住職のつぶやき2003/04


 

 

2003年4月1日

「家族、この未知なるもの」

カウンセリングで一番難しいのは、身内のカウンセリングだそうです。お互いに知り過ぎていますから、甘えもありますし、依存心もあります。そのなかで、自分の未知なる家族を知ることは難しいです。すでに知っているということは、新たに知ろうとするこころざしを減少させます。しかし、たとえ家族であっても、そのひとの未知なる部分は必ずあるはずです。今日一日、その家族の、いままで自分の知らなかった部分が発見できれば、これは面白い人生が創れるのではないかと思います。というのも、これは自分の実感から述べているのです。実は、昨日あまり天気がよかったので、「父に花見でも行こうか」と誘ってみたのです。毎日寝たり起きたりだけの生活じゃ退屈だろうし、ちょうど桜が満開なので、もし気分がよければと誘ってみたのです。そうしたところ、父も乗り気で、女房と三人で車で上野の山へ出かけました。天気がよかったせいもあって、沢山の人出でした。桜の下では、すでにあちこちで所狭しと花見が行われていました。桜は見ているだけでも気分がウキウキしてくる作用をもっています。父も車椅子から、「この桜は色が白い」とか言いながら眺めていました。そして自分が若かった頃、この上野の山で花祭り(お釈迦さまの誕生日のおまつり)を仏教界でやったんだと語りました。そのとき、みんなと一緒に踊りを踊ったという話をしました。これを家に帰って母に告げると、「そんなことは聞いたことがなかったわ」と話していました。少し歩いてくたびれたのか茶店に入って、お汁粉を食べました。給仕の女性に、「精養軒の社長は元気ですか?いくつになったの?」などと聞いていました。精養軒の社長夫妻と父が知り合いだったということも初耳でした。やっぱり何年家族をやっていても知らない側面がたくさんあるのだと思います。

 しかし、少し車椅子を押して歩いていると、父の機嫌が悪くなってきたのです。どうしたのだろうと思っていると、「花祭りの時の知り合いがいるかもしれない」というのです。こっちは「そんな、前のことなんかみんな忘れているよ」と答えました。父は「いやいるかもしれない」と言います。こんなたくさんの人込みのなかじゃ、会おうと思っても会えないだろうと思いました。父は知り合いにはこんな見すぼらしい格好を見せたくないと考えたようです。人込みをさけて、ひとのいないところへ行けと命じます。せっかく桜が咲いているのに、そこから脇道へ入って車へ戻りました。家に着くと、父は母に、あんな見すぼらしい格好をみんなに見られて恥ずかしい思いをさせられたと言ったそうです。最後に「疲れただけだった」と語ったそうです。その言葉を母から聞いて、小生は「ひとのやることは、そんな程度のことだよ」と答えました。

 端から見れば、親を花見に連れていくなんて、いい親孝行じゃないかと思われる行動です。そのひとの気持ちも分からないで、ただ疲れただけだったなどと言うのはもってのほかだということになりましょう。もし、そういう文脈が小生のこころの中にあったとしたら、多分、小生は腹立たしく感じたことでしょう。しかし不思議にも小生のこころは平静でした。だって、父を花見に連れていったとしても、それで父が喜ぶかどうかは未知数だからです。喜ぶはずだ、喜ばなきゃいけないと考えているのは、人間の思い込みです。相手がどう感じるかは、分かりません。「してあげた」という思いは、こっちの勝手な思い込みです。喜ばないからといって、なにも文句を言う必要はありません。事実は花見に連れていったという事実があるだけです。あとは思いの世界です。自分もどこかで、父に対して「してあげた」という思いが残ってはいました。しかしその思いを、やがて捨ててしまいました。というより、その思いが風化してしまいました。ただ事実は、花見に連れていったという事実だけです。そこでどう相手が感じるかは相手の領分です。越権行為をしてはいけません。ですから、人間が、どんな思いで相手に接していても、事実は事実として残っていくだけです。ですから、してあげたのに喜ばないじゃないかといっても、人間のできることは所詮、その程度のことなんです。相手に期待しちゃダメなんです。最初から、期待しなければいいんです。ただ自分のしたいことをしていればいいんです。期待が大きいと、それに応じてくれなかったときには裏切られたとなるんでしょう。最初から期待しないのが一番です。

 確かに少しの期待はあったのです。父の気分がよくなってくれればいいなぁという淡い期待はあったんです。「妻は妻自身を愛するが故に、夫を愛す。夫は夫自身を愛するが故に、妻を愛す」という言葉があります。妻が夫を愛するのは、妻に優しくしてくれる夫を愛するのです。もし夫が他の女性を愛したら、それは怨みに変わるんです。自分を愛して優しくしてくれる存在だから夫を愛するのです。ですから「妻は妻自身を愛するが故に夫を愛す」となるのです。これは男性なら逆になります。これと同じで、父に優しくしたのは、自分がかわいいからだという面もあります。なんで父の気分がよくなると期待したかといえば、自分が家にいて居心地をよくするためです。自分の居心地のよさのために父を利用したという面もあります。鬼のような側面もあるのです。でも、それだけではありません。一つの意味(側面)だけで、ものごとを丸ごと評価したつもりになってはいけません。 丸ごとは、本当のところは、人間には分からないのです。

 まして、病気を抱えている父の精神状態などは推し量れるものではありません。こっちはよかれと思って車椅子を押して歩いていたけど、やっぱり歩行者の目線は、車椅子の父を見下します。たくさんの眼が、父を見下しているのです。花見客は、車椅子の父と同じ高さの視線で、チラチラと見ます。やっぱり、自分が桜を見るということ以上に、大衆の眼が父を見つめていると感じたのかもしれないのです。「なんで、こんなに沢山の眼が俺を見つめているのだ」という内面の囁きがあったのかもしれません。その場に苦しみを感じてしまえば、この場に引きずり出した人間が、俺を苦しめているのだと被虐的に受けとめて行くのも納得がゆきます。そんな心理分析をしてみてもしようがないのですけど、そうだったかもしれないのです。つまりひとのこころに、今どういうことが起こっているのかは、他人からは推し量ることはできません。いつでもひとのこころは未知数です。

 こうやって見てくると、家族はまだまだ未知なるものでしょう。よくお葬式で、亡くなられたかたの想い出を遺族がしゃべっています。「お父さんって、こんなひとだったね」、「いやあんなひとだったよ」と。ひとそれぞれの出会っている家族もまたそれぞれなのです。ちょうど「アリスのティーパーティー」ですね。こりゃまた、わけの分からないことを語ってしまいました。陽気のせいでしょうか。「アリスのティーパーティー」っていうのは、ディズニーランドのアトラクションです。いわゆる、ティーカップがグルグルまわる乗り物です。あのひとつひとつのティーカップが個人個人です。グルグルまわりながら、近くなったり遠くなったり、家族の出会いもあれと同じ動き方をします。知っているようで知らず、知らないようで知っている。家族とは、不思議なものです。今日一日、家族の知られざる一面をひとつ知ることができれば、それは幸せな一日であったのだと思います。

 

2003年4月2日

●夢の中で語っていました。「仏教は有(存在)の本来性を空というけど、それは何も無いということを言おうとしているのではない。有るものの本来性を空というだけだ。むしろ、厳然として存在(有)が強固にあるから、空ということもできるんだ。人間にとっては、いくら目の前のものが存在していないと主張しても、現前として眼で見、手で触ることができるんだから…。」と。なんだかとても理屈っぽい夢を見てしまいました。脇で寝ている女房が、小生はよく夢の中で話しているといいます。それがひとに語りかけるように話すもんだから、自分に話しているのかと思って目を覚ますから迷惑だと言われます。夢は見たいと思っても見られませんし、見たくないと思っても見てしまいます。まったく不如意です。頭は、寝ていても働いているんですね。勝手に。まぁ寝ているときだけだと自分は思っているんですけど、それじゃ起きているときは違うのかと問い返しがきました。そう言われると、起きているときも、何やら勝手に考えているらしいのです。「意志」というものは、自分を意識しやすいこころのハタラキです。でも、他の「表象(想像)」とか、「類推」や、「判断」、「感情」の部分は、こころが勝手な動きで行っているようです。自分の自由に考えられるように見えていて、微細に見れば、自分の自由には考えられていないのです。こころはこころの法則にのっとって動いているのでした。そのこころに引きずられながら、今日一日も生きているようです。こころは自分のものであるように見えて、実は自分の所有物ではありません。

 そうそう、今度のNHKの朝ドラは「こころ」ですね。東京局が制作しています。舞台は浅草です。自分の見慣れた街角などが沢山出てくるのから楽しみです。昨日の中村トオルが飛行機の機内でスチュワーデスと会話するシーンが面白かったです。中村が、スチュワーデスを座席まで呼びつけて「かけるものを下さい」といいます。するとそのスチュワーデスは、「ハンガー」を持ってきます。中村「そうじゃなくて…」というと次には「ボールペン」を渡そうとします。中村「いや、かけるものです」。そうすると今度は「メモ帳」を差し出します。中村「あのねえ、かけるものといったら分かるでしょう!」。それを見かねた同僚の主役がやって来て「かけるものだけでは分かりません。音楽だってかけるものですし、水だってかけるものです。だいたい毛布なら毛布と言わないお客様にも問題があるんじゃないですか!」。そして持っていたソーダ水の詮を開けた途端に、中村にソーダがかかるというシーンでした。これは喜劇ですね。普通、機内の状況でかけるものといえば、毛布に決まってますからね。でも、朝から笑ってしまって、とても楽しい気分になりました。コントを見ているようでした。NHKも朝からやってくれるなぁと思いました。

 今日は、親鸞仏教センターの研修旅行で伊東にいってきます。では…。

 

2003年4月3日

●親鸞仏教センターの研修旅行で、伊豆の伊東へ行ってきました。風が強く、寒かったです。大室山にある桜の里には、平日でも、たくさんの人々が桜を見に訪れていました。ここには三千種類の桜があるそうです。大島桜、染井吉野、台湾緋桜、枝垂れ桜等々。開花時期も、種類によって違っているので、満開の桜もあれば、まだ蕾の桜もありました。寺の近くの緑道公園の桜は満開です。全員示し合わせたように、同じ時期に開花します。へそ曲がりがいて、少しぐらいズレてもいいんじゃないかと思うんですけど、ズレないですね。この自然のかもしだす調和には恐れ入ります。人間では絶対に同じにならないのではないかと思います。あの緑道公園の桜は、隣がありますから、あいつが咲くんなら俺も咲こうと、調整することができるのでしょう。でも、裏道の小さな家の庭に一本だけある桜も、この公園の桜と同じ時期にちゃんと咲くんですよ。こいつはカンニングできないのに、ちゃんと同じ時期に咲きます。何で、同じ時期が分かるんだろう。ナンデダロ〜ナンデダロ〜と考えたくなりますね。緑道公園には夜になると、いわゆる「花見客」が、宴を催しています。カラオケを持ち込む連中もいます。(上野公園では禁止になりました)あれは花を見ているのではなく、桜の下で酒を飲んでいるというだけですね。結局桜なんかどっちでもいいんです。宴会会場がたまたま桜の下だというだけで、うるさいだけです。小生は、花見のときに酒を飲むなというのではありません。でも、せっかく花を見て酒を飲むのであれば、ちゃんと花を見ましょうと言いたいです。花を見ながら各人が酒を飲み、そこでこころに起こってきたことを静かに語り合うというのが花見じゃないかと思います。大声やカラオケや馬鹿笑いは禁止にしてもらいたいですね。せっかくの桜がだいなしです。もっといえば、ひとりで花見はすべきだと思います。満開の花の下で、桜と対話するというのが正当な花見だと思います。飲食は対話を円滑に行うための小道具だと肝に命ずべきだと思います。

 それから、桜は国花でもあり、日本人と共に歩んできた花だと言ってもいいでしょう。でも、普通植物は、芽を出して、それから葉っぱが広がって光合成を行ない、そのエネルギーをため込んで、花を咲かせて実をつけると習いました。でも、桜は、いきなり花が咲くんです。染井吉野ですけどね。(山桜は花と葉が同時に出ます)なんで花が先なんでしょうねぇ。ナンデダロ〜ナンデダローと思います。花咲かじいさんが、「枯れ木に花を咲かせましょう!」といって灰を振りかけると、枯れ枝に見事な花が咲きました。これも桜ですね。まるで枯れ木に花が咲いたようすが桜の満開ですね。「桜の森の満開の下」という映画もありましたね。桜の森の下を通ると人間は狂い出してしまうのでした。あの狂い出す感覚が満開の桜の下にゆくと分かりますね。カラオケで騒いでいる花見客もそうなんですね。桜の魔力で狂わされてしまうわけです。桜はあの見事な雄姿を見せつけて人を魅了し狂わせる花なのかもしれません。人間はパッと咲いて、パッと散る見事さを褒めたたえます。軍国主義のモチーフにも利用されました。それは、人間が桜を利用したのではなく、桜が人間を利用させたのかもしれません。なんとも不思議な花です。あれだけ夏には毛虫に喰われていても、平気で花を付けるんですね。真夏には「葉桜」といって、青々とした桜のトンネルがまたいいです。キラキラと輝く緑の葉っぱが本当に夏を楽しんでいるようにみえます。秋には葉が散って、人間にもの悲しさをかき立てます。紅葉によって、黄色や黄土色や様々な色に変化して道に落ちてきます。また冬には冬で枯れ枝のようになって、葉っぱをすべて落とし、冬の寒さをジッと絶えている健気さを伝えてきます。でも、よく注意してみると、芽を少しずつ出しているんですね。この桜の四季の変化は人間に「人生」を考えさせます。近いところでは「葉っぱのフレディ」というのがありましたね。死を受容するというモチーフですね。歳を重ねるということは、喪失体験が多くなるということです。若さを喪失し、仕事を喪失し、性を喪失し、肩書やら地位を喪失し、家族や伴侶を喪失し、最後に自分のいのちも喪失してゆきます。これは誰もが通る、当然のプロセスなのに、この問題をどうするかということを考えてこなかったとデーケン先生も指摘しています。生理的な死は解消できません。しかし死のイメージから自由になることは可能だと思います。だって、だれも生理的死を体験していないのです。体験したときには死んでいますから。ですから、死はイメージとしてしか存在していないのです。ここにカラクリがあります。

 

2003年4月4日

●今日、国立博物館で開催されています「西本願寺展」へ行ってきました。6日までしか「鏡の御影」という親鸞聖人の自画像の展示がありませんので、慌てて行ってきました。実物は実に小さい感じで、心の中ではもっと大きな絵を想像していました。もちろん蓮如筆の歎異抄やら、教行信証が展示されていました。親鸞は、名号本尊を書かれたのに、後代になって、光明本尊やら、絵像が多く描かれるようになったようです。言葉から映像へと頼らざるを得なかったのですね。言葉は理性的ですけど、映像は情緒的です。

「門侶交名帳」も展示されていましたが、「親鸞は弟子一人ももたず」と言い切った親鸞であれば、そんなものも必要としなかったのだと複雑な思いにかられました。教団という共同幻想に頼らざるをえなかった弱さと、共同幻想がなければ、今日まで教団が持ちこたえられなかったのではないかという現実とがあります。恐らく、親鸞そのもののエッセンスできたならば、教団は解体していたことでしょう。親鸞の発想は、ともかく人間が人工的に作った形を崩してゆきます。作為性が排除されてしまいます。曾孫の覚如が教団という共同幻想を確保したために、かろうじて教団が存続されたと思います。でも教団という共同幻想に身を任せたために、教団の必然的に生み出す毒も内包してきてしまいました。矛盾です。

 恐らく親鸞は自分を拝跪される場には置きたくなかっただろうと思います。自分は常に平地に生きるものだという確信があります。ですから、本山の御影堂に安置されている親鸞の木像を拝む時、そこには、親鸞に背いている自分と、親鸞への憧れと、矛盾した感情を味わうことになります。あの本山の大伽藍を見る度に、反逆と憧憬を感じざるを得ません。でも、あの大伽藍が更地になっていたときの夢想にふけることもあります。 今回の西本願寺展では、東西分派の資料が少し展示されていて面白かったです。武田信玄の書や、家康の書、信長の書など、謎の多い東西分派の状況が少し見えてきました。信長に負けて石山本願寺を退去するとき、顕如(11代)は和睦していきますが、長男の教如は拒否します。そのとき、信長に顕如が教如の不始末を詫びている書状もありました。顕如と教如親子の確執というか、親子の問題が見えました。教如の奥さんの妹が武田信玄の奥さんですから、信長は信玄を通じて本願寺に和睦を持ちかけたという書状もありました。一向一揆+本願寺擁護の大名勢の力は、信長勢と匹敵する力をもっていました。もし、本願寺側が勝利していたら、どうなっていたかわかりません。共同幻想をそのまま生きていたかもしれません。新興宗教やアメリカのように、いまだにマインドコントロールの世界に住んでいた可能性はいなめません。

