戻ってこなければなりません。来たくなるんです。
 この苦の娑婆の場所に、時たま極楽が垣間見られればいいわけです。まさにチラリズムの極致でしょう。親鸞は、『入出二門偈』というものを書いています。あれは、この世を出るための門と、この世へ還るための門と、ふたつの門を表現しているのではないのです。門はひとつです。ただ、その門のところに、極楽と娑婆とのチラリズムがあることを語るのです。門が見つかれば、それでいいわけです。門さえあれば、極楽に行く必要がなくなります。
 寒くとも/袂に入れよ/西の風/弥陀の国より/吹くと思えば
と親鸞は謡ったと伝承されています。生活実感として、門を感じ取ったところからの表現だと思われます。深く静かな往生人のすがすがしさを感じます。

 

2005年5月01日

竹の子堀りに誘われて、こどもと一緒に行ってきました。午前五時三十分に集合し、自動車で市原(千葉県)の山へ向かいました。国道から脇道入り、知る人ぞ知るポイントへ到着。鬱蒼とした竹林が待ち構えていました。しかし、そこには、「無断立ち入り禁止。不審者は警察に通報します」という看板が、下手な文字で書かれていました。恐らくこの山の地主さんが書いたのでしょう。「先週まではこんな看板なかったんだけどなぁ」と先輩たち。この山の地主さんも、他人が竹の子を取るのことには、それほど不服はないと思われます。適度に間引かないと、竹林が過密になって、入山することが不可能になりますからね。ただし、マナーが悪く、ゴミを捨てたりすることで怒っているのだと思います。小生たちのキャラバンは、みなマナーのいいひとばかりでした。それでも、もし運悪く発見され警察が来たら、どのように新聞報道されるのだろうと不安にもなりました。「寺院住職、不法侵入、竹の子窃盗!」なんて見出しが出たら、嫌だなとも思いました。でも、そんな看板を見つけても、目の前に孟宗竹の林を見てしまえば、不安ながらも、ズルズルと山に入ってゆきました。
 ひとりずつ軍手をはめ、鍬をもって、思い思い竹林に侵入していきました。こういうポイントは口コミで広がっていくのでしょうね。先人たちの掘り返した後が、たくさん見つかりました。「ずいぶん、ひとが入ってるね…」と先輩。それでも、地面を丁寧に、顔を出しかけている竹の子を血眼になって探して歩きました。すると、こどもが、見つけました。彼は、一生懸命掘り出しにかかりました。つるはしが一本だったので、順番に掘ればいいやと思っていました。少し掘ると疲れたので、小生に代わりました。初めは、竹の子堀りに、さほど喜びも感じていませんでした。しかし、実際に体を動かして、掘り出しにかかると、これが、またたまらなく面白いんですね。一気に、竹の子堀の魅力が分かったような気になりました。
 一本掘り出すと、次の獲物はないかと、必死になって探し回る飢えた竹の子ハンターに変身していました。そして次の獲物を見つけたとき、「あった!あった!」と思わず声が出てしまいました。発見の喜びが湧きあがってきました。先輩がつるはしを改良して作ったという、「竹の子堀り専用つるはし」でもって、掘り始めます。真ん中の竹の子を傷つけないように、周りから丁寧につるはしの先端を土に差し込みます。しかし、竹は地下茎が毛細血管のように絡み合っていて、なかなかうまく掘り返せません。右から左へと少しずつ場所を移動しながら、掘り返してゆきます。土が退けられていくと、徐々に竹の子の姿が現れてきます。もう、手で揺するとグラグラとしてきます。しかしここからが難しかったです。もう十分にぐらついているので、鍬を下に差し込んでテコの要領でボキッと掘り起こします。でも、根っこの部分が半分に折れてしまいました。何度やってもうまくいきませんでした。これが、竹の子堀りの名人と素人の違いだというわけです。
 総勢五人で、竹林に入ったのですが、みんな竹の子ばかり探して地面を見ているので、他人がどこにいるのか分からなくなるんですね。もう他人の存在なんかかまってられないといった感じです。誰かが、もうそろそろ上がろうと言い出すまで、いつまでも竹の子を探しているのです。大の大人が、竹の子堀りに血眼になっているのは、どうしてなのか。その魅力の一端を垣間見ることができました。
 これは、間違いなく縄文人の血ですね。狩猟採集生活をしてきた縄文人の血が騒ぐわけです。近代人の自分は、そんなことはどうでもいいじゃないかとタカをくくっていたのです。竹の子なんか、八百屋さんにいけば、いくらでも売ってるじゃないか、早起きして、汗だくになってまでやるようなことじゃないと。しかし、一本の竹の子が小生を変えたようです。自分でも気づくことがなかった縄文人の血が、ふつふつと沸き立ってきたのです。「念仏は、原始人の叫びだ」とおっしゃった曽我量深先生の気持ちが分かったような気がしました。近代の鎧の下には、間違いなく原始人の私自身が生きているのです。人間は、やっぱり捨てたもんじゃないなと思います。
 孟宗竹が終わりると、真竹(まだけ)、さらに淡竹(はちく)のシーズンが到来するそうです。先輩たちは、竹の子のシーズンになると、妙にウキウキして待ち遠しさにソワソワするのだといいます。欲動するものがあるということは、なんと素敵なことじゃありませんか。

2005年4月29日

老人介護の落とし穴について、三好春樹さんが語っておられました。これは三好さんを大きく変えた問題でした。特別養護老人ホームに勤務していたときの話です。敬老の日になると、必ずどの施設にも偉いさんがやってきてお祝いの言葉を述べるそうです。そのときの決まり文句は、「皆さんはこれまで社会に貢献されてこれらました。そのお陰で私たちの今日があるのです…」だそうです。
 ところが、三好さんが勤めていた施設には千代松というヤクザがいたそうです。このひとは、社会のために貢献したことはひとつもないわけです。ですから、社会貢献度はゼロです。もし社会貢献という基準で見れば、千代松さんは敬老されないことになります。ひいては、存在価値はゼロという考えに傾斜してゆきます。しかし、このゼロのひとが、いまここに生きているということの意味を回復できなければ、本当の老人介護は成り立たないと感じられたそうです。
 近代社会は、社会に貢献したかどうかという判断だけで、老人の存在価値を計っています。この「近代」という視座が、実は老人介護の落とし穴だと指摘されていました。
つまり、それは役に立つか立たないかという価値基準です。しかし、人間が存在しているということは、その価値基準だけでは成り立ちません。他人に迷惑を掛けっぱなしで生きているひとはたくさんいます。
 しかし、面白いですね、老人介護の問題をつきつめてゆくと、阿弥陀さんの本願の世界につながっていくのです。つまり、一切衆生の救いを阿弥陀さんは約束しています。そこには、どんな人間も、また、どのような生き物も、そこに「ある」ということで十分だという満足を与えようとします。
 この問題が解けなければ、老人介護は成り立たないと三好さんはいいます。この発言は、阿弥陀さんの本願に目覚めちゃったところからのメッセージじゃないかと小生は受け止めました。誰でもが、存在の意味を十分にくみ取れて、その場に安心していることができなければ嘘だと、三好さんに感じさせたもの、そういう作用を擬人的に「阿弥陀さん」と呼んでいるだけのことです。
 でもあまり、「ある」ということで十分だといいすぎると、今度は「生きてるだけで丸儲け」という発想に傾斜していきますから、これまた厄介ですね。もう、生きているということを損得の価値基準で受け止めようとする「近代」の視座に、またまた転落してゆきます。そういう「近代の視座」を剥奪され続けていくということが生きるということなのかもしれません。
 思いどおりに動かない社会、思いどおりにいかない家族、思いどおりにいかない人生、そして、思いどおりにいかない自分自身。しかし、それがどんなに不可解なものであっても、そこに現前として「ある」んですね。人間の価値基準から考えるのではなく、「ある」の方から見直さなければならないのでしょう。
 早くお迎えが来てほしいと語るおばあちゃんがおられます。小生は、そんなとき「いのちは自分のものじゃないから、縁の尽きるところまで生きる責任があるんですよね」と応答することにしています。自分自身は、ひとに迷惑ばかりかけて、何の役に立たなくても、生きるという責任が与えられているわけです。「体が先、頭は後」です。

2005年4月27日

神戸で、また大惨事が起きてしまいました。阪神大震災といい、今回(4・25)の電車事故といい、なぜ神戸なのかと不思議に感じました。
 まだ、原因は不明ですが、起きてしまった事故は、無化することはできません。時間を逆戻しすることはできません。81人の方が亡くなり、数百人が怪我をされているのですから、ただただ、驚きと哀悼の気持ちを感じる以外に為すスベがありません。
 私たちはいつでも、こういう事故に出会ったとき、「なぜ?」と問います。「なぜ起きてしまっのだ?」と。そして事故原因の追求と、その責任の所在と追求、さらに再発防止の方策へと動いてゆきます。これは、どんな事故でも同じ形をとります。しかし、おそらくどのような原因が報じられても、それでは満足しないものが残ります。原因を追求する「なぜ?」ではなくて、「なぜ、自分の身内が?」という問いが残ってしまうからです。この問いは、誰も答えてくれません。
 私たちを取り巻く機械文明が、人間の予想通りに動いている間は、問題はないのです。しかし、一旦、その歯車が狂い出したとき、人間に牙を剥く凶器ともなるのです。あまりにも、凶器の面を忘れてしまっていました。まさに、機械は諸刃の刃です。便利ということが、あまりにも常識になってしまって、凶器の面を完全にそぎ落として受け止めてきたのです。便利と凶器は裏表です。
 自動車・電車・船・飛行機・パソコン等々の機械を提供する側は、安全には十分に気をつけていますといいます。しかし、事故は永遠になくなることがありません。利用者も、絶対の安全などはありえないと、どこかで知りつつ利用しているわけです。これは機械文明を甘んじて受け入れてきた我々全員の課題でしょう。
 以前、9・11のテロのときに、吉本隆明さんが「存在の倫理」ということを語られました。大雑把にいえば、そこに居合わせたということで、責任があるというのです。あの鉄道を敷設したときに、その現場はたくさんの危険があったはずです。十メートル敷設するのにどれだけの地中の生き物を殺したことか。鉄橋を通すために作業員が怪我や死亡するという犠牲を払い、自然や人間にどれだけの圧迫を与えてきたかと思います。「ひとつ鉄橋には、必ずひとり以上の犠牲者があったと思え」と聞いたことがあります。線路の敷設や道路の架設や空港の建設等には、そこに犠牲と危険が伴います。その犠牲と危険は、いかにも安全に運行されているように見える鉄道であっても、そこに停滞し保持されているのだと思います。
 たとえば、マンションの八階に住んでいるひとは、絶えず八階から落ちるという危険を保持しているようなものです。建築現場の八階の危険が、いまでも保持され温存されています。決して、危険は建築現場にだけ存在するわけではありません。その構築物や機械が、出来上がってしまっても、なお、同じように、同じレベルで保持されているのでしょう。いかにも美しく安全に出来上がっている構築物(機械)であっても、その内部には、危険と犠牲が渦巻いているのです。
 人間は原始未開の時代から、機械を発達させて文明社会という人間独自の世界を作り上げてきました。そこには、もはや原始未開の残滓はなくなったかのような錯覚があります。しかし、今回の事故を見ても分かるように、なんら変わっていないようにも思えます。電車で押しつぶされた人びとが流した真っ赤な血を見たとき、そう直感しました。 どこにも安全地帯はないのだと思いました。個人の死は、時代を揺さぶりません。いつもの新聞の三面記事の下に載るだけです。しかし集団の死は時代を揺さぶります。「大惨事」と評されます。しかし、身内を亡くした方々にとっては、個人の死としてしかありません。それが「大惨事」と評されようと、なんと評されようと、かけがえのないひとりを失ったのですから。
 まったくこの世には安全地帯はどこにもありませんね。それは、私たちの生が、「死」を本質として成り立っているからです。危険は、外部に存在しているわけではありません。外部にあるのは、様々な条件です。内部にたったひとつある原因は、「死」です。「死」を本質としている私があるからです。たとえ電車事故でなくても、ひとは必ず死んでゆきます。
 これは、仏教者だから言うのではありません。「生の本質は、死である」と、あらためて、つくづく、激烈に見せつけられた思いがしました。

2005年4月24日

親鸞には有名な「悪人成仏」(悪人が成仏する)思想があります。まあ、何の先入観ももたずに読めば、「いい奴よりも悪い奴が素晴らしい浄土に往生して仏さんになる」なんて、まったくふざけた思想だとなります。
 しかし、これは親鸞の作り出したキャッチフレーズなんです。まず、ひとを驚かすということです。常識とは、真反対のことを言ってあっと驚かすということです。まさに奇をてらったキャッチフレーズです。親鸞には、こういう茶目っ気があります。肖像画からは想像がつきませんけどね。
 そういう茶目っ気を弟子は見逃さなかったんでしょうね。歎異抄の第一条や三条などで、「悪人こそが救われる」と書かれているわけですけど、あんなこと、毎日語っていたわけではないでしょう。弟子と親鸞との間にできあがった、ある緊張した場の中で語られた言葉、あるいは、聞きとられた言葉なのでしょう。ですから、今日、親鸞といえば、「悪人成仏思想」とステレオタイプになっているのを知ったら、親鸞は苦笑いをすることでしょう。
 ともかく、親鸞が語る「悪人」は、自分もその中に含まれている悪人なんですね。客観的に、あいつが悪人で、あいつが救われるんだよということは言っていません。また、自分を自己弁護する意味で「悪人」を使ってもいません。「悪人なんだから、悪いことをするのは当たり前なんだよ。仕方ないんだよ…」というふうな文脈ではないのです。
 ですから、理性的に反省したり内省したりする文脈ではありません。もしその文脈で読んでしまうと、「悪人だから、駄目なんだ。でもその駄目な、箸にも棒にもかからない悪人を助けてくれるのが阿弥陀さんだよ」と三段論法のおとぎ話になってしまいます。親鸞がイメージしていた「悪人」は、おそらくもっと深みのところにあるものだと思います。
 しかし、いつも思うのですが、「悪人」ということを概念的に、あるいは教理的に論証していこうとすると、どうもキナ臭いことになるのです。「悪人は、悪人の自覚なんだ」と言ったとしましょう。すると、悪人の自覚をもった人間が、本願による救いの条件になってしまいます。あるいは、悪人の悪の概念を解きあかしていくと、いつの間にか、知らず知らずのうちに自分が善の立場に立ってしまうのです。悪人とは、万人のもっている悪だと定義すると、どこかで自己弁護になっていきます。つまり善の立場に立ってしまいます。
 ですから、親鸞もあんまり大声で「悪人成仏」ということを語っていたとは思われません。裏声で、あるいは小声で、こっそりと語っていたのではないかと思います。たまたま弟子は、その囁きを聞き漏らさなかったのではないでしょうか。親鸞にしたら、「やられた!まいった、まいったなぁ」といったところでしょうか。それが、親鸞の本質的な思想なだけに、たまたま漏らしてしまった本音を弟子に聞きとられてしまったことへの気恥ずかしさがあったのではないでしょうか。気恥ずかしさと同時に、唯円!お前は大したやつだ!という讃嘆も含まれていますね。
 そのへんのモチーフが感じられるのは、自然法爾章の「つねに自然をさたせば、義なきを義とすということは、なお義のあるべし」という箇所です。ここでの文脈は「自然」ということで語られていますが、それを「悪人」と読み替えてもいいです。それを解釈していけば、やっぱり、理屈になっちゃうということです。理屈ということは、善人の論理になっちゃうということです。親鸞が「愚」という象徴言語で自らの思想を語るとき、その対極にあるのが、「義」でありまして、それは理屈であり、善人であるわけです。 ですから、「悪人」を解釈し概念化していくときに、必ず陥るところが、「善」の立場です。あの「造悪無碍」(仏さんは悪人を救うのだから、悪いことしても、何にも問題ないよという立場。)であっても、悪いところは、悪を行うことを善とすることですからね。行為は造悪であっても、思いは「善」なのです。世間的に問題になるのは、悪でしょうけど、宗教的には善が大問題です。悪は自覚化しやすいけれども、善は無自覚な罪なのです。
 その善にあえて立とうとしたのが、お釈迦さんの初転法輪かもしれませんね。つまり、初めて悟りを言語化したということです。理屈でもって、言葉にならない悟りを表現していくわけです。覚めてみれば、どれほど理屈をこねたとしても、それはまったく真理以前だと思われたのでしょう。もし、言葉に真理が含有されていれば毒にもなりましょうけど、自分の吐き出す言葉はすべて無内容だと覚めたのでしょう。まったく真理とは絶縁されていると。だから、自由に言語表現がなされたのでしょう。
 おそらく唯円さんもそういう体験をもたれたのでしょうし、親鸞もそうだと思います。あえて、言葉の仏を本尊としたわけですからね。南無阿弥陀仏という象徴言語にすべてを託したわけです。
 それは、終生を善人の立場に捧げたといってもいいでしょう。言葉の側に、知の側に、善の側に身を置いて、「善の含有している悪」を語っていったのでしょう。

2005年4月
23日

自分のいのちの源をどこまでさかのぼれるのでしょうか。父母、祖父母、曾祖父母、高祖父とやっていくと、どんどんイメージが広がっていきます。しかし、いのちが細胞という物質に還元できるかといえば、そうでもないようです。かといって、魂のようなものが、肉体に宿るというイメージも不気味です。
 田口ランディさんも語っていましたが、卵子と精子が初めて合体するとき、バッと膨らんで輝くという、あそこが自分のいのちの源なのかもしれません。あそこで初めて自分が自分になるということがイメージされるのかもしれません。
 ともかく、その自分のいのちの源のところに、すべてがあるように思えます。つまり、「ある」ということを如何に確保するかということです。この世にいのちとして成り立ったということの原初にあったであろう「ある」ということを如何にして取り戻すかということです。
 芹沢俊介さんがおっしゃるように、「する」という前に「ある」ということの方が絶大な問題なのだと思います。親鸞の目指していたところも、そこにあるのだと思います。「ある」ということで十全に満たされれば、如何に行為するかということは、おのずからバランスのとれたものとなっていくということでしょう。
 歎異抄13条では、その問題が「宿業(シュクゴウ)」ということで展開しています。どのような行為も、自由意志を離れた次元、つまり「宿業」にあると語ってきます。前世に、悪いことをしたから、いま苦しむのだという解釈が「宿業」ということではありません。不思議と思えるほどの無量無数の条件によって、〈いま〉が成り立っているのだという存在了解を「宿業」といいます。
 ですから、いかに、「意志するか」ということも、様々な条件によってコントロールされているのだから、そもそも「自分」という実体的なものは存在しないということでしょう。
 「ある」ということをつきつめてゆくと、どうしても「ない」というところへ行き着くのです。私たちは「ある」というイメージをつきつめて、どこかに「自分」というものを見出そうとします。しかし、そのイメージをつきつめてゆくと、どんどん極小になっていって、ミクロになっていって、最後には雲散霧消します。そして「ない」というところに落ち着きます。
 そして、そこから、もう考えることもできないようなところにいったところから、もう一度、「ある」へ還ってきます。「ない」というところから、帰って来た「ある」は、実に居心地のよいものに変わっていました。
 どこにでも「ある」ことができるようになりました。「ない」を根拠にすると、どこにでも安心して「ある」ことができます。逆に「ある」ということを根拠とすると、「ある」ことに安心感がもてないのです。まったく逆説的です。ここに存在のミソがあるように思います。
 自己存在の中に、全人類の要素が納まっているという感覚です。あるいは、自分の分身が全人類であるというイメージです。自分の中にブッシュも、金正日も、ヒットラーも、浅原もあるわけです。自分が毛嫌いしている人間が、自分の中に要素として納まっているのです。こんな感覚はどうなんでしょうか。そういう感覚にひたっていると、「自分」とか「オレが」という、凝り固まった塊のようなイメージが、溶解し出します。溶け出して、ドロドロの状態になっていきます。このゲル状態こそが、生命を育み、生命としてムクムクと隆起させてきたところのカオスではないでしょうか。
 猫が側にいるのですけど、この猫が小生であってはならないという、なんらの必然性もありませんから。 

2005年4月22日

河合隼雄(心理療法家)さんがこんなことを言ってます。
「いま、自分の思いどおりにいくことがありすぎる時代です。お金さえあれば、だいたいのことができます。ところが、いくらお金があっても、絶対に思いどおりにならないのが家族であり、とくに自分のこどもです。」と。
 まあ現代の日本は「豊かさの中の悲劇にある」ということはよく言われることです。「物質的豊かさと、こころの幸福感は別物だ」とも言われます。アメリカが建国されてから200年かかって作り上げた豊かさを、日本はなんと戦後60年で達成してしまったことのツケなんですね。外面はアメリカ、内面は日本人ということでしょう。その矛盾が社会全体に噴出しています。
 資本主義は、ともかく、ひとの欲望を即座に叶えてあげようという運動です。仏教的にいえば、煩悩(貪欲)をすぐに実現させてあげようというものです。そのために機械文明をより高度に発達させてきました。人間が、機械を使い始めることによって、便利になった反面、ズボラになりました。むしろ、ズボラになることを理想としているわけてず。モノグサになり、ズボラになり、横に寝そべっていれば、なんでも出来てしまうことが理想だというわけです。
 ワープロができれば、人間の脳は漢字を忘れてズボラになるようになっているのです。車ができれば、足腰を使う必要がなくなり、徐々に動かなくなってくるのです。便利がいいのだとやってきた社会が行き着くところは、実は人間から筋肉系をそぎ落としていく結果となりました。脳と消化器系と若干の筋肉があれば、よいといった感じですね。
 ですから、ひと昔前まで農村地帯では、ジョギングやウオーキングをしているひとを見かけませんでした。生活そのものが、運動と結びついていました。そういう運動をしているひとは、都会に限られていました。
 それはともかく、河合さんがおっしゃるように、現代は「思いどおりにいくことがありすぎる時代」です。ですから、ちょっと自分の思いどおりにいかない現実に出会うと、人間の知そのものがパニック状態になるのです。ものすごく、その感覚が鋭敏になっていて、アレルギー反応のように、パニック状態がやってきます。よくキレルということが言われましたが、それもひとつの反応でしょう。また、幼児虐待もしかりです。頻発する殺人事件の深層にも、その反応があるように思います。
 思いどおりにいく現実も大好きですけど、もうひとつ、思いどおりにならない世界をどのように見出していくかということが大切なように思います。資本主義では、思いどおりにならない世界は、損失・マイナスと評価されますけど、それだけでは、人間は生きられないわけです。河合さんがおっしゃるように、「家族」は思いどおりになりませんね。だいたい、出発点が、思いを超えたところから始まっていますからね。なぜこの家に、またこの夫婦の間に生まれたのか、なぜ日本人として、なぜ男であり、女であり、と問うてみても、答えがでません。さらに、自分自身の死ということになれば、それこそ思いどおりにはなりません。
 そういう思いどおりにならない世界に、実は素晴らしい輝きがあるんだということを再構築していかなければならないでしょう。資本主義を止めて、ということは不可能です。やはり人間には欲望がありますから、よりよい生活よりよい社会へという欲求は大切にしなければなりません。しかし、それは、共同幻想だというくらいに考えておいたほうがよろしいでしょう。その欲望は、際限がありません。世界人類全体が幸せになるという理想はあっても、なかなか実現は難しいでしょう。さらに、食い物にされている牛や豚や鳥や魚の幸せはどうなるんだということもあります。どこまでいっても、娑婆は娑婆としての限界があります。まあ、どちらが本当の世界かといえば、自分の思いを超えた世界なのでしょう。その世界を、育て、豊かにしていくことが、これから望まれます。
 河合さんは、面倒くさいことをあえてやる楽しみがあるんだとおっしゃっています。結婚生活も面倒なことです。家族を生きることも面倒です。そもそも生きるということ自体が面倒なことです。この世で一番面倒で、無駄なことは、生きるということです。結局、死ぬために生きているわけですから。しかし、その面倒なことをやってみるというのも、この世に生まれた味わいというもんじゃないでしょうか。
 「何のために、そんな面倒なことをするのか?」と言えば、仏に成るためです。教義的な「仏」の定義を言いたいのではありません。どれほど定義してみても、その定義には納まらないものが「仏」です。記号として「X」と言ってみてもいいでしょう。「仏」というと、既に先入観と固定観念を抱かせてしまうので、Xと言っておきましょう。
 自分は、Xに成るために日々の苦行をやっているのだと理解したいと思います。そのXは、ひとが代わって成ることはできません。自分だけにしか成れないのです。人類の顔がすべて異なっているように、自分は自分独自のXになるのです。Xは自分にとって、理想というわけでもありません。ですから、Xに成るんだと力む必要はありません。別に目的意識的にXを考えては駄目です。 
 ただ、自分が、今日、ここに生きて行為しているすべてのことは、Xに成るために必要不可欠のことなのだと理解したいです。それを修行と言い換えれば、日々修行していることの意味は、まったく個性的で唯一無二のXに成るためにあるわけです。行為ばかりではありません、諸事全般、この世で起こったすべての出来事は、私がXに成るためには必要不可欠の素材なのです。どこをとっても無駄なところはありません。
 あらゆること、食べること歩くこと見ること聞くこと喋ること味わう事、トラブルや事件・問題、どれひとつも無駄なことはありません。どの要素が欠けても自分はXには成れないのです。
 そう考えるとXに成ることが楽しみになりませんか。日々生きているというとは、どうしても時間が関係してきます。毎年歳をとりますし、同じような生活でも、日々変化して流れてゆきます。そうなってくると、やっぱり、自分は日々、Xに成るための生を生きているのだと、なおさら思いたくなってきます。
 面倒なことが嫌だと思うのは、やった結果が見えてしまうからなんです。「しょせん○○だ」とね。しかし、その結果を見ている自分を横に置いておきましょう。究極的な結果はまだ、誰にも見えないのですよ。ただし、Xに成ったあか月には、それが満足されるのでしょう。その日を楽しみに、生きていたいと思います。

2005年4月21日

先日の唯識の会で、安田理深先生の言葉に、あらためて驚かされました。
「如何にしても対象化することができぬもの、これが我(ガ)である。対象化された我は、我所(ガショ)である。我は未だ一度も対象化されたことはないのである。」
 翻訳すれば、「これが自分だ」と思っている自分は、本当の自分ではないということです。自分の知っている自分、反省して知ることができる自分は、自分の影だということでしょう。ヘーッというか、当然といえば当然なのかもしれませんけど、これは盲点としか言いようがないでしょう。
 本当の自分には、いまだかつて出会ったことがないなんて、なんとロマンチックなことじゃありませんか。自分の容姿や、立ち居振る舞い、一挙手一投足に到るまで、なんでも自分のことが気になって仕方ない人間にとっては、ものすごい解放感があります。ひとは、自分のことが、一番気になっているんですね。集合写真を見ても、まず第一に探しているのが自分の姿ですからね。自分がどんなふうに映っているかで、いい写真かどうかを判断したりもします。
 ひとから見れば、対した顔だちでもないのに、掃いて捨てるほどありきたりの顔だちなのに、自分は自分のことだけが気になって、決して自分を見捨てるということがないのです。ひとのことはいいんです、まず自分が可愛いんです。でも、あなたの見ている自分、あなたの知っている自分は、自分の影だから、そう大してめくじら立ててチェックしなくともいいんですよ。本当の自分は鏡を見ても見えないのですからと慰められているようです。
 それにしても、自分は本当に自分が気になっていて、好きで好きでたまらないんですね。万人みな、ナルシストです。ひとが癌にかかっても、ヘーッとか、お気の毒にとか言って平然としていますけど、もし自分が癌にかかったら、それこそ、驚天動地、青天の霹靂ですよね。自分ほど大事なものは、この世にないんです。
 どうして、自分は本当の自分を知らないのに、それほどまでに自分に執着しているのでしょうか。それを唯識学(仏教の心理学)では阿頼耶識(アラヤシキ)のはたらきだと考えるようです。自分は気ままなものですから、四六時中、自分を気にすることはできません。もし四六時中、自分を気にしているとすれば、それは強迫神経症ですからね。たとえ強迫神経症の方でも、よる眠っているときは、意識することはできません。
 しかし、それでも、眠っていても自分に執着しているものがあるじゃないかと唯識ではいいます。夢の中で、化け物に追われて必死で逃げている自分を発見することがあります。それほどまで、自分に執着させている作用は、これは人間の意識を超えたものだと見出してきたのです。それは価値的に善いとか悪いという判断を超えた作用です。
 免疫作用というものが、あります。私たちの人体には、自と他を分けるシステムができあがっています。人体にとって、これは他であり、マイナス要因だと判断されれば、白血球がはたらき出して、攻撃を始めます。どうやって、自と他を見分けているのか、不思議な作用です。意識的に、「オレがオレが」と思っている以上に、身体は、自分自身を一番大切にしているんですね。
 オレがここに、存在しているのだという思いも、架空のことなのかもしれません。本質的に、自分自身を自分では知ることができないのですから。自分の影を自分だと思っているだけですよね。ですから、本当は、自分は無いのかもしれません。無いものを、在ると錯覚して生きているのでしょう。もっといえば、無いものなのに、あたかも在るもののようにして、それをとても大事に、大切に執着しているということでしょう。何が執着されているのか、何が執着させているのか。この両方が分かりません。その影しか知ることができないのです。「生きている」と思っているだけで、本当は、その影を漠然と感じ取っているだけなんでしょう。
 自分の感じ取っている自分自身、自分の知っている自分自身が、本当だと思っているわけですから、この世はすべて、その「思っている」という世界の中に作られているのです。意識内存在から抜け出ることはできません。「思っている世界」と事実は乖離していますから、安心して「思っている世界」に浸りきって生きられるようです。

