住職のつぶやき2003/01


2003年01月31日●

暖冬、地球温暖化なんて、嘘じゃないのか、と思うほど寒い日々が続きますね。大雪で日本海側は大変なことになっています。屋根の雪下ろしで年間数十万円から百数十万円もかかると聞いたことがあります。ですから、雪のない太平洋側へ永住するひとが多くなっているんですね。関西以西では大阪圏が、関東以北では東京圏が多いようです。青森県下北半島の知り合いの人がいます。彼は毎年出稼ぎに東京へ来ていました。一緒にカラオケを歌いました。彼の「津軽平野」(吉幾三の歌)は絶品でした。

「津軽〜平野〜に〜、雪降る〜ときはよ〜おぉ♪」。この歌は、出稼ぎに出た男の心情を歌った歌でした。かれはアルコールのせいもあるのでしょう。マイクを持ちながら涙を流しておりました。遠く青森の地にある家族を思っての涙でした。聞いている小生もジーンとしてしまったのです。決して、すごく上手いとは言えません。しかし、彼の生の青森弁といいましょうか、道奥なまりといいましょうか、これがいいんですよ。小生が歌ったのでは、脱け殻になってしまいます。彼の実感と歌声が、ほんとうに津軽にいるような錯覚を起こさせます。「ふるさとは遠くにありて思うもの…」ともいいますけど、やっぱり、遠くに離れた家族を思う男の姿はいいもんですね。年二回、土産をもって実家に帰ります。家族は彼の帰りを待ち望んでいます。家に帰って三日間くらいは、家族も優しく接してくれます。しかし、それを過ぎてきますと夫婦喧嘩が起こったり、息子たちに煙たがられたりが始まります。まったく人間は厄介なもんです。

 そういえば、福井の西本先生も同じようなことをおっしゃっていましたね。先生の自坊は福井ですけど、東京に単身赴任しておられて東京教区の教化活動に邁進して下さいました。先生も福井に帰ると少しの間は大事にしてくれると言っていました。でも少し立つと、また女房の愚痴やらが始まって険悪になると。でも、「東京にいると会いとうなるし。寺に帰るといさかいが起きるし。行ったり来たりしているここが丁度いいんです」とおっしゃっていました。これは実感です。家族との距離感というのも大事なことですね。毎日会っていると、居て当たり前、つまり存在が自明化してしまいます。でもたまに顔を合わせる距離感であれば、出会いは新鮮です。出会いをいつまでも新鮮に保つためには適当な距離感が必要なのかもしれません。そういえば、端から見ると単身赴任は辛いだろうとお節介にも勘繰ってしまったのですけど、ご当人は案外そうでもないようですね、聞くところによると。仕事で遅くなっても、家族への気遣いもしなくてよい、勤め帰りに赤チョウチンに気兼ねなく入れるしと。まぁちょっと寂しさを感じるけど、実家に帰れば大切にしてくれるしと。これはもしかしたら、通い婚の復活なのかと思ってしまいます。

 確かに、芹沢さんは、これからは「個別別居型」の家族がやってくると言ってますよね。家族形態の歴史は、多世代同居型→単世代同居型→個別同居型→個別別居型へ展開しつつあると言ってます。中世の光源氏のような生活がやってくるのかもしれません。これは楽しみといっていいのか、あるいは由々しきことなのか、判断不能です。いずれにしても「家族の距離感」は今後の課題になるでしょうね。近すぎてもダメ、遠すぎてもダメなんです。小此木さんは「ヤマアラシのジレンマ」と面白いことを言ってましたね。ヤマアラシは愛したいから一緒にくっつこうとする。しかしくっつこうとすると体に生えている無数の針が相手に刺さってしまいます。離れていたのではお互いに温め合い愛し合うことができません。しかしくっつこうとすると針が相手に刺さってしまいます。このジレンマをそう呼んでいました。まあ自然に生きているヤマアラシはそんなバカじゃありませんから、ちゃんとお互いを愛することに何ら問題を感じていないのです。これもひとつの譬喩です。もしヤマアラシが聞いたら、バカにするな!と腹を立てることは間違いありません。でも、この譬喩は見事で、お互いがくっつこうとすると針が刺さってしまうというのは、人間の実感を言い当てているように思います。何が針なのかといえば、「愛」が針なんですね。ですから厄介です。毒が針であれば、人間は避けて通ることもできます。しかし愛が針だとすると、針が見えないんですね。ですから刺さった後に、しまったと思うわけです。人間の「愛」には、必ず「毒」が含まれていると言ってもいいのでしょう。エゴイズムという毒が。法語に「ひとを愛する心は、同時にひとを憎む心でもある」というものがあります。これを本堂に貼っておいたら、ある門徒の女性から尋ねられました。「住職さん、どうして愛する心が憎む心なんですか?」と。小生は、とっさによい譬えを思いつきました。「テレビで、よく不倫の事件をやってますよね。女優の○○さんが不倫していると。あのテレビを見ていても、へぇ〜そうだったんだぁと思うだけですよね。エ〜ッあのひととこのひとがくっついていたなんて信じられない!」と、興味津々でワイドショーを楽しみます。「でも、もしご主人が不倫をしていたらどうですか?」「それは怒りますよ!」と。「どうして他人の不倫には腹が立たないのに、自分のご主人だと腹が立つんでしょうね?」「…」「そこには、愛が絡んでいるからですよ」と。ご主人を愛しているから、恨むんです。タレントには愛を感じていないからなんともないんですよね。愛は、ひっくり返すと、恨みに転じる心なんです。愛は、よいことだ、ひとを愛することはよいことだ、もっと広げて人類を愛することはよいことだ、ということになってます。しかし、その愛には必ず毒があることを知っておかなければなりません。愛の反面は恨みで出来上がっているからです。

 相田みつをさんの詩にも「こんなにしてやったのに、のにがつくと、愚痴が出る」というものがありましたね。ボランティアで、介護のまねごとをやったら、被介護者があまりにわがままなので、腹が立ったという話を聞いたことがあります。「してあげている」という意識があると、「こんなにしてやったのに!なんであのひとは感謝しないんだろう」となります。そして「あんなにしてあげたのに、親切を仇で返されたんじゃ、もうやる気がしないわ」となってきます。適当に、遊び感覚でやっているうちはいいんです。でも、愛情を込めれば込めるほど、相手が感謝してくれない場合には、それが恨みに変化していくんですね。まぁこれは初心者のボランティアの場合に最初に直面する課題だそうです。ちゃんとした、プロのボランティアは、そのへんをうまく乗り越えているんですけどね。「プロのボランティア」というのも、ちょっと変ですけど。やっぱり、所詮人間は、ダメなもんだという認識が染みついていないとうまくいかないんですね。どうしても、相手を過大評価してすぎます。これだけやってあげたんだから、見返りがほしいとなります。はじめから見返りなんか出すような相手じゃないんです。感謝なんかするような相手じゃないんです。そんなに人間は立派なものではありません。親切を仇で返すのが人間なんです。まぁあんまり、そこまで腐してしまうと、もともこもないということになっちゃいますけどね。まあ、相手に期待しないことです。相手に期待して損をするのは自分自身なんですから。また親兄弟であっても、別個の人間ですから、自分は自分のできる範囲内で他者と付き合ってゆけばいいんですよね。やっぱり「他人とは浅く付き合え」とはよく言ったものだと思います。この他人というのは、家族も含めますよ。浅く付き合うことが大事です。最後はひとりでこの世を去って行かなければならないんです。だれも代わってもらえないのです。

「妻子も財宝も、ひとつもこの身にはあい添うことあるべからず。死出の山路をただひとりこそ、行きなんずれ」(蓮如)ですね。ですから完全な独立もできませんけど、完全な依存もできないんです。この距離感の妙を体得したいと思います。ただし、この「死ぬ」という厳粛な事実が、光として日常生活に差し込んでくれば、その距離感がおのずと出来上がっていくように思えます。以前はよく山に登ったものです。それもひとりで山行すると、孤独と人間のぬくもりとを改めて感じることができました。山行は死の準備トレーニングかもしれませんね。毎日、寝床に入るということも、死ぬ予行演習なんですね。48歳と42日たちましたから、生後17562日生きました。ということは死ぬ練習を17562回してきたわけです。しかしどれだけ練習をしても、本番にうまくゆくかどうかという保証はありませんね。まぁうまくいくということも、何がうまくいくことなのか、本当のところは分からないんですけどね。

2003年01月30日●

「身体をめぐる議論が盛んだ」と朝日新聞の「こころ」のページに載っていました。「情報化社会における身体の危機や、伝統的な身体感覚の復権なども指摘されている。体操や呼吸法など『からだを知る』様々な試みもある。そんな中、坐禅を通して自分を見つめ直そうという人たちがいる」というリード文があって、京都で参禅する大学生たちの写真が載っていました。全国で坐禅ができる禅宗のお寺は千カ所くらいあるそうです。坐禅は密かなブームになっているのかもしません。でも花園大学の学長は「日常生活の中で、いかに生きるかが禅なんです。単にいっとき坐るだけではだめ」だと言ってます。まぁ入り口としては宜しいのではないかと思います。特に、アメリカで仏教といえば、禅宗のことを指すくらいに坐禅がはやっています。キリスト教でも、瞑想は大事にしています。身体性を重要視しているんでしょうね。

 その流れに関して、阪大の鷲田清一さんのコメントが載ってました。「現代はメディアからの大量の情報で、身体観念の標準化が進んできた」と言ってます。つまり「正しい体・正しい発声・正しい肉体」という観念が先に合って、それに自分を合わせていこうとする強迫観念を生み出しているそうです。「健康な体とか、ウエストの締まった、かっこいい体などがよしとされ、その基準に合わせようと人々は懸命になってきた」と書かれています。確かに自分を振り返ってみれば、太り過ぎていると思っていますし、やせなければと思ってます。強迫観念までにはなりませんけど、困ったことだと思っています。身長178センチで78キロは肥満ラインギリギリなんだそうです。現代はダイエットブームで、「やせる」という話題には、人間である限りだれでもが関心を示します。飽食時代の嘆きのひとつになっています。しかしこの嘆きの底を覗いてみると、そこには「他のいのちを貪っているという罪意識」が横たわっているように感じます。豚は人間に食べられるために生まれてくるわけじゃありません。(あの「千と千尋の神隠し」に出てくる、お父さんとお母さんは豚に変身させられてしまうんですよね。かわいそう…。あんな豚を食べているのかもしれないなぁと、酢豚を食べてて思いました)殺人事件には人間はものすごい関心を寄せます。ひとがひとり失踪しても大騒ぎです。それにくらべて何万頭という豚や牛たちの殺命には無関心です。彼らのたましいが、人間に襲いかかって、みんなにダイエットを促し始めたのかもしれません。そして最後はひとり残らず、ダイエットの究極に追い込んで、餓死させるという反撃かもしれません。それは妄想かもしれませんけど。映画のシナリオにもなる筋ではないでしょうか。誰か映画化しないかなぁ。

 まあ、小生はに少し軽くならないと実害が出始めています。実は、正座してお経を読むのが辛くなりました。体重が増えてくると、すぐに足のしびれが切れちゃうんですよ。まったく。それで法事のときも、キョクロクという椅子にしました。もともと正座は仏教徒の坐り方としては異常です。どんなお釈迦様の仏像を見ても、みんなアグラですよね。まぁ結跏趺坐とか半跏趺坐ですけど。あれは長い間リラックスして坐ることのできる姿勢なんです。リラックスして初めて瞑想ができるのでしょう。それで、お寺では住職も門徒もみんな、イス席にしました。リラックスして初めてお経が体に染みてくるのです。ちょっと横道にそれますけど、あの読経の発声法は東洋独特のものらしいです。声帯を絞るようにして発声するのが東洋流ですし、声帯を開いて発声するのが西洋流です。そしてあの東洋の発声法は、超音波が出るらしいのです。ご存じのモンゴルに伝わるホーミーという発声法は超音波発声法なんです。驚いたことに松任谷ユミも出るんだそうです。それを機械で録音すると、その部分だけはどうしても録音できないのだそうです。まさに、ライブじゃないと響かない、決してコピーはできない発声法らしいです。小生も、不遜ながら超音波が出ているらしいのです。お葬式のときに、「今日の住職さんのお経を聞いていましたら、高い音と低い音が同時に聞こえてきたんですけど…」と話された門徒がいました。これこそ、超音波だと思ったのです。そして、この超音波が聴衆に響くと、聴衆の脳波にアルファー波があらわれるのです。つまり、リラックスして癒されていくわけです。これが読経の癒し効果なのだとあらためて驚いたのです。小生も、その発声法が必ずできるとは限りません。時と場合によってということなのでしょう。読経を大きな声で称えている自分自身も、意識が深くなってきて、ものすごく眠くなってくるのです。もう、横に布団を敷いてほしいと思うほどです。布団を敷いてもらえば一分くらいで熟睡できるだろうなぁと思います。それは別名「三昧に入る」ともいいます。サマディーのことを「三昧」といいます。意識が深くなって、あと一歩深まると睡眠の領域に入るのです。そのギリギリのところまで行ってしまうこともあります。周りから見ると、眠っているように見えるのですが、そうではないのです。三昧に入っているのです。決して、慣れと惰性からくるだらしない姿ではないのです。ここんところ、誤解ないようにね。みんな自分の体験した範囲内で人のことを評価しますから、三昧を体験したことのないひとにとっては、ただ眠っているとしか思えないんでしょうね。まあ素人のたわいなさとでもいえましょうか。まあその程度の誤解は許してつかわします。

 話を戻しましょう。さて身体についての感覚も、バランスのとれた精神に起因するように思います。美しさとか健康体のイメージは時代によって変わってきます。平安美人は太めですし、インドの美人も太めがよろしいということになっているようです。ですからその時代の強制を受けているわけです。この時代の大半のひとが素敵だと思っている女性は、誰がくさそうと、けなそうと、それは美人なんです。それは否定できないんです。美の観念や健康の観念は時代が決めているんです。その強制力に負けてしまうと拒食症や過食症になってしまうようです。ビューティー・コロシアム(テレビ)で、美容整形手術を受けて綺麗になるひとはいます。親からもらった大切な体を傷つけてと大人はいいますけど、やりたいひとはいるんです。でも、生まれた子どもの顔はどうしてくれるんだという不安は残るんですけどね。マイケルジャクソンも整形していて原型をとどめていないともいわれていますね。体はいくらでもいじれるわけでしょう。でも、それにともなう精神のほうが危ういんじゃないかと思うんですね。やっぱり、だれがなんと言おうと小生は少し太り過ぎです。しかし、せっかちに呑み、せっかちに食べてしまうんですね。なんだか短気なんです。ひとからは気長に見えても、自分は短気ですよ。自動車の運転をしていても、右レーンが空けば右へ、左が空けば左へとせっかちに走っている自分がいるんです。これは性分ですね。そういれば本願寺の八代目・蓮如上人も「ながながしたる事を御嫌いの由に候う」と言ってますから、だいぶ短気だったんでしょうね。

 もう一度話を戻しましょう。身体性の問題ですけど、オウム真理教への入信問題もひとつはそこにあったんでしょうね。超能力やらヨーガやら極限修行やら、身体性へ重きをおくものでした。そこには、観念は頼り無いというイメージがあるわけです。日本人はもともと「不言実行」が好きですね。理屈をつべこべ言わずに、態度で示しなさいとよくいわれましたね。先生に口答えもせず、与えられたエクササイズを黙々とこなすことが美徳となっていました。とくにこれだけ情報が氾濫しているなかにあれば、「自然」といいましょうか「身体」といいましょうか、そういう生のものへの希求は強くなりますね。そこへいくと真宗は「言葉の宗教」ですから、時代の流行とは逆行しているようです。まあ、真宗はこの世にある宗教を全部鍋にぶち込んで、グツグツに煮て、原型をとどめないくらいにクタクタにスープ状にして、それを漉して取り出したエキスの極限にある宗教です。全部やり尽くして、最後の最後に残った形が真宗なのです。ですから、真宗の中ををみれば、全世界のいわゆる宗教の形は、すべて存在しているのです。ですから、出発点から全部やり尽くして、そして360度に戻ってきた宗教最終の淘汰された形なのです。我田引水とといえるほどのことを小生は語っているんですけど、これは客観的に見えた姿です。べつにそれだから素晴らしいとか、真宗絶対と言おうとしているわけではありません。ただ、アニミズムから多宗教のすべての要素がこの教団には要素として入っているということを言いたいだけです。その最後の宗教の形は、外側から見れば、なんにもしていないのと同じように見える宗教です。特別な修行をするわけでもありません。菜食なんてとんでもありません。ちゃんと牛も豚もサカナも食べます。道徳的に何かをするわけでもありません。家庭をもって子どもも設けます。テレビも見るしお酒も飲むしキャバレーにもいくし、赤チョウチンにも行きます。現代人の一般的生活と一点一画も変わったところがありません。まあ何にも宗教的な事柄をやらないということも大変なことなんです。そしてこれこそが仏道行者だと豪語しているわけです。これは誤解を受けるのが普通だと思います。まさに「街に虎あらんが如し」ですね。虎が市街地にいたら大変ですよね。これは。

 すべて如来が行じて下さっているのだから、人間の出る幕はありませんよというのですから、とりつく島がありません。救いの原理は「お念仏を称えれば救われる」というものです。これほど安直なものはありません。ただ、その原理を「そうだよなぁ…」と腑に落ちるところまで信化するのが難しいのです。これは、観念の極難行、思想の極限修行なのです。形は現代人と一点一画も帰ることなく、お釈迦様の悟りと同等の開けを獲得するのですから、思想の極限修行にならざるを得ません。小生は、それを「サナギ」に譬えるのです。チョウチョが幼虫から成虫になるとき、なぜかしりませんが、「サナギ」という状態になるのです。それも幼虫とも成虫とも似ても似つかない怪物の形になるのです。あれは不思議な形ですよね。一時期はやった「ガングロ」とか「ルーズ」とか「茶髪」とか、いわゆる大人に顔をしかめられるような若者の風俗があります。あれもひとつの人と成長していく過程のサナギ形態だと思っております。それと別なんですけど、真宗の信心の行者は、外面は現代人とまったく変わらない。しかしその内面ではものすごい修行をしているのです。チョウチョも幼虫から成虫になるときには、外側からは絶対に見えません。しかし内側では、ものすごい変身を遂げているのです。それも、倫理道徳的に自分を善い人間にするために、早起きしたり、掃除したり、祈ったり、仏語をとなえたり、こころを平静に保とうとしたり、写経をしたり、などなどの目的志向型の修行ではありません。つまりイメージ的にいえば、こちらから目的に向かって励んでいくという形ではなく、真理がこちらに入ってくるための畑づくりをするという感じです。こちらから目的に近づこうとしたら、それは極限修行ではなくなります。こちらからは一歩も動いてはいけません。近づこうとしたら、それは極限修行ではなくなります。まあ真宗では「お念仏」を称えます。普通は「自分が称える」と思っているんです。この発想を基盤にして人間は生きています。「自分が生きているんだ」と。しかし、真実はそうではないというのです。真実は「何かが生きている」のです。その「何か」を人間は教育によって、「自分」と呼んでいるのです。呼んできたのです。でも、その実体はなんら自分とは無関係にあるのです。肉体は前世からの受け身形で存在します。いわゆるDNAというやつですね。すべて受け身形ですよね。心臓の鼓動も自分の意志とは無関係に、自分にとっては受け身形です。ですから、生きたくないと思っても、生きなければなりません。生かされちゃってるんですね。こういうことが真実なんですね。ですから、能動から受動へと転身する、その事が腑に落ちるまで考えるということが、極限修行なんです。まぁ「考える」ということも実は受け身形なんですけど。とにかく、こだわってこだわって「考える」こと。社会生活をしながら「考える」ということ、とことんこだわり抜くという極限修行なのです。人間は動物という本性をもっていますから、動いてしまうんですよね。動かざるを得ないんですね。動いていたほうが、考える時間が少なくて済みますからね。動かなければ、そこに光が差してくるんです。その場に。しかし光を探して動いてしまうと、せっかく光が届こうとやってきたときに、本人がそこにいないという状態になります。一歩遅れて光が届くので、その場の本人には当たらないのです。動くのを一歩待つ、するとそこに光が向こうから差してくるのです。これも譬喩ですけどね。メーテルリンクの「青い鳥」みたいな譬えですね。お前の目の前に青い鳥がいるんだよ、と言われても人間は信じないのです。それで全世界、いや宇宙まで動いて旅に出るのです。これが動物の宿命です。そして刀折れ、矢尽きて元の場所に戻ってくるんです。そうしたら青い鳥がいるのです。いままであまりにも単純で、純粋なものだったから、見えなかっただけなのです。そこには360度の転回というか、翻身という、人間にとって一番難しい極限修行があるのです。やっぱり、いままで見えていなかったものが、輝きをもって見えてくるということが、真実の宗教であるはずなのです。

2003年01月29日●

「迷う」ことの楽しみ

 とあるお店に出かけました。そのお店は初めて行くので、番地しか分かりません。根津一丁目はどこだろう?と探しながら行きました。以前のお家は、表札なり地番が書かれていましたが、ビルになってしまうと分かりにくいですね。根津二丁目から、恐らく不忍池方面だろうと思って歩いていくと、池之端に出てしまいました。なぜその方向だろうと推測したかというと、一丁目から二丁目、三丁目と番地が増えるに従って、皇居から遠くなるからです。この住居表示にも天皇制が関与しているのではないかとさとったのでした。小生の住んでいる東砂一丁目は皇居よりです。二丁目三丁目は皇居より遠いです。住居表示の中心に天皇があるようです。余談ですけど、天皇は選挙権も住民登録もないようですね。基本的人権が認められていないようで、かわいそうではありませんか。「天皇」は、病気にならないけれども、「天皇という位に就いている男性」は、癌になるんだと聞いたことがあります。これ、ちょっと難しいですかね。

 それはともかく、小生は逆方向へ歩き出していたのです。それで踵を返して不忍通りを北上したのです。近くで道路工事をしていたので、ガードマンに聞きました。しかし、「今日初めてここへ来たんで、分かんないっすよ」といわれてしまいました。あの道路整理のガードマンって地理はダメなんですね。いかにも道路の事なら安全に導いてくれるのかと思っていましたら、全然ダメなんですね。アルバイトで、派遣されて来ただけで、決められたマニュアルどおりに仕事をこなしているだけなんだそうです。なんだかガッカリです。 それから、路地に入ってウロウロしました。寒空の下で顔も冷たくなってきました。でも、道に「迷う」ということは味のあるものですね。あえて、あまりひとに尋ねないんです。まぁ、ひを待たせていたりした場合には、あまりやらないほうがいいと思います。あくまで時間に余裕のあるときにして下さい。恐らく自分は、この道を、一生の間に、二度と通ることはないだろうなぁと思えると、妙に感慨深いものがあります。一生のうち一度しか通らないだろうと思われる道は結構ありますよね。特に海外旅行で歩く道は、その感慨がひとしおです。絶対に二度は通りませんから。縁がなければという条件付きでね。

 いまではどこでも、表の大通りは車が主人公になっています。人間は隅っこを歩くんです。しかし路地に入ると、人間が主人公になれるんですね。大通りの表にはビルが立ち並び、車の窓からは、まるで人間の生活の匂いが消されてしまっているように見えます。しかし一本路地に入ると、まだまだ人間の匂いがあります。新宿通りの四谷界隈でもそうです。路地に入ると、人間の匂いがするものです。まして、太平洋戦争の空襲で焼けていない谷中界隈は、もっと人間の匂いがきつい気がします。小生の住む江東区は、ほとんど焼け野原だったようで、そのあとには碁盤の目のようにまっすぐな道が縦横に走っているだけです。直角に切れ取られた街は、どうも人間を圧迫するように感じます。それは誰がどこに住んでいるかもすぐに分かって、郵便配達も困らないんです。便利で、早く目的地に行けますし、多量の交通を可能にするのです。確かにそうなんですけれども、なんだか味気ないですね。やっぱり道は曲がりくねっていたり、行き止まりだったり、車が入れないような路地があったり、そうやってはじめて人間が住むことのできる街になるように思います。東京でも空襲で焼け残った場所には、まだまだ人間の匂いが残っています。その迷宮のような路地に分け入ってゆくと、あの「千と千尋の神隠し」でおなじみの、トンネルがあったりするかもしれません。あるいは「ラビリンス−魔王の迷宮−」に似た、入り口があるかもしれません。それにしても主演のジェニファー・コネリーは可愛かったですね。まったくデビッド・ボウイが憎らしかったです。ということで、「迷う」ということにも楽しみがあるという、お話をしてみました。蛇足ですが、人生も行方の知れない道行かもしれませんね。自分じゃ、迷ってなんかいないぞ、まっすぐ我が道を歩いているんだと言えれば最高ですよ。でも、なかなかそうは言えないというのも、本音のところではありそうですね。あるいは、迷えるなんていうのは呑気な話で、自分には目の前の仕事をこなすだけで日々忙しく、そんなことを考える余裕はないとおっしゃるかたもいらっしゃるでしょうね。まあ「迷える」というのは、若さの象徴かもしれません。その「若さ」は、肉体年齢じゃありませんよ。精神年齢のことを言っているんですけどね。「フリーター急増、200万人突破」なんて新聞に書いていました。これはやはり根底に「迷い」という次元を持っている人々の動きじゃないかと思いました。以前小生は、「日本人総出家時代」などと書いたことがありました。道を求め、さまよえる日本人というイメージです。フリーターは基本的に結婚しないようです。つまり出家僧侶のように妻帯せずに修行するのです。課題が鮮明にはなっていなくても、形はともかくフリーターは出家僧侶なのです。中世であれば、「捨て聖」といえましょうか。教団に属さずに、自分だけで悟りの道を求める人々です。法然も親鸞も日蓮も道元も栄西も、出家教団を去って娑婆へ出て行きました。ですから、このフリーターの中から第二、第三の法然、親鸞が生まれないとも限りません。「迷う」ということは、ものすごくエネルギーがいるものです。精神的若さがないと、迷うことすらできないのでしょう。迷いを晴らして、大道を歩みたいという願はわかります。しかし、それでは「迷い」を楽しむという余裕がなくなります。回り道には、回り道の楽しみがあります。この楽しみが分かるようになると、円熟してきたということなのかもしれません。間違いなく「死ぬ」というゴールは分かっているのですから、できるだけ直線でなく、回り道やら曲線で、ジワジワとノンビリと行きたいではありませんか。

2003年01月28日

●「大相撲、多国籍時代」?!