 世界は、決して「ひとつ」ではありません。価値観によって千差万別です。それなのに、「真実はひとつだ」「正義はひとつだ」という共同幻想は、他者の存在を否定する発想です。本願寺は、戦に負けてそのことを学んだはずです。まぁ、だから「なんでも結構」ということではありません。「これこそは」という世界をもっているからこそ、「あれもこれも結構」と、余裕をもって受けとめられるのです。自分が救われていなければ、余裕をもって世界を許せないのではないでしょうか。カウンセラーが遊んでいなければ、クライエントは悩みを深めます。カウンセラーが法爾自然の世界に遊んでこそ、クライエントが自律し、バランスを回復してゆけるのでしょう。やっぱり自利利他円満は道理でしょう。

 今回の西本願寺展では、東本願寺のヒの字も出てきませんでした。教如が家康から烏丸の土地を寄進された事情も知りたかったです。強制的に教如を東の門首に据えたということでもなさそうです。教如も自発的に家康に近寄っている節も見えるのです。そして、なぜここまでひとつの教団が東西に別れて棲み分けてきたのか?そのへんの状況も知りたかったですね。国立博物館から出ると、そとは上野公園の花見客でごった返していました。冷たい風の中で、どうみても無理やり花見を決行しているという感じも受けました。新入社員らしきものが場所取りをしていたり、後片付けをしていました。なかなか本当の花見を体験することが難しい時代になりました。

 

2003年4月5日

●今日の雨で、桜も散ってしまうのでしょうか。雨ばかりではなく風も激しく吹いています。「春の嵐」とはよく言ったものです。親鸞が出家前夜に詠んだという「明日ありと思うこころのあだ桜、 夜半に嵐の吹かぬものかは」さながらの今日一日でした。今日一日は、昨日の一日でもなく明日の一日でもありません。今日という日は二度とない一日です。ですから、今日一日を生きたということは、何か新しい発見があるはずなのです。いまだかつて生きたことのない一日なのですからね。もし発見がないということであれば、それはかなり大雑把に生きているということの証拠です。もっと微にいり細にいり生きなければと思います。

 昨日の「論註の会」では、水功徳ということがテーマでした。水がなければ人間は生きられません。砂漠では水がいのちを潤します。しかし、水が多すぎてもだめです。多すぎれば洪水になってひとのいのちを奪うものにもなるのです。多すぎてもダメ、少なすぎてもダメというものが水です。この世は「程度」の空間です。それは「人間、所詮、ほどほどで、よろしおまんなぁ〜」という「ほどほど」ではありません。それは堕落した「ほどほど」です。「ほどほど」では決して満足しない生き物が人間なんです。徹底しないと満足はあり得ないのです。その徹底から戻ってきた「ほどほど」が小生のいう「程度」ということです。しかし淨土の人々は水を用いることがないと論註には書かれています。また淨土の人々は宝の池に入って、足まで水が来て欲しいと思えば自動的に足までくる。また膝まで来て欲しいと思えば膝までくる。また腰まで来て欲しいと思えば腰まで、首まで来て欲しいと思えば首まで来る。水は必要ないと思えば、水は消え、温度調節も思うがままだと書かれています。自然に心身が癒されて心の垢をぬぐい去って下さる。こんなことが書かれています。無量寿経や論註が書かれた古代には、お風呂に入ることも大変なことだったのでしょう。いまではほとんどの日本人はお浄土の生活を送っています。蛇口をひねればお湯が出てきますし、熱いと思えば水を足し、寒いと思えば追い焚きするという随意の世界です。古代の人々には考えられないような淨土の生活を日本人は送っているのでした。しかし、このお浄土の生活を「自分は極楽淨土にいるんだ」と実感しているひとは、あまりいないようです。むしろ不平不満で生きています。人間は、自分自身を変化させるのではなく、環境を人間の都合に合わせて変革してきました。以前にも書きましたが、サルは自分自身を変化させて環境に適応してきました。だから、サルにはたくさんの毛が生えているのです。しかし人間は毛の代わりに衣服をまとっています。これは人間が、自身を変化させるのではなく環境を変えて生存してきたという証拠なのです。人間がより快適に生きるために、環境を変革して、石油やら原子力やらで汚染してきたわけです。しかしこれは人間の本能的な適応システムですから、これから逃れることはできないでしょう。それは仕方ないのですが、人間の快適感というものは、常に「もっともっと」と上昇を目指します。このへんで止めておくということができません。ブレーキの壊れた電車みたいなものです。行き着くところまで行かざるを得ません。多少スピードは遅らせることができても、やっぱり突っ走っていくのです。その電車に乗っているのが日本人ですけど、その電車に乗っていながら、「そうじゃないんじゃないか」という不安を抱えているのも事実です。ですから、どこまで環境を変化させても、そのなかで人間は根本的に満足は得られないようになっています。お経には、一見すると人間の欲望が叶ったような状況が描かれているのですけど、言いたいことは、どれほど環境が快適になっても、そこが淨土にはならないということだと思います。

 人間は、自我をもっています。この自我は世界の一番大事なものは自分だと考えています。自分の世界、自分の家族、自分の食物、自分の財産、自分の名声、自分の地位、自分の職業等々、すべてを「自分のもの」という所有意識で考えます。以前は自分のものでなかったモノを手に入れることで快適感を得ることができます。しかし人間は、手に入れる前までは輝いていたモノが、手に入れた途端に色あせてしまうのです。そして退屈を覚えてきます。ですから、欲望は常に変化を求めています。その変化のところにしかエロスを見出すことができません。初めは驚いていたものが、まったく感動をなくし、マンネリ化してくるのが娑婆の生活です。つまりすべてが「当たり前」「当然」という世界になってしまうのです。この「当たり前・当然」という世界は、変化を失った世界です。日々は時々刻々に変化しているのに、その変化が見えない固定的な観念になってしまいます。

 曇鸞が論註で「水」ということで展開しているように、生活環境のあらゆる出来事に変化を見出すこころが大事だと思いました。それは以前にも書きました「家族」という当たり前の関係の中に新たな面を見出すということかもしれません。でもなかなか、当たり前の家族の中から新しい家族を見出すことは難しいことです。しかし、「眷属」とか「菩薩」という言葉が示しているように、決して固定していない存在が見えてくる筈です。小さい子どもがいる家庭は日々変化の中にさらされています。また子どもは好奇心の固まりですから、大人の凝り固まった発想をひっくり返す作用ももっています。大人は変化になかなか着いて行くことができません。それは筋肉や骨格が硬くなったということだけじゃなくて、頭の発想自体が固定的になってきているのではないかと思います。もっと柔軟に、日々の中に新しい意味を見出せるようになりたいと思います。

 「淨土には淨土という言葉はない」と小生はよく言います。「淨土」は自体満足の世界ですから、「土を淨める」という必要がありません。言葉も形もない世界です。人間の思いを超越している世界ですから、考えることもできません。ですから、「淨土」という言葉は娑婆のことなのです。娑婆の中にありながら淨土を象徴的に、比喩的に表現するための言語なのです。はじめから清浄、超越した場所ですから、人間の思いの中には入ることがないのです。「淨土」の対概念は「穢土」です。穢土と淨土の峻別が大事だと教えるのです。ですから決して人間の思いの内部には無いのだと教える言葉が「淨土」という言葉なのです。もともと人間の内部には取り込めないのですから、そこで初めて「淨土」という言葉から解放されるのです。「淨土」という言葉は、人間を虜にします。人間はなんでも善いことで迷うのです。淨土を求めるという形で淨土の虜になります。淨土から人間を解放しなければなりません。その、本当の解放宣言が「南無阿弥陀仏」なのです。人間と仏とが不可侵条約を結ぶことだと曽我先生はおっしゃっているようです。人間と仏とが、ちゃんと棲み分けられなければならないのです。そして人間は人間として独立し、仏は仏として独立するのです。

 

2003年4月6日

●今日の法事に恐らく日蓮系のひとが来ていて、それで読経中にも、数珠をジャリジャリやっていて、すごく不快でした。それで、「他力本願」の話をしてしまいました。粋がっていても、自分で心臓を動かしているわけではない。粋がっていても、肺を自分の力で動かしているわけではない。粋がっていても、皮膚の切り傷を自分の力で治せるわけではないと。すべて、自分の力を超えた、「他力」で治してもらっているのであると。こんな話をしました。自分の力はどこにもないのです。生きているほとんどが他力なのです。それが真実です。旦那さんは、奥さんの力に頼っているのです。奥さんは旦那さんの力に頼っているのです。自分にはまったく力はないのです。そういう受けとめ方が、本当の自由を獲得する作法なのです。自分の力だというふうに自分に全部背負ってしまったら、それは苦しいですぞ。

 今日は、護法会の役員会でした。世話人さんとお経をあげるのが楽しかったです。気心の知れてる人々と読経すると、ほんとに癒されます。法事でお経をあげているのと全然違うのです。何なんでしょうね。若い頃は、読経は嫌いでした。しかし、最近はそれが好きになってきたんです。この感情が分かるひとはなかなかいないと思います。もう先代の役員さんは二人しか出席されないのです。あとはすべて若い役員さんです。でも、その新旧の役員さんが一緒に、「キミョームリョー・ジュニョー・ラー・イーー」から始まって、一緒に称えると、ジワーッとこころに染みてきました。参加者のこころは、それぞれ違う方向を見ていても、しかし、このイマという時間は、少なくとも同じ方向を向いて、同じ言葉を発しているのです。その肉声が、バラバラでも、そのバラバラの声が実にいいのです。こんな感情を味わえる自分が嬉しくなりました。読経が終わってみると自分の眼には、ウッスラと涙がたまっているのでした。不思議でした。何かのためにお経を読んでいるのではないのです。儀式だからでも、なんでもいいんです。でも、ただそこに同じ場所と同じ時間を味わえる、この素晴らしさに、たぶん涙が出てきたんだろうと思います。明日は分かりませんからね。

 

2003年4月7日

●朝、目覚め。服を来て、それから腕時計を腕につける。時計を身につけるということで何か、ホッとする。酔っぱらって、昨夜、どこに時計を置いたのかちょくちょく分からなくなる。そんなときは、どこか不安です。やっと時計を見つけて腕にはめると落ち着くのです。これってナンデダロウーと思います。時計とは、時間を量るものです。今日が何月何日の何時何分かを知っていないと不安だということかもしれません。たとえ遭難して絶海の孤島に漂着したとしても、時計を肌身はなさないと思います。それは、自分が単に、今という時間を知りたいというよりも、時間ということで他者とつながっていたいという欲求があるからではないかと思いました。そうなんです、「時計とは社会性の象徴」なんですね。時計を身につけるということは、この社会を受け入れて生きているということなんです。だから時計を身につけると安心するのではないでしょうか。約束の時間までどのくらい残っているのか?ということを知りたいのです。予定のテレビ番組が始まるまでどのくらい残っているのか?と。これはすべて社会性ですね。

 しかし、近世に時計がヨーロッパからアフリカに持ち込まれる以前には、アフリカに「忙しい」という言葉はなかったといわれます。予定の時間までに、仕事を終えるということで、今を過剰に生きざるを得なくなりました。もっと言えば、未来のために今が手段化されたということです。時間を均一に量ることによって、隙間がなくなってくるのです。時計とは、そういう道具でもあります。江戸時代の日本人は、大まかに二時間単位のメモリで生きていたようです。「草木も眠る丑三つ時…」とか「明六つ、暮六つ」といいますよね。落語の「ときソバ」でも、客が勘定を払う段で、客が「勘定払うから、数えてくれよー、いいかー、ヒーフーミーヨー。いまなん時だい?」と尋ねると、店主が「五つです」。すると客がすかさず「ムー、ナナ、ヤー」と勘定を一文ちょろまかすという光景が出てきますね。時間は細かく量れば量るほど、正確さは増してきます。しかし、人間の生きる隙間がなくなってくるように思います。欧米には「タイム・イズ・マネー」といって、時間は過剰な利益を生み出すものだという資本主義の論理を語っています。そういえば、マック・ウェーバーというひとが、なぜプロテスタントと資本主義が結びついたのかという問題を論じてましたね。プロテスタントはカソリックよりも禁欲的です。つまり欲望をより過剰に消費しようとすることへは抵抗感があります。清貧に徹するというのがプロテスタント魂でしょう。まぁこれは神さまに気に入られようとすることだから仕方ありませんね。ウェーバーはマルチン・ルターが「職業(ドイツ語のベルーフ)」という言葉を「神の召し」という言葉で、翻訳したことがプロテスタントと資本主義を結びつけた要因だと分析していました。いままでは、神から違反した人間の苦役として労働を受けとめてきました。神の言いつけに背いて、知恵の木の実を食べることによってエデンの園を追い出されます。そこから、働いて喰う生き物になりさがったのだと聖書は解釈しています。しかし、ルターは「働く」ということは「神の召し」に叶うということだと意味転換したというのです。ですから、労働が神への罪滅ぼしという意味ではなく、神さまに誉められる素晴らしい行為と意味転換されたようです。そこから、チャップリンのモダンタイムスにいたるような近代化が進んできたようです。まぁいまではウェーバーの分析だけでは不十分だという意見も出てきています。

 これは余談ですけど、失礼ながらプロテスタント系の国の料理はあんまりいただけませんよね。アメリカやイギリス、ドイツなどはちょっとと思います。いまから24年前にハワイに新婚旅行にいったのですけど、ステーキに掛けてある何だか得たいの知れないソースは不味くて喰えませんでした。とにかく量的には沢山食べるようですけど質的にはもうひとつというのがアメリカの食文化への感想でした。最近では少し変わってきたということは、付け加えておきましょう。

 そういえばミヒャエル・エンデの『モモ』は時間泥棒との戦いでしたね。あの葉巻をくわえ黒づくめのスーツに身を固めた時間泥棒は、ひとびとに時間の貯金を勧めます。するといままで、楽しく生活していた人々が妙に忙しそうに、冷たく働く仕事人間に変わってしまいます。モモはものすごいカウンセリングの力をもっているのですが、親しかった人々がつれなくなります。最後には時間泥棒と戦うことで、人々に豊かな時間を取り戻すというお話でしたよね。それを実感するのは、田舎のタクシーの運転手と東京のタクシーの運転手の接客態度の違いですね。女房の生まれは大分なので、田舎でタクシーに乗ることもたまにあります。そのときには、ほんとに親切に接客してくれます。まるで親しい親戚のような態度で、乗っていても「そこまでしてもらわなくても」というくらいに感じます。でも、東京のタクシーはまったく違います。これは皆さんも体験されたことで言うまでもないことでしょうね。短い距離だと、乗車拒否されたり、ムッとされたりします。お客が運転手に気づかって「近いけど乗せてもらえますか?」などと低姿勢に出なければなりません。お客より運転手の方が偉いという態度です。この前も浅草からタクシーに乗ったのです。個人タクシーだから安心だと思って乗ったのですが、それが間違いでした。降りるまで、ひとことも口を利かないんですよ。個人タクシーなのに。それは典型的に悪質な奴なんですけど、だいたいおしなべて東京の運転手は無愛想ですね。ですから、小生はMKタクシーを絶賛します。MKは気持ちのいい接客態度を売り物にしていますから、京都からどんどん東京へ進出してほしいと思います。この進出が、東京のタクシーによく作用してもらいたいなぁと望みます。なんであんなに接客態度がいいのだろう。ナンデダローナンデダローと思います。社員教育だといわれますけど、教育であそこまで変わるものでしょうか。マインドコントロールか?いやいや、それはないでしょう。やっぱり、小生は、優しい態度がお客もそして運転手自身のストレスも取り除いているからではないかと思いました。以前、国鉄が、JRと民営化したとき、切符きりの駅員が、明るい笑顔で「おはよーございまーす」と挨拶していました。国鉄時代は、苦虫を噛みつぶしたような顔でやっていたのに、民営化した途端にどうしちゃったんだと思いました。そして謎が解けたのです。本質的に、人間は優しくなりたいんですね。仏教的にいえば自利利他円満したいという欲求をもっているんです。自分も気持ちいい、そして他者も気持ちいいという状態を願っているんです。でも、国鉄時代は「乗せてやってるんだ」というオレガが抜けなかったのですね。「オレガオレガのガを捨てて、おかげ、おかげのゲで生きろ」と綾小路が言ってました。民営化で、ようやく駅員の本音を表現できるようになったのです。「サービスをしなければ乗ってもらえない」ということですよね。やっている行為は変わらなくても、駅員の内面がガラッと変わりました。この回心とも言える転換がタクシーにも起こらないかなぁと願っています。

