住職のつぶやき2003/05


 

 

2003年5月1日

●「父の涅槃経」

ここ三日ほど前から、大便をもらすようになりました。アテントのような紙おむつを当てています。昼夜は問わず、肛門の状態がつかめないようで、いつの間にかもれているという状態らしいです。その時は、母を呼んで面倒を見てもらっています。やはり子どもや嫁では、恥ずかしいらしいです。母には、私たちに大便をもらしたことを黙っておくように口止めしているらしいのです。自分の身体が老いと病を抱えて、徐々に衰えていくありさまを見て、寂しさややるせなさを感じていることでしょう。身体は老いても精神は老いませんからね。意識は老いないんです。小生でも、だいたい30代で精神は停滞して、進歩も衰退もなくなりました。でも身体は確実に老いを受け入れていきます。そのありさまを見て、「もの忘れもひどくなったし、私もダメね」とか「ちゃんと足をあげたはずなのに、階段でつまずいちゃって、年ね…」などと嘆いたりします。いつでも精神(思い)は高飛車です。自らの身体の老いを、皿の上に乗せて、あーでもないこーでもないと批評できるんですからね。いい気なもんです。「逆だろー!」と言いたくなります。「思いは、身体によって支えられているんだろう!」と言いたくなります。「せめて自分の身体のことくらい受け入れて、面倒みてやれよ!」とも言いたいです。身体は自分の所有物ではありません。公なるものです。私的財産でもありません。その身体が見せてくれる現実を拝跪してゆくしかありません。そして、身体に頭を下げてゆけるようになりたいと、小生は内心思っています。「身体が先、頭は後」です。

「自然というは、自は、おのずからという。行者のはからいにあらず、しからしむということばなり。然というは、しからしむということば、行者のはからいにあらず、如来のちかいにてあるがゆえに。法爾というは、如来の御ちかいなるがゆえに、しからしむるを法爾という。この法爾は、御ちかいなりけるゆえに、すべて行者のはからいなきをもちて、このゆえに、他力には義なきを義とすとしるべきなり。」(真宗聖典510頁)

という有名な親鸞の「自然法爾章」があります。文章のリズムも小気味よく、それでいて静かで、ジワジワと私たちに染みてくる表現ではないでしょうか。父の身体は、まさに自然法爾を受け入れているようです。でも、「行者のはからい」という「思い」がそれを受け容れないのです。身体が、どのようなありさまを示し、暴露してきても、それは「如来のちかい」であると親鸞は言います。如来がそのように示そうとされていることだから、人間の思いを超えている出来事なのだよと諭されます。身体は、如来が自由に展開できる場所です。どのような行為を取ろうと、それは如来の展開であって、そこには人間の介在する余地はありません。思いは、後から、その行為やありさまを評価するだけです。いつも「後の祭」です。この身体に展開する如来に出会うことによって、行者のはからいが徐々に剥奪されてゆくのでしょう。若いうちは如来を自由にコントロールできるように勘違いしています。でも、老いは、それが逆だということを教えます。行者は如来を拝跪するものです。それがまっとうな関係でしょう。今月の法語ということで四月は榎本栄一さんの「小便さま」を掲示してありました。

朝起きてたまっている小便を

一気に放出するこころよさ

これが 出なかったら

どんなに困ることか

空には淡い月があり

私の 今日がある

     (詩集『群生海』)         

単純な詩です。この生活詩のところに、如来を拝跪している榎本さんを発見するのです。「そりゃあ、小便が出なかったら困っちまうよな」という声も聞こえます。でもそんなことじゃないんです。身体を如来として拝んでいる榎本さんがいるんです。思い通りに動いているときには身体は、当たり前過ぎて、なんとも思いません。でも、身体のしでかす失敗や、事故や、不都合な出来事は、なかなか拝めません。おしっこがシャーシャーと出ること自体「他力」なんですね。他力が人間の生きるということの底辺を支えているんです。自力とは、「思い」だけですから、何の保証もありません。そういうおしっこも、父はシャーシャーとは出ず、トロトロと液体ともいえず、粘度が出てきたような感じです。まさに厳粛な、「裏を見せ、表を見せて、散る紅葉」です。

 

2003年5月2日

●「明日、世界が滅びるといわれても、わたしは庭にリンゴの木を植える」。こんなことを16世紀のマルチン・ルターが語っています。これを「今月の言葉」として選びました。前にも書きましたように、ここには「永遠の希望」が語られています。希望にも二種類あります。まあ、「将来、○○に成りたい」とか「幸せに成りたい」、「素敵な恋人に出会いたい」、「社会の役に立ちたい」とか、そういう「青春の希望」が、私たちの普段感じる希望ですね。それは精神が若いとき、あるいは精神に余裕のあるときに抱く希望といってもいいでしょう。別の言い方をすれば「行き道の希望」でしょう。でも、この希望だけでは、ひ弱です。長いあいだ、人間を生きていると、その希望が叶わないという状態に出くわすからです。ですから、希望がかなっている状態が幸せだと決めてしまえば、叶わなかった状態は不幸せということになります。一昨年の自殺者は三万人ほどです。未遂も含めればもっと多いでしょう。そこには「青春の希望」の破綻が一因をなしています。つまり「絶望」ですね。そこから第二の希望が要求されてきます。「成熟の希望」といいましょうか、「帰り道の希望」といいましょうか、そういう希望がなければなりません。つまり、この世のどのような「青春の希望」が失われても、それでもなおかつ失われない希望です。この希望をもてれば、一番強い生き方ができるように思います。ルターのこの言葉は、そんな「成熟の希望」を物語っているように思います。人間はどんな状態でも、今日より明日、明日より明後日と何らかの希望をもって生きています。以前、父に、「温泉でも行こうか?」と、誘ったことがあります。それに対して父は「この病気が治ったら行こう」と言いました。自分では、不治の病だということを知りつつも、やはり、今日よりも明日、明日よりも明後日という微かな希望を失ってはいないわけです。

 この人生を、もっともっと高所から見下ろせないだろうかと思います。「意識」は、高いところが好きです。西新宿の高僧ビル群、汐留のシオサイト、六本木ヒルズと、どんどん高い建物を「意識」は作り出してゆきます。小生も、以前、池袋のサンシャイン60へ登ったことがあります。60階の窓から下界を眺めると、まるでジオラマでも見ているように陶然となってきます。米粒のような家並み、そして建物の林が地の果てまでも続いていくような空間。もはや人間の姿はほとんど見えません。自分の足で踏んづければ、建物を壊すこともできるなぁ、まるでゴジラにでもなった気分になります。そして、あの密集している建物たちを見て、「あんなちっぽけなところで、毎日アクセク生きてるのか…」という感慨と、「なんてちっぽけなことで、毎日毎日、一喜一憂しているんだろう…」という呆れた気分になります。自分の生活が、些細なことで、実に小さなものだと視覚的に見えてしまうのが「高所」という場所です。そして、こういうふうに人生が見えたら、実に素敵だと思います。いやいや、宗教というものは、そういう作用をもっているはずです。自分の毎日の生活、そして、自分の一生を遠くの一点に見つめられれば、それから自分自身を引き離して、少し遠ざけて見つめることができるからです。そこに「余裕」が生まれます。

 その「高所」の高さをもっと高く設定してみましょう。サンシャインどころじゃない、飛行機の窓からの高さへ、そしてスペースシャトルからの映像に切れ替えてみましょう。そして、月から、太陽からとどんどん空想してみましょう。そうやって、自分が米粒から、点に変化して、やがて見えなくなります。それは神から、あるいは如来からの視点といっていいのでしょう。そのくらいの高所から、自分を見つめてみることが、大切だと思っています。

 でも、だからといって毎日の日々の暮らしは四苦八苦に違いないのです。その高所からの視点と、草むしりをするような地べたからの視点と、その両方が大切なのです。その視点の落差に、「あそび」が生まれるような気がします。一生懸命「あそび」の世界を味わいたいと思います。

 

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2003年5月3日

●岸本加世子の「台本にない台詞」に、面白いことが書かれていました。近頃のテレビドラマはストーリーの展開が早いということです。むしろ「早すぎる」という感じですね。彼女がデビューした頃は、半年で一話が完結するというサイクルだったそうです。最近では、それが三カ月になっているといいます。ドラマも社会と連動しているから、目まぐるしく急速に変化を受けるのでしょうか。それでも、小生なんかは、ちと早すぎると感じてしまいます。NHKの朝ドラ「こころ」も早すぎますよ。一日でプロボーズしたり、すぐに結婚式の場面になったり、その次の日には、結婚に反対していたお母さんが、結婚を認めてしまったり。ちょっと展開が早すぎて、小生はそのスピードについて行けません。もっともっと、視聴者をジラして欲しいと思います。視聴者は次の展開が見たくて仕方ないものです。でも、その視聴者のこころを袖にして、ジワジワとジラしながら物語って欲しいものです。人間のこころの変化は、そう単純に一丁上がりというわけにはいきません。少しずつ少しずつ変化してゆくものですから。その心情の変化と、ストーリー展開の速度がピッタリくるように、調整してほしいものです。しかし、制作会社としては、もし視聴者が嫌気を起して浮気されたら困りますので、視聴者の欲望を先取りして披露してしまうのでしょうね。制作会社は時代をリードするくらいの気概が欲しいですよね。視聴者の欲望に追随するのではなくて。でも、それも難しいことなのでしょうか。

 最近は、殺人や戦争や詐欺やお笑いや離婚やサーズばっかりで民放に嫌気がさしてしまい、NHKの教育テレビを見ているひとも多いと聞きました。あの教育テレビの妙な生真面目さが懐かしく感じられるんです。決して、茶化したり、はぐらかしたり、誇張したり、脅かしたりという操作がありませんからね。妙な穏やかさが教育テレビにはあります。それは、静かに眺められるという安心感でしょうか。でも、コマーシャルがないので、ちょっと息が抜けないという難点もあるんですけどね。民放を見ていると、肝心なところでコマーシャルが入り、「また、コマーシャルかよ!」と毒づいては、トイレに立ち上がる自分を見てしまいました。トイレタイムも必要ですね。

 話を戻しましょう。ひとのこころの変化には時間がかかるという話です。一瞬にしてガラッと変わってしまうひともいるかもしれませんから、決めつけることはできませんけどね。大病や交通事故など、そのひとにとっての大地震を契機として、人格が変わるということがありますよね。「嬉しさを、昔は袖に包みけり、今宵は身にも余りぬるかな」と蓮如さんも漏らされてますよね。まあ、普通は徐々に変化するものではないでしょうか。まあ早い遅いはともかく人間のこころは動いているものです。小生は、「私」という文字は動詞ではなかろかと思っているのです。固定的な「私」というものが、存在しているのではなくて、いつでも変化しているものではないでしょうか。ですから、「私というもの」ということではなくて、「私する」とか「私している」と使うべきかなと思い始めています。原始的な味覚の世界でも変化が起きますよね。子どものころ魚が食べられなかったのに大人になると食べられるようになるとか。最近の話では、苦瓜(ゴーヤ)の初体験です。生まれて初めて食べたときには、「こんな苦いものが、どうして美味いの?」と感じたのですけれども、少したつと、あの苦さが欲しくなってくるのでした。そして今では「苦くないゴーヤはゴーヤではない」と言ったりします。こんな変化がなぜ起こるのか自分でも不思議です。これは味覚の世界だけでなく、こころの世界にも起こっているはずなんです。小生は、中学生の頃、バスに乗るのが嫌いでした。都営バスはワンマン運転で、前で料金を払って乗り込みます。今はそうでもないのですけど、昔のバスは全部ベンチシートのような作りになっていました。あの病院の待合室のように全員が内側を向く形になっていました。小生が通学でバスに乗り込むとき、皆が小生を見つめているように感じてしまうのです。その視線が嫌いでした。特に座席が満席で、立っている客が一人もいないときは最悪でした。今でもその状態はあまり好きではありません。これは視線恐怖というか、自意識過剰というふうに診断されましょう。「皆が自分を見ているのではないかという自分の意識が自分を苦しめる」ということです。でも大人になってみると、そんなに他人のことを一生懸命に観察しているひとはいないということが分かりました。みんな自分のことで手一杯で、他人になんぞ構っていられないというふうです。自意識過剰とは、自分が自分を見つめている視線を他人の視線だと判断して苦しむという症状ですね。そのからくりが解けたおかげで、自分を安心して生きられるようになりました。

 それは一例ですけど、それから、自分が何かに苦しんでいるときには、変化が強いられている時だと思うようになりました。対物関係、対人関係でいろいろな苦境に立たされますけど、その時には、自分への変化が訪れているのだと思います。やっぱり「私」という固定的なものではなくて、「私して」いかなきゃと思います。日々、父の様子を見ていて感ずることです。日々、少しずつ変化をしていく父を見ることで、人間は「私」ではなく、「私する」生き物だと受けとめられます。寝室からガラッと扉を開けて、父は「お前も結婚を考えなきゃ」と弟に向かって話し、またガラッと扉を閉めて寝室に入りました。ところが、すぐにまたガラッと開けて、「フミ(孫)、元気?」と弟に向かって問いかけました。家族は、弟と孫を取り違えていることが分かりました。でも、弟も「元気、元気」と返事していました。みんな和やかに、その場を受けとめることができました。人間関係、家族関係に於いて、「私」は微妙に変化してゆきます。まず固定的な「私」どこかに有ると決めつけないことです。そうすると、「私している」ことのなかに、微妙な動きが見えてくることでしょう。まだ「自分自身」に出会ったことのあるひとはいないのですから。

