住職のつぶやき2003/06


 

2003年6月1日

風邪を引いたようで、昨夜は長い夜だった。寝苦しく熱っぽく、痰が出た。明日は宮崎に行くのに、こんなことではダメだと、シークワサーとトマトジュースを混ぜた特性ジュースをガブガブ飲んだ。まさかサーズではないだろうなぁ?と疑ったりもしてみた。まぁ少しずつでも、元気になる方法を模索しています。楽に立っていられるとか、食事が美味しいとか、関節の痛みが取れるとか、喉の痛みがなくなるとか、そういう快方へ向かって少しずつもってゆきたいと思っています。

 そうそう山形の研修会では、「宿業と運命」とがどう違うのか?とか、「どうしても宿業と聞くと暗くなる」とか、「引き受けるというけど、それはどういうことなのか?」等の質問がでました。宿業と言おうと、なんと言おうと、自分の目の前にあるのは「現在」の自分でしかありません。その「現在」を解釈するときに宿業という理論をもってきたのでしょう。在るのは「現在」でしかありません。他のことは観念です。業とは、因縁ですから、それ自体は明るくも暗くもないのです。自転車を子どものころに覚えれば、大人になっても、それを覚えていて、何十年たっても乗れるんです。沢山飲み過ぎれば、翌朝は二日酔いになります。こういった因果関係を業というのでしょう。いまではDNAといって、自分の身体に、過去の遺伝子が組み込まれていることも分かってきました。でも、同じような環境の中で、一卵性双生児を育てても、必ずしも同じにはなりません。データでは同一でも、縁が関与してくると必ずオリジナルが出来上がってきます。ですから、宿業だといって苦しんでいるのは、「思い」なんです。業自体が人間を苦しめるということはありません。「こんな境遇に自分を生みやがって!」という思いが自分を苦しめるんです。業自体は無色透明でしょう。阿闍世は「未生怨」といって、生まれる前から怨みをもっている存在といわれますけど、生まれながらに怨みをもっている人間はいないでしょう。生まれて自我が芽生えて、その自我形成をするときに怨みは発生するものです。プロレスラーのアジャコングは、母親に「親が勝手なことをして生みやがって!」と罵ったそうです。そうしたら母親は、「自分が勝手に造ったものなら、勝手に殺してもいいのか!」といっても台所から出刃包丁をもってきたといいます。生まれるということも、人間の自由意志を超えた出来事なんですよね。

 「引き受ける」という言葉は、小生もよく使いますけど、自分で引き受けられるような罪なら、仏さんは必要ないんです。自分じゃまったく引き受けられないでしょう。自分の「思い」では間に合わないという、放擲が必要だと思います。そして、自分の内面で、「そうだったんだ」と腑に落ちたときに、初めて「引き受ける」ということが起こるんだと思います。寮生活をしていたとき、門限を破ると便所掃除という罰がありました。初めは、これがイヤでイヤで仕方ありませんでした。しかし、ある時、小生がやらなくても誰かがやらなければならない仕事なんだと気がついたとき、自分がやってもいいじゃないかという動きが起こりました。そして、掃除が、仕方なしさせられる仕事ではなく、喜んでできる仕事になりました。そんな些細なことですけど、引き受けるということのひとつの譬喩になるかもしれません。拒否していた心の傾向性が、受容する態度に変化するというものです。

 いままで「自分を縛っていたと思っていたものが、それによって支えられていた」と変化するということでしょう。

 

2003年6月4日

●宮崎から戻りました。宮崎ではゴルフもしてきましたよ。今日はお葬式です。もう6月なんですよね。早いもんですね。「光陰矢の如し」であります。でも、まだまだ父の葬儀の残務整理が終わりません。それにしても、お墓やらお仏壇のダイレクトメールや、葬儀の返礼品のカタログやら、とにかく電話攻撃の多いのにはまいりました。どこから情報が漏れるのでしょうか。お墓のセールスマンはうちがお寺だということを知らないらしいのです。「うちには、お墓は売るほどありますよ…」と言ってやりました。

 父の命終から、二七日が経とうとしています。まだ夢に父は出てきません。あるいは出てきているけど記憶にないのかもしれません。家族は相変わらずの日常を生きているのですが、どこか以前とは違っているという感覚が残ります。まだ父のいない日常が、私たちの生活に充分なじんでいないのだと思います。葬式は亡くなった方はともかく、後に残された者たちにとって、ものすごく大変な出来事ですね。「後に残された者たちは、追いかけて焦がれて泣き狂う…」(「別れ歌」)と中島みゆきも歌ってます。ご本には、痛くもかゆくもない静かな世界へ旅立たれるのですけど、その姿を現世で見ている私たちは、悲しみの涙を流し、それもそこそこに、葬儀という娑婆の決まりをそつなくこなさなければならないという二重の負荷がかかります。そして葬儀の後には、感情的な疲労感と行事をこなした肉体的疲労感とが残り、何かをするにも力が出て来ないというアンニュイが襲ってくるのでした。葬儀で体調を崩される方も多いと聞きました。小生も、体重が三キロくらい減っているのには驚きました。これは近来にない減量です。自覚症状としては分からないのですけど、やっぱり身体はかなりのダメージを受けているのですね。「こんなにダイエットができるんだったら、葬式も悪くはないなぁ」と相変わらずのブラックユーモアで、人々の顰蹙を買っている小生でありました。

2003年6月5日

死を知らず、いずくんぞ、生を知らんや

父の存在がなくなってから、二七日がたちました。昼間の自分はあまり父と対話していないようです、でも夜の時間には夢で対話しているようです。存在が有るあいだは、存在が邪魔をして、父そのものと対話することはできないのですね。煩悩が充満しているのが人間ですから、我執から離れることができません。存在が有るあいだは「自分の親」という固定観念が絶対に抜けません。でも、存在から抜けることによって、その「自分の」という固定観念が希薄になっていくのです。いままで父との距離が十センチメートルくらいだったものが、ようやく三メートルくらいに離れます。そしてあらためて父とは誰だったのか?ということを問うことができるようになりました。以外に、骨に対する関心はまったく起こってきませんでした。あの遺骨が父とはまったく別質のものだという観念のほうが強いのです。門徒の人たちは、案外、遺骨に執着するのですけど、小生にはその観念がまったくといってよいほど起こりません。山手線に、遺骨の遺失物があると聞きましたけど、それも分かるような感じです。あれは肉親の一部でもなんでもなくて、ただのカルシウムの断片たちでしかありません。ならば、網棚の上に置いてもなんも感じないというのは、よく分かる感じがしました。以前の小生は、自分の肉親の遺骨を網棚に「捨てる」というのは非人間的だと思っていました。しかし、いまの小生であれば、案外、それはできるなぁと思っています。なぜ捨てられるかというと、肉親とは無関係のモノだからです。遺骨と肉親とは完全に絶縁しているから捨てることができるのです。どこにもその二つをつなぐものが存在していないのです。ですから、あの遺骨以上に、存在の無い肉親の方が大切なのです。それは観念だと言ってしまえば、それまでですけど、単なる観念だとはいえません。観念にもいろいろな質があります。ある種の観念は人間にとって、「存在」と同じくらい重みをもったものだからです。

 そして父に「存在の本来性は無いということだ」と教えられてみると、あらためて有るということの意味があぶりだされてきます。今朝はオカメ納豆の「本小粒」を食べました。発泡スチロールのふたを破って、中の薄いビニールを剥がして、カラシを出してかき混ぜて、ご飯の上にのせて、口から胃袋へとかっこみます。思わず「美味い!」とつぶやきます。こうやって、納豆を味わっていると幸せだなぁとつくづく感ずるのです。生きて「有る」ということは、何事かを味わっているということだと思います。人を味わい、食を味わい、風を味わい、諸事を味わう。決して、今という時間は明日のためにあるのではありません。今は今のために充分に費やされなければならないでしょう。今をどれだけ味わい尽くせるかということがテーマのように思います。小生も含めて現代は、「待つ」ということができない時代になりました。それは資本主義の宿命ですけどね。お待たせすることなく、より早く、よりたくさん欲望をかなえられるという社会が資本主義の充実した社会です。これは誰も止めることのできないローリングストーンです。あの運転中の赤信号の待ち時間の長いこと、駆け込み乗車に失敗して電車の最後尾を見送るときの絶望感は何ともいえません。そんなとき「俺は、せっかちで、全然、待つことのできない人間だなぁ…」と絶望的になります。でも、不思議に「待つことのできないダメ人間だなぁ」と自分の内面に眼が向いているあいだは、待つことの苦渋を忘れているのでした。外界のことにとらわれないで、すぐに自分の内面に眼が向けられるような構えになっていると、案外時間のたつのは早いもんです。小生は、割合にすぐに自分の内面に入ることができるので、すぐに苦しいことは忘れてしまうんです。内面に入り過ぎる傾向が強いので、これも困ったもんですけどね。