 貴乃花が引退して、後ろを見ると、モンゴルの朝青龍の横綱昇進が決まり、その後ろを見ると、韓国、グルジア、ロシア、ブルガリアと力士が多国籍化しているそうです。外国人力士は、総力士数の8%・52人だそうです。日本の国技である相撲も、やがて「とるのは外国人」、見るのは「日本人」という構図になりそうです。柔道も、そうですよね。オリンピックで活躍するのは外国人選手が多くなりました。これは嘆くことなのか、それとも時代の潮流なのか、よく分かりません。なぜ日本人の新弟子が生まれないのかという理由のひとつに「親が自分の子どもを厳しい世界に入れるのを嫌う」ということもあるようです。たしかに、日本の若者にはちょっと無理じゃないかと思います。ある意味で抑圧の反動として角界に入るということが多いようです。圧迫の一番の要因は、貧しさであるのかもしれません。テレビを見ていて思うんですけど、あの固そうな土の土俵をプロレスのリングに代えたらどうだろうと思います。そうすれば、怪我をするひとも少なくなるんじゃないでしょうか。あんな巨体がのしかかってきたら、土じゃ、ちょっと痛すぎませんか。いや、以前はアレで怪我する関取はいなかったんだ!と叱られそうですけど。怪我をすることでは、若乃花もよく問題にされました。

 怪我の理由は、力士の大型化と仕事の多忙化、つまり以前より巨体になっても、骨格は以前と分からないから怪我が多くなったという説です。それから、以前は怪我をしても静養する時間があったのに、場所数が増えた現在では、治療の時間や体を養う時間がなくなったというのです。「一年を二十日で過ごす、いい男」でしたっけ。それなら、なおさら、リングにすべきです。(ロープは取り外します)しかし相撲は神事ですから、それはできないんでしょうね。やっぱり地面の土が大地とつながっていないとだめなんでしょう。地上で相撲をとることによって、地面の中の邪気を破壊するという神事ですからね。ですから塩をまいて、お清めをするわけです。(ちなみに、真宗では葬儀の清め塩を用いません。(^^ゞ))もし日本人が相撲を取らなければ、邪気は退散しないということにでもなったら、どうなっていくんでしょうかねえ。だって女性は、土俵に登れないらしいのですから。女性は汚れているとでもいうのでしょうかねえ。でも、そもそも男性は、その汚れた女性から生まれてくるのですから、これまた汚れているんじゃないんでしょうかねえ。

 小生は仕事がら亡くなった方のお顔を拝見する機会が多いです。でも、みなさん安らかなお顔をされていますよ。エンバーミングのせいもあるんでしょうけど、やっぱりたとえそうであっても、安らかな顔になるようですね。だって、人間の顔は微妙な筋肉で表情が作られるんですけど、この筋肉は寝ていてもどこかしら緊張しているんですよ。しかし亡くなるとその微妙な筋肉の一つ一つ、一本一本がだらんと緩んで伸びてゆきます。そのためか、顔のシワも伸びて若返ったようなお顔もあるんですよ。不思議なもんです。笑みを浮かべているのではないかと思えるようなお顔もあります。やっぱり「人間」という生き物の苦しみをすべて終えたお顔なんですね。以前読んだ青木新門さんの『納棺夫日記』を思い出しました。青木さんは葬儀会社の社員で、ひとの嫌がる納棺という仕事に携わってきました。自らを「納棺夫」と呼んでいます。一生をまっとうした人の体を、柩にお入れするという尊い仕事です。初めの頃は、連れ合いにも仕事の内容は語らなかったようです。あるとき、自分がどういう仕事をしているのかが分かりました。それから夜の生活が営めなくなったと書かれていました。死者にふれるということは、人間に拒否感を生み出してしまうんですね。中でも圧巻は、死後何日もたったお婆さんの納棺でした。青木さんが、その方の部屋を訪ねた時、寝床に白く光るかたまりが見えたというんです。近づくと、それはお婆さんの死体で、全身にはウジがわいていました。このウジが朝日に照らされて、白く輝いていたのでした。キラキラと白く輝く、その姿が美しかったと青木さんは書かれています。小生も、ここのくだりには感動しました。またあるときは、若い頃恋心をいだいていた彼女のお父さんの遺体を納棺されたそうです。彼女にこんな仕事をしているところを見せたくない、恥ずかしいという思いで辛かったそうです。しかし、現実に仕事を済ませてみると、彼女から丁重なねぎらいと感謝の言葉が降ってきたといいます。これも、そうだろうなぁと思わされるところでした。まさに、実存のギリギリのところにある仕事なんですね。まあ、賞も取ってるんですけど、あまりにも素晴らしい本だったのでお寺にまとめ買いして、みんなに勧めました。でも、ほとんど売れないんですね。よくよく考えてみると、そんな内容の本なら読みたくないという拒否感があるようです。そんな死体にウジがわいているような、そんなリアリズムは見たくないというのでしょう。それもそうですね。小生のたましいは、いつもその実存のギリギリのところに漂っているので、エログロ全受容という態度なんですけど、一般のひとびとは、拒否感のほうが先になってしまうんですね。一般の人は、小生にくらべて生の遺体に接する機会はありませんからね。でも、拒否しているうちはいいんですけど、嫌だ嫌だと思っていても、自分もあの遺体になるんですよね。そういう想像力も大切ですね。死を推測することができるということは、一面には悲劇ですけれども、他面、如来からのプレゼントなんですよ。

 ほんとは、人間は、自分の死を知らないんです。いつでも他人の死を見て、こうじゃないか、ああじゃないかと想像しているだけなんです。死を体験するときには意識はありませんから、死を認識するということは不可能なのです。実践的には不可能なのです。ですから、決して知ることのできない死を想像するということが事実でしょうね。でも、なぜ死を思うということが大切かというと、逆に生が問われてくるからです。死を問うということは、生を問うことになるんです。そして、生は死によって支えられてもいるんだということが分かったくるんです。この「時間という観念」も死を想像することができるというところから生まれてくるんですよ。あるいは、今生きていてよかったとか、感動するとか、そういうことも死があるからなんですよ。以前にも書きましたけど、ドラマ「北の国から」を見ていてどうして自分が感動したのかを考えみたんです。あのドラマがもし牧場経営に成功して、主人公が長生きして、ジュンの結構もうまくいって、子どもが沢山生まれて子孫繁栄していたら、果たして感動しただろうかって。たぶん感動は起こらないでょしうね。やっぱり、見たくないことですけども、事業の失敗、病、別れなどの負の側面があるから感動するんですよね。人間は悲劇に感動する生き物なんです。その悲劇の親玉は「死」なんです。てずから、私たちは死を拒否して、なんのお世話にもなっていませんよ、という顔をしていますけれども、実は「死」の恩恵に浴しているわけです。お風呂の垢を見て下さい。あれは皮膚細胞の死骸なんですよ。皮膚は二十四時間営業で新陳代謝という仕事をなさっているわけです。ミクロの単位で全身を見れば、細胞は死につつ生まれ生まれつつ死んでいるのです。もし「死」ということがなければ、この「生」ということは成り立たないのですよ。そうやって、「死」を復権させてゆきたいと思っています。あるお婆ちゃんに、「あと100年くらい長生きして見たい?」と聞いたことがありました。そうしたら、「そんなに生きたくないよ。若いまんまならいいけどね…年取っていくんだから…」と。やっぱり、ものごとには「ほどほど」ということがあるようです。

 

2003年01月27日●

不思議の国のアリスが好き!

原作のルイスキャロルのものではなくて、ディズニーがアレンジしたビデオ版です。子どもが小さい頃、繰り返し巻き返し、一緒に見ていましたので、セリフまで覚えてしまったというありさまでした。見ていたというよりも、見せられていたというのが正直なところです。他にもディズニーのビデオはあったのですが、アリスが一番好きでした。床に股を開いて、そこへ子どもを入れて、よくビデオを見たもんです。全体のストーリーはアリスがラビリンスに迷い込んで、いろんな体験をし、最後にこの世に帰ってくるというスペクタクルです。もっと短く言えば、「アリスが見た夢の話」とでもなりましょうか。

 印象に残っているところをオムニバス風に語ってみたいと思います。「三月ウサギといかれ帽子屋のこと」。この二人がティーパーティーをやっています。そこへアリスが迷い込んできます。そのとき、二人の歌っている歌が面白いのです。「なんでもない日、万歳。万歳。なんでもない日、万歳、万歳。君とぼくとの何でもなかった日、何でもない日おめでーとー♪」という歌です。「今日は、君の生まれた日?」とアリスは聞かれます。アリスは「いいえ」と答えます。すると三月ウサギは「それじゃお祝いしなきゃ」と言って、歌い始めるのです。誕生日じゃないのに何でおめでたいんだと思いますよね。普通は誕生日にお祝いするもんだろうと。しかし、「何でもない日おめでとう」なんです。その理由はつべこべ言わないんです。全部が、暗示的に展開するんです。小生は、後で考えてみたら、それはそうだなと分かったのです。つまり、誕生日が誕生日として成り立っているためには何でもなかった日がなければならないのです。一年は365日ですが、364日は何でもなかった日です。でも、この364日があったからこそ、誕生日が成り立っているわけです。そうすると、「何でもない日おめでとう」となるんです。まさに、誕生日と同じだけめでたいことなんでね。アリスの物語は、すべからく暗示的というか哲学的に作られていました。これは単なるアリスの夢では全然なかったのです。

 それから、これは双子のダムとティムの話の中に出てくるもので、「セイウチと大工の話」というものがあります。場面は、海岸をセイウチが歌いながら散歩しています。この海岸は途中までが夜の月明かりで照らされ、途中から真昼の太陽の光で描かれています。そこに大工が、流木やら何やらで家を作ります。彼ら二人は牡蛎を捕まえて食べようというのです。家ができると、セイウチは海に潜っていきます。これも太っちょの紳士ふうに歩いて海に入っていくのです。そして牡蛎たちに歌を歌って聞かせます。牡蛎達は、歌を聞きたい、話を聞きたいという思いに誘惑されてセイウチについて海を出て、大工の立てた家へ入ります。もちろん牡蛎にも小さな顔がついているんですけどね。そしてセイウチがテーブルについて牡蛎に話を聞かせます。まさか牡蛎はこれから食べられてしまうことも知らないで喜んでいます。大工は調理場で、歌いながら牡蛎を料理する準備にかかります。そして準備をしてテーブルのセイウチのところへ戻ってきます。すると、セイウチは大工を出し抜いて、牡蛎をひとつ残らず食べてしまったのです。セイウチは「牡蛎の諸君、今日はほんとによく来てくれた、ワシャほんとに喜んどるんじゃ」とデブッちょのお腹を撫でて言うのです。それを聞いた大工はカンカンに怒ってセイウチを追っかけ、海岸の果てにフェイドアウトしていくというお話です。たわいもないお話なんですが、いつまでも心の中に残っているお話なんです。これは余談ですが、子どもたちが小さい頃、鴨川シーワールドに連れてゆきました。すると娘が走って、ひとつの檻の前に行きました。そして「パパーッ!ダイクがいるよ!ダイクだよ!」と叫ぶのです。何事だろうと思って、近づいてみると、そこには「セイウチ」が泳いでいたのです。その時まで、娘は「セイウチ」のことを「大工」だと思っていたのです。家族で大笑いしました。

 他にもたくさん、面白い場面はあります。チシャ猫のいたずらにハラハラさせられたり、アリスの体が巨大化したり小さくなったり、見ているものを飽きさせません。そして最後に、ハートの女王の兵隊に追われて、逃げて行く時のことです。ドアに鍵がかかっていて外に出られないんです。アリスがドアのノブを足を踏ん張って引っ張ります。するとドアが「痛い!」と叫びます。ドアには顔もついていて、ノブが鼻になっているんです。アリスはすぐそこまで兵隊が来ているから気が気じゃありません。「開けて!外に出ないと捕まってしまうの!」とかなんとか叫びます。そうすると、ドアは言うのです。「もうあんたは外だ」と。アリスが鍵穴から外を覗くと、木陰で眠っている自分に気づきます。そして「アリス、起きて!アリス、起きて!」と叫ぶ時、目が覚めて現実に戻ってくるのでした。この場面も印象的でした。自分は何ものかから逃げようとしている、しかしそのドアは開かない。本当は、もうすでに外側にいるのかもしれません。自分は内側にいると思っていますけど、もうすでに外側にいるのかもしれないのです。逆に、外側から内側へ入ろうとしているのかもしれないのです。この「内と外」というテーマが面白いじゃありませんか。昨日の話題とも重なってきますね。「淨土と娑婆」というテーマで考えると、ちょうど丼バチがあるとします。そして自分は丼バチの縁に立って、外側を眺めています。外側に淨土があると思って眺めています。外側から光が照らしてくるので、光の方に顔を向けています。しかし、フッと縁から内側を眺めます。すると丼バチの中がよく見えます。真っ白な白磁の陶器の表面がありありと見えます。光り輝く白磁の輝きがまぶしいようです。そして丼バチの縁に立っている自分の背中が暖かくなってきます。それは淨土からの光が背中を温めてくれたのでした。縁から外へ行こうとするすることは、実は闇への脱出だったのです。むしろ翻身して内側を見てみれば、そこには限りない光輝く白磁が見えたのです。「外にでたいの!逃げたいの!」というアリスに、「もうあんたは外だ。外には、本当の外はないんだよ。あんたは、外に真実があると思っているけど、実は内側にこそ外があるんだよ」とドアの声が聞こえるようです。

 小生は、おとぎ話や物語や映画が好きです。おとぎ話でいえば、舌切り雀や花咲爺やコブトリ爺やオムスビコロリンが好きです。なぜなら、すごく逆説的な知恵に満ちているからです。この手の物語には、必ず正直な人間とズルガシコイ人間とが登場します。たとえば、コブトリ爺でいえば、あまりにも楽しそうだったので鬼と一緒に踊りを踊ってしまった、それが功を奏して、結果的にコブをとってもらいます。でも、それを聞いたズルガシコイ爺は、コブをとってもらいたいから踊りを踊るのです。ここでは、本末転倒が起こっているのです。舌切り雀でもそうです。花咲爺でもしかりです。オムスビコロリンでは、たまたまオムスビがネズミの穴に転がって落ちました。その結果、ご利益を頂戴するわけです。しかしズルガシコイ爺は、ご利益が欲しいからオムスビを転がすんです。ここに人間のハウツーという知恵への批判があるんです。二番煎じは通用しませんよということでしょう。コロンブスの卵も、後からなら誰でも分かるんです。こういう逆説が、この手のおとぎ話には多く見られます。人間の知恵への批判であふれています。先ず初めに純粋に感じることが大事だという主張があります。そこには感動や驚き、エロスが充満していることでしょう。しかし、それを人間の知恵は、汚してしまうのです。結果のご利益だけを欲しがるわけです。プロセスは問わずに、結果のみを欲しがります。それは逆なんですね。素晴らしい仕事をした結果として金銭という価値がともなってくるのです。金銭を得るために仕事をしているわけではないでしょう。人間は、頭でそう考えるんですよね。「自分はお金のために仕事をしているんだ」と。しかし、現実には仕事の結果に報酬がくっついてくるんじゃないでしょうか。なかなか、とても金銭に見合った仕事はしていないなぁとつくづく思うことです。「お金のためだ」という考えが、仕事を汚してしまうのです。全然お金のためではありませんよ。あなたはあなたに与えられた仕事を、あなたの力量で精一杯やればいいんですよ。以前、都バスで学校へ通っていたとき感じたことがあります。バスの運転手さんの仕事ぶりは、ひとによって全然違っていました。路線バスですから、運転手さんは、同じ道を毎日、時刻にそって走らせます。でも、その同じことの繰り返しのなかでも、とても丁寧な運転手さんがいたんです。お客さんに、奥まで詰めて下さいとか、停車するから注意して下さいとか、右折するから吊り革につかまってとか。まあある意味ではうるさいくらいアナウンスしてくれるのです。面白かったのは、「学生さんは生成のいいひとから奥へお詰め合わせください」というものでした。これには乗客は笑ってしまいました。過剰なサービスなんですけど、小生はホノボノとした気分になりました。同じ仕事でも、個性によってまったく異なるものだなぁと感心しました。これはどの仕事にも通じることでしょう。仕事はルーティンの日常茶飯事でも、個性によってまったく変わってくるんですよ。どんなに機械的に見える仕事でも、そのひとの個性を封じ込めることはできないのです。あの運転手さんは、ただお金のために運転という労働を切り売りしているのだという虚無主義ではないと思いました。やりがいを感じて、個性をみなぎらせて楽しく仕事をしているように見えました。

 また、物語の逆説は信仰にも当然通じます。信仰に入るには、まず疑いが大事なんです。ご利益型信仰や依存型信仰で生きているのではないかと自分を疑って見て下さい。疑って、疑って疑い尽くして、そしてなお最後に残るもの、それを信じて見て下さい。それは、「ああすれば、こうなる」という人間のハウツー知性を超えるものであるに違いないと思います。知恵の輪のように、思わぬところからフッと、輪が抜けたりするんです。知恵の輪に力はいらないんです。輪が抜けるときには、他力なんです。アレッと思っているあいだに抜けているんです。でも、どうやって抜けたんだろうと自分でも不思議になります。これが信仰の面白いところなのです。※ここのところ、ホームページの日付が同じになってしまっていたり、すべて一月一日になってしまっていると、ご指摘を頂きました。これはウィルスのせいなんでしょうか?こまめにチェックしてみます。それから、誤字・脱字が多いという指摘もありますけど、自転車操業なんで、そのへんはお許し下さい。いろいろ、ご迷惑おかけしました。m(__)m

2003年01月26日

●信心とは「如来に背を向けること」

 どうしても、信仰へ入門するときには、「依頼心・依存心」がきっかけになる場合が多いと思います。「親の死に目に会えるからといわれて、信心してきました。神社の御札や、お寺のお守りをまつってきました。でも、結局親の死に目には会えませんでした。そのとき無性に腹が立って、その御札やお守りを踏みつけてやりました」。こういう方がおられます。信じればこういうご利益がいただけるという信仰を、依存型信仰といいます。信仰しているから、何事もなく生活できるのだという信仰もそうです。神様、仏様と取引をする信仰です。自分の、「ああなりたい。こうなりたい」という欲望をかなえて欲しいという信心は、仏教ではなくて、欲望成就教でしょう。でも、普通は、こういうのが信心だと思われているんですね。

 今から振り返れば、小生も、ご利益信仰で入門していたんだと思います。小生の場合は、劣等感に悩んでいましたので、信心さえ確立されれば不動の精神がいただける、フラフラしない自分になれるのだと思い込んでいました。つまり自己変革欲求で、信心のご利益を考えていたんです。そして、自分が信心を確立して変革したのか、しないのかというチェックが始まりました。歎異抄という親鸞の語録には「回心ということ、ただひとたびあるべし」と書かれているのです。ですから、回心という信仰の確立が経験できなければ、本物じゃないんだと思っていました。真面目になればなるほど、回心を経験したかしないかのチェックが厳しくなって、神経症的にもなりました。顔は暗く、背は丸く、行動がチグハグになってしまっていました。回心という一点が突破できれば、世界がガラッと変わって見えるに違いない、回心の体験が欲しいと思っていました。そういう精神状況で生きていますと、やはり何か体験するんですね。

 ある日、すべての物事の道理が解けた!という体験をしたのです。もう嬉しくて、嬉しくて、夜も眠れないという体験でした。あまりの感動で夜も目が覚めてしまい、とうとうお医者さんから睡眠薬をもらったほどでした。しかし、その体験も一週間くらいで色あせてくるのです。なんの感動もなくなって、体験が干からびてくるのでした。そんなとき自分に問うんですね。「アレ?あの回心の体験は、偽物だったの?」と。あの時の体験をもう一度思い起こそうとおもって躍起になるんです。しかし、手遅れなんです。手に取った砂が指の間からすり抜けてゆくように、サラサラと流れていってしまいました。さあ大変です。これじゃ元の木阿弥じゃねえか!となって、ハラワタがよじられるような不安が襲いかかってくるのです。あの体験は虚偽だったのだ、まだ回心は体験していないんだと化けの皮がはがれてしまいました。

 これもいまから思うと、本当に尊い体験をさせてもらったと感謝しています。もし、あの感動の体験がズーッと続いていたとしたらと思うと、逆にゾッとします。もし、共同幻想を受け付けられて、「それこそが、本当の回心の体験だったのだよ。君は生まれ変わったのだ」などと幻想を植えつけられた、これは一生を幻想の中で生きることになりましたから、恐ろしいことです。尊いことに、体験が色あせて下さったということに素晴らしさを感じました。「感動体験」というのは、予期せずに起こるものです。ですから、その体験事態は尊いものです。それがどんな体験であってもです。しかし、その体験を永続させようとか、自分だけに特別に起こったことなんだ、と自分に取り込もうとするときに、腐ってしまうのです。体験はもともと一過性のものなんです。それでいいんです。

 しかし、やっぱり、それも自己変革欲という欲望をかなえて欲しいというご利益信仰になっていたのです。ですから、信仰への入門は、必ず依存型の信仰にならざるを得ないという面があります。何も人生にストレスを感じない人には、分からない世界かもしれません。でも生きてるってことは、やはり苦しみを体験するということですから、この苦しみから逃れたいと思うのが自然なことだと思います。そこから足掻き、もがきしながら、信心の道へたどり着くのでしょう。

 それでは、いま現在のことを語ります。その依存型の信仰から抜け出るためには、一度その依存の心に破れなければなりません。さっきの方のように、「御札やお守りを踏みつける」ということが起こります。それは、神様、仏様が悪いんじゃないんです。自分の依存心で勝手に描いたご利益が、勝手に破れたのですから。初めから仏様は、そんな人間の欲望をかなえるとは言ってません。ここは微妙なところですが、「絶対の満足」は与えても、「欲望の満足」を与えるものではありません。まあ、一度は「神も仏もあるものか!」という関門を通らなければなりません。それはどうしても潜らなければならない関門だと思います。初めから、素直な信仰は存在しません。神や仏を踏みにじり、恨み言をいいたくなるのが本当です。それにしても、その方は「御札やお守り」を踏んづけたというんですから、よっぽど腹が立ったのでしょうね。普通は、そこまでやらないんじゃないでしょうか。普通は、御札やお守りは、保険みたいなもんだと考えていますから、それをもっていたからといって、自分の都合通りにはいかないんだと、初めから絶対の信頼は寄せていないんです。まあ、ないよりは、あったほうがいいくらいのもんです。また、たとえ御札・お守りがあって思いが叶わなくても、人間は、自分の努力が足りなかったのだとか、運が悪かったのだとか理由をつけては納得するようになっているんです。御札・お守りを踏んづける程の恨みのエネルギーは、逆に言えばよっぽど強い信仰になるはずです。如来を恨めば恨むほど、逆転したときには、強固な信仰になるに違いないのです。

 小生の場合、どうしても歎異抄の「回心ということただひとたびあるべし」という教えが、自己を縛ってきたのだと思います。この「ただひとたび」です。これをどう了解するかです。今まで小生は、この回心という体験を様々な体験に置き換えて考えていました。かつて映画を見た体験、山登りの体験、結婚という体験、美味い伊勢海老を食べた体験、パソコンを初めて使った体験、友人が自殺したという体験等々、様々な体験のように受けとめてきました。こういう種類の体験は、時間と共に過ぎ去って行く体験ですね。かならず、その体験は、「何月何日に体験したことです」と記述することができます。そうそう、そういうことを強調する宗教団体もあるようですから、危ないことです。この回心の体験というのは、その手の種類の体験とはことなります。いつでも、<現在>の体験なのです。かつてした体験でもありませんし、これからする体験でもありません。つねに<現在>の体験です。ですから、「何月何日にした」という必要がないのです。過ぎ去って行かない体験ですから、新鮮で腐ることのない体験です。これはもったいなくてひとには言えないことですけれども、言ってしまいます。実は回心の体験とは、時間論の転換なんです。時間観の転換とでもいえましょうか。小生はいままで、その「ひとたび」という言葉を、世俗的な時間の中で解釈していたのです。普通一般に感じているカレンダーの時間です。ですから、「何月何日」ということができます。しかし、ここに落とし穴があって、「何月何日」と過去の日を決めてしまうと、<現在>が腐ってしまいます。この「ひとたび」という言葉は、<永遠の現在>を暗示した言葉だったのです。<永遠の現在>の復活が、「回心の現在」という時間を生き始めることになるのです。実は、過去も未来も、すべてこの<永遠の現在>の中にあるのです。普通感じている過去や未来という時間は、虚像なんです。いま目の前に展開しているのは、過去も未来も含んだ<永遠の現在> なんです。ですから、流れる川の水のように、いつでも新鮮で腐ることがありません。ひとは確かにカレンダーという世俗の時間をもっています。しかしこれは、共同幻想が生み出した時間観です。時間が円環しているのか、直線なのか、それすらも共同幻想です。幻想だから、ダメだといっているのではありません。人間にとっては、あたかも現実として受けとめられる時間だという意味です。猫や犬やゴキブリの「時間」ではありません。人間だけにしか通じない、人間が共同で取り決めた約束事として、あたかも幻想のような「時間」という意味です。この計量可能なカレンダーの時間だけでは人間は生きられないのです。そこに「回心の現在」という時間を開かなければなりません。カレンダーの時間は、過去→現在→未来と流れます。でも「回心」の時間は、過去→現在←未来と流れます。これも譬喩ですけれども、時間の流れが変わるんです。そうすると、過去のすべては、かけがえのない現在を作って下さったものですし、未来すら、かけがえのない現在を満たしてくださる愛となるのです。それはそうなんですよ。ちょっと考えれば分かります。いま楽しい、いま生活が充実しているということになれば、過去は輝いてくるんです。だって、その過去があったからこそ充実した現在があるんですから。過去には感謝の念が起こります。その逆に、現在に不満があれば、過去全体が恨み言に変わってしまいます。「プロポーズ、あの日に帰って、断りたい」という綾小路きみまろの漫談がありましたね。ですから、過去を輝かせるかどうかの鍵は<現在>が握っているのです。

 いのちがビビッドに生き生きと生きている、この<永遠の現在>の開示をみんな望んでいるんだと思います。この時間にふれれば、初めて満足して、天を仰ぎ、地に伏すことができるんだと思います。それには、「如来に背を向ける」ことです。これも逆説的な譬喩ですね。ごめんなさい。真実に背を向けることです。人間は真実を求めます。しかし真実を見ることはできないのです。まぁ「真実」とは、如来とか仏様とか淨土とか真如という言葉の意味で使っているんですけど。真実に出会うためには、真実に対面して真実を求めていたのでは永遠につかむことはできないのです。方向を転換するんです。いままで光(=真実)に対面した姿勢を反転するのです。西日の太陽に向かっていては、日差しがまぶしくて逆光になります。見えるのは光だけです。ですから、景色は見えません。しかし反転して光に背を向けると、どうでしょう、太陽は見えませんけれども、景色がありありと見えてくるじゃありませんか。これが回心体験だと思います。光は世界にぶつかって初めて光となってくるのです。そして物が物として成り立つためには光が必要だったのです。「光の体験」と「世界の体験」とは重なっているのです。光の体験によって、初めて娑婆が娑婆として見えるといってもいいでしょう。光に包まれた娑婆は、つねに光を反射する対象物となります。つまり淨土を暗示的に表現している世界へと転身するのです。これ、専門用語では「方便の次元」といいます。