 でも確かに混雑している東京を右へ行け、左へ行けと命じられるのですから、ものすごいストレスがたまることは間違いありません。自分では決してできない職業だと思います。まぁ、好きでタクシーに乗ってるひとはいないんでしょうけどね。リストラで転職しやすい職業がタクシーだと聞きました。ですから、運転手になる前の段階で、かなりな精神的負荷を背負って乗っているわけです。ああいう態度をするのも分からないでもありません。でも、しかし、それじゃ困るということでもあります。お互いに同じ時間を共有している存在として、もっといえば限りあるいのちを共有しているものとしてもっと温かい関係が欲しいですね。人間は「限りがある」ということに触れるほど、優しくなれるものです。

 

2003年4月10日

●7〜8日は一泊で父を勝浦温泉に連れてゆき、8〜9日は京都で、西田真因先生の出版祝賀会に参加してきましたので、二日間は更新できませんでした。7日は、お天気で、九十九里浜も美しく、サーフィンをしているひとも見かけるほどでした。簡保の宿・勝浦は二回目です。以前は父の腰の状態もよくなかったので、できるだけバリアフリーに力を入れている温泉を選びました。最初は東京から西方面の箱根や湯河原も考えたのですが、帰り道が混雑するのでやめました。房総半島は、割合に帰り道がスムーズなのです。8日は、アクアライン(ちと高いですけど…)を通って川崎にでましたら、ずいぶん早く帰宅することができました。帰宅するとすぐさま、東京駅へ出発して、四時ころの新幹線で京都へ向かいました。出版祝賀会は翌日だったのですが、長女が京都に住んでおりますので、合流しました。9日の祝賀会には、元宗務総長の能邨英士さんもお見えでした。全部で30人ほどのこじんまりした祝賀会でした。能邨元総長は、曽我先生の教学の継承と発展を望みますというご挨拶でした。大谷大学の大桑斉先生は、西田さんの文章は蚕が糸を吐くようだと評されました。最初はとっつきにくい文章だと思ったけど、読めば案外読めるもので、その蚕の糸をたどっていくと、どんどん読めていく。繭の中には蚕の姿は見えないのだけれども、そこに西田さんの存在が感じられる。たどった糸を、今度は我々が反物にしていかなければならないと、実に感動的な祝辞を頂戴しました。それから、法蔵館の西村七兵衛さんの祝辞、それから参集者ひとりひとりのスピーチコーナーへと展開してゆきました。主催者の西寺英麿さんはお通夜のために中座して伊勢へ帰りました。東京から集まった四人は、8時9分発ののぞみ号へ飛び乗って帰路に着きました。会が修了したのは、発車15分前だったので、ヒヤヒヤでした。帰りの新幹線の中では、新たに「一人の会」を再開すべく会議をもちました。できれば、会場は求道開館(文京区・本郷)で行いたいと目論んでいます。

 中世は東京と京都間をやく二週間くらい掛けて旅したそうです。それが2時間17分で行けてしまうのですから、味もそっけもないというべきなのか、便利になったというべきなのか、これは分かりません。

 10日は真宗会です。春爛漫の一日を、仏法の一日として、こと新たに生きたいですね。

 

2003年4月11日

●メールの凄さ。最近の携帯電話は、動画まで送信できるものが出てきました。少し前にはカメラ付きがジェイフォンから発売され、当初ものすごい売り上げだったようです。それを追っかけるようにして、ドコモがカメラ付きを出しました。カメラ付きで、そうとうな売り上げを延ばしました。しかし、それが全体に行き渡ってしまえば、購買力がなくなり沈滞化します。そして今度は動画を送るという、つまり電話のビデオ化が始まりました。これで一時は購買力が上がることでしょう。

 現在では、携帯電話の通話料よりも、メールの通信料が圧倒的になってきたと聞きました。そういえば、電車の中でも、電話で会話をしているひとは皆無。いい年をしたおじさんまでが、女子高生と同じようにメールを打ってます。ちょっと、奇妙な感覚を覚えます。まぁ女子高生たちがメールしている姿は見慣れているのですけど、おっさんのメール撃ちはあんまり見られたもんじゃありません。そういう小生も、その仲間に入っているわけですが…。あのメールは、実に優れ者です。会社では、自分の向こう側に座っている人にもメールで用件を伝えるのだそうです。口で伝えれば済むことでもいちいちメールで通信するそうです。横から見ているとおかしいと感じるのですけれども、実際自分が使ってみると、その謎が解けました。

 メールという媒体は、そこに煩悩を介在させないで済むからなのです。つまり感情の起伏を感じないで相手に、メッセージを伝えることが可能なわけです。側にいるひとに、何かを頼む場合でも、それがいくら部下だとしても、「お願いしますね」とか「済まないね」とか、そういう類の感情を動かさなければなりません。面と向かっての場合と同じように電話でも、そういう類の感情を動かさなければなりません。実際の用件に到達するまで、「もしもし、○○さんでしょうか?私は、○○です。ご無沙汰しております。みなさまお元気でお暮らしですか」「そうですか、それは宜しかったですね。へえーそうなんですか、あの実は…」と本題に入るまでに、くたびれてしまうのでした。ついつい電話の前で、実際に挨拶しているように頭をペコペコ下げてしまっている自分に気がつくのでした。

 そこへいくとこのメールという媒体は、その感情をまったく使わなくてもいいのです。それが、メールのヒットしているところだと思います。部下に何かを頼む場合でも、「お願いします」と文字言語で機械に打ち込めばいいのです。その後に顔文字で「m(__)m」こういう記号でも打っておけば、尚更ベターな仕上がりになります。この顔文字は、相手の前に、頭を下げて手を突いてお願いしている姿ですから。本心は、舌を出していても、この記号を打っておけば、それを相手は、過大評価してくれるわけです。感情を使わずに技巧を弄するわけです。それを面と向かってやってみろといわれれば、大変な労力になります。実際に目の前にいる当人に頭を下げながら、こころの中で舌を出すなんていうのは、ものすごい芸当ですよ。これはできませんね。ですから、携帯の画面を見ながら、相手がこの表現なら、素直に受け入れられるだろうと感じられるように文面を作るわけです。顔文字以外でも、様々な記号を使えます。これは年代が若い人に多いようです。もはや記号が暗号化していて、ひとつの記号を打てば、それで意図が伝わるということになっているようです。それには両者に、記号に対する共通了解がなければならないわけですけど。

 また、メールは相手が好きな時に読めるという利点があります。電話であれば、相手が何をしていても、電話口まで呼びつけるという強制力を持ってしまいます。相手が仕事をしているときでも、突然土足で、そのひとの心に割り込んでいくような暴力性をもっています。まさに「藪から棒」というありさまです。しかしメールは、相手の手が空いているときに読めますから、これは相手に負担を掛けていないという安心感が生まれます。このメール撃ち文化は日本人の言語感覚を変革していくひとつの要素になるように思います。

 以前インドを訪れたとき、何を買うのにも交渉が必要でした。ひとつひとつ値切らなければならないので、もう買い物が苦痛になりました。また交通機関でも、時刻どおりには動きません。近代的な時間観念や売買行為の観念が、まったく通用しませんでした。この文化はメール文化と真反対のものです。人間の感情やら意志やら判断力やら話術やら、それこそ体全体を使ってコミュニケーションしなければなりません。メールは指先で打鍵すれば、それでコミュニケーションが成り立ちます。どっちがよろしいのか、そのへんは一概には言えません。しかし小生には向いている媒体だと、つくづく感じているところです。しか〜し!ドコモとジェイフォンとエーユーとが、互換性が悪いのか、送信しても、すぐに相手につながらず、一日遅れで送られてきたりします。これは腹が立ちますね。即応性の情報のときには、まったく役に立ちません。相手はメールを送っているのに、何時間待っても返信が来ないと不安になります。「おい、無視かよ!」と思ったり、何か不慮の出来事でも起こったのか?とか、相手にメールが届いていないのかなぁ?と不安になるのです。そのへんのところ、関係者の方に改善をお願い申し上げます。

 自然派志向で、ガンとして「俺は、携帯電話なんぞ、もたんぞ!」というひとに会ったりします。その気持ちも分からないではありません。手を変え品を変えて、ちょっとずつ新しい機能を搭載した電話を餌に、自分の金を巻き上げられるような感覚は否めません。欲望をくすぐられて、知らず知らずのうちに財布の紐を解放されてしまう被害者感覚もないことはないのです。自分が情報に踊らされているという感覚ですね。それも分かります。宗教者は比較的自然派志向に陥りやすいものです。「ただ足るを知れ」とか、「無一物で生きよ」や「欲少なく、足ることを知れ」あるいは「あるがままでよいのだ」などという言葉があるように、人間の理性から生まれてきた機械文明を軽んずる傾向があります。しかし、小生は機械文明を毛嫌いしていること自体が、人間の愚かさに寄り添えない偏向だと思っています。小生は、人間の愚かな理性から生まれてきた機械文明を享受したいと思います。所詮機械です、たかが機械です、されど機械なのです。機械は人間が使うためのものであって、人間が使われるものではありません。以前は牛や馬で田んぼを耕していたのです。それを機械がするようになっただけです。何万年前も人間は変わっていません。所詮限界のある生き物です。その生き物が一生懸命考えて生み出した機械は、また人間の愚かさの象徴ではないでしょうか。機械に洗脳されているというのであれば、それはそうでしょう。どこまでも、汚染されているのかもしれません。しかし、自分は機械を使わないことで、ある種の優越性をかこつことだけはやめたいと思います。

 

2003年4月12日

●明治の仏者・清沢満之の研究会が開かれました。寺川俊昭先生がお話しされました。明治の仏教界は、「枯れ木の朽ちる」ようなありさまだったそうです。ですから清沢満之の抱えた課題は、単に真宗復興でもなく大谷派の復興でもなく、全仏教の復興だったそうです。明治期には、脱亜入欧で、ヨーロッパの学問方法が激流のように日本に流れ込んできた時期でした。その新鮮な知性の要求が、もろに古色蒼然とした仏教にぶつかったわけです。満之は、「自分が理性をとるか、信仰をとるかと問われれば理性をとる」と語ったそうです。それもそうだと納得しますね。江戸時代の信仰は、この世は世俗の権威で生き、死んだら極楽浄土へ参るという堕落したものでした。その問題の根っこを煎じ詰めれば「知と信」という永遠の課題があるわけです。寺川先生は、満之の方法は「聞思」だとおっしゃいました。聞法という体験を基本とした思索だと。満之の実践は自己にものすごく厳しいものだったようです。その実験を通して獲得された思索だったようです。

 いま、親鸞仏教センターで担当しています「歎異抄の研究会」では、言葉の問題が大きな課題です。先日も、「慈悲」という言葉を、どのように現代語に翻訳するかで、様々な議論が起こりました。最終的には「愛」という言葉にしたのですが、これはまったく冒険的な翻訳でした。しかし現代語では「慈悲」という言葉が死後になっているという状況があります。慈悲という仏教語と関係をもちつつ、現代語で通用する言葉は何かということを探りました。慈悲と愛は意味が完全に一致するわけではありません。しかし、どこかの部分で接点をもっている言葉であります。愛は、英語のラブの翻訳語でもありますし、またアガペーとかエロスとかリビドーという言葉の翻訳語でもあります。また孔子の儒教の中にも存在する概念でもあります。さらに仏教では、愛は否定的な意味合いが強いです。我愛とか、愛執とか、貪愛とか、否定的です。でも、信愛とか喜愛という肯定的な意味合いもあるのです。様々な文脈が錯綜するなかで、愛という言葉を選んだのです。明治期には西欧語からたくさんの日本語が翻訳されました。哲学とか愛とか信仰とか社会とか自然とか人間とか文化とか。ですから、翻訳事情によって、西欧語の意味合いと翻訳された言葉とのズレも生じているわけです。そのズレをそのままにして用いることがどうなのかという問題もあります。

 しかし、ユングが「概念は明確だが生命力に欠ける。イメージは曖昧だが生命力に溢れる」というようなことを言っています。つまりイメージ言語としての愛は、読む人に様々な情念を呼び起こします。それはそれで大切なハタラキです。愛をキッチリと概念規定してしまえば、それは明確になってきますが、力を失います。その意味でイメージ言語としての「愛」という言葉を採用することになりました。翻訳は現代への大いなる挑戦でもあります。「愛」と翻訳してみて、それを読む読み手がどういう反応を示すか。それが楽しみであります。まったく歎異抄の伝えようとしたこととズレているのかもしれません。しかしどこかで接点をもっているなら、それは翻訳の意味があるのではないかとも思うのです。間違いなく相手に意味を伝えるということは大切なことです。しかし、人間はものすごく断片的なもので、「一を聞いて百を知る」という知恵ももっているのです。そのひと、そのひとに響いたところに必ず真実が百分の一でも存在しているのなら、それは意味があったというべきではないでしょうか。

 

2003年4月13日

●昨日は、チャリティ21(若手僧侶の組織)の主催で九段会館において「永六輔のトークショーとターコイズのコンサート」を聞いてきました。高田馬場にある点字図書館への寄付を目的としたチャリティイベントでした。さすがに、永六輔さんのトークは面白かったです。障害があっても、それを明るく受けとめようというのです。障害によって、暗くふさぎこんでしまうのではなく、どうどうと障害を見つめて、要求するものは要求する。でも決して、卑下しない。どうせ年をとるということは誰でも障害者になる可能性をもっているというのです。永さんも総入れ歯だそうです。これに障害者手帳が出ないのはおかしいと主張していました。それは重度の障害のひともいるし、それほどでもない障害のひともいる。そして総入れ歯というのもある。障害は程度に応じて、それ相応のケアが必要なのだと言ってました。そこまでをひっくるめて考えないと、福祉というものが狭くなってしまうのでしょう。

 そしてピー子の目の癌について話をされました。目の癌ですから「眼癌(ガンガン)というのだそうです。(これは会場で笑いを取りました)メラノーマという目の癌にかかったそうです。片目に癌が発症すると、もうひとつの方にも転移しやすいんだそうです。それで失明する可能性もあるといいます。それで、毎晩永さんのところにピー子から電話があったそうです。「もう私しんじゃう」とかなんとか。その電話で永さんは「もう、うるせー!いいかげんに、電話してくるな!」と怒鳴ったそうです。目や口や耳や、様々な障害を抱えて堂々と生きてる人があるじゃないか。もううるさいんだよ!と対応したようです。そして坂本竜馬の言葉を引いていました。「厚情、必ずしも情ならず。薄情また、必ずしも薄情に非ず。」(正確じゃないです)つまり抱き留めるという情もあるけど、それだが情じゃないというのです。突き放すという情もあるのだというのです。結局、片目を失うということで済んだようです。それで義眼をプレゼントすることになったそうです。最高の義眼をプレゼントするために仲間に寄付を呼びかけたそうです。所ジョージに話をするとオスギの片目をやったらいいじゃないかというし、タモリに話すと、「どうせ、ピー子はオカマだからタマは使わないんだから、あれを入れたらいいだろ〜」とジョークを言ったそうです。義眼は全部で十個作ったそうです。昼間用の義眼、夜間用の義眼、酒を飲んだ時の義眼等々。用途別に義眼を作るんだそうですね。百万円かかったと言ってました。