 そうそう何十年ぶりにディズニーの『不思議の国のアリス』をツタヤで借りてきました。アリスにくらべたら、「ピノキオ」や「美女と野獣」や、「リトルマーメード」なんか眼じゃありません。ルイスキャロルの原作ですけど、アリスの時間の世界はつねに「今」しかありません。過去も未来も存在しません。結局、ストーリーの展開上、アリスが見た夢の世界だということになっています。だから、訳がわからないんだといわれます。でも、そんなつまらないことじゃないのです。夢を夢だと決めつけている理性をアリスは批判しているわけです。何が善だやら何が悪だやら、何が醜悪であり何が美徳なのか、何が速くして何が遅いのか、そういう理性の観念を完全に粉砕してミキサーにかけて絞り出したのがアリスの世界です。実に実存的なワンダーランドです。見終わったときには久しぶりに充実感を得ました。小生にはあの、アリスの世界のほうが、この世界より、より真実に近いのではないかとさえ思えてくるのです。

 死を私たちは知りません。死を知らないということは、その反対側にある生も知らないのではないでしょうか。生と死が紙の裏表であるならば、その反対だけを知っているということはあり得ないでしょう。父から、逆に「お前は生を知っているのか!」と問いかけられているように思います。「そうだったね。死は知らないけど、生は知っていると思っていたよ。でも、それはウソだったんだね。生もまだ知らなかったんだね。知らなくてよかったよ。生を分かってしまったら、これはつまらないもんね。」こういう父との螺旋状の対話を続けてゆきたいと思っています。

 

2003年6月6日

●昨夜は、「菅原伸郎さんを囲む会」に行ってきました。朝日新聞を定年退職された菅原さんへの感謝と、今後の発展をお祝いする集いでした。菅原さんの人脈は多種多彩で、50数名の人々が集まりました。作家や俳優、マスコミ関係者や、そうそうたる各宗派の先生たちが多数お集まりでした。小生がPTA会長だったときと同時期に校長先生をされておられた西來武治先生にお久しぶりにお目にかかることができて、大変嬉しかったです。大正13年生まれは、父と同い年でした。でも先生は、かくしゃくとして、御自分のライターやカウンセラーのお仕事をこなされていました。まったく79歳には見えません。

 会は、菅原さんのお話をお聞きし、奈良康明先生のご挨拶でパーティーが始まりました。奈良先生も、だいぶお年を取られた感じでした。菅原さんは最後に「これは私の生前葬です」と締めくくられました。それから脇本平也先生のスピーチが面白かったです。「宗教はどの宗教でも、『死して生きる』ということがある。菅原さんは、一応朝日新聞をやめられるけれども、それは死して生きるということではないか」、このようなお話をされました。「葬式で終わるわけではない。そこから初七日が始まり一周忌が始まってゆく。死は終わりであって、始まりである。一年という単位もそうです。一年が終わって、また新しい時が始まる。一日という単位もそうです。今日が終わって、また新しい一日が始まる」と。それを聞いていて、その単位をもっと短くとってみれば、ひと息ひと息が、「入る息、出ずる息を待たず」という死と再生の時であることがわかります。

 それから菅原さんは、阪神大震災の頃を振り返って、新興宗教教団は様々な具体的な救援行為をしていたけど、既成教団はまったく動かなかったという批判をされていました。まぁ、自派のお寺が崩れたから募金をするという程度のことはやっていたけれども、一般大衆に対しては何もしてこなかったと批判されました。それに対しては、仏教はもともと「己事究明」が主題だから、他者のことは二の次になるのだという意見をおっしゃる方もいたそうです。それも間違いではないでしょう。でも、無関心はおかしいでしょうねえ。縁において動く動物が人間ですから、どのような縁が来るかしかありませんけどね。「己事究明」もいいのですけど、その己事をもっともっと究明されて、普遍にまで展開していかなければダメだと思います。己事が、己事にとどまっているならば、それは本当の意味で己事にはならないと思います。山谷の解放運動をしていた梶さんは、お坊さんの援助活動は有り難い、でも、本当は山谷の仲間は生きる意味を感覚できなくなっているのだから、生きるヒントを与えてほしいのだとおっしゃっていました。そういうことでしょうね。この生きるヒントという問題こそ大問題でしょうねえ。課題は分かっていても、これをどう実現していくかが問題です。それを考えると絶望的な感覚に襲われます。でも、「いかに生きるかという課題」と「なぜ生きるかという課題」とは質が異なっています。「いかに」という方は、目に見えますけど、「なぜ」というのは目に見えません。でも、「こういうふうに考えれば、いまより楽になれるよ。楽しいよ」という考え方のシステムが蔓延してゆけばいいわけですよね。自分の考えがどこで行き詰まっているのかが相対化できれば、苦境から身を遠ざけることが可能です。どんな逆境の中にあっても、それをどう頂くかという頂き方によって、ずいぶんと世界が変わってきます。それがものすごく重たい逆境であっても、必ずその逆境には終わりがありますからね。永遠に続く逆境は存在しません。

 

2003年6月7日

●一昨日の会で富山にお住まいの作家・青木新門さんにお目にかかりました。いつかお話を頂戴したいと思っておりましたので、これ幸いとお願いに参上しました。青木さんは予定さえつけばと、こころよくお引き受けいただきました。青木さんは『納棺夫日記』で一躍有名になられた方です。いわゆる納棺夫の眼を通して、そこから見えてきた人間の死、そして生をつづられた作品です。長い間気付かれずに放置された遺体が、光り輝いて見えたというところに感動しました。近づいていくと、その光り輝く体には何万というウジがたかってキラキラと輝いて見えたのだと書かれていました。もうギリギリのリアリズムですね。どうしても、坊さんはひとの死に多く関わってきますと、感性が実存的な傾向を帯びてきます。故人の顔を拝見する機会が多くなると、どうしても、こっちの感性が変化してきてしまいます。葬儀の経験が少なく、死者の顔を見る機会が少ないと、生から死を見つめる視線でしか見えません。でもだんだん葬儀の回数が増えてくると、死から生を見つめる視線が生まれてきてしまうのでした。そして、死者の顔はみんな安らかで、なかなかいいもんだなぁと思うようになりました。動いている顔と、静止している顔の違いは歴然としていて、何事かを生者に問いかけてきます。いままでは生の中から死を排除しようとしていました。「あってはならないこと」として排除する傾向にありました。ところが、いまでは、「死の中にかろうじて生がある」と変化してきました。これは観念の変化というよりも感性の変化をもたらします。死者の顔を拝見することが、「これでいいんだよなぁ」という腑に落ちる体験となりました。生者は、死者に対して何もできないし、何もする必要はないんだよなぁと思えるようになりました。ただ坊さんは死者の側にいればいい、遺族の側に「いる」だけの存在でいいんだと思っています。

 小生が『納棺夫日記』に感動して、門徒の人に勧めても、あんまり売れないので不思議に思っていたのです。ところが、その謎が少し分かりました。門徒のひとの感性が「昼の状態」なんです。だから、あんまり、グロテスクなものは見たくない聞きたくない触りたくないという感性なんです。真昼の東京は、ゴミも整然と処理され、人間ばかりじゃなく、他の生き物の死体がころがっていることもありません。老・病・死は、病院や介護施設や火葬場に封じ込められ、真昼の都会には存在していないかのように振る舞っています。グロテスクなものは「ありうべからざるもの」と感じられているのでしょう。そういう感性には『納棺夫日記』は、あまりにも重たすぎるんでしょうね。我々、坊さんは、感性が「夜の状態」ですから。ここに、人間の生々しい事実が輝いているじゃないかと感動してしまいました。

 小生は、ひねくれていて、いかがわしいところに、あるいは人間が眼を背けたくなるような部分にこそ、人間の真実が隠されていると思っています。事実は極めて「逆説的」な場合が多いものです。ミステリーを見ていても、一見犯人らしくない人物が犯人なんです。いかがわしそうなところにこそ、真実が隠されているんです。小生の腸内には何兆個のバクテリアが住んでいるといわれています。自覚したことはありませんけど。これこそいかがわしい、グロテスクそのものじゃないでしょうか。そのグロテスクに支えられているということも、事実なんですよ。

