住職のつぶやき2002/12


2002年12月31日

●今日で今年も終わります。まったく年末感もないままに、物理的な時間だけは容赦なく12月31日を刻んでゆきます。物理的には確かに年末の31日なのだけれども、どうも変だなぁという感覚が残ります。それでも、気を取り直して物理的時間を優先させて生きなければと、顔をピシャッと叩きました。

31日は、どうしても、人間に後ろを振り返らせます。この一年はどういう年だったのかと。新聞の意識調査では、「今年は、概していい年だった」という問いに対して「いい年だった58%・悪い年だった42%」と出ていました。これは予想外でした。たぶん「悪い年だった」が圧倒的に多いと予想したのですが、案外みなさんは「いい年だった」と受けとめているようです。まぁこの統計の取り方にも問題があるのかれしれませんね。「いい年だった」とでも思わなきゃやってらんねぇよ!という、ヤケクソ感もあるように思えるのですけど、ひねくれすぎでしょうか。

次の、「今年、自分にたいしてひとこというなら」という問いには「よくやった47%・反省しなさい53%」と出ていました。これも予想外でした。この不況のさなかに、ここまで持ちこたえてきたんだから、「よくやった」が多いだろうと思ったのですが、反対でした。まぁ数値は微妙ですけどね。面白かった問いは、「今年、一度も泣かなかった」という問いでした。これに対して、「泣いた75%」、「泣いていない25%」と出ていました。この「泣いた」が圧倒的だったのはホッとしました。まぁ涙を流した理由は、ひと様々だと思います。泣くといっても、ひとつではありません。「悔し泣き・もらい泣き・忍び泣き・嬉し泣き・むせび泣き・感泣・号泣・嗚咽・すすり泣き・しゃくり泣き・」。顔文字でも「。・°°・(>_<)・°°・。」「(T-T)」「(;_;)」が用意されていました。泣くといっても様々なんですね。涙の味にもいろいろあると聞いたことがあります。小生は、戦後日本人は「泣く」ということを忘れてしまったのではないかと思っていましたから、75%のひとが、泣けた、あるいは泣いた自分を思い出したということは、凄くホッとしました。

いまは、ドライでクールな方がいいとか、社交的なひとの方がいいとか、元気のある明るいひとがいいとか、そういう風潮があります。内向的でオタクで人情もろいのはダメという時代の空気です。タレントのアカシヤ・サンマ的な人間が好感度をもって受けいれられる時代です。そういう時代は涙を流すような人情的なのはダメで、クールに笑い飛ばすようなセンスを求めてきました。でも、ノーベル賞の田中さんは、まさにオタク・内向型の権現みたいなひとでしたね。いまの時流にカウンターパンチを繰り出しました。流行歌にしても、演歌が廃れてきた原因は、そういうところにもあるんですね。五木寛之さんは、演歌衰退を嘆いていました。カラオケ屋さんでも、部長クラスのおっさんが、ニューミュージックや英語の歌を歌っている場面をよく見かけます。「演歌はダサイ」という若者の冷たい視線に耐えられないおっさんが、自らを改造しようというのでしょう。実はおっさん自身が、内面で、「ダサイよなぁ」と感じ初めてしまったのです。ステージで演歌を熱唱し、歌い終わって、自席に戻ったときのシラケた雰囲気に耐えられなくなったのでしょう。そういう自分も、演歌はあまり好きではありませんでした。どちらかというとフォークのセンスで歌える歌を歌ってきました。まぁ、今夜のNHK紅白歌合戦に初出演する「中島みゆき」のものも好んで歌ってきました。(下馬評では、中島が出演するときに視聴率が最高を指すだろうといわれています…あぁ「地上の星」よ)みゆきを「挽歌の名手」と名づけたのですが、やっぱり、涙なしではみゆきの歌は成立しないように思います。プロジェクト・エックスは涙なみだの番組ですよね。あの田口トモロウの「そのとき●●は思った…」「●●は泣いた…」という独特のナレーションに泣かされましたね。

涙を流す時、初めて人間が人間らしい姿に立ち戻ったような感じを受けます。そういえば、生まれたときの産声はみんな泣き声なんだそうですね。自分では忘れてしまっていますけど。この世に子宮から生み出されて、肺で呼吸をし始めた最初の声は泣き声なんです。苦しい産道をくぐり抜け、窒息しそうになりながら、赤ん坊は産声をあげます。この世に生み出されたことの苦しみのあまり泣いているのだと聞いたことがあります。子宮の中にいれば、ストレスも少なく快適な世界でした。しかしひとたびこの世に生み出されると、自分の肺で呼吸したり、口から食物をとったり、と自分自身で環境に働きかけなければなりません。ちょうど、エデンの園を追い出された「アダムとイブ」のようなもんです。

泣いている人間は、何かに心を動かされ、素直に、誠実に、自分とひとつになっています。そして涙の枯れたその眼からは、鮮やかな輝きと温もりが生まれてきます。以前には見えていなかったものが、見えてくるということがあります。どうか原点である産声の「泣き声」を憶念しつつ、来年も「涙、多い年」でありますようにと念じることにします。(今年も、おつきあい有難うございました。来年もご縁がありましたら、何卒宜しくお願い申し上げます。( ̄人 ̄)合掌...)

2002年12月30日

●「知り合いの毎日の記者が、いま癌になって、ルポ書いてるから読んでやってよ」と先輩の住職に勧められ、毎日新聞の「生きる者の記録」を読み始めました。末期癌を宣告された記者・佐藤健さん(59歳)の玉川温泉での湯治記録がつづられていました。すべての手記に目を通してはいませんでした。忙しさに取り紛れている時でも、新聞に「生きる者の記録」という見出しを見れば、まだ元気で頑張ってるなぁとホッとしていました。この手記、長く続くといいなぁとも思っていました。しかし、とうとう、12月28日に亡くなられてしまいました。病室で亡くなったとき、奥さんとお子さんが拍手を送ったと書かれていました。この拍手は、様々な感情の混じった拍手だったことだと思います。「お父さん、よく頑張ったね」「私たちに生きることの大切さを教えてくれてありがとう」「ほんと、お父さんの生きざまはアッパレだよ」……。30日の朝刊には「佐藤健記者を悼む」という柳田邦男さんの特別寄稿が載っていました。

人は死出の旅にひとりで出発しなければならない。しかし、出立の形を自らはやばやと整えて、家族や友人たちと心を通わせつつ、人生の最期章と言うべきその形を創っていくならば、旅路は絶対孤独ではなく、実は残された人々の心の中で、いつまでも温もりのある共生の歩みを続ける。一人の人間の精神的ないのちというものは、死では終わらないのだ。

柳田さんは、御次男を自殺という形で失った方です。そしてその最期の記録を『犠牲−サクリファイス−』という本にまとめられました。そこではじめて死には「二人称の死」があることを教えてくれました。普通は死は一人称か三人称です。「一人称の死」というのは、死ぬのは自分だということです。ですから、他者からは本当のことは分からない。知っているのは自分自身だけです。また「三人称の死」とは、第三者の死ということで自分とは関係の薄い死です。まぁ他人事ということでしょう。しかし、「二人称の死」があるというのです。これは親しい肉親の死ということだと思います。息子さんは機械で測定すると完全に脳死の状態だったそうです。しかし、お父さんである柳田さんが病室に入ってくると、血圧を量っている機械のメモリが上がったそうです。たとえ言葉が通じなくても、他者がなんと言おうと、二人称の間にあるいのちは感応道交するものだと教えてくれました。

おそらく佐藤さんとご家族との間には「二人称の死」が成立していたのだと思います。そこには「残された人々の心の中で、いつまでも温もりのある共生の歩みを続ける」佐藤健がいるのだと思います。柳田邦男に「一人の人間の精神的ないのちというものは、死では終わらないのだ。」と言い切らせたものは、やはり御次男だったのではないかと思います。佐藤さんのご家族は、これから佐藤健さんと対話を初めていくのだと思います。生きているときには、お互いに煩悩(ボンノウ)で相手を見てしまうので、なかなか真実の姿は見えません。関係が近ければ近いほど見えないものです。亡くなってみて初めて、家族としての故人ではなく、いのちそのものの故人に出会うのだと思います。生きている者は、いろんな悩みや苦しみに出会います。その度に、仏様(故人)と対話を重ねてゆきます。「ひとは死して初めて、本当の話を始める」という言葉を聞いたことがあります。死では終わらないいのちの物語を創ってゆきたいと思います。「生」の方から「死」を見つめるばかりではなく、「死」の方から「生」を見つめてゆくときに、新たな物語が見えてくるに違いないと思います。