 もどります。ですから「ひとたび」とは、カレンダーの時間の中の「ひとたび」ではなく、<永遠の現在>としての「ひとたび」だったのです。別の言い方をすれば、「一生」といってもいいでしょう。「一生」であり、「瞬間」であるような<現在>の開示なのです。計量することを拒否する時間です。計量不可能な時間です。よく「いのちは長さだけでなく、深さをもっている」といいますね。この「深さ」の世界に関することなんです。90年間生きた人間と、3年間生きた人間とが、同じだと言えるのはどこでしょうか。世俗的にいえば、90年はよいことです。3年間は悪いことです。しかし、現実には3年間でこの世を去って行くひともあるのです。3年間でも90年間でも、同じ深さをもっていたのだという世界がなければ、救われないと思います。長さで善し悪しを言っていること自体が、亡き人への冒涜だと思います。長さで量れないいのちとは<永遠の現在>としてのいのちではないでしょうか。なぜ3年間しか生きられないのか。なぜ90年間も生きるのか。それは人間には知らされていないことなんです。最後は、「如来のみが知る」ということだと思います。そして「如来」にすべてを任せて生きるということだけしかありません。ここまで来た時の「任せる」ということは、条件付きの相対依存ではありません。完全依託なのです。まったくの信託なのです。

2003年01月25日

●昨日は、世田谷区が主催する「オウム真理教問題シンポジウム」に参加してきました。なぜ世田谷区かといいますと、オウム(現在はアレフ)の根拠地が世田谷区・烏山にあるからです。住民の不安を取り除くという行政の活動の一環でもあるのでしょう。サブテーマとして「なぜ若者たちはオウムに走ったのか」となっていましたから、単に不安要因を取り除くということだけではなくて、もともとのオウムの存在要因にまで迫ろうという試みでした。パネリストは立命館の安斎育郎教授・南山大学の渡辺学教授・北大の桜井義秀助教授・滝本太郎弁護士。コーディネーターとして江川紹子氏が登場しました。

 まあ初めに安斎教授の「科学と教育の果たすべき役割」という講演があり、その後に「オウム真理教問題から私たちは何を学ぶのか」のテーマでパネル討論がおこなわれました。そこで小生の印象に残った部分だけをコメントしてみたいと思います。安斎教授は、いわゆる「超能力暴きの旗手」とでもいった感じでした。実際にスプーン投げでスプーンを曲げる実演をしてくれました。現代物理学の証明した理論以外で起こる事象はすべてまやかしであると言っていました。学校の授業で、若い学生に「超能力はあると思うか」というアンケートをするそうです。先生の授業を受ける前の学生は70%くらい「あると思う」と答えるそうです。しかし授業後に同じアンケートを取ると20〜30%に減っているといいます。決してゼロにはならないといいます。それは「超能力があった方が、ないよりは面白そうですからね」と話していました。それから、若者の育ってきた社会の状況にも話が行きました。高度成長期に青年期を過ごしてきた世代が、いわゆる「オウム世代」といわれるそうです。(小生は、麻原と同年なんです)戦前までの価値観は、天皇のため、国のために死ぬという一本の柱がありました。あるいは封建的な村落共同体のなかで、結婚の自由・職業洗濯の自由、居住の自由がなかった人間たちが、戦後、都市部に移住し自由になった。確かに他人の目や世間の目、家の対面などからは自由になりました。しかしその反面、こんどは無規範・無秩序化してしまったといいます。つまり自由になるということは、どの方向にも生きられるわけですから、無方向ということでもあります。生きる価値観の多様化は、かえって不自由を生み出してしまいました。また物がなく貧しかったときには、物さえ手に入れればよかった、そういう価値観で生きられました。でも、物が豊になってくれば、もはやその価値観は通用しません。まして現代になれば、生まれたときにすべての物が用意されているのですから、何かを欲するということすら起こりにくくなってきているわけです。これは深刻で、かつて人類が経験したことのない大問題なのです。まさに「豊かさのなかの不幸」なわけです。

 その変からルーツ探し、自分探し、生き方探しブームが始まったのでしょう。その流れでオウムに若者が走ったということもあります。まあ社会がそうだからといって、必ずしもオウムに入るとは言いきれない面も残りますけどね。

 パネル討論の中で「他者性の欠如」ということが問題になってました。他人の目があたかもないように、電車の車内でお化粧をしたり、着替えたりする若者がいるとか、「旅の恥はかきすて」というようなことが、あらゆる場所で見ることができるとも言われていました。オウムの若者たちは、自分と教祖とは一体化しているけれども、横のつながりはまったくなかったともいいます。つまりグル(教祖)に気に入られるように、愛されるように自分を作ってゆき、まわりが目に入らないようです。それはグルのクローン化とも呼ばれていました。

 桜井教授が授業でNHK・教育テレビの「しゃべりば」の討論風景を題材に、論議の仕方を分析したそうです。そうすると、みんなが互いにしゃべっていても、対論になっていないことが分かったそうです。討論というのは、言葉のキャッチボールのはずなのに、みんなが同じ方向をむいてボールを的にぶつけているという感じだというのです。これでは対話になっていないわけです。これは、小生の家庭でも感じる問題で、若者だけの特徴だとは言えないと思いました。テレビの料理番組を見ていて、ひとりが「この料理美味しそうだね」というと、別の人は「そういえば、こないだ、ある店に行ったんだけど」となり、「洋食屋とレストランの違い分かる」となって、「出演者が美味い、美味いっていうけど、あれはきっと台本に書いてあるだけで、実感じゃないよね」となってくる。これは、普通の家庭の会話風景だと思います。でも対話・対論にはなっていません。ひとつのテレビ番組を見て、自分が感じた感想やら意見を述べ合っているに過ぎないのです。相手の言葉への共感やら、確かめはありません。つまり相手を理解しようとして話をしてはいないのです。ただ自分の感情を吐露しているだけです。つまり、まったく相手が存在していないわけです。自分とテレビしかない、他者は感想を吐き出すだけの便器になってしまうのです。ここには人間が不在です。悲しいことですけれども、私たちのおしゃべりはそうなっているのではないでしょうか。他人なんか関係ない、自分だけよければいいんだという風潮はこんなところにもあらわれているわけです。まあ、家庭のことですからなんでもありなんですけど、特別の対話の場所でも、そういう傾向がありますから注意したいものです。

 「教育」の問題も絡んでいるのかもしれません。現在の日本の学校では、「学問」ではなく「学答」になってしまっています。問いを学ぶのではなく、試験の答を学ぶということです。ですから、記憶力を延ばすことだけなっています。構想力・想像力・判断力・類推力などは、置き去りにされています。パネルのなかでも、マイナス×マイナスがなぜプラスになるのか?そんなことを考えることがないといいます。答が合ってさえいればいいということなんです。でも数学は論理学であって、物事の考え方を学ぶ場所なのに答の出し方を学ぶということになっています。以前、ハーバード大学だっかの授業風景をテレビでみました。学生は行儀はよくありません。床に寝そべって授業を受けいる子もいました。しかしみんな真剣で、先生と生徒が対話していました。先生が生徒に「なぜ、そう考えられるの?」と尋ねてゆきます。生徒はそれに対応して答えなければなりません。そして生徒は生徒なりの考えを苦心しながら作り上げていくわけです。そこでは答を教えてはいませんでした。なぜそう考えられるのか?という問いの出所を育てているように見えました。これなら、論理力や構想力が養えると思いました。日本の教育に欠けているところです。 それから滝本弁護士、このひとは有名人ですよね。麻原が言っていたことで本当のことは「ひとは死ぬ、絶対死ぬ、死は逃れられない」ということだけだと話していました。ある脱会信者がこう言ってもいたそうです。「オウムはおかしいということは分かりました。でも、それじゃ私はなぜ生きているんでしょうか?どうやって生きていったらいいんでしょうか?」と。まぁ様々な動機でオウムに入信しているわけです。勧誘されてとか、自分から本を読んでとか、ヨーガを通してとか。しかし、結局、死ぬのは分かっているのに、なんのために生きるのか?という疑問が根底にあって入信していくわけです。これは、脱会してもなお残る問題なんですよね。これは実に純粋な宗教心のあらわれですから、とても大事なことだと思います。その宗教心のあらわれ、つまり菩提心まで否定したのならば、もともこもありません。それに対しては、断固戦うべきだと思います。

 確かに、宗教はこの世を超えた世界をもっています。浄土教も「淨土」という世界観をもっているわけです。それはこの世を超越した世界観です。だからといって現世の世界観を破壊することはありません。現世の世界観を優しく包み込む世界観であるわけです。イエスが姦淫を犯した女性に対して、民衆に殺せとは命じませんでした。固定観念で作り上げた立法(法律)にも従いませんでした。そして、彼女のいのちを生きる方向へといざないました。まあ自分がこの世に来たのは、争いを起こすためだという過激な部分もありますけどね。

 オウムはあの世のために、輪廻転生を速める良きこととして殺人を犯しました。良きことと思い定めて殺人をしていたわけです。つまりこの世のことには無頓着であれというのです。ある修行者が、道場が汚れていてゴキブリが多いからなんとかしようと言ったら、そういうことにこだわっているようじゃだめだと叱られたというんです。この無頓着は、隣で殺人が行われていても、動じるなということへつながってくるわけです。生理的な清潔感や爽快感、そういう身体的な感覚はウソをつかないのです。そこに真実が顔を覗かせているわけです。親鸞浄土教は、この世は「方便」と受けとめます。つまりこの世は淨土のシンボルとして受けとめます。人間は、超越世界をそのまま認識することはできないのです。この世の次元を通して受けとめるわけです。この世の次元とは「言葉」であり「映像」であり「音声」であるわけです。「真実の淨土には『淨土』という言葉はない」と小生は言っています。この世を超越した淨土に、この世の言葉を通してふれるわけです。ですから、この世がシンボルとなり、とても大切なこととなってきます。いくら理詰めでこの世を早く去ることがいいことだと分かっていても、生理的に人間は死にたくないと思うものです。理性で考えることよりも、体で感じるほうが真実なんですよ。それを逆転してはいけません。宗教は、理性が加熱してきて、必ず理詰めでいく傾向をもつんです。「この世は仮のよだ、あの世が真実の世界だ。だから早くあの世にいくことが大切だ」と。これは理詰めでは分かるんです。しかし、我々のごく普通の生理的感覚でいえば、「死にたくない」ということなんです。そのときに、無頓着になれ、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」などという理性が真実であるかのような錯覚に陥ってはダメなんです。

 いつでも「頭は後、体が先」です。ですから、この世的なものが大事なんです。美味しいものは美味しい、快いものは快い、嫌なものは嫌といえることが大事なんです。それが生きているということなんです。ひとはこの世が大好きなんです。そのこの世大好きの凡夫にこそ教えが呼びかけくるのです。「この世は永遠ではないよ。必ず死ぬよ」と。そこで、この世から超越できるわけです。超越しても、超越しきってしまってはダメなんです。いつでもこの世に足を着けていないとダメなんです。つまり、美味しいものは好き、辛いことは嫌いという「この世性」に立脚していないとダメなんです。厳密に言えば、この世にも立脚しない、しかしあの世にも立脚しないということが正確かもしれません。ちょっと、自分の世界に深く入り込み過ぎました。

 それから「絶対的価値観に服従することが喜びなんです」という発言がありました。オウムに走った若者が欲していたのは、この絶対的価値観だといいます。これこそがこの世で絶対に大切なことだと感じられることという意味でしょう。これが見つかれば、この世は生きやすいですね。みんなある程度、絶対的価値を見出して生きているんです。たとえば、健康・家族・財産・友情等、これは絶対的価値になりやすいです。これさえあれば、他のものはなくてもいいというほど大切なものです。しかし、現実的には「アレもコレも」大切ということになっています。健康も大切だけど、家族も大切だし、お金もないとねとなっています。それをひとつにしようとすることが所詮無理なんです。でもオウムは、それをひとつにしろと強要したんでしょうね。人間は所詮デジタルにはできていません。ゼロか百かとはいきません。身体はそうなんです。でも、観念はデジタルを要求するんです。他人を見ても、ひとつ欠点があるからそのひとは全部ダメなひとかというと、そうではありません。どこかにいい面が必ずあるんです。人間はまったく程度の生き物です。白か黒かで判断できません。しかし「観念」は白黒を判定したいんです。ひとつ欠点があると全部ダメだと判定したいんですね。これが厄介なんです。程度を許すことができないんです。でも、人間は所詮「ひとに厳しく、自分に優しい生き物」です。人にはデジタルを要求するんです。でも自分はアナログで許しているんですよ。

 長くなったので、最後に一つだけ言ってやめます。信仰は「アレかコレか」というデジタルがないと成り立ちません。「アレもコレも」では成り立ちません。自分の宇宙軸を打ち立てる世界観はひとつです。でも、それを絶対化したとたんにドグマに陥るんです。自分が出会った教えは、自分にとっては絶対的であります。しかし他者にとっては、毒になるかも分からないということなんです。そこまで視野を広げていないと、毒をひとに勧めることになってしまうのです。ここに用心して欲しいのです。この「自分にとっては…」という相対的なとらえ方が大事なんです。それが宗教の健康性を保つ唯一の条件なんです。宗教は、やはり「超越」ということがテーマなんです。やはりオウムじゃないけど、この世を超えるんです。この世を超えなければ宗教ではありません。しかし、この世を超えて終わりじゃないんです。もう一度この世へかえってこなければならないのです。それで初めて「成熟した一神教」になることができるんです。それは「還相の問題」と専門的にはいいます。

 「行ったきりなら幸せになるがいい〜♪戻る気になりゃいつでもおいでよ〜♪」(沢田研二・『勝手にしやがれ』)、まさにこの還相の課題が、宗教の最後の、最後の課題なんです。

2003年01月24日

●死して生きる名前−法名

先日、ある門徒から、「死んだ時、法名をつけますけど、あれじゃ後のものが、自分の名前だと分からないじゃないですか?どうして生きてる時の名前じゃダメなんですか?」と尋ねられました。確かに、真宗では男性は三文字、女性が四文字が正式法名となっていますね。既成教団じゃ一番短いと思います。短いのを自慢しているんですけど。(^^ゞ)形じゃないんだ!信仰は!とね。(^o^)

 これは「釋親鸞」と親鸞が名のったことになずらえているようです。現状では、長い法名が立派だとか、御布施を沢山はらった証明書としてみんなに見せびらかしたいという欲求とかで、長いのがいいという風潮にありますね。これらは、全部信仰とは無関係の出来事ですね。

 確かに、法名は生前の名前と違いますから、後世のものには誰だか分からないじゃないかという面はありますね。特に、本山で帰敬式を受けて頂く「法名」は生前の名前が一文字も入りませんから、まったく誰だか分かりません。小生が、お付けする場合には、可能な限り生前のお名前の一文字を入れて、お付けすることにしています。まあ、これは両方の折衷案ということです。でも、カタカナ名や「トラ」とか「トメ」とか、「じゅり」とか、とにかく漢字の入っていない名前は付けにくいんですけどね。やはり後世の人が誰だか分からなくなってしまうのではないかという不安が、そのようにさせているのだと思います。

 だいたい、法名は生前につけるのが正式なんですよ。生前に、自分はお釈迦様の弟子となってこの世を生きていきますという宣言の名前なんですから、これは生前に決まってます。そうすれば、死んだ時に、御布施をボラれたというトラブルもないんですよね。とにかく、正式法名を付けないことにすべての問題の原因があるわけです。生前に法名をつけるというボタンをかけちがうと、すべてがチグハグになってしまいます。今は死んだ時に、法名をつけることが主流のように勘違いしていますけれども、これはあくまで、例外的なことだったのです。生前に法名を頂いていなかったので、遅ればせながら、もうほとんど無意味なことですけれども、例外的に死んだ後につけることも致し方ありませんということです。この例外的なことが、今日では正当だと勘違いされているんですね。

 どのように法名をつけるのですか?と聞かれるときもあります。小生の場合には、生前のお名前の一文字を中心に、経典やら仏教辞典やら、真宗聖典やらを繰りながら、あとはほとんど直感的にお付けしています。なぜか?と聞かれれば、やはり「直感でお付けしています」ということになります。なぜ、その文字を選んだのか?なぜそういう法名になったのか?という疑問には、根本的に答えられないのです。それは、自分が選んだ文字だといいながら、どこかで自分は選ばされているという面があるからです。ですから、選ばれたときには、自分を超えている、人間を超えているという面があるのです。現代人は、「何にでも理由がある」と勘繰ります。しかし、すべてを人間の頭で説明できるわけではありません。

 それにしても、どうして、生前の姓名ではいけないのですか?という疑問がまだ残りますね。一応、因速寺は、大前提が「真宗の信仰に生きている方の共同墓地」なのです。ですから、最終的にはすべての方が法名を名のるという前提に立っています。ですから、生前の姓名でお墓に掘ることはできません。法名には生前の文字がない、あるいは一文字だけ入っているということになりますから、後世には、そのひとが誰だか分からないということにもなります。まぁ最近の流行りで、お墓の側面に法名を刻むというブームがありますね。これは、必ず彫らなければならないというものではありません。ただ記録として、誰かがやりはじめたことが、現在では、「そうしなければいけない」という慣習を作り上げてきたのでしょう。別に彫らなくてもいいんですよ。

 そして、気がついたのです。法名を名のるということは、一度この世で死ぬということではないかということです。まぁ民俗学では、法名(戒名)をつけるということは、この世の命が終わって、あの世へ誕生することだから、新しい名前が必要なのだと解釈しているようです。あの世での名前、という具合に考えているようですね。それを死んだ時ではなくて、生きている時にやろうというのが、生前につける法名の意味ではないかと思うのです。つまり、この世の価値を中心にして生きてきたものが、淨土の基準で生き始めるという「死と再生の儀式」が、生前法名授与だと思います。一度死ぬということは、無名になりきるということだと思います。無価値に成りきるという体験だと思います。だれからも忘れられてよいという勇気の宣言です。無名になるといことは、空気みたいなものになるわけですから、誰からも忘れられていってもいいという勇気です。

 この世の価値は、自分を残したいのです。せめてこの世での名前を残したいという欲求は、誰かに自分の存在を知っておいてほしい、忘れないでほしいという欲望のあらわれなのです。それで姓名をお墓に彫りたいのです。自分の名を残すということは、些細な願いのようですけれども、そこに傲慢にも「お前たち、おれの名前をわすれるなよ」、もっと言えば「忘れずに、ちゃんと墓参りに来いよ!」という強要なんです。人間は地球が滅亡しても、自分の存在を残したいという欲求をもっています。この欲求に一度死ぬわけです。無名でいいと。その儀式が生前法名授与式(=帰敬式)なのですから、生前の名前が入らないというのが本当なんですね。一度生まれ変わるのですから、前の名前のままでは生まれかわれないじゃないかということになります。いずれにしても、生前に自分が何を一番の基準にして生きているのかということが問われます。生まれて、遊んで、学校いって、結婚して、子ども生んで、老化して死んでいく。これだけでは寂しい人生ですよね。ほとんど犬や猫などの動物と変わりません。まあ犬は学校へは行きませんけど…。人間は悲劇的にも、死ぬことを知っている唯一の生き物です。死ぬのが分かっていながら生きるということは、なんと悲劇的じゃありませんか。突き詰めて考えれば、人間は死ぬために生まれてきたといってもいいんです。しかしそれは悲劇的ですけれども、仏さまからの素晴らしいプレゼントでもあるのです。なぜなら、死ぬことを知っているから「いま生きている」ということが実感できるんですよ。死を知っているから、「時間」という観念を使うことができるんですよ。死を知らなければ、人間には「時間」という観念は生まれないのです。死ぬことを知っているから「生きる意味を考える」ということができるのです。死ぬことを知っているから、死ぬことに涙を流すことができるのです。死ぬことを毛嫌いしていますけど、死ぬことを知っているということの恩恵は計り知れないものがあります。どうか、みなさんも、生前に正式法名を名乗って下さい。因速寺では隔年に帰敬式をおこなっております。また本山では毎日おこなっております。しかし、法名を名のるということは、聞法するという宣言でもありますから、お寺の聞法行事、つまり永代経・報恩講・Bサロン・真宗会等に出席していただくことが条件になっています。本当は条件なんかいらないんですけど、こうでもしなければ、聞法してくれないんですよ。正直なところを言えば。いままで法名を授与されているのに、その方々がまったく聞法してくれないという、まったく寂しい実情に涙しているのです。住職としては、涙、涙(;_;)の現実なのです。(--)(__)

ですから、「こんなことなら、法名授与式(帰敬式)をやめてしまおう」と思っているほどなんです。でも、なんとか聞法の縁になってくれれば、と思って行事をしているのです。でもこれも片思いで…。なんとも、切ない気持でいます。

 「私は法名をもらいません」と言う人もいるんです。初めは簡単な気持で法名を頂きたいと思ってきたけれども、教えを聞けば聞くほど、そんな大それたことはできないんだと分かって、自分などは法名を名のる資格はありませんと言うんです。こういうひとこそ、本当の門徒だ、後ろ姿を拝んでいるんです。本音の本音を言えば、法名授与なんてどっちでもいいんです。聞法が習慣になればいいんです。そんなもんですよ。お釈迦様の遺言は、教えに遇ってほしいということだけなんです。なんで、そんなに教えに遇ってほしいと思っているんだろうと自分自身、問い返しています。これはなんなんでしょうか。別に教えに遇っても、ご利益が頂けるわけでもないのに…。なんなんでしょうね。これって。多分それは、「法の味」だと思います。法の味を一緒に感じたいという、これはまったくわがままな欲望なのかもしれません。

2002年1月22日

●寒い日が続いています。いま元気なのはサザンカの花くらいですね。北風に吹かれるのが、まるで楽しいように、たくさんの真っ赤な花をつけています。なんでこんなに寒い時に咲くんでしょうね。もっとあったかい時に咲けばいいのにね。そうか、目立ちたがり屋なのかもしれません。暖かい時には他の花も咲いているから目立ちません。こんな寒いときには私くらいしか咲かないのよ、私を見てよ、ということかもしれません。

小生の部屋の気温は低く、昼間でも7度くらいしかあがりません。電気ストーブで足をあっためて、オーバーをはおりながらパソコンのキーボードを叩いています。吐く息も白くなります。なんで家の中なのに、こんなに寒いんだ!と愚痴りながら、かじかんだ指を温めながら作業してます。

小生の一日は、朝起きて、パソコンのスイッチを入れることから始まります。メールのチェックをして、それからたまっている仕事をします。仕事といっても、文章をパソコンに打ち込む作業がほとんどです。お陰で、ここのところ視力が悪くなってきました。外出した時には、なるべく遠くのものを眺めるようにしています。それでも、遠くの人や文字はぼやけてしまいます。遠くで見かけても小生は多分、分からないかもしれません。失礼することがあるかもしれません。お許しください。決してシカトしているわけではありません。

小生は、コミュニケーション・ツールとしての「電話」が苦手です。電話がかかってくるとドキッとします。テレビを見ているときであろうと、仕事中であろうと、小生の都合はまったく無視して、電話のベルが怒鳴るのです。まったくの暴力装置が電話じゃないでしょうか。それも、誰からかかってきたのか、電話に出るまで分からないのですから。証券マンの勧誘だったり、セールスだったりしたときには腹が立ちますね。こっちの都合をまった無視するんです。そして、電話は受話器の向こう側の人間の顔が見えないんですよね。まったくの闇の向こうから声だけが聞こえてくるんです。そして小生も、その闇に向かって音声を出しているのです。相手の表情や身振りが分かりませんから、間の取り方がまったく掴めません。こんなことを言ったら、あいては気を悪くしているんじゃないかなぁとか。もっと強く断ればよかったなぁとか。なんで、あんな奴に丁寧な言葉づかいをしなけりゃならないんだとか。様々な心の動きをしているので、ヘトヘトになります。ですから、電話はやめて欲しいとねがいます。できれば、ご連絡はメールかファックスにしてほしいと思います。もちろん郵便もいいですよね。

ですから、電話に出る時は、小生は実に不機嫌な状態であることを承知しておいていただきたいと思います。だれが、あんな、電話なんて発明したんだ!とつくづく恨みたくなります。ですから、テレクラなんていうものとは、まったく縁がないのです。しかしですよ、先日、パソコンの操作が分からなくなって、サービスセンターへ電話したんです。そうしたら、担当してくれた女性の声が素晴らしんですね。電話で、操作のあれこれを聞いていたのですが、相手が答えてくれた詳細よりも、そのひとの声を聞いているだけで心地よいという状態を体験したんです。これは、相手の顔が見えないというのも一理あるんだと思いました。そして、テレクラに通う男性の気持も、たぶんここらへんにあるんじゃないかと想像したのでした。そのうちテレビ電話なんていうのが出始めて、主流にでもなったら、これはもっと厄介なことが起こるのではないかと思います。受話器を取る前に、よそ行きの格好をしなければなりません。だれから電話があるか分かりませんからね。お風呂から出たてに電話があれば、困ってしまいます。そういうときには、多分、観光地にあるあの穴の空いた人形が売れるんじゃないかと思います。顔だけだして記念撮影を撮るやつですよ。あれなら、テレビ電話でも大丈夫ですね。小生は、目だし帽を使おうかと思っています。でも、夏はちょっと暑いですね。これもこまった。「文明が発達して一番困っているのが人間なんです」という法語がありましたが、まったくそのとおりですね。まあ、物事、ことごとく一長一短があるものです。

2002年1月21日

●ものごとは努力によって解決しない クリシュナムルティ

この言葉は、河合隼雄さんの『こころの処方箋』の中で一番気に入っている言葉です。ブッディーサロンでは隔月に、この本を輪読して皆でおしゃべりをしています。まったく小生の立場から見ると、「他力」ということの妙味を平易に表現して下さっていると思います。そこで、ちょっと長いのですが、本文を紹介したいと思います。

                 

?相談にこらる人たちで、自分の努力が報われないことを歎く人や、できるかぎりの努力をしてみたが解決の緒(いとぐち)が見つからない、と苦しみを訴える人は多い。

 努力して努力して、後一息というときに思いがけない不運が生じる。あるいは、コツコツ努力を続けているのに誰も認めてくれない。

それに対して、努力もせずに派手なことをする人に皆は注目したり、ほめそやしたりする。問題解決のためにできる限りの努力をしても駄目、という人もある。

 息子がノイローゼになった。あちらによい先生が居られるときくと飛行機に乗っても相談に行く。よい施設があるときくと、巨額の金を費やしてもいれてやる。漢方薬も試みた、果てはおまじないの類にまで頼ってみたが駄目であった。これだけ努力しても解決策がないというのはどうしてなのか、と嘆きは深くなる一方である。

 確かにいくら努力しても報われないとか、不運としか言いようがないとか、そのような人が居られることは事実で、まったくお気の毒なことである。あるいは、努力しても努力しても解決の緒さえ見つからぬときもある。

しかし、翻って考えでみると、「努力すればうまくゆく」などということが本当に正しいのか、なぜそうなのかわからなくなってくる。

私は来談される沢山の人たちのお話を聴いていて、人間が自分の努力よって、何でも解決できると考える方がおかしいのではないか、と思いはじめた。

 このように、考えると気がついたことは、努力しても解決がないと嘆いている人は、そのために、自分の努力がたりないからだと不必要に自分を責めたり、

「こんなに努力しも解決しないのは、××が悪いからだ」と考え、他人や組織やいろんなものを憎んでみたり、

要するに自分の苦しみを倍加させている、ということである。

「努力によって、ものごとは解決する」という考えのために、自らを不必要に苦しめているのだ。 

 こんなことを考えていたとき、頭書の言葉に出会った。これは実はクリシュナムルチの言葉である。クリシュナムルチは最近に亡くなったインド生まれの宗教家・哲学者である。深い洞察に満ちた言葉を多く残しているが、そのなかで、「ものごとは努力よって解決しない」というのは、私の好きなことばである。