 

2003年6月8日

●今朝、何の気なしにテレビを見ていると、ヒロ・ヤマガタの「ようこそ先輩」という番組をやっていました。アメリカ在住のヒロが、生まれ故郷の米原にある母校の小学校に帰って授業をするという番組でした。ヒロは、河原で拾った枯れ木や枝、それから電気屋さんで廃棄処分になるようなガラクタを教室に持ち込みました。机は取り除かれて広々している教室一杯に、それらのガラクタをばらまいて、「宇宙空間」を作りました。どう見ても、ただ教室にゴミをばらまいたという感じなんですけどね。ペンキで黒板やら生徒の作品に絵の具をまき散らしていました。

 一緒に見ていた我が家の家族は、「誰があれの後片付けをやるんだろうねえ」とぼやいていました。「散らかす方はいいけど、片付けが大変だよ…」と。やがて六年生が学校へ登校してきました。そして教室に入って驚いている姿を別室でヒロ・ヤマガタがモニターカメラで観察して喜んでいるというものでした。やがてヒロが生徒の部屋へいって、事情を話し、課題へと進みました。みんながいままで一番感動したことや驚いたことを形にしてみようという課題です。番組の途中にヒロが高校時代に描いた絵が紹介されました。民家の屋根が重なって遠景に消えてゆく絵でした。素晴らしい!という一言でした。小生は「これは天才だ!」と思いました。もともと絵の才能があるひとなんだ。そんな感性で、子どもたちから何かを引き出そうというのは無理だ!と思いました。それなのに、子どもたちにその感動を形にして、その形になったものの意味を問うているのはナンセンスだと思いました。「どうして、そういう表現をしたのか?」と問うても、それには子どもたちには応えられないでしょう。なぜ、そういう形に凝固していったのかは本人でも説明できないし、説明したら芸術はおしまいじゃないかと思いました。「芸術はひとには教えられないものなんじゃないか!」と直観しました。「そんなこと、あんたは百も承知じゃないか!」と思いました。芸術は感性の産物であって、そんなもの啓蒙や教育では、太刀打ちできないものなんだよ。でも、感性なんて、だれも決められないし、予定もできない代物で、教育もできないけど、突発的に出てきたりするもので、人間の予測を超えているものなんだよ。

 これは、信仰と同じですよ。芸術も信仰も同じ。分かる人には分かるけど、分からない奴には絶対わからない。それでいいんだよ。啓蒙やら教育なんてナンセンスなんだよ。小生は、だから、岡本太郎が好きなんです。「芸術は爆発だ!」というテーゼは、小生のこよなく愛するテーゼです。既成の概念やら、思惑やら、予定やら、それらの人間の理性をことごとく裏切るものが信仰ですよ。だから「この世」の秩序に当てはまらないのが信仰です。真宗大谷派という既成教団の枠から、つねにはみ出して流動していくものこそ、真実なんだと思います。だからいまだかつて、真宗を捉えたものはいないのです。だから生きているんです。あの「ツチノコ」が捕まったら面白くないんです。そのときには「ツチノコ」は死ぬときです。永遠に捕まらないというのが、生きている証拠ですよね。永遠のツチノコは、人間の理性の網には捉えられずに、ケセラセラで生き延びるものなんです。

 

2003年6月10日

●ちょっと気を抜いていると時間がすぐにたってしまい、更新ができなくなりました。まだ葬儀の事後処理ですったもんだやっています。落ち着いて自分の内面を覗き込む時間がもてません。困ったもんです。今週は六組の推進員養成講座の企画会やら、真宗会やら論註の会やら親鸞仏教センターやら六組御旧跡参拝旅行やらが目白押しです。今日の真宗会では、「法事は生きている人間のためにするものだ」ということがよく納得できました。これは常識といえば常識なんですけど、あらためて納得しました。この世を去ってゆかれたひとは、すでに仏さまですから、供養の必要がまったくありません。苦しんでいるものは生きている人間です。苦しんでいる人間にこそ仏さまの大悲がかけられているのです。ですから生きている人間のためにこそ法事が勤められなければならないのです。儀式は、あたかも死んだ人のためにやっているように見えます。法名を前に立てて、読経をしている姿は、死んだ人間を成仏させるためにやっているようですけど、内実はそうではありません。仏さまを前にして、私たち自身の内面を感じ取っているのです。仏さまは何も描かれていない鏡のようなものです。仏さまを前にして、私たちの内面にどのような思いが湧きおこってくるのか。その湧きおこってきたこころを見せていただくのでしょう。それは仏さま無しには見えないこころです。自分の理性で反省しただけではとても見えないこころです。やっぱり仏さまに照らして映し出されてきたこころでしょう。まぁ、威張って言うわけではありませんけど、たいした思いは起こってこないもんです。どんな些細な思いでも、それはその時に生まれた思いなのですから、大切なものです。思いひとつとってみても自分の自由にできるものではありません。因縁によって湧き起こってくるものですから。大切な賜り物でしょう。感情や思いを仏教では「煩悩」といいます。「身を煩わし、こころを悩ます」ものが煩悩です。伝統仏教ではマイナスのイメージがあります。確かに煩わされるのですからマイナスですよね。でも、その煩悩にもはたらいている法があります。ですから、「煩悩は因縁より生ずと解知するを菩提を得と名づく」と『往生要集』では言っています。煩悩を起こすのも自分勝手に起こっているわけではありません。煩悩が起こるには起こるだけの因縁があるのだというのです。ですから、その因縁を了解すれば、それは煩悩のまんまが悟りだということになるのです。いままでマイナスに思っていたものが、実はプラスの産物だったのだとなります。こういうどんでん返しが仏教の妙味ですね。白だと思っていたら黒だったとか、黒だと思っていたら白だったと。いつでも人間の思い込みや憶測に肩すかしを喰わしてくれるのが仏さまです。肩をすかされて喜んでいるのが人間なんですね。

 

2003年6月12日

●ご招待で、東京ドームの「巨人×ヤクルト」戦に行ってきました。22番ゲート前で待ち合わせしました。「闘魂、もゆーる〜♪」という巨人軍のテーマソングを何度も聞くうちに段々、そのモードに入りました。しかし初体験のドームには圧倒されました。回転ドアで中に入るときに風圧を感じました。あのドームは気圧を掛けて膨らませているんですね。ですから、入るときには風船の中に進入するような感覚なんです。入ったときには六時を回っていて、もうすでに試合が始まっていました。四万人くらいが入っていたそうです。お弁当を買って中に入りました。天井には白い屋根がかぶさっていて、なんだか室内競技のような、しかし野球だし、という変な感覚がありました。席に着くと、さっそくビールを注文しました。ナップザックのようにビールタンクを背負った女の子に手を挙げると、すぐに席まで来てくれて、冷たいビールを注いでくれました。あの重さは20キロくらいあるそうです。ニコニコ笑顔のお嬢さん、ご苦労さまです。お弁当を広げて、ビールを飲みながら観戦していました。最初はヤクルトに一点とられましたが、そのあとすぐに巨人は盛り返しました。でも、ハルとかサルとかいう投手がバッターにボールをぶつけてしまい退場。エースのいなくなったジャイアンツは、牙をもぎ取られた虎のようなありさまでした。ボロボロに負けていく巨人軍を見るに忍びなく、とうとう7回のジャイアンツの攻撃を最後に、座席を後にしました。そのときは十点差くらいでした。まったく何のために来たのかわかりゃしねえや!という感じでした。でも、一塁側の席だったので、ジャイアンツファンと気持ちを一つにして応援するという快感は感じましたね。ヒットを打つ度に、みんなと一緒に拍手をする快感は、テレビでは味わえないでしょうね。でも、バッターボックスからかなり離れているので、ボールがミットに納まる音とか、ヒットしたときの音は臨場感に欠けますね。あれはやっぱりテレビの方がいいです。テレビで見ている方がドームの広さを感じてしまうんです。実際には、けっこう狭いという感じです。ホームランも、テレビで見ているほうが感動します。実際に見ているときには、打球を視線が追ってゆき、ようやく「アー、入るかなぁ〜ア〜〜入ったぁ!」という感じで、もうひとつです。でも、応援の臨場感は、これは生のよさだよなぁと思いました。二列前には、頭のおかしなオヤジがヤクルトのハッピを着て、バカ応援をしているんだよ。敵陣にわざわざ乗り込んできて、応援しているんです。立ち上がったり徘徊したり、酔っぱらっているために警備員に注意を受けていました。とうとう前のお客といざこざを起して退場してゆきました。

