住職のつぶやき2007

 

 

 

2007年12月30日

毎年のように、年の瀬という感覚のない晦日です。以前は正月を迎える気持ちに、どこかで引き締まったものがありました。しかし、ここ何年かは、節のない竹のような感じです。「終わりのない日常」という言い方を宮台真司はしていました。
 メリハリがないというか、ケジメがないというか、ハレとケガレの境界がないという感じです。ということは、私たちの気持ちがリセットされないということでしょう。
 さあ、これから!という踏ん切りが生まれにくいということです。いつまでも、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が連続していて、消えるところがない。新鮮なものものないかわりに、それほど危機的な状況でもないという、ぬるま湯的日常がはびこっています。
 そんなとき、あえて非日常性を外から作ってやろうという衝動が生まれるのも分かるような気がします。1995年3月のオウムサリン事件、そして2001年9月11日の同時多発テロ事件も、そんな時代の雰囲気が、生み出してしまったモンスターのようにも思えるのです。
 ですから、私にも、罪の一端があるように感じます。
 みんながそうしたから私もそうするんだという考え方は、ちょっと恐ろしい面もあるんです。民主主義が全体主義の母胎ですからね。だからみんながたとえそうしたとしても、私はこうするという面が必要です。
 それをひとりひとりがつくり上げなければならないのでしょう。恐ろしく、ひとりひとりが工夫しなければならない、大変難儀な時代に入ってきました。
 「創」の時代の幕開けですね。「偽」というのが、今年を象徴する言葉として選ばれたようですけど、その「偽」をどう超えるかといえば、「創」以外にないのだと思います。
こういう時代だから、何か拠り所になるものはないか?と探してしまいますけど、拠り所は、下手をすると根源的依存症を生み出すことにもなりかねません。自由を求めて近代をつくり上げたのに、なぜナチズムという全体主義をドイツ国民は、歓迎してしまったのかというのが、エーリッヒ・フロムのテーマでしたね。彼は、やはり人間は自由には耐えられない生き物だと考えたのではないでしょうか。何かに依存して生きていたほうが樂なんです。自分で判断したり考えたりしなくていいのですから。自分が傷つくこともないのです。
 だから、あえて人間は自由から逃げ出そうとしたのだとフロムはいいます。その通ですね。自由を求めているようだけど、本質的に自由が嫌いな生き物が人間じゃないのかというわけです。
 私は人間を〈零度の存在〉と呼んでいるんですけど。ここに自由はあるんです。次の瞬間には、その瞬間を受け入れるか拒否するかという自由があります。フランクルはアウシュビッツの中でも、その瞬間を拒否するか、あえて受け入れるかという自由があると考えていたようです。そこに人間の尊厳があると。
 彼は自分の「恣意」を、いつでも客観化できる精神をもっていました。それが彼をして人間性を失わせなかったのでしょう。
 イヌイヒロシという芸人が、「自由だー!」と叫んでいます。ほんとうの自由とは、自分のこころを縛っている自分自身を解放してあげることです。そこに成り立つものです。ほんとうは、「繰り返し」ということは一切ありません。昨日も、明日も、すべて「繰り返し」ではありません。少しずつ違っているのです。でも、自分のこころが大雑把になっているので、それに気づかないだけの話です。ほんとうは、もっと自由で、創造的に人間は生きているんです。これから創造的に生きようかと考える以前に、もうすでに創造的なんです。
 2008年を「創の時代」にしていきたいと思います。
 

2007年12月25日

人間は、実に大雑把なものです。微細に見れば、皮膚細胞は瞬間瞬間に新陳代謝を繰り返し、死につつ生まれ生まれては死んでいるはずです。でも、自分の意識はそんなことは露知らず、ずーっと自分は自分だと思い込んでいるのですから。
 結局、思いというやつは、事実とまったく符合していないようなのです。思いは思いだけの世界を、これが自分の世界だと思いながら生きているのです。
 これは、ますます面白くなってきました。孤立無援の思いの世界だけを自分の世界だと思いながら、いかにも世界にかかわって生きているように見えて、実は、自分の思いの世界だけを生きているのです。
 これはますます面白くなってきた。
 世界とか、事実とかというものと絶縁しているから、そんなものに目もくれずに、自分の世界を生きていくしかない、いけばいいのでしょう。
 こんな素晴らしい世界があったとは!だれにも侵されることのない、唯一無二の世界があったとは!
 なーんだ、もともと人間は、自分の思いの内側しか生きていなかったんだ。その世界にみんな引きこもればいいんです。引きこもるもなにも、そこしか生きる場所はなかったんです。
 これは孤独とは違うものでしょう。孤独とは、大勢の中に自分がいるというときに感じる寂しさです。それと小生のいうところは違います。この世界全体が私の思いの内側の世界だということです。ですから、この世界は私の固有の財産です。
 みんなが、それぞれ唯一無二の世界を、自分の世界として生きればいいのです。
 ひとがひとり亡くなるということは、ひとつの世界が失われたということです。決して、たくさん入っているみかんが腐ったからといって、取り出して捨てるように受け取ってはならないのです。そう受け取ってしまうのは、生が絶対の善、死は絶対の悪と考えるからです。「かわいそうに」と思うのは、自分の生がいいものだ、絶対だと思っているからです。果たして、向こうからみたら娑婆のほうが、「かわいそうに」と言われているかもしれないのに。
 阿弥陀経には、たくさんの仏が出てきます。東方・南方・西方・北方・下方・上方と。あれは、ひとつの大きな世界にたくさんの仏がいるのだと小生は受け止めていたのです。でもそうではなかったのです。ひとつの仏には仏国があり、こっちの仏にも仏国があって、仏国が何層にも重なっているということだったのです。
 ですから、腐ったみかんの論理ではないのです。ひとつの実存にはひとつの世界があるのです。
 そしてみんな忘れられていくのです。永六輔が、死はふたつあると言ってました。いわゆる自分という固体の死、もうひとつは、縁者が故人を忘れたところにある死だというのです。でも、故人を覚えているひとも死んでいくのですから、やっぱりみんな忘れられていくのです。忘れられていいんです。いつまでも、覚えていられたら、迷惑な話じゃありませんか。
 だって地球そのものが、やがて亡くなるんですからね。
そうそう、「僕の生きる道」というドラマで、癌で余命いくばくもない青年教師からプロボーズされたとき、女性教師がこんなふうに両親に向かっていうのです。「すべての男は必ず死にます!」と。
 両親が、みすみす死んでしまうような男となぜ結婚するのかと詰め寄ったときの返答です。これは、見事に「イッポン!」という大技でしたね。自分に娘があれば、親はみんなそう問うだろうと思いました。
 でも、すべての男はみんな死ぬのですね。当たり前のことを、すっかり忘れていた自分もドキッ!とさせられました。
 彼女がそう決断したとき、彼女のいのちは積極的になっていました。生きるということに積極的になっていました。たとえ死があったとしても、積極的に生きるということが起こっていました。
 人間は、今しか生きていないのに、思いは今にないんですね。取り越し苦労という未来に対する不安と、後の祭りという過去に対する後悔だけです。
 やっぱり思いの内側にしかいないのです。なんとも哀れなものです。
いやはや、今朝は、世界に対して、「私の固有財産よ!」と声をかけたくなる朝でした。

2007年12月22日

 「機の深信」が、唯一のモラル発生源ではないかな。
「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねに沈み、つねに流転して出離の縁あることなき身としれ」と歎異抄には書かれています。これが真宗では、「機の深信」と呼ばれて、信仰の要として大切にされてきました。
 これは歎異抄がアレンジしたもので、原典は善導(唐)の『観経疏』の「一つには決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなしと信ず」という文章です。
 善導は「信ず」と結んでいるところを、歎異抄は「身としれ」という言葉でパラフレーズしています。意味的には同じだといえるのかもしれませんが、どうもこの「身としれ」という言葉に惹かれています。
 「信ず」は、自分が○○を信ずるという自発性の文脈ですが、「しれ」というのは、決定的に受け身形の文脈です。この「しれ」は、「知れ」でしょう。そして、前段の文章を、「知れ!」と受け身形で受け止めなければ信仰が成り立たないということを言いたいのだと思います。
 テレビで三面記事が報じられ、ため息を漏らしてそれを見ている自分に、この「知れ!」が聞こえてきます。人ごとではなく、まさに自分の罪を教えられているのだと、そのように「知れ!」とやってくるのです。アネハもモリヤも、みんな私の罪を教えてくれているのです。私の内面の罪を、事件という形で「知れ!」と。
 つまり、本質的な罪とは、仏さんの基準を無視して生きているということです。自分でなんでもできる、自分さえ自制すればどのようなことでもできる、自分が、自分の、自分に、という自我万能感から、すべての事件は起こるのです。
 資本主義は、この自我万能感の上に成り立つのです。この資本主義を生み出し、享受している自分の罪そのものが、事件を生み出しているのです。罪は全部私と地続きです。そこには救いはないのだ、仏さんの基準のないところに、救いはないのだ。まさに無仏なのだと。
 そこに立つとき、立たされるとき、かすかな温もりがやってくるのです。

 親鸞のいう現生正定聚とは、自分が「未意味」になることでしょう。自分の知っている自分がかすかになって、自分の未だに意味化されていない自分が巨大になることです。人生が未意味化されて、生きることが不可思議としてよみがえってくることです。
 

2007年12月17日

さあーっ、これから教えに向かい合おうと思い立ったときには、つねに他力の世界は未知の世界として自分に対立してくる。
 言葉に「他力と自力」があるもんだから、自力と他力を両方で見ることができるかのように錯覚している。
 人間に感じたり分かったりすることは、すべて「自力の世界」であるのに。
さあーっこれからと向き合おうとすると、他力の世界は、自分が一点も触れることのできない世界として立ち現れてくる。
 この一瞬は宇宙開闢の一瞬だ。この宇宙開闢の一瞬間に、立ち会わされてしまう。
 他力の世界には、まったく触れてもいず、感じてもいず、まして自分の立場とすることもできない。しかし、いつの間にか、そっちの世界に自分が住んでいるかのような錯覚を起こしている。
 他力以外に存在はありえないのに、他力だということを信じることも、まかせることもできない自分。
 この自分が、他力の世界に対面させられる。
 いつでも、対面させられる。今日も対面させられる。次の一瞬に対面させられる。
寒風に、身をよじりながら、サザンカは咲いている。他の草花が、休んでいるのに。わざわざ寒風に身をさらすこともないのに。

だが、サザンカは咲いている。誇らしげに。
なんということだ。
なんということだ。
 ここに、いのちの現事実が展開していたとは。

 
2007年12月14日

譲西賢さんの「真宗とカウンセリング理論の接点」というお話をお聞きしました。氏は臨床心理士・カウンセラーを長年されてきた方で、真宗大谷派の寺の住職でもあります。
 氏は「身の事実」と「想い」という、ふたつの言葉を使ってカウンセリングと真宗の同一性をお話されました。
「身の事実」をできるだけ「想い」通りにしようとすることが、人間社会であるといわれました。「想い」通りになってさえいれば、私たちは幸せ感を得られるのです。これを「ハッピーエンド症候群」と名づけていました。しかし、精神的バランスを崩したりするのは、「想い」と「身の事実」のギャップが原因です。
 でも、生きるということは、必ず「想い」通りにならない現実にぶつかり、「身の事実」が現実であることを思い知らされます。そこに悩みが生まれ、カウンセリングの仕事が発生します。
 実は、この悩みは、如来が「お前の身の事実を知れ」と教えて下さる慈悲の姿だと氏はいわれます。言葉を換えれば「如来のご教化を受ける場が、この娑婆であったという」(氏の言葉)自覚です。
 やがて「身の事実」と「想い」が逆転することを体験します。それが宗教的にいえば「回心」です。回心から生まれる言葉は「あるがままの自分でよかった」「こんな自分だけど、オレでよかったんだ」という現実受容です。
 この受容が起こったときの「自分」は、「想い」で見ていた自分では、もはやないのでしょう。未知なるもの、不可思議なるもの、いつでも「初めまして」と挨拶したくなるような自分ではないでしょうか。自分はほんとうの自分を知らないという「愚」の自覚が生まれるように思います。
 氏はカウンセラーの問題点も指摘されました。それは、社会生活に悲鳴をあげて精神的バランスを崩したのに、一日も早くクライエントを社会生活に戻すことがいいことだと思ってしまうという問題です。つい「はやくもとの生活に戻れるようになるといいね」という思いで、クライエントに接してしまうことだそうです。それでは元の木阿弥だというのです。
 これは、そうだなぁと思いました。せっかく非日常性が開かれて、「存在の絶対受容」が起ころうとしているのに、再び娑婆という日常性に戻してしまうのですから、問題が再発するのは当然でしょう。
 以前のオウム真理教事件のとき、オウム信者がはやく社会復帰することが要求されましたね。社会が善であり、正常だという感覚で私たちはオウム信者に「夢からさめろ!」と言いました。彼らは、現実の社会がおかしいから出家したのでしょう。それを、彼らを社会に連れ戻すことは、病の再発を意味しているのです。だって社会がおかしいから出家したわけですからね。
 「身の事実」を「想い」通りにすることが病の発生源だとオウム信者は感じているわけです。それなのに、私たちは、この社会が「正常」であり「善」だと思い込んでいるのです。夢から覚めていないのは、果たしてどっちなのでしょうか。
 オウムの事件は最悪で、絶滅させなければならないでしょう。しかし、彼らが出家せざるを得なかった動機に、私たちは学ぶべきものがあるように思えます。
 ただし、その「あるがままの自分」を回復するということが、至難のワザです。私たちはどこまでいっても「想い」が中心にあって、「身の事実」を受け入れ難くしているからです。「あるがままの自分でいいんだ」という言葉を、どのレベルでうなずくかですね。
ひるがえっていない心で言えば、それは仕方なく受け入れる窮屈なこころになります。それは居直りでしょう。あるいは、現状肯定じゃ、進歩はないじゃないかと感じるかも知れません。これは努力主義でしょう。どっちもダメでしょう。
 つねに新鮮で、未知であり、不可思議である自己との出遇いでなければ、それは「あるがまま」になっていないのですから。そして存在の根っこまで、「身の事実」を十分に味わい尽くしてから、初めて「娑婆を生きる」ということが立ち上がってくるのでしょう。そのときの娑婆は、どんな姿に見えてくるのでしょうか。
200712月04日

因速寺の再建工事は、予定より送れ気味です。来年の3月、お彼岸には本堂が使える予定でしたが、無理だということになりました。5月18日の永代経法要から使えることになりました。
 そうは、とても凝った設定になっていて、鉄骨部分の製造に時間がかかってしまったということです。こんな設計は、松井建設では初めてのことで、これはほんとうに芸術作品の域にあるそうで、たとえ時間がかかっても、完成がとても楽しみになってきました。
 ご理解下さい。
 今日は、南側の江東区所有の土地の地境の立ち会いがありました。因速寺の南側には90pメートルの私有地があります。これは裏の名鏡さんの土地だと認識していました。戦前、軍需工場(大谷重工業)を立てるために、半強制的に「土地替え」をさせられたそうです。そのとき、末広通りから90p幅の通路の土地が名鏡さん所有になったということでした。しかし、今回それが構図では半分ほどで切断されているのです。だれが、いつ切断したのか分かりません。現在の構図では、そこに線引きされ「無番」として江東区所有の土地になっているのです。名鏡さんも因速寺もそのような事実認識はありませんので、今回の土地立会いは保留ということで、経緯について調査を依頼しました。
 そんなことがあるんでしょうか。勝手に切断して構図化するなんていうことは、現在では不可能でしょうけど。戦前、戦後の動乱期にはそういうことが行われたのでしょうか。まったく不思議なことです。
 娑婆を生きるということは、大変なことですね。次から次へとさまざまな問題が降りかかってきます。ひとつひとつ対処していかなければなりません。
 やはり生きるということは、問いかけられているということでしょうね。食べるってどういうこと?仕事をするとはどういうこと?運転するってどういうこと?歩くってどういうこと?話すってどういうこと?寝るってどういうこと?そして、生きるってどういうこと?死ぬってどういうこと?
 一瞬一瞬、問いかけられています。その問いかけに応答するということが「生きる」ということでしょう。
 決して、結論を急いじゃいけません。じゅうぶんに、その問いを味わうことです。結論を握っちゃいけません。諦めちゃいけません。投げ出しちゃいけません。もし万が一、結論を握ってしまうと、必ずニヒリズムに落ち込みますよ。「まぁ、こんなもんか…」とつぶやくと、虚無感がやってきます。ですから、結論を先のばしにするのです。できるだけ先のばしにして、味わい続けるのです。
 そして、小さなこと、些細なことに眼を落とすことです。人間は地面から遠いところに脳があるので、小さなことが見えないのです。でも、そのほんの小さなところに、とても大事なものがあるんです。私たちを支えてくれているものが落ちているんです。きっと。
2007年11月25日

先日、茨城県・日立市の専照寺さんの報恩講にお邪魔しました。日立というくらいですから、全部が日立一色の感じです。昔は日立鉱山があって、町全体が賑わっていたそうです。しかし、いまでは閉山になり、従業員たちの社宅も取り壊され閑散とした状態です。それでも日立の本拠地ですから、日立の関連会社がひしめいているそうです。小生が止まった日航ホテルではすべてが日立でした。エレベーター・電気ポット・テレビ・冷蔵庫等々、あらゆる電化製品は日立製です。さすが日立だと思いました。
 専照寺さんの報恩講は二日間でした。浄土真宗では一番大事な法要ですから、近在のお寺さんも見えて、厳かに読経もつとめられました。専照寺さんは保育園もやられていて、子どもたちの音楽法要というものがありました。「まっかな秋」とか「仏さま」「おかあさん」「みほとけは」などの歌を歌いました。最後に、園児たちが手に手に赤い?燭と花束をもち、内陣の阿弥陀様のところまで、お持ちするという演出がありました。それを見ていて、ものすごく感動しました。
 小さい手に?燭をもち、恥ずかしそうに御本尊に向かって合掌し、しずしずと内陣を歩んで仏さんのところまで行くのです。ただ、そのなんともいえない厳かさと緊張感が小生に伝わってきて、びんびんと何かを感じさせてくれました。こんな素直な、純真なこころが、大人の私たちの中にもあるのだなぁと思ったのです。長ずると、それを忘れ果てて、大人ヅラして生きていますけれども、その泥で覆われた内面を掘り進んでいくと、そこには純真な幼子のこころが眠っているのだなぁと感じました。自分たちの中に幼子のこころがなければ、あの法要に感動するはずがありませんからね。あの姿が、ほんとうに仏さんに対面したときの感情なのだと、つくづくいい体験をさせてもらいました。
 あの「おかあさん」ていい歌だなぁと思いました。
「おか〜あさん、な〜あに〜
おか〜さんて、いいにおい〜、洗濯していたにおいでしょ〜シャボンのあわ〜の、においでしょ〜
おか〜あさん、な〜あに〜、おか〜さんて、いいにおい〜、おりょうりしていたにおいでしょ〜たまごやき〜の、においでしょ〜」
気持ちがほんのりしてきしまた。
 ところがです。小生の泊めていただいたホテルの朝食のときです。ビジネスホテルはみんなバイキングなんですけど、小生が食べていると。レストランに若い親子連れが入ってきました。みると二十代の夫婦のようです。おかあさんが一歳くらいの男の子を抱っこして席に着きました。おとうさんは、料理のあるテーブルに向かいしました。するとおかあさんが、おとうさんに向かって大きな声を掛けました。「サラ!サラ、とってきて!サラ!」と。小生はビックリしました。とても乱暴な言い方じゃないかなと感じたんです。自分とダンナとの関係であれば、それでもいいのでしょうけど、子どもがいるのですし、ましてレストランですから、やはり「お皿」といってほしかったですね。
 そのひとことを聞いただけで、その家族の日頃の雰囲気が手にとるようにすけて見えてしまいました。怖いな〜と感じたんです。とても「おかあさん」の歌詞のようには現実はなっていないのだなぁと感じました。
 そんなことで、ちょっと落胆していたのです。しかし、おとうさんが料理をもってテーブルに帰って来たときのおかあさんは違っていました。まず赤ちゃんに、「いただきますは?」と問いかけたのです。これで、小生の落胆は一気に救われました。
 なんか、これで、この家族は大丈夫だなぁという感じを受けました。日本人だけだそうですね、皿に「お皿」、茶碗に「お茶碗」、箸に「お箸」、金に「お金」、鍋に「お鍋」と「お」を付けるのは。モノがモノであってものを超えているわけです。物事を大切に、丁寧に、やさしく扱う文化というものがあるんです。
 そういう流れが「かあさん」に「お」をつけて「おかあさん」と呼びかける文化を生んだのですね。昨今のおかあさんは、子どもに向かって、「はやく宿題しなさい」「はやくご飯たべなさい」「はやく学校いきなさい」「はやく…はやく…はやく…」と「はやく」をなんと多用していることか。
 「はやく」という言葉を子どもが聞くたびに、「お」をつけてきた日本人の優しさが失われていくような気がします。子どもたちのいのちの根っこが痩せて枯れないようにと念じるばかりです。


2007年
11月20日

急に寒くなったせいでしょうか、あいついで5人の方が亡くなりました。同じ日に御告げの電話が入り、テンヤワンヤの状態です。小生は茨城に講演に一泊でいかなければならないし、法事はあるしということで、やり繰りがつきません。
 歎異抄の出版のために、年内にゲラまで作らないといけないのに、まだ12条までしか出来ていないとか、そのうえ、風邪気味になってしまい、ネクトンを多めに服用しています。
 と、愚痴を吐けるだけ吐いて、それから、気を取り直して、目の前の、たったひとつのいまやれることに専念することにします。というわけで、つぶやきを更新しているという有り様です。
 つぶやきを更新するような時間があったら、他のことに専念しろと言われそうですけど、これは、「しなければならないこと、できること、したいこと、せずにはおけないこと」という四つの縁が実を結ばないと実現しないのです。
 大無量寿経には、「不急のことを争う」と出ていて、いつもそうだなぁと思いつつ生きています。「急がなくてよいことを急いで」、結局、頭のうえに降りかかってきた火の粉を振り払うような生活をしているのが私です。
 でもその生きかたが変えられないわけです。蟹は横にしか歩けないように、小生の〈生〉も、そういうふうにしか生きられないわけです。それでいいのです。いいのですと言ってみても、居直りでもないのですけど。
 まあ、どこまで生きても、そしてどこまで生きなくても〈永遠〉と接していればいいわけです。〈永遠〉と接している生活を送っているか、それとも娑婆の濁流に流されているかの違いでしょう。
 そうそう、安田理深先生は、「流されるんじゃない。あえて流れるんだ」という言葉を残されています。そういわれると、そうだなぁ、拒否できないなぁと思います。
 あえて流れる生活を、激流下りのように楽しんでしまいましょうよ。
 結局行き着くところは、みな同じですから。終点がはっきりしていると、〈いま〉が自由に生きられるという不思議なはたらきがあるんです。

2007年11月09日

キリスト教の「愛」ということについて考えています。
 今日も、牧師さんにそのことを尋ねました。イエスは大事なことは、「全身で神を愛すること」もうひとつは「自分を愛するように隣り人を愛せよ」と言ってます。
「マリアとマルタ」の姉妹の話があって、イエスの説教をうっとりして聞いているマリアがいます。マルタはイエスをもてなすためにいろいろと接待の用意をしています。マルタがふと見ると、マリアは手伝いもせず、ただイエスの話を聞いているだけです。マルタは言います。「先生(イエス)、この子、私が忙しく準備をしているのに、何にもしないでただお説教を聞いているだけなんですよ。なんとか言ってやって下さいよ」と。
 イエスは、人間にとって大事なことはひとつだけで、マリアはそのひとつを選んだんだというふうな応えかたをしています。でも、決して「だからマリアは善いのだ」と裁量していないところがいいですけどね。
「ひとのことをとやかく言うな」ということだと牧師さんは言ってました。自分自身の一番大事だと思っていることに専念しろということだと。
 私は、ここでもし「隣人を愛せよ」ということであれば、イエスはマルタを手伝ってやれとマリアに言うべきではないかと思いました。隣人とは目の前にいるひとでしょうから、姉妹であっても隣人でしょう。
 でも、「主なる神を愛せよ」ということであれば、マリアのやりかたが一番大事なんだと言うべきでしょう。つまり、このふたつは矛盾するんじゃないかと思えるのです。
 そうしたら牧師さんは、トルストイの「靴屋のマルティン」の話をされました。ごくごく簡略にすると、マルティンというやもめの靴屋さんがいて、夢にイエスと会うんです。「明日お前の家にいくから」と言うんです。翌日、待っていてもイエスは来ないのです。それどころか、雪かきの貧しいじいさんにお茶を振る舞ったりして、助けるんです。またあるとき夢を見て、イエスに会います。「あんた来なかったじゃないか」とマルティンが言うと、「私はちゃんと行った」というのです。要するに、マタイ福音書(25−40)にある「わたしの兄弟であるこれらの最も小さいものにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」ということを言いたいわけです。
 つまり、隣人というのは、形を変えたイエスであり、主なんだというわけです。だから、貧しき人、弱い人、小さい人を大切にしなければならないということのようです。それも親切にすることで神に認められようとするのではなく、おのずからそうできるようになることが神に「よし」といわれるひとのようです。
 「お忍びの姿がイエスだと思えばよい」というふうなことを牧師さんはいいました。
現実には、「下着をとろうとするものには上着もやれ」といい、「隣人を愛せよ」といわれても敵対しているのが私たちの日常です。それすら神はお見通しだというわけです。だから、出来るだけ、そういうふうに勤めよということらしいです。
 そうすると、どうしても愛は「行為」に還元されそうですね。
〈真宗〉の愛は、「存在」に還元できましょう。つまり、「ある」ということですね。「ある」ということを十分に満たしてくれるものだと思います。「する」ということには還元できません。「ある」ということに各人が満たされることが先決で、そこからしか「する」は生まれてこないということです。
 もし弥陀の本願というものが私たちに命令するのであれば、やはり「おのれ自身の存在を十全に受け入れよ」という命令ではないかと思います。他者ということは、二次的というと誤解をうけますが、まず「如来と自己」の関係が満たされたところから、おのずから流出してくるもののように思います。

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♡憂子日記♡
●ある日の朝の出来事●
享子ババ「憂子さん、たくさんお湯を沸かしても、そんなに使わないんだから、少なめにしてよ。毎朝、少なめにしてって言ってるでしょ!」
●翌日、憂子は少なめに沸かしておいた。すると●
享子ババ「あら、このやかん、穴が空いてるんじゃないの!」

(憂子ママのつぶやき→あんたが、少なめにしろ!っていうから、少なめに沸かしておいたのに!(-_-)。ヤカンに穴が空いてるって!!どんだけー(~_~;))

2007年
11月04日

人間は、世事のことが分かれば分かるほど、世間が狭くなるようです。それにくらべて、世事がうとくなるほど、世間が広くなってきます。「子どもはみんな芸術家だ」といいますね。うちの子どもの幼稚園のときの絵をとってありますが、色使いといい、線といい、まるでピカソかダリのようです。
 ところが長ずると、これが情けないほどダメになります。世事のことが分かり、世間のことが分かってくる量に比例してダメになります。だから、ピカソはすごいんでしょうね。オヤジがああいう絵を描くからすごいんです。子どもなら誰でも描けるんです。子どものころから、塵や誇りのように身につけてきたこざかしい智恵を払い落としているから描けるんですね。
 あの「払い落とし」がなかなか難しいわけでしょう。払い落としをしなければ、ほんとうのことが見えてこないんですね。
 今日も法事がありました。法事のときに法話しても、ウンでもなければ、スンでもないという有り様です。まるで蝋人形のように固まっているひとたちです。それには小生の話しかたが悪いということもあります。でも、なんか反応があってもよさそうなのになぁーと深情けをかけてしまうのです。
 だから、法話は無意味なのかなぁと思ったりもしています。お経だけ読んでれば、それでもいいのかなぁと思ったりもしています。
 しかし、その大人のこざかしい知性を払い落としてみたら、法事ということを分かったことにしていた自分が見えてきました。法事は、読経もあり、親戚の挨拶もあり、法話もあり、食事もあり、故人を忍ぶこともあり、と様々な要素があるわけです。ですから、どれもこれもみんな揃って法事なんです。ひとつの要素だけで法事をとらえてはダメだなと思いました。
 「自分の読経は下手だし、聞いているひとが感動しているわけでもないし」と自分では思っているんですけど、案外、聴衆は違う聞き方をしているのです。それは自分が自分をみて判断しているだけで、外側からみたら全然違っていたりするんですから。そんなに自分のことを分かっていると思い込んではダメです。もっともっと自分から自由になっていかなければ…。そうそう、自分を縛るのは、いつでいつも自分自身なんですから。

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※タイトルが長くて面倒なので、「♡憂子日記♡」に、タイトルを改めたいと思います。
 小生の「つぶやき」よりも、「憂子日記」のほうが人気があるみたいです(^^ゞ)

★憂子ママと享子ババとのよくある日常★
クリーニング屋さんのことで…
享子ババ「憂子さん、今月分のクリーニング屋さんの請求書の金額がおかしいのよ?こんなに高いはずないじゃない!」
憂子ママ「どうしたんですか?」
享子ババ「計算が合わないのよ!もう、あのクリーニング屋さんやめたほうがいいんじゃないの!」
憂子ママ「もうって、いままでそんなことなかったじゃないですか?ちゃんと計算してみて下さいよ…」
享子ババ「計算したわよ!合わないのよ!」
※例のように、計算したところ、ちゃんと合っていたらしい…(-_-)。
(憂子ママの心のつぶやき→前にもクリーニング屋さんに出した上着が戻って来ないって苦情を言ってたのよー。クリーニング屋さんに、「前に出した上着がまだ戻ってきてないのよ!ちゃんと調べてよ!」と苦情言ってたわ。そうしたら、数日たって、お母さんのところから出てきたの。クリーニング屋さんから戻ってきてたのに、それが見つからなかっただけなのよ。それで、クリーニング屋さんのせいにして…。その後がひどいのよー!だって、お母さんたら、「あの上着、あったわ。あったって、クリーニング屋さんに言っといてちょーだい」だって。(▼▼)コラァ!!!あんたのミスだろ〜!あんたが、ひと言、クリーニング屋さんに「ごめんなさい」って謝るのが大人の常識だろー!!( ̄^ ̄))

2007年10月31日

報恩講が終り、ホッとしています。でも、原稿が二本あって、講演の準備と出版の準備作業と、また日常生活に追われてます。
 携帯をラクラク・ホンにしたところ、これには万歩計機能が付いているんですよ。本日は530歩でした。やはり、老人の関心は一日の歩数にあるようですね。一日に何歩歩いたかということが、死から自分を遠ざけるための一里塚になっているようです。
 しかし、うちの猫は、よく寝ます。昼間も寝てますけど夜も寝てます。「寝る子」だからネ・コなんですかね。うらやましくもありますが、やっぱり「人身受けがたし」ということにはならないでしょうね。猫はまだ、エデンの園に暮らしていますからね。エデンから追い出された人類の末裔としては、絶望を味わうことになったのですけど、でも、それは神からいただいた贈物だというふうにキルケゴールは言ってますね。
 つまり、猫は最初っから「無分別」だから、悟りを開いているようなものです。でも、それが悟りだというふうには感じられないわけです。人間は絶望を味わいますが、それは悟りに転換される絶望ですから、やはりプレゼントなんでしょう。
 私と猫は絶対の孤独にあります。つまり、私の世界の中に猫はいます。猫の世界と、私の世界は隔絶しています。彼女の世界は彼女の世界、私の世界は私の世界です。それぞれの国が独立して存在している。決して、同じひとつの世界に住んでいるわけではありません。私たちはひとつの同じ世界に住んでいるんだという発想は、一神教文化の教育成果です。もし、「世界はひとつ」だと思えてしまえたら、自分は一神教の信者になっているんだと思ったほうがいいでしょう。仏教徒は、ひとつのいのちのところにひとつの世界があると考えます。バラバラに存在しています。しかし、なぜひとつの世界に住んでいると思えるかといえば、「業が似ているから、そう見えるだけ」と応えます。
 ですから、「同床異夢」というのが事実を正しくみた見方です。お気をつけ下さい。
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★憂子ママと享子ババとのよくある日常★
例のように台所で…
享子ババは憂子ママの包丁の仕舞いかたが気に食わないようだ。
享子ババ「あら、憂子さん、小さいときにお母さんから、包丁の仕舞いかた習わなかったのぉー?(` ´)」
憂子ママ「いいえ、聞きませんでしたー( ̄^ ̄)」
享子ババ「それじゃ、分からないわね〜ヽ(´▽`)/」
(憂子ママの心のつぶやき→「あ〜ら、お母さん、小さいとき、口のききかた習わなかったんですか〜?(▼▼)コラァ!!!)

   2007年10月28日

昨日だったか、中国に出店しているアメリカのマーケットの賞味期限切れ商品が、闇のマーケットで売られていたというニュース。
 なんというずさんな管理だとニュースキャスターは憤慨していました。中国ならなんでもありだよなぁというあきらめ感のうえに、怒りが付随していました。アメリカ人の八割が、メイドイン・チャイナに不信感をもっているという発表もありました。
 しかしです、賞味期限切れならまだしも、完全にゴミと見なされた市場の商品が、第二市場で売られているフィリピンのようなケースは、途上国には多いのではないでしょうか。
 アメリカや日本の商品管理は、ちょっと現実離れしているという感じもありませんか。輸入食品の3割だったかは、廃棄処分されているという現実が、いまの日本です。それも賞味期限という見えないハードルがあるためです。ほんとうに資源を無駄にしているのが日本です。
 以前、中国を訪れたとき、レストランでは食べきれないほど出てきたことを思い出します。しかし、たとえ食べ残しても、後ろめたさを感じませんでした。それは、食べ残りを店のひとか分かりませんけれども、必ず消費されるという安心感があったからです。決して日本のように、無駄に廃棄されていないと確信したからです。
 たとえひとが食べなくても、豚だとか家畜の餌になりますから、とても安心でした。それに比べて、日本で食べ残すときの罪責感は大変なもんです。だから、無理をしても食べてしまうという、まさに人間ディスポーザーになってしまうのでした。
 賞味期限切れだと承知の上で、それが消費されていく道を考えるべきだと思います。でも、日本では、そんなものを誰が買うのかということにもなりますね。日本人の清潔感は、病気の域に達しているのではないでしょうか。地面に落としてしまったものは絶対に食べないとか。大皿料理を銘々の箸でつつくのは汚いとか。ちょっと異常じゃないかと思えるのです。
 そんなところに、デジタルなロボットのようになってしまった日本人の観念があるのでしょう。白か黒か、百かゼロかという病的な清潔感です。〈生きる〉ということはアナログです。百かゼロかで割り切れないところに〈生きる〉ということは成り立っているのです。
 そんなテレビのキャスターに憤慨している自分を、発見しました。

2007年10月22日

今回のホームページの故障から学んだこと。(^^ゞ
 ホームページ作成ソフト(マイクロソフトのフロントページ)で作成はできるのですが、それをネット上にアップロードするためのソフト(NEX・FTP)でアップロードすると、いままでの容量がゼロキロバイトになってしまい、要するに真っ白ケッケになってしまうという症状でした。
 皆さんからは、ホームページ見られないけれど、どうしたの?おたくの問題、それとも自分のパソコンが故障したの?と問い合わせを受けました。これは、小生の問題ですから、みなさんには一切関係ありませんので、ご安心下さい。今後もあることでしょうから、真っ白になってしまったら、また症状が再発したと判断して下さい。
 まったく突然、いままでは何ともないのですけど、ある日更新してみると、突然「ゼロ」になってしまうという、摩訶不思議な現象です。サイバーテロか!と勘繰ったんですけど、専門家(yuyuさん)に聞きますと、おたくのパソコンの問題ですといわれ、気を取り直して修理しました。修理といっても、使われていないと思われるファイルを勇気をもって削除するという作業でした。この「削除」という作業は、とても勇気のいる作業です。とくに素人にはとても恐ろしいことはお分かり頂けると思います。もし大事なファイルを削除してしまったならば、もう二度と復旧できないのではないかという不安がつのります。まさに、時限爆弾を止めるために、赤線と青線のどちらをペンチで切るかという、あのハラハラした感情をいやというほど味わいました。
 いろいろといじくったあげく、ようやく文字だけはアップロードすることに成功しました。映像は次の課題に持ち越しです。まあ、小生の伝えたいことは文字が90パーセントですから、それでヨシとしなければなりませんね。
 この修復に何時間もの時間を割かれました。これがなんとも空しい時間と感じました。つまり、ひとから言わせれば、そんなホームページなんていう厄介なものをやっているから、そんな目にあうんだということでしょう。そんなことをやらなければ、そんな目に遭わないんだから、自業自得だと。
 確かにおっしゃる通です。その通り!
 でも、「生きる」ということはそういうことじゃないでしょうか。やらなくてもよいことをやっているということが本質のように思います。そういう災難に遭わないためには、いち早く、この娑婆からいなくなることしかありません。「沈香も焚かず、屁もひらず」という言葉があります。沈香というのは、南蛮渡来の高価なお香です。焚くと素晴らしい香りがします。しかし、屁はどんな美人のものでも臭い。素晴らしい香りも出さず、また屁もひらないような人生じゃ、生きたことにはならないという揶揄です。
 人間として生きる以上は、やはりこうせずにはいられないというものがあって、それをやっていかなければ仕方ありません。これはそのひとのもっている業ですね。その結果、屁をひるようなことになっても、それはそれで仕方ないんです。それが自分が生きるということの本質ですから。
 そんな危険を恐れて、手も足も出さずに生きていたのなら、それは生きたことにはなりません。生きるということは危険に満ちています。だから、その危険と一緒になってやれるだけのことをやるしかありません。決して、ひとのためにホームページをやっているのだということではありません。なんの意味もないことかもしれません。大いなる無駄なのかもしれません。しかし、そうせざるを得ないという、やむにやまれぬ衝動を、ただ押さえることができないというだけのことです。
 

2007年10月18日

伊藤隆道さんの作品を見ました。彼は「動く彫刻」で有名です。彼の作品には必ず〈動き〉があります。ピカピカのステンレスが折れ曲がり、それが規則正しく動いているのです。流線型もあり直線もあり。ゆっくり動くことで、形を変えていきます。
 これらの作品は、ひとを必ず立ち止まらせます。立ち止まって、ジッと眺めさせる魔力があります。しばらく眺めていると、それらの曲線が、互いに重なり合い、時々刻々とさまざまな形に姿を変えていくのが面白いです。何とも言えない不思議な魅力があります。ひとつとして留まるということがないのです。その流動の輝きに引きつけられます。
 彼は、「動いているものを見るときには、立ち止まらなければならない」と考えているそうです。そうか!思わず立ち止まって、見入ってしまった自分に対して、「やられたな!」と漏らしました。まんまと彼の意図の中に摂めとられ、私は彼の作品の一部分となってしまいました。術中にはまったわけです。おそらく彼の意図は、作品を見たものをも作品の一部にしてしまうのではないかと思いました。
 面白いですね。動かない彫刻を見るときには、自分が動かなければなりません。しかし、〈動く彫刻〉を見るときには、逆に立ち止まらなければなりません。
 話は飛躍してゆきます。
 〈自分〉は動物ですから、動く作品でしょう。この動く作品を見るときにも、やはり立ち止まらなければならないのでしょう。しかし、立ち止まる視点というものがもてるのかどうかですね。こっちも動いていては視点がズレてしまいます。そんな定点観測の場所があればいいと思います。
 まあ、それが無いことがいいんでしょうけどね。自分を客観的に眺められる場所があったら、つまんないですよ。眺めつつ、動きつつ、眺めつつ、動きつつでいきましょう。
 人間は逆説的な生き物です。自由に身体が動いているときには、あまり「自由」を切実に感じることはありません。でも、身体が不自由になったときには、「自由」を切実に感じることができます。当たり前に考え、動き、食べることができるときには、何の感動も起こりません。でも、それが出来なくなったときには、それらの行為は感動的に受けとめられます。まったく逆説的な生き物だとつくづく思います。

2007年10月09日

聖書に「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ伝8−20)と、なんともいい言葉だなぁと思いました。
 きつねや鳥達は、ちゃんと自分の安住の場所があるのに、人間だけがあれがいいとか、これがダメだとかいって、安住する場所がないよという意味でしょう。素人ですから、正しい解釈かどうかはまったく分かりませんけどね。
 イエスが見ていたいのちたちは、とても素敵な感じで登場します。それに比べて人間はなんという愚かなんだという実感がともなっています。人間は神に似せて作られたといいますけど、イエスにはそんな感覚はなかったようです。やっぱり愚かで、どうしようもなく、小心で、見栄っ張りというふうに見えていたのでしょう。
 イエスも親鸞も、表現も違えば民族も違い、時代も違えば文化も違います。しかし、ふたりが感覚していたものを、ズーッと延長してきて、交わったところを受け取ってみますと、なんだか、そんなに違ったことを感覚していなかったのではないかと思います。
 愚かということでは、通底していると思えます。まぁ、イエスはちょっと上昇志向的なところが残っているのですが、その偏を差し引いてあげればいいわけです。
 ほんと、きつねや鳥が愚かであるように、人間も愚かです。知性というもので自分を知っていると思っているのですが、ほんとうは自分なんて分かっちゃいないんです。ただ、「自分といううわさ」を自分だと思っているだけです。実体なんかないんですから。きつねも鳥も、最初からそんな自分なんか忘れて生きているわけです。
 〈いま〉を完全燃焼して生きているわけです。
完全燃焼というと、力みが感じますね。無駄に過ごしているわけでもなく、かといってそれほど役に立つことをしているわけでもなく、風に吹かれているような、そんな感じで生きられればいいなぁと思っています。
 明日は、初回の「親鸞講座」です。「信じるということ」という大きなテーマを考えてみたいと思います。しかし、後悔しています。大きすぎてどうなることやら、分かりません(^^ゞ)
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〈憂子ママと恭子ババのよくある風景〉
恭子ババ:(台所で)憂子さーん、オタマがないのよー!どこにやったのかしら…。確かに、ここに置いてあったのに!おかしいわねえ。

(その声をききつけて憂子がやってきた。恭子の目の前にあるオタマを指さして)

憂子ママ:あら、おかあさん、目の前にあるじゃないですか!

恭子ババ子:あらまっ、こんなところに置いてたんじゃ分からないわよ!だれが置いたのかしたら!まったく!

(「どんど晴れ」)

2007年10月02日

フェイルセーフの思想というのがあります。英語だとfail−safe。失敗しても、安全という意味です。これはジャンボジェット機に使われている理論です。ジャンボには3系統の操縦系統があります。たとえひとつの系統がアウトになっても、他の二本が残っているから、安全に飛行することができます。それにも限界があるから、事故は起こるんですけどね。
 しかし、このフェイルセーフの思想の根底には、「人間の作った機械は故障するものである、また人間は本質的に間違いを犯す生き物である」という認識があるのです。これは、やはり、もとを辿れば「神と人間」というものは決して同じではない、まったく違うのだという考え方から来ていると思えるのです。つまり、完全無欠のものは神だけ、人間は必ず欠陥のあるものという二元論です。だから、人間は努力すれば事故を亡くせるとか、過ちを犯すことがなくなるという夢を見なくていいんです。
 日本人は、結構「頑張れば何でもできる、事故もゼロにできるし、過ちもなくせる。過ちがあるのは、努力が足りないからだ」と考えがちです。これは、戦前戦中戦後を通じて変わっていない「精神論」です。
 確かに事故によって、ひとつひとつ改善策を作り出すのは当然です。人間は過ちを犯すものだから、何もしなくてよいというのではありません。航空機事故やスペースシャトルの爆発事故は、まだ記憶に生々しく残っています。そこから、学んだ結果に生まれた思想が、フェイルセーフですから、重みがあるのです。
 注意が足りないから事故が起こったのだ、努力して注意すれば事故は防げたのだというふうには考えれば「精神論」です。「必ずや神風が吹くのだ」という考えに行き着きます。そうではなく、「注意が届かない状況」が起こるような条件は何なのかと考えるのです。その条件を減らしていくことしかないのです。努力すれば注意できるというものではありません。
 もともと人間は注意力の続かない生き物ですから。
 ですから、どこかで、お互いさまという感覚がないとダメなんでしょうね。自分が迷惑を掛けるときには「お互いさま」といって、自分が迷惑を掛けられる番になると、「なんだこのやろー」となっては、人間失格ではないでしょうか。

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〈憂子ママと京子ババのよくある風景〉
憂子ママ:おかあさん、雨が降ってきましたよ!洗濯物、干してあるんじゃないですか?!
京子ババ:あら、行けない!はやく取り込まなきゃ!ちょっと、行ってくるわ!
(数分後・京子ババが茶の間に戻ってきた)
京子ババ:あんたが、もうちょっとはやく言ってくれれば、濡れなくて済んだのに!なんで、もっとはやく言ってくれなかったのよ!こんなに濡れちゃって、もう一度洗濯し直さなきゃダメじゃないの!

(「ドンド晴れ」)

2007年9月24日

いまの自分を、ズーッと保存したい、安定して保ちたいと小さく小さくまとまってしまいたいという欲求があります。そういうときって、人生に消極的になっているときですね。
 現状維持といいましょうか、自己保存といいましょうか、非仏法的になっている自分が感じられます。
 しかし、一瞬先に臨終があるというのが信心の座りなのに、それがどこかに吹っ飛んでしまっているんです。
 でも、非仏法的だなぁと感じられたときには、まだいいんです。自分の姿勢を教えられて、「なにやってんだよー」という声が聞こえてきますから。
 そこから身をひるがえして、「そうそう、ひとつひとつ人生の細部にわたって味わい尽くしていかなきゃ。それが、生きるっちゅーことだろー」と積極的に転換させられます。
 どの道、人生ってやつは「絶望的」なものなんです。それを忘れちゃうんですね。まったくしょーのないやつです。
 その絶望的な人生を、味わい尽くしていく、悲喜こもごもを十分に味わい尽くしていくこと、それが仕事なんです。
 すべて、あちらからやってくるんです。気がつくとあちらからやってきているんです。あちらからやってきたものに対して、自分はちゃんと受けとめて、それに従事していかなければなりません。
 韮の花が、可憐に咲いています。手で傷つけてみると、美味そうな韮の匂いがします。自分にも同じような匂いがあるんでしょうね。でも、傷つけないと匂いがしないのです。

2007年9月16日

昨日の朝日新聞に、大澤真幸(京都大学教授・社会学)が、こんなふうに書いていました。テーマは「ナショナリズム 脱却へ真の普遍性めざせ」でした。
「一億二千万人の日本人同朋がいるが、ここの日本人はお互いを知らず、その大半の人たちと生涯会うこともない。 
 直接の関係を辿ることも想像することもできない規模の共同体に対して、時にそのために死んでもかまわないと感ずるほどの宿命的な所属感をもつこと、これがナショナリズムだ」と。彼はナショナリズムの問題性を提出して、それを超えるには「真の〈普遍性〉を見いだすしかない」と述べ、結論に次のように語っていく。
 「『普遍性』は大きな容器としてイメージされてきた。その中に全ての人々が入り、中では全ての葛藤や差異が中和される容器として。だが、今日ではどんな大きな容器でも、嘘臭さから逃れられない。誰もが保護を受けられるはずの『人権』という容器の名の下で、戦争や迫害がなされうる。このとき、ナショナリズムのような小さな容器の方が『真実』に感じられる、というわけだ。しかし真の〈普遍性〉は容器ではない。むしろ葛藤そのものに内在しているはずだ。
 『私』と『他者』との差異を中和する、共通の『普遍的ルール』がなければ他者に接近し、交渉をもつことができないと考えられる。これを逆にしてしまうのだ。他者が、まさに他者である限りにおいて接近ししまうこと。
 例えば?相手がタリバーンであるか否かなどに拘泥せず近づき、アフガニスタンで一緒に井戸を掘り続ける医師・中村哲氏の活動のようなものを念頭においている。」と。
 全文を揚げないと、分かりづらいでしょうね。また、難しい文章ですから、真意を汲み取るとの大変です。
 一昨年だったか、塩尻で彼の話を聞いた後の宴会のとき、汎用性のある親指シフトのソフトのあることを、それも無料でダウンロードできることをお聞きして歓喜雀躍しました。
彼も「親指シフト」の愛用者だったのです。小生は、いままで、親指シフトキー配列の本家・富士通からしかパソコンを買うことができませんでした。ところが、どの機種にも対応しているソフトがあるというのです。さっそく、ネットで検索して、「親指ひゅんQ」をゲットしました。
 親指シフトキー配列は、ニコラ配列というらしいのです。これは、基本的に仮名入力ですけど、親指キーを押すか押さないかで、ひとつのキーでふたつの仮名をうち分けることが可能です。ワープロ競技では、この配列がダントツ一位を取っていました。ブラインドタッチにはもっとも適している、さらに日本語入力にはもってこいの配列なんです。これにめぐり合わなければ、とても本なんか書けるもんではありませんでした。大澤さんのお蔭なんです。新聞を見ていて、そっちのことばっかり思い出していました。
 
 そろそろ本題に戻りましょう。結局、彼が言いたいことを煎じ詰めると、自分の観念を横に置いておいて、まず他者と出会ってしまえということらしいです。相手がタリバンだろうと、米兵だろうと、まず出会ってしまえということになるのでしょうか。もっとそれを卑近なところまで引き寄せると、「ご近所」ということにまで引き当てられましょうか。ご近所のひととも満足に出会っていないのに、タリバンと出会えるのかという疑問を感じました。遠くの他人とは出会えても、ご近所という厄介な空間は難しいかもしれません。彼は、「『普遍性』は大きな容器としてイメージされてきた。その中に全ての人々が入り、中では全ての葛藤や差異が中和される容器として」と書いています。これはよく分かります。地球はひとつ、世界はひとつだという観念を教育されていますから、その中で私たちが暮らしているということはよく分かります。でも、それは人類共通の観念とはなっていないのでしょう。地動説が出るまでは、天動説を信じていたのですから。人類の歴史からみれば、たかだか何百年前に地動説を受け入れたにすぎません。地面が動くなんていうことは、まず考えられませんからね。
 おそらく、地動説を受け入れたときに、普遍性というような観念が成り立ったのでしょう。その普遍性の原理がどれも嘘臭く感じているという時代状況が確かにあります。だから、とりあえず他者と出会ってしまえといくわけです。
 私は、「視座包摂論」とかいって、仏教の考え方を出しています。ごく簡単に言えば、他者と決定的に断絶して孤に帰ったとき、ひとはおのずと他者を愛し受け入れるということです。孤という絶縁の場所をはずして、他者へと動くはずはありません。山へひとりで入ったときの経験です。山中深くでひとに出会ったら、ホッとするのです。それがどんなひとであろうと。人間であるということに、これほど安らぎを感じるのかと思えるほどです。自分でもあっけにとられるほど、ひとに飢えていたのでした。
 だから、徹底して孤に帰るという修行を続けなければ、他者は見いだし得ないのではないかと思っています。
 ちょっと、好きなことを書いて、論旨もグニャグニャしていますが、下痢のように、取り合えず、排出してみました。
 

2007年9月09日

「地獄」は自分のこころの中にしかない。
と、思いました。星野富弘さんが、事故に遭って、自暴自棄になっているところから、起死回生しますね。そのときの言葉に、たしか「不自由と不幸は結びつきやすいけれども、それは決定的に違うんだ」というようなことを言ってました。
 彼は事故に遭ってから、首からしたが、まったく動きません。それこそ、不幸のドン底にたたき落とされるわけです。なんでこんなことになったんだ!こんなことなら死んだほうがましだ!と思うわけです。でも、そこの地獄から這い上がる転機がやってきます。それが、「不自由と不幸は違う」という気づきです。たしかに日常生活は、他人の介助なしには生きられないのですから、不自由きわまりないわけです。でも、それは不幸ということとは違うというのです。不幸というのは、人間の観念が作り出した地獄なんです。だれもそれが不幸だなどとは、言っていないのです。自分のこころが、自分の身体を見て、不幸だとレッテルを貼っているだけです。
 そんな地獄は自分のこころが生み出したものたんだと、彼は悟ったはずです。それで、不自由と不幸は違うという表現が生まれたのでしょう。
 他にも「動けるひとが、動かないでいることには忍耐が必要だ。でも、動けないものが動かないでいるのに、忍耐など必要だろうか。」というような言葉も残しています。これも悟りの言葉でしょうね。
 要するに、地獄は自分が作り出して、自分を縛っているだけなんです。実は、胸先三寸のことなんです。

2007年9月03日

今日は、論註の会があり、専福寺(新宿6丁目)まで行きました。新宿線の曙橋駅から、徒歩で15分くらいかかります。それも軽い上り坂です。道すがら、街路樹や、住民の方々の鉢植えが置かれていました。
 別になんとはなしに歩いていたのですが、そこに咲いている草や花が、それぞれ私に訴えかけてきたように感じました。ユリの花弁は落ちてしまっているのですが、葉っぱの付け根のところにタネらしき黒い固まりをつけていました。なんでこんなところにタネつけるのかなぁ?と思いました。さらに、まるで黒っぽいサボテンのように硬い茎の先端に、紫色の、これも硬そうな花弁の植物がありました。近寄ってみると、すごく花弁が硬そうです。ちょっと見ると、枯れているように見えて、実は、幾重にも花弁が規則正しく並んでいて、とても美しいのです。バラのような並び方です。サボテンのような長い茎の先端に、ひとつの紫のバラがついている感じです。これも不思議な感覚でした。
 まるで自己主張がないのです。目に飛び込んでくるような鮮やかさはありません。よく見ないと、花であることも分からないような、健気な植物でした。たぶんこれにも名前があるんでしょうけど、もう名前なんかどうでもいい感じです。
 街路樹を見ると、すでに青々としたタネをつけていました。どの花や木をとってみても、これはお手上げだと感じました。とても、人間が作り出すことのできない秩序で生きていることに圧倒させられました。
 これには脱帽だと感じたら、新鮮な気分がやってきました。人為を入れ込む余地のない圧倒力です。こういう圧倒力に、たまにはぶっ飛ばされたほうがいいです。ぶっ飛ばされて、いい気分になれるんですから、やはりMでしょうか。
 東大島駅から駐輪場で自転車を受け取り、走って帰宅しました。駐輪場の「一時利用」ができるようになって、とても便利になりました。また、駐輪場ではたらくおじさんがとても気分のいいひとたちです。行きには「いってらっしゃい」、帰りには「おかえりなさい」とか「お疲れさまでした」とか、とても丁寧な対応をしてくれるので、気分がいいです。
 風を切って走る自転車が好きです。なんともいえず、いい気分で走ることができました。もっともっと走っていたいのですが、そういうわけにもいきません。
 ペダルを漕ぐとき「生きてる、生きてる」と、あたりを見渡しながら、口の中で言っていました。木も花も、スズメも生きてる、猫も生きてる、そして自分も「生きてる」と。二度と演じることのできない、そして二度と繰り返すことのできない、〈いま〉を生きてる。