 子どものためにできる限りの努力をした、などという人に会うと、この人は、解決するはずのない努力をし続けることによって、何かの免罪符にしているのではないか、と思わされることがある。それは、何の努力もしないで、ただそこにいる、ということが恐ろしいばかりに、努力のなかに逃げこんでいるのではないか、と感じられるのである。努力などせずに、子どものために父として母として、そこにいること、 これは凄く難しいことだ。それよりは、飛行機に乗って偉い先生を訪ねて行く方がよほど楽である。

 あるいは、こんなことも考えられる。「努力よってものごとは解決する」と単純に考える人は「解決」の方に早く目がゆきすぎて、努力に腰がはいらないのである。野球の守備で併殺をしようと、ちらりと走者を見たばかりにエラーをしてしまうのとよく似ている。大事なのは、まず球を受けとめることなのだが、心は結果としての併殺、あるいは観客の拍手の方に行ってしまうので、せっかくの努力もミスに終わってしまう。人生では、このようなミスをしていても気づかずに、努力してもむくわれないなどと嘆くことになる。

 頭書の言葉が随分と好きになったので、よく口走っていたら、「それにしては、あなたはよく努力するじゃないの」と言われたことがある。それに対して、私は「努力によってものごとは解決しない、とよくわかっているのだけど、私には努力ぐらいしかすることがないので、やらせて頂いている」と答えたことがある。他にすることがないのでやっているが、別に解決を確信しているのではないのだ。

 努力によってものごとは解決しない、と知って、一切の努力を放棄して平静でいられる人は、これは素晴らしくて、何の言うこともない。努力とか解決とかいう次元は、この人にとっては関心事ではない。しかし、われわれ凡人は、努力を放棄して平静でなど居られない。

 いらいらしたり、そわそわしたり近所迷惑なことである。そんな状態に陥るくらいなら、努力でもしている方が、まだしもましである。それにひょっとして解決でも訪れてきたら、嬉しさこの上なしである。こう考えて、まあ努力でもさせて頂こうかとやっていると、解決が簡単に訪れないからといって、怒る気も嘆く気も起こってこない。解決などというのは、しょせん、あちらから来るものだから、そんなことを「目標」にせずに、せいぜい努力でもさせて頂くというのがいいようである。

(河合隼雄著『こころの処方箋』新潮文庫・所収)

いかがでしょうか?ほんとに河合さんが言うとおり「確かにいくら努力しても報われないとか、不運としか言いようがないという人が居られることは事実で、まったくお気の毒なことである。あるいは、努力しても努力しても解決の緒さえ見つからぬときもある」。これは実感ですね。うちのご門徒でも、身内でお葬式が続くとか、病にかかるひとが多いとか、事故や災難が続いてしまうひとはおられます。そんなとき、「御祓いでもしてもらおうか?」という気持になっても不思議ではないでしょう。それで気が済むのであれば御祓いもいいでしょう。ただ、おかしな拝み屋さんにいって、「お前の前世が、悪いのじゃ!」と脅されて、法外な料金を取られないように注意してください。

 人間は、「こんな不運に遭うのは納得いかない。別に悪いことをしたわけでもないのに」と考えたくなります。悪いこともしないのに、なんで私が、なんで身内が、こんな目に遭うの?と必ず疑問を持ちます。不運の意味を納得したいんです。納得させてくれる拝み屋さんもいるかもしれません。しかし、それは人間には分からないことなんですね。「分からない」と任せる世界がないとスッキリできないんですね。そしてなんとか辻褄の合う答えを導き出そうとします。しかし、その辻褄を合わせようとする意識が深まっていないので、所詮一時しのぎに終わってしまいます。

 そんな「辻褄を合わせようとする意識」を河合さんは「人間が自分の努力によって、何でも解決できると考える方がおかしいのではないか」と指摘しています。一+一=2という考え方なんですよね、それは。そして努力が足りないから、自分の行ないや生活態度が悪いから、ダメなんだと自虐的になって自分を責めたり、あるいは、これだけ努力しているのに報われないのは、会社が悪いから、世間が悪いからだと外を責めたりするんですね。それを「『努力によって、ものごとは解決する』という考えのために、自らを不必要に苦しめているのだ。」とおっしゃっています。

 ここでお話されている「子どものためにできる限り努力をした人」は、子どものために東奔西走します。しかし、「何の努力もしないで、ただそこにいる、ということが恐ろしいばかりに、努力のなかに逃げこんでいるのではないか」という指摘は凄いですね。家族は、子どもに対して、黙って「そこにいる」という関係を保つ場所だと思いますね。ちょっと前までは、過保護とか、過干渉ということがテーマになりました。あるいは「シツケ」という名前で、暴力が肯定されてもきました。親は、シツケや過保護を「愛情」だと勘違いしてきたんです。愛情は恐ろしいものです。なぜなら、誰からも批判されないからです。子どもに愛情を注いでなんで悪いんだと逆ギレされるでしょう。愛は善に結びつきます。しかし、批判されることのない善は、暴力も善に変えてしまうのです。恐ろしいことです。宗教というのは、そんなとき、如来とか神や仏様という超越者から、必ず批判を受けます。人間の善は、偽善であるぞ!という批判です。この批判を受けるから、愛に隠れた暴力が見抜けるのです。(ブッシュさんは、神の批判の声を聞かれているのでしょうか)

 でも、「親として、母として父として、ただそこにいる」ということほど努力がいるものもないのです。むしろ、努力というのであれば、こっちにこそ努力すべきなんです。愛情で子どもに関わりたい気持を押さえながら、手出しをせずに、黙って子どものそばに寄り添っている。これこそ至難の業でしょう。外側からは放任に見えても、そんな脅かしに挑発されずに、ジッと黙って寄り添うのです。それこそ子どもへの本当の信頼でしょう。

 それから、最後の言葉がいいですね。「努力によってものごとは解決しない、と知って、一切の努力を放棄して平静でいられる人は、これは素晴らしくて、何の言うこともない。努力とか解決とかいう次元は、この人にとっては関心事ではない。しかし、われわれ凡人は、努力を放棄して平静でなど居られない」と。確かにそうですね。やっぱり、いろいろと努力してしまうんです。泰然自若として生きてはいけないですよね。仙人じゃないのですから。毎日、次から次へと起こってくる様々な事件や出来事や仕事に追われて、努力しながら日々を送っているんですね。(このホームページの更新も、努力なしにはできないでしょうね。これは自画自賛でしたか。(^^ゞ))

 末尾の「まあ努力でもさせて頂こうかとやっていると、解決が簡単に訪れないからといって、怒る気も嘆く気も起こってこない。解決などというのは、しょせん、あちらから来るものだから、そんなことを「目標」にせずに、せいぜい努力でもさせて頂くというのがいいようである」、これが軽妙洒脱ですね。まあ、やることもないから、努力でもさせてもらおうというのは、余裕ですね。そして解決は「あちらから来る」というところは、まさに他力の妙意です。思わぬところから解決の緒がほどけたり、発見があったり、相手が変化したりするんですよね。この「あちらから」という言葉が、そのとおり!と感心したところです。そして、「努力でもさせて頂く」という態度がまたいいですね。自分が力んで、努力するんだと刻苦勉励していませんよね。余裕をもって、目の前の事態に丁寧に接していくという態度です。

 河合隼雄さんは心理療法家ですけれども、宗教者の風貌を感じますね。どうしても、人間の臨終を知っている人だと思います。死という待ったなしの時間に接しながら、ひとはみな生きているんだということを知っているひとです。死は待ったなしですし、人に代わってももらえません。カウンセリングのクライエントにセラピストが代わることはできません。そのひと自身が、その人自身の内部で熟成する治癒力で乗り越えてゆかなければなりません。

 まったく「ものごとは努力によって解決しない」という真理を体得する努力こそ、今日、必要な気がします。

2003年01月20日

●昨日は、因速寺の護法会役員の新年会でした。ホテル・イースト21で行いました。17名の出席で、前田奈美さんのマジックショーもあり、また、都会議員の柿沢未途さん、そしてお父さんの衆議院議員・柿沢弘治さんも出席していただきました。柿沢さんは代々因速寺の御門徒で、役員も勤めて頂いています。いつも、「やがて私も皆さんと一緒のお墓に眠ることになっています」と親しくお話ださいます。柿沢さんのお父さんもお元気で、今年98歳になられるそうです。皆さんに、ご協力いただき、ご支援を賜りながら因速寺も信心の世界を発展させてゆきたいと願っております。

昨夜、小生と役員数名は、三次会までゆき、今朝は頭が痛いこと、痛いこと。しかし、10時から親鸞仏教センターへ出勤せねばならないので、水分をたくさんとって、いざ出陣しました。明日は、鷲田清一先生が大阪からお見えになりますので、港区の愛宕までお話を聞きにゆくことになっています。夜は、専福寺の歎異抄の会で講話を頼まれています。まったく、次から次へと、まったく休みのないのがお寺というものなんですよ。土日くらい休みたいと思いますが、やっぱりご法事が重なってきますので、それもできません。そこに追い打ちを書けるように、通夜・葬儀がおとずれてきます。あんまり忙しくなると、「いいんだ、いいんだ、自分だけ我慢すれば…。それでうまくいくんなら、自分だけ貧乏クジでもいいんだ(>_<)」と、いじけたくもなります。まぁ合間を縫って息抜きもしているのが、実情ですけどね。キリスト教が一週間という単位を作ってくれたんですけど、まったくその単位で動いていないのが寺なんです。まぁ、仏教徒はキリスト教には世話にならねえんだと、強がってみても、やっぱり休まないと人間、バカになってしまいます。いろいろ、仕事が重なってきたときには、どうしても、愚痴っぽくなったり怒りっぽくなってきますね。そんなとき、スカッと気晴らしをして、心機一転、という気持にさせてくれるのが、「一瞬先が闇だ、死だ」という如来の声です。

どうせ、「人間」やってるのも、ほんの少しの間だよ、明日には死んでしまって、存在していないかも知れないよ、すぐ楽になれるよ、という声です。その声が聞こえてくると、フッと我に返って生きる勇気が湧いてくるのです。明日も、明後日も、この苦役が永遠に続くのだという思いがやってくると、いじけたり愚痴っぽくなりますね。でも、「一瞬先が死だ」ということに改めて気がつくと、生きる勇気が湧いてきます。明日はないんだ、ということがハッキリしてくると。生きる勇気が湧いてくるというのも、おかしなもんですね。でも、事実そんなんですよ。

花火のような人生といいますけど、どのみち人生は花火ですね。ヒユーッと打ち上げられて、ドーンと鳴って、パーッと花開き、シューッと消えて、闇夜に吸い込まれていくんですね。そして跡形もなくなって、すべて透明になっていくんです。これは素晴らしいですね。まさに「一瞬芸」です、人生は。テレビを見ていても、感動したり、驚いたり、感心したりしますけど、全部一瞬ですね。また芸術も一瞬ですね。歌も、絵画も。文章も。本を読んでも、文字は印刷物としてとどまりますけど、それを読む読者は、一文字しか見ていないんですね。どんなに分厚い文庫本でも、読者が接しているのは一点の文字でしかないんです。その文字が、読者のこころのなかに、展開して、読者のこころに感動が起こってくるんです。それも一瞬ですね。どれほど美味しい御馳走も一瞬ですね。喉元過ぎれば味も何もありません。お酒だってそうですよね。喉から下へいってしまえば、ただ満腹感や満足感が残るだけです。春には満開の桜も、数日間で散ってしまいます。すべては「一瞬」のなかにあるだけですね。自分の未来を見ると、まだまだ先があるように思いますけど、過去を振り返れば、ほんの一瞬の出来事ではないでしょうか。

普段は忘れてるんですね、この「一瞬」ということを。そしてあるときフッと思い出すんです。アーッそうだった、明日はないのだと。「明日ありと、思う、こころの、あだざくら、夜半に、嵐の、吹かぬものかわ」。これは親鸞聖人が9歳で出家するときに詠んだという伝説の詩です。肉親がなくなるとか、不慮の事故にあうとか、そういうときには、そのとおりだなぁと思います。でも、これはなんでもない日常の真実を言い当てた言葉だと思います。「明日はないのだ」という声なき声が聞こえてきた時、また明日も生きてみようという勇気が湧いてきます。それは私だけのことではありません。いのちあるものは、すべて「明日はない」という事実を生きているのです。明日もあり、昨日もあり、という連続観念がひとを生きずらくしているんですね。明日もない、昨日もない。すべてないのだということが本当でしょう。自分すら本当はないんですよ。普段、自分なんか忘れて生きているのが私たちです。よっぽどのことでもないと、自分なんか思い出さないもんなんですよ人間は。恋人が死んでしまっても、悲しい悲しいという思いしかありません。自分が恋人を一方的に盲愛しているに過ぎません。私はそこにはありません。ただ悲しい思いだけです。自分を振り返るということは、まったく至難の業なんです。まぁ鏡に写っているときぐらいは、アーッ自分はこんな顔してるんだと思い出しますけど。忘れている時間のほうがよっぽど長いんです。人から圧迫されたり、批判されたり、けなされたり、そういうストレスがかかった時だけ思い出すんですね。ただ、生きているのは「意識」が生きているような気がします。あるのは「意識」だけでしょう。なんだからよく訳の分からない意識です。「観念」です。

東京には、大地がありません。コンクリートにすべて覆われ、アスファルトに覆われ、まったく生の大地はありません。大地から遊離した生活を「観念」は送っているんです。昨日も話していたのですが、公園で砂場遊びをしている子どもがまったくいません。大地とともに、泥んこになって、裸足で砂遊びをするという子どもがいないんです。これにはゾーッとしましたね。以前、猫を飼っている門徒のひとがいっていました。猫が病気になったときには、家の中で看病してはだめだと。猫は表に出して大地に返しなさいと。大地に帰ると、猫は自然治癒力が増すのだそうです。一見、冷たいようですけど、それが猫を本当に愛する作法なのだと言っていました。これは、猫だけではないようです。人間にも当てはまることではないでしょうか。

2003年01月19日

●この世は、まるで夢の中のようなものです。なんであの人が癌にかかり、なんであの人が交通事故で亡くなり、なんであの人が殺されなければならないのでしょうか。その理由は分かりません。夢の中では、知り合いの顔が、急に違う人に変わってしまったり、トンネルを抜けたら水の中だったり、火事で逃げ回っていたら花畑だったりと奇想天外です。この世もそんなもんです。なぜか分からないという事だらけです。分からないことの方が圧倒的に多いようです。分かっていることのほうが少ないといえるのではないでしょうか。

旧約聖書に「ヨブ記」があります。ヨブは、それこそ真面目で誠実な信者として生活しています。神様に愚痴をいったり呪ったことがありません。そこにサタン(悪魔)がやってきて、神に言います。「神様、ヨブが神様を信じて敬うのは、神様がヨブに財産を与え家族を守ってやっているからです。もし、その財産や幸福がなくなってしまえば、ヨブは神様を呪いますぜ」と。それならということで、神はサタンに向かって、やりたいようにしろといいます。サタンは、ヨブの家族を殺し、財産を奪い、彼自身を病気にします。まったくの不幸のどん底にたたき落とします。しかし彼は神に対して愚痴を言いませんでした。「わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」とさえ言います。最後には、神はヨブを「私の僕」と誉められて現状回復し褒美をやるという結末になっています。

まあ物語ですから、面白いのですけれども、神様が信者をためすなんて、ちょっとそれはないんじゃないですかという感じがしました。なんだかサタンと神様が賭をしているようにも見えますね。神様が「どうだサタン、やっぱりヨブは裏切らなかったな。俺の勝ちだな」と。まあ仏教は、神様という絶対者が世界を作ったということもいいませんから、私たちが幸福なのも不幸なのも、因縁によるといいます。地球や世界がこのように現在あるのも、それは無始以来の過去からの因縁によるのだと答えます。誰かがいて、つまり、如来とか神さまが作ったものではないといいます。因縁という原理があるだけであって、創造者がいるわけではないと。ですから、この世で事故に遭ったり、病気になったりするのも過去の因縁によるとしかいえません。自分の行ないが正しいからとか、正しくないからということとは無関係です。それはタバコを長年吸ってきたから肺ガンになるという因果関係はありましょう。しかし、それは絶対ではありません。長年、タバコを吸ってきてもなんともないひともいるんですから。それは癌にならないという因縁もあるのでしょう。また癌になるという因縁もあるんでしょう。それは人間には分からないことです。まあある程度のことは、因果関係を解明できても、すべて解明できるわけではないでしょう。たとえDNAで遺伝情報が解明されたとしても、そのひとの生育歴、生活環境がひとそれぞれ異なりますから、絶対に因果関係が分かるということはないと思います。

やっぱり、どこかで、「いま死んでもいい。やり残したことはない」という腹の座りがないとダメなような気がします。まあその場の、土壇場になったら、「いや、生きたい!」といって撤回するかもしれないんですけど、それはそのときのことです。ただ「いま死んだとしても、これでいいんだ」というようなことが、生きる根っこにないとダメだと思うんです。ですから、家族に対して、死に目に会えようが会えまいが、どっちでもよい。いままでの自分の生き方をここまで示してきたのだから、死に目に会えようが会えまいがどちらでもいいように思います。それは極めて、いままでの生きざま、生き方を全部さらけ出して生きてきたかどうかに関わる問題だと思います。今までに示してきた自分の生きざま以外に自分はありません。これ以外にないんです。

私は、実は、「今」という時間しか生きていないのです。過去など、どこを探してもありません。記憶と記録があるだけです。未来といっても、絶対にないんです。未来といって考えている今があるだけです。この今というものが充実していないと、今が過去と未来に引き裂かれてしまいます。未来は「取り越し苦労」に、過去は「後の祭」に引き裂かれてしまいます。まあ確かに、自分の人生を振り返れば、「後の祭」ということもありましょう。また「取り越し苦労」ということも多々あります。たとえそういうものがあったとしても、大丈夫という「今」を取り返すべきです。実際に、自分が生きている時間は「今」しかないのですから。過去と未来の亡霊におびえることなく、充実した「今」を取り戻すべきです。普通、人間は時間というものを、未来から過去へと流れ去るイメージでとらえています。小生は、そのイメージだけでなく、もうひとつもっています。それは「今」というマンホールに未来からと過去から流れ込んでくるイメージです。過去と未来が今を充実させてくれる中身になってくれるということです。不思議なことに、「今」が満たされている場合には、過去は恨みごとになりません。もし「今」に恨みが混じっていると、過去は後悔=後の祭という苦渋に満たされてしまいます。

新鮮な「今」を取り戻しましょう。気がつけば、誰のところにも「新鮮な今」があるんです。アッ、ヒヨドリがさえずりました。たったいま鳴いて、どこかへ飛んでゆきました。永遠からやって来た「今」、そこにヒヨドリの声が響きました。もうヒヨドリはいません。一瞬の出来事です。その一瞬に自分の人生もあるのでしょう。地球の寿命は65億年とかいいます。それにくらべれば、小生の一生は瞬きの時間にもなりません。常に永遠と対話してゆきたいと思います。娑婆の時間だけで見ていては見えません。娑婆の時間を超えて永遠から見られた「今」を回復してゆきましょう。

2003年01月18日

●明日が世界の終わりでも、わたしは今日リンゴの木を植える。

この言葉は昨日の賀来先生のお話に出てきたマルチン・ルターの言葉です。いい言葉だと思います。明日、大地震が来ようと、地球が滅亡しようと、たとえそうであったとしても、自分はいまリンゴの木を植えたいという究極の希望について語っています。とくに末期の患者さんであれば、明日は間違いなく病気が悪くなっていくわけです。それであっても、今日リンゴの木を植えようという希望がどのようにして開かれるのか?これは大変な問題だと思います。

やはり、どうしても、いっぺんこころが死なないと、その希望は生まれないように思います。ただ死ぬのではダメで、大きな神話(物語)へ身を投げることで死んで行くのだと思います。そこはやはり宗教の世界への突入だと思います。宗教は、緊急事態になったひとに開かれてくる世界です。日常的な世界より、非日常的な世界のときに開かれてくるのでしょう。ですから、自分が安穏としている間はなかなか響いてこないものです。教えを聞いても、「誰かに向かって語ってるんだ」と思っている間は聞こえてきません。まさに「私のことを言って下さっていたのだ」と聞こえてきたとき、真向かいになるものです。

浄土教は阿弥陀物語を持っています。ひとはみんなこの世を去ってアミダ如来のお浄土に生まれるのだという神話です。私たちのいのちは、どこから来たのか。両親から、その両親は前の両親から、どんどんいのちをさかのぼっていくと、アミダ様まで行き着いてしまいます。一番最初のいのちの生みの親を仮りに、アミダと名づけるのです。そのアミダから生まれた私たちは、この一生を終えると、また最初のお母さんであるアミダ如来のお浄土に帰るのです。この一生は、その途中の出来事なのです。ただ、その物語を受け入れたものには、その物語を生きる利益が与えられます。

その物語の世界に身を投げるわけです。それは事実ではなくても、そのひとにとって真実になればいいんです。まったくそれは個別的なことでしょう。人に代わって自分の人生は生きてもらえないように、まったく究極の個別の世界です。この世でいいことをしたからいい世界へ生まれるのではないのです。どんな行ないをしていようとも、その物語を受け容れさえすればいいんです。

いわゆるあの世についての物語をどう作るかということが、死を迎えるに際しては大事なことだと思います。必ずしもアミダ物語を受け入れられないというひとは、自分で物語を作らなければなりません。先に夫が、女房が、あるいは両親があの世に行っているからとか、戦友が先に行って待っていてくれるとか、そういう物語をです。あの世に旅立つのは必ず自分ひとりきりです。でも、待っていてくれる世界は、決して自分ひとりの世界ではないのです。この世にいる人口よりも、あの世の人口のほうが莫大に多いのですから。

この世から、あの世を見ている眼だけでなく、あの世からこの世を見る眼を復活しなければなりません。死後から、今を見る眼です。今は死んでいないのですけれども、死を予行演習してみて、そこから現在を見てみるのです。そうすると現在の見え方が変わってきます。いのちは自分に宿っているのですけれども、自分の所有物ではありません。いつかまたアミダへお返ししていかなければなりません。いのちは決して、自分の自由になりません。死にたいと思っても死ねません。行きたいと思っても生きられません。それは自分の思い通りにならないものです。ですから実感に則していえば「生かしめられる、死なしめられる」ということでしょう。私は、そのアミダのいのちが宿って、去ってゆくまでの仮りの宿りなのでしょう。

門徒の方から相談を受けました。謹厳実直なお父さんで、お墓参りも欠かしたこともないし、お仏壇に手を合わせなかったことのないひとでした。なのに、交通事故に会ってしまいました。いいひとがなんで、こんな目に遭うのでしょうか?と。神も仏もあるものか!ということです。小生は、それは分かりませんとしか返答できませんでした。それは仏のみが知る世界であって、人間には解けない問いなのです。この世でどれほど素晴らしい行ないのひとでも、そのひとの死にざまは様々です。生き方と死にざまとは因果関係がありません。人間は、因果関係を欲しがるのです。善いことをすれば善い結果が与えられ、悪いことをすれば悪い結果が与えられると。そういう因果関係で考えますから、それに合わないものは腑に落ちないことになるのです。娑婆は、人間の「こうすれば、ああなる」という論理を裏切ります。ですから、一生懸命に仏さまにお願いしていても、それでご利益が与えられるという保証はないのです。まったく神も仏もあるものかというのが本当でしょうね。しかし、それが信仰の第一歩です。信仰には「神も仏もあるものか」というこころが大事です。結局それは、自分の依頼心がひっくり返されることですから、ひっくり返されて初めて歩みが始まるのです。それこそ信仰の深まりなのです。

いつまでも、どこまでもひっくり返されていくのです。臨終の一念にいたるまで、ひっくり返されていくのです。そのひっくり返しのはたらきをして下さるものを如来と名づけるのです。人間の考えは、いつでも依頼心か、あるいは取引です。その汚れきったこころをいつも浄水を流すように、洗い流して下さる、それが如来の浄水なのです。人間は便器です。汚れた考えが溜まる便器です。たくさん溜まり過ぎると流れなくなります。適度に如来の浄水がジャーと流れてくれないとあふれてしまいます。浄水は如来、便器は人間。このけじめだけが大事なことだと思います。

2003年01月17日

●昨日、今日と「教学館」の定期研修でした。この「教学館」とは、若手の僧侶の研修機関で、真宗大谷派東京教区が設けているものです。たいそうにもそこの主幹を小生が拝命しておりまして、毎月一度、一泊研修を練馬区谷原で行っているのです。第一日目は午後二時から始まります。初めに本多弘之先生から、基調の化身土本巻の講義をお聞きします。そして勤行、化身土巻の考究研修、懇親反省会、就寝。翌日は勤行、特別講義、昼食、安田理深先生の『親鸞における救済と自証』の輪読考究研修。ごご三時に閉講という形で毎月おこなっております。

 参加者は、ほとんどお寺の若手僧侶が多いです。今日の特別講義は牧師であり、スピリチュアルケアのカウンセラーでもある賀来周一先生でした。先生は最近『サンタクロースの謎』(講談社α新書)というご本を出されたそうです。アメリカの女の子が、新聞社にサンタクロースはほうとうにいるの?という問いを出して、それに社説の形で答えたということが主題になっているそうです。そこでいわれているのは、実証的にいるかいないかという問題と、そのひとにとっているかいないかということはまったく違う質の問題だということなのです。先生は「事実と真実は違う」という言い方をされました。近代科学は実証的に、そして論理的に証明されたものだけが意味が持つとしてきた。それは「事実」を明らかにする世界です。しかし、人間が生きているということは、それだけではない。たとえば、なんで自分は癌になってしまったのか?なぜ他人ではなく自分がなったのか?なんで最愛の家族が亡くなっていったのか?こういう問題に答えるのは、宗教であり科学では不可能だとおっしゃいました。科学であれば、何で亡くなったかという答えに、出血多量ですとか、呼吸不全ですとか、答える。しかし、そのひとがなぜ、他の家庭ではなく、なぜ私の家族なのか?なぜ死ななければならないのか?という答えには答えていないというのです。そういうことが、サンタクロースがいるかいないかという問題にもあるというのだと思います。

 特に先生は、人間をボディー(身体)・マインド(心)だけでなく、スピリチュアル(霊性)なものと見ていかなければならないといわれました。そしてご自身も病院で、末期患者の方々に接しておられるそうです。末期の方は、どうしても、なぜ自分が癌になったのか?なぜいま癌にかかったのか?どうして他の人じゃないのか?この問いをもっているといいます。そのひとに、どんな言葉が掛けられるのか。そのような状況で気のきいた言葉などかけられないといいます。だまって手を握っているだけかもしれない。それはそのとき、そのとき自分が問われているのだといいます。つまり自分の生き方が問われているのだといいました。自分もやがて死んでいく人間として、その患者に関わるしかないのです。決して自分が健康な者であり、病人に同情するというようなことではケアにはなりません。そして、そのひと自身が、その問いに応答していく手助けができれば最高だと思います。物静かに1時間半ほどお話いただきましたが、あっと言う間に過ぎた感じでした。

 それから印象的だったのは、中村桂子さんという生命科学者が、「物語」が必要だといっているというお話でした。たとえば、宇宙の果てはどうなっているのか?等ということは科学の問題であっても、どうしても分からない問題です。ですから、最後は「物語」が必要なのだといいます。そういうことへの要求が創世記などを作ってきたわけでしょう。しかし、何もそういう物語だけじゃなくて、個人で作る物語が必要なのでしょう。つまりかけがえのない私という存在は、この世にひとつしかありません。そのたったひとつの存在の物語が必要なのだと思います。?