 これも生の事件性ですね。やっぱり「生(なま)」はいいと思いました。それにしても、一生懸命戦っている選手を横目にビールとお弁当で観戦するのは失礼な話だと思いました。ツーストライク、ワンボールで、なのに「打て!頑張れ!」と応援するのも忍びないですよね。バッターの身にもなってやれよと思います。試合は、もうヤクルトにやりたい放題やられてしまい、まったくここまで負ければ、点数が三桁までいってしまえと思えるほど気持ちよい惨敗でした。108点対6点くらいまでいってしまえと思いました。ビールも二杯飲んで、レモンサワーを一杯飲んで、それなりに気持ちもよかったです。あのドームの中は常に25度に温度設定がされているそうです。熱気でもう少しクーラーを効かせて欲しいと思いましたが、それではビールの売り上げが落ちるんだそうです。ナイター全体が、やはりショーという意味づけなんでしょうね。ショーとして観客を楽しませるという側面と、やっぱり選手が必至になって戦っているスポーツの側面とが混在しているんですね。選手はお客を楽しませるために戦っているわけではないでしょう。一球一球に精一杯食らいついていくということなんでしょう。そこに必至になってプレーをしている姿に、また観客は感動するわけです。選手が選手自身のためにプレーをしている、その姿が他者である観客を楽しませるという、そこには自利利他円満という仏道の課題が横たわっていたのでありました。

 あの外人選手が死球を与えなければ、巨人は勝っていたことでしょう。そして、これは不思議なことですけど、小生が応援するときに限ってジャイアンツは負けるということがあります。テレビで見ていてもそうです。今日は、直々に応援に駆けつけたんだから、大盤振る舞いで負けっぷりを披露してくれたということかもしれません。勝っても負けても、生は素晴らしいと思います。一生に一回限りの、あの一夜の体験は忘れることができません。

 

2003年6月16日

●お香典の事後処理が、こんなにしんどいものかとつくづく嫌気が差します。父の通夜葬儀に、お心を届けて下さった方々、駆けつけて下さった方々には、本当に申し訳ないことですけど、香典返しは本当に消耗する作業です。どのように、御礼の気持ちを表現するかということは、至難の業です。返礼の金額は、この程度でいいのか?品物はこれで果たして喜んでもらえるのか?時期はいつごろがいいのか?などなど、まったく消耗する作業が山積します。結局、ひとから後ろ指を指されたくないといいましょうか、いい顔をしたいといいましょうか、どうしようもないもんです。まったく。なんだか、ある程度作業を終えてみると、充実感ならぬ疲労感が襲ってくるのはなぜなのでしょうか。

参詣に来ていただいた方々には、ほんとうに顔向けできない本心を吐露してしまいました。でも、表現は、人間に対してするものではないようです。確かに人間に向かって、人間の言葉で表現するのですけど、その表現の射程といいましょうか、焦点はもっと奥に設定されているようです。何か、「永遠」とか「如来」とか、そういうところに表現の焦点は定まっているんです。ですから、ひとからどのように評価されようとも、自らの心に起こってきたことは、「事実」として表現しなければならない強迫観念に襲われます。そしてこんなことになっているのでした。「よきことも、悪しきことも、業報にさしまかせて…」と歎異抄では言ってるんですけど、「さしまかせる」ということは、自分のこころに起こってきた些細な揺れも「事実」として凝視するということではないかと思います。自分のこころに起こってきた、ほんの小さな毒も無かったことにはしないということだと思っています。曽我先生は「廻向表現」といわれていて、それは「表現するということは、自分の勝手な思いの表白ではなく、廻向という、「あちらからの促し」なんだよということだと思います。

 そうそう、土曜日には親鸞の足跡を訪ねる一日旅行に行ってきました。教区の六組の事業で、毎年行われています。今回で三回目です。今年は、小島の草庵跡→下妻・光明寺→辺田・西念寺→水海道・報恩寺を回りました。茨城県に40〜60代まで親鸞は住んでいました。その弟子たちが、開いたお寺さんを回りました。もともとは真言宗の地盤のようで、浄土真宗はなかなか根付かなかったようです。また親鸞聖人が、現世利益和讃を作らなければならなかった事情も、そのへんにあったのかもしれません。よく関東と北陸が比べられます。500年前の蓮如はいまでも、真宗が風土と化して日常に残っています。しかし親鸞がおられた関東では、まったくその影はありません。かろうじてお寺が点在しているという状態です。それは、高田門徒が、三重県に移住してしまったからだとか、関東という雪も降らないネアカな場所では、信仰は育たない、やっぱり雪深く半年はどんよりとしている場所に光を求める信仰は根付くのだとか。もともと門徒といっても、在地領主などのリーダーだけが自覚的な門徒だったので、その他の民衆は、リーダーが変われば一緒に変わってしまったのだとか。様々な理由が考えられています。小生も、これは不思議だといつも思っているのですけど、やっぱり、必要のなくなった場所からは、仏法は自ら姿を隠すのかもしれません。インドでも、やはりヒンズー教に吸収されてしまったように、無理なく溶解していくのかもしれません。そしてまた必要とされる場所が見つかれば、そこに芽を出して花を咲かせる。そしてまた必要がなくなれば、静かに消えてゆくのでしょう。シルクロードを通って、砂漠のオアシスのようにインド、西域、中国、朝鮮、日本と次々と咲いては消えてゆきました。そこに、無理がありません。「おれはいつまでも君臨してやるぞ!」という強引な感情は残っていません。倒されれば倒されるまま、そのまま地に倒れ、またいつか復活するときには目覚めるものなのでしょう。場所は、どこに復活するかは分かりません。人間は決めることができません。法然聖人の教えも、一念義系統と多念義系統に大別されますけど、やはり急進的な一念義はやがて消滅していったようです。あるいは真宗に吸収されたという見方もあるようです。どちらかといえば真宗は、一念義系統ですからね。やはりある程度「世俗化」(セキュラリゼーション)していないと、この世には残れないのでしょう。もし、親鸞のように、お寺も持たず教団も持たなければ、真宗はもっと早く消滅していたことでしょう。教団化し寺院化するということは、世俗化ですからね。そのままにしておけば、親鸞からどんどん遠ざかってゆきましょう。でも、辛うじて、土俵際で俵を割っていないのは、親鸞のコトダマがあるからです。これが教団の防腐剤になっているんです。どう見ても、親鸞のコトダマは、アウトロー的といいましょうか、前向きの異端的といいましょうか、少数者の論理ですよね。親鸞の名前を使って、人間が大々的に何事かをやろうとすると、親鸞のコトダマが自然発火装置のように、それを破壊しようとして動き出してくるのです。

 どんなに素晴らしいこと、良いことでも、それを強調すれば、毒をもってきます。ですから、真宗の教化・宣教・布教ということは、もともと矛盾しているんです。マスプロ教育のように、たくさんの人に伝えて、真宗門徒を大量に作っていくことは、ナンセンスなんだ、そんなことはあり得る訳がないと知りつつ、しかし、やはり推進員養成講座やら○○教室だと教化事業をやってゆかなければならないという矛盾です。まぁ自分が徹底的に、真宗の信心を深く深くいただいていく以外に他人を教化することはないということは根本原理なんです。ですから、極めて実存の内面的な事柄にしか真宗は反映してゆかないわけです。日常には現れてこないものが真宗かもしれません。自分の行動を、ひとから問われて、「真宗門徒がなぜ、そういう行動をするのですか?」と問われて、「それは真宗では…」とか「親鸞は…」とか答えてしまったら、それは嘘になってしまいます。日常には決して還元できないものなのでしょう。言い訳ができないというのが真宗なのかもしれません。自分でも気がつくことのないほどの奥深い内面的な出来事なのかもしれません。「内面的」というと、分かったことにしていますけど、本当にはわかっていないんですよね、内面の奥深さを。

 まだまだ、真宗になり得ていない自分、真宗になり得ていない因速寺が、ここに厳然と存在しているのでありました。「因位」として。

 