2007年9月02日

〈自分〉が分からんということだ。
〈自分〉を知っているようだけど、ほんとうは〈自分〉なんて知らないんです。たとえ知っていると思っていても、それは「自分についての知識」だけです。それ以外の〈自分〉は知らないんです。知らないにも関わらず、〈自分〉を知っていると思い、〈自分〉はあると思い込んでいるんです。
 女房といっしょに歩くとき、「そんな服装はやめて」とか言われます。仕方なく、「これでどう?」とかチェックを受けて、合格すれば出かけることになります。ダメなときには、女房が「これ」とか言われたものを着て出かけるわけです。
 自分はこれでよいと思っているんですけどね。だって、誰が見ていようと、いいんじゃないのと思うわけです。だいたい、自分が自分の服装を見ているわけではないのですから。別に恥ずかしいとも思わないんですけどね。自分が見えるようになっていれば、そこに比べるこころが起こってきますから、恥ずかしいという思いも出てくるんでしょう。
 自分が自分を知っていると思っていると、どうも恥ずかしいんじゃないですかね。自分にとって〈自分〉は不可知だと思っていれば、それはまたそれでよいと思うんです。
〈自分〉を知らないほうが幸せだと思うんですけど。
 さらに、ひとが生きるということは、芸術だと思っています。そのひとにしか演じることのできない今日を生きているんですから。寿命の長さとか、ひとの評価とかは別次元にひとの生きるということはあるんでしょう。比べられないいのちが展開しているのです。ですから、目的があって生きているんじゃないのでしょう。芸術は目的があったらウソです。分からないけど、感動しながら、そのことに引っ張られて創作活動が始まるんです。人生も、大きくみれば創作活動でしょう。自分にしかできない「生きる」という芸術を行っているんでしょう。一回こっきりの、同じことが二度とない〈いま〉といういのちを演じているのです。
 道を歩いているひとがいても、みんな歩く格好も速度も違います。そのひとにとって、ぞれが芸術の創造です。形に残らない芸術です。それがまたいいです。形に残るものだけが芸術ではありません。
 一番よい例が、料理です。料理はどんなに時間をかけたとしても、最後は無になります。食べられて無になることを目的としているのです。無になることを知っていながら人間は料理を丁寧に作るわけです。無の最高芸術が料理でしょう。料理を作るひとは、それを食べた人間が、「美味い!」という声を出してくれたら、それで満足なんですね。それで消えてしまっても満足なんです。いつまでも残しておきたいという卑しい欲望が消えるのです。
 料理は、色・味・造形・熱・香・舌触り・歯触り等、とても微妙なものです。絵画は色だけでしょう。でも、料理は複雑です。さまざまな要素が調和して、ようやく完成するものです。素材のオーケストラが料理でしょう。これは最高芸術ではありませんか。

2007年8月28日

自分がこんなに苦しんでいるのに、どうして世間は、そんな私に無関心で、いつもと同じように平々凡々とした暮しをしているのだろうかという思いに駆られることがあります。
 葬式の場面ならなおさらです。自分にとってかけがえのないひとが亡くなって絶望しているのに、世間は、あいもかわらず、どこのスーパーの肉が安いとか、明日は雨が降るでしょうとか、ありきたりの日常を展開しているのですから。ますます、絶望感が拡大してしまいます。
 「自分にとって」ということと、「世間にとって」ということは、位相が異なっているようです。「自分にとって」をミクロコスモスと表現すれば、ミクロコスモスに閉じこもろうとするこころが、私たちには必ずあります。これは、他人には推し量ることのできない閉じた世界です。
 仏教の言葉で連想すると、「胎宮」です。胎は、お母さんのお腹の中、宮は宮殿・城です。ですから、お母さんのお腹の宮殿、つまり子宮ですね。幼稚園児に、大きくなったら何になりたい?と尋ねたとき、「お母さんのお腹の中に帰りたい」と答えたそうです。これは、お母さんのお腹の中の快適で安心できる世界が欲しいという願いの表れです。子どもにとっても、大人になるということの大変さが、ジンワリ伝わってくる答え方です。将来、生きることが大変だ、大変なことは嫌だ、安楽に生きたいということを、幼子が感じるのですから、時代は大変なところへ来たのです。
 ますます人びとの意識が「胎宮化」していくことが考えられます。胎宮は、快適な場所なのですが、それがつぶされそうになると大変です。ミクロコスモスが反逆心と結びつくと、マクロコスモスを攻撃しようとします。攻撃まではいかなくても、世間に対して怨みを感じるようになるのです。(かつて連合赤軍が、追い詰められて山中に逃れたとき、内部の粛清が行われたのも、そういう力学があったからでしょう。組織が閉塞して内向化するとき、その怨みが外部に攻撃性として現れると同時に内部に攻撃性を向けるのです。)
 どうして怨みが起こるのかといえば、かつてマクロコスモスに受け入れてもらえなかったからです。それは冒頭で書いたように「自分がこんなに苦しんでいるのに」、世間は無関心であったということへの怨みでしょう。ですから、世間の同情が欲しいし、悲しみを分かってほしいのです。
 葬儀に大勢の参列者が来ると、「いい葬儀だったね」という感想を聞きます。会葬者の多少と葬儀の質は無関係じゃないかという感情も小生にはあるのですが、しかし、大勢のひとの同情が集まったということは、世間が、自分の悲しみに同情し共感してくれたという嬉しさなのかれしれません。そういう意味では、世間の承認・受け入れということが、ミクロコスモスの安定には不可欠なのでしょう。
 胎宮に話を戻すと、親鸞浄土教は、その胎宮から出て行って、親子の名のりをすることをテーマとしています。この場合、子宮は、仏さんの子宮です。子宮の中にいたのでは、親子の対面はできません。そこで、出産をを経て親子の出遇いをするわけです。子宮の中にいれば、一なのですが、もともと一であれば、一である必然性もありません。一から二に分離することで、一を証明していくという一なのです。出産を経て、親と子と分離することで、一を体感していくわけです。
 分離は、辛い経験です。快楽の場所から追い出され「失楽園」するわけですから。しかし、エデンの東で、泣きながら生きていくしかないわけです。でも、その涙は、ミクロコスモスとしての孤独な涙と同時に、その孤独を慰めようとする如来の涙でもあるのです。慰めは、世間の承認だけでは弱いです。絶対項(如来)からの慰撫がなければ成り立たないと思います。
 

2007年8月25日

最近、耳が遠くなってきたようです。テレビの音を自分の聞こえるレベルで見ていると、家人が部屋に入ってきて、「なんで、そんなに大きな音で聞いてるの?」と問われます。自分にとっては、さほど大きな音とは思えないのですが、ひとにとっては大きな音のようです。それで母のひと言、「あんたも、年取ったねぇ!」。いかにも、自分が勝利したとでもいうように、高らかに言い放ちます。不本意ながら自分が引きずり込まれた老人の段階に、お前も入ってきたのだと、言わんばかりです。最後に「ざまぁみろ!」という無言の声が隠れています。
 これが一対一なら、まだよいのですが、多勢に無勢になると、やはり小生の耳が遠くなったという結論になりました。
 ひとの冗談が、聞こえなかったときなどは、ひどいもんです。家人同士が、冗談か何かで笑っているときに、「ねぇ、なんで笑ってるの?」と、聞き返そうものなら大変です。「説明したら、そんなの全然面白くないよ!」と一蹴され、寂しい気持ちでオズオズと退散するしかありません。
 老いるということは、どんどん他者と隔絶させていく寂しさなんだろうなぁと思います。やがて、「どうせ、話しても聞こえないから、あんたに喋るのやめとこうか」と思われるようになり、その寂しさは加速度的に増していくことでしょう。
 伯父夫婦もお互いに耳が遠いようで、お互いの会話を家人が聞くと、怒鳴り合っているようだと言います。また、電話に出ても、相手の声が聞こえないので、電話番も出来ないそうです。
 でも、自分は大きな声で話しているのに、何で相手は無視するんだろうと、妙な勘繰りが生まれてきてしまうと、もう地獄になってしまいます。相手に対する甘えを夫婦の成り立ちとしていますから、こういう行き違いはどんどん悪化していくことでしょうね。
 こうなってきたら、もう、人間と会話することは諦めて、やはりどんどん仏さんと対話する方向にいかなければなりませんね。これはひとりで成り立ちますから、それで満足していくしかないでしょう。もし、対話する仏さんがいないということになったら、それこそ絶望的です。
 私には対話する仏さんがあったということが生涯の幸せだと思います。孤独になって大いに結構です。みんなから仲間外れにされても、孤独になっても、なんの問題もありません。
 「ひとりいて安楽」というのが仏法の味ではないでしょうか。そんな老人をひっぱりだして、みんなと歌を歌わせてみたり、お遊戯をさせてみたり、余計な手出しはしないことです。
 みんなもっともっと孤独になりましょうよ。

2007年8月
22日

猛暑が続き、電力不足の危険があると、報道されいます。実は8月16日から18日にかけて、千葉県沖が震源の地震が多発していました。明け方に地震によって起こされましたね。思い出しましたね。
 聞くところによると、大正12年の関東大震災のときにも、このような群発地震が続いたというのです。さらに、猛暑だったということも聞いています。不確かな民間伝承がどの程度のものかは分かりませんけど、なんだか不安な気持ちにさせられます。もしや関東大震災がやってくるのではと、予知したいところです。でも、それが確定できないので、いかんともしがたいわけです。相変わらずの日常を、演じなければなりません。
 月末には、毎年のように関東大震災がニュースで取り上げられて、また防災グッズが売れるという、お決まりの日常に化していますからね。
 そうそう、那覇の中華航空(ボーインク737)の機体炎上事故は、大変でした。どうせ、セコハンの機体を使っていたんだろうと思っていたら、新車だったようです。やはり、点検もさることながら、製造段階の問題ではないかと素人判断では思っております。ボーイング社は、製造に問題はなかったといってますけど、どうして調査もせずに、そんなことが言えるんだ!と呆れてしまいました。
 それにしても、翌日には事故機の腹に大きく書かれていた、「Air China」のロゴが、真っ白に塗られていたという、この覆面作業には驚きました。そんなことが、可能なのか?と、不思議に思いました。
 1988年だったか、名古屋空港で墜落事故を起こし大惨事と大損害を負って、ようやく立ち直ってきた会社だから、この不祥事で再び大損害を受けたくなかったのでしょうね。それにしても、この速さにはどんなテクニックが隠れているのか、暴き出されるのを待つことにしましょう。
 ともかく、飛行機がなぜ飛ぶのか?ということは理論上は、分かっていないようです。あくまで仮説だそうです。揚力がどうして、あの重たい機体を持ち上げるのかは分からないようです。でも、経験上は、飛ぶんだから、それでいいじゃないかということになっているようです。
 仏教には五不思議という言葉があります。1、衆生多少不思議、2、竜力不思議、3、業道不思議、4、禅定力不思議、5、仏法不思議です。
1は、日本ではひとは年間、百万人くらい死んでいるらしいのですが、生まれる人間もあって、不思議と一定量を満たしているということの不思議です。2、これは自然現象の不思議です。雷や洪水や干ばつなどの不思議でしょう。3は、人間の性質は死ぬまで変わらないということの不思議でしょう。これは小生の解釈ですけどね。4、これは宗教体験の不思議さでしょうね。5が、もっとも不思議だというのです。
 これは、救われるはずのない自分が救われる不思議とでもいえましょうか。もっといえば、仏法の不思議は表面上は、なんの変哲もない、ごく在り来りの出来事を不思議だなぁと転じていただく不思議感です。ですから、最初から不思議だというのが表面上にはむき出しになっていません。しかし、その変哲もない日常を、実は不思議だなぁと転じていただけるところに感じられるものです。
 この転じるというのが、ミソなんです。どうぞ、転じてみて下さい。
 「静かさや 岩にしみ入る、セミの声」は芭蕉の俳句です。これって、ほんとはものすごくうるさい中で書いているんですよね。たしか。うるさいという現象を、「静かさや」と転じて感じるところに、妙味があります。
そうはいっても、この暑さは、いかようにも転ずることが不可能ですけどね。だから、ビールでも飲んで、暑氣をひととき忘れるのも、「転ずる」ことの何分の一かは、感じられるように思います。熱中症には、お気をつけ下さい。

2007年8月
13日

「『うーむ。した勉強じゃなぁ。させられた勉強でなけにゃ』と言われた。」
(『坊主は乞食だぞ』(樹心社)林 暁宇)
林暁宇先生が4月29日に亡くなられました。お住まいの後片付けの最中に発見された原稿を出版されたそうです。それが『坊主は乞食だぞ』です。
その中に光っていた言葉です。
暁烏敏先生が、蒲地暁青さんに対して応答した言葉を林先生が、傍らで聞かれた言葉だそうです。ちょっとその様子を引用しておきます。
「暁青兄が自分の無学を反省して、『僕はもっと勉強せんならんと思います』と言うと、『うーむ。した勉強じゃなぁ。させられた勉強でなけにゃ』と言われた。」とあります。
 ここに「した勉強」と「させられた勉強」という言葉があります。「した勉強」というのは、自分が学びたいと思う学びの主体になって勉強した学問のことでしょう。しかし「させられた勉強」というのは、自分は客体となっている。だから、させられるという受け身となり、教えられた学問のことでしょう。この違い、微妙です。
 学ぶということは、「知りたい」という知的欲求が最初にあります。知識が増えていくことは喜びでもあります。分からないことが分かるというのは、喜びです。
 しかし、仏道の学びは、最初の喜びが枯れていくものなのです。自分が知りたいという関心だけでは、必ず停滞し無感動に変質していきます。しかし、やがて、引きずられるようにして仏道を学ばされるということになったとき、初めて、それは生き生きとしたものになってくるのです。
 ですから、知りたいという欲求では、究極までは届かないと思います。いやいやながら、あるいは、逃げたくなるようなところまで追い詰められて、しかし、そこから逃げることもできず、引きずられながら歩まされるというのが、仏道の学びです。
 また「させられた勉強」というのは、いつでも無知ということと繋がっています。どれだけ知識を蓄えたとしても、その本質は無知であるということです。ですから、いくら知っても、その本質は無知、つまりは無駄だということなんです。
 記憶は脳のどこに蓄えられるのか。これも目には見えません。どれだけ勉強したとしても、それはまったく見えません。でも、「無知と繋がっている知識」と「繋がっていない知識」とがあるだけです。「知っている」ということは、人間の世界だけのたわごとです。
 花や木は、そんなことは無関係です。でも、花や木と繋がっていない知識は、それこそ無駄というものです。
 ですから、無駄だとじゅうじゅう知りつつ、それでも何かを知っていくのが人間のサガというやつです。新聞は、何回も校正して、やっと文面ができあがるそうです。しかし、昨日の新聞は誰も見向きもしません。これほどの徒労もありませんね。古新聞は、ごみ箱に敷かれて、ゴミといっしょに捨てられるのです。それでも、日々、丁寧に一字一句間違いなく新聞はつくられていくのです。この徒労も不思議なものです。まさに、大いなる無駄なのかもしれません。
 どこに向かって人間は、表現しているのでしょうか。誰に向かって表現しているのでしょうか。
  

2007年8月10日

現在、仮住まい生活をしています。そこには若干の庭(といっても、かつて大家さんが住んでいた家で、もうまったく手入れがされていないのですが)があります。藤棚があり、松と笹が生え、名前の分からない植物たちが生えています。
 こういう人間以前の、つまり人間がつくることのできない植物を前にしていると、やはり「他力の現事実」をまざまざと感じざるをえません。
 どこにも人間の人為を介できません。なぜ松は松なのか、笹は笹なのか。不思議です。
 そこから自分の日常の姿を、眺めてみると、これもまた「他力の現事実」にほかなりません。
 過去も未来も、そしてそれらによって成り立っている〈いま〉目の前にしている「他力の現事実」、これもどこにも文句をつけることができません。
 ですから、「さぁこれから他力を獲得しましょう」というスローガンは撤回させられてしまいます。「他力の現事実」は生々しいので、そこに人間の人為を介入させることができないのです。
 この目の前に展開する、ごくありふれた日常、それこそが「他力の現事実」なんですが、そのことに驚嘆し、唖然とし、呆然とするより他ありません。
 ですから、真宗が何をいいたいのか?、何を伝えたいのか?と問われても、この「他力の現事実」に驚いて下さいとしかいえません。
 「なんだ、そんな簡単なことか」と呆れられてしまうのですが、それ以外にないじょう。浄土真宗のお盆の迎え方をたずねられても、一番の根本はそういうことなんで、まったく教えることができないのです。作法ですから、「ああせい、ここせい」というマニュアルはあるのですが、それは何のためのマニュアルかといえば、そのこと以外にないのです。ですから、「それでは、精靈棚に、茄子やキュウリで馬はつくらないんですね?」とたずねられれば、「そうですよ」と答えるんです。でも、それで「いいか?」と突き詰めていけば、それは入り口であって、その奥にはそういう秘儀が隠されているのです。
 ですから、いつでも小生は「他力の現事実」の前に立たされているといってもいいのでしょう。後は、すべて人間の能書きです。それをどう評価するかということはね。
 まず、「他力の現事実」に驚嘆し、呆れ返ってしまうということが、基本なんですね。そのことを抜きにしたら、すべて無意味なんです。浄土真宗といってもね。
 今日も、暑いですけど、いまだかつて生きたことのない「未知」の時間が、刻々と展開しています。さて、どんな「未知」が待っているのか、ワンダーランドへ旅立とうと思います。

2007年8月4日

なんとも暑い日が続きます。
 寺の工事は、8月7日に上棟式を迎えます。しかし、間に合うかが…心配ですが。
 仮本堂には、宮戸道雄先生の問いかけを掲げています。
「有り難う」の反対の言葉は?
と。
 法事にきたひとたちで、答えを教えてくれと聞く人が多いです。
「ありがとう」は、サンキューの代わりに使っています。よく日常でも使う言葉です。でも、反対の意味は難しいですね。
 漢字にすると、「有ること、難し」です。つまり、「困難な事がいま、ここに起こっている」「ありうべからざることが、いま起こっている」という意味です。何が起こっているかというと、〈いま〉という生です。〈いま〉という時間です。これこそが「有ること、難し」ということです。
 ほんとうは無かったかもしれない〈いま〉をいただいて生きているのが私です。
 今日の法事では子どもが六人もやってきて、ザワザワ、ワヤワヤ、キャーキャーと賑やかでした。法事だといっても、子どもですから静かにするはずがありません。それでいいのです。大人も、みんな通ってきた道ですからね。騒いで大いに結構です。
 あの子どもたちも、誕生には、感動があったはずです。子どもが生まれるときには、健康で生まれてくれ!と願ったものです。妊娠を知らされたときにも、あの不思議感がありましたが、出産ということも不可思議そのものです。でも、子どもが生まれてどんどん成長していくと、あの不思議感が減少してきて、当たり前になってしまうんですね。もう、老齢化していくと、ほとんど生きていることに感動を覚えないほどです。
 まぁ、問題の答えは「当たり前」なんですけど、これが増えると人間はだんだん無気力・無感動・無関心になっていきます。息をするのが当たり前、ご飯を食べるのが当たり前、歩けるのが当たり前、話せるのが当たり前、寝られるのが当たり前、当たり前が増えると、生がしぼんでいきます。あなたの生活のなかの「当たり前度」は何パーセントでしょうか?その反対語である「ありがとう度」は何パーセントでしょうか?「ありがとう度」が多いほど、そのひとの生は輝いているはずです。
 そんなことを、門徒の人に投げかけてみたら、「感謝して生きなさいということですね」と答えられ、ちょっとちがうんだよなァと感じました。「感謝して生きなさい」というと当爲になってしまいます。それは違うんです。
 有ること難しということを忘れはて、いつでも、ものごとを当たり前にしている自分が教えられるということで十分なんです。感謝なんかいらないんです。でも、したければしていいんです。
 「感謝していればこそ」とおっしゃるかたもいますけど、「感謝」なんて呑気なことをいっていられなくなるのが信仰です。
 まあ、真宗でも「報恩感謝」なんて言うんですけどね、あれってどうもウソっぽいですね。感謝を目標にしたとたんに、感謝の真意からズレてしまいます。感謝は内面にチラッと感じていればよいので、それを行動に表す必要はありません。また表せませんよね。
 とても、「有ること難し」という事実から、遠くに隔たっている自分の姿がありありとしすぎてね。そういう事実から背いているということだけは感じられます。まぁ、「背いている」と表現すること自体が傲慢というものです。だって、背いているということが分かるということは、真実を計っていることですからね。如来からの距離を自分で計っているということですからね。
 まったく、なんでもない日々、たわいのない日々を生きるということが、信仰生活なんでしょうね。いつも、いつも、如来に負けっぱなしでいくしかありません。

2007年7月26日

ここのところ、通夜葬儀の連続で、いま平塚から戻りました。
 ひとの死に出遇うと、やはり、なみなみならない「人知を超えた〈いま〉」を生きているんだと、あらためて思いました。何げない日常そのものが人知を超えているわけです。予測通り、思い通りに動いているように見えて、それは表層のことです。それを支えている深層は、すべて人知を超えています。
しかし、実感としては「ついに行く道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思わざりしを」ですね。
 事実は、人知を超えているのに、今日がいつまでも続くように錯覚しているのです。人間の思いというやつは厄介です。いつでも、この「思い」というやつに騙されて、「思い」に躓き、悩まされているのです。
 まったく仕様のないありさまです。だから、バチが当たるのは当然なんです。バチが当たるようにして生きているんですから。でも、バチが当たったときは、浄土の門が開くときでしょうから、そう悪いことばかりじゃありません。
 失敗やトラブルがあって、そのたびごとに、ひとつひとつ学んでいけるのですから、これも味わいです。失敗やトラブルをも楽しんじゃうという余裕が、仏道ではないでしょうか。失敗をする自由、トラブルを頂く自由も確保しておきたいものです。
 

2007年7月22日

何年かぶりの山形でした。福島までは、ほぼ直線の退屈な車中ですが、福島から米沢へと峠に分け入っていくところが、いつもワクワクします。ここからは、在来線と同じ軌道を通るので、スピードも落ちますから、景色が十分楽しめます。切り込んだ溪谷を流れる川や、山々の緑に包み込まれていきます。
 この峠を超えると電車は、山形盆地に入っていきました。
 山形では、すでにサクランボの収穫が終って、サクランボ農家もホッとしているところでした。今回、夏期講座に参加された門徒の方々も、サクランボ農家が多いといわれていました。
 今回お話をしていて、「仕方ない・仕様がない」という言葉がふっと浮かんできて、話していました。この言葉は、落胆したときに使う言葉ですが、とても意味深長な言葉ではないでしょうか。この言葉をどんどん深めていくと、そこには、必ず人知を超えた出来事に出会っているということが見えてきます。
 手から滑って、茶碗を割ってしまったときも、あやまって人を傷つけてしまったときも、そこには人知を超えた出来事が展開しています。その人知を超えた出来事に出会ったときに「仕様がない」と、ひとは言うのでしょう。
 そこには、人知を超えた出来事を受け止めている世界があるように思いました。
 そして、それはあやまってしでかしてしまった失敗ばかりでなく、〈いま〉という時間が成り立っている根拠が、やはり「仕方のない」ことではないかと思い至りました。普段から「仕方のない」ことの連続なんですけど、それを日頃は忘れているということでしょうか。
 人知を超えた出来事が、日常なのではないでしょうか。その人知を超えた出来事に出会ったときには、あきれ返ってしまうしかありませんなぁ。これは「白昼の死角」ですなぁ。そのことに気がついたときにはいつでも、人知を超えた〈いま〉であると、驚嘆しましょう。
 米沢へ向かう車窓から、緑一面の山々が私を包み込んでいきました。

2007年7月17日

今朝、プロバイダーのODNに接続して、オペレーターと相談し、ようやくホームページの修理を終えました。
 どういうわけか、インデックスの容量がゼロになっていました。だから、みなさんが探してもトップページが見つからないという症状になっていました。原因は、分からないということに結論しました。
 ウィルスなのかどうか、それすらも分かりません。出てきた症状をひとつひとつ修復していくことしか方法はないようです。なんとなく不気味です。
 パソコンも、ホームページもしょせんは機械なんですけど、機械が人間的な要素を生み出すので、不気味なんです。
 今回の中越沖自身という大地の震動も不気味ですね。台風や雪なら目に見えるけど、地震は目に見えないから恐いんだと被災された方が語っていました。その通でしょうね。
 明日は我が身だと、いつも東京では思っているんですけど、なぜか高齢化と過疎化という末端のところが被災するのは納得いきません。東京の加熱した高慢を、恥じています。

 明日から、山形へ行きます。
 ものすごく格好よくいうと、「如来が主、私は客。仏法がはたらくための素材となれたら」と、近頃思うようになりました。
 よく父が、教団のためとかいって出て歩いているけど、病気になったって教団はまったく面倒みてくれないんだぞと言っていたのを思い出します。その通りだと思います。別に教団のためとか、名声のためとか、利益のためとかでやってるわけじゃありませんから。何のためなのかといえば、仏法のためということになるんでしょうね。
 向こうから見れば、命がけでやっているといわれることもあります。こっちから見れば、呑気だからやれるんだといわれることもあります。あっちから見れば、物好きだからやれるんだといわれます。家人からは、うちのことをほっぽらかして出て歩いてばかりいて、と非難されもします。
 でも、その仏法のためという、仏法が分かりませんからね。それはいつでも自分にとってはXです。謎なんです。ゼロであり、無限である何かでしょうね。その何かに賭ける醍醐味でしょうかね。

  2007年7月
14日

更新画面が真っ白で、因速寺のホームページが見られませんと門徒の方から教えて頂き、さっそくチェックすると、たしかに真っ白でした。
 どうして、こういう症状になったのか?サッパリ分かりません。だれか助けてくれませんか!

2007年7月11日

昨日の「仏教各派に学ぶ−入門講座−」は、浄土宗のお坊さん・佐藤雅彦先生のお話だった。
 見るからにお坊さんらしい、丸まるとして、テカテカした、さらに優しそうな目をした、そのうえ、声のいい坊さんでした。
 「逆境を生きる智慧−−浄土宗祖・法然上人から学ぶ−−」というテーマです。法然上人の略伝を語られ、法然の思想の特徴を「選択」と押さえました。
 そうそう、これ「選択(せんたく)」と世間では発音しますが、浄土宗では「せんちゃく」といいます。ちなみに真宗では「センジャク」と濁って発音します。面倒くさいことですが…。
 法然は、どの教えもみんな素晴らしいのだが、自分自身の人間性を考えると、時代と人間にピッタリフィットしているのが『無量寿経』であり、愚かな自分にとって合っているのが「浄土宗」だと受けとめたといわれます。
 そして普遍的救い、つまりいつでもだれでもが救われるという課題を抱いて比叡山を下り、吉水に念仏道場を開きました。それをねたんだ聖道門各派によって、弾圧されたということです。
 建永の法難のとき、後鳥羽上皇の逆鱗に触れたのが、上皇に仕える女官、松虫・鈴虫の浄土宗への出家です。法然の弟子だった住連・安楽というお坊さんの六時礼讃というお経の声が素晴らしかったそうです。先生は、ひと節、六時礼讃をうなってくれました。この声の素晴らしいこと。うっとりするようなお経の声でした。これなら、松虫・鈴虫もいちころだなと思いました。
 さっそく「六時礼讃」を全部聞きたくなり、アマゾンやグーグルで検索しましたがCDは出ていないようでした。もしだれか、テープでも知っているひとがあったら教えて下さい。
 それから、浄土宗の大切にしているのが「口称念仏」だといいます。口で南無阿弥陀仏と発音する念仏のことです。それは法然の「愚痴に還る」思想から来ているともいわれました。
 さらに面白かったのは、いまでも「現当二世の利益を頂く」という表現でした。つまり、現当というのは、現益と当益のことで、現益は現在に頂ける利益ですし、当益とは亡くなるときに仏の来迎を頂ける利益です。
 これは真宗にはない発想でした。浄土真宗は、現生、つまり〈いま〉阿弥陀さんと直結する思想ですから、現益と当益を分けません。
 親鸞自身、「真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。このゆえに、臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。来迎の儀式をまたず。」と明言していますから、阿弥陀さんの迎えを頂くという発想はないのです。
 なんだか、あっけらかんと、「現当二世の利益を頂く」ということを、大まじめにおっしゃっているのを聞くと、エエーッ!と思ってしまいました。そこには、「機法の分際」がありませんし、さらに「現在と臨終」を分けてしまえば、〈いま〉の救いということが完結しませんからね。
 でも、先生はジョージタウン大学ケネディ倫理研究所客員研究員や大正大学などの講師もされている方で、さらに応用仏教学の立場から生命倫理にアプローチされているのですから、とても偉い先生なのです。
 まぁ、法然教学が専門ということでもないようですので、あまりあーだこーだというはやめにしておきます。
 まぁ、法然と親鸞は人格的には二つですけど、仕事はひとつだと小生は受けとめています。法然の教学を完成させたのが親鸞だという受けとめ方です。そんなことはない、法然ですでに完成していたのだとおっしゃるかたもたくさんいます。でも小生にはそうは思えないのです。
 最後に、先生は「一枚起請文」が法然教学の扇の要なのだとおっしゃいました。これは法然の遺言だといわれています。
 短いものなので、記しておきましょう。

「源空述
もろこし、我がちょうに、もろもろの智者達のさたし申さるる観念の念にも非ず。又、学文をして念の心を悟りて申す念仏にも非ず。ただ、往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思とりて申す外には、別の子さい候わず。但、三心四修と申す事の候うは、皆、決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う内に篭り候う也。此外におくふかき事を存せば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。
念仏を信ぜん人は、たとい一代の法を能く能く学すとも、一文不知の愚どんの身になして、尼入道の無ちのともがらに同して、ちしゃのふるまいをせずして、只一こうに念仏すべし。
為証以両手印
浄土宗の安心起行、此一紙に至極せり。源空が所存、此外に全く別義を存せず。滅後の邪義をふせがんが為めに、所存を記し畢。
建暦二年正月二十三日」

この傍線のところが言いたいところなんでしょう。ただ念仏せよと。法然は日課七万遍の念仏を称えていたといわれます。なぜそういう日常生活をしていたのか。それは、やはり念仏という行為を特別視していたからでしょう。まだ念仏が生活全体に溶けていなかったのではないでしょうか。
 念仏が生活全体に溶けていれば、木々が念仏している、猫が念仏していると受けとめられたはずです。自分は彼らの称えている念仏を受け取る、つまり聞くという態度になるはずです。小生にはそう思えます。
 でも、そう受け取ったときに、思わず南無阿弥陀仏と声に出ることには異存ありません。しかし、日課のようにしていたというのは、どうも頂けません。
 だから、いろんな念仏者がいていいのでしょうけど、小生は、「聞き取る念仏者」でいきたいと思います。念仏を称えているのは自分以外の全世界の環境、それが称えている念仏を聞くと。全世界が称えているということは、全世界が自体満足している世界だということです。全肯定されている世界だということです。無為自然の世界だということです。
 それに比べて、自分は全世界を全肯定できない存在です。どうしようもない自分です。そんな自分が全世界の念仏に、打ちのめされているのが念仏だと思っています。
 無言の念仏者というのもあっていいのではないでしょうか。
帰り道に、お店で岩牡蛎を食べたのが当たったのか、昨夜から下痢状態です(>_<)

2007年7月10日

ちょっと、すきを見せると、時間というやつは容赦なく過ぎ去っていきます。油断もすきもありません。
 7月に入ってから更新していないことに、あらためて驚きました。
言い訳→六月末、名古屋教区(一泊)へ出講、もどってきて、30日鸞音忌・臘扇忌の集い。7月1日法事。2日事業特別会計会議。午後から、六組育成員研修会。3日法事。歯医者。4日歎異抄の深淵第三弾の校正。5日〜6日教学館一泊研修。7日法事。8日、法事+新盆合同法要と、追われている感じで生きてます。
 言い訳なんか書いてもしょうがないんですけど、ちょっと、愚痴を吐きたくなったので…。同情を買おうという魂胆なんです。
 その都度、いろいろな場面で「つぶやき」に載せたいことがあったのですが、ちょっとそこまで手が回らないという有り様です。
 無量寿経には「不急のことを争う」という教言があります。まさに、そうだなぁと思います。急がなくてよいことを急いでいます。まったくこんなことで一生が終っていくんでしょうね。「余生」という言葉がありますが、余生といえば、いまからが余生なんだと思っております。
 別に急がなくてよいことを急いでいるんです。ひとには「人間は進歩もしないし、堕落もしない」と言っておきながら、自分のことは見えないものです。急ぐということは、急いだらどうにかなるように思っているんですね。ほんとうはどうにもならないことを急いでいるんでしょう。
 「急いでる、いまがあなたの、赤信号」という警察の標語がありました。まさにその通だと思います。それがじゅうじゅう分かっているのに、それでも急いでいる日々があります。
 流されまい流されまいとしながらも、流されていくんですね。いま、ふっと思い出しました。安田理深先生は「流されるんじゃない。あえて流れようという決意のが菩薩の精神だ」と語られていました。う〜ん、そうだなぁ〜と思います。
 スキーは、怖がって腰が引けてしまうと、コントロールを失って流されていくんです。あえて、勇気を出して谷側に体重をかけると、コントロールできるんです。あれと似ているなぁと思います。流されることを怖がっていると、流されてしまうんですね。あえて流れようと身を賭していくときに、自由に生きることができるようになるということでしょう。
 思えば、いつでも「不急のことを争って」いるのが日々です。いつでもいつでも、「零度」ですから、そこへ帰れればいいんです。善でもなく悪でもなく、行くのでもなく帰るのでもない、有価値でもなく無価値でもない、その「零度」へ帰れれば、またそこから何かが始まるような気がします。
 それはともかく、ワクワクするような何かをもっているかどうかです。日常に、なんでもいいですけど、ワクワクするような時間を持ちましょう。そういう何かを求めているのが私たちです。
 そのワクワクするような何かがあれば、苦しい娑婆を生きる、幾分かの意味はあるように思います。
 2007年6月
28日

あるひとは、私のことを真面目だといいます。でも、あるひとは不真面目だといいます。

あるひとは、私のことを差別的だといいます。でも、あるひとは分け隔てのない人だといいます。
あるひとは、私のことをファシストだといいます。でもあるひとは平和主義者だといいます。
あるひとは、私のことを明るいといいます。でも、あるひとは暗いといいます。
あるひとは、私のことを老けているといいます。でも、あるひとは若いといいます。
あるひとは、私のことを人間的だといいます。でも、あるひとは非人間的だといいます。

あるひとは、私のことを浪費家だといいます。でも、あるひとはケチだといいます。
あるひとは、私のことを太っ腹だといいます。でも、あるひとは器量が狭いといいます。

あるひとは、私のことを小心者だといいます。でも、あるひとは勇敢だといいます。
あるひとは、わたしのことを勤勉だといいます。でも、あるひとはグータラだといいます。

あるひとは、私のことを痩せているといいます。でも、あるひとは太っているといいます。

あるひとは、私のことをおおらかだといいます。でも、あるひとは神経質だといいます。 

そういう〈私〉って、いったい誰のことなんでしょうか?

2007年6月22日

昨日のBサロンでは、いろんなことが話し合われました。そうそう、かつてあるかたが、プライベートで天皇両陛下とお食事をされた話で盛り上がりました。テレビの印象とは違った天皇家の様子がうかがえて、みんな興奮しました。
 天皇制についての論議と、目の前にいるある男性・女性(両陛下)は、別次元にあることを強く感じました。考えてみれば、私たちもさまざまな文脈を生きているのですから、取り立てて感心することでもないのですけどね。しかし、天皇の社会的文脈と、一個の実存としての人間という文脈とが、あまりにかけ離れたところにあるので、落差が極端に感じられたのです。
 ひとつのエピソードとして、天皇は意外に食べる速度が早いというのが、印象に残っています。そこに一個の人間という実存のありようが、もののみごとに表現されているように感じました。
 さてさて、それから、テキスト(坂東性純先生の『道を求めるということ』)で、先生が念仏はソロバンの「御破算」だというのが面白かったです。ソロバンをしたひとは分かるのですが、すべての桁ををゼロに整えるために、「御破算で願いましては…」といいます。そういう効果が念仏だといいます。いろいろなわだかまりや悩みが、一気に清算されて、ゼロに戻されるという意味です。
 それも、自分が御破算に「する」のではなくて、自分が御破算に「させられる」という意味です。自分はあくまでも受け身です。
 悩みやわだかまりが、全部一気になくなって二度と起こらないかといえば、そんなことはありません。またいつでも起こってくるんです。そのたびごとに、念仏がはたらいて「御破算」にしてくれるわけです。
 いつでも、ゼロに帰してくれるわけです。その作用を念仏といってみたり、阿弥陀さんと言ってみたり、仏法といってみたりしているだけです。ものは同じです。
 それから、禅の沢木興道老師が、「何のために坐禅するんですか?」と問われて、「何にもならんから坐禅するんだ」といったのが面白かったです。坐禅をしていると、どうしても「している」いう自我意識が付着します。「した」という思いがでてきます。その自分がやった、自分がしたという自我意識を無化してくれるのが坐禅だという意味でしょう。 これは念仏と同じことです。念仏を称えたとしても、一向に役に立ちません。役に立ったら恐ろしいことです。役に立てようとする意識が破壊されるのが念仏ですからね。
 禅宗は座るのですが、真宗は、形を設けません。つまり、何をやっていても、それが念仏の表現だと受けとめます。何をやっていても念仏だというのは、一見素晴らしいように見えるのですが、実際にやってみると、これほど手応えのないものはありません。別に念仏を称えていないときであっても、それが念仏だということになると、念仏と念仏以外の生活との差異がなくなります。その差異がなくなると、人間はやりがいとか、意味が分からなくなるからです。
 でも、それが念仏の仕掛けなんですね。人間の考えている意味とか、やりがいを徹底して粉砕してしまうのです。そして、そこに「ただ在る」ということの神秘を開きます。人間の意識は、教雑物が多いのです。その教雑物が破壊されていくと、そこに現れてくるものが「ただ在る」ことの神秘です。
 破壊され続けていくことが、生きることなんです。それは確かな手応えのある生活なんです。
 真実というものから弾き飛ばされ続けていくからです。弾き飛ばされるという作用を感じ続けていけるからです。こっちに真実はひとつもありません。ただ弾き飛ばしてくる作用のところにあるわけです。

2007年6月20日

先日、品川水族館で、小生と瓜ふたつのひとを見かけました。ひげも同じところに生えてますし、どうみても小生のコピーロボットのようなのです。大きな水槽越しに、よく観察しましたが、これが似てるんです。写メールをとったのですが、うまく写りませんでした。仕方ないので、よく観察してみました。
 身のこなしかた、横顔、背中の丸まり方等、見ればみるほど似ているんです。そばにいた娘も気持ち悪がるほどに似ているんです。どんな声で喋るんだろうか? どんな人生を生きてきたのだろうか? 気になりました。よほど勇気を出して、会ってみようかと思ったのですが、それができませんでした。なぜ、あの時、勇気が出なかったのか、それが分かりません。
 とても気になるようでいて、でも、会うのが恐いような、妙な気持ちだったのを思い出します。不思議な気持ちでした。好奇心の強い小生としては、なおさら不思議なことでした。似すぎていると、近寄りがたい何かを感じるものなんですね。
 世界には自分と瓜ふたつの人間が三人いるそうです。そのひとりに違いありませんでした。よく、他人が「あんたにそっくりのひとを見たよ」という話は聞いたことがありますが、ご本人が「似てる」と感じるのはあまりありませんよね。もし、そのひとがこの文章を読んでいたら、会ってみたいと思います。連絡を下さい。(たぶん無理でしょうけど…)
 ひとというのは、基本的に他者に対する好奇心が強い生き物ではないでしょうか。相手を知りたいということが本能のように動いているようです。それは、長年つきあっている家族にしてもそうでしょう。相手を知りたいという欲求が底辺にあって、それで会話が成り立つものではないでしょうか。なぜ、相手に声をかけるのでしょうか? それは、相手のこころがどういう状態にあり、何を感じ、何を考えているのか知りたいという欲求があるからですね。
 「おはよう」であっても、「行ってきます」「お帰りなさい」「おやすみ」であっても、表面的に無意味な言葉なんです。
「おはよう」は、「早いですね」に「お」をつけているだけです。何時に起きても、朝の挨拶は「おはよう」ですね。他の挨拶でも、表面的にはたいした意味をもっていません。でも、その無意味な言葉が発せられないと、嫌な気持ちになるから不思議です。猿社会の間でやっている、マウンティングやグルーミングのようなものなんでしょう。
 だから、無意味が大切ですね。つまり、毎日あっているひとなのに、そのときに何か相手に言わなきゃならないという欲求がはたらいてきます。別段、毎日顔を合わせているのだから、何にも言わなくていいはずなんですけど、何かいうんです。言わないと妙な感じになるんです。
 その妙な感じがやってくる根拠は、おそらく「他者への関心」だと思います。やっぱり相手を知りたいんです。相手の状態を知りたいんです。それは相手も自分もいつでも変化しているからです。流動的なものだから、相手の〈いま〉を知りたいんです。
 その知りたいという欲求があって、次の段階で、「こいつに挨拶しても、ダメだな。だから声をかけないでおこう」とか、「どうせ無視されるのかなぁ」とかの心理が動きます。自分の「知りたい」という欲求が受け入れられれば、こころは安定します。でも、それが拒否されたり、すげない対応をされたりすると、怨みになったり、怒りに変化します。
 赤ちゃんが、安心しているときには母の一部に触れているときです。大人も同じなのかもしれません。他者の一部に触れたいと思って、いろいろな言葉を他者に発しているのでしょう。そして他者の一部に触れたときには、安心が訪れます。
 電車のなかにいるとき、全員知らない顔のひとです。この人なら話しても大丈夫そうだなぁと感じるのもいるし、こいつは知り合いになりたくないという感じのもいます。性別はもちろん言葉では表現できないような、感覚で、瞬時にえり分けています。
 それは考え以前の、まさに「業(ゴウ)」とでも呼べるようなもので、えり分けています。業の嗅覚ですかね。そうであっても、相手を、まず「見る」ということすら、好奇心の表れです。「知りたい」という欲求のあらわれです。
 自分の欲求に素直になれたら幸せだと思います。以前、学校の先生に「お坊さんって、みんな女性好きですよね…」といわれたことがあります。それに対して、小生は「いいえ、人間が好きなんです」と応答したことを思い出しました。


 2007年6月
13日

昨日、真言宗の山田一眞さん(金剛院院主)の話を聞きました。印象に残った部分だけ記してみます。
@「二仏中間(ニブツチュウゲン)」
二仏とは、釈迦仏と弥勒仏です。お釈迦さんが亡くなってから、弥勒仏が出現するまでの56憶7千万年の間、ひとびとを救う仏がいない。その間の救済を弘法大師(空海)はおこなっているというのです。ですから、高野山の奥の院では、まだ「入定」していると考えています。「定」とは、瞑想のことですから、衆生をたすけるために瞑想し続けているということです。
 ひとりでも悩める衆生がいたら、自分は仏には成らないという法蔵菩薩の精神と似ています。
A阿字本不生(アジホンフショウ)
 真言宗では「阿」の字を珍重します。「阿」はすべてのものごとの始まりを象徴しているそうです。もともとは梵語なんでしょうけどね。阿は「阿吽」のアですし、アルファベットのaでもありますし、アイウエオのアでもあります。この宇宙が創造された始めをイメージしているようです。
 そこには何もないので、本来、生は無いということで「本不生」というようです。
B加持祈祷(カジキトウ)
 「仏日の影・衆生の心、水に現ずるを加と曰い、能く仏日を感でるを持と名づく」と空海は『即身成仏義』で定義しているそうです。それを山田さんは「加」というのは、如来の大悲が私に加わってくることだと表現されました。そして「持」というのは、その如来の大悲を受け取る力、それを保持する力であり、「祈祷」というのは、その両者のバランスをどう取るか、どう蓄えるかということだと言われました。
 加持祈祷というと、グロテスクな秘密義のように思われるけれども、そうではないと言います。これも自分の解釈ですけどとは付け加えられました。
C三密の業の一致
 真言宗では三密の一致ということをテーマとしています。三密とは「身密・口密・意密」です。身密は、手に印を結ぶこと、口密は、真言を称えること、意密とは、ひたすら大日如来を念ずることだそうです。如来を完全に身体化したところに到達点を見いだしているようです。
D閉じると開く
 比叡山延暦寺でおこなわれている常行三昧は、お堂という閉ざされた空間に入って仏との一体化を試みようとするけれども、空海の場合は自然と一体化しようとしていたのではないかという面白いことを語っていました。つまり、開かれていくというイメージだそうです。
 これもイメージですから、どんな仏のイメージが起きてくるかも分かりませんけれどもね、しょせん人間の内的なところにイメージされる仏は方便化身ということでしょうけど。E弘法大師の御詠歌(高祖弘法大師第3番)
 「あじのこが あじのふるさとたちいでて またたちかえる あじのふるさと」
(阿字の子が 阿字の故郷 立ち出でて   また起ち還る  阿字の故郷)
「阿字は、前にも述べましたように『本不生・法身大日如来』をさしています。因縁により生まれ出た、初めを知ることのできないこの『いのち』、ひとつの生涯を送り、行き着く先も、また因縁を繰り返しながら続いていく『いのち』の故郷であるという深い考えをあらわしています。」とレジュメにありました。
 この「阿字」を阿弥陀さんに置き換えたら分かりやすいのではないですか?と問われました。それでやってみました。「阿弥陀の子が、阿弥陀のふるさと立ち出でて また起ち還る 阿弥陀のふるさと」。こうやってみましたら、これは浄土真宗になってしまいました。
 だから、真言宗も浄土真宗も何も分からないんですよとおっしゃいました。まぁ山田さんの眼から見たら、そう見えるんでしょうね。でも、もし同じものであれば、どうして違った教団として現在あるのか、これが解けませんね。
 でも、「阿弥陀の子が、阿弥陀のふるさと立ち出でて また起ち還る 阿弥陀のふるさと」といわれて、浄土真宗と同じだといいますけど、こういうふうに分かったといったとしても、それが浄土真宗の信仰にはなりませんからね。
 それは人間が了解した範囲のことで、それが〈ほんとう〉のことではありません。
人間が「分かった」という程度のことでは、身は動きだしません。その「分かった」という了解が粉々に砕かれていかなければ、信仰にはなりません。
 小生も、他力の説明で、一切の因縁が他力だといいました。母をさかのぼると、宇宙が生まれた原初まで立ち返るともいいました。これは空海の見ていた「本不生」ということと同じでしょう。存在の本来性は「無」ということです。でも、「そうか無か」と分かったといっても、それでは信仰にならないのです。それは「知的了解」であって、「信」ではありません。そんなことを知ったところで、ちっとも自分の力にはなりませんよね。
 でも、一介の凡夫が、宗教的天才・空海の奥義と同じレベルに達するのですから、他力教は、そら恐ろしい教えだと思いました。浄土真宗のなかに「真言宗」が内包されているだと感じました。
 やはり、〈ほんとう〉ということは、どの教団のなかにも偏在しているんですね。
 

2007年6月07日

6月2日(土)に日比谷公会堂でおこなわれました親鸞聖人750回忌お待ち受け大会の報告を、ようやくすることができました。
 当日は、好天に恵まれ、千名近い聴衆が集まったということです。パネルディスカッションで小生が話しているとき、地震があったそうですね。そういえば、場内がザワザワしていました。登壇しているひとたちは、誰も地震に気づかなかったようです。
 しかし自分の持ち時間も少ないために、なんだか少々、尻切れトンボのような発表になり、後悔しています。まぁまぁ全体のパネルディスカッションとしては、よかったのではないかと思っております。そんな反応も多かったです。
 一応自分は、僧侶という立場で関わっていましたから、どうしても話題を「教え」に引きつけていかなければならないという要請に駆られていました。
 まず、いまの時代を「時間の滞留する時代」と受けとめました。もはや時間が未来へとは流れていかない、将来に夢をもてない時代に入ったということです。「豊かさ」がここまで実現してしまえば、もはや「この世」的な欲求はほとんど満たされてしまっています。だから、後に残っているものは「あの世」的なるものへの欲求です。オウム真理教が生まれてきたのは、時代の必然なんです。
 もはや人間の社会が発展するということに夢をもてなくなった時代に突入しています。でも、それは人間が堕落も発展もしないということの本質が如実に現れだした時代だということでもあります。
 もともと、人間存在は進歩も堕落もしていなかったのです。だから、これから残っているのは、「人間を本質から考える」ということだけなんです。これは吉本さんが指摘していることです。
 「考える」ということにエロスを感じていく時代ということでしょう。
 パネルディスカッションで芹沢俊介さんが語っておられたのは、「受けとめ手」の問題でした。受けとめ手があって初めて、ひとはひととして自律していくと。それは養育の場でも家族の場でもそうでしょう。その構成員の全員が「受けとめ手」になることは不可能なのです。その中のひとりでも「受けとめ手」となっていれば、ひとはその場に安心していることができます。
家族では、子どもをまるごと受けとめることは親の役割だということを芹沢さんがいわれました。そうしたところ「じゃあー、私は誰が受けとめてくれるんですか?」と、あるお母さんから問われたそうです。
 虐待の場合でも、まず親自身が受けとめられていないということの表れではないでしょうか。自分が受けとめられないから、子どもを受けとめられるはずがないということでしょう。これは前から思っていたことでした。
 そこで、私は壇上に掲げてある南無阿弥陀仏の名号を指さして、何か言ったのですが、煎じ詰めれば、自分自身を受けとめることができる装置が南無阿弥陀仏と言いたかったのです。
 あるいは、受けとめられ体験そのものを、南無阿弥陀仏と表現してきたのです。受けとめられ体験と南無阿弥陀仏が別のものではないのでしょう。誰でも感じてきた受けとめられ体験の構造を南無阿弥陀仏と表現してきたのでしょう。まぁ、ひとことで「南無阿弥陀仏ですよ」といってしまえば、間をすっ飛ばした話になって、あまりに飛躍するわけですけどね。しかし、そういうことなのです。
 まず親自身が、ちゃんと「受けとめられ体験」を経験しなければなりません。
芹沢さんも、「自分を相手に差し出す」というところまではいえても、差し出された相手が自分を「受けとめ手」と感じるかどうかは別問題だと話していましたね。
 善も悪も、すべてひっくるめて自分だといえる、「存在の大地」を回復しなければ、それが緊急の課題のように思いました。

2007年5月31日

唯識では、「感情」ということが、丁寧に扱われています。仏教語で言えば、「受」という言葉です。あの五蘊(ゴウン)という、私たちの存在分析でいうところの「色(肉体)・受(感情)・想(認知)・行(意志)・識(表象)」の受です。
 仏教は、私たちの存在を五蘊という言葉で押さえます。簡単に分ければ肉体と精神です。その精神をさらに四つの要素に分けています。これも簡単にいえば「知・情・意」です。
 その中で「情」のレベルが、唯識で大事に扱われているということは、人間にとって「情」ということが、重要な意味をもっているということを表しているのでしょう。
 知というのは、考えたり感じたりすることです。これも、重要なことには間違いなないのですが、なかなかこれは透明なものであって、自覚しにくいです。同様に、「意志」のほうも自覚しにくいです。意志というのだから、「こうしたい、ああしたい」ということで、自覚しやすいように思いますけど、まだ、自由にコントロールできる範囲に属しているでしょう。
 しかし、「受」つまり「感情」は、自分ではどうしてみようもないという性質をもっています。喜怒哀楽は、自分がそう感じたいと思っていても、なかなか自由にコントロールすることはできません。他力的ですね。
 唯識では、受を分析して、自分にとって快楽を感じるものには近寄り、不快を感じるものからは遠ざかるというふうに分析しています。自分を受け入れてくれるひとは、いいひとに感じますし、逆ならば嫌なひとと感じます。これは、自分でコントロールできませんから、微妙なことです。
 仏教でもっとも問題とされている煩悩→貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(後悔)も、感情が土台となっています。つまり、まず快感を感じる出来事に近づいていき、それをむさぼろうとします。これは愛でも、愛着でもあり、やがて執着にも深化します。しかし、ぞれが妨げられたときには、それに不快を感じ、怒りが生まれます。不快の対象が、たやすく排除できれば、つまり自分の目の前からなくなれば、まだ怒りにはつながりません。しかし、その対象がなかなか排除できないとき、あるいは、それが自分自身の愚かさや失敗であれば、自分への怒りとなります。怒りの捌け口が激化すれば自殺にも傾斜します。他殺にもいくわけです。
 それらの煩悩が動いていく土台になっているのが「感情」です。だから、感情をコントロールできれば、人間はかなりの幸福感を得ることができるでしょう。まぁそれができないから酒を飲んでごまかしたり、さまざまな代替物で緩和しようとするのでしょうね。
 話はガラッと変わりますが、カウンセリングで、とても大切に扱うのが、またこの「感情」なのです。カウンセラーがクライエントの何を聞くのかといえば、感情を聞けといわれます。クライエントが何を話していたか?でも、どうしたかったか?ということでもなく、一番重要なのは、何を感じていたか?ということだといいます。「知」も「意」も大切ですけど、最重要なものは「感情」だという扱いです。
 それは、カウンセリングの技法の問題ではなく、ひとという生き物の特性なのでしょう。ひとは、他者から感情的に受け入れられたときに、自分がそのまま受け入れられたと感じるんですね。感情そのものが自分だといってもいいのかもしれません。それほど重要な要素なのです。
 さて、いま自分はどういう感情を体感しているのでしょうか。仏教では、四無量心といって「慈・悲・喜・捨」を菩薩の課題としています。慈は、愛です。悲は悲しみです。喜は喜びです。そして捨というのは、無感情です。面白いのはこの「捨」というやつです。喜びでも、悲しみでも、憂いでもない感情の状態を「捨」といいます。つまり感情の零度に近い状態です。
 ごく平常心のときに感じている感情のことです。感情は激しく動きだしたときだけ人間には自覚されます。悲しいとき、嬉しいとき、興奮しているときは自覚しやすいです。しかし、なんにも感じていないときもあります。それでも、感情のエネルギーがなくなったとはいわないんですね。それが最小化しているけれども、まったくの零度ではないと。微弱でも感情のエネルギーが動いていると、それが「捨」という状態です。感情がアイドリングの状態にあるんでしょうね。
 感情が大きく動くのは、対人関係の場面が多いです。自分の一日の感情の動きを見てみれば、それはわかります。そして感情が共感できたひととは接近し、その反対の場合は疎遠になります。そうやって自分の感情に目を向ける生活をしてみるのも面白いものです。
 感情を対象化してみる修練を、積み重ねていけば、そうそう自分の感情に支配されることもなくなるのではないかと思います。それが唯一、感情の支配から逃れられる道だと思います。今朝も、また34歳の母親が、女子小学生の娘を殺してしまいました。
 感情が自分をあやつっているだけなんです。感情そのものは、自分ではありません。いつでも他なるところからやってくるものです。他なるところからやってきて、自分の内面に入り込み、それを自分自身だと思わせ支配してしまうのです。この感情の支配からの脱出が、緊急の課題なのだと思いました。
2007年5月2
7日

「親切」と「お節介」について考えさせられました。どこからどこまでが親切なのでしょうか。「これ美味しいから食べてみない。宮崎産のマンゴーは最高だよ」というのは、親切でしょうね。でも、「せっかく宮崎から買ってきたんだから、絶対美味しいよ!嫌いだから食べないっていうのは、食わず嫌いってやつだよ。いいから一口食べてみなよ」というのはお節介という感じがします。
 たぶん「親切」と「お節介」の境界はないのでしょうけど、それを受けとめる相手の負担度によって違うんでしょうね。宗教の勧誘も、健康食品の売り込みも、同じようなことでしょう。押し売りになったら、それは親切の暴力化ですね。
 すすめるほうの人が、それが「絶対に良いことなんだ、絶対に身体にいいんだ」という思いが強いほど、そうなります。最初は「小さな親切」から出発していくんです。でも相手が乗ってこないと、徐々に「お節介」になってゆき、もっと激化してくると、いわゆる逆ギレになります。
 「ひとがこれだけ勧めてやっているのに、なんでおれの愛情が分からないんだ。そんなやつは、こうしてやる!」と逆ギレしてテロに走るわけです。
 人間のすべての愛は、こういう傾向をたどります。お母さんが子どもに対して接する態度もそうです。ひょんなことで頂いた子守歌にも恐ろしいものがありました。
それは京都地方の「美山の子守歌」(北桑田郡美山町野添)です。
 
 ねんねしなされ 今日は二十五日
  明日はこの子の 誕生日 ヨホホ
 誕生日には 小豆の飯炊いて
  一生この子が まめなよに ヨホホ
 赤いべべ着て 赤いじょじょはいて
  連れてまいろか ののさまへ ヨホホ
 
 ねんねころいち ころたけのいち
  竹にもたれて ねねなされ ヨホホ
 ねたら丹波へ おきたら山へ
  お目がさめたら お江戸まで ヨホホ
 
 ねんねしなされ おやすみなされ
  朝のごぜんの あがるまで ヨホホ
 朝のごぜんは なんどきあがる
  あけは九つ 夜は七つ ヨホホ
 
 守りよ子守りよ なんで子を泣かす
  乳が飲みとて 泣きなさる ヨホホ
 乳が飲みたけりゃ 連れてこい飲まそ
  連れてゆく間に 日が暮れた ヨホホ
 日が暮れたなら お提灯ともせ
  お提灯ともす間に 夜が明けた ヨホホ
 ねんねねんねん まだ夜は夜中
  あけの烏が 鳴くまでも ヨホホ
 