それからもうひとつ「いざっという時、委ねる世界をもっていることが大切です。えいやっと任せる世界をもっていなければならない。にっちもさっちもいかない途方にくれたときに、えいやっといえるかどうか、そういう世界をもっているかどうかが大事です。」と。これも面白いですね。最後は、おまかせなんですね。この「エイヤッ!」というお話が印象的でした。これは宗教ですね。やはり自分は、人間の手の届かない世界をもっています。存在したということ、誕生したということ自体が人間業じゃないような気がします。死ぬために生まれてくるんですからね。まったくの矛盾でしょう。その矛盾の真っ只中で、エイヤッと任せてしまえる世界があれば、すごく安心ですね。これはまさに臨床の限界状況でこそ生きる言葉だと思います。平常の、なんとも感じていない時に、「任せる」ということを聞くと、棚からぼた餅みたいな、無責任な依存じゃないかと勘違いしてしまうんです。

言葉にも鮮度があります。その時、その場でしか通じない言葉があります。そんなものを金科玉条にして、いつでも使おうとすると腐ってしまって悪臭プンプンの言葉を使うことになります。すべて一回勝負ですね。生きるとは。

2003年01月16日

●三重の山口さんから、「住職のつぶやき」は難しいと、ご意見頂きました。居直るわけじゃないんですけど、小生にはこの程度しか出来ないんです。もっと熟達していれば、易しく書けるんでしょうけど、まだまだ未熟なんで、ゴツゴツしてしまうんです。ごめんなさい。m(__)m

ところで、唐突にも、1月14日に小泉首相が靖国神社を参拝されたので、これについても何かいわにャならんと思っているところです。うちの教団でも、「靖国神社法案反対」という声明を出してますから、やっぱりなんかいわにゃならんでしょうね。

毎日新聞には田中明彦(東京大学東洋文化研究所教授)と橋爪大三郎(東京工業大学教授)の意見を載せてました。田中さんは、「この時期の参拝は中国、韓国にとっては愉快な話ではないだろう。首相が外交面でダメージを受けるのは間違いない。」そして、「『追悼・平和祈念施設の在り方を考える懇談会』(以下、追悼懇)が提言した国立で無宗教の恒久的施設を創設することが必要だ。(談)」といってます。

橋爪さんは「首相が参拝するのは当たり前だ。理由は、靖国神社は宗教法人ではあるが、歴史的にみて公務に殉じた方々のために参拝する、慰霊施設だからだ。海外を見ても、中国の人民英雄記念碑など同様の施設があり、外国の公人も施設を参拝する。」「首相が参拝すべきかどうかについては、首相のように公務に就く人であっても個人の判断であり、第三者がとやかくいう問題ではない。(談)」と出ていました。

まあ、新聞というマスメディアも、自分の言いたいことを評論家に代弁させるというずるい手法を取りますから、その辺は用心してかからないといけないと思います。たぶん、まだまだ沢山の言葉で取材に対して両先生は応答しているんだろうと思うんですね。でも、毎日の記者の聞き取ったところだけを載せられているような気がしてなりません。真偽は分かりませんけどね。

毎年八月に恒例行事のように靖国問題が論じられるのに、一月の段階ではちょっと歳時記としてはズレるような気がします。それはとにかく、この問題の一番根っこには、戦後処理がまだ終わっていないということだと思います。中国、韓国に日本がおこなってきたことを正しく認識することが大事だと思います。中国で大虐殺を行った731部隊の生き残り兵がうちの門徒におられました。その方の口から、中国における日本の所行をいろいろ聞きました。差別といえば、まったくの差別なんですけど、中国人を「丸太」と呼び、人間と見ていなかったと聞きました。人種平等という観念自体がなかったんですね。ギリシャ時代の市民が、黒人を人間と見ていなかったように、別の生き物として見えてしまっていたんですね。共同幻想の恐ろしさを感じます。日本列島に他者が侵入してきて戦ったというのなら「自衛」ということも成り立ちますけど、他国の領土の中でやってるんですからね。ですから、やったことはやったこととして、やっぱり謝らなきゃダメじゃないかと思いますね。あのドイツも戦後処理で、やっぱりナチスの所行を謝罪するということがありましたよね。しかし、これは単に民族がもともと凶悪な血をもっているということじゃなくて、やっぱり人間業の深い闇として捉えなければならないと思います。そういう正しい歴史認識をキチッともって、そこから出直すべきだと思います。近隣諸国は、参拝云々についてヒステリーを起こすのは、そのへんのことが解決されていないからだと思います。たしかに橋爪さんのいうように、首相がどこに参拝しようと勝手だということは、その通りだと思いますけど。その諸国の反応ぶりを見ますと、戦後処理が未解決じゃないかということが根っこにあっての反応だと思います。

それから新しい追悼施設ですか、これは危なっかしいものだと思います。戦犯を分祀して、国立で、無宗教追悼施設を作ろうというのでしょうけど、これも将来どう利用されるか不安が残りますね。毎日新聞の社説には「私たちは、国が戦没者を慰霊することは、極めて重要と考えている」といいますけど、そもそも国が、個人を追悼する権利があるのかと思います。追悼のスタイルは、個人に任されるべきじゃないかと思います。「御国のために死んだ」といいますけど、やっぱり戦死者は、家族のためであって、国のために死んだのではないと思います。別に、国に追悼する権利はないのだといった人もいましたね。国というのは政府でしょうから、政府のためにいのちを捧げるということはないと思います。

 そもそも、極端にいえば、生者が死者をまつるということ自体が傲慢なことなんですね。追悼の施設はどのようなものであっても、すべてそれは死者のものじゃなくて、生きている人間のためのものなんですよ。追悼の施設、墓や廟はすべて、故人を丁重に弔うためのものだといいますけど、故人はどのようにされようとも、文句は言わないんです。ガンジス川に流されようと、チベットの山で砕かれて鳥に喰われようと、土に埋めて土葬にされようと、火葬にされて火で焼かれようと、粉々にされて海にまかれようと、異議申立はされないわけです。靖国神社に、戦没者の霊魂があるんだといっても、お骨もないんですよね。ただ、あるのは生者の観念としての死なのです。やはり、望んで行った戦争じゃない、政府の命令で行きたくないけど行ったわけです。ですから、戦争へ無理に連れ出しておいて死んでしまったら、それまでというのは、どういうことだ、国のために死んだのだから国が申し訳ありませんといってまつるのが当たり前だろうという感情が遺族にはあります。遺族は、そうでもしてくれないと納得いかんということでしょう。無駄死にじゃないんだ、いつまでも国家のため、公のための死だということを自他ともに認めたいということなんですね。この認めてほしい、無駄じゃないという感情が、死者をほっておけないんですね。

 お墓はですから、生きている人間の自己満足のためにあるわけでしょう。もっと丁寧にいえば、生きている人間が癒されたいための施設なのでしょう。故人と対面できる場所は、お墓かお仏壇ということになっています。別に故人は、そこだけにいるとは限りませんけど、どこかに限定したいんですね。つまり、いつでも、どこでもでは困るんです。四六時中の故人との対面は拒否したいわけです。たまに、特別な場所に限って故人(仏様)と出会いたいんです。そのためにモニュメントを欲しがるんですね。たとえ「二度と戦争は起こしません」と誓いながら、その誓いを踏みにじるものに対しては寛容でいられないんです。人間は、事件を忘れないためにモニュメントを作るんですけど、モニュメントを作ることが忘れさせるという側面もあるんです。これは「方便の悲しみ」でもあります。

 讃岐の庄松さんに向かって、村人が「お前が死んだら、立派な墓を建ててやるからな〜」と言いました。それに対して庄松さんは「おらは、墓の下にはおらんぞ!」と答えているんです。これは凄い答えだと思います。お前は、オラが墓の下にいると思っているのか、それこそ「バカにするな」ということでしょう。庄松さんは、いつでも、どこでも、お前の前にいると答えたかったのじゃないかと思います。あたかも死んだ人は、墓の下に居ると偏見で見ているけど、その偏見が故人を冒涜しているのだというのでしょう。

もっといえば「オラは、お前だ」というかもしれません。お前は、自分のことを「生きている」と思っている、オラは「死人だ」と。でも、「ほんとにお前は生きているのか」と問いかけてきます。お墓がいるかいらないかを論じているのではありません。お墓がなければ、生者の精神生活が成り立たないということなんです。でも、そのときの死者のなげき、庄松さんの応答に耳を傾けたいと思います。

2003年01月15日

●以前、箱庭療法を学んだことがあります。これはサンド・セラピーといって、ヨーロッパの女性セラピストが考え出した療法だそうです。それを河合隼雄さんたちが日本に導入されたと聞きました。縦57センチ×横72センチ×高さ7センチの箱に、白い砂が敷きつめられています。その中に、様々なミニチュアのオモチャを自分の好き勝手に並べるのです。まさに自由に、自分の置きたいように、気ままに置いていいんです。それを「置く」という行為を通して、日常の意識よりも深い意識の流れを読み取り、自己を深く頂いていく療法なのです。とくに子どもは言葉を十全に使えませんから、砂遊びを通すことによって、内面の動きを観察するためのものだったようです。しかし、これは、単に子どもだけではなく、特に言語表現の苦手な日本人向きだということで、日本に取り入れられたようです。何も、箱を使わなくてもいいんですけど、これは「守り」だと教えられました。そのひとを不自由にするためではなく、そのひと自身を守るために箱が必要なのだと。「守り」とは「限定」するということです。一応、ゲームとして限界を設けて、その中だけで世界を作ってみるという試みです。本当の自由とは、やはり限定のなかにこそあるんだと思います。まったく無制限にしてしまっては、かえって自由が感じられないということがあります。「好きに生きていいんだよ」という現代の子どもたちへの大人のメッセージを、子どもたは不自由に感じているということと似ています。まったくの自由とは、どの方向に生きていいか分からないということでもあるのです。これはまた別の機会に考えてみましょう。

 さて実際、小生が箱庭をやってみると、まったく不自由なんですね。自由に、自分勝手にオモチャをを置けそうに思うんですよ、始める前までは。こんな簡単なことと思っていましたが、なかなか窮屈な感じでした。周りで人々が、小生の置くのを観察しているんですからね。こんな怪獣のオモチャを置いちゃ、変に思われやしないかと不安になるんです。自分の内面を洗いざらいさらけ出してしまうのではないかという恐怖感も起こります。実際に、その場になってみなければ、人間の行動というのは、まったく分からないものなんですね。一瞬一瞬、場面が異なっているんですよね。生きるっていうことは。思いとはズレているんです。しかし、少しやっていると、他人の目が気にならなくなるんです。不思議ですね。眠れない、眠れないと思っている間に寝てしまうような感じです。そして、そこに置くためのオモチャと、砂の感触が手から伝わってきて、おのずと砂場で遊びたくなってくるんです。そして徐々に自由に遊べるようになってきたんです。(下に小生が作った箱庭の写真を添付しておきました)

数分間、遊び終わると、出来上がった箱庭を前に、皆でそれを囲みながらお話をします。不思議なんですけど、箱庭を作っている間は、なんだか夢を見ているような感覚なんです。終わって見ると、

ちょうど夢から覚めた時のような、倦怠感を感じるんですよ。箱庭というのは、日常の意識よりも少し深いところの意識で作っているらしいんですね。ですから夢が覚めて現実に戻されると、目覚めのアンニュイを感じるようです。ですから、出来上がった作品?は、自分が自由に作ったようなんですけど、なぜそこに木を置いたのか、なぜビー玉を置いたのか、なかなかうまく説明できないんですよ。それでも、ひとから聞かれれば、どんな感じだったとか、いまこれを見てみてどう思いますか、と尋ねられれば、こうだったとか答えます。ここに自分では気がつかない発見があったりするわけです。自分で作った箱庭なんですけど、自分にとってはひとつの暗示であって、その作品との対話が、また新たな面白さを生んでくるのです。これは一回で決定的なことは生まれないので、やっていくうちに変化してくるものだといわれています。「常に過程である」というのも好きなところです。順番に他の人と変わって箱庭を作ってみたのですが、ひとによってまったく違うのです。これは限定された小さな箱ですけれども、個性の展開するミクロコスモスだと感じました。

最近では見かけなくなりましたが(なぜなんでしょうね?公園で子どもは遊ばないですね…)、公園の砂場で遊んでいる子どもは、知らず知らずのうちに箱庭療法をこころみていたのですね。日本人は、言語的なセラピーは苦手だといいますね。むしろ非言語的な手法のほうが合っているといわれています。座禅とか、瞑想とか、写経とか、絵画とか、盆栽とかが向いていると。確かにそうだなぁと思います。寺では猫を三匹飼っているんです。猫たちは三者三様で、まったく違った個性をもっています。人間も猫も、親しく付き合ってみると、それぞれ個性豊かだということに改めて気がつきます。猫は、人間の言葉を話しません。話さないので癒されるんですね。時々膝の上に乗ってくるんです。そして、口で布を噛みながら、両方の前足を交互に動かして、まるでオッパイでも吸っているような格好をするのです。もう生後3年もすれば、いい年になっているはずなんですが、「赤んぼ帰り」をするんです。ゴロゴロといいながら、心地よさそうにおっぱいを吸っている姿を見ているだけで、こっちまでウトウトしてきます。これが、言葉を話したら大変ですよ。言葉は、人間の濁世の産物ですから、猫との関係が濁ってしまいます。濁るというのは、ストレスを感じる関係という意味です。有難うとか、ごめんねとか、そういう言葉が通じたら、なんだか気まずい関係になってしまいます。言葉が通じないからクリアーな関係になっていられるんですね。また、触り心地が実にいいんですね。ケムクジャラで柔らかくて、なんともいえない感触です。確かに小さい毛が抜けて、カーディガンにはベットリと毛がくっつくのです。ア〜ア、また毛がたくさんついちゃったなぁと思いながら、もういいや、毛がつくんならとことんついちまえ〜と開き直ってしまうんですよ。猫は犬のようにベタベタとは人になつかないんですね。割合にクールで、まぁ自分勝手だという見方もあるようですけれども、自分というものを持っているように見えます。妙に、人間を見下しているようなところもあります。猫によってセラピーされている自分が、そこにあるんですね。ガン患者が、ペットを飼うと生き生きとしてくるというは、確かな話だと思います。世話をするという、要するにペットをケアするんですね、ケアされている人が。ケアすることでケアされるという自利利他円満ですね。

箱庭を作っているとき、あるひとに順番が回ってきたのです。何が作られるのだろうと興味深く見守っていると、そのひとはオモチャを持ったり、置き直したりして、なかなか箱庭に置かないのです。そしてとうとう、彼は「できません」といって、拒否しました。これには驚きました。そんなことが起こるんだという驚きです。それに対して、先生が、「あなたはこの場を信じていない」といいました。つまりこの場所でたましいが裸になることを恐れているというのです。ひいてはここでの人間関係を信頼していないということにもなると話されました。そうなのか、たかが遊びだ、ぐらいに考えて箱庭を作ってみようと提案したのですが、そのひとにとってはたましいの危機を感じるほどのことになっていたのでした。このことは私たち全員で温めていかなければならないことになりました。おそらくそのひとにとっては、何を置いても嘘になるというか、置く必然性が感じられないというか、そのために置けないという、砂上の楼閣状態だったと思うんです。それは、その人自身の存在と深く関係していて、つまりすべてが偶然だと、必然的なものは何もないじゃないかというアンチテーゼだったのかもしれません。自分が寺に生まれたのも、嫁さんと結婚したのも、子どもが出来たのも、すべて偶然で、なんの意味もないじゃないかというたましいの叫びなのではないかと今になって思いました。この世に必然的な意味なんてないんだ!という悲鳴だったのかもしれません。深読みかもしれませんが、そう受け取れました。それもそうだということも感じます。箱庭になぜ、オモチャ椅子を置くのか、そこではなくて、ここになぜ置くのか?その答えはありません。ただ、そこに置いてしまえば、それは決定的なことです。それ以外の場所はあり得ませんから。まったくの偶然です。自分の存在も偶然以外にはあり得ません。たまたまです。人生は、この「たまたま」以外にはないのです。しかし、「たまたま」が恨みとなるか、喜びとなるかということが大きいのでしょう。偶然こそが必然だったのだと、それより他に自分の道はなかったのだと決まりたいのです。それを人間はこころの底で望んでいるのです。前にも書きましたけど、境内の木は鳥の糞から生まれた種で発芽します。落ちたところは、まったくの偶然の場です。日影だろうと、風邪が強かろうと、文句一つ言わずに黙って、一生涯その場を動くことなく、そこで生き抜くのです。この木々のたくましさにふれた時、自分のわがままが死にました。いのちの事実は、ただただ凄い。不動の木の何も語らない凄さに圧倒されました。

「子どもが隠れんぼうをするが、身を隠すことはできないのだ。木の影に隠れても、森と共にあるのだ。大地と共にあるのだ」(不正確)というリルケの詩を信国先生からお聞きしたことを思い出しました。人間は、動く物、つまり動物です。動物は動けるから逃げ隠れできるように錯覚します。しかし、逃げることはできないのですね。それは、温かい大地と共にあるからなのです。追求の魔の手は実は、温かい大地の抱擁であるのかもしれません。

 

2003年01月14日

●昨夜まで、寝床に倒れていたので、テレビを見る機会が増えました。夜「緊急出動」とかいう番組をやってました。警察の24時間に密着取材してレポートするという番組です。これは時々やってますね。歌舞伎町の24時とか、暴走族特集とか。昨夜のはひき逃げ特集でした。初めのは20歳位の女性が、ひき逃げをしてしまいました。警察の捜査でやがて車が発見され、逮捕されました。現場検証で、「あんたの車に間違いないな?」と警官にいわれて、「はい」と答える声がか細かったです。「なんで逃げたのか?」という質問には、「気が動転してました」と答えました。次のは、トラックのひき逃げ事件で、この運転手は、事故現場から三百メートル走ったところで現場に戻ってきたのに、それでも「ひき逃げ」ということになりました。このひとも気が動転していたというようなことを言ってました。トラックの泥よけに血液と肉片が飛び散り、事故の痛ましさを語っていました。

確かに、実際自分が人を跳ねてしまったら、おそらくそういう行動を取るだろうなぁと思います。事故をおこすという予想もしていませんし、早く家へ帰って、明日の準備をして、という予定の中で生きてますから、ひとを跳ねるなどという予期せぬことが起こってしまい、「どうしよう」というショックがまず起こります。それと、自分が起してしまった事故の重さに驚愕し、恐れ戦き、まさに気が動転します。いままでは、いわゆる一般人として、平凡に暮らせていたのに、事故の瞬間から「犯人」あるいは「加害者」と呼ばれるのですから。自分の日常生活は、その瞬間から切断されるわけです。その瞬間から、人間としては扱われなくなるといってもいいでしょう。反論しようにも、お前のやったことを見ろ!相手の家族のことを思え!ひとを殺しておきながら、どうして言い訳などできるんだ!人殺し!と批判の集中砲火を浴びます。しかし、そこまでひとを責めることが人間にできるんだろうかと思います。よく交通事故には、加害者はいないともいわれますよね。被害者はもちろん加害者も、被害者になると。もし万が一、自分が加害者になる可能性も充分にあるわけです。事故を起こそうと思って起こすひとはいません。それはどうしても縁としかいいようがありません。ちょっとした間の悪さです。もし一秒ズレていたら、三秒ズレていたら、なんともないということもありえるわけです。たった一秒の出来事によって、その人々の一生が変わってしまうのです。そういうリスクを背負うのが嫌なら、車の免許など取らないことに越したことはありません。でも実際にはそんな覚悟もなくて、免許をとっているんですよね。小生も含めて。ただ、引き起こしてしまった事故に関しては現行の法律の裁きを受けなければならないでしょうね。一応、この日本という社会は法治国家ですから、お互いに法律を遵守して、その範囲なんで暮らすことをお互いに認めてきたわけですから。まさに、お互いに従わなければなりません。

そのテレビを家族も見ていたのですが、もし万が一、自分がひき殺されても相手を責めないようにしてほしいと告げました。少し違っていれば、自分が加害者になったかもしれないからと。ただ縁が違っただけで、被害・加害の立場を引き受けただけなんですね。一年間の交通事故死者は一万人くらいだそうです。一万人の人が死に、その加害者・被害者の両家族を含めれば、六

万人以上の苦しみを背負っているひとがいるわけでしょう。これは文明の苦しみでしょう。江戸時代にはなかった時代の苦しみです。人間の理性が機械文明を生み出し、早く、自由に、快適にという「思い」を実現してきた結果なのです。「身」は江戸時代とそうそう変わってはいません。たしかに動物性タンパク質は多く摂取しているようですが。「身」が「思い」に引きずられてきているわけです。「思い」は変幻自在ですね。「身」ではなかなか実現できないことを、機械を作って実現してきたわけですから。「ああなったらいいなぁ、こうなったらいいなぁ」という「思い」を機械をもって実現してきたのです。おそらく交通事故の被害者も、車の免許をもっているひとがいるでしょう。また、家にはテレビがあり電子レンジがあったりするでしょう。近代の機械文明を受け入れて生活しているわけです。その意味では、人間の理性が生み出した機械(自動車)によって、人間自身が殺されたわけです。事故は「不注意」から引き起こされるいいますが、「不注意」でない人間はいないのです。ですから、人間が人間を裁くことはできないのです。そのために法律という疑似人格を作り上げて、その疑似人格によって加害者・被害者を裁くわけでしょう。裁かれても、被害者のいのちは戻りませんし、また裁かれたほうも、それで本当に罪の自覚が生まれるわけでもありません。罪の自覚は宗教的自覚にまで達していないとなかなか生まれてこないものだと思います。

「目には目を、歯には歯を」で、殺したものは、殺されることによってしか償われないということであれば、これはちょっと違うんじゃないのと思います。故意か過失かということもありましょうけど、やはり生を肯定するところから考えないとだめでしょうね。そして、個々の罪から「人間存在」の罪のところまで、罪の深さを見て行かないとダメだと思います。

呪うべきは、お互いが享受してしまっている機械文明なのです。恩恵を受けている分、その反動の負の部分も大きくリスクを負わなくてはならないのです。ですから、小生が事故で殺されても、相手を決して憎まないように。憎むべきは、この文明自体なのだ思います。この快適なエアコンや電子レンジやテレビや冷蔵庫や自動車。もうこの文明なしには生きられないほどに機械化されてしまっている私自身の「思い」なのだと思います。しかし後戻りはできないのです。諸刃の刃である文明の功罪を引き受けていかなければならないのです。

話は戻りますが、「ひき逃げ」とは、事故現場から逃げてしまったことをいうのだそうです。それは、三百メートル行ってから、戻っても「ひき逃げ」になるのだそうです。でも、そうしてしまうのが人間だと思います。警官に、「どうして逃げたんや?」と聞かれても「怖くなって逃げた…」としか言えないでしょうね。更に「相手の家族のこと、考えなかったんか?」と聞かれても、それには返答できないでしょうね。そんなこと考える余裕がないというのが実情でしょう。まったく警官も、ろくなことを聞かないなぁと思いました。あんたがたまたまひとを跳ねていないから、そんな呑気なことが言えるんで、実際ひいてみなよ、そんな呑気なこといってる場合じゃないぜ、となりましょう。その場になったとき、人間はどんな行動をとるかは分からないんですよね。この取材をしていたテレビ局も、いかにも善人という視点で番組を作っているようでなんだか嫌らしく感じました。

役者の岸本加世子が「人の『本当』捉える難しさ」という文章を書いています。

「13年前の朝のことだった。洗面台と洗濯機とのわずかな隙間に頭を突っ込んで、母が全裸で倒れていた。意識はなかった。

 救急隊員の緊迫した医療用語が飛び交い、心臓マッサージが始まる。オレンジ色の毛布を掛けられた母は、ピクリとも動かない。

 その隙に、開け放たれた玄関から飼い猫が外へ出てしまった。

 当時、大学生だった弟が、とっさに猫を捕まえたその時、「猫なんか構っている場合ですか!」と隊員の怒鳴り声が飛んだ。

 弟は、猫を抱いたまま立ち尽くしていた。(略)これがドラマなら、大概は「姉弟で『お母さん!』と駆け寄って下さい」と指示される。

 人間は、とっさにとんでもないことをする。長年、人間を見つめる仕事をしてきたはずが、人の本当とはなにか、いまだに捉えきれないでいる。」

こういうものが人間というものの不思議さでしょう。そして、そこにこそ人間の真実が現れているように思います。決して1+1=2にはならないものが人間です。毎月、定期検診をしていた奥さんが癌で亡くなったり、タバコ・酒を飲み、好き勝手に生きているひとでも100歳まで生きるひともいる。

小生も若い頃、下腹の痛みを感じて、病院で検査をしてもらったら、間違いなく盲腸炎だと診断されました。緊急を要するので「明日の朝、手術です」といわれ、夕方から入院し、点滴などをして翌日の手術に備えました。しかし、翌朝、ふたたび手術前の検査をしたところ、白血球が正常値に戻っているのです。そして腹痛もなくなっていました。先生にいわせると、「これは盲腸ではないらしいので、退院して結構です」ということでした。何がどうして、盲腸炎と同じ症状になったものなのかは分からないようです。現代の医学をもってしても、たかが盲腸炎すら分からないということなのです。ですから、まだまだ人体について人間には分からないことだらけじゃないかという直感を得ました。過去のデーターは膨大なものがありますし、分からないことはないのでしょう。しかし、生身の、いまここに、二つと無い身体については、データーはないのです。データーと生身の身体とは似て非なるものなのでしょう。誰しもデーター化されていな身体と、今という一瞬を火花をチラシながら生きているのでありましょう。そこには、善・悪とか被害・加害というものは成り立たないように思います。

 

2003年01月13日

●昨日の風邪の話は、自分を予言したように、昨夜から腹部のムカツキとだるさで寝込んでいまいました。素人判断で、これは風邪の菌がお腹に入ったに違いないと思います。喉の痛みはありませんけど、関節の節々が痛く、お腹がグルグルいってます。抗生物質を飲んで、ぐだぐだしておりました。寝るのも、関節の痛みがあって、ままならないので、困りました。熱は36度7分で、微熱でした。小生の平熱は35度台なので、ちょっとうっとうしい倦怠感があります。