 

2003年5月4日

●ダ・カーポと斎藤茂太さんのお話と音楽を聞きました。これは、仏教情報センター20周年の記念イベントでした。斎藤さんは、父を斎藤茂吉に、弟を北杜夫にもつ有名な精神科のお医者さんです。87歳のご高齢にも関わらず、かくしゃくとしておられました。お話の中で、自分は「一笑一若・一怒一老」とお話されていました。どうしたら、いつまでも若く元気でいられるかということに関してです。つまり笑えるひとは若くなり、怒る人は年老いてゆくというお話です。「笑う角には福来る」とは、落語でよく使われるフレーズですけど、やっぱり、「笑う」ということは人間に与えられた大切な要素なのだと思います。これは上智大学のデーケン先生も言ってますね。「笑うということは、人間の潜在的な能力である」と。確かに歳がいくと笑いが少なくなりますね。若い頃はよく笑いますよ。最近では小生がダジャレを言っても家族が笑わなくなったのは、家族が老いたからでしょう。あるいは、笑いたいという衝動を押さえて、「笑わされるもんか」と身構えているからでしょう。「こんなダジャレに笑ってしまった自分て、なんてバカなんだろう」と自虐的になっているからかもしれません。先日も披露宴に行って、乾杯までの挨拶が長かったので、「披露宴に行って、疲労しちゃったよ」と言っても、この程度では誰も笑わないんです。笑いをこらえることは体に毒ですぞ!諸君。

 それから、「結婚生活で相手に百パーセントを求めてはいけない」とも言われていました。これも大事なことですね。新婚当時は相手に求めるんです。やたら求めるんです。それが叶わないと「こんなひとだとは思わなかった」となるんです。でも、ながく付き合ってくると、相手に求められるほど自分が優れているわけでもないし、自分にはちょうどよい相手なのだと、要求水準を下げてくるわけです。そしてあまり相手に求めなくなってきます。そしてもっとながく付き合ってくると。そのうち、「空気のような存在」となってきます。あってもなくても同じことという意味もありますし、「空気」ですから、これがなければ死んじゃうという意味でもあります。夫婦から、よきパートナーへ、やがて枯れ木がお互いに寄り掛かって何とか立っているような状態へと変化してゆきます。でも、男は弱いです。百歳を超えた老人は現在一万八千人もいるそうです。そのうちの八十%が女性だといいます。やっぱり、人体の基本形は女性なんです。男性は、もともと女性に内包されていた生殖器が、ある日ちょん切れて別仕立てになっただけです。もともと奇形から出発しているのが男性なんですね。だから、弱いんです。いま猛威を振るっているサーズの男女別死亡者リストはないものでしょうか。おそらく男性が弱いのではないかと憶測しています。また、老いてから伴侶に死別したときに、これまたすぐに亡くなっていくのが男性ですね。伴侶に死別された女性は念々元気になってゆくとモタ先生も話していました。

 講演中にも時々、腕の時計を見ては「なかなか時間がたたないねぇ…」といっては、会場を沸かしていました。それから、「ええーっと、何を話していたんだっけ…」というのもありました。枝葉の話に集中していくと、すぐに本筋がすっ飛んでしまって、自分で何を話していたのかが分からなくなるそうです。これも87というお年を考えれば当然のことだと思いました。小生でも、お話の途中でそういうことは度々あって、言いたかったことが雲散霧消してしまって、荒野にポツンと立ち尽くしているような感覚に襲われたこともあります。これは年というよりも、その人間の傾向性に起因していると思います。ですから、年老いて惚けたというよりも、もともと惚けている人間なんだと理解したほうがいいと思います。むしろ「惚ける」という潜在的能力が発揮されているのだと受けとめたらどうでしょうか。老いたり、惚けたりすることがなければ、人間は死を安らかに受けとめられないように思います。たとえば30代の肉体を維持したまま、この世を去って行くことを考えると、これはゾッとしますよね。老いは人間の潜在的能力だということもいえそうです。若いときには、忙しさや、活発さのために、丁寧に生きるということができません。大味です。大雑把なもんです。だから活発で、元気があるように見えます。しかし年をとるということは、畳の一目一目を数えるように丁寧に生きることの始まりだと思います。祖父が、水盤の石に水をやり、毎日苔を大事に育てていたことを思い出します。小さな石に、スエードのような緑色の苔がびっしり密生していたのを思い出します。年寄りというのは、呑気なもんで、退屈そうだなぁと以前は思っていたのですけれども、若年とは違った時間を生き始めていたのです。日々の、当たり前のような時間を、丁寧に、少しずつ味わうように、苔に水をやっていたのだと思います。こういうふうに年をとってゆきたいと思います。身が老いるのですから、等身大にこころも老いてゆかなければなりません。身だけ老いて、頭が若年じゃ、哀れなもんです。「できることをしないでいるのは辛いことだけど、できないことをできないと諦めることは悟りである」といえないでしょうか。

●父の涅槃経

 廊下を松葉杖で歩いているとき、「家の中でもコソコソ歩かなきゃならないから、大変だ」と言ってました。それを聞いていて、なんでコソコソ歩かなきゃならないのと思いました。

 トイレに行って小便をするとき、座ってやればいいものを、どうしても立ってするのです。座るとできないのだそうです。ですから床に漏れてしまいます。もう少し便器に近づいてやってくれるように母が促したところ、父は「中から水が出てくるから、危ない」というのです。便器の中に何かが住んでいるわけでもないのですけれどね。

 それから、「もう生きているのも嫌になったなぁ」と漏らしたそうです。小生も、それを聞いていて、そうだろうなぁと思いました。毎日同じことの繰り返しだし、体も自由にならないし、自分でも情けないとか、どうしようもないとか、そんなことを感じているはずです。でも、まだまだ在宅で一緒に、老いの形を味わうことができるので、幸せだと思っています。できるなら、ソフト・ランディングでお願いしたいです。急降下は乗客にもダメージを与えますからね。それすら、私のコントロール圏内にはありませんから、あとはお任せです。

 

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2003年5月5日

●寺山修司は「墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分」と書いたそうです。これはかっこよすぎるというか、でも、彼ならそう言うだろうなぁというか、そんな感じの言葉ですね。寺山さんのような仕事をされたひとなら、いや作家という商売のひとは、みんなそんなふうに思うんじゃないでしょうか。でも、普通の暮らしをしている人々は、そんなわけにもいかず、突然の肉親の死を通して、因習となった「家」というものや、親戚という面倒くさい因習と一挙に付き合わなければならないわけです。たとえ病人のいる家でも、死後の生活の変化については忌避して語ろうとはせずに、「そうなったときに考えよう」ということで、看病に明け暮れているわけです。いざ、肉親が亡くなると、おそらく病院で、そこから葬儀屋さんが仕切る世界へ入ってゆき、あれよあれよと思う間に、葬儀費用など様々な出費をして、とうとうポツンと遺骨が残っているという状態になるわけです。生前に、散骨してくれとか、葬式は出さなくていいと故人は言うのですけれども、「家」や「親戚」という因習は、それを許してくれません。残されたものに迷惑を掛けたくないから、葬式は出すなと言ったのだから、そんな遺志を真に受けてはいけないという囁きもあります。やっぱり、世間体が悪いじゃないか。葬式も出せない家だと思われたら私たちの恥じゃないかという親戚も出てきます。せめて人並みに葬式くらいは出してあげようよという愛情表現も出てきます。そして、やっぱり、どっちかというと葬式をするという方へ傾斜していくわけです。そんなこんなで葬式を出して、その次に、遺骨を納める場所が必要になります。つまりお墓です。もちろん自分の家が何宗だなどという意識はありません。常識的というか、標準的というか、典型的というか、まあ一般的な日本人であるならば、自分の家が何宗であるかなんていうことを知っているひとはいません。先祖のお墓があれば、そこへ入れればいいのですけれども、東京進出型の新家庭では、そんなものは田舎にしかありませんし、次男・三男であれば、入れてくれません。まして、甥っ子が後を継いでいれば、無論納骨拒否ということになります。そして、東京近郊の霊園という、宗派を問わないお墓を探すわけです。もちろん、お墓の面倒も葬儀屋さんが抜け目なくケアしてくれることは言うまでもありません。そればかりか、親切な墓石屋さんたちが、連日のように「お墓、いりませんか?」と電話を掛けてきますから、申し出を断ることで疲労してしまうくらいです。それでも、空き地が目立つ都内でも、墓所ができているようです。最近は郊外の霊園が延び悩んでいると聞きます。気がつくと、入院費用や、通夜・葬儀の費用、僧侶へのお布施、お墓の費用と、莫大なお金がとんでゆき、空しさだけが残ってしまうという結果になります。

 こんなことであるならば、寺山修司のように、お墓はいらないというのが正当な判断だと思います。日頃から、お寺で生と死をひっくるめて考えることをしているのであれば、その総決算として葬儀も成り立ちます。でもほとんどの人は、法事・葬式程度のことで寺と付き合っているのですから、総決算にはなりません。小生ですら、もし寺と無縁であれば、「葬式不要」を称えていたはずです。寺は譬えれば、ウニみたいなもんです。外側から眺めていれば、とても食べられそうな代物ではありません。棘だらけで、口に入れたら怪我をしてしまいそうです。しかし、一度その殻を割って中の卵を食べたら、これは応えられない味わいがあるのです。なんで、こんな美味いものを食べないんだろうと不思議になるような味があります。その殻を割るということが大事業なんですけどね。それでも、なんとか葬儀をスタート地点として、殻を割る作業を始めたいと心がけているわけです。それは門徒の人のためというよりも、自分自身のためです。やっぱり、そのひとの生前の姿や、生きざまや苦しみなどを知った上で葬儀を勤めたいと思います。小生自身が、三人称ではなく二人称の葬儀を勤めたいと願っているのです。それが小生が助かっていく葬儀なんです。

 そういえば、うちの開祖である親鸞も「それがし(=親鸞)、閉眼せば、賀茂河にいれて、魚にあたうべし」(改邪鈔)と言ったそうです。自分が死んだら、遺体を賀茂川(京都)に流して、魚の餌として与えなさいという意味です。本当にこんなことを言ったのかどうかは分かりません。これは曾孫の覚如が書き記していますから、実際とは異なるかもしれません。でも、恐らくこんなことを親鸞は言ったのでしょうね。しかし、どんな場面で言われた言葉なのでしょうか。それを、いつも考えてしまいます。この言葉は、どのようにも受けとめられる性質があるので、こっちの言いたいことを代弁させる意味にも受け取られるのです。たとえば「親鸞は、墓はいらないと言ったんだ、どうして、今の寺院は墓を抱えているんだ、葬式を執行しているんだ、親鸞はそんなことは言ってないぞ」というような具合です。果たして親鸞はどういう場面で、その言葉を吐いたのでしょうか。覚如は、曾祖父である親鸞とは出会っていませんから、伝聞あるいは、記事として読んだのでしょう。そして「この肉身を軽んじて仏法の信心を本とすべきよしをあらわしましますゆえなり」とその親鸞の言葉を意味づけています。葬式が大事じゃないんだ、仏法の信心こそが大事なんだという誡めです。果たして覚如が受けとめたような意味で親鸞が語ったかどうかも分かりません。小生は、如信か覚恵か、分かりませんけど、そんな孫達に向かって、縁側でノンビリしているときに、「おじいちゃんが、死んだらどうなるの?」と聞かれて、「賀茂川に入れてお魚にでもやっておくれ」とでも返答したように思えるのです。なにか格式張った場所で、門弟を前にして「ウォッホン!それがし、臨終の時、葬儀などは不要じゃ!賀茂川に入れて、魚に与えるように!」と語ったようには思えないのです。あるいは病床であったかもしれません。まぁ、身内か、門弟か知りませんけど、数人を前にして、漏らすようにして言葉が出てきたように感じます。ですから、そんな言葉は聞き逃して捨ててしまう言葉として親鸞は吐いたのだと思います。それがこんなふうに書き留められてしまい、親鸞の往生観を云々される材料として取り沙汰されることを知ったら、悩んでしまうでしょうね。あんなこと言わなきゃよかったと。

 死んだ後のことなど、私はしらないから、お前たちの好きにすればいいじゃないかというふうな感じもありますね。そんなことを言うと、アルフオンス・デーケンさんに叱られそうです。彼は、自分の死後にどういう段取りで何を行ない、誰を葬式に呼ぶかとか、お墓をどうするかとか、そういう死後の事を一緒に考えておかなければならないといいます。それが残されたものへの「ファイナル・ギフト」、つまり「最後の贈り物」だというのです。

 やっぱり、親鸞は、「今」が大事だと言っているように小生には受けとめられます。今、阿弥陀さんのお迎えに出会っているのだから、死後のことなど心配しなくていいんだよというふうな意味かと思います。葬儀をどうするかなどと心配せずに、今、阿弥陀さんにすべてをお任せして生きなさいと諭されているようです。肉体は脱け殻で、たましいがお浄土にいくんだから、遺体の処理はどうでもいいんだという感じも受けますけど、そうでもないでしょうね。やはり遺体は残されたものにとって、方便法身としての働きをしますからね。丁寧に弔うということが大切だと思います。