 ねんねしょと言うて ねるよな子なら
  守りもしてやろ うとうてやろ ヨホホ
 守りもしてやろ うとうてもやろし
  間にゃままごと してもやろ ヨホホ
 
 よいやよいよい よい子でござる
  この子育てた 親みたい ヨホホ
 親を見たけりゃ この子を見やれ
  親によく似た きりょうよし ヨホホ
 
 うちのこの子は いまねるところ
  だれもやかまし 言うてくれな ヨホホ
 だれもやかまし 言わせぬけれど
  守りがやかまし 言うて泣かす ヨホホ
 
 親のない子に 親はと問えば
  親は極楽 ねてござる ヨホホ
 北を枕に 木の葉を夜着よ
  雲を天井に ねてござる ヨホホ
 
 この子よい子や ぼた餅顔や
  きな粉つけたら なおよかろ ヨホホ
 
 うちのこの子は 泣きみそきみそ
  だれが きみそと 名をつけた ヨホホ
 
 今夜ここにねて 明日の夜はどこや
  明日は田の中 畔まくら ヨホホ
 
 畔をまくらに 枯草よせて
  落つるその葉が 夜着となる ヨホホ
 
 守りはつらいもんや これから先は
  雪はチラチラ 子は泣くし ヨホホ
 
 ねんねしなされ おやすみなされ
  おきて泣く子は つら憎い ヨホホ
 つらの憎い子を まな板にのせて
  青菜切るよに ザクザクと ヨホホ
 切ってきざんで 油で揚げて
  道の四辻に ともしおくよ ヨホホ
 人が通れば なむあみだぶつ
  親が通れば 血の涙 ヨホホ

とうとう抜粋できずに全部載せてしまいました。結論のところには、ゾーッとすることばが並んでいます。子守の辛さが、可愛い赤ちゃんを鬼に仕立てるんですね。愛情が狂気に変質していく様子がよく分かります。
 猟奇的な事件は、おおむねこの愛情の変質が関与しているように思います。愛が憎しみに変化していくことは、人間の性(さが)でしょうね。

2007年5月21日

少年が、母親を殺したということで、世間ではいろいろと問題にしています。たしかに猟奇的な感じがするのは確かです。つまり、その場合の「猟奇的」というのは、つきつめると「自分じゃ、そんなことはやらないよなぁ」という感じということです。自分の態度と比べると「猟奇的」ということです。
 どこかに基準があるわけじゃありません。いつでも比べているのは自分というモノサシです。
 でも、確かに行為的には異常なのですが、そういう異常性が、自分の内面にないか?と突きつけてみると、それに対してノーとは言えない部分のあることが分かります。仏教は三業を同じ重みで扱います。つまり身業(こころ)・口業(ことば)・身業(行為)を同じレベルで問題にするのです。
 そうすると、自分の内面にそういう部分のあるということは、身業と同じ質であって、つきつめると、その少年と自分は同じ罪を犯していることになります。
 イエスの有名な、「姦淫のこころをもって女を見たものは、姦淫したことと同じだ」というふうな発言がありますね。おそらく宗教的感性は、身業と意業を同じ重みで受け取るということなのです。しかし、同じ重みだと言ってみたところで、やはりどこかで「猟奇的だよ」と感じてしまう自分のあることも事実なんです。これは困ったことです。
 でも、あの事件は、ますます人間が異常になり堕落してきたことを表してはいないと思います。昔だって、あんな事件はあったはずです。あったのですけれども、それをメディアが、あれほど大々的に報じなかっただけでしょう。単なる異常な事件として新聞の片隅を占めていただけだと思います。ひとつには、メディアによって私たちが思想操作されているという面があります。でも、それを欲している聴衆、つまり視聴率の上がることが最大課題となっていることも確かです。
 小生は、人間というものは進歩発展もしないかわりに、堕落もしない生き物だと思っています。ですから、時代とともに堕落してきたという考え方をとりません。確かに異常なことが次から次へ起こってきますけど、あれは、人間の本質がより露呈されてきた現象だと受けとめています。それは人間のもっている深淵性であって、堕落や異常ということではないのです。異常という観点を取れば、人間はもともと異常性を秘めた生き物だということでしょう。
 それが見たくないので、猟奇的なのはあいつで、自分とは無関係だと感じてしまうんですね。自分ならあんたとはしないとタカをくくっているんです。「世間」を見渡したって、あんなことをする人間は異常なやつだとレッテルを貼りたいわけです。そうやって、自分のこころの安定を計ろうとしているのでしょうね。
 

2007年5月17日

仏や如来を信じていないひとは、自分が仏であり、如来になってしまっています。その仏を「神」と言い換えてもいいかもしれません。神は、全知全能です。それはそのまま自分自身のことなのです。
 現代人は、全知全能の神となってしまったのです。ニーチェが「神は死んだ」といいました。近代知によって解明された神は、もはや威厳をもった神のはたらきをしなくなったということでしょう。もし神を殺せるものであれば、そういうこともできましょう。
 違う見方をすれば、「神を殺して、人間が神となった」ということでしょう。人間が神の座を奪ったということでしょう。
 その人間が、仏法というものと出遇い、いままで自分が「如来」や「神」だと思っていた傲慢さを否定され、はじめて「凡夫」というただびとになることができるわけです。その否定をくぐるまでは、全知全能の神となっているわけです。そのことにすら気づいていないわけです。普通のか弱い人間だと思い込んでいるんです。とんでもないことです。全知全能なんです。恐ろしいことに。
 寿命だって、永遠だと思っているんですよ。他人はどんどん死んでいっても自分だけは死なないと思い込んでいるんです。かたく思い込んでいるんです。ひとの死を見ても、まさか自分が明日死ぬなんてことは思っていないんです。自分の寿命は永遠だと思っているんです。それはそうでしょう、全知全能の神なんですから。
 また、努力すればなんでもできる、なんでも可能だと思い込んでいるんです。現実にそうなっていないのは、努力していないからで、もし努力すれば、自分はなんにでも成れるんだと思い込んでいます。まぁ全知全能ですから、そう思ってもいいのでしょう。
 近代は、職業選択の自由、住居の自由、結婚の自由、移動の自由を獲得しました。いままで不自由になっていた問題を、自由へと解放しました。それは一面では解放ですけど、他面から見れば、人間を神の座に押し上げてしまいました。傲慢の極致が現代人です。
 テレビのチャンネルを居ながらにして操作できますから、嫌いな場面や、面白くない番組はすぐに殺すことができます。自分は動く必要がないんです。チャンネルのボタンを押しさえすれば殺せるんです。あれは、相手を殺していることなのです。
 その癖がついていて、習い性となっていて、現実の人間関係でも、すぐに殺してしまえるんです。顔では笑っていても、内面では殺しているんです。つまり、相手のいうことに耳を貸さないで無視するわけです。黙殺するわけです。なんといっても全知全能ですからね。しかし、全知全能は孤独なんです。
 まさに王様です。でも王様の不安というものがあるんですね。全知全能ということは、壁がないんです。限界が分からないんです。どこまでも思い通りにできますから、全部が自分の支配下にありますから、ぶつかる壁がないんです。壁がないと自分が自分であると自覚できなくなります。
 そして、ほんとうの仏や如来と出遇うことになるんです。全知全能の神になっていた自分の傲慢がへし折られ、はじめて「ただびと」、つまり「凡夫」になることができるんです。凡夫になれて、はじめて自分の肩のちからが抜けるんです。そんなに肩肘はって生きなくていいんです。ホッと息を抜いて、ただびとに帰れるんです。
 自分には仏や如来の「真実」はなかったんだと知られて、「偽」になることができるんです。偽は否定的で、消極的なようですけど、ほんとうはそこに自由があるんです。むしろ真実に近づこう、近づけると思って肩肘はることのほうが不自由です。
 そこに偽という浄土があるんです。

2007年5月15日

牧師であり、青山大学の先生でもあります野村祐之さんの話を聞きました。
 先生は、アメリカは非キリスト教国だとおっしゃいました。これは驚きでした。私たちの常識が崩れていきました。一神教の国ではあってもキリスト教国ではないのだそうです。ですから、ブッシュ大統領が「神の御心のままに」というときの神を、キリスト教徒は、キリスト教の神として、ユダヤ教徒はユダヤ教の神として、またイスラム教徒はイスラムの神として受けとめるのだそうです。それで意識的には合一していけるようです。
 そもそもアメリカはイギリスの植民地だったのですが、イギリスに敵対して独立したわけで、イギリスのキリスト教(英国国教会)に敵対するということがアメリカ建国の理念になっているそうです。憲法にも記されているから驚きです。
 だから、日曜日はキリスト教徒にとってだけ特別の日ですから、カレンダーが日曜日に赤く塗られたものはないようです。ユダヤ教徒は土曜日、イスラム教徒は金曜日が特別な日です。キリスト教だけを特別視しないわけです。
 また、教会税を取っている国は、国旗に十字架がデザインされているそうです。そういえばフィンランド・デンマーク・アイスランド・ノルウエー・スウェーデンなどです。あの十字デザインは、そういう意味だったのですね。
 それから、ヨーロッパとアジアを別物に考えないということもおっしゃっていました。ユーラシアという観点でみるんです。ユーラシアの西のはずれと、東のはずれだと。紀元前200年から紀元後200年の間に東では漢字が発明され、高度文化化していきました。西のほうでは、ローマ時代であり、こっちも文化が花開きました。面白いことに「羊」の文化は共通しているわけです。牧師は羊飼いですし、漢字の「美」は「羊と大」の合成文字です。日本には「美」が「大きな丸まると太った羊だ」という概念はなかったんですね。ですから、漢字という言語だけが輸入され、概念はまた別ものだということでしょう。
大乗仏教も、紀元前後に起こりますよね。それが西にいってギリシャ文明とであい、東にいって、お経が出来上がってくると。こういうユーラシアという観点で見なければとおっしゃいました。
それから、「分析知と関係知」という言葉をつかって、知性というものを語られました。
分析知はものごとを分けて分けて細分化していく知性ですが。関係知は、関係そのものに入って知っていく智恵だといいます。分析知だけではダメで、関係知が大切だというわけです。
 また先生は、43歳のとき肝炎にかかり生体肝移植移植をされていました。ですから、「いのち」ということに関して、とてもビビッドに受けとめられ、「生きる」ではなく「活きる、生かされている」と表現されました。
 いのちもギリシャ語のビオスとゾーエーという言葉を手がかりに語られました。ビオスが英語になると「bioバイオ」になります。生物学とか生化学の「生」にあたります。秩序化されたいのち、固定的ないのちを意味しているようです。
 先生は、それよりもゾーエーを大事にしていました。ゾーエーが英語になると「zooヅー=動物園」に派生します。私を解放する本来的ないのちの輝きといいます。
ゾーエーとは、生き生きといきるということ自体。つまり、癌があるというとき、この癌をいただいてこそ、いまの自分だといえるもの。癌を受けとめて新しい生き方ができるということだと言います。他のひとにはできない体験であり、癌をいただいたそのひととして最大限の生き方ができるし、まわりにいるひとには、それが慰めともなる。そのひとを看取ったひとに対して、その死に姿は慰めとなり、素敵な生き方をしたよねと受けとめられる。それが語り継がれる。
分母がゾーエーで分子がビオスともいいます。ゾーエーに支えられて生きること、それが生活です。現代はあまりにもビオスにとらわれすぎている。ビオスの奴隷になっている。そこからの解放が本来の自己を取り戻すことではないかと語られました。
先生のアグレッシブな語りはとどまるところをしらず、午前10時から、お昼をはさんで、3時まで続きました。前日飲み過ぎの小生は、ついうつらうつらとしてしまいました。後で聞くと、あれはうつらうつらではなく完全にいびきをかいていましたよときつく叱られました。
 しかし、なにも悪気があってしていることではありませんので、お許し下さい。生理現象ですから。

2007年5月0
9日

昨日、臨済宗の有名なお坊さんの話をお聞きしました。
宮沢賢治の「雨にも負けず」を引用されて、あれを人生訓のように語られました。
つまり、「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」ということは、人生の荒波にも負けないということだというのです。そのお坊さんも38歳の息子さんを亡くされ、ものすごい暴風雨にも遭ったとおっしゃっていました。
 それから「欲ハナク 決シテ瞋(イカ)ラズ イツモシズカニワラッテイル」の「欲ハナク」では、「知足」ということだといわれました。足ることを知れという意味だというのです。あんまり欲しがるなという意味でしょうね。
 それから「決シテ瞋(イカ)ラズ イツモシズカニワラッテイル」では、「わたしは怒らなくなりました。もう何年も怒ってないですね。怒るなんて意味がありませんから。そうそう、坐禅を30分やれといわれても、集中力が続きません。ですから、一日一分間坐禅をします。それを一年間やれば365分ですし、十年すれば3650時間の坐禅をすることになるのです。もし、ここで怒ってしまえば、怒らないでいる時間記録が、そこで終ってしまいますから、こんなもったいないことはありません」と語られました。
 さらに「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」というところでは、「わたしは肉を食べません。菜食です。もう菜食になって何年にもなります。豆とか、そういうものを食べていれば、糖尿病なんか関係ありませんよ。肉類を食べてるひとと、野菜しか食べないひとのこころの状態を調べているひとがいるんですね。そのひとに聞きましたら、明らかに違うそうですね。」と語られました。
その次の「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシテワカリ ソシテワスレズ」のところでは。「自分を勘定に入れないことですね」と。
 他にもいろいろといわれましたが、それを聞いていて、ますます自分は禅宗は無理だなぁと思いました。そのお坊さんは「空(くう)」ということを説明して、「富士山が向こうにあります。自分がこっちにいれば対立的ですね。しかし富士山と自分が一体になってしまうんです。自分が富士山で、富士山が自分で、そこには対立するものはありませんね。ねぇ、禅は簡単でしょ?」と。
 これも、どういうことなのか分かりませんでした。
しかし、お話を聞いているうちに、「そうかなぁ?」という思いがムクムクとわき上がってきました。「そんなこと、ほんとにできるの?」と思いますし、たぶん、そう聞けば「できるんですよ。坐禅をすればね、少しずつ…」といわれるでしょうね。
 質問の時間に、老齢の女性が「難しいですね…」と語られたら。そのお坊さんは「そう簡単にわかってもらっちゃね…お釈迦様でも50年ですから、50年くらいやってもらわないとね」と返答していました。
 それを聞いていて、「えーっ!五十年もやってたら、そのひと死んじゃうよ!」と内心で思いました。
 やはり、禅はエリートの教えだと思いました。真宗以外は、…そういうと差し障りがありますけど…みんな〈いま〉にプラスしていく教えなのかと思います。坐禅をするとか、〈いま〉の他に何かをするんです。しかし真宗は、〈いま〉からマイナスするんですね。〈いま〉はすでに、修行を完成した姿とみます。その修行の手柄を、すべて捨てるという修行があるのかもしれません。もちすぎていて迷っているんですね。何かが足りなくて迷っているんじゃないんですね。
 それから、宮沢賢治は最後に「ソウイフモノニ ワタシハナリタイ」と書いてるんですね。賢治にとって、あくまでもそれは理想であって、実践目標ではないんでしょう。そういうふうになれないという、賢治の懺悔が「雨ニモマケズ」ではないでしょうか。「ソウイフモノ」とは、賢治にとって、法華経の「常不軽菩薩」をイメージしていたのではないかと思われます。もし、人間が成ったり、成ろうとしたり、少しでも成れたと思ってしまったら、それは仏道ではないのではないでしょうか。
 ちょっとイラッとした自分でした。

2007年5月05日

連休最後の日曜日です。いつものように帰省ラッシュがニュースで報じられています。大阪では、ジェットコースターの事故でひとがなくなりました。山や海で亡くなったひとたちも多かったようです。
 さっきのニュースでは、コンビニに軽自動車が突っ込んだそうです。59歳の女性が、アクセルとブレーキを踏み間違えたということらしいです。そんなこと普段では起こりようがないのです。でも、そういうことが、起こるのも人間の世界です。常識ではとても考えられないことが、次々に展開しているのです。
 「人生、いたるところに墓穴あり」ということでしょうか。こんなはずではなかったということが沢山あります。どうしてこんなことが起こったんだ?と、納得しがたい出来事があふれかえっています。
 うららかな春の日差しを浴びていると、そんな不可解なことがあるなんて感じることもできません。しかし、白昼の死角があるんですね。
 それはあってはならないことなんですけど、やはり起こるべくして起こるものなんですね。起こってしまうことなんですね。
 だからといって、部屋でジーッとしていればよいということでもありません。やはり、「いたるところに墓穴あり、されど我はいく!」という勇気が必要なんでしょう。
 どっち倒れても、なにがあっても、それでよしといえるものが欲しいんですね。全面肯定される世界が望まれているんですね。
 その肯定があって、初めてこの危険極まりない人生を、余裕をもって生きていけるように思います。
 自分の踏み出した一歩を、他のひとが踏むことはできません。
自分の足跡は、この世にふたつとない奇跡なんです。
 

2007年4月30日

連休に入り、街が静まり返っています。大都市・メトロポリス東京の鼓動が止まったようです。
 人間も生きてますけど、街も生きているんだなぁとつくづく感じますね。街もひとつの生命体かもしれません。人体もさまざまなパーツで出来上がっていて、それでいてうまくバランスがとれています。街も、さまざまなパーツで組み合わされていて、それでいてひとつの生命体のように、有機的につながり合っているものなのでしょう。
 先週は、越後湯沢で、満開の桜を見つけました。いま桜前線は、秋田に到達していると聞きます。東京では、藤の花も満開を過ぎ、石楠花も盛りを過ぎました。季節とともに、移りゆく草花を見ていると、なんだかこころが古代にトリップしたような錯覚さえおぼえます。
 そうそう、先日の会合で、伊勢海老の「中納言」(銀座店)へお邪魔しました。以前は品質も悪かったのですが、今回行ってビックリしました。結構本格的な味になっているんです。伊勢海老の旬はいまなのでしょうか。国内の伊勢海老の漁場は、いまでは伊勢ではなく、房総半島(茂原?)だそうですね。海老食いの小生としては、たまらなく堪能させていただきました。
 生きてるやつを自分で調理しようとしたら、チューとかキューとか鳴くんですよね。あれは、いただけませんね。やっぱり、ひとに殺してもらったものが美味しいとつくづく感じました。それは偽善じゃないかと言われても、仕方ありません。代理殺生のほうが美味いというのは事実ですから、しょうがありません。
 と、とりとめもないことを書いてしまったなぁと、反省しつつ、しかし、こんなことが書けるのも、春ウララの気候のせいなのでしょう。今日は、とても気持ちのよい、朗らかな日です。
 散歩でもして、春をからだ全体で呼吸したいものです。

2007年4月29日

「極楽に 

 さほどの用はなけれども

弥陀をたすけに

行かねばなるまい」

こんな一休禅師の詩があるんですね。

「如来は我なり

されど、我は如来にあらず

如来、我と成りて

我を救いたもう

これ法蔵菩薩誕生のことなり」

という曽我量深の言葉と共鳴しませんか。

2007年4月25日

新鮮なところです。

ある写真家が言ってました。
「写真を撮ろうとしたら撮れない。とろうとする意識が消えたときに、写真は、向こうからやってくる。消えるためには、目をつぶろうかと思った…」と。
 感動しました。

 さらに「写真の撮影会では、みんなが同じ被写体を撮っているのに、みんな違うんです。そこには撮っている自分が出ているんです。」と、
 さらに感動しました。
 被写体を撮っているのに、撮っている主体が表現されてしまうとは、当たり前のようですけど、聞かされると、全然当たり前ではありませんでした。
 うーん、自力と他力……と、ついつい商売柄、そんな用語に還元してしまう自分が情けなかったです。
 そんなことじゃないんですよね。事実というやつは…。
 

2007年4月22日

「千の風になって」について

新井満さんが、英語の誌を翻訳したものが、「千の風になって」です。原作者は不明なのですが、新井さんはネイティブ・アメリカンあたりから出てきたんじゃないかと想像しておられます。この詩が無名だというのが、なんともいいところです。

私のお墓の前で、泣かないで下さい。
そこに、わたしはいません
眠ってなんかいません。
千の風に
千の風になって、
あの大きな空を
吹き渡っています。

昨年のNHKの紅白歌合戦でも歌われていました。この歌を聴いたとき、とても感動を覚えました。みんなこころを揺さぶられるものを感じたことだと思います。あの時はオペラ歌手が歌っていたので、格調が高いというか、洗練されすぎていると感じました。それで、原作、つまり新井さんの歌っているものを聞きました。すると、これがいいんです。素朴でいいなぁと思いました。
 でも、その歌を聴きながら、数日経ったころだと思います。それを感じている自分に対して、「ちょっと待てよ」という声も聞こえてきました。
 二番と三番の歌詞を読んでいると、これは、もしかしたらアニミズムかもしれないと感じたのです。難しくいえば汎神論です。
 あらゆるものに聖なるものを感じるというのは、宗教学上では、アニミズムと解釈されています。そして、もっともっとそれを自分に引きつけて考えてみると、それは親鸞の「自ら仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかうることを得ざれ、天を拝することを得ざれ、鬼神をまつることを得ざれ、吉良日をみることを得ざれ」(般舟三昧経)に反することではないかと考えたのです。
 おそらく真宗大谷派の多くのお坊さんは、そんなふうに感じたのではないかと想像しています。「千の風になって」を聞いて感動している門徒さんをみて、もろ手をあげて喜んでいていいのか?とちょっと、疑問に思ったのだと思います。
 小生も、それをどう考えればよいのかと、思いあぐねていました。
 そして、ようやくこう考えればいいのではないかという結論に達しました。それは「感情のレベルと思想のレベル」という分類です。その両方のレベルには境界がある、しかし、その境界は、つながっているものだと思います。「千の風になって」を感動して聞いている自分もほんとうですし、それだけでいいのかと思っている自分もほんとうなのです。どちらかでなければいけないというデジタルな発想はダメだと思います。
 ついつい、そういうデジタルな発想になって、白黒付けたがるのが私たちなのです。
あの「そこに、わたしはいません/眠ってなんかいません」という歌詞は無限の否定性を表しています。もっともっとつきつめて考えると、「お墓」だけじゃない、「風」や「星」や「大空」といったところにもいないと言っているように聞こえませんか。そこまで深化すれば、仏法になってくるように思いました。


2007年4月1
9日

昨日、池袋・親鸞講座の後の「反省会」で、話題になったことが、いまも気になっています。反省会といっても、とうぜん素面でやってるわけではないのです。つまり「般若湯」(はんにゃとう)を摂取しながらですけどね。生ビールは「麦般若」などと、他宗派では呼んでいるようです。
 近頃、なぜか、モルツという麦般若が好きになってきました。そんなことは、いいことなんですけどね。
 さて、なぜアルコールを般若湯というのかといえば、般若は、サンスクリット語のパンニャーの音写です。パンニャーとは、「智恵」という意味ですから、直訳すると、智恵のお湯ということです。もっといえば、「これを呑むと、智恵が湧いて来るような飲料」ということです。
 昨日の「反省会」では、見事に、いろいろな智恵が湧いてきました。
 それは宗教体験に関することです。宗教は、どうしても体験ということを重視します。つまり、それは知識の問題ではありませんから、身体を通してその教えを会得するということです。「腑に落ちる」とか「身体に聞け」というような言葉は、そんなところから生まれてきたのでしょう。
 あのオウムの場合にも、みんな宗教体験を経験しているわけです。それが知識や理性の領域の体験であれば、醒めるということも起こりやすいのですが、身体の体験にまで深まると、なかなか醒めにくいのです。さらに、その体験をもっと深化させていくことが、信仰の深まりだと傾斜していきます。
 つまり、日常の生のレベルから、非日常へ、そして、生きているんだけれども、ほとんど死んだような状態と同じレベルにまで深化させていくことがいいことになります。その究極が「即身成仏」という密教の教えになります。
 煩悩のほとんど動かないような状態が、いいこととされていますから、それはつきつめれば「死」を志向します。それを行じているひとの精神界は、とても深いところにあるそうです。
 そういう体験は、体験として、とても大切なことなのでしょう。それは他のひとにはできない、とても希な経験なのかもしれません。ですから、体験は体験として尊いものだと思います。ただしかし、その体験を後から意味づけるときに、何か理性の毒が混じってくるように思えます。体験は言語を超えていますから、体験している間は、そのことと一体化していて、言語化不可能です。ちょうど、夢を見ているときのようなものです、夢が醒めてから記述してみても、どこかが違うという感覚が残りますよね。
 ですから、その体験を言語化するときに、問題が発生するように思います。魂のランクだとか、ステージだとかいう差別化が問題のように感じます。ランクを付けた途端に、それは体験からズレてしまい、俗化するように思います。さらに、それはどんどんエキスパート化して、専門的になり、超人化していかざるをえません。それではますます大衆という大地から遊離してしまいます。ごくありふれた日常から遊離してしまいます。
 しかし、ひるがえって「真宗」を考えてみますと、体験に酔わせるのではなく、体験から、つねに醒めさせるという方向にはたらくように思います。小生にも「光明体験」というような不思議な体験がありました。でも、そんなものは、一月もたたないうちに色あせてしまいます。真理をつかんだ、光明をつかんだという体験自体は、とても尊い体験なのです。その体験を、体験のままにできずに、理性で意味づけしてしまうときに、醒めるんですね。つまり、どこかで「真理に触れた」という思いが、固定化してしまうのです。「真理に触れたんだから、信心獲得だ」と思ってしまうわけです。そうやって固定化したとたんに信心は腐っていくんです。つまり、信心は腐って、プンプンと臭いを発し、陳腐な体験だったと醒めてゆきます。
 この醒めるということが、とても大事なんです。こうやって醒ましてくれる作用は、どこからくるんでしょうか?もし、その体験を共同幻想でもって特殊化したら、それは恐ろしい「秘事坊門」ができあがってしまうでしょう。仲間のひとたちが、「お前は信心を獲得したんだ」と称讃したらどうでしょうか。そのひとは、大衆の大地から遊離していき、つまり「いい気持ち」になってしまうでしょう。自分は捨てたもんじゃないぜ、と自惚れていくことでしょう。でも、自惚れてしまったら、それは真宗ではありません。自惚れが、自惚れだったと、化けの皮が剥がされなければダメです。そして、まったく信じていなかったときの自分に帰れなければダメです。
 信の内側に入ろう入ろうとするんですけど、信の内側にちょっとでも入ってしまったら、それは、転落です。つねに外側に立つということです。その外側のところ以外に、如来は作用してこないからです。決して、自分の立場を「よし」とできないところに置かされているのです。そういうものが真宗です。
 しかし、そうやって醒ましてくるはたらきは、どこからくるんでしょうか?それはなかなか言葉にはできないことです。無色透明な作用ですから。それを「如来」とか「本願」とかのメタファーで命名するんですけど、そんなふうに命名したら死んじゃいますね。
本来、命名できないものなんですからね。
 この命名できない覚醒作用、それこそが真宗でしょう。こんな覚醒作用がはたらく場所に自分がいることの幸せを感じます。どこまでも、固定観念から自分を解放してくれる解放運動作用が真宗なんだなぁと思います。
 おそらく親鸞は、これを「浄土の真宗は証道いま盛なり」(『教行信証』化身土巻)と叫んだのではないでしょうか。生きてはたらき続ける作用を、そう謳ったのでしょう。その作用が、時代を超越して、私まで届いていることに、また唖然とするしかありません。
 

2007年4月17日

恐懼する事件が、連続して、ふたつ起こりました。16日のアメリカ・バージニア工科大学での銃乱射事件。17日の長崎市長銃殺事件です。アメリカでは、「銃社会」の問題性があらためて問われています。いやいや、ますます弱者防衛のための銃が要求されてくるのかもしれません。二億丁といわれますけど、これを放棄させることは不可能でしょう。それはアメリカ建国マインドとつながっているからです。防衛のためには不可欠というのが、銃正当論の主張です。
 日本の場合も、同様に、銃社会になりつつあるといいます。一番手っとり早い暴力の表現ですからね。ナイフや槍などは、熟練しないと相手を倒すことはできないでしょう。でも、銃の引き金を引くことは子どもでも可能ですからね。絶対に許されることではないのですけれども、それが起こってしまうところに、人間社会の難しさがあります。銃事件のとき、いつも銃絶対反対!暴力反対!という意見が出てきます。それはその通ですけれども、いつも同じことの繰り返しじゃないかという無力感も感じますね。事件の根絶は不可能だという、あきらめ感が私の中にもあります。
 ですから、銃という暴力に対する憤りよりも、あきらめ感の方が強いようにも感じます。 そして、この問題を、どう考えたらよいかということ述べてみたいと思います。
 さまざまな諸問題をはしょって、いま見えているところから言ってみます。
 それは、人間の内奥に巣くっている〈善〉をいかにして抉り出し、白日のもとにさらけ出させるかです。日本の場合には、やはり自分は正しい、それを受け入れてくれない行政は間違っている、自分は行政の被害を受けている善なるものである、という認識でしょう。アメリカの場合には、まったく事情が分かりませんが、おそらく、どこかの時点で、自分は被害を受けている善なる存在だと、受け取ってしまったのではないでしょうか。間違っているかもしれませんけど、そんなふうにいまの時点では感じています。
 善と暴力が結びつくところに、銃という暴力装置があったということでしょう。ですから、根底的に銃を無力化させていけるかすかな可能性があるとすれば、それは、人間の内なる〈善〉をとろけさせることしかないように思います。
 人間は、まったくかすかな善もないものだと、骨身に沁みるまで徹底的に教育されるよりほかないでしょう。これは人間ができる教育ではなく、やはり、如来とか神という絶対項からの教育でなければなりません。
 「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」だと徹底的に知らされなければダメでしょう。この世のあらゆるものを相対化させられていくしかないのでしょう。お前のいまの状態は「そらごとたわごと、まことあることなし」だと批判され続けるしかありません。
 加熱しすぎた鉄のように赤々と燃え上がる怒り。その怒りが一瞬のうちに鎮静化するための冷水が必要です。煮えたぎるお湯の中に、冷水を入れると、一瞬のうちに平穏に戻ります。あの水を「びっくり水」というのだそうです。
 「びっくり水」がほしいと、つくづく思います。

2007年4月16日

世の中は、「こそ」の二文字のつけどころ
乱れるもこそ、収まるもこそ

宮戸道雄先生からお聞きした、「法語」です。
結婚生活30周年の夫婦の会話→
お父さん「お前がいればコソ、ここまでこれたんだ。よくぞ、こんなおれに付いてきてくれた…」
お母さん「いえいえ、私コソ、お父さんにひっぱってきてもらったから、ここまでこれたのよ…」??????
どこにコソを付けるかで、「おさまる」か「乱れるか」です。
 別の夫婦の場合→
お父さん「まぁ、おれだからコソ、こんな家庭でもうまくまとまってきたんだなぁ…」
お母さん「なに言ってるのよ、私だからコソ、あんたみたいなグータラ亭主に我慢してやってこれたのよ!」
どこにコソを付けるか?ですね。「おさまるもコソ、乱れるもコソ」です。
 相手に「コソ」を付けてみようと思いましたが、これがなかなかできません。

お茶碗を自分が割ったときには「アッ、割れちゃった!」
子どもがやったときには、「割りやがったな!」といいますもんね。
だれも、故意に割ってるわけじゃないのに、自分はいつでも被害者、相手はいつでも加害者と差別しているんですね。
 この猛毒は、抜きがたいものです。
 でも、その猛毒を猛毒と自覚することができるんです。それが仏法の味わいだと思います。それが毒と見えるか、見えないかです。
 毒と見えれば、解毒作用がはたらきます。見えなければ、毒の垂れ流しです。
  

2007年4月14日

先日、日蓮顕彰会から、新聞が三部届きました。それを見ていたら、一糸乱れぬ姿でお話を聴いている聴衆の姿とか、支部の活動報告とか、それから、私はこの会に参加してから、病気が治ったとか、家庭や職場関係がよくなったとか記されていました。
 いつか知り合いの門徒さんが、「真宗会館で話を聞いていると、若いひとはサンダルで来てるし、聴いているひとたちも、居眠りしているし…。これは新興宗教には絶対にないですよね。」と話していたのを思い出しました。その話を聞いたとき、アラアラ(^^;;;という感じて聴いていたのですが、彼は「だから真宗がいいんですよね」と言ってくれたので、妙に安心しました。
 だって、やっぱり、真宗には真剣さが足りません!とお叱りを頂くのかと思ったものですから。彼は、「居眠りができるというのは、その場所が安心できる場所だからですよ」と話してくれた。それで小生も「そうかぁ…」と思ったものでした。
 やっぱり、居眠りもできないということは、その場所が緊張空間であって、不安が根底にあるということですからね。真剣ということは、日常生活のごく一部分だけであって、ほかの部分は、ほとんど緩んでいるですからね。
 さて、その新聞を見ていて感じたことがあります。というのは、私たちの教団は親鸞の750回忌を2011年に迎えます。そのときに、どういう形で御遠忌を迎えるのかということが問題になります。すると、どうしても、私たちのエピゴーネンは、「蓮如」に原点を求めてしまいます。真宗が大衆化したのは、親鸞ではなくて、蓮如の時代だからです。よく「浄土真宗は、親鸞宗ではなくて、蓮如宗だ」といわれるのはそのためです。
 加藤和彦の「あの素晴らしい愛をもう一度」よろしく、「あの素晴らしい一向宗をもう一度!」というふうに傾斜していきますね。その理想像を、延長していくと、一向一揆になって、さらに延長していくと顕彰会がイメージされます。
 つまり、そうなると、個人の意見よりも、共同体の理念の方が優先されることになります。そして、些細な個人的事情は、まぁ我慢してもらっても、みんなの意見が大事だというふうに傾斜します。そうなったとき、何かが死んでしまうわけです。
 私たちの教団が「同朋社会の顕現」といってますけど、あれを本気でやったら。政治に関与していくのが健康だということになります。まぁ、できっこないから、スローガン止まりでいいんでしょうけどね。
 さてさて、そういうふうな、教団や寺が前提になったところから、発想しても、どうもダメなような気がします。そうすると、今後の課題は、どこにあるのかと直感をはたらかせたら、こんなテーマが出てきてしまいました。そのテーマは「教団解体、寺解体」です。
 えーっ、そんなことがどうしてテーマになるんだ!と自分でも思いました。おそらく親鸞的なるものを目指せば、そうなります。そして、「教団解体、寺解体」ということが完成したときに、おそらく「浄土真宗は盛んだ!」ということになるんでしょうね。つまり、ひとりに帰るということです。そこから、出直さないとダメでしょう。
 まぁ、教団を解体するのも、寺を解体することもできないから、そんな呑気なことをほざいているだけです。だから、みなさんは聞き流して下さい。聞き流して大いに結構です。でも、どんな状態になっても、どんなことになっても、腹の底では、そのテーマを叫んでいきたいと思います。そこに帰らないと、どうしょうもない時代に突入しているんです。おそらくね。
(ちょっと、アルコールのせいで、駄弁を弄しました『m(__)m』)

2007年4月09日

今年83歳になる吉本隆明さんが、『真贋』(講談社インターナショナル)の中で、興味深いことを述べています。
「長く人生を生き、戦前・戦中・戦後と一定の視点で人間というものを見ていると、どうも人間というものは、なかなか向上しない、立派になりにくい宿命を背負った存在ではないかと思うことがあります。戦争のような大きな悪の中では、個人個人は倫理的で善良になり、平和の中では個人個人が凶悪になっていくという矛盾があります。
 かえって人間としては時代を経るにつれて低下していくような気がしないでもありません。(略)
 いまの状態は、社会主義国だと言っている国も、資本主義国だと言っている国もそう変わりばえのあるようなことをしているわけでもありません。ひと昔前に声高に論争し合った思想や政治システムといったものよりも、人間性や人間の本質のようなものが生み出すものや、人間性そのものが問われる時代になっているのではないでしょうか。(略)
現代は人間がかつて体験したことのないまったく新しい状態にまできているということになります。(略)
 残念ながら誰の考えをたどっていっても、こうまでは考えられていなかったろうと思います。これから先のことは、自分たちで新しく考えていくより仕方ありません。(略)
 何はともあれ、いまは考えなければならない時代です。考えなければどうしようもない ところまで人間がきてしまったということは確かなのです。(略)
いま、行き着くところまできたからこそ、人間とは何かということをもっと根源的に考えてみる必要があるのではないかと思うのです。」と。(下線は武田)
 もはや、これは吉本さんの涅槃経ではないかと思えます。
もう、考えられることはすべて考えた、やることはすべてやってしまったという人間の感情が現れています。
 いまは、誰も体験したことのない状況ですし、これからは「考えなければならない時代」だといいます。
 これはそのとおりという感じを持ちます。逆に、私たちは考えてきたのだろうか?と自問させられますね。「考える」ということよりも、まず「身体を動かすこと」ばかりしてきたんじゃないかと思うのです。もっといえば「する」を強要されている文化に押し流されてきたようです。未来ばかりを貪って、〈いま〉あることに目をつぶってきたようです。
 幼稚園から小学校へという一連の教育期間も、そして社会に出た後の社会期間も、「する」ということだけを追い求めてきました。だから、何かをしていないと落ち着かなくなっているんです。不安なんです。もっといえば、価値のあることだけをヨシとしてきたわけです。無為な時間、無為な存在というものに耐えられないのです。
 しかし、「考える」ということは、この無為な存在のところで初めて成り立つのではないでしょうか。まぁ、人間は「動物」ですから、つねに動いている生き物です。立ち止まって考えるということをしずらい生物です。しかし、立ち止まらなければどうしようもない時代に入ったんですね。
 人間は、進歩もしないけれども、退歩もしない生き物だなぁと醒めて見つめています。万十万年前も、これから何十万年後も、そうそう変化をしているとは思えません。機械文明は便利になっても、人間の本質はそうそう変わるものではないでしょう。
 そうやって、人間を「零度の存在」だと受けとめ直していくことでしょう。汚いものやグロテスクなものは、人間がもともともっているものです。それを水洗便所のように、水に流して綺麗になったような気になっているだけです。もともと、グロテスクな存在なのです。その自己という存在の深淵を掘り進んでいかなければなりません。
 そういった人間の毒を徹底して見つめていかなければなりません。怖くても、そこから目をそらしてはダメなのだと思います。
 もっと、立ち止まって考えたいと思います。考えることをやめさせようとする時代の流れに逆行していきましょう。

2007年4月04日

桜が盛りを過ぎていく。あと何回、桜を見ることができるのだろうか、とつい考えてしまいます。
 若いころには桜など、見向きもせずに、目の前のことだけに関心を払って生きてきたように思います。
 最近、年々に桜の開花が待ち遠しくなってきました。ひとことでいえば、「老齢化」なのでしょうけれども、ひとことで済ましてしまうには、あまりにもったいない体験だと思えます。ひとことで済ましてしまえば、それでいいんだという風潮もありますけど、ひとことで済ましてしまっては、あまりに惜しいことが、たくさんあります。
 それは人生の行間のようなものではないでしょうか。立派なことや、ひとにおおっぴらに言えることは、文面の文章です。でも、その間にひとことでは言えない、まさに行間に潜んでいる妙味がたくさんあるように思えます。
 行間がたくさんあったほうがいいなぁと思います。
 桜をみていていつも思うんですけど、どうして、一斉に、同じ時期に桜は咲くことができるんでしょうか。今年は冬がないのではないかと思えるほどの暖冬でした。しかし、ここのところは、再び冬に戻ったような天気が続きます。一端は暖かくなって、桜の開花も3月18日と予想されていました。ところが、また寒くなってきて、それでも、例年よりは一週間程度早まったようです。
 これほど寒暖の違いがあっても、やっぱり桜は一斉に咲くのですね。仙台堀川公園の桜並木は、満開です。桜並木ならば、同じ時期に咲くのは、わりあい納得できるのですが、単独で、ひとの庭に一本だけある桜も同じときに満開を迎えるんです。並木と違って、ほかの桜と相談することもできないのにです。これは不思議ですね。
 さらに、並木の桜をみていると、どの桜も、同じ枝振りの桜はないんです。つまり、この桜の木は唯一無二の木なんです。世界に、いや宇宙に二つとない存在なんです。これはまたまた不思議なことではありませんか。
 実は、それをみている自分自身も唯一無二なんです。他と比べることのできない存在なんです。でも、人間は、すぐに比べたがるんですね。比べては苦境をつくっているわけです。比べるという罪を、桜から教えてもらいました。
 目を開けば、そこには仏法花盛りという世界を生きていたんですね。
2007年3月
25日

お尋ねを頂いて、考えてみました。
 ある方から、小生の発想は、どうしても思想ではなく信仰という段階に入らないと分からないのではないかと質問を受けました。
 これは、「信」と「知」という問題です。これは中世ヨーロッパから、現代に至るまで大問題としてあります。
 アンセルムスは「信仰のない理性は傲慢であり、理性なき信仰は怠慢である」というようなことを語っています。
 彼は信と知は相補的だと受けとめています。
 小生は、知を深化させていったところにあるものが信だと考えています。ですから、信といっても知の内容です。
 ところが、吉本隆明さんでもそうですけど、「自分の決して信仰ではいない」と表明しています。これは、思想家やインテリにとって、「信」という言葉は、とても危険な、また忌避される用語として扱われてきました。ですから、「あいつは、信になっちゃってるよ」と批判されれば、もう思想家としてはダメだと烙印を押されたようなものなのです。それは、知の誠実さをどこかで放棄してしまって、あるハードルをエイヤーッと、目をつぶって飛び越してしまったというようなニュアンスで受けとめられてきました。
 ですから、「信」という言葉は思想家やインテリから、ずいぶんと差別されてきたわけです。
 しかし、親鸞の思想は、知をつきつめていくと信に必ず到りつくというものです。もし、そうでなければ、いつでも・どこでも・だれでもという大乗精神が成り立ちません。ですから、知と信は別質のものというよりも、つながっているものだと思います。

2007年3月16日

〈わたし〉は変わらない。年齢を経ても変わらない。時代も代わり、ひとも変わるというけれど、いったい何が変わったというのでしょうか。いままで生きていたひとが、ここからいなくなり、咲いていた花が枯れていきます。それを変わったというけれども、果たして、何が変わったのでしょうか。
 外界や、世界は変わっていたとしても、それを見ている〈わたし〉はまったく変わっていないのではないでしょうか。若かったときの自分の写真と、現在の写真を比べると、確かに変わっています。「老い」というものが、そこには表現されています。見つめている向こう側は変わっていても、それを見つめている〈わたし〉は変わってはいないようです。おそらく「老い」のある時点に差しかかると、〈わたし〉が固まってきて、それは変化しないようです。
 仏教は「諸行無常」といいます。すべてのものが移り変わっていく、変化しないものはこの世にひとつもないといいます。しかし、それを諸行無常と感じている〈わたし〉はまったく変わっていないのではないでしょうか。
 それを「宇宙軸」と譬喩化して私は語っています。絶対に動くことのない不変の視座です。私は「永遠であり、有限ではない」と思っている視座です。他者のいのちは有限、でも、自分のいのちは無限だと思っています。正確にいえば、「明日にはまだ死なない」と思って生きています。明日を信じて生きています。それは、無限を信じているということでしょう。ひとは有限、自分は無限とね。
 この不変の〈わたし〉を問い尋ねるというのが仏道ですけど、「言葉」を鏡として問い尋ねなければなりません。「言葉」といっても、「教え」ですよね。先哲の智恵です。そうやって、問い尋ねていくと、〈わたし〉というものが、いかに深淵をもっているものかがわかってきます。
 いままで、〈わたし〉は不問に伏されてきたのですけど、それが白日のもとにさらけ出されるわけです。そうすると、いままで確かだと思ってきた〈わたし〉が、曖昧なものであることがむき出しにされてきます。「これだけが、わたしだ」と確保しようとしても、そこには〈わたし〉は存在しないのです。
 これは「時間」ということと同じ形をしています。アウグスティヌスがいうように「時間ということを問われるまではわかっていたのに、それを問おうとした途端に、それは曖昧なものになってしまう」と。その「時間」と〈わたし〉を入れ換えれば、同じようになります。
 つかもうとしてもつかめません。でも、確かに不変の〈わたし〉があると感じて生きています。この〈わたし〉というあり方は、実に不思議なものです。無いのですけれども、有ると感じているわけです。その「無い」のほうをとらえて、仏教では「諸法無我」といいます。つまり「実体的」な自己とか、「実体的な世界」はないのだというのです。
 それでは、実体として感じているこの〈わたし〉をどう表現したらいいのでしょうか。唯識では、それを「阿頼耶識」とかいいいます。それを浄土教の文脈に移してみれば、「方便法身」といっていいのではないかと思っています。方便法身といえば、それは阿弥陀如来のことで、私たちには無関係だと思っているんです。果たして無関係なんでしょうか。法性法身は、親鸞がいうように「色も無く、形も無く、言葉も絶えたり」です。つまり人間には感じることもできないものです。しかし人間が感じることのできる真理は、方便という次元にあるというわけです。それは、この〈わたし〉という身体ではないでしょうか。モノとしての身体ではなく、コトとしての身体ではないでしょうか。安危共同の身体ではないでしょうか。安全なときも危険なときも、同体になって苦を引き受けているのは身体ですからね。
 この〈わたし〉と「身体」の関係を、これから突き詰めて考えていきたいと思います。柔らかく、まだ固まっていないホヤホヤの状態のコギトを表出してしまいました。

2007年3月10日

お通夜に行きました。寒かったので、簡衣にマフラー姿で、運転して行きました。会場の駐車場に着くと、葬儀会館の駐車場係が出てきました。車の窓ガラスを下げると、係員が、「奥の柱を右に曲がったところに止めてください」という。小生は内心でおかしいなぁと感じた。いつも坊主の車は、一番前の定位置って決まってるはずだなぁ?……。今日は、なんかの都合で停められないんだなぁ…と内心でつぶやきました。
 とすると、やおら係員は「お寺さんですか?!全然分かりませんでした!どうぞ、ここに停めてください!」と慌てている。それで小生にも合点がいきました。小生の格好はどうみても、坊さんには見えないということだったのです。一般人にしか見えないので、係員は、一般人の停める場所を指示していたようです。その後の取り繕いかたがおかしくてね。「いやー、全然、分からなかったもんですから…」と照れるやら、わびるやら。
 そんなことがあって、考えてみると、小生の格好はまったく「坊さん」らしくないということです。「坊さん」にはどうみても見えないということです。でも、初めはちょっと、ムッとしたのですが、少し立ってくると「いやぁ、まんざらでもないなぁ…」と思えるようになったのです。
 つまり、どこからみても「坊さん」臭さが漂っていないということですから、これは、諸仏証明ということではないでしょうか。その係員は諸仏です。彼が、「あなたはまったく坊さん臭くありませんよ。ご立派です」と褒めてくれたのだと受け取りました。いやいや、彼はお見逸れしましたと、わびていたのですが、おみそれしてくれたことが有り難かったです。
 坊さんらしいということは、やはり、真宗が身についていないということの証明ではないかと、思ったりしています。坊さん臭さが完全に消臭されてこそではないでしょうか。 まぁ外見は、それでいいんです。でも、つきあってみると、ちょっと変わったところが感じてもらえるんです。
 以前にも書きましたが、『ねずみ女房』(ルーマー・ゴッデン作)の、このねずみは見かけは、他のネズミと同じですけど、「でも、どこか、ちょっとかわっていました」」というところが好きです。この「ちょっと」というのがね。ものすごく変わっていたとしたら、麻原ショウコウになっちまいますよ。見るからに威厳があるとか、カリスマ性があるとか、そんな「坊さん」臭さがあったら、これは偽もんだといっているようなもんじゃないでしょうか。
 真宗の坊さんは「ちょっとかわって」いればいいんです。この「ちょっと」というのが大問題なんですけどね。だいたい、みんな自分の固定観念で「坊さん」を推し量っているだけですからね。自分の固定観念と違っていれば「おかしい」と感じるだけです。自分の固定観念と合致していれば、「よし」と感じるのです。すべて自分の固定観念で推し量って、世界を造っているんです。それは、各人が思い描いた「仮想世界」だといってもいいのでしょう。
 ですから、まだだれも〈ほんとう〉の「真宗の坊さん」を見たことがないんです。いままで見たのは、すべて幻影です。まだこれから存在するであろう坊さんを見たことがないんです。 
 小生もまだ、見たことがありません。だから楽しみです。
2007年
3月02日

すごくグロテスクな夢を見ました。手のひらや手の裏に、黒いヒルがくっついているんです。あの、ミミズのような、吸血の気持ち悪い長っぽそいやつです。それに気づかなかったのですが、ひとから「ヒルがくっついているよ」と教えられて、あわてて擦り落としました。
 まだ落ちないやつがいたので、指でつまんで落としたんです。しかし、全部を引き剥がすことができませんでした。先端の部分がまだ残っているんです。それも擦り落とそうとしたのですが、できませんでした。でもそれを落とさないと、やがてそれが体内に入って成虫に成長してしまうのです。
 手のひらの表面についているやつは、ロウソクの炎で焼き落としました。ジューッといって、まるで発泡スチロールを焼いたときのように、黒黒のカタマリになって、ジューッと音を立てて落ちてゆきました。しかし、まだ皮膚の中に食い込んでいる部分があるんです。それもつづけて炎で焼き続けました。当然、火傷するくらい熱いのですが、我慢してつづけないと、ヒルは死にません。何匹も焼きました。
 しかし、手の裏にもヒルがくっついていて、食い込んでいるんです。それも同様に焼きました。それでもダメでした。体内で成長しているやつが、皮膚を透してみえるんです。体内で自由自在に動き回っているんです。これは、もうダメだと絶望的になりました。
 最後の手段で、仏壇の輪灯の火で手のひらを炙ったのです。するとどうでしょう、成長したヒルたちが、体内から、皮膚を食い破って表に出てきて、苦しそうに落っこちていくではありませんか。後から後から何匹もが出てきました。みんな苦しそうに落っこちてゆきました。手のひらが穴だらけになってしまいました。不思議と痛みがないんです。
 こんなグロテスクな夢は見たくありません。明け方近くに見た夢なのでしょう、鮮明におぼえているんです。おそらく、布団の上に猫が寝ていて、とても苦しい状態だったのが原因ではないかと思えます。猫が、布団の上に乗られると重たいですよ。寝返りがとても不自由です。でも、猫を叱るわけにもいきません。
 親鸞は、夢の告げで人生を換えています。三夢記があります。19歳の磯長の御廟、28歳の大乗院、29歳の六角堂です。夢は、深層との対話です。そこに親鸞は如来を感じていたのでしょう。しかし小生の夢の中にでてきたヒルは、何の象徴だったのでしょうか。

2007年2月24日

人間はエロスとタナトスの舞台である。
 お若い方が自死されました。職場の人間関係もよく、明日スキーにいく約束を交わしていたのに。なぜ?自死を選んだのか?親御さんにとっては、これほどの不可解はありません。
 何か、理由があったに違いない。それでなければ、まさか自死を選ぶはずはないと、考えたくなります。
 しかし、人間は生への欲望と同時に、死への欲望も兼ね備えているのです。フロイトは生への欲望をエロスと名づけ、死への欲望をタナトスと名づけました。私たちは、エロスだけしかないのではないかと思っていますけど、そうでもないのです。
 タナトスのエネルギーとエロスのエネルギーは拮抗しているものなのです。たとえば、タナトスは、飲酒・喫煙・薬物・暴走・犯罪・オルガスム等の現れ方をします。飲酒は、酔うことによって現実から退きたいというタナトスの欲望です。喫煙も、毒だと分かっていても手が出てしまう。これもタナトスです。
 エロスの面だけが人間ではありません。またエロスが正しく、正常な人間のあり方だと考えてしまうと、タナトスが見えなくなってしまいます。人間はエロスとタナトスが展開する「舞台」なのです。
 ですから、そのお若い方も、タナトスの促しによって自死されたのではないかと想像します。それは「させられ体験」なのです。タナトスによる「させられ体験」です。ですから、ご本人も無自覚のままに自死されたのでしょう。これは事故のようなものです。
 自死は、すべて事故です。
 この「させられ体験」は、人間にとって根底的です。誕生という「させられ体験」から出発しています。すべて受け身です。実は、この一瞬も、「させられ体験」の一瞬なのでしょう。
 清水眞砂子さんが、こんなふうにいってます。
「私は、あと半年ほどで六十になるのですが、人間って、自分で選んでいるつもりだけれど、実は選べることなんて、本当にわずかしかないなということが、やっとわかってきました。むしろ、私たちが生きていくことは、本当のところ、外からの要請に応えていくことではないだろうか、と思うようになっています。」(『幸福に驚く力』)
 まさに、「させられ体験」を実感しておられるのだと思います。
別に、誰かが書いたシナリオがあって、そのとおりに演技させられているということではありません。基本的に人間は「自由」です。どこに行くのか、何を考えるか、そんなことは自由です。自由なのですが、その自由そのものが、実は「させられ体験」なのです。考えることくらいは、自由だというのですけど、それすらも「させられ体験」として考えているということです。
 その「外からの要請に応えていく」ということで生きているんでしょうね。
 さて、親御さんにとっては、理由が「分からん」ということが苦しみのタネなのです。しかし、それは「分からん」のです。当人だって分からないんですから。
 私たちの本尊は「分からん」というものです。阿弥陀さんは、「分からん」という意味です。その「分からん」という仏さんを毎日拝んでいるんです。「分からん」ということに二面あるのです。
 ひとを苦しめる「分からん」と、ひとを助ける「分からん」があるんです。仏智不思議を疑うか、仏智不思議を信ずるか、どちらかです。「分からん」ということで道を求めて、最終的に「分からん」ということで満足していく世界があるのです。
 人間は「分かる」ことで苦しんでいるんです。「分からん」ということが、ほんとうに人間を癒し解放するのです。
 「分からん、分からん」と阿弥陀さんを拝んでいると、そのうち「分からん」ということから味が染み出してきます。そしてその「分からん」がそのひと自身の根拠になって、生きる勇気へと転じていくのです。そこまで、ご一緒に行きたいものです。

2007年2月
23日

いよいよ〈いま〉ということしかないと、感じています。
 人間が生きているのは〈いま〉しかないのです。「昨日」なんてどこにもないんです。記録か、記憶の中にしかありません。また「明日」なんて、希望か予定の中にしかないのです。その明日になってみれば、明日は今日に変化していますから、やはり〈いま〉しかないのです。
 その〈いま〉に一喜一憂しているのが小生の日常です。でも、〈いま〉をどう受けとめるかということがすべてです。〈いま〉が豊かに受けとめられれば、過去も未来も豊かになるのです。〈いま〉に怨みを感じていれば、全存在が怨みに覆われてしまいます。
 私たちは赤ちゃんのとき、存在と意識とが一体化しているので、なんの問題もないのです。しかし長ずると存在と意識が分裂していくのです。この分裂に一切の諸悪の根源が潜んでいるのです。
 うまく分裂していけばよいのですが、それが難しいのです。傷跡のカサブタがやがて痒くなって、爪で引っかいて血を流したことがあります。でも、引っかいても血が出ないときもあります。ちゃんとカサブタの下で新しい皮膚ができあがっていたんですね。
 存在と意識の分裂もそれと同じでしょう。剥がされても、血が出ないように下に、新しいものができあがっていないとダメなんです。
 赤ちゃんは、ノー(no)と言いながら成長してゆきます。泣くという行為は、「お前の態度は受け入れられない」ということです。それは嫌だ!という反応です。そのまんまの意識で成長します。だから、「福はうち、鬼はそと」で生きてるわけです。おっぱいをもらえばニッコリとし、オシメが冷たければ鳴きだします。90歳になっても、赤ちゃんのこころで生きているのが人間です。
 宗教は、人間を〈深み〉へと成熟させます。宗教に遇わなければ人間に深みが生まれません。これは言い過ぎかな。
 ノー(no)がやがて、イエス(yes)に変化していくのが成長ということです。それには〈いま〉を十全に全受容しなければなりません。そこから生きないとダメです。
 人間には進歩も発展も堕落もありません。「未来」にどのような社会を描いて政治家はリードしようとしているのでしょうか。50億年先の未来をどう考えているのでしょうか。目先のことだけで「一喜一憂」させているのが政治のように思います。これも言い過ぎか。 50億年の未来、50億年の過去、どちらも永遠性ではないでしょう。そこには時間も空間もありません。(これは意味深だなぁ…。ほっと…)
 しかし宗教は、永遠というスパンで時空間を感得させるものでしょう。
 そして、まさに〈いま〉永遠が現象しているわけです。この〈いま〉は永遠の過去と永遠の未来とによって、現成させられているからです。〈いま〉釈迦も親鸞もいます。ここにいます。「記号」となって〈いま〉ここに現成しています。決して過去のものではありません。「過去」といっても、〈いま〉の内容でしかないのです。過去なんかどこにもないのですから、〈いま〉に溶けて、〈いま〉の内容になっているのです。
 明日死んでいるかもしれない、〈いま〉を十全に生き尽くしましょう。だって、生まれたということは、「大凶」を引き当てたようなもんですからね。人間から言えば「不幸」以外に誕生の意味はないのです。不幸が本来性なんです。別にトラックが横転したといって驚いている場合じゃないんです。ひとが殺されたといって驚天している場合じゃないんです。人間の本来性が、むき出しになっているのが事件や事故というものです。
 三面記事をみれば、この世が「苦の娑婆」だということが教えられます。あれこそが生きた経典ではないでしょうか。
「あってはならないこと」です、あんな事件や事故は、しかし、その「あってはならない」ことを本質としてるのが人間の社会なんです。それが本質なんです。