うだうだとテレビを眺めていましたら、「日本人はどこから来たか」という番組をやっていました。千葉県・茂原の遺跡から出土した三千年ほど前の人骨を分析し、そこからミトコンドリアDNAを採取し、同じタイプのものを探していました。それはタイプ8と呼ばれるもので、その結果、女性の役者がタイプ8とまったく同じであることをつきとめました。3万年ほど前には人間のタイプは九種類しかなく、そのうちのタイプ8は八番目の形だそうです。タイプ8はユーラシア大陸東部に棲息していたらしいのです。そこで、同じタイプのものを中国(雲南省)とロシア(バイカル湖付近)へ調査にいくという番組でした。このミトコンドリアDNAは、髪の毛の毛根から採取するので、調査しやすいのでしょう。さらに、このDNAは女性によってしか継承されないようで、娘を生みつなげてようやく、三万年の時間を超えて現代までつながっているとのことでした。三万年から、現代まで、一世代を二十五年で換算すると、千二百人の世代が関わっているそうです。その日本人の女優が、何時間もかけて、中国の奥地へいって、同じタイプの女性と会うという企画はなかなか面白かったです。なぜか、出会いの時に涙があふれていました。別に、いままで出会ったこともないのに、たまたま同じタイプの母の系列に属するということだけで、妙な連帯感といいましょうか、近親感がやってくるのです。

やはり、母系制が身体的には原型なんですね。男性という雄の性は、女性の卵子に刺激を与えるだけで、溶けてなくなるようです。生物学的には、もともとの人間の原型は女性で、その女性の部分から、男性が突起物として切り離されたそうです。やはり女性のなかの異物なんでしょうかね。赤ん坊でも、男の子は弱いですよね。女の子のほうが育てやすいというのは、さもありなんという感じです。男の胸に乳首があるのは、不思議だと思いませんか。別に授乳するわけでもないのに。なんの意味もないといってもいいですよね。これはやっぱり、女性だったときの名残なんだそうです。女性の成りそこないが、男性のようです。なんだか、男であることが妙に惨めに感じられてきませんか。でも、それでいいんだという感じもあります。男とか女とか、そういう分け方は生物学的な分析であって、実存的には別段なんの違いもありません。男性の中にも女性性はあるし、女性の中にも男性性はあります。性の違いは、文化的に後天的に作り上げられているだけで、実存的にはどっちでもいいことではないかと思います。「死」ということの前では、性別は問題になりませんね。

その番組で印象的だったのは、日本人女優が、「私も女の子を生まなくちゃ…」といっていたことでした。女の子しか、そのDNAは継承できないからです。男性を生んでしまっては、継承が途絶えてしまうのです。しかし、なんで継承しなくちゃならないんでしょうかねえ。別にそんな義務もないんですけど。なんだか、自分の代で、それを途絶えさせてしまってはならないという使命感のようなものを感じました。そこには、自分の身体は、自分のものだけではなく、無量無数の世代からのたまものであるという認識が起こってきたのも事実でした。こういう感覚は、大事ではないかと思いました。自分は器であって、そのなかに何万年という継承が流れているのだという感覚です。そう考えると、自分のいのちは自分の自由勝手に消費していいんだという身勝手から、少し遠ざかることができるように思います。

話は変わりますが、小生の女房は血液型がB型なのです。しかし、小生も、そして三人の子どももすべて、O型なのです。これは不思議です。「私が生んだのに、なんでひとりもB型が生まれないのよ!」と怒ってました。子種と栄養にたとえれば、男性の種をもとにして女性の栄養をとるということなのでしょうか。胎児は、妊娠期間中に、母体と血液が混じり合うことはないようです。以前は、ヘソの緒を通して、血が通い合って栄養を補給しているのかと思っていました。でも、ほんとうはそうじゃないらしいのです。胎児と母体は細胞膜というフィルターを通して栄養などの伝達をおこなっているのです。だから、血が混じり合うこともなく、当然、血液型が異なるのだそうです。これって神秘ですね。ことDNAに関しては女性しか継承しない形があり、しかし血液型は男性系が継承されるということになるのでしょうか。話は厄介なことになりました。

まだまだ人間には分からない世界が「身体」には潜んでいそうですね。クローン人間で話題沸騰のラエリアン・ムーブメントの情報にも、目を配っておきたいと思います。

2003年01月12日

●最近は風邪を引いているひとが多いですね。そこで、風邪を引かないために、予防マスクをおすすめします。とかく人の多い場所が東京という場所です。過密な人間たちの間を生きなければならない東京人に、ぜひ予防マスクをおすすめします。小生は、電車に乗る時など、必ず予防マスクをしてゆきます。まぁ、厳密には家を出る時からつけるのが流儀です。ゆいいつ外界に接する面が一番多いのが顔ですね。夏でも冬でも、つねに外界に晒されています。やっぱり、年がいくと、ツラの皮が厚くなるってーのは、本当じゃないんでしょうかねぇ。冬の北風が強い日などでもマスクは有効ですよ。顔の体温を奪われることもありませんし、北風で舞ってきた砂塵を吸い込むこともありませんから。マスクをつけて電車に乗ると、あいつは「風邪を引いている。近寄らないほうがいいぞ」と周りのひとは勝手に想像してくれますから、混雑していても少し隙間ができます。

たまに、電車の中で周りを気にしないで咳き込んでいる人や、くしゃみをしている人がいますね。あのくしゃみや咳の音を聞くと、ゾッとしませんか。強制的に、風邪のバイ菌をお前の肺に送り込んでやるぞ、という悪意すら感じてしまうのでした。ご本人は、そんな気はないのですけど、受け取る側が、そんなふうに受けとめてしまいます。密閉した電車という狭苦しい場所に閉じ

込められて、とにかく次の駅までは新鮮な空気が入ってきません。ある時、近くでくしゃみをされたもんですから、次の駅まで呼吸を止めようとしたのですが、この数分間の長かったこと。窒息しそうになりましたよ。駅について扉が開いたので、思い切り深呼吸しましたけど、そのときに、思いっきり風邪の菌を吸い込んだりしてるのかもしれません。菌は目に見えませんからね。目に見えたら便利なんでしょうけどね。アーッまた、菌の奴がきやがったな、と分かりますから。聞くところによると、風邪のバイ菌はマスクの目なんか通り抜けてしまうのだそうです。だから無意味じゃないかという人もいます。たしかに通り抜けてしまっているのかもしれません。それでも、マスクが呼吸の湿度を保ってくれていますから、それがいい塩梅に作用しているのだと思います。

まぁ、どんなことをしても、風邪を引く時には引くんですよね。風邪をひいたら、薬をのんで寝ているのが一番ですね。熱で立っていることも辛く、朦朧としているときには、ただひたすら布団をかぶっているしかありません。やがて、自然治癒力ってやつですか、あれが働いて、徐々に治ってゆきます。自然治癒力が働きやすい状況を作るのが薬の役目です。治すのは、ご当人の自然治癒力です。薬が治すわけじゃないんですよ。薬を飲むと治るもんだから、薬が治していると勘違いしているひとが多いんです。そうじゃないですね。治す力は、その人自身がもっているハタラキなんですね。

風邪で寝ていると、普段とは違った世界が見えたりします。普段、こんな時間、会社で何をやっていたのかなぁとか、お昼のテレビって、こんなのやってるんだとか、普段はそうは感じていなかったけど、家族の愛情ってやっぱりいいなぁとか…。普段と違った時間・空間が与えられます。小さい頃、風邪で寝込んでいたとき、天上の板の年輪の模様が変な動物や妖怪に見えたりしましたね。あれってなんなんでしょうね。「下り坂には下り坂の風光がある」という法語がありましたね。下り坂を楽しむ余裕がほしいですね。

そういえば、風邪をひくと聖路加病院では、熱を取りなさいと指導されるんですよ。小児科では、熱が高すぎるとアイスノンかなんかを抱かせて、子どもの体温を下げることをやるんです。これって逆じゃないのと思ったんですけど、これはヨーロッパのやり方なんですね。熱が高いと薄着にしなさいとか、とにかく高熱は人体によくない作用をするから、それを取り去ることで正常にしてゆこうとします。薬でも解熱剤を飲みますよね。

しかし、東洋のやり方は、それとは逆で、熱が出てきたときには、熱が出てくる因縁があるんだから、熱は出し切ったほうがいいんだというんですね。日本人は、だいたい布団かぶって寝てろというのが常套だったのではないでしょうか。まあ小生も、このヨーロッパの知恵と、東洋の知恵をミックスしながら対処しているというのが実情ですね。東洋は、身体を部分として切り離して見ずに、全体としてみます。西洋は、部分として見るんですね。その両方をミックスしたほうがいいんだというのが帯津先生の考え方です。先生が若い頃、初めに疑問に思ったのが、身体内部の隙間だというんです。これも面白いですね。胃とか腸、そのものではなくて、胃と腸との隙間、肺と胃袋との隙間、そういう隙間はどうなっているのかと。恐らくそれは「間」「関係」ということを問題にされていたんではないかと思います。内臓だけじゃなくて、人間が生きているのは「間」ですね。

ひとはひとりでは生きられないとはよく聞く言葉です。以前、山歩きに一人で出かけた時、ほんとにそれは実感しました。無理をして夕方近くに山小屋についたのですが、山の日没は速いんです。林の中などは、実際の時間以上に早く暗くなってくるんです。ですから、たった一人だと心細くなってくるんです。そんなとき、山道でひとに出会おうもんなら、小躍りして喜びたくなります。やっとひとに会えたという感動です。そんな大袈裟な、というかもしれませんけれども、それが正直なところです。山は異界ですから、人間にとっては、異次元空間です。小生の内部に潜んでいる原始人の野生やらおののきやら不安といったものが、顕在化してくる場所です。人間の奥に潜んでいて、普段は気づかない「原始人の自分」を山は教えてくれます。ここに「等身大」という感性が、あったと教えてくれます。ですから、都会の熱でヒートアップしきった理性をクールダウンするために山に行くのはいいことだと思います。近頃、中高年の登山者が激増してますね。ここでも、元気なのは「おばちゃん」たちです。小生も以前仲間と一緒に山を歩いていたら、後ろから元気な集団が追いついてきて、抜かしていったのです。それは「おばちゃん」軍団でした。楽しそうに、楽々と登っていくんですよ。こっちは汗水たらして頑張っているのに、あのパワーはいったいどこから出てるんだ!とみんなで驚いたもんです。山は、よく人生に譬えられますね。上り坂、下り坂、石ころ道、泥道、曲がりくねった道…なんだか美空ひばりの歌の歌詞になってしまいそうです。人間は面白いもんで、楽ちんな下り道だけじゃ満足しない生き物です。やっぱり上り坂を汗水たらして登るのが好きなんです。「趣味」というのは、そういう面があります。なんで好き好んで、そんな苦しい山登りなんかに行くの?とひとから聞かれても、やってみなきゃわからないよと返事するのが精一杯です。「趣味」は利害損得とは無縁の世界です。それはいくらお金をかけてもいいし、いくら時間を費やしてもいい、少しくらい苦しく立って、それが喜びになるというもんです。やっぱり、人間は利害損得を超えた世界をもつべきだと思います。「趣味」というと、軽い感じをもってしまいますけど、それは「遊びの世界」です。遊びとは、感じで書けば「遊び」ですけど、平仮名でかけば「あそび」です。車のハンドルでも、家の扉でも、「あそび」がなければ、ダメなんです。小さい頃、子どもを公園に連れていくと、よく砂場で遊んでいました。子どもは「すなば」と発音できないで、「オチュバ」(=お砂場)と言ってましたね。真夏の日の当たる砂場で、汗水を垂らしながらシャベルをもって、お山を作っていました。小生は、この姿こそ、「菩薩」の姿だと直感しました。本人は、真夏の暑さをものともせず、嬉々として砂場を遊んでいる。まわりの大人から見れば、なんで炎天下に汗水たらしながら、砂場なんかで遊んでいるんだろうと思います。ご苦労なことだと。しかし当人は、それにエロスを感じ、一生懸命に遊んでいるわけです。これこそが菩薩の世界でしょう。菩薩は、人々を助けるために汗水をたらしながら働いている。でも、そのことを苦しみだとは感じていません。しかし、その姿が人々に感動を与えているのです。

ですから、「あそび」は大切だと思います。この世を超えた「超時間」を与えてくれます。浦島太郎が龍宮城で遊んでいた時間です。遊びの時間はこの世を超えますから、密度が濃いのです。そして「遊び」が足りている人は、決して周りの人に害毒を流さないという利益があります。遊びが足りているひとは、自分に満足感があるので、ひとに当たったり、愚痴をいうことが少なくなります。しかし遊びの足りていないひとは、なんで自分ばっかり苦しい思いをしなければいけないのと、愚痴が出てきます。それにくらべて、みんなは楽しそうに遊んでいるようだし、「なんで私ばっかり…」と愚痴が愚痴を呼んでくるのです。「あそび」は大切ですね。「あそび」の復権を叫びたいと思います。「よっ、遊び人」と言われることが、やっぱり理想じゃないでしょうか。

2003年01月11日

●「なんで人を殺してはいけないんですか?」という問いが、去年、センセーショナルに取り沙汰されました。論理的にいうと、これは答えのない問いだと言われています。すべてに、なぜ?という問いを投げかけて突き詰めると、必ず解けない問いの形になるのだそうです。なんで仕事をするんですか?喰うためだよ。それじゃ、なんで喰わなきゃいけないんですか?それは生きるためだよ。それじゃ、なんで生きるんですか?と問うとき、人は答えに窮してしまいます。そういう最終の問いの形が「なんで人を殺してはいけないんですか?」という問いの形だそうです。それは、もう暗黙の了解で、そんなことをわざわざ問う必要もな

いというレベルの問いです。暗黙の前提がすべて崩れてしまったのが現代なのかもしれません。

その問いに対して、様々に応答したひとがいました。お前が殺されたら嫌だろう。だから、ひとを殺してはいけないんだよ、という応答もありました。これは近代の法律が出てくる源の答え方です。また、なんでひとを殺したいんですかと返答するという応答の仕方もありました。これはカウンセラー的な応答の仕方です。ともかく、その問いを投げかけてきた、相手に応じて、そのひと心の枠組みでそのひとを理解しようというものです。やがて、そのひと自身の発想の仕方を対象化してゆくという応答の仕方です。吉本隆明さんの応答の仕方は、いいよ、そんなにやりたいんなら俺を殺していいよ、やってみなよ、という応答の仕方でした。つまり、なんでひとを殺してはいけないんですか、という問いを出している人間のこころのレベルを批判しているわけです。そういう問いを出している人間は、まだひとを殺していないわけです。つまり、ひとを殺すということを観念化して、一歩退いたところから問いを発しているということでしょう。その観念の余裕というか、隙間というか、その問題を指摘しているのだと思います。でも、そんな応答の仕方をすると、ほんとに殺しにくるやつがいたりするから、これも困ったもんなんだけどということも言ってました。その問いを三人称の立場で受けとめるのか、二人称の立場で受けとめるのかという受けとめ方の場が問題なんでしょうね。すべて生きるということは、二人称あるいは一人称の問題なんです。そこで、ものを考えているひとが吉本さんというひとなんです。

また本音をいえば、実際に、そのとき、その場で、どう動くかということにしか真実はないんですよ。

自殺するひとが三万人いました。でも、周りから見て、なんで自殺したのか分からないという自殺が多いんです。理由のハッキリしている方が少ないようです。たぶんフーッと首に縄をかけてしまうんでしょうね。そして、首をくくってみて、初めてビックリして我に返るんでしょう。しかしそのときはすでに手遅れで、取り返しのつかないことになってしまうわけです。その意味で、自殺者も被害者なんです。加害者であり、また被害者でもあるというのが本当でしょうか。小生も、友人に自殺されて、そのことについて考えました。なんでなんだ?と。しかし、その答えは分からないのです。たぶん本人にも分からないんです。なんでも理由が分かると思っているほうがおかしいんです。自殺した人間に、なんでお前は自殺したんだ?と最初は問いかけていたんです。しかし、それは答えが分かろうと分かるまいと、すでにそのひとはこの世にいないんです。その問いは生きてる人間のかってな詮索欲なんです。答えが見つかったからといって、それがどうしたというようなもんです。それは生きている人間の自己満足じゃねえか。

逆に、それじゃ聞くけど、生きてるやつは、理由が分かって生きているのかよ、と。死ぬ人間に、死ぬ理由がないように、生きている人間にも理由がないじゃねえか、と。そういう問い返しがきたとき、そうだった、済まなかったという思いが湧いてきたのです。そして、友人の自殺を受け容れるというか、それもそうだなぁという気持になったのでした。自殺が罪だと西欧では決めているとか、仏教でも不殺生で認めていないとか、そういう論議がありますが、実際に自殺する人間はそんなレベルのところにはいないのです。どれほどこの世的な幸せに満たされていても人間は自殺する生き物なんです。ひとがなんと言おうが、やるときにはやる生き物なんです。自殺がいいとか、悪いとか、そういうことを論議しているレベルは、もう「生きる」ことがいいに決まっているという前提があって論議しているんです。でも、敏感な人間たちは、生きていることの罪に喘いでいるわけです。これは、ちょっとどうかと思いますが、ひとが一生に食料とする量が問題にされますね。牛が何頭、野菜が何キロ、米が何キロと。それを考えると、ほんとに人間が生きるということは地球の癌細胞だという面があるわけです。だからといって、やっぱりステーキはうまいし、エビフライは大好きなんですよ。そういう、どうしようもない面を抱えながらあるわけですよね。だから、果たして生きているのがいいのか、死んでしまうことがいいことなのか、ギリギリのところでは分からないということなんですね。

フロイトというひとは、生きたいという欲望をエロスといいますけど、死にたいという欲望も人間にはあるというんです。それをタナトスといいます。この両面を抱えながらかろうじて生きているのが人間です。この、エロスとタナトスの狭間にあって、両方に引っ張られながら、どちらにもかたよれずにあるように思います。生を肯定だけはできないように思います。人間の社会では、生を肯定したところから、すべてが発想されています。「貧しくとも、元気に、生き生き、仲良く生きよう」という、素朴な、小学校の標語のような倫理観は、生を絶対肯定したところから生まれます。この生の絶対肯定に対してタナトスが反逆してきたんですね。それが「なぜひとを殺してはいけないのですか?」という問いの現れではないかと思います。これはタナトスの叫びでしょう。いままで、生を絶対肯定してきた人間への、人間自身の内部からの批判なんです。

「もういいかげんに生きる意味を問うのをやめよ!」というフランクルの問いかけは、するどい問いかけだと思いました。人間は意味を求める生き物です。どんなに辛くても、そのことの意味が分かれば人間は、その苦境を受けとめられるのです。しかし、そのことの意味が分からないとき、人間は生きる力を失うのです。どれほど物質的に満たされていても、意味がなければ生き生きと生きられないのが人間という生き物の厄介なところです。贅沢といえば贅沢な生き物です。でも、もともと贅沢な生き物が人間なんです。はじめから贅沢なんですよ。堕落して贅沢になったのではないのです。それは、「意味」という贅沢を知ってしまったからです。

「意味があれば生きられる、意味がなければ死ぬ」というのは贅沢な問いです。それは欲望が問う問いなんです。つまり生きる意味とは、自分に都合のよい何かなんです。それは自分に利益を与えてくれる何かなんです。自分の思い通りになる利益が欲しいんです。利害損得で生きる意味を問うているわけです。人間は、自分の人生をも天秤ばかりに掛ける生き物なんです。その問いが撤回されるということが、「生きる」ということ自体から促されてくるわけです。意味があろうとなかろうと、お前の心臓が動いているじゃないか。その「いのち」そのものからの批判を受けるのが人間なんです。いのちは自分の所有物ではありません。自分の意識にとって意味があろうとなかろうと、ここに動いているいのちそのものが、意識を批判してくるわけです。

いのちは生と死とを共有しているんです。皮膚も内蔵も、生理的な動きは、すべて生と死が無限に展開している姿なんです。死につつ生まれ、生まれつつ死んでいるんです。ですから、いのちそのものは、生きているのか死んでいるのか、本当のところは分からないんですね。いささか曖昧なことになってしまいましたが、この曖昧ということが本質なんですよ。ほんとうは自分は死んでいるのかもしれません。死んでいるけれども、意識だけがまだこの世に残って、余韻としてあるのかもしれません。時々、テレビを見ているとアフリカや、ロシアの様子が見えます。そのとき、自分の意識はアフリカに行っているのかもしれません。それこそ身体から幽体離脱して行っているのかもしれません。意識というのは、どうも身体とは、うまく重ならない、妙なたましいのような存在です。とりあえず、この身体にまとわりついてあるようですが、普段はそんなことは忘れて、次々起こる日常のことに取り紛れています。テレビを見れば、それこそ、画面の中に遊んでいます。ご飯を食べるときにも、忘れています。自分なんていうのは、ほとんどいないに等しいのかもしれません。好きだとか、嫌いだとか、人からおかしいといわれるとか、あいつはバカじゃないのとか、目は外界を見るように生理的にはなっています。ですから、自分なんてなくてもいいんでしょう。忘我の状態で生きているのが人間です。しかし、ときたま、これが微妙に、自分を問題にするときがあるんですね。それは苦境に立たされたときです。苦境でもなければ、自分は立ち現れてこないんです。

たぶん「自分とは何者か」が分かるときには、「世界とは何か」「宇宙とは何か」という問いが解けるときだと思います。それは「お浄土」に行った時に、解けるんでしょうね。この世は、その意味ですべて意識にとっては、暗示的です。何かを暗示しているように思います。

小生は「夢中」という印鑑を押して、揮毫してます。川柳の号も、武田夢中としておきました。生きるということは、まるで夢の中を生きているようなもんじゃないかということがひとつの意味です。いささか禅的な傾向があらわれた名前だと思います。それともうひとつの意味は、その夢の中を「ムチューに生きる」という意味なんです。全力で夢の中を走り回る。「たかが人生」「されど人生」という意味を込めているわけです。一回限りの生、一回限りの時間、一回限りの<自分>という場を充分に、なめ尽くすように、味わい尽くし、遊び回りたいと思います。[今日は、リニューアルしたブッディーサロンの第一回目です。楽しみです。(^o^)]

 

2003年01月10日

●「女は、嫁に来た時から、出家してんだから強いのよ」とスナック「歩歩」のママが言ってました。確かに、そうですね。女性は、嫁に来る時、生まれた家を捨てて、出家してくるのです。ですから、男性にくらべて強いですね。現代の婚姻形態は、中世のような「嫁とい婚」(通い婚)が主流ではありません。まだまだ男性の家に嫁いでくるという形が多いです。これがいいことか悪いことかを論じるつもりはありません。時代の人々が選んだ形だからです。その時代の人々が、そのスタイルはダメだと感じた時に、それを変えてゆけばいいんです。決定的なものではありません。

ちなみに「嫁ぐ」とは、漢字ですけど、大和言葉の「とつぐ」の意味は、「ほと・つぐ」だそうです。「ホト」というのは、性器のことです。「ツグ」は「つなぐ」ですから、「性器をお互いにつなぐ」という意味が「とつぐ」なんです。これは実にリアリズムのあるイメージを喚起しますね。このイメージを持ちながら使うようにしたいですね。

そういえば、ご老人の御夫婦で、おばあちゃんが亡くなられると、おじいちゃんは実に弱いですね。もう、生きる屍といいましょうか、骨の抜けたクラゲといいましょうか、吹けば飛ぶような枯れ木とでもいいましょうか。これはちょっと言い過ぎかもしれませんが、実に弱々しいものになってしまいます。その反対に、おじいちゃんに先立たれたおばあちゃんは、元気というか、たくましく、楽しみながら第二の人生を力強く生きているように、端からは見えます。まぁ、今風にいえば「男は自立していない」ということになりそうです。

男性は、身の回りのことがまったくできません。いや、小生も含めて、できないひとが多いです。炊事・洗濯・掃除等々、日常にどうしても不可欠の部分は苦手ですね。「男は、頭でモノを考え、女は子宮でものを考える」とは、そういうところから出てきた言葉かもしれません。男は頭をもぎ取られれば、なんにもできません。それに引き換え、女は「生存する」ということに関して、根を生やして生きているように感じます。この生命感の違いは凄いですね。「男は切り花、女は雑草」とは、ものの真実を表現した言葉だと思います。まあ「男は外で稼ぎ、女は家を守る」という家族形態が多かったから、それは仕方ないといえば仕方ないことです。それは、男女対等ではないといいますけど、現在では、かなり変わってきました。ダブルインカムの家庭も多いですし、旦那が独り暮らしになったときのために、敢えて洗濯やら炊事を指導している女性もいるそうです。

いままで、日本の男性は、女房を「母親」にしてきたんですね。結婚してしまえば、現実の母親にはもうすでに甘えられないから、「新しい母親」を要求してきたんです。身の回りの衣食住はすべてかなえてもらい、そのうえセックスというスキンシップケアまで満足させてくれるのですから、まさに「子宮の中の暮らし」ができたわけです。「子宮の中の暮らし」というのは、お経の中に出てくる譬喩です。「胎宮(タイグウ)・疑城(ギジョウ)」と正確にはいいます。つまり、お母さんのお腹の中で暮らしているような状態をいうのです。環境も心地よく、食物も過不足なく、何の問題もないお母さんのお腹の中。でも、その状態は仏さまを疑っている状態だといわれているのです。エーッ、そういう状態になることを救いっていうんじゃないんですか〜!?ストレスもなくなって、何の苦しみもなくなって、安穏な暮らしができることを「救い」というんじゃないんですか??幼稚園児に「大きくなったら、何になりたい?」と尋ねたら、「お母さんのお腹の中に帰りたい」と答えたそうです。まさに、この世は苦しいことが多いですから、一番安全で楽な暮らしはお母さんのお腹の中なんですね。それを幼稚園の子どもが感じるような時代に突入してきたんでね。でも、世の男性も、幼稚園児と同じなんですよね。自分では気がついていないんですけど、実際の生活は、お母さんのお腹の中に帰ることを目指しているんですよ。

日本の社会は「母性社会」だと言われています。つまり企業の会議でも、自分の意見はなるべく後にしまっておいて、まず他者の意見を聞く。聞かれない限りは自分の意見を言わないんです。まぁ周りの状況を見渡して、大丈夫となったら動き出すんです。それから、「根回し」が好きですね。本番にうまく運ぶように、すでに水面下で流れを作っておくんです。その場では、既に決定事項を確認し合うだけなんです。その水面下の流れが読めないひとは、浮いちゃうんですね。ですから、仲間から浮かないように、目立たないようにしているのが日本の組織の特徴ですね。学校でも、そうでしょう。仲間と違ったファッションをしたい、でも、あまりかけ離れると浮いちゃうので、それを恐れる。仲間からどう思われているかということだけが関心事になる。もう少し、「自分」というものを大切にする文化が必要だと思います。欧米や中国では、その「自分」があまりにも全面に出過ぎています。欧米と日本の自我の中間くらいがちょうどいいように思います。

例の河合隼雄さんは『日本文化のゆくえ』の中で、現代の「夫婦の問題」をこんなふうにいってます。

「多くの場合、父性原理を優位とするのは女性である。日本の男性は日本的集団に帰属している限り、母性原理を相当に身につけている。自分の意見があっても、めったに自分から言いだしたりしない。自分の考えというよりは、まず集団の傾向を察知し、それに同調していくなかで、自分の考えを生かすことを考える。全体のバランスを考えることが先行する。これを「和」の精神と言ったりする。

現実はこのようであるが、マスコミを通じて流れる評論は、むしろ父性原理に頼るものが多い。(略)夫が外で好きなことをしている(というふうに見えてくるのだ)間に、自分がひたすら忍従しているのは馬鹿げている、と考えて、妻は「独立」したくなってくる。このようなわけで、父性原理という錦の御旗をもって、妻は夫を攻撃する。夫は「和」の精神によってグズグズ言うが、論戦においては妻の方が勝つことが多い。そして遂には離婚ということにもなりかねない。」