2005年4月17日

オウム真理教事件の被害者の会代表・高橋さんがTVに出ていました。あの事件から十年がたって、高橋さんの家族にはどういうことが起こっているかをドキュメンタリータッチで放映していました。
 高橋さんの旦那はあの事件で亡くなっています。当時、地下鉄・霞ヶ関駅の助役でした。間には、二男一女のお子さんがおられます。しかし、あの事件以来、家族の会話がなくなっていました。息子さんはすでに社会人として生活していますが、お母さんとはあまり会話がありません。別居の娘さんとも、あまり意思の疎通がありません。高橋さんは、被害者の会代表として、イベントや連絡に大忙しの日々を送っているようでした。TVですから、どのへんまでが事実なのか分かりません。また、その家族家族によって、感情の通じさせ方は違いますから、表面的な判断は的外れかもしれません。しかし、もう少し家族間の感情表現があってもいいのではないかと思いました。もう少しお母さんの手助けをしてやれないものかなぁと感じている自分がありました。
 まあ、あれだけの事件ですから、突然父親を殺された人間の感情はとてもデリケートになっているに違いないのです。とても、お互いに内面の感情を語れるような生易しいものではないのかもしれません。もう、あの事件のことは忘れてしまいたい、できれば触れたくないということなのかもしれません。
 あまりに忌まわしすぎて、あの事件のことを考えれば、直後の感情に舞い戻ってしまって、心が凍りつき、為す術がなくなってしまうのかもしれません。
 お父さんは、何の罪も犯してはいませんし、非の打ち所がないほど、家族思いの方だったようです。何の落ち度もないお父さんが、なぜ被害者になり、殺されなければならないのか?これには誰も答えることができません。ただ、事実としては、お父さんはここに存在していないということなのです。この空虚感には触れたくないのでしょう。(吉本隆明さんの「存在の倫理」ということも考えさせられますね…)
 小生からすれば、痛ましいのは自分ばかりではなく、兄弟や母なのですから、もっと残された家族の間の意志の疎通やザックバランな感情表現があってほしいと思いました。もっと、涙を流してお互いに罵倒し合ったり、肩を抱き合ったり、ドロドロの感情の表現があってもいいのではないかなと思いました。そんなことは、外野が言うことじゃなくて、もうとっくに、そんなレベルは済んでいるのかもしれませんけどね。
 それから、お父さんのお墓にお参りにいくシーンが出てきました。塔婆には「南無大師遍照金剛」と書かれていましたから、菩提寺は真言宗なのでしょう。これも邪推なんですけど、そこの菩提寺のお坊さんは、高橋家にどういう接し方をしてきたのかと疑問が湧きました。ちゃんと「ほんとうのこと」を伝えているのだろうか?と疑問になりました。
 「ほんとうのこと」とは、ひとの死ぬ原因は、事件や事故や病気や老化ではなく、この世に人間として誕生したことだということです。生まれたということの他には死の原因はないということです。他のことはすべて縁です。どういう条件で亡くなるかは縁次第です。これが真理です。これだけが真理です。どういうふうに伝えるかはそのお坊さんに任されていますけど、その真理を伝えるしかありません。最終的に人間を支えるのは、真理以外にないのです。人間の感情や慰めではないと思います。
 さらに、ひとの別れは、出会いが原因なんです。出会ったということがなければ別れはありません。別れの原因は出会いなのだということも「ほんとうのこと」です。
 こういう「ほんとうのこと」を伝えてくれているのでしょうか。そんなことはみんな分かりきったことだから、言わなくてもよいのだ、あるいは言ったとしても遺族の慰めにはならないのだと思っておられるのなら、それは間違いだと思います。坊さんの職務を全うしていないと思います。
 実は、そのことに憤慨しているのは他でもないのです、この自分自身が、「ほんとうのこと」を伝えてこれなかったからなのです。自己自身の不甲斐なさに憤りを感じているからなんです。そんなことはみんな言わなくてもわかっているとタカをくくってきたのです。また、そんな真理を語っても、遺族の慰めにはならないだろうと思い込んできたのです。もっと遺族と水平の位置に自分を置いて話を聞くということ以外にないのではないかと思ってきたのです。確かにそれも大事なことなのです。しかし、遺族がほんとうに立ち直っていける大地はどこにあるのかといえば、それは「ほんとうのこと」を受け止める以外にないと気が付いたのです。
 ほんとうにひとを救うのは真理以外にありません。それは何も坊さんが独占している真理ではありません。お坊さんだけがその真理を体得していて、門徒に説教するというドグマではないのです。坊さんも聞かなければならない、そして受け止めななければならない真理なんです。門徒も坊さんも水平の地点にたって、如来から真理を聞くということが大事なんです。光は如来から来るのであって、ひとがひとに投げかけるものではないでしょう。
 その「聞く」という地平が開けたことで、積極的に真理を口にすることができるようになりました。真理は「聞き言葉」なんですよね。
 

2005年4月16日

一昨日、田口ランディさんのお話を聞きました。彼女は作家であり、さまざまな人間状況に対して発言されています。
 印象に残ったお話をひとつ。
 「場の力」ということについてです。北海道浦河町の「ベテルの家」での体験で、場が生まれるということを話されていました。自然発生的にひとが集まり、それこそ精神に障害をもったひとたちが集ってきて、共同生活をしています。いまでは社会福祉法人になっているそうです。障害者が障害をマイナス要因とするのではなく、つまり、治すのではなく、障害を個性として生き生きと生きる場所がベテルの家だそうです。
 そこには、場所の力が生まれるといいます。中心人物があるわけでもなく、またシナリオがあるわけでもない、それぞれが、安心して生きることのできる力が与えられる場が、そこに生まれるというのです。作ろうと思って作れるものではないけれども、どこにでも作ることのできる場所。そこには、誰もが安心して、自分自身としていられる場所。そんな場所が大事なのです。
 暗示的ですけど、「とりあえずその場を信じてしまえばいい」とも語られていました。また「いいかげんに信じてしまえ」とも言われました。この「いいかげんに信じる」というセリフはいいなぁと感じました。
 私たちの信仰の場でも、いいかげんに信じるということが、大事だと思っていたからです。「いいかげん」じゃない信仰というのは、硬直化した信仰です。他者を受け入れる余地もなく、また反論を受け入れない窮屈さがあります。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないという態度ですね。つまり、それはあんまり自分の知識を信じないということでしょう。自分が決めた価値観で人間は生きているわけですけど、その価値観を強固に固持しないのです。それが「いいかげん」という意味じゃないかと思います。そんな信仰が親鸞のいう信心じゃないかと思います。人間は決めたいんですね。自分はこうだとか、人間はこうだとか、こう生きなきゃ駄目だとか、あるいはこんなこと考えちゃ駄目だとかね。そして自分で作り出した観念の監獄に閉じ込められてしまうわけです。そんな監獄を信じないというのが「いいかげんに信じる」ということじゃないかと思います。
 また、「場」という言葉でいえば、私たち浄土真宗は「浄土」という場所を説きます。「場」は浄土とも通底しているのだと思います。浄土は、どこかに実体的にあるものじゃありません。それこそ人間の思いを超えて「間にある」わけです。ひととひととの間にね。「浄土」を平たくいえば「土を浄化する」という動詞なんです。つまり、あなたと私の間に、いつでも、どこにでも開かれていく安心関係ということでしょう。そういう関係を開いていく作用を「浄土」という言葉は示しています。決して、死んでから行く場所というものではありません。
 人間の固定観念を破ってはたらき出す作用です。ひとは、なんでも決めたいんです。理性はね。でも、ひとも変われば世界も変わっていきます。ひとつとして停まることはありません。ですから、変化して、変わっているのが正常なあり方です。それを固定してしまいたいというのが、理性です。そんな理性を信じないというのが、「浄土」でしょう。そういう相対的な価値観を壊してくれるものが「浄土」です。
 人間は「あの世」も決めたいんです。先祖がたくさんあって、その先祖を供養していれば、自分は安心という固定観念があります。この世のことだけじゃなくて、あの世のことまで人間は決めたいんですね。でも人間の観念で縛られた先祖はさぞ窮屈でしょうね。そんな人間の観念を破って先祖を解放してあげましょう。
 先祖のためといって、自分を正当化し、自分を慰めていることは実に悲しいことです。ほんうとに自分の観念から先祖を解放して、初めて先祖と出会うことができるのでしょう。生も死も超越したものとして、出会っていかなければなりません。
 

2005年4月13日

いのちが還っていくイメージの場所として、あらためて「浄土」が必要だと思います。
 家族関係もバラバラで、人間が「個」へと解体しているのが現代の日本です。家族関係の問題が、そのまま寺の墓地の問題へ移行してきています。個人墓や夫婦墓への要望が高まっています。いままでは、「家」という観念が強固でした。自分は死んでも○○家という統合のイメージが個人を収斂していました。しかし現代では、その収斂力が家から剥奪されてしまいました。
 でも、ほんとうにというか、まったくの限界状況で、人間は「個」のままにいのちを終えていくことができるのでしょうか。死を前にしたとき、自分の死後のイメージは個のままでは耐えられないのではないでしょうか。どうしても、何らかの統合の方向へとイメージが凝縮していかざるを得ないのではないかと思います。
 ですから、自分の人生の方向性が直線のイメージではなく、円環のイメージへと変化しなければならないように思います。個へと拡散する方向は、直線のイメージです。その個が、もう一度すべてのいのちと溶け合う世界のイメージへと還っていくのがいいように思います。
 そこには、あらゆる先祖と、あらゆる子孫が還っていくイメージです。その永遠なる世界へ自分は還っていくのだというようなイメージが大切だと思います。それが実在かどうか?という問いは通用しません。実在かどうか?と問うた瞬間に、そんなイメージの世界は消えてしまいます。イメージの世界は、そうあってもよいし、そうなくてもよいという融通性のある世界ですから。でも、このイメージの世界は、「実在の世界」以上に私たちを助けてくれるものだと思います。
 身内の死は、私たちをイメージの世界へと誘います。未知の領域が「死」ですから、その「死」を受け止めるには必ずイメージの世界で受け止めます。理性で受け止める世界ではないでしょう。「死者」を思うときは、必ず死者の生前のイメージを思うわけです。さらに、いま亡くなっていないということの受け止めとして、「死後のイメージ」で受け止めます。安らかな場所にいったんだとか、天国にいったとか、亡くなった身内のひとたちと楽しく語らっているとか、そういうイメージは誰でもが抱くものです。それは「実在」という理性の入り込めない世界です。
 そのイメージの行き着く先として、「浄土」というものがあってよいと思います。それは、初めていく場所というよりも、「還る場所」というイメージです。初めていくというイメージだと直線的です。むしろ還っていくということのほうがいいように思います。そこは初めであり、終わりである世界だと。ゼロ・ポイントの場所だとイメージしたいと思います。
 そう語ると、梅原猛がいう「先祖返り」と近いことになります。しかし、微妙に違います。彼は、先祖と現世の人間が行ったり来たりするというイメージで語っています。それをあまりに信じ過ぎています。その発言をするとき、この世に重心を起き過ぎています。あるいは、以前出会った幸福の科学の信者が、この世は仮の世であって、あの世こそ本当の世界だと考えていたこととも微妙に違います。あの世に重点を置くと、確かにこの世は仮の世となって、軽くこの世を生きられるようになります。しかし、そのひとも梅原さんも、あまりにこの世に重点を置き過ぎて発言しています。あの世のことを語るのに、この世に自信を持ち過ぎて語っています。そこが怪しいところです。
 イメージの世界は、そうであるかもしれないし、そうではないかもしれないのです。それほど豊かで曖昧な世界なはずです。ですから、そう決めてしまったのでは、イメージの世界が死んでしまいます。もっと、あの世はあの世のこととして解放してあげなければならないと思います。あの世まで、この世の知で束縛してはならないと思います。 「浄土」とは、そういうイメージ豊かな世界ではないでしょうか。誰でもが固有に思い描くことができて、また、その描いた世界が流れる雲のように雲散霧消していくイメージの世界なのでしょう。

2005年4月11日

四人の男の子(中学生)が、洞窟の中で亡くなるという痛ましい事故が起きました。探検・冒険という好奇心にかられての事故だったようです。思春期の青年は、どうして危険な要素をほしがるものなのでしょうか。小生の少年期をかえりみれば、やっぱり、一歩間違えば、死の側に身を置いていたなぁと思うことがあります。それは、安定志向をほしがる大人にとっては、拒否される要素です。大人は「なんで、そんな無謀なことをしたのだ」と問い詰めたくなります。しかし、その大人だって、自分の小さいころを反省してみれば、同じようなことをしていたんですよね。それを大人は忘れて、子どもを叱責しているだけなんです。
 子どものころは、「すみかゴッコ」といって、大人には知られない場所に自分たちのだけの空間を作ろうとしていました。そこは、建設会社の資材置き場だったりしました。あるいは、大きな池に、端材を寄せ集めてイカダを作って浮かべてみたり。遊んではいけないと言われていた、荒川の水門近くで蟹を取ったりと、一歩間違っていれば、死の側へいっていたと思います。いま、ここにいるのは、たまたま運がよかっただけで、それ以外の何ものでもないわけです。あまり大きな顔で、彼らを叱る資格は自分にはないのだと思います。
 フロイト流にいえば、それは、子どもの中に流れているタナトスなのかもしれません。いわば、死への欲求です。というより、「危険」への欲求だと思います。危なさ、危うさが手招きする方向へ、身を寄せてみたくなるんです。普通は、そういう欲求は大人になれば薄れてきて、安定志向に入るわけですけど、そうならないひとたちもいます。いわゆる「冒険家」とか「探検家」といわれるひとたちです。エベレストの登山家とか、世界一周ヨット航海のひととか、北極横断チャレンジとか、様々なひと達がいます。この人達にたいする日本人の評価は、海外に比べて極端に低いといわれています。やはり、日本人は安定志向が染みついているんですね。
 単なる無謀が、ある領域から冒険に変わってくるんです。でも、その領域は誰も分からないんでしょうね。結果だけが、それを示しています。成功すれば冒険、失敗すれば無謀なのかもしれません。
 しかし、安定志向の大人達にとって「危険」は排除すべきものですけど、危険が皆無かといえば、そんなことはないのです。家を一歩出れば、交通事故の危険はありますし、人的・非人的に関わらず危険はつきものです。病院の整形外科があれほど混雑しているのは、危険だらけだからです。家の中での転倒事故が案外多いのです。ちょっとしたことで人間は、すぐに怪我をします。小生も、ワインの栓を空けそこなって、何回も指を切りました。ノートなどの紙で、スパッと手を切ることもありました。
 怪我をした後、なんで、こんなことになったのかなぁ?とつくづく自分の不注意を嘆いたりします。そのちょっとしたことの中に、死が潜んでいるわけです。それでも、今日を無事に生きていられるのは、たまたま運がよかっただけのことです。決して威張れないことです。あの中学生たちを叱責することはできないことだとつくづく思いました。

2005年4月08日

岡百合子先生のお話を聞いて、現、日韓問題を超える方途は、親鸞思想しかないということを教えてもらいました。感動しました。
 竹島問題は江戸時代からの問題だそうで、結局、どこで折り合いを付けるかということしか現実の打開策はないのでしょう。ひとつには、韓国に妥協するか。ふたつには日本の領土だと言い続けるか。みっつめは、妥協点を見いだすために話し合うかです。これは離婚後の子どもの親権の調停と似てます。やるか、やられるかだけでは問題は解決しません。第三の道があるはずだと思います。お互いに妥協するところは妥協してということになるのが、現実則でしょうね。そこに、顔を出してくるのが、長年に培われた韓国の日本人イメージと日本の韓国イメージですね。まあ最終的には、大地は、そして大海は誰のものでもないのですよね。自然自身の身体ですから、人間が「正義」の名のもとに利用できるものではないのですけどね。
 まあその問題を究極的に解決する方途は、最終的には「近代とは何だったのか?」ということだと言われました。これが解けなければ究極的な解決はないという教えでした。掛け違えたボタンは、掛け直さなければならないけれども、百年前の明治維新には戻れなくても、第二次大戦の敗戦のところまでは戻れるのではないかとおっしゃっていました。日本は、最初、中国や韓国から文化を教えてもらいました。しかし、ヨーロッパの植民地覇権に驚異を感じて、脱亜入欧で対抗しました。脱欧入亜から脱亜入欧へです。
 そして、韓国や中国に多大な迷惑を掛けたことも事実です。日本にしてみれば、仕方なかったんだよといいたいところでしょうけど、やっぱり、謝るべきところは謝らなければなりませんよね。一度は、正式に謝らなければ、そのうえで、「謝り方が悪い」と言われたら、文句を言えばいいんでしょう。損害賠償事件でも、もう起こしてしまった犯罪は、取り返しがつきません。事故であっても、故意であっても、すでに起こしてしまった事件は、なくすことはできないのです。ですから、後は、誠意をもって謝罪することと、後は賠償問題ということになります。これが現実則です。
 戦後日本は、アメリカのいいなりになってきました。まあそれだから生き延びられたという面もあるのでしょう。それは、今でも脱亜入欧という感覚はいまでもありますからね。しかし、日清日露戦争以前までは、中国・朝鮮はいろんな意味で日本の先輩だという感覚が一般的だってようです。あのふたつの戦争に勝利してしまったために、脱亜入欧路線に火がついてしまって、日本人の中国観・朝鮮観を多く変えたようです。その感覚が、いまでも日本人のこころの深層にあるのでしょう。
 そこに、「近代」という「人間の理性中心の文化・経済が絶対だ」という思想に日本人全体が動いていったということです。脱亜入欧はいまでも続いています。アジアは低く、ヨーロッパは高いという感覚です。この感覚を、もう一度相対化して、問い直してみるということが必要のようです。誰に問うのかといえば、自分自身の内奥深くにでしょうね。
 仏法の感覚は、「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり」(清沢満之)です。近代資本主義が徹底的に排除した究極のものは、「死」です。生と死を平等に受け入れるということがなければ、本当の意味の「近代」は超えられないのでしょうね。

 2005年4月0
6日

「信」の内側にあるとき、自己は不自由になり、「信」の外にあるとき、自由になる。
 その「信」とは、自分の思いの内側という意味です。いまだかつて、生きたこともない今日の朝を、いままでの古い知恵で推し量り、何でも既知の事柄で判断している自分がありました。そういうとき、新鮮な〈いま〉を生きることができなくなります。
 それは、つまり「信」の内側に自己を置いてしまう発想です。そんな時、曽我先生の「信に死ね!」という言葉が聞こえてきます。いつでも、信に死んでいなければならないのに、いつの間にか信の内側に自己を置いてしまうんです。これは困ったものです。まったくの閉塞です。
 「信に死ぬ」ということは、「愚か」ということだと思います。愚の側に身を置いているとき、人間は自由です。なんでも、一から始められるからです。原始人に帰って、そこから始めることができるからです。まったく他と比較することもない世界から、始められるからです。目が覚めたとき、自分は地球に初めて誕生します。そして、いまだ体験したことのない世界を体験することが始まります。
 この生の新鮮さに出会うことが、宗教のエロスではないかと思えます。いままでの古い殻を脱ぎ捨てて、いつでもフレッシュでいられるのですから、こんな自由なことはありません。そんなことは、ひとりで喜んでいればいいことで、他人にとやかく言う必要もないのでしょう。本当のよろこびは孤独なものだと思います。他と共有する喜びもあるのでしょうけど、そうではない、全くの孤独無比なところにも、喜びはあっていいのです。ご飯を食べても、本当に身も心も満足感をえられるのは、自分という実存をはずしては成り立ちません。
 蓮如の「信のうえは、一人居てよろこぶ法なり」(御一代記聞書)という言葉を重たく感じています。それは、単なる自己満足のようにも読めます。しかし、徹底した自己満足を抜きにして、他者へ通じいく道は開けないと思います。問題なのは、徹底した自己満足の世界でしょう。
 何も問題のつけようのない完全無比な世界との出会いを抜きにしては、他者への通路はないように思います。完全無比な世界によって、自己が完全燃焼されて、残り滓もない状態にまで、なっていなければなりません。残り滓があっては、どうもいけません。その残り滓が、どうしても不満足の滓になって、澱のように溜まり、さらにその澱の矛先を他者という世界へ向けてしまうからです。
 「蛇が古い皮を脱皮して脱ぎ捨てるようなものである」(『ブッダの言葉』)というブッダの言葉がいいです。いつでも、どこでも、古い皮を脱ぎ捨てて、いつでも新鮮でありたいと思います。別に、それは成ろうとしてなれるものではなく、成ろうとしなくても、存在の本質に立てばいいだけのことです。私たちの皮膚はいつでも、古い皮を脱皮しているわけです。いのちというのは、とどまる事がありません。いつでも、とどまるのは、人間の意識です。意識の側ではなく、いのちの側に身を置いておきたいと思います。

2005年4月03日

自分という客人。
 あんなことを思った、こんな感情に翻弄された、とトイレに座って考えました。家族であっても、しょせん、実存的には「他人」です。食事をしながら、いろいろと会話をしては、激論したり、ののしったり、すかしてみたり、おだててみたりと、こころの中ではいろんなことを仕掛けたり、感じたりしています。
 いま、トイレに座って、どういう感情を味わっていたのか、あるいは何を相手に伝えていたのかといろいろと思いめぐらしていました。そうやって考えてみると、激論したり、ののしったりしていた自分は、過去の自分ですし、まさに「客人」だなぁと思いました。それは以前の自分であって、いまの自分ではありません。本当の自分というものは、どうもつかみようがありませんね。
「思う」ということも、インプットとアウトプットですから、他からの情報が刺激となって、ある想念が起こったり、そこから言葉を発したりしています。どうして、そう思ったのか、そういう言葉を吐いたのか、それは現場では分からないことです。思いがこみ上げてくるのは、外から刺激を受けて、私の脳の内部から、ジワーッと出てくるものが、やがて凝固して、「思い」になり、「言葉」となって発せられるわけです。そのジワッーとやってくる全体が自分なんでしょうけど、それはつかみようがありません。
 その結果、思ってはいけないことを思ったとか、言ってはいけないことを言ってしまったと後悔するわけです。他者を殺してはいけませんけど、相手にこの場から消えてもらいたいという思いは起こってきますよね。それは相手を殺すということなんですね。「黙殺」とか「悩殺」という殺し方もあるわけです。
 ですから、本当の自分というのは、つかみようもありません。ただ、空気のような、あるいはゼリーのような状態で、どこにでも遍満しているものではないかと思えます。それが、この自分の身体を通して、凝縮してくるときに、「思い」や「言葉」となってアウトプットされてくるのではないでしょうか。アウトプットされた自分は「客人」としての自分のように思います。本当の自分自身は、つかみようもない空気のようなものです。
 それが若いときにはいやなんですね。固形物にもっていきたいわけです。自分は、確かにこういうものなのだとつかみたいわけです。「自我の確立」や「自己実現」という言葉を聞くと、何か固い不変の自分というものを打ち立てたくなるわけです。不動の自分というイメージにとらわれてしまいます。
 しかし固めようとすると、固まらないのが自己です。必ずほころびが出てくるのです。固められるように思うんですけど、それは「思いの世界」の中だけの妄想で、現実にはドロドロした自分がほころびのように溢れ出てきてしまうのです。
 そうではなくて、本当の自分とはドロドロの矛盾だらけのところにあって、現象として現れてきた自分こそが客人なんだと思えたらよいと思います。ですから、全部客人です。過去の自分も未来の、こうありたい自分もすべて客人です。本当のところのドロドロの自分は、つかまえられません。
 ですから、お経には「虚無(コム)の身」と書かれています。あれは、仏さんのことを表現しているのですけど、あれって、本当は、この私のことなんですよ。本質的には「虚無」なんです。どこにも存在していないという意味と、それだからどこにでも遍満しているという意味と二重になっています。虚無が自分の本質だと見いだせれば、現象の自分は「客人」として手厚く接待してあげればいいじゃないですか。「客人」の所業を拾い集めて、確固とした自分像を作り上げる必要もありません。バラバラに飛び散った鏡の断片は、拾い集めても一枚の鏡には戻りません。そんなものはほったらかしにしておきましょう。
 呆れていればいいじゃないですか。もともと、手の施しようのないものが「客人」なんですから。
 

2005年4月02日


今月の言葉

 
ごらんのとおり
                                  
(西本文英先生の言葉)

自分が「自分」を許せればいいのです。
 世の中で、一番恐ろしいものは「自分」です。ひとから何と言われようとも、外からの批判は、恐れるにたりません。でも、もしその脅かしにうなずいてしまう「自分」があったら、それは恐ろしいことです。普通は、外が恐ろしいと思っているわけです。そんなことはないのです。
 大勢のひとの前に立って、自己紹介をするのは緊張しますし、怖れすら感じます。いわゆる「あがる」という状態になります。あれは、人々の視線が恐ろしいと感じるわけですけど、本当は、「自分」を恐れているのです。ひとから、馬鹿だと思われるんじゃないか、こんな幼稚な考えの持ち主だと分かったら、笑われるんじゃないか等々と、ひとびとが、「自分」をどう見ているかということが気になっているのです。
 果たしてひとびとは、そのように見ているかどうかは、分かりもしないのに、「自分」は勝手にシナリオを作り上げてしまうのです。作り上げたシナリオをもとにして、怖がっているのです。それほど、他人は「自分」に対して興味も関心もありません。みんな、自分しか眼中にはないのです。他人のことは二の次です。しかし、自分は他人からどう見られるかという「自分」の考えを中心にして、恐れているのです。これは、他人を恐れているのではなく、自分自身の視線を恐れているだけのことです。
 この「自分」の視線の束縛から解き放たれて自由になれればいいのです。よく西本文英先生が「
ごらんのとおり」と語られていたことを思い出します。これは師匠であります安田理深先生の言葉をいただかれているのです。他人が自分をどのように見ているかということは、自分には分かりませんから、すべてあなたの眼に映ったとおりの「自分」でありますと表白されているのです。あなたの眼に映ったとおりですから、こっちからそれについてとやかく文句を付ける筋合いはないわけです。小生もよく「お坊さんらしくないですね」と評されることが多々あります。しかし、それはあなたのご覧のとおりの私ですから、それについてとやかく言う必要はないわけです。それはあなたの経験した範囲内の情報をもとにして、私を見ているだけのことですから。あるいは、「お坊さんらしいですね」といわれても、それについてもとやかく言う必要もないのです。いえいえ、自分は、そんなに偉いものではありませんなどと、卑下する必要もありません。それは、越権行為というものです。あなたの見ている世界は、あなただけの固有の世界ですから、お互いに、「あなたの世界」を尊重すればいいだけのことです。
 もっとつきつめれば、果たして、自分自身であっても、本当の自分自身は分かっていないのですから。自分とは何者かと考え始めると、これはタマネギの皮むきと同じです。いろんな自分が出てきて、その皮をドンドン剥いていくと、とうとう何もなくなってしまいます。でも、自分はここに生きているらしいのだがなぁという感覚だけが残ります。自分は生きているらしいというおぼろげな感覚だけが、現代の生の感覚ではないでしょうか。
 日常生活は感情的に、いろいろなことが起こります。他人とぶつかったり、泣いたり、笑ったりといろんなことをやっているように見えます。でも、それも時間の経過と共に過ぎ去ってゆきます。商売で儲けたとか、損をしたとかいっても、やっぱり、幸・不幸は、一時的な感覚でしかありません。幸せであっても、瞬間的に感じるもので、永続する感覚ではありません。お風呂に入って、ああ極楽!というのも瞬間的です。子孫繁栄で幸せといっても、そんな幸福感は瞬間的に過ぎ去ります。反対に、不幸せというものも、瞬間的です。四六時中自分は不幸だと思い詰めていることは人間にはできません。生きるということは、不幸を忘れさせる作用があります。食べる・寝る・歩く・話すという日常生活の様々な行為は、不幸の感覚すらそのときは消し去ります。
 お葬式の場面でも、火葬場で遺族が感じる感情は、悲痛だけではありません。親戚との語らいで笑っていたり、思い出話で真剣になっていたり、お腹が減った空腹感にとらわれたりと、様々なものです。
 ですから、これが自分だとつきつめようとすると、バラバラな自分がたくさん見つかってきます。しかし、逆にそのバラバラのものが全部自分なんだと受け止めれば、不思議に自分は統合してきます。自分は実体としてはどこにもないのです。影のようなものです。ですから、間(あいだ)にあるものなのでしょう。微かにあるものなのでしょう。現代の生の希薄感は、ある種の悟りに近い状態ではないでしょうか。しかし、希薄だから、駄目なのではなく、希薄だからこそ安心ということにならなければならないのでしょう。