佐藤健さんに哀悼の意を述べさせて頂きたいと思います。

2002年12月29日

●27日の朝日新聞の夕刊に「『クローン人間の女児誕生』スイスの新興宗教」と出ていました。びっくりして読み進むと、スイスに本拠を置く新興宗教団体ラエリアン・ムーブメントに所属する科学者がクローン人間の女の子を誕生させたと述べたというのです。さらに、クローン人間づくりを引き受けて、現在百人ほどの契約を取り付けているとも書かれていました。まだ未確定の情報のようですが、物騒な話だと思います。翌日の新聞には、「クローン人間『誕生』発表 米大統領『法規制を支持』」とあり、ローマ法王庁が「『人間を奴隷化』バチカンが非難」とも書かれていました。徐々に事の深層が解明されていくことでしょう。アメリカではまだ法律がないために事実上罰することは不可能とも載っていました。しかし、技術的に不可能ではないという段階に入れば人間は遅かれ早かれクローン人間を作ることになるでしょう。一神教では、神(ゴッド)が人間を創ったことになっているので、人間が人間を創るのは神(ゴッド)への冒涜と宗教的には批判されるそうです。でも仏教では、縁起の道理ということがあるから、因と縁が結合して人間ができるのだから、別段批判することもないのではないかという意見もあるようです。

人間が人間を作るといっても、それは自然現象を超えることはないということも言われています。つまり、クローンは、一卵性双生児と同じ原理ではないかというのです。もともと自然界にあったことを、わざわざ人間が、あたかも人工的にやって見せただけだというのです。まぁそれもそうかと思います。まあ自分と同じ顔かたちの人間がもうひとりいたとしても、いきなり48歳には成れないのですから、やはり生育過程の経験の違いによって違った人間に成っていくことでしょう。たとえ脳に記憶が移植できるようになっても、乳児に、あるいは幼児に48歳の脳の記憶を移植してしまえば、どんなちぐはぐなことが起こるか分かりません。赤ん坊が、熱燗をチビチビやっている姿なんか、ちょっと、ゾッとしますね。

やはり、人工的に人間を作るということはやめておいたほうがいいように思いますけどね。まぁ初めは臓器移植という要請から、拒否反応を起こさない自分自身の肉体の細胞を培養して、傷んだ時には部品交換するという発想だったんですね。それがどんどん部品を増やしていったら、結局自分と同じボディーがもうひとつ出来上がることになってしまったわけです。やっぱり、人間の寿命はほどほどということがあるように思います。そうそう旧約聖書には、アブラハムが400歳生きたとか、だれだれが600歳生きたとか載ってますけど、あれってどういうことなんでしょうかねぇ。昔は長寿だったんですかね。そんなわけはないか。

人間の思惑で自然を操作すると、思惑の分だけ人間に反作用の災いがくるように思えます。地球にはびこった癌細胞が人類というものなのですから、少しでも生体の地球に長生きしてもらうためにも、癌自身のはびこるスピードを落とさなくてはならないでしょうねぇ。もっと悲観的なことをいえば、地球の資源もそこをつき、人口もどんどん増えて、人類は滅びていくのでしょう。滅びを遅らせる努力をしなければなりません。しかし滅びないということは不可能なのです。その意味で人類に明るい未来なんかないのです。そのことを知った上で、さて、今日も一日生きてみようか、という微かなエロスが湧いてくるかどうかが勝負なんです。仏教は宇宙最期の日を視野に入れて、その上で、そこから今日一日を明るく・元気に生きたいというエロスを紡ぎ出してくる教えなのです。悲観も楽観も、ともに超えて、淡々と、いま目の前の「生きる」ということに真向かいになっていくだけです。悲観も楽観もともに「煩悩(ボンノウ)」なのですから。

2002年12月28日

●昨夜の夢はくたびれる夢でした。デパートから万引きというか、置き引きというか、とにかくお金を支払わずに品物を持ち出すというものでした。誰だったか、見知らぬおばさんから荷物を預かりました。小生は、それがまだ代金を支払っていない品物だと知っています。すると、それを店外へ持ち出してみようという冒険心(?)が湧いてきました。品物をもって店の出口を探します。すると店員が、袋の中身をあらためさせて欲しいと申し出てきました。なんだか女物の衣類が袋から出てきました。自分が買ったものではないので、後ろめたい気持がしていましたが、ここはしらを切り通そうと決意して、自分が買ったんだと力説しました。店員は、それでは仕方がないという顔であきらめました。小生は、しめたと思い、袋をもって店外へ出ました。ところが、案の定、店員が後からついてきて、万引き現行犯としてつかまってしまいました。ほんの出来心というか、ちょっとした冒険心なんだから、そんなに騒ぐこともないじゃないかと内心思っていました。しかし店員は、鬼の首でもとったように、「だから、さっき店の中で、自白の機会を与えたのに、あんたは素直にならなかったから仕方ないね…」と言います。さらに、「うちの守衛にも謝ってもらおう!」と言い出しました。そして小生は守衛のところに連れていかれました。この守衛は「こういう奴はクセになるから、警察に突き出したほうがいいよ!」と高飛車に叫びました。小生はなんとか穏便に済ませてくれるように店員に頼んでいたので、この守衛の態度には激怒しました。いかにも自分は善人だという人間のうさんくさい態度です。

その辺で夢が覚めました。すごく疲れた夢でした。しかし、自分は万引きをする人間の気持がすごくよく分かりました。おそらくこういうふうに万引きをしてしまうのだろうなぁという感情の動きが手に取るように分かりました。小生はいままで万引きをしない側の人間だと思っていたのですが、万引きをする側の人間だったんだと改めて受けとめることができました。夢で万引きをした人間は、実際に万引きをした人間と同じ罪だったのです。イエスが思いのなかでスケベなことを考えた人間は、実際に姦淫をした人間と同じだというのをもっと深化させていけば、夢で殺人を犯したひとは実際に殺人をした人間と同じだということになります。ここまでを法律で裁いてしまっては、地球の人類全員を刑務所に入れてしまわなくてはならないので不可能ですから、一応現行為という限定をしたまででしょう。しかし、現実には夢で見たことにも責任感をもっていくということが宗教者の態度だと思います。

2002年12月27日

●西本願寺の大峯顕さん(教学研究所所長)が「『祈り』とは聖なるものと人間との内面的な魂の交流であり、宗教の核心。『祈り』の概念は現世利益を求める祈りというよりも広く、祈りなくして宗教は成り立たない」と明言した」(毎日新聞2002/12/10)と語って、教団内で議論が起こっているそうです。記事には「合格祈願や無病息災といった現世利益を求めないため『祈らない宗教』とされてきた浄土真宗本願寺はの教学研究所が、『祈り』について『宗教の原点であり本質だ』と゛公認゛する見解をしめしていたことが9日明らかになった」と書かれています。その後、大峯さんは別に「公認」などとは言っていないということも発言されているそうです。

この問題は、位相の違いを考えないと解けない問題です。つまり、教えと自分との位相と、自分と他者との位相です。教えと自分との位相を医学にならって、「基礎教学」の位相とすれば、自分と他者の位相は「臨床教学」の位相というふうに分けられます。基礎教学の側面でいえば、人間が如来に何事かを依頼するということは成り立ちません。人間が祈願したり依頼することは、自我の欲望ですから、如来から否定されることによって、全肯定が起こります。それから、臨床教学の側面でいえば、人間は「祈願」したり「依頼」したい本能をもった生き物だということがいえます。まぁ、一般的に葬儀や法事を勤めれば分かることです。遺族は個人の冥福を祈り、どうか安らかに眠ってくださいという祈りをします。人間から個人へ向かって安らかになってほしいという切実な感情が起こります。これは、祈ってはいけないといっても、祈らざるを得ないという本能なのです。身内でも癌になれば当然回復を祈るものです。この祈らざるをえない人情に共感し同感することによって、やがて、基礎教学の側面に誘引するというのが浄土教の優しいところだと思います。ですから、臨床の側面と基礎の側面は異質の世界なのだとハッキリと受けとめることが大切だと思います。これが混乱していることが真宗の教学の混乱を招いているように思えます。