 親鸞にとっての「今」は「当来の今」ですから、「未来」という意味ではありません。満たされたお浄土から時間が今へ流れ込んできて、「今」として成就しているわけです。今はお浄土から生み出され、満たされてきた今なんです。決して、人間が欲望でもって描く未来ではありません。欲望で描く未来は、「今」を否定したところから始まります。「もっともっと、よい未来を…」「いまのあり方に満足しないで…」「頑張って…」というのは、すべて「今」の否定です。しかし親鸞の「今」は、受容された今です。今の否定ではありません。そうなるべくして成っている今として、全受容している今です。宇宙と同じだけの歴史ををもったいのちとして、自分はここに存在しています。永遠の過去からいのちの歴史を受けとめてきた「受け身体」です。そして永遠の未来から流れ込んできた今という時間の「受け身体」でもあります。人間は「過去と未来」の両方で満たされています。ですから、「生死」(しょうじ)という言い方を仏教ではします。生だけでも成り立たず、死だけでも成り立たない。まさに生と死によって成り立っているいのるでした。いのちはモノではなく、コトなのです。

 葬儀は、様々な思いをひとのこころに引き起こしますし、様々な問題を抱えているのですけれども、それでも、「最後の仏縁」として丁寧につとめなければならないと思っています。葬儀は、亡くなった人のためというよりも、後に残された生きているものの心の整理という面が大きいのです。葬儀という締めくくりの儀式をしないと、残されたものが死を受容できないということでもありますからね。

 

2003年5月6日

●真宗の救いの構造は「二種深信」だと思います。二種とは、ひとつには自分は絶対に阿弥陀如来に救われると信ずること。二つには、自分は絶対に阿弥陀如来に救われないと信ずることです。なんだ、まったく反対のことを言っているんじゃないかと、反発されそうです。一見矛盾した表現が二種深信です。なんで、こんな矛盾した表現が救済の表現なんでしょうか。それはこうです。阿弥陀如来は、この世で苦しんでいるひとがいたら、全員助けたいとおっしゃっています。助けたいといわれても、人間にその救済が実感されなければ、如来の本願は空しいことになります。ところが、この人生のある地点で自分が救われたとしましょう。「救われた」ということは、如来の願いが満足したということです。救済は、人生の究極の目標でもあります。でも、ある地点で救われてしまったら、もう如来の愛は必要ないことになります。如来の愛は、いつでもどこでも、この世で一番救いから遠いものに、常にはたらくものです。もし、救いに満たされてしまえば、それは救いから一番遠い存在ではなくなります。救いの圏内に入ったことになります。それでは、如来の愛が充分にはたらきません。

 「絶対に救われない」ものにこそ、如来の愛がはたらくわけですから、「救われた」といってしまえば、もう如来の愛が必要ないということになります。ですから、「絶対にすくわれない」ということが確信できなければなりません。もし、「自分は救われた」ということが分かったときには、如来の愛とは無縁のものになってしまいます。ですから一生涯、自分は如来の愛から除外されている救われないものなんだという確信が大事です。唯一そこにこそ如来の愛がはたらく場所があるのです。この矛盾した二種深信が「一心」へと転換してくるところに真宗のダイナミックスがあるのです。

 ですから、自分の「現在」は、決して救いの圏内にはありません。決して救われてはいけないのです。まぁ生きるという現実は、「これでいい」とは言わせませんよね。「一難去ってまた一難」ですし、「四苦八苦」の娑婆ですからね。とても自分は救われたぞ、安楽だぞとは言えません。それは救いの圏内にないことの証明です。でも、その救いの圏内にないということの自覚が、実は如来の愛を受けとめるアンテナなんです。どこまでいっても自分の「現在」には救いはありません。それではどこに救いがあるのかといいますと、「現在」を生み出してくる「当来の時間」にあるわけです。「現在」の一歩手前といいましょうか、「現在」を「現在」として成就してくるはたらきのところです。それを神話的に「淨土」という言葉で表現するのです。どこかに「淨土」があるわけではありません。死んでからいくところでもありません。淨土は、つねに「現在」を生み出してくる純粋な時間の母です。時間は淨土から流れてくるわけです。でもそれだからといって流れてきた「現在」は淨土ではありません。「現在」として人間に感じられる時間は淨土ではありません。現象の世界になったときには、それは「娑婆」です。でもその娑婆が生み出されてくる源は淨土なんです。でも決して淨土ではないから、淨土の救いがはたらく場所となっているのです。

 ですから、救われないということが、惨めな絶望に変質するのではなく、救われないということが、救われた証拠となるのです。いままで矛盾していた「希望(救い)と絶望(排除)」が、ひとつになってくるのです。ややっこしい話ですけど、これも、ひとつになってしまえばダイナミックスは消えてしまいます。ひとつに成り得ないものをひとつにしようとする働きのところにダイナミックスはあります。

 なんでも、本当のことというのは、矛盾を内包している場合が多いです。一見すると反対のことを言っているように見えて、実はもっとふかい出来事を表現している場合があるんです。一番矛盾しているのが、生きるということです。どこが矛盾しているのかといいますと、「死ぬために生きている」という大矛盾です。生まれたということの究極は、死です。死ぬために生まれてきているわけですから、人間の人生とは大いなる無駄といってもいいのでしょう。この世で一番経済的な生き方は、生まれた途端に死ぬことです。これが一番無駄のない生き方でしょう。

 生まれたことが死ぬ原因ですし、大いなる矛盾ですから、こんなことは考えないで、もっと有意義な生き方を考えましょうというのでしょう。でも、みんな、人間はいのちの底の底で、その謎を知りたいわけです。死ぬために生まれてきたことに、どんな意味があるのだろうか?と。そのために、人類の大いなるヒントとして、聖書や仏典があるわけです。でも、その答えはひとからは与えられないという究極の課題があります。ひとの答えは自分自身の答えとはなりません。自分自身の答えを、自分自身の中から探してゆかなければなりません。そのために「人生」というものが、ひとに与えられているのでしょう。人生は大いなる暗示です。ひとそれぞれに、自分にしか演じられない人生という舞台を、その答えを求めてさまよっているのです。

 真理が丸ごと体験されるときは、この世を去って行くときでしょう。真理と自分が一体となるときは、臨終の時です。それまで、お預けです。いつでも真理は食べられるから、いま食べなくてもいいのです。いま食べることを拒否するのです。いま食べてしまっては、後の楽しみがなくなってしまうじゃありませんか。ですから、楽しみは臨終までとっておきたいと思います。それで、今という真理の影を慕ってゆきたいと思います。安心してさまよってゆきましょう。さまようということは、楽しみの道程であります。ウロウロしたり、ハッとしたり、そういう道程が味わいたいのです。これが凡夫道でしょう。

 

2003年5月7日

●父の涅槃経

ベッドに横になりながら、父曰く「なんで、こんなことをしていなきゃならないんだろう…」、「いつまで、こんなことをしてるんだろう…」と。また別の場面では、夕食の時間になったので、父に「食事にしたら?」と勧めると、父は「食べて、それからどうする?」と聞くのです。聞かれたほうがドキッとして、返答に困るようなことを言うのです。ますます、実存的に、そして宗教的に深まってきたような雰囲気です。これは根本的な問いですよね。まぁ、父の場合には寝たり起きたりですから、毎日、憂鬱な日々が続いているのでしょう。起きて、薬を飲んで、食事して、排便して、それから眠り、薬を飲んで昼食を食べ、それから眠ってテレビを見て、薬を飲んで夕食を食べて寝るという、実に単調なリズムの生活です。こんなことをいつまで続けなきゃならないのか?という言葉は、その通りだろうと思います。しかし、それを尋ねられたほうは困ってしまいます。それは「生きる」ということは、結局、いつまでそんなことしてなきゃいけないんだという問題ですからね。父は病床にあるけれども、我々も地球という大きな病床の上に生きていて、父と同じような生活を送っているわけです。寝て、起きて、食って排泄して、食って、寝て。その間に、仕事や遊びなる行為をこなして身過ぎ世過ぎをしています。ほとんど変りがありません。「いつまで、こんなことしなきゃならないんだろう?」という問いは、実に根源的な問いを私たちに突きつけています。「それでも残された人生を一生懸命生きなきゃダメだ」とも言えませんし、さりとて、「所詮、人生なんてそんなもんだよ」とうそぶくこともできません。その問いかけに充分に身を浸していくしかないと思います。

 次の「食べて、それからどうする?」というのも、その流れにある問いですね。夕食を食べて、それからどうするのか?という問いは、食事の後にテレビを見るとか、ゲームをするとか、寝るとか、そういう類の答えを期待している問いではないのです。食べるということの究極的な果てにある答えです。この問いには家族の誰もが答えられませんでした。「そうだねぇ、食べてそれからどうるんだろうねぇ…」という返答しかできませんでした。「まぁ、今は食べるしかないんじゃないの」という返答もありました。食欲はないけどお酒は飲みたいというので、燗をつけました。刺身を少しずつ少しずつ食べながらお酒を飲みました。刺身を全部食べてしまって、お酒も一合くらいのんで、もう少し飲みたいというので、二本目をつけました。しばらくしてから、酒に合うつまみはないのかというので、刺身が残っていたので、差し出すと、「これは久しぶりに食べるなぁ…」といいながら美味しそうに食べました。みんなは、さっき食べたばかりじゃないのか!と思っていても、それを口にする人はいませんでした。何度も新鮮な味わいができて幸せだと感じました。

 ここのところ父の発言が実に、実存的なので、聞いているこっちがハッとさせられっぱなしです。とにかく究極的なんです。廊下で出会ったとき「元気で、ありがとう」と小生にお辞儀したりと、こっちがビックリさせられっぱなしです。やはり、インドの四住期でいえば、たましいは遊行期にでも入ったのかもしれません。もはや新聞も見ることはしません。この娑婆の世事という次元を超え離れて、たましいはもっと深い次元に遊んでいるようにみえます。まぁ、振り返ってみれば、「死」の中に誕生してきたんですから、それも無理なことではないのでしょう。人間だれしも、大哲学者のような深さをもっているわけです。成り立ちが死ぬために生まれたという大矛盾ですから。ちょっと真面目に自分の足元を見れば、誰しも実存的なのです。

 

こんな二つの図を思いつきました。Aは全部が分かっている世界の中に黒い分からない部分がある図です。Bは、全体が分からない世界の中に白い分かる部分がある図です。精神が若いとき、心はAなのでしょう。すべてが分かっている、でも少し分からない世界があると。たとえば、死とか老とか病とか、孤独とか、そういう世界があると思っているのです。ですから、できるだけAの部分を排除して、全体を白くしたいのです。それがこころの正常な動きでしょう。不合理は拒否し、すべてを白日のもとに明らかにしたいという健康性です。でも、精神が徐々に成熟してきたときには、Bになってくるのです。いままで白だと思って生きてきたけど、全体は黒だったと。そのなかにこの世という白い部分がほんの少しあるんだと分かるわけです。これは、世界の逆転ですね。父はいまBになっています。そして、仏法は、老少善悪を問わずで、いつでも、どこでも、だれにおいても、つまり難しく言えば、時代を超え、社会を超え、民族を超えて、いますぐにBを成り立たせる道なのでした。Bの方が根源的で、Aは虚偽の世界なのだとひっくり返ることです。このひっくり返りがないと、「明日が世界の終わりであっても、今日、リンゴの木を植える」という言葉は生まれてこないように思えます。

 

2003年5月8日

●最近、テレビでは「白装束集団」について報道が盛んにおこなわれています。パナウエーブとかいう新興宗教団体だそうです。オウム真理教の初期段階に似ているとか、高木美保さんを消滅させるとか、物騒なこともあるようです。でも、あんまりマスコミが彼らを追い詰めないほうが宜しいと思います。追い詰めると、逆に被害妄想を生んでしまいます。それから、あのタマチャンとかいうアゴヒゲ・アザラシについての報道も異常ですよね。なんで、そっとしておいてあげられないんだろうと思います。もっと他に報道することはあるんじゃないでしょうか。「そっとしておけない病」とでもいえるような状態です。先日、香港帰りのひとに会いましたが、サーズについての報道も、日本は異常だと言われていました。過剰というか、過敏になりすぎているというのです。コマーシャルでは、人間の眼では見ることができないミュータント菌の拡大映像が映し出され、この菌をやっつけるには、○○という歯磨きがよいとか、やってますね。毛先がとがっていて、歯垢ポケットの歯垢を残らず掻き出すというのもあります。また洗濯洗剤のコマーシャルでは、繊維の汚れが剥がれ落ちていく拡大映像もあります。やたら、ミクロの単位まで、清潔にしなくては気が済まない、そんな病気にかかっているように思えます。しかし「私たちの腸内には、約百種類・約百兆個の細菌が住んでおり、一秒間にひとつ数えると、なんと約300万年が必要です」と言われています。無菌状態にしたら人間自体が生きられないのです。無菌状態の清潔感は、観念であって、身の事実としては、ありえないことなのです。それらの細菌と共存してきたのが人間ではないでしょうか。むしろ細菌の世界に人間が生まれてきたといった方がよいのかもしれません。それは衝撃的なことかもしれませんけど、事実です。以前、植物園にあった大木のウロにびっしりと住み着いていたゴキブリを見たときの衝撃と似ています。小生はゴキブリが嫌いで、家のなかでも見つけたら殺していました。しかし、大木のウロに住んでいたゴキブリを見たときに、正直言って「負けた」と思ったのです。「勝負あった」と完敗しました。それまでは、家の中のゴキブリを退治すれば、それで清潔が保てると思い込んでいたのです。でも、あのウロのゴキブリを見たときには、この世界はゴキブリの世界だったのだと悟ったのです。ゴキブリの方が人間よりも地球上では先輩なのでした。ゴキブリの世界の中に人類は生まれてきたのです。ですから、家から排除したって、世界中にゴキブリはいるわけですから、所詮無理ということです。そのとき考え方がひっくり返ってしまったのです。ゴキブリを排除しようとする思いが少し軽減されました。