2005年3月31日

真実以外は、すべて妄念妄想のなせる技である。
 幼子を亡くされた方に、どのような言葉が慰めとなるというのでしょうか。そんな言葉は残されていません。言葉すら消えてしまって、ただ沈黙が残るだけなのかもしれません。何も言葉をかけないほうが、よっぽど慰めになることだってあります。
 しかし、あれこれと思いを巡らしていて、やがて、向き直って、その方と正対したとき、小生の中からムクムクと沸き起こってきたことは「真実を語る」ということでした。病気や事故は縁であり、死の原因は、この世に生まれたということ以外にないというお釈迦様の遺言でした。人間は誕生したとき、まず母と出会い、父と出会い兄弟と出会うわけです。しかし、その出会いの中にすでに別れが約束されているのです。ですから、別れの原因は、出会いそのものなのです。出会わなければ別れはありません。出会ってしまえば、別れは必然なのです。これが「真実」です。
 それ以外は、すべて妄念妄想です。死の原因は誕生そのものであります。たとえ人間が、そう思うことができようとできまいと、そんなことはお構いなしです。あとのことはすべて妄念妄想ですからね。「もし、あのときこうしていれば」とか「もっとああしてあげればよかった」とか「なんで死んでしまったんだ」とか、そういう妄念妄想につきあっていたのでは、自分自身を失ってしまいます。本当の慰めは、死者を復活させることしかないのですから。それは誰もできませんね。
 「真実」を語ることは、一見すると冷たいように見えます。しかし、この「真実」だけが、本当にその方の自律の援助になるのだと思います。「真実」を伝えることだけが、小生のできることだと、その時は感じたのです。その「真実」は誰も否定することができません。それを受け入れるか、拒否するかしかないのです。
 故人への思いは断ち切ろうとしても断ち切れるものではありません。ですから、仏となった故人と一緒に生きてゆけばいいのです。故人は無くなってゼロになったわけではありません。まぶたを閉じれば、そこに見えるわけです。その仏さまと一緒に生きていくしかありません。
 故人は姿がなくなっても、関係をもった人間の内部に必ず生きています。その方と共に生きているのです。故人と共に生きながら、やがて、その「真実」に慰められるようになりましょう。「真実」だけが一番いいです。その「真実」だけに、人間は頭を下げることができるのでしょう。

2005年3月
30日

いったい私たちは、何を恐れているのだろうか?
 TVのチャンネルを回していたとき、細木和子の番組をやっていました。占い師らしく、いろんなサジェッションをするのですけど、みんな彼女の一言一言に、戦々恐々といった感じでした。そこで、感じたことは「いったい私たちは、何を恐れているのだろうか?」です。
 自分の将来に何か悪いことが起こるかどうか?将来、利益をこうむることが可能かどうか?このままの道を歩いていてよいのかどうかと、様々な関心に答えていました。そして、思いついたのが、「鬼神」というイメージでした。この鬼神のイメージは、古代から現代までを包んでいます。戦国武将は風水で出陣の時期を決めていたそうです。平安京の遷都と、街づくりには風水なしにでは語れません。つまり突き詰めれば、人間自身の判断は、最終的には不確かであり、不安なものだという感覚でしょう。それなので、様々な鬼神に依存しようとします。
 逆にいえば、私たちの不安が鬼神を要求しているともいえます。決断の時期はこれでよいのだろうか?生活習慣はこのままでよいのか?と迷い出すとき、人間は不安になり、鬼神を要求するのでしょう。
 確かに、昔から鬼神が司ってきた役割を「科学」が代行してきた面もあります。神風よりも、アメリカのレーダーのほうが合理的です。キリスト教の神の摂理を解明するために始まった科学が、現代の鬼神だという面もあります。それでも、私たちの内面に住んでいる鬼神は、永遠のものでしょう。
 そして、これも突き詰めれば、不安は貪りから起こるわけです。御利益が欲しいという貪りが、実現できるかどうかということで不安になるのですから。
「お前は御利益が欲しくないのか?」と聞かれれば、それはないよりは、あったほうがよいと思います。しかし、その貪りが不安を呼び起こし、鬼神を恐れ、鬼神に依存する心根であることを見抜かなければなりません。最終的には、依存的な生き方になります。自律とは隔たった生き方です。
 親鸞は、便利な言葉を残しています。「地獄は一定、スミカ(住処)ぞかし」です。あんたの人生は地獄以外にないよと訴えてくる言葉です。将来において、幸せを貪ろうとするこころでは、どこまでいっても不安は取り除けないぞとも聞こえてきます。ですから、生の基準値を「地獄」に設定しなおせというわけです。あなたが期待している「浄土」なんかはないんだと思い知れということでしょう。
 生の基準値を「極楽」に設定していると、自分の現状は、いつでも苦境になってしまいます。来るべき「極楽」に向かって、もっともっとと上昇志向でいかざるを得ません。そうではなくて、いまの生の基準値を「地獄」に設定しておけばよいのです。しょせん、地獄以外には生きる場所がないのだと、開き直っておけばいいのです。生の基準が地獄になっていれば、ほんの小さな幸せが味わえます。逆に極楽になっていれば、どんな大きな幸せでも、愚痴の種になりかねません。それはひたすら、生の基準値に関係しています。
 そうすると、芸能人たちが細木和子の一言一言に戦々恐々となっているのは、自らの内なる鬼神に依存しているからだと思えます。もっといえば、自分自身が恐ろしいのでしょう。自分の内面が恐ろしいのでしょう。自らを恐れるから、鬼神に依存する生き方になるのではないでしょうか。
 お前は不安はないのか?と問われれば、ないとは言えません。しかし、それは自らが生み出した不安であるということは、見抜いていなければなりません。外に敵があるわけじゃないんです。自らの内面が敵なのです。自らの内面が鬼神を産み出し、その鬼神に拝跪しているだけなのです。

2005年3月27日

ライブドアとフジテレビ問題を見ていて、あれを煎じ詰めれば、要するに「企業は誰のものか?」ということに収斂していくように思いました。
 経営者だとか、株主だとか、従業員のものだとか、様々に答えが用意されています。まあみんなのものというのが、正しいところでしょう。でも、この問題がどっちにころんでも、別段、いままでと大した違いはないのでしょう。マスコミはしょせんマスコミだと思います。ですから、大騒ぎしているようですけど、実体は、不毛です。
 金さえあれば、幸せが手に入るのだというのが資本主義だとすれば、行き着くところまでいけば、ああいう騒動になるのは目に見えてます。まあ、いままで資本主義の中に社会保障などの社会主義的要素を取り入れてきたから、資本主義社会は生き延びてきました。この要素がこれから、もっと大事になるように思います。
 さらに突き詰めれば、企業は何のために存在し、そこで働く人間たちは、いったい何のために生きているのか?というところまで議論が深化していきます。企業は、すでに有るんだから、有るんだ!と言ってしまえば、それでおしまいです。でも、企業人ひとりひとりの個を考えれば、どうしてもそこへ行くしかありません。企業には死はないけど、個人は死にます。必ず死がありますからね。ひとりが死んでも、企業は企業として存続していくことは可能です。
 企業の歯車としての個人から、唯一無二の自己を育てていくべきだと思います。昔のひとは、いまの人間以上に、行動範囲も小さいし、人間関係も少なかったんじゃないかと思います。でも、いまの人間以上に、豊かな世界をもっていたように思います。小生の祖父は明治28年生まれでした。今年33回忌になります。26歳まで間で一滴も酒を飲まなかったと聞きましたが、晩年は大酒飲みに変身していました。門徒の家に上がり込んでは気持ちよく酒を飲んでいました。興が乗ると、筆と硯をもってきて、川柳やら俳句をひねっていました。まあ、酒の上のことというのは、いろいろあって、醜態もあれば、抱腹絶倒もあり、涙ありの人情劇場を見せてくれます。タクシーも多くない時代に、歩きながら梯子酒をするというのも、江戸の風情を感じました。酒を醒ますために、門徒のおじさんと一緒に風呂に入ったということあったようです。まさに、裸のつきあいをしてきたのだと思います。
 裏と表をあまり感じない人物でした。明治生れには、まだ江戸の風情が残っていました。まさに人情だけで生きていたような感じがします。近代は、知が先行しますから、どうしても、情が置いてきぼりにされてきました。でも、情がやっぱり、人間を支えている大きな部分じゃないかと思います。情が大地であって、その上に知が支えられてあるといった感じでしょうか。
 人間、情が満足すれば、知は多少問題があってもいいと感じます。情は理屈じゃないんですよね。いまこうしている間には、自分の内部で「情」がうごめいています。ときにはじゃじゃ馬のように飛び回り、ときには鎮静しています。これが知の思い通りにはいかないんです。情に振り回されているんです。
 この情を十分に味わいたいと思います。そこに、「存在の意味」の神秘が隠されているように思えます。 

2005年3月25日

人間の、頭が一番厄介だ!
 この世で、一番面倒くさいのは、なんといっても人間の脳味噌です。「事実」というものは、実にいさぎよいものです。有るか無いか、起きたか起きなかったか、生まれたか死んだか。それは二項のどちらかでしかありません。
 この「事実」の味というものに、魅せられます。そこへいくと、人間の頭は厄介ですね。後悔したり、疑ったり、奢ってみたり、許せなかったり、卑下してみたりで、疲労しています。どうしても、許せないという心が残るんですね。かたくなです。
 そんなとき「善悪のふたつ、総じてもって、存知せざるなり」と歎異抄の親鸞の言葉が聞こえてくるのです。根本的には、人間にとって何が善であり、何が悪であるかは分からないものだよと聞こえてくるのです。そういうふうに聞こえてきたとき、善と悪を分けよう分けようとしていたこころが翻されて、助けられてゆくのでした。
善し悪しの文字を知らぬひとはみな 
 まことのこころなりけるを
 善悪の字、知り顔は
 おおそらごとのかたちなり
(正像末和讃・親鸞が作ったポエム)
 別に「善し悪しの文字をもしらぬひと」というのは、無学文盲のひとを意味してはいません。これは如来のメタファーです。我々人間は、すべて相対的な価値観にからめ捕られています。一番言いたいことは「善悪の字、知り顔は/おおそらごとのかたちなり」というところです。
 善悪の価値観でなんでも知っていると思い上がっていること全体が、そらごとじゃ!と批判されているのです。この批判にあうとき、いままでいきり立っていた心が、ヘナヘナと力なくひざまずかされるわけです。
 もっとこうしなきゃならんなぁ、もっとああしなきゃならんなぁ、もっと、もっとと思っているこころが、ひざまずかされるわけです。ヘナヘナとね。完璧に何かが片づくということは、この世ではありえないのかもしれません。いつも中途半端で、だらしなくて、自分で自分が嫌になるんです。でも、死ぬまで中途半端なんじゃないかなぁ。そのままが、自分の実相なんでしょうね。小生のだらしなさは、堕落してなったわけじゃありません。堕落して、だらしなくなったわけじゃない。生まれながらのだらしなさなんですよ。
 ああよかった、てなもんですなぁ。

2005年3月24日

お墓には、実母が入っているから、私をいじめた義母は絶対に入れたくない!あるいは、あの鬼のような姑と一緒のお墓には入りたくない!あるいは、私たち夫婦は別のお墓を建てますから、○○家先祖の墓には入りません!等々。このお彼岸のシーズンは大変な状況でした。
 こういう相談事は、以前にはありませんでしたね。まだ、家という意識が強固にあったからでしょう。ですから、娑婆でスッタモンダといろいろあろうとも、亡くなったら、一緒の○○家のお墓に入るのが当然だと思われていたのです。誰もそれに疑問を感じるひとはいません。まして、異議申し立てをするひともいませんでした。
 しかし、近頃は、そういう相談事が多くなってきました。それは「家意識」というベルリンの壁が崩れてきたことを意味しています。それは、結婚の場面でも、よく聞かれます。「私は○○家と結婚したわけじゃない。○○さん本人と結婚したんです」とね。つまり、個人と個人との契約において結婚があるのだから、家とは切断されているのだということです。
 ですから、お墓まで、つまりこの世が終わったあの世まで、永遠に「家」に縛られるのは御免だということでしょう。これは時代の変遷による、日本人の意識の変化であります。まさに、個人と個人の関係だけがあるわけです。でも、まだまだ「家」意識が強いひとがいて、お嫁にいっても「○○家のお墓だけは残してほしい」という要望も根強くありますけどね。○○家ということは、その家の「家名」ということなのです。家名が亡くなるということは、子孫の滅亡というくらいの悲壮感で受け止められているようです。しかし、一夫一婦制を取る限り、子孫は継続されませんからね。残して欲しいという思いはあっても、実情は絶えていくのが当然なのです。最終的には人類は滅亡し、地球も無くなっていくのですから、間違いなく誰もいなくなります。
 まあ、そこで、夫婦墓、あるいは個人墓という要望が生まれてきて、霊園の募集案内にも「後継者がいなくても購入できます」というキャッチフレーズが生まれてくるのです。もう、家という意識で継続させようという思いは絶たれているのです。もう夫婦がよければよい、自分がよければそれでいいのだと。後は野となれ山となれでよいのだという意識でしょうね。それが駄目だと言われても仕方ないじゃないかと。たとえ、子孫の継続を望んでも、事実上それは、実現不可能ですから、仕方ないじゃないかというわけです。何か、そこには悲鳴にも似たものが聞こえてきます。「この世」だけが絶対で、幸福であって、「あの世」は闇で不幸だという悲鳴です。せめて「この世」だけはなんとか、うまくやって、後は、お任せだという意識でしょうね。
 話を戻しましょう。お墓を購入(正しくは永代使用権)するときにも、日当たりがよくて、お参りに便利で、水はけがよくてと、まるで家を購入する意識ですね。しかし、お墓は、人間の意識がまったく入らない世界です。お墓は、この世の意識を持ち込んではならない場所なんです。仏さんの世界ですから。どうして、この世の価値観で、お墓を推し量るかというと、浄土というものを、こころにしっかりと持つことができないからです。浄土というのは、たとえれば、「永遠のお墓」です。先祖も子孫も、そこへ行くことのできる「永遠のお墓」なのです。それをこころに持つことができれば、この世の「物理的なお墓」という意識から解放されるわけです。
 ですから、本当は、お骨はすべて焼き場に残してきてもよいわけです。お墓も建てる必要もなくなるわけです。こころにしっかりとした浄土を持つことができるならばです。真宗王国である広島の笠沙島にはお墓はないそうです。門徒のひとたちは、先祖も子孫もみんなお浄土に行かれていると信じているのです。信じられるからこそ、お墓を必要としてこなかったのです。骨は、そのひとの脱け殻だから、そのひと自身はお浄土に行かれていると信じているのです。
 いがみ合っていた嫁・姑も、義母も実母もともに仏さまとして、お浄土に往生されているわけです。そこには、間違っても、この世の価値観を持ち込んではならないのです。墓石が欠けていると、故人が浮かばれないとかいう、この世の価値観を持ち込んでは駄目なんです。現代人は、この世の価値観をお墓に持ち込みすぎです。この世の価値観でがんじがらめにした仏さんを解放しなければなりません。静かに眠らせてあげなければなりません。自分たちを守ってもらおうとか、あるいは祟(たた)らないように崇(あが)めようとか、いろいろと仏さんを利用しようとするのです。こういう傲慢な人間の罪を思い知るべきでしょう。お参りしてホッとしているところにも、自己満足という罪が潜んでいるものです。とても、意地悪な見方かもしれませんが、これが真実からの見方でしょう。
 ついでに言えば、この世で、自分自身が完全燃焼して生きていないから、あの世まで燻った煙を持っていきたくなるんでしょうね。どこまでも救われていないのは、娑婆の人間なんです。いつでも迷っているのは娑婆の人間なんです。決して、あの世の仏さんではありません。それだけは、間違ってはならないことです。仏さんは悩みや苦しみや怨みという喜怒哀楽から完全に解放されているのですから。

2005年3月23日

みんなが仏さんの方を向いてくれれば、それで小生は満足なんです。別に、小生の書いた文章に賛辞をいただかなくてもいいのです。別に、読経で感動したというような感謝も必要ありません。
 ただ、ひたすらに、みんなが、それぞれのところで、仏さんの方に向いて生き始めてもらえば、それで満足なのですから。
 梅は咲いたか、桜はまだかいなぁです。梅は香りがあっていいです。でも、決してひとのために咲いたりしませんよね。桜も、ひとを楽しませるために咲いているわけじゃありません。ただ、満開になったときに、ひとびとが勝手に喜んでいるだけです。桜はいさぎよいです。ああいうひとに成れたらいいなぁと思います。といってもあれは木であって人ではありませんけどね。時々、ひとに思えたりします。
 桜が咲く時期は、決まってます。その年によって多少のズレはありますけど、おおよそ決まっています。並木の桜は、同じ時期に咲いても不思議はありません。しかし、一軒だけポツンと立っている家の桜が、どうして並木の桜と同じ時期に満開になるんでしょうか。不思議です。並木の桜は、お互いに生活環境も似てますから、「そろそろ咲こうじゃないか。」「うん、もうそろそろだねぇ」「じゃあ、明日くらいに咲くとするか」「賛成!」といって、みんなで合議できますからね。でも、ポツンと孤立している桜は、誰とも相談できないんですよね。どうして、並木の桜の状態が分かるんでしょうか。たぶん、人間には理解できない周波数の言葉でピピピーッと交信しているに違いないんです。そうとしか思えないんです。まったく目覚まし時計のような正確さで満開になりますからね。
 春を待って、待って、待ち遠しくて、待ってると、一気にバーッと満開になって、そしてあっと言う間に散ってゆきます。あの華やかさと、散り際のはかなさが桜の味です。華やかさは、ひとを狂喜に導きます。はかなさは、死のイメージへと引きずり込みます。この生と死が、桜には象徴されています。それで、みんな桜に惹かれるのでしょうね。
 仏さんの話は、聞いてもなかなか理解できません。理解できないのですが、聞いていると、やがて、「こういうことか!」と気づくことがあるんです。その気づきが聞法の利益でしょうね。いままで、「仏教(非日常)」と「世間(日常)」とを分けてきた意識が、徐々に溶解していくのです。私たちは、お仏壇に向かうときと、車を運転しているときを分けています。お墓に手を合わせるときと、夫婦喧嘩とを分けて考えます。聖なる時間と欲まみれの時間を分けて考えがちです。しかし、そういう分けへだてがなくなったとき、つまり、非日常の中に日常が納まってきたら、しめたものです。その境界線が壊されていくのが仏教を聞くということです。
 桜は、木であって、ひとではないというのも分けへだてかもしれないのです。人間の見方は狭いのです。その狭い見方を壊されて、仏さんの方に目を向けさせられます。まだ誰も見たことのない仏さんの方へとね。

2005年3月22日

三人に一人、いや、二人に一人は、花粉症じゃないでしょうか。お彼岸にこられる門徒の方々を見ていて、感じました。大きなマスクを掛けてお墓参りをしている方々の多さに驚くばかりです。年齢もまちまちです。六十を過ぎて初めて花粉症にかかったという方もいました。若いからとか、年寄りだからとか、男だから女だから、という理由はないようです。万人が発症していました。
 マスクをしていない方でも、「花粉症、大丈夫ですか?」と尋ねると、ほとんどの方が、症状を訴えるのです。これは、どうしたことなんでしょうか?複合汚染だから、現代病だとかいろいろ言われますけど、本当のところは分かっていないようです。
 小生は、25年前にかかりましたが、最近では慢性化して、春先は鼻炎にならなくなりました。まあ一年中危険な状態にはあるのですが、杉花粉などにはまったく反応しません。さらに、ここ一年くらいは、ネクトンという「古代海洋石」の粉末を毎食後、飲用していますので、その効果もあって、まったく鼻水・くしゃみとは、無縁の生活になりました。鼻水は、体内の余分な水分が鼻汁となって出てくるのだそうです。ネクトンを飲むことで、まず腎臓を健康に保ち、余分な水分をオシッコとして対外へ放出してあげます。そうすれば、鼻水は出なくなります。
 でもネクトンは、慣れないとちょっと飲みにくいかもしれません。頭では、なんで石の粉末が体に効くのだろうか?と疑ってしまいますからね。このネクトンは、古代の珊瑚の化石のようなものです。ですからカルシウムやミネラルが凝固しているようなものです。まず、一年くらい飲むと、粘膜系統が強くなります。小生は、よく口内炎で悩まされていたのですが、最近ではほとんどできません。またできたとしても、数日で治るという御利益を得ています。
 いわゆるこれは漢方というジャンルに入るのかもしれません。気長に飲用するしかありません。そして自分の体で確かめるしかないのです。
 どうして体に効くのか?という理屈は分かりません。ですから、なかなかひとに御利益を説明することはできません。しかし、やってみたら、こういう御利益があったということが漢方でしょう。まったく経験科学であって、実験科学ではないのです。これは東洋的な発想なのでしょうね。
 風邪を引いたら、布団をかぶって寝るという日本人のやり方は民族の知恵です。それなのに、聖路加病院では、熱がある子どもにアイスノンを抱かせるのですからビックリしました。熱を取り去るというやり方は西欧流です。日本流は熱を出させて、出し切って冷ますというやり方です。どっちがいいのか分かりません。自分がどちらを選ぶかということでしょうね。
 
 2005年3月1
8日

仏という実体があって、それがひとを助けるのではなく、私を助けるはたらきを仏と名付けただけです。
 お釈迦様というひとが、2500年前にいたらしい。でも、それを証明したひとはいません。ただ、文字として書かれているだけで、映像も音声の録音も残っていませんからね。まあ、お釈迦様が居たかどうかなどということはどちらでもいいのです。ただ、文字として、つまり「教え」として残されている。その「意味」が大事なのでしょう。なぜ大事なのかといえば、自分がその「言葉(教え)」によって、助けられるからです。自分に痛くもかゆくもないものなら、あってもなくてもよいものです。
 助けられるというのは、自分の狭い心を超えさせてくれるということです。狭い心というのは、自分の知っている世界だけを世界だと考え、自分の感じている世界だけを世界だと思っている「狭い心の世界」です。現実は、つねに動いている世界です。昨日はどこにもありません。明日もどこにもありません。有るといえるのは、この〈いま〉一瞬だけです。この何でもない現実に帰らせてくれるというはたらきが、私を助けるのです。「狭い心の世界」から、外に解脱させてくれるわけです。
 今朝、布団の中で眼を覚ましました。これって、この世にいま、誕生したということと同じ意味があるんじゃないかと思いました。自分が、この世に誕生したのは、1954年です。オギャーといって産声を上げたのは、その時なのでしょう。その時が物理的誕生なんでしょうけど、自覚的に、「俺は俺なんだ」と自覚したときが本当の誕生かもしれません。「自分はこの世に生まれたのだ」と自覚したときが誕生だとすれば、それは今朝の目覚めと同じです。毎日誕生しているというか、まったく新しい世界に誕生しつつあるというのか、面白いですね。でも、いまだかつて、誕生したことのない2005年3月18日に誕生したのですから、空前絶後の出来事でしょう。
 昨日と同じ一日では決してありません。宇宙が始まってから、まだ一度も、誰も経験したことのない2005年3月18日なんです。未知なる経験を〈いま〉しているのです。この純粋な時間を呼吸したとき、「狭いこころの世界」から解脱させられました。そして顔を上に上げて、今日を生きるという一歩が生まれてきました。どうして人間は、ものごとを始める前に、あーだこーだと考えて、結局考えることに疲れてしまって、一歩が踏み出せないのでしょうか。確かに、計画は大事なんですけど、計画することだけに疲れ果ててしまっているようです。簡単に言えば、「取り越し苦労」症候群ですね。
 そして、くよくよ考えては下を向いて愚痴を吐き出しているという有り様です。取り越し苦労をする狭い心も、くよくよ後悔ばかりしている狭い心も、ともに解脱させて解放してくれるはたらきがあるんです。
 なんだか、砂場遊びをしている子どものようです。子どもは、狭い砂場という空間で、一生懸命砂場遊びをします。山を作ったり、トンネルを掘ったり、水をもってきては池を作ってみたり。あれは、サンドセラピーですよね。臨床心理学の「箱庭療法」です。自分だけのミクロコスモスをあそこに作り上げるわけです。小生も、砂場遊びが好きでよくやりました。遊んでいるときは、無我夢中で、三昧の状態にあります。 
 しかし、ゴハンダヨーという家族の声に、フッと我にかえって、三昧から覚めます。そこで初めて狭い世界から抜け出て、現実に帰るんですね。大人もあの砂場遊びをしているようです。自分で作り上げた世界が絶対であって、その外の世界を忘れています。もっと広大な世界があるのに、砂場遊びに血道をあげています。ライブドアとフジテレビ問題もそうですね。いくら何千億円を動かそうとも、しょせん狭い砂場遊びに過ぎません。ひとは量の世界に眼を奪われているんです。なぜならば、自分もその砂場の中に入ってしまっているからです。
 そして、あれだけのお金があったら、どんなに幸せな状態を獲得できるだろうかと夢を見るんです。まあ、夢は夢だからいいのでありまして、もし夢が実現したときには、不幸なんですよね。大体が。どれほど財産があったとしても、幸せは手に入らないようになっているんです。この世は。なぜならば、人間は、何が本当の幸せであるかを知らない生き物だからです。まだ実現していない夢としてだけ「幸せ」があるのであって、実現した幸せはありません。そんなことはない!というひともいるでしょう。自分は幸せだと。それはそれでいいのです。別に否定する必要もありません。
 自分が仏になるために、応分の重荷が必ず用意されているのが人生です。その重荷はひとによって違います。比べることはできません。しかし何一つ無駄のない重荷だと思われます。
 まあ自分の「狭い心の世界」だけを世界だと思い込んでは駄目なんです。事実は動いているのです。死者も動いているのです。死んだひとは変わらないというけど、そうではないと思います。動いています。変化します。だって、人間は「間を生きる存在」だからです。ひととひとの間に自分はあるのです。関係が変化すれば存在も変化します。自分がその人をどう受け止めているかということで対応が変わります。
 いままで憎んでいた姑さんが、死後、遺書に、お嫁さんへの感謝を記していました。それを読んだとき、お嫁さんの心は、姑さんへの怨みから懺悔へと変化してゆきました。死者が変化するというのはそういうことです。固定していません。優しいときもあれば、叱られるときもあり、感謝されるときもあります。ですから、死者は姿はありませんけど、生きているのでしょう。自分との間において。それは生きている人間だって同じことです。存在は、関係に応じて変化してゆきます。ですから、故人と共に生きていくということがあるわけです。
 狭い心の世界から抜け出て、常に新しい世界を生きましょう。肺は、いつでも新鮮な空気を吸っているのですから。

2005年3月17日

親鸞の文脈から見れば、お釈迦様は、自力聖道門ですからね。一応、お釈迦様から、仏教が始まったということで、元祖とか、本家という扱いで、特別視してますけどね。親鸞の文脈からいえば、聖道門ですよ。だって、家を捨てて出家しているんですから。在家性が抜け落ちているのです。俗の生活を捨てて、ある特別な集団(サンガ)を形成していきますからね。お釈迦様は、出家も在家も認めるというスタンスですけど、ご自身は、出家なんです。
 親鸞だけが、「非僧非俗」(僧に非ず俗に非ず)ということを表明しているのです。つまり、家を出ずに家を超えるという道です。まあ、言えば、人間の世界はたとえ出家したとしても俗なんですけどね。人間が生きているということは、俗の範疇なんです。
 その家から出ないという意味は、〈いま〉、自分が居る、その居場所で、宗教的超越性が確保されるということです。そういう意味では、出家教団であろうとも、在俗の生活だろうとも俗の範疇であれば、その自分の居る居場所で、ということにもなるんです。その思想を体現したのが親鸞でしょう。まあ、望んで体現したというよりも、流罪という、自分でも予期せぬ形で体現してしまったのでしょうけどね。島流しという否定形が契機として入らなければ、在家性は成り立たなかったかもしれません。もし、吉水教団が弾圧されなければ、在家性は確保されなかったのかもしれません。時の権力に擁護されれば、今頃どんなに変質していたか。ちょっとその想像はゾッとしますね。弾圧という予期せぬことを契機として、在家性が確保されたのですから、あまり偉そうなことは言えませんけどね。
 非僧非俗というのは、家も超えて僧も超えるということですから、この世の相対世界を超えるということでしょう。僧か俗かというデジタルな判定によれば、人間が生きるということは、どちらかに属さなければなりません。僧であるということは、俗ではないことを意味し、俗であるということは僧でないということを意味するからです。両方とも否定するということは、不可能なのです。それでは親鸞は何を言いたかったのでしょうか。それは、二の世界を超えたということを意味しているのだと思います。有無・多少・長短・有意味無意味などの二の世界を超えたのでしょう。
 そして絶対の一へと降り立ったのだと思います。人間の価値観の世界を超越して、絶対の一へと。いま・ここ・自分という、この絶対現実を丸ごと受容したということでしょう。二の世界は、裁きの世界です。あれかこれかという価値の世界は、差別的です。でも、それは人間の思いが作り上げた世界観でもあります。絶対現実は、価値の世界を抜け出しています。その超越性は、神秘的なものではなく、日常の死角としてあるのです。つまりもともと自分のまわりにわんさか転がっている日常性のところにあるのです。ただ、それが死角のような形で存在しています。盲点といってもいいのでしょう。
 「意味」というものと似てますね。私たちは、言葉の意味を調べるとき国語辞典を引きます。そして書かれている解釈を読んで納得します。しかし、国語辞典に書かれているのは「言葉」なんです。言葉の羅列なんです。どこにも意味は存在していません。意味が書かれていないじゃないか、言葉しか書かれていないじゃないかと文句を言いたくなります。しかし、人間は、辞典を引けば意味が分かったといいます。あの意味は、人間の内面に喚起される意識世界なんですね。
そんなものは、どこにも実体としてないのですけれども、みんながそれを実感し、それによって支えられて生きている「意味の世界」です。