親鸞にしても、主著であります『教行信証』では、如来の知恵を疑うひとは、絶対に救わないのだと書いています。(化身土巻で)これは基礎教学の側面の表現です。しかし臨床の側面では、この疑いの罪をつぐなって淨土に往生することができるのだよというふうな言い方をしてます。自分と如来、すなわち真理と自己との関係は厳粛な信仰空間を表現しているのですが、自己と他者の関係となると、場面に応じて、どのようにでも表現できる柔軟性があらわされています。小生は臨床の場面では、どのようなことが起ころうと、どのような表現が生まれようと間違いはないように思っています。ただひとつ自己と真理との関係を常に腹に持ちなが臨床に当たっていくということでなければなりませんが。

 

2002年12月26日

●「理性のない信仰は怠慢であり、信仰のない理性は傲慢(ゴウマン)である」(聖アンセルムス)

これは本当に、永遠のテーマだと思います。信仰はつねに理性を眠らせようと働きますし、理性は常に信仰を「阿片だ!」と批判します。しかし、この矛盾を成熟させていくことが、私の歩く道だと信じます。お釈迦様は最古の経典(スッタニパータ)で、「犀の角のようにただ独り歩め」と繰り返し説かれます。決して共同幻想の世界に埋没してはならないと説きます。ひとが集まるとどうしても共同幻想が発生します。これは組織の宿命といってもいいでしょう。「俺はこう思う」なら良いのですが、「俺たちはこう思う」となってきます。「俺とお前」であれば、物事は簡単です。差別も起きません。しかし「俺たちとお前たち」という発想になると、そこに差別と権力闘争と戦が起こります。

 私服で西大島付近を歩いていたとき、見知らぬおばちゃんが近寄ってきて、話しかけられました。「あんたは宗教あるの?」。最初は、宗教への勧誘のような優しい口調だったのですが、「お前は、坊主のせがれだろ!」と罵られ、とうとう「お前たちがいるから戦争は起きるんだ!お前の家族は全員不幸になるぞ!」と罵倒されました。私服だったので、なんで小生が坊主の息子だと分かったのか不思議と同時に、恐怖を感じました。「やっぱり、有名人だから(^^ゞ…地域の新興宗教に…指名手配の…顔写真なんか載ってたりして…」と内心ルンルンだったりしたことを覚えています。しかし、あのおばちゃんの興奮した精神はどこから生まれるのかといえば、やっぱり共同幻想なんですね。「俺たちは正しい、正義なんだ」という幻想が、ひとの生きるというエネルギーにもなってくるんです。真宗教団でも、かつての一向一揆という課題を背負っています。この共同幻想をどこまで、相対化してゆけるか、それが「覚める宗教」の条件だと思います。

 たしかに「信仰は決断である」という必須条件があります。やはりキルケゴールがいうように「あれかこれか」という決断がなければ信仰にはなりません。しかし、その「あれかこれか」は、成熟して「あれもこれも」という世界を許容できるものにならなければなりません。まだ「一神教」は宗教の発達段階としては未成熟だと思います。よく「一神教か多神教か」という議論がありますが、それは価値論でははかれません。やはり吉本隆明さんの言葉でいえば、「発達段階」の違いだと思います。やはりアニミズムから発生して、やがて一神教的な段階に達し、最期には「成熟した一神教的信仰」になってゆくのでしょう。

 まず、「犀の角のようにただ独り歩め」という原点に帰らなければなりません。「独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる」(無量寿経)という原点から発想すべきだと思います。その独りは、孤独な独りではなく、一切衆生といういのちを代表した「独り」だと信じています。

「私は一切衆生のなかのひとりであると同時に、一切衆生を代表するひとりである」(安田理深)

2002年12月25日

●まったく年末年始の雰囲気もなく、物理的な時間は年末年始を迎えようとしています。視聴率の下がり始めた紅白歌合戦が、中島みゆきの出演を取り付けたと聞きました。まぁ、郵政省のコマーシャルに出たのは見たけど、その他はみゆきのテレビ出演は見たことがありません。テレビに出ないということが、ひとつのみゆきの選択でした。しかし、今回はプロジェクトX(エックス)のテーマソング「地上の星」とエンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」が、おやじ熟年層にヒットしたこともあっての出演と聞いています。そういえば、カラオケスナックでは、この曲がよくおやじたちに歌われているのを目にします。みゆきを批評した本は随分と出ているようです。小生は、やはり「挽歌の名手」という感じを受けます。はやくいえば失恋した人間の心情をペースに歌っています。決してハッピーエンドはあり得ないという悲しみをペースにしています。孤独な人間のさみしさ、涙を流しきったあとの表情というものがみゆきの魅力だと思います。その意味で、実に実存的な風情を感ずるのです。ハッピーエンドの歌はあんまり歌にならないのかもしれませんね。山あり谷あり、楽あり苦ありという、そこに自分の人生を投影できるものがいいんでしょうね。9月だったか、「北の国から」の総集編を見た時感じたことは、悲しみが人間に感動を与えるということでした。借金、廃業、死別、病、孤独、出会いと別れ。それらのテーマがあって初めて人間は涙を流し、感動します。決してハッピーエンドじゃない。それが感動の大地なんですね。「思い」はハッピーエンドが欲しいのですけれども、私たちのいのちはハッピーじゃない。だって、だれでもやがて、「死」が必ず待っているのですから。それを打ち消そうとしても、この身が知っていることですから、消すことはできません。まぁまぁ、いつ死んでもいいんだという諦念といつまでも生きたいという願いとが同時に成り立っていなければならないのでしょう。それを「さとり」というわけです。

2002年12月24日

●昨日は、Bサロンの自省会(俗に言う忘年会)でした。夕方から、本堂で仏具のお磨きをして、6時から平井駅前の「陸っぱり(オカッパリ)」で懇親・宴会を催しました。直前に仕事が入って欠席のひと、風邪でダウンしたひとも3人、結局14名の出席でした。「陸っぱり」はうちの門徒さんの店です。酒も各種あり、刺身も美味しい、中華も美味しい、お値段もリーズナブルという、居酒屋さんです。是非お立ち寄りください。場所はJR平井駅前・平井ショッピングセンター二階です。そのあと、錦糸町のカラオケに行って散会しました。

そうそう、真宗では、この「仏具のお磨き」という良き習慣があります。因速寺では年に六回のお磨き奉仕会をやっています。真鍮製の仏具を、タオルにピカールという液体を付けて、ゴシゴシとこすります。そうするとタオルが黒くなって、仏具がだんだん白くなってきます。最期にその白い汚れをから拭きして終わります。終わって見ると、この仏具がなんとも言えない輝きを放つのです。いままで赤っぽかった金属が白く光り輝くのです。なんとも言えない心持ちになります。うっとりと見とれてしまうような感覚です。まったく単純な作業なのですが、これがいいのです。なんの理屈もなく、ただひさすら磨く。周りの人とおしゃべりしながら、手はひたすら磨きます。全部が終わって、ふたたび尊前に飾ります。お飾り全体から、えもいえぬ輝きが与えられます。これが醍醐味なんですよ。人の手を通して磨かれた仏具の輝きは、人間と仏様との共同作業の輝きでしょう。このエロスを皆さんにも味わってもらいたいと思います。

これは西欧の世界では「神は細部に宿りたもう」と言いますが、小生はそれをもじって「仏は細部に宿りたもう」といってます。ほんの些細なこと、単純作業、取るに足らない出来事、そこに仏様はいらっしゃるのです。私たちは日常生活で「雑事」とか「茶飯事」という言い方をします。でも、その些細なところに仏は宿っている。自分では、バカにしている行為でも、そこにこそ仏様が宿っておられる。そういうことではないかと思います。榎本栄一さんの詩に「小便さま」というのがあります。(詩集『群生海』所収)

朝起きて

たまっている小便を

一気に放出するこころよさ

これが 出なかったら

どんなに困ることか

空には淡い月があり

私の  今日がある

普通、小便をするなどということは、あまりにも当たり前すぎて、榎本さんの詩を読んでも、「当たり前じゃねえか」という感じを持ちます。しかし、小生は、小便をするというほんの些細なところに、仏様を拝んでいる榎本さんの姿を感じます。細部に宿る仏をどう発見するか。これが日常の課題なのでしょう。ここからが、仏の時間、ここからは日常の時間と分断することが、仏をあなどっている姿なのでしょう。「時間」は仏の手の中にあるのだと、つくづく思います。