その通りという感じですね。「誤解して結婚し、理解して離婚する」ということは、そのへんに問題の一因があるようですね。更に、「ただどちらも相手を攻めることに急で、理解しようとしないのである。心理療法家は、このような文化戦争の十字砲火のなかに立って、理解への機が熟するのを待つしかない」と。「待つ」ということが仕事の心理療法家のご苦労が忍ばれますね。

「われわれ人間のなかの『内なる異文化』の自覚をよほどしっかりもたないと、外側につぎつぎと現れる『異文化』と戦うか、それを嘆いてばかり、ということになるのが現在の日本の状況である。」これは、「文化戦争」というテーマで語られた文章の一部です。男性が自らを支配している母性原理を対象化し、そして女性が自らを支配している父性原理を対象化することです。そうしないと自分が何に反応していらだったり嘆いたり感動したりしているのか見えないというのです。自分を支配している原理が見えないと、結局、文化と文化の代理戦争を自分が演じさせられているということにも無自覚になってしまいます。

さっきの「子宮の中の暮らし」は、仏さまを疑っていることだということですけど、それは、仏さまのお腹の中という譬喩なんです。仏さまのお腹のなかに入ると、心地がいいんです。でも、仏さまと対面することができないという問題をいってきます。それはそうですよね、一生お腹の中に入っていたのでは、お母さんと面と向かって微笑むことも、語ることもできません。子どもにとっては、快楽の場所であっても、それは本当に母なる仏と出会うことができないという深刻な問題を生み出すのです。これは何を批判しているのかというと、信仰の持っている「神秘主義」への批判です。信仰はいつでも、共同幻想や神秘幻想に傾く危険をもっています。俺たちだけ救われればいいという選民思想や、瞑想中に神秘的な体験をする神秘思想に落ち込み易いものです。そういう信仰の酔っぱらいをどう超えていくのかというのが大変な問題なんです。だって、もともと人間は酔っぱらいたい生き物ですからね。原始未開の時代から、酒やら麻薬やらを使用して、延々と酔っぱらってきた歴史をもっているんです。それはもう小生のDNAに埋め込まれているんですから。夜な夜な、酔っぱらいたいというか、飲酒を欲望する煩悩は、未開原始の欲求なんですね。小生のなかに、原始人の血が生々しく流れているのでした。ほんとにこの胎宮の問題は永遠の課題なのです。

 

 

2003年01月09日

●「『自分』というモノが実体としてあって、生きているわけではない。『自分』というシステムにおいて、何かが生きているのだ。自分は本来的には、無い。無いものが仮に生きているのだ。『無い』ということが本来的なのだ。永遠なのだ。自分が生まれる以前、そして自分がこの世を去っていた後、こっちの時間の方が長く、永遠なんだ」。こういうお告げを受けました。目が覚める寸前まで、議論をしている夢を見ていました。テーブルを5人くらいで囲んで、討論をしている場面でした。

さらに「淨土には行かなくていいんだ。なぜなら、淨土が、いまここに来ているからなんだよ。行けないんじゃなくて、行く必要がないんだ。」と強調していました。他にもいろいろ話していたようですが、忘れました。誰でも夢を見ています。ただ見たことを忘れて「自分は夢を見ない」といっているだけです。ずっと夢の日記をつけていた時期がありました。まったく、文章が書けずに弱り果てていた時期です。何を書いても嘘っぽくなってしまい、書いたはじっこから文字が腐っていくのです。書いても書いても、腐っていくので、まったく書けませんでした。唯一書くことができたのが、夢の日記でした。夢は自分勝手に見ることはできませんから、起こってきた夢を正直に文字にのせてゆけばいいんです。ずっと書いてきて、ようやく「書く」ということの秩序といいましょうか、流れといいましょうか、そういうものが、出来上がってきました。ですから、夢に助けられたといいましょうか、夢に育てられたわけです。自分で見る夢なのですが、夢のシナリオライターは誰だか分からないんです。自分の理性ではもちろんありません。夢は現実の世界から素材を取ってきます。人であっても、物であっても、素材は現実の世界のものを利用します。しかし、それもそのまま利用するのではなくて、少し脚色しながら、変形して用います。ですから、自分の身内が出てくるんですが、どこか現実のそのひととは違っているのです。そこが夢の面白いところです。素材は、現実の世界からとりますけど、それが物語として展開するときには、自由自在ですね。まったく奇想天外というか、ほんとにファンタジーの世界そのものです。夢のシナリオライターはいったい誰なんでしょうね。

ともかく、早朝の夢は妙に疲れました。昨晩、豚と牛と鱈とカワハギの寄せ鍋を食べたからでしょうか。それはともかく、間違いなく豚と牛と鱈とカワハギが小生の身体になって今にいたっているのでした。48年も生きれば、ありとあらゆるいのちが小生のいのちとして積もり積もって形成されてきました。本来無いものが、仮に、チリが積もるようにいのちのチリがつもり積もっています。「本来的に自分は有る」と見るのか「本来的に自分は無い」と見るのか。そこが自由と不自由の分かれ目のように思います。

話は変わりますが、作家の逸見庸さんが、現代の時代状況と1930年代の様相が似ていると指摘されていました。日中戦争から太平洋戦争への傾斜と、いまの時代状況が似ているというのです。その時期に川端康成が『雪国』という小説を書いています。あそこで印象的なのは、主人公が行きずりの女性と一夜を共にし、その女のあそこの匂いが指についているようで、その匂いから彼女を思い出すというシーンです。戦争前夜という状況のときに、川端康成は何を思ってその小説を書いたのかというのが逸見さんの疑問でした。物書きというものの、社会的状況に対する態度とはいったい何なのかという疑問だと思います。川端は、まったく時代状況に無頓着だったのか。あるいは知っていても書いたのか。あるいは他に意図はあったのか。それは川端自身ではないので、分かりません。しかし、小生は、文学というものがもっている底力を信じます。簡単にいってしまえば、つまり、その女の匂いが指に残っている、それを思っている間は、人間は戦争なんて馬鹿げたことはしないはずだということです。直接の反戦意識を鼓舞するという形では文学は存在しないと思います。どうしても、メタファーという形でしか存在しないのだと思います。それは小生の「宗教」というものも同じではないかと思います。ちょうどボクシングのボディーブローの形で、まったく相手にダメージを与えていないように見えて、実は、相手の動きを不自由にさせるというパンチです。アッパーカットやジャブは直接相手を撃ちます。目立ちますし、反響も大きいでしょう。しかし、一見するとまったく、体制迎合の弱者の論理のようですが、これがそう捨てたもんじゃないと思っているのです。これは小生の体質にまでなっていて、人が真面目に言い合いをしていると、ついつい横からチャチャを入れたくなるのです。冗談をいって、その場の息苦しさを転換してしまいたくなるのです。テレビを見ていて気づいたのですが、討論番組の時のビートたけしの役回りですね。あのチャチャの入れ方で視聴者はホッとするんですね。二項対立の場を、つねに開いてしまう。開かれてしまうと、熱が覚めます。あのチャチャの入れ方が、やはり誇大に評価すれば、平和のありかのように思います。まさにトリックスターですね。王宮と世間とを自由に行き来して、王様の権力をピエロとして揶揄したり、はぐらかしてみたり、しかし一生懸命にピエロを演ずる役どころ。「そういうものに私はなりたい」と思っています。

「愚公、山を移す」(『列子』)という言葉があります。村人は、あいつは狂っているといいます。その男は目の前の山を、向こうの谷へ移動させようと、毎日少しずつ山の土を移動し始めました。村人は、あの山を移すなんてできっこない、あいつは狂っているんだと罵ります。それから何十年、その男は毎日土を移動してゆきました。そしてとうとう、山を移してしまったというお話です。毎日少しずつ、しかし、それは着実に、ひとから何と言われようとも、自分の与えられた場を生きる。「生きる」ということは創造的です。だれも自分に代わって生きることができないからです。

 

2003年01月08日

●「焼き肉巡り口論 家族切りつける」(朝日新聞1月6日夕刊)という記事が載ってました。読んでみると、夕食に家族六人で焼き肉を食べていて、25歳の息子が、「焼き肉の焼き方をめぐり、姉と口論」なにり、文化包丁で姉の首と、止めに入った母親の顔を切りつけたらしい。この記事を読んでいて、思わず吹き出してしまいました。うちでも、テレビのチャンネル争いで同じようなことが起こるからです。でも、包丁は使いませんけどね。しかし一歩間違えば、起こらないとはいえませんね。まぁ「夫婦喧嘩は犬も喰わない」ということはあります。しかし、焼き肉の焼き方で口論になったという、あまりにもたわいないことで、刃傷ざたをすることに可笑しさを隠せませんでした。焼き肉の焼き方で喧嘩して、まさか新聞沙汰になるとは、当人も予想外だったことでしょう。「お姉ちゃん、それは焼き過ぎだよ」「お前のは、生じゃないか。それじゃ体に毒だよ」「うるせい、焼き方は俺の勝手だろう」 「お前はだいたい、ひとの親切が分からない人間なんだよ」「うるせい、てめー喧嘩売ってんのかよ!」などという口論があったのでしょうか。

小生も、焼き肉で、口論まではいかなくても、ムッとしたことがありました。先輩に美味しい焼き肉屋さんへ連れていってもらったときのことです。「ここの肉は、あんまり焼いちゃだめなんでね、ほんの少し火が通ればいいんですよ。これでもう食べごろですよ…」と小生の小皿にあまり焼けていない肉を取り分けてくれました。小生は、全体に少し焦げ目がついて、なかはミディアムというのが好きなんです。それなのに、自分が美味しいというやり方を、親切らしく強要されたときは、内心、ちょっとムッとしましたね。それから、そのお店に先輩といくときには、なるべく離れたところに席をとることにしました。そうすれば、食べ方の指図は受けませんからね。まぁ、そのことを隠さずにお話しましたので、いまでは、臨席でも被害はありませんけれども。

また、このシーズン「忘年会」や「新年会」で、よく見かけるのが鍋奉行(ナベブギョウ)というやからです。もう、この鍋のことは隅から隅まで知らないことはないというふうに振る舞うのです。これが同僚なら、まだ口論のしようもありますが、先輩やら上司だった日にャ、もうせっかくの鍋料理が苦痛な座敷牢状態ですからね。先日も、スキヤキ鍋の宴会があったとき、我が家では、関西風の作り方なのですが、関東風の調理をしようとした人がいました。関西風は、先に肉だけを炒めて、そこに砂糖と醤油をさし、ジューッといって、まだ赤みの残っている肉を、卵にとって食べるのです。この卵も、オムレツを作るようにかき混ぜてはいけません。まだ黄味と白身が混ざりきらない段階でこそ、肉とのダイナミックな関係ができあがるわけです。肉を堪能したら、つぎに野菜等を入れて煮るのです。この段階に入るとスキヤキではなくスキ煮になります。本当に美味しいのは、最初の五分くらいで、後は惰性で召し上がって下さい。ところが、関東風は、スキヤキではなくスキ鍋なのです。初めからワリシタという出汁を入れて、グツグツ煮て、そこに肉を入れます。これでは本当の肉のうま味が出てきません。しかし、この作り方をしようとした鍋奉行がいたのです。こいつは、ほんとに殺してやろうかと思いましたね。ですから、焼き肉の焼き方で、殺し合いをするのが人間だと、大声で言いたい。原因は小さくても、自分にとっては大事件ということなんです。

この、人間にとって、最大の本能であります「食べる」ということに関しては、なかなか煩悩の火が燃え上がるもんでございますね。眠りたいとか、セックスしたいという欲求が枯れてしまっても、最期まで残る煩悩が「食べる」ということです。これは、自分ではそうは感じていないのですが、これほど大きな問題もありません。ある料理学校の先生が生徒に言ってました。「あなた方、いつまでもご主人を引きつけおくためには、ご主人のハートをつかむんじありませんよ。胃袋をつかむんですよ」と。これは名言ですね。美味しい夕食があれば、旦那はあんまりフラフラしないで、まっすぐに家路につきましょう。家に帰っても、まずいものばかりじゃ、居酒屋さんや赤提灯にひっかかって、なかなか家路につきにくくなります。でも「夕食は外で済ますと妻のTEL」(川柳・戸矢当雄)では、最早そういう段階ではないということですけどね。

しかし、家族の平和の源は、「食べる」ということだと言えそうです。ドラマを見ていても、家族が一同に顔を合わせるシーンは必ず「食卓」ですね。「しょっちゅう食べてるよ、このドラマ」と言いたくなります。確かに夕食以外は家族と顔を合わせることはありませんね。数年前にはやったのは「ホテル家族」という言葉でした。「メシ、フロ、ネル」しか旦那が口を聞かないという現状では、家族はビジネスホテルのようなもんだというのでしょう。家族というものは、そもそも、なぜ一緒に住んでいるのか、理由の分からない人間の集合体なのです。なんで、この親と、あるいは子と、兄弟と、孫と一緒に住んでいるのか?よく分からないのです。まあ、夫婦はお互いに好き合って、契約的にしても一緒にいるということは納得できます。しかし、それ以外の関係は分かりませんね。利害関係で共同生活しているのでもありませんし、強制的に共同生活をさせられているわけでもありません。不可思議な関係です。

以前は、「家」という意識があって、先祖という意識があって、世間という他人の目があって、成り立っていました。しかし、現在では、それらは破綻してしまっています。ですから、いままで当たり前だった「家族」ということが分からなくなってしまったのです。曖昧だったからこそ「家族」が存在していたのですが、とことん突き詰めてみると溶解してしまうのです。家意識、先祖意識がなくなれば、やがて寺も存続しなくなるだろうと分析しているひともいます。それもそうかもしれません。そうなったら、また新しい形が必ず作られるはずだと信じています。現在では、みんなが「個」に帰るべき時代に入ったのでしょう。独り生まれ独り死に、独り去り、独り来るとお経に出てきます。生まれるときもひとり、死ぬ時もひとり。そしていま現在もひとりというところへ帰るべきでしょう。絶海の孤島、前人未到の山野、そこにたったひとりの自己があります。どれほど文明の渦の中に巻き込まれていても、死はひとりで背負っていかなければなりません。そして、絶対の孤独と絶望の淵に帰れれば、そこに初めて他者という存在の尊厳さも感じられてくるでしょう。孤独と絶望こそが、私の日常だといえるようになりたいと思います。

河合隼雄さんは「一人でも二人、二人でも一人で生きるつもり」と言ってます。一人で生活していても、対話するものがある、それが「一人でも二人」ということでしょう。ダイアローグがある生活です。それは、人でなくてもいいのです。ペットでも書物でも、テレビでも、植物でも仏さまであってもいいのです。近頃、小生はテレビと喧嘩したり、テレビを批判したりしていることにハッと気づきます。これは対話なんです。いいことだと思います。「二人でも一人で生きるつもり」とは、小生のいう絶対の孤独に帰って、そこから生きるということです。いつでも、自分はひとりになることを予想しながら、腹に据えながら、生きていきたいと思います。まぁ寺は、いつでも葬式と法事という「死」の教育現場なもんですから、いやでも、孤独と絶望を教育してくれる寺子屋なんです。

新藤兼人監督が「僕は一人なので、夕食後は自由人なんです。一時間ほど、ぼんやり、何かを思っていることもある。父母のこと、仕事のこと。ほかの人がいると、これができません。ぼんやりしていると『どうしました』と邪魔が入る。一人暮らしの楽しみは、ぼんやりじゃありませんか」と。この「ぼんやり」というのがいいですね。ぼんやりするために生まれてきたのかもしれませんね。おおいにぼんやりしましょう。元気じゃなくたっていいんです。社交的じゃなくてもいいんです。弱虫でいいんです。そのひとがそのひとらしくあればいいんです。

 

2003年01月07日

●今年の一月は、なんだか真っ白な感じがしていて、ちょうど8年前の、阪神大震災とオウム事件があった年と同じ雰囲気になっているように感じます。とりあえず、惰性で正月を引きずっているような感覚で、生活に力が入らず、過去の慣性の法則で、ズーッときちゃっているような感覚です。これはなんなんでしょうねぇ。人々は、ますます「出家前夜のお釈迦様」に近くなっているように思います。出家前夜とは、「何不自由ない暮らしのなかの欲求不満」というやつです。モノは満ち足りた。しかし心の中を虚しい風が吹くということです。組織に就職せずに、フリーターになるひとが多く、たとえ組織にいる人でも安定しているわけではなく、自営業の後継者も少なくなってきています。まぁ一言でいえば「不況」なんでしょう。でも餓死するひとがいるわけではない。かつてのバブルの時でも、案外儲かっているという雰囲気は世間になかったですよね。バブルがはじけてみたら、「あの時はよかった」と言っているだけで、その渦中では案外、そうでもないということがあります。そうすると、不況だといっていながら、案外そうでもないということもあるのかもしれません。確かに失業率等、数値的には悪いんでしょうけど、実感としてあまりないのではないでしょうか。それは「お前が見えない場所にいるからだ」といわれれば、それまでの話ですけれどもね。正月の海外旅行者は過去最高になったと聞きました。これって不況なんでしょうかねえ?デパートの福袋売り場には客が殺到して大変だったと聞きます。これで不景気なんですかねぇ?「富の二極分化」だと言われますけど、それにしても、私たちは情報に乗せられているんじゃないかといぶかしくなります。何が本当で何が嘘かは自分の眼で見たり、耳で聞いたりすることで判断したいものです。たとえテレビや新聞というマスメディアであっても絶対ということはありません。「情報は真実を映しているのではなく、作られるものだ」と聞いたことがあります。作られた情報の海の中をさまよっているのが私たちかもしれませんね。

確かに情報や生活環境や機械文明は、未開原始の時代とは異なっています。しかし人間の生きる死ぬということは、そんなに変化しているとは思えません。やはり、失恋があり、病気があり、争いがあり、祭があり、死があったはずです。この「永遠の課題」と「緊急の課題」の両面から物事を見ていく力をつけたいものです。

「自己成就」ということが、ますます人間の課題のように思っています。まさに「永遠の課題」だと思います。自己が自己に成っていく、それが生きるということだと思います。自分は初めから自分ではありません。自分は日々自分に成っていく過程にあるものです。決して、完成してはいません。ですから、自分はまだ自分自身に成りきっていないともいえます。未完成ということです。たえず成っていくものだと思います。先日の新春対談でも紹介しました谷川俊太郎さんは、こんなことを言ってます。「詩には現在しかない、これは瞬間芸である、と思うようになりました」(日経新聞)そして「詩の性質とはひとことで言うと永遠のなかの現在。」と。自己成就という課題も、まさに<現在>しかないのであります。過去がどれほど立派でも、<現在>どうあるかということとは、まったく別です。心臓は一日で十万回の鼓動を打ちます。しかしだからといって明日、打つとは限りません。未来のことはまったく分からない。その未来とは、何十年先ということではなく、「一瞬先の未来」です。過去から現在が生み出されるようですけれども、<現在>は現在であるのです。過去の因果を背負っているようだけれども、そうでもないということがある。小生は<現在>は、過去からも来るけれども、未来からも来るのではないかと思っているのです。過去→現在→未来という時間の流れだけではなく、過去→現在←未来ということもあるように思います。確かに目の前にあるのは、<現在>しかない。時々刻々変化して止まることのない<現在>です。その<現在>は、流れて未来へ移っていくという面もある。しかし、未来から成就してくる<現在>がある。過去といっても、<現在>の内容ですし、未来といっても<現在>の内容でしかありません。あるのは<現在>です。ひとは<現在>しか生きていない。過去も未来もないのです。そう考えると過去に縛られることもありませんし、未来に不安を懐くこともありません。<現在>に無いものは過去にも未来にもないのです。<現在>にあるものは、過去にも未来にもあるのです。

谷川さんのいう「永遠のなかの現在」とは、まさに自己成就の課題だと思います。実際に<現在>とは、永遠の過去と永遠の未来とを内容としています。自分が自分にまでなってきた歴史は、宇宙開闢の歴史と同じ長さをもっています。いのちの先祖を大雑把にさかのぼると、人類→アメーバー→地球の誕生→宇宙の誕生となります。この永遠の過去を仏教では「ア・ミダ」といいます。阿(ア)=〜無い。弥陀(ミダ)=量る、です。つまり自分のいのちの過去は人間には量ることができないという意味です。そして、未来は、これも永遠で、量ることができません。無量から<現在>へ、そして<現在>から無量へという円環が人間の生きるということです。詩は一瞬芸だと谷川さんはいうのですが、私たちの生きるということも一瞬芸なのです。この一瞬に永遠の過去と、永遠の未来が含まれているのです。

更に谷川さんは「まず自分が楽しむしかない。そうでなければ(詩は)書けません。自分が能天気になって面白がって書いていれば、かろうじて成り立つみたいなところがあります」と。この「まず自分が楽しむ」というところが好きです。これは「自己満足」ということです。最近では「自己満足」はいけないという風潮がありますが、「自己満足」がなければなんにも成就しないのではないでしょうか。何事に置いても「自己満足」する、これが永遠の課題ではないでしょうか。本当に自己が満足することによって、それは必ず他者に波及していくものなのです。自己満足して、それから他者満足という順番ではありません。あくまで自己満足でしょう。それがそのまま他者満足になってゆく道があるはずなのです。バイオリニストは、自分に本当に満足いく演奏をするということが、聴衆の満足につながるのです。聴衆のためにまず演奏するのだとしたら、それは本末転倒というものです。これはあらゆる世界に通じる話です。本当の仕事、本当の作品、本当の接客、本当の清掃、本当の事務等。本当に自分を満足させることができたならば、それはやはり生まれた意味を満たすということになりましょう。毎日、同じことの繰り返しように見えているけれども、同じ日は一日たりともありません。同じ<現在>もありません。

 

 2003年01月06日

●「光の部分は描けないんだ」。確かにそうです。木炭で石膏のデッサンをします。すると、光の部分は木炭で描けないんですよ。描くことができるのは、影の部分だけなんですよ。初め、自分の目に印象的に飛び込んでくるのは、光の部分なんですね。それで光の部分を描いてしまうんです。すると、まったく絵にはならないんです。そして悟るんです。「そうか、光の部分は描けないんだ」と。まったく、光は絵に描くことができないんですよ。そして、文字によっても書くことができないんですよ。光は透明なもんですから、この現象の世界に表現することができないんですね。ですから、「仏」とか「如来」とか「道理」「真理」「真実」と表現してしまえば、それは影の部分しか表現していないんです。表現することによって、表現しようとしたことが見えなくなってしまうんです。「真実」と描けば、「真実」を表現しているように見えて、実は、真実が隠れてしまうのです。先日の勉強会で、「要するに、信心とは『そのまま』ということですね」という話題になりました。あるいは「あるがまま」という話題です。それをどういう文脈で了解するかが問題です。それは実存領域の言葉なので、他の文脈で了解すると誤解になります。政治学的領域や経済学的領域や社会学的領域で了解すると誤解です。そこで了解してしまいますと、戦争もあるがまま、不況もあるがまま、差別もあるがままという誤解につながります。そうではなくて実存領域の言葉でありましょう。たとえば、人間はみすみす死んでしまうのに、なぜ生きなければならないの?という問いに対する応答として「あるがままなのです」「そのままなんだよ」という言葉があるわけです。あるいは、ひとが自分のことをどう思っているのか不安で、人と会うことができないんですけど、どうしたらいいんでしょうか?という問いに対して「あるがままですよ」と応答する言葉です。文脈を取り違えないということが、「荒ぶる神」としての「言語」と付き合うときの鉄則ですぞ。言語学の有名な命題に、「ぼくはウナギだ」という言葉があります。この言葉をどういう文脈で読むかです。@は食堂でメニューを見ながら注文している場面。Aは演劇の配役でウナギの役をするという場面Bは人前で自己紹介をしている場面で、ウナギのようにつかみ所のない男と比喩的に語っている時。それぞれの場面で、「ぼくはウナギだ」という言葉(単語)が違った意味に受けとめられます。ですから、その単語が、いまどのような文脈(場面)で用いられているのかということを断えず気にしていなければなりません。文脈(場面)は時々刻々変化していますから、固定していないというのも特徴のひとつです。20歳の頃、小生もひとなみに信仰問題に悩んで、まったく暗黒の時代を過ごしました。信仰に生きるということは、どういうことか?信心を獲得するとはどういうことか?と悩み苦しみました。それを真面目に考えれば考えるほど、考え方も体も固くなってくるのです。心身一如とはよく言ったもので、考えの固さと身体の固さは比例するものだと身をもって体験しました。身動きが段々できなくなるのです。例えば、乗合バスに乗る時、様々な状況が迫ってきます。たとえば、自分の目の前に老人が来たらどうするか?席を立って代わってあげるかどうか?そのとき、信仰者としてどう対応するのか?という難問。あるいは、行儀の悪い小学生がふざけ合っていたらどう対応するか?叱るか、黙って見過ごすか。あるいは混雑してきて、自分の下りたいバス停で降りることが困難な状況のとき、大きな声を出しても運転手に聞こえなかったらどうするか?あるいは酔っぱらいに絡まれたらどうするか?等々。細かい問題が次々と気になってくるのです。そうやって妄念妄想にかかずりあっていると、身体の動きがぎごちなくなってくるのです。流れがなめらかにゆかず、柔軟さがなくなっていくのです。そんなとき、師匠から「自然(木)と対話せよ」という課題が与えられました。「あなたは東京という人工都市に暮らしていたために、自然というものをまったく信頼していない。人間の手を通したものしか信じていない。自然というものと対話することが大事なのだ」と教えられました。確かにそうです。東京の江東区は、町工場の街でした。目の前には東亜ペイントというペンキ会社があって、いつもペンキの臭いが漂っていました。道路の側溝には、会社から流れ出してきた緑の排水や黄色の排水が流れていました。そのなかにオモチャの舟を浮かべて友達と遊んだことを思い出します。今から考えれば、公害の真っ只中で遊んでいたということのようです。北には肥料会社があって、風向きによっては肥料の臭いにおいが漂ってきました。今でこそ笑い話ですが、門徒の人が「因速寺にくると、いつも臭いにおいがしていたね」などとおっしゃいます。目にするものといえば、アスファルトの道路、電信柱、電線に外灯、煙突、団地や工場ばかりです。人間の手を通したものしかありませんでした。自然といえば、狭い空と植木くらいのものでした。

そこで、「木と対話する」ために北大路(京都)にある植物園へゆきました。まぁ、学生時代は京都に住んでいましたから、自然は沢山ありました。対話するといっても、木はしゃべりませんから困りました。そこでノートをもってゆきました。目の前の木をみながら、言葉でもって木を写生するのです。そして木を見て感じたことなどをノートにつづってゆくのです。そんなことを繰り返しているとき、ある単純な、しかし、小生にとっては物凄いことに気づいたのです。杉林を見ている時、杉の花から花粉がフワフワと風に乗って落ちてきてノートにウッスラと花粉がふりかかりました。指でこすると少し黄色くなりました。その頃は花粉症ではなかったので、なんともありませんでした。