2005年3月15日

NHKの番組で、病院の研修医の話をやってました。研修医一年生が、どうやって現場からいろんなものを学んでいくのかというドキュメンタリーでした。いつになったら家へ帰れるんですか?と問う老人(患者)に、どうやって答えてよいか分からない研修医の苦悩。ベッドサイドで、どうやって患者に声をかけてよいか思案に暮れる研修医。よくも、あそこまで研修医の側でカメラを回せたものだと驚かされました。まさに、視聴者の眼が、研修医の側で寄り添っているように出来上がっていました。若い研修医を斜め上から見下ろしている如来の視座から、撮られていました。
 指導する医師から、サジェッションを受けながら、ためらいながら、涙しながら、苦悩しながら、落胆した肩を引っさげて、それでも現場に戻っていくしかありませんでした。現場の医師が、これほど患者を思ってくれているのかと、感動しました。そして、さらに意地悪な考えに傾斜しました。あの感動が、長年経験を積んでいくときに、なくならないのだろうか?と。どうも、なくなっているのではなかろうか?とも思いました。
 研修医が最後に漏らしていました。「医者っていったい何なのだろう?」と。あの問いが口をついて出たとき、小生の心が動きました。あれは永遠のテーマであると同時に、私たちにも共通するテーマであると受け止められました。私たちはいつでも「僧侶っていったい何なんだろう?」と問われるのです。その問いを突きつけてくるものは何なのでしょうか?
 おそらく、研修医であれば、病気が治って患者や患者の家族に感謝され、笑顔でお宅に戻っていかれることが最終目標なのかもしれません。そういう医師になれれば、もって瞑すべしでしょう。その時には、おそらく「医者っていったい何なのだろう?」という問いは起こってこないかもしれません。こういう問いが起こってくるのは、何らかの壁にぶつかったときなんでしょうね。でも、うまくいったときも、そうでないときも、常に問われているのが「医者っていったい何なのだろう?」という問いだと思います。
 私たち僧侶は、もう手の施しようのない、それこそ亡くなっている人間を相手にするわけですから、もっとやり甲斐感が問われてくるのです。もっともっと「僧侶っていったい何なんだろう?」と問われてくるのです。人間に、つまりひとから、あるいは自分から、問われるのであれば、まだいろいろ答えようもあるんですけど、如来から問われてくると、何とも答えようがありません。
 お葬式や法事で、感謝されて、いいお坊さんだと言われて、儀式も教化もちゃんとこなして、それこそ、非の打ち所がないようにひとから思われていても、それでも、「僧侶っていったい何なんだろう?」という問いには、まったく答えたことにはなっていないわけです。ひとからは、もう十分あんたはやってるよと慰められても、そんなものは屁の突っ張りにもなりません。
 実は、「僧侶っていったい何なんだろう?」という問いは、永遠のテーマだからです。永遠のところから、私に投げかけられてくる問いだからです。つまりどこまでも現状に甘んじることを許さない問いだからです。でも、現状に甘んじたいんですよね、人間は。やり甲斐とか、他人の評価とか、自分の中で完結したいんですね。でも、現場はいつでも、そういうものを突き崩すように動くのではないでしょうか。完結したい思いを突き崩されて、ようやくまた一歩を歩み出すということしかありません。
 これは、人間というものの本質を表わしているのでしょう。人間は、いつでも流動体だからでしょう。つまり、生きているということは、プロセスを生きているからなんでしょうね。今日もまた、ご飯を食べなきゃ生きられません。排泄しなきゃ生きられません。生きているということは、新陳代謝ですからね。流動体です。それは「これでよい」と完結することを許しません。完結するのは、この世を去るときです。
 まさに、ご飯を食べるのも、修行です。手で口にご飯を運ぶのも修行でしょうけど、咀嚼して、飲み込んで、消化して排泄するという修行なんでしょう。生きてること、まるごとが修行なんだと思います。別に山へ入ったり、水ごりしなくても、修行なんです。それは如来になるための。武田定光如来になるための修行なんです。
 三十三間堂の如来さんは全部顔が違います。話をもっと広げれば、地球上の全人口は45億人です。ひとつとして同じ顔はありません。それはなぜか?それは唯一無二の仏さんになるための顔だからです。自分の名前の後ろに「仏」か「如来」を付けてみましょう。「○○○仏」「○○如来」に成るために自分は生きているのだなぁと受け止めてみたらどうでしょうか。

2005年3月14日

あと六年たつと親鸞聖人の750回忌がやってきます。各真宗教団は、どのように法要を形づくっていくかと知恵を絞っています。なぜ法要をやるのか?と問われれば、750という数が来たからです。それ以外には理屈は付けられません。750がやってきたから、それをどうやって意義あるものにするのか?という展開でしょう。
 以前の親鸞聖人誕生800年のお祭りのときには、法要を迎えるにあたって危機感があったといいます。いわゆる新興宗教の台頭が目ざましく、既成教団はどう対処していくのかという危機感があったそうです。しかし、今度の750回忌には、何の危機感も感じないではないかという声も聞きます。もう新興宗教自体が、既成教団化し、二代目、三代目の信者になれば、「熱狂型の信仰」は薄まっていきますからね。外圧足り得ないのかもしれませんね。
 宗教というものは、不思議なもので、自らの内的な要因よりも、外圧によって再生するという性質のものであるのかもしれません。鹿児島(相良藩)の隠れ念仏しかり、天草の隠れキリシタンしかり、一向一揆しかりでしょう。
 以前NHKで「寺が消える」という番組をやっていました。もう過疎化している地方は経済的にも後継者の問題でも、寺がなくなっていくということです。あと40年もたてば現寺院数は半減するというのです。まあ、そんなことは一般大衆には無関係な話かもしれませんけどね。
 いまある危機感と言えば、やはり「豊かさのなかの苦悩」という問題でしょうね。戦後復興にガムシャラのあまり、物質文明は豊かになってしまいました。それに、こころが追いついていかないというギャップでしょう。物質が先で、こころが後なんです。アメリカが200年かけてやってきたことを、日本はたかだか60年あまりで成し遂げてしまったわけですからね。物質文明の影で、こころが泣いているのでしょう。
 もう一度「等身大のこころ」に戻りたがっているように感じます。物質文明を鎧のように身につてしまったこころが、もう一度裸に戻りたがっているように感じます。まさに「等身大のこころを求めて」いるように感じます。
 しかし、世間に向かって、何かを発信できるのかというと、そんな気持ちにもなれませんよね。まさに750回忌など勤められるような自分じゃないと思います。そこが原点のような感じがします。ジャンピングボードは、そこにあるように思えます。
 

2005年3月11日

養老猛司と玄侑宋久の対談『脳と魂』(筑摩書房)を読んでいて、妙に引っかかったので、それについて考えてみることにしました。

養老:浄土真宗見てると、しみじみ思うんだよね。ちゃんと日本にもキリスト教あるよと。プロテスタントがあったってね。真宗は「易行(いぎょう)」ということを言うんですよね。易行なんだけど、教義としてはあの方が難しいですよ。一般に広がってますけど、一般に広がった分だけ実は教義は難しいと思うんです。
玄侑:ええ。結局ロジックになっちゃってますよね。なぜかっていうと、修行をして特別な人間になるわけじゃないって言ってしまったでしょ。「信か修か」っていうとき、禅宗系は「修」なんですけど、浄土真宗は「信」が大事なんですね。ここでの「信」は即ちロジックに近いと思いますよ。修行によって何かが変わるんじゃないなら、そうすると坊さんって何なんだっていうことになるでしょ。みんなで念仏を唱えるときのリードボーカルかって(笑)、ほとんどイスラム教と同じ位置づけなんですね。イスラムの場合はそのリードボーカルも順番に変わりますけど。
養老:だから、真宗は非常に近代的な宗教ですね。
玄侑:近代的なんですけどね。
養老:でもある意味では一言で言い得てませんか。しょせん何かを信じなきゃならないとしたら、南無阿弥陀仏は楽ですよ。
玄侑:それでいけちゃう人はそれでいいんですね。人に無理矢理勧めなければ、それでいいと思います。
養老:実際、僕もやろうかと思いますもん。南無阿弥陀仏で往生するんでしょ。
玄侑:先生、甘いです。気が入っていない南無阿弥陀仏は利きません(笑)。

こういうやりとりが記されています。養老さんも玄侑さんも、やっぱり、真宗の「信」ということに理解が行き届いていないと思います。大乗仏教は、「いつでも性・どこでも性・だれでも性」ということが成り立たなければ仏法ではないと言い切ります。そうなると、〈いま〉だけが問題になります。やがて修行して、それから変わって、というような論理は生まれてきません。それじゃ、いますぐ仏になってみろ!〈いま〉成仏するなら、それを証明してみろ!そんなことを達成した奴がいるのか?と反論されるでしょう。だから、ロジックだけなんだというわけです。教義は立派だけど、そんなことを達成した奴がいるのか?いないなら、「絵に描いたもち」じゃないかというわけです。
 それよりも、手取り足取り、一から積み上げて坐禅なり修行をして、それから変わっていくと考えるほうが正当だろうというわけです。この考えのほうが人間には分かりやすいんです。玄侑さんや養老さんの発想のほうが、分かりやすいです。むしろ親鸞の発想の方が、人間には馴染まないわけです。
 でも、現実に帰ってみれば、明日は分からないのですよね。初歩から初めてステップアップしてという発想をとると、明日がなければダメでしょう。明日のために〈いま〉の修行をするわけですから。しかし、親鸞は、そんなものは要らないというのです。むしろ、そんな余裕はないと。〈いま〉だ!と。〈いま〉まさに、成仏の因としての信を確立させろというわけです。それは無茶苦茶といえば、無茶苦茶な話です。
 つまり、それは人間の状況をまっくた勘定に入れてないんですね。まったく仏さんの一方的な片思いです。人間が、もうすこし修行の力量をつけてから助けてやろうとは考えていないんです。〈いま〉のままの、そのままのお前でよいというわけです。そのままのお前に信を成り立たせようとするわけです。仏さんはもう準備が整っているんですけど、人間のほうが、ちょっと待ってよと辞退して尻込みしてしまいます。もう少しお経が読めたり、坐禅がうまくなってからにしてほしいなぁと辞退するんです。その辞退するこころをぶった切って、仏さんは人間を手込めにしようとするんです。〈いま〉のままのお前でいいんだ!とね。
 仏さんから見れば、もうお前の修行は完成しているんだというわけです。もうこれ以上修行する必要がないと見ているわけです。ところが人間は、努力や苦労が好きですから、まだまだ努力して苦労して、それから信心をいただこうと考えるんですね。つまり、自分の過去を、「まだ何かが足りない」というイメージで受け止めているんです。経験や知識が足りないとね。その傲慢さを断絶させるのが仏さまです。のんびり考えているんです、人間は。まだ明日も明後日もあるんだと、のんびり構えているんです。ほんとうは明日はないんです。必ず、あなたにとって明日のない〈いま〉があるんです。ただ、それが分からないだけです。あと何年経とうと、何十年経とうと、いつも明日があると思って生きているのが我々です。でも、事実は明日はないということだけが真実です。
 明日のない〈いま〉を生きています。その〈いま〉というところに信を打ち立てよというのが親鸞の仏法です。難しいといえば、これほど難しいものはないんです。なぜなら、人間の発想を根っこからひっくり返そうというのが、仏法ですから。人間はひっくり返されまいとして、頑張るわけですから。一番人間にとっては遠い存在が仏法なんでしょう。
 玄侑さんの「修行によって何かが変わるんじゃないなら、そうすると坊さんって何なんだっていうことになるでしょ。」という問いは、面白いですね。結局、彼の頭の中にあるのは、リーダーとしての坊さんなんでしょうね。大衆より、上位に位置して、大衆を指導する人間が坊さんなんでしょう。だから、自分は修行を積んで供養される坊さん、大衆は修行をして坊さんを供養する檀家という差別的な発想が根底にあるんでしょうね。
 真宗は、大衆=自分ですから、どこにも上位・下位という概念が成り立ちません。「いし・かわら・礫のごときわれら」と親鸞も言ってますよね。上位のものは、如来とか仏とか仏法だけです。人間はすべて下位の存在なんです。だから、自分が救われれば、人類が救われる証明だと言い切れるわけでしょう。自分は大衆と同化し、大衆の一番底にいる存在だから、自分が救われれば、人類で救われない人間はいないという受け止め方です。人類の最下位のところに「自分」を位置づけているのです。
 つまり、人と法をキチッと分けなきゃダメなんです。人と法が混乱すると、自分が人を導き、自分が他者を救ってやるのだという発想に傾斜していきやすいんです。修行の危うさは、法が人に乗り移ってきて、自分がひとより上位にあるような錯覚に落ち込みやすいことです。その危うさを感じていたから、道元禅師は、「修行の中以外には悟りはないのだ」(修証一如)と語ったんですね。修行をしている間だけは、悟りの世界にいるけど、修行をやめれば、それは悟りの世界ではないというケジメです。これは、安全装置なんです。坐禅をするのも、自分の力じゃない、他力なんだということをどこかで知っているんです。でも、坐禅をやめて、坐禅をした自分を眺めているときには、どこかに魔が差し込むんです。坐禅を意識のどこかで、自分の手柄にする意識がはたらくからです。それが身体を使って行う修行の魔です。その魔を道元も知ってましたけど、親鸞も知ってました。ですから、親鸞は行を一切捨てたんです。すべての手柄を南無阿弥陀仏という言葉ひとつに込めました。人間には一切の手柄を与えないように考え抜かれて、南無阿弥陀仏という言葉だけを選んだわけです。
 だから、南無阿弥陀仏という称名は、手応えがないんです。親鸞の弟子たちも手応えがないから、こんなことで極楽浄土へ行けるんだろうか?と疑問を感じたわけです。それは南無阿弥陀仏の勝利ですよね。手応えを与えないための南無阿弥陀仏なのですから、南無阿弥陀仏は成功しているわけです。
 それでも、飽き足らず人間は、南無阿弥陀仏を何万回唱えるかという修行にすり替えて自己満足しようとするわけです。姑息なもんです。
 南無阿弥陀仏は人間に何も要求していません。〈いま〉のそのままのお前でいいというわけです。それに不満なのは自分自身なんです。自分が不満を生み出して、その不満に追われて自己中毒を引き起こしているわけです。自分の顔を鏡でみれば、この世に二つとないユニークな顔をしています。45億人の顔を全部並べても、同じ顔はひとつもありません。みんな天下一品の顔をしています。これほどの貴重品はありませんね。比べる必要のないものを比べて苦しんでいるのが人間だと、つくづく思います。
 

2005年3月9日

今年は敗戦60周年ですね。アチコチでそれにちなんだイベントが開かれているようです。小生も江戸東京博物館(両国)で開かれている「東京空襲60年−犠牲者の軌跡−」に行ってきました。(〜4月10日まで開催中)数少ない当時の写真も展示してありました。石川光陽という警察官の記録写真が展示してあります。空襲直後の東京の有り様を記録していました。戦後アメリカ占領軍司令部から、写真を提出するようにいわれたが、庭先に埋めて後世に伝えたということです。そこに彼のコメントが書かれていました。
「泥にまみれたライカを、ばんこくの怨みを呑んで死んでいった多くの死体に向けることは、目に見えない霊から「こんなみじめな姿をとるな」と叱責されるような気がして、その手はふるえ、シャッターを押す手はにぶった。然し与えられた使命を果たすために、命のある限り撮り続けなければならないのだ。使命の前には非情にならざるを得なかった。写し終わると合掌してそこを立ち去った」と。
そこには、丸焦げの死体が写されていました。ふるえながらシャッターを押す石川さんの姿が感じ取れました。「こんなみじめな姿をとるな、と叱責される」のでしょう。1945年3月10日の空襲で、約十万人のいのちが消えました。小生の祖母も、火に追われて荒川へ入水し、それがもとで、12日に亡くなりました。
 この展示室には、二つの眼がありました。それは戦争を体験した眼とそうでない眼です。ご一緒した老住職は、ご自分の体験した空襲について語られました。「もう、当時は目茶苦茶だったんだ。焼夷弾で、皆殺しにしようというんだから…ひどんもんだよ…」と当時を振り返り、静かに語っていました。その視線は、小生に向けられているわけではなく、ご自分の体験した光景を見つめられていました。そこには、アメリカ(連合軍)に対する怒りというものは感じられませんでした。ただ、ひたすら、当時の悲惨さに焦点が向けられていました。そこから向き直って、「だらか戦争はやっちゃいかん」というメッセージも発していませんでした。悲惨さをもたらした原因にこころが向かってゆき、悲惨さを生み出した相手を恨むという感情の動きはありませんでした。ただただ、当時の悲惨にこころが停まっているように見えました。
 たとえ、その原因が、人災であろうと天災であろうと、被災したという体験は変わらないのです。いくら原因を尋ねてみたところで、「死んだ」という事実は変えることができません。空襲を体験していない人間にとっては、その老住職が見つめている光景を感じ取ろうとすることしかできませんでした。「それは、こんな感じでしょうか?」と比較して受け取ることもできません。比較しようにも、比較するものをもっていませんから。ただ、聞くしかありません。
 戦争体験を語るひとたちは、その自分の体験した光景に焦点を当てて語ったらよいと思います。熱弁するあまり、戦争未体験者に焦点を当ててしまいがちですが、それは逆効果だと思います。伝えたいことが伝わりません。ご自分の内面深くにある、その戦争体験に目を向けて、小声で語られると、未体験者のこころの奥にも届くように思います。
 いま本堂に、観音様のレリーフを安置しています。この観音様は粂野さん宅の焼け跡から見つかったものです。金属がひん曲がり、欠損している部分もあります。黒々と焼け焦げた観音様からは、戦火の猛威を感じることができます。あれから60年間、大事に磨かれていたそうです。観音様の顔が、そこだけピカピカです。あの優しいお顔からは、様々なものを感じ取ることができました。合掌

2005年3月8日

寺報『よびごえ』を編集しているとき、あらためて「そうか、ひとは仏(ブツ)に成るために生きているのかぁ」と感心させられました。人生の目的が明確になれば、〈いま〉の苦悩に耐えてゆけると思います。その目的を「成仏」と仏教は設定しました。それは何も死んでしまうことじゃありません。また、何か念頭に「仏とは、カクカクシカジカのモノだ」という思いがあるわけでもありません。
 一応の「仏」の定義は、お経や仏教辞典に載っています。要約すれば「真理を悟れるもの」とか「道理に目覚めたもの」というようなことになりましょう。詳しく述べると、大変な分量になりますので省きます。しかし、どれだけ明確に定義できたとしても、自分の実感とはならないでしょう。どれほどおいしい御馳走の話を聞いても、自分で食べてみないことには、実感できないのと同じです。
 それでは実感の話をしましょう。いままで、小生の中では、「仏」というものが、ある程度こういうものだという理念となって凝り固まっていたように思います。いろんな知識を聞けば、ある程度のイメージが出来上がってしまうのも仕方のないところです。そういう知識のイメージでは、実感につながってきませんでした。それを一言でいえば、「仏とはカクカクシカジカのモノだ」という固定観念が出来上がっていたということでしょう。そういうとき、「仏に成る」ということは、まったく人間が生きることに、明るさをもらたしてきません。
 しかし、本当の仏とは、誰もまだ成ったことのない何かじゃないかと受け取れたのです。それは間違いなく、自分の未来のことなのですけどね。自分は何に成るために生きているかといえば、人間の思いをはるかに超えた「仏」というものなのだと受け止められたのです。そうすると、自分がこの世に於いて生きている、あらゆる場面が成仏のための生として受け取れたのです。何一つ無駄なものはないのだとね。
 自分は、理性をもっていますから、こんな自分はダメだとか、こんな自分は価値があるとか、こんなことをして無駄骨を折ったとか、ひとの役に立って嬉しかったとか、生きていても意味がないとか、様々な評価をします。まさに「一喜一憂」しているのが人生です。でも、それは自分の理性が「自分」を裁いているに過ぎません。本当のところは、人間には分からないのですから。その理性の評価を脇において、人生の目的は「成仏」だと一度考えてみたらどうでしょう。
 自分の名前の後ろに如来をつけて、たとえば、「武田定光如来」「武田定光仏」になるために、〈いま〉を生きているのだと受け止めてみるのです。この仕事は他人にはできない仕事です。私が私自身を成就していく仕事ですから。ただし、まだ自分は如来になったとはいえません。一生言えないのです。だって、生きているということは、常にプロセス(過程)ですからね。卵は、しっかり茹で上がらないと、「ゆで卵」とは言わないのです。まだ茹でられている途中ですからね。生きてる間に茹で上がってしまっては、困ります。 でも、それだからといって、頭の中に「仏」という何らかのイメージがあるわけじゃありません。自分の思っているイメージの外にあるのでしょう。外にあるということが分かって、初めて「成仏っていいなぁ」と感じられるようになりました。
 分からないから楽しいんですよね。分かってしまったら、こんなに詰まらないものはありません。そうかぁ、「人生は修行だなぁ。仏に成るためのご修行なんだなぁ」と思います。でも、その最終目的地の仏を、まだ誰も知りません。人類には公開されていません。お釈迦様が仏に成ったと経典には書かれていますけど、それはお釈迦様のことであって、自分のことではありませんからね。
 生きた仏というのは、この人間の思いの外にあるもんだったんですね。ですから、人間の思いから「仏」を解放してあげなくてはダメです。いつまでも、拉致していてはダメです。解放されれば、仏は、自由自在に、あらゆる局面ではたらきだします。間違いない!です。

2005年3月
5日

マスコミを賑わしている堤義明(コクド前会長)は、近江商人の末裔らしいです。近江商人は、真宗門徒ですから、真宗の倫理規範が生きていたはずですよね。
 江戸期の近江商人・中村治兵衛は「他国へ商売に行っても……自分の事よりもまずお客のよいように考え、高利を望まずに何事も天道のめぐみ次第と思い、その地の人々を大切に商売をしなさい」(毎日新聞05/3/4余祿より)と子孫に書き残していたといいます。まあ、「情けはひとの為ならず」ということでしょうか。まず、相手を大切に、相手の要望に答えることが、やがて自分の利益につながるという発想のようです。それが、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の規範を形作ったのでしょうね。
ところが、義明氏の父親・堤康次郎氏は、「家」という観念に傾斜していたったようです。グループがひとつの家という観念に包摂されて行きました。江戸期からは、明治期に入って、藩から県へ、さらに「家」へ「家族」へと観念の中心が映ってゆきました。
先日「北の零年」という映画を観ました。ちょうど、廃藩置県により明治政府から、北海道への移住を命じられる淡路・稲田家の人々の物語でした。稲田家は尊皇攘夷派ですから、会津藩同様、明治政府から虐待されるわけです。その中で、開拓の中心人物だった英明が、稲の改良技術を手に入れるために札幌に旅立ちます。しかし何年立っても、村には戻ってきませんでした。村では、彼は我々を見捨てたのだとナーバスが広がります。ところが五年後に戻ってきたのです。しかし、その時の彼は以前の彼ではなくなっていました。村人に難題を押しつける明治政府の役人として戻ってきたのです。
 何が彼を百八十度変えてしまったのか。その秘密と、近江商人が、「家」中心の発想へと変化したこととは、どうも無関係ではないように思えるのです。確かに、封建制度ではダメなんですけど、しかし、近代資本主義社会へ移行することで、何か大切なものが抜け落ちていったように思えて仕方ないんです。それは何なのでしょうか?ひとつには「情」、あるいは「品」であるかもしれません。
 封建時代というのは、様々なつながりで縛られていました。家・地域・職業・住所・旅行・婚姻等は、まったく不自由だったようです。自由な選択権が個人には認められていませんでした。しかし、近代になり、それらの縛りから解放されました。いままでのつながりの強制から、解放されたのです。第二次大戦までは、まだ「家」が生き残っていましたが、現代ではほとんど死に体です。まさに「個別」な存在になりました。いままでごく自然に営んできた家族というものも、ある種の縛りだと感じられているのでしょうか。なぜ家族が必要なのか?という問いが起こってきましたからね。
 まったくの「個」が「孤」と感じられます。だから、ネットでつながった関係のほうが、「家族」よりも深いというおかしな現象もあるわけです。人間はどうしても、弧ではいられないのでしょう。どこかで、ひとを求めているのです。それもゲリラ的にね。永続する集団や仲間ではなく、ある時、ある場面でバッと結束する、そしてある時には、バッと分かれる、そういう仲間を求めているのかもしれません。実に、フレキシブルな関係がこれからの時代には、求められているのかもしれません。
 日本人は、明治を経由することで、ヨーロッパ文化を呼吸するようなりました。それも深層の文化じゃなくて、表層の「モノ・カネ」の部分ですよね。現代では、その一番の象徴がコンビニだと思います。「いつでも、どこでも、素早く、モノが手に入ります。ただしお金さえあれば」という近代資本主義が達成すべき理想の状態が、コンビニには成り立っています。
 コンビニは仲間で買い物にいく場所ではなく、個人がいく場所ではないでしょうか。コンビニに入ると、ホッとするというひとがあるようです。それも分かるような気がします。社会的な繋がりが、パッと一時的に遮断されて、弧に戻れる場所だからじゃないでしょうか。コンビニのドアを入ると、そこは、個人にとって非日常的な聖域になっているようです。
 コンビニは、現代人にとって、実に象徴的なはたらきをしていると思えます。小生も、実に不思議な場所として、ちょくちょく利用させてもらっています。しかし、どうなんでしょうか、やはり、コンビニから、もう一度人間のいる社会へ戻らなければなりませんよね。どうしても。そして「終わりなき日常」(宮台真司の言葉)を生きはじめなければなりません。
 仏教は、どうしても「弧」から出発しなければなりません。独生・独死・独去・独来で、生きるのも死ぬのもひとりだと主張します。家や共同体や家族は、幻想なんです。幻想だということを知りつつ、この幻想を生きなきゃなりません。
 むしろ徹底的に「孤独」を知った人間だけに、本当の人情というものが生まれてくるのではないでしょうか。人間の共同体は幻想だと徹底的に知り抜いて孤独となった人間だけに、他者へと通じる「情」が自発的に生れ、おのずと「品」が宿るように思えるのです。
(どうも、もうひとつ、まとまりが着きませんので、この辺で止めておきます)

 2005年3月
4日

大阪の難波別院から出ている『南御堂』という新聞に短い文章を載せさせてもらいました。(詳細は末尾をどうぞ(^^ゞ)
 しかし、文字数が少なくて、自分の言いたいことが言えないという苦しみを覚えました。これは、依頼人にはなんの責任もないのです。ひたすら、自分が簡潔に表現できない、己のふがいなさに問題があるのです。結局は、長くだらだらと文を連ねてみても、それでちゃんと表現できるかといえば、そんなこともないのです。簡潔に表現できるものでなければ、長くなっても駄文になってしまいます。本当によい文章というのは、完結に語ることができます。つまり結論が先にバーンと打ち出されていて、それが内容なんです。どれほど長い文章でも、一語で表現できなければなりません。
 そこへいくと曽我量深先生の文章は、そういう文章でしたね。まずはじめに結論ありきです。たとえば、「信に死し願に生きよ」とか「象徴世界観」「分水嶺の本願」「往生と成仏」「本願の仏地」「法蔵菩薩」「親鸞の仏教史観」「救済と自証」「伝承と己証」等々。その簡潔なテーマの中にすべて内容が包まれています。今風に言えば、キャッチフレーズですよね。自分の言いたいことは、要するにどういうことか?仏教語で言えば、「畢竟!(ひっきょう)」とか「怎麼生!(そもさん)」ということでしょう。一語で表現しろというのです。究極の帰納法ですよね。
 こういう作業をしてみるというのも、面白いことです。さて、今日の一日は、要するにどういう一日だったのだ!と自分に問い詰めてみたいものです。もっといえば、自分のいままで生きてきたことは、いったいどういうことだったのだ!とね。
 その究極の言葉が、南無阿弥陀仏という言葉なのでしょう。これほど簡潔な表現はありません。この六字に全宇宙の真理が込められているのですから。この簡潔な表現の前にはどのような文章も弾き飛ばされてしまいます。別の表現をとれば、南無阿弥陀仏という刀で一刀両断にぶった切られるという感じでしょうか。ぶった切られても、ぶった切られても、また、自分のいまの居場所から、南無阿弥陀仏の意味を表現していかざるを得ません。南無阿弥陀仏というのは、ものすごく単純で素朴なことだから、かえってどのように複雑な表現にも耐えるのでしょうね。