2002年12月22日

●毎日少しずつ、ホームページを手直ししながら、書き続けています。まるで、服を手直ししているようです。あっちが破ければ継ぎをあて、こっちがほころべば裏打ちして、手直ししながら昔は服を大事にしました。小生の記憶にも、破けた靴下の継ぎ布がゴソゴソして足が不快だったことを覚えています。新しい靴下に足を突っ込んだときの快感はなんともいえませんでした。それから、バスタオルだって、家族でたった一枚のバスタオルを使っていましたね。最後に入浴したひとは、もうビショビショのタオルで体を拭くという不快感を恨みました。この不快から快への移行期が小生の思春期でした。だからこそ、快の有り難みを感じられますけど、現在の思春期はその落差がないぶんだけ悲劇的なように思います。現在の方が、昔にくらべてその点で生きにくさが増しています。

話がとんだところに行ってしまいました。ホームページの手直しが楽しいという話をしようと思いましたのに…。

●以前(11月2日)、明治学院大学で開催された「9・11以後の国家と社会」と題するシンポジウムへ参加申込みをしたら、満席で断られました。パネリストは加藤典洋さん、橋爪大三郎さん、宮台真司さん、竹田青嗣さん、見田宗介さんという豪華キャストでした。残念がっていましたら、なんと『論座』(朝日新聞社)2003年1月号に、そのシンポジウムの様子が掲載されていました。そのなかから、アッと思わされたことを記してみたいと思います。これは橋爪大三郎さんの発言です。

例えば人口を考えてみます。今、六十五億の人口がいます。これは、先端的な工業力がなければ、とても支えられない人口です。もし伝統的な社会だったら、地球上は数億でいっぱいなわけですよね。すでにこうして存在している人たちの、生命、財産、人権を保障するシステムは、先端的な工業力、つまり先進国の協力がなければ不可能なわけです。第三世界はそういう意味で、先進国に依存している。その象徴がアメリカだとすれば、アメリカが存在していなければ第三世界は存在できないわけです。つまり、搾取しているとか抑圧しているという以上に、まず相互依存していて、一つのシステムになっているんです。その相互関係から、マイナスの部分だけをきれいに切り取って、収奪とか抑圧とか呼ぶことには概念上無理がある。

 ですから、宮台さんが言ったようにアメリカ、先進国に適切に行動してもらう、我々が懸命に行動するということを、具体的に考えていかなければ、その搾取とか抑圧という用語では、ちょっとスケッチが粗いのではないかというのが私の直感です。(中略)

旧世界とはヨーロッパであり、イスラムであり、ロシアであり、インドであり、中国であり、一つにまとまれないし人間も多すぎるんです。ですから当然、一歩遅れていく。日本もその中にあります。こういう地政学的な状態がしばらく続いていくわけです。そうすると当然、アメリカが最も自由で世界の文明をリードし、そして軍事力も強大で世界の秩序の安定に寄与する。旧世界の中にはいろいろな矛盾があって、すぐ対立しますが、結局アメリカが介入しないと平和が維持できないという現実があるわけです。

 これは残念ながら現状なので、これをひっくり返しても、ろくなことがないわけです。ですからこれでいくしかないんですけど、しかしそれが矛盾を生産しているという面もあるわけだから、そのアメリカに対して日本の立場から、いろいろと介入していくという、現実的なやり方を積み重ねていく。このプラグマチズムは、オポチュニズムと違って、こういうバランス感覚です。アメリカもだんだん地盤沈下していくわけですから、長期的な視野を持って、そのつど、そのつど最善の手を打っていく、こういう蓄積が、時間はかかるけれどもテロリズムに対する一番現実的な方策ではないか。

 この文章のなかには、「現実的」という言葉が二回出てきます。確かに、そうだなぁと感じました。自分の中には、アメリカが全世界に対してあまりに傍若無人に振る舞っていることで、反米の感情が高まっていました。K精神科医ではないけど、日本は強姦されて喜んでいる国だと。黒船来航による鎖国を強姦されて、第二次世界大戦では原爆で強姦されて、ほんとは反米的な感情になるはずなのに、唯々諾々とアメリカに骨の蕊までなびいている。日本人はなんと情けない国民なんだという感情論が日本人のどこかに潜んでいます。どこかで、その屈折した心情を爆発的に発散し、カタルシスを味わいたいと思っていました。その反米感情の小生に、この「現実的」という言葉が新鮮に受けとめられました。人口問題では、確かにそうです。また現状の世界情勢を見れば確かにそうです。橋爪さんも「これは残念ながら現状なので」とおっしゃっています。そして「そのつど、そのつど最善の手を打っていく」という地道な歩みをしていくべきなのだとも思います。現実論というのは、いつでも目立ちません。それは部分修正なのですから。「なんだ、そんなことか」と思います。しかし一番着実な道でもあることを忘れてはいけないと思います。

 やがて、EUが作られたように、国家の壁が抜け落ちていく時代が来るのかもしれません。アメリカ独裁といって批判してますけど、全世界が「アメリカなるもの」になってしまえば、これも面白いことかもしれません。金融の世界や経済の世界では、もはや国というレベルでは動いていないようです。全世界が、例えば、「アメリカなるもの」という空間になってしまえば、その中にイスラム教徒も仏教徒もユダヤ教徒もキリスト教徒も混在していることになります。「地球」と「アメリカなるもの」がひとつになってしまえば、その中にすべてが群在することになるのかもしれません。いったい我々が嫌悪している「アメリカなるもの」、そして希求している「日本なるもの」とは何なのでしょうか?あらためて考えてみたいと思います。

 仏教は、民族や国家を超えています。ですから、「日本民族」というところにアイデンティティーをもつことはできません。そこにアイデンティティーの柱をたてても弱いものになってしまいます。どうしても、「一切衆生」という地平に打ち立てなければなりません。ユングが、無意識を解釈するとき、「個人的無意識→民族的無意識→普遍的無意識」と分類したように、その「普遍的」という次元まで根っこが降りてこないと強いものにはなりません。中国人もフランス人もロシア人もアメリカ人もアフリカ人もインド人も韓国人も日本人も包んだ、大きな「一切衆生としての自己」というところにアイデンティファイしていかざるを得ないでしょう。

 やがて地球の資源がなくなり、人類が滅亡するときまで、地道にコツコツと手直しをしながら、やってゆかなければならないことが沢山あるようです。まぁ、最後は「死」ということを視野に入れて考えてゆかなければなりません。「有限」ということを常に胸に置きつつ事に当たってゆきたいと思います。小生の精神的傾向性として、これはいいことか、悪いことか分かりませんが、幼い時から変わらないことがあります。幼稚園のとき、皆が園舎でお遊戯していると、小生はひとりで表の砂場で遊んでいました。皆が園庭に出てくると、小生は園舎の中へ入って絵を描きました。これは現在にも変わらずにある傾向性です。みんなが右といえば、「俺は左」。みんなが左といえば「俺は右」という、アマノジャク体質です。そして、そういう傾向性というものは、最後は「孤独なひとり」というところへいきます。生まれた時もひとり、死ぬ時もひとりです。ひとが代わって自分のいのちを生きてくれることはありません。「家族といえども、死ぬということに関しては第三者なんだ」と山上一宝さんが言ってました。その通りです。実は、このいのち、自分に与えられたものであっても、自分のモノではありません。家族も、与えられたものであって、自分のモノではありません。ですから、生きたくても生きられない、死にたくても死ねないということになってきます。この普遍的な世界から与えられてきた「一切衆生の自己」に引きずられながら、一瞬一瞬生きたいと思います。