2007年2月19日

清水眞砂子さん(児童文学者)と、今度会わなければならないというので、『そして、ねずみ女房は星を見た』(テン・ブックス)を読みました。帯には「『ゲド戦記』翻訳者による待望のエッセイ」と書かれています。
 彼女は、かの有名な「ゲド戦記」の翻訳者なのです。また、大谷派でもおなじみの執筆者でもあります。
 そのエッセイも面白かったのですが、その題名にもなっている『ねずみ女房』(福音書館)が読みたくなって、注文してしまいました。
 これはルーマー・ゴッデンというイギリスの作家がかいた絵本です。短いものですが、とても、意味は深いものだと感じました。メスねずみが主人公です。ひとり暮らしの女性の家に住み着いています。旦那もいます。でも書き出しのところで、何かを暗示するような言葉に出会いました。
「このねずみも、見かけは、ほかのねずみとおなじでした」。それじゃ、どこが違うんだろう?とワクワクさせられました。まあ、ねずみとしては「平凡な」暮しを楽しんでいるようです。おすのねずみは「これいじょう、何がほしいというんだな?」と聞いてきます。メスねずみは、「何がほしいのかわかりませんでした。でも、まだ、いまもっていない、何かが、ほしかったのです」と作者はかいています。
 これはねずみの話じゃなくて、人間の話じゃないか!と感じます。結婚して、専業主婦で、あるいは、仕事を持っていたとしても、そこに「いまもっていない、何かが、ほしい」という感覚は、女性にはあるように思えます。男だってそうではないでしょうか。
 果たして、もっと自分に最適な男性(女性)があったんではないか?もっと、自分に適した仕事があるんではないか?という、ささやきは、多かれ少なかれ、「生きる」ということには付随しますよね。
 それでも、うだうだと日常生活をしていると、そんなに生活を変えることもできずに、時がうつろっていくという有り様が、現実のようです。
 そこから想像が派生して、「失楽園」とか「マディソン郡の橋」とかへ転位していきました。
 「めすねずみは、ときどき、窓じきいの上にそっとのぼっていって、ガラスにひげをおしつけて、外を見ました」。
 それから、メスねずみにも子どもが生まれます。旦那はクリスマスのケーキを食べて具合が悪なり、二人分と子どもたちの分まで稼いでこなければなりません。「日常」に引きずられる生活が始まります。
 そんなとき、男の子が、鳩をつかまえて女性に差し出します。鳥かごに入れられた鳩は寂しそうに鳴いています。餌の豆を食べようともしません。
 女房ねずみは、鳥かごによじ登り、鳩から外の話を聞きます。「まいにち、はとは、ねずみに、窓の外の世界の話をして聞かせました。家の屋根や、木の梢や、丸い形の丘や、たいらな畑地や、遠くの山のことを、はとは話しました」。
 「めすねずみは、ながいあいだ、はとといっしょにいました。家にかえると、こんな話をするのは残念なことですが、おすねずみは、はすねずみの耳にかみつきました」。
 オスねずみの嫉妬というやつですね。たとえそれが浮気でなくても、男というやつは、女房が家にいないと、それだけでイライラした感情になるようです。依存したい生き物なんでしょうか。
 でも、その次の行には「その晩、めすねずみは、はとのことを考えて、ねむれませんでした」と書かれています。オスねずみに耳をかまれた晩です。こころはもう鳩のところにいってしまったのです。
 メスねずみは、もうやもたてもたまらず鳩のとこにいき、鳩を逃がすために全身の力を込めてカギの留め金にぶら下がりました。やがて鳩はかごから飛び去っていきました。
 「『ああ、あれが、飛ぶということなんだわ』と、めすねずみは思いました。『これでわかった』と漏らしました。
 そして物語のクライマックスがやってきます。
 「星を見るということは、ごくわずかなねずみにしかできないことです。それは、ほんとうにめずらしいことなので、めすねずみは、星の話を聞いたことがさえありませんでした。いま、はじめて輝く星を見たとき、これは、新品の金ボタンにちがいないと思いました。でも、そのすぐあとで、あの星はとても遠くにあるもの−−−庭や森よりも遠い、その向こうの、一ばん遠い木よりも遠くにあるものだということに、気がつきました。
 『でも、私に見えないほど遠くはない。』と、めすねずみはいいました。あたらしいボタンでないとすれば、何か遠い、大きい、ふしぎなものなのだと思いました。『でも、わたしには、それほどふしぎなものじゃない。だって、わたし、見たんだもの。はとに話してもらわなくても、わたし、自分で見たんだもの。わたし、自分の力で見ることができるんだわ。』
 めすねずみは、そういってゆっくり、誇らしい気もちで寝床にもどりました。」とさ。
 結局、メスねずみは、鳩といっしょに外界に飛び立つことがなかったのです。鳩はねずみが必死になって脱走作戦をおこなっているとき、つれないんです。「ねずみさん、ありがとう」ともいいません。「いっしょに外に飛び立とうよ、はやく、私の背中に乗って!」などと誘いもかけてきません。
 ねずみが気がつくと、バッという羽音とともに、かごから飛び立っていっただけです。
この旅立ちのシーンも印象的でした。また暗示的でした。
 もし、「ありがとう」などと御礼を言ってしまったらどうでしょうか。アマーイ結末になりませんか。ねずみと鳩の視線は交差していて交わっていないんです。ねずみは鳩がきっと苦しんでいる、外界に脱出したいはずだというふうに思いはかるんです。でも、鳩はそんな素振りは見せません。ただ、寝言で楽しく空を飛び回っていたころの鳴き声を漏らすだけです。
 しかし、どうしてねずみは鳩といっしょに外に行かなかったのでしょうか?
 ここがこの物語の核の部分だと思います。それが、「自分で見たんだもの。わたし、自分の力で見ることができるんだわ」というところにあると思います。つまり、いままで星を見たこともなかったねずみが、鳩から星の話を聞き、星を見ることができるようになった。それは、わざわざ外に行く必要がなくなったということだと思われます。星のところまで行かなくても、星を手に入れたのだと思います。だから行くという要求が消えたのではないでしょうか。
 これは仏教のさとりのような気がします。「行かずにして行く」という。「不動にして動ずる」ということでしょう。どれほど小さな方丈にいようとも、全世界と共鳴し共感するというさとりの世界ではないでしょうか。
 むしろその場から逃れよう逃れよう、逃れたところに希望の世界があるんだと思っているときには、星は見えていないんですね。逃れる必要がなくなったとき、はじめて星が見えるんでしょう。そしていま安心して、自分の場所に居ることができるんでしょうね。
でも、外へ行きたいという欲望が、ねずみからなくなったとは思えません。やはり、窓から外をながめて暮らしているんでしょう。
 オスねずみと喧嘩しながら、子どもたちとワイワイやりながら。でも、鳩に出会うまえのメスねずみとは、ちょっと違っているのだと思います。

2007年2月12日

先日、ドキッとする体験をしました。ある朝、大島駅から上り電車に乗りました。小生は気になっていた本を読みふけっていました。改札を抜け階段を降りたところのホームで本を片手に電車を待っていました。そこが一両目だとも知らずに。
 そして電車が来たので、乗り込みました。立っている乗客は少なかったのですが、満席状態だったので、吊り革につかまって本を読み続けていました。すると、座っている女性客が、小生の方を上目づかいでチラチラと眺めてくるのです。本を読んでいたのですが、そのことには気づきました。小生は、「このひと、知り合いかなあ?」とか「もしかしたら門徒のひとかな?」あるいは「もしやナンパの前兆か!」とドキドキしました。数駅過ぎたあたりで空いてきたので、小生も座席に座りました。ちょうどその女性の真ん前の席に座ることになりました。
 隣には男性客のおじさんが乗ってきて座りました。小生は再び本を読み続けていました。それでも前の女性がチラ見する視線は感じていました。「やはり門徒のひとかな?」と内心では思い始めていました。次は「神保町、神保町」というアナウンスがありました。すると前の女性は立ち上がって、出口付近に行きました。何ごともなく降りるんだなと思いました。すると、駅に着く少し前に、彼女が突然こっちに向かって、「ここは女性専用車ですよ!」と大きな声を出すんです。小生は何ごとが起こったのかと思って戸惑いました。まさに「エエエーーーッ!!(>_<)」と驚きました。
 そんなぁ!女性専用車なんて知らないよ!そんなのあったの?!と思いました。そして隣のおじさんに「知ってました?」と尋ねると、「知らんよ」というのです。そしてまわりを見渡してみると、確かに男性は二〜三人しか乗っていませんでした。そこで初めてこの車両が「女性専用車」だと悟った次第です。
 これは後でわかったことなんですけど、大島を朝の9時13分発迄の、つまり通勤時間帯の一両目は「女性専用車」になったのだそうです。そんなこととも知らずに、ノウノウと乗車していたのです。あの女性からすれば、確信犯のよう感じられたのかもしれません。吐き捨てるように言われた冷たいことばを浴びながら、小生は、隣の車両にスゴスゴと移動しました。くだんのおじさんは、そのまま冷たい言葉に耐えて席に居すわっていました。(すごい根性だ。(◎-◎))
 あのチラ見は、犯罪者に犯罪を警告するためのサインだったんですね。いや〜怖かった。 でも、もう少し優しい言い方をしてもらえませんでしょうかねぇ。こっちだって知らずに乗っちまったんですから…。
「あの〜、ここは女性専用車だって、知ってました?」とか「こんど女性専用車ができたそうですよ…」とか「この電車の、ここに、何て書いてあるんでしょうか?『女性専用車』ですよね。おわかり?」とか。
 ちょっと、あの冷たい言い方には恐怖を感じました。そんな言い方をすると、あなたに余裕のないのが感じられます。そうとう何かこころに傷でもお持ちなのかなと、いたわしくも感じました。
 それ以後は、細心の注意をして気をつけるようになりました。でも、女性専用車を設けなければならないほど、車内痴漢が多いということなんでしょうね。これは、もう男性にとっての本能といってもいいものが作用していると思われます。だから、規則で禁止しても禁止し尽くせないものがあるのです。それだからといって、自分は痴漢するか?と問いかけてみると、「しない」と即答できますけど、やはりギリギリのところへいけば縁次第ということになるのではないかと思われます。
 姦淫のこころをもって女を見るものは、姦淫したことと同じだというふうなことをイエスは言ってます。痴漢という犯罪のラインを内面にまで適応したならば、犯罪者でない男性は存在しないでしょう。だから規則で押さえつけろ!禁止しろ!罰しろ!といくらやっても、永遠に痴漢がなくならないのでしょうね。それでいいのか!といわれると、いけないに違いないのですが。人間存在の奥深さは、禁止くらいでは決着がつかないわけです。 それはタバコがからだに悪いことはじゅうじゅう承知でも、吸ってしまうというのと同じくらい奥深いことでしょう。やはり何十万年という人類の歴史が私の中にも脈々と流れているのですからね。

2007年2月05日

再建のための杭打ちが始まっています。この辺は海抜−2mです。3mも掘ると、地下水が出てきます。そこで支持基盤のある地下50mまで杭を到達させなければなりません。昔は、大きな鉄のカタマリを打ちつける摩擦杭でやりましたが、現在ではアースドリルという工法でやっています。
 摩擦杭は、ガンガンガンガンととてもうるさく騒音問題で大変でした。しかしアースドリル工法は、まずドリルで地下50mまで穴を掘り、そこに鉄筋を入れ、さらにコンクリートを流し込むという方法です。騒音は半減しています。
 ドリルといっても、ドラム缶の底に刃がついているようなもので、それをモーターで回転させながら掘り進みます。しかし地上で見る50mと地下50mとでは、まったく距離感が違います。
 地下の50mは、とてつもなく深く感じました。そこに鉄筋を円筒形に組んで、地下に下ろしていくのですが、その鉄筋がドンドンと地下に飲み込まれていく様は、圧巻です。まだ呑むのか!ととにかく驚嘆させられます。
 流し込まれた生コンは、ミキサー車12台でした。この生コンがやがて固まって、支持基盤に固定されます。
この杭を今年は19本打つのだそうです。三日で2本というペースでしょうか。掘っては埋め、掘っては埋めと、延々と続く作業を見ていると、何か頭の下る思いがしてきました。掘った泥を地上で振り落とす時、ガンガンガンガンとうるさいので近所にご迷惑をかけていると、いつもこころが痛みます。
 砂町という場所は、まさに水の上に、いや泥の上にかろうじて乗っかっている場所なんですね。地震ではたぶん、液状化するでしょう。大量の水が大地の中を流れているのだとあらためて知らされました。
 地下は、まだまだ不思議な場所です。これは自己に置き換えられますね。自己という大地を掘り進んでいくと、どんなものが出てくるのか。それは恐怖でもあり、楽しみでもありませんでしょうか。
2007年1月
28日

「無人の会」で、昨年開催された、西田真因先生の講義録の輪読をしました。テーマは「真宗における共同体論」です。
 これは、参加者がボランティアでテープから聞き取り、それをパソコンで文字化してくれたものです。ひとり三ページくらいずつ読みました。
 先生は、靖国問題も、そしてキリスト教も、「贖い論」で読み解いていました。村人が愛する村民を戦争で失った、家族が愛する家族を戦争で失った。そのとき、共同体(村も家族も)その死を尊い犠牲として受けとめます。さらに、死者は私たちの身代わりになってくれた尊い霊だと受けとめます。自分たちの代わりに死んでくれた、つまり「贖(あがな)い」の対象と受けとめるのです。
 これは、極東日本に起こった特殊な事例ではなく、西欧を席巻したキリスト教に共通しているというわけです。キリストはアダムとイブが行った原罪を、神のひとり子イエスが十字架にかかることで人類の罪を「贖い」ます。靖国もキリスト教も根っこのところは「贖い」の精神で成り立っているというのです。
 いままで靖国は日本の特殊事情だと思っていたのですが、そうではないといいます。これは人類が根っこのところでもっている「贖い論」の系譜だったようです。眼から鱗でした。
 共同体のために犠牲となった死者をどのように受けとめるのか?というテーマを投げかければ、民族を超えて同じ形の反応になってしまうということです。
 ちょっとどうかな?ということも思いました。確かにオーソドックスなキリスト教は、そのような理論で解けるでしょうけど、はたしてキリスト教といっても一枚岩ではありません。仏教も事情は同じでしょう。
 オーソドックスなキリスト教理解は、イエスの「代受苦」によって人類が救われた、そのことの秘蹟を信ずるというふうになっています。でも、イエス自身の発言には、「私にしたがってくるものは、汝の十字架を背負って来い」というくだりもあって、これは代受苦の精神ではないなと思っています。だとすると、イエスの信仰と、イエスキリスト教の信仰を一応わけて考えなければならないということにもなります。
 でも、「贖い論」は面白いです。ややもすると、浄土真宗だって、阿弥陀さんの犠牲によって私たちは生きられると考えがちですからね。食事のときに、「いただきます」というのは、たくさんのいのちの犠牲に対して感謝するのだという言い方も「贖い論」に乗っかってしまいますからね。
 「汝の罪は汝自身が負え」とならないと、一人前の宗教のようには思えません。汝自身では負えないならば、負えるような脚力をつけてあげようというのが宗教ではないでしょうか。背負えないから絶対者が代わりに負ってあげるというのは、ちょっと違うんじゃないかと思います。これは微妙なところなんですけどね…。
 すべてにおいて「自業自得」と受けとめられたら、それが何ごとにおいても、最終的には落ち着くさきのように思えます。
2007年1月
23日

仏法が真理であって、誰もがほしがるものであるならば、どうしてみんなが求めようとはしないのだろうか?という問いをあるひとから聞きました。
 仏法がすごく美味しい御馳走ならば、どうしてみんなが競って食べようとはしないんだろうか?どう見ても、仏教ブームじゃないし、寺に聞法に来るひとも少ないし…と考えてしまうんですね。
 そのとき、「いやいや、仏法は真理なのに、みんなが眠っているから気がつかないんだ!眼を開けば、仏法は真理じゃないか!」という方向へ行ってはダメでしょう。それは啓蒙主義になり、お節介にひとに仏法を押し売りすることになります。啓蒙主義は、すでに相手を無知蒙昧と決めつける最大の差別ではないでしょうか。ひいては、啓蒙主義は、暴力を許す論理に傾斜していきます。「こんなに親切に教えてあげているのに、まだ目覚めないのね!いい加減に目を覚ましなさい!、ビシーッ!」と鞭で叩いてもいいという論理になっていくんです。
 まあ、まあ結論を急げば、「自分にとっては…」という問いだけが、問題なんですね。ひとはどうでもいいのです。「自分にとって仏法とは?」という二人称の問いしか有効ではありません。三人称にした途端に仏法から逸脱します。
 この問題は「信仰の倦怠期」ということです。これは歎異抄第9条の弟子・唯円の問題と通じています。「信仰に入ろう!」とか、感動して、「この道しかありえない!」とか、初心のころには歓び上がることが多いものです。しかし、何年もその道をやっていると、徐々に初心のころの感動が薄れ、ふと横を見ると、誰もまわりにはいないし、ひとりよがりだったんじゃないかと倦怠期に入るわけです。
 この倦怠期は、否定的なことではなく、誰しもが必ずとおる道筋だということです。大乗仏教でも、それを「七地沈空の難」といって大問題としています。だから、倦怠期にならない信仰は、ほんものにはならないといっていいんではないかなと思います。
 これはどんな道でも陥る問題のようです。およそ「道」と名のつくものにはつきもののようです。
 歎異抄に戻れば、親鸞は、倦怠期だからこそいいんだという言い方をしています。倦怠期に落ち込んだものを助けるための本願じゃないかというんです。だから倦怠期のないものは怪しいというわけです。
 弟子は、倦怠期じゃダメだと受け止め、親鸞は倦怠期だからこそいいんだといいます。親鸞においては、倦怠期の不快の感情が昇華されているのです。弟子は不快感で落ち込んでいるのです。この違いはなんでしょうか。
 親鸞は理屈でもって、倦怠期を浄化してはいないと思います。つまり、マイナス要因として倦怠期を見ていないわけです。人間は感情の生き物ですから、快不快・喜怒哀楽に蹂躙されながら生きるものです。初心の快感が減少したときには憂鬱になるのが、当たり前と受け止めていたのではないでしょうか。ですから、当たり前のことが自分に起こっているだけで、別にありうべからざることが起こっているわけではないのです。
 むしろ倦怠期の不快感が起こっているから、これは間違いないことだと感じているわけです。自分に現象してきた感情の側ではなく、自分に起こっている法則性のほうを信頼しているのです。これは微妙なことです。
 仏法は、実に「微細」なものです。ほんとうに微かなものだと思います。ですから、見過ごしてしまえば、一生見過ごして済ますこともできます。でも一旦その微細なことに気づいてしまったら、もうもとの自分には戻れないほどのものでもあります。
 ですから、仕方ありませんね。唯円も、もうもとの自分には戻れなかったのでしょう。先に行くこともできず、帰ることもできず、またとどまっていることもできないという焦燥感と緊張感が、倦怠期にはつきものです。
 そうして八方塞がりになって、死ぬわけです。仏法から逃げて、全然違うところに行こうとしても、決して逃がしてくれないものです。夜空の月が、自分を追っかけてくるように逃げても逃げてもついてくる問題なのです。
 だから、その場で窒息して死ぬのです。自分が便りにしている「思い」というものに死ぬわけです。
 結局、「自力は思い・他力は事実」なんです。まぁ自力というやつは、自分が固定的にあって、この自分が生きていると固定観念をもっているんです。でも現実は、「関係性」以外に自己はないのです。そして結論をいえば、思いが解体されて、全世界が全宇宙が自己だということにならなきゃだめなんです。
 譬喩的にいえば、自分の皮膚の内側が外になり、外側が自分だということになればいいと思います。普通は、外側を「世界」と呼んでますね。でも、その世界そのものが自分自身なのです。眼は、自分自身を、つまり外側しか見えず、内側は見えません。面白い構造になっているんですね。
 風見慎吾さんの娘さんがトラックに轢かれて亡くなったと、テレビでやってました。風見さんが、「娘にはなんの落ち度もないのに、なんでこんなことになるんだ…」とコメントを残されていました。それを聞いて、なんとも表現しようのない気分になりました。この世には安全地帯はどこにもないと実感しました。
 いかにも平々凡々に、ひっそり、暮らしていければいいと、どこかに自分も思っているんです。家族が健康で災いもなく暮らしていければ、それでいいと。でも、「この世」というやつは、そういうことを許しちゃくれないんですね。
 「上り坂に下り坂」、娑婆にももうひとつ「まさか」という坂があるとは、よくいわれますね。
 人間の努力ではいかんともしがたい「まさか」が、この世のつねですね。「まさか」が日常性なんでしょう。その「まさか」は、自分には無関係だとタカをくくっているんですけど、それを忘れるな!とパンチのように襲ってくるんです。
 自分のこころがけとか、思惑とか、そういうものとはまったく無関係に「まさか」があります。「まさか」を土台にして、その上に日常が成り立っているようです。
 「なんの落ち度もないのに…」と風見さんはいいますけど、人間として生まれたという「落ち度」があったんですね。生存するということは、まさに暴力です。生まれるということは、まったき落ち度でしょう。


 2007年1月1
8日

河合隼雄さんの『こころの処方箋』の中に「ものごとは努力によって解決しない」(クリシュナムルティ)という章があります。
 この言葉も、オヤッと読むものを驚かせるはたらきがあります。人間の努力や工夫なしにどうして、社会がよくなっていくんだ!と、すぐに反論したくもなります。それじゃ、ことなかれ主義の現状維持じゃないか!と。
 でも、その反応は、言葉の表層の意味にとらわれた反応なんです。もっとその言葉のもっている深層の意味に分け入っていくと、いや〜、そうだなぁ〜とつくづく感心させられるのです。
 だって、努力では解決しないことが人生にはたくさんありますからね。そんな出来事に出会ったとき、「すべては努力で解決できるんだ」という思いが強いと、その思いに圧迫されて身動きがとれなくなってしまうからです。その思いに殺されてしまうといってもいいのかもしれません。
 だから、その思いを横に置いておける余裕が、その言葉にはあるように思えます。
 この世には努力でなんとかなる問題もたくさんあります。でも、人間の究極的な出来事は、努力でなんともなるものでもありません。そのときには、その出来事に真正面から取り組むしかありません。
 でも、腹の底では、努力ではなんともならないことなんだよなぁと知りつつ、取り組むだけです。
 娑婆の本質は、「一難去ってまた一難」ですからね。でも、その難を、味に転換して、それも、ひとつひとつ丁寧に、自分を鍛える素材にしていければ最高ですね。

 2007年1月
13日

昨年の『南御堂』12月号の原稿を転載しておきます。定期購読されているひとも少ないようですから。どうぞご覧下さい。
テーマは「
『親鸞へ帰れ』から『親鸞から出発する』」です。

 曽我量深のことばに「これから真宗教学は、ますます発展していくことでしょう」というものがある。私は若いころ、この言葉の意味がよく分からなかった。
「どうして、これから発展していくのだろうか?」と疑問に思った。なぜなら、もうすでに親鸞が、〈真宗〉の核心を表現しているではないか、またたくさんの先輩たちが教えの言葉を残されているではないか、どうして「これから発展する」などということがあるのか?と疑問に思ったのである。
 つまり、もうすでに親鸞が真宗の核心(いわゆる真理)を表現しているのだから、後学のものは、その真理を学んでいくことで充分ではないかと思っていた。これから新しく発展するなどということには、考えも及ばなかった。そのときの私の学びの姿勢をひと言でいえば「親鸞へ帰れ」であった。
「親鸞へ帰れ」という学びの姿勢は、親鸞の表現こそが真理だと考える発想である。親鸞の表現以上の表現はあり得ない、もしあったとしてもすべては二番煎じであって、オリジナルはすべて親鸞のところにあるのだと考える。この発想に立つと、「親鸞はすべて分かっていた。分かっていたところから表現していた。その表現が受け取れないのは、ことごとく私たちの至らなさが原因だ」と受けとめてしまう。こう考えると、教学がますます尻つぼみになっていく。親鸞だけが真理の体得者であり、後学のものはどこまでも劣ったものということになる。仏教の伝承形態は、「師弟」の出遇いであるが、もしどの時代でも師が素晴らしく巨大であり、弟子が劣ったものであるならば、仏教はどんどん衰退していくことだろう。
 しかし、その発想はどこかおかしい。それは「はだかの王様」(原作:アンデルセン)を思わせる。親鸞をすべて分かっている真理の体得者と考える発想は、「はだかの王様」を「はだか」と見えなかった大人の智恵ではないか。「愚かなものには見えない糸で縫ってある素晴らしい服ですよ」といわれると、見えなくても見えたことにする。素晴らしい服が見えないのは、自分の眼がおかしいのだと大人は考えた。ほんとうは素晴らしい服を着ているに違いないと。
 ところがある日、いや、王様はもともと「はだか」だったんじゃないか、服が見えないのは、自分たちの見方が劣っていたからじゃないんだ。見えないものを見ようとしていた錯覚だったのだと目が覚めるのである。そこに立ってみて、初めて等身大の王様が立ち現れてくる。
 これは譬喩だが、私は親鸞を「はだかの王様」にしていた。確かに、親鸞の表現を誤って了解するという我々の問題もある。しかし親鸞自身の表現の不十分さということもあるのだ。それを、「親鸞は真理を分かっていた、私たちは分かっていない」と考えるのは間違いだ。思えば親鸞自身も「他力の信心うるひとを、うやまいおおきによろこべば、すなわちわが親友ぞと、教主世尊はほめたまう」と記されている。他力の信心を得るならば、お釈迦様が、「我が親友よ」と呼んでくれるというのだ。親友ということになって、初めて〈横〉の関係が開かれることになる。
 親鸞は、真理をすべて分かった体得者ではなかった。真理を円にたとえれば、親鸞の表現は、円全体を表現したものではなく、一部分の「弧」を表現したものである。全体を表現したものはいまだにいない。だから曽我量深は、これから「弧」を表現するものがどんどん生まれてくると予言した。人間の表現はどこまでいっても「弧」である。親鸞はみずから、〈真宗〉にいどみ、一部分を表現していった。私たちも、みずからいどみ〈真宗〉の一部分を表現していく責任がある。仏法を聞いたものには、聞いたものの責任が生まれる。そういう教学の姿勢を、「親鸞から出発する教学」と名づけてもよいのではなかろうか。

※「弧」を何%と見るかは、そのひとに任されています。「弧」というと10%くらいと 考えるひともいるでしょうし、70%と見るひともいるでしょう。

2007年1月08日

ようやく娑婆では、明日からが本格的な「仕事始め」のようです。まだ小生には今月、新年会が数回予定されているというのに、なんだか「新年」は、もう遠く遥か彼方に過ぎ去ってしまったようで、まったくおめでたいという感じが湧いてきません。
 仕事始めのときなど、「まだまだお屠蘇気分が抜けなくて…」なんて挨拶を交わしていたのが懐かしく感じられませんか。新年だから酒を飲むということでもなく、いつでも酒は飲んでますしね。これといって、新年の特別な行事があるわけでもなく、相変わらずの日々を送っているわけです。
 そんな感覚から、森岡正博は、以前「終りなき日常を生きろ」と、叫んだんでしょうね。非日常を要求するこころの根底に、危ないものを感じていたんでしょう。パンパンに膨らんだ風船が「日常」というやつでしょう。それを一気に爆発させたいという「非日常欲求」が危ないと。そんなこともあって、日常に小さな爆発を繰り返していていればいいんじゃないかと感じたりもしてます。
 昨夜、お店で飲んでいたとき、ガタガタ、ミシミシと店が揺れるんです。みんな地震だ!と思って、緊張しました。店にはテレビがなかったので、地震速報をみることもできません。すると、また数分するとガタガタと揺れるんです。ママに聞いても、近くに大きな道路が通っているわけでもなく、地下鉄が通っている振動でもないといいます。こんなに揺れたのは初めてだといいます。これは、東京地方に群発地震が発生したに違いないと思って、家に電話しました。すると、「なんにも揺れてないよ」という返事です。ということは、この建物だけが揺れているのか?と思って、外に出てみました。すると、案の定、強風に煽られた家屋が、ガタガタと揺れているのでした。確かに昨夜の強風は、まさに恐怖の風でした。そのお店は、二階建ての二階に位置していたのです。隣も同じような二階建てです。野中にポツンと建っているわけでもありません。おそらく、風のまわりが悪いんでしょう。強風の度に、ガタガタミシミシと揺れました。しかし、原因がわかって一同安堵したというお粗末でした。
 安堵したとき、みんな、「な〜んだーッ」て、がっかりしたようにも見えました。これだなと思いました。非日常欲求は。もはや、ハレ→ケ→ケガレ……→ハレ→ケ→ケガレと循環する祭祀循環が、明確に感じられなくなっているということです。晴れ着のハレですけど、これは非日常です。ケとは、日常のことで、ケが継続して続いていくと、ケが枯れていきます。ケが枯れていくと、ケ・ガレ、つまり「穢れ」になります。その穢れを爆発させるのが、ハレの祭祀です。こうやって日本民族の精神は、循環してきたようです。
 でもそれがうまく循環しなくなったんですね。ケ・ガレた状態がずーっと続いていると感じているんです。
 そのケ・ガレた状態をなんとか爆発させたいという大衆の欲求が、オウム真理教を生み出したのではないかと、短絡的に考えています。それと同じことが、防衛庁から防衛省へという動きなのかとも思います。我が内なるオウム、我が内なる防衛と受けとめたいと思います。防衛が攻撃へと変化するときには、必ず、被害者意識が介在します。つまり、悪いのは敵だ、自分は被害者だ。「あいつらが責めてくる!」という強迫観念です。
 それは善人意識というものです。善人意識は危ない。悪人意識こそが平和の礎ではないかと、思ったりしております。
 

2007年1月02日

門外漢


 
ますます〈ほんとう〉に背いていることがハッキリしてきた
 背いているという感覚だけしか語れない
 〈ほんとう〉を語ったら〈ほんとう〉ではなくなる
、と語っている自分がいる
門の内にいるとばかり思ってきたけど
 ほんとうは門外漢だったのだ


2006年度の「住職のつぶやき」を別室に移しました。膨大な言葉たちがどんどんコピーされて、別室に移されていきます。よくぞ、まぁ、こんなに語ることがあったものだと感心すると同時に、いったい何を書いてきたのかと、振り返りました。そして気がつきました。
 〈ほんとう〉ということは、語れないのだと。〈ほんとう〉の周辺をウロウロして、〈ほんとう〉の中に足を踏み入れてはいなかったのだと思いました。それをあたかも〈ほんとう〉を表現しているような錯覚にとらわれていただけです。
 あらためて、そのことに思い至りました。おそらく親鸞が、「門」というメタファーで語ったことは、そんなことなんじゃないかと思います。門のなかに入って、〈ほんとう〉を語っているようだけれども、それは門の外だったんだと。開き直るようですけど、やはり外しか語れないのだと、あらためて感じました。
 他力だとか、浄土だとか、易行だとか、あたかも〈ほんとう〉について語っているようですけど、実はなんにも語っていないのです。〈ほんとう〉の周辺しかうろついていないのです。
 まぁそう思いますと、この「つぶやき」も大いなる無駄ということになりましょう。まぁ、もっと開き直れば、人間が生きるということほど無駄なものはないんです。無駄はいかんと叱られても、そういうことでしょう。そうすると、「つぶやき」もいいかと思います。人間の本質が「無駄」であるならば、この「つぶやき」も無駄と通底していきます。 門の外だということ、つまりそれをメタファーで語れば「如来に背いている」ということなんです。ますます門の外だということが、新年に思われました。まさに「門外漢」です。
 まぁ、大いなる無駄というこことで、『南御堂』1月号(大阪教区・難波別院発行)に書かせてもらいました。長いんですが、転載させてもらいました。

■テーマ:親鸞を流罪にした私の罪■

親鸞は三十五歳(一二〇七年)のとき流罪に遭った。どうして流罪になったのか。その理由は、南都北嶺、つまり奈良・京都の旧仏教教団と律令制国家権力が「専修念仏」に恐怖を感じたからだということが定説になっている。
 どうして恐怖を感じたのかといえば、それまでの仏教理論を法然・親鸞がくつがえしてしまったからである。いわゆる聖道門仏教は、「難行」をモチーフにしてみずからの理論を構築している。現在でも比叡山では「朝題目・夕念仏」といい、南無阿弥陀仏を唱えているという。それがどうして南無阿弥陀仏に恐怖を感じなければならないのだろうか。
 それは、比叡山の念仏は「念仏も」という念仏であり法然・親鸞の念仏は「ただ念仏」という念仏だったからだ。日本に伝わった仏教は、「大乗仏教」である。大乗は、「あらゆる衆生の救い」をテーマにした仏教である。それは南都北嶺も同じだ。だから、悟りを得るための修行も、いろいろなバリエーションをもっている。衆生の気質に応じて、難しい行から易しい行を用意している。人間には能力差があるから、難しい行に耐えられる人間ばかりではない。難しい行だけであったら、「大乗」にはならない。そこで易しい行も用意している。それが、称名念仏という行である。
 念仏といっても、もともと「観念の念仏」が主流であって、称名念仏は、それに至るための準備という扱いである。念仏の最終目的は、阿弥陀如来との神秘的合一である。しかしそれに耐えられないもののために、「称名念仏も」修行の一部に取り入れているということである。阿弥陀如来像の周りを念仏を称えながら一心不乱に歩行する常行三昧は難行であり、あらゆるひとができるというものではない。しかし、口で南無阿弥陀仏と発語する称名念仏くらいは、気質の劣ったものでも行ずることが可能だということになる。
 ところが、法然・親鸞は、聖道門仏教が最下底に位置づけた称名念仏を、金科玉条の宝として取り出してきたのである。いままで「念仏も」といわれていた念仏を「ただ念仏のみ」と言い換えたのだ。ほんとうの行は、称名念仏だけであり、他の難行はすべて廃棄されるものだと訴えた。
 その主張を聞いた聖道門仏教は、恐怖を感じて怒り、「専修念仏」を弾圧した。自分たちが真面目に行ってきた修行を完全に否定されたからである。それは「念仏も」という念仏ではなく「ただ念仏」(ただ念仏以外の行は不要)という念仏だった。
 聖道門仏教が何に対して恐怖を感じ、怒りを抱いたのかといえば、「易行(いぎょう)」という教えにである。「易行」とは、いつでも、どこでも、だれでもが行える行ということである。つまり無条件の行ということになる。人間の条件を一切問わないものが「易行」である。
 もっと言えば親鸞の説く「易行」とは、難しい易しいという相対概念の「易行」ではない。相対概念の「易行」は、聖道門仏教の考える易行である。つまり初心のものにとって、易しい単純な修行という意味になる。ところが、親鸞のいう「易行」は「まったく努力がいらない」という自力無効を意味している。少しずつ易しい行からはじめようという人間の作為性を徹底して排除している。この「易行」を人間が自己の立場に据えることはできない。さらに、それを突き詰めれば、親鸞の説く「易行」は、人間のする行為という次元を超えてしまっている。行為の次元にある限り、難易という相対性をまぬがれない。それは「称える」という行為以前にあるもの、つまり〈存在〉そのものからの発露でなければならない。
 すると私の発想は、「易行」とは正反対のものであることがわかる。「だれでも」ということであれば、十年前に入門したものと、今日入門したものとが同じということになる。何十年も修練を積み熟練したものと、初心のものとが同じということになる。こんな論理を持ち込めば人間社会は成り立たない。やはり、熟練したものにはそれ相当の待遇が与えられなければならない。とてもそんなことは受け入れられないではないか。
 とすると、私の発想は、「易行」を弾圧した聖道門仏教の発想と同じではないか。老少善悪という条件を選ぶのが聖道門仏教である。ところが、その発想そのものが私自身である。こうなると、いままで、無前提に自分を弾圧された専修念仏の側に位置づけてきた発想が問われてくる。
 口では「真宗は易行である」と説きながら、本音は「難行好き」だからだ。はじめから易しい行だといわれれば、目もくれず、バカにして本気には取り合わない。誰もがすることのできる行には魅力を感じない。私だけ特別にできる行だから、やり甲斐があるのだ。難易度の高い難しい行だからこそ、それを達成したときの満足感が大きいではないか。その行が難行であるほど、達成感も大きいのだから、本質的に私は「易行嫌い」の「難行好き」なのである。
 実は、この「難行好き」の発想そのものが法然・親鸞を弾圧させたのではないか。自分は弾圧を受けた被害者の側にはなく、どこまでも加害者の側にあったのではないか。紛れもなく親鸞を弾圧したものとして、私は生を受けている。そうなると、今日、本山・東本願寺(京都)の御影堂に親鸞像を安置している意味があらためて問われてくるように思う。

詳しいお問い合わせは因速寺まで。

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2006年12月30日

後一日で2006年も終ろうとしています。いつも年末に思うのですけど、来週は2007年になっているというのに実感がともないませんね。どうしても「来月」という観念と「来年」という観念には隔たりがあります。
 「来月」ということだと、観念的には地続きで、別にこれといった感慨もありません。しかし、物理的には来週に違いないのですけど、「来年」という観念は特別なものです。たとえれば、「来週」という観念は、道路を右折するような感覚です。まだ見たことのない道があるはすですけど、それほど予測のつかない感覚がありません。でも、「来年」という観念は、道が途中で消えてなくなっているという感覚です。そこから先は何が待っているのか、ちょっと分からないという感覚です。そこまで行けば道が消えていて、落ちてしまうのかどうなるのか分からない感覚です。
 これは、人間にだけある感覚で、猫や犬にはない感覚でしょう。やはり、この「時間」という観念は人間特有のものです。まったく恣意的なものです。恣意的だから、自由に書き換えられるかというと、そういうわけでもありません。やはり恣意的なんですけど、必然なんですね。人間にとって「時間」という観念は、恣意的必然です。
 確かに共同幻想なんですけど、これに打ち勝つことはできません。「来年」という観念は、そういう新鮮さと不明さとをもったものだと思います。
 これはひとつのリセット感覚でしょうね。一年というゲームをやってきて、12月31日という日をもって、ゲームをリセットするわけです。いいこともあった、悪いこともあった、でも来年はもっと違っているかもしれないと、リセットするのです。
 古代に天皇が元号を変えるというのも、リセット感覚でしょうね。リセットすることで、以前のわだかまりを水に流して、新しくするわけです。これは完全に観念のゲームでしょうけど、これが人間には有効なんですね。
 もっと短くみれば、一日もリセット感覚だと言えなくもありません。いろんなことが起こったけど、朝目が覚めれば、すべて水に流されて新しくなっているという感覚です。楽しいことならいいんでしょうけど、人間にとって辛いことは、やはりリセットがなければ耐えられないのではないでしょうか。
 一応、便利なので世界では西暦を使っています。これはリセットが効かないんです。2007年→2008年と増える一方です。しかし元号は天皇の時間ですから、リセットして一からやり直すことができます。この二本立てで日本はやってきました。
 それに対して仏教徒は仏暦を使うべきだというひともいます。親鸞は釈迦の死をBC949年と考えています。ですから、来年はそれにAD2007年を足して、2956年になります。釈迦の死をつたえる経典もいろいろあって、なかなか決定的なことはいえません。しかし親鸞はそう考えていたようです。
 この仏暦を使おうというのも一理ありますけど、みんなが使わないと不便だということもあって定着しません。
 キリスト教は、キリストの死を歴史の起源におき、仏教も釈迦の死(涅槃)を原点としています。天皇制だけがリセット感覚になります。
 仏教は、末法史観で、時代と共にどんどん人間は汚れていくと受けとめます。だからこそ、弥陀の愛にあうことが大切だと説きます。ほっておけばどんどん悪くなるのだと。
 このように不変の一点から、〈いま〉という時間を受け取ってみるということが宗教なんでしょうね。どれほど元号でリセットされたとしても、変わらないものがあります。それは自分自身でしょう。お釈迦様の死から、数えて〈いま〉という日があります。真宗信者は、親鸞の死から数えて〈いま〉を受け取ります。
 たぶんキリストを十字架にかけたのは私だという罪の自覚があって、キリスト教の本質は成り立つように思えます。私たちも親鸞を流罪にしたのは私だという罪の自覚が信仰の核心でしょうね。
 だから親鸞をまつるなどということは、不遜であってほんとうはできないことです。加害者が被害者の写真を飾っているようなものです。「ありがとうございます」などといって、まつっているのです。ほんとうはどこまで懺悔しても許されない罪を犯してきたのです。自分が親鸞を流罪に処したのですから。
 親鸞を流罪にした聖道門の発想と私は同質だったのです。  

2006年12月25日

いのちの末期には、必ず神話がやってきてくれる。
 死の臨床の場面では、いろんなことが起こるようです。父の場合には、親戚が見舞いにきたとき、兄弟たちを見て父は笑っていました。父は、「なんで、死んだひとたちがここに来ているんだろう」と言いました。兄弟たちを前にして、死人だというのです。この場面に出会って、小生はうれしくなりました。
 いのちの末期には、やっぱり神話がやってくるんだなぁと思いました。ポリネシアかどこかのひとたちは、老人がこんなことを語ると、「ようやく祖父さんも神の言葉を語るようになった」と嬉しがるそうです。
 現代日本では、ボケだとか、耄碌だとか、痴呆だとか、幻覚だとか、薬のせいだとか、とても詰まらない解釈をします。真実は、そうではないでしょう。やはり、神話がやってきているのだと思います。
 父が弟を呼んでくれというので、弟を連れて行くと、父は「これは道夫じゃない」と否定するのです。これも面白いなぁと思いました。もはや、この世の法則は通じません。まさに神話の世界にこころは住み遊んでいるのだと思いました。
 そして、父がうらやましく思えました。小生も、末期のときにはこういう神話が訪れてくれるに違いないと思っています。ですから、いまから、死ぬときはどうなるかなんて心配しなくていいんでしょう。必ずあなたに神話を与えてあげますよという如来の声だけを信頼しています。それだけは信じられると思います。
 だから、健康なときに、死が怖いとか怖くないとか、そんなことはどっちでもいいなぁと思います。その場に直面したときには、必ず神話が人間に訪れてくれます。
 鈴木章子さんだったか、「なかよし時間」という言い方をされていましたね。末期のクライエントが、それこそキューブラーロスの「死の四段階」で、怒りやウツ状態になったとしても、最後には、なぜか「なかよし時間」が訪れるといっています。「なかよし時間」とは、いままで出会ったひとに、ありがとうと言いたいとか、ひとに優しく穏やかになるそうです。そういう時間を迎えて、この世を去っていくのだそうです。
 これもそうだと思いました。末期のひとには末期の神話がやってくるんでしょう。大丈夫ですよ。だって、私たちは毎日、夢という奇想天外な物語をみているんですから。末期のときだって、もの凄い神話がやってくるに違いないのです。それだけは信頼していいことだと思っています。


2006年12月1
8日

非常に優しい私は、すぐにひとに対して卑屈になります。相手に対して、もしや悪い気持ちにさせたのではないかと勘繰ってしまいます。自分の言動が相手を不安にさせたのではないかと思います。
 そして、あ〜あ、こんなことになるんなら、最初から会わなければよかったなぁ…と後悔してしまいます。ますます、ひとに会うのが辛くなります。ウツ傾向でしょうか。
 でも、それって、ひとに対しての優しさじゃなくて、自分自身への優しさなんですよね。自分がひとに嫌われるのが怖いということでしょう。嫌われたくないから、その場凌ぎのことをやってしまうんでしょう。それはひとへの気遣いじゃなくて、自己保身なんですね。 自己保身という殻をまとって生きてます。殻から出たら生きられません。殻そのものが私なんですから。殻=自分自身ですからね。
 自業自得という言葉がありますけど、やっぱりあれって、ほんとうなんでしょうね。
自分のこうむったバチは、だれのせいにもできませんからね。いやいや、ひとのせいにしたっていいんです。でも最終的には、とどのつまりは「自業自得」と、ストンと自分が引き受けないとだめなんですね。
 どれほどひとに同情されても、やっぱりそれは業として自分自身が引き受けなきゃなりません。最終的には引き受けることになるのですから。
 〈身〉があるか仕方ありません。〈こころ〉だけで生きられればいいんでしょうけど、そうは生きません。食わなきゃ死にますし、動かなければなりません。この〈身〉というやつがあって、これまた、どうも、重たいことです。52年前の本日、この世に生を受けたという、これは重たいことです。
 誕生は、強制的贈与であると芹沢さんはおっしゃいますね。「母の暴力」と。それをパラフレーズしたら、「仏の暴力」というふうに読めました。如来の暴力かぁ…と思いをはせてみました。これまた、恐ろしいことです。
 今日は、いい天気です!
 

2006年12月12日

悪をもおそるべからず
 それを小生は「〈存在〉をもおそるべからず」と翻訳している。もっと言えば、罪と共にある〈存在〉を恐れることはないと。
 これは歎異抄・第一条にある言葉です。「念仏にまさるべき善なきゆえに、悪をもおそるべからず。弥陀の本願をさまたげるほどの悪なきがゆえにと云々」と終っている。
 この「悪」は、悪事とか悪行という意味ではなく、自己存在を象徴的に語っている言葉だと思います。
 存在するということは、いつでも罪と同義です。様々な生き物を殺し食い、様々な犯罪の因子を孕み、あるいはすでに犯し、ひと時もひとに迷惑をかけずに生きられない〈存在〉です。
 微細に自己存在を凝視すると、そこには、胸を張って生きられない、頭を下げ続けてしか生きられない自分が発見されます。できるだけ人の目を避け、日の当たる道を避け、夜陰に乗じてうごめく自分があります。
 そんな自己存在に、怖れと不安を感ずる存在に対して、歎異抄は「悪をもおそるべからず」という愛語を投げかけるのです。この言葉はまさに「存在への勇気」を訴えてきます。 自己存在の罪に恐れおののくことはない、だいたい、弥陀の本願を邪魔するような悪は存在しないのだから、自己存在を恐れる必要はないよと。
 これは愛の言葉でしょう。この「悪をもおそるべからず」という愛語に触れて、ようやく息を吹き返すのが、自己存在です。
 自分が罪だ、悪だと恐れおののいているのは、ほんとうにちっぽけな罪じゃないか、罪はあなたが考えている以上に大きく深く、とてもあなたの斟酌できるようなものではない。全方向すべて罪だというわけです。
 弥陀の本願の相手にしている悪は、遥かに超えている。それをあなたは自己のちっちゃな心のなかで推し量って、萎縮しているだけでしょう。
 頭を上げてごらん、前を向いてごらん、そこには果てしない虚空が展開しているじゃないか。人間は弥陀の本願のように先を見通すことはできない。過去をも見通すことはできない。そして現在の真実をも見通すことはできない。
 そこで、ストーンと奈落の底へ落とされる。アラーッ、マッサカサマダー!堕ちる堕ちる堕ちる堕ちる。いつでも、ストーンと落とされる。
 ふと、我に返ると、そこに純粋な〈いま〉が復活していることに気づく。「零度の存在」が復活してくる。どの方向にも自由の扉が開いている。選ぶときには、他の扉を捨ててたったひとつの扉を選ぶしかない。しかし、選んでもまた自由の扉が全方向に展開する。
 それは、やはり「全受容」された〈いま〉が与えられてくるから、選択できるんでしょう。人間は自分で自分を全受容することは不可能です。でも、目の前に全受容の世界が展開しているんです。全受容の世界が展開しているから、安心して一歩を踏み出せるのです。
 「意識は否定・存在は肯定です」。
 意識は抽象化されたものです。自己存在をイエスと肯定できない。存在はいつでも、そうあることを肯定されています。存在が先、意識は後です。
 

2006年12月05日

サザエさんが、理想の家族像のモデルかもしれない。
 というのも、先日あるひとから聞いた話ですが、彼は新聞を読みながら夕飯を食べていたそうです。すると幼い我が子から「そんなことしていると、カツオになっちゃうよ!」と叱られたといいます。
 というのも、その子はテレビマンガの「サザエさん」の中で、弟のカツオ君がマンガを見ながらご飯を食べていたとき、サザエさんが「カツオ!マンガを見ながらご飯を食べるのやめなさい!」と叱ったそうです。そのシーンと、自分の父親が新聞を読みながらご飯を食べている姿が重なったようです。
 お父さんはバツが悪かったといいます。
 ということはですよ、現代の家族像の原型が「サザエさん一家」にあるのではと感じました。サザエさん一家は昭和40年前後の家族が舞台のようですが、あの時代の家族像が普遍的な家族像なのかもしれません。
 お父さんは夕飯までには家路につき、家族揃って夕飯を食べる。もちろん残業なんかはありません。フグタ・マスオさんというサザエさんの夫は、別段、磯野家と暮らしていても不都合は感じていません。それなりに義父・義母にはいくらか気遣いしながら、しかし幸せそうです。家族全員が、少しずつ気遣いをし合って生きています。みんなあのマンガを見ていると、ホッとして、とても幸せな気持ちになるのが不思議です。
 とはいうものの、「サザエさん症候群」というのもあるそうです。あのマンガは日曜日の夕方放映されますから、あのテーマソングが流れると、明日は仕事にいかなければならないと感じて、ものすごく滅入ってしまうひとが多いそうです。
 それはともかく、「サザエさん」が、子どもの倫理観を育んでいるということは、いいなと思います。もはや実の家庭は、倫理観が破綻しているからです。
 マンガですから、どこにもあん家族はいません。でも、あのマンガの中の登場人物たちが、私たちにホッとした瞬間を与え、また、「あれがほんとうだよなぁ…」というしみじみした気分にさせられるのも正直な感想です。
 そんなこといっても、実際には、大家族は消えつつあり、二世代同居から、一世代だけの家族が増加していることも現実です。面倒な大家族はゴメンだということでしょう。物理的にも三世代同居は難しくなってきました。それは都市化が原因です。
 たったひとりでもコンビニさえあれば生きていけるんじゃないかと思います。コンビニだって他者が運営しなければ存在しないのですが、それを捨象してしまえばですけどね。
 以前、「コクーン族」という言葉が流行りました。コクーンとは繭のことです。カイコは自分の口から糸を吐き出し、繭をつくって自分だけの世界を形成します。個人化をカイコに見立てたのです。コクーンには言葉は不要です。他者の存在を必要とはしません。
 都市は、言葉を交わさなくてもよい社会です。文字は氾濫していますが、声は不要です。声がなくても都市では生きてゆけます。コンビニでも声は不要です。電車に乗るのも、映画を見るのも、買い物をするにも、声は不要です。電話よりもメールが主流になってきました。実際、「文字」よりも「声」のほうが情報量が圧倒的に多いです。声には個性があって自分が流れだしてしまいます。それを極度におさえたものがメールでしょう。
 藤原新也は「携帯は、子どもに最も必要な他者との肉声や身体の接触を奪う。」(朝日新聞06/11/20)という理由で、携帯所持に年齢制限を設けるべきだといっています。でも、この個人化・内向化の傾向は消えることはないでしょう。
 だって、人間の脳は面倒くさいことは嫌いなんですから。不便で不快で危険で面倒なことは嫌いなんです。もともと脳は怠けたいんです。こうしてワープロを打っていると、漢字を忘れます。ワープロを使っているひとならみんな感じることです。つまり、それは老化とはちょっと違っていて、いままで漢字を書くことで記憶していた脳の部分をワープロが代替えしてくれますから、脳は働かなくてよいのです。すると、その回路が閉鎖されます。
 それは人間の脳の本性なんです。だから「脳を鍛えろ!」といったコピーが流行っています。人間の脳から生まれた文明は、怠け者を作る文明です。これを汚いとイスラムでは蔑みます。この資本主義の本質をイスラムは見抜いているところがあります。自分は動かずに、利益を得るという「利子」という発想を嫌います。今後50年もたつと世界人口の多くがイスラム教になるだろうという予想があります。それも当たっていると思います。 話がズレました。脳は怠けるということが本質です。
 その対極にあるのが「身体」です。いうことを聞かない身体を脳は切り捨てたいのです。老化や病気という不都合をもった身体を切り捨てたいのです。しかし切り捨ててしまうと脳自体が生きられないという矛盾を孕んでいます。
 だから、脳にゼロか百かというデジタルな発想をやめさせて、「曖昧」を取り戻してやることです。これも譬喩ですけど、小生のパソコンにはいろんなソフトが入っています。たとえばワープロソフトが動いているときには、メールソフトは動いていません。メールソフトが動くときにはワープロソフトは動きません。しかし、パソコン全体としては、その中に混在しているわけです。混在しているけれども競合することがありません。そういう状態がいいと思います。
 いろんなものが混在していて楽しいじゃないかと脳に教えてやりたいです。どんなにモノグサな脳であっても、自分の好きなことにはどれほどの苦労も惜しまないのが脳です。脳に第三の道のあることを教えてやりたい気分です。

2006年11月27日

南無阿弥陀仏なんて、人間が称えられるもんじゃない。人間はただ、聞くのみだ。
 全世界が南無阿弥陀仏と念仏しているんだ。自分の身体が念仏してるんだ。自分のこの心臓がナムアミダブツと鼓動を打っているんだ。人間はそれを受け取るだけだ。
 だから、南無阿弥陀仏と言葉になったら、念仏の鮮度はなくなってるんだ。南無阿弥陀仏になった途端に、ほんとうの南無阿弥陀仏は死んでるんだ。言葉になった南無阿弥陀仏は、真実の南無阿弥陀仏の屍骸である。
 そんな屍骸を大事にしていたってしょうがない。生きてはたらく南無阿弥陀仏を獲得しなければ。
 まず、聞くことだ。受け取ることだ。それが出発点だ。だから歎異抄の第一条は、「弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」と一気呵成に吐き出しているではないか。まるで、満々と水を湛えたダムが、一瞬のうちに決壊したように、雪崩を打って、ドーッと吐き出されている。
 もう、こっちから何かを仕掛ける必要がない。すべて向こうから来ているんだ。ただそれを、ハイと受けとめればいいんだ。こっちからは、手出しができない。
 ただ、ハイといってみれば、全世界、全法界が、南無阿弥陀仏を称えているではないか。〈いま〉、この一瞬に全世界が南無阿弥陀仏といっている。
 吸う息はアミダブツ、吐く息はナム。呼吸は、そのまま南無阿弥陀仏という念仏なんだ。ナムと吐いて、アミダと吸う。吐くときには、私のすべてを吐き出す。吸うときには全世界を吸い込む。吐いて吸う、吸って吐く。これ生きているということ全体が南無阿弥陀仏だということだ。
 その他に南無阿弥陀仏はありえない。
 「自分」なんて、ほんとうはないんだよ。あると思っているだけで、ほんとうはない。ないけれども、あるように思っているんだから不思議だ。これ人生の不思議だ。
 〈いま〉、目の前にしている全世界、全法界、その前にたたずんで、さぁ生きようと思う。前人未到の法界を前にして、さぁこれからさと、サッと立ち上がりたい。
 まだ、だれも生きたことがない道だから。私の道は私にしか歩けない。だれにも代わって歩いてもらうことはできない。
 さぁ、これから、さぁ、これからと。