 それから、長谷川きよしさんを美術館に連れていったときの話をしていました。長谷川きよしは、盲目のシンガーです。彼は眼では見えないけれども、美術館に行きたがるんだそうです。「あの、美術館の空気がボクは好きなんです」と言ったそうです。永さんが長谷川さんを連れて絵の前に来て、絵の説明をするそうです。「女の人がいて、川が流れていて、木があって、ところどころに木漏れ日が差していて…」と、これはロートレックの絵ですね。次のは「農夫が二人真ん中で、腰をかがめて落ち穂を拾っていて、空は暗くて、夕方の様子で…」とこれは、ミレーですね。しかし、ピカソやブラックになると、もう説明のしようがないといいます。「黒い線がバーッバーッとあって、女の人がいるんだけど、眼が飛び出していて…」とか。そんな解説をしているとまわりに人だかりができているそうです。その解説を聞いて「きよしが、永さんの説明じゃ、なんだか全然分かんない!みなさん、こうやって盲目のボクをいじめるんです」とまわりの人に訴えかけて、「逆に私をいじめるんです」と永さんは話していました。悪い趣味だと言ってました。そういう長谷川きよしと永さんの関係が、うらやましくも感じられるお話でした。

 障害の問題を真正面から考え、そして健常者には見えない不自由や不都合を告発するという永さんのスタンスは素晴らしいと感じました。でも、明るく障害を受けとめられないひとの方が多いんじゃなかろうかとも思いました。障害があって、なおかつ明るくしなきゃならないと脅迫的に受けとめられてしまうと、かえって宜しくないなぁと感じました。暗いのは暗いままでいいように思います。あの『五体不満足』の著者・乙武さんは、まったく明るいですよね。ああいうひとは、障害者の中のエリートじゃないかと感じます。障害者は全員ああいうふうにならなきゃいかん!となったら、これは大変なことだと思います。どれほど世間や運命を恨もうとも、ぼやこうとも暗かろうとも、「弥陀の本願を妨げるほどの悪はない」(歎異抄)ということであれば、いのちいっぱいに「怨み節」を発散させてゆければいいなぁと思います。

 先日、東大島駅で電車を待っていると、車椅子のおじさんが同じようにホームにいました。電車が到着して入り口が開いたのに、なかなか車椅子がうまく電車に入らないので手伝って乗せてあげました。でも、そのおじさんは、「ありがとう」でもなければ、そうやってくれたことが、さも迷惑だというような顔をしているんです。こっちも「エッ!」と一瞬ビックリしたのですけれども、それもそうかなぁと受けとめました。そのおじさんの運命は多分悲惨なものだったのでしょう。なりたくて障害者になったわけじゃないし、電車に車が引っかかってなかなか乗れないのも、自分のせいじゃない。全部、運命が悪いんだ。「この運命がなければ、お前の手助けなんかいらないんだぞ」という応答だったのでしょう。おそらく自分も、その運命にあったならば同じような態度をとったに違いありません。他人から好意をもらわなければならない自分とその運命がうとましいのです。ちからいっぱいに「怨み節」を生きていますね。その怨みが彼を生かしているエネルギーになっているのでしょう。そう思うと、別に御礼をいわれなくても、何となく彼の「生」を肯定したくなってくるのでした。

 

2003年4月14日

●人間は、目の前にある問題には、どんな些細なことでも目くじらを立てるけど、背中にある事には無関心でいられる。焦点が当てられ、脚光を浴びている問題には、ものすごい関心が集まるけれども、そうじゃないところは忘れ去られていきます。イラク攻撃の問題でも、あと数年もすれば人間はきっと忘れ去っていくでしょう。「忘れる」ということは、一面で人間の癒しでもあります。悲惨な出来事は、できるなら忘れた方がよいという面もある。しかし、事件が起こる前も、起こった後も、物事の本質は全然変わってはいないのでしょう。常に、人間の毒は横たわっているように感じます。唯識は、その毒の分析を徹底しています。

 まず六大煩悩と、煩悩の親玉を押さえます。@貪欲(むさぼり)A瞋恚(いかり)B愚痴(存在の道理に暗い)C慢(自他比較の心)D疑(素直に信じない)E悪見(間違った考え方)と。そこから付随してくる煩悩の分析が凄いのです。

 小煩悩(忿[いかり]・恨[うらみ]・覆[悪事を覆い隠すこと]・悩[気に入らぬことに対する怒り]・嫉[そねみ]・慳[ケチ根性]・諂[へつらい]・誑[自分を売り込む心]・害[人の悲しみの分からぬ心]・驕[おごり])それから中煩悩(無慚・無愧[はじない心])、最後に大煩悩(掉挙[激しい心の昂り]・昏沈[空しさの心]・不信・懈怠[怠慢の心]・放逸[ほしいままに罪を作る心]・失念[忘れる心]・散乱[心を散らしてしまうこと]・不正知[正しく物事を知らないこと])です。

 これで私たちのこころの問題は、ほとんど分析されているように思えます。自分の普段の精神生活を振り返ってみれば、どれかに当てはまりますね。友人と一緒に食事をして、たまには「おごってやらないとなぁ」と思い財布を開けると、「でも、次回でいいか」と考えて、結局割り勘にしたりして、「なんで、あの時おごってやらなかったのだろ」などと反省したりします。「おごってやろう」という思いは、自分と友人の立場を考えて、自分を優位に立てようとする心です。「たぶらかし」と、自分をよく見せようとする驕りとが起こっています。次に、財布を覗いて、また次回にしようと思ったのは「慳」というケチ根性が起こっています。そして、なぜケチになるのかといえば、それは自分の財産が減ることを恐れる貪り(貪欲)のこころの現れなのです。自分を優位に立てようとすることは、「慢心」で、いつも自分を他人との比較のなかで位置づけています。

 人間の苦しみの原因は、様々ありますけれども、やはり人間関係のストレスが大きいように思います。喰えないとか、体の具合が悪いということも大きなストレスですけれども、それとは異質のストレスが人間関係のストレスです。まぁ「煩悩」を「ストレス」というと、あまりに表面的過ぎるという批判もありましょう。でもストレスは「圧迫」という意味ですから、自分の内奥からの圧迫と受けとめれば、当たってはいないけれども、遠からずという感じです。家族や職場での人間関係のストレスは、そのときは重苦しいものでも、やがて必ず終わりがくるものです。生きている間は、どうしても、お互いに煩悩の存在ですから、ここで分析されている煩悩でぶつかるものです。でも、その煩悩の根っこを探ってゆきますと、やはり人間は「独り生まれ、独り死ぬ」寂しい孤独な存在だということがあるように思えます。いのちの根底には大きな不安を抱えているからなのでしょう。その不安に突き動かされて、ひとに言わなくてもいいようなことを言ってみたり、してみたり、おもねてみたり、へつらったり、お世辞を言ったり、愛想笑いをしたり、ヘソを曲げてみたり、ひとに辛く当たってみたりするわけでしょう。

 煩悩の分析で一番根本のものは「愚痴」だといわれています。「諸々の煩悩、必ず癡によって生ずるが故に」とあります。簡単にいえば、「分からない」ということが愚癡です。要するに、人間はどこから生まれ、何をして、どこへ去ってゆくのか?その根本的意味が分からないということです。根本的に「分からない」ということが原因に、貪ってみたり、嘆いてみたり、怒ってみたりしているというのです。それは根本的に「分からない」ということが原因で、起こってくる現象だというのです。そのように分かれば、少しは余裕が生まれます。

 だから、ひとが、ストレス(煩悩)にとりつかれているときには、「そうか、あの人も、孤独な寂しい人間なんだなぁ」と少し余裕をもって眺められるといいと思います。まさに「とりつかれている」わけです。親が、駄々をこねる子どもを見つめる視線になれたらいいと思います。同じフェーズでぶつかってしまうとマズいですよね。いつでも、その人間のこころの背景が読めると、余裕が出てくると思います。「なぜその人間が、そういう反応をするのか?」「なぜその人間が、そういう行動をするのか?」、「そこに働いている煩悩は何なのか?」と分析してみると、新たな発見があるように思います。

 煩悩は大切な生活のエネルギーです。これがなかったら人間は生きられません。見たい、喰いたい、飲みたい、寝たい、やりたいという意欲がなければ生きられない。でも、煩悩はガソリンのようなもので、そのまま火を付けたら大爆発を起こします。でも、自動車に入れれば、走るというエネルギーに転換されるわけです。転換装置を作らなければなりません。その装置が「信心」というものではないでしょうか。

 

2003年4月15日

●親鸞仏教センターでは、毎回様々な新聞の切り抜きを提供してくれます。あるひとつのセンスで切り抜かれた新聞なのですが、これがとてもいいんです。うちでは毎日新聞と朝日新聞と日経新聞をとっているのですけど、全然読めていないですね。読めども読めずというありさまです。まさに宝の持ち腐れという状況です。こんなに大事な記事があったのか!と切り抜きを見て、愕然とするんです。文字に目を走らせているということと、問題関心をもって見るということとはまったく違うのだということを教えられます。ただ、古新聞の増殖率がものすごいので、最近は新聞をとるのをやめようかとも思っています。でも、それがなかなかできないという状況です。「整理法」を読むと、まず捨てることから初めよと書かれているんですけど、この「捨てる」ということがなかなかできないんですね。まったく。

 そんなセンターの提供してくれた切り抜きの中で、田口ランディさんのインタビュー記事が載ってました。田口さんは『コンセント』という小説を書かれていたり、コラムを書かれたりしていて、共感を感じていた作家でした。この記事も感動しながら読ませてもらいました。

 「(聞き手)田口さんにとって『書くこと』とは?」

「田口『自分の中の問題を解決するために書いていると言っていいかもしれない。一つのことに意識を向けると、それを言葉にして思考しているんだけれど、言葉化されない無数の事象というものがあって、言葉が照らし出すのはある一部分だけなんですね。自分の中にある言葉にならない無数の想いを一個一個照らしていくということが私にとっての書くという作業です。』」

 この「言葉が照らし出すものはある一部分だけ」という部分にえらく感動しました。言葉化できない部分が圧倒的なんですね。ですから、「書く」という作業は、書き終えたときにはそれなりの仕事をしたという充実感もあるわけでしょうけど、どこまでやってもそれは一部分だという、焼け石に水的な作業だというのが実感ではないかと思いました。お経のなかに、太平洋の水をヒシャクで汲んで、最終的には、その海の水を全部汲み尽くして宝を得るというような表現がありますけど、まさに「書く」という作業は、その種の作業だと思います。田口さんは「自分の中の問題を解決するために書いている」といいますけど、この「自分の中の問題」というのは、結構、人類普遍の問題なんですよね。だから、どこまで書き続けても、これでいいということがないという深さをもっているんだと思います。

●「(聞き手)様々な社会問題にも取り組まれていますね。現在はイラクでの戦争が大きな問題になっていますが。」

田口『物を書いているということもあって、9・11以来、多くの方から平和についての意見を求められました。けれど私は平和集会やデモというものが実は大変苦手なんです。平和を叫んだ瞬間に誰かを悪者にしているような気分になってしまう。自分の中の悪を予感しているので、素直に平和の側に立てない。辛いです。そういう自分の引け目を感じてもいました。(略)』

 小生も、集会やデモが苦手というのはまったく同意見で、「そうか、お前もか!」という共感を得ました。内向的な性格なので…。「自分の中の悪を予感している」ということも共感しました。自分の内面に、ブッシュも住んでいるし、フセインも住んでいるという、実に惨憺たる現状に、唖然としてしまいます。あのウルトラセブンのカプセル怪獣のように、自分の内面からカプセルが出てきて、そのなかにブッシュ怪獣やフセイン怪獣が入っているような幻想にとりつかれることもあるんです。

●「私は書いて表現することを仕事として選んだので、この非常に取り組みにくい人間の憎悪や敵対心、本能的に持っている攻撃心というものを、何とかして言葉で乗り越えていけないものだろうかと、そういうものをきちんとあからさまにした上で抑制するというか、言葉ををうまく組み立てて、その上での平和ではないかと、最近は思うようになりましたね。」

 この部分にも共感しました。私たちのやろうとしていることと軌を一にしていると感じました。この「表現を通して人間の憎悪や攻撃心というものを、何とか言葉で乗り越えていけないものだろうか」ということですね。このようなことを辺見庸さんにも話した事があります。彼は、「そんな方法があったら教えてほしいですね…」と苦笑いをもって応答されたことを覚えています。「カニは自分の甲羅の大きさの穴を掘る」といわれます。やっぱり、小生には小生の大きさの穴しか掘れないんだと思います。でも、こうやって田口さんに共感している自分が、どこかで、免罪されいるという驕りも感じました。「田口ランディも俺と同じ意見だろう、だからこれでいいじゃないか」と、自己正当化するという煩悩が、見えてきたんです。それはダメだと思います。やっぱり、自分は自分の頭に降り注いできた油を、ぬぐい取りながら進まなくてはいけないと、気を新たにしたのでした。もっと深く、限りなく深く深く、人間の内奥を覗いていかなければダメだと思います。でも一度、田口さんと対話してみたいという欲望にかられたことも正直なところなんですね。これがまた…。

 

2003年4月16日

「ご臨終」を持ってくると、すべてが輝く。今日という日は、二度とない。それは今日という日のご臨終。今の一瞬、次の瞬間にはなくなっている。それは今の瞬間のご臨終。今吐いた息は、次の息ではありません。今の息のご臨終。今の一歩は、次の一歩ではありません。今の一歩のご臨終。無量無数のご臨終。どんどんと過去の時間の中に飲み込まれていく、未来という時間のご臨終。そうすると、この<現在>というものの鮮度はとんでもないものになります。とびっきりの鮮度があります。新鮮な現在というものは、何ものにも代え難い味わいが漂ってきます。

無量無数のご臨終をイメージすると、どうして<現在>が鮮度を取り戻してくるのでしょうか。

 しゃぼん玉の美しさ、打ち上げ花火の美しさ…。はかなさに、こそ美しさがあるように感じます。桜前線は、まだ日本列島を北上中です。自分のまわりに桜の時期が終わったからといって、それですべてが終わったわけではありません。パッと咲いてパッと散る。このはかない桜の美しさはなんともいえませんでした。

 最近「間(ま)」ということをしばしば考えます。間を開ける、間を置く、間が持たない、間が悪い、間が有る、間が大事。「間が差す」(←こまは「魔が差す」が正解)人間の真実というのは、時間によって変化してしまうということがあります。「言葉」というものにも鮮度があるように、人間はどうしても時間内存在でありますね。これはちょくちょく体験することですが、お昼にご飯を食べようかと思って席に着いた途端に、来客が来たり、電話が鳴ったりということがあります。まぁ、ご飯物なら、冷めてもさほどでもないのですけど、めん類だと絶対に許せない!と感じます。先日も、てんやもののタヌキソバ(大村のタヌキソバが好きなんで…。)の熱々を食べようかと思って席に着いたら、ピンポンとチャイムがなる。「エーッウソダロー!こんな時間に来るなんて!」。家族は誰も席を立たないので、小生が渋々席を立って玄関に行きました。すると、ご門徒の奥さんが頭を下げて玄関に入ってきました。この時の小生の内心は、複雑なものでした。タヌキソバが冷めちゃうじゃないか。早く帰ってくれよという願い。しかし顔ではニコニコして、丁重に挨拶をしなければならない。用件は何かなぁという気持ち。でも、そのひとは、人と話がしたかったようで、長々と延々と話が続くのでありました。小生の頭の中には冷めて冷たくなっていくタヌキソバがあって、でも、その映像が段々と消え失せ、とうとう「なるようになってしまえ」とヤケッパチな気持ちになりました。やっぱり諦めるときには、そういう過程があるんですね。ヤケッパチになって、それから、ようやくその人の話が聞けるようになりました。

 それはともかく、お昼時分に来る人は用心して下さい。でも、家族でうっとうしい話をしているときの来客は救いの主みたいなもんです。その場から逃げられますからね。これも間ですね。間がいいと歓迎され、間が悪いと嫌われます。機嫌が悪い時に、ひとからものを頼まれると腹が立ちますね。よく子どもが親からお金をもらう時には、親の顔色を伺いますよね。間のいいときに言わないと失敗することをよく知っているからです。正当な理由があっても、親も人間ですから、機嫌が悪いときには「また今度ね…」などと逃げられてしまいます。