2003年6月17日

●竹田青嗣さんは「差別を考える」というお話の中でこんなことを言われています。「ルールを変えていくことは一方では必要なんですが、しかし仮に非常に民主的なルールを持った社会が存在するとしても、差別の問題というのはそれではなくならないのですね。」この一部分だけでは分からないでしょう。しかし、永遠の課題について論じられているわけです。そして、乱暴な話だと前置きされて「 一人一人の人間が自分なりのアイデンティティをキチッとした形でもつならば、人間というものはそれほど他人を見て、なんらかの差異をつかまえて差別をしてやろうという、その理由がなくなるわけです。ものすごく乱暴な言い方ですが、一人一人の人間が自分のちゃんとしたアイデンティティを持てるという、そういう条件のもとでだんだん差別はなくなっていく。これが一番基本の条件ですね。」これは永遠の課題です。ルールを組み換えることは大切だけど、それだけでは漏れてしまう問題があります。それは人間が自我をもっているからですし、もともと差別にエロスを感じてしまう生き物だからなんです。でも一人一人がちゃんとしたアイデンティティを持てるということは、この世の相対的な価値観では弱いんですよね。姓・地位・生きがい・家族・出自・財産・若さ・名声・健康・体力・視力というアイテムではアイデンティティは保てないわけです。この世の価値観で立てるアイデンティティではなく、まったく逆の「この世」の価値観を相対化してくれるものでなければ安心できません。もっともっと乱暴にいえば、自分の価値観を徹底的に相対化され続けていくということしか、差別は超えられないといってもいいのでしょう。そして、そういう人間の価値観を永遠に相対化してくれるものを仮に「如来」と名付けてみれば、「如来という第三者の観点」を誰しもが持つということが、差別を超える道筋だということが分かります。

 しかし、そうやって言挙げすること自体が、ひとつの正義という価値観を生んでしまいます。「これが正しいのだ」と人間が発語するとき、そこにある種の正義が生まれてしまいます。それで親鸞は「義なきを義とす」というのでしょう。言挙げしないことしか正義はないと。「義なきを義とす」が正しいのだといえば、それこそ語るに落ちることになります。最後は言葉をすべて失ってゆきます。何をいっても永遠の虚空に飲み込まれてしまいます。そして、完全に飲み込まれてしまって、その虚空の中から、その奥の奥から新たな言葉が発せられてくるのでしょう。その言葉は、指示表出の言葉ではなく自己表出の言葉となるのでしょう。語ることが、誰かに何かを促そうとする指示言語でなはく、ただ詩的に語られるためのみに語られる言葉が生まれてくるのでしょう。まったく強制力を持たない言葉、言葉自体が言葉を楽しみ、喜んでいる言葉、そういう言葉が生まれてくる。どうしても宗教は、他者に何事かを促したり、急かしたり、強要したりする指示表出の言葉を多様します。でも、それはイソップの「北風」でしょう。それは一度は強風で、旅人のマントを剥がしたかのように見えます。しかし、旅人はまた寒くてマントを拾いにゆきましょう。「太陽」的な言葉、それそこが、宗教の究極の言葉ではないでしょうか。それは文学とも轍を同じくしていると思います。芸術とも通底します。美的であり、詩的であり、実存的である、そんな言葉が待たれているのです。

 もっともっと、言葉を澄ましてゆきたいと思います。そして言葉の泉の深淵におりてゆきたいと思っています。深いということしか広いということは成り立たないのでありました。

 

2003年6月18日

●梅雨のさなかに、ひとりだけ元気なのはアジサイの花だけではないでしょうか。最近のアジサイは青系統が多いようです。これは酸性雨が原因なのだと聞いたことがあります。青いくて美しいとばかりは言っていられないようです。

 昨日は、新宿の専福寺さんの歎異抄の会の最終回でした。歎異抄の言葉が、どのような場面で発せられた言葉なのかを考えると、やはり「二人称」の関係で発せられた言葉ではないかと感じています。唯円を前にして、あるいは門弟二三人を前にして語られた言葉であって、大勢の大衆を相手にして語られた言葉ではないように思います。二人称の言葉は二人の間にだけ通じる言葉です。第三者からはなかなか分かりづらいです。あの有名な13条の「千人殺しのたとえ」がありますね。弟子に向かって、千人ひとを殺してくれば往生は確定するよと親鸞はいいます。この言葉を文字だけ切り取って解釈すれば、オウムの麻原が弟子にサリンを撒けといったことと同じように解釈されてしまいます。親鸞と唯円が共有していた雰囲気や信頼関係はどのようなものだったのでしょうか。歎異抄の文字には表現されていない部分に思いを馳せたいと思います。いまは亡き長川一雄先生は、「バカとバカーンは違う」とおっしゃっていたそうです。バカは人を軽蔑したり叱責したりするときに発する言葉です。しかし「バカーン」は恋人(彼女)が相手(彼氏)に甘えるときに発する愛情表現の言葉です。文字とすれば同じような言葉でも、その言葉が発せられる文脈が異なると違った意味になるのです。ですから、どのような雰囲気で、つまりどのような文脈で、その言葉が発せられたのかが読めないと、文字を正しく理解したことにはなりません。おそらく親鸞は、弟子の唯円にはひとを殺せないだろうということを見抜いて発せられた言葉だと思います。そこに師弟の並々ならぬ信頼関係が感じられます。

果たして親鸞というひとは、大衆を前にして説法をしたひとだろうかと疑わしくもなりました。辻説法をするタイプではないでしょう。関東であちこちに出かけて行った親鸞は辻説法をするためではなかったと思います。悩んでいるひとの請いに応じてその地に赴いたということではないかと思います。それも「二人称」の関係でしょうね。自分から説法をするというよりも、質問者の問いに答えるというかたちで表現をしたひとではないでしょうか。現在のお寺でのお話は、大勢の大衆前にして説法が行われるのですけれども、果たしてこれは親鸞の表現形態とは違っているのではないかとさえ思えるのです。「親鸞は弟子一人ももたず」とか「親鸞は父母の孝養のためとていっぺんにても念仏もうしたることいまだそうらわず」等という言葉はどうしても「二人称の関係」での言葉の重さをもっています。大衆に向かって表現した言葉ではないように感じます。問いをもっていた人の前に、そのひとだけに通じる言葉で表現されたのではないかと思います。つまりたとえれば、薬屋さんで買ってきた、だれにでも効くという一般的な風邪薬ではなくて、そのひとの症状に応じた、そのひとのためだけに処方してくれた薬を投与するという意味です。他の人には効果がないばかりではなく、毒にもなるほどに処方された言葉が歎異抄の言葉ではないでしょうか。患者の病状がその薬と適合したとき、薬が薬としての効力を発揮するのです。自分の症状が、どんな症状なのか、病気の自覚症状がなければ薬を求めることもなくなります。患者としての唯円は、どんな症状だったのか、その症状をよくよく自分に引き当てて考えたいと思います。症状が分かれば、薬が薬としての効力を発揮するのですから。親鸞の言葉は唯円の問いに対する応答です。答えです。その答えを引き出してきた問いはどのような問いだったのでしょうか。それを知りたいと思います。

 

2003年6月20日

●昨日の夕方から、鼻の調子が悪くなりました。鼻水は出るし、そうかと思うと詰まりやすくなって、わさびを少量食べただけでも、くしゃみがでるというアレルギー状態が続いています。点鼻薬は一年中手放せない状態です。今朝も、コンタックを飲んで、けだるさに耐えています。またこの薬は眠けをもよおしてくるんです。いろいろな薬を試してみたんですけど、コンタックが一番効くようです。ともかく鼻水が止まれば、なんとかなりますからね。止まると、鼻が詰まるという症状になるのですが、読経をするときには、どちらかというと鼻水が止まったほうがいいです。止まらないとお経ができません。ほっておくとダラダラと透明な液体が出てきてしまいますから、収拾がつきません。それでも、タオルを片手にお経をあげて、鼻水を吹き吹き法事をしたこともあります。鼻水がでのるは仕方ないとしても、時々、鼻の奥がむずむずしてきてくしゃみができるが困ります。くしゃみが出ると、もうお経の雰囲気はぶち壊しです。いわゆるアレルギー鼻炎という症状は、もう28年前から発症していました。当時は初夏になるとアレルギー症状が出ていたのですけど、それが慢性化してきて、いまやハウスダストや気温の変化でも同じような症状になるのです。なんとか、この苦しみを逃れる方法がないでしょうか。