2002年12月21日

●20〜21日、山形教区の教学研修会に行ってきました。この時期に山形に雪がなかったのは初めてです。ヒートアイランド現象でしょうか?山形新幹線「つばさ号」は、福島までは、新幹線軌道でで走ってゆき、ここからは連結を切り離して、在来線へ入ってゆきます。福島までは、実に機械的な感じなんです。ほとんど直線ですから。でも、福島から峠を超えて山形に入ってゆくアプローチは実に楽しみな場所です。民家の間を通り、やがて峠を登ってゆきます。ここは例年雪深く、銀世界のなかを列車は静々と進んでゆくのです。おそらく、放り出されてしまえば、人間は生きることができないような寒さのなかを、進んでゆくのです。時折、風に待った雪の結晶が太陽にきらめいて、スノーダストが妖精の舞いにも見えてしまいます。鉄橋の下をのぞくと、雪解け水が谷間を流れで行きます。この区間が一番好きです。ようやく、下り坂になって、米沢へ入って行きます。盆地の平野へはいると「つばさ号」は俄然スピードをあげてゆき、つまらなくなります。なんで、そんなに先をいそぐんだよ!もっとゆっくり走れよ!と内心では、せつない気持になります。やがて、右手に蔵王の山々が真っ白な肌を見せ始めます。

でも、方言はあったかいね。「ソウダ、べした〜」「うぅんだ〜」「…なんとかしてけろ〜」等々、実に温かい感じです。それにくらべて東京言葉の冷たさといったら天下一品です。山形は、果物の産地ですし、温泉の多さにもびっくりします。町中に温泉があちこちにあります。またソバと漬け物も実に美味しい。そば屋さんは、それこそあちこちにあって、これがそれぞれまた美味しいのですよ、まったく。ラーメンも豊富で、「龍上海(リュウシャンハイ)」(大学近くの店)の辛味噌ラーメンは絶品ですね。それから、「鳥ソバ・鳥ラーメン」のお店、名前は忘れましたが、これがまた絶品でした。ネギが沢山乗ってて…。ざるそばだって、店ごとに独特の味を出してました。七日町の「赤鬼」という、おばあちゃんと嫁さんがやってるお店も、あっさり系でおすすめです。昨晩は、「唐がらし」とう名前だったか(酔ってましたので、ちょっと危うい)へ入って、あえて醤油ラーメンを食べました。金曜日の夜ということもあって、沢山の人が入っておりました。

お話は、一応テーマが歎異抄11章なので、それに沿って話しました。しかし結論は「親鸞を結論にしてはならない。親鸞を出発点にしよう」ということでした。これから、真宗の教えがどんどん盛んに表現されるようになるのです。親鸞もその過程の人です。決して完成者ではあまりせん。カリスマではありません。そのぶん、親鸞の教えを聞いたものの責任は大きいのです。教祖に寄り掛かって済んでいた時代は終わったのです。自分の足で立って行かなければならないのです。

2002年12月19日

●まったく年末年始の感覚がなくなったのはいつの頃からでしょうか。年末年始の間は、すべての国民が休暇をとって、ほんとうに休むということが共通理解になっていました。あの年末年始の危機感といいますか、非日常時間というものを、私たちはワクワクしながら過ごしました。ひとつには二十四時間・年中無休というコンビニエンス・ストアーの出現が、あのワクワク感を消滅させる作用をしてきたことは間違いないと思います。「儲けること」が、「休むこと」を凌駕してしまったのです。交替制による休暇をとることによって、二十四時間営業を可能にしたのです。でも、正月の三が日くらいは、国民完全休日を実施したらどうでしょうか。あのワクワク感を取り戻すために。そうしないと、オセチ料理も作らなくてよい時代になってしまいます。不便をゲームとして楽しむという日にしたらどうでしょうか?

働いてはいけないということが、倫理としてあるのは一神教です。日本人は、神に頼らなくとも、自らの合意によって、完全休日の日を作ったらどうかと思います。その日は、娯楽施設も全部休みです。火葬場も休みです。まぁ消防署と警察と救急病院は稼働していないと困りますけどね。

2002年12月18日

●白昼、お寺に強盗が!(;O;)

小生の友人の、亀有の蓮光寺に白昼、拳銃らしきものをもった男が侵入しました。幸い被害者はなく、犯人は逃走したということです。おいおい、まったく、なんという世の中になってしまったんだ、日本は!ATMからの現金強奪事件が、報道されているにも関わらず、その後もこの手の事件が相変わらず起こっているし、警察の検挙率が低下しているということも報道され、またまた、刑務所が120パーセントの超満員状態ということは、ますます日本は犯罪が増加しつつある社会になってしまったのでしょうか。「治安の良いのが日本の社会」という前提が崩れ出してきました。小生の教団のテーマのひとつに「開かれた寺にしよう」というものがあります。これではますます、このテーマが危うくなってくるように思います。それは物理的に閉じているかどうかという問題ではなく、そこに住んでいる人間の精神の在り方だという批判もありましょう。それでも、寺を開くというよりも、寺を守るというイメージが強くなってゆくことは間違いないでしょう。道を求めて来るものを拒まない。しかし、防犯は万全に設置するという、両面の方向が要求される時代になりました。

●事件が起こった同じ日の夜、中島啓江(なかじま・けいこ)さんの歌声を聞きました。うちの檀家の柿沢弘治・柿沢未途さんが主催する、アフガンの子どもたちへのチャリティーコンサートでした。中でも、マイクを使わずに「アベ・マリア」を歌って下さったのですが、これが素晴らしいものでした。中島さんが太っているは、無駄に太っているのではなく、この声を発生するための装置だったのだと、ようやく理解できました。自分の身体を故意に改造してまで、歌の崇高さを創造することに賭けているだと思いました。あの歌の気高さに感動しました。こういう感動というものが、ひとのこころを癒し、楽しくし、温かくするのだとつくづく思いました。ここにも永遠平和のエッセンスがあると思いました。

2002年12月17日

●岩波文庫に『ブッダのことば』−スッタニパータ−(中村元訳)があります。お釈迦様の最古の教えだといわれている教言を翻訳された本です。一番初めは、「蛇の章」です。小生は、この章のなかの「蛇」と「犀の角」というのが好きです。いくつか取り上げてみます。

「走っても速すぎることなく、また遅れることもなく、この妄想をまったく超えた修行者は、この世とかの世とをともに捨てる。あたかも蛇が旧い皮を脱皮して捨てるようなものである。

走っても速すぎることなく、また遅れることもなく、『世間における一切のものは虚妄である』と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨てる。あたかも蛇が旧い皮を脱皮して捨てるようなものである。

走っても速すぎることなく、また遅れることもなく、『一切のせのは虚妄である』と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨てる。あたかも蛇が旧い皮を脱皮して捨てるようなものである。」

まだまだ続くのですが、ポエムですから、繰り返しのような部分もあります。特に最後の「この世とかの世とをともに捨てる。あたかも蛇が旧い皮を脱皮して捨てるようなものである。」という部分のリフレインが大好きです。これを読んだとき、アーッそうだったのかと思ったことを思い出します。つまり、私は「この世」を捨てようとだけしていたんだと気づいたのでした。自分の欠陥を教えられたように思いました。仏教は「この世」を超えて捨てるものかと錯覚していました。ところが、お釈迦様は「この世とかの世とをともに捨てる」と教えられたのでした。自分の思っている「この世」も、そして「かの世」もともに妄念妄想なんですね。「この世」を超越する宗教は多いですね。しかし、「かの世」も超えないとだめなんですね。そして、もう一度等身大の「この世」に着地しないとだめなんです。お釈迦様だって、苦行は無意味だといって、やめてしまったんですよね。そして「この世」に帰ってこられました。それでも初期の出家の集団が大きくなって、段々面倒なことになっないったのですね。もっと究極には親鸞があって、出家という特殊集団も捨ててしまって、民衆の中に埋没していったんですね。おそらく現真宗大谷派教団が、出家教団をモデルにして寺檀制度に乗っかったから、ようやく浄土真宗が命脈を保ってきたのでしょう。もし親鸞の真似をしていたら、多分民衆のなかに雲散してしまったのではないかと思います。事実、幸西というお坊さんの一念義系統は消滅してしまったんですね。つまり現教団は親鸞とは異なる道を辿ることによって生き延びてきました。しかし、どこからでも、どの場所からでも、いつでも親鸞の精神を復興しようという運動は起こってくるものです。また起こせるものです。決して、悲観する必要はないと思います。それが大乗仏教というものでしょう。