 「間(ま)」とはタイミングということですけど、何事にもタイミングが大事です。駅で、電車が発車間際に駆け込み乗車してくるひとがあります。(小生も、やるんですけど…)面白いもんで、ドアはガチャンと一回では閉まらないんですね。必ず、一度閉まりそうになってから、止まって、それからガチャンとしまりますね。あの一度閉まりそうになるときに、駆け込んできたお客は、車掌が危ないと思って、ドアを開けるんですね。その開いた間を狙って、スーッと入るお客がいます。それも「間」なんですね。一度閉まりそうになって、駆け込んできて、お客が危ないと思って、身を退けるんですね。たぶん「もうダメだ」と思っちゃうんですね。でも、車掌のほうも、同じように危ないと思って、一旦ドアを開けるんです。別に、お客を乗せるために開けるんじゃなくて、危険回避のためなんです。それをお客は勘違いして、「なんだ開けてくれたのか」と思って、乗ろうとすると、今度はガチャンと閉められてしまうんです。結局、乗れずじまいです。そのお客と車掌との一瞬の「間」が勝敗を決するんです。その車掌の習性を知っているお客は、その一瞬の間をついて、乗り込む事に成功するわけです。(これは危険ですから、奨励されることではありませんよ。絶対に)

 しかし、そこに「間」の不思議さがあります。「瞬間の真実」という言葉が浮かんできました。またこれは卑近な例ですけど、美味しいものを食べたときのあの嬉しさというのは瞬間の真実ですね。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、喉を過ぎると味という世界はなくなります。あれも瞬間の芸術ですよね。熱と色合いと匂いと舌触りと歯触りうま味、とういうもの全体によって味わう世界です。これも瞬間ですね。それも三度三度、ご飯を作るひとには、頭が下がります。人間は贅沢なもので、同じものを食べないんですからね。気がつけば、人間も瞬間の生き物です。一瞬の間に、あるのかもしれません。過ぎてしまった過去は、どれほど長くても「一瞬」のことですからね。

 

2003年4月17日

●「被生のもの」。小生は、「生を被ったもの」である。気がつけば人間に生まれさせられていたわけです。自分の意志で生まれたわけではありません。つまり誕生は身に覚えのない出来事です。ですから、自分にとって、この身体という存在を与えられたということは、「生を被る」という形で受けとめられるわけです。向こうから押しつけられたといいましょうか、有無を言わさず与えられていたものです。芹沢俊介さんは、それは「強制的贈与」とよんでいます。

 それを仏教語で表現すると「縁をいただく」となります。人間という縁、男という縁、民族という縁、時代という縁。自分が意志的に選んだ縁ばかりではありません。ほとんど自分の意志とは無関係に与えられた縁なわけです。縁という言葉を別な言葉でいうと、「選択」ということです。まぁ先天的に選択されてしまっているということもありましょうけど、この世に生まれて今現在、今日一日を生きているということは、選択の連続でもあるのです。今日は、何時に起きるか。仕事へ行くか行かないか。どの服を着るか、お金をいくらもっていくか。交通手段は何にするか。どのルートで行くか。お昼は何を食べるか。コピーを先にするか、電話を先にするか。どの仕事を優先するか。意識的であるかどうか、ルーティンワークになっているかどうかは別にして、無数の選択を毎日こなしているのです。そして今日という日になっています。ですから、無量無数の選択の結果が、今日ですし、私の現在ということになります。たとえヒトゲノムで人間の遺伝子情報が解読されても、それですべてが分かったわけではありません。ハードの面については解読できても、ソフトは別ですからね。構造は分かっても、それが唯一無二の状況に出会ったときに、どう機能するかは、まだまだ未知ですね。また、もしすべてが解読されてしまったら、こんなにつまらないこともないじゃありませんか。人間は未知なることに不安を感じますけど、未知なることにエロスを感じる生き物でもあります。アンビバレントな生き物ですね。すべてをルーティン(日常茶飯事の決まり事)にして安心したいという欲求と、すべてがルーティンになってしまったら詰まらない、退屈だと感じる要求をもっています。

 選択ということが生きるということです。でも、これを選ぶと他の50%の可能性は捨てることになります。男を選べば女を捨てるわけです。昼御飯にハンバーグを選べば、ざるそばを捨てるわけです。選ぶということは、選びとるという面と選び捨てるという面とがあります。選びとるまでは、可能性は百パーセントです。なんでも思い描いているときには百パーセントの可能性ですから、明るいわけです。しかし実際に選ぶときになると他の可能性はすべて捨てるわけですから、失敗した時には痛手が大きいです。だいたい成功ばかりで来た人はいませんから、挫折の体験の方が多いことになってますね。挫折をしているのにも関わらず、自覚症状がないという深刻な場合もあります。「あの宗教に入っていたから、この程度の災難で済んだんです。もしあの宗教に入っていなければ、こんなトラブルじゃ済まなかったでしょうね。」こういう解釈をするひとがいます。これは宗教じゃなくても、薬でもいいんです。「あの薬を飲み続けていたから、このていどの病気で済んだので、もし飲み続けていなければ、こんな病気じゃ済まなかったですよ」と。これは心理学でいう「合理化」というやつですね。結果があまりに受け入れ難いものだとすると、それを何とか自我は受け入れなければならないので、詐術を使う分けです。これはよく合理化の説明に使われます。「酸っぱいブドウの論理」いうやつです。キツネが歩いてくるとブドウの木がありました。背伸びをすると近くのブドウは食べることができました。でも地面に近いところのブドウはあまり甘くありません。キツネは高いところに実っている甘いブドウが欲しくてしかたありません。でも、どんなことをしても手が届きませんでした。そして最後に捨てぜりふを言いました。「ちぇ!あのブドウはきっと、酸っぱいブドウに決まってるさ。甘くなんかあるもんか!」と。

 欲しいけれども手が届かないブドウは、酸っぱいのだと自分に言い聞かせることで、甘いブドウが手に入らなかったことを帳消しにしようとしているわけです。この合理化は普段よく使いますよね。美しい女性に出会ったりすると、「外見的には美しいけど、きっとキレイな薔薇には棘があるのさ」などと言ったりしますよね。お金持ちに出会うと「裏で何をやっているのか分かったもんじゃないぜ」と内心でつぶやいたり。手に入れたいけど、手に入れる可能性がないとき、この合理化を使ってしまいます。合理化をするときには、アイデンティティが不安定になっているときなんですね。あんまり激しい不安定は好みませんけど、ちょっとくらいなら好きなんですね。

 いずれにしても、選んだということは、その現実しかありません。百パーセントがいまの現実なんです。承服し難いものであってもです。そして、それは誰かがそうしたというものでもないのです。悪者が他にいるわけではありません。いえば「縁」がそうしたのであって、固定的な何ものかが作用しているわけではありません。交通事故に遭うということも、たまたまの縁です。そこを選んで歩いていたという事実があるだけです。いつも地下鉄に乗って感じるんですけど、新宿線が隅田川の下を森下から浜町にかけて走っているとき、もし大地震が来て、トンネルに亀裂が入れば、この電車に川の水が入ってきて、みんな窒息死するだろうなぁと。その一本前の電車でも、一本後の電車でも、そんな事故にはならないだろうなぁ。たまたまこの電車が事故に遭うかもしれない。そのときどうなるんだろう。やっぱり我先に光を求めて逃げまどうだろうなぁ。そのとき自分はどういう行動をとるのだろう?などと妄想にかられるんです。それは、イメージトレーニングのようなもんで、そのときどう動くかは未知なることですね。でも、このイメージトレーニングは、他の場面でも起こるんですね。飛行機に乗った時とか、車を運転しているときとか。まぁ車の場合には被害者じゃなくて、加害者のイメージになるんですけど。でも、そういうときが必ずあるわけです。そのときどう動くかは分からないのですけども…。できれば潔くありたいなぁと思います。これも妄想ですけどね。

 

2003年4月18日

●三浦組の一泊研修で、熱海に行ってきます。テーマは「念仏と生活−私を通して念仏を語る」となっています。いつも、法話の前には、いろんな言葉をパソコンに打ち込みます。あーでもない、こーでもないと。こんなことを話そう、あんなことを話そうと。そして、当日がやって来て、演台の前に立つと、書いてきたことと違った話になっていくんです。別に書かれたものを読み上げるわけではありませんからね。ただ、内容はまったく違っているというわけでもないのです。根っこではつながっているんですけど、表面的に異なっているということでしょうか。やはり、法話というのも生き物ですから、自分の勝手には動かないのです。自分という生理体を通して、何かが動いて、自分の口から言葉が出てくるという感じです。そして終わってみれば、自分が語ったという感じも残っていながら、そうでもないという不思議な感覚になるのです。ですから、三帰依文の最後には「願わくは、如来の真実義を解したてまつらん。」と結ばれているんですね。自分が語ったことが、道理にかなっているのかどうなのか、それは自分には判断できません。ですから、願わくは、自分の口から出てきた言葉が、如来の真実の意味とかなっていますようにという希望的観測を述べているわけです。果たして、それが間違っているのか、かなっているのか、その判断は人間にはできません。ただ如来の前に投げ出して、皆さんが判断して下さる事なのです。ですから、脈絡があるようでなかったり、ないようであったりと、まさにクモを掴むような話になるわけです。これもまた仕方ありません。宮戸道雄先生は「お寺というところは、世間のことがよく分かっている人を連れてきて、わけを分からなくさせるところである」と定義されています。この言葉に乗っかるならば、小生も、ますますひとを分からなくさせているんだろうと思います。

 やっぱり、仏法の言葉は、メタファーであり譬喩であり、暗示的ですよね。表現手段は言語を使うのですけれども、その言葉が生まれてくる背景といいましょうか、そういう深い世界のことを語るわけですから、やはり暗示的になるわけです。一足す一は二という、ハウツー理論であれば、聞けば納得のいくものです。あーなるほどねと。しかし、そういう人間の発想をひっくり返そうというのが仏法ですから、人間の頭には入ってこないわけです。入ってこないというよりも、拒否するんですね。まさに拒否感ですよ。だから、仏法が好きだなんていうことは、まず起こらないんですね。安田先生がよく「仏法が好きだなどというのは変態だ」と書かれていますけど、ほんとにそうですね。人間は拒否したくなるようなものが仏法なんでしょう。でも、いくら変態だといわれても、それを聞きたくなるという妙な味わいがあるものが仏法なんです。真宗は、行は簡単だといわれます。ただ念仏すればいいんですから。しかし、その念仏の道理を体得するということが至難の業ですね。ですから「易行、難信の教え」とよくいわれます。教えの話を聞いていると、これは宗教じゃなくて、哲学じゃないかという批判をよく受けます。そういう側面はあります。仏法は知恵の宗教だからです。人間の言葉や理性をフル稼働させて、如来の道理に体当たりしてゆきます。こういうことか、ああいうことかと考えます。やっぱり人間をひっくり返すには、人間の言葉を使わなければならないんですよ。宇宙語で語るわけにもいきませんからね。本当は「淨土には淨土という言葉すらない」というのが真実です。だから、言葉を用いて、言葉を超える、言葉を使って言葉を超越させるというハタラキをするのが仏法なんです。

 どうしても「超越」ということがなければ仏法にはなりません。日常を超え離れるということです。日常を超え離れるというと、山の中で瞑想して静かに暮らすというような偏見があります。そうではありません。都会のど真ん中で、ふつうの日常生活をしながら、実はそれこそが仏道の行者であるといえる超越です。夕方には居酒屋に誘われ、キャバクラにもいけば、カラオケやゴルフもするという、一見堕落した日常生活の中に、その真っ只中に、仏道の白い道を見出すのが仏道でしょう。きれいごとには如来は住めないんですよ。人間が一見顔を背けたくなるようなところにこそ真実は潜んでいるんです。だから、蓮華の上に如来はいらっしゃるわけです。蓮華は汚泥花です。汚れた世界を養分として、そこに美しい花を咲かせるのです。

 

2003年4月19日

●三浦組の研修から戻りました。昨日の太平洋は、実に穏やかでした。風も穏やかで波もなく、サーファーにとっては悲しい一日でした。会場は熱海の伊豆山、厚生年金ハートピア熱海です。伊豆山の高台から大海原を見渡すと、実に気持ちがいいんです。あの海岸独特の空気といいましょうか、こころが本当に開放されます。木々も芽吹きの時期を迎え、黄緑色の部分が山々を覆っていました。緑色の木々が、繁茂して、海のところまで繁っています。そこから先が海になっていて、遠くに初島が見え、その向こうにはかすかに大島が眺められました。海から山へかすかに吹き上がってくる風に身をまかせていると、体のなかまで、自然が染み渡ってきます。一夜明けて、今朝になると風が増してきました。低気圧がやってきたのです。海のあちこちに白波が立っています。白波の波頭が風で砕け、水しぶきが竜巻のようになっていました。海の中の砂嵐のような光景は初めてみました。それでも、気温が高く、風が心地よさを運んでくれました。ほんとうに、非の打ち所のない両日でした。こんな中で、門徒研修をやるのですから、酷ですね。こういう温泉での研修だと、どうしても、こころがリゾートに傾きます。まぁ厚生年金施設だというのが、どうにかこうにか研修への傾きを助長してきます。少し汗ばむ中で、研修を終えました。小生のお話は、決定的なことはお伝えできないのです。

 あるひとが、「真宗は問題だけ与えて、答えを教えない宗教だ」と評していたそうです。確かにそうですね。問題が問題として見えた時には、それは乗り越えられているのでしょう。問題が問題として見えないということが苦しいわけです。また、答えを教祖が与えて暮れるのであれば、それは宗教教団ではなく、カリスマ教団でしょう。信者はロボットにさせられてしまいます。それが宗教だと勘違いしている人もいるくらいです。自分でタメライながら選択するのではなくて、教祖の託宣によって、選択するのであれば、自分が生きたことにはなりません。あくまで先輩の言葉は「参考」であって、実際に選択するのは自分自身なんです。そこを間違えると恐ろしいことになります。自立ではなくて、隷属を生み出してしまいます。仏教は「独立者」になることで、教祖の奴隷になることではありません。「そんな頼り無いこと…」とおっしゃいますけど、もし人から選んでもらって人生を生きたのならば、自分で責任をとるということができなくなります。すべてが教祖の責任です。どんな些細なことでも、自分で選択して生きられるようになる事、それが独立者でしょう。

「明日が世界の終わりでも、わたしは今日リンゴの木を植える」(マルチン・ルター)

これは以前にも語った言葉です。「希望」なしに人間は生きられないことをその言葉は物語っています。でも、「人生に生きることの意味があるのか?」という問い方では、その希望は成就しないのです。フランクルがアウシュビッツで体験したことは、人間の希望が奪われた時には、その希望は人間のいのちをむしばむものになるということです。クリスマスに連合軍が解放に来るという噂が広まり、みんな歓喜の声をあげました。しかし実際にはそれはデマであって、解放されませんでした。そのときひとは生きる力を失ったのです。つまり「ぬか喜び」というやつです。いたずらに希望を与られないほうがいいのです。なまじ希望が与えられると、それが叶わなかったときには、いのちをむしばみます。その「人生に生きる意味があるのか?」という問い方は、ご利益が欲しいという問い方です。自分にとって、どれだけのいいことが待っているのですか?という問い方です。その問いの根底をなしているものは貪欲(とんよく)です。貪りのこころです。何かいいことがあれば、生きる意味はあるけど、何もないのであれば生きる意味はないと判断するこころです。フランクルはいいます。そうではなく、人生があなたに何かを要求しているのだと。あなたが→人生に意味を問うのではなく、人生が→あなたに意味を問いかけてくるのだといいます。問い方の逆転が起こらなければ「希望」は最後まで保てません。なぜなら、私たちは死ぬということを知っている生き物だからです。死ぬということが分かっていても、なおかつ希望を失わないということがどのようにして成り立つのか?ということです。