┌─────────────────────────────────────┐ 
│  コラム(春の彼岸に思う)                                                │ 
│                                                                          │ 
│  彼岸を呼吸する                                                          │ 
│                                                                          │ 
│  冬から春へと、生き物すべてが活気づいてくる季節、それが春の「彼岸」です。│ 
│  普段は、忘れ果てている先祖を思い出し、お墓に手を合わせるということも大切│ 
│  なことだと思います。ついつい、忘れがちな仏の世界を思い出させてくれるきっ│ 
│  かけが彼岸という習俗でもあります。                                      │ 
│  ■彼岸とは                                                              │ 
│   お彼岸会という習俗は、仏教発祥の地であるインドや中国にはなく、        │ 
│  日本のみの行事です。それも奈良・平安時代から行われてきたもので、        │ 
│  現代でも、墓参や法要が行われいます。彼岸の中日には、昼夜の時間          │ 
│  が入れ代わり、太陽が真西に沈みます。この自然現象が、日本民族の          │ 
│  こころに豊かな宗教的イメージをいだかせたのではないかと想像しま          │ 
│  す。                                                                    │ 
│   「彼岸」という言葉は、「此岸」と対語になっています。「此岸」が        │ 
│  迷いの世界を意味するのに対して、「彼岸」はさとりの世界を表現して        │ 
│  います。「淨土」と同義語であります。もとは「到彼岸(パーラミータ)」    │ 
│  の略語だったようです。到彼岸とは、まさに「彼岸に到る」というこ          │ 
│  とですから、淨土を願って生きるという課題を表現しているわけです。        │ 
│  ■真宗から見た彼岸                                                      │ 
│   ところが、親鸞聖人の曾孫・覚如上人は、「二季の彼岸をもって念仏修行の時│ 
 │  節と定むる、いわれなき事」(『改邪鈔』)と記されています。つまり、春秋の彼│ 
│  岸だけに限定して、仏道を志すということは、「他力の安心」ではないと批判さ│ 
│  れています。日時を限定して仏道を志すということは、一見すると正しい行いの│ 
│  ように見えます。特別な行事として特化することは、大切にしているように見え│ 
│  ます。しかし、覚如上人の主張は、それでは「いつでも・どこでも」という大乗│ 
│  の必須条件からはずれているというわけです。それを、「行住坐臥を論ぜず」と│ 
│  批判しています。「いつでも、どこでも」おなじ心の構えで生きていなければ、│ 
│  「他力の安心」ではないわけです。                                        │ 
│  ■彼岸を呼吸する                                                        │ 
│   それは言葉を変えれば、いつでも、どこでも、淨土を呼吸して生きろという意│ 
│  味なのです。故藤代聡麿先生の言葉に「明日から来る今日がある。その今日を生│ 
│  きてゆけば、明るい」というものがあります。この言葉は、淨土を呼吸されてい│ 
│  る方の言葉だと思います。「明日から来る今日」というのは、淨土から来る〈い│ 
│  ま〉という時間です。人間の予測を超えてやってくる〈いま〉です。未来は人間│ 
│  の都合よくは動きませんよね。それは人間の予測を超えている淨土の時間からや│ 
│  ってくるからです。その時間を生きろと先生はおっしゃるのでしょう。人間が、│ 
│  理性で考える「未来」は、希望や予定という意識の中にしかありません。また、│ 
│  「過去」は、思い出や後悔という意識の中にしかありません。しかし純粋な〈い│ 
│  ま〉というものは、人間の思いを超えて与えられてくる超現実です。その〈いま〉│ 
│  を生きることが、「到彼岸」の課題に答えてゆくことなのだと思われます。限定│ 
│  された彼岸という習俗を縁として「いつでも、どこでも」成り立つ生きた彼岸を│ 
│  呼吸したいものです。                                                    │ 
└─────────────────────────────────────┘ 

2005年3月2日

いいなぁと、感じる文章は、どういう文章でしょうか。たぶん、それは、自分が啓発される文章ではないでしょうか。感動させられたというのも、いい文章には違いないのですけれども、もっと深く感動させられたら、次のアクションが生まれてきます。そう思います。 小生にとっては、安田理深先生の言葉がそうです。文章を読んでいると、自分の内面でウキウキしてくるときめきを感じるのです。先生の言霊が、小生の心臓をくすぐってくるような感じがします。こういう文章表現ができたらいいなぁと、憧れを感じます。
 そして、自分の内部で、醸成されて、新たな表現が生まれてくるのです。ですから、本を読みながら、自分のノートに副産物を列記していくという有り様です。列記していく作業のほうに時間を取られてしまうことはしばしばです。
 いま、自分だけの宝箱をつくって、安田先生の言葉を拾い集めています。それはもう言葉の御馳走なんです。やっぱり、信仰だって、言葉に感動して、酔いしれるという至福の時をもたなきゃダメだと思います。だって、指示表出じゃなくて、自己表出が宗教言語の本質ですからね。まさに、詩です。散文のように語っていても、本質は詩なんです。詩じゃなきゃ、信仰にはならないんです。相手を想定して語っていたんじゃ、そんなものは信仰にはなりません。だから本当は「教化」なんていう言葉は信仰には、似つかわしくないのです。他は想定されていないのですから。まあ、たまたま詩を語っていたら、まわりで聞いていたひとが、「それいいじゃん!」といって、乗ってくるというのが本質なんです。それ以外じゃないんです。最初から他者の受けを想定して表現したのでは、信仰が腐ってしまいますからね。
 そうそう、真夜中のテレビで玄侑和尚が出ていました。「爆笑問題」といろいろとやり取りをしていました。「あの世はあるのか?」みたいなテーマだったと思います。玄侑さんの答えは、妙に難しかったなぁ。カエルを水一杯の鍋に入れてガスコンロにかけて温めます。すると、カエルはまわりの温度に適応しようとするので、最後にはゆで上がって死んでしまいます。それと同じで、人間も、死を迎えてきたときには、そういうふうに適応していって、最後を迎えていきます。つまり、周りのひとからはどんな世界を体験しているのかは、そのひとじゃないと分からないという譬喩だったと小生は感じました。
 いろいろ言ってましたけど、小生だったら、「そんなの死んでみなきゃ分からん」と答えると思いました。お釈迦様もそう答えたと思います。そんな無責任な!といわれても、それが究極の答えだと思っています。
 人間は、なんでも知りたいんですね。分からないことは、許しがたいんです。でも、分からないことを分からないとハッキリ自覚することを悟りというのですから、仕方ありません。親鸞だって、「そんなの、俺は知らないよ。阿弥陀さんに聞いてみな」というと思います。だって、念仏を称えれば極楽浄土に行けるっていったじゃない!と弟子たちが問い詰めても、俺は知らないよ!阿弥陀さんが、そう言ってるだけだから、俺は、その阿弥陀さんの言葉を信じてるだけだよ!と。阿弥陀さんに任せているんだから、地獄へ行くか、極楽へ行くかは、阿弥陀さん任せだよ!とね。
 いやいや、念仏すれば間違いなく極楽浄土へ行けますよと答えられたら、かえって気持ち悪くなりませんか。もし目的地が出来上がってしまったら、〈いま〉は、すべてその目的地にいくためのステップになってしまいますからね。すべて方法・手段・材料となります。それは、カスみたいなもんでしょう。〈いま〉がいまとして、ビビッドに、充実して生きられなければ信仰じゃないでしょう。明日のために〈いま〉を利用したら、それは信仰じゃありません。〈いま〉のために〈いま〉を生きるということじゃないとね。
 実は、どこへいくか?という問いは、どこから来たか?という問いを解くことと同じだけの重みをもっているのだと思います。

2005年2月2
7日

「他力とは、自力を尽くしきることができるエネルギーの源である」
「自力はダメで他力がよいのだ」とお説教で聞いていても、それでは、他力とは何か?と問うてみても、なかなか納得できる答えが得られないという意見を聞きます。そこで、「他力とは、自力を尽くしきることができるエネルギーの源である」と受け止めたらどうでしょうか。
 本当に自力を尽くしてゆける力は、他力からしか与えられてきません。自力というのは、まだ「俺が」という力みがありますし、打算が混じっています。ですから、自分にとって損になることや、意味のないと思われることに対して、力が湧いてきません。その程度の力では、底が浅いのです。他力ということになれば、意味があろうとなかろうと、損であろうとなんであろうと、力を尽くしてゆこうという勇気が与えられます。自力を尽くし切ることのできる、エネルギーは他力からしかやってこないと思います。
 パウロの「明日が世界の終わりでも、私はリンゴの木を植える」というフレーズにも、他力の匂いを感じることができますね。そこには希望ということが語られているのでしょうけど、それは単なる希望ではなく、人間の打算が死んだところから生まれてくる希望だと思います。人間の打算であれば、明日世界が終わると聞けば、リンゴの木を植えようとする力は生まれてきません。その人間の打算が死んで、その後に、生まれてくる希望なのでしょう。
 振り返れば、客観的な世界は永続するように見えても、自分自身の明日は間違いなく終わりが来ますからね。ただ、よっぽどでなければ、自分のいのちが明日終わるとは、察知できないのです。でも、神の目や仏の目から見たら、いのちの有効期限は明日で終わっているのかもしれませんよね。
 その神の目や仏の目を借りて、自分の〈いま〉のいのちを見てみたら、明日終わってもおかしくないのです。そこまで、開き直っていのちを見つめてみると、所詮、人間のいのちは有効期限付きだったんだと現認せざるを得ません。つまり、自分の努力や人間の営為は、所詮「何にもなりません」。無駄といえば、これほどの大きな無駄はないのです。見事な無駄ですね。
 そこまで開き直らないとダメでしょう。そこからもう一度、自分のいのちを見つめてみたとき、はじめて「リンゴの木でも植えようか」という自発性が生まれてくるのでしょう。死ぬことが分かっていても、ご飯を炊かなきゃならんのですよね。水を飲まなきゃなりません。
 小生の父は、晩年、歯が悪くなりました。それでもお医者さんに行きませんでした。どうせ、やがて終わっていくいのちだから、無駄なことをしなくてもよいというのでした。それに対して、なかなかうまく反論することができませんでした。それでも日常に不便さを感じて、仕方なくお医者さんへ行きましたけどね。
 そのとき感じたことは、所詮、人間が生きているということ自体が大きな無駄だなぁということでした。しかし、それと同時に、たとえ無駄であっても、このいのちを燃やし尽くして生きなければならないなぁという実感でした。実は「無駄か無駄でないか」という尺度は人間が勝手に付けた尺度ですからね。人間が付けた尺度だけで、自分のいのちや他人のいのちを推し量ることはできません。その物差しを真っ二つに折って、捨てなければ、物差しに殺されてしまいます。人間の尺度で、人間自身が殺されてしまうのです。
 その物差しで計ってしまうと、〈いま〉が生き生きと回復してきません。
「朝、目が覚めるのも他力」なんです。生きていること全体が、他力の上に展開している〈いま〉です。それは永遠から滲み出てきたところの〈いま〉なんです。

2005年2月26日

浄土とは、コトの領域ではないか。
浄土は、どうしても空間概念なので、「あの世」とか「来世」というイメージを人間にいだかせてしまいます。それをもうちょっと非神話化してみたらどうなるでしょうか。
 ひとつには、人間の感受したり思考したりする対象を超えているという意味もあります。それをコトの領域と言ってみました。
 「私というコト」と「私というモノ」とは違います。私が目で見たり、感じることができるのは、モノとなって認識可能な身体ですよね。そのモノをモノたらしめているコトの領域は、未知です。それが二重になっているのが、「私」です。浄土というのは、そういうコトの領域を人間に暗示するための宗教語なのではないでしょうか。お経には、西方十万億土に極楽があると説かれているのですが、あの遠さは、近すぎるがゆえの遠さではないかと思えます。つまり、コトとモノは二重になっていて、人間には見つけられないくらいの隔たりを感じさせます。ですから、人間には浄土が、西方十万億土という隔たりとして感じられたのではないでしょうか。あれは隔たりの感覚なんですね。「西方」という宗教語も、別に東西南北の西方ということではなくて、「超越」という意味をあらわしてています。人間の意識を超越しているという意味合いですからね、「西方」という語は。
 ですから、コトの領域は、人間の目で見ることができません。猫というコト、歩くというコト、納豆というコト、人間というコト、生きるというコトで、すべてが成り立っています。人間に見えたり、感じられるものは、すべてモノの世界です。これを宗教語では、「方便の世界」といいます。人間の感受可能な世界を「方便」という言葉であらわします。 コトの領域から、モノの領域へ入ってきたとき、人間の世界となります。親鸞は、そのコトの領域を「法性法身」といい、「色もなし、かたちもましまさず、しかれば、こころも及ばれず、言葉も絶えたり」と表現していると思います。そこから、人間の世界へ現れてくるものが、方便です。つまり形の世界です。
 逆にいえば、この世はすべて方便の世界ですから、その方便は、形のないコトの世界を暗示しているのだと受け取ることもできます。
 テーブルの前においてある、イカの塩辛は、浄土からきたのかもしれません。コトの世界から表れでてきたのかもしれません。そういえば、なんとも、生き物の味がするではありませんか。浄土の味は、塩辛の味なんでしょうか。それを否定することもできないように思います。

2005年2月25日

「すべてのひとに仏性(=仏になる可能性)があるんだよ」というひとがいます。猫や犬や、そして植物にも仏性があるんだよと。それは、間違いないことだと感じます。
 しかし、それだけじゃ、信仰にはなりません。それだけじゃ、単なるお話の世界のことでしかありません。ファンタジーだけになってしまいます。
 みんなに仏性があるのならば、わざわざ仏さんが、生きとし生けるものを救おうとはたらく必要がないのです。みんなの中にある仏性を、みんなが磨き出せばよいだけの話になってしまいます。
 「自己に仏性無し」ということにならなければ、仏の慈悲は不必要になりましょう。仏になる可能性の皆無の場所が、慈悲の発動する場所なのですから。確かに涅槃経でも、「一切衆生悉有仏性(一切の衆生に、ことごとく仏性有り)と語っているんですけど、それは、仏の視座から見られた表現であって、人間の視座ではありません。言語表現はすべて、人間の側の表現なのですけど、しかし、表現の視角は人間ではなく、仏なのです。人間には分からないことだけど、仏様が御覧になったら、このように御覧になるだろうという視角で書かれているのです。ですから、人間の言語表現であっても、人間の視角ではないのです。
 ですから、「一切衆生悉有仏性」という表現を見れば、自分には仏性がないと受け止めるしかないのです。それは親鸞の受け止め方でしょうね。親鸞は、自己を一闡提と受け止めていたようです。一闡提とは、断善根であり、成仏の可能性のない者です。そういう認識が、底辺にあって、その場所に、仏説として「一切衆生悉有仏性」と降り注いでくるわけです。「無い」という認識のところ以外に「有る」という慈悲は降り注がないと思います。
 そういう逆説的運動が、信仰の実態だと思います。ですから、阿弥陀さんに救われてしまったら、それで信仰はお終いです。救われてしまえば、安心のようですけど、それほど退屈なことはありません。人間は、「救い」くらいで満足する生き物ではないでしょう。やはり、どこまでも闇に向かって常に立ち向かっていく、そういう勇気みたいなものを望んでいるのです。
 信仰の実態は、いつでもスパイラルです。螺旋です。行きつ戻りつしているように見えます。全然深化していないように見えます。分かったような分からないような、曖昧な白道を進むものです。しかし、その曖昧さは、スパイラルに深化しているのです。そのスパイラルを信じることです。
 いちど、仏道の門を潜ったものは、もう二度と後には引き返せないんです。やめようにもやめられないんです。進もうにも進めないんです。そういう宙づり状態なんです。でもその宙づりは、深化のスパイラルであることは間違いありません。この躊躇いは、お釈迦様も親鸞も、感じたことです。私ひとりの苦悩じゃないんです。私の中にいるお釈迦様や親鸞が疼いているのですからね。
 

2005年2月24日

ますます、〈いま〉を絶対受容することが、人間にとって、いかに困難なことか、そして、重たいことか、さらに、大切な問題かということが思い知らされています。
 港の堤防近くには、目をボンドで塞がれた猫がいました。こころない人間のいたずらによって、無惨な境遇を強いられていました。また、釣り糸に足を縛られて、片方の足がもげかけている鳩がいました。どちらも、人間という罪深い生き物の仕業です。怒りと、情けなさを感じています。
 でも、被害者である猫や鳩は、その現実を絶対受容して生きていました。人間を恨んだり、我が身の境遇に愚痴を吐いたりはしていないようです。いまある〈いま〉を絶対受容していました。あの受容力には、人間は脱帽です。
 さらに、植物の受容力もすごいです。植物の種が鳥の糞に混じって、お墓とお墓の間に、落っこちます。ほとんど直射日光を浴びることのできない場所です。しかし、そこから発芽して、知らず知らずの間に根を張り、やがて、墓石を動かすほどの力を発揮します。種が落ちた場所を、まず絶対受容しています。その場所をいやだとは拒否できません。もう数センチ違っていれば、墓石の上で干からびて死んでいたはずです。あるいはもう数センチ違った場所に落ちていれば、もっと日当たりのよい好条件の場所に根を張れたはずです。しかし、彼らは、その場所をまず絶対受容してゆきます。この力にも、人間は脱帽です。
 人間が、有無をいわさず〈いま〉を絶対受容できるのは、もはや死という状況しかないのかもしれません。
 現代は、なんでも自由に、思いのままに自分の思いを実現できるかのような状況です。移動には、自動車という手段を使えば、何百キロ離れていても、数時間で行けます。飛行機を使えば、地球の裏側にだって行けます。情報はインターネットで、全世界と瞬時につながることができます。食べるものでも、全世界から、食材を買いつけることが可能な時代です。ですから、「思い」の世界では、これほどの自由を実現できます。しかし、自分の現状はどうかと、足元に目をやってみれば、面白くもおかしくもない、呆れるほどの日常が展開しているのでした。
 自己の境遇は、何等変更することができないほど、苦しいものであるのです。思いは自由であっても、境遇は、苦であるという、この反比例が現代人を深く深く苛んでいるのではないでしょうか。それも、苦の対象が明確にならない苦しみです。対象が明確であれば、対処のしようもあります。でも、対象がはっきりしない不安にも似た苦しみが蔓延しています。
 「思い」は、あまりに自由ということに偏重し過ぎています。しかし、現実は、老・病・死や、人間関係の苦境、経済的苦境、ビジネス疲労というような苦境に違いないのです。境遇はなかなか、思いのように自由に変更することはできません。境遇は、相変わらずの牢獄でしょう。まさに不自由そのものであります。この思いの自由と、境遇の不自由というギャップがますますより巨大な溝に深まっているように見えます。
 「我がこころの善くて、殺さぬには非ず。また、害せじと思うとも、ひとを百人、千人殺すこともあるべし」(歎異抄)という親鸞の言葉は、目からうろこの一言です。
 あらゆることが縁だという透徹した眼です。ひとを殺すのも、殺されるのも、それはすべて縁だということです。人間のこころが、純粋だから殺さないのではない、また不純だから殺すのでもない、すべては縁だと。すると、〈いま〉ある境遇も、すべて縁以外にはありません。たまたまの縁です。縁ということは、常に変化し流動しているということです。「縁」といえば、それで人間は、「あーそういうことかー」と分かってしまいます。でも、それは全然分かっていません。縁という言葉を使っているから、「縁」が分かっているかというと、全然分かっていません。縁など、人間には見えないのです。単純な因縁は見えても、〈いま〉を支えている無量無数の縁は見えません。
 仏教を勉強していると、「仏とは何か分からん」とか「淨土って何かわからん」という発言を効きます。しかし、そういうあなた自身は分かっているのか?と逆照されてくるのです。どうしてあなたの顔は、そういう顔なの?あなた自身って、いったい何なの?と問われれば、これは答えることができません。それと同じことです。仏とか、淨土とは、私自身の分からなさとつながっているのです。
 しかし、分からないということで、人間は救われていくのです。「分からない」という言葉は、迷いの表現でもあります。しかしまた、悟りの表現でもあるのです。「分からない」から入って、「分からない」に出て行くのです。無分別と無分別智とは、雲泥の差があります。
 臨済録には、仏とは「汝の面門より出入す」と書かれています。呼吸が仏なんです。自己の内と外を自由自在に融通しているものです。生きて働く仏そのものが、呼吸です。生理的な呼吸が仏だというのではありません。呼吸している見えない息そのものが仏なのでしょう。仏とともに生き、仏とともに死すのでしょう。

2005年2月19日

猫が、部屋にオシッコを引っかけてゆきました。雄ネコは、バカヤロウです。猫のオシッコはとても臭いんです。あの匂いが好きなひとはいないはずです。何日たっても、匂いがとれないんです。しかたなく、強力消臭剤を買ってきて振りかけました。
 どうして、オシッコをするんだろう?と怒りと疑問が湧いてきました。彼は、自分の縄張りを主張するために、マーキングをするのだそうです。本能的に。しかも、よりによって、本や書類がある込み入った複雑なところにやるんです。このバカヤローって感じです。シャーッという不吉な音がしたので、そっちの方を振り向きました。すると、あいつがオシッコを引っかけているところでした。まさに、現行犯逮捕をしようとしました。奴も小生と目が合ったとたんに、シマッタ!という顔をして、その場から一目散に逃げ出してゆきました。追っかけて、ひっぱたいてやろうとしましたが、とてもすばしこいんです。やっぱり、あの逃げ方をみると、罪の意識を感じているようなんです。もし、何も悪いことをしていないのであれば、逃げ出す必要もないじゃないですか。どこかにやましい心があるから、現場から一目散に逃げ出したんでしょう。
 小生は、オシッコの液体を拭きながら、絶望的な感情に襲われました。したてのオシッコは、まだ差ほど匂いません。でも、時間が立ってくると、悪臭に変化していくんです。でも、犯行直後は、怒り心頭という感じですけど、少し時間がたつと、それも忘れてしまうんですけどね。無邪気に大の字になって寝ている姿を見ると、怒る気持ちも失せてしまうから不思議ですね。あれは、猫だから、なんでしょう。人間に対する恨みは、いつまでも継続するように思います。どうして、人間に対する怒りは継続するのかといえば、やっぱり、人間として対等だという意識があるからでしょうね。猫なら仕方ないけど、人間じゃ許せないという感覚がありますね。
 同じ人間なのに、どうして、こんなひどい事をするのだろう、こんなむごい事をするのだろうと思いますよね。他の動物に対しては、怒りは継続しませんけど、人間に対してはいつまで、怒りの感情は続きます。正確には、一時は忘れていても、思い出せばいつでも怒りが湧いてくるということでしょう。それは、自分と同じ、対等の人間だということを認めているからですし、もっといえば、人間として尊敬しているからかもしれません。「私と対等の人間でありながら、どうして、そんなむごい事をするんですか?」と異議申立をするわけです。もし、人間が小生の部屋にオシッコを引っかけたとなると、これは損害賠償ものですよね。まあそういうひとはいませんけどね。
 ですから、人間同士の争いごとが一番厄介なんですね。相手を対等だと考えているから、厄介なんですね。相手を猫程度に見切ってしまえばいいのですが、なかなか見切れないんです。赤ちゃんのオシメを変えているとき、気持ちよくって、オシッコを引っかけられることがありますね。あのオシッコを引っかけられても腹は立たないんですね。でも、大人だったら怒り出しますよね。赤ちゃんは非対等で、大人は対等だと見なしているからなんです。ということは、自分と似ている対象に対して、一番腹を立てるものものが人間なのかもしれません。相手に、自分が写ってしまうからでしょうね。相手に写っている自分自身に腹を立てているのでしょうか。
 人間はお互いに鏡のように、他者の上に自分自身の影を見ているのでしょう。

2005年2月17日

以前、テレビで相田みつをさんの生涯をドラマ仕立てで放映していました。その中で、同級生が、喫茶店のトイレに飾ってある相田さんの書を見て、怒り出すシーンが印象的だった。まだ売れる前の相田さんは、いろんなひとたちに書を買ってもらっていました。喫茶店では、トイレに飾ってありました。
 それを見た同級生(彼は、いわゆる出世をして、企業人として立派に成長していました)
は、「お前は書をやっていると聞いていたが、お前の書は、こんな便所に置かれるような書なのか!その程度のものなのか!」。そんな雰囲気の言葉を掃きました。
 同級生は、喫茶店の店主に、ただちに書をはずせと食ってかかります。しかし、その同級生を制止して、相田さんは「いいんです」と答えました。同級生は、その態度に呆れて店を出てゆきました。そんなシーンだったと思います。
相田さんの書は、「つまずいたっていいじゃないか人間だもの」というニュアンスの、人間のどうしようもなさを表現しています。すべてのトーンが、そうです。しかし同級生は、そんな弱音を吐いていたのではダメだという人生観をもっていたのです。戦後の復興期であれば、まさに努力中心の出世主義がブランドだったんでしょうね。現代であれば、相田さんの書に共感するひとは沢山います。しかし、あの時代に共感するひとは皆無だったのでしょうね。
 この相田さんの書のトーンは、他力の信仰に通底しています。このトーンは、人間の底に生きる場を開くトーンだと思います。「いかにするか」「どうするか」というハウツーの理論ではなく、そのハウツーが十分に働くための場を開くのだと思います。こころに場を開くと言ってみたいと思います。
 そこへ行けば誰もが癒され、疲れた身を休め、十分に休養がとれて、やがて自発的に生き生きと生きる力が湧いてくるような場所です。そういうたましいの解放区を開くのがこのトーンではないかと思います。
 ですから、便所でなくてはならないのです。人間にはなくてはならない場所が便所です。ひとは忌避する場所であり、不潔な場所だとさげすんでいますけど、この場所こそ、貴重なたましいの解放区になりえる場所ではないでしょうか。便所を忌避する傲慢なこころが砕け散ります。
 今朝、現代人の古い化石がアフリカで発見されたとニュースで流されていました。小生のいのちが、あの遠いアフリカとつながっているだなぁと感じました。阿弥陀なるいのちとしてね。

2005年2月1
5日

寝屋川の小学校で殺傷事件が起こりました。正直いって「また!」という感じです。テレビでは、ヘリコプターから、学校の校舎の全景が映されていました。学校の事件では、必ず校舎が、同じような視覚から放映されます。あの校舎の映像が、いつまでも脳裏にこびりついてしまいます。 
 やっぱり、マスコミの映像、そしてそれを通して茶の間で見ている私たちの視覚は、マクロなんでしょうね。どうしても、第三人称として事件を見てしまうわけです。そこには、「なんで、こんな事件が起こるんだ」という不可解さと憤りと嘆きがあるわけです。そして、事件が起こった原因を洗い出して、その原因を抹殺すれば解決すると発想します。ある番組では、学校に外部の人間を入れないように徹底的に閉鎖して、ひとの出入りをチェックする。さらにガードマンを常駐させるということしかないと言ってました。それを徹底して、具現したものが、刑務所ですね。「学校の刑務所化」こそが、安全な学校なのだということでしょう。そこには、解放ということがどこにも感じられません。番組でも、果たしてそれが学校といえるのだろうか?と疑問を呈していました。
 結論からいえば、こういう事件は、防ぎようがないというのが結論です。起きるという点から考えれば、どこでも起こりうる可能性をもった社会が現代社会です。ですから、その事件の原因を見つけ出して、抹殺すれば、それで安全かといえば、そんなことはないのです。また、殺人事件の発生率は、歴史的に見て、そう変動はないようです。ただしマスコミで流される量が圧倒的に多いのです。ですから、私たちが受ける印象は、「最近殺人事件が多いなぁ」という感覚なんですね。別に、現代社会が凶悪化しているというわけでもないのです。
 被疑者の17歳の少年は、「ひきこもり」だったという噂が流れています。そうすると、こんどは「ひきこもり」=殺人事件の発生因子だと見る見方になって、どのように「ひきこもり」を社会に連れ出すかという運動へと傾斜していくんです。
 私は「ひきこもり」は、中世の聖(ひじり)じゃないかとも考えています。聖は世捨て人として、社会から隔絶して、「ひきこもり」ます。そこでいろいろと「考える」という領域を作り上げていくのです。思想の醸成を行っていく領域です。ちょうど、それは蝶々がサナギになる時期と似ているのではないでしょうか。ひと昔前に「コクーン族」というのがありましたね。コクーンとはマユのことですから、サナギなんですね。そのさなぎの時期を経過しないとうまく成虫にはなれないのでしょう。そのさなぎの時期を無理やりひっぺがして社会のひかりに晒せば、幼虫は死んでしまいます。社会のもっている力は、そういう無謀なことにも傾斜していきます。
 そういう方向に傾斜してゆかないことを願っています。こういう事件が起こったときには、驚きと嘆きが起こります。マスメディアもそういう方向で放映します。しかし、その感情に流されることなく合掌して、静思してみましょう。そして、ひとは、その事件の因子を自己の内面へと問うてみるべきだと思います。そして、被害者と加害者の人生の両方をよくよく見つめて見るべきです。さらに、自分がいつ被害者とも加害者ともならないとは限らないと思うべきでしょう。その視点に立たないと、ついつい自分は被害者の側にだけ立つ人間になってしまいます。自分だって、いろんな条件が重なれば加害者にならないという保証はないのですから。