2006年11月21日

病気になったことのないひとに、健康の素晴らしさは感じられない。
 このことばは言い得ています。人間の幸福感は、この「不幸と幸福」の落差にのみ存するのでしょう。病気をしたことのないひとは、健康に差ほどよろこびを感じないものです。健康というものが当たり前ですから、別段、どうということもありません。
 そういう意味では、やはり病気も大切な「教え」なのでしょう。
 話は変わりますが、小生は親鸞を絶対化していました。親鸞はすべてを分かっている、でも私は愚かだから、親鸞の真意が分からないのだと思っていました。つまり、親鸞絶対化病にかかっていました。しかし、それが病気だったと分かったとき、ようやく親鸞と横並びの友達関係になれました。(12月号の『南御堂』[難波別院発行]一面に書きました)
 そんなことを、知人に話したところ、「そんなことは常識で、親鸞が絶対だなんていう妄信はありえない。親鸞だって人の子だからね。そんなこといまごろ分かったの?」といわれてしまいました。
 そういうことを言われたとき、小生は「病気になったことのないひとに、健康の素晴らしさは分からない」と感じました。宗教というものは、そういうものではないでしょうか。初めから病気にもかからないで、どうして健康の素晴らしさが分かるのでしょうか。
 宗教との出遇いは、苦し紛れの悪あがきの末にゆきつくものです。自分から道を求めるということではなくて、苦しいから逃げよう逃げようとしていたときに、フッと出遇うものでしょう。出遇ったときに、もうみずからの全身をなげうって、その教えに身を浸すわけです。だから、必ず、教祖や開祖の絶対化が起こるわけです。絶対化も起こらないで道を求めるということはあり得ません。
 次の段階では、その絶対化が破られてきて、初めて教祖・開祖と横並びの関係に、つまり等身大の関係として再会するのです。絶対化→破れ→再会というプロセスが宗教です。禅の『臨済録』でも、「殺仏・殺祖」というんですね。
 初めから絶対化が起こらなければ、宗教の門に入っていないということです。病気になって初めて健康の有り難さが感じられる、まさにそのとおりですね。
 

2006年11月17日

アンチから歎異へ。
 ハイデガーは言ってます。「すべての〈反anti〉は、それが立ち向かう相手の本質の中に必然的にとらわれている」(『森の道』と。
つまり、それを真宗の文脈に置き換えれば「相手の欠点に気づくのは、同じこころが私にもあるから」となりますし、「飛行機と地下鉄が衝突したってーなことは、聞いたことが、ありゃせんね」となります。
 つまり、つまり、他と衝突するということは、そのひとが同じ土俵に立っているということです。つまり、つまり、つまり、相手と自分が本質的に同じだから、衝突するのだということになります。もっというと、相手によっかかって自分の立場を固辞しているわけですから、相手がいなければ倒れてしまうという、依存関係ににもなっているわけです。
 ただ、フェーズがズレていれば、衝突はありません。しかし、なかなかそれをズラすことが難しいんです。というか、永遠にズラすことはできませんね。
 それをやろうとすれば、我慢するか、やっつけるかしかありませんからね。だから、どうしても、超越項に登場してもらわないと、ラチがあきゃーしませんわ。否定媒介という超越項ですけどね。
 相対的な「自己と他者」という関係の中での衝突は仕方ありません。なくなることはありません。ただ、そこで起こった怒りと火花を、各人がどう昇華するでしょうね。衝突も、完全燃焼できるような衝突でなければダメでしょう。滓が残ったり、不完全燃焼だったりしたら、これは問題です。完全に、その衝突で燃焼してもらわなければなりません。
その燃えかすを、どうやって調理するかです。
 やっぱり仏前で、仏さんとニラメッコして、少し時間をかけて、その前にいることでしょうね。そうすると、怒りがスーッと消えていくのを感じました。こうやって、煮えたぎるような怒りの自分を仏さんが見つめている。
 その眼差しを感じていると、スーッと平静になってゆきました。やっぱり、自分には仏さんが必要なんだなぁ。最高のリフレッシュ装置じゃないかと思います。
 南無阿弥陀仏でレベルオフです。南無阿弥陀仏でゼロに帰れるわけです。ゼロにかえって生きられるわけです。何もない自分に戻れるわけです。赤ん坊の自分に帰れるわけです。やっぱり南無阿弥陀仏はいいなぁ。超越項はいいなぁと、思いました。
  

2006年11月12日

お念仏は、空気のようなもんですね。なければ生きていけないのに、あっても、なんとも思わないんですから。
 あまりに、見事にできあがっていて、それがあっても、なんの感動もおぼえません。私の周りには、空気という仏さんがいつでも取り巻いていてくれます。どこにいって、地球上なら、見放すことはありません。
 四六時中、取り巻いていてくれますから、こっちはなんとも思わないんです。ひとは、希少価値とかいって、数の少ないものを貴重だといいます。あるいは、ある瞬間だけの出来事に価値を置きます。
 それがなければ生きていけないのに、四六時中、摂取不捨している空気には見向きもしません。それでも、空気はなんの不平もいいません。ひたすら、私を取り巻きます。
御礼も要求しません。
 ああ、空気という仏よ…。

2006年11月07日

この「いじめ」「自殺ブーム」はいつ頃終るのでしょうか。郵政民営化ブームも、耐震偽装ブームも終って次ぎにやってきたのが、「未履修」ブームと「いじめ、自殺」ブームでした。
 これも半年もすれば、またまた忘れ去られてゆくのでしょう。マスメディアに洗脳されている私たちは、この問題こそが焦眉の急だというふうに、つまり「後生の一大事」だという具合に受け取ってしまいます。
 現象的な現れ方は違っていますけれども、根っこの問題はお釈迦様の時代から存在していた問題でしょう。どうもメディアを見ていると、それによって私たちが踊らされているなぁと感じてしまいます。
 人間の諸問題は、だいたいでいいわけで、その度を越すと何でもタガが外れていくのです。だいたいであってはならない問題は、宗教問題だけです、と小生は思っているわけです。
 宗教問題、つまり、自己自身の信仰問題は、だいたいでは困ります。それは「徹底」しかありません。その他の問題は、まあだいたいでいいわけです。というのは、娑婆が相対的な世の中だからです。相対的な世の中の問題は、相対的に、つまりだいたいでいいわけです。
 緩みすぎてもダメですし、緊張しすぎていてもダメです。またこの丁度いいというのが、なかなか難しいことです。でも実際は、その「丁度いい」というところを探しながら生きているのも人間でしょう。風呂の温度も、食事も、通勤時間も、居住空間も、それが難しいわけです。
 まぁ人間はしょせんチョボチョボですよ。程度の生き物ですから。あんまり目くじら立てずにいったほうがうまくいきます。しかし、こんなことをいうと、緊張気味のひとたちに叱られたりするわけです。「いい加減なやつだ」とね。
 でもこういうふうにしか考えられないし、生きられないということなんです。好きだったら追っかけてでもいけばいいんです。嫌いだったら、逃げちゃえばいいわけです。学校に行きたくなかったら、引きこもるしかありません。引きこもればいいんです。でも、引きこもれるというのは、まだ家が逃げ場になっているんです。家にも逃げ場がなければ、どこにも行けないじゃありませんか。家という「逃げ場」を失っているということは、家が自殺を陰で助けてしまっているということでもありましょう。
 お互いに、相手の緊張を取り去ってあげるということに気をつかいたいです。
 

2006年11月03日

「場の研究所所長」であります清水博さんの話を聞く機会を得ました。
 科学者でもある清水氏は、「場」という言葉を中心に、人間の「生きる」ということについて思索しつづけておられました。
 人間が生きているのはモノとして生きているわけではない、「コト」として生きているということから、話し始められました。
 私の理解では、モノというのは、現象している事物のことですが、コトというのは、作用です。つまり、生きているということは、あたかも「人体」というモノが生きているように見えるけれども、ほんとうは「生きるというはたらきそのもの」だというわけです。これは微妙な違いですけど、まったく違います。
 仏教の文脈に引きずり込めば、「方便(現象)=モノ」、「法性(真理)=コト」ということです。モノは、コトの集合体として、あたかも物体のように見えますけど、本質は作用(コト)以外にはないのです。
 そして先生は、「生命場の二重性」とおっしゃいました。これも譬喩ですが、自分という身体が生きているということが一重ですけど、この身体も無数の細胞の居場所になっているということが二重性です。これはいろんな場面に適応できます。家庭では、自分は個であると同時に、家族という構成員の中にあるという二重性でもあります。
 それがもっと広がっていけば「縁の海」になるというわけです。
無量無数の縁が大海原のように展開している場所が、私たちのいのちの場だというのです。 また先生は居場所を「劇場のような構造」とも語ります。
 細胞にとって身体は劇場であり、もっと広げれば、地球という劇場の上に劇を演じている、それも同じ演技はありません。即興的に、まさに二度とない劇を演じているというのです。地球を劇場とし、その舞台空間に生き物は「役者」となって演技をします。そこで生まれてくるドラマが生命現象です。
 先生は仏教でいう縁起を「縁の海」という言葉で表現していました。
 そして面白いことを語っていたので、メモを記しておきます。
「日本では場というと、答えを一致させるところだと考えてしまう傾向にある。それは日本的傾向だと思う。しかし、場は問いかけを共有することである。答えはそれぞれが出して下さいということです。未来から問いかけられていることを、自分自身への問いかけとして、砕いていかないとダメでしょう。自分への問いかけをつくらないと…。」
 先生の思索は、仏教のほうから近寄ってきて現在のような表現になったのではないのです。科学者として生命とは何かということを考えてきたときに、科学では足りないものを感じて、そこから独自の表現の世界を開かれたそうです。
 ですから、思索の終わりが閉じていないという感じを受けました。そこに記したように、私たちは場というと、それを目的としたり、答えにしてしまう傾向にあります。たとえば、浄土真宗であれば、「浄土」ということを目的に立て、答えとしてしまう傾向があります。しかし浄土が目的になってしまったら、それは生きることが手段になってしまいます。そして「問いかけ」というような開かれた部分はなくなってしまいます。浄土を目的としたら問いはなくなります。まぁ、目的にしようにも目的になりえないということがあって、問いが生まれるのですけれどもね。
 清水氏が「場は問いかけだ」という言葉に、グッとくるものを感じました。私の受けとめでは「因位」ということです。プロセスとしてのみ「答え」があるということです。
ですから、問いかけとしての「浄土」は、いつでも、どのように生きるか? と問いかけてくるわけです。一瞬一瞬問いかけてくるわけです。
 その問いかけに応じて、一瞬一瞬生きるということです。また、現実にはそうやって生きているわけです。呼吸は、一瞬一瞬です。永遠に吸い続けることも、吐き続けることもできません。一回一回の往復運動です。
 久しぶりに、自分の頭で考えている先生の話を聞いて、清々しい感じを受けました。

2006年10月31日

因速寺再建工事にともない、仮住まいに引っ越しました。学生時代の引っ越しとは、グレードが全然違っていました。何十年の間、家族7人分の「垢」のように溜まっていた物を移動するのは、ことのほか骨が折れました。確かに引っ越し業者さんにお願いしての引っ越しなのですが、梱包やら、その荷物をどこへ移動するのかなど、心身ともに疲れ果てました。物置プレハブへ移動するもの、会館へ移動するもの、仮住まいに移動するもの、それもどの程度で、その場所が荷物で埋まってしまうのか見当もつきません。
 初めのうちは順調に梱包し、移動が行われていきましたが、最後のほうにはもうどうでもよくなってしまって、結果的に、「あれって、どこにしまったっけ?」という状態になりました。シェーバーはあったのですが、その充電器が見つからないとか、重要なものが紛失したりと、後遺症はまだおさまっておりません。引っ越し作業が三日間程で終了しましたが、まだ、若干の荷物が残っているので、それを日々運び出す作業が続いています。
 そうそう、ホームページの更新が止まっていたので不思議に思われたかたも多かったのではないでしょうか。実は電話を移す工事はNTTですぐにやってもらえたのですが、プロバイダーのODNの工事が「二〜三週間かかります」ということで、23日〜30日までは、インターネットが一切遮断された状態でした。ですからホームページはいうに及ばず、メールもできませんでした。みなさんには返信もできないような状態で、ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。
 そんなさなか、報恩講を亀戸駅前のカメリアプラザで開催しました。
 五十人が収容できる教室二部屋をぶち抜きひとつの会場にセッティングしての開催でした。カメリアプラザは江東区の文化センターですか、宗教的な儀式はできません。そこでホワイトボードに親鸞自筆の南無阿弥陀仏をかけてやりました。テーマは「親鸞と現代を考える集い−−−宗教及び仏教に未来はあるのか?−−−」でした。
 小生と二階堂行邦先生の法話と四者のパネルディスカッションをやりました。小生は、ジャーナリスト宣言として朝日新聞が打ち出した、「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている言葉の力を」という1月25日朝刊の切り抜きを題材に話し始めました。
 「ペンは剣よりも強し」などといいますけど、剣に押しまくられ気味ですね。だから、とても無力だと感じてしまいます。ところがです、その剣をあやつっているものの正体は実は「言葉」なんですからね。剣を行使する思想は、「言葉」そのものです。ですから、剣という暴力を超えていけるのも、やはり「言葉」の力なのでしょう。
 ところが、「言葉」は「言葉」として対象化されては見えないんです。空気のような状態といえばいいのか、あるいは、もう感受性にまでなっていて、それを対象化することは人間にとって至難の業です。言葉によって、生理のレベルまで思想が身体化されてしまっているので、それを剥ぎ落とすことが難しいのです。
 難しいのですけれども、難しいからといって、決してやめないというのが、「それでも私たちは信じている言葉の力を」というテーゼでしょう。実に遠回りのような、ウジウジとしていて、無力のように見える作業であっても、やはり言葉を紡いでいくということしか方法がありません。急がば回れですね。
 話は変わりますが、アメリカで仏教といえば、それは「禅」を指すようです。鈴木大拙の影響もあって、禅Zen=仏教ということになっているらしいのです。ビートルズも最終的に目指していたのは印度音楽だと聞いたことがあります。つまりアメリカ人自身がみずからの生み出した合理性に辟易しているらしいのです。その反動として、一気に東洋の神秘主義に傾斜していったということでしょう。
 同時に、キリスト教離れが進行していきます。キリスト教は、真宗と似ていて、「言葉」の宗教ですから、言葉によるアプローチを常としています。しかし、アメリカ人自身は、もう「言葉」には飽きてしまったということでしょう。
 言葉でいくら愛していると伝えることより、両手で前身を抱きしめてほしいということです。言葉以上に行為のほうが、圧倒的ですよね。ですから、アメリカでは、ヨーガや瞑想、坐禅という身体行為がもてはやされます。
 でも、いくら身体的行為をしても、その意味を統合するときには、どうしても言葉にたよらざるを得ないのですけどね。体験といっても、行為だけでは体験になりません。行為は意味として体験されます。その場合には必ず言葉による統合が必要となってきます。
 言葉が、行為の意味づけに追っかけてこられないくらいに強烈に行為して、一心不乱にやるということしか残っていないでしょう。それでなければ、すぐに言葉によってつかまえられてしまいますからね。エクスタシー(忘我)の状態であり続けるということしか、行為には逃げ道がありません。
 真宗は、そうはいっても、言葉以外に救いを見いださないのです。仏教は行為を三次元に分けます。
身業(身体的行為)
口業(発語行為)
意業(精神的行為)
 身業は坐禅やヨーガを目指します。意業は神秘主義ですから、エクスタシー(忘我)を目指します。その両方を排したところにあるのが口業です。
 身業には修行の魔が生まれます。肉体的な習練を積むと、必ずいろいろな体験をします。その体験を特殊化して、それこそが「宗教的」だと自分を慰めることになります。行為をすれば、必ず「行をした」という思いが付着してきます。どうしても、やらなかったときよりも、やった後のほうがとてもいい気持ちになります。それが行の魔です。
 その魔を排除したのが真宗です。ですから、行を認めません。行をしたら救われないということです。
 南無阿弥陀仏という言葉は、単なる記号ではなく、一切が受動性だという表現です。南無阿弥陀仏と発語することも、そしてどんなささいな行為も、すべて受動性だと受けとめます。仏法は無我ですから、どこにも実体的な「自」ということを認めません。
 意業も突き詰めれば、忘我をヨシとしてゆきます。阿弥陀さんと自分が忘我の状態になって一体化するという体験も排除します。
 神秘主義は言葉を必要としません。言葉は世俗のものであって、汚れているわけです。その言葉を超えて行こうとするのが神秘主義でしょう。真実は言葉を超えているのだというわけです。
 そんな神秘主義に対して、言葉をもって呼びかけてくるのが南無阿弥陀仏です。ですから、忘我の我を覚醒させる作用をもっています。聖なる次元に浮遊していく自我を、この世にひっぱり戻して世俗の中にたたき込むはたらきです。
 親鸞当時の文脈でいえば、多念主義(身業)と一念主義(意業)という両方を排除しているのです。
 行為化することへも、そしてこころの中に入り込もうとする精神化へも偏らないわけです。それが口業としての南無阿弥陀仏の位相です。
 いくら行をしても、その真の主体は法蔵菩薩(如来)ですから、自分ではありません。ですから、行をしても、その手柄が一切自分に付着しないようにはたらくわけです。いつでも行為は零度です。
 南無阿弥陀仏は、人間が唱える呪文ではありません。呼び声です。南無阿弥陀仏と唱える真の主体は如来です。自分はそれを聞くのです。聞くと受けとめるところに「自分」が成り立つのです。
 曽我量深先生は「本願の名号は生けることばの仏身なり」と書かれています。
生きてはたらく言葉の仏身だというのです。言葉以前でもありませんし、言葉以後でもないのです。観念にも行為にも還元できない、聖なる作用としての言葉であるのです。自分が唱えても、一切自分に利益を与えるものではありません。どこまで唱えても仏自身のものです。また自分を忘れるために唱えるものでもありません。
 忘れていてもいいのです。自分は忘れていても、向こうは忘れてくれません。向こうが私に頭を下げてくるのです。どこにも文句の付けようのない現事実を与えてくれ続けるのです。向こうが私に頭を下げてくることを南無阿弥陀仏というのです。それに触れたとき、こっちはオーッと思うわけです。その反応が念仏としてほとばしりでるのです。ですから、向こうから来てくれないと、オーッという感情は涌きません。向こうが来てくれるんです。念仏は、だから如来の念仏に対する反射作用なのです。
 
  2006年10月
21日

本日「プレハブ」が駐車場に建ちました。ようやく工事が始まろうとしています。引っ越し準備がもうじき完了します。
 もうこの建物たちともお別れかと思うと寂しい限りです。最後には「お勤め」をしてお別れしたいと思います。
 新しい因速寺へと脱皮することで、より充実した「畑」へとグレードアップしていきたいと思っています。寺は「畑」です。信心のひとを産みだす畑です。畑の土がよくなれば、自然と作物も育ってゆきましょう。
 〈真宗〉ということは、とても手のかかるものです。もし〈真宗〉でなければ、ほとんど何もすることはありませんね。通夜・葬儀のパンフレットを作る必要もありませんし、法話会や勉強会をする必要もありません。お磨きだっていらないでしょう。法事と葬式だけやっていればいいのですからね。しかしそれじゃ〈真宗〉じゃないんですよ。
 そうそう仏具の荘厳について仏具店と、こんなやりとりがありました。
「三つ具足等はセラミック加工なさいますか?」というのです。三つ具足というのは、鶴亀の燭台や花瓶(真鍮製)の金属類をいいます。それにセラミック加工を施すと、いつまでも金ピカに輝いているから、手で磨く必要がなくなるというのです。つまり「お磨き奉仕」をする必要がなくなるというのです。
 これを聞いたとき、ちょっと寂しくなりました。だって、やっぱり「お磨き」という面倒くさい手磨きをすることがお給仕ですからね。この面倒くささを取り除いてしまったら、どうも申し訳ないと思うのです。それで、セラミック加工はしないことにしました。ですからほっておけば錆びてくるのです。この錆を手で磨いて落とすことが、〈真宗〉の面倒くささであり、大切なことではないかと思います。
 そのためには、ご門徒のみなさんの手が必要になってきます。ピカールという磨き粉で磨くのですが、これがまた変な匂いなんです。手も汚れます。でも、磨いた後の気持ちよさはなんともいえないものがあります。因速寺では年間六回のお磨きがあります。新しい本堂には、仏具がたくさん増えます。ぜひお手伝い頂きたいと思います。そして〈真宗〉を身体で体験していただきたいと思っています。
 法蔵菩薩の御苦労の一端を味わわせていただけるという、とても素晴らしい時間です。やっぱり〈真宗〉は面倒なものです。でも面倒なものだからこそ、ありがたいわけです。この面倒な日常生活を、ひとつひとつ丁寧にやっていかなければと思いました。

2006年10月18日

「『有り難う』の反対の言葉はなんですか?これが宿題です。」
ほんとに何年かぶりに、宮戸道雄先生の名人説教を聞きました。まさに、名人の域に達しておられる先生は、聴衆のこころをグイグイ鷲掴みにして放すことがありませんでした。質問用紙に「次の聞法会まで待てませんから、答えを教えてください」というのがありましたが、先生は「いえ、、あえて教えません。ヒントは、『有り難う』を感じで書いてみない。そうしたらすぐに分かりますよ」というものでした。
 みなさんもお考えてみて下さい。

2006年10月14日

法蔵菩薩が、生きてるんだね。こうやって。生きるっていうことは、まさに修行です、苦行ですよ。
 人間の仕事に「雑用」といものはないはずなのに。「これは雑用だ」などと、決めつけているんです。「コピーとってきて…」って頼まれたひとは、「雑用」を頼まれたと決めつけるんです。まあ、「コピーをとる」というのも苦行です。何十枚とコピー機が印刷している間中、機械のそばにいないとダメですからね。ミスプリントはないだろうと、コピー機のそばを離れるときに限って、コピー機が止まっていて印刷できていないということが起こるんです。それで今度は、失敗しないようにそばについていると、案外おしまいまでちゃんとコピーしてるんですよね。「この〜さびしがり屋のコピーさん!」と機械を叩きたくなります。いやいや、「さびしがり屋」じゃなくて、「嫌がらせ屋」だと思えちゃうんです。ほんと、意地悪!ですよ。機械にもこころがあるんじゃないかと勘繰ってしまう瞬間です。
 ですから、コピーが主人で、自分が機械の召使という感覚に襲われます。なんで、こんな機械のご機嫌を気にしなくちゃならないんだ!と思います。これってチャップリンが『モダンタイムス』で描写した20世紀ですね。人間が機械を造ったのに、その作った機械に人間が使われるという構図です。この関係からまぬがれることはできませんね。冷蔵庫がちゃんと閉まっていないと、ピーピーとうるさく警戒音を出します。電子レンジで加熱終了後も容器を中に入れておくと、やはりピーピーとウォーニングが鳴ります。洗濯機も炊飯器もそうです。もう現代生活は、この電子音に悩まされる時代に入りました。まさに、機械の奴隷という感じです。
 コピーに話を戻せば、コピーをとっているとき、ひとは付き添ってジッと作業を見守っていなければなりません。この時間が、妙に手持ち無沙汰というか、空虚な時間として感じられるんですね。やがて、「なんでことな仕事をしなければいけないんだ!」とか「雑用ばかり押しつけやがって」とか、「あ〜あ、つまんないなぁ…」とため息が出る時間です。
 この自問自答の時間は、まさに宗教的ですね。このわずかな瞬間にも、娑婆の本質が顔を見せているんですから。娑婆は、一生、雑用で終るんでしょう。詰まらんもんです。雑用以外の何をやっているのか?と問いかけてみると、うまく答えられません。
 苦行の時間を自分勝手に区切って、「これは正業、これは雑用」と決めつけているにすぎません。仏さんの眼からみれば、雑用以外のことをしているわけではないのでしょう。
 底の底まで徹底して居直ってみたとき、人間が、勝手に「雑用」と決めつけている、どの瞬間も、れっきとした修行(苦行)だと思えませんか。どこを切り取っても、苦行でしょう。
 ただし、その苦行の意味は、人間には知らされていないのです。果たしてその苦行が何のための苦行なのかは知らされていないのです。別の言い方をすれば、苦行の意味は仏さんしか知らないのです。「唯仏与仏の知見なり」という言葉が親鸞の言葉にありますね。
 そうすれば、自分がたとえ雑用と決めつけた仕事でも、これは法蔵菩薩の修行をさせてもらっているのだと意味転換できましょう。そうやって意味転換されないと、この瞬間が生き生きとよみがえってこないんです。
 我慢して雑用に従事しろということを言っているわけではありません。「雑用だ」と決めつけている視座を相対化してみるということです。

2006年10月12日

この世の範囲内で、この世の問題が解決できなくなってきたんですね。さっき「前世療法」というのをテレビでやっていました。催眠療法で、自分の現世のイメージ世界へ前戻って、前世を体験することで、現世の何かが変化してくるというものです。これは療法としては、優れていると思いました。
 もう「この世」的なもので、「この世」の問題が解決できないわけです。あの世とか前世というものをもってこないと、解決しないという面白い状況になってきました。
 私たちの浄土教もそういうところがありますね。はしょっていえば、「浄土」は「あの世」というイメージですよね。その「あの世」と関わっていることで、現世が変化してくるというのは、「前世療法」に似ているなあとも思いました。
 あれも「前世療法」ですから、あまり実体的に、前世のことひとが自分の前世だと決めないほうがいいと思います。そうやってここに痣が残っているから、そのひとの生まれ変わりだとかいうのは面白くないです。それじゃ、そのひとの前の前世はどうなのか、さらにその前のひとの前世はどうなのかって、どこまでも「前世」をさかのぼってしまいますから、それはつまらないです。
 ですから、あまり実体的にならない程度にやらないとダメでしょう。
 どうして人間が「前世療法」に惹かれるかといえば、実は「この世」そのものが、不可思議な性質をもっているからでしょう。頼んで生まれたわけではありませんし、気がつけば、この現実が与えられているという不思議さがあります。なぜ自分がこのような「現実」に投げ出されて、いま生きなければならないのか、それは分からないのです。性や家や気質なども、すべて不可思議です。 
 現実は、固定していません。つねに流れています。昨日と今日は違います。今日でも、実に様々なバリエーションが用意されています。事件性に満ちています。
 たまたま新幹線で大阪に行くとき、横に乗ってきた60がらみの外国人女性がいました。私は東京駅からD席(通路側)に乗っていたら、品川駅から彼女がE席(窓際)に乗ってきました。彼女は夫らしきひとに、この席に座りなさいといわれ、座りました。夫らしきひとはホームに出て、見送っていました。ちょっと太めだったので、窮屈でした。
 やがて、次の新横浜駅から日本人男性が乗ってきて、E席は自分の席だと主張するのです。見ると同じ座席です。ところが、彼女のチケットには「こだま」と書かれているではありませんか。さっき車掌が検札にきて、彼女のチケットを確認済みなのに…と思いましたが、彼は飲み込みがはやく、空いている席に座って待ちますと言ってくれました。彼女はどうしたらいいのか戸惑っていましたので、小生はなけなしの片言で、アンティル・ナゴヤステーション・ステイ・ヒアー…ノープロブレムと言ってあげました。彼女は大きなため息をついて座りなおしました。やがて車掌がきて、結局彼女は、名古屋でおりて、後続の「こだま」に乗り換えることになりました。その他にも、これは特急で、あなたのチケットは各駅停車で「コダマ」という電車だとか、ちょっと会話をして彼女を安心させてあげました。落ち着いたのか、カメラを取り出して富士山を撮っていました。
 この、たまたま隣り合わせたということも縁ですね。奇遇です。もう隣りになったということで、彼女に対する責任みたいなものを感じるんですね。どうやって安心させようかとか、もっといい方法はないだろうか等とひとりで考えているんです。これは「関係」が責任を生むという原初的な「人間の大地」に触れたような気がしました。
 もう「この世」自体が不可思議の上に展開しています。ですから人間の思い通りに動くとは限りません。思い通りに動いているようにみえるのは、「不可思議」が「思い」に寄り添っているだけでしょう。本質は「不可思議」なんです。
 鏡を見て、これって俺!どうしてこれが俺なの?不思議だなぁと思います。
 

2006年10月07日

「ひとり居て静か、大勢でいれば賑やか」と言うかぁ、「ひとり居て孤独、大勢いればうるさい」と言うかは、自由ダァーッ!
 後のほうは、おそらく人間の本質まで降り立っていないからでしょう。前のほうは、人間の本質まで降り立って、人間をまるごと受け入れちゃって、洗いざらい、全部受け入れたところからでないと、出てこない言葉だと思います。
 人間の生活現実は、後者でしょうから。いつも、後者でしょうから、そこから、ひるがえって還ってきた場所が、前者でしょうね。この言葉は、みんなが居て、うるせーなーと感じて、その場を立って、自室に戻ってきたとき、シーンとした静寂の中から、ジワジワと感じるのではないでしょうか。とても、そのうるさい場所にいたときに、感じられるものではないでしょう。
 人間は、他者、たとえ家族であっても他者と関係して生きてます。ですから、「他者との間にある自己」と、もうひとつ自分が自分を反省する自己、つまり「自分との間にある自己」というものをも生きています。他者と関係しながら、自己と関係して生きています。 他者とのストレス。それは喧嘩という形もとりますし、他者への気遣いという軽い形もありましょう。見知らぬひとであれば、ストレスは大きいし、たとえ孫や恋人や夫婦であってもストレスが皆無ではないでしょう。ひとは他者といるとき、必ず何らかのストレスを感じています。それは悪い意味でいっているのではなく、関係というのはそうそうものです。携帯電話が、電源を切らない限り、近くのアンテナとつねに微弱にコンタクトしているようなものです。無意識でも、関係という電波を出し合っているのが人間です。
 家族というものを、いつも不思議に思うのですが、どうしてもひとつ屋根の下に暮らしますね。外的な事情によって、それが疎外されている場合もありますが、ほっておくとひとつ屋根の下に暮らそうとします。これは不思議なことではありませんか。
 そこには、「なぜ?」という問いが通用しません。「なぜ一緒に暮らそうとするのか?」ということに理由がつかないんです。「それは家族だから」という答え方しかできないでしょう。役所なんかでも、同居していますかいませんかという問われ方は多いですよね。同居するということに、何十万年も前の人類の原型があるんでしょうね。なかなか人間は孤独には耐えられませんからね。
 テレビドラマ「結婚できない男」の中で、母がなかなか結婚に心動かさない息子に対して「あんたは、まだほんとうの寂しさをしらないのよ」という台詞が、妙にこころに残ってます。この「ほんとうの寂しさ」という言葉が、不気味でした。
 だいぶ前でしたが、山に入って道に迷いかけたことがありました。自分の信じていた道が違っていて、その先が分からないんです。どこかで岐路を間違えたのです。そのときは焦ります。もと来た道を戻って、ようやく下山できたという経験があります。そんなとき、下から登ってくるひとに出会うと、ほんとうに安心します。思わず声をかけてしまいます。ほんとうに孤独になると、人間に出会えただけで安心します。相手は誰でもいいんです。
人間でさえあればね。
 人間は孤独に耐えられない生き物なんだろうなぁと思います。「大勢いてうるさい!」とかいってるんですけど、ほんとうは寂しくて仕方ないんじゃないでしょうか。
 「人間は単体では生きられない、生まれたときから胃袋があるじゃないか、それはもうすでに他の存在を想定して生まれてくる。そういう関係存在になっている間的存在なんだ」というようなことを安田理深は述べてました。意識は、個であっても、身体は関係性そのものなんです。とはいえ、関係とは「しがらみ」でもありますし、「支え」でもあって、とても厄介なものです。

2006年10月03日

縁日にいくと、亀なんか売ってるんです。「一万年も生きる亀だよ!」って口上だ。そして、とうとうその亀を買って来て、飼ってるってーと、餌が悪いのか、水が合わなかったのか、そのうち固まって死んでる。ピクッとも動かない。
 テキ屋のおじさんに、「一万年生きるってーから、亀買ったんじゃねーか!死んじゃったよ!」ってーと、おじさんは、「そりゃ、その日が一万年目だったんだなぁ」という落ちがつくという話があります。
 あの話はよく出来てるなぁと思いませんか。亀は一万年も生きるわけはないだろうと思います。だから明らかにおじさんは間違った情報を語っているわけです。でも、一万年も生きる亀がいたとして、死んだ日が一万年目だというのは納得がいきます。このおじさんになかなかうまく反論できません。「一万年生きる亀なんかいねーだろー!」という反論もできますけど、果たしてほんとうに一万年生きてきたかどうかっていうのは、誰も証明できませんからね。何億という亀の寿命は十何年であっても、この亀が一万年生きて来なかったという保証にはなりません。統計上はそうであっても、例外というのがあるかもしれませんから。
 そして、この考え方を人間に当てはめてみると、どうなるでしょうか。その男性が死んだのは一万年目だったんだというふうに言えそうです。でも、人間の場合には、戸籍があって家族がいて、写真も残っていますから、その人間についての情報がありすぎます。そのために、自分は千九百何年、あるいは二千何年の何月何日に生まれたというふうに限定されてしまいます。ここから、一万年生きたという論理は成り立たなくなります。
 この誕生日というやつを信じ込まされて教育されますから、自分の歳を意識してしまいます。赤ちゃんのころは何の記憶もなく、やがて自己意識が出来上がってきて、「アッそうか、これが俺か」と自覚していくのです。「これが俺か」という意識が出来上がってくるときに、誕生日も教えられていくわけです。
 ですから、だれもその情報を疑うことはありません。現在では「誕生」について生理的な部分はかなり明確に分かるようになっています。子宮の中で男性の精子と女性の卵子がくっついてひとつの細胞になって分裂してというふうに分かっています。
 そうすると、父と母というものが自分の出発点ということになってしまいます。普通はそう考えています。でも、それをもうひとつ疑ってみたらどうなるでしょうか。
 まったく見当違いかもしれませんけど、キリスト教では父と子という二項に対して、聖霊という第三項を立てます。浄土教の善導も、父母の清血という二項に対して、「自の業識」という第三項を立てています。
 自分という第一項が、二から偶然に出発するのでは納得いかなかったのでしょうね。二以前の一を措定したかったわけです。善導の場合この、一は、「曠劫より常に流転してきて、そこから出口のない自分」という受けとめ方です。つまり、父母という二から偶然にやってきたものではなく、宇宙開闢のときから永続している一が自分だという受け止めです。
 ここに来てようやく「一万年生きた亀」がメタファーになります。そうすると、父母という「二項が作った自分」という幻想を超えることになります。二項は「自分」が生み出されてくるときの場所であって、もともと「自分」は自分だったのだという受けとめになります。
 この「自分」がとても不思議な存在としてよみがえってきませんか。一万年どころじゃない、何十億年も生きてきた自分というイメージですから。ニという偶然を超えたところから一へ還ってくる。一という必然へ還ってくるということが救いのように思います。

2006年10月01日

ジェームス三木(脚本・作詩・演出)の「ミュージカル・翼をください」を観ました。ひとことでいえば、学園ものミュージカルでした。
 ある地方都市の高校の話です。県立高校は優秀ですけど、そこに入れなかった若者たちが仕方なく通う花房学園が舞台です。地方都市は狭く、どの学校に通うかということで「優秀」か「劣等」かのランス付けが明確にされてしまいます。花房学園に通う生徒は、その劣等性に耐えられない日々を送っています。
 生徒たちは、県立に落ちた悔しさを抱え、花房学園の制服を嫌い、人目を避け、どんどん内向していきます。それが県立の学生への怨みとして爆発したり、中退者が出たり、あるいは暴力性へ発露を見いだしていったりするわけです。
 これは演劇ですけど、こんなランキングによる生徒への差別はいまでも地方都市には厳然とあります。日本は、以前よりも学歴社会から実力主義に変わりつつあるとはいっても、まだまだ学歴社会です。親は、その影響下にありますから、どうしても子どもを高学歴にしたがります。中卒よりは高卒、高卒よりは大卒といきます。当の生徒たちも、無意識の中で、その影響を受けていますから、どうしてもランキングという差別を真に受けてしまいます。
 そんな花房学園で学園祭が開かれることになり、県立の生徒を招待して、自分たちのいつわらざる苦渋の現実をパフォーマンスとして見せつけてやろうということになりました。そこでいろんな問題が発生していくことになります。
 いつわらざる現実とは何か?自分たちが劣等感にさいなまれ、どれほど苦しい現実を引き受けざるを得ないかということを訴えることになります。まあ、普通は、そういうふうにはいかないでしょう。県立に落ちた悔しさや、劣等感に苦しんでいるということを訴えたところで、「お前たちがバカだから仕方ないだろう。悔しかったらやってみなよ」という声が聞こえてくるからです。こころの内を語れば語るだけ、救いがなくなっていくからです。結局、劣等生は劣等生なりに頑張っているんだ、これを分かってくれと訴えても理解してもらえないだろうと考えてしまいます。
 そしてこれは高校生だけでなく、私たちの社会そのものが、「劣等か優秀か」という差別で成り立っているということを感じました。究極の問題は「劣等感」の問題です。「優秀」とランク付けされた人間には、痛みはありません。痛みがあるのは劣等性ですからね。救いが必要なのは「劣等生」です。「劣等生」だけに救いの契機が開かれているのです。
 しかし劣等生がそこに存在しているのではないのです。劣等生という差別が存在しているだけなのです。つまり、「劣等か優秀か」という価値観で洗脳されてしまっている視座には、救いがないということです。これに洗脳されてしまっていれば、どれほど立つ瀬を求めても、それは砂上の楼閣です。「こんなダメな俺でも、こんなにいいところはあるよ」という慰めでは弱いです。所詮人間は、差別的な生き物だという、達観が必要なのです。 スタートラインに百人を並べて、徒競走をさせれば、百通りのタイムが出るはずです。それを同じタイムにしろといっても無理でしょう。人間という生物はそういうものです。
 ある生徒がこんなことをいうのです。「県立のやつらは花房学園を見下しやがってって僕たちは言うけど、僕たちだって同じだよ。僕たちは普通科だからといって、同じ学園の建築科や土木科の生徒を見下してきたじゃないか!」と。これはクラスの全員が反論できませんでした。
 つまり、「劣等か優秀か」という差別的価値観に、みんなが汚染されてしまっているからなんです。この価値観そのものを抉りだして、「対象化」できなければなりません。小生の言い方でいうと、この価値観をやっつけてしまわなければなりません。
 その価値観によって自分自身を傷つけているのだということを自覚しなければなりません。他者の差別的な視線によって傷つくということは分かりますけど、もっと深い傷は自分自身が自分を差別しているという視線なのです。その視線を打ち負かすには、どうしても、「仏さんがいないとダメだなぁ」と思ってしまうのです。
 所詮人間はダメな生き物だという「愚かさ」を徹底して教えてくる仏さんの視線を浴びないとダメだと感じました。ところが外に絶対項がないと、自分自身の視座が「絶対項」になってしまうのです。外に絶対項を想定することによって、初めて自分が絶対項から脱して、「等身大」へと着地することが可能なのです。
 だから、絶対項がまずあって、ということではありません。人間の「等身大」への着地を成し遂げるためには、絶対項という観念が大事なのです。人間が先であって、絶対項は後です。これが逆転すると大変なことです。
 このミュージカルを観終ってから、観客を見渡してみると、年配のひとたちが多かったのです。いやぁ、もっと若い世代に観てもらいたいなぁと実感しましたね。でも、学園祭で上演されることは難しいかなと思いました。問題が現実的過ぎて、その後のフォローをどうしたらいいだろうかと考えますからね、学校側では。劣等感の慰めではなくて、劣等感を克服するというテーマは大変なことですからね。
 人間の苦しみは、ほとんどこの劣等感の問題だからです。人間が劣等感を超えることができたら、かなりの社会問題は清算されるように思えます。
 しかし劣等感が克服されて初めて、「自分が自分を生きる」ということが成り立つのでしょう。他者の価値観や社会が作り出した価値観の洗脳を解かれたとき、初めて「自分を自分が生きる」ということになりましょう。唯一無二の自分自身を賭して、前代未聞の自分自身を生きるということが始まります。
 これはコロンブスの卵のようなことです。普段、みんな「自分」を生きているようですけど、みんな「自分」なんか生きちゃいませんからね。洗脳された価値観に毒されて生きているだけです。「自分」を生きてはいません。まったく未開拓な自分を〈いま〉生き始めるということがあって、初めて「自分を生きる」ということが言えるのでしょう。「自分」は実は前人未到の未開世界なのです。誰もまだ、未開拓です。
 静かに「自分」の声を聞いてみたい、もっともっと静かに耳を傾けて聞いてみたいと思います。微かに聞こえる「自分」の声を聞きたいと思います。

2006年9月30日

「教学館第4期」という若衆宿がはじまりました。総勢14名の乗組員です。なんでも初回というものは、緊張をともなうものです。参加した人びとも、それぞれ期待と不安と緊張があったように見えました。
 教学館名物の自己紹介では、それぞれの出身やいまの課題などを述べていただきました。外見と内面というものは、それほど比例しないというか、それもこっちの先入観なんですけど、意外な感じを受けるものです。
 あるひとが電話相談を受けたときに、なかなか相手の話を聞けないということを話されていました。「浄土真宗ではお念仏ひとつで救われるんですか?」と尋ねられて、「そうです。お念仏ひとつです」と答えているけど、答えている自分が「ほんとうにそれでいいんだろうか?」とどこかで思ってしまうという切実な問題を語られいました。
 まあ、やっぱりお念仏だよなぁと自分に聞こえてきたときに、「お念仏ひとつだった」と感じ取るのがお念仏ですから、他者から「念仏ひとつだよ」といわれたところで、それがそのまま自分の答えになるわけではありません。
 問われた方が「念仏ひとつで助かるんだろうか」と思っている「お念仏」とはどういうものなのか?それがまず問題のように思いました。たぶん、口で南無阿弥陀仏と発語することを言ってると思うんです。さらに南無阿弥陀仏と発語することで、何がしかを期待しているということでもありましょう。
 しかし、南無阿弥陀仏と発語する前に、まず感動というか、向こうからの促しがあって、その結果の発露として南無阿弥陀仏という言葉が出るというのが親鸞流ですからね。結果なんですね、南無阿弥陀仏というのは。それを「原因」と考えることでいろんな誤解が生まれてくるんです。念仏することで何かが起こると考えると、それは親鸞から逸脱します。
 だって親鸞は「念仏して成仏する」というんだから、念仏が原因じゃないかっていうひともいます。それはどうしても文章に定着させていくときの矛盾です。文章や言葉の世界は「線状性」です。日本語は縦書きと横書きとがありますから。そして必ず文法が必要です。
 ですから、ひとつの体験を物語ろうとすると、すごく長い文章になっちまうわけです。モーツアルトは、ひとつのインスピレーションを受けて、それを曲に置き換えようとすると、すごく長いものになってしまうといっているそうです。さとりでも、ひらめきでも、インスピレーションでも、一瞬なんです。それをこの世の相対的な世界へ置き換えようとすると、相対的な世界の約束事が絡んでくるんです。
 親鸞だって、「そっかぁ!念仏かぁ!」と受け取ったとき、その一瞬のひらめきは、言葉であらわすことのできないものからのインスピレーションですから、言葉に置き換えることはできないわけです。でも、「ただ念仏だぁ!」とだけ言っていたのでは思想になりませんから、いろいろああだこうだと御託を並べなければならなくなっちまうわけです。
 しかし、「ただ念仏」は大河の一滴でしょう。一滴は大河を生み出す一滴であって、この一滴の中に大河が納まる一滴でしょう。
 ほんと単純です。そして単純なものほど、人間には複雑に受けとめられてしまいます。でも、単純なものほど、汲めどもつきぬものなのでしょう。

(忙しさにかまけて、更新という本業がおろそかになってしまいました。m(__)m)
 2006年9月
23日

「決して誰かが代表して解決するというわけにゆかぬ。誰かが代表して解決すれば後の人はもはや解決済みだと、そういうわけにはゆかぬ。精神界のことというのは、そういうふうに簡単に考えることは出来ないのであります。むしろ親鸞聖人の仰せをさらにさらに聞かなければならぬ。さらにさらに親鸞聖人より百尺竿頭一歩を進めなければならぬ。こういう責任がある。」(「深く信ずる心」)
 これは曽我量深先生が語っているところです。
 小生と同意見だと思ったわけです。小生の語っていることは、やっぱり間違いないことだと力強く思った次第です。別に曽我先生が基準というわけでもないのですけど、同じことを感じ語っているひとがいたということは心強いものです。
 最終的には三帰依文の「願わくは如来の真実義を解したてまつらん…」ということ以外にないわけです。後代のひとびと、他者が証明する以外にないのです。自分で自分を証明することができないというのが、仏法の鉄則でしょうね。
 それで還相回向ということが出てくるんでしょう。還相というのは、自分以外の世界ということでしょう。自分以外の世界と人びとが、それは間違いないと証明されるということですよね。それは諸仏称名ということと通じています。自分以外の世界、自分以外の人びと、自分以外の生きとし生けるものたち、それらが、「いえーす!その通り」と証明されたとき、還相ということが成り立つんでしょうね。
 それにしても、ますます最近は「真宗」というのは「宗教の最後の姿」だなぁと感じています。おそらくどの宗教でも、どこまでも突き詰めてゆくと真宗になっちゃうんです。 それは360度の転換をもたらすものですから、外見にはまったく変化をもたらさないわけです。これが、若いときには(若いというのは、「精神が若い」という意味ですけど)物足りなかったです。180度の転換を若い精神は欲します。ガラッと変えたいんです。でも、人間の歴史はガラッと変えてきたわけです。戦後の日本人の変化は、ガラッとぐらいじゃないですよ。ものすごい変化です。西欧が何百年もかけて変化してきたことを、たかだか50年くらいでやってしまったわけですから。この急変の歪みが、日本全体に現れてきだしているのです。いわゆる「欧米化」した脳をもういちど対象化してみなければなりません。
 ただわたしたちはそれほど変化したとは感じていません。変化の渦中にいるひとは変化を感じないだけです。飛行機に乗って大空を900キロのスピードで突っ走っていても、乗っている人間は居眠りをしています。まったくスピードを感じません。
 360度の転換というのは、外見は変化しませんけど、内面が大きく変化することです。いつでも、どこでも、だれにおいても「ほんとう」ということがなければならないというのが大乗仏教のルールです。そのルールに照らしてみると、自分の現在は〈反大乗〉です。アンチ大乗です。いつでもを嫌い、どこでもを嫌い、だれでもを嫌い背いているのですから。それに気がつくと、自分はいつでも大乗の外にはじき出されてしまいます。「ほんとう」というものに触れるほど自分は弾き飛ばされてしまいます。
 弾き飛ばされて、そこに立つしかありません。親鸞も弾き飛ばされたときには「釋」という名前を名のれなかったのです。仏弟子の証明が「釋」という法名ですけど、仏弟子失格ということです。大きく悲嘆していますけど、そこに立つしか立つ場所はないのです。
そこに立って、「ほんとう」を人間の手から解放しているのです。「ほんとう」を手に入れてしまったならば、それほど恐ろしいことはありません。「ほんとう」は人間の手に入れることができないというのが、真宗でしょう。「ほんとう」の解放宣言です。「ほんとう」には手は付けられないという。
「ほんとう」と勝負すればいつでも、弾き飛ばされてしまいます。真宗大谷派なんていう名前、恥ずかしくてほんとうは名のれないわけです。まぁ恥知らずだから、名のれるんですけどね。
 仏さんはデジタルですからね。真か偽かという決判以外は許しません。「偽から真へ、少しずつ努力していきたいと思います」といっても、そこにはちょっとでも偽が混じっていれば、不合格です。努力したいというときには、必ず偽が混じっているんです。偽が混じっているから真へいきたいと動くわけですからね。真か偽かと問われると、偽以外にありません。もうギリギリまで突き詰めると、身動きがとれません。
 そして、死ぬわけです。死んだところが、復活の原点ですね。死ななければ復活できません。「信に死して願に生きよ」という曽我先生のテーゼは、未来永劫の歴史に残るものでしょう。

2006年9月22日

十月中旬には本堂と庫裏が取り壊される段取りになっています。いま、引っ越しをどうするかで悩んでいます。
 一応、見積もりを数社からとろうと思いますけど、まだどの程度の荷物があるのやら、かいもく見当もつきません。引っ越し専門家が見れば、梱包されていなくても大丈夫だそうですが、果たしてその荷物が、引っ越し先にすべて納まるかどうかが分からないのです。 そんなことに悩みつつ日暮らししております。
 二年半後には、再びここへ戻ってこなくてはならないので、先のことを考えただけでも憂鬱になります。果たして予算内で建つのだろうか、工事の途中で大地震でもあったらどうしようか、無事故で建設が進むだろうか、等々不安な要因を考え出すときりがありません。
 そんなことで頭が沸騰して、混乱して煮詰まってくると、結局、最終的には南無阿弥陀仏というところへ行くんですね。蓮如さんの「焼けても失せぬ重宝は南無阿弥陀仏なり」というところへ戻ってこざるを得ません。
 それで、煮詰まった頭もスーッと、サッパリとして、さぁ、これから、これからという新鮮な気持ちにさせられます。
 でも、いつでも究極的に問われてくるのが「なぜ再建するのか?」という問いです。これは、再建を志した初期から、おそらく建物が建った後にも残ってくる究極の問いだと思えるのです。
 以前、故長川一雄先生は、「本堂を建てることこそ具体的な同朋会運動です」と語っておられたといいます。ご門徒は身銭を切って本堂の再建を願うのでしょう。そのときご門徒に問いが起こります。「なぜ、本堂などを建てる必要があるのか?」と、その問いはさらに「なぜお寺を建てるのか?お寺の存在意味はどこにあるのか?」と深まってゆきます。自分にとって寺とは何なのか?という問いまで深まっていくことが、やはり同朋会運動の原点なのでしょう。
 大切な金銭を喜捨していただくとき、みなさんが問われる問いです。
 以前、お寺が焼けてしまい、再建の段になったとき、門徒の方が言われたそうです。別に大きな伽藍を建てる必要はないのではないですか、だって、お坊さんはお葬式のとき葬儀会場へ来てもらえればよいのだし、法事のときは各家庭に来てくれればそれで済むのではないのですかと。
 そう言われたとき、他の門徒の人びとは、「それは違う!」とはいえなかったそうです。なんで大きな伽藍をわざわざ建てる必要があるのでしょうか。
 もともと寺というものは、そういうものじゃないか!と反論されるでしょうか。やはり自分にとってなくてはならない場所ということがなければ、ほんとうは不要なものなのかもしれません。
 一応、生きた人間が聞法するための「聞法の道場」だ、だから広い伽藍が必要なのだというのが、百点満点の答えでしょう。しかし、それでよいのでしょうか。それだけのために必要なのでしょうか。もっと究極の意味があるように思えるのです。
 自分ひとりのための寺。自分ひとりのための場所。そんな意味づけがほしいものです。それなしには自分は存在できないというほどの意味がほしいものです。
 「七宝講堂道場樹 方便化身の淨土なり」という親鸞の和讃があります。七宝という見事な飾りで作られた道場や菩提樹がある、その場所が方便の淨土だという意味づけです。方便というのは、「教育の場所」という意味でしょう。自分が仏と対面し、仏教徒として教育を受けていく場所という意味です。この一点がはずれてしまえば、道場の意味をなしません。
 

2006年9月19日

 とうとう麻原は死刑宣告を受けました。何十人も殺しているんだから当然だろ!むしろ遅すぎるくらいだ!はやく殺せ!という声がうねりのように、山火事が燃え広がるように聞こえてきます。
 確かに被害者感情からすれば、この反応は当然のことだと思えます。それに対して、「それは違う!」と反論もできません。
 十把一絡げにするのであれば、死刑ということも可能でしょう。でも、その十把をひとつひとつひもといていくことが、もし許されるのであれば、別の見方をしてもよいのではないかと思います。
 みんなが一番知りたいことは、どういう動機から、ああいう事件を引き起こしたのか?どういう発想からなのか?その真意はどこにあったのか?ということではないでしょうか。それを、他者からではなく首謀者本人の口から聞きたいということではないでしょうか。
 いま麻原は、精神的に完全に人格を失っているようですから、それを聞き出すことは無理でしょう。
 先日、山口県の女子学生が殺害されるという事件が起こりました。犯人は同級生の男子学生でした。しかし彼は自殺してしまいましたので、事の真相を解明することができませんでした。そのとき女子学生のご両親が語っていた言葉が気になりました。
「なんで、こんなことをしたのか?それが聞けない以上、うちの子がなぜ死ななくてはならなかったのか?それすら分からなくなってしまったことがつらい…」と。
 被害者の家族としては、なぜ事件を起こしたのか?どうして?何があったのか?ということを本人から聞きたいということです。これが一番強い欲求のように思えました。
 とすると、このオウム事件の場合にも、首謀者の口から、事の真相を聞かなければ納得できないという欲求もあるはずです。
 それを聞き出してから死刑にしても遅くはないように思えるのですけど。まぁ死刑という刑罰がよいか悪いかということは別問題としてですけどね。
 麻原は、私とほぼ同じ時代を生きた人間です。同世代の人間として、何か責任を感じもします。急激な時代の変化に接して、つまり機械文明の発達によって、逆に神秘主義へ転落していきたい欲求はよく分かります。これも時代に対する反動なんですね。自分は特別だ、選ばれしものだ、超越者だ、この世とあの世を支配できるんだ、なんていう妄想はよく分かります。
 でも、ほんとうに、そういう存在になってしまったら、こんな詰まらないものはありません。もし人間が全知全能になってしまったら、それはまったくの虚無感に襲われるに違いないのです。
 セミがミンミン鳴いているのも、猫がニャーと鳴くのも、雲がわき上がって東に流れていくのも、理由はないのです。ひとが生きるということも、そういう種類のことでしょう。
 ひとは「意味」によって支えられています。これは、人間だけの特徴でしょう。「無意味」には耐えられません。でも、本来的に「無意味」なものが人間です。明日終ってしまうかもしれないいのちを生きているのですから。
 その「無意味」に着地できれば、今日から不思議な「自分」を生き始める余裕が生まれます。
 まだ全人類で、2006年9月20日を生きたものはいないのですから。
 わざわざひとを殺さなくても、やがて死にます。だれしもみんな死にます。地球もやがてなくなります。こんな幸せなことはありません。
 

2006年9月18日

人間は、苦しむために、この世に生まれてきたのでしょうか?
 そう問われると、そうかもしれないなぁと思います。だいたい思い通りにいかないことが、この世の常ですからね。なんで、こうなるんだろう…。どうして自分たちばかりひどい目に遭うのだろうと、自分の思いに閉じこもってしまうのも無理がありません。
 でも、「明日」なんかないんですよね。また「昨日」なんか、どこにもないんです。「明日」は、予定か希望の中にしかありません。明日になってしまえば、それは今日ですから、明日は逃げ水のように遠ざかってゆきます。「昨日」だってそうです。昨日なんか、どこにもありません。記憶や記録の中にしかありません。
 ただ、あるのは、この一瞬の〈いま〉だけです。この〈いま〉を生きるしかありません。自分の思いの中に閉じこもっていくのではなく、その思いの殻を打ち破って、〈いま〉があなたに要求していることを感じ取っていくことです。目の前の緊急の課題に、取り組んでいくことです。そんなことをしている間に、たぶん一生は終わっていくのでしょう。
 一生というのも、長いようで短いです。また短いようであって、長いです。感じ方によって長くも短くも感じます。だから一生なんて、いい加減なものです。実体的に「人生」という時間があるわけではありませんから、あんまり当てにしない方がいいです。
 また、あんまり将来について考え過ぎないことです。考えすぎて、身をこわばらせないことです。「将来」なんて、まったく予測のつかないものですから、いい加減なものです。出会いによっていくらでも変化していくものです。私がこの世に唯一の存在ですから、他者の人生を眺めることはできても、自分の人生を客観的に眺めることはできません。
 まだほんの少ししか生きていませんから、「生きる」なんてどんなことだか分かっちゃいないんですからね。まだ生きてもいないのに、「人生はどうだ」とか、「人生はこんなものだ」とか、「所詮、人生は…」ということを言っちゃだめです。
 変幻自在のもんですよ「生きる」なんてもんは。だから、辛うじて生きていられるんじゃないでしょうか。
 