 結論を急げば、それは、「自分の思い」を客人にすることです。アウシュビッツにいるから人間が死ぬわけではありません。アウシュビッツにいなくても誰しもがガス室に送り込まれるようなもんです。つまり必ず終わりがあるということです。アウシュビッツはあくまでも縁です。原因は、人間としてこの世に生まれてきたということです。もし生まれてこないのであれば、それはヒットラーでも殺すことはできません。死の縁はどこにでもころがっています。そういう限界状況に生きていながらなおかつ希望をもって生きられるかということです。人間の思いがどれほど、絶望的にものごとを考えようと、それは「思い」の世界であって、真実の世界ではありません。人間が、勝手にそう思い込んでいるだけです。肺ガンで息が苦しく、もう殺してくれと看護婦さんに訴えている患者がいました。もうこんなことなら死んだ方がましだと。しかし、気管に痰が絡んで窒息しそうになると、必至で看護婦さんに助けを求めている自分に気づいたというのです。自分は死にたいとか、なんとか言ってるけど、このいのちそのものは、縁の有るところまで生きたいという願いをもっているんだと。そういうことに気がついたといいます。「思い」と「身の事実」とは違うんです。そこに着眼することです。星野富弘さんもいってました。自分では怪我をして、ヤケッパチになっていたけど、傷口は勝手に治ってしまい、前よりも丈夫な皮膚で覆われてきたと。いのちそのものの力は、自然に治そう治そうとしていてくれた、この「身の事実」のはたらきを知ってビックリされたようです。体は、どんな状況になっても、ちゃんと明日を信じてはたらいてくれているのです。この身の事実にこうべを垂れるということしかありません。そこまでこなければ、「今日リンゴの木を植える」とはいえないのではないでしょうか。

 

2003年4月21日

●昨日は、法事を三件やったあと、一時三十分発のフレッシュひたち号で水戸(茨城県)へ向かいました。後輩の結婚式に出席するためでした。結婚式は、様々な感情を体験できるので、楽しい人間の儀式ですね。若い二人がめでたくゴールインするわけですから、嬉しいことです。しかし、お嫁さんは実家から去ってゆくのですから、親御さんにとっては別れの儀式でもあります。実に悲しいできごとでもあります。初めてお寺へ嫁がれるわけですから、心配や不安もたくさん抱えておられることだと思います。それでも、娘の決断した結婚ですから、親御さんは、娘にすべてを任せゆくしかありません。「どうか、娘を宜しくお願いします」と新郎に告げる親御さんの気持ちは痛いほど感じられました。小生にも娘がありますので、万が一結婚することになって、結婚生活がもし苦しくなったとしたら、「即座に戻って来い」と告げたいと思います。「嫁にいったら、嫁ぎ先がお前の実家だから、ここには二度と戻ってくるな」などとは、死んでも言えないと思います。

 以前にも書きましたが、谷川俊太郎さんは「結婚式は暗い、葬式は明るい」と名言を残しています。どうして結婚式が暗いのかといえば、見ず知らずの赤の他人が、一つ屋根の下で暮らすことは、どれほど苦しいことかと言います。自分の包んだ御祝儀で、二人は何を買うのだろうか?トースターを買うのだろうか、電子レンジを買うのだろうか…。そうすると、二人の結婚生活に自分が何らかの責任を負わざるを得ないので、不安になると言っていました。そういえば、「結婚式にはウソが多いが、お葬式は真実だ」ということを聞いたことがあります。結婚式のスピーチを聞いていると、「才女」だとか「○○大学を優秀な成績でご卒業になり…」とか「末永くお幸せに…」とか「○○さんはお優しく思いやりのある…」とか。そういうウソが多いのが結婚式だというのです。それにくらべて葬式は真実だらけだというのです。死んだという事実は真実だと。もうどうしようもない真実だと。確かにそういう面はあるなぁと思います。

 それからあの吉野弘の『祝婚歌』は、結婚式にふさわしい詩ですね。

二人が睦まじくいる為には、愚かでいるほうがいい、立派すぎないほうがいい、立派すぎることは、長持ちしないことだと気付いているほうがいい、完璧をめざさないほうがいい、完璧なんて不自然なことだと、うそぶいているほうがいい、二人のうちどちらかが、ふざけているほうがいい、互いに非難することがあっても、非難できる資格が自分にあったかどうか、あとで疑わしくなるほうがいい、正しいことを言うときは、少しひかえめにするほうがいい、正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと、気付いているほうがいい、正しくありたいとかいう、無理な緊張には、色目を使わず、ゆったりゆたかに光を浴びているほうがいい(以下略)

 まったく、そのとおりでござんすという感じですね。いつもこういうふうに、思えたらどんなに幸せだろうと思います。

 ここで「光を浴びているぼうがいい」という光を仏教臭く「如来」といいかえてみたいと思います。そして小生のフィールドに無理やり引きずり込んで表現すると「如来を仲人に結婚生活をする」という表現になります。これは結婚生活だけじゃなくて、家族関係全般もそうでしょう。「家族が平安でいるためには、立派過ぎないほうがいい。完璧や正義を相手に要求しないで、愚かであるほうがいい。正義を振りかざしたときには、相手を傷つけていると知っておいた方がいい」とでもなりましょうか。如来(光)を仲介者としてひとと関わるとは、つまり、第三者の視座の中に自分も他者も見出されているということでしょう。「如来の光に照らされて」という譬喩は、その第三者の視座の中に自分も他人も存在しているのだと受けとめてみると違った見え方がしてきます。まぁ親鸞は、自分を「罪悪深重煩悩熾盛の凡夫」と受けとめています。この認識は、自分を反省して「自分は愚か者だなぁ」と述べているわけではありません。これも第三者の視座から見られた自己なわけです。その第三者の視座から見られた場合に、自分も他者も「罪悪深重の凡夫」であると見えるわけです。家庭生活は欲望生活ですから、「このくらい分かってくれるのが当たり前だろう!」と甘えてみたり、「自分をバカにするな!」という怒りの爆発も起こります。もし第三者の視座がなければ、自分が我慢して相手に妥協するか、相手に我慢させて自我を押し通すかという戦争状態に陥ります。その二者対立の戦争状態が、第三者の視座から見られている場合に違う見え方が起こるわけです。自分も罪悪深重の凡夫であるけれども、他者もそういう愚か者だという認識に落ち着くわけです。難しくいえば、自分が他者を見ている視線を、相対化させてくれるものが第三者の視線なわけです。結婚生活・家族生活は、二項対立的生活ですけど、その二項を更に相対化させる。すると、自分の眼では他者を完全には見えていないということが分かります。「家族、この未知なるもの」と以前書きました。人間の眼では、他者を丸ごと見ることはできません。自分の子とか自分の親とか自分の妻とか自分の家族と、必ず「自分の…」という評価が入ってきます。無条件に相手を見るということは不可能なのです。比喩的に語れば、他者を完全に知っておられるかたは如来(光)だけなのです。

 それにしても家族関係は愛情が入ってくるから、とてもやっかいです。愛情は誰しも否定できない善の傾向性ですから、危険な存在です。「子どもに愛情を注ぐのがなぜ悪いの!親として当然のことでしょう!」といわれれば、それをくつがえすことはなかなかできません。しかし、その愛情の程度が激しいと、過干渉とか、過保護になって子どもの自立を疎外します。親としては「こんなに愛しているのに、なんであなたは分かってもらえないの!」となって愚癡になってきます。子どもは子どもで、「なんでお兄ちゃんばっかり誉めて、自分は誉めてくれないんだろう。ぼくはお兄ちゃんほど親に愛されていないのかなぁ?生まれてこなければよかったなぁ?」などという場面も出てきます。これは、夫婦の愛でも起こります。愛情は相手に甘えたい、相手に受容されたいという欲求です。仏教的に言えば、それは貪りのこころです。自分の気持ちのいい生活環境が欲しい、自分を気持ちよくしてくれる存在が欲しいという欲望なのです。愛は完全なる愛ではなく、そこに牙を隠しています。その愛の負の側面を充分に見ておかなければなりません。どうしても、人間には「自分の…」という自我関心が抜き難いのですから、どうしても、愛情という牙で相手を傷つけるということが起こります。「正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと、気付いているほうがいい」。それは分かっているのだけれども、ついついそれから逸脱してしまいます。家族での言い合いの場面では、できるだけ正論をもって相手を攻撃しようとする欲望が抜き難くあります。正さに偏ろうとしたとき、できるだけ多くの場面で、この言葉を思い出したいと思います。

 

2003年4月22日

●昨日の本多弘之先生の唯識講義は、末那識(マナ識)のお話でした。唯識という教えは、人間の存在分析のような教えです。よく「仏教心理学」が唯識だという言われ方をしますけど、それでは収まり切れないものをもっています。人間にとって、人間存在とはどのような構造で成り立っているのか。そこには当然、心理分析も含まれてくるわけです。というよりも、人間にとって「存在」とは、ほとんど心理だといってもいいのでしょう。人間にとって「考える」ということなしに、「存在」はあり得ませんよね。自分というものを「考える」ことができるから、分析できるわけです。

 赤ん坊が、鏡像段階を通して、自我が目覚めるということによって、自己存在というものができあがっていくわけです。つまり鏡に写っている自分は、他の存在とは異なるものだという認識が育っていくわけです。ですから、自分というものの感覚は赤ん坊の時から徐々に育っていくわけです。その育成の準備が整って、ある地点で一気に自我意識が開花するということだと思います。この自我は自分を世界の中心にすえる意識です。この自我から苦しみが発生するという見方が仏教です。

 しかし、このマナ識というのは、自我意識ともいわれたりしますけども、もっと深い自我関心だとお聞きしました。赤ん坊が、「これは自分なんだ」という感覚が育ってくる以前にも働いている自我意識だというのです。まだ目が開く前に、母親の乳房のほうに顔を向けて、唇で乳首を捜し当てようとするところにも働いている識だと。これはもう「意識」という言葉では捉えきれません。「識」という本能的な心理作用でしょう。自己の生理体を維持育成していく本能的な「識」をマナ識というのです。これが根本にあって、その上に、もう少し浅いところに自我意識が乗っかるのだとお聞きしました。ですから、マナ識は自我意識では反省できない識なのです。それほど根深い自己保存の心理作用です。それを唯識は「マナ識」という言葉で表現します。

 そこから派生してきた煩悩を「我見」といいます。これは「自己を成り立たせている見解」とでもいいましょうか。もう無条件に自己を保存しようとしている本能的な見解です。この見解を基盤として、そこに慢心やら、怒りやら、自己満足的な愛が起こってきます。自分の思い通りにならずに、不満をもって、相手には怒りを感じているとき、その怒りの奥底を見てみると、必ず「我見」が横たわっています。自分がかわいいし、自分を愛したいし、自分が気持ちよくなりたい。そういう本能的な我見があります。その欲求を否定される時、ひとは「怒り」を感じます。昨日も書きましたけど、そこに人間ならではの「正しさ」という煩悩がまた起こってきます。これも唯識では「辺取見(辺見)」と押さえています。つまり「かたよった見解」ということです。人間の正しさは、どれほど論議を尽くしても、かたよった見解だと批判するのです。自分の立場を正しいとすれば、相手は必ず間違っているということになります。「男は世間に出て、家族のために働くのがつとめだ。女は家庭をまもって子育てをするこれが常識だ。これが正論だ」とすれば、女性が社会で働くことは間違いだとなります。でも「結婚後も社会で女性が働くのが正しい見解だ」と主張すれば、「女性は家庭で家事・育児をする」という考えは否定されます。この結婚観は、時代とともに変わってきました。決して、どちらが絶対的に正しいということはありません。その時の時代の価値観によって善悪・是非が決定されてくるのです。いわゆる「常識」というものの縛りは、時代が持っている拘束性です。それは世間が縛っているという面もありますし、自己規制として自分が自身を縛っているという面もあります。アフリカの民族が、コテカ(ペニスケース)と腰ひもを正装にしているからといって、私がいま、そのモードを実行することはできません。いくら正しい服装(正装)だといわれてもです。社会はその時代・民族の共通了解で動いているものですから、時代により、民族によって善悪・是非の基準が異なってくるのが当然です。それは社会という大きな共同体でも、家族、夫婦という小さな共同体でも同じことです。以前の我が家では、風呂上がりのバスタオルは一本しかありませんでした。それを家族全員で使っていました。最初に使った人は、乾いているタオルで体を拭けますから気持ちいいのです。しかし最後の方になるとグショグショに濡れてしまい、不快でした。でも、そういうものだとして、その作法を受け入れていました。もし、家族それぞれのバスタオルを使っている家庭を知ったら、その作法を「間違っている」と批判したことでしょう。また、もし、正しさの物差しが固定的であるならば、あれほど民事訴訟や刑事訴訟は複雑ではないはずです。まあ、そのときの法律的判断も、やはり時代の常識の線で折り合いを付けてゆくようです。

 自分が正しいことを言っているときには、ほんとに相手を傷つけ易いものだと注意を重ねてゆかねばと思います。蓮如上人が「ひとに負けて信を取れ」とおっしゃっていることが身に沁みます。「ひとに負ける」とは、自分の正しさに疑問を抱けということでしょう。「自分は正しい、相手は間違っている」という、その見解に疑問を抱いて、相手の意見を受け入れてみなさいということでしょう。それは、決して、「自分は正しいのだけれども、とりあえず、ややこしいから相手の意見にしたがっておこう」という態度とは違います。自分も一理あるし相手も一理有ると見える視座に立つということでしょう。それが信仰の立場だというのでしょう。ほんと、「自分を客人にできれば一人前」です。

 

2003年4月23日

●昨日は、親鸞仏教センターのつどいがあり、有識者の先生方と懇談交流の場をもつことができました。この集いは、センター設立一周年記念事業でして、一年間を振り返って、各方面からご批判ご意見をたまわるという趣旨で開催されました。60名位の方々が出席してくれました。以前『アンジャリ』にご執筆いただいた三好春樹さんもお見えでした。先生のご出身は広島県で、いわゆる「安芸門徒」の出だとおっしゃっていました。そしてこれは、あまり教団内部では知られていないようですけど、門徒の伝承でこんな話があるんですとお話下さいました。興味深いお話なのでご紹介しちゃいます。広島のとある村で住職不在の寺があったといいます。それでは困ってしまうということで村人は、住職を公募したのです。すると二人のお坊さんが名乗りを上げました。ひとりは禅僧で、丸めた頭は青々とし、墨染めの衣を着た、いかにも修行を完成されたお坊さんという感じの方でした。もうひとりは真宗のお坊さんで、みかけは一般人となんにも変わらないひとでした。そこで村人はどちらが住職としてふさわしいかテストを試みました。村人は、熱いお風呂を沸かしました。そして、そのお風呂に入れるかどうかで決めようというのです。禅僧は、鍛練の成果でしょうか、熱い湯に堪えて入ることができました。次に真宗のお坊さんの番になりました。すると彼はお風呂に水を入れてぬるくし、そばにいた人たちと一緒にお風呂に入ったといいます。

 結論は分かりません、でも三好さんは、ここに介護の原点があるんじゃないですかと話してくれました。いい話だなぁと感じました。人間の特殊性や、超能力性や、優越性とは違うところに、ひとが生きるという原点があるんだと思います。人間は、ついつい地面から遠く離れたところに頭があるので、地面が見えなくなっているんですね。普通地面から1メーター以上離れたところに、人間の頭蓋骨がありますよね。ですから、脳は「思い上がる」という傾向があります。手や足が動いてくれないと脳は、栄養もとることができません。でも、いつもいつも手や足を眼下に見下しているためでしょう、段々「思い上がって」くるのでした。そして、能力あるほうがいい、効率のいいようがいい、優秀な方がいいという、上昇志向を始めるのです。そういう傾向性を必ずもってきます。でも、人間の身体はだんだん、そういう上昇志向から逸脱して、衰えていくのです。成長することは「喪失体験」をたくさんすることです。その喪失体験を繰り返すことによって、「思い上がって」いた脳が、ようやく等身大の手や足に頭が下がるのです。脳が地面に落ちたとき、そこに広大な世界が広がっていくように感じます。うちの猫と同じ高さの目線で、生活を見てみると全然違っているんです。これはびっくりです。

 それから、坂東性純先生が最後のスピーチをしてくれました。暁烏敏先生のお弟子さんにはみんな「暁」という字が就いています。久保瀬暁明先生、西村見暁先生、児玉暁洋先生、林暁宇先生と、みんな「暁」がついています。みなさんそれぞれご活躍をなさっておられます。しかし、先生であった暁烏先生はお亡くなりになっていらっしゃいますから、そのお弟子さんが活躍されている姿はご覧になれませんね。宗教が伝わるということはそういうことじゃありませんか、と。それから、明治当時の浩々洞でも、それから暁烏先生のお集まりでも、沢山のかたが寄り集まっていたということではなかったとおっしゃいました。あくまで少人数のお集まりでした。しかし、その少人数の集まりの中から、時代を背負ってゆく人物が生まれてくるのです。ですから、決して「一から多」ではなく「一から少」ではないでしょうか、と。もし宗教が広まるということがあるのでしたら、「一から少」ですとおっしゃいました。親鸞仏教センターは、首都圏に向かって親鸞を発信してゆこうという課題を担っている組織です。どうしても「一から多」という構えになっていたように思います。もういちど頭を冷やして「一から少」という原点に帰ってくださいという厳粛な批判として受けとめさせてもらいました。