2002年12月16日

●いま唯識という仏教のいわゆる存在論を月に一度学んでいます。「生きてる」ってどういうこと?、「有る」ってどういうこと?について教えてくれます。唯識とは、インドではやった学問らしいです。インドの人は、ものごとを徹底して、突き詰めて考えます。私たち日本人にはとてもついて行けないようなしつこさです。でも、インドの人が、あのゼロということを発見したんですよね。1や2というのは、見れば分かるけれど、ゼロ(0)というのは見てもわかりません。つまり「リンゴが有る」ということは、分かるけれども、「リンゴが無い」ということを子どもに教えることは難しいです。純粋な観念の世界ですね。唯識はこう言います。「君は現実の世界を生きているように思っているけど、それは現実ではない」と。エエーッと驚きます。「君が現実だと思っている世界は、君の心に映った世界を現実だと思っているにすぎないのだ」と。「本当の現実ではない」といいます。またまたエエッー(;O;)ですね。つまり、人間が人間的に世界を切り取って、これこそ「現実だ」と考えているだけだよといいます。たとえば、「猫に小判」で、お金が落ちていても猫は喜ばないし、コウモリは人間には聞こえない超音波の世界を聞き分けているし、淡水魚には水は空気みたいなもんだけど、人間には飲み水になるし、美女が歩いていても、男性にとっては心ひかれるものであっても、飢えたライオンには餌にしか見えない。家の中でも、「俺がいなきゃ、このうちはうまくいかねえぞ!」と内心思っていても、家人は「あのひとが、いなきゃもっと楽に暮らせるのにねぇ…」なんて思われている。同じ現実を生きているようだけど、内心は違いますよね。内心が違うということは、そのひとにとっての現実が違うということです。これは離婚騒動なんか見てると、まさにその通りだと思います。唯識様様ですよ、まったく。同床異夢というやつですね。どんなに親しい人間でも、同じ現実を生きているわけじゃないと教えてくれるのが、唯識ですから、これはなんとも役に立つものだと感心します。

2002年12月15日

●「親鸞をゴールにしてはいけない、親鸞を出発点としなくてはいけない」と、最近強く思います。何かというと、大谷派は親鸞を目的地にしてきました。親鸞が絶対だ、親鸞の言ってることは間違いない。親鸞の言ってることは正しいのだと。それは親鸞を目的ににしているだけです。それはそれこそ親鸞の望んでいたことではないと思います。親鸞は自分を乗り越えていってほしいと願っていたはずです。以前にも書きましたが、自分と親鸞は、如来との距離は等距離だということです。親鸞は自分なりに、如来との対話を書き記したのです。そして自分も如来との悪戦苦闘を書き記す使命があるのです。どんなにお粗末なことであっても。それが新たなお経になっていくのです。お経はどんどん新たに書き伝えられ、増えていくものです。親鸞を目的地にすれば、自分はなにもしなくていいのですから、怠慢というもんです。その方が楽ですから、みんな目的地にしてしまうのです。それは怠慢です。親鸞の言っていることを出発点として、自分なら、その問題をこう表現するといわなければならない。それが弟子の勤めでしょう。弟子の端くれのやるべき仕事です。

まだまだ浄土真宗は明らかになっていないのです。まだ親鸞では不十分なのです。もし師匠が絶対で、後代から生まれる弟子が貧弱であれば、仏教は衰退していくのです。尻つぼみになるだけです。そういう発想が横行しているのです。鎌倉仏教は、絶対で、そこに帰れば絶対の真理に出会えるという思い込みがあります。簡単にいえば「昔はよかった…」という懐古趣味です。2500年まえのお釈迦様に帰れば、そこに真実があるという懐古趣味です。そんなとこにお釈迦様はいないのです。現代新たになってくるお釈迦様があるのです。それは次世代の我々に託されている仕事なのです。仏陀復元、親鸞復元という仕事が我々の仕事なのです。まだまだ、手つかずの世界何です。真宗は、過去にはないのです。これから、これから、明らかになってゆく世界なのです。新しい時代には新しい仏陀が、親鸞が現れてこなければならないのです。それをするのは、私でありあなたなのです。こんな大事な仕事が我々の時代には担わされているのです。大乗仏教は、つねに新しく、創造活動の源泉を宿しているのです。もっと深く、もっと丁寧に、もっと地道に、もっと、もっとと常に思っています。それにくらべて自分の歩みは、怠慢だなぁとつくづく、うなだれてしまいます。寒い冬の真っ只中で、北風に耐えながら元気に咲いているサザンカを見ると、恥ずかしくなります。ぬくぬくと、怠慢の日溜まりを求めている自分が恥ずかしくなります。(まったくナルシズムですねぇ)

 

2002年12月14日

●今日は藤井さんのお葬式です。夜には、旅行会にもよく参加して下さった杉原さんのお通夜があります。ある人たちが、こんなに悲惨な目に会っていても、世間はいつも通りの日常生活を展開しています。なんとも、この自然さが残酷だと感じてしまいます。昨日の研修で山上一宝さんがおっしゃってました。自分は癌でお腹を切られて死ぬかもしれないのに、いくら家族でも、自分の苦しみは分かってもらえない。やっぱり、死ぬってことに関して、家族であっても第三者なんだよな〜と。自分自身の死という絶対の限界状況こそが第一人称で、いくら家族といえども、第三者なんですね。そのことを正直な山上さんは奥さんに話したそうです。そうしたら「どうせ、私は第三者ですよ!」とすねられてしまったようです。厄介なもんです。

江戸川区には唯一の都営の瑞江火葬場があります。毎日たくさんの方が火葬にされます。毎日こんなにたくさんのひとが亡くなっているのかは驚きます。さらに驚いたのは毎日、百人前後の方が自殺されているということです。「自分は、自分だけのものではない。一切衆生のものである」という法語があります。自分のいのちの背景を考えてみると、十億人の先祖がいて、食べ物は私の肉体を支えてきて、いろんな人々に支えられていて、自分は自分のものではないということは考えれば分かることです。でも、その考えが受肉化して、日常感覚にまでなってこないとなかなか、難しいことだと思いました。不尽

2002年12月11日

●覚如さんはこういってます。「死の縁、無量なり。病におかされて死するものあり。剣に当たりて死するものあり。水に溺れて死するものあり。火に焼けて死するものあり。乃至、寝死するものあり。酒狂して死するたぐいあり。これみな先世の業因なり。さらにのがるべきにあらず。……」と。そうでも思わなきゃ、やってらんないよなぁ、覚如さん!

 お釈迦さんは、生まれたことが、死の根本の原因だとおっしゃいますけど、それは正論で、その通りですけど、そうは思えないのが、我々凡夫でありましょうや。「残されて、戸惑う者たちは、追いかけて、焦がれて、泣き狂う…」(中島みゆき『わかれうた』)でありましょう。悲泣することしかありません。人間には、悲泣しかないのです。涙が枯れるまで、泣き狂うしかないのです。涙が枯れて、自分の体を濡らし、自分の足元へやってきたとき、やがて、その渇ききった涙から、自分が生き始めるしかないのです。

焼き場でよく耳にすることです。「こんなに悲しいのに、お腹って減るんですよね…」。こころはこんなに悲しいのに、体は別なんですよね。体は、こころと別次元で、「生きよ!俺は、お前の独占物ではないぞ!」と叫んでいるんですね。体こそ、仏さまですよね。思いの都合では、決して左右されないんですから。体の声に引っ張られていくしかありませんね。

(明日は、東京教区教学館の定例研修会です。一泊二日です。更新はお休みします)

2002年12月10日

●エッエッ〜っ!(;O;)世話人の!藤井さんが!殺された!奥さんも!強盗殺人だって!まったく驚天動地です!NHKのお昼のニュースで、その事件を初めて知りました!そういえば、ヘリコプターがうるさく飛び回っていますし、これは何かあったのではないかと思っていました。近所にパトカーも多いし…。それが、こんな形で結末を迎えるとは!何とも、驚きの一言しかありません!