 さんざん様々ないのちを殺して食ってきたのですか、仕方ないといえば仕方ないことなのですけども。それにしてもイライラ、ダラダラとしてしまいます。気温も高く湿度もあって、ジメジメしてますし、一日中、なんだかボーとした日を過ごしてしまいました。今日は、ブッディーサロンです。

 

2003年6月22日

●昨日は、臘扇忌・鸞音忌が開催されました。臘扇忌とは清沢満之先生の法事・鸞音忌日は、その弟子であります曽我量深先生の法事です。毎年、東京の有志で開催してきました。真夏日の本郷・求道会館で大勢の人々と、講話中心の法事を味わいました。講師は福島和人先生です。曽我先生は「宗門を食い物にしない。教学を売り物にしない。ひとから後ろ指を刺されない」という三つの持戒をなさっていたそうです。この持戒を自分に引き当ててみると、全部破られているなぁと感じました。寺に生活することは仏法を食い物にしているということです。それは宗門を食い物にしているということです。またおこがましくもお話に行って何がしかの法礼をいただくということは、教学を売り物にしているということです。また、ひとから後ろ指を指されないというのも、小生はあえてひとから指を差されようとしているのではないかとさえ思えてくるのでした。ただ単に、その体たらくを嘆いているだけではなく、その課題をもっと深めてゆくには、どうしたらいいのかと思います。それには、人間のたましいの深みにもっともっと降りて行かなければならないと思います。海にもぐっていくと、徐々に太陽の光がなくなってゆき、最後には暗黒に包まれるそうです。人間のたましいも海と似ていて、潜っていくと光がなくなるようです。しかし、その暗黒の中にキラッとひかるものがあるような気がします。まだまだ小生の言葉は澄みきっていないというか、透明感がないなぁと感じています。透明な言葉の輝きを、そのキラッとした輝きを見いだしてゆきたいと思っています。

 決して安住してはいけないのです。「これでいい」なんていうことはあってはならないのです。「これでいい」と言うときは、お棺のふたが閉まるときでしょう。息をしている限り、心臓が動いている限り、歩み続けなければなりません。それが生きるということでしょう。自転車と同じです。こぎつづけていなければ倒れてしまいます。たましいの深海へ向かってこぎつづけていかなければと思います。親鸞の思想の方法は「聞思」だといわれます。教えを受容するということと、受容したものを練り上げるという作業だといいます。「聞は直感、思は思索」と小生は受け止めています。やっぱり直感が大事ですよね。宗教的感性とでもいうのでしょうか、そういう直感力は誰にでもあります。むしろ大人よりも精神の若い状態のひとに見受けられます。その直感したものを、教えの言葉に照らして、吟味していくという作業が思索でしょう。受動と能動が、そこでは起こるのです。

 人間はどこに向かって生きていくのだろうか?という単純な問いは、大人は忘れてしまった問いでしょう。思春期の頃にはだれしも感じる直感的な問いです。小生は、人間は死に向かって生きているといいます。様々な経験をすることが「生きる」ということですが、最終的に人間はどうなるかというと、「死」へ向かって一歩一歩生きているわけです。そんなことはないだろうとタカをくくっていたのですけど、いのちの現実はそうだったのです。人間には夢をみることができないなぁと思いました。若いころは早く大人になって、一人前になって自立してと考えていますから、その先までは考えません。しかし、やがて人生の折り返し地点のような段階になると、人生を振り返り、行く末に思いを馳せるようになります。そこまでくると、「人間はなんのために生きているのだろうか?」という問いがより切実になってきます。若いときに直感した問いが、やがてそのひとを思索させるようになるわけです。そして「なんのために?」という問いがそのひとを深めてゆくのです。いままで当たり前だと思っていた「若さ」、むしろ「若さ」に象徴される健康やお金やヤリガイや社会性が、当然だとは思えなくなってきます。そして「一日を大切に生きる」とか「かけがえのない一日」という言い方をするようになります。いのちを振り返るときには、悲哀が混じった言い方になりますけど、普段はそんなことは忘れて生活しているのです。しかし、いままで大雑把に生きることをこなしていたのですけれども、少し微細に注意して「生きる」ということが行われます。ミクロの眼で生きはじめます。人生の終わりが近づくということは、「若さから老い」を見るのではなく、「老いからいま」を見るようになります。つまり生から死を見るのではなく、死の方から生を観察するようになります。終わりから、今を見つめるようになると、「今」の意味が変化してきます。やがて輝かしい未来が開けると思っていた「今」とは質の異なった「今」を見いだせるようになります。明日への準備としての「今」から、「今しかない今」へ「今」が熟してゆきます。準備や手段としての「今」ではなく、「今」そのものとしての「今」へ。このように時間が質的に変化することが起こります。そんな「今」との出会いを、たましいは望んでいるのです。比喩的に浄土教は、その「今」はお浄土から流れてきた「今」だよといっているのです。

 

2003年6月23日

●昨日もご法事があって、お経を読みました。「何のために、誰のためにお坊さんはお経を読むんですか?」と女の子に聞かれたことがあります。お経を読むたびに、この問いが私の脳裏をかすめます。この問いは、因習として、檀家制度の上では、不問に付されてきた問いでした。「亡き人の法事をするのは当然だ」という共通認識を誰も疑うことはありませんでした。「後、何回、法事を済ませたらいいんですか?」という電話をもらったことがあります。その問いを受けて、「法事をすることが義務感になってきたんですね。それは、すでに法事をすることがわからない時代になってきたということですね」と、参詣者に語ることがあります。すると参詣者はニヤニヤと笑います。

「いまどきの若いもんは、そんなことも分からないんだ…」という年長者の優越感を示すニヤニヤかもしれません。それは、亡き人の供養のためにするに決まってるだろうという固定観念があるからです。その固定観念を突き詰めて、亡き人の何の為に?と問うてゆくと曖昧になってきます。「亡き人の菩提のために」と答えると、それでは「菩提とはなにか?」と問いが深化します。だって、亡き人は、苦しみの娑婆を超えて、お浄土にいって仏さまになっているんでしょう。もう苦しみから完全に救われているんでしょう。これ以上、生きているものがなにをする必要があるんですかと、更に突っ込まれると、もう返事のしようがありません。そこから、改めて「何のために法事をするんですか?誰のためにお経を読むんですか?」と問われると、これは大変な問いだということが分かります。

 亡き人のためじゃないということになると、それでは「生きているもののために読むんですか?」と問われます。まぁそういう面は大きいですね。言葉が響きとなって、何がしかの意味を生み出すのは、「この世」でしかありませんからね。お浄土には、「淨土」という人間の言葉すら存在しないのですから。法事は、完全に、生きている人間の癒しの空間ではあります。癒しの場を通して、そこに生者の苦悩を解きほぐし、自身の内奥に潜んでいる実存的不安に目を向ける場です。そういうことが成り立つための演出が読経であるという面があります。しかし、お経を読んでいる小生の気持ちが、いつもいつも生者のためだ、生者のためだと思って読んでいるわけでもありません。つまり「なにかのため」という目的意識がそこには存在していないと言ったほうがいいのでしょう。亡き人のためとか、生きているもののためとか、そういう「〜のため」という意識はありません。ひとから、問われれば、一応「●●のため」とは答えても、それは大雑把に言っているだけで、もっと微細に表現すれば、そうとも言えません。大枠から押さえれば、この寺という存在の背景が、寺檀制度に裏打ちされているとか、日本古来の先祖観から来ているとかありましょう。その枠をもっと縮めてゆけば、「たった一人の目の前のひとのため」という意義付けもできましょう。そして、「私自身のため」と縮めてゆけます。でも、どうその問いに答えても、漏れてしまうものを感じます。それは「なにかのためではない」という感覚が強いからです。ただ、その場で、私がある漢文を呼吸とともに声帯を響かせて、音声としているという、その事実だけがあるように思います。「●●のため」ということを忘れている間は、実に気持ちがいいのですが、「●●のため」という意識が起こってくると、その行為が汚れてしまいます。読経後の法話でみんながうなずいてくれたとか、読経で何かを感じてくれたとか、法事をしてよかったなぁと思うときに、何かが漏れていくのを感じるんです。それは、仏法が自然と動いて、聴衆に何かを感じさせたのであって、自分が感じさせたわけではありません。仏法が展開する道具ではあっても、自らが演出しているわけではありません。ですから、いい意味で「いい法事だった」と感じるときに、何かを失っていくような感覚をもっているのです。どこかで、いい気持ちになっている自分があるんです。それが何かを汚しているのだと思います。