2005年2月14日

働き盛りの方が、急死されました。まったく人生というのものは残酷なものです。人間の予測や思い込みを、完全に粉砕してしまいます。もとをたどれば、この世に誕生せしめられたということ自体が、残酷なんでしょうね。
 「幸せ」というものが幻想であることを、つくづく教えられました。しかし、若いから可哀相、年寄りだから仕方ないということは成り立ちません。それは第三者がいうことです。肉親は、いくらお年寄りだからといって、これで十分生きたから、もういいですよとは言えません。
 これから、残された家族は、苦しみを受け止めるという受容作業が仕事となります。これは受け取る以外に方法がないのです。受け止める作業の途中に、必ず「大切なもの」が見つかるはずです。いつも不思議に思うのですが、幼児にとって「死」は存在しません。幼くして母をなくしても、父をなくしても、幼児にとっては、「母の不在・父の不在」への悲しみであっても、「母の死・父の死」への悲しみではないからです。死によって、肉親と永遠に出会うことはできないのだという感覚は、ないようです。永遠に出会うことができないという悲しみは、やはり言葉を通して理解していく意味世界が出来上がったときに感じるものです。ですから、大人には、死は成り立ちますけど、幼児の世界では成り立ちません。
 自分と他人の違い、自分の父母と他者の父母の違い、さらに地球が丸く、世界はどのような形になっているのかということを学習することを通して、「死」を学んでいくわけです。ですから、「死」は人間特有の学習作業を通して身につけた観念であります。犬や猫には、「死」は存在しないのです。
 ですから、生理体としての肉体の機能停止は、変更不可能でありましても、「死」という観念の変更は可能なのです。人間の「いのち」への学習を通すことによって、少しずつ変更していく余地が残されています。
 私たちは、愛する肉親を亡くすことによって悲しむわけです。それは、自分の前から愛するひとが亡くなったことへの悲しみです。それは自分が悲しいんです。果たして、亡くなられた当人がどうであるかは分かりません。亡くなられた方を中心に考えてみたらどうみえてくるでしょうか。
 生きているひとは、まだ死んだことがないので、「死」とはどういうことなのか、本当のところは分かりません。他者の死を見て、可哀相だとか、苦しいだろうなぁと想像しているだけで、本当にそうなのかどうかは分かりません。ですから、生者の思い込みを、死者に当てはめてはダメだと思います。
 死の受け入れの作業は、「自我」の崩壊作業でもあります。ですから自分の思い込みや、希望や愛情を、相対化していく辛い作業であります。決して、この世界は、人間の思い込みの世界で成り立っているわけではありません。昨年の新潟地震やスマトラ沖地震でも分かるように、地球全体も生き物なのです。地球にも死があるのですからね。ただ、この人間の「自我」というやつは、いつでも、安定し、固定し、維持したいと欲求するんですね。快楽を得たら、この快楽を一生継続したいと欲求します。幸せを感じたら、この幸せを一生つなぎとめておきたいと願うんです。それは自我の本能ですから、仕方のないことです。 しかし、自我が考える幸せの保証はどこにもないということだけは、肝に据えておかねばならないのでしょうね。自我は、人間だけが思い描いている「幻想」のようなものですからね。毎日、幻想の日々を生きているのですけど、それはあくまで幻想であって、いつ崩れてもおかしくないほどもろいものだと知っておくべきなのでしょう。確かなことは、この一瞬だけですよね。

(追伸:海苔、ありがとうございました。(^^ゞ)

2005年2月10日

現代人は、理性で「分かる世界」がほとんどで、「分からない世界」は少ないと錯覚しています。しかし、本当は、「分からない世界」が圧倒的で、「分かる世界」は極小であるように思います。
 家族に災いが起きると、ひとは、先祖がたたっていると錯覚します。その発想には、自分たちは悪くないという思い込みがあります。自分たちは何も悪いことはしていないのに、どうしてこんな悪いことが連続して起きるのだろうかと。そして、その理由は、先祖が問題だと、悪いのは先祖だと決めつけます。「先祖をちゃんと供養していないからじゃないか」と。先祖は、まさに「死人に口なし」ですからね。生者の思い描いたシナリオに、無理やり先祖も登場させられます。それも悪人の役でです。問題は先祖にあるのだから、先祖を何とか供養してあげれば、自分たちの災いも解消されるに違いないというわけです。
 まったく傲慢なことだと思いませんか。生者の発想は、理由を知りたいのです。なぜ、自分たちにこんな災いが起きるのかという理由を。その問いを抱えているとき、「先祖を供養していないからだよ」という論理にすっと乗っかってしまうのです。それを誰しも疑わないわけです。そのひとが、たとえ現代の知能の粋を集めたコンピューター関係の仕事をしていようとです。まあ、おなじベースの上に乗っかった論理だから、疑問に感じられないのでしょう。コンピューターも、先祖の祟りも、「ああすればこうなる」という世界ですからね。まあ、コンピューターでも、意味不明のフリーズがありますから、そうともいえない面もあるんですけどね。
 災難に遭ったひとは、なんでこんな目に自分が遭うのだろうと問います。なぜ連続して災いが起こるのだろうと。しかし、その問いには答えはないのです。それは人間には「分からない世界」なのです。もともと「分からない世界」を人間は生きているのです。それを人間は理性によって解明しようとするのです。そして勝手にシナリオをつくって、それで分かったつもりになっているのです。
 しかし、私たちが生きている世界は、ほとんど「分からない世界」なんですよ。別に異次元に「分からない世界」があるのではありません。この日常世界が「分からない世界」なんですよ。どうして、あんたは、そんな顔をしているの?と問われても、答えられませんね。なぜそんな性格なの?とか。なんで日本人で、なんで人間で、なんで男で、なんでこの家に生れ、なんでこの時代に生れ、なんでこんなひとと結婚して、なんでここに住んでるの?と問われても答えはありません。死んでどうなるの?なんで病気になるの?みすみす死ぬのになんで生きてるの?なんで地球は浮いてるの?宇宙の果てはどうなっているの?そういう自分のいのちへの問いを立ててみると、まったく分かりませんね。だいたい、自分はどうなったら、根本的に幸せなのか、人間は教えられていませんからね。
 結果はたったひとつであっても、原因は無量無数です。いま癌になったとして、その癌がなぜ発病したのか?それは長年の生活歴と気質歴とを見なければ分かりません。その原因を探ることはほとんど不可能でしょう。DNA操作によって、近い将来には癌細胞を早期に除去できるかもしれませんね。しかし、また新たな病気が発見されることは間違いないところですけどね。
 人間は病気によって死ぬわけではありませんからね。生まれちゃったということが死の根本ですからね。人間は、健康でも亡くなるんです。ただお医者さんが死因を聞かれて答えられないと困るので、癌とか脳出血とかいうだけです。死因がなければ死ねないというのが現代人の病気です。老衰で天寿をまっとうしているひとに対して、癌だとか、死因を与えるわけです。あれは、医者が困るから付けてるんじゃないかと思ってしまいますね。
 いつ生れ、いつ死ぬのか、そんなことは人間には知らされていません。ほとんど分からない世界です。ですから、「分からない世界」を「分からない世界」として受け入れるということ以外にないのです。それが生きる力となります。「分からない世界」を理性によって切り刻んではいけないのです。それは大いなる傲慢というものです。
「分からない世界」を「分からない世界」として許せないのは、人間の傲慢です。この「分からない世界」を受けいれる力が、いま著しく減退しているのではないか危惧しています。

2005年2月09日

昨日のプロジェクトXは、オウム真理教のサリン事件についての番組でした。地下鉄に薬品が撒かれ、次々に被害者が倒れてゆきました。初期には、それがサリンだと特定できず、医療従事者を当惑させました。築地駅のそばには聖路加国際病院があります。しかし救急患者を受け入れる能力には制限があります。しかし、患者は増える一方でした。当時の病院長であった、日野原重明先生は、「すべて受け入れる」という決断を下しました。その号令のもと、当日の外来を一切断って、病院すべてを上げて救急患者の受け入れをしました。
 何が原因であのような症状になるのか、医師たちは当惑しました。始め救急車で送り込まれてきた患者は、火傷だという情報でした。しかし、外傷はどこにもないのに、心停止している。これはいったいどうしたことだと思ったそうです。時間が経過することによって、これは薬品を吸引したことかもしれないということで、農薬の解毒剤であるパムという薬を試そうとします。しかしこの薬は劇薬で、もし原因が農薬でなければ、重大だ副作用を引き起こします。これは、賭けのようなものです。そうしている間にも、患者の容体は悪くなってゆきます。最後の決断の時が迫ってきました。現場の石松医師は、パムの投与を命じます。点滴にパムを投与して三十分後「先生、パムが効きました!」という現場からの一報が入ります。暗中に、一条のひかりが差し込みました。
 スタジオには、患者となって生死の境を彷徨った築地駅の職員と、パムの使用を決断した現場の医師が招かれていました。ふたりとも、当時を振り返って涙をためていました。 それにしても、あの、日野原院長の「すべてを受け入れる」という決断は、すごいことだと思いました。最後は合議ではなく、たった一人の決断が大事を為すときには、必須なんですね。
 世間では、民主主義とかいって、みんなで決めることのほうが、いいようにいいますけど、本当のところは、たったひとりの決断が大事を為すんですよね。そういえば、かつて立正佼成会の本部に見学研修に伺ったとき、当時の最高顧問である長沼先生がこんなことを語っていたのを思い出しました。庭野日敬先生は、それこそワンマンで、ひとりの決断で富士見町の土地をたくさん買いました。いまだったらあれはできなかったでしょうね。いまはみんなで集まってすべてを決定しますからね、と。さらに、教団は今のように大きくなりましたが、強い信仰のひとは少なくなりましたとも語っていました。
 やはりそうなのだと思います。たったひとりの決断が、大事には必ず関与しているということを改めて思います。それは、ひとつ間違えば独裁ともなるのですが、その独裁の毒が解毒されれば、味もそっけもない民主主義が残っていくのかもしれません。みんなで決めるということは、いろいろな意見が出ていいように思いますけど、結局決めたことの責任も分担されますから、無責任ともなるわけですからね。

2005年2月07日

マリア・シャラポアの雄姿、いや妖艶?に見とれました。シャラポアによって、にわかテニスファンが、激増したことは間違いありません。という小生もそうでした。また、あの、クリーム色のキャミソールみたいなユニフォームがキュートですよ。(ちょっと、カタカナ語を多用しすぎ)それに、あのサンバイザーがおしゃれです。イヤリングとネックレスが、ショットを打つたびに揺れていたのも素敵でした。またまた、あのショットを繰り出す時の、奇声がいいですね。これは、カタカタでは表現しないほうがベターです。あるテレビ局では、あの奇声をカタカナにしてましたけど、カタカナに変換すると、ちょっと違うんじゃないかなぁと思えるのでした。まさに、言語に還元できない奇声だからこそ、いいんじゃないの、と思います。ライブでしか良さが伝わりません。
 決勝戦の相手、世界ランキングナンバーワンのダベンポート(ワープロ変換したら、「駄弁ポート」と出ました。)には、練習中の怪我が不運でしたね。ほとんどの得点がサービスエースでしたからね。もし、あのサービスの剛球とラリーの強さがあれば、やはり世界一なんでしょう。しかし、昨日の東京体育館は、ほとんどがシャラポアのファンじゃなかったでしょうか。容姿の点では、勝負の前に白黒がついていましたらかね。残念ながら。みんなテレビにかじりついて、手に汗を握って観戦しました。3セット目は競ってましたから、余計に汗が出ましたね。スポーツの試合は、なんであんなに興奮するのでしょうか。相撲にしても、朝昇龍を負かそうとする力士を応援している自分の手には汗が滲みます。
 あのときは、おそらく選手と自分が一体になっている時じゃないかと思います。あの選手が自分であるような、選手に乗り移っているような、そんな一体感を感じることができます。いわば、一心同体の感覚ですね。人間の感性は、デリケートなもので、まだまだ、未開発の部分があるのでしょう。一心同体感覚が、成り立つ瞬間があるということは、人間も捨てたもんじゃないなぁと思います。
 そうかと思うと、愛知県・安城市では、幼子がナイフで刺し殺され、千葉県では、8人が死傷されるという交通事故のニュースが報じられていました。なんという惨事だ!と絶望とやりきれなさとため息が漏れました。被害者の方々への共感の感情が動きます。あのニュースを見た一億人の口から漏れたため息が聞こえてきそうでした。安城市の加害者は、幼くして両親を亡くし親類に育てられたそうです。生育歴の中で、人間の愛情というものを感じられず、それが人間を信じられないという傾向性へと導かれたのかなと想像してしまいます。まるごと自分を受け入れてもらえるという体験がなかったのかもしれません。犯罪は、確かに許されてはならないものです。しかし、加害者の生育歴に目をやるとき、どこかで、さもありなんという領解が起こるのも無理からぬこところです。
 ここのところ、いろいろな報道にこころを悩ませたり、感動したり、反感を感じたり、怒ったり、共感したりと、忙しく煩悩に馳せ使われている日常が展開しております。まさに「火宅無常の世界」ですね。 

2005年2月05日

禅者・鈴木大拙(1870〜1966)は、『英訳教行信証』の中で、「凡夫」を「ignorant being」と訳しています。直訳すれば、「無知の存在、無学の存在」ということになります。ところが、本願寺派(通称:お西・西本願寺)で出しているものだと「ordinary being」と訳されています。いわば「普通の人々、通常の存在、ありふれた、平凡な存在」とでも訳せましょう。
もともと、親鸞の「凡夫」の用い方は、「聞き言葉」であるというのが、小生の見方です。つまり、如来から自己への呼びかけとして聞こえてきた言葉が「凡夫」という言葉の意味です。それは「凡夫」という、単語が自己の内面に聞こえてきたということではなく、「凡夫」という言葉が成り立っている意味の網、つまり、「意味体系」が開かれてきたということです。その意味の編み目の中に、自己の存在が位置づけられたといってもいいと思います。
ですから、このような宗教言語を、日常の言語世界へ翻訳することは、本来的に不可能なことなのです。極端に言えば、人々に誤解を与えるということなのですから。しかし、その危険をあえて犯さなければ、他者には何のメッセージも与えられないということです。ですから、翻訳(現代語への翻訳)は、つねにリスクと背中合わせなのです。これは、もともとを辿れば、お釈迦様が、悟りの内容を人間の言語世界へ表現したというところに端を発するわけです。人間の言語世界は、必ずしも「聞き言葉」では成り立っていません。表層の世界を表現する記号で氾濫しています。
先の、「凡夫」にしても、お西では、「普通の、平凡な存在」という日常の言語世界へ翻訳しています。しかし、「凡夫」ということは、ただ平凡な、普通の人々という意味も含みますが、それでは、もうひとつ深層のところまで意味が達していないように思います。そこに、如来から言い当てられ、呼びかけられている自己の影が翻訳しきれていないと感じます。つまり、「凡夫」は客観的に存在する、普通の人々というもの以上に、如来から呼びかけられて、言い当てられたという雰囲気がなければなりません。それは三人称ではなくて、二人称の間の言葉だということです。その意味が大拙訳のほうに、よく表れています。
「無知の存在・無学の存在」も、確かに日常言語世界の文脈で浅くとらえることもできます。文字が読めないとか、書くことができないというインテリジェンスが低いという意味にも使いますからね。しかし、そのもうひとつ奥のところには、自己の存在への無知ということが暗示されています。弘法大師・空海が、「生れ生れ生れ生まれて、生の初めにくらく、死に死に死に死んで、死の終わりにくらし」と語ったような、自己存在への究極的「無知性」までをも暗示しているわけです。そういう暗号として、「無知」が読めるわけです。そこに大拙が、この「凡夫」を二人称の関係で、つまり真如との関係で理解してたことが分かります。
しかし自分が「凡夫」という言葉を使う時には、どうしても、「どうせ凡夫だからね」と自己弁護で用いたり、卑下して使ったり、「普通のひとたち」というふうに、自分をごまかして用いているんです。でも、いつでも、その「凡夫」という言葉を、ごまかして用いているなぁということが、見えているということが、大事だと思われます。
そこに忸怩たるものがあるわけです。それは、お釈迦様が、離言の真実を人間の言語に翻訳されたというところにあった感情でしょう。この逡巡や躊躇いは、お釈迦様が私の上に起こしてくれているものだと受け止められないでしょうか。あるいは、お釈迦様は私の中に住んでいて、そういう躊躇いなどを引き起こしてくるのかもしれませんね。
私の内部に、釈尊を体験し、親鸞を体験し、万人を体験してゆきたいものだと思います。それにしても、大拙の訳は、暗示的です。 

2005年2月03日

明日から来る 今日がある
 その今日を生きてゆけば 明るい


                           (昭和49年5月7日)
                               藤代聡麿先生の言葉

借金を残して浄土へ旅立たれた方がありました。家族は、その尻拭いに奔走しなければなりません。目の前が真っ暗になるほどの驚きと共に、残された肉親は、後始末に疲れ果ててゆきます。
 そんな現実に、この法語は、どのような「明るさ」を与えてくれるのでしょうか。
「明日から来る 今日」とはいったいどういうことなのでしょうか。小生は、それを、「地獄一定(じごく・いちじょう)ということではないかと受け取りました。どんな巡り合わせで、家族は肉親となったのでしょうか。それは、不思議な因縁としかいいようがありません。それが、幸せな因縁であろうと不幸せな因縁であろうと、どちらにしても不思議な因縁であることには変わりありません。
 肉親は、その因縁を引き受けていくしかないのです。幸せな因縁は、人間を考え深く育てることをしません。しかし不幸せな因縁に出くわしますと、これは人間を考え深く育てるものだと思います。不幸せな因縁に出会うと人間は「なぜ?」「どうして?」「なんでことなことに?」、さらに「どうして、私がこんな目に遭わなければならないのでしょうか?」と考えます。
 それは考えてもどうしようもないことなのです。そんなことは分かっているんです。分かり過ぎるくらいに分かっているのですけれども、そう問わざるを得ないのです。
 そして、その彷徨えるたましひは、落ち着くところへ落ち着いてゆきます。その場所は「地獄一定」ということでしょう。この娑婆の本質は地獄だったということです。地獄が決定的な自分の生き場所だったというところが着地点でしょう。「国破れて山河あり」ということでしょう。自我の国が破れるまでには、大変な道のりがかかります。しかし、その国が破れてみれば、そこに、自分を支えていた大地を発見します。そこが「地獄一定」だと思います。
 その自我の国は「自分は幸福になるのが当然だ」と傲慢にも思い上がっています。その当然の幸福に比べてみると、「なんで私がこんな目に遇うの?」と愚痴が出てくるわけですね。だれも、あなたが幸福になれるなんて保証していないわけです。でも、保証されていないのにも関わらず、そう思い込んでいるんですね。そして「国が破れる」わけです。破れてみれば、そこに初めて、大地が発見されます。その大地と共に、生き始めなければなりません。
 何のために、こんなことまでして生きなきゃならないのだろうか?とまたまた、問いが頭をもたげてきます。その答えは、「人生全体が修行だ」ということだと思います。何のための修行なのかといえば、それは仏に成るための修行場なのです。不思議なことを言うようですけど、何か目的があってする修行じゃありません。無目的です。与えられた境遇を、受容していくという修行です。仏に成るとは、無目的ということです。本当に仏に成れるかどうか、そういう問いも頭の中から放擲されなければなりません。
 「国が破れて」みれば、そこにやってくるのは「明日から来る 今日」でしょう。「純粋未来」(曽我量深用語)からやってくる〈いま〉でしょう。この自分の〈いま〉は、純粋未来の浄土から現象してくるものだと思います。現象してくれば、人間の認識可能な〈いま〉となりますけど、現象してくる直前の純粋未来は、とらえることができません。それは善も悪も、損も得も、超えはなれた次元でしょう。
 人間には、現象してきた「結果」のみしか知ることが許されていません。因(現象以前)は仏界なのです。飛び下り自殺の巻き添えで、亡くなられた方がいました。遺族は、なぜ、その下を肉親が歩いていたのか?と考えます。しかし答えは出ません。それはたまたまなのです。起こってしまった結果しか人間には知ることが許されていません。因を問うても答えはでません。その不思議な因縁の前に、じっとたたずむしかありません。
 因を問えば、無量無数です。因を問えば、どこまでもさかのぼれます。自分がこの世へ出生したところまでさかのぼれます。そして、この世に私を生んだ両親を恨み、さらに先祖を恨み、さらに、如来を恨むことになります。
 自己の存在の故郷を恨むことになるんですね。それは悲しいことです。〈いま〉という苦悩の現状を、どのようにして感謝して受け止められるのか?これが緊急の課題なのでしょう。

2005年
2月01日

亡き父の夢を見ました。起きる直前に見た夢なので、ありありと覚えています。総天然色でした。まわりのひとの上着が真っ赤だったことを、覚えています。これは夢だとどこかで知っているんです。だから、なおさら白黒じゃないぞ、カラーだぞと自分に言い聞かせていることに気づきました。
 母と私が歩きながら寺(自坊)の境内に入ろうとしています。すると向こうから父が迎えてくれました。父は「どうしたの?」と聞きます。小生は、父から母に向き直って、「とうとうお父さんが、お迎えが来ちゃったね」と言いました。これはユーモアなんです。しかし、父は憮然として、ニコリともしません。小生の発言にはまったく耳を貸さずに母に向かって、「どこか体の具合が悪いんじゃないか?」と母に尋ねます。またまた小生は、そこに割って入り、「あっちもこっちも、みんな悪いんだよ」と答えます。この応対にも、父は表情を変えません。
 三人で境内の中へ入ってゆきます。寺の駐車場では、テーブルを囲んで、サンドイッチの昼食をみんなで食べています。父もそこに加わっていたのですけれども、自分のお皿を抱えて「そろそろ、部屋に退散しようかな?」と言って、席から立ち上がりました。生前も、食卓から自分だけ退席することがよくありました。その退席の仕方とおなじ仕草でした。小生は、父が消えていなくならないよう、監視する目的で、一緒に席をたちました。自分もサンドイッチの皿を抱えていました。父の格好は、白衣に藍色の羽織です。この格好が好きだったようで、小生の印象にも残っています。父は仕事と休憩のメリハリをつけるひとだったので、仕事中は、必ず白衣でいました。そして休憩モードに入ると、途端にパジャマ姿になりました。ですから普段着というものを持たないひとでした。仕事か休みかというデジタリアンで、その中間帯がなかったんですね。これは大正生れの人間の特徴なのか、あるいは日本人の特徴なのか分かりません。
 父はどんどんと参道を歩いてゆきます。右手の門番所には、父の兄たちの顔がありました。境内は、お彼岸のお中日のような参詣客で、混雑しています。しかし、誰一人として、父には気が付いていないようでした。小生は、みんなに父は見えていないのだなぁと悟りました。そういえば、小生もみんなには見えていないようでした。誰一人として、父にも小生にも気づかずに、暖かい陽気の中、参詣をしていました。
 小生は、そんな雑踏に父が紛れていなくならないように、しっかり見届けておかなくちゃと心に決めていました。とうとう本堂の前の階段まできました。そこには、特に参詣客が多く集まって、みんな本尊に向かって手を合わせていました。父は、その混雑している人間の中に入って行こうとします。小生は思わず「消えてしまおうと思ってるんじゃないの!」ときつく父に言葉をかけました。こんなに鮮やかに父の存在を確認できるのが不思議でなりません。ですから、この世に父をつなぎ止めておきたかったのです。
 すると父はなんの返答もすることなく、笑顔のまま行ってしまいます。小生は「ああーっ」と叫びました。すると、次の瞬間、父が振り返った時、もうすでに、その顔は別人になっていました。やっぱり、消えちゃったんだ!やられた!と残念でなりません。そこで目が覚めました。すると小生の顔には暖かいものが流れていました。
 起きる直前の夢は、とても鮮烈ですね。このことを母にも、家族にも話して聞かせました。父のことを話している間は、家族の間に、浄土の時間が流れてゆきます。浄土からの風光が有り難かったです。
 普段は、父のことなど考えてはいないのですが、無意識の部分では、ずいぶん考えているのかもしれません。肉親は、体は別々でも、どこかでつながっているものですね。私の無意識の世界に、いまでも父は生きているのだと思いました。

2005年1月30日

「信じるということは、何も信じないということだ」
今朝、お朝事(あさじ=朝のお勤め)をしているときに、啓示されてきた言葉です。普通、「信じる」ということは、知性のはたらきを止めて、まあ、ともかく信じ込もうとすることでしょう。「あのひとを信じています」とか「この教えを信じています」とか「この株は上がると信じます」「この馬は一着になると信じます」と。普通の「信じる」というのは、目的がありますね。「○○を信ずる」とね。
 しかし、真宗の信仰は、「○○を信ずる」という信じるじゃないんです。そういう意味なら、「何も信じない」のが真宗の信仰です。そんなこといっても、本堂の真ん中には阿弥陀さんという本尊があるじゃないか!実在かどうか分からないようなものを信じているじゃないか!とね。しかし別にあの阿弥陀如来立像という木彫りの人形を信じているわけじゃありませんよ。確かに、親鸞は『教行信証』という書物を書き残しています。あそこに書かれている理念を信じているじゃないか!といわれても、そんなものは信じられません。別に理念を信じているわけじゃないんですから。
 ですから、「○○を」という目的は、意識の中にないのです。それじゃ真宗の信仰はどういう信仰なんだ!と問い詰められます。どうなんでしょうねぇ、「○○を」信ずるという、その自分の意識が破壊されることでしょうか。普通は「信じる」のも「信じない」のも、自分が決めているだけです。その「自分」というものが破壊されるわけです。
 親鸞は、門弟たちに、「念仏すれば、極楽浄土に行けるんですか?」と問われて、「念仏が地獄に行くための行為か、極楽へ行くための条件か、わしゃ知らん」と答えてますね。門弟たちは、自分の意識の中で、「極楽へ行くための条件」だから、念仏を称えようと考えいるわけです。親鸞は、その門弟の意識を見抜いて、それは本当の念仏になってないよというわけです。親鸞のいう念仏は、すべてを如来に任せろ!ということです。つまり「自分」という意識を信ずるなというわけです。門弟は、自分の意識の中の損得勘定で、安楽な場所へ行こうとするのです。そのための道具として念仏を使うわけです。それは、如来を信じているのではなく、「自分」を信じていることになります。それでは信仰にはなりませんね。
 全存在をすべて、丸ごと如来の前に投げ出して生きるということが信仰でしょう。南無阿弥陀仏の南無(ナム)というのは、そういう意味です。全存在を如来の前に、五体投地することでしょう。投げ出してみれば、自分の身体は、もともと如来の前に投げ出されていたことが分かります。身体は、つねに「一瞬先は闇」(「一寸先は闇」のパラフレーズ)を生きてるんですね。明日のことは分かりませんよね。でも、不安を感じることなく、ありのままを受け入れてます。ただ、自分の「意識」が、それを受け入れていなかっただけなんです。そのことに今さらながら気がつき、この身体に頭が下がるということが南無ではないでしょうか。
 身体は、なんの言い訳もせずに、ただ黙々と、「私」の身体として、「私」を受容してくれていたのです。この身体をだれが「自分のもの」と決めたのでしょうか。なんの許可もなく、誰にことわったわけでもなく、この身体は「自分」のものだと決めてかかっているんです。この身体は「自分の身体」だと信じてしまっているのです。それを疑ったことがないんです。まったく、あきれるほどの傲慢ですね。
 そのことのカラクリに気がつけば、「私」は頭を下げるしかありません。そして、この身体を成り立たせてきた、何十億年といういのちの歴史に驚嘆するばかりです。自分の身体のいのちの根っこは、宇宙が始まったところまでつながっています。まさにこの身体は宇宙的存在なんです。まさに永遠なんです。この永遠が、私の身体として結実してきたのです。
 それだから、体を大切にしろ!などと言ったら、下らないお説教に堕してしてまいます。ただ、感動と驚嘆があるだけです。親鸞の「アァ、弘誓の強縁は多生にも、あい難し」(教行信証・総序)の「アァ」ですね。あの驚嘆といい、感動といい、あれがいいんです。手を合わせれば、つねにこの「アァ」に出会うことができる。そんな日々を生きるだけです。今日生まれたばかりの、赤ん坊のようになって、生きるだけです。

2005年1月2
9日

昨日のBサロンでは、『こころの処方箋』(河合隼雄著)50章「のぼせが終わるところに関係がはじまる」をやりました。「のぼせ」という言葉も、いろいろな意味を呼び起こします。恋愛関係でののぼせ、それは恋人同士や夫婦、不倫までを含みましょう。また、いい気になっているというのも、のぼせているといえましょう。つまりナルシズムののぼせです。
 「のぼせが終わるところに関係がはじまる」というテーマを聞けば、やはり、恋愛感情のことを語っているのだと思われます。結婚するまでは、のぼせていたけど、段々と相手の嫌な面が見えてきたりして、徐々に覚めていくわけです。でも、そこから、新たな関係が始まると河合さんは言っています。
 結婚生活の初期には、性が大きな割合を占めます。お互いに、男性・女性という性の面がクローズアップされます。しかし結婚生活を長期にわたって営んでいると、やがて、性の面が抜け落ちてゆき、男と女というものへ変わってゆきます。その時期も過ぎてゆくと、個と個という関係に変化してゆくように思います。昔の90歳は、大変なおばあさんでしたね。しゃわくちゃで、髪も短くしていましたから、もう男なのか女なのか、さっぱり分かりませんでした。ああいう老人をみていると、やっぱり、老年になると、性を超越するものだとあらためて感服しました。
 性も超越して、やがて人間という存在も超越して、仏になっていくのでしょうね。
 そう考えると、やはり、人間であるということは、のぼせている存在なのだと思います。人間関係は、どうしても熱を帯びてきますよね。親子・友人・知人・親戚という関係をもって人間は生きています。その関係のところには、必ず熱を帯びます。関係の薄いところでは差ほどではないですが、関係が濃くなるほど熱を帯びてきます。わがままとわがままがぶつかるからです。最後は、相手を自分に合わせようとするか、自分を相手に合わせようとするか、決裂するかという関係しかありません。関係が濃くなれば、なるほど、熱はヒートアップしてゆきます。だから、「人間とは浅くつきあいなさい」と教えてくれたひともおりました。
 人間関係の間の善悪は究極的にはつけられないものですよね。どちらの言い分にも一理があるものです。ですから、「絶対の善は仏さんにしかない。人間は悪しかない」と思えるのです。そう思えば、熱も多少クールダウンしてきませんか。
 仏さんは別名「覚者(かくしゃ)」ともいいます。覚めたる者です。目覚めたるものです。道理に目覚めたものです。反対に人間は、どこまでものぼせていたいのでしょう。人間という夢にのぼせていたいのだと思います。だから「人生は、ゆめまぼろし如くなる一期なり」(御文)という言葉を聞きたくないわけです。この人間界は、夢でも幻でもないと思いたいわけです。
 まったく、一人前の顔をして、いかにも人間です、私は何も悪いところはありませんという態度で生きていますけど、まったくあさましいものだと思います。自分はどれだけのいのちを食い殺し、どれだけの人間に迷惑をかけて生きているかと思うんです。現代人は、ほんとに被害者意識が強いですね。いつでも自分は、善人のところに立ちたいんです。私は悪くない、悪いのはあいつだと決めたいのです。身内で不幸が続くと、先祖がたたっているんじゃないかと邪推してしまいます。こんな悪いことが起きるのは、何か原因があるはずだ、そういえば?と考えるのです。そして、その犯人を先祖だと決めつけるんですね。犯人を鎮めれば、私たちの災いは逃れることができるのだと邪推します。悪い犯人は先祖、自分たちは被害者だと考えるわけです。まさに「死人に口なし」ですから、先祖は犯人に仕立てあげられても、反論のしようがありません。
 この被害者意識は、どこから起こってくるのでしょうか?