「目の前の木の枝振りと隣の木の枝振りは似ている。でも、同じではない。ということは、ひとつとして同じ枝振りの木は、この世に存在していないのだ」ということです。これは当たり前のことのようですが、小生にとってはまったく目からうろこが落ちるという体験でした。今まで動物は好きで、ひよこや鳩や熱帯魚やインコなどは飼ったことがありました。でも、植物は動かないので、まったく興味がありませんでした。ところが、木は実に凄いものだと、まったく「お見逸れしやしたー」という感じで、脱帽したのです。ひとつとして同じ枝振りの木は存在しないということは、唯一無二ということですよね。絶対的ですよね。お寺の境内には、人間が植えた植木もあるのですが、自家生えの木もあります。墓地と墓地の間に根を張った木は、自家生えです。木の根っこは強い者で、重たい墓石を動かしてしまうのですよね。時間をかけてジワジワと。誰が植えたわけでもないのに、なんでこんな場所に生えてるのだろうと思っていたら、あれは鳥が犯人だと分かりました。鳥が木の実を食べ、糞を境内に落としてゆくのです。その糞の中に混じっていた未消化の種が発芽して樹木に成長したのです。決して環境は快適ではないでしょう。墓と墓の間の暗くて狭い場所です。木にとっては、自分の住む場所さえ、自由に選ぶことができません。それも汚い鳥のウンコといっしょに捨てられた、その場所を一生の住処としなければならないのです。日影だからといって文句もいえません。動物は自分の足で移動できますけど植物はすべて、まったく受動的です。

そんなことをしていたとき、ふと、植物という生き物が、自分にとって不可知な存在に思えてきたのです。いままでは気にも止めなかった木々や雑草。それが唯一無二の存在としてよみがえり、新鮮さを取り戻したと思ったら、今度はそれが不可知な存在になってしまったのです。「なんじゃ、この生き物は!」という感じです。それと同時に、温かいぬくもりと、何ともいえない安心感とが同時にやってきたのです。道端の雑草や植木たちが、不可知な存在であると同時に、温かいぬくもりのある存在になって立ち現れてきたのです。この体験は、自分にとってものすごく有り難かった体験です。その感情とともに、自分が生まれなおして、生きなおすということになったんだと思います。観念のお化けのように硬直していた小生が、やっと「そのまま」という等身大の身体に戻ったような安心感を得ました。

おそらく、自分は木と対話してきたと思っていたのですが、今から思えば、その木とは「あるがままの自分自身」だったのではないかと思っています。自分が自分自身を受け入れて生きるということは、動物である小生にとって至難の業であったのだと思います。観念の生き物が人間ですが、観念が自分の身体から溢れ出し、垂れ流しの状態になっているのです。その観念のお化けが、ようやく等身大の身体に納まってくれたということが、小生にとってはまったく有り難い体験でありました。そこから「生きなおす」ということが新たに始まったのでした。

それだから「あるがまま」とか「そのまま」に常に満足して今を生きているかといえば、そんなことはまったくないのです。いつでも、等身大からはみ出しながら、不平不満を言いながら生きています。「そのまま」や「あるがまま」に落ち着いてしまったら、それは如来の本願も不必要になってしまうのでしょう。親鸞の言葉に「一切の有碍にさわりなし」という言葉があります。「一切」とは「すべての」という意味です。「有碍」とは、「障害、ストレス、問題」という意味です。つまり「すべての障害に於いて、その障害が障害とはならない」という阿弥陀の本願の精神を語っています。つまりどこまでいっても、小生には「問題や障害やストレス」がつきまといます。しかし、その障害や問題があるからこそ、その障害や問題を引き受けて乗り越えてゆく力が与えられるのです。障害や問題がなくなってしまったら、それを乗り越える力もなくなってしまいます。障害や問題がなくなることを人間は願います。しかし、それは本当の救いにはなりません。どんな障害や問題がきても、それを引き受けて立ち上がるという力の爆発が救いなのではないでしょうか。

ヨットは、風に向かって進む乗り物です。風向きに真正面に向かうのではなく、斜め四十五度の方向に向かうのです。これがいいですね。四十五度なんですよ。風がなければヨットは進みません。風という障害に、向かって斜め四十五度で進んでいく。これはまったく逆説的であり、比喩的な乗り物ではありませんか。

 

2003年01月05日

●拙寺の本堂には、平山郁夫画伯の画が置かれています。シルクロードをテーマにした作品の一つで、ブッダガヤの大塔が真ん中に描かれ、菩提樹の梢越しに満月が浮かび上がっている作品です。全体にブルーのトーンで、見ているだけで、満月の夜の静けさがこちらに伝わってくる素敵な絵です。これは平山さんが描かれた絵を、友禅の布に染め上げたもので、直接描かれたものではありません。しかし、この絵が、単に大塔を描いたものではなく、その絵のテーマは仏陀=お釈迦様の悟りを暗示しています。伝記によると、お釈迦様が悟りを開かれたのは、満月の未明、明けの明星が輝き出したときだといわれています。この絵には、お釈迦様らしき人物は表現されていません。実は、この絵の情景をご覧になっている視点にお釈迦様が暗示されているに違いありません。ですから、お釈迦様の見ている視座から、私たちもこの情景を見ているわけです。参詣に来られる門徒の方が、時々「この絵は本物ですか?」と尋ねられます。そう尋ねられたときには、小生は、なんとも寂しい気持にさせられます。この絵は、平山郁夫という画家が存在しなければ、この世にはないのです。たとえ、布に染められたものであっても、それは本物に違いないのです。しかし、尋ねてくる門徒は、実際に絵筆をとって平山さんが描かれたものかどうかを知りたいのです。絵筆をとって書いたものではないと聞くと、「なぁーんだ」とがっかりした様子です。小生には、この絵が本物か偽物かという問題関心がまったくありませんでしたので、不意をつかれたような感じでした。

つまり、絵の素材は、布であって、絵筆で描かれたものではありません。ですから、筆の跡や絵の具の香りはありません。その意味では直筆ではないといえます。しかし、描かれている絵が指し示している意味の世界は、平山郁夫の世界なのです。小生は、絵の技法などを鑑賞するのではなく、絵の指し示している意味を味わうべきだと思います。また、絵を美術品鑑賞の視点で見るような力量もないくせに、直筆かどうかを云々すること自体、大変におこがましいことではないかと思います。直筆だからなんだ、染め物だからなんだ、と言いたい気分です。「本物は価値があり、偽物は価値がない」という、テレビ「何でも鑑定団」の悪影響に洗脳された脳には分からないことかもしれません。何でも、経済的な価値に還元してしか物事の価値を判断できない堕落した姿です。つまり自分の受け取り方に自信が持てないのでしょう。自分と作品との真剣勝負をして、その作品をこのなく愛するということに自信がもてないのです。それで他者の評価や、経済的評価に頼って自信を取り戻させてもらおうという姑息な根性のあらわれです。

気分を取り直して、絵からイメージされる世界に深入りしてみたいと思います。お釈迦様は35歳の12月8日の未明に悟りを開かれたといわれています。「縁起の法」、「道理」、菩提=bodhiを開いたといいます。物事はすべて、因縁によって成り立っているという実に当たり前のことを悟られたのです。父と母という因縁がなければ自分は存在していません。誕生という因がなければ、死亡という結果もないのです。欲望という原因がなければ、苦しみという結果もないのです。すべてのものは、因と縁によって成り立っているのだということです。伝記ではお釈迦様は、確かに35歳の12月8日にブッダガヤの菩提樹の木の下で悟りを開いたといわれているのです。しかし、小生は、スジャータのミルクをもらったときだと思っているのです。お釈迦様は29歳のときに、出家して、苦行を6年間なさいます。飲まず喰わずの苦しみの修行をされたといわれています。いまでも、ガヤの町の近くに前正覚山(悟りを得るための前段階の山)があります。その山に5人の友達と一緒に入り、苦しみの修行をやられました。6年間修行されましたが、苦しみの修行では悟りを開くことはできないと気づき、山を降りてしまうのです。ここにオウム真理教も学ぶべきでしょう。山を降り、日常に帰って初めて悟りが意味をもつのです。山の中(密室空間)で悟りを開いても、マスターベーションに過ぎません。5人の友達は、山を下りたお釈迦様に「あいつは堕落した。あいつとは二度と口を聞かないようにしよう」といいます。山を下りたお釈迦様は、見るも無残な骨と皮だけの姿になっていました。ラホール美術館にある「山出の釈迦像」は、その姿をスーパーリアリズムで克明に彫刻しています。お釈迦様がぐったりとバニヤンの木陰で身を横たえているとき、村の娘さんがミルク(乳粥)を持ってやってきました。その娘の名前がスジャータです。コーヒーに入れるあの名酪の「スジャータ」はここから命名されました。いまでも有島一郎さんのコマーシャルソングを時々耳にしますね。実に素晴らしい命名だと思います。このスジャータの差し出したミルクをお釈迦様は飲みます。小生は、ここにお釈迦様の悟りの原点があると確信しています。この出来事の意味が、ブッダガヤの菩提樹の下に座っていたときに開かれたということではないでしょうか。親鸞は「他力本願」ということをいうのです。それはスジャータのミルクを受け取ったということの意味です。自分のいのちは自分の思いで、どうにでも出来ると思っていたお釈迦様が、それは間違いだったと気づいたのが、ミルクを受け取るという行為だったのです。女性からものをもらうという行為、そしてミルクをもらうという行為は、山にいたときのお釈迦様からは拒否される行為でした。それは自らの煩悩を喜ばせる行為だから、ダメなんだと否定されていました。ところが、自分の煩悩を退治しようと思うこころも、煩悩のはたらきだということに気がつけば、そこから抜け出ることはできません。山では、煩悩を断ち切る思いはいいこころだと思い上がっていたのです。もし、徹底しておこなえば、死ぬより他はありません。お釈迦様は、その死のギリギリのところで、「いのちは自分のものではなかった」ということに気がつきました。実は、いのちが生きているということは「他力」なしには成り立たないのです。食べるという行為は、他のいのちを殺して摂取するしかないのです。呼吸するという行為は、植物の出す酸素なしには成り立ちません。飲むという行為も、雨が降らなければ成り立ちません。着るという行為も、他者が縫ってくれたものを身にまとうわけです。材料は綿や絹や化繊です。化繊のもとは石油です。石油は植物が大昔に堆積してできた化石のようなものです。これを人間は地球から抜き出して利用しています。石油も他力です。そしてこの身体というものすら、両親という他なる生体から生み出されました。その両親の前には4人の先祖、その前は8人の先祖。三十代さかのぼると10億7千3百万人ほどになります。その他力の連鎖のなかに自分のいのちがあるのです。その他力の連鎖をお釈迦様はスジャータのミルクに感じ取ったのだと思います。これは実に単純な事実です。自分のいのちは自分の所有物ではないということです。生まれたくて人間に生まれたわけじゃない。生きたくて生きてるわけじゃない。生きたくても生きられないということがあり、死にたくても死ねないという事実があるだけです。いのちは自分の思いとは、違う次元で営まれているのです。

思いが一番嫌う「死」すら、いのちは包み込んでいるのです。死によって支えられているいのちがあるのです。お風呂に入って肌をこすってみて下さい。白い垢が出てきます。これは皮膚細胞の死骸なんだそうです。ということは、ミクロの単位で、この皮膚を見れば、細胞が生まれては死に、死につつ生まれるということが断えず展開しているのです。私の身体の上で、無量無数の細胞の生と死が繰り返されているのです。もし細胞が死ぬということがなければ、生まれるということもないのです。そういう意味では、生は死によって支えられているとも言えるわけです。この冬一番の寒波の中でサザンカが真っ赤な花を咲かせています。人は花の美しさに目をひかれても、その根っこは見えません。根っこがなければ花は咲きません。死は根っこです。死は見えませんけれども、その死という根っこによって、初めて生という花が咲けるのです。見えないものをこそ見る。それが大切ではないでしょうか。

 

2003年01月04日

●「サカナ、サカナ、サカナー♪、サカナーを食べると〜♪、アタマ、アタマ、アタマー♪アタマーガーヨクーナル〜♪」は昨年ヒットした、CMソングでした。スーパーマーケットでは、繰り返し巻き返し流されていたので、知らず知らずのうちに口ずさんでしまいます。このサブリミナル商法に洗脳された自分が情けないなぁと感じながら、ついつい歌ってしまっている自分がおりました。でも、このサカナの部分を「人間」という言葉にかえて歌ってみたらどうでしょう。「人間、人間、人間ー♪人間を食べるとー♪アタマ、アタマ、アタマー♪アタマガヨクナルー♪」。もし人間を食べる生き物がいて、こんな歌を作っていたら、そりゃあんた、たまらんぜーということになります。スーパーに並んでいる魚たちが、あの歌を聞いたらどう思うのでしょうか。まぁ、サカナにはマブタがないので、笑っているのか苦しんでるのか悩んでるのか、それはサッパリ分からないということなんです。それで、人間は、サカナの遺体を眺めながら、勝手に、美味そうだとか、新鮮だとか、想像することができるんですね。サカナに表情があったら、これはもう、枝末の悪いもんになります。その証拠に、四つ足の動物は、部分に切り刻んで、いのちだったことが分からないようにカモフラージュしてありますね。ステーキ肉だとか、合いびきだとか、ロースとかバラとか。間違っても活き作りなどはないのです。動物にはマブタもあって、表情がありますから、人間に様々な想像を促してしまうのです。 かつて、NHKの教育テレビで「人間家族」という番組をやっていました。司会は「広瀬川〜♪流れる岸辺ー♪」の「青葉城恋歌」でヒットした佐藤ムネユキでした。対象は小学生三・四年生だったと思います。ちょうど小生がみたときには「食べる」というテーマで、豚肉が取り上げられていました。スタジオには小学生が十人くらい座っていました。そのなかに司会の佐藤がまじって、番組を進行してゆきます。初めにあらかじめ撮影されていたビデオを見ます。そこには豚の一生が描かれていました。豚舎の中で母親の乳房に食らいついているたくさんの子豚たちが映されます。可愛い子豚たちが、母豚の乳房からお乳をもらっていました。それから数週間して、大きくなると、同じ大きさの豚たちと一緒の檻に移されます。その豚舎は、普段真っ暗だそうです。どこにも窓がないのです。どうしてかというと、日光に当てると肉質が固くなるからです。そして、まるまると太ってくると出荷(屠殺場に行くこと)の日がやってきます。出荷当日、トラックが迎えにきます。トラックに豚たちが移されてゆきます。でも、どこかで勘づいているのでしょう。なかなかトラックに乗りたがりません。すべてをトラックに乗せ終わると、車は屠殺場へ向けて発進してゆきました。豚たちは空を一度だけ見ることができます。それは屠殺場へ向かうためにトラックに移されるときの空でした。そこでビデオは終わります。このビデオを見て何を感じ、考えたかを司会の佐藤は小学生に聞いてゆきます。まあ「かわいそうだ」とか「残酷だ」とか、「でも仕方ないよ、人間は食べなきゃ生きられないんだから…」とか「豚肉は嫌いだったけど、残さないで全部食べます…」とか。様々な感情を話してくれました。人間は、残酷なことに生き物を殺してしか生きられない存在です。でも、残酷なことに耐えられない優しい面をもつ存在です。酷たらしさと優しさが同居している存在です。その豚のビデオを見て涙を流しもするし、しかし、豚シャブに舌鼓をうつ存在なのです。そういう矛盾を本質としているのです。決してだれも、償うことのできない罪が「食べる」という行為なのです。その矛盾が断えず見えていないとダメだということだけはいえるように思います。生真面目に「食べる」という罪に関われば、「食べない」ということでしか罪を逃れる方法はありません。妥協すれば、「できるだけ少なく食べる」「植物だけ食べる」という方法はあります。ジャイナ教みたいなもんです。しかし、自分の存在を抹殺するということも、いのちを軽んずることになりますから、それもできません。それは、「こうすれば罪から逃れられる」、「こうしては逃れられない」ということを判断している自我が作り出した幻想です。どうしてみても、この罪からは逃れられないのです。たとえ神や阿弥陀さんでも助けられないのです。何をもってきてもダメです。罪からは逃れられないということに徹底して落ちて行くと、底に到着します。その罪の底が安心の大地なのだと思います。

 

2003年01月02日

●谷川俊太郎「そうなんです。僕はその詩が受けるのはうれしいけれども不安もあるのです。ただでさえ過去を忘れやすい私であり、日本人であるのに、今、今と言っていていいのかしらという感じがする。でもそれは日本語がつくりあげた日本人の特質なのかもしれない」。

橋源一郎「現在しかとらえないのが今の日本語の特質だとすると、それって詩の特質に似ているでしょう。ならば、日本語は今、詩になってしまったともいえなくもないですね」。

谷川「おれもそういう気がするの」。

橋「だから権威的な詩はいらない。だって、みんな詩なんだから」。

谷川「もともと日本人は、俳句、短歌が好きで特異な人種なんです」。

橋「どれも一瞬の何かを切り取るものですね」。

谷川「それと、主語はいらないというのも日本語の特質に関係していると思うのです。つまり詩の中で「わたし」というのがなくても書けちゃうわけでしょう。僕の詩を米国人の友達が翻訳してくれる時、いつも問題になるのが主語は何だということです。実際には主語を入れてくれては困ることもある。(略)」

 これは、元旦の日経新聞に出ていた「新春対談」の模様です。小生も、「主語的自己と術語的自己」という言葉でものを考えていましたので、この部分に何かを触発されました。普段の暮らしでは、「私」ということを自覚しないで生きているのが普通です。欧米の文化では、もう無意識的といっていいほどに「自己」を表現することが常識になっています。日本語なら、「助けて〜」と叫ぶところ、英語では「ヘルプ・ミー」と、わざわざ「私」を盛り込むことが無意識的におこなわれています。日本語は、自己と他者をあまり分けないで、間の関係に重点がおかれて表現されることが多いのです。ですから、イメージ的に膨らみをもたせた「詩的」表現にならざるを得ません。

 小生が使う、主語的自己とは、「私は●●です」というときの「私」ということですが、仏教は、この「私」というのは無いよといいます。「諸法無我」といって、「すべての存在は我という実体はないのだ」と教えます。ですから、主語的自己とは、本来的には存在していないというのです。それでは、何があるのかといえば、術語的自己ということになります。これは別の言葉で「方便(=形態)としての自己」ということです。つまり、普通は「私が年賀状を書いている」と表現します。そういうふうに書かないと作文の授業のときには、先生に叱られます。ですから、先ず最初に「私は…?」と書いてから、次に何を書こうかなと考えます。でも、実際に暮らしているときには、「私」なんて、全然意識しないで生きているんですよね。周りの人や、仕事などの関係に振り回されながら生きているのが実情ですよね。ですから、この「私」が出てくるのは、「あ〜あ、わたしって何てダメなんだろう〜」とか「あのひとは、わたしのこと、全然分かってくれないの〜」とか「おれのいうことが聞けねえのか!」とか「おれって、生きている意味あんのかなぁ〜」とかの、非常事態のときだけなんですよね。ですから、平穏無事のときにはあまり「私」について意識することはありません。まぁ、あまり「私」について考える機会がないほうがいいのですよ。その方が幸せで、考えないに越した事はないのです。けれども、人間は何かにつけて、苦しみ多き生き物ですから、また、フッと考えざるを得ないというのも現実ですね。作文のときに「私は…」と書いているときには、そういう「私」を振り返って書くのですね。振り返らないと「私」というものはなかなか出てこないもんなんですね。過去から振り返って、「あのとき、そう感じていたワタシ」を書くわけですね。ですから、書くということは、過去しか書けないという面もあります。未来はすでに、生きてしまっているのですから、書くという前に済んでしまっています。ですから、「年賀状を書いていたワタシ」「紅白歌合戦を見て、感動していたワタシ」という術語的自己しか表現できないものなのです。ですから、ワタシは「私」自身を生きているはずなのですが、「私」の影、つまり術語的自己しか知らないのです。未来の「私」には出会ったことがありませんね。

 元旦に医師・日野原重明と作家・瀬戸内寂聴がNHKで対談していました。その中で、女子高生が援助交際の問題で瀬戸内に反論してる場面を放映してました。女子高生は「自分の体何だから、どう使おうと勝手じゃん。別にひとに迷惑かけてるわけじゃないんだから…」と。それに対して瀬戸内は、「そう言ってるあなた自身に迷惑かけてるじゃないの」と。それを聞いていて、まず、「あんたは実際、援助交際やってるのか?」と問うべきだと思いました。第三者なのか、二人称なのかと。精神分析家・河合隼雄は、実際に援助交際している少女に「あなたの魂に悪いからやめなさい」と言われたそうです。二人称か、三人称かで、対応は全然違います。二人称であれば、援助交際の痛み(負の面)を体で知っているはずなんです。あるいは、資本主義は、自分の労働力を切り売りして、対価を得るのだから、援助交際の原理なんですよと開き直られる可能性もあります。まぁ小生は「あなたのいのちは、あなたのものではない!」と言うべきではないかと思いました。「17歳まで、喰い殺し栄養にし、血や肉にしてきた無量無数のいのち、そのもののものなのであって、あなたの自由にできるもんではない!」と言うべきでした。これはいのちの現事実です。理性や思いは、勝手に「私」はワタシのモノだと勘違いしているに過ぎないのです。術語的自己とは、そういう無量無数のいのちが「私」という生理体に凝集している現事実を表現しているのです。その自己がどこかで、見えてくれば、もっと違った角度から生きるということが、始められるように思いました。それはあくまで二人称の場面での問題に限られるので、三人称的に言ってしまえば、大昔から売春なんていうものはあったし、この世からなくならないというのは、永遠の課題なんだと言えてしまうわけです。

西暦2003年1月1日(年号・平成15年)元旦

朝日新聞の元旦の社説には「千と千尋の精神で−−年の初めに考える−−」と出ていました。また毎日新聞の社説には「自然体を身に着けよう−−素直になれば解決できる−−」とありました。どちらも冒頭の言葉は「不穏な年明けである」(朝日)、「内憂外患の年明けとなった」(毎日)と共通に不安感を表に出した書き出しになっていました。外には戦争の不安、内には不況の不安があります。朝日新聞は「多神教の思想を生かそう」という小見出しが文中にありました。宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』の主人公・千尋が化け物と向き合って、彼らの弱さや寂しさを引き出すことによって、解決していく姿勢を参考にするべきだといっていました。アンチという姿勢で敵対すると「ブッシュ大統領の言葉は、米国の著名な宗教社会学者をして『奇妙にビンラディンと似ている。我々は敵と似てきているようだ』」と語らしめています。そして結論的に「いま世界に必要なのは、すべて森や山には神が宿るという原初的な多神教の思想である。そう唱えているのは、哲学者の梅原猛さんだ。古来、多神教の歴史をもつ日本人は、明治以後、いわば一神教の国をつくろうとして悲劇を招いた。そんな苦い過去も教訓にして、日本こそ新たな『八百万の神』の精神を発揮すべきではないか」と述べていました。梅原さんも厄介なひとで、全然信仰ということが分かっていないひとですから、いかにも正論のようなことを言っています。「あれも、これも」結構ということでは、信仰にはならないのです。個人の生きるという実存のギリギリのところでは、唯一これこそが真実だという決断が必要なのです。法然というひとは、『選択集(センジャクシュウ)』という書物を書いて、そのことだけを強調しています。それは狭い考えだといわれようがなんといおうが、自分とその信仰との出会いは運命的な絶対性をもっているものです。その厳しさが分からないと、「あれも、これもよし」という曖昧な八百万の神様が好きという信仰に似て非なるものになってしまいます。その意味で小生はかつて「成熟した一神教」という表現をとりました。

 ハイデガーが「アンチ<反anti>は、それが立ち向かう相手の本質の中に必然的にとらわれている」と述べているように、相手にムカッときたら、それは相手と同じ土俵に立ってしまっているということです。それは、まだ相手をアンチの存在として拝跪してしまっているということです。つまり無視できない存在として、認めてしまっているんです。まだ相手を完全に自分の中で抹殺して消化しきっていないということなのです。完全に殺しきってしまえば、相手を反面教師として学ぶという余裕が生まれます。小生も、聖書が好きで、イエスの言葉を法話のお話で引用することもあります。「私にしたがってくるものは、汝の十字架を背負ってきなさい」などというイエスの言葉は大好きです。仏教徒でも、充分に聖書に学ぶことが可能なのです。なにもオーソドックスのキリスト教教理の解釈と同じように受け取らなければならないという法律はないのですから。言葉は悪いですけれども、相手の教理を自分の教えを学ぶ教材として利用するという事が、「成熟した一神教」のスタイルだと思います。小生も尊敬している井上洋治神父さんも、こう言ってます。

 まあ私にいわせて頂きますと、宗教というのは全身をあげて生きることにあるので、本質的には知識の問題ではございません。従って自分は必ず一本の自分の道を、現実に茨をはらいながら登っているはずであります。この今自分の登っている道が必ず頂上に達するであろう、途中で行き止まりではないはずだ、というのが、教えに対する信仰というものだと思っております。従って一人の人間は、必ず一本の道しか登れないのであって、同時に他の道をのぼるということは絶対に出来ないはずであります。従って、その意味では、他の道が頂上に達するか、達しないかはその人にはわかるはずがありません。もちろん、他の道を登っている人が、この道は必ず頂上に通じているのだと信じて登っておられるのなら、それはそれで当然尊重すべきものであります。それを否定すべき根拠は何一つないはずだと思います。ただ、どの道を登っても同じ高嶺にでるのだ、ということを確信をもって断言する方がいたとしたら、その人は自分の足で、汗水をたらしながら喜びと苦しみをかみしめながら山登りをしている人ではなく、ただ麓でそうにちがいないと信じている人だということだけはいえるように思います。

これはまったく、その通りというほかありませんね。八百万の神にいいところがあるのだという発想は、「自分の足で、汗水をたらしながら喜びと苦しみをかみしめながら山登りをしている人ではなく、ただ麓でそうにちがいないと信じている人」であります。必ず信仰は、「一本の自分の道」しか歩めないのです。「あれも、これも」という発想は、「あれか、これか」という発想をくぐったところからしか生まれないものなのです。ここは微妙なところですが、大切なところだと思います。これが「成熟した一神教」の必須条件でしょう。

毎日新聞の社説では、自然体が大切だといわれていました。「普通に考えておかしいことを一つずつ直していけばいいだけのことである」といっていました。これは、言うは易しで、なかなか難しいものだと思います。今日はやめよう、やめようと思いつつも、ついつい酒に手が出る自分を振り返ってみると、難しいものだと思わざるを得ません。さらに「お正月、大方の日本人は世界有数の幸せな毎日を送っていることにまずは感謝。次にこの状態を危機と呼べるぜいたくに感謝することから始めたい」と、これはそうだなぁと思いました。でも、しらふのときにはイラクだ北だと、善人のような顔をしているのですが、いざ酔っぱらうと、からきしダメという、体たらくです。そんな自分を見るたびに、自分さえよければ他はどうなってもいいという自我一神教に狂信している自分が現前と、ここに「ある」ということが知らされるのです。一日の時間の中では、北だイラクだといって、そのことに関わっている時間よりも、自分の生活の時間のほうがずっと多いのです。そこが中心にならざるを得ないのです。なんといおうと。そこから考えたり、ものを言ったりするよりほかに自分の居場所はないのです。

         

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