あの初めの少女の問いは、小生に「なんのために生きてるんですか?だれのために生きてるんですか?」という問いにまで深化して突き刺さってきます。そして、意識はミクロの現象にまで達してゆき、なぜひと息ひと息があるのか、心臓の鼓動がドクンドクンとあるのかというところまでやってきます。「なんのために?」この問いは、内奥からやってくる強迫観念的な問いにもなります。しかし、「意味なしに存在してはいけないのですか」という非常口がありました。「何かのため」ということとは、まったく次元をことにしている世界でありました。あの道端の雑草はなんのために生えているのか、雨はなんのために降るのか、地球はなんのために回るのか。気がついてみると、「なんかのため」ということ以外の世界のほうが広大無辺でした。気がつけば、人間として生まれていたのであって、何かの意味があって生まれてきたわけじゃないですよね。偶然でしょう。たまたまという広大な世界があります。この「たまたま」という世界が救いですね。「偶然はよくない」といいますけど、人間には偶然のほうが根底的なんですよね。アミダクジで、宴会の席順を決めれば誰もが納得します。人間の配慮で決めれば、文句がでます。この偶然性の説得力は馬鹿にできません。なんで説得力があるのでしょうか。それはもともと人間が偶然性の生き物だからではないでしょうか。

 

2003年6月24日

●今朝方、初めて父の夢を見ました。亡くなってから一月目にして出てきました。団地の一室に父と母とは住んでいるのです。なんで寺に戻ってこないのかと父に尋ねました。すると「まだ、戻れるはずもないじゃないか」と父は返事しました。小生も、父のいない空間に馴染んできて、「この生活もなかなかいいもんだなぁ」と感じはじめていましたので、自分たちが寺にいない方が楽だろうと父は察して、そんな言い方をしたようでした。それが小生には分かってしまうという、妙な具合でした。父がいないほうが楽だという意識の存在が分かってしまい、罪の意識を感じるという夢でした。今日も、父の寝室でベッドを整理していたら、食べかけのチョコレートとオカキ(磯部巻き)が袋に入ったまま出てきました。こういう、日常のさりげない食べ物が出てくると、そのものが父の存在を物語ってしまうのでした。チョコレートを袋から出して、小生に食べないかと差し出す父の面影が立ち現れてきてしまうのでした。生前の、そんな申し出を小生はこともなげに断っていました。まるで、小さい子供にお菓子を勧めるような父の無邪気に付き合ってやればよかったじゃないか。そんなことにも罪の意識を感じるのでした。亡くなる十日ほど前、お昼にざるソバを食べたとき、天気もよかったので、父はベランダでソバを食べようと言い出しました。そして小生を誘うのでした。母と弟は、その提案に従わず茶の間で、テレビを見ながら食べていました。小生は、父と一緒にお天道様の下で父と一緒にソバを食べました。風も心地よく、太陽がまぶしかったことを覚えています。まるでピクニックでした。父はガンが脳へ転移していたようで、この世の秩序とは異なった言葉をしゃべっていました。この世を超えた世界に住んでいて、そこからこの世を生きているといった感覚でした。この世の秩序に縛られていた父が、やっと開放されて、自由にたましいを遊ばせているなぁと感動しました。「このクーラーの室外機は、こんなところに置いちゃだめなんだ。二階のベランダにもっていったほうがいいんだ」とか。植木にぶら下がっている風鈴を指さして「あれは東北に旅行にいったときに買ってきた風鈴…」と父。「南部鉄かなぁ?」と小生。「そうそう、野村さんの田舎に行ったときに買ったんだ…」と父。その風鈴の短冊がちぎれてなくなっていたので、鳴るように紙をつけてみました。しかし、重すぎてもならないし、軽すぎてもならないということが分かりました。ちょうどよい短冊をぶら下げて、チリンチリンと鳴るのがわかると父は苦笑いしていました。なんでそんな作業に一生懸命になるんだと、あざ笑っていたようでした。でも、笑われてでも、そんな作業に従事していることがうれしかったのです。

 生まれるということも、自分に無関係に、向こうからやってくるものであれば、死ぬということもこっちにはお構いなしに向こうからやってくるものだったのです。眠るということも、起きるということも、向こうからやってくるものだったのです。向こうからやってきているのに、ずいぶんと、こっちから迎えにゆけるものだと思っていたようです。さて、向こうから今夜の夢はなにをもたらしてくれるのでしょうか?

 

2003年6月25日

●昨夜のお通夜で、読経中に、「南無阿弥陀仏」の文字の南無と阿弥陀の間から、ゴミを引っさげたおじさんが、ゴミを引っ張っていく姿が見えました。一瞬見えました。面白いことがあるもんだと、思って現実にかえってきました。読経中には、たましいが「この世とあの世」を行き来するらしく、時たまおかしなことが起こります。ひとつには読経中にものすごく眠たくなるという現象です。大声をだして読経しているけれども、眠気が襲ってくるんです。脳にいくべき酸素が足りなくなるから、起こる現象だともいわれています。そして南無阿弥陀仏の南の「ナーアー」の「ア」なのか、阿弥陀の「ダーアー」の「ア」なのかがさっぱりわからなくなってしまうのです。どこまで経文を読んだのかわからなくなるのです。声は大きいのに、一瞬「この世」をトリップしてしまい、たましいが「あの世」の時間に迷い込んでしまうんですね。それから一瞬後に、「この世」に戻ってきたときには、どのくらいの時間がたっているのか、わからなくなるのです。これは「浦島太郎現象」といって、「この世」の時間と、「あの世」の時間の進み方がまったく異なっていることを示しています。初心のころには、そういう現象がありませんでしたが、熟練してくると、アッという間にトリップしていくのです。すぐに、そこへ入れるようになります。これは読経のときばかりではなく、聞法というお話を聞く会のときにも体験しました。夜の会だろうが朝の会だろうが、数分間で「あの世」の時間に入ってしまい、そのまま現象の世界にとどまれずに「あの世」に入ってしまいます。外側からみると、あたかも眠っているように見えるんです。気持ちが弛んでいるからだとか、だらしないという「この世」の倫理では説明できない現象なのです。おそらく、催眠療法という類の次元と同じことが起こっているんだと思います。昔から「仏法は毛穴から聞け」と真宗では伝承されてきました。つまり、教えを聞くときには、覚醒時か睡眠時かは無関係だというのです。覚醒時だけであれば、耳から聞くというのでしょうけど、たとえ眠っていても、仏法は毛穴から入っていくもんだというのです。ですから、人間の覚醒した意識だけでなく、睡眠時の意識に働きかける作用をもっているわけです。

 唯識という、仏教の存在論では、「睡眠」を「スイミン」ではなく「スイメン」と発音するそうです。そして、これを煩悩ではないと定義しているそうです。この世の倫理でいけば、先生のお話を聞く場所で居眠りするのはよくないことだとなります。これは学校での経験が、そのように思わせるのでしょうね。小学校や中学校で、授業中に眠ると先生に叱られましたよね。別段、故意に眠っているわけではないのに、自然の作用で眠ってしまうと、それが悪いと叱られました。若いころは、またよく眠ることができるんですよね。小生も、二日間くらい眠りつづけたことがあります。眠るということも集中力が必要なんです。ですから、年寄りが早起きになるのは、眠っていられないからなんです。それは集中力のエネルギーが低下しているために起こってきた現象なので、決して倫理道徳的に早起きは素晴らしいという規制とは異なっているんです。「若いもんは、いつまでも、眠っておって…」と老人はいいますけど、それは自分の集中力の低下現象なんですね。

 まあ眠っていても、人間の深層心理は動いているんです。夢はその証拠ですし、神経というところまでいけば、呼吸やら心臓を動かしている神経は、24時間年中無休で起きてるんですね。覚醒時と睡眠時の両方を仏教は問題にしているんだと思います。あのユングが図形で示す「自己」を思い出しました。ピンポン玉のような自己の上に光の当たっている部分があって、そこが「自我」(エゴ)と示されています。しかし他の部分は薄暗く影になっていて、グラデーションで黒くなっていきました。そのピンポン玉全体が「自己」(セルフ)と書かれています。こういう存在全体への敬意はどの民族でももっているものなのでしょう。とかく現代は「自我(エゴ)」の部分だけで、なんでも判断してしまいますが、もっと全体的にトータルに物事を見ていかなければならないのでしょう。トータルな部分があるのかといえば、それはわかりません。ただ、自我(エゴ)だけではとらえられない部分があるんだという、エゴの限界を知っているということが大切なんでしょう。ユングは、無意識というのは、あくまでも仮説であると言ってるんです。そんなものが「あるかとかないとか」と言っているわけではありません。ただ人間の存在をトータルに考えていくときには、無意識という概念を用いたほうが、より人間理解に近づけるという程度のことなんです。