2005年1月27日

親鸞は、「回向に二種あり」といって、「往相回向(おうそう・えこう)・還相回向(げんそう・えこう)」といいます。そして「真実の往相回向について、真実の教行信証あり」と語っています。
 往相回向というのは、もともと、浄土教の意味世界から生まれてきた言葉です。「往相」とは「往生浄土の相(すがた)」です。つまり、この娑婆世界から、浄土へ往って生まれる運動です。「還相」は「還来穢国の相(すがた)」、つまり、浄土から、穢国(娑婆)へ還り来る運動を意味しています。
 詳しいことは、曇鸞が教えてくれています。
 「往相とは、己の功徳を一切衆生に施して、願いを起こして、共に西方の阿弥陀如来のお浄土へ生まれよう」ということだといいます。また「還相とは、阿弥陀如来のお浄土に生まれて、衆生を救うための修行を完成して、再びこの娑婆へ帰って、すべての衆生を教え導いて、共に仏道に向かわせよう」とすることだと示しています。さらに往相も還相も、共に私たちの苦しみを取り除いて、この苦悩の生活をまっとうさせようするためだとも言っています。
 ただし、曇鸞さんは、その回向を行う主体は人間だと考えていたようです。しかし、人間が、お浄土へ行ってから再び、この世へ帰ってくるということでは、信仰にならないように思います。それならば、梅原猛がいうように、いわゆる死んであの世へいって、再び何年か後に、この世へ生まれ変わってくるという素朴な先祖観となんら変わらないものとなります。
 親鸞は、その曇鸞の「往相・還相」という言葉を意味転換して表現しています。彼は回向の主体を人間ではなく、法蔵菩薩と考えたのです。法蔵菩薩というと、「また、人間かよ!」と思われそうですが、求道心を人格的な表現で擬人化したものです。ですから、浄土へ往生するという運動も、浄土から帰ってくるという運動も、すべて求道心のもっている意味性としてみたわけです。いわば、真実なる世界を求めたいという欲求は、求道心の能動的意味性ですし、その能動性が成り立つ根拠を受動性とみたわけです。真実なる世界を求めたいと促してくる働きを還相と見るわけです。ですから、求道という運動が起こったところには、往相と還相が両方成り立っているわけです。往相して、それから浄土から帰ってきて、という観念はありません。
 親鸞は、求道の能動的側面を「往相回向」、受動的側面を「還相回向」と受け止めたのだと思います。自分の直接の師匠であります法然上人を阿弥陀如来の化身として意味づけていますし、それは、自分に求道心を起こして下さったかけがえのない存在として受動しているわけです。普通は、先生から教えられて、そこから、自分自身の信念を打ち立てて進むのだと考えます。しかし、親鸞は、自分の信念は先生の教え以外にないのだと受け止めているわけです。そうすると、自己の能動性はどこにもないといってもいいのでしょう。完全なる受動性以外にはないということなのでしょう。それを親鸞は「よきひと(法然)の仰せをこうむりて信ずる他に別の子細なし」と言ってますからね。
 自分に教行信証という表現行為(能動性)が成り立つのは、浄土からの促し(還相回向)なのだということでしょう。どうしてそれが、ただの「教行信証」ではなく、「真実の教行信証」といえるのかといえば、それは、浄土からの促しを受けた表現であるから、ということになるのです。「真実」という言葉は、人間の上には絶対につけることができません。ただ、浄土からの促しとしてだけ「真実」という言葉を使うことが許されるのでしょう。しかし人間が「真実」という言葉を使うこと自体が、ものすごく重たいことだと思います。使えないはずの、人間がどうして「真実」という言葉を表現することが許されるのでしょうか。そこには、三帰依文の最後にある「願わくば、如来の真実義を解したてまつらん」という言葉が、どうしても思い起こされます。自分の表現が、真実にほんとうに叶っているものなのかどうか、それは分かりません。しかし、願わくは、真実に叶っていてほしいものだという願いがあるのだと思います。これがほんとうに「真実」に叶っているものなのかどうなのか、みなさん方でよくよく味わってみてくださいという願いが、『教行信証』にはあるように思えます。
 話を戻しましょう。
 還相回向について親鸞は『教行信証』では「すなわちこれ、利他教化地の益なり」とだけ述べています。和讃などでもいろいろ述べていますが、親鸞の頭のなかでは、往相・還相がいろいろに意味の反射を起こしているようです。わりあいよく整っている表現が『三経往生文類』にありました。「この悲願は、如来の還相回向の御ちかいなり。如来の二種の回向によりて、真実の信楽をうる人は、かならず正定聚のくらいに住するがゆえに、他力ともうすなり」と。つまり人間に真実の信心を得させるはたらきが如来の二種の回向だという押さえです。往相回向の主体も、還相回向の主体も、ここまでくるとすべて如来のはたらきなのだということになります。
 そこまでいわないと、浄土に行くのは自分であって、そこへ促すのが如来だと、分業意識が生まれてしまうからでしょう。行くのも、促すのもすべて如来の回向だということになって、初めて「絶対他力」ということが成り立つのだと思います。そこでは、「自分」という意識が完全に脱色させられています。それじゃ、自分はどこにいるのか?と問われれば、「場所」ではないでしょうか。如来が働く「場所」が自分というものなのではないでしょうか。
 求道心の働く「場所」であって、「自分」が求道しているわけではありません。最近、「自分」というのは、つくづく場所だなぁと思います。貪欲・瞋恚・愚痴といいますけど、この三毒の煩悩が、毎日、とどまることなく、「自分」という場所で展開しています。何を食べようか?面白いことはないか?あいつより、俺のほうが偉いぞ。テレビのレポーターが馬鹿言いやがって!なんで、こんなつまらない用を俺に言いつけるんだ!疲れたから、仕事やめようかなぁ…まったく、どいつも、こいつも馬鹿やろーだ!まさに、とどまることなく、煩悩が「自分」の上で展開しているのがよく分かります。自分ではこの煩悩ひとつも起こせやしません。まさに他力によって起こってくるものなのですよね。
 自分では、思ってはいけないことを思ったり、言ってはならないことを言ってしまったり、してはならないことをしてしまったりと、困り果てているのです。でも、それすらもすべて他力なのですから、それに抗することもできません。
 そうそう、「過去は仏界、未来は衆生界」という言葉が浮かびました。過去は、仏さまの世界であって、人間が変更できない世界です。茶碗が割れたのは、そういう因縁があったからです。でも時間を巻き戻して割れない前には戻せません。人間にはまったく変更することが許されていません。なぜなら、それは仏さまの世界だからではないでしょうか。人間には、因界しか与えられていないように思えます。それは「思い」の世界ですね。ああしたいこうしたい、ああしなければこうしなければという「思い」の世界だけに人間の世界があるように思います。過去はすべて、如来の世界なのでしょう。
 それから、曽我量深さんは、「往還の対面」ということをいいます。自分が比叡山に向かって歩いていく。自分の方から比叡山に向かっていくという見方は往相だと。しかし見方を変えれば、比叡山が自分のほう向かってくると。そう見れば、それは還相じゃないかというのです。事実は、ひとつなんでしょうね。比叡山に向かって歩いていくという事実は。しかし、見方がふたつ成り立つわけです。こっちが向かっていくと、それから向こうが向かってくるとね。自分に往相という方向性が生まれてくると、必然的に還相という方向性が成り立つということではないでしょうか。
 さらに、自分は往相であれば、世界はすべて還相だというようなことも言ってましたよね。自分が求道の眼で娑婆を生きれば、娑婆全体が浄土から帰ってきた諸菩薩のように私を教化するものとして意味転換されてくるというわけです。意味転換されなければ、還相の教化は起こらないのでしょう。大切なことは「意味転換」だと思います。道元禅師が、念仏を称えるのは、カエルがゲロゲロ鳴いているのと同じだというようなことを言っています。ゲロゲロとだけ聞こえていれば、意味転換は起こっていません。しかし、そのゲロゲロの声を聞いた時に、カエルもお念仏を称えているのだなぁ、と受け止めれば、意味転換が起こっています。つまり、カエルの声が、南無阿弥陀仏の意味世界のなかに位置づけられたということです。そうすれば、カエルの声に感動が起こります。
 だって、カエルは無心で鳴いているのですからね。確かに、メスを求めて鳴いているのには違いないのですけど。それすら、本能的に無心で鳴いているのでしょう。人間だけが、無心になれない存在です。カエル以下の存在だと思えます。カエルに頭の上がらない存在です。
 そのような「意味転換」があるかないかということが、還相があるかないかということなんでしょう。人生のすべてのことが、南無阿弥陀仏の象徴として意味領解できたらと願っています。
 

2005年1月24日

昨日は、因速寺役員の新年会でした。呼び出し三郎さんの相撲甚句をお聞きしました。なかなか愉快なもので、一時間があっと言う間に過ぎてしまいました。印象に残っているものをひとつ。身延山と金比羅山が、日本銀行にお金を借りにいったそうな。しかし、日本銀行は、がんとしてお金を貸してくれません。どうして、これほど頼んでいるのに、お金を貸してくれないの?と尋ねると、日本銀行が言いました。身延山は甲斐(かい)の国だ、金比羅山は讃岐(さぬき)の国だ、わたしゃ「甲斐讃岐のやつには金は貸さん」と。甲斐讃岐=かい・さぬき=「返さぬ気」という落ちでした。
 もうひとつ、ノミとシラミの話というのがありました。ノミとシラミが言い合っています。どっちが、女にもてるとかと。ノミにかまれりゃ、痒くてたまらん、そこをガリガリ掻くだけです。しかしシラミがいいました。「俺が体にとりつけば、どんな女も帯を解く」とね。ちょっと、色っぽい小咄でした。
 ついでに、若円歌師匠から、聞いた小咄をひとつ。みなさん、近頃、なにかとひとを殺す事件が多いですね。よく聞いていると、仏さんを死体ともいいますし、遺体ともいいますね。あの違い分かりますか。私は小耳に挟んだんですけど、女性の場合は遺体、男性の場合は死体というそうですね。(一同、きょとんとしていると)だって男性はシタイ、女性はイタイというでしょう。
 これもエッチ度の高い作品でした。
 小咄は、落とし話といって、それの長いのが落語だそうですね。もともと落語は、安楽庵策伝(京都、誓願寺)が江戸時代につくられたそうです。お坊さんが元祖なんですね。落語には、必ず落ちがあるんです。落ちもいろいろあって、「まわり落ち」「考え落ち」「にわか落ち」「ひょうし落ち」「逆さ落ち」「見立て落ち」「まぬけ落ち」「とたん落ち」「ぶっつけ落ち」「しぐさ落ち」と多様です。
 人間だけが「笑う」という感情をもっています。これも不思議な感情ですね。笑うことは、健康にもよい影響を与えるといわれます。あまりどぎつい笑いは、逆効果でしょうけど、ユーモアに富んだ笑いは、日常を新鮮にしてくれる働きがあります。今日一日で、何回笑ったか数えてみたいと思います。笑いにもいろいろあって、「微笑む・薄ら笑い・含み笑い・忍び笑い・盗み笑い・作り笑い・空笑い・泣き笑い・ほくそ笑む・苦笑する・あざ笑う・冷笑する・失笑する・高笑い・爆笑する・抱腹絶倒」とさまざまです。これほどバリエーションがあるのですから、いろいろ試してみたいと思います。
 今朝のニュースで、アメリカの大雪被害をやっていました。そのとき、アナウンサーが「マサチューセッツ州」と言ったんですけど、それを聞いて、子どもが復唱したんです、「マサチューセッチュシュー」ええ〜っ。言えないよ、これ!これって、早口言葉じゃん!と。小生も、試しに口に出してみたんですけど、二三回は繰り返せない言葉でした。一同大笑いしました。
 

2005年1月22日

移動の速度によって見える景色が違います。これは当たり前のことだと思っていたのです。頭では。いつも車で素通りしている近所の町並みを、自分の足で歩いてみたのです。わざわざ歩いて見ようと思ったわけじゃなくて、歩かなきゃならない縁が催したということです。
 すると、こんな家に、こんな植え込みがあったかなぁ?とか、へーこのマンションにこんな坂道が配置してあったかなぁ?と不思議に感じられました。そして、車で通っているときには感じなかった、町並みの変化を肌で感じることができました。ちょっと見ないうちに、この町もどんどん変化しているんだと、感慨さえ催すのでした。江東区という町は、まだまだ変貌を遂げていくようです。ともかく住居がどんどん建築されています。人口もどんどん増え続けています。ですから、道を歩いていても、住人はいつでも、異邦人であることが許されているわけです。町会組織も、マンションが建つと、別の自治組織になってしまい、歯が抜けたような状態です。どうしても、人間は高層に住むことによって、大地の感性をなくしていくような危うさを感じます。
 子供のころには、平屋の住宅だった場所に、現在は団地が立ち並んでいます。平屋の住宅だと、わずかな庭があって、そこに暮らす人は思い思いのしつらえをしていました。庭木を植える人、何の手入れもしない人、倉庫がわりに使っている人。そこに暮らす人びとの顔といいましょうか、匂いが感じられました。しかし団地になってしまうと、まったく匂いが感じられません。もともと住んでいた人は、優先的に団地に住めるのですから、住人が変わったからということじゃないのでしょう。そうすると、どうも「高層」という建築がなせる技じゃないかと思います。
 人間は大地から離れることで、何かを失っているように感じます。何を失っているのでしょうか。考えてみたいと思います。
 それは、「等身大の感覚」を失っているのかなとも思います。自動車や電車という乗り物を利用することで、徒歩では行くことができないような場所に、移動することができます。徒歩であれば、大体、一時間歩いて四キロメートルくらいしか移動できません。しかし車であれば、70キロメートルくらい離れた場所でも移動できます。新幹線なら、静岡くらいまで行けるんじゃないでしょうか。機械は、人間の足を巨大にしてくれました。足を延長して、一時間で70キロをひとまたぎで移動させてくれます。
 しかし、速いということは、その途中の景色が見えないということです。ゆっくりであれば、見えるんです。速いということも、受容しなければ現代は生きられませんけども、ゆっくりということの持っている味も忘れちゃダメなんでしょうね。
 現代人も原始人も、体の構造そのものは、そんなに変わっていないと思うんです。原始人の自分をどこかで取り戻したいと思うんです。その一歩として、「旬を食べる」という提案はいかがでしょうか。機械が発達したことで、食べ物による季節感が、失われましたね。それは、いつでも食べたいものを食べるという欲望によって、旬の時に、旬のものを食べるという喜びを抹殺させてしまったのです。キュウリは夏の野菜ですから、夏だけ食べればいいんでしょう。しかし、現代では、スーパーの店頭に行けば、いつでもキュウリがあります。いつでも食べたいという欲求によって、キュウリの本当の味を感じられなくなったのだと思います。
資本主義は、欲望を即座にかなえるという宿命をもっています。しかし、いつでも、どこでも、欲望がかなえられると、逆に、つまらなく感じられてくるということもあります。人間にとってエロスというのは、「間欠」にあるんだとロランバルトは言ってますね。つまり、開いたり閉じたりするところにエロスがあると。いつでも開きっぱなし、いつでも閉じっぱなしのものには人間は欲を感じません。つまり、いつでも欲望が蕩尽できるところには、逆に欲望の減退が起こるのです。これも「程度の問題」ですけどね。
 そうそう、昔の「浅草海苔」が食べたいなぁと思うのは私だけでしょうか。

2005年1月21日

やはり人間は、つくづく「程度の生き物」だと思い知らされますね。無関心でいられれば、寂しくなってきますし、あんまり、お節介にしてくれると、うっとうしくなります。あんまり、自由だと、何をやってよいやら分かりませんし、強要されると、そこから逃げ出したくなるという、アンビバレンツな傾向性をもっています。
 テレビでは、カードを使った詐欺事件について、うるさいくらいに述べていました。スキミングという、カードの磁気情報をコピーして、複製を作るのだそうです。スキミングは、何もカードを実際に用いなくても、ポケットの後ろからコピー機を近づけるだけで、可能なのだという説までやっていました。
 そうすると、次にはこういう犯罪に遭わないようにするにはどうするかという話になってきます。カードの暗証番号を小まめに変えるという方法とか、暗証番号を誕生日などの連想しやすいものにしない等々と。でも、結局、人間の頭で考えた道具は、必ずその裏をかく道具によって破られていくんですね。どちらも人間の頭から出てきたものですからね。人間の範囲内のものです。
 ですから、そういうリスクを完全に逃れるためには、カードを持たないという方法しかありません。しかし、現代社会で生きている以上カードを持たない不便さに耐えられるものじゃありませんね。どうしてもカードを作ることになります。
 以前、年賀状くらいは、手書きで出すんだ!と頑張っていたひとが、とうとうパソコンを導入したという話を聞きました。彼は、いままで機械を排除して、素朴な人間の味に固執してきたのです。でも、とうとう文明に毒されてしまったという敗北感を漂われていました。この機械文明は、大きな潮流のようなものですから、そのなかでいくら抵抗したって無理なんです。でも、パソコンを使ったからといって、人間の味が消えるかといえば、そんなことはないと思うんです。やはり、そこには人間が関与しているんですから、人間の生の味が滲み出てしまうものだと思います。
 だいたい、機械文明がリスクだというのは本質を見逃しているのでしょう。本当は、人間が生きているということ自体がリスクなんです。その人間が生み出したものであれば、みんなリスクなんじゃないかなぁと思います。リスクを排除していけば、安全が得られるというのは、錯覚でしょうね。確かに、リスクはできるだけ減らしたほうがいいわけですけど、それに越したことはないわけですけど、しかし現代を生きる以上リスクはつきものだと開き直ったほうがいいと思います。人間の本質がリスクだからです。リスクの中に人間は住んでいるといってもいいのでしょう。
 そうすると、リスクと共に生きてみようという積極性が生まれてきます。リスクを排除していけば安心が得られるという妙な思い込みを捨てて、リスクと共存してゆきたいと思います。これも「程度問題」なんですけどね。
 これも聞いた話ですけど、アフガンの貧しいひとたちに日本人をどう思うかと質問したそうです。すると彼らは、「日本人が可哀相だ」と答えたというのです。日本人は、なまじ経済的に満たされているから人間の極限に出会っていない。私たちは極限状態に出会っているから、極限でなければ学べないことを体験することができる。そこへいくと、日本人は適当に食えるから、人間にとって本質的なことを学ぶ機会を失っているというのだそうです。何のために日本人は毎日働くのですか?何のために生きるのですか?そういう極限からの問いを覆い隠してきたという日本人の無思想性を痛烈に批判していますね。
 「衣食足りて礼節を知る」じゃないですけど、衣食が足りたのですから、もっと自分の頭で考えたり、自分の頭で感じたりすることを豊かにしていくべきでしょう。マスコミの情報を疑ってかかることも大切でしょうね。マスコミは正確な情報を伝えているわけじゃありません。自分たちの枠組みで切り取ってきた情報を、自分たちの味付けで茶の間に垂れ流しているのですからね。恐ろしいものです。昔の茶の間は、仏壇が一番大切な場所に置かれていましたけど、いまでは、その場所はテレビに奪われてしまいました。テレビが御本尊という感覚なんでしょうね。ですから、御本尊のいうことは全部正しいのだと崇拝しているわけです。
 まず疑ってかかるというしたたかさを持ち合わせるべきではないでしょうか。現代が変わるということの一番の近道は、自分が少しずつ変わるということ以外にはないんですからね。それが遠いようで一番近道じゃないかと思います。だれも、「どうしたらいいのか」というハウツーは教えてくれません。〈自分〉のところから、やっていかないとダメなんです。自分の見方、考え方、生き方が、世界や宇宙を変える一歩になるのですから、生きるということは、案外楽しいものです。

2005年1月1
9日

昔のひとは、ご飯の一粒一粒の中に仏さんがいらっしゃると語っていたそうです。いくら顕微鏡で覗いても、そんなものはいなかったと語ったひともいました。それは、科学的な、つまり目で見えるような意味世界のことを表現しているわけではないからです。
 それは、お米に対する、象徴的な意味の領解を語っているのです。それは、昔の念仏者が、日常というものを、いかに象徴的に生きていたかということを表しています。お米は、かつての日本人にとって、一番身近な食物としてありました。現代では小麦製品が、主食の座を奪ってしまったようですけどね。まあ、お米は、一番多く、箸でもって口に運ばれる食材です。お米が主食であって、おかずは、あくまで、ご飯を食べるためのアクセントといった存在でした。そうすると、自分の口へ運ぶための箸が、せっせと活躍しているさまを見ることができます。不思議なことに、箸は、そこに目がついているかのごとくの正確さで、口にご飯を運びます。口を間違えて鼻にもっていくこともありません。場所への正確さは、すごいです。これは長年使い慣れてきたたからでしょうね。この腕と手と箸の連携プレーは、もう無意識的に行われていますから、意識に登ってくることもありません。
 この日常の微細な部分に、ハッと光があたった時に、「仏さん」という観念と結びついたのではないかと想像します。お米が、私を食べ物として支えてくれているという観念が起こったのではないでしょうか。お米は、私に食べられることに対して、なんの抵抗もいていないように見えます。まして、お米は、「お前に食べられてもいいよ」と承諾しているわけでもありません。もう、人間の食べ物として生殺与奪の権をすべて奪い取られているわけです。お米は、ノーとはいえません。
 そこに、お米を有無を言わさず殺して、自分自身の口へ放り込んでいることへの罪の意識もあったでしょう。また、殺すことによって、私が支えられているということへの懺悔、さらに、「殺されてもいいよ。お前のために、私は殺されてもいいよ。お前がそれで、生き延びられるならば」という仏さんの慈悲心への謝念も感じ取れます。
 一粒のお米に対して、これだけの想像力がはたらいていたのです。このイマジネーション・パワーは、現代にはありませんね。スイッチ文化ですから、すべてがスイッチ観念で、おおわれています。電子レンジ・テレビ・エアコン・電器がま・コタツなどなど。これらは、すべて人間の理性の産物です。理性の産物からは、なかなかイマジネーション・パワーが生まれません。どうしても、理性以前のものの方が喚起力は大きいと思われます。お米は、やっぱり理性以前のものでしょうね。曽我量深が、「仏法は農業と深く関係している」といわれたのは、そういう理由からではないかと思います。
 どうしても現代人は理性先行型の典型です。ひとと話をしていても、自説の垂れ流し・他者を自分の判断基準で切り刻む・自分の思い込みで相手の意見を否定するというような接し方しかできていません。自我という王様がまわりのものを家来にして自分勝手に振る舞っている姿が想像されます。自我は、自分がどういうあり方をしているかを省みたことがないのでしょう。そんな自我の王様に対して、「あなたを黙って、支えているのが、私ですよ」とお米から声をかけられるわけです。そういう瞬間があるんです。そのお米の声を聞いたひとが「お米のなかには仏さんがいらっしゃる」と語られたのだと思います。
 本当に「仏は細部に宿りたもう」であります。その微細な世界へのイマジネーション・パワーを回復したいと思います。いままで、なんの気なしに机の上に置いていた湯飲み茶碗を、そーっと置いてみました。丁寧に、そーっと机に着地させてみました。微細なことを、丁寧にやってみると、意外なことに気がつきます。たとえば、丁寧に文字を描いてみるとかね。さっさと書いていたスピードをダウンして、ゆっくり筆を運んでみます。ゆっくり、時間をかけて丁寧に、線と線の交差を正しく、跳ねるところは、ちゃんと跳ねてみる。そうすることで、自分自身のこころに緩やかな流れが訪れます。そうすると、モノがしっかり見えてきますし、たとえモノであっても、意志をもっているように感じられたり、モノのもっている存在感がドシント伝わってきます。写経のいいところは、そういうところでしょうね。
 茶碗は茶碗としての存在感を示し、箸は箸の存在感をしっかりもっているのです。ひとからなんといわれようと、茶碗は茶碗であることを拒否していません。ちゃんと茶碗は茶碗を受け止めて、堂々としています。お茶碗の中のご飯は、一粒一粒、存在感をもっています。
 まわりの世界の存在感がしっかり見えてくると、実は、それを見ている自分の方が、なんとも情けない存在のように思えてきます。モノたちは、自分がそのモノであることをちゃんと受け止めて存在しているのに、それに比べて自分自身は、この存在を完全に、まるごと受容できていないなぁと思えるのです。そこに、少し、済まないなぁという感情が湧いてきます。
 小生は、モノと真正面に向かい合っていきたいと思います。さらに他者ともね。自分の知っている他者や家族もありますけど、本当の他者や家族は自分には見えないんだということだけは確かなことだと思います。本質は見えないんです。それは仏さんにしか見えないんです。本当に、自分の了解している意味世界は狭い、差別的なものです。まったく限界的です。
 でも、自分の視座が小さく狭いものだということがわかってくると、逆に世界・宇宙が広くなってくることを感じます。小さくなればなるほど、世界は広くなってくるというのは、実に面白いことだと思います。ますます、この世界のことを、知りたいと思うようになりました。

2005年1月16日

『安心決定鈔』という著者不明の、しかし浄土系の著作があります。そこに、阿弥陀さんのいのちと私たちのいのちは同じだという表現があります。
 「(如来の光[武田補記])を知らざるときのいのちも、阿弥陀の御いのちなりけれども、いとけなきときは知らず、少し小賢しく自力になりて、『わがいのち』とおもいたらんおり、善知識の『もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ』と教うるを聞きて、帰命無量寿覚しつれば、『わがいのち、すなわち無量寿なり』と信ずるなり。」
 つまり、教えに触れることもなく過ごしているときには、このいのちが阿弥陀さんのいのちなのに、自分のものだと、小賢しく思っているものですよ。でも、念仏の教えを生きている人に、「あんたのいのちは、本来、阿弥陀さんのいのちなんだから、それを受け入れなさい」と教えられて、「そうであったか!」と目覚めてみれば「私のいのちは、そのまま阿弥陀さんのいのちだったんだ!」と分かるでしょう。
 こんな意味になりましょう。こういう説き方は、安心決定鈔だけじゃないでしょうか。この考え方と小生の受け止め方はひとつのように思います。ただし、どうして、自分のいのちと阿弥陀さんのいのちが同じものなのだという説明はないんですけどね。それは小生の想像の世界でしかないのですけどね。つまり、自分のいのちの母を想像して、その母の母を想像してと逆にさかのぼっていくとき、どうしても阿弥陀さんというイメージへたどりつかざるを得ないのです。なぜか分からないのですけれども、いのちは前のいのちから生み出されないと存在できませんよね。そうすると、必ずいのちには前があるということで、そうすると、阿弥陀さんを生んだ母は何かというようなことにもなります。
 その問いを追求したために、一神教は「神が作った」というわけでしょう。でも、インドのひとは、それでは水掛け論になってしまって、「作った」という限り、創造の母がどうしても必要になるわけです。そこで、人間には分からんことだよ、でも分からんことを仮に阿弥陀と名付けようじゃないかというわけでしょう。でも、そういういのちの初めがあったに違いないんだよと。ですから、阿弥陀という名前も仮説に過ぎません。それでいいわけです。その分からないとこをさらに追求していっても、何も出てきません。まあ、天文学や宇宙学では、宇宙の初めを研究していますけどね。しかし、それらもすべて仮説をもとにした類推でしかありません。
 それはそのくらいにして、自分のいのちは本来、阿弥陀のいのちだというイマジネーションが素敵です。そこには、善導が語る「我は、これ現に罪悪生死の凡夫、曠劫より常に沈み常に流転して出離の縁あることなし」というイマジネーションとは、少し違ったモチーフがあります。善導のイメージですと、いのちは、大昔から迷い続けて、救いの出口がないものだ、しかし、いま初めて阿弥陀様に救われてお浄土に生まれることができるのだという感じですね。
 安心決定鈔のイメージと善導のイメージを重ね合わせますと、こんな感じになりましょうか。宇宙が生まれる以前の原初から、私は生み出されました。そして、何十億年もかかってようやく、教えの言葉を聞くことができる耳を得ることができました。教えに出会ってみますと、いままで自分の力で生き、自分のいのちだと思ってきた、この身体は、自分のものではなかったのですね。なんと迷いの深いものか、宇宙開闢以来、何十億年の間、そのいのちの事実を忘れていました。まったく罪深い私です。いま初めて、教えを聞き、いのちの事実を教えられてみますと、私のいのちは私の私有物ではありませんでした。もともと阿弥陀様のいのちだったのです。ああ、なんと恥ずかしいことでありましょうか。そう思うと、いよいよ、阿弥陀さんのいのちが自分になって下さっていることをひしひしと感じます。しかし、それがたとえ事実であったとしても、私の罪はまったく消えることがありません。その証拠には、このいのちが、自分のものだと思い込んで疑うことができないからです。阿弥陀さんのいのちだなんて、思えないのですから。どこまでも救いの出口の見つからない私なのです。
こんな感じで表現してみたらどうでしょうか。それにしても「もとの阿弥陀のいのちへ帰せよ」という言葉はいい言葉だと思います。
 表は雨ですけど、この言葉が雨のように、私たちに降り注いでくるようです。「法雨」とはこんなイメージなんでしょうね。