 それと同じことです。清潔なんて観念だけであって、現実には不可能です。一切衆生と共にあるのが仏法であれば、細菌と共存してゆく道を見出すべきなのでしょう。そうそう、サーズにはキムチが効くということもテレビでやってました。韓国でサーズ患者が少ないのは、キムチの効果だというのです。それで中国でもその噂が広まってキムチの輸入量が六倍に増えたといっていました。これは仕掛け人がいるんじゃないかと勘繰るひともいたようですけど、案外当たっているように思います。唐がらしは殺菌作用がありますし、ニンニクやショウガなどの生薬が入り、そのうえ発酵していますから、乳酸菌も豊富です。これであれば、免疫力が上がるのも納得します。今晩はキムチを食べたいと思います。

 

2003年5月9日

●最近「信ずる」ということを、改めて考えさせられています。親鸞は、「信」ということを一生涯、徹底的に表現したひとだと思います。でも、「普通の信ずる」ということではなくて、「唯信」ということですから、これはものすごく厄介です。「ただ信ずる」ということですからね。無条件の信ですから難しいです。

「信ずる」ということは、「@まことと思う。正しいとして疑わない。「霊魂の不滅を●ずる」「身の潔白を●ずる」「勝利を●ずる」Aまちがいないものと認め、たよりにする。信頼する。信用する。「部下を●じて仕事をまかせる」B信仰する。帰依する。「仏法を●ずる」と広辞苑ではいっています。@は、未来において、そうなるかどうか分からないけれども、そうに違いないと思うことですよね。あるいはことの真偽は分からないけれども、自分にはそう思えるという類ですね。Aは、その人を信頼して、託してしまうという意味でしょうか。またBは、さすがに広辞苑で、ちゃんと信仰ということも押さえてあります。内容は記していませんけどね。そういう用例があるという程度です。親鸞のはBに属しています。

 以前、谷川俊太郎さんから、「武田さん、あなた、ほんとに淨土があると信じているんですか?」と問われたことを覚えています。そのとき、小生は「そんなことは、全然信じていません。ただ、どこへ連れていってくれるかは、如来が決めることですから、如来に任せています。」というように返答したと記憶しています。それから、先に問われなかったので、その問答はそこで終わりになりました。「あなたは、死後の世界があると思い込んでいるか?」という問いが谷川さんの問いだと思います。親鸞は、自分と如来との対話の場面では、「死後の世界がある」と言っているわけではありません。死後の世界があると考えることも、ないと考えることも、それは人間の考えだよ、その人間の考えを離れなさいと言っているわけです。ですから人間の知の全面批判なんです。有るか無いかということを人間の知を基準にして考えているけど、その知全体が問題だというわけです。

 誤解を受けることを承知でいえば、小生は「死後の世界」から、この世に出生してきたのではないかとさえ思えるわけです。これから、行く世界ではなくて、もと居た場所に戻るという感覚です。地獄から淨土へという浄土教のメインテーマは、一応空間概念で比喩的に人間に語るわけです。それは苦しんでいる人間に対して、希望を与えることになりました。まだ行ったことのない希望の場所が待っているんだといえば、それは素敵ですよね。臨床の場面では、とても大事なことですから、そういう表現も親鸞にはあります。でも基礎の場面で語れば、「楽をしたいから淨土へ行きたいというひとは、淨土へは行けない」(『教行信証』)と親鸞は言ってます。わずかの希望さえ断たれてしまうわけです。人間はどうしたらいいのか分からなくなるんです。前にも行けず、後にも引けず、安住することもできないという不安定な場所に釘付けになります。「溺れるものは藁をも掴む」といいますが、その掴もうとするどのような手もすべてが切り落とされてしまうわけです。それが曽我量深がいう「信に死して」ということでしょう。人間の知に死ねということです。それは人間の知を抹殺して殺してしまうことではありません。人間の知は限界のあるものだと知るということです。人間の知は「ハウツー」です。こうすればああなる、ああすればそうなるという知恵ですから、これがなければ日常生活は営めません。ただその知は限界があります。狭く、限界があって、一方的な見方しかできません。日本人は、特に教育熱心な民族ですから、小さいときから、この知を育てようとしてきました。小学校へ行けば、地球は丸いということも分かりますし、重力があるとか、人間がサルから進化してきたとか、なんでも知っています。ですから、なんでも知っているということで解決できると思っています。ただ、自身のいのちについては無知なんです。自分のいのちの過去がどこからきて、どこへ行こうとしているのかというとこに関しては不明です。そして生きていることが他力で成り立っているということにも無知です。人間が生きるという事実は、他力でできあがっているのに、知は「自分というものがあって、その知で生きている」と思い上がっているのです。老化するということは、いのちが自分自身の知で所有できないことを教えてくれます。足腰が自分の思い通りにならないということ、体が言うことを聞かないということを通して、ようやく他力に気がつくわけです。

 99%が他力なのに、1%の知が、すべてだと思っているだけなんです。そんなことへの気づきが「信」と言われてくる出来事でしょう。ですから、今、如来にすべてを任せるということになってくるわけです。その今とは、「永遠の未来と永遠の過去」を内包した「今」ということです。今を開けば、永遠の未来と永遠の過去がそのなかに展開しているんです。これは未来と過去に断絶された今ではありません。それを比喩的に「死後の世界」と語りましたが、もと居た世界でもあり、またそこへ帰ってゆく世界でもあるのです。すべては如来の手の中にあると比喩的に語りたくなりました。

 「こんなことを、いつまで、していなきゃいけないんだろう…」とつぶやく父を思うと、やっぱり、お淨土がなければならないと思います。意識のレベルでは、拒否していても、無意識のレベルでは、お浄土が要求されているのでしょう。こういう限界状況のところで、本当に淨土が要求されてくるので、普段健康な、なんの問題も感じていない状態の意識には、かえって毒なのかもしれません。

 

2003年5月10日

●「救われたらどうなるのか?」という問いを投げかけられました。この問いへの明快な答えは、庄松さんでしょうね。庄松さんは、「なんともない」と答えています。「なんともないって、あんた、それじゃ、淨土へ行くという覚悟はできてるのかい?」と聞かれると、「そんなことは、知ったことか。そんなことは阿弥陀さんに聞けばいいじゃないか!オラの知ったことじゃない!」と答えています。この答え方が妙味ですね。助かりたい、助けて欲しいと願って、さんざん聴聞に明け暮れた庄松さんですから、ようやく救いが成り立ったときには、「よかったぁ!」と飛び上がるような感動があってもよさそうなもんですよね。でも、「なんともない」と言ってます。どうして「なんともない」となるのでしょうか。それは、恐らく、「よかったぁ!」という感動はあったのだと思います。でも、その感動も内観して、結局自分の努力ではなかったのだ、それもこれも如来のひとり働きなのだと感ずると、感動が意識のレベルから無意識のレベルに浸透してきて、「なんともない」と言わせるのだと思います。360度の転換だという譬喩もあります。180度の転換はよくあるもんです。ある団体に入信すると、人格が変わったように明るくなったり、アグレッシブになったり、生き生きしてきたりします。それは180度の転換なのでしょう。本当の転換は360度だと思います。まったくまわりから見ていると以前と変りがないように思います。しかしそのひとの内面では、まったく世界が異なっているということが起こるのです。それが「なんともない」という表現ではないでしょうか。

 「なんだ、何ともないんじゃ、救いを求めるのをやめようかなぁ…」というひともいることでしょう。その程度の要求なら、やめたほうがいいです。やめてやめられるような質の要求じゃ、所詮大したことはないんですよ。やめたいけどやめられないというのが求道というもんでしょう。「わかっちゃいるけど、やめられねぇ」という植木等の歌が聞こえてきますね。若いときは、変身したいとか、超越したいとか、そういう超能力にあこがれるんです。自分にしかできないことがあるんじゃないかという欲望もあります。小生も、お寺を継ぐということは、初めは考えていませんでした。自分は自分一人の力で一から生き始めるんだ、自分にしかできないことをなし遂げるんだという意気込みで過ごしていました。ですから、初めから寺が用意されていて、それを継承するなどということは毛頭思っていませんでした。小生が寺を継ぐという決断をしたのは、やはり師との出会いが大きいです。法といいましょうか、道理といいましょうか、そういう「ほんとう」を大切にする世界を生きたいということから起こったことでした。でも、よくよく考えてみると、自分が決断したというほどのものではなく、寺を継ぐという縁に促されていたということが本当のところでしょう。「寺とは、○○の場所である」となかなか定義しにくい場所です。聞法の道場であるといっても、それだけでは何かが抜け落ちてしまいます。葬儀・法事の場所であるということでも、もちろん抜け落ちてしまいます。いつでも、「?」が付いている場所が寺という空間です。現代仏教は葬式仏教に堕落してしまったという批判を受けますけど、そういう一面はあっても、それが全体ではありません。やはり聞法の場所でもあります。小生の暮らしの場所でもあります。悲しみの場所でもあり、喜びの場所でも、感動の場所ともなることができます。人間が定義できる寺は、一面的です。でも、寺の本当の姿は多面的です。決して定義し尽くすことができないという面白い場所です。つまり「この世」の中に存在していながら、「この世」の意味づけをすり抜けてしまう場所とでもいえましょう。そんな場所に身を置いてみることが楽しみになりました。嫌々継いだ寺であっても、それがやがて楽しみになるんですから不思議ですね。そうやって、ようやく自分の力じゃなくて、縁の力だったと了解されてくるんですね。まさに「縁の下の力持ち」です。

 仏法は、なんでもないことに不思議を感ずる教えです。超能力や霊力のような神秘的な不思議ではなくて、道端に咲く花や雑草に不思議を感じとってゆける教えです。自分だけ特別な能力が欲しいというのは貪欲です。自分の足下を見れば、自分を支えてくれている大地のあることに目がとまります。そこには無量無数のいのちが展開しているのです。そういういのちを仏教では「一切衆生」といいます。そして、自分もその一切衆生の中の一員だったんだと改めて気付くのでした。吹けば飛ぶようなちっぽけな存在だと思います。「たかが小生、されど小生」ということですよね。そうやって自分が小さく小さくなってゆくと、逆に世界が大きく大きくなっていくんです。これも不思議です。自分が何でも思い通りにやれて、元気で、自信満々だと、かえって世界は狭いものになってしまいます。逆に、自分が取るに足らないちっぽけな存在だと知れば知るほど世界が大きく深くなってゆくのです。見渡す限り法が展開していた世界だったと気がつくのです。いま満開のツツジはツツジの色に咲き、ベンジャミンはベンジャミンの色に咲くわけです。自分は自分の色に咲けばいいんです。庄松さんの「なんともない」という言葉は、本当の言葉だと感じます。「なんともない」と言い切れる素晴らしさがあります。「つまらない」とか、「そんなもんさ」とか、「所詮その程度さ」というふてくされた感じがまったくありません。無限の感動があるからこそ、「なんともない」と言い切れるんでしょう。

 すべてを阿弥陀如来に任せている姿です。阿弥陀如来といっても、そんな仏さんがどこかにいるわけじゃありません。譬えていえば、この心臓を動かしているはたらき、そして自分を生かしめている一切の働き、自分を老化させている一切の作用の総称です。それを擬人化して阿弥陀さんといいます。生をつかさどり死をつかさどる総体です。庄松さんは、その阿弥陀さんにすべてを任せています。任せたんだから、あとはご利益を下さいとは言っていません。任せたんだから、助けてくれるんだろうといいますけど、そんな保証を必要としません。「任せた」ということは、後は煮て喰おうが焼いて喰われようが、すべてお任せということです。ですから「任せた」と言えたということが救いなんです。任せて、それからお浄土に連れて言ってもらろうとか、健康にさせてもらおうとか、そんな考えを持たなくていいのです。「任せた」ということですべてが済んでいるのです。いえば南無阿弥陀仏の南無だけでいいんです。阿弥陀仏は不必要なんです。だって、南無といわせるのは阿弥陀仏の働きですからね。親鸞も教行信証(行巻)では「南無」の解釈しか力を入れていませんよね。南無をハッキリさせれば後はもう、不必要だというのでしょう。それは「任せる」ということです。任せきれないから、信じきれないんですね。もうすべてを投げ出してしまえばいいんです。任せきれない不安をもったまんま投げ出してしまえばいいんです。不安がなくなってから任せようというのでは手遅れです。不安のまんまお任せします。放擲します。不安がなくなるのを待っていたのでは一生涯、任せることはできません。不安も阿弥陀さんが引き起こして下さっているのですから、地獄の主も仏さんなんです。お浄土の中に地獄があるわけですから、地獄の底を突き破れば、そこはお浄土に出るしかありません。

 ちょっと、酔っぱらっていますね。説教になってしまいました。m(__)m

明日は、永代経法要です。芹沢さんのお話を聞けるのが楽しみです。楽しい一日にしたいと念願しています。

 

昨日の永代経法要は、実によかったです。芹沢俊介先生のお話が導き手となって、聴衆が次々と臨死体験を告白するという、実に深みのある時間になりました。詳細は後日お知らせしたいと思います。

 1213日は大分県(宇佐)の徳台寺、つまり女房の実家のお寺で、住職交代の行事と、本堂落慶の行事と、蓮如聖人500回忌の行事が大々的に行われます。それに参勤するために、更新はお休みです。あしからずm(__)m