先日お寺に賽銭泥棒が入ったばっかりですから、まったく人ごととは思えませんでした。やさしい、穏やかな藤井さん夫婦が、こんな形で殺されるなんて、まったく許せないというか、悲しいというか、なんともやるせない気持になっています。犯人は、ぜったい許さないぞ!という感情でいっぱいです。

今日は、そのことをかみしめながら、真宗会を開催しました。その事件のことも皆さんと共有しました。みんなで、藤井さん夫婦に哀悼の祈りを捧げました。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。( ̄人 ̄)

2002年12月09日

●朝、目が覚めたら、一面雪世界でした。こんなに早く雪が振るのは何年ぶりとか報道されていました。それなのに、今日は横浜ではお葬式があり、寺では法事が勤まることになっていたので、いま無事に済んだことに安堵しています。本堂に八時ころからエアコン暖房を入れておいたのですが、法事が始まった11時になっても、まったく温かくなかったです。温風のはずが冷風のように感じました。何か暖房装置を考えなければと思いました。現在、本堂には加湿器と空気清浄機とエアコンと防犯装置が設置してあります。お焼香の煙に意外と皆さんが咳き込むんですよね。それで空気清浄機を導入。これがなかなかの優れモノで、煙を清浄な空気に変えてくれます。また阿弥陀さんが、欅製の木造ですから、エアコンによる空気の乾燥を防ぐために加湿器を導入しました。これは阿弥陀さんにもよく、読経をする小生の喉にも、とてもありがたい味方でした。

明日は「真宗会」が開催されます。真宗は教えを聞くことを一番大事にしてきた宗派です。しかし現実には、鎮魂・慰霊の外道に堕落しているのが現状です。御布施を多く包んだり、墓参りをせっせとしたり、読経を毎日欠かさなかったり、写経に熱心な人は、たくさんいます。これは、世間で言う「熱心な信心家」です。しかし、教えを聞くという、一番肝心カナメが抜けている人ばっかりです。まったく嘆かわしいことです。教えを聞くということは、一番難行苦行です。それよりも、山を登って「六根清浄!ロッコンショウジョウ!」とやったり、滝に打たれたほうがよっぽど楽ちんの行です。教えを聞くということは、何でもないような事ですが、一番の難行です。何をいわんとしているのか、見当がつかないからです。聞くだけでストレスがたまります。それは、教えの言葉が、仏の世界の言葉だからです。いわば、「仏語」です。しかし、私たちの娑婆は人間の世界ですから「人間語」で成り立っています。仏語を人間語に翻訳するというのが、教えを聞くということです。これは大事業です。そして、この大事業をする本当の門徒を因速寺では一番大事に考えております。

その意味で、まだ因速寺は親鸞の寺になっていない、浄土真宗に成っていないと思っています。これから、いつの日にか、浄土真宗の寺になるであろうと期待して頑張ってゆきたいと思います。それは永遠の課題ですから、私の存命中には不可能であろうと思います。しかし、また連続して、その後をやっていくひとがあらわれでくれるであろうと思います。仏教は無理のない教えです。征服され滅ぼされれば、この世から消滅するのです。しかしまた、現れる縁があればいつでも娑婆に出現してくるものだと思います。

いつかアフリカの魚の話をテレビでやっていました。川の魚なのですが、干ばつで川が干上がってしまうと、粘液を出して自分自身を包んでしまって、何カ月でも雨の降るのを待ちます。そして、雨が降って川が水で充たされた時には、その粘液のカプセルを破って泳ぎ出すのです。これはまさに仏法と同じだと感じました。この地球が存在しているかぎり、仏法は消滅することはありえないのでしょう。

●三浦半島の法話の会で、こんな質問をされました。「先生は、お話で先祖の話をしましたね。自分の両親はふたり、その上の両親は四人、そうやって三十代さかのぼると十億人になると。そうすると、地球の人口がどんどん増えてしまうんじゃないですか。昔、そんなに人間はいなかったんじゃないですか?どう考えたらいいんでしょうかねえ?やっぱり、輪廻転生で、同じだけのいのちがぐるぐる回っているんですねえ?」と。

小生は、「次々に死んでいくから、同時にそれだけの人口は居なかったのではないでしょうか?」と答えておきました。この疑問に納得のいくお答えをお持ちの方はお知らせください。m(__)m

しかし、いのちは一から始まったのか、それとも同時に地球上にバッと爆発的に生まれたのか?どうなんでしょうねえ。まぁ、そんなことはどっちでもいいといえば、いい話なんですけどね。

2002年12月08日

●昨日の法事には、たくさんの子どもたちが家族といっしょに参詣に来ました。小生が「小さい人は退屈でしょうから、適当に遊ばせるなり、徘徊させるなり、自由にしてあげて下さい」と読経前に言っておきました。小さい人たちは大人の約束事におつきあいしているわけですから、これは窮屈なものです。それでも、あまり読経中はうるさくなかったのです。不思議でした。

よく、子どもはうるさいから家に置いてきて、大人だけの法事をする家があります。しかし、小生は、それはあまりよくないのではないかと思っています。うるさかろがなんだろうが、やはり、小さい人も参加させて、この法事の空間を味合わせることが大事だと思います。小さい人が騒いで、読経の声が聞こえなくても、法話が聞き取れなくても、そんなことはお構いなしに、連れてきてほしいと思います。分かろうが分かるまいが、読経の響きは、人間の深層のこころまで届いていくものです。お焼香の香りが余韻をともなって、そのひとのたましいに届くものだと信じています。

昔のひとは御本尊の阿弥陀如来を「おやさま、おやさま」(親さま、親さま)と呼んできました。児玉暁洋先生は「最初のお母さん」といってました。自分の親は、確かに自分の生みの親だけど、その親にも親があったので、必ず前の親から生まれてきます。その一番初めのお母さんが阿弥陀さんだというのです。親の前だったら、オナラをしたり、寝ころんだり、まったく遠慮がありません。本当の親だからこそ、無遠慮に振る舞えるのです。本堂も、それと同じです。阿弥陀様が本当の親なら遠慮はいらずにリラックスしてのんびりできるはずですね。

法事とは不思議なもので、亡き人のためだと考えているひとが多いですけど、実際に法事をやって、ご利益を得るのは生きているひとなんです。「法事をやらないと、なんだかスッキリしない」「法事を済ませると、なんともすがすがしい気分になります」とはよく門徒の方からお聞きする言葉です。人間は、「この世」のことだけで生きているようですが、「あの世」とつながっているんですね。だって自分には「この世」に生まれる以前、そして「このよ」を去って言った以後があるんですから。

2002年12月06日

●法話で三浦海岸まで行ってきました。うちから二時間くらいでつきました。京浜急行は早いと感じました。

そうそう、フランクルの『夜と霧』が、池田香代子訳で出版されました。(みすず書房刊)以前の霜山徳爾訳よりも読みやすいです。まぁ一九七七年版のせいもありますが…。電車に乗っていて、あやうく駅を乗り過ごすところでした。ここまで引き込まれてしまいました。ドイツのあの強制収容所での生活の辛酸が、手に取るように伝わってきて、自分が、その場にいるかのような臨場感にうちのめされました。やっぱり、あの強制収容所での体験で生きる意味について考えるところが圧巻ですね。正確な文章を引いてみます。

「ここで(収容所)で、必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることから何かを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。

 哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問の前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考え込んだり言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。(略)

わたしたちにとって生きる意味とは、死もまた含む全体としての生きることの意味であって、「生きること」の意味だけに限定されない、苦しむことと死ぬことの意味にも裏づけされた、総体的な生きることの意味だった。この意味を求めて、わたしたちはもがいていた。」

もはや何も付け加えることはないように思う。私が好きな部分は「わたしたちが生きることから何かを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちから何を期待しているかが問題なのだ」という部分と「もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問の前に立っていることを思い知るべきなのだ。」です。私たち真宗大谷派では清沢満之の「自己とはなんぞや、これ、人生の根本的問題なり」という言葉が強烈に圧倒していて、「自己を問う」というブームがあるんですけど、小生はこれが嫌いでした。なぜなら、フランクルの言うように、「ももいいかげんやめてくれ」ということでありまして、自分が問うのではなく、自分は常に問われているということなんです。生きている心臓から、問われているわけです。人生に意味があったら生きよう、なかったら死のうという打算を見抜かれているわけです。意味があってもなくても心臓は動いているわけです。そのいのちのダイナミズムに打ちのめされて生きよ、いのちがつづくところまで目一杯に生きよ!という激励があるだけなのです。ハイ。

 

2002年12月05日

●面白い話をご紹介します。

顔面問答

目と鼻が言いました。

「ぼくらは、ただ美味しそうな御馳走を見たり、ただいい香りを嗅いだりするだけで、一度も食べたことがない。それにくらべて、口は何もしないで、ひとりでおいしそうなものばかり食べている。ほんとにバカバカしいや!」と。