2006年9月13日

■ベトナム旅行記(その)■

■ベトナム人の生活■
 ベトナム人の平均的な1日は、朝7時半(始業)→11時半(お昼・休憩)→1時半(再開)→5時(終業)だそうです。学校もこのスケジュールで動いています。女子高生は、みんな純白のアオザイをたなびかせて、自転車通学をしていました。アオザイは妙にエロティックでした。アオは「シャツ」、ザイは「長い」という意味だそうです。
 ベトナムでは基本的に夫婦共稼ぎだそうです。そこで朝食は自宅でとりません。屋台などの店で、フォーをかき込んで出勤するそうです。子どもたちもお金をもらって屋台で食べてから登校するそうです。しかしお昼になると、お母さんもお父さんも子どもも一度家に戻ってごはんを食べます。二時間ありますから、結構ゆったりですね。学校は午前登校組と午後登校組に分かれていますから、午前の組は午後には登校しません。午後の組は午前は休みです。これもいい制度だと思いました。
 自分だったらどっちを選ぶだろうと考えました。午前組は、朝がつらいだろうなぁ、でも午後組だと、昼から遊べないしなぁ、どっちを取るか迷ってしまいました。やっぱり午前組かなぁ…いやなことは、さっさと終った方がいいからと思えました。
 それでも、お昼も夜も家族と一緒にごはんを食べることができるベトナムの子どもたちは幸せだと思いました。ベトナムでは残業という制度はないそうです。「ない」というのはどういう理由なのかちょっと分かりません。労働者側が拒否するのか、会社がそういう方針なのか、行政の指導なのか、ちょっと分かりません。でも、会社はすべて5時に終ります。それから、お父さんたちは屋台など町へ繰り出して、飲み会が始まります。薄暗い電灯の下で、テーブルを囲んで呑んでいる姿は、あちこちで見ることができます。おもにビールに氷を入れたものを呑んでいました。やはり、ぬるいビールが美味しくないのは、万国共通ですからね。
■バランス感覚の問題−−飲酒運転−−■
 二時間程呑んだら、それぞれの家に帰るそうです。それから家族で食卓を囲むそうです。もちろん家路には、バイクで帰るんですよ。濁流のように流れるバイクの流れに混じって家路につきます。ですから、ベトナムの男性はみんな飲酒運転です。飲酒運転は法律で禁止されてはいます。ですから、警官がつかまえようと思えばいつでも逮捕できます。しかしそんな光景は見たことがありません。おそらく警官も呑んでいるからでしょう。
 飲酒運転で事故を起こしている場面にも出会ったことがありません。呑んではいても、事故を起こさないという、このバランス感覚が優れているのだと思います。それにくらべて日本人のバランス感覚の悪さは、「どうしたの!?」と言いたいです。ここのところ、マスコミを賑わしているのが「飲酒運転事故」です。
 以前は、さほど激しい事故はありませんでした。飲酒運転事故が問題視されたのは、東名高速道路のトラック追突事故でした。飲酒は長距離トラックでは日常茶飯事のことだったようです。やはり眠気覚ましということなんでしょうか。アルコールは確かに一時的には精神を興奮させ躁状態にしますが、意識を朦朧とさせるはたらきもしますから諸刃の剣でしょうね。だいたい長距離運送という過酷な労働環境が問題のように思います。二十時間近く走りっぱなしというのは、どう考えても人間には無理でしょう。
 また地方に行くと、居酒屋さんにはちゃんと駐車場が完備されていますからね。ちょっと帰りに引っかけて家路につくということは、日常茶飯事のことなんでしょう。つまり、これはベトナムと同じように、飲酒に対してのバランス感覚があった時代のことです。日本人は酒に対して寛容だといわれますけど、全世界的にみれば普通ではないでしょうか。居酒屋さんでいっぱい引っかけても、それでちゃんと事故を起こさずに家に帰り着いていたのに、最近では、それができなくなっています。これは日本人のバランス感覚の欠如ということではないでしょうか。これは殺人事件に関しても、そう思います。バランス感覚の欠如が大問題でしょうね。
 どうしても車は、「走る凶器」に違いないのです。だから、ちょっといっぱい引っかけたときには、普段以上に安全運転に神経を使って慎重に走らせていたはずです。だから、いままで問題も発生しなかったのでしょう。それは計器を使って、素面と酔人を検査すれば、明らかに酔人は、運動感覚が鈍っていることは分かります。だから、飲酒が悪いとなるわけです。自分では大丈夫だと思っていても、飲酒は思わぬ事故を招くということは、以前からいわれ続けてきたことです。
 いま飲酒運転の罰金が増えたことで、飲酒運転が減少しています。また一斉に飲酒運転撲滅運動が起ころうとしています。それはいいことなんですけど、それだけで飲酒運転がなくなることはないでしょう。日本人のバランス感覚が問題のように思います。
 それから、ベトナムと日本をくらべて分かったことは、道路の整備です。日本の道路は、歩道と車道が明確に分離され、道路が自動車専用道路のようになっていることです。これは歩行者を車からまもるという考えから生まれたものでしょう。しかし分離されたことで、自動車専用道路を高速で走ることが可能になりました。
 でもまだまだ国道などでも、車道と歩道が一体化していて、ずいぶん危険な場所もあります。車道は美しく整備されていますから、歩行者の横を高速で走り抜けます。これも恐ろしいことです。道路は、いまや人間の歩く場所ではなくなりつつあります。道路=自動車専用道路という感覚です。これも恐ろしいことです。
 ところがベトナムは、信号も少なく、道路も整然と整備されているわけではありませんし、バイクだらけなので、平均速度も30〜40キロくらいが精一杯です。整然と整備されていないので混乱します。しかし混乱しているからこそ減速されるという効果をはたしています。やがてベトナムも裕福になって、車社会に突入すれば日本と同じ道を歩みそうです。そのとき、ベトナム人のバランス感覚はどうなっているのでしょうか。
 車社会のアメリカの交通事故死者数は、世界でもダントツのようです。やはり、高速で走る車はどうしても大事故につながりますね。「走る凶器」をあやつる人類は、つねに加害者にも被害者にもなりえるということを忘れてはならないのでしょう。ほんとうのことをいえば、事故には加害者はいません。事故という加害性の前に、すべての人間が被害者にされる出来事ですからね。

2006年9月12日

■ベトナム旅行記(その)■

■現地人ガイドのカンさんとミンさん■
今回の現地人ガイドは二人でした。ハノイのガイドはカンさん、フエ・ホイアンはミンさんでした。両方とも、とても勉強熱心なガイドさんで、とても有意義な日々を過ごすことができました。
 両方ともかなりの日本の知識をもっていました。ベトナムの家は、間口が狭く奥行きが深いという京都の町屋風の建物が多いのです。そこで、間口の広さに応じて税金が違うんですか?とカンさん(28歳)に質問したところ、「ここは京都ではありませんよ」と返事がかえってきました。一度も日本に来たこともないのに、なぜ京都の事情まで知っているのか?!と知識量の豊富さに驚かされました。
 現在の日本の状況は、インターネットで得ているということでした。ベトナムの有名な食べ物は「フォー」です。「ベトナム!フォー!」です。これもレイザーラモンの物真似。
 ミンさん(31歳)は、フエ空港でお別れする寸前に、自分の生い立ちについて語ってくれました。ベトナム戦争当時、お父さんはアメリカと関係のある銀行ではたらいていたそうです。そのころは豊かな暮らしだったようです。しかし、ベトナムが共産化したあとは、いわゆる非国民として刑務所に入れられました。お母さんは3歳のときに亡くなり、お父さんに育てられたそうです。
 軍隊がやってきて、財産はすべて没収されてしまいました。無一文になってどうやって生きてきたのですか?と聞きましたら、瓶に貴金属を入れ、それを地面に埋めて置いたといいます。
 彼自身も子どもの頃、刑務所に入れられたそうです。以前、テレビでも放映されましてボート・ピープルに彼も参加したようです。難民が汚い船に、ギューギュー詰めにされて、日本近海に漂流してきました。これらの人びとは、戦争前にアメリカと何らかの関係のあったひとびとでした。彼も、ベトナムを脱出しようとして船に乗りましたが、あえなく逮捕されてしまい刑務所に収監されたのです。
 刑務所では看守によく蹴飛ばされたと語っていました。
しかし、屈託なく微笑む彼は、とても31歳には見えず、どこか少年のあどけなさを残していました。自分の生い立ちについて語ったことは初めてだそうで、マイクをもって語る彼の目にはうっすらと涙がたまっていました。
 彼の重たい話を聞きながら、みんな悲しみに共感し、大変にこころを動かされました。涙を浮かべているひともいて、悲しみの中にも、私たちに語ってくれたことに対して言葉ではいえない有り難さを感じました。
 彼は、「ベトナムはいまが一番いいときです」と語りました。これは、彼のこころの底からほとばしりでた言葉だと深く受けとめられました。
■言葉について■
ベトナム語は、発音がとても難しいです。母音は五つでも、中国語のように四声があり、掛けると20通りの母音に変化します。9年間ベトナムに住んでいたひとが、ベトナム語を話しても、とうとう現地人には通じなかったという話を聞きました。ですから、まず勉強することを諦めてくださいとカンさんにいわれました。
 ただ二つの言葉だけ分かればいいですということで、「シンチャオ!」と「カムオン」だけ覚えました。「シンチャオ」の意味は「こんにちは」「こんばんは」です。これを「クレヨン、シンチャオ」というふうにして覚えました。それから「カムオン」は、英語のcome onと同じような発音で、意味は「ありがとう」です。このふたつは忘れない言葉となりました。
もともとベトナムは中国の漢字文化だったようですが、その後、17世紀頃からカソリックが入ってきて、ローマ字表記が生まれて、現在のような複雑な表記になったようです。内部と北部の発音は微妙に違っていたり、町が異なると違ったニュアンスの発音になったりと、とても複雑です。やはり表意文字の方が、表音文字より適応範囲が広いように感じました。
 

2006年9月11日

■ベトナム旅行記(その2)■

■ベトナムは戦争とともにあった■
 ベトナムは、北からは中国から責められ、近世はフランスの植民地にされ、1960年代は社会主義と資本主義の板挟みになって、ベトナム戦争の戦場とされました。ベトナムの歴史は「戦争の歴史」であるといって過言ではありません。あの南北に長い海岸線を生き延びてきた民族の底力をいやというほど感じさせられました。
 私はガイドさんに、ベトナム人の反米感情について質問しました。1960年代初頭から1975年4月まで、ベトナムはアメリカとソ連・中国の代理戦争の戦地と化しました。年配のひとは参戦したひともいます。そのひとたちは、どういう思いで生きているのでしょうか。
 ところが、ガイドさんの話はアッサリしていました。「アメリカを恨むよりも、隣の家が立派になることのほうがベトナム人にとっては深刻な問題なんです」と。つまり、経済的な関心のほうが、政治的な関心よりも重大だというわけです。恨むよりも、金儲けのほうが先決だそうです。
 米軍の枯葉剤攻撃で、奇形の子どもたちが生まれたことは有名です。ベトちゃんドクちゃんの映像はとてもセンセーショナルでした。しかしガイドさんがいうには、彼らは幸せです。同じような目にあいながら、地獄のような苦しみを受けて暮らしているひとたちはたくさんいるのですからと。ベトちゃんドクちゃんは、まさに氷山の一角だったんですね。ベトナム政府は、比較的軽度のひとたちに職業訓練を受けさせ、それで生計を立てる援助をしていました。私たちが行ったのは、彫刻と刺繍の訓練所でした。実に見事な刺繍や彫刻が並んでいました。
 彼らは屈託なく、淡々と作業をこなしていました。アジアの農耕文化の人びとは、戦争といっても天災だと受け止めている節があるという話を聞いたことがありました。それは私をとても納得させる話でした。過去の過ちは過ちとして、いまから、そして未来にどのような社会をつくるかということに勢力を集中するという、とても現実的なアジア人民の底力を感じます。
 「怨み」の文化は、民族によって多少違っているようです。中国や韓国の文化とベトナムの文化は違っていると感じました。
 でも、アメリカではまだベトナム戦争の後遺症が残っていて、精神的に病んでいるひとも多いとききます。記憶違いでなければ6万人くらい米兵が死にました。ベトナムでは200万人ともいわれています。ベトナムを訪れるアメリカ人は少ないそうです。戦友の戦死した場所を慰問するアメリカ人はいるけれども、観光に訪れるひとは少ないそうです。主に観光に訪れるのはフランス人や日本人だそうです。
■ベトナム交通事情■  
 ベトナムの交通事情は、とても大変です。主にバイクが交通手段になっています。50CCのバイクに親子五人が乗っています。また通勤時間帯には、バイクが川の濁流のように流れていきます。それが交差する場面が、とても迫力があります。あらゆるバイクがクラクションをならしているかのように、渋滞の流れを縫いながら右折したり左折したりしていきます。もう何センチかでぶつかるというような場面でも、あわやという合間ですり抜けてゆきます。あれで、事故にならないほうがおかしいくらいです。
  日本の人口が約1億3千万人に対しベトナムは約8千万人、交通事故死者は1万人前後ですから、かなり多いのも納得です。ヘルメットは最近になって義務化されましたが、誰もつけているひとはいません。市民からは、かぶると外の音が聞きづらい、暑苦しい、視界が狭くなるなどの理由で嫌われています。でも一応、法律化されていますから、違反は違反で、警察がしょっぴくときには都合のよいルールになっているそうです。
 警察官は給料が安いために、違反をしたときの罰金を着服して生計を立てているといいます。そのために摘発は一生懸命だと聞きました。ですから、警官はみんなから嫌われ者になっています。これもガイドさんに聞いた話ですが、警察官の奥さんがボッタクリバーを経営し、旦那がその地区の警官ということがあるそうです。まるで、警察が暴力バーを経営しているという、笑うに笑えない現実があるそうです。
 ですから、バイクを運転していて警官に止められたら、「今日は運が悪いと思え」というのが口癖になっているそうです。そうそう、私たちの観光バスもトラブルに巻き込まれました。ホイアンからフエに向かって田舎道を走っているときでした。バスの前にバイクに乗ったおじさんが追っかけてきて、手を振って、「止まれ止まれ」という合図をしてきました。バスを道端に止めて、事情を聞くと、このバスが事故を起こしたから、その地点まで引き返せというのだ。私たちもドライバーも誰もバイクと接触した音は聞きませんでした。腑に落ちないけれども、逃げるわけにはいきません。
 ベトナムでは、法律がどうであろうとも、つねに大きな車が悪いということになるそうです。バイクと車であれば車、車とバスであればバスという具合です。もし警察に通報されれば、大変なことになるので、一応そこまで戻りました。ドライバーと添乗員はその事故の現場に行きました。話を聞くと、バイクを運転した女性が、減速したバスにぶつかりそうになりブレーキをかけたが、これが古いバイクでブレーキが効かない。あわててハンドルを右に切ったところ、道端にいた子どもにぶつかり、その子どもの口が腫れてしまったという。女性がいうにはこのバスが原因だから、自分は悪くないといって息巻いている。みるみる村人が集まってきた。後から事情を聞くと、村人は、女性とバスは接触していないと証言してくれたそうだ。お互いに仕事もある。
 また、警察を呼ぶと来るまでに時間もかかり、そのうえ、警官は両方から罰金を取り上げるから、できるだけ示談にしたい。そこで、仕方がないのでバスのドライバーは30万ドンを村人に渡して示談にした。1万ドンが70円だから、2千円ちょっとの示談金でした。それでも、公務員の給料が1万円程度だから、月収の五分の一ということになり、彼らにとっては大金なのだ。
 バスには傷一つないし、怪我をした子どももそこにはいなかったので、よく分からないけれども、ドライバーはこのお金で病院へ連れていきなさいと見舞金として差し出したそうです。村人たちは、自分の目で見たことを自信をもって証言してくれたそうです。私はかたわらで、激論している人びとが何を話しているのか分かりませんでしたが、後で聞いてみると、そういうことでした。
 そんなささいな事故はベトナムでは日常茶飯事のことだそうです。都市に信号ができたのも10年ほど前の事だそうですから、まだまだ信号にも規則にも馴染めないでいるのでしょう。しかし、できるだけ自分たちの力で、問題を解決しようという民衆の智恵が、こんな場面で養われていくのだなぁと感心させられました。
■貧困病−−賄賂と手抜き−−■
 それから賄賂や手抜きも日常茶飯事なのだそうです。国道一号線は有料になっていて、最初に料金を払い、20メートルいったところで半券を渡し、ゲートを開けてもらうシステムになっていました。つまり、ひとつのゲートに必ず二人が必要なのです。これは不都合ではないかとガイドさんに尋ねました。すると彼がいうには、ひとりでやると着服するからだというのです。お金をもらえば、そのまま自分のふところに入れてしまうそうです。そこで、二人にしてお互いがお互いを監視するようにしているそうです。これも貧困がそうさせるのでしょうか。
 もっとおかしな話しもありました。ある橋を建設したのだそうです。しかし、その橋の鉄筋部分には手抜き工事があったそうです。鉄筋を入れるところを竹を入れていたそうです。それがどうして発覚したのかというのが情けないのです。実は、泥棒が鉄欲しさにコンクリートを壊したそうです。ところが中から出てきたのは鉄ではなくて竹だったそうです。その腹いせに泥棒は、手抜き工事を暴露したということです。
 お互いの監視が行き届かないとベトナム人は何をするか分からないということなのかもしれません。これは、戦後の日本のたどってきた道と似ているのではないでしょうか。「貧すれば貪する」とは、このことでしょう。

2006年9月09日

■ベトナム旅行記(その1)■
昨日、教学館3期ベトナム研修旅行から戻りました。
 今回は、ハノイ→ダナン→ホイアン→フエを回りました。主に北ベトナムです。3日〜8日(4泊6日)でした。時差は二時間ですから、差ほどでもないようですけど、まだまだ身体がボーッとしていて、気だるさが全身に残っています。
 行きも帰りも、エア・コリアで韓国(ソウル)でトランジットしなければならず、待ち時間も長く感じました。海外は、どうしても飛行機のフライト時間にかなり制約されますから、昼間活動して夜休むというリズムが完全に壊されますね。このバイオリズムが戻るのはいつのことなのか、ちょっと不安です。
■ベトナム社会■
 ベトナムは社会主義国なのですけど、これは中国と同じ事情で、ある程度、自由主義経済原理を取り入れながら、近代社会化を目指している若い国です。中国でも、貧富の差が拡大しているように、ベトナムも同じです。農村部では極貧、都市部では富裕という現象が見えました。
 私たちのベトナム人のガイドさんは、家にメイドさんを置いていました。日本語ガイドといえば、やはり富裕層に入るようです。農村部からやってきた15〜16歳の娘さんを女中さんとして住み込みで置いているということです。ベトナムでは日本で流行ったテレビドラマ「おしん」が流行していて、おしんの過酷な労働とメイドさんの労働状況が似ているために、ベトナムでは「あんたの家にはオシンいるの?」という聞き方をするそうです。「オシンいるよ…」とか「オシンいないよ」というのが日常会話です。オシンの月収は7000円だと言っていました。すると年収は84000円ということになります。
 そうかと思うと、トヨタの車を乗り回しているひとの年収は何千万というひともあって、ますます貧富の差は拡大していくようです。車をもっているひとは超裕福だと言っていました。たとえば、定価200万円の車を購入するには、600万円かかるそうです。つまり税金などで三倍の値段になるそうです。それでも、乗っているひとがいるのですから、押して知るべしでしょう。特別消費税ですね。贅沢品には莫大な税金をかけて税収としているようです。
■ベトナムの宗教事情■
 ベトナム人は80パーセントが仏教です。残りの20パーセントがキリスト教(カソリック・プロテスタント)だそうで、イスラム教はいないということでした。今回は、ベトナムの火葬場を視察したのですが、まだまだ土葬が基本のようです。まず亡くなると死者を土葬にし、五年後に掘り出して洗骨(センコツ)をするそうです。その骨を再び仮想して埋めるということです。洗骨は沖縄でも行われていますが、この文化は中国大陸から来たものなんですね。実際の洗骨はかなりグロテスクだそうで、ガイドさんも立ち会ったことがあるそうで、骨は真っ黒で気持ち悪かったと言っていました。ですから、自分は土葬せずに、すぐに火葬すると話していました。
 古い考えのひとたちは、火葬にすると死んでから成仏できないと考えて、土葬にするといいます。田舎のひとたちはまだまだ土葬です。しかし都市部のひとたちは、火葬をする傾向にあるようです。つまり、気持ちが悪いとか、手続きが面倒だとか、費用がかかるとかの理由から、簡単に死体処理ができる火葬に流れるようです。
 葬式にはお坊さんが呼ばれたり、呼ばれなかったりまちまちのようです。これも経済事情を反映していて、裕福はひとはお坊さんを呼ぶけど、そうでないひとたちは呼ばないと聞きました。そのひとたちはお経のテープを流して、それでおしまいだそうです。ここにも経済効率の観念が大きくはたらいていました。
 しかし、これはベトナムだけでなく、やがて日本でも起こってくる現象ではないかと思います。つまり、お坊さんの役割が、読経という儀式執行だけのものであれば、テープでもいいやということになるでしょうね。
 やはり、お坊さんの役割が、それだけでなく他に見いだされないとダメでしょうね。小生は、お坊さんの仕事の中心は、「考えること」だと定義しております。とにかく「考えること」です。それも「深く考えること」です。もっともっとこだわって深く考えることです。それだけが仕事のように思えます。
 なかなか、考えられないんですけど、ですから、怠けているということなんですけど、それでも仕事は「考える」ということではないかと思っています。

今日はこのくらいにしておきます。


2006年
9月01日

生きることに方向性が見いだせれば
 そんな欲求が私たちの生にまとわりついてきます。いったい自分は何のために生きているんだろう?という問いを持たされるときがあります。それはだいたい、壁にぶつかったときに。
 順風満帆で生きているときには、そんな問いは浮かび上がってきません。しかし、どうしても、人生は苦しみを本質としていますから、そういかないときがあります。そのとき、おれは何のために生きてきたんだ…とつぶやかなければならない場面が訪れます。
 この愚痴とも、ため息ともつかない憂鬱な問いは、生きるということ自体を揺さぶります。すると、いままで無意識にやっていた行為が、とてもぎごちないものになります。いままでテレビを観るということは、当たり前だったのに、その問いが揺さぶりをかけてくると、「どうしてテレビなんか観てるんだろう」「テレビなんか観て、笑っている自分は何なんだ」「それがどうしたっていうんだ」というようなアンニュイになります。そうすると、食事をしていても、電車に乗っても、どんな行為をしていても、不自然さが生まれてしまいます。
 生きること全体が問われるということは、とてもやるせないことですが、とても貴重な体験でもあります。キルケゴールが、絶望は死に至る病だといいますけど、その反面、神様からの贈物であるとも言っているようなものです。
 憂鬱というものは、自分で引き起こせるものではないです。まさに「落ち込む」ということですから、自然に落ち込むわけです。それは死に至るという危険性も十分含んでいます。しかしそれは、恵みでもあります。
 人間に生まれたことの、とても大切な体験をしているのですから。人間の闇はいつでも「意味」の問題です。また光も「意味」の問題でしょう。意味が感じられれば生きられます。その逆だと死へ傾斜します。
 憂鬱というのは、生きる方向性が渋滞してしまうことです。どの方向性に向かっているのかということが、見えなくなることです。いやいや、見えなくなるといえば、それまでは見えていたのか?と問われますけど、それまではそんなことすら考えたこともないのです。渋滞して、初めて方向性を模索していくのでしょう。
 仏道は、そこで、「道」という言葉を持ち出します。道路は、方向性がハッキリしているものです。どこかへ通じていなければ道はいえません。たとえ曲線であろうとも、直線であろうとも、その道は必ずどこかへつながっています。いや、決してつながっているのだと信じているわけです。
 ちょっと脱線します。
 真宗とつきあってくると、「信じる」という言葉が、容易に使えない言葉になってきます。ひとが「○○を信じているの…」などと話していると、「信じるってどういう意味で使っているんだろう」と疑問が湧いてきたりします。そうして、やたらに「信ずる」という言葉が重たくなって、やたらに使えなくなってくるんです。
 でも、最近、小生は「信じる」って、わりあい平気で使えるようになりました。淨土を信じるとか、仏さんを信じるとか、生きる道を信じるというふうに、「信じる」という言葉が空気のようになってきました。
 それは「分からなさ」を受け入れたということだと思います。信じるといっても、明確に理性的に何かが判明したということではないでしょう。究極的には、「分からない」ということの大地に人間はかすかに生きているものです。「生」も「性」も「姓」も人間が「分かって」選んだものではありません。
 結論をいえば、「分からない」ということで満足する世界と、「分からない」いうことで息の詰まる世界があるだけです。
 ですから小生の生は「淨土へ向かっている生」だと信じています。日常生活の行為はバラバラでチグハグで、矛盾したことも多いものです。果たして、歯を磨いたり、酒を飲んだりすることが、淨土への道なのかと問われれば、それは分かりません。でも、そうに違いないと信じているということだけは言えると思います。
 生の全体が、淨土往生への道のひとつひとつの大切な行為だと思えます。娑婆の生活は予期せぬことの連続です。すべて他力を本質としていますからね。自分なんて、実体的にはどこにもないんですよ。「ある」と思っている、その思いがあるだけですからね。
 柔らかく淨土を信じていたいなぁと思います。どんなちいさな行為も、他力のうながしで成り立っていて、それを丁寧にみれば、必ず、他力の味が潜んでいると思えるのです。 (吉本さんは「書く」という行為を、「自己慰撫」とおっしゃいますけど、小生は、「被救済」でしょうね。書くことで助けられているのです)

2006年8月29日

待つことができない
 どうも、自分自身を振り返ってみても、「待つ」ということができにくいです。車を運転していて赤信号で止まったときの、あの「いや〜な感じ」は耐えられません。ほとんど絶望的な感じがします。
 それから、やっとプラットホームに着いたのに、タッチの差で電車が出てしまったときの、あの「いや〜な感じ」。これも耐え難いです。
 それから、レストランで注文したとき料理がなかなか出てこないときのイライラ感。これも耐え難いです。
 こちとらーッ!江戸っ子でーい!と言いたくなる衝動にかられます。この気の短さは江戸時代からのものなのか、個人の持って生まれた性格によるのか、それとも時代の雰囲気に洗脳されているのか、それはよく分からないところがあります。
 ともかく、それをひとことでいえば「待てない」ということです。自分の思い通りに、つまり自分の欲望を即座にかなえないと気が済まないという「煩悩」のなせるワザでしょうね。
 この「即座に…」ということが、文明が発達したという成果です。カップ麺や電子レンジや高速通信、即日配達など、私たちの文化は、「即座性」で押し切ってきました。だから私も気が短くなったのだといえば、言い訳になりますね。
 その反動で「スローフード」とか「スロー」の文化が見直されてきています。
 でもなかなかスローになれない私がいます。先日、高速四号線が事故渋滞で、低速でジリジリと走っていました。すると、意外なことに気付きました。「へーこんなところに、こんなビル、あったっけ?」「へー、ここんところ、こんなふうに変わったんだ…」「全然見ていなかったなぁ…」と。つまり、高速では見えなかったものが低速になると、見えてくるということです。まぁこんなことは、誰でも経験することですけど、やはりゆっくりだといろいろな情報を味わうことが可能なんですね。それには忍耐がともないますね。渋滞というトラブルで忍耐させられたから、見えてきたということがあります。
 この忍耐ができないんですね。また文化は「忍耐」をできるだけしないように機械文明を発達させてきたのですから、それはいいことなんですよ。いいことなんですけど、どうも、それがおかしなことになっているようです。
 言葉を変えれば、人間の思い通りの社会にしようしようとしてきた結果が、どうも人間の思い通りの社会になっていないという矛盾です。さらに思い通りにしようと傾斜していけば、ますますそうならないという矛盾です。
 いつもこの矛盾の〈点〉に自分が成り立っています。
 アメリカで飛行機事故があり、福岡では交通事故があり、山口では女学生が絞殺され、北海道では男子学生が女性を刺殺するという、痛ましい出来事が多発しています。その現場に、いつでもその〈点〉があるように思えます。すべての人類の罪の〈点〉が凝縮しているように思えます。そこから一歩も身を遠ざけられないような息苦しさをおぼえます。
すべての被害者に連なる人びと、そしてすべての加害者に連なる人びとを思うと、切なくなります。
 ほんとうに「罪業性」そのものの存在が、私であると思えます。如来の前に身を投げだすよりほかに、無いです。自分で自分を裁くことも許されませんからね。
    

2006年8月26日

生きる意識が大雑把になっているとき、考えがすぐに沸騰してしまい鍋から考えがあふれてしまう。
 生きる意識が微細になっているとき、生きることが丁寧になるように思います。ちょっと丁寧に歩いてみる。ちょっと丁寧に衣服を畳んでみる。ちょっと丁寧にごはんを食べてみる。ちょっと丁寧な言葉づかいになってみるとかとか。
 大雑把になっているというのは、巨視的になっているときです。別にやりたいこともないし、自分が生きていてもいなくても同じじゃないかなぁとか、どうせ死んじゃうんだから生きることは意味ないじゃん、なんて思ってしまうときのことです。そんなときは、生きる意識が大雑把になっているなぁと思ったほうがいいです。
 その大雑把な意識は、思考が沸騰しているときに鍋からこぼれてしまった意識です。生きてることに否定的になってしまったときに、そんな考えに傾斜していき易いのも人間です。悲しいかな…。
 そんなときは、微細なことへ、具体的なことへ目を移したほうがいいです。歩くとか、食べるとか、寝るとか、思考をクールダウンしてみたほうがいいです。
 どこかへ移動して目の前の場面を変化させてみるというのもいいでしょう。散歩なんかもいいですよね。旅に出るのもいいでしょう。日常を非日常化してみると、うんざりするほど退屈な日常の割れ目から、非日常の芽が生まれます。コンクリートの割れ目から芽を出す雑草のようにね。
 どんな退屈な一日も、寝てしまえば明日になります。そして明日になれば、また昨日と違った日が必ず展開します。「同じようなことの繰り返しだ」と考えているのは今日の意識だからです。明日には明日の意識がやってきます。明日を信じてみませんか。
そう。あなたですよ。あなた…。

2006年8月25日

毎年、長野県・塩尻(萬福寺)で開かれるサマーセミナーへ行ってきました。
 講師は大澤真幸さんでした。京都大学助教授の社会学者です。これからの思想界をリードしていく旗手でもあります。
 テーマは、「個の欲動から普遍への道すじ(見田宗介をテキストにして)」(主催者側要求テーマ)でした。
 初日は宮沢賢治の作品を中心に、翌日は見田さんの社会学理論を中心にした楽しいお話でした。
 賢治の『銀河鉄道の夜』の初期稿と最終稿の終りかたが違っていることに着眼して、それを『よだかの星』と『猫の事務所』との対比を通して展開していました。いいたいことは、『よだかの星』はいじめられている「よだか」が、実は口に入る虫を犠牲にして自分が成り立っていることによって救われていくのに対して、『猫の事務所』は、最後に金色の獅子が登場して、「かま猫」を救っていくという形になっている点です。
 よだかのほうは、自分より惨めでか弱い存在だが、猫のほうは自分より大きくて偉大な存在によって問題が解決していくという対照です。これが、『銀河鉄道の夜』の初期稿と最終稿のモチーフの違いだと解きあかしていかれました。
 話を聞いていないひとには、何のことやら分からないでしょうね。要するに、牽強付会になりますが、「救済」というテーマで取り上げてみれば、自分より下位のものによる救いと、自分より上位のものによる救いということが問題になってたように思います。上位のものによる救いというのは、自分とは隔絶した絶対項(神や仏や如来等)が相手の状況を救うという形です。これはトラブルという状況を他者の力によって改善するという状況改善の救済になります。
 しかし、下位のものによる救いというのはもっと複雑です。それは単純に状況の改善では済みません。「よだか」は鷹から、醜い存在であるのに「たか」という名前は迷惑だから、「市蔵」に改名せよと迫られます。改名しなければ殺すと迫られます。脅迫にあった「よだか」は泣く泣く夜空を飛び回ります。そのとき、大きく開けた口中に虫が飛び込んできます。それを「よだか」は飲み下します。
 このとき「よだか」には鮮烈な自覚意識が生まれます。そして次のようにいいます。「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫を食べないで飢えて死のう」と。
 これを読むと、いのちは要するに弱肉強食という宿命から逃れることができないのだ、そのことが悲しいのだと受け取れます。いままで何も感じないで平気で食べていた虫たちの痛みが、「よだか」自身の痛みに重なります。ここに存在の罪の重さが表現されています。それを重たく感じるほど、「よだか」は自殺願望に傾斜していきます。
 これは「よだか」自身、つまり宮沢賢治自身の声だと思います。自己が存在すること自身の罪をどう受けとめればよいのかということのうめき声でしょう。自分が呼吸をするということは、他の生き物が吸うことのできる酸素を奪っているという罪業感覚です。この感覚に襲われてしまうと生きることが難しくなります。
 そこから賢治はどうやって抜けでたのか。小生には分かりません。
 親鸞は、おそらく、罪の側に身を投げたというか、罪と同化していったように見えます。ここで親鸞を持ち出すのもなんですけど、そっちに話をもっていかないと、賢治が救えないように思えました。
 「罪を裁くこと自身の罪」というものを親鸞の思想から小生は受け取っています。存在の罪を裁いているのは誰かという問題です。これこそ「上位」にある視座ですね。そもそも罪を裁けるような自分であるのかどうか。その自分とはどういう自分なのか、その吟味が迫られます。
 

2006年8月20日

南無阿弥陀仏を忘れているとき、妙に生きることに消極的になります。
 ハッとして南無阿弥陀仏がやってくると、そうか!と思って、生きることに大胆になることができます。なんだ、南無阿弥陀仏を忘れていたんだなぁと思えると、アグレッシブになれます。
 こっちは、いつでも忘れてしまうんです。一晩寝ると南無阿弥陀仏なんかすっ飛んじゃって、忘れ果てているんです。でもそれでいいんです。こっちが忘れていて気がつかないのは、こっちの問題じゃないんです。南無阿弥陀仏の責任です。もし南無阿弥陀仏が私に用があれば、向こうからやってきますから。こっちのせいではないんです。
 だいたい、南無阿弥陀仏くらいで解決のできるような私ではないのですから。南無阿弥陀仏なんて、何の役にもたたないもんです。この世に間に合うようなもんじゃないんですね。
 超越そのものですからね。
あとは「ただほれぼれと弥陀の御恩の深重なること、つねはおもいいだしまいらすべし」(歎異抄16条)でいいんです。
 自分には呆れきって、そして弥陀には惚れ惚れとしていればいいんです。所詮、人間は何の役にもたたないもんですからね。行くのでもなく、還るのでもなく、意味があるのでもないのでもない。そういう未開ファンタジーの存在なんですから。
 

2006年8月19日

昨日のBサロンでは、お墓をめぐって話が盛り上がりました。先週の「ガイアの夜明け」(テレビ東京)では、外資系の葬儀会社が日本に参入というニュースを流していました。
 葬式なんてどうでもいいよという人がいますけど、葬式は残されたもののグリーフワーク(悲しみを癒す装置)ですから、どうしてもやらざるを得ないものですね。
 もう「○○家」という家観念がかなり薄くなってきています。ですから、先祖代々の墓に入りたくない、夫婦だけの墓をもちたいという要求も出てきました。現代人が家族をどのように考えているかということが、そのままお墓や葬式にあらわれてくるのです。
 樹木葬ということも話題に登りました。東京郊外の山を宗教法人が買ったのか、そこに亡くなった方の遺骨を埋めて一本の木を植樹するのだそうです。散骨形式であっても、植樹というシンボルを立てるわけです。おそらくそのかたの遺骨が、何らかの形で木に反映されるというイメージなのでしょう。故人のたましいが木に宿っていくというイメージは、案外、古代日本人の心情なのかなと思いました。
 しかし、樹木葬は個人のニーズではあっても、それを継承していく子どもにとって果たしてどうなのかということも話題になりました。それは個人だけの墓であって、共同のものにはなりにくいのではないかというのです。だから、理屈で考えるよりも、一般的な風習に任せておいたほうが、ベターだという意見もありました。
 これらを煎じ詰めていくと、自分の死後をどうイメージするか、そして子孫とどうつながるのかということになりそうです。親鸞は「自分が死んだら鴨川の魚にやってくれ」と語ったといいます。聞いたものにとっては、センセーショナルな発言です。葬式なんかどうでもいいんだという意見のひとは、この表現を盾に取ります。果たして親鸞はそういう意味で語ったものかどうか。小生は、死後のこと以上に、〈いま〉信を取ることが重要だと指摘したものだと受けとめています。
 葬式をするかしないかという問題が最重要の問題ではないというのでしょう。あなたが死後をどのようにイメージするかが問題だというわけです。南無阿弥陀仏という生命感覚をどのように受けとめているかということです。
 これはまた、極めて〈内面的〉なことなのです。内面的だからこそ、また大変深い問題でもあります。どうでもいいといえば、どうでもいい問題なんですけど、どうでもいい問題だからこそ、また大変重要な問題でもあるわけです。とても微妙です。
 仏法は、この世には間に合いませんね。いよいよ超世間的です。死後の世界があるとも、ないとも結論を下しません。葬式をするのがよいとも悪いとも結論を下しません。それじゃどうしたらいいんだ!と自棄にならざるを得ません。
 その自棄になっている自分を、どう頂くかが問題です。この「自分」ということが問題にならないとダメですね。「自分」が問題にならなければ、すべてhow toの知で済んでしまいます。
 道元も「仏法をならうというは自己をならうなり」といいます。清沢満之も「自己とはなんぞや、これ人生の根本的問題なり」といいます。この「自己」とか「自分」というものは、習わなければ無いものです。漠然と「自分」があると思っているだけです。この漠然とした「自己」を問うわけです。そうすると初めて「自己」があらわれてくるのです。突き詰めて「自己」を考えていくと、曖昧だった自己が溶解していくのです。縁という関係性に溶解していくのです。そしてとても「自分」という個はないなぁと感じます。自分で自分を区切って「個」と感じているだけです。ほんとうは様々な関係性の網の目に「自分」があるのでした。だから、親鸞も鴨川の魚にやってくれというのは、「自己」を関係性の網の目としてイメージしたところからの発言かもしれませんね。肉体は死ぬと腐ります。川の魚が死体をついばみ、それが魚の肉になっていく。すると「自分」というものが溶解して、魚に食われて、魚の身となった自分がイメージできます。これもなかなか素敵なイメージです。
 まあ、それも「自分」のつくったイメージ世界ですから、そんな世界があるという保証はありません。なくてもいいんです。
 如来はいつでも「無量」と、「量ること無し」と迫ってきます。ものごとの本来性は「無量」だというわけです。無にかえって、ようやく安らかになります。さて、無から生きよう。
    

2006年8月18日

今度は、DVDプレーヤーが壊れてしまいました。こうなってくると、次は何かな?と、妙な期待感が生まれてくるからおかしなもんです。
 ともかく暑いです。暑いと頭も身体も、妙な具合になってきます。暑いからといって、エアコンを使っていると、足が冷えたりしておかしな具合になりますね。そうかといって、汗だくでいるわけにもいきませんからね。これも困ったものです。
 やはり「夏休み」とか「お盆休み」という習慣が残っているということは、この時期は、ジーッとしとれ、という意味かもしれませんね。手紙に「体調を崩さぬよう…」などと書いたりしますけど、そういわれたほうも困ってしまいますよね。どのように体調管理をするればよいのか見当もつきませんからね。いう方もいう方で、「こういっておけば間違いないだろう」程度のことで書いているんですけどね。
 やはり、バイオリズムが不安定な時期が、この猛暑の頃なんでしょうね。でもなかなかジーッとしておれないのも人間の愚かなところですね。
 かつて、故・西本文英先生が、「いらんことは、なーんもしとらん」と言っていたことを思い出しました。息子さんから先生が、「お父さんは何にもしとらんじゃないか!」と批判されたときに語った言葉だといいます。先生は「お前はいらんことばっかりやっとる。わしは、いらんことはなーんもせん。それでいいんや」とね。
 いまでもこのフレーズが小生の中に残っているということは、きっと深いところに刻み込まれた言葉なんでしょうね。所詮人間は、食って糞して、寝てるだけじゃないかというわけです。それを偉そうな顔をするなというのです。
 そんなふうに、歩こうとしている足をスーッとすくわれてしまうと、大地にドデーンと倒れるしかないなぁと思います。
 

2006年8月15日

昨日の朝のこと。突然部屋の電気がすべて消えてしまったので、これはファックスの次ぎに、電気がいっちゃったのかよ!と愕然としました。ところが、家のすべてのブレーカーは落ちてないし、近所がざわついているし、ということで、地域一体が停電したことを知りました。
 普段、電気のある生活が、いわゆる「普通の生活」になってしまっているので、突然の停電は、人間のもろさを実感させます。部屋が暗いし、エアコンは動かないから暑いし、情報を知ろうとしてもテレビはつかないしと、ほんともろいもんです。仕方なく、緊急用の、手動充電付き、ラジオとライトが一体型のやつのスイッチを入れました。まずNHKを聞こうとしたのですが、停電情報をやっていないのです。通常放送を流していました。他の局はどうだろうと思ってチューニングすると、文化放送がやっていました。電車の運転不能と23区の内、停電していない地域を知らせていました。
 お盆の参詣人は車で来たけれども、信号が動いていないと教えてくれました。
 7時38分に停電して、一時間あまりで復旧しました。
 これはテロではないかとか、変電所に雷が落ちたんではないかと、口々に語っていました。結局、旧中川のクレーン船のクレーンが送電線を傷つけたためだという結論に到りました。しかし、そんな送電線に何百万世帯の電気が左右されるのかということ自体に驚きを感じました。送電線が切れたのであれば、送電線をつなぎ合わさなければ復旧できないのではないかとも思いました。送電には、フェイル・セーフの思想は生きていないのでしょうか。
 フェイル・セーフとは、たとえひとつの手段がトラブっても、第二第三の代替え手段が整っているいう発想です。これは航空機に、生かされている発想です。ジャンボジェット機の操縦ラインは、上部と左右三本のラインでできあがっています。たとえ上部のラインが破壊されても、第二第三のラインで操縦することかできるという発想です。
 もともと、機械はこれわるもの、トラブるものだという発想があります。だから、備えを十分にしておかなければなりません。東京電力の発想はどういうものだったのか、それが問われることでしょう。
 送電線は二系統あって、ひとつが故障してももう一本で補えるという仕組みだったようです。それが二系統とも破損する事故は予想していなかったと東京電力は言ってます。それも今回の送電線は「江東線」と呼ばれ、かなり主流の電線だったようで、140万戸が被害を受けました。
 電気のことはよくわからないんですけど、送電は網の目のようになっていて、破損が起こると電圧の変動が起こり、他の部分に大量の電流が流れることを押さえて送電をシャットダウンするのだそうです。
 西側から電気を送ることで復旧したと新聞に書かれていました。
 事故はいつでも「人間の予想を超えた」形で起こります。二本とも破損する事故は予想していなかったと。しかし、こんな単純なことで、送電が破壊されてしまうとは、まったく人間のもろさを露呈させましたね。テロ犯が、これを見ていれば、参考にすることでしょう。
 まあ、電気がないと人間は何もできない生き物だと、思い知らされました。電気がないと、一気に人間が「古代」に連れ戻されます。ほんとうにか弱い生き物だと、あらためて感じました。
※ところが、子どもはちゃっかりしていて、車の中でテレビを見て、クーラーをかけて快適に状況把握をしていたというのですから、やっぱり、子どもが未来を開くカギをもっているのかもと、呆れました。 

2006年8月13日

今度は、ファックスが壊れてしまいました。1999年から使い続けていたので、じゅうぶん仕事は果たしてくれたので、天寿をまっとうしたということなのかもしれません。感熱紙仕様でした。メーカーに電話すると、もうすでに「感熱紙」を使ったファックスは造っていないということでした。いろいろ聞いてみると、やはりどうしても新しいものを買ったほうがいいということになり、「普通紙」ファックスを買うことになりました。
 しかし、新しい機械に慣れるまでは結構大変です。まえの感熱紙タイプのファックスのほうが、とても使い易かったという印象です。普通紙は、印刷されるための用紙と、インクリボンが必要なんですね。だから、消耗品はコピー用紙とインクリボンと二つ必要なんです。感熱紙タイプのほうが、ずっと簡単でした。どうして、普通紙が主流なのか分かりません。メーカーの策略でしょうか。それとも、感熱紙だと長期保存に向かないということなんでしょうか。使い勝手は、感熱紙のほうがよかったんですけどね。
 しかしいいこともありました。ファックスを受信するとき、あらかじめ必要なファックスか、そうでないものかをディスプレイで見ることができるんです。だから、広告のファックスは印字せず、必要なファックスだけを印字できるんです。これは、かゆいところに手の届く仕組みです。
 ともかく、機械は徐々にダメになってきました。昨日の雷の影響か、テレビが言うことをきかなくなりました。リモコンの3番を押すと11番になってしまいます。音声ボタンを押すと、チャンネルが切り替わってしまいます。そうかと思うと、どこもさわっていないのに、勝手にチャンネルが切り替わったりします。テレビもそろそろ反乱を起こしてきたのかもしれません。
 まるで、機械達は、再建を分かっているように、住人に牙を向いてきたようです。沈没する船を予知して、ネズミたちが船から退去するように、機械たちは反乱を起こしはじめました。
 これをどう受けとめればよいのでしょうか。
 「よくある話だ」と受けとめるのか、「機械を成仏させるお経を読むのか」か、はたまた、懺悔するのみなのか。
 たぶん、それしかないのでしょうね。

2006年8月10日

今朝、生まれたての赤ん坊のように、今日を生きる
 自分は今朝生まれたてのような気がします。今日という日は、誰も生きたことのない時間。誰にとっても生まれて初めての今日です。
 昨日のように今日を生きることはできません。今日は今日なんですから、前代未聞の今日なんですから。
 大人は、いろんな知識を詰め込んで、それで自分を固めて生きようとします。それは卵をハードボイルドにするようなものです。固いです。固いものはぶつかれば壊れてしまいます。
 そういう大人の知を、綺麗にぬぐい取ってくれるものが仏法だと思います。どうしてもいまの自分にプラスするものではなく、マイナスされるものです。取り払われて、サッパリするのが仏法でしょう。
 自分の知っている「武田定光」を生きることができません。だって、今日は生まれたての赤ん坊ですから。
 行くのでもなく、還るのでもなく、意味があるのでもなく、ないのでもない。古いものでもなく新しいものでもない。そんな、「零度の存在」を生きたいと思います。
 「取り越し苦労」と「後の祭り」から身を遠ざけておきたいと思っています。
 火花を散らして進む彗星のように、今日を生きましょう。

2006年8月08日

近頃、個性のない野菜が多いような気がします。というのは、九州から買ってきたゴーヤ(苦瓜)を味噌炒めにしてもらって食べたのですが、苦くないのです。十五年前にたべたゴーヤはとても苦かったことを思い出します。
 そして、セロリもそうです。かつてのセロリは、「おれは、セロリだ!」という自己主張をする食材でした。だから、セロリは嫌われました。ほかの野菜達はどうだろうかと思いを馳せると、やはりそうですね。ピーマンも、キュウリもトマトもそうです。みんなかつては個性豊かに自己主張をする野菜たちでした。それが、個性をもぎ取られ、強制されて窮屈なものに変形させられています。農家にいわせれば、消費者が好むものをつくっただけだと言われそうです。まっすぐなキュウリや、個性のないピーマンじゃければ売れないからつくったまでのことだと叱られそうです。
 だから、いま食べているものは、ゴーヤモドキ、キュウリモドキ、ピーマンモドキなんですね。まっとうな野菜はないようです。
 しかし、庭に出来た茗荷(ミョウガ)は、そうではありませんでした。ジメジメした場所に、ミョウガは咲きます。そこには藪蚊がブンブン編隊を組んで飛んでいます。蚊の大好物であります女房は、そこへ足を踏み入れる勇気はありません。小生が、勇気を出してミョウガ探検隊として飛び込みました。小生は、蚊にくわれないのか、まずいのか、蚊は寄ってきませんし、くわれても腫れもしないのです。
 ジメジメしたところにミョウガが、咲いていました。芽は地面から、ニョキっと出ています。これを見つけたときには、ささやかな感動があります。さっそくもぎ取るとります。メキッともぎ取ります。それをさっそく包丁で微塵にしてもらい、ソーメンの薬味にどっさり入れました。醤油ダレではなく、胡麻だれの麺つゆです。これがなんとも香ばしいのです。やはり、とれたてだねっていう感じです。
 子どものころは嫌いだったミョウガが妙に近頃好きになりしまた。あの匂いが嫌いだったのに、いまではその個性溢れる匂いが好きなんです。これって不思議ですね。味覚にも年齢があるんです。
 人間だって、匂いがあっていい、と思います。それはひとに嫌われるような匂いかもしれません。個性ということは「匂い」ということですからね。嫌われるということと、好かれるということは比例しているのでしょう。嫌われも好かれもしないということは、個性が消されているということでしょう。
 だから、小生は、とても遠慮気味に生きてきたと思うのですけれども、遠慮しなくていいんですね。もっともっと個性をプンプン発散して生きていいんですね。現代の野菜たちよ、もっと頑張れ!