 

2003年5月14日

●九州から戻りました。とんぼ返りとはこのことで、あっという間の時間でした。大分の田んぼでは、カエルが快く鳴いていました。竹の子やゼンマイやキャラぶきの煮つけがとても美味しかったです。お寺は四日市から内陸へ車で20分ほどの、下恵良にあります。大分空港からは高速道路を利用して一時間です。我々が到着したときには本堂で帰敬式が行われ、近田昭夫先生のご法話が始まるところでした。「皆さんは、念仏学校の一年生に入学されました」とお話されていました。「いままでは徳台寺という学校の校庭にいただけです。校庭から校舎を眺めて、窓があるとか、煙突があるとか、眺めていただけです。今日からはその校舎の教室に入るのです。でも、教室に入ったところで、何にも変わりませんね。人が変わるわけじゃありません。何が変わるんでしょうか?それは、景色が変わりますね。外から眺めていたのと、内から眺めるのとは見え方が違います。」景色が変わるというのは、素晴らしい譬えだと思いました。そうすると聞こえ方が変わってくることでしょう。お念仏の教えが、人ごとだったのに、それが自分に関係のあることとして聞こえてくるのですから。まさにお念仏の種まき法話が近田先生のお話です。 そうそう永代経の報告がまだでしたね。八十数名の参加者でした。講師は芹沢俊介先生でした。テーマは「死と向き合う生」ということで、一人称の死、二人称の死、三人称の死ということを中心に、私が「経験として」死をどう受け取ることができるかということについてお話いただきました。一人称の死は、どうしても自分の経験として納めることができないということです。しかし人間にとって、二人称の死が一番ダメージが大きいのではないかと話されました。かけがえのない恋人、夫、妻、子ども、親。そういう「あなた」と呼べる相手の喪失であり、またその関係の喪失という二重の喪失だと。三人称の死は、自分にとって、平然としていられるけれども、二人称の死、そして一人称の死は平然としてはいられない。それから「臨死体験」のお話もされました。以前は経験をしていても、口にすることができなかった臨死体験が、ようやく市民権を得て、だれもが語れるようになってきたと。それからパネル討論会になったとき、次々と聴衆が臨死体験を語り始めました。「私も、こんな体験をしましたが、これは臨死体験なんでしょうか?」「私も、突然たおれて気がついたら病院のベッドにいました。もし後半日意識が戻らなければ死ぬと家族は医師に告げられたそうです。幸いにもやもやした中から看護婦さんの声がして、目が覚めたらベッドでした。でも、その間とても苦しくて、お花畑があるとか、明るいという感じではないんです。これも臨死体験なんでしょうか?」「私のは夫が語っていたことですが、意識がなくなったとき、お花畑があって、明るくてとても気持ちがよかったそうです。少し行くと、河があって、その向こうで伯父さんがこっちにおいでと言っているんだそうです。でも夫は、そっちには行かずに戻ってきたそうです。これも臨死体験なんでしょうね?」臨死体験を語られている、その場がものすごくたましいの深みを感じさせてくれました。そんなお話を聞けただけでも嬉しくなりました。そういうきっかけを作ってくれた芹沢さんにはものすごく感謝しています。 その場が、深みをもってきて、たましいの次元まで深まってくれば、そこに淨土が現成してくるように感じられるのです。人間の深みは捨てたもんじゃありませんね。たかが人間、されど人間です。

 

2003年5月15日

●「ガイアの夜明け」というテレビ番組で、葬儀特集をやっていました。葬儀業界は何兆円産業といわれているらしく、今後の動向をサーチしていました。綿密なサービスで顧客に百パーセントの満足を与える葬儀業者。より消費者のニーズにきめ細かく応えたサービスが追求されていました。また一軒一軒、家を訪問し、葬儀のセールスをするサラリーマンのすがた。あるいは葬儀の生前予約を獲得するために地域のサークル活動に参加してゆくオバチャン勧誘員。家のインターホンをピンポンと押して、葬儀のセールスをすると、いきなり扉をバタンと閉められたのが印象的でした。自分でも、バタンと閉めるだろうなぁという感情と、閉められたほうのダメージは大きいだろうなぁと両方の感情を味わいました。一般的には葬儀は「縁起でも無い!」と受けとめる感情のほうが強いですからね。葬儀は、大事だとみんな知ってるんです。でも身近にあってはならないという感情でしょうね。どこかで知っているけど、触れられたくない。腫れ物のような存在です。知っているから、かえってひとから触れて欲しくないんです。見たくないようにしているのに、見たくない恥部をさらけ出されるような、強迫観念をもっているんです。「幽霊の正体見たり、枯れ尾花」という詩がありますね。正体を見てみれば、案外、死とも付き合えるようになっていくんです。小生は坊さんですけど、若い頃の葬儀は嫌いでした。なんとか葬儀の依頼が来ませんようにと祈ったものでした。でも、逃げられないんですね。年間50件くらいの葬儀が入ってきますから、否が応でも、やらなきゃなりません。だんだん、葬儀をこなしていると、徐々に死人の顔が安らかに見えてくるんです。そして、嫌だ嫌だと思っていた葬儀も、人間の全体像として受けとめられるようになってくるんです。誕生(誕生日)と葬儀(命日)の間に人生があるということが納得できてくるんですね。でも、驚きと悲しみは、当然なくなりませんけどね。

 結局、葬式は生きているもののために、やらなきゃならないということが分かってきました。大学当時の知人が、夕べ亡くなったと電話が入りました。46歳くらいでしょうか。昨夜の夢には、その知人が出てきました。彼は、夜になるとフッと電話をかけてきました。受話器を取って「もしもし」と言うと、いきなり「武田さん…吉本さんは、感情は内蔵の変化だっていうてるけど、どう思う?」なんて話すんです。時候の挨拶とか、身辺のこととかは抜きで、すべて本論から入る話でした。「武田さんの怨念が、やってきて俺を苦しめるんや…」とか。「もうじき死ぬわ。でも死ぬことがこわなってきたわ…」とか。もう、本論だけで、こっちも返答することに窮していました。向こうは、いつも無意識みたいな深い次元から言葉を発してくるわけです。でも、こっちが電話に出るときには、もっと表層の意識で漂っていることが多いのですから、なかなか深みまで降りていけないんです。深いタッチができたことは、あんまりないように思います。死にたいということも、言っていたことがありましたけど、こっちが浅いときにはうまくタッチすることができませんでした。意識が浅い状態のときには、「生」を絶対肯定していますから、彼の言葉は通じないんです。でも深まっているときには「生」が必ずしも絶対ではなくて、「死」もまた元気になってくるんです。生は絶対正しくて、死は絶対間違っているとはならないわけです。人間の意識は、深くなったり浅くなったりしています。日常生活をしているから浅い次元だけで済んでいるわけではありません。寝ているときにはかなり深くなっているわけです。葬式の場面では深まっているということもあります。その深くなった底の底に、仏さんとか菩薩とかが生きているわけです。日常の意識の底への旅があって、始めて仏さんとか淨土というものが意味をもってくるんです。 そうそう「ガイアの夜明け」で、葬儀のスタイルについて放映していました。海への散骨とか、山への散骨。特に、樹木葬というのがありました。あれは、いいなぁと思いました。どっかのお寺さんが山を買い取って、その山にお骨を埋めて、お骨の上に樹木を植えるんです。生前、故人が好きだった樹木を植えるそうです。お骨の生命が樹木に吸い取られて、樹木が成長していくんです。毎年、成長してゆき、葉を繁らせ、あるいは実を付けるかもしれません。そうやって子孫が、「これがおじいちゃんの木だよ」とか、「おばあちゃん」といって木に頬ずりするのもいいなぁと思いました。別に遺体を焼かなくてもいいじゃないかと思います。東京は焼却が衛生上の問題で義務づけられていますけど、田舎では土葬が可能です。日本人の感覚としては土葬でしょうね。土葬だと幽霊も出てきそうですよね。火葬じゃ、なんだか夢もありませんよね。真宗は特に火葬を強調してきたようですけど、それはお釈迦さまが遺体を火葬したことを踏んでいるんでしょうね。でも、お釈迦さまの時代には、火は神聖なものですから意味があったのでしょう。ゾロアロターは火を神聖なものとします。ジャイナ教もそうですよね。これは想像ですけど、やっぱりたましいを上層の世界へ送るために、肉体を火という神聖なものによって浄化するという意味があるんじゃないでしょうか。「淨土へ送る」という神話的な意味があるように思えるんですけど、どうなんでしょうか。

 今月号の『真宗』は、田口ランディさんが登場するようです。これは楽しみです。さっそく読もうと思います。小生は、教団の内側に属しているんですけど、かなり外側に近いところにいて、教団内部の人からは、外側だと批判され、外側のひとから内部だと批判され、板挟みになっています。でも、「仲間はずれのコウモリ」のような存在も案外、居心地がいいということもあるんです。いくら仲間はずれにされても、両方の世界を眺められるというエロスがあるんですからね。

 

2003年5月16日

●今月号の『真宗』(真宗大谷派の機関誌)には、田口ランディさん(作家)が四衢亮さん(僧侶)と対談されていました。田口さんは、親鸞仏教センターでも、何らかの形で一度企画してみたいと思っていましたので、出版部に先を越された感じでした。これがとても面白い内容でしたので、少し紹介してみたいと思います。

▼「例えば、私のところに、インターネットでアメリカの武力行使反対の署名を集めて国連に送ろうというメールがたくさん来ます。署名して誰かに転送するだけのことなんですが、私にはそれはできない。なにか抵抗感があるんです。というのは、確かに武力行使には反対だし、アメリカのやっていることはおかしいと思う。だけど、私は日本に住んでいて、日本政府はアメリカの武力行使を支持するって言ってるわけでしょう。じゃあ、私個人がアメリカに反対だからって、何も考えずに日本国民である自分と私個人とを切り離して、私の意見だけ言ってさっぱりしていいのかなっていう迷いがすごくあって、それで躊躇してしまうわけですよ。

 その自分の迷いみたいなものを原稿に書いて、十一万人に送ったんです。熱心な反戦論者が読めば戦争反対に異議を唱えていると取られてしまうかもしれないし、行動しないよりしたほうがいいじゃないか、という意見もあるでしょう。私の意見は、非常にあいまいな意見なわけです。でも、私はいまあいまいだから、そのあいまいさを表現するしかない。もしこれが別のメディアに組み込まれたら、私のあいまいさは消されちゃう。でも自分のメールマガジンならあいまいな自分をそのまま文章にして読んでもらうことが可能なんですよ。」

 この「あいまいな自分」を、「あいまい」と表現できることの大事さを感じました。とことん自分の実感を大切にして、そこから出発しようとする田口さんの姿勢が受け取れます。有事関連法案が国会を通りました。いま改めて、愛国とか、国防ということを自分の実感から考えるときに到っているようです。人間は「自我の遠近法」をもって成長してきますから、自分の身近なものを愛するという傾向性をもっています。家族や生まれ故郷、そして日本という島国を愛します。災害のときにも略奪行為が起こらないという日本人のメンタリティーが好きですし、失敗したときにはすぐに自分から「済みません」と頭を下げるメンタリティーが大好きです。だからといって、日本人は、どの民族より素晴らしいというふうに持ち上げる気持ちにもなれません。それは人間の本能として「世界中のひとが幸せにならなければ、自分の幸せは実現しない」という願いをもっているからです。でも、それが厄介なのは、「世界中のひとが不幸せであっても、自分だけ幸せならいいんだ」という本能も持ち合わせているからなんです。「他人の不幸は蜜の味」という本能ももっているんですね。でも、その本能の底には、「世界中のひとが幸せにならなければ、自分の幸せは実現しない」という願いが流れているんです。あの、口げんかで勝ったときの後味の悪さは、その本能の疼きなんだと思います。

▼「人は何かに悩んだり、「わからない」という思いがある間は、本当に謙虚になるんですよ。他人に対する怒りにいかないんですよね。自分が躊躇したり悩んだりしていることに関して、暴力にはなかなか発展しない。ところが、「わかった」と言って、それが正しいと思った瞬間から暴力に転化されていくんですよ。だから、わからなさにとどまり続けるということは、非暴力であることと、とても近いのではないかと、私は思っています。」

 これはハッとさせられますね。「分からない」ということにとどまることが非暴力の発生源ということなんですね。私たちの御本尊は「南無阿弥陀仏」です。その「阿弥陀」の原語の「ア・ミダ」とは、「無・量」ということですから、「分からない」という意味なんです。人間の意識では量れないということです。「分からない」ということが御本尊であるということは、そこから暴力は生まれてこないということなんですね。素晴らしいことですね。でも、いつしかその阿弥陀が、「絶対の真理」となってしまう危険性を持つんですね。これは、言葉の本性がもつ自己矛盾です。「無義をもって義とする」ということを論議していくと、いつしか「義なきを義とすということは、なお義のあるになるべし。」となってしまいます。「分からない」ということを表現するために言葉を用いているのに、いつしかその言葉が「分かったことになってしまっている」という批判です。

▼「田口

今回、この対談の話をいただいて、親鸞聖人についていろいろ本を読んでみたんですが、私が一番わからないのは、「淨土」というものです。どうも親鸞聖人の教えは淨土があるというのが大前提で、それがわからない限り何の教えなのかわからない。だから、淨土というのが何なのかお聞きしたいんですが。