 まあ、それでも、入り口はできるだけ広くというのが原則だと思います。いつでも、どこでも、だれでもということが成り立たなければ、それは仏教ではありません。入り口は可能な限り広く、しかし、実際に出会って行ける人は少数というのが実情にあっているように思います。また、自分たちの成果をあまり短いスパンで考えてはダメだという批判も受けました。お釈迦さまは、二千五百年後の現在を知りません、親鸞も八百年後の現在を知りません。しかしその八百年前の仕事が八百年後に花開くということがあるわけです。そのくらいのスパンで事に当たってほしいということでしょう。どうしても、東京は変化の速い場所です。そのために、ついつい近視眼的にせっかちになってしまいます。これも大事な指摘だと思いました。現象の背景、現象の根っこに潜んでいる永遠の課題を大切にしろということでしょう。そこに焦点を当てて、物事を表現してゆきなさいというのです。人間には発展もなければ衰退もないわけですから、ことの本質はどの時代の根っこにも存在しているわけです。その根っこの問題を大事に大事に、そこから根を伝わって現れてきた、幹や葉を言葉にしてゆけばいいのだと思います。まさに「ことの葉」を大切に育ててゆきたいと思います。

 

2003年4月24日

●親鸞仏教センターの集いでの、もうひとつのお話を記します。これは近角真一さんがおっしゃっておられたことです。「大谷派のひとたちは、本質論ばかりで、形式論を軽んじる傾向がある…」と。近角さんは故近角常観先生のお孫さんで、現在、本郷(東大正門西入る)にある求道会館の主宰者でもあります。また本業は建築家をされています。ですから、形式と本質という両眼で物事をご覧になり、私たちの盲点を指摘していただけます。まことに有り難い存在です。その近角さんが、そのようにおっしゃったのです。確かに、大谷派の人々は、形式(荘厳や声明や建築構造)は二の次で、信心が最も大事なんだという傾向はあります。しかし、それは形式の大事さを知らないからだというご批判です。なぜ、阿弥陀さんという御本尊を真ん中にして、シンメトリーになっているのか。どうしてああいう本堂のつくりになっているのか。なぜ、声という媒体を通して読経が奏でられるのか。本堂という場所は、ひとつの演劇空間とでもいえます。演劇空間として、日常と非日常を仮構し、内陣と外陣をしつらえます。そこに諸仏・諸菩薩を演じる人間が登場し、淨土の荘厳を仮構します。非日常性を演出するために、色彩をもちいます。内陣の金彩色や、お坊さんが色の衣を着るのは、淨土の飾りであり、非日常のシンボリックなのです。決して、衣を来ている人間が仏・菩薩ではありません。着ている人間は、煩悩具足の凡夫です。ただ仏・菩薩を演じているわけです。淨土のシンボルとして。その凡夫の肺と声帯を通して、経文を発声し響かせます。その響きが、聴衆や奏者の耳や体全体に響き、癒しと安らぎが生まれてくるのです。

 かつてNHKが放映していましたホーミーという発声を聞きました。モンゴルの大地に響くホーミーは独特なものです。喉ホーミー、口ホーミーとか発声法があります。そのホーミーの響きを聞いていると、聞き手の心が癒され、機械で調べるとアルファー波が発生していることが分かりました。また、ホーミーは超音波の部分もあって、決して機械では録音できないものだともいっていました。あのユーミンこと松任谷ユミもホーミーと同じ波形で、超音波が出ているのだそうです。でもこの発声法は、我々の声明の系譜にあるわけです。私もたまに伽陀(ガーター)という経文を称えているときに、たぶんホーミーらしき発声になっていることがあります。「今日の住職さんの読経の声を聞いていたら、低音と高音が同時に聞こえてきたんですよ」とおっしゃっていただいた門徒の方がおられました。これはやはりホーミーだなぁと感じました。でも、ホーミーの状態に入ると、声は大きく出ているのですけど、ものすごく眠気がやってくるんです。読経は、いわゆる三昧を導きます。意識が表層から深層へと降りていこうとするのです。大きな声で発声しているので、意識は現世に留まろうとするのですけれども、それに反抗して深まろう下降しようという逆の流れが起こってくるのです。簡単に言えば、眠くなるんです。

 それはともかく、近角さんが指摘して頂いた、声とか形とか配置という「形式」の重みが大事だと思います。「形式」というと、否定的な感じをうける人もいるかもしれません。でも「カタ」というものは、人間がこの世に存在している限り、だれしも規定されているものなのです。服装とか住居とか摂食とか、こういうところに「形式」があるわけです。モードといってもいいのでしょう。形式・流行というものに知らず知らずのうちに規定されながら生きているわけです。このカタチの重みを感じています。形式と本質が、両輪のように共存できてこそ、信仰が内容をもったものになってくるのでしょう。今回の近角さんの指摘は、私たちに大切な問題提起だと心して受けとめたいと思います。

(24日〜25日は教学館の一泊研修のため更新は難しいかもしれません。25日は立正佼成会見学研修です)

 

2003年4月25日

●今日は、立正佼成会を見学研修に行ってきました。佼成会の発祥の地→佼成図書館→大聖堂→法輪閣という行程でした。佼成会は、開祖・庭野日敬と脇祖・長沼妙佼が、昭和13年に創立した宗教団体です。もともと庭野氏は霊友会の信者で、そこから分派して独立した形をとっています。佼成会は自らの教団を三分割して、初めの昭和13年〜昭和32年までを「方便教化の時代」。次の昭和33年〜52年を「真実顕現の時代」、それから昭和53年〜平成9年を「普門示現の時代」と定義しています。第一期の佼成会は勢いがあり、生命判断や占い、「おクジを切る」などを通して、貧困・病気・争いごとを超えてゆけるというエネルギーをもっていました。これはどの教団でも、初代の熱気はものすごいエネルギーがあります。いわゆるカリスマとしての長沼妙佼と、そのカリスマの真実性を現実的の教団として組織化する庭野日敬という絶妙のコンビで成り立ってきました。現在は211万世帯(六百万信徒)となっています。教団の実践理念は@親孝行A先祖供養B菩薩行と定義されていました。自分のいのちは先祖からの賜り物であって自分のものではない。それをさかのぼってゆくと久遠実成の釈迦牟尼世尊という仏になる。ですから、人類はみんな兄弟なのだと説きます。親孝行という自分の目の前の先祖を大事にすることで、数限りない先祖の恩徳を感謝するのだといわれています。また、人々の出会いを通して、人格の完成を追求するのが菩薩行だと定義されていました。また理念は「入会即布教」「信仰即実践」といわれていました。それは入信することで、そこに留まるのではなく、多くの人に幸せの道を説いていくことだと。また仏教を生活の中に生かしていくということが大切だといわれています。

 仲間の質問で、真宗のお寺では「先祖供養はいならい」と教えられ、佼成会では「先祖供養をしなさい」と言われては混乱するのではないですか?というのがありました。それはケースバイケースでお応えしていますという返事でした。やはりひとは生かされて生きているのですから、そのことに気がつけば、おのずと先祖に感謝するようになるのだと言われたように思います。「地球上で一番悪いのは人間です。自然破壊でもそうです。そういう罪を抱えています。ひとは多くのいのちを頂いて生きていくしかありません。そういう深い内省をしていくことによって、人生を前向きに生きてゆくことが始まります」と。

 やはり佼成会も「方便教化の時代」から「普門示現の時代」に入ってきたのだと思います。以前の佼成会は、そういう理論よりも、まず実践を強調したようです。理屈は入らないから、ともかく実践しろとなっていました。しかしそれでは現代には通用しないということが内省されたのでしょう。かなり仏教の理論を消化して、平易に表現されるようになったのだと思います。佼成会も、ようやく二世、三世の世代になってきましたから、既成教団と同じように世襲制の問題が出てきたのだと思います。世襲でいけば信仰の力が弱くなります。生まれながらに佼成会ということになると、子どもは、それを受け入れるかどうかを迫られることになります。初代の信者は、最初に何もないところから、自分から佼成会を選択しました。しかしその子どもは生まれたときには既にあるわけですから、信仰は弱くなります。この問題は既成教団にも通底します。

 今回、見学をして感じたことは、やはり「自己否定」の問題でした。どこで信仰の自己否定が起こるのだろうかということです。真実というものは、人間に徹底した決判をせまります。人間は罪なるものか、無罪のものかと。人間はどこまで徹底しても不純粋なものだという自己否定があります。だから、その不純粋を少しずつ純粋にしてゆくということではありません。徹底して不純粋であるという自己否定を如来から受けるということが真宗の信仰だと思います。どうも佼成会では、その不純の濃度を薄めてゆき、人格を完成させるというふうに受け取れました。ですから、自分のダメなところ、いたらないところを人間関係の中で指摘されて、自己を修正しながら完成させてゆくというイメージがあるように思いました。ですから、「前向き」ということになるのでしょう。後ろ向きはダメ、前向きがよい。暗いのはダメで明るいのがいい。内向的なのはダメで社交的なのがいい。社会に役に立たないよりも、役に立つ人間になったほうがいいという、そういう上昇志向があるように思いました。でも、それでは暗い人間や、内向的な人間、役に立たない人間は生きられないのではないかと、不安になりました。どんな人間でも、その場を受けとめて生きられるということにならなければダメだと思いました。

 

2003年4月26日

●今日は、六組の聞法会でした。先生は二階堂行寿先生でした。お話の中で「赤鬼・青鬼」の話が印象に残りました。赤鬼は、自分の思い通りにならないと真っ赤になって怒っている自分の姿。青鬼は、自分の思惑が外れて、ゾッとして青ざめている自分の姿と聞かせていただきました。結局、人間は「貪欲(とんよく)」で生きてるんですね。仏教語では「貪欲(とんよく)」と読みますが、世間では「貪欲(どんよく)」と読みます。「どんよく」のほうが、物事を正確に表現しているように思います。資本主義は、「貪欲」を原理にして動いている世界です。自分の時間を資本に売り渡して、代価を得て生活しているという構図になります。ですから、「自分の体を自由に使って、お金を稼いで何で悪いの?だれにも迷惑かけてないじゃないの!」という売春女子高生の言い分もごもっともということになります。この女子高生に対して反論できない大人は、「資本主義教徒」に成り下がってしまった大人です。この女子高生になんといって反論したらいいのでしょうか。

 小生は、自分の体は自分のものではないと反論したいと思います。自分のいのちの背景を説明して、一〇代さかのぼると1024人の出会いがあるといいます。絶対他力で人間は生きているのですから、自分の体を自分の自由に使っていいという保証はないのです。でも、その場面は、売春は悪いという視点にたって、その視点から少女を正常の世界に引き戻そうとしているいやらしさが働いているのでダメでしょう。その論理は恐らく少女には通じないでしょう。「売春をしてもよし、しなくてもよし」、どっちを選んでもあんたの自由さ。そんな地平が、両者の間に生まれて、そこから「売春をしなくてもやっていける」という世界が見出されなければダメだと思います。大人は、売春はいけないことだよという固定観念があります。その固定観念が絶対に正しいんだという前提で少女を懐柔しようとするのですから、彼女は聞く耳をもたないのは当然です。彼女は、その固定観念を破りたいのです。既成観念を破り、自分を解放したいのです。売春を一回することによって、「自分が軽くなっていく」と告白している少女がいます。それは、売春という行為を通して、自我の解放を叫んでいる姿なんです。ほんとうは売春は気持ち悪いに決まってるんです。でも、あえて気持ち悪い修行を自分に課すことによって、自我を超えたいと叫んでいるわけです。美しい修行者のすがたさえ彷彿とします。それなのに、大人が「売春は悪い」という固定観念をもとにして、彼女を「この世」の秩序へ呼び戻そうということは不可能でしょう。彼女が、そうせざるをえない根源まで一緒に降りて行って、そこから、もう一度彼女と這い上がってくるという共同作業が必要なのでしょう。これは、とっても大変なことです。よっぽど、こっちの「大人性」がグチャグチャに崩れていなければできないことでしょう。

 価値観がグチャグチャに崩れていく、そんな稽古が聞法という修行だと思います。大人は、崩れたくないんです。ですから、仏教を拒否するんです。「難しい」といって。「難しい」というのは、自分の価値観を崩したくないという訴えなんです。自分は変わりたくない、このままでいいんだという叫びです。まぁ、それも分かります。でも、価値観がグチャグチャになっていくのもいいもんですよ。いくつになっても、そういう「永遠の幼子」の精神はあるものです。そんな幼子の気持ちに帰ることができる仏法は素敵だと思います。

 

2003年4月27日

●門徒が尋ねてきて、「父が田舎で亡くなり、葬儀は済ませました。でも本葬をこっちでやりたいのです」と申し出がありました。浮かない顔をしておられるので、お話を伺うと、葬儀をしていただいたお坊さんに対する不信感があったのです。「確かに真宗大谷派のお坊さんをお願いしたのですけれども、お棺の中には、何も入れてはいけない。即身仏だから、仏さんの旅支度もいらないし、着物も着せなくていいと言われて、何もしてやれなかったので、寂しいんです。ほんとにあのお坊さんの言うことは間違ってないんでしょうか?これでいいんでしょうか?」とおっしゃるのです。小生は次のように応えました。「真宗大谷派としての対応しては、そのお坊さんは全然間違っていないのです。故人は亡くなった途端に、阿弥陀さまが救いの舟をしつらえてお浄土へ連れて行って下さるのです。ですから、自分の足で三途の川を渡ってゆくための旅支度も、また途中に出てきた魔物を対峙するための刃物も必要ないのです。阿弥陀さまの愛の舟に乗せられてお浄土へ参るわけですから、そのまま全部お任せすればいいわけです。なにも必要としないのです」。「それは間違いない正しい真宗のお坊さんです」とお応えしました。

 でも「うちは、そこまでキチッとはできません。柩に何を入れるかとか、どういう格好で弔うのかということは、ご家族と葬儀屋さんが相談して決めてもらっています」と応えました。その発言にご家族は少し慰められたようです。それは、教義の正さとしては、そうなのかもしれないのですけれども、やはりご遺族の感情の問題が残ってしまいます。いくらそれが正しいことでも、遺族の感情をそこなうような葬儀は間違っていると小生は思っているのです。私たち僧侶が大切にしなければならないことは、教義の正さや葬儀の正さではなく、遺族の心情ではないでしょうか。いくら正しい葬儀でも、遺族が不安やわだかまりを持たれているのであれば、それは間違いの葬儀だといわざるをえません。そんなお坊さんは遺族と心情的なつながりはもてないと思います。そのお坊さんは教義の正さのほうに身を寄せていて、遺族の側に身を寄せられない「半人前」のかたかもしれません。形はどのようにも変えることができますし、変えていいのだろうと思います。それは方便なのですから。大事なのは残された家族のこころの傷や不安ややるせなさや寂しさなんです。そこに目を注いでいくことが大切なことです。形にしがみつくのは、自分が壊れることを恐れているからです。教義の正さという枠の中で自分の存在意義を見出そうとしているのです。その教義の正さという城の中に立てこもってしまい、一歩もそこから出ようとしないことです。教義の城に立てこもっていれば、「それは間違った葬儀だろう!」という批判の矢から免れることができます。しかし、それは自分が城を出ることを恐れている姿なんです。それは本当の正義でも勇気でもありません。むしろ城を明け渡して、開いて行くことこそ私たちの仕事だと思います。そのために、真宗は世俗の形をとるわけです。髪の毛も剃らず、家庭生活をして酔っぱらい、民衆とどこも違うところはないのです。それは自分を守る城はないということの象徴なのです。守るものが何もなくなれば、そこに他者と出会ってゆけるんだと思います。それこそ本当の勇気だと思います。教義の中にだけ正さがあるわけではありません。ほんの些細な日常のなかに真実はころがっているものです。遺族の悲しみの中に真実がころがっているものです。そこを大切に見抜いて、大事に温めてゆきたいものです。僧侶の罪を懺悔させられました。

 