2006年8月06日

古代の血を感じる
 昼間は、まだまだ暑いですが、朝晩、いくらか涼しさを感じる季節になりました。ここのところ、九州へ帰省中だったので、更新が滞っていました。「体調崩したの?」などのメールを頂戴していました。すみません。寺にもどると200通近くのメールが届いていて、その処理に追われました。ほとんど、出会い系サイトの勧誘やら通販系の案内などが多く、削除に手間取りました。
 九州からもどってくると、毎年、そうなのですが、どこかたましいのタガが外れた状態になってしまいます。日常にもどるには時間がかかります。これは何故なのだろうといつも思います。
 明け方、カナカナ〜カナカナ〜と鳴く、ヒグラシで目を覚まし、涼やかな野良をわたる稲の香りに身を浸し、湧き水で暮らしていると、自分の奥深くに流れている「古代の血」が表面に出てくるのかもしれません。テレビのニュースや新聞なども見る気がしないのです。別に世間に無関心でも、世間はそうそう変化しているものではありません。長期に海外旅行に出かけたひとも、そんなことを言いますよね。世間って変わってないなぁと。
 たとえれば、ニュースは海の小波のようなものです。その大海原の深海を流れているものは太古からの動きを繰り返しているのでしょう。さざ波はひと目を引きますが、やがて忘れられるものです。プールの事故とレバノン情勢と総裁選くらいがトピックスでしょう。プールの事故なども、だれも悪気があって、ああなったわけではないでしょう。ちょっとした不注意だけの話でしょう。日常における不注意は誰にでもあるものです。普段はそれが死に結びつかずに済んでいるだけで、たまたまです。死に結びついた不注意と、死に結びつかない不注意があるだけです。だから、事故を起こさない対策は不要というわけではありません。しかし事故は、いつでも人間の予測の範囲を超えたかたちでやってきます。これは永遠のテーマです。
 不注意は私の日常にころがっています。だから、どうしても私には事故の責任者を裁く気にはなれません。私には…。
 世間というものは、そうそう変化しないものですね。やはり四苦八苦の娑婆という本質だけが形を変えて流れているだけでしょう。そのもっと深いところに流れているものは、悠久の古代のような気がします。現代人の私の血の中にも、古代の血が間違いなく流れているように感じます。
 ドングリ拾いに夢中になったことがあります。別に食用にするわけでもないのに、ただドングリをビンに詰めていたら、無性に拾いたくなって、どんどん集めたくなってきたのです。「あっ、ここにも落ちていた。あっちにも落ちている」と、ただ拾うことが楽しいしドキドキする体験でした。これなんかも、縄文時代の血が騒ぐのでしょうね。狩猟採集時代の血が、私を突き動かしたのです。
 現代人は表面は「現代人」ですけど、もっと古層には古代人の血がうごめいているのだと思います。だって「いのちの根っこ」をイメージすると、古代の血が充満している私自身だと、つくづく思います。その血を感じています。

2006年7月30日

「いのち」について
親鸞聖人750回忌テーマが「今、いのちがあなたを生きている」に決まりました。このテーマに対してお釈迦様は、「いのち」なんて言ってない、「阿弥陀さんのいのちに帰る」なんていってないとおっしゃる方もいます。伝統的に、「いのち」は、汚れたものとして仏教は扱ってきたというのです。「三有」とか、「迷える存在」とか、「さわり多きもの」とか。その迷いの存在から覚醒して覚りの世界にいくのだというのです。
 だから、「阿弥陀の世界」から生まれて、ふたたび阿弥陀の世界へ帰るなどということはおかしいと批判されています。そもそも、仏教は無我を説くのだから「いのち」なんていうのもナンセンスだとも批判されます。
 善導大師の二種深信などでも、「自身は現に、これ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に沈み常に流転して、出離の縁あることなし」と言ってるではないかと。迷い迷ってきたものが、やがて浄土に往生していくのだという論理だというのでしょう。だから、そこから生まれてきて、そこへ帰るなどという発想はおかしいと。
 でも、娑婆から浄土へ「行く」という直線のイメージだけでいのちは語れるのでしょうか。どうしても円環のイメージで語ったほうがいいように思います。またふたたび、そこからこの世へもどってきて云々という話はなしです。帰るのは一回コッキリでいいです。もう二度とこの世へ帰ってこなくていいです。
 しかし、もといた国だから、存在の故郷として、そこへすべてが帰るというイメージがいいように思います。未知の浄土へ行くということだと、どうしても上昇志向になりませんか。親鸞の世界では、行けるかどうかが最大の問題関心です。だから、信心によって浄土へ行くというテーマになります。そうすると、どうしても行けるものと行けないものが生まれてしまいます。
 歎異抄(第2条)に見える親鸞は、念仏は浄土へ行くための手段でも、地獄にいく行為でもないと断言しています。だから、どこへ行くのか?という問題関心からは脱しています。阿弥陀さんが連れていってくれる場所なら、甘んじてそこへ行くという決断ですね。別に浄土へ行くために信じているわけではありません。
 つまり、親鸞の中では本質的に、死後どこへ行くのか?という問題はないのです。ないという形で解決しているのです。
 その「ない」ということを基本にして、そこからは自由に死後のイメージを膨らませているように思います。門弟に、先に行って待っていて下さいとか、私が必ず浄土で待っていますよとか、自由に語っています。親鸞にとっては、「帰る・還る」という発想はないようです。やはりどうしても浄土往生というテーマが抜きがたいんでしょうね。
 私は、そこから、もうすこし自由に浄土のイメージを膨らませています。私たちの存在の本来性としてイメージしてみたらどうだろうと思います。いのちの根っこは何十億年とつながっています。そのいのちの起源としての阿弥陀をイメージします。そして、そこへふたたび還る場所としてイメージします。人間だけではなくて、あらゆるいのちの還る場所としてイメージします。
 そういう世界観、生命観を南無阿弥陀仏と名づけたいと思います。その南無阿弥陀仏の視座が成り立つのは〈信〉によってです。だから、どうしても〈信〉ということが要請されてくるわけです。究極には、どこへいくとか、いかないとか、そういう問題関心から完全に解脱することが〈信〉です。その〈信〉の世界から、この世を見渡したときに、自由なイメージが湧いてくるのです。それはもう自由ですから、行くといっても還るといってもほんとうはいいわけです。 
 私は「いい加減に信ずる」(田口ランディ用語)とか「柔らかく信ずる」と語っています。なくなったひとはみんな浄土へ還るものと、柔らかく信じています。絶対にそうだ!と強固に信じてはいません。たぶんそうだろうなぁ、そうに違いないだろうなぁという程度に信じています。
 それで〈信〉が成り立つかといえば、成り立ちます。だって、本質は人間には分からない世界ですからね。分からない世界だから、どんなイメージをもってもいけないというわけではないでしょう。分からない世界だから、自由に人間はイメージしてよいのだと思います。
 そういう世界観、生命観を受け入れるには条件があります。〈信〉という「無条件という条件」があります。
 だいたい、「浄土往生なんだ!」と語る僧侶であっても、実際に門徒の葬儀では「浄土へ帰られた」とか「還浄された」と語っているんですからね。やはり「還る」という言葉が理性以上に深い感性から生まれた言葉だと受けとめたほうがいいと思います。
一度も念仏したことのない人間が救われるのか?と尋ねられたとき、どう答えたらよいのでしょうか。私は「お浄土へ帰られました」と答えます。柔らかく信じていますから。
 でも、念仏したこともないような人間は、どこへいくのか分からないと答えられるでしょうか。そう答える僧侶もいるでしょうね。それは正論でしょう。
 でも、私にはそうは見えません。だいたい、存在そのものが他力を体現しているのですから。他力を体現している存在は私にとって仏さまでしょう。仏さまは浄土へ還るのは当然ですからね。
 この場合の「私にとって」ということがポイントなんですけどね。
  

2006年7月27日

愛知県・岡崎教区17組の夏期真宗講座と、京都・教学研究所の特別研修生への講義に出かけてきました。いつでもそうなんですけど、お話が終了すると、これでよかったのかなぁ?とちょっと、ナーバスな気分に落ち込みます。
 質問者に、「先生は親鸞教じゃなくて、真宗に帰れといいますよね。でも、先生が語ったことがどうして「真宗」だと証明できるんですか?」と問われました。
 聴衆のひとびとは、武田が思いつきで勝手なことを言ってるんじゃないかという印象をもたれたのでしょう。それに対して、小生は「これが『真宗』だという証明はできません」と答えた。
 私の語ったことがほんとうの「真宗」だということはできないんです。三帰依文は「願わくは、如来の真実義を解したてまつらん」という言葉で結ばれています。あの精神ですね。私の語ったことが、願わくは如来のほんとうを表現しているものであってほしいということです。それはどこまでも「願わくは」ということなんです。
 そして、「願わくは」それは歴史が証明することだと思っています。しかし、小生の語ったことは、まんざら自信がないということでもないんですけどね。
 だって、「親鸞に帰れ」ということだと、親鸞という世界だけを真実として立ててしまいます。つまり、自分たちの正当性を親鸞で保証するということになります。そして親鸞の語ったことだけを真実だと受けとめようという傾向になります。自分たちの立場が不安になると、原点に帰ろうとします。しかしそれは親鸞に帰るんじゃなくて、「真宗」に帰らなければなりません。「阿弥陀如来」まで帰らなければなりません。
 だから、厳密には「阿弥陀如来に帰れ」と表現しなければならないんでしょうね。
 もし親鸞に帰れということだけだと、それは「真宗」じゃなくて「親鸞教」になってしまいます。
 親鸞はすべて分かっているんだ、親鸞だけが真実を説いているのだというふうに絶対化すると、恐ろしいことになります。小生も、この呪縛に長い間苦しめられました。親鸞の主著である『教行信証』を読んでいても、ここには崇高なことが書かれているのだから、ちゃんと読まなければいけないと考えます。そこまではいいのです。しかし、どうしても理解できないような箇所にぶつかります。そのとき、どう考えるかというと、「親鸞は分かっていた、しかし、ちゃんと了解できないのは自分の読み方がダメだからだ」と一歩引き下がります。確かに、そういう理解の段階もあるにはあります。しかし本質から言えば、それは親鸞の表現が分かりやすく書かれていないということなんです。丁寧に表現されていないということなんです。だから分からないんです。私たちの理解力不足ということではなかったんです。
 親鸞の表現にも限界性があります。私たちには、その限られた表現をつなぎ合わせたり、意味展開したり、分析、統合、類推、想像ということしかできません。おそらく親鸞はこう読んだに違いないということまでは類推できますが、決定はできません。類推までです。果たして親鸞がそう理解したかどうかは、親鸞に本意を聞いてみなければ分からないことです。でも、死んでますから、それは無理です。
 でも、一歩を踏み越えて、親鸞はこう理解していたに違いない、これが真実だといいたくなるんですね。それは親鸞を絶対化していく傾向性ですけど、実は、自分を絶対化していきたい衝動のあらわれなんです。
 そうではなくて、親鸞の表現をも相対化していける「真宗」という視座が開かれなければなりません。そうなると、親鸞とも「善き親友」という関係が開かれてきます。親鸞の表現を絶対化して、自分を権威づけるんじゃなくて、親鸞と友達になれます。
 そして親鸞よ、あなたはこう考えたようだけど、私はこう考えるよと対話できるようになります。そういうことが「独立」ということではないでしょうか。
 親鸞の表現だけに真実があるという見方は狭いです。そして親鸞もそれを望んではいないはずです。だから「親鸞教」を拝跪するひとは、実は、拝跪しているように見えて、自分自身を拝跪していることになるのです。親鸞を権威とみている自分自身を権威化しているのです。
 

2006年7月23日

いま少し、ようやく首の痛みを忘れることができたようです。なかなかしぶとい寝違いです。
 こうなったのも、宿業のなせるワザでしょう。誰が悪いというわけでもありません。


 いろんな宗教書を見ても、ぜんぶ「これから、これから」と書かれていて、ゲンなりします。いろいろ努力しなさいとか、もっとこうしなけりゃダメですよとか、ぜんぶ、臨終往生の発想なんです。
 そこへいくと、あらためて、真宗思想は凄いと感心します。人間の理性の入り込む余地がないんです。「これから、これから」なんてどこにも許さないんですね。〈いま〉だけなんですよ、問題は。
 〈いま〉に永遠を見いだしていけという思想ですから、これからこうしますとか、これからこうしてくださいなんて呑気なことを許さない思想です。だから人間からは歯が立たないんです。
 人間の発想やら、妄念やら、予測やらをすべて飲み下してしまいます。そして最後に残ってくるものが〈いま〉です。永遠の〈いま〉です。
 この永遠の〈いま〉に立ち会えということだけを真宗思想は要求します。だから歎異抄のどこを切り取ってみても、すべて〈信〉に帰結します。無に帰結します。
 無に帰結すると、とたんに〈いま〉がよみがえってきます。本来が無なのに、〈いま〉有るわけですからね。この有るということは、ものすごい奇跡ですね。
 この有るということに立ち会うだけです。
河島英五の「生きてりゃいいさ」が、フッとよみがえってきました。
 
 
  生きてりゃいいさ
   生きてりゃいいさ
   そうさ生きてりゃいいのさ
   喜びも悲しみも立ちどまりはしない
   めぐりめぐってゆくのさ

2006年7月18日

参詣のひとがきて、「お休みのところ、すみませんね…」と挨拶した。小生は、別に休んでいるわけではないのに。洋服を着ていたから。そうかあ、コロモを着ていないときは、休憩だと思っているんだなと思った。
 そして、仏法には休憩はないのだ!と、強く思った。たとえ、コロモを着ていようといまいと、それは無関係だ。
 先日も、日曜日の法事の客が、「すみません、せっかくのお休みに法事をしてもらって…」などと挨拶した。こっちは、別に土日こそが法事でてんてこ舞いしてるんだから、何を勘違いしているんだろうと思った。お寺の生活を知らないのだから、これも仕方がない。
 法事のないときは、何をしてるんですか?と尋ねられることがある。これも困った質問だ。法事のないときは、パソコンに向かっているか、本を読むか、テレビを見るか、会議に出るか、お話をしているか、議論しているか、酒を飲むか、ゴルフをするか、くらいのことだ。しかしだ、仏法には仕事と仕事以外の切れ目はない。いつでも仏法の中の出来事だから、いつでも仏法だ。
 こっちは、スイッチを切り換えたいんだけどね。向こうが切り換えてくれない。
何をしていても、そのすぐ横にはいつでも仏法がこっちを見ている。仏法の眼差しから逃れることができない。
 ですから、お休みはありません。何をしていても、すべてが仏法なんです。そうすると、生活全体が仏法になります。修行ですね。すべて最初で最後の修行ですね。何かに成るための修行じゃなくて、その行為そのものが最初で最後の修行です。一回一回が最初で最後だ。
 こんなことを、考えられるようになったのだから、随分「寝違え」もよくなったに違いない。この痛みが、どうしてこんなに痛いのか、それを実感できるように話してくれるひとに会いたいものだ。打撲や捻挫や裂傷や火傷は、目で確認できるから、痛みも想像できる。しかし「寝違え」はよく分からない。内臓の疾患と似ていて目で確認できないから、もうひとつ実感がない。しかし痛みだけがあるのは、どうしても納得いかない。
 

2006年7月16日

今朝は、昨日よりいくらか「筋違え」の痛みも減少してきたように感じます。11日からやっていて、ようやく減少というのですから、バカにできません。それでもまだ、首の角度によってはズキンとしたり、拍動と同時に頭に痛みが波動的にやってくることもあって鎮痛剤は欠かせません。
 ほんとうに痛んでいるときには、何も考えることができませんね。パソコンに向かう気力がまったくありませんでした。パソコンが打てるということは、回復の兆しと受けとめようと、自分をなだめております。
 しかし、この「筋違え」というやつは、どうして起こるのでしょうか? また、これは筋がどのようになって痛みを発生するのでしょうか? ある日、布団から起き上がると、いままでなかった痛みが発生するのですから、不思議なものです。筋肉のこむら返りみたいなもんでしょうか。それとも、筋がロープとロープが擦れるようにして痛みを発生するのでしょうか? ちょっと分かりません。それでインターネットで調べてみました。
「−寝違えの原因は?
 「痛みの原因はよく分かっていませんが、悪い姿勢のまま寝てしまい、首の所が肩凝りに似た状態になっていると言えます。ただし、寝違えが頻繁に起こる、あるいは症状が何日も長引く場合は、頚部の病気が原因のケースもあります」
 −どのような病気ですか?
 「例えば、頚椎の椎間板ヘルニアや頚椎症があると、寝違えを起こしやすいのです。さらに怖いケースでは、がんの転移があります
東邦大学医学部(東京都)整形外科の岡島行一教授」
 他のブログでは、「寝違えという医学用語はなく、頸部周囲の靭帯(じんたい)や筋肉の急性炎症による痛みの総称」と書かれていました。
 そうなんですよね、「筋違え」とか「寝違え」とか呼ぶんですけど、それではなんか、あの痛みの現象を正確に表現していないと思います。ただ寝ているだけで、どうして炎症が起こるんだ、どうしてそれが整形外科に行くような羽目になるのか。まだ納得できません。
 でも、「頸部靱帯急性炎」とか「頸部筋肉捻転症」とか命名してくれると、なんとなく納得できるように思います。ひとに言うのに「寝違えでさぁ…」というと、「なんだ寝違えごときで大騒ぎして…」と見下されるように感じます。でも、当事者にしてみれると、結構つらいんです。そんな簡単な病名じゃねーぞ、この痛みは!って反論したくなるんです。
 やはり、不自然な形で寝てしまったことが原因らしいんです。熟睡すると、不自然な姿勢を続けてしまうんですね。特に小生は、眠りが深いものですから、女房には火事でからだが焼けても、気がつかないんじゃないのと言われるくらいです。
 熟睡が寝違いの原因だそうですから、逃れる道はありません。でも、ただ不自然な形で寝ただけで、どうして痛みが発生するのか?それが分かりません。ともかく完治するには一〜二週間くらいかかるそうです。
 ともかく、この結果を引き受けて、気長につきあっていくしかありません。まぁ、願わくはネットに書かれているように「さらに怖いケースでは、がんの転移」ではないことを思います。一応の整形外科医の診断は、「筋違え」ということだったので、問題ないのでしょう。レントゲンも撮ったし…。でも、それには骨しか写らず、筋肉や靱帯は透明になっているので分かりませんけどね。
 
 2006年7月1
5日

御心配お掛けしました。エアコンは修理してもらいました。原因は難しすぎて分かりませんけど。そうこうしているうちに、電気のスイッチが壊れ、続いて電子レンジが壊れました。女房がレンジの扉を開けようとしたら、ボンッといって臨終してしまったようです。危ないのでコンセントをぬいたら、扉自体が開きっぱなしになってしまい、閉めてもダランと開いてしまうのです。また、この扉の重たいこと。これは、人間の死体と同じだと思いました。
 人間の身体も、生きているときには結構軽く感じますけど、死んでしまうと重たくなります。まぁ重さは変化しないのでしょうけど、そんな感じがするんですね。泥酔の人間をオンブするとき、やけに重たいなぁと感じることと似ていますね。
 それはともかく、もう秋で建物が臨終を迎えると、機械たちもどこかで感じているのでしょうね。機械ですけど、やはりたましいがあるんだと、いま実感してます。
 そうこうしていると、こんどは小生の身体が異変を起こしました。首の左後ろがズキンズキンと痛むのです。もう何日も治らないので、決心して病院へ行きました。
 結果、「筋違い」という診断なのですが、まだ分かりません。一応塗り薬と鎮痛剤をもらってきました。筋違いであれば、首をまわすと痛いとかですけど、何にもしないのに、ズキズキするんです。またその部分を押してみると痛いんです。これは筋なのかな?とちょっと思っています。
 一応、またよくなりましたら、経過をお知らせします。
 意外に夏場は体調が変化する時期ですから、みなさんもご自愛のほど念じます。
 

2006年7月11日

エアコンが壊れてしまい、出入りの電気屋さんにきてもらっても原因不明で、結局メーカーにきてもらいました。それでここ三日間は、エアコンなしの生活をしています。部品が入れば、今日、修理してくれることになっていますけど、なければ明日まで延期です。
 もはや、私の身体はエアコンのない生活には耐えられない身体になっていました。エアコンがあって当然の身体になっていました。これを堕落と呼ぶのか、なんと呼ぶのか分かりません。
 とにかく人間はホメオタシスではなくて、逆ホメオタシスですから、身体を環境に適応させるのではなく、環境を身体に適応させてきたということがよく分かりました。もともとサルのように全身毛で覆われていた身体から毛が抜け落ちていったのも、逆ホメオタシスなんでしょうね。衣服を身にまとうことで、毛が抜け、やがて住居をもって環境を変化させ、やがてそれがエアコンまで発展してきました。これは、人間の「進化」の過程ですから仕方ないことなのでしょう。
 それではダメだと言おうが、反逆しようが、所詮人間は逆ホメオタシスなのですから。自然に帰れ!叫んでも、それは無理というものです。まぁ憧れはあるんですけどね。自然に帰るということも。たまに、山野に入ると、「いいなぁ…」と感じますからね。やはり原始人のたましいが残存しているのでしょう。
 そういえば、昨夜のNHKスペシャルで、ロボットの話をやっていましたね。無人ロボットを開発して、それを軍事用に使っていくという恐ろしいシナリオが現実化していました。アメリカ本土にいながら、ミサイル搭載機をコントロールし、道路に爆弾を埋めているらしいイラク(兵?)を撃破するというシーンが流されました。それをコントロールしていたアメリカ兵は、テレビを見ている感覚ですよと語っていました。あれにはゾーッとしました。湾岸戦争のときにも、私たちはそれと同じことを体験しましたね。
 戦争がまるでテレビゲームみたいだという感覚です。そこには、生身の感覚がありませんでした。血の色とか臭いとかがないのです。
 さらに恐ろしいのは、お手軽に巡航ミサイルが、だれでも造れるマニュアルがインターネットに流されたというものです。安価なんだそうです。そうすると、アメリカ一国が無人ロボット兵器を独占できないわけです。誰もがミサイルをもって、だれでも殺せるようになったということです。これも背筋の寒くなる話です。
 でも間違いなく、そういう方向に向かっていることは否めません。救いは日本のロボット学者が、「人間に危害を加えるものはロボットではない」という言葉を引用していたことでした。
 逆ホメオタシスの延長に、ロボット兵器もあるのでしょうか。すると自分とも通底しているのでしょう。とても暗い気持ちになりました。
 

2006年7月7日

ただいま建築のための、設計の打ち合わせが、頻発しています。基本設計ができあがっても、こんどは個別の設計が待っています。
 間取りに合わせて、どこに壁をつくり、家具の配置をどうするか、この部屋には何人が収容できて、欄間をどうするか、照明器具をどうするか、収納はこれでよいか、天井の高さは、瓦は、窓は……。もうキリのないほど、細かい部分に渡って、すべてを決めていかなければなりません。
 もういい加減に、どうでもいいよと、うんざりするほどの決定事項が待っていました。設計図は、平面ですけど、それを頭の中で立体に置き直してイメージしていくわけです。しかし、どうしても、どれほど綿密に打ち合わせても「机上の空論」という面が残りますからね。なかなかイメージが行き届きません。ほんとに大変です。
 この大変さを思ったとき、法蔵菩薩は偉い!と感じました。というのは、四十八願という願名を立てて淨土を建立しようとされたのですからね。私でしたら、十願くらいで、もう閉口してしまったでしょう。それを微にいり細にいり丁寧に四十八も細かい細工を施して、淨土をつくっているのです。
 さぞ法蔵菩薩は粘り強い性格の持ち主なのでしょうね。粘着質なんでしょうか。やはり、人間ワザではないと思いました。
 無のところに有を作り出すということは、とてもエネルギーのいる仕事です。それも生きとし生ける存在にちょっとでもフィットしない淨土はダメだと考えたのですからね。完全円満に満足させる淨土ですからね。
 ただただ、仰ぎ見る以外にないです。いつでもどこでも、それはあなたのためだよというメッセージを投げかけてくる淨土ですから。
 愛の淨土ですから。
「お母さん、どうしてボクを産んでくれなかったの?」という声は、水子の声ではありません。あなた自身の中にある「裁きの自己」があなたを裁いている声です。自分で自分を裁いて苦しんでいるのです。淨土は愛の国です。すべてを許し包んでいる世界です。
 あなた自身を助けてやって下さい。そんなに責めないで下さい。
 この世にはひとつも悪いことはありません。 

2006年7月3日

生きてるって、神秘的だよ。
 「神秘的」っていう言葉、そのものがどこか神秘的です。自分のいる場所から、遠くへだたったところにあるようなイメージです。でも、最近思うのです。生きてるってこと自体とても神秘的だよって。
 手の先に指がご本に分かれているとか、食べ物と空気が、ちゃんと分かれて体内に入っていくとか、自分はまだ死なないけど、他者はどんどん死んでいくとか、いままで生きてきた時間って、どこへいってしまったんだろうとか、死んでどこへ行くんだろうとか…。そういうことを考えると、とても神秘的です。
 そうか、神秘的って、どこか別の場所にあるんじゃなくて、この自分のいる場所自体が神秘の場所だったんだ。ただ、理性とか知性が、その神秘の扉の開くのを邪魔しているだけだったんだね。どうしても、知性は、神秘が嫌いみたいだ。偶然の出来事でも、前もって分かっていることにしたがるんだね。計画とか、予定とか、そういうことが好きなんだ。でも、生きるってとても神秘的だから、そんなこととは別の次元にあるんだね。
 そうそう、モーリス・センダックの絵本『かいじゅうたちのいるところ』というのを思い出しました。
 主人公のボクが、怪獣と遊び回る絵本。でも、毎日出会っている家族だって、かいじゅうだよね。かいじゅうを漢字で書くと、「怪獣」です。「怪しいけもの」です。家族は怪しくないという思い込みがあるんじゃないかなぁ。家族は怪獣だよ。本当に自分の親なの?子どもなの?とても怪しいなぁ…。ほんとうなんだろうか?どうして、このひとたちと同居しなきゃならないんだろう…怪しいなあ。
 そういえば、皮膚の上にはうっすらと毛が生えているから、ケモノだよね。そうか、やっぱり「怪獣」だったんだ。家族は怪獣だよやっぱり。どう考えてもね。
 朝起きたら、ゴキブリになってた!?というのは、カフカの『変身』という小説だったね。自分がゴキブリじゃないという保証はどこにもないよ。自分には自分は見えないからね。肉眼で自分を見た人類は、いまだかっていないんだ。目は外を見るようにできているからね。鏡に映った自分が、自分だと思っているだけなんだ。それって実に怪しいね。
そういえば、自分も怪獣だよ。
 怪獣たちのいるところって、ここじゃないか。
 きっと、乳幼児にとって、この世は怪獣たちのいるところなんだね。日々出会うおじさんおばさんは怪獣に見えるんだ。両親だって怪獣だよ。でも、怪獣とつきあっていると、怪獣の恐ろしさが麻痺してくるんだね。
 怪獣ってのは、ほんとうは恐ろしいものなんだ。かわいい顔して、全世界のいのちを奪って食い尽くしているのが人間というやつだよね。
 でも、その怪獣が、妙に、どこか懐かしいものなんだ。おはようと、声をかけてみる。家族は、怪獣だから、なんと返事するか分からない。虫の居所が悪いと、どんな反応がかえってくるか分からない。人間の愛というやつは、とことんエゴイズムでできあがっているからね。恐ろしいものさ。
 でも、家族が怪獣だと思うと、飽きるということがないね。相手がどんな態度を示すか。どんな仕種で生きているのか。そんな些細な反応だって、怪獣の仕種だからね。観察するにはもってこいだ。毎日、動物園で新種の生き物をみるときのような好奇心が動くね。
 
 ひとは死んだら阿弥陀さん(=最初のおかあさん[児玉暁洋用語])のもとへ帰るんだ。阿弥陀さんの国からやってきて、阿弥陀さんの国へ帰るんだ。これもとても神秘的だね。「永遠」という言葉が、大好きさ。時間もなく空間もない。そんな素敵な場所が阿弥陀さんのふるさとだと思います。いつでも縁があれば、そこへ帰ることができる。でも呼ばれなければ行きたくても行けない。縁があれば、行きたくなくても行かなければならないんだ。所詮、生きるっていうのは、丸ごと他力だからね。
 自分というやつはどこにもないんだね。全部他力だから。
 さあ、今日も他力の中を羽を伸ばして遊び回りましょう。

2006年7月2日

昨日、真宗会館で「田口ランディ・森達也・一楽真」の公開シンポジウムが開かれました、と記したところで、また「昨日〜があった」という事後報告記事で、お茶を濁そうとしているんじゃないかという声が聞こえてきましたのでやめます。
 仏法は、〈いま〉とれたての新鮮なもんなのに、昨日の記事じゃ、もうそれは済んだ話だろうということです。
 そうそう、新鮮は話をしましょう。今朝の朝飯の話しって、それも〈いま〉の話じゃないなぁ。近い過去かもしれないけれども、〈いま〉の話じゃないなぁ…。そうやって、削っていくと、〈いま〉の話しってないよなぁと思います。全部、過去のことしか語れないんです。悲しいことに。
 近い過去の話でいえば、いまさっき、『よびごえ』(寺報)の編集作業が終わり、印刷屋さんに原稿取りにきてと、メールしたばかりです。
 6月から始まった、駐車違反の問題。あれって少しおかしいんじゃないのと思いつつ、表紙に書いてしまいました。5月31日と6月1日の道路は一変していましたね。綺麗サッパリ、車が道路からなくなっていました。幹線道路ばかりじゃなくて、枝葉のような小さい道路までなくなっていました。最初の印象は、美しいなぁとか、やればできるんじゃんとか、いままで駐車していた車はどこに消えてしまったのだろうか?という印象でした。 しかし、少したってくると違った印象に変化していきました。なんでここまで日本人は情報に従順なのだろうという疑問でした。テレビがなければ、ここまで日本人は従順にならないかもしれないなということでした。そういえば、家族が大事にしてきた仏壇の場所に、いまではテレビが陣取り、テレビを仏さんとして拝んで暮らしているのだから仕方ないなぁと思いました。テレビを観ているようなのですけど、テレビの情報だけが正しいと思わされ、それを信じて生きているわけです。だからテレビが仏さんなんです。
 テレビの情報は、作り物です。はじめから作り物だと分かっていればいいのですけど、ウソではない作り物だから厄介です。ニュースでも、あれはウソではないのです。確かな情報です。しかし、100パーセントの情報の30パーセントしか放映しなければどうでしょうか。その30パーセントの情報しか得られません。残りの70パーセントは切り捨てられます。残りの70パーセントを知れば、その情報は違った意味を帯びてくるということがあるのです。
 その70パーセントを切り捨てるのはテレビ会社の意図です、作為です。自分たちの都合のよい部分だけをつなげて放映すれば、全然違った文脈の作品になってしまいます。ニュースでさえそうなのです。他の番組は押して知るべしです。
 テレビ会社は真実だけを伝えようとしているのかもしれません。しかしそれでも、作者の作為が入ってしまうものなのです。テレビとは、そういう媒体なのでしょう。
 だから、観る側は、作者の作為を感じながら観なければなりません。この番組を放映することによって、どういうことを作者は意図しているのかと勘繰るわけです。だれが得をして、だれが損をするのか。だれが喜んで、だれが悲しむのか。意地悪な見方かもしれませんけど、そのくらい用心しても用心しすぎることはありません。
 戦時下の日本の緊張感は、情報の統制です。その時代には、ひとつの文脈の情報しか流すことができませんでした。しかし現代では、ひとつの文脈ではないのです。
 作為というものが、ひとり歩きしているような感じもします。
 自分が知らず知らずのうちに、誰かの作為によって操作されているとしたらどうでしょうか?自分の好き嫌い、善悪、快不快ということが、誰かの操作によって操作されているとしたら…。それは恐ろしいことです。
 自分は自分自身の真心で動いていると感じているのでしょうけど、それが他者の作為なのかもしれません。自分がはじめた趣味は、自分ひとりの趣味だと思っていたら、案外、それは、ブームに踊らされていたということがあるんです。ファッション業界の「色」というのも、作為されたものです。自分が好きだと感じていた「色」が実は他者のしかけによって左右されていたのです。
 それは恐ろしいことですね。
 疑いましょう。徹底的に疑いましょう。疑うこと自体も疑いましょう。疑惑を突き抜けなければ、〈ほんとう〉は見えてこないように思います。

2006年6月19日

「東京臘扇忌・鸞音忌」が求道会館で開かれました。
 難しい会の名前なので、なんのこっちゃ?ということですね。「臘扇忌(ろうせんき)」というのは、清沢満之(きよざわまんし)(近代の真宗仏教復興者)の命日です。満之は「臘扇(ろうせん)」という雅号を使っていました。臘扇の臘は「臘月=12月」のことです。「扇」は、そのまま、扇子の意味です。12月の冬に扇子を使うひとはいませんね。つまり、12月の扇子は無用のものという意味です。そこで、自分自身を、「無用物」と名づけていたことが分かります。この「臘扇」をとって、満之の法事を「臘扇忌」と名づけて日本各地で、六月に営まれます。満之の命日は、明治36年6月6日です。
 また、鸞音忌というのは、曽我量深の法事をいいます。量深は昭和46年6月20日が命日です。自分のことを「鸞音」と名のっていた時期がありまして、そう呼びます。このお二人の命日が六月なので「臘扇忌・鸞音忌」と銘打って執り行いました。
 記念講演は、新潟大学副学長の深澤助雄先生です。テーマは「曽我先生に学ぶ−宿業と感応動交をめぐって−」でした。
 講演のノートから、当日の講演のお話を感じ取って頂きたいと思います。
 深澤先生は、秋田県のお生まれですが、30年間を新潟で過ごされてきました。その風土を「浄土三部経の世界」と語られました。それに比べて東北(岩手・宮城)は「法華経の世界」だとくくられました。宮沢賢治の世界です。
 先生の専門は西洋思想史ですが、学問的な課題を突き詰めていくうちに曽我量深という思想家に出会ったのです。もちろん面識はありません。曽我量深といえば仏教の一宗派(浄土真宗・大谷派)の碩学程度の位置づけであるけれども、そんなものじゃない。世界的な意味があるんだと強調されました。
 それを「脈打つ」ということで語っておられました。
曽我量深の次の文章を引用されました。
「因位の仏にてましますところの法蔵菩薩という御方は、必ずしもひとりの御方というわけではなく、それは何千何億のひとがずっと連続して、その次ぎその次とあらわれて継いできた御方、そこに一貫しているところの大精神を把んで、法蔵菩薩と申し上げるのでなかろうかと私はいただくのであります。その法蔵菩薩がついに南無阿弥陀仏というひとつの法を感得された。現在一刹那は血である。その現在一刹那の生きた血の叫び声を感得したのである。(略)南無阿弥陀仏はわれわれの心臓に響くものである。心臓の血の流れに一刹那がある。心臓の鼓動である。我々の全身に打つところの脈である。この脈が一刹那をあらわすのである。刹那というても、何も頭で分析して刹那があるのではない。刹那というは正しく我々の体の中に脈打つ脈である。この脈は自分だけに打つ脈ではない。この私の脈はここにおいでになるところのみなさんと一緒に打っている。大体に、脈の数は定まっている。この脈は人間だけの脈ではない。あらゆる生物はみな脈打っている。あらゆる動物だけでなく植物も脈うって血が流れている。それはひとり動物や植物だけでなく、いわゆる山川草木、日月星辰、それがみな感応動交する。血の流れ、脈というものが全宇宙に感応動交する。一つの脈がずっと世界中のすべてのものの脈に感ずるのである。我々の心身に変動があれば脈に変化を生ずる。血の流れに変化を生ずる。なにかちょっとでも世界中に事が起こると、この私の頭でどんな勝手な理屈を付けようとも、そういうものは妄念妄想である。事実はただこの我々の脈である。その脈は争うことはできぬ。脈だけは真実のものである。(略)真実なるは脈だけ、真実はこの脈によって感ずることができる。で、私どもは動物と感応動交する。山を感ずる。山はあるかないか、我々の頭では山を否定することができる。しかしながら山を我々の脈が感じている。(略)
 仏様の問題も、また、我々のお助けの問題も、信心の問題も、行の問題も、お浄土の問題も、我々の血の流れで感ずる、脈打つことで感ずる。これを私は本能という。仏教で宿業と申しますが、宿業とは、これは過去生に種を蒔いたのがこの生において報われるのである、こういう風に我々も皆さんも聞いているところであります。しかし此世のことならば受け取れるが、過去に蒔いた種が現在に報われるということは受け取れぬ。過去にどういう種を蒔いたかも誰も知った者はない。これは現在だけのことでは不公平であるからそこで過去のことを持ってきて、そうして公平ということを説明するために、宿業という一つの説をつくったのだ、こんなふうに一般に考えられておるのでないかと思う。(略)
 然るに私は数年前から、ふとしたことから宿業とは本能である、ということに気がついた。「宿業とは本能なり」、こういう言葉を一つ感得した。私は日頃、宿業ということについて疑惑をもっていた。数十年来疑いをもっていたのでありますが、数年前に忽然として「宿業とは本能なり」というひとつの言葉を感得した。あるいは言葉を感覚した。宿業というは本能であると他に向かって申しますと、お前のいうことはなるほど一応は分かるようだが、しかしながら本能ということは世間一般の了解では、動物は本能によって支配されておる。本能は下等なもので、人間も本来は動物であるが、人間は本能を母体として生まれたけれども、人間は本能と共に叡知を与えられている。だから、人間の叡知はついに本能から別れ、そうして本能に対立し、本能を征服し、本能を支配する。そこに人間の人間たる所以がある。そこに人間は万物の霊長たることを証明されたのである。こういうように今日のひとは申している。申しているというより、そういうことが一般の知識であるというふうに与えられる。しかし私はやはり宿業は本能であるという道理を今日なお深く信じて疑わないのであります。」(念持の一道より)

有名な「宿業は本能なり」という言葉は、真宗の公案のようなものです。「宿業」という言葉と「本能」という言葉は、範疇を異にしています。その二つが範疇を超えてぶつかったときに、新たな世界を生み出すことになります。これが思想というものの醍醐味でしょう。
 結果から見れば、それは言葉と言葉の衝突なのですが、それは単なる言葉と言葉のぶつかりだけではありません。大きな範疇の改変が起こっているのです。
 本能を下に見て、理性を上にみたのが「近代」というものです。理性的であることが人間の証であって、本能に左右されているのは動物で下等なものだという差別です。しかしそれが時代の流れでした。ヨーロッパではブルトマンという神学者が「聖書の非神話化」ということを提唱していました。つまり聖書に書かれている神話を「非神話化」しようというのです。なにに基づいて「非神話化」しようとするのかといえば、それは「理性」なのです。信仰は妄信であっても、理性でその妄信を解析すれば正しい信仰が明らかになるという発想です。
 それも「近代」という潮流でした。
 しかし、そこから、レビーストロースたち文化人類学のひとたちが、「理性」の問題をもういちど、「本能」へとゆり戻しました。野蛮だと近代人が見ている「未開文化」に、実は人類の普遍的な問題があるのだと、戻しました。
 心理学では、フロイトが「無意識」を意識によって抑圧されたものという否定的に扱いました。しかしユングは、「無意識」こそが人類普遍の謎を解く大切な鍵だと揺り戻しました。
 曽我量深も、そういう「近代」の潮流の中にあったのではないかと思います。
 理性は、明晰で繊細で公平です。しかし本能は、曖昧で矛盾で不公平です。しかし人間はこの両方を兼ね備えているわけです。どちらか一方だけになるわけにはいきません。
 
 それにしても「脈打つ」というメタファーはいいですね。だれでも胸に手を当ててみれば感ずることのできる、原始人からの運動です。何億光年という昔からやってきた、鼓動です。これこそが念仏です。念仏は口で称える以前に、心臓が称えているのです。心臓のドクン、ドクンという音は、まさにお念仏なのです。これこそがお念仏です。
 その感動への驚きが、思わず口をついてアーッと出てくるんです。それが称名念仏といわれる現象です。だから、口をついてでる念仏は、結果なのです。オナラと同じです。ものを食べればオナラが出るんです。ものも食べないでオナラを出そうしても、それは無理というもんです。
 それから深澤先生は、「心身一如」ということで、体と心についてお話をすすめられました。
 道元なども目指したものは「心身一如」ではなかったかといいます。鎌倉期の課題はすべて「心身一如」であったと。しかしそれが近代に入って、身を捨てて心を重視するようになったと。それをもう一度、身ということへ揺り戻したのが曽我量深先生のお仕事だと位置づけられました。
 これも面白い見方だと思いました。
 とにかく誠実で、謙虚な深澤先生の態度に感動させられました。文献を繰りながらお話する態度は、なんか学者っぽくて、信仰とはかけ離れているように、一見、見られがちです。しかし、間違いのない言葉をみなさんに伝えようという誠実な態度が、そういうことをさせるのです。小生などは、直観型の人間ですから、決して真似のできない、誠実さだと頭が下がりました。
 それは、聴衆というものを相手にしていない態度だと思います。普通はお話をする相手は聴衆だと考えます。しかし、先生は聴衆を突き抜けて、聴衆の中に流れている真理を相手にされていました。そこに流れているものは、曽我量深魂ですね。聴衆の底に流れている曽我量深魂に向かって、「自分の了解は、これでよろしいでしょうか?」と誠実に、そして謙虚に尋ねられ表白されている姿に、まったく頭のあげようのない感覚を受けました。 ほんとうに深澤先生は曽我先生を拝み、その前に跪いているのだなぁと感動しました。 

2006年6月16日

昨日の、ブッディーサロン(通称、Bサロン)には、毎日新聞の記者の方が参加されました。(女性です)
 お寺で、こんな勉強会というか、そういうことをやっているお寺はあまりないので、取材させてほしいということでした。その反応にちょっとビックリですけど、やはりそうなんでしょうね。夜から、ちょこっと勉強して、後は飲み会をやるなんてお寺は、あまりないのかもしれません。
 でも、Bサロンがお寺のまっとうなあり方なんじゃないのという感じがします。もっと気楽にお寺に来て、遊んで帰るというのがいいと思います。説教だけ、講演会だけ、イベントだけやればいいというのは間違いでしょう。別に、それで御利益があるとか、人格が向上したとか、そんなことはまったくないんですけど、だからこそ逆にいいわけです。ここは「たましいの解放区」でなければならんと思います。いつでも、どこでも、だれでもが仏法に出ある場になっていなければなりません。
 外側は、法事・葬式の場所と思われているんですけど、それはカニの甲羅のようなもんです。カニが美味しいのは甲羅の部分じゃありゃせん。甲羅の中身ですよね。それがBサロンなんですね。
 まず、自分の予定概念や偏見を横において、そのままおいでください。横からみると、酒を飲んで、だべっているように見えて、実は、内面ではもっと違ったことが起こっているんですから。
 そうそう、昨日の会では、「彼岸」ということが問題になりましたね。
テキストには「『彼岸と此岸』日本には春と秋に彼岸があります。彼岸というのは彼(か)の地、「パーラミター」というインドの言葉を訳したのですが、正確には彼岸の上に到がつき「到彼岸(とうひがん)」というのです。彼岸というのは、仏さまの世界、お浄土です。それに対して、こちらの私たちの世界は此岸。川でいえば、こちらの岸と向こうの岸にたとえられます。そこに到るという人間の問題です。」とあります。
 彼岸は「到彼岸」を略して言っているだけです。ですから「彼岸」は名詞ではなくて動詞なんですよ。「彼岸に到る」「彼岸に到ろうとする」という願いを表した言葉です。
 こういうふうに言われると、お彼岸をどういうふうにやればいいのか分からないという質問が出ました。普通は、お寺にお参りするとか、先祖のお墓にお参りするということがお彼岸だと思っていたので、戸惑ってしまうというわけです。
 いやー、これはまいりましたね。
 結論の、結論の、最終結論を語れば、毎日がお彼岸なんです。春と秋の一週間だけがお彼岸なんじゃありません。365日がお彼岸なんです。
 それじゃ、毎日お寺に行って先祖の墓をお参りしなきゃならないの?!というと、そういうことではありません。
 もっと譬喩的にいえば、仏壇の中で日暮らしすることです。仏壇は先祖が入っている箱だという偏見がありますね。そうじゃなくて、この私が住んでいる世界は、大きな大きな仏壇の中のできごとです。仏壇内的生活をするということです。
 そんなでっかい仏壇があるのか?!といわれると困るんですけど、そういうふうに受けとめるわけです。つまり、死ぬということといつも隣り合わせに生きているのが自分だということです。宇宙の永遠の中にあるのが、唯一無二の私の実存です。
 でも、そんなことを言うと、ますますわけが分からなくなるので、春と秋のお彼岸は、普段忘れている仏さんを思い出す週間ということで位置づけたらどうでしょうか?
 浄土真宗は、いつでも〈信心〉だけを大切にする宗教です。彼岸をどれだけ一生懸命やっても、またお盆をどれほど盛大にやっても、〈信心〉がなければ、それは無意味です。逆に〈信心〉さえあれば、なにもやらなくても、それこそ仏法を体現することになるのです。生活そのものが、仏道になり、生活そのものが仏壇内的生活に変化するのです。
 ですから、〈信心〉のことだけを問題にしていきたいと思います。
 歎異抄の一節を思い出しました。
「いかにたからものを仏前にもなげ、師匠にもほどこすとも、信心かけなば、その詮なし。一紙半銭も、仏法のかたにいれずとも、他力にこころをなげて信心ふかくは、それこそ願の本意にてそうらわめ」。
 どれほど仏前や坊さんにお布施や供物をほどこそうとても、信心がなければ、無意味ですよ。たとえ紙一枚、十円も御布施しなくても、他力の信心が深ければ、それこそ、本願のおこころにかなうのですよ唯円さんは言ってます。
 「信心、欠けなば、その詮なし!」というフレーズが大好きです。
 一にも信心、二にも信心、三四がなくて、五に信心ということでいきたいと思います。

2006年6月13日

■ひとはみんな、刑期を告げられていない死刑囚である。
 そう言われれば、そうに違いないと思えます。父は余命三年と告げられて、肺ガンで亡くなっていきました。三年と刑期を告げられていました。現実に余命を告げられるということは、人間にとって大変な苦悩です。でも、徐々に父はそれを受け入れてゆきました。ソフトランディングであれば、それでよいと。
 しかし、突然死ということがあります。心臓・脳の病、事故死などは、突然の死です。いまは何ごともないように生きてますけど、突然、死がやってくるということがあります。その可能性のないひとはいません。誰でも突然死の可能性は、あります。いまもあります。仏さんがご覧になって、「あ〜ぁ、明日あいつの寿命は尽きるのに、そんなことも知らずに無邪気に生きてるなぁ。なんとかわいそうなことか…」とため息を漏らされているかもしれませんね。
 余命が告げられる病気にでもなれば、自分のいのちの限界性を自覚できるけど、突然死の場合には、そんな自覚はありません。そうすると明日にはいのちが終っているかもしれないんですね。そういうときを、人間は必ず生きているわけです。突然死ではなくても、病気で苦しんでいるひとでも、「今日は大丈夫だ」という思いて生きているのですから。思いは「今日は大丈夫、明日も大丈夫」だとタカをくくっていますけど、いのちの事実は「明日終るいのちを生きている」ということでしょう。
■永遠から
 私たちは寿命を近視眼的に考える眼をもっています。ひとの一生はたかだか80年くらいです。西暦でも2000年程度のスパンで物事を考える眼をもっています。これはミクロの眼です。
 しかしマクロの眼をもつことが宗教です。マクロの眼とは「永遠」というものから見るということです。天文学的にいえば、何十億年とか何光年とかいうことになります。それをもっと文学的に表現すれば「永遠」です。永遠から自分の一生をみてみたらどうなるでしょうか。
 その視座を採ってみると、自分の生は「幻の如くなる一期なり」(御文)という蓮如表現になります。これはミクロの眼からは生まれてこない言葉です。ミクロの眼では、一日は結構長いですからね。いやいや、やっている仕事や勉強などの長さは堪えられません。しかしマクロの眼でみると、人生は幻のごとくだと感じます。過ぎてしまった時間はどこにいってしまったのでしょうか。70歳のひとと20歳のひととは、確かに年齢は違います。しかし共に過ぎてしまった時間はどこにいってしまったのだろうという感慨は同じです。〈いま〉という点を切り取ってみると、そうなります。
■〈いま〉を生きるだけよ
 役者・杉村春子さんが九十一歳のときに語った言葉です。「〈いま〉を生きるだけよ。昨日もないし、明日もないわ」と。これ、名言です。これは私たちの盲点を突いた言葉でしょう。昨日もあったし、明日もあるに違いないと私たちは思っています。でも、ほんとはないのですね。幻想としてしかありません。つまり昨日はかつてはあったけど、〈いま〉はありません。明日も〈いま〉ではありませんから、ありません。ないのにあると思っているんです。不思議ですね。
 だから「今日を生きるだけよ」となります。でも、あまり「今日」を強調し過ぎると、刹那主義にみられてしまいます。「〈いま〉だけよければ、それでいいのか」となります。まぁ、どれほど言い訳してみても、どうしてもそういうふうに受け取られるきらいはありますね。
 刹那主義は、「昨日」と「明日」と別物として〈いま〉を考えてしまうのです。しかし親鸞思想は違うでしょう。〈いま〉の内容として「昨日も明日」もあると考えます。だって、もともと〈いま〉しかないのですから。
 武部勝之進さんの誌を、ひとつ。
「はだか」

いつもはだか

いつもはだか

はだかで出発する

尊いことだ
  

2006年6月11日

昨日、六組門徒会一日バス研修に行ってきました。今回の研修は、栃木県(二宮町)にある高田山・専修寺をお参りしました。上野公園から常磐高速を使って谷和原インターを経て北上しました。約三時間で到着しました。
 参道正面には左右に「真宗根本道場」「高田山専修寺」という石碑がありました。敷地も広大で、その中に「本堂」「如来堂(一光三尊仏)」「鐘楼堂」「釈迦堂(涅槃像)」「寺務所」「三門」が立っていました。
 親鸞聖人が実際に住まわれたのはここから、二キロ程離れた、「三谷草庵」(みやそうあん)だったようです。親鸞没後、今の地にお寺が立てられ、やがて「下野如来堂」と呼ばれました。
■専修寺という寺号について■
 この寺が「専修寺」となったことには理由があました。
 それは、当時、京都において「専修念仏」に対しては禁止令が出でいました。法然・親鸞も島流しになっています。それは「ただ念仏」という思想が弾圧されたということです。口で南無阿弥陀仏と称え信じたくらいで救われるなんていう低級な教えは邪道だという弾圧です。それは「低級な教え」だといえば許してもらえたのですが、これこそがもっとも優秀で高級な教えだ、これ以外は必要ないと法然は語ったのですから弾圧を受けたのです。 「ただ念仏」という教えほど、単純であって奥の深い教えはありません。
 それはともかく、「専修念仏」という言葉は禁止されていたので、親鸞の末裔達が寺院化しようとしたとき、「専修寺」という寺号は却下されました。仕方なく「本願寺」という天台宗の末寺の寺号を使いました。それ以来、現在まで「本願寺」という寺号が使われています。それで「専修寺」という看板を高田・真仏の弟子・法智が、栃木県へ持ち帰って掲げたようです。それからこの如来堂が「専修寺」と呼ばれるようになりました。
■なぜ親鸞は関東に来たのか?■
 もともと、専修寺は如来堂と呼ばれていたように、これは善光寺とつながりがあります。本尊も「一光三尊仏」は善光寺の本尊と同じ形式です。つまり、長野から関東へかけては善光寺信仰が厚い地域だったのです。各地に如来堂をもち、それの統率をするリーダーが「善光寺聖」(ぜんこうじひじり)です。親鸞も流罪を許されてから、善光寺経由で関東へ入っているようです。
 親鸞がなぜ関東へ来たのかということもいくつかの説があります。当時北国から関東への農民の移動と一緒に来たのではないかという説。越後の三善家の領地が関東にあって、そこを目指して来たのではないかという説。奥さんの恵信尼は三善家の出身ですから。それから、善光寺聖を頼って関東へ流れてきたという説。等です。
 すでに法然は亡くなっていますから、京都へ帰る意味もなかったのでしょう。さらに京都では、まだ専修念仏が弾圧され続けていますから、まだ家族を抱えて帰るということも危険があったでしょう。それで、善光寺聖を頼って関東へ流れてきたのではないかと想像します。
■本山と本寺の関係■
 この専修寺は現在では「真宗高田派」の本寺とされています。本山は三重県・津の一身田にあります。どうして本山と本寺と分かれたのか?という問いが起こります。
 それは、高田門徒が滋賀・石川・愛知県・三重県一帯に増えたからだそうです。直弟子の真仏・顕智が愛知県で布教して、その後、中興の祖・真慧上人が、北陸や近畿に教線を張ったようです。大変繁昌したという記録もあります。また、初期の頃は何派というセクト意識もそう明確ではなかったでしょう。しかし、室町時代になりますと、それは丁度本願寺は蓮如上人の頃、高田派では真慧上人の頃ですけど、セクト意識が明確にあったようです。初期の頃は仲がよかったようですけど、やがて分裂していきます。そしてとうとう、敵対関係に入りました。
  それはともかく、この真慧上人は、比叡山とも関係が深く、また応真上人の代には、常磐井宮というところから、養子をもらって住職にするので、天皇家とも関係を深めていきます。天皇家の勅願所というステータスも獲得してゆきます。現在の法主も常磐井という名前を名のっています。
 いろいろと宗派内の「本末問題」が起こってきます。自分のところが本山だという自己主張をそれぞれの寺がしたようです。ようやく真慧上人が専修寺を一身田に移転することになります。
 いまでは津の一身田が「本山」、栃木県の専修寺は「本寺」という名称に落ち着いているようです。本寺の財政は、直参門徒が百件だと言っていましたから、一光三尊仏の出開帳で不足分を補填しているそうです。この本尊は17年にいっぺんしか開帳されず、普段は秘仏になっています。17年ということが規則に決まるまでは、再建などの急な支出に応じて、その都度本尊を出開帳したといいます。
 如来堂の裏手には、親鸞聖人の廟所と歴代門主のお墓がひっそりと建っていました。親鸞聖人が亡くなられ荼毘に付した後、弟子の顕智が遺骨の歯(9本)を関東に持ち帰り、ここに埋葬したといいます。
■高田派と本願寺派の因縁■
真慧上人と蓮如上人の間に亀裂が入ってから、本願寺派と高田派は敵対関係が続きます。一向一揆のときには、高田派は富樫政親に加勢して本願寺を叩きます。しかし一揆勢の勝利におわり、高田派の寺院はすべて本願寺に転派させられていきます。石山本願寺の決戦のときにも、高田派は織田信長に加勢していきます。
 真慧上人は、自分たちは弾圧を受けている本願寺とは別流であることを強調するために、公家社会へと接近してゆきます。天皇との猶子関係を結ぶのもそのためと思われます。
 まあ現在では、両派とも真宗教団連合という組織に入って平和共存しております。教団の大きさでいえば、東西本願寺の次ぎ、つまり3番目の大きさです。末寺の数は629ヶ寺あります。(『高田本山の法義と歴史』監修・真宗高田派本山専修寺。堂某社出版参照)

 親鸞が関東におられたときには、いろいろな草庵に住居しておられたようです。ここ高田派三谷の草庵、下妻には小島の草庵、大山の草庵などが有名です。門弟に請われれば、そこ出向いて言って法を説くということをしていたのではないでしょう。請われもしないで、辻説法をするというタイプではなかったと思います。
 宗派も人格と同じように、風格が生まれてきます。それぞれの宗派に宗派独特の風合いといいましょうか、宗風というものが生まれます。東本願寺は、プロテスタントのように理屈っぽいところがあります。西本願寺はカソリックのよう包容力がありますが、教団の統制は厳しいです。高田派は、貴族的な雰囲気がありますね。
 しかし東本願寺には、清沢満之→曽我量深という二人の教学者が生まれたことが大きいことではなかったと思います。もしこの浩々洞の流れがなければ、現在の真宗は真宗になっていなかったのではないかと思います。
 六月はお二人の命日ですね。東京では六月十七日(土)二時から、本郷の求道会館にて臘扇忌・鸞音忌を開催してお二人のお仕事をあらためて億念したいと思います。
 

2006年6月02日

●今月のことば

逆 観

向こうから見るという生活習慣を「逆観」といいます。車でガソリンスタンドにいけば、客としての自分の立場は当然あるのですが、向こう側にいる従業員の立場に立ってみる。焼き肉やさんでは、客として食べる自分ではなくて、食べられる牛の立場に立ってみる。デパートに行ったら店員の立場に立ってみる。電車に乗るときには駅員の立場に立ってみる。つまり、自分の立場ばかりではなくて、向こう側からこっちを見てみるという生活習慣を「逆観」といいます。
「相手の立場に立ってみる」ということは、口では簡単に言えますけど、なかなかできないことです。またそれを強要すれば「道徳」になってしまいます。所詮、「逆観」は不可能なことです。不可能と知りつつやってみるだけです。ですから、相手がどういうふうにこっちを見ているかは、ほんとうのところは自分には分からないのです。人間であればまだやりやすいのですけど、無機物や植物は分からないです。焼き肉やさんの牛が、どう人間を見ているのかなどということは、まったく分かりません。「逆観」といっても、人間の勝手な感情移入ということでしかありません。所詮、「逆観」とは、その程度のものです。しかしたとえ、分からなくてもいいのです。それでもあえてやってみることです。分からないからやめてしまうのではなく、分からないからこそやってみるということです。そうすると、何かが違って見えてきます。
 ひとを対象にする場合には、いろんな感情が付着しますから、なかなかスッキリといきません。しかし、それが動物とか植物や無機物になると、全然違ってきます。彼らは人間にあまり似ていないので、要するに何を考えているのか分からないのです。分からないということがあって、その上で「逆観」をすると凄くいいのです。
 浄土真宗の在家篤信者を「妙好人」といいますが、彼らは、これをみんなやっています。石とか牛、猫、花、空、海、木など。つまり人間の手の加わっていないものたちと対話しています。ここに逆観の醍醐味があります。
 私の好きな念仏詩人・武部勝之進さんの詩に「石に遇う」(『詩集 はだか』)というのがあります。
     路傍に石がころがっている
     石は子供に拾われて
     ドブの中に沈められても小言をいわない
     ああ石の尊さよ
 武部さんは「石」から逆に自分を見つめています。まったく無防備である「石」が、無造作に子供によってドブに投げ込まれたシーンを目撃したのでしょう。「もしあの石が自分だったらどうだろう。おそらく文句をいうだろう。でも石は文句ひとつ言わない。言えないのだから。それに比べて自分はどうだ。日々の暮らしに不平不満だらけではないか。まったく石に頭の上がらない自分だ」と逆観が進みます。
 そうすると、いままで石を下に見ていた視線が変化していることに気付きます。むしろ人間が下であって、石は上だったんです。人間以上に石の凄さが分かります。
 また別の視点から見れば、石がそこにころがっていたということ時代、奇跡的なことであることも分かります。石コロはどこから運ばれてきたものか。石であってもはじめから手にとるほどに小さい石コロではありません。やはり山が崩れて河に流れ、その間に尖った角が削ぎ落とされて、徐々に小さくなり。何万年、あるいは何十万年かけて小さい石コロになったんでしょう。誰かがここに、その石を運んできたものか。あるいは、地面の中から浮きだしてきたものか。それは分かりません。まさに石は投げ出された存在です。その石と自分が出会うということも奇跡的なことです。
 石に過去世があるように、自分にも過去世があります。それは石を感じていることと、自分の存在を感じていることが共鳴しいるのです。溶け合っているのです。出遇いには何十万年という背景があります。出遇ってみれば、なんということはないのですけど、出遇いの背景を考えてみたときには、まさに奇跡的だとしか思えません。
 そうそう、先日北海道に縁あって行ってきました。ところが羽田の出発ロビーでばったり知人に出会いました。「どこにいくの?」と問いかけると、そのひとは「北海道」といいます。時間も場所も同じだなんてなんて奇遇なことがあるものかと、あらためて驚きました。そして、その夜、私たちが札幌の町を歩いていると、たまたまそのひとに出くわしました。そこでも「またまた、不思議だね!」などと興奮しました。私たちが一軒目の店を出て二件目を物色しようと表に出た途端に出会ったのですから。もし、もう少し時間がズレていれば出会うことはなかったのです。さらに驚いたのは、帰りの飛行機でした。離陸三十分前に、あわてて飛行機に乗り込むと、なんとそのひとがすでに座っているではありませんか。まさに三度目の不思議というやつですね。「えーっまたまた!」とお互いに興奮しました。念のために付け加えておきますけど、そのひとは男性ですから御心配なく。
 縁の背景を考えれば、まったく奇跡的なことの連続が、この「日常」というやつなんです。日常と別のところに奇跡があるわけではありません。日常そのものが奇跡なんです。なんでもない日常が奇跡的なのです。
(この文書は、親鸞仏教センターHP「今とのであい」をベースにしたものです)

2006年5月22日

昨日は、永代経法要でした。ゲストは西田真因先生と三遊亭若円歌師匠でした。
西田先生は、「荘厳とは、行為であって、『荘厳する』という動詞だ。飾られた結果ではなく、飾るプロセスが荘厳なんだ」と語られました。
 また「第一テーゼ:〈真宗〉とはまなこである。第1テーゼ:人間は意味を食べて生きるものである」と語られました。
 「まなこ」とは「心眼」であって、「視座」である。まなこが真宗になっていれば、そのひとが見ている世界はすべて真宗なのだと。さらに、みなさんはどんな意味を食べて生きていますか?と問いかけられました。世界情勢やら、政治のことを話題にしてはボヤキ、愚痴を言っているのであれば、そのひとは愚痴の意味を食べているんですと。どんな意味を食べているかで、そのひとの住んでいる世界が真宗になっているかどうかがわかります。でも「まなこ」が真宗になったからといって、いいことずくめということではない。真宗のまなこの中で苦労するか、真宗のないところで苦労するかですと。
 要するに仏さんがいるかいないかでしょうね。

 落語の世界は、もともと仏法から生まれた話芸の世界です。
若円歌師匠は、あの有名な「円歌」師匠の弟子です。円歌さんは以前の名前は、ウタヤッコです。あの「山のアナ、アナ、…あなたもう寝ましょうよ…」という出し物で有名です。昭和天皇の前で、これをやったそうです。天皇も、満足したということでした。
 笑いあり、涙ありの一時間があっという間に過ぎてゆきました。
 法話も、話芸として人間の感情にうったえる方便として落語の要素を取り入れるべきだと思いました。やはり感情体験があって、深く法話の味わいが身体化されていくのでしょう。
(いま『歎異抄の深淵』の続編を執筆中のため、更新が滞ってます。御免なさい。脱稿したあかつきには…と思っております)