2005年1月1
3日

「法蔵菩薩のボディーブロー」
私たちは意識生活をしています。普段は、昼間の秩序といってもいいような世界です。今日も一日、昨日と同じような生活が展開し、明日も同じような日々が展開していくだろうと。そういう思いの中で生活が営まれています。しかし、そういう意識生活をしているなかでも、私たちの無意識は、活発に活動しているわけです。
 それはちょうど、パソコンのディスプレイでは、文字を打つことができたり、図形を描くことができたり、写真を見ることができたりします。それは画面の表面で展開しています。しかし、その奥では、ハードウエアが常に活動しているようなものです。ハードウエアの活動は、画面では見ることができません。
 私たちの無意識もそれと同じように活動しています。いつもは、それが混乱なく動いているので、無意識の活動を意識することはありません。しかし、ときたまこの無意識が、意識生活に影響を与えて、意識化してくることがあります。
 夢は、無意識と意識の中間体ですから、ああいうところにも、無意識の存在を感じ取ることができます。
 無意識が、大きく太く成長していくときには、意識をも巻き込んで大きな揺さぶりがかけられます。意識は、その力に翻弄されます。しかしそれは、とても素敵なことなのです。いままでの意識の枠組みが破壊されて、新しい枠組みに編成し直されるのですから。ですから、意識の側からすると、とてつもない不安感を感じます。小生は、ひとが不安を感じるときには、何がしかの無意識の胎動が始まっていると思っています。ですから、意識は不安を嫌いますけど、案外、いいもんなんですよ。新しく何かが始まる前触れなんですから。
 その無意識の揺さぶりを、「法蔵菩薩のボディーブロー」といってみました。無意識はつねに意識に揺さぶりをかけているのでしょう。それは無意識そのものが意識をボディーブローしているようなもんです。そのボディーブローがある時点を境に意識化されてくるのです。
 ボクシングで、ボディーブローというのは、それほど有効な攻め方には思えません。というのは、短期間に相手に大きなダメージを与えないからです。上半身へのパンチに比べて、破壊力は少ないです。しかし、繰り返し繰り返し下半身にパンチを受けていると、やがて、ある時点から相手選手の足がとまり、攻撃のチャンスを作り出すことができるのです。ですから、どちらかというと、コツコツと攻める攻め方です。しかし、それがやがてある境界を超えると、相手の動きに影響を与えてくるのです。
 これは無意識が意識に与えるダメージと似ています。コツコツ、コツコツと無意識が意識を攻めていると、ある時点から、意識が悲鳴を上げるんです。無意識の世界は、無秩序ですし、無意味ですし、破天荒ですし、突発的ですし、無計画ですし、超越的です。これは意識にとっては、困ったことなのですけどね。でも、器が大きく体制替えをするときには、どうしても通らなきゃならないことなんです。
 そして、それが終息してきたときには、器の大きさが大きく太く変化しているのです。ですから、大きな揺さぶりは大歓迎といってもいいのです。この揺さぶりは死ぬまで私たちを苦しめるものでしょう。しかし、その揺さぶりを契機として、つねに人間は大きく太く逞しくなっていくものだと思います。かえってこの揺さぶりを経験することなく、平々凡々と生活しているひとのほうが、可哀相なものなのかもしれません。キルケゴールが「絶望は、死に至る病であるけれども、それは神からの賜物であるのだ」と語ったようにね。絶望を経験しないことは、ある意味で幸せそうに見えても、本当のところは悲しいことなのだというのです。それは神からの賜物を得る契機を失っているからです。
 不安大歓迎、絶望大歓迎で、いいのではないかと、思えているのです。

2005年1月1
1日

なんかみんな、頭でっかちになりすぎてやしませんか。養老さんじゃないけど、唯脳論になってませんでしょうか。もっと、身体からのメッセージを大事にしてみちゃどうでしょう。そういう小生も、かなり唯脳論に偏っていると反省しているのですけどね。唯脳論と、唯身体論の狭間であえいでいるのですよ。
 現代社会は、秩序立てて、明文化して、それできちんと市民社会のコードの中に納まっているわけです。そこからはみ出るものは、市民社会の利益を受けることができません。戸籍がちゃんとあるとか、住民票があるとか、納税証明書が発行してもらえるとか、住居が登記されているとか、そういう市民社会のコードが、網の目状に張りめぐらされているわけです。
 しかし、先日のインドネシアの大津波のように、大惨事になれば、そんなものはいっぺんに吹っ飛んでしまうわけです。吹っ飛んでしまった後に残るのは、身体性ですよね。ともかく食べて寝ることができるという場所の確保です。いわゆる原始の状態へ戻るわけです。
 この現代社会でも、食べて寝るという原始の状態が包含されているのですけど、普段は、そういうことが見えないんです。それでも、段々と老いることによって、個人には原始の状態が回復されていくのでしょう。若いころは、情報がいっぱいに詰まっています。唯脳論です。でも、徐々に身体論へと傾斜していきます。
 若いころは、何を食べるか?とか、どうやっておいしく食べるか?誰と食べるか?なんていうことに、差程、労力は使いませんでした。しかし、年をとるにしたがって、どうもどんどん貪欲になっていくような気がします。それは身体論への傾斜でしょうね。欲望の世界がどんどん狭まってきているのでしょう。最終的には食欲だけが残るといわれているのも、そういう事情でしょうね。
 残り少ない人生という時間を、できるだけむさぼってゆきたいと思います。「少欲知足」なんてお経には書いてありますけど、あれを書いた人は、きっと「大欲不足」だったんじゃないでしょうか。いつでも唯脳論のひとはいうんです。「こうしゃきゃ駄目じゃないか。こうしたほうがいいよ。こうすべきだよ」と。でも、「こうすべきだ」と言ってるだけで、本当はそうできないんですよね。まあ自分にできないことを人に言うのはけしからんことですよね。
 年末のテレビで細木和子が、ご先祖にお参りするとき、「どうぞ、見守って下さい」とか「今日も一日よろしくお願いします」とか。お願いごとをしちゃ駄目だと語っていました。「ただ一言ありがとうございます」とお礼を言えばいいんだと。
 それも一理ありますけど、でも、お願いしない人間はひとりもいないんです。ありがとうございますと手を合わせた、その心の裏には必ず、要求のこころが隠されているんです。そんなこと自分じゃできないんですよ。できないのに、ひとには堂々と言うわけです。あれってどうなんでしょうかねぇ。

 2005年1月
10日

「人生は大いなる冒険か、さもなければ無である」とヘレンケラーが言ったそうです。朝日新聞のbe on Saturdayに載ってました。この言葉は意味深長です。
 生きるということは、やはり冒険なのかもしれません。もし、赤ん坊がベッドから落っこちて頭を打ったら、大変です。車が危険だからといって、歩道を歩いて、けっつまづいて骨を折ったということも聞きます。健康そのもので、病気ひとつしたことのない人が、コロッと心臓発作で亡くなるということも起きるわけです。そう考えると、この日常は危険の要素が氾濫しています。
 もし、歩道を歩いていて、自動車が突っ込んできたらどうしよう。もし、電車に乗って痴漢に仕立て上げられたらどうしよう。もし、電車の車内でインフルエンザのばい菌に感染したらどうしよう。もし、留守中に空き巣に入られたらどうしよう。もし、肉ばっかり食べていて、この一口がガンを発病する因子になったらどうしよう。もし、東京に直下型の地震が起こったらどうしよう。もし、家族が突発的な病気で急死したらどうしよう。そういう不安の種は尽きないわけです。少し不安に感じていることを、羅列してゆくと結構出てくるものだと感心します。
 でも、普段はそういうことは忘れて生きているのです。まさに、目の前のことに追われて生きているわけです。そんなときヘレンの言葉が聞こえてきます。「人生は大いなる冒険か、さもなければ無か」と。
 今日、この時間を生きているということは大いなる冒険かもしれませんね。
 そのあとの「さもなければ無か」というため息のような言葉がいいですね。つまり、生きているということは、まったくの無意味かもしれないということでしょう。それは、やっぱり、無意味なのかもしれないのでしようね。生きているということは。
 小生は、そういうとき、原点に戻って考える癖があります。つまり、この世の始めと終わりに戻ってということです。そこから考えると、自分をこの世に生み出したもの、さらにこの世から去らせるものとが、まったく無意味に働いているということになります。
 これが逆に、小生の「意味という観念」を破壊してゆきます。意味ありと思いたいという観念を破壊してゆきます。破壊されてしまいますと、この〈いま〉という時間を丁寧に生きるということに立ち返ることができます。宇宙の始めへいき、そこから宇宙の終わりをグルッと回ってくると、〈いま〉という時間が新鮮に復活してきます。
 でも、ほんとうは、そんなことであるのかどうかは、誰も分からないんですけどね。人間には、ほんとうのことは知らされていないようですから。しかし、「無意味なるが故に自由」ということだけは言えると思います。意味は固定ですけど、無意味は自由ということです。

2005年1月9日

お正月の本堂の飾りは、ロウソク立てが二本並びます。このロウソク立ては「鶴亀(つるかめ)」と呼ばれています。それは、亀が下になって、その上に鶴が立って、ロウソクをくわえる形になっているからです。
 右の鶴は口を開けています。左のは口を閉じています。亀も同じように、右は開けて左は閉じています。これは神社の狛犬や、仁王さんと同じです。これは阿吽(あうん)と呼ばれます。阿は、物事のはじめを意味し、吽は終わりを意味します。人生の始まりと終わり、世界の始まりと終わり、宇宙の始まりと終わりをもイメージできます。あらゆるものには、始めと終わりがあるものです。
 しかし、どこから数えた、「始めと終わり」なのでしょうか。どこからか数えたものでなければ、それは「始め」でも「終わり」でもないのでしょう。私たちも、西暦とか、年号とかで日時を考えていますけど、それはすべて仮のことです。絶対的なものではありません。仮にキリストが生まれた年を「始め」としようと決めただけのことです。ですから、計算の起点が曖昧ですから、ほんとうはよく分からないことです。まあ便利さもあって、西暦を仮に使っていますけれども、この先、数字がどんどん増えていきますから、西暦689,483,729年等という年も成り立つわけです。そこまでいくと、今度は逆に面倒くさくて、よく覚えられませんから、別の方法を考えるかもしれませんね。
 しかし、と、小生は言いたい。その「始めと終わり」の起点を〈いま〉に定めればいいじゃないかと。この〈いま〉のところに「始めと終わり」を見いだしたらどうでしょうか。〈いま〉に終わって、〈いま〉に始まると考えたらどうでしょう。恐らく、これは、小生の空想癖がなせる技かもしれませんが、宇宙の始めと終わりの時間と、〈いま〉の時間は等質じゃないかと思えるんです。宇宙の始めの方が、時間が早く流れて、徐々に遅くなっているとは考えにくいのです。恐らく、同じ早さなのでしょう。そうすると、この〈いま〉という時間のところに「始めと終わり」があってもいいわけです。
 とすると、この〈いま〉が宇宙の始まりであり、終わりであってもいいわけです。一瞬一瞬始まっては滅するということです。これは仏教の唯識の考え方だと、「刹那生、刹那滅」(せつなしょう、せつなめつ)というのだそうです。宇宙は一瞬にして生じ、一瞬にして滅しているのだと考えるそうです。しかし、人間には同じような時間が連続しているように感じられているだけで、ほんとうはそうじゃないというのです。
 これはちょうど、蛍光灯の発光と似ていますね。蛍光灯は、連続して白く明るく光っているように、人間には感じられます。しかし、あれは同じように光り続けているわけじゃないようです。高速度カメラで撮影すると、パッと光っては消え、消えてはまた光っているそうです。そのスピードがあまりに速いために、人間には等質の光が輝いているように感じられるだけです。これと同じように、宇宙は、つまりこの日常は成り立っているといいます。小生はこの見方が好きです。日常は、一瞬にして消滅し、一瞬にして生じていると考えた方が、物事を正しく見ているように思えます。皮膚細胞が死んで新しく生まれ変わるという新陳代謝は、とどまることはありません。ですから、いのちは常に流れのように続いています。この肉体は、常に流動体です。動いているものです。動いているものであれば、古い細胞は死に新しい細胞が生まれるつつあるのです。その細胞内部のミクロの死と再生が断絶されることなく動いているのです。
 そうすると、いままでのいのちに死に、即座に再生されていると見えても不思議はありません。「刹那生、刹那滅」ということがほんとうだと思えます。ただ、小生には、そう感じられないという悲しさがあるだけです。まだ死は、先のことだと「理性」はいつも呑気に構えているのです。理性は最後まで、死を現実としては受け入れられないのでしょう。哀れです。そんな理性の向かって、死は、「え〜っ?あんたはもう、死んでますからっ…残念!」と叫んでいるのでした。

2005年1月8日

昨日から、パソコンの会社に電話したり、ホームページのプロバイダーに連絡したり、それに付随した、あれこれで、ようやくここまでこぎ着けました。
 結局、パソコンは買い換えなくてもよかったのです。しかし、リカバリーというやり方をするしかありませんでした。つまり、すべての情報を抹消することによって、コンピューターを買ったときの状態に戻すわけです。ですから、いままで使ってきたソフトはすべて削除されてしまいます。まあこんなこともあろうかと思って、外付けのハードディスクに情報をコピーしておきましたから、最悪の状態は免れました。
 やはり、「便利なものほど、リスクが高い」という信条で、やってきましたから、基本的には機械を信用していないわけです。いつ思いもよらない悲劇に見舞われるかわかりませんからね。あれこれと動き回って、どうにか更新ができる状態までこぎ着けました。しかし、まだキーボードが言うことを聞きません。小生は、富士通が開発した「親指シフト・キーボード」を愛用してきましたので、ローマ字入力では、どうもしっくりいきません。奥歯に物が挟まっているといいましょうか、ひとのフンドシで相撲をとっているというか。そんな状態で、いま、書いています。
 ですから、後はこのキーボードの不自由を乗り越えれば、いいわけです。そうすれば、またもとのように自由に操作できると思います。キーボードが不自由だと、考えも不自由になってしまうもんですね。
 でも、今回のトラブルでよかったこともあるんです。それは、今までのハードディスクのパーティーションを変更できたからです。いままでは、ハードディスクの分割が不均等で、Cドライブが少なすぎて、コンピューターの動きが遅かったんです。しかし、今回Dドライブを少なめに設定し直すことができたので、これで動きが速くなること間違いなしです。
 それにしても、立ち上げも早くなったし、なんと言ってもフリーズが起きないのですから、もう安心です。いままで、機械の顔色をうかがって、おどおどしていたのが不思議なくらいです。
 ひとつ、お聞きしたいことがあります。あの、マイクロソフトから更新したらといってきたサービスパック2という奴はあやしいんじゃないの?あれは無料ですしね。どうもあれを更新してから具合が悪くなったように思えるんですけど、どんなもんでしょう。もうあのパックは更新しないぞと心に決めています。
 まあ、まだまだ、機械に使われている状態です。

 

2005年1月7日

今年に入ってから、どうもパソコンの調子が悪く、何回もフリーズを繰り返します。その度に、電源を切っては立ち上げるという応急処置をとっています。何回か繰り返しているうちに、ときたま、調子よく立ち上がったときに、更新しています。ですから、今後、立ち上がらない場合には、更新が不可能になる可能性が大きいのです。これは、機械の問題ですから、小生の方の事情ではありません。ですから、更新されていないからといって、決してご心配なさらないでください。
 こうしているあいだにも、いつフリーズしてしまうかと思うと、不安です。突然、カーソルが動かなくなってしまうのですから…。もう、二年も使っているので、そろそろ寿命なのか、あるいは、何らかのバイ菌が侵入したのか、それは分かりません。しかし、パソコンを買い換える覚悟でいます。やはり、便利なものほど、リスクが大きいのです。
 順調に更新されるようになったら、「やっとパソコンを買い換えたのだなぁ…」とお思い下さい。それまでは、先行きがまったく読めません。悪しからず。
 

2005年1月6日

今日の毎日新聞「余滴」には、スマトラ沖巨大津波についてこんなふうに書かれていました。「海でつながる陸地に暮らす私たちは、植物や小動物を含めてすべて小さくて無力な運命共同体だ。飛行機を使って自由に地球を動き回り、快適な住居でゆったり暮していても、薄い地殻の表面にうごめく小さな存在にかわりはないのだと知る。▲9・11とは別の意味で、インド洋大津波は人々の意識を変えるのではないか。」と。
 これらの言葉に出会って、まさにそうだなぁと思いました。宇宙空間のことは遠くまで分かっていても、この地球の内部のことはまだよく分からないのでしょう。まさに「薄い地殻の表面でうごめく小さな存在」という言葉は言い得ていると思いました。そして、それが「9・11とは別の意味で、(略)人々の意識を変える」と予言していることも、当たっていると思います。
 9・11は、人災ですけど、地震と津波は天災ですね。人間業の深い闇に対するとてつもない諦め感と、地球というもののもっている「荒ぶる神」への諦め感とが、押し寄せてきた感じがします。まさに「緑豊かな地球」という言葉が示しているように、温かく人間を受け入れてくれる母の側面と、一方では人間に牙をむく「荒ぶる神」の側面とが共存しています。小さな生き物である人間たちは、この巨大な「荒ぶる神」の前に、まったく為す術がありません。これは、いわゆる「何かが狂っている!」「人間たちが、あまりにも傍若無人に自然破壊を繰り返してきたから、地球が怒って警告を発しているのだ!」というような解釈は、取りたくありません。人間の側からすれば、そういう解釈をしてみたくもなるのでしょうけど、地球にとっては、ごくごく自然な営みなのだと思われます。地球だって生き物ですからね。まさしく巨大な動物が地球なんでしょう。ですから、クシャミもすれば咳もするのだと思います。ただ、それが、地球に暮らす生き物にとっては、生死を分けるものとなってしまうのです。人間にとっては、大変な迷惑であっても、地球にとっては、当然なことなのでしょう。
 大昔には、隕石がぶつかり何千度という熱球にもなった地球、またあるときはマイナス何十度という凍結球にもなりました。そういう宇宙的な事情で地球さんも生きているわけですから、人間の側の論理や予測とは、まったく無関係にあるものなのでしょう。
 今回の大津波が、人間の意識に大きな変化を与えたようです。それは、おそらく自然に対する大いなる諦め感の増大ではないかと思います。自然に対してはまったくの無防備だという、感覚です。ですから、どれほど、人間がそれを食い止めようと力を尽くそうとも、そんなものはまったくの無力なんだという諦め感です。ただ、その諦め感がどこから起こってきているのかと考えると、人間の固定観念からではないかと思います。つまり、文明はつねに発達していくのだという固定観念、あるいは人間は必ず理想の社会を作り上げられるのだということへの固定観念、不動の安定した生活が約束されるはずだという固定観念。そういった「不動の観念」たちが、見事に崩されてしまったということではないでしょうか。
 でも、それは、人間にはとてもきついことですけど、むしろ「よきこと」だったのかもしれないのです。地球の本来性が、ハッキリと示されたからです。もともと、地球とはそういう「荒ぶる神」という生き物なのだという再確認がさせられたからです。そういう「荒ぶる神」の上に、か弱い生き物として私たちがあるのだということが、あらためて知らされたわけです。
 あらゆる場面で、人間はいつでも「か弱さ」と共存してきました。「か弱さ」が、いつでも見えていれば、共存やいたわりというものが起こってきます。どこまでいっても、人間は「か弱い裸のサル」に違いないのですから。

2005年1月3日

■今月の言葉■
 

終りから
            始める

 新年、この言葉が浮かんできた。新年なのだから、何かを新たに始めなければいけないという思いがどこかにあったからだと思います。あるいは、自然と人間の崩壊をなんとか食い止める手はないのか?という思いからかもしれない。
 昨年はいくつもの台風が日本を直撃し、さらに十月には新潟の中越地震、さらに年末にはインドネシアで巨大津波が起き、果たして何十万人が死んだのやら、検討もつかないという有り様です。一方、人間はといえば、親が子どもを殺す虐待は後を立たず、逆に親を殺す事件が起き、そうかと思えば、インターネットで知り合った者同士が集団自殺をおこない、マーケット・ドンキーコングが連続放火され、奈良県の女児殺害犯が、逮捕されるという、まったく目を覆いたくなるような惨憺たる悲劇が茶飯事になってしまいました。
 自然も、人間も、まったく予測のつかない惨状を呈してしまっています。どこかが狂っている!どこかが間違っている!と叫んでみても、どこをどう改善してゆけばよいのやら、その手がかりすらないといった状況です。しかし、それじゃ困るんだよなぁ…という思いから、何かを始めなければならないと欲求していたのでしょう。
 しかし、時代が下るにしたがって状況が悪化したというのなら、それも改善のしようがありますけれども、そうじゃなくて、もともと自然というものは、そういうものなんだよ、もともと人間というのは、そういう邪悪な存在なんだよ、といわれてしまえば、「そうか、本来性が覆いをとって露出してきただけじゃん」とも見えるわけです。
 でも、その「もともとは…」という発想をとってしまうと、もはや改善の余地はなくなってくるので、そういう発想を人間はとりたくないんですね。どこか、ボタンを掛け違えたからそういう状態になってしまったわけで、もとへ戻ってボタンを掛け直せば、惨状から逃れられるんじゃないかと幻想してしまうんですね。
 そこで、小生は「終わりから、始める」と考えてみたわけです。考えてみたというよりも、小生の心に沸き起こってきた言葉だったのです。ヒントはキリスト教の方の書かれた『終りから、始まる』という本のタイトルのようです。この方はキリスト教の終末論をテーマにして、そのような題名に辿り着いたようです。しかし小生は「終りから始まる」じゃなくて、「終りから始める」と涌いてきました。「始まる」は自動詞ですけど、「始める」は他動詞です。「始まる」というと、自己が抜きになってしまうような感じを受けます。しかし「始める」は自分が始めるわけです。始めなければならないんでしょう。しかし、その基点を「昨日」に定めるのではなく、「終り」というところに置きたいわけです。普通は、「いままでダメだったから、それは昨日のことであって、今日から頑張っていきましょう」という発想になります。そういう視点に立つと、全然元気が出てきません。
 山登りをするとき、さあ、これから、富士山の頂上を目指しましょうというようなもんです。まあ、登山家は、高い山ほど登りたいのかもしれませんけどね。しかし小生は、その山登りの基点を、麓に置くのではなく、頂上に設定してみたいわけです。もう達成すべきことはすべて終っているのだから、そこに立って、この麓から一歩を踏み出してみたらどうでしょうということです。つまり「終り」の地点から、<いま>を逆に見つめてみたらどうかと思うわけです。その「終り」は自己の終りであり、世界の終りであり、宇宙の終りのことです。「終り」の基点を、宇宙に定めてみると、逆に<いま>が自由になってくるものです。おかしなものです。
 人間がこれこそ、完璧な理想の状態だと思える社会が、いま実現してしまっているわけです。いやいや、それは様々な諸問題は抱えているわけです。叩けば埃の出る状態ではあるのです。しかし、「中流意識」と以前いわれたような精神状態は達成してしまっているわけです。吉本さんがいわれるように、日本は「消費資本主義」社会だというわけです。第一次、第二次産業に従事しているひとを、第三次産業に従事しているひとが凌駕してしまったわけです。情報が消費されているわけです。ということは、欲望はかなりのレベルで達成してしまったわけです。後は自己防衛しか欲望はなくなってしまったようです。日本人の貯蓄率はものすごいです。それは、自己防衛の欲望の表現なんです。自我は不安定以上に安定を欲求するわけです。自我愛・自我執着・自我統一視座・自己中心満足欲、それらの根っこには「自我」の安定思考があるわけです。
 悲しいかな、その自我安定思考は四十六億年を貫いてきたものですから、捨てることができません。自我は汚いとか、ダメだといいますけど、それすら一朝一夕にできあがったものではないのです。やはり四十六億年かかってできあがってきた賜物でもあるのです。どうもおかしいですね。なぜ、宇宙は自我を四十六億年もかかって温存してきたのでしょうか?やがて、自我は間違いなく消滅していくのに…。なぜ、消えてなくなるものなのに、これほどまでに大事に温存してきたのでしょうか?
 その答えはいまだ分かりません。しかし、自己がここに、唯一無二の存在として「在る」ということは、まさしく宇宙的な出来事であるということだけは分かります。無から「在る」へ変化して、やがて無へ帰るわけですけど、これは、宇宙の遊び、あるいは「揺らぎ」なのかもしれませんね。
 宇宙の終りに立って、そこから今日の一日を初めてみようかと思います。そこに「あそび」が生まれて、「遊び」へと変化していけるエロスが発生するように思います。欲(意欲)が生まれる原点には、そんなエロスが潜んでいるのでしょう。「たかが、どうせ」なんですけど、「されど、あえて」と反転してゆきたいと思います。

2005年1月2日

●イマジネーション・パワーを身につけよう!
 年末にはNHKで「地球大進化」(NHKスペシャル)の再放送が、連日放映されていました。小生は、この番組は「現代のお経」だと思ってよくみました。46億年前に地球が誕生して現代にいたるまでの壮大なイメージの世界を、映像によって見せてくれました。映像にされると、我々にはよくイメージしやすいんです。まああれも、ひとつの仮説を立てて、その理論に基づいて映像化しているのであって、本当のところは、よく分からないわけです。なんといっても46億年前に人間はいませんからね。仮説をもとにしてイマジネーション・パワーでもって、イメージとして想像しているだけです。
 しかし、自己存在が、46億年のいのちの旅をして、私まで届いてきたのだということを思うと、なんとも自己存在が宇宙的だとイメージできます。限りあるいのちとして、ここに在る自分。必ず死をもっていのちが終わるわけです。しかし、死の後のいのちをイメージしてみるのもいいじゃないですか。それこそ、自分がこの世を去ってから46億年後のイメージを懐いてみてもいいじゃないでしょうか。46億年前の自分、そして46億年後の自分のイメージを思い描いてみてもいいじゃないですか。それは、もう、イメージしてみようもないものかもしれませんけど、でも、そういう永遠というイメージを感覚できる力を養いたいと思います。
それはまさにイマジネーション・パワーとでも呼べるでしょう。知力や体力のほかに、イマジネーション・パワーを人間はもたなければなりません。
 簡単にいえば、人間には「分からない」領域から、自分がやってきたというイメージです。とても単純なことは、自分は人間に生まれたくて生まれたわけじゃないという事実です。後から気がついたときに、「そうか、おれは人間なのか」と自覚したのであって、原初の自分はまさに「分からない」自分なわけです。もともとが分からないところから出てきているのに、なんだか、なんでも分かったような顔をして生きていることがチャンチャラおかしいですよね。
 ものごとが分かって生きるよりも、分からないで生きることのほうが幸せかもしれません。小生が幼児期の頃、あの橋を超えた向こうの世界は異界でした。何が住んでいて、どんなふうになっているのか未知の世界でした。ワクワクした思いと不安とが入り交じってイメージすることができました。しかし大人になって、周辺の地図が把握されて、地図が面として完璧にできあがってしまうと、ワクワク感と不安感がなくなってしまいました。いま思えば、あの分からないときの感覚の方が、幸せであったように思います。人間は知によって、どんどん世界を把握し、自己の世界の内側に秩序立てて了解していきますけど、内側に取り込めば取り込むほど、実は世界は面白くなくなっていっているのかもしれません。
 これは確かなことですけど、分からないことが多いほうが、人間元気が出るんです。不思議なものです。分かってしまったら、逆にエロスが減少してしまうのです。現代は、月や火星までロケットを飛ばして、人間の知の世界に宇宙を閉じ込めてしまいました。「見えすぎちゃってこまるの〜」というコマーシャルがありましたけど、自分の将来もすべて見えすぎちゃっているわけです。見えすぎてしまうと、人間は生きるエロスを減少させます。見えないほうが生き生きしているんです。
 でも、見えていると思っているのは、人間が勝手に決めたことですから、本当に見えているのかどうか、分かりませんから、ザーンネーンということでしょうか。人間は自分が見えたとおりに世界があるのだという思い込みを生きているのです。でも、自分が見えたとおりに世界はないんですよ。自分の見えたとおりに、ひとつの世界があるんだという考え方は、一神教の発想です。見え方は、みんなバラバラなんです。バラバラだと思っていたほうが、豊かな世界観なんです。ひとつの世界を生きているなんて、なんて窮屈な世界観なんでしょうか。
 やっぱり、多様性がありがたいわけです。多様性があるから、自分も生きられるのです。今年は多様性を尊重してゆける年になってほしいと思います。みんな同じ方向を向いて生きるというのは、小生には苦手な芸当です。

 

詳しいお問い合わせは因速寺まで。

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