四衢

田口さんは本の中で「あの世」とか「もうひとつの世界」という言葉をよく使っておられますね。片方で現世的なこの世の価値観を生きながら、どこか一方でそれを超えた別の世界の価値観とか視点を意識しておられるように思います。その田口さんが言われる「もうひとつの世界」と「淨土」は重なるようにも思うのですが。

▼田口

私が言っている「もうひとつの世界」というのは、例えば私はいま、ここに生きていますよね。四衢さんも含めて、私たちはいま、現在進行形でここにいる。それは四十五億年前に地球ができたときから、地球上のすべての営みの最先端にいるということですよね。未来に向けて突き出した最先端にいるわけです。

 その背後には、ここにいないすべての人たちが存在するわけですよ。それは亡くなった人たちですけれども、その人たちから綿々と引き継がれてきたDNAを受け継いで、私たちがいまここにいるわけです。遺伝子だけでなく、文化とか大地も含めて、累々と積み重なった死者たちがつくったものの最先端に、いま自分がちょこんとのっかってる状況なわけですね。

 でも、生きているときは、『ここ』しか見ていないわけです。いま、ここで生きているってことしかね。だけど、そのバックグランドにたくさんの死者がいるということを感じていたいな、というのが、私の人生観です。それを「あの世」とか「もうひとつの世界」という言い方で呼んでいるんですけれども。

(略)

▼田口

私ね、いつも宗教という問題を考えるときに疑問に思うことがあって、例えば淨土というのは、穢土とか現世といったこの世界から超越した世界を教えの中で想定しているわけですよね。宗教をもてるかどうかは、そうした超越的な世界を、受け入れられるか、受け入れられないかにかかっています。

 でも、私はね、超越した世界を受け入れてしまうのが怖いわけです。なぜかというと、はっきりとリアリティのある、この生きている私という世界があるわけですね。そこに、ある超越的なものを想定して、それによってこの世界にいまある自分が照らされているんだというのは、確かに救いになる場合もあるけれど、逆にいまここにいる自分を否定してしまうことにもなりかねない。このことをどう乗り越えて、超越的なものがあるということを「心得」られるのか。それが私にとって最大の難関なわけですよ。

(略)

四衢

田口さん自身は「個を超える装置をずっと探しているけれど、宗教にはすでにアレルギーがある」とも言われています。田口さんは、宗教のどういうところにアレルギーを感じておられるんでしょうか。

▼田口

それは、超越性というものに対する鈍感さですね。

 どんな宗教であっても、神や淨土といった現実社会の位相からひとつ超えたものを必ず想定していますよね。この超えたものというのが、実は本当に大事なものなんですよ。これなしに人間は生きていけない。みんな必要なんですよ、たぶん。人間が地球上で意識を持って生きていくためには絶対に必要なものなのに、それを扱っている宗教家がそれに対して鈍感だから腹が立つわけです。

 その超越的なものが何であるかは、多様であっていいと思うんです。例えば「人間は遺伝子の乗り物である」といったことが生物学で言われますね。だけど遺伝子には目的がないと言い切ってしまったら、元も子もないじゃないですか。生命存在に対する回答が、神道のように八百万の神であってもいいし、あるいはイスラム教のようにアラーの神という存在を森羅万象の頂点として見出して、それに対して自分たちの規範をつくっていくのでもいい。それはいくらあっても結構なんですよ。

 ただ、それは現世というか一般の社会生活の上に想定された超越性だし、そういう大切なものを取り扱っているのだということを忘れずに、永遠に追求してほしい。それが何なのか、簡単に答えを出さないで下さい、と言いたい。それに私はいつも腹を立てているわけですね。「あるんだから」みたいに決めつけるような言い方するから、「ないだろうが!」って思う。

 本当は私も、何か超越的なものはあると思うんですよ。ある、ないというのは一種の認識論の問題ですし、あると言って信じる人がいれば、あるんですよね。

 人間にはそうしたものを顕在化させるクリエイティビティ(創造性)があると思うんです。神さまとか淨土といったものは、人間が心の中で言葉でつくりあげた世界でしょう。意識というものを人間が持って、言語を獲得してつくりあげたもの。仏教なんか特にそうですよね。

 それらは成立した時代時代の言語によって創造されたわけですから、時代が変わったならそのときどきの言葉で新しく創造し続けないと、消えていってしまうものなんですよ。それをやらないから嫌なわけです。

田口さんは、「あの世」とか「もうひとつの世界」と語っていて、これは親鸞が「淨土」と呼んできた世界とイコールなわけです。一切の存在は「縁起」によって成り立っているというお釈迦さまの悟りとも通じているわけです。小生も「自身の<いのち>こそ本尊」というテーマで述べたように、この<いのち>にまでなってきた歴史すべてを本尊とするわけです。その意味で「内在的」なんです。田口さんは、「超越性」ということにアレルギーを感じているようですけど、この「内在性」を除外して「超越性」があるわけではありません。「この世」の外に実体的に空間があるわけではありません。そんな空間を淨土と呼んでいるわけではないのです。「内在的」であること全体が自分の思いを超越しているという意味なんです。この現世が絶対に正しい、絶対にに有るんだという意識を批判するために超越性(例えば「淨土」)を表現するわけです。

 ですから「分からない」ということが本尊となるんです。この世は絶対に有る、あの世は絶対に無いと考える硬直した意識に向かって、「あんた、そりゃあ、人間には分からないだろうが」と批判してくるわけです。

 それから「超越的なものが何であるかは、多様であっていいと思うんです。」と田口さんは言ってるんですけど、これも小生の言い方ですと「多様性の中にしか真理はないと、見出せる視座が唯一の真理なのだ。」となります。人間は、決して二つの視座を同時に生きてることはできません。月を見ているときには、星を見ることはできません。本を読んでいるときには、同時にテレビを見ることはできません。必ずひとつの視座しか得ることができません。百人いたら、百の視座が成り立ちます。決して世界はひとつではありません。百人いたら百人の世界があるわけです。視座が百あるのですから当然です。でも、この世界や宇宙は唯一神が作ったのだと決めてしまうと、九十九の視座を認められなくなります。地球は丸い一つの惑星ですから、たったひとつの世界を私たちは生きているように思います。これも一面の真理はもっています。でも、「生きる」ということはひとつの生命体にひとつしか与えられていません。お腹が減ったからといって、他人が代わりにご飯を食べても自分のお腹は膨れません。ひとが自分の生を代わって生きてもらうこともできません。そういう存在を「実存」といいます。実存的に見れば、ひとりにひとつの世界が与えられているのです。自分の世界を絶対だと尊重するのと同じように、目の前のひとも自分の世界を絶対だと尊重しています。「多様性」を認め合うということは、真理は遍満しているということを尊重することです。つまりひとの数ほど真理はあるのだということです。そのように認められる視座を自分は阿弥陀から得ているということも可能でしょう。

いつでも、どこでも、だれにおいても正しいという理念は、間違いを生みやすい。

人間は、それを求めているけど、その答えをつかんでしまったら間違いである。

なぜなら、正しいことは、今、ここ、わたしという超具体性の中にしか見つからないから。

 

2003年5月17日

●昨日は浅見定雄先生のお話をうかがうことができました。先生は東北学院大学の教授ですので、仙台からお越しいただきました。有意義な時間を頂戴しました。「カルトの予防と宗教教育」というテーマのもとに二時間のお話でした。先生のご出身は山梨の真宗門徒の家庭だそうです。15歳で洗礼を受けられてクリスチャンになられたそうです。

いまや浅見先生は、「カルトの浅見」といわれるほどに、カルト問題では超有名な先生です。いまや一般用語とまでなっている「マインドコントロール」という言葉を初めて用いられ、40年近く統一教会問題を戦ってこられました。マインド・コントロールとうい用語の定義は「利用できるすべての心理学的法則を使って、自分や他人の心をコントロールする行為全体のこと。今やただ「心理操作」と呼んでもいい。」とされていました。勧誘のターゲットは「ギン・カン・ポ」を落とせと言われたそうです。ギンとは銀行員、カンとは看護婦さん、ポとは保母さんだそうです。信頼を重んじ、正直で、誠実な銀行マンがターゲットとされたそうです。看護婦さんは、毎日病院で人が死ぬ。回復してもまた病人がくる。その全体に疲労してしまい、何かに癒されたい救われたい。あるいはその全体を見渡せる哲学がほしいという欲求があります。そこにカルトは忍びよるようです。いわゆる「まじめ」で「良い子」がカルトに入ってゆくんですね。入会の動機は様々で、パターン化できないのだとも話されていました。先生は「百分の一かける百分の一の法則」と呼んでいました。たまたま、時間をつぶそうと思ってブラブラしていたときに声をかけられたのがきっかけで入会したということもあるそうです。もしパチンコに入ろうと思っていたなら、勧誘の声には惹きつけられなかっただろうと。つまり人間は生きている間に、ほんの一瞬だけそういう時間があります。うちの檀家の奥さんも、もし前の晩に伯父さんの夢を見ていなければ、ピンポンというチャイムとともに「ご先祖を大事にされておられますか?」というカルトの勧誘には耳を貸さなかったでしょう。魔が差すといいましょうか、運が悪いといいましょうか、そういう「異界が開かれる」時間が必ずあるものです。小生だって、十分そういうものに引っかかる可能性はあるわけです。自分は大丈夫だ、絶対に引っかからないぞと思っているのが、結構危ないのです。

 たとえオウム真理教を脱会しても、そのひとたちは潜在的に占いやら超能力に対する興味が消えたわけではありませんから、また他のカルトに入会する傾向性をもっているそうです。オウム信者の家庭には、仏壇なんかはなかったようです。つまり、「異界」の空間が日常に存在していないのです。核家族であれば、人間を立体的に、つまり時間的に祖父・祖母がいて、両親があって自分たちがいると見ることができません。先生は文化の伝承は「三世代」が必要だとおっしゃっていました。もはや家庭では、作り得ないと。それを地域で作ってゆかなければならないともおっしゃっていました。オランダでは小学校の側に、老人ホームを作るそうです。つまり、老人も子どもを見ることができ、子どもも老人を見ることができる、相互にお互いを見ることによって、世代間の立体的な受け入れを成り立たせようとしているようです。それが果たして、日本でできるのかどうか分かりませんけど、そういう試みは大事だと思います。もう家が崩壊して、個別になりつつある家族形態は将来、集団化することないでしょうからね。地域制も、都市部では成り立たないですね。小生の住んでいる江東区は人口が四〇万を超えたとか、公共施設が間に合わないという状況です。つまりマンションが林立して、そこに住む全員が見ず知らずのひとたちになっています。また、田舎の地域性を嫌って、他人に無関心でいられる場所を選んで住んでいるということもあります。郊外の一戸建て志向から、住勤接近型のマンション志向へニーズが変化してきたのです。郷土とか地域への愛着なんてあるわけがありません。でも、まったく他人に無関心で生活できるものでもありません。やっぱり人間は孤独では生きられませんから、強固なつながりではなくて、柔らかなお付き合いを求めているように思います。戦後の東京は、他県からの流入者が一気に増えて、都会の孤独に堪えられない人たちが新興宗教へと吸収されてゆきました。お寺はそのひとたちには相手にされませんでした。オランダの形がよいかどうか分かりませんけど、多世代が同じ空間に出会える場所として再生してゆく方向も模索すべきだと思いました。つまり自分のいのちを立体的に見える場所としてです。「先祖」といういのちの連鎖の上に自分が成り立っているからです。何も先祖供養をする場所という定義ではなく、自分のいのちを立体的に受けとめなおすという定義で寺が再生されてゆければと思います。

 それから、「宗教教育」ということへ話が進みました。朝日の菅原さんもアドバイザーとして参加して下さいました。学校で宗教を教えるということが、欠落しているからカルトへの免疫力がないのだということです。でも、果たして誰が教えるのか?という問題があるというのです。果たしていまの学校の先生が宗教を教えられるのか?ということです。知的に、キリスト教・イスラム教・ヒンズー教・仏教・神道とは、こんなことなんだと教えることは可能じゃないかという意見もありました。あるいは、いまのパレスチナ問題やブッシュのキリスト教、イラク、アフガン問題、アイルランド紛争など、様々な宗教がらみの問題が起こっているのだから、それらを教材にして語ることも可能ではないかという意見もありました。あるいは国語の授業で、文学を通して宗教を考えることも可能だというのもありました。カフカやドストエフスキーや太宰治や、金子みすゞなどの文学の世界には宗教の言葉は使わずに、宗教的感性を養うことが可能です。

小生は、いのちを考えるには、「死ぬ」という問題を教えることだと思っています。いのちを輝かせるには「死ぬ」ということに焦点を当てればいいんです。それは必然的にいのちを輝かせてくれるんです。我が家の父の老いのありのままを見ていれば、いのちの輝きが生まれてきます。「頑張る」とか「未来が明るい」とか「将来の夢」とか、そういう幻想が破れて、明日をも知れぬいのちの厳しい現実が逆に光りを放ってくるんです。老いとか死ぬということが、どのように日常性の中に組み込まれているかということが大切だと思いました。

 