そこで手が言いました。「お前たちはまだいい方だよ。オレはいちいち御馳走を口に運んで、食べさせてやっているんだぞ」と言い出し、「われわれは口に使われるばかりじゃないか!やめた、やめた!」とストライキをしました。するとどうでしょう、二三日で目はかすみ、手は元気を失ってしまいました。

口は黙っておらず、「それ見ろ!オレたちは自分のために食ってるんじゃないぞ!分かったろう!それにお前たちはオレがいなけりゃ、何も用が足せないじゃないか。苦心惨憺して、こちらの気持が先方に通じるように、工夫をこらして苦労していることは知らないで、喰うことだけをうらやましがってストライキをやったら、結局、自分の首を絞めることになったじゃないか!鼻なんか、何もしないくせにオレより上に座っていやがって!」

鼻も黙っておらず、「何を言うか!お前は喰ったりしゃべったり、派手なことをやっているから、ひと目を引くけど、オレの仕事は地味だから誰も気づきゃしねえ!お前たちが熟睡して完全に休んでいる時でも、一秒も休まず息を吸ったり出したりして頑張っているんだぞ!一二分間やめてみようか。みんなくたばってしまうさ。目なんか、偉そうに、二つもオレの上にいやがって!」

目もまた「オレも好きで真正面の一番高い危険なところについているもんか。一番展望のきくところに、ひとつでは見落とすから二つもついて、始終四方を見張っているのも、お前たちを怪我させないようにと思えばこそだ!」

上層部が恩着せあいっこをやるもんだから、足まで口を出してきた。

足は文句タラタラ、「オレの身にもなってみろ!何十キロもある身を何十年でも絶対服従で、どこへでも連れて行ってやるのに、行ったが最後、尻の下にしかかれてしびれを切らし、過労のために神経痛まで起こしているのに、手なんか膝の上に手持ちぶさたで遊んでいやがる!」

手はすかさず、「そう文句ばかり言うなよ!お前は風呂には最初に入るし、炬燵では特等席。しびれはさすっなもらえるし、冷たければ靴下もはかせてもらえるし、結構いい目にあってるじゃないか」とやり返したとさ。(守綱寺寺報『清風』より)

このお話は、その通りという感じでした。ほんとに「足の裏」は起こっているでしょうね。それから「肛門」もおこってるでしょうね。いつも臭い臭い役回りですからね。一生日の目を見ることもなく、この世を去っていくんですよね。日の目を見ないという点では、内臓は、ほんと日影の功労者ですね。社会を人体になぞらえて考えると、まったく差別的に感じてしまいます。だけど、身体になぞらえる部分もあるなぁとつくづく思います。

自分の居場所を本当に従事してやれれば…、それしかないし…、そこしか自分の生きる場所はないと思います。このお話は、「ひとをうらやむな」という教訓のようにも思えますけど、そうじゃなくて、自分の居場所を十全に生きてますか?という励ましと自覚を促すお話に受け取れました。

啄木じゃないけど、自分の足の裏をジッと見てみました。足の裏はなにもいわないけど、くたびれた様子でした。

2002年12月03日

●先日、「サトリを開いたらどうなるんですか?!」と質問されたので、「私のようなものになります」と返答しました。そのように応えて、自分でもびっくりしました。「私のようなもの」なんて言っていいんだろうかという問い返しがやってきました。そのように問われてみて、「やっぱり、そうとしか言えないなぁ」と感じました。サトリを開いたからといって、この世の苦しみが消え失せるということもありません。相変わらずです。それでは、サトリを得る前と得た後とはどう違うのでしょうか。まぁ、娑婆に夢を見なくなったということでしょうか。サトリを開けば苦しみがなくなるに違いないという夢をもたなくなったということでしょう。そして、苦しみの味を十分に味わうことができるようになるということでしょうか。

以前、「自分はサトリを開いた」という体験をしました。まさに法悦で、嬉しくて嬉しくて、夜も眠れなくなりました。お医者さんに睡眠薬をもらったこともありました。感動が止めどなくおそってきました。しかし、一週間もたってくると、その感動がだんだんと色あせてきたのです。なんで感動が失われてきたのだろうと不思議に思っていました。しかし、感動が失われてゆくことで、またもとの苦しみの生活にもどってゆくことがとてつもなく恐ろしくなりました。はらわたがえぐられるような恐怖と虚無感でした。あの体験はサトリではなかったのかという無意味感がやってきました。

現在では、それはそれで大切な体験だったんだと受けとめられるようになりました。まさに仏法は体で体験するものです。知的遊戯ではありません。しかし、体験であるから、逆に体験に飲み込まれてしまうという恐ろしさも持ち合わせています。どうしても、信仰には全生活をかけて突き詰めるということが必要です。なまはんかではだめです。でも、危険もともなっているのです。なんでも物事はそうですよね。危険があるから感動がある。危険を覚悟でなければスポーツなどはできません。信仰もそれに似ています。

そうそう、真宗ではあまり「サトリを開く」という表現はしません。むしろ「信心をいただく」という表現をします。親鸞も「さとりを開く」という表現はあるのですが、私たちはあまりそれを強調しません。たぶん、自分が努力で得るというイメージがあるからでしょう。でも、本質的にはお釈迦様のサトリも親鸞の信心も同じことです。同じでなければ仏法は無意味になります。サトリとか信心は、自分の手柄でもなんでもありません。道理そのものが私の上に展開してくるだけなのですから。「暑い時は暑いといえ、寒い時は寒いといえ」(蓮如)というようなもので、実に、感じたママがサトリの世界になってきます。死ぬのが怖ければ、怖いまま。不平不満が出れば、出ただけのこと。憎い奴を殺したいと思えば、思ったまでのこと。それが障害になりません。柳の枝の風のようなものです。そういうことで「信心を得れば私のようなものになる」ということができるのです。だれも私を代わっていきることができないのですから。

2002年12月01日

●アッという間に師走ですなぁ。一年一年がますます加速度的になってきました。これは年寄りだけかと思っていましたら、そうでもなさそうです。息子たちも、そういってます。この時代感覚はなんという末法感なんでしょうか。日常がルーティン度を高めると、時間は速く感じるそうです。おそらく、あの昔話の浦島太郎さんが龍宮城で過ごした時間なのではないかと思います。本人は少しの時間しかたっていないと感じています。しかし現実の時間は、もっとゆっくり緻密に流れていたということではないでしょうか。あらゆる欲望が満たされ、いのちと健康が保証されているとき、人間は感動もなく、すべてが「当たり前の日常」に埋没します。それが龍宮城の時間です。もしかしたら私たちの日常も龍宮城の時間になっているのかもしれません。

今朝、トイレに入っていて、ふと思ったのですが、用便が済んで、ウォシュレットが、お尻まで洗ってくれるということは、まさにお浄土の生活ではないのか!と。お経には、お浄土のありさまが書かれていて、蓮の池には水が入っていて、自分が「水よ、腰まで来い」と願うと、水が腰まで来る。ちょっとぬるいと思えば、ちゃんと温かくなる。また熱いなぁと思えば、冷めてくる。思い通りという感じに書かれています。これも、全自動のお風呂が、現実にかなえてくれました。きっと、お経の作者がウォシュレットを知っていれば、用便の後はお尻を洗ってくれるということも盛り込んだのではないかと、ひとりで笑ってしまいました。気がつくと、私たちの生活はまさにお浄土の生活ですね。龍宮城の時間が流れているはずです。この時代の時間の流れにひとりだけドロップアウトすることばできません。やはり流されていかざるを得ません。かつて安田理深先生は「流されるのではない。あえて流れてゆくんだ」とおっしゃっていました。この積極性に惚れてしまいます。自分だけ、流れないぞと頑張る必要もない。また仕方なく流されるのでもない。あえて流れてゆく、流されてゆこうと決断だんすること。そこに、やはり、凡夫の大地があるように思います。聖者の道でなく、聖人の道でもなく、凡夫、悪人の道があるように思います。まぁ、このように私が書けば、それはすべて言い訳になるのです。でも、言い訳が、以前はいけないことだと思っていたのですが、そういうふうにも思わなくなりました。言い訳がダメだと批判する視点は善人の視点でした。やっぱり「本願ぼこり」の系譜に小生も属しているんです。

 

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