2003年4月28日

●父の余命が三カ月と診断されてから、一週間目に入りました。多少ボケも始まりました。昼と夜を取り違えたり、ご飯を食べたかどうかおぼつかなくなったりしてきました。昨日の朝、小生が洗面所で歯を磨いていると、父が小生に向かって「元気で、ありがとう…」とニコニコ顔で言うのです。嬉しくなりましたね。先日も、美輪に「今日は、だれが家にいるの?」と父。美輪「お母さんもパパも出かけますから、誰もいませんよ。家にいるのは私とお父さんだけですよ」と応えたら、父「どうぞ宜しくお願いします…」とペコリと頭を下げたそうです。それを聞いて思わず笑ってしまいました。ボケるというのも、いいもんだなぁと思いました。ようやく人間界の言葉から脱して、カミの世界の言葉を発するようになったのでした。ボケてからの方が、ずいぶん素晴らしい言葉を聞いたように思います。やはり家族は、「いる」とか「ある」という関係ですから、「いるだけ」「あるだけ」で、それですべてを物語っているという面があります。役に立つか立たないかという資本主義の論理では人間は生きられません。だれでも役に立たなくなるのですから。役に立つかどうかという世界は、「人間界」だけです。仏さまの世界ではそんなこととはまったく無関係でしょう。

 おもえば人間は、王さまとなって生まれてきます。不快なときには泣けばいいんです。そうすれば快適な衣食住が向こうからやってきます。お乳やオシメも替えてもらえますし、温かいベッドで好きなだけ安眠できます。しかし成長するとそうはいきません。自分のことは自分でやらなければならないことになります。もっと成長すると、今度はひとの世話をするようになります。「扶養家族」という言葉どおりですね。苦役につながれて、なかなか自分のためだけに生きることができなくなります。いま、目の前にしているパソコンさながらです。パソコン本体は、マウスにつながれ、MOにつながれ、電話ケーブルにつながれ、電源につながれ、印刷機につながれ、まるで苦役につながれている自分自身のようです。そんな配線を全部断ち切って自由になりたいだろうなぁと思います。これは奴隷の状態ですね。でも、考えてみると、パソコンはつながれているから、ようやくパソコンとして成り立っているんです。もし、電源や印刷機がなければ、パソコン本体も無用の長物になってしまいます。つながれているということは、不自由であるという面と、支えられているという面の両面をもっているんです。しかし、もっと成長すると、今度はまた王さまに戻ることができます。体を横たえて、ボケることによって、周りの人たちが世話をやいてくれます。また再び王さまに戻ることができます。そうすると、人は王さまになって誕生し、成長して奴隷になり、やがて最後は再び王さまに戻れるという、こんなライフスタイルになってくるのでしょう。

「子ども叱るな来た道じゃ、年寄り叱るな行く道じゃ」という言い伝えもよく分かる気がします。最近父を見ていると、自分の中に父があるような気さえしてくるのでした。私の生存は父の精子と母の卵子に起因するわけです。もっと、もっととさかのぼることもできるのですが、一応、直前の生存の要因は両親です。そうすると、父の精子が巨大化して、いま自分に成っているわけで、精子が服をまとって歩いているような感覚にさえなるのです。私そのものが父であり、父そのものが私であるような感覚です。今朝、小生が書いた法名を見て、弟が、「父が書いたのかと思った」というのです。小生の字と父の字がものすごく似ているというのです。小生も、そういえばそうだなぁと思ってみていました。それも当然なんですね。だって、私は「父そのもの」なのですから。驚く方がおかしいのです。三十歳も過ぎた頃でしょうか。夜お風呂に入って、体を洗っているとき、ふと自分の背中が鏡に映ったのです。その背中はどこかで見たものでした。それは父の背中だったのです。一瞬、なんでここに父の背中があるのか、そんなバカな!という感覚に襲われました。しかし、それはすぐに自分の背中だということが分かって、ゾッとしました。その当時は、まだ父と自分は違うものだ、同じであってはならない、同じであるはずが無いという強い拒否感があったのでしょう。でも、それは驚くこともないのです。それは「父の背中そのもの」なのですから。若い頃は、みんなオタマジャクシで、まさかあんなグロテスクなカエルになろうとは思ってもみないんです。でも、あるとき、ふと気がつくと、尻尾が退化し、足が延び手が出て、あんなに嫌っていたカエルになってしまっているのです。人間も、両生類に似ている生き物ですね。

 それでも父は食欲があり、昨夜は気分がよかったのか熱燗を少々飲みました。小生も付き合いながら飲んでいました。そのうち小生は眠たくなってウトウトとして眠ってしまいました。そんな小生を見て父は「風邪をひくといけない…」といって心配していたそうです。病んでいるひとに、憐れみを掛けられるのも幸せなことだと思います。

(まだまだ「病床日記」は続くものと思われます。佐藤健記者の「生きるものの記録」のように、最後の「涅槃経」を見届けてゆきたいと思っています)

 

2003年4月29日

●朝、トイレに入って、なんの気なしに下を見ると。ウロコ(鱗)のようなものが落ちていました。あの半透明のビニールのような、そして半円形のウロコなんです。サカナをを猫が運んできた形跡もないし、と思っていましたら、その原因が分かりました。これは父の皮膚なんです。両足にむくみが出てきて、その両足の皮膚がかさかさに乾燥しています。その乾燥している皮膚がはがれて、ハラハラとウロコを剥がすように落ちるのでした。朝、小さいホウキで部屋を掃除しているのは、そのウロコのような皮膚を掃き固めてるためだったのでした。こんもりとするほどウロコは集まります。こんなに人間の皮膚が剥がれ落ちるものなのかと不思議に思います。新陳代謝で、新しい皮膚ができあがるときに、もはや水分は不必要だろうといって、古い皮膚から水分を奪ってしまったかのようです。紅葉が赤くなるのは、木自らが、葉っぱの先に水分を送らなくなるからだと聞きました。人間は、あの赤や黄色の葉っぱを見ては美しいと称讃しますけど、木ご本人は、案外つらいことなのかもしれません。自らの体に自らで負荷をかけるわけですから。しかし、それも紅葉の死の予行演習なのでしょうか。父の皮膚を見ていたら、あの紅葉の葉っぱを思い出しました。

 昨日は、ちょっと気が早い五月晴れでした。暖かく、雲ひとつありませんでした。気分がよかったせいか、父はベランダで日向ぼっこをしていました。お昼のソバを運んでいくと、外で食べるというので、テーブルにソバを置きました。すると一緒に食べようと小生を誘うので、小生もソバのザルをもってテーブルにつきました。狭い庭があるだけなのですけど、空は快晴、気分も上々で、二人でソバをつつきました。もはや普通の声は出ないのですけど、かすれたような声で、いろいろな話をしました。緑色の木々しかないなかに、赤い葉っぱの紅葉があって、面白いと言ってました。「あの風鈴は、南部に行ったときに買ってきたものだ」とも言いました。風鈴の下の短冊が朽ち果てて取れてしまっていたので、なんとか工夫して新しい代用品で短冊を作りました。緑の葉の間をそよぐ風に、微かなチリンチリンが鳴りました。風鈴はあんまり大きな音では風情がありません。ガラス製のものとは、違って南部鉄は、繊細な音色がしました。短冊もあまり小さくても鳴りませんし、大きすぎてもダメなんです。それから下に下げる糸の長さによっても微妙に鳴り方が変わりました。その作業風景を見て、父は苦笑いをしていました。もう後が無いという時間を父は生きていて、そこで語られる言葉は、詩的にも感じられました。もはや、小生に対する小言は消え失せました。この世の「こうあるべき」とか「こうあらねばならない」という縛りは消えてきたように思います。まさにカミの世界へたましいが入ってゆき始めたと思います。リン、リンと、風鈴が鳴ります。

 昨夜はお通夜があり、お勤めをしてきました。七十四歳の女性でした。ご家族にとっては、心の中で大地震が起こっているようなものでしょう。唯一、慰めることのできる方法は、亡き人をよみがえらせることだけです。でも、それは叶いません。だいたい、「生の中に死がある」わけではなく「死の中に生がある」のですから。生の中に、不幸な出来事として、あってはならないこととして死があるわけではありません。もともと私たちは「死」から出発しているんです。もともと「死」の中にあるんです。自分が生まれる以前は「死」の状態です。存在は無いわけですから。死と同じです。それを「永遠」と言い換えてもいいのかもしれません。でも、どんどんと自分のいのちのルーツをさかのぼってゆくと、地球の誕生から宇宙の誕生までさかのぼってゆき、止めどないことになります。なぜ、私は、この現象の世界に、形となって表出されてきたのでしょうか?そのおおもとの源の出来事には、いったいどんな神秘があるのでしょうか?そんなことに思いを馳せていると、次の言葉がよみがえってきました。

「法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり」(唯信鈔文意)

 この親鸞の言葉です。これは自身とは違う、異質な仏さんのことを語っているのだというふうに解釈されますけど、そうでもないと小生は思っているのです。親鸞の頭の中でも、これはご本尊の仏さまのことを表現しているので、我が身のことではないと考えていたのかもしれません。しかし、親鸞がそのように発想する背景のところに小生は目を注いでいるのです。小生は、以前にも書きましたけど、「自身の<いのち>こそ本尊」という立場ですから、この文章は我が身と別のことをいっているとは考えていません。 我が身が、この世、この現象の世界に存在するための「初めの一歩」とでもいうような出来事があったはずなのです。それは自分の記憶にあるわけではありません。自分の<いのち>の歴史に深く刻み込まれたDNAの歴史であるのかもしれません。人類の初めというよりも、いのちの原初の初めといったほうがいいでしょう。その「初めの一歩」を暗示している文章が親鸞の、その文章だと思います。「いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり」です。これは、「永遠」とか「死そのもの」とかいった世界です。人間の思いが及ばない世界です。これが我が身の「本来性」の世界です。<いのち>の本来は、そこにあるのです。では、なぜ、この苦しみの多い、四苦八苦の現象界に形となってきたのでしょうか。本来性のまんまでいいじゃないかと思います。そこに、「この一如より、形をあらわして、方便法身と申す御すがたを示して、法蔵比丘と名のりたまいて、不可思議の大誓願を起して、あらわれたまう御形」と言われてきます。この現象界に<いのち>が表出されてきたときには「法蔵比丘」と名づけられるものであって、それは「不可思議の大誓願」を根本としているとおっしゃっています。つまり、一言でいえば、それは「愛」から起因するということでしょう。現象界に表出されてしまったということは、それは愛が原因なんだと。この現象界に生み出してきたのも、そしてその四苦八苦の苦悩を救うということも、すべて「愛」から起こってきたのだというのです。永遠とか「一如」の世界から、二という現象世界へ開き、そして再び一に帰すという、実にややこしい「愛のかたち」なのでありました。人間の愛もややこしいけど、仏さんの愛のかたちも、実にややこしいものであります。

 「永遠」の世界から、この現象界へ生み出され、そして、また再び、「永遠」の世界へ帰って行くということが人間の一生のようです。帰るために、わざわざこの世へ出発するというのは、なんと不経済なことではないでしょうか。まったく「大いなる無駄」がここにあったのです。

 

2003年4月30日

●「経教は、これを喩うるに鏡の如し。しばしば読み、しばしば尋ぬれば、智慧を開発す」と善導大師は『観経疏』という書物の中でいっています。簡単にいえば、教えやお経の表現は、鏡のようなもんだというのです。この「鏡」の譬喩は、よくお説教でも聞くことですから、真宗門徒は「耳にタコ」状態の譬喩といっていいでしょう。しかし、この「鏡」ということを最近よくよく吟味してみる必要があると思っているのです。

 まあ善導さんは、お経の文字をよく読んで、疑問を出して考えれば智慧を開発することができるとおっしゃっています。しかし、お経をなぜ鏡に譬えるのかという説明はされていません。まぁ常識的に考えれば、鏡は自分の姿を写すものですから、その自分の姿をお経の文句と突き合わせて考えてみよということなのでしょう。小生は、お経ばかりではなく、ご本尊や、もっと広げて対人関係にまで敷衍していいのではないかと思っているのです。自分の顔を鏡に写して見ることはできます。自分は、自分の顔を知っていると思っています。でも、肉眼で自分の顔を見たものはいないのです。鏡に映った顔を自分だと思い込んでいるだけで、微妙に違っているのです。また小生もお説教では、「顔は鏡に写せるけれども、こころを写すことはできません」とよく語ります。鏡は不思議なもので、そこに反射の塗装をしてあるガラス板に過ぎません。ですからガラス板があるのですけれども、そのガラス板(つまり鏡)自体は意味がないのです。鏡は何事かを写すというハタラキに意味があるだけで、鏡それ自体は無意味だといってもいいのでしょう。お経や本尊もそういうことでしょう。それ自体は無意味である。しかし現象界を写すことに意味があると。つまりお経の中に何か摩訶不思議なことが書かれてあるとか、本尊を観察してゆくとやがて三昧の境地が説かれているとか、そういうことではないのです。お経の意味や本尊を見つめてゆくと、そこには却って娑婆のドロドロが映し出されてくるということなのです。お経の中を深く深く見つめてゆこうとすると、逆に娑婆の自分自身が深く深く見つめなおされてくるということになってゆきます。

 小生は「仏壇の前で、三分間でもいいですから、黙って黙想して見てください。そのとき自分のこころの中に何が起こってくるかを体験してください」と言っています。私たちのこころは日頃、動き回っています。「あれをしなくちゃ、これをみなきゃ、どうしよう」いつも動き回っています。ですから、こころの動きを意識することもありません。まさに無意識に意識しているわけです。ですから、その動きを観察するには、体をとどめてみればいいのです。そうすると、どれだけこころが激しく動き回っているかがよくわかります。身は仏壇の前にあっても、こころは、「洗濯物を取り込まなきゃ」とか「電話するの忘れてた」とか「あの件は、どうなってたかなぁ」とか、様々に動いています。こんなにも、動き回っているのかとあらためて気がつくのでした。鏡の譬えは、そんなありさまを仏さんが人間に見せてくれるという意味なのでしょう。そこに「ありのまま」という意味が大切になってきます。人間は、心の中で起こっていることでも、口に出したり行動に出さなければ分かりません。ですから、内心で思っていてもそれをごまかすことができます。「びっくりした」と思っていても、ひとに悟られないように、「全然平気ですよ」などと言うことは可能です。自分の知らないことや、初めて聞いたことでも、以前から知っていたなどという顔をすることは日常茶飯事ですよね。そうやって、自分のこころをごまかして来たのが自分なんです。でも、仏さんは、どんな些細なこころの動きも見逃してくれません。それを鏡とたとえるのでしょう。

 そこに人間のこざかしい価値判断を差し挟まないということが「ありのまま」でしょう。そんなこころじゃダメだとか、自分もまんざらではないという思い上がりとか、そういう価値判断を差し置いて「ありのまま」を頂戴するということでしょう。人間には進歩も成長も堕落も頽廃もないのです。ただ「ありのまま」の生き物としてあるわけです。個人のこころは狭いようですけれども、その狭い個人のこころに人類普遍の「ありのまま」が写されるのです。「煩悩具足の身なれば、こころにもまかせ、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいうまじきことをもゆるし、こころにもおもうまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにあるべしともうしおうてそうろうらんこそ、かえすがえす不便におぼえそうらえ」と親鸞聖人も述べておられます。煩悩の身であるから、言ってはいけないことを言うこともあるし、してはいけないことをしてしまうこともあります。でも、それでいいんだと自己肯定すれば、それは信仰ではなくなります。「ありのまま」ということの難しさがそこにあります。現状を厳粛に認識するということと、現状を容認してしまうこととは違います。

 私たちはある時は、仏さんを「安らかにお眠りください」といい、またある時には「私たちを守って下さい」とお願いします。仏さんは眠っていいのか、起きて守ったらいいのか困ってしまいます。こういう人間の都合で仏さんを考えていることが、仏さんの鏡に照らされてくるのでしょう。仏さんは「だから、どうしろ!」とはいいません。ただ陰りのない鏡に、自己のたましいを照らしてみよと。そのままの自分のこころのありのままを見よといいます。そこに見せて頂いた自分のたましいは、呆れほうけきるものであると同時に、惚れ惚れとするものでもあります。そこに自己反省では見えなかった、自己のたましいのありのままが頂けてくるのです。

 実に仏法は静かなものだと思います。本当の静寂をみんな望んでいるのです。

 

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