2003年5月18日

八万四千の教言も、たった一本の雑草の輝きを凌駕するものではない

 仏教というと、お経が八万四千巻もある厖大な知的遺産だと思われています。これをすべて読破してマスターしていなければ仏教徒でないとするならば、小生は仏教徒失格です。面白いもんで、仏教と親しくなるためには、一見大きなダムのような知の宝庫に亀裂を入れることです。一点の穴を見出せばよいのです。その一点の穴から一滴の水が滲みてきて、徐々にその流れが大きくなり、その一滴が大きなダムを崩壊させるということにもなるのです。その一滴をどこに見つけるかということが大事なことだと思います。決して全体を把握したから、それで仏教が分かったということにはなりません。たとえ八万四千巻のお経を全部読解して、年も老いて腰が曲がり、最終的にいたりついた境地といえども、それは一本の雑草の輝きを凌駕するほどのものではないのです。これは大いなる無駄ということかもしれません。無駄というのは、この人生の総称でしょう。どうせ死ぬのに、毎日大量の食料などを消費しているのですから、これほどの無駄はありません。しかし、どれほど無駄であっても、この自分という存在が尽きるまで消費し尽くさなければならないのです。自分という列車はすでに走り出してしまっているのですから、終着駅に突くまで車輪を回し続けましょう。まぁこの「無駄」という観念も、人間が生み出した観念です。現実には「無駄」でもなんでもないのです。人間は自分の人生が無駄だと分かると生きるエネルギーを失います。ひとに迷惑をかけるのは悪いことだと考えます。これも観念の産物です。迷惑を掛け合うのが人間ですからね。お浄土では、ご飯を食べるとき一メートル以上の長い箸を使うそうです。長すぎて自分で自分の口にはご飯を運べないようです。それで自分の目の前のひとにご飯を食べさせてあげるしかないのです。そうすると相手も私の口にご飯を運んでくれるのです。お互いに食べさせ合うというのが淨土の食事だそうです。これは譬喩ですから、そんなことは娑婆ではおきません。でも、一面の真理は物語っています。迷惑を掛け合うのが人間の生きざまだと教えています。まあ、迷惑をかけてやろうと思って掛ける迷惑は、悪質です。知らず知らずのうちに迷惑を掛けているんだと知っていることが大事なんでしょう。老齢化してくれば、必ず迷惑を掛け合うようになっているんです。それは、自分の好き嫌いの問題ではありません。人間という存在の尊厳性です。いのちの自然の促しとして、老化があるんです。老化を自分の愚かさと解釈してはダメです。老化は如来からの命令です。その命令に素直に従えるような老化が大事だと思います。

 「よく見ればナズナ花咲く垣根かな」(松尾芭蕉)これは、大変な俳句です。なんでもないような俳句ですけど、私は大好きです。日常生活はなんといっても大雑把です。毎日通勤していると、道端の花々に目を止めることもありません。いわゆるルーティンというやつですね。人間には、「驚く」ということがあります。非日常的な出来事に出会うと「驚き」ます。こんなところにマンションが建築されたのか!と思うこともあります。でも、それも数週間で当然のことになってしまい、驚きがなくなります。「驚かす甲斐こそなけれ、群れ雀、耳慣れぬれば、鳴子にぞ乗る」という蓮如さんのおっしゃるとおりです。あの白黒テレビからカラーテレビに移行したときには、喜びと驚きがありました。新聞のテレビ欄には「カラー」と表示されていました。初めて真夏にクーラーの涼風を体験したときの、快感と喜びはなんともいえませんでした。でも、どうでしょう。そんなものは慣れっこになってしまい、なんとも思いませんよね。そんな日常生活に「よく見れば」と語ってくれるナズナがあったんですね。これはナズナへの気づきと同時に自分のいのちへの驚きではないでしょうか。小生も以前から言うように「仏は細部に宿りたもう」と思います。実に些細なところに、日常のなんでもないところに、白昼の死角に、そこに仏はいらっしゃるのだと思います。腸内の百兆個の細菌となって、展開しているのだと思います。サーズ菌も如来のおぼしめしなのかもしれませんね。人知を超えた世界にお前たちは住んでいるんだぞ!というアピールかもしれません。

 

2003年5月20日

●父の涅槃経

一昨日から父はベッドから起き上がることができないようになりました。食べるものも、ほとんど口に入りません。苦しい顔をしながら「早く死にたい…」とかすかな声で訴えます。胸が苦しいらしく、毛布も胸に掛けることを拒否します。室温は高めにして、寒さを感じないようにしてあります。水分は欲します。「吸い飲み」でわずかの水を口に入れても、なかなか飲み込むことができません。口に含んだまま、水が喉から降りてゆきません。「お父さん、ゴックンして…。ゴックンしないとむせちゃうからね…」となだめながら、何度も声をかけて、ようやく飲み込めるという状態です。こんなに急激に衰えるものかと、家族は驚いています。オムツを代えるという作業が、なかなか難しいことも知りました。股引きをゆっくり脱がせて、両膝を持ち上げて、体を右に傾けます。そして使用済みのオムツをはずします。その量の重さといったらありません。ズシンと手に感ずる尿の重さが、父の存在の重さのように感じました。こんなに水分があるだろうかと思えるほどの重さです。恐らくこんなには、水分を摂っていないはずです。とすると、体内の水分を排出しているのでしょうか。もう体は、骨に皮膚の皮が張りついているだけです。ひとつひとつの細胞から水分が自ら抜け出して身軽になろうとしているようです。ひといちばいプライドの高い父が、息子にオムツを替えてもらうという屈辱的な姿を受け容れることはできないようです。苦しそうな顔をするとき、それは肉体的な痛みもさることながら、精神的な屈辱感があるように見えるのです。父のオチンチンをこんなにも間近に見たことはありませんでした。子どもの頃は、父のオチンチンが大きくて、自分のは小さいと劣等感をもっていました。しかし、いま目の前にある父のオチンチンは、精気を失った枯れた木の根っこのような状態でした。木の根っこから、黒い毛や灰色がかった毛、そして白い毛が生えていました。このオチンチンに父のすべてがあるようにも思えました。力なく、小さく、シワシワとなっているオチンチンが、小生を見つめていました。まったく、赤ん坊がオシメを替えてもらうように、膝を立てて、家人のなすがままにされている父の姿は老いの最後の姿を見せていました。赤ん坊に帰るといいますけど、これは本当ですね。ひとは赤ん坊になって生まれ、赤ん坊になって去ってゆく。もはや痛みと苦しみさえ取り除いてもらえれば、後はすることはありません。父もそのことをよく知っているようです。願わくは、ソフト・ランディングであらんことを。

 

2003年5月21日

●父の涅槃経

今朝、救急車で父は入院しました。やはり、母の介護疲れが頂点に達したためです。ここまで、よくやってきたものだと思います。先月は勝浦の温泉に行くほどの元気があったのですが、ここ数日で急激に変化しました。何も食べない日々が、四日続きました。水分だけで生きていました。やはり肺ガンのために胸が苦しいのか、パジャマを取り除こうともがくことが多いです。77キロあった体重も今日は43キロに減ってしまいました。まさに「出山の釈迦・苦行像」にそっくりになりつつあります。それでも病院は嫌いで(まぁ好きなひとはいませんけど…)、救急外来科のベッドでは、起き上がって帰ろうとるようでありました。苦しい顔をしながら、「ハヤク…」とか「カヘル…」と我々には聞こえるような微かなうめきをもらしておりました。それは、「帰る」ということだったのかもしれません。病室が空き、そちらへ移りました。水分も喉を通らなくなっていましたので、点滴の水分で少し顔色がよくなったように思えました。絶えず口を開いて喘いでいますので、口がカラカラに乾燥してしまいます。そこで、スポンジを先っちょにつけた綿ボーのような道具で、少しずつ唇やら口内を湿らせると、口を大きく開けて水を欲しがりました。たくさんあげるとむせてしまいますので、少しずつ湿らせました。水分によって、歯と唇とが濡れて自由に動けるようになると、何かを語るような口ぶりをしました。舌も乾燥するとシワシワになってしまうので、スポンジで湿らせるとクルクルと動かして喉の渇きを癒しているように見えました。それでも体内には入りませんから、どうしても点滴のお世話にならざるを得ません。この点滴も、四時間がかからなければすべてが体内に摂取されることはありませんでした。どこかが苦しいのかやるせないのか、モゾモゾと体を動かしますので、点滴が腕に絡まって外れそうになります。それを外れないように家族で見守っておりました。今朝の八時に入院して、帰宅したのは午後6時でした。主治医の先生は朝から胸部外科の手術にかかっておられましたので、説明が受けられません。先生が手術を終えて我々の病室に顔を見せていただけたのは、午後5時頃でした。「いまの武田さんは、燃料の補給をしないで、超低空飛行をしておられるようなものです。でも不思議なもので、低空飛行でもバランスがいいとずいぶん遠くまで飛ぶこともあります。でも、途中になんらかの障害物があっても、自力では上昇できませんから、そこで力尽きるということもあります。正直言いますと、いつ力尽きても不思議ではない状態ではあるのです。そのことをまずご家族に知っていていただきたいと思います。」懇切丁寧に母と小生に先生はお話してくださいました。「もはや、患者さんが痛がる検査はやらないつもりです。もし検査をして、次の一歩が打てるのであれば、いくらでもやる意味はあるのですけど、いまはその状態にはありません。ご家族は、とにかく患者さんの痛みや苦しみだけは取り除いて欲しいと訴えられるのですけど、私もそのようにしたいと思います。ただ点滴だけはつなげさせて下さい。万が一というときには、注射の針も入らないという状況になります。しかし、点滴がつながっているということは、そこから何らかの手を打つことができます。唯一、外界と体とのつながりを確保するという意味の点滴なんです。何かの治療という意味ではないのですけれども、そのこともご承知おきください。」「それから、ここまで在宅で頑張られたのですから、後は病院にお任せ下さい。そのための病院ですからね。確かに24時間付き切りで、家族のローテーションを組んで面倒を見られるということもできますけど、ご家族の方の健康も大事なのです。介護をする人間が病気になるというケースも多いのです。気が張っていて、そういう無理な頑張りをされることで、却って寝込まれるということもありますので、どうか病院を信頼して、後は任せていただきたいと思います。それから、万が一のとき、ご家族がどなたもいらっしゃらないときに息を引き取られるということもあります。そういう場合もありうるということもご承知おきください。」主治医の先生は懇切丁寧に、私たちにお話して下さいました。その言葉は私たちにとってとても有り難い言葉のように聞こえました。

 こういう状態を経て、家族が遺族へと変わっていくのですね。小生はお寺で、お告げの電話を受けます。それは、そこから先の段階になるのです。お寺ではお通夜からが出発ですけど、ご遺族は、それ以前の苦難があるわけです。お坊さんは「二人称と三人称の間の仕事」だとつくづく思います。ご家族がご遺族になられる前段階のお話をよくお聞きするようにしています。死に目に会えたとか会えなかったとか、臨終のときに苦しみがあったかなかったか、家族のケアの苦難の状態等々です。

 全体的に見て、父の人生はまずまずの人生ではなかったかと思いました。娘ひとり舅ひとりの因速寺に28歳で養子に入り、ひたすらお寺を第一義に照準を当てて全生活をしてきました。すべての関心が「お寺をどうするか?」ということに収斂していきました。舅は40代で妻を亡くし、長男を亡くし、人生を憂鬱な気分で生きていたようにも見えました。それをお酒で紛らしていたようです。父一人、娘一人という家庭に養子に入ったのですから、父は娘を婿養子に取られたような被害感覚を受けます。「愛は奪うもの」でもあります。祖父は毎晩のようにお酒を飲んでいました。時折、普段は言えないような汚い言葉で父をなじっていました。多少酒乱気味だったようです。祖父が帰ると我々は茶の間から逃げ出すということもしばしばでした。明治の人間ですから、宗教法人法(昭和26年成立)ができあがる以前からの坊さんです。法律より年上ですから、法律は相手にしていませんでした。法人登記もなされていなかったそうです。父は大正時代の人間ですから、法律を遵守して、法人としての寺を確立してゆきました。なんといっても、父の仕事は客殿(会館)を昭和46年に完成させたことでしょう。寄付をご門徒にお願いしたのですが、途中で建築資金が足りなくなり、銀行から借金したことなど、しばしば聞かされました。夕暮れ時に父が墓地を散歩して、自分の建てた会館を眺めているのを見かけたことがありました。感慨無量だったのだと思います。寄付もすんなりとは頂けず、門徒から罵られるという場面もあったようです。でも「自分は門徒からなんといわれようと構わない、しかし自分の後を継ぐものには苦労をかけてはならない」ということをモットーとしていました。「自分の代で、因速寺の基礎をしっかり作っておくから、後の者は、その基礎の上に真宗の教化を徹底してやってほしい」という願いもありました。「自分の代は、基礎固め」とよく口にしていました。その願いが、会館の壁やら柱に染み込んでいるように思います。鉄筋コンクリートの会館ですけど、会館の創造主である父(前住職)の往生を悲しんでいるように思えました。

 

2003年5月23日

●私たちの自我は、譬えると円形で、サッカーボールのようになっているのかもしれない。あの白と黒で継ぎ接ぎになっているようなボールです。白い皮と黒い皮がつながって、ひとつの丸いボールを作り上げています。あの黒い皮や白い皮は、家族や友人や同僚かもしれません。自分の自我は、彼らとの関係性で出来上がっていて、実はその皮を剥いてしまうと何も残らないものなのかもしれません。自我の遠近法で、身近なものは近くに、縁の遠いものは遠くに置かれてます。けど、今回の父の臨終は、大きな皮をはぎ取られるような感じがしています。もはや、呼吸も横隔膜を使ってすることができず、下顎を動かして呼吸しています。それを下顎呼吸(カガクコキュウ)というのだそうです。癌が気管の近くまで圧迫してコブのようになってきました。苦しそうでした。

先程、病院から連絡が入り。容体が急変したので駆けつけました。我々が病院へ到着する前に父は息を引き取りました。午後8時24分、享年79歳でした。生前のご厚誼に感謝申し上げます。尚、通夜葬儀は27日午後6時から、28日午前11時からに執り行います。ひそやかに執り行いたいと存じます。( ̄人 ̄)合掌...