2006年5月
15日

昨日、東本願寺同朋会館での上山奉仕から戻りました。一泊二日の研修旅行でしたが、やはり疲れました。しかしとても充実した疲労感が残っていてるのが不思議です。今回は12名で、上山(じょうざん)しました。同朋会館に泊り込んで、聞法・話し合い・清掃・拝観・おつとめという日程で研修しました。そして、5名のひとが帰敬式(ききょうしき)という、仏弟子になる儀式を受けて、法名(ほうみょう)を頂戴しました。
 ひと言で今回の研修旅行の感想をまとめれば、やはり「本山という場のもっている力はものすごい!」ということになります。仏弟子になる儀式は末寺である私のところでもできるのですけど、やはり、違いますね。何かが違う。本山のあの大伽藍の中で体験する帰敬式は受式する者を圧倒し、感動で全身が揺すられるように感じます。ひとが抱えることのできないような大きな欅の柱や梁。入り口から入ったときの、あの独特な臭いと明るみ。百年以上、すっくと立ち尽くしてきた、存在の重み。それらのどこがどうということではないのですが、受式するものを包み込み、放すことがないのです。
 今回受式することを決心した奥さんは、こんなふうに語っていました。
「主人が本山から戻ってきたら、もう、顔つきが違っていたんです。顔をみたら分かったんです。エーッという感じで…それなら私も受けてみようと思ったんです」と話していました。これがほんとうのに宗教が伝わるというときの原型をみた思いがしました。お釈迦さんと仏弟子・阿難の出遇いもそうですよね。普段会っているときには何とも感じなかったけど、ある日、エーッという感じでお釈迦様の顔が違ってみえたということを阿難が感動をもって述べています。
 別にこっちが相手に何かを教えてやろうとか、そういう作為的な操作がまったくないんです。そこで何かが起こるんですね。
 そこに何か「ほんとう」ということがあるんですね。そのために本山は建っているんだから、本山の建物も、建物冥利に尽きるというもんでしょうね。そのエーッということが起こるための装置が伽藍ですし、教団の意味でしょう。別に教団の信者を増やすとか、伽藍を立派にするということは意味のないことです。そんなことが目的ではありません。みんなが「ほんとう」に出会っていけるためになればいいんです。
 この「ほんとう」というものは誰も独占できません。でも、なかなかこの「ほんとう」ということに出会うことも難しいものです。ですから、本山という伽藍や教団も大事なんですけどね。
 その「ほんとう」ということに触れると、人間は感動し、緩やかになり、暖かくなって、朗らかになります。そのひとが明るく暖かくなると、ひとが集まってくるようにもなります。そんな関係が、お釈迦様の原始教団にはあったんではないかと想像します。
 法名をもらって仏弟子になると、何かが変化するんです。自分で自覚できる面もありますし、自覚できない面もあります。その変化を感じ取っていくということがこれらかの「生きる」ということの味になってくるんでしょうね。人間に死んで、仏弟子となったわけですから、それは味が出てくるに違いないのです。
 話し合いのときに、「どんな気持ちで仏壇をお参りしているか?」ということが話題になりました。あるひとは「今日一日、有り難うございましたと、先祖に感謝しています」と。あるひとは「仏壇にお参りしないと、なんか一日気持ち悪いんです」と。またあるひとは「今日一日無事に過ごさせて下さいと、お願いするわけじゃないけど、そんな気持ちでお参りしてます」と。「親がやっていたことを真似してやっているだけなんです」等々と話していました。
 みんな、結局「損得」でお参りしているんじゃないかと、ちょっと意地悪を言いました。保険みたいなもんです。「お参りしていれば、なんか守ってくれているんじゃないかなぁ」という発想は保険と同じです。保険は病気や事故に遭わないように、たとえ遭ったとしても保証されますようにということですよね。仏壇にお参りするのもそれと同じですね。今日一日無事にお願いしますというのと同じですよね。別に事故に遭ったからといって仏さんを恨むわけじゃないけど、そのときには、お参りしていたからこの程度の怪我で済んだんだと解釈して、こころに収めるんですね。これは新興宗教の発想と同じです。信仰していたから、この程度の災難で済んだんだ、信仰していなければもっとひどいことになっていたんだという解釈は、どこまでいっても「人間の勝手な解釈」です。
 でも、そんなものは全部「人間の損得」です。自分に都合のよい状態をお願いして、都合の悪い状態を排除してほしいと願うわけです。それが信仰だと思っているんです。しかしそれはとても恥ずかしいことです。
 親鸞は「地獄一定すみかぞかし」(歎異抄)と言っています。つまりこの場所が地獄以外の何ものでもないというわけです。つまり、どんな悲惨なことであっても、それを引き受けていける力を与えようというのが南無阿弥陀仏です。「悪や罪や事故をおそれてはいけません。なぜならば弥陀の本願をさまたげるほどの悪はないのですから」(歎異抄)ともいいます。悪やや罪や災難を恐れる必要はない、そんなもので妨げられるような阿弥陀さんの慈悲ではないよ教えています。
 自分の損得のこころを、南無阿弥陀仏は照らしてくるんです。損得以外にお参りのこころはあるのかといえば、それはないでしょう。しかしその損得のこころが照らされて、それ以外に自分はないということに目覚めてみれば、恥ずかしながら、ここが自分の生きる場所になってきます。それは三百六十度ひっくりかえって戻ってきた場所ですから、以前とは違います。恥ずかしながら、しかし念仏しても何にも変わっていない自分に目が覚めるんです。

浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし
虚仮不實のわが身にて、清浄の心もさらになし(『正像末和讃』)

と親鸞聖人は悲嘆しています。
 しかし、ここよりほかに自分の生きる場所はないのです。でも、それはいつでも阿弥陀さんのひかりに照らされる場所になったということです。仏さんから、お前を逃がさんぞ!という慈悲がかけられた場所になるんです。別に仏壇に面していないときでも、お前を逃がさんぞ!というひかりは、照らしています。どこにも逃げることができません。
 受式者のひとりが言っていました。「もう後戻りはできなくなったという感じです」と。そうなんです。後戻りはでなきいんです。行き着くところまで行くしかありません。
ぜひ、ごいっしょに行き着きましょう。
 来年も「上山するぞぉ!!」。どうぞ、ご一緒に参りましょう。

2006年5月07日

子どものころ、近所地理は知っていたのですが、遠く隔たっていくと、やがて、そこから先は未知の領域になっていました。江東区は運河が多く、運河にかかる橋の向こうは未知の領域になっていました。
 たまに、都電や車で移動するときには、道端の景色だけが見えていて、それはたとえれば「線」のような光景になっていました。ですから、自分が足で歩いていったときの未知の領域を超えていくときの「異界」という雰囲気はありませんでした。つまり、線はたくさんあっても、それが「面」として理解できるまでには、だいぶかかりました。それは、地図というものを知ることなしには、うまく理解することはできなかったと思います。
 小生が小学校2年生のとき、豊島園で迷子になったことがありました。親類の大学生が小生を遊びに連れていってくれたときのことです。自宅から、都電にのって亀戸にゆき、亀戸から国鉄でお茶の水へ、お茶の水から丸ノ内線に乗り換えて、池袋にゆき、池袋から西武線で豊島園に到着しました。この乗り換えだけは小生の記憶に残っていました。しかし、まさか、これをひとりで乗り換えて自宅に帰ることになろうとは、そのときは思いも寄りませんでした。
 豊島園でさんざん遊んで、プールから上がり、親類の青年(大学生)から「ここで待っていてくれる?ちょっと電話をかけてくるから…」と言い残されました。しかし、いつまでたっても彼はもどってきませんでした。小生はとても不安になりました。もしかして、自分をここに残して帰ってしまったんではないか?と考えたようです。きっとそうに違いない、自分だけここに置いていったんだ!と不安はつのりました。
 それで、自分は矢も立てもたまらず、さっき乗り継いできたルートを逆にたどって帰ってしまいました。8歳の子どもですから、往路を必死になって思い出していたのだと思います。途中、電車の上りと下りを間違えたりしながら、ようやく錦糸町まで戻り、都電に乗りました。しかし、路線がいろいろとあって、どの電車に乗ったらよいのかが分かりませんでした。まあどれでもいいや、エイヤッと乗ってしまいました。すると、ポイントが切り替わって、来たことのない場所につれていかれてしまいました。しかし動物的な勘で、この辺で降りないとダメだなと思い、下車しました。しかし、東西南北の感覚が分からなくなり、橋を行ったり来たりしていました。やがて日も暮れてしまい、途方に暮れて泣いていたようです。それを近くの会社員が見つけてくれて、家までタクシーで連れてきてくれました。
 そのおじさんは「ぼく、どうしたの?どこまで帰るの?」と話しかけたようです。小生は「七砂小学校のほう…」と答えたといいます。その声が小さく、おじさんは内心「まいったなぁ、習志野までつれていくのかぁ…」と思ったといいます。ナナスナをナラシノと聞いてしまったようです。(正確には「第七砂町小学校」ですが、子どもたちは「七砂」といえば通じました)しかし、おじさんは小生をタクシーに乗せて、千葉方面に走りました。すると、小生の見覚えのある町並みが見えてきました。そして、小生は「この角を右…」とか言ったそうです。とうとう家に帰り着きました。家では、どうしてひとりで帰ってきたのか不思議がりました。
 当の大学生は、豊島園に残り、警察までたのんで小生を捜索していたようです。それはそうでしょうね。自分が親類の子どもを遊びに連れだし、迷子にさせたのですから、彼の狼狽ぶりも想像がつきます。彼は恐る恐る家に電話してきたといいます。「もうもどりましたか?」と、それで小生が帰り着いていることを知り一件落着したのでした。
 これには後日談があって、もう何十年ぶりにその大学生に会い、そのときの事情を聞くことができました。いまではすでにおじさんになっているんですけどね。「なんで、あの場所に私を置き去りにしたんですか?」と質問してみました。すると、彼は、豊島園に可愛い女の子がいたから、その子と話し込んで、つまりこれは「ナンパ」ですなぁ、すっかり小生のことを忘れてしまったというのです。あのときは済まなかったと、謝られ、小生は、唖然とするやらあきれるやらで、大笑いになりました。いまでは、ものすごい思い出となっております。
 言いたかったことは、「知る」ということは、フィールドが変化することだということです。「知る」ということは、単に漁師が網で魚を獲るようなことではなく、フィールドが変化することです。
 つまり、小生が地図を知ることによって、「異界」を自分のフィールドのうちに位置づけたようにね。「知る」ということは、知らなかった以前の自分にはもどれなくなるということです。自分と対象物との両方に変化が起こって、それ以前の自分にはもどれなくなる大変な地殻変動が起こるのです。
 私にはこのあたりの「異界」はなくなりました。地図をみれば、必ず北を上にしてフィールドができあがっています。地球儀をみても北が上です。これは一種の洗脳でしょうね。南が上であってもいいのですから。しかし北を知ってしまった自分から変わることはできません。脳の中にフィールドができあがることによって、外界が外界として成り立ってきたのです。
 「知る」ということは恐ろしいことです。知ってしまったことで、知られるべき対象物が、少しずつ減っていくんですからね。まぁ、それは無尽蔵ですから、いいんですけどね。ということは、日々人間は「知る」ということを欲して、知りながら生きているわけですから、つねに変化しているということでしょうね。
 いまだかつて生きたことのない、〈今日〉という日を生きてみよう、と感じます。

2006年5月01日

手紙の最後に、「御身お大切に」とか「ご自愛ください」とか、「ご健勝とご多幸をお祈りします」とか、書きますよね。
 でも、末尾にこれらのことばを書くときに、どうしても重たい気持ちになってしまいます。こっちは勝手に「大切に、ご自愛下さい、お祈りします」などと書くんですけど、こう書かないと手紙が終わらないような気がして。しかし、こういうことばをもらったほうは、どんな気持ちだろうと思うと、重たい気持ちになります。
 だって、「お大切」とか「ご自愛」とか「お祈り」とかいわれても、手紙をもらった相手は、どうしたらいいのか分かりませんよね。どうしたら大切になるのか、どうしたら自愛することになるのか。こっちの気持ちは、それでいいかもしれませんけど、相手を困らせることになるのではないかと、いつも心配しています。
 よく「いのちがけでやりました」とか「それはいのちがけの仕事でしたね」とかいいますけど、この「いのちがけ」というのも、よく分からないことばです。突き詰めて考えれば、どうすることが「いのちがけ」なのでしょうか。まあ、「いのち」を賭して、そのことに当たるという決意表明みたいなもんなんでしょうか。あるいは、ことが終ってみれば、あれはいのちがけだったなぁと懐古するということなんでしょうか。よく分かりませんね。だいたい、「いのちがけ」という、その「いのち」が分かりませんからね。生活を自重して、何ごとにも節制しろということなんでしょうかね。
 自分じゃそんなことはしていないくせに、自重とか節制とかを相手にだけ要求しているバカヤロウじゃないかと思うと、まったくそういうことばを使うことにためらいを感じます。まぁ、手紙の末尾の決まり事だから、これでいいんだと自分を納得させては、使っているんですけど、どうもしてもためらいがあります。
 そんなにこだわらなくてもいいんじゃないのと言われそうですけど、小生はそう思います。どうしても、「如来の絶対基準」がはたらいてしまうのです。自分ではそんなことはどうでもいいことだと思うんですけど、そう思わせてくれないものがあるんです。そんなことは誰かに慰められて済むような問題じゃないんです。自分と如来とのやり取りの中でのことですからね。
 そうそう、テレビに井上洋治さん(キリスト教司祭)が出ていました。「ずいぶんお年をとられたなぁ…」という印象でした。お顔がずいぶんとやせて、老齢の域に入っておられるなぁと感じました。でも語られていることは確かでしたね。印象に残ったことは「主体が変わる」というお話でした。生きているのは、普通、自分が生きているということになっているけど、そうじゃない。アッヴァが主体で、自分が客体になる、それが信仰だというようなことを話していました。(アッヴァとは、お母ちゃん、お父ちゃんという呼びかけですね。私たちの世界では「神」と名づけているやつです)
 小生は、そうそうそうなんだよなぁと感じました。主語が変わってしまうことが信仰なんだと思いました。いままでは、自己中心に生きてきたものが、客体にされてしまう。主体は実は自分の側にはない。「自分」はすべて客であるとね。見るもの感じるものすべてが客です。自分を「自分」だと考えていることも客なんです。
 小生の言い方でいえば、「自分」は本来的にない。無我です。「無我」とは、努力目標じゃありませんよね。そうなろうとか、なれないとかいう問題ではありません。私たちの「本来性」です。簡単に言えば「もともと」ということです。「無いものが仮に有る」という状態が自分です。仮に有る状態を「方便の状態」といいます。現象界に存在していることすべてが「方便の次元」です。つまり客体なんです。主体は如来そのものですから、私たちにはとられることができません。
 すべてが客体だというこことは、豊かなことです。
 水俣病−新たな50年のために−というイベントが日比谷公会堂でありました。緒方さんという漁師さんが、こんなことを言ってました。「(約500人の遺影がある壇上を指さして)あっちと、こっち(私たち客席の側)の世界があって、私たちはまだこっちだけど、あっちの世界は故郷ではないか」と。ふるさとがあるからこそ、この娑婆の生活を丁寧にやり通すことができるんでしょうね。
 あいにく体調を崩して石牟礼道子さんは欠席でした。 国や行政や窒素会社へのうらみは当然でしょう。しかし、批判している自分自身がこの文明を享受しているのです。深い、深い人間の罪、そして自己自身の罪が問われているんです。そこらへん深さから批判が起こっているんです。単に、敵は向こうにあるんじゃないんです。自分自身の中に包含されている人間という存在の罪を問うているんですね。
 浄土教の文脈に置き直せば、「自力の罪」でしょうね。唯識に置き直せば、「末那識の罪」でしょうね。根深いものです。その全体を、投げ出していきましょう。仏前に投げ出していきましょう。南無と投げ出していきましょう。

2006年4月28日

尊い方を失いました。白血病ではあっても、これほど急にお亡くなりになるとは…。入院をされていても、やがて回復のための療養だと思っていました。それが、こんなことになろうとは…。まったく、思いの届かない世界を生きていることをあらためて教えられました。
 もし仏さんがいたとしたら、このご乱心を、呪わずにはいられません。まさにヨブ記をグリグリと額に押しつけられるような感じがしています。
 お顔を拝見しましたら、ほんとうに安らかにお休みなっているようでした。お化粧もされていて、とても美しかったです。そのうえ、少し微笑をたたえておられるように感じました。
 まわりでは、大きなショックを受けているというのに、当のご本人は、そんなことはどこ吹く風で、実に安らかに、そしてうっとりとしておられるようでした。この生きているものと、そうではないものとの境界が、これほどまでに乖離しているのかと思い知らされました。
 お優しい笑顔だけが、小生の胸に刻まれております。清楚でおしとやかで、しかししっかりと現実を見据えている安定感を、いつも小生はこころの中で拝ませていただいておりました。
 もう、すべては、如来にお任せするしかありません。あとはすべて南無阿弥陀仏のみです。南無…。


2006年4月
25日

教学館で箱庭療法のトレーニングを受けました。そして、お寺に一台、箱庭を置いたらどうだろうと感じました。
 ただし、どうしても砂が入っていますから、子どもが使う場合にはビニールシートが必要かなと思いました。
 サンド・セラピーと英語ではいいますから、日本語になおせば「砂遊び」でしょうね。「さぁ、これから、箱庭を始めましょう、さぁ遊びましょう」といわれても、なんだか多少の緊張はありますよね。遊びを意識していなければ遊べるんですけど、意識するとなかなか難しいものがあります。
 子どもの頃は、よく砂場で遊びましたね。あれは、自己治癒なんでしょうかね。大人が砂遊びをするところに大きな意味があるように思います。心理学的には「退行」といいますけど、子どものころの自分に戻ることで、もっと原始の自己そのものとひとつになる訓練をするのでしょう。
 箱庭にいろいろなものを置いているときには、遊びに熱中していますから、それを客観的に眺めることはできません。しかし、できあがった箱庭を後からみると何とも面白いものです。実際に置いているときには、意識的にものを置いているわけではありません。意識と無意識の中間帯のところで置いているんです。だから、客観的に眺めることは叶いません。後から眺めることが、また意味のあることです。
 自分の置いた箱庭から、何かメッセージが発せられてくるからです。自分の造った箱庭ですけれども、それが自分へのメッセージとなってくるんです。この相乗効果が、箱庭の醍醐味でしょう。箱庭が終ったら、またすべて砂をならして、平らにしてしまうことが、素晴らしいのです。そこには何もなかったかのように、まっさらな砂があるだけです。これは仏教的に言えば「空(くう)」ですね。何もないんです。ないことの素晴らしさを感じます。
 何もないから、また再びそこにいろいろなものを置くことが可能なのです。空だからこそ、存在があらしめられるわけです。
 この箱庭には、物理的な制限があります。縦横の大きさが決まっています。この大きさで、何かが守られているのです。それは隔離でも制限でもなく、守るというはたらきをしています。これも微妙なことです。隔離と守りというテーマも新たに考えられてよいと思います。
 小生は、箱庭を見ていて、この箱庭の内側が世界であり、地球であり、宇宙ではないのかとイメージしてみました。私たちの日常は、巨大な箱庭の中の一コマかもしれないと思います。「私」という乗り物を演じて、今日一日を生きているわけですが、これも遊びかもしれません。果たして誰が私をここに置いているのか。その手は見えませんから、自分で自分が動いているように感じますけど、見えない手によって、ここに置かれているのかもしれませんよね。
 まあ、あまりその手を擬人化しないほうがいいんですけどね。あまりその手を強固なイメージとして造り上げると、一神教の神様のようなものになってしまいますからね。「見えない手」程度のイメージでいいんでしょう。
 実際、私たちが日常生活をしているのも、箱庭を置いているときのように、意識と無意識の中間帯のところでやっているんですよね。意識だけでもないし、無意識だけでもない、その中間帯のところです。
 そうやって巨視的にみると、この世は仏の手によって、置かれつつある箱庭のようにも感じました。
2006年4月
20日

昨日、テレビで「地動説」を説いたガリレオについてやっていたようです。それまでのキリスト教会は天動説をとっていましたから、地動説を説くガリレオは、異端裁判を受けることになりました。当時の権力に対して屈伏せざるをえなくなり、あの有名な「それでも地球は動いていてる………」と呟いたといわれます。
 でも、百歩下がって考えてみますと、やはり私たちの「実感」のところからいけば、天動説ですよね。どうしても、地球が動いているとは感じられません。感じられないけれども、理論的にいえば、やはり太陽系ですから、太陽の周りを自転しつつ公転しているということになりましょう。現代ではみんな地動説の信者ですけど、理屈の上でしかたなく地動説をとっているだけです。自分の「実感」から、地動説を主張できるひとは、宇宙飛行士くらいではないでしょうか。私たちの生活実感からいえば、太陽は東から登り西に沈んでいくんです。だからといって天動説を主張しようというわけじゃないんですけどね。
 これは宇宙の軸をどこに立てるかという問題です。太陽系を包み込む銀河系という包摂関係で考えますけど、それでは、宇宙の中心はどこか?ということが問題になるでしょう。以前読んだ尾辻勝彦と秋山さと子の対談で、尾辻が、テニスボール、それも軟球にハサミを入れて切っていって、ペロンとひっくり返すと裏と表が逆転するということを言っていて、こりゃおもしれえっと感じたことがありました。そのことにヒントを得て、考えてみましたら、もし宇宙が閉じている空間だったとすると、大きな宇宙を包摂するボールがあって、それをひっくり返してみたら、裏と表が逆転します。そのボールをギューッと圧縮していったら、手のひらサイズになります。つまり、自分が握り拳を造ってできた空間の中とそれに接している外界とが、等価になりますから、宇宙の神秘はこの手のひらの中にあることになります。すると、この手の中の空間は、すごい空間だなぁと驚いたわけです。これって通じますかねぇ?
 でも、たとえ手の中の空間であっても、それは神秘です。それは何かが有るということではないのですから。宇宙と等価の空間であっても、それは神秘です。スゲーッて、おれは自分の手の中に宇宙をつかんじゃったよ!ということなんですけど、でもそれは実体的に何かをつかんだことにならないという面白いことになってきました。
 何をいいたいのかといえば、自分という唯一無二の個に宇宙軸を打ち立てたらどうだろうという提案です。風呂敷で包まれたような、ひとつの世界の中に自分があるという世界認識をとらないんです。それは、地動説のように理屈で考えられた世界認識です。
 生身の「私」という実感からいけば、唯一無二の個の世界があるだけです。身体性、つまり生きる、食べる、話す、飲む、老いる、病になる、死ぬ、歩く等々という身体性は代替え不可能です。唯一無二です。これがほんとうの世界認識でしょう。
 この宇宙の中心に個があって、その中心を軸にして宇宙が動いていると考えたらどうでしょう。これは独我論と紙一重なんですけど、私のいう宇宙軸は、ひとりの個があればひとつの世界があるということですから、十億のひとには十億の世界があるということで、他者とはぶつからない構造です。阿弥陀経の中に出てくる、たくさんの仏たち、三千大千世界などという表現は、ひとりの仏にはひとつの世界を認める思想です。どの諸仏もみんな自分の浄土をもっているんです。
 他者と代わって生きられない自分自身の宇宙は、決して、何ものにも犯されることはありません。そしてこの宇宙が自分の身体とつながっているから、世界を大切に、丁寧に扱おうという愛情が生まれてきます。みんなものだと考えるから、丁寧に扱えるんじゃないんです。ほんとうに自分自身のものだから丁寧に扱えるんでしょう。

2006年4月14日

呪文という発想は親鸞の中になかったと思います。呪文とは、たとえそれが鎮護国家を祈願するものであっても、また恨みを晴らすためであっても、また雨乞いであっても、またどれだけ表面的には、それが平和的に見えていようとも、人間が何ごとかを願って、それを神仏にお願いするというようなことは、親鸞の中にはなかったと思います。
 真宗僧侶の読経の意味は、人間が神仏にはたらきかけて、何ごとかの作用を引き起こすというような性質のものではありません。すべて、人間からのはたらきかけは無効であるということを知らされる行為なのです。
 つまり、それは「不回向」ですね。人間からの回向を必要としないという意味です。
人間から神仏に何ごとかを作用させようとして、起こすものはすべて否定されます。それでは人間から神仏に向かって、何もすることがないじゃないかといわれれば、その通りなんです。
 ただ無効を味わうためなんです。しかし何ごとかをはたらきかけようと内心で動くものがあります。そのほんの小さな内心の動きも、見逃すことなく、それを綺麗さっぱりと否定してくるものがあります。その否定してくれるはたらきだけを、信じているのです。
 親鸞の和讃に
浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし
 というものがあります。浄土真宗に帰依したけれどもダメだった、ほんとうのこころにはなれなかったという嘆きの愚痴を書いているわけではありません。真実に近づこうとすればするほど、自己の不実が明瞭になってくることを記しているのです。「真実の心はありがたし・清浄の心もさらになし」と否定してくる作用だけが真実だといっているのです。まったくこの否定性は清々しいものです。人間をまるごと否定してくるのですからね。
人間の部分を否定するんじゃなくて、全部です。「自分を愚痴る自分」をも否定されています。
 

2006年4月09日

あっという間に時の流れがすぎてゆき、あっという間に、更新が滞ってしまいます。
言い訳をしておきます。
 ここのところ、東京にいなかったということ。さらに、『歎異抄の深淵』の第三弾を仕込み中ということ。そして、建築のためのあれこれに追われていたということ。
 さらに、自分自身の事務能力のなさや、数字に弱いこと、記憶力の低下に圧倒されています。顔は覚えていても、名前が分からないということは茶飯事です。それから、モノをどこにおいたか忘れてしまうこと。先日も、1冊目から順番に書かなければならない寄付金の領収証をとんでもないところから書いてしまったこと。金額の数字を間違えること。自分でも、どうして、そんなことをしたのかよく分からなくなっているのです。自分で自分が恐ろしくなってしまいました。
 建築の雑務によって、身心がむしばまれるというのは、単なる物理的な忙しさだけではないんですね。自分自身が自分自身に対してあきれるほどにダメになっていて、それが情けなくなってくるんですね。そのダメージが大きいのだと思いました。
 しかし、こうやって、そのダメなところを書くことで客観化できるということは、自己自身への癒しになっているのでしょう。書くことで、自分の殻をひとつ脱ぎ捨てて、眺めることができるのですから、それは、癒しになっているはずです。
 吉本隆明さんは、書くということは「自己慰安」だと語っていますね。自分がいままでどうして書いてきたのかということを振り返って、「自己慰安以外にない」とね。普通は書くことは、結構辛いことと思われています。しかし、達人になると、「自己慰安」といえるんですね。しかたないから書くことしかできなかったんでしょうけど、それはそうせざるを得なかったことだし、それが癒しになっていたということでしょう。
 日々は、同じことの繰り返しのように見えて、実は少しずつ変化していくんですね。桜がハラハラと風に散り始めています。

2006年
4月02日

自分を許すという課題 
あるひとと呑んでいるときに、自分の中からわき起こってきた言葉です。それは、自分と相手との中間に浮かび上がってきた言葉といったほうが正確です。この課題は、現代の課題だと思います。
 昨日、マンションから子どもを投げ落とした男が逮捕されたとテレビで報じられました。今朝になると、その男性には奥さんと三人の子どもがあったことも分かりました。摩訶不思議な事件だという雰囲気だけが漂いました。私たちの中には、犯人は男性であり、独身に違いないという先入観があったからです。その先入観がくつがえされ、戸惑いました。 その男性には会ったこともないので、まったく見当違いなことかもしれませんが、どうも彼の中では、自分が許せていなかったんじゃないかと思いました。
 現実のどこかで、「自分はダメだ。それに連なる社会もダメだ。すべてダメだ」と否定的な雰囲気に飲み込まれていたように思えます。たとえ、社会的には家庭をもって、周りから見ても、なんの変哲もない、ごく普通の生活をしているようでも、個人の内面では、どのようなことが起こっているのか、それは知るよしもありません。
 意外に、ごく普通の社会生活を装うのは、内面に大きな渦を抱えていて、周囲にはそれと気づかれないように、あえて「普通」に生きるということはあることでしょう。いろいろな事件をみると、事件を起こすひとは「ごく普通のひと」「いい子」というのは、よく聞く話です。
 自分が許せていないということは、小生のいう「裁きの自己」に支配されているということです。こんな自分はダメな自分、こんな自分はいい自分と自分を秤にかけて、評価しては裁くのです。普通の社会生活をしていれば、そんなことはよくありますね。失恋して苦しんでいるひとは、自分はダメ自分だと落ち込むこともあります。受験に失敗したり、自分の仕事が評価されなかったひとも、そういう落ち込みがあります。
 社会は、どうしても、矛盾がありますし、問題もあります。民主主義だといっても完璧ではありません。51体49という一票差で、それは民主主義のルールに従えば、大衆の意見だということになります。それは矛盾といえば矛盾です。徒競走をさせれば、十人いれば十人のスピードでゴールするのです。わざわざ一番や二番をつける必要はないということにもなります。
 それは、どの社会ももっている矛盾といえば矛盾です。しかしそのことで自分への評価を下げる必要はありません。社会の評価と自己への評価は違うわけです。現代の美人の基準は痩身ということですが、中世は違っていました。現代のインドでは太った女性ほど美人だというそうです。それで平気でサリーの下にポッチャリとしたお腹を見せていますよね。だから、社会の評価をそのまま自分に当てはめることもないのです。
 ただそれを自己への評価として決めつけてしまうことが問題です。ダメな自分が多く見つかってきますと、こんどは身動きがとれなくなります。どれもこれもみんなダメな自分じゃないかと見えてきてしまうのです。何をやっても、ダメな自分だらけということになります。
 しかし、それをダメだと裁いている悪魔がいるんです。それこそ自分自身なんです。その奥に隠れている悪魔のような自分が、抉り出されなければなりません。その犯人が白日のもとにさらけ出されないとダメです。その「裁きの自己」にひかりが当たらないとダメです。
 小生は、花によって、木によって、その「裁きの自己」を見つけてもらいました。いまはさくらの花が満開です。近くの緑道公園にも花見客がたくさん並んでいました。私たちはすべてをさくらだいいますけど、同じ枝振りのさくらは二本とないのです。すべてがオンリーワンです。オンリーワンを評価する方法はありません。別物だから、まったく比べることができないのですよ。それは、この自分自身を暗示しています。さくらを見ても、そこに自分を見るわけです。
 オンリーワンということで自分が許せて、初めて、そこから矛盾や比較の世界を生きる勇気が与えられます。これがないと、社会生活は難しいのです。オンリーワンを見つけましょう。この自分に「宇宙軸」を打ち立てましょう。それが、すべての犯罪の根源的な芽を腐らせる力をもっているのです。

2006年3月27日

 今年のお彼岸では、門徒の方から、病気のお話をずいぶんと聞きました。膀胱ガンになってしまいましたとか、卵巣ガンになって…とか、交通事故で…、自宅で転倒して…、糖尿病を発病して.…、人工透析で…、妻が認知症になりまして…。老々介護で…などなど。
 これほど、病に関連したお話を伺ったお彼岸もありませんでした。もう現代人の大半が病んでいるというふうに感じましたね。病んでいないひとはいないといってもいいくらいです。
 なぜ?どうして?こんな目に遭うの?と自問自答したくなるような状況です。きっとこんな目に遭うというのは、何か祟ってるんじゃないかなぁ?不気味なものが私にのしかかってきているんじゃないか?と考えたくなるのも無理からぬことでしょう。
 人生の出来事は、結果はたったひとつなのに、原因は無量無数にあります。どれが根本原因だと突き止めようとしても、それは無理というものです。でも、ひとは「因果論」が好きですね。こんな目に遭うにはきっと原因があるはずだ!あるに違いない!と思い込みたいんでしょう。でも、それは無理です。そんなことでねじ伏せようとしても、無駄というものです。先祖が悪い、先祖に原因があるんだと考えるタイプのひとと、自分の生活週間や行いが悪かったんだと後悔するタイプに別れるようです。
 もっともっと人間は愚かな生きものですからね。原因はわかりませんけど、結果だけを引き受けていくしかありません。覆水ボンに帰らずです。
 スーザン・ソンタグさんが『エイズとその隠喩』という本で、こんなふうに書いてます。「癌はひとつの病気だ、−−−−とても重大な病気ではあるにしても、ひとつの病気にすぎないのだ、と。呪いでも、罰でも、当惑すべきことでもない。『意味』はない、と。」そしてただ病むことを大事にしろといいます。その他の考えは妄念だというのです。
 決して、私だけが不幸なのではない、人類全体が不幸なのだと考えたらいいのでしょう。不幸でない人間はいない。遅かれ早かれ、みんな病気にかかるわけです。老衰などという死に方はほとんど不可能です。昔は老衰としかいいようがなかったのですけど、いまでは、老衰という死に方を医学は認めてくれません。必ず病名がなければ人間は死ぬこともできないのです。
 健康であっても人間は死にます。人間の死亡率は百パーセントです。
 もっと「永遠」というものと対話したほうがいいように思います。自分がいなくなった百億年未来から、〈いま〉を見つめてみるとか。自分が生まれる以前の何十万年前をイメージしてみるとか。この世だけを近視眼的に考えるのではなく、永遠というものから〈いま〉を見つめるトレーニングが必要でしょう。
 そうするともっと違った〈いま〉が必ず発見できるでしょう。何かが悪いから病気になるのではありません。たまたまの縁です。事故みたいものです。それは、偶然の出来事です。でも、その偶然を受け取っていかないとダメなんですね。どうしてかといえば、人間はもともと、本質的に「偶然の生きもの」ですからね。
 誰かが悪いわけでも、何かが悪いわけでもないのです。ただただ、偶然のことなのです。偶然ということほど、公明正大なことはないのですから。
 

2006年3月20日

今年から、本堂・会館・庫裏の再建工事が始まります。建築士さんと、仏具店と私と三者で、本堂の設計について、いろいろと語り合いました。小生の考えとしては、外陣、つまり、聴衆の空間を広くとりたいのです。しかし、内陣、つまり仏さんがいる場所を中心に考えますと、どうしても外陣が狭くなってしまうのです。
 これも在家仏教と出家仏教との矛盾だと感じました。もともと、仏さんが飾ってある場所(金堂)は、大衆が入る場所ではなかったようです。先日、京都大原の三千院へお参りしましたが、あそこの阿弥陀堂は、大衆は周りから拝観するようになっていて、お堂の中に入るという発想がありません。中に入れるのは、修行者だけです。堂の戸張を下ろし、阿弥陀さんの周りをグルグルと回る三昧行をしたのです。
 ですから、本来の寺院建築からいけば、本堂は仏さん中心であって、大衆は二の次ということになります。寺院建築という観点からいえば、そうなります。そこに在家性を持ち込むことは、無茶苦茶ということになります。
 また、うちの阿弥陀さんは普通のサイズより大きく、もし阿弥陀さんに合わせて須弥壇(仏さんを立てる場所)と宮殿(仏さんの入る家)を造ると、九尺(約270センチ)にもなり、とても大きなものになります。それを本堂に安置するとなると、内陣の空間をもっと広げなければならなくなり、結果的に外陣が狭められてしまいます。
 しかし、建築の第一の目的である外陣の拡大化という趣旨からズレてしまいますから、仏さんには我慢してもらって、羅毛(ラモウ)形式にしました。羅毛とは、仏さんの上に金色の装飾品が雨のように降り注いだ形のものです。これだと、須弥壇に比べて場所をとりません。
 仏中心の本堂から、大衆中心の本堂へとメタモルフォーゼ(変身)することの大変さをいま、感じています。そこで内陣の設計は、伝統様式ではなく新様式のものに決めました。しかし、新様式ということは、いまだかつて存在しない形を造るわけですから、危険性もともないます。何といっても設計は、机上のイメージですから、実際にできあがったものとは違うのです。新様式にあまり引っ張られると、失敗する危険性もあります。ですから、伝統様式のよい部分を継承しつつ、新様式に変形していくという至難のワザをこなさなければなりません。そのへんは、仏具店と設計士さんのアドバイスに従っていかざるを得ません。なにせ、設計に関しては、こちらは素人ですからね。
 大衆化するということは、いつでも、だれでも、仏前に身を置くことができるということです。さらに、その空間は宗教空間としての荘厳さと神秘的なイメージを呼び起こすものでなくてはなりません。私たちの内奥に、宗教的なるものを呼び起こすものが本堂でなければなりません。だから難しいのです。そんな苦労をしないで、すべて本山様式に従っておけば、これほど楽なことはありません。もし本山を真宗寺院の決定版と考えればですけどね。
 しかし、あの本山の形が決定版だとは思いません。だいたい親鸞は寺をもたなかったのですから、本来的に定式はないわけです。ですから、よりよい真宗寺院の未来像を探って、いろいろと試行錯誤することができるのです。あくまでプロセスということでしょう。そう考えると、楽しみでもあります。どのようなフォームができあがるのか、これは仏具店も設計士も、そのイメージを超えたものだから、妙味があります。
 あくまで、供養と自己教育という二重性を止揚する場所としてですけどね。

2006年3月15日

「思想における他者の問題」というテーマで、加藤典洋さんと竹田青嗣さんの話を伺いました。
 いま、「他者論」というのが、哲学や思想では、大問題なんだそうですね。その問題を竹田さんは、ヘーゲルとルソーとカントを通して整理して見せてくれた。また加藤さんは、普通のひとが「他者」という問題にぶつかるときはどこかと、普遍化して論じられました。そして、ここは真宗の寺だから、「他力本願と他者」ということも問題ではないかと刺激してくれました。
 そうそう、「他者」の問題を扱っているのが、エマニュエル・レヴィナスだそうで、さっそく彼の本を取り寄せようと思いました。
 そこで、加藤さんから提起された問題について考えてみようかと思いたったのです。
「他力本願と他者」と提起されて、小生の頭に浮かんでくるのが、「衆生」という問題です。この問題は、曇鸞が『浄土論註』で論じています。つまり「普共諸衆生、往生安楽国」=「あまねく諸々の衆生と共に、安楽国に往生せん」(浄土論)というけど、「共に」といっている「衆生」とは誰のことなんだ?という問題提起です。結局、救いから一番遠い存在をどう救うのか?という問題です。
 これは、歎異抄に置き換えれば、「悪人」という問題であるし、善導の二河譬喩でいえば、「汝」という問題です。
 つまり、自分自身が如来から「他者」として見いだされるという文脈です。これは、自分がまず存在して、この自分が他者と関係して、他者をどう救うかという問題ではないのです。自分自身と如来、自分自身と絶対項の受け止め方の問題を語っています。だから、問題の局面は異なっています。
 そうそう、加藤さんが「カルバンがなぜ予定調和説を立てたのか?」と問題提起していたのを思い出しました。つまり、誰が救われるかはすでに決まっているんだという考え方をどうして立てたのかと。救済なんか望まなくても、すでに救われているんだという考え方は、他力本願と似ているのではないかと話していました。
 これは、天台本覚論とも通じていて、もう人間はすでに仏なんだから、いろいろ救済のためにやらなくてもいいんだというわけです。これと他力本願はどうなのか?という問題です。
 それは、信という位相を抜きにしていえば、すべて机上の空論ということになります。たとえば、「悪人を救うのが本願だから、一番救いの可能性のないものが救われるのだ」とか、「もうすでに救われているのだから、救いを要求しなくてよいのだ」とか、「そのままでいいんだ、なにもする必要がないのだ」とか、様々な言い方ができますが、それは信という位相からいえば、意味のあることでも、その位相をはずしてしまえば、すべて空論ということになります。
 ゴルフでボールとジャストミートするときがあります。そのときは、アドレスという構えたときの形に戻っています。写真に撮って静止画で見ると、打つ前のフォームと同じであることがわかります。つまり、ジャストミートのときのフォームとアドレスのフォームは同形ということです。まったく動いていないように、しかし、一方は流動的なスイングの流れの中のワンシーンということになります。
 例えれば、このジャストミートのときが信の位相です。そこから、「悪人を救うのが本願だ」という言葉が生まれてきたのです。あるいは「なにもしなくていいんだよ。そのままで…」という言葉もそうです。もしジャストミートの少し手前で、あるいは、少し遅れてしまえば、それは、「現状肯定」か「他人事」になってしまいます。しかし、ジャストミートの位相であれば、それは信仰の表白になります。
 スイングは一連の流れなので、固定することはできません。少し手前でも、遅れてもダメなのです。ちょうどボールの真ん中にクラブの真ん中が通過したとき、それは力を要せずにボールは最高の弾道と、飛距離を得るわけです。
 信の位相からの表現は、その流動の一瞬を切り取っただけのことです。それを固定化したとき、信からはずれていきます。また、そのジャストミートとアドレス(スイングをこれから始めようとする基本的構え)は、一瞬を切り取れば、まったく同じであるというのも大切なことでしょう。それは、まったく動いていないことと、一秒の何分の一のスピードで動いていることが同じに見えるということです。まったく動いていないことと、ものすごく速く動いていることが同じに見えます。
 「そのままでいいんだよ」という言葉を、どの地点で表現しているのかということが大きな問題でしょうね。振り遅れでもなく、突っ込みすぎるわけでもなく、ジャストミートでいきたいもんです。

  

2006年3月8日

先日、因速寺で開かれた「工務店力向上ワークショップ」の主催者が、当日の模様をブログで後悔!いやぁ、公開されました!
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 野辺さんのカメラは本堂の様子をよく写してます。なんだか、普段みている本堂とはちょっと違った雰囲気で、新鮮な感覚を受けました。それは、カメラのせいなのか、あるいは参加者たちの放つオーラなのか、はたまた仏さまの演出なのか、それは不明です。
このワークショップで「住居と宗教」が密接に関係してきたことを、あらためて感じました。
 現代社会は、死を排除するかたちで、住居を造ってきました。それは仏壇を抜きにして立てられた建物ということですが、そのことは同時に「ふるさと」を失った我々の〈いま〉を照らし出してしまいました。近代人が、農村から都市へと集中することによって、ふるさとと切り離されました。それは、習俗や因習からの解放ではありました。しかし、逆に自分たちの拠り所が不安定になったということでもありました。
 近頃、墓を求めるひとたちの中で、先祖の宗派にとらわれず真宗大谷派でもよいというひとたちが増えています。そのひとたちは、長男ではなく、次男・三男のひとたちです。先祖の墓を受け継ぐわけではないので、宗派が変わっても問題がないという判断です。それにはまったくこだわらないというのです。それはふたつの意味でショックです。
 一つ目のショックは、その「こだわらない」というのは、教えと自分とは無関係だという表明なのです。たとえば先祖が禅宗であれば、道元の思想と自分の生き方とが当然関係してきます。でも、現実にはそうなっていません。寺は死者の法事・葬儀のためだけの存在であって、自分の生きることには無関係だったのです。だから、先祖の宗派と違っても、何ら問題はないと判断しているわけです。自分の生きることと関係していれば、当然禅宗の寺を選ぶはずですからね。
 そういえば、次男に嫁いだ奥さんの話を思い出しました。
「私は南無阿弥陀仏を聞きながら幼少期を過ごしたので、嫁に嫁いでから南無妙法蓮華経は馴染めなかったのです。でも、いま因速寺に墓を持てて、また南無阿弥陀仏に帰ることができてよかった」と漏らす奥さんもいました。雰囲気として南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏は違っているのでしょうね。でも、その奥さんも、まだ、雰囲気程度のことで、自分の生きるということとは無関係だったのです。
 二つ目のショックは、近場に墓があったからよかったということで、親鸞の思想が流れているから因速寺を選んだということではなかったことです。因速寺は親鸞聖人が開かれた浄土真宗という教えで、本山は京都の東本願寺で……と話せば、「そうですか。分かりました」と素直に了解されます。でも、それで親鸞聖人の教えと自分の生きるということが関係したかといえば、そんなことはまったくありません。
 もうこっちも、そんなことを力説するちからも無くなるほどになっています。どうせ、言ってもダメだろうなとはじめから、言葉を飲み込んでしまいます。だいたいみなさんのニーズは、「墓が欲しい」のであって「教えが欲しい」わけではないからです。いくら口を酸っぱくして「教えが中心」で「墓は二の次」といってみたところで、現実はなんにも変わらないのです。
 「教え中心」ということにならないかぎり、墓は譲らないよということもできませんからね。だいたいそういう条件をつけたところで、どうなったら条件が満たされたことなのか判定できませんからね。
 だから、寺はどれもこれもみんな同じなんだから、そうそうこだわることはないだろうということになっているのです。悲しいかな。
 この現実から百歩引き下がってみたところから考えてみると、それであっても、墓なり仏壇は自分のいのちの根っこと対話する場所ではあるということです。掬えるところは、そのへんしかないんでしょうね。
 日常空間の真ん中に、やはり仏壇が必要でしょうね。体の中心がヘソであるように、家の中心に仏壇がなけりゃなりませんね。「いのちの根っこ」を思う場所として。死を思う場所として。
 死を思うということが、どうしていいのかというと、それはやってみれば分かることです。自分の死を考えると、まずどのような死に方をしたいかということです。それから、次は、自分が死んだ後、どうなっていくのかということです。つまり、〈いま〉をどう受け止めるかということになるからです。
 明日、私はこの世を去っているかもしれません。〈いま〉が人生の結論であるのかもしれないのです。そこに視線を注いで考えてみると、なにかが変化してきませんか。なにかが。
 

2006年3月6日

ひとの口には戸は立てられない
 いやぁ、つくづくそう思います。ひとの口には戸は立てられません。ですから、自分を防衛するには、相手の口を攻撃するよりも、自分を衛るための防空壕を築くしかないように思います。自分にとって、気に入らない相手は、ワンサかいますからね。その都度、攻撃を繰り返すには、敵が多すぎます。それよりも、自分自身を衛るための防空壕を築くことでしょう。なんとか、せっせと築きましょう。
 南無阿弥陀仏の防空壕というのはどうでしょうか。妙好人の因幡の源左の言葉にこういうのがあります。
「こまった時にゃ お念仏に 相談しなはれや」
「『こらえさせて』もらいなはれ」
「こらえらせてもらいますだいな」
 これは念仏の防空壕を築くために、とても参考になります。
困ったときには、念仏に相談する。そして、こらえさせてもらうという、実に単純なことが記されています。
 しかし、現実には、そんなことができるか!と思います。小生にはできないことです。念仏に相談することはできても、「こらえさせてもらいますだいな」とはなりません。
 こっちに立つと、向こうは異常、向こうに立てば、こっちが異常。その向こうとこっちを相対的に、見える場所が念仏の場所でしょう。それが見えてきたときに、「こらえさせてもらいますだいな」と落ち着くのでしょうね。
 「如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、」と歎異抄は述べています。
 つまり、人間の善や悪はすべて相対的なものだという批判です。善と悪をほんとうに知っているのは如来だけだよという教えです。相対的ということは、どっちにも一理あるということです。自分の側に立つか、相手の側に立つかで善悪が違って見えてくるということです。だからといって、現実の場面では、相手に一理あるとは思えないんですね。だから、念仏を忘れてしまいます。
 自分の立場が正しいということに、どこまでも執着してしまいます。ほんとに我(が)の強いものが自分だと知らされます。結局、問題は自分の我なんですけどね。そうなれば、自分の我の強さを教えてくれるのが、相手だという考え方も成り立ちます。
 人間の善には、必ず偏りがあるということを教えられ続けるしかありませんね。まったくどうしようもないものです。そんなことを語っているさきから、もはや、我執という煩悩がムクムクとわき起こってくるのですからね。


2006年
3月1日

虚無から生まれるもの

「目に見えないものによって、目に見えるものが支えられている」と回向されました。
空気、木の根っこ、家族の愛、電車を動かす電気、小腸の襞の蠕動運動、豚肉にされる前の生きた豚、靴にされる前の牛の皮膚。数え上げていくと、目では見えないけど、それによって支えられているものは結構多いです。
 「目に見えないもののお蔭で、生きることが成り立っているんですね。その見えないものを他力というんですね」と語ってしまうと、妙に宗教臭くありませんか。そんなことに名前をつけちゃダメなんですね。ほんとうは。名前をつけたとたんに、嘘っぽくなってしまいますから。
■「愛してる」という表現■
欧米では、女房に「愛してる」と、つねに言い続けなければならないという習慣があるようです。一日に何回も、男性はそういわなければならないそうです。そういう文化ですから、もう習い性になっていて、こころを込めようがなんだろうが、とにかく連発しておくということになっているようです。保険みたいなもんでしょうか。もしそう言い続けないと、女房は不安を感じるようです。それが離婚の条件ともされるそうですから。言い続けられないと、自分は愛されていないのではないか、自分は不必要な存在なのではないかと、不安になるのでしょう。
 それは、こころの中に思っていても、態度に現れなければダメだという発想ですね。外側に表現されてはじめて、価値をもつということでしょうか。
■東洋のやり方■
 一方、東洋文化はそういう発想をとりませんね。女房に「愛してる」なんてーことを言っている日本人は少ないように思います。まあ、「現代」ではどうなっているのか、ちょっと分かりませんけど、小生の感じている日本人は、そういうことは言いません。
 外側に表現するのが、照れくさいというのもありますけど、外側に表現すると、嘘っぽいと感じるからでしょうね。「以心伝心」というような仏教語もあるように、内面を重視します。ですから、外側に表現しなくても、内面でつながっているという安心感がありました。
■内面力■
 でも、現代では、その「内面力」みたいな力がだいぶ弱まっているように思います。内面力は、そのままワガママになりやすく、自分勝手な思い込みに傾斜するからです。旦那は会社ではたらき、家族を支えることが愛の表現だと思っていたのに、女房は全然そのことが伝わらずに、熟年離婚なんていうケースも増えてますからね。
 それは、日本人の内面力の低下ではないでしょうか。もっと内面力を鍛える必要があるように思えます。口には出さなくても、目に見えない部分で自分は支えられ、この家族なしにはやっていけないんだという弱者の本音が透けて見えるようにしておかなければならないのだと思います。「おれが養ってやっているから、家族は成り立っているんだ」という強者の論理だけではダメです。弱者の自分を十分に内面で味わっていませんからね。
 そんなことを語ろうと思ったわけではないのに、つい、誰だか分からないストーリーテーラーに引きずられてしまいました。
■語れないものを語る■
 「目に見えないもののお蔭で、生きることが成り立っているんですね。その見えないものを他力というんですね」と語ってしまうと「他力」という言葉が死んでしまいます。それは理屈でしょう。誰でもが、普通に感じていることですけど、それをあえて指摘してくる言葉が「他力」です。まあ大雑把に言えば、ひとが感動しているところには、必ずほんとうの薫りがあります。それをあえて言葉で表現してしまうと嘘になります。嘘というとちょっと言い過ぎですけど、形骸化してしまいます。ですから、ほんとうのことは言葉で語ってはならないんでしょうね。また語れるものではありません。
 それなのに、仏典は「八万四千巻」があります。語れない、語ってはならないのに、その語られないところを語ろうとこれだけの表現があります。ほとんど無駄といっていいわけです。それはほとんど徒労に過ぎません。
■ゼロポイントからの旅立ち■
 まあ、仏教のほんとうのところは、徒労なんです。ですから、仏教は虚業だなぁと思います。「虚無の身・無極の体」(『仏説無量寿経』)を本質としていますからね。なぜ寺で生きるのかといえば、それは信者を増やすことでもなく、御布施を多くもらうことでもなく、伽藍を立派にすることでもなく、みんなを幸せにするためでもありません。ほんとうのことろは、無に帰すわけですから。
 その無に帰したところから、つまり、ゼロポイントから、動き出すもの、それが仏教の本質でしょう。「そうせずにはいられないもの」ということが本質です。それ以外のことはなにもないのです。それに理屈をつければ、全部嘘になります。
 

2006年2月28日

親鸞の表現した「在家」は「出家から再び出家した在家」です。もともとある「在家性」ではありません。
 浄土真宗は「在家仏教」だから、欲望のままに生活すればいいんだ、このままでいいんだという自己肯定とは違います。もし自己肯定であれば、仏法でもなんでもありません。
 親鸞は9歳で出家して、比叡山(天台)に登ります。しかし29歳で山を降りて法然聖人のもとへ行きました。これを図式にすると、在家→出家→出家→在家となります。つまり比叡山を出るということは、出家から、再び出家したのです。そこに新しい在家性が開かれたということです。それを「還ってきた在家性」とでも名づけましょうか。
 外見から見れば、もともとの在家性と「還ってきた在家性」とは区別がつきません。これは極めて内面的な違いです。もともとの在家性は、「快・不快の原則」と「善・悪の原則」と「損・得の原則」だけの生活です。気持ちのよいことが好きで、得になることが好きで、善なるものが好きという生活です。
 しかし、「還ってきた在家性」は、そこにすべての生活を譬喩として受け止める視座に開かれるものです。快不快・損則・善悪ということは同じなのです。しかし、それらをすべて譬喩として受け止める在家性です。仏教的にいえば、自分の環境や人間関係をすべて自分への教えとして受け止める世界観です。
 あまりうまく言えてませんね。
 既知のものを未知として体験していく世界とでもいったらいいでしょうか。つまり、今日は生まれてはじめて生きる今日ですよね。いまという時間も、自分が生まれてはじめて体験するいまです。今朝、目覚めて出会う家族は、生まれてはじめて出会う家族ですよね。昨日までの家族は、既知(知られたもの)ですし、今朝はじめて出会う家族は、未知のものです。昨日とさほど違っていませんから、他人とは違うわけで、それは見覚えのある家族なのですが、どこか違っています。子どものときに出会っていた家族の面影と、年老いてからの面影は違います。ということは、やはり微妙に変化しているのです。そんなことには普段気付きませんけどね。
 目に見える世界は、昨日とさほど違っては見えません。でも、必ず違っているのです。この世は変化し続けているものですから。ですから、目に見えるもの、一切合切が、すべて未知のものです。この未知のものに対して、感動し、そこに何ごとかを見いだすということが「譬喩」ということで語ろうとしたことです。
 そうそう、煩悩を拝める在家性が「還ってきた在家性」です。煩悩を見下したり、切り捨てたりするのではなく、それを拝むという態度です。煩悩も、自分が起こせるものではなく、また、はじめて出会う未知なるものですから、驚きと感動をもって、受け止めなければなりません。
 出家とは、煩悩を見下し切り捨てようとする清浄性です。しかし、それは人間には成り立ちません。「絵に描いた餅」ならば理想として成り立ちますけど、実際の餅はそうはいきません。そうなると、こんどは、「そのままでいいじゃないか、所詮人間はそんなもんだよ」という自己肯定に落ち込みます。どっちにころんでも元の木阿弥です。
 その両方から距離をおける場所が「還ってきた在家性」です。ところが、この場所をだれもが占めることができないということでもあります。オレが「還ってきた在家性」を体現しているだと、場所を占めたら、その場所は虚偽になります。決して、自己肯定の文脈で占めることのできない場所にあります。だから、尊いのです。
 さあ、今日も、自分の知っている自分という殻を脱ぎ捨てて、「新しい自分」「未知の自分」を生きはじめたいと思います。

2006年2月24日

「工務店力向上ワークショップ」なるものが、うちの寺で開催されました。地域に根ざした工務店の潜在的能力と、今後の新たなる展開を模索する頭脳集団の集まりでした。コーディネーターのNさんに、因速寺でやれないかなぁ?というofferがあり、今回のようなことになりました。こられた方々は、三十人弱でした。関東一円、さらに遠くは岐阜や愛知からも来られているので、凄い集まりだと思いました。これを毎月どこかで開催しているのですから、エネルギーは凄い!
 テーマは「『顧客ゾーニング』と『住宅と宗教=生老病死と住宅』」でした。お寺でやるということで、そういうテーマになったのか、小生のためにそうしてくれたのか、あるいは、建築という視点から通らなければならないテーマだったのか、それらの総合されたものだと判断しました。
 しかし、偶然の出遇いは楽しいもので