2003年5月26日

●父が亡くなった時には、家族が駆けつけて、病室で十分お別れをしました。我々が駆けつけたときには既に呼吸は止まっていました。苦しいながらも呼吸を続けていた顔色とは明らかに異なっていました。血の気が引くといいましょうか。流動体であったいのちが、固定形になったという印象です。いわゆる「変わり果てた」という感じですね。今まで動いていたいのちが、固定形になると、同じものがまったく違ったように見えてきます。解剖学者の養老猛司さんも、「手と顔はいけない…」と言っていました。人体の中で、外界に接していて、他者から見てみて、常に動いている部分は顔と手なんですね。ですから、最初は手と顔の解剖には抵抗感があるそうです。動いているべき部分が、動くことをやめ固定形になることの奇異感です。家族は、その動かない顔に、数分前までは動いていたであろう呼吸する父をオーバーラッピングするわけです。その時、ものすごい悲しみが襲ってきます。まだ、体温もあって、手も温かったです。それも時間の経過と共に少しずつ、温度が下がってゆきました。お医者さんは、死の三兆候を確認し、時計を見て「8時24分。ご臨終です…」と告げられました。テレビ等ではよく見かけていたワンシーンでした。やっぱり最後は、こういう形が定型なのだと改めて確認しました。虫の知らせでしょうか、病状の変化を知らせていた娘も京都から、戻っていましたので、家族全員で涙を流しました。悲しい中にも、父は幸せだなぁと感じました。こんなふーに家族に看取られて逝くなんて、うらやましいなぁとも思いました。小生は、こうはいかないだろうなぁとも…。

 病院は、家族とのお別れの時間をとって下さったようで、次にするべきことを待っていたくれたようです。先生から「病理解剖」の申し出がありましたが、母と小生は、それには拒否感がありましたので断りました。次に、遺体の最終処理をするために、家族はロビーに出て40分程待ちました。人体の穴に綿を詰め込んで、体液などが流れ出ないように処理をしてくれるのでした。仏教では普通、人体が外界と摂する穴を九穴といいます。目が二つ、耳が二つ、口が一つ、鼻が二つ、肛門が一つ、尿等の排泄器官が一つ、合計九穴です。釈尊は『ブッダのことば−スッタニパータ−』の中で、次のように語られています。

 身体は腸にみち、胃にみち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、鼻汁・粘液・汁・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

またその九つの孔からは、つねに不浄物が流れ出る。眼からは眼やに、耳からは耳垢、はなからは鼻汁、口からはあるときは胆汁を吐き、あるときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。(略)

 <かの死んだ身もこの生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう>と、内にも外にも身体に対する欲を離れるべきである。(略)

 人間のこの身体は不浄で、悪臭を放ち、(花や香をもって)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。

 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは盲者でなくて何だろう。

 人体への執着を離れなさいと教えられています。死んだものの上に生きている状態を思い描き、また生きている者の上に死んでいる状態を思い描きなさいというのです。死んだ父の姿に、自分自身の姿を投影してごらんということなのかもしれません。

 そこから淡々と事務的なことになって、葬儀屋さんに遺体を搬送してもらい、お寺に連れて帰りました。親戚への死亡通知やら、葬儀へ向けての準備やらに取り紛れてゆきました。翌日は土曜日で法事も三件ありました。しかし、弔問客やら葬儀社との打ち合わせ等で、目まぐるしい時間を過ごしていました。要するに、遺族というものは、別れの時間を十分に過ごすというよりも、次の葬儀の準備という極めて娑婆的な時間に追われてゆくのでした。死という、この世を超えて逝く宗教的な出来事に接していても、遺族は、実に実務的な、つまりこの世的な時間を過ごすという、このアンビバレントにこころが麻痺してゆくのでした。非日常的な時間を、実に日常的に過ごすという矛盾ですね。

 それでも父がいないという時間を初めて過ごすわけですから、日常でもどこかおかしな感覚が残ります。テレビの音が大きいと、父の眠りを妨げるのではないかと、気づかって、「あっ、そうか、父はもういないから、そんなことに気をつかうこともないのか」と感じたり、父の寝室の前を静かに歩くとか、そういう必要もないのです。女房も、寿司を注文するのに、八人前注文してしまい、どうしてひとつ残ってしまうのか分からなかったといいます。「あっ、そうか、お父さんの分を数えていたんだ…」と後になって気がつきました。家族の形態は、体に染みついているものですね。この実に、自然に染みついている家族の形を、徐々に変形させていかなければならないんですね。いるのが当然だと思って行動してしまい、後になって、いないことに気がつくという、ひとつの空虚感が残ります。部屋には父が寝ているという思いが、小生の体に染みついています。そう思って行動してしまいます。そして、「はっと、我に返って、あーいないんだ」と腑に落とすといった感覚です。父のベッドには父の肉体がなく、ガランとしています。実に存在が無いということが、存在の重さを物語るのでした。存在が有るということは、有るだけで、どこか小生の脳の部分がふさがっているのです。しかし、無いということになると、小生の脳の部分もポカンと穴があいたようになってしまいました。

 いわゆる「遺族の空虚感」を少しずつ感じています。弔問客が訪れて、父の顔をみて涙を流してくれます。しかし、小生は、もう悲しみを感じて一緒に泣くことはありませんでした。悲しみが続いていると、悲しみを感じなくなるんですね。あの注射針のように、刺すときには痛みがありますけど、刺さっている間は痛くないというようなことですね。死に顔がほんとうに、安らかです。これが父の本当の顔だったのかもしれません。生きている間は、どこかで緊張感があるので、顔の筋肉が引きつっているのでしょう。眠っていても緊張感があります。でも、死ぬということは、ひとつひとつの細胞からストレスと緊張感がほどけて、安らかになっていくのですね。生きている顔の下に、みんな本当の顔を隠しているのかもしれません。それを見たことはありません。自分では決して見ることはできません。それは、ひと(他者)だけが見ることのできる顔なのでした。

 「そのひとの重さが分かるのは、お棺のふたがしまったときだ」と言われます。これから、無いことの重さを感じてゆくことでしょう。葬儀の後の告別の場面、そして火葬場の釜に入れる場面、最後にお骨になって釜から出てくる場面で自分にどんな感情や思いが起こってくるのか、ちゃんと見つめてゆきたいと思っています。

 

2003年5月28日

●本日、父の葬儀を勤めました。ご縁のある方々から、弔電やら志を頂戴し、またご参詣、並びにご焼香まで頂戴し誠に有難うございました。述べ700人くらいのご参詣をいただき、本当に有難うございました。またこの期間にお亡くなりになられたご門徒の葬儀にはお参りできず、大変ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。

 葬儀の準備を始めた段階から、もはや悲しみに浸っていることできず、事務的な作業に入りました。お通夜のお返しの品はいくつ注文するのか、お返しの品は何にするのか、柩はどれにするのか、火葬場はどうするのか、通夜の料理は一体何人前くらい頼んだらいいのか、雨が降ったらどうするのか、ご導師のハイヤーの手配や、訃報通知文を考えて、早急に印刷し、それを全門徒に郵送すること、心付けを小袋に入れておくこと、親類に訃報を知らせていないところはないか、最終のチェックをすること、マイクロバスは何台用意すべきか、等々。細かい作業に気を配りました。いったいこの葬儀は、誰のための、何のためにする葬儀なのか、まったく分かりませんでした。それでも時間はどんどん過ぎてゆきますので、作業は進んでゆきます。そして通夜が過ぎ、葬儀が過ぎて父はお骨になりました。火葬場からの帰り道、ハイヤーにのって、父のお骨を抱いていると、やがてほのかなぬくもりが足に伝わってきました。それでも、この骨と父の存在がまるでつながらないのです。この骨は父とはまったく別の何ものかを抱いているようで、実感がないのです。下顎の骨には、まだ歯が食い込んで残っていました。焼きたてなので、指で触ると火傷しそうに熱かったです。父は歯が丈夫で、すべて自分の歯でしたから、そのままの形で歯が残っていました。でも、その歯が父のものであって、父の存在を証明するものにはなりませんでした。

 ただ「いない」という感覚しかありません。家族が、ものすごく少なくなったような、家族の量が減ったという実感です。いままで雑木林のように家族がたくさんいたような感じです。八人家族ですから、それもそうなのでしょう。しかし父がいなくなってみると、まばらな木々が残っているだけで、どこにも雑木林はなかったんだと感じました。それほど父の存在の密度が高かったのでしょう。

 明日は山形教区に出張します。30日まで更新は不可能です。お許しアレ…。m(__)m

 

2003年5月31日

●喉の痛みが、昨夜から続いています。疲労の結果、体力の免疫力が落ちていたのでしょう。風邪にかかったようです。意識には、さほど疲労感はないのですけど、肉体は正直に疲労していたようです。山形からの帰り、新幹線の中で二時間以上眠ったのは初めてでした。今回の研修のテーマは歎異抄13条でした。「宿業」ということと「本願ぼこり」ということが主題だったように思います。本願ぼこりとは、阿弥陀さんは悪人をこそ救おうというのだから、うんと悪いことをすることが阿弥陀さんに気に入ってもらえることなんだと、わざと悪事をするという考え方を言います。専門用語では「造悪無碍(ぞうあくむげ)」といいます。「悪を造ってもさわりが無い」という主張です。これは悪人成仏という思想の誤った了解の仕方です。悪人成仏という教えは、悪をすることが救いの条件になるということではありません。自らが教えによって、「悪人」として教えられるという意味ですから、「悪事をすることが条件だ」という意味ではありません。悪人とは、教えによって内省された結果に生まれる自覚です。その意味で「自覚用語」です。自らの悪や、罪におののく存在であって初めて「悪人」という自覚になるわけです。でも、造悪無碍の人たちを批判する善人集団もありました。造悪無碍はナンセンスだ、阿弥陀さんは悪人を助けると言っているけど、本当は善人が気にいっておられるのだ、だから少しずつでも悪いことはやめて善いことをすることが、阿弥陀さんに気に入られることなんだという主張です。これは極めて常識的な了解の仕方ですね。まあ善人に成れない悪人ですら救ってあげると阿弥陀さんは言っているのだから、阿弥陀の大悲は凄いものなんだと主張するのでしょう。

 歎異抄の著者であります唯円房は、この善人集団の主張を徹底批判しています。むしろ「本願ぼこり」の造悪無碍の人たちには同情的に書かれています。造悪無碍のひとたちには、「薬があるからといって毒を好んではいけないよ」という批判のトーンです。でも善人集団に対しては、「それは本願を疑う、善悪の宿業を心得ざるなり」とか「かえりて、こころ幼きことか」とか、「ひとえに賢善精進の相を外に示して、内には虚仮をいだけるものか」と強烈に批判しています。

 人間の悪はひと目につき易いけれども、善に隠れた悪は見つけにくいものです。善を行うことの方が、悪を行うことより簡単です。そして私たちは善とか正義がどれほどの害毒をもっているかを知っています。戦争は正義と正義の争いです。この人間のもっている善を批判することは人間にはできないのです。悪ならすぐに目につきますから批判することはたやすいのです。しかし、善いことを批判する視点を人間はもっていません。その善に隠れている悪をえぐり出し、批判することが如来の視座です。人間の善を批判できるのは、如来とか神とか仏とか、人間を超越した視座だけなのです。この超越した視座は、人間の正義を徹底して批判してきます。神の視座を人間の内部に取り込むことはできないのです。しかし、神の声は微かなものですから、人間は神の囁きを無視して、自分勝手に神の気持ちを作り上げることもできるのです。これが「人間の造る正義」の恐ろしさでしょう。「吾がこころに善きと思うことを善きとし、吾がこころに悪しと思うことを悪しとして、(自分のこころを超越者の視座にすえて)如来を信じないのだ」と13条では批判されています。

 唯円房の考えている「本願ぼこり」は、いわゆる造悪無碍の本願ぼこりとは違います。本願にすべてをお任せする、いわゆる「南無」という意味にも解しているのです。「善きことも悪しきことも、業報に差し任せて、本願をたのみまいらする」と言っています。どのように人間の行為が起こるのかといえば、業報だというのです。自由意志というものの以前にあるはたらきだというのです。そして、もっともっと根本的には、自分の身体を「自分の身体」だと傲慢にも思っていること自体が、煩悩のせいなのだというわけです。ですから、我執そのものが、本願ぼこりだという解釈にもなります。我執のない人間はいませんから、「本願ぼこり」でないひとはいないということになります。人間という存在了解に関することが唯円房の考えていた「本願ぼこり」の意味なのでしょう。

「どんなことでも、自分には責任はないのだ、すべて業縁なんだ」と自分で自分を許すための論理ではありません。宿業の表現が「現在」というものですから、この「現在」を受け容れれば、その業そのものの全責任を引き受けていくということになるのです。

許されてあるからこそ、すべての責任を引き受けるという大地が与えられるのです。『罪と罰』のアリョーシャが大地に接吻したのは、そんな意味なんだと受け止めています。

 阿闍世が、「お前には罪はない」とお釈迦さまが語るとき、すべての罪から解放されました。でも解放された阿闍世は、今度は「すべての人々の苦しみを引き受けて生きます」と転身するのです。「罪はない、故に、罪を引き受ける」、ここに救済の逆説があるのでした。

 

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