 部分のことは分かりやすいのですけれども、全体はどうなっているのかと、いつもそこへ戻ってゆきたいと思います。

 

2003年6月26日

●「毎日ホームページを更新しています」ということを公言していますと、ひとからほめられます。「毎日はすごいねびっくり」と。それで、そのときはいい気持ちになるのですけれども、毎日続けることが苦痛にもなってきました。あるひとに「もうつぶやきも出てこないんですよ…」と言ったら「だったら、『住職のうめき』にすれば…」と提案してくれました。そうか「住職のうめき」というのもなかなかいいなぁと思いはじめています。

 少しうめいてみたいと思います。昨夜は、根底で「愛」ということが問題になっていたように感じました。歎異抄の言葉が出されてきた場面は、いつでも限界状況のような気がします。本当に人間を愛するってどういうことなんだ?ということを、突き詰めているのが歎異抄4・5条でしょう。親子の愛、恋人の愛、夫婦の愛、師弟の愛等々。愛の衝動は、その相手と一体になりたいというものでしょう。愛する者が、愛される者に一方的に投げかける愛だけでは、人間は満足しません。「片思い」という愛もありますけど、絶対的な「片思い」は如来にしかできないことでしょう。どうしても人間は見返りを要求しますよね。「こんなに愛しているのに、相手はまったく分かってくれない」ということになれば、その愛は必ず憎しみに変化してゆきます。「可愛さ余って憎さが百倍」はよく聞く言葉です。ですから、自分が相手を愛しているのと同じだけ、相手も自分を愛してほしいというのが人間の愛の形でしょう。仏教には「夫は夫自身を愛するがゆえに妻を愛し、妻は妻自身を愛するがゆえに夫を愛す」という言葉があります。どうして夫が妻(恋人)を愛するのかといえば、夫にやさしくしてくれるからです。妻も自分自身にやさしくしてくれるから、夫を愛するわけです。ものすごく皮肉な見方ですね。「そんなことを言ったらおしまいだよ」という声も聞こえてきます。しかし本質的に自分がかわいいから、自分をやさしく愛してくれる相手を愛するのだというのです。相手を愛しても、自分にやさしくしてくれない相手だったら、そんなものを愛するはずがないというのです。結局、人間の愛は、自我愛以外には成り立たないじゃないかというのが仏教の見方です。

 相手が、生きている人間に対してだったら、まだなんとかしてみようということにもなるけれども、相手が死んでしまったならばどうするんだというのが5条のテーマでしょう。まぁ「死人に口なし」で、相手は反応してくれませんから、どんな供養をしようと黙っています。あとは生きている人間の描く愛のかたちで様々な供養をしているわけです。それは生きている者の自己満足ということにもなります。庄松さんに村人が「死んだら立派な墓を建ててやるからなぁ」とやさしく言ったら、「おらは、墓の下にはおらんぞ!」と明言したそうです。小生の父も、まだ納骨前で骨になっていますけど、あんな骨と父そのものは全然別のものだという観念があります。骨はセミの脱け殻と同じです。父そのものは、どこにもいないし、いるということならばどこにでもいるという感覚です。「この世とあの世」をともに超えたところにいるとでもいえましょうか。

 ひとを愛せると思っていたけれども、全然愛になっていないなぁ。結局ひとり相撲をとっていたんだなぁと感じたときに、人間の愛以上に絶大な愛の世界が向こうから開けてくるのでしょう。自分が小さくなればなるほど、世界が大きくなるというイメージです。方向のまったくことなった愛の世界があると歎異抄はいいます。

(ここで中座します。真宗会館で教学館の一泊研修(今回は二期終了式です)がありますので…) 

 

2003年6月28日

●「家族が他人と思えたら、どんなに楽だろうなぁ」と思います。それは小生と母との問題を通して感じます。いわゆる母はグレートマザーでして、すべてを支配したいというサガの人間です。愛というアメとムチによって家族を支配してきました。父は養子でしたから、やはり母の手の中で一生懸命に生きたひとでした。外から見ると強そうな父でしたが、決定的なことは母に相談したり、自分で決断できないときには、母に責任をかぶせるような形で決断していました。母に相談する父は、一見民主的な合意のもとにすべてを決定していこうとしているように見えましたが、本質は、自分で決断することに不安感をもっていて、母に最終的な承認を得ようとしていました。昔から「家つき娘」といわれるように、母は地に根を生やしている大木のような存在でした。ですから、存在と場所とがまったく分離せずに、空気のような状態になっているのでした。地元の人間関係なども十分に把握していて、それが自然体に溶け込んでいるのです。ですから、大胆さに見える鈍感さを自然に身につけていますし、またその存在と場所とを十分に引き受け立ってゆける存在でもあったのです。その分、逆に、ナイーブな感覚には疎く、人間の機微を感じられない鈍感さを兼ね備えていました。

 我が家では有名な「看板にいつわり事件」というのがありました。近くに中華料理屋さんがありました。母はそこに出前を注文にいきました。店に貼ってあるメニューを見て「酢豚」を注文しました。ところが店主は、「それはできない」と答えたそうです。しかし母はそれには納得せず、「だってここにスブタって書いてあるじゃない」と反応したそうです。しかし店主は「いまはやってないんだ」と重ねて応戦したそうです。それを聞いて母は「じゃあ看板にイツワリありね」と、またまた応戦したそうです。店主は「べつに、あんたんとこで取ってくれなくてもいいんだよ」と最後の一言をもって、その戦いは終息したそうです。それ以来、我が家では、中華料理の出前がとれなくなってしまったのです。でも、その中華屋さんのタンメンと餃子がうまかったんですね。いまは、その店も閉店していますから、もうすでに時効なんでしょうけど、そんな大胆なグレートマザーな母なんです。それを知人に話したら、大笑いしてくれて、そのあとに「お茶目なおかあさんですね」と応答してくれました。まったく、他人から見るといかにも、お茶目で、お転婆で、ユーモラスに見えても、実際に、その手の人間と毎日顔を突き合わせていなければならないということは大変な労力が必要なんです。そのときに感じたんです。「家族が他人だと思えたら、どんなに楽だろうなぁ」と。あの母という存在を変えることは不可能です。顔を見ていると、とてもそうは見えないのですけれども、年齢は75歳ですから、これから変わることは不可能です。後期老人期に入っているのですが、毎日、車を自由に操ってどこにでも出かける姿を見ていると、とても「年、相応」とは思えないのでした。そうすると、関係を変えてゆくには、こっちの価値観が変わっていかなければならないのです。でも、なかなか母を他人とは見えないという苦しみがあります。他人と思えれば客観化できて自分の内面にちゃんと納めることができます。そうすれば、冷静に対応できるので、こちらのエネルギーを消費しなくてすみます。しかしそれがなかなか難しいのです。どうしても根底に、「甘え」といいましょうか、根っこの部分で母と癒着している精神性があります。その精神性が、アレルギーのように母の言動に反応してしまうのでしょう。妻はどこまでたどっていっても他者であるという面があって、根底的に甘えるという精神性は切れています。でも、母親という存在は、どこかで自分とつながっていて、切っても切れない自分のいやらしい部分を共有しているのです。ヨーロッパの文化では、マミーとかママとかいって、息子が母親にキスをしてますけど、日本人はあれはできませんね。それは日本人がまだ個になりきっていないからだ、まだ発展途上なんだと批判されるようですけど、小生は文化の問題だと思っています。日本文化は、個ということが溶けていて、他とつながって成り立っているからです。農耕文化だといわれますけど、どこかで、他とつながって個が成り立っています。地縁・血縁・家族縁・会社縁という縁でつながって成り立っています。ですから、個がむき出しに孤立することがなかったのでしょう。しかし、その縁だけでは息苦しいということで、近代のヨーロッパの文化に感染してきたのでしょう。個ということがもともとなかった場所に、急激に個を孤立化する文化の感染を受けたということでしょうか。ですから、体はアジア的な文化なのに、頭だけがヨーロッパ的になってきて、分裂してうめいているのが私たちのような気がします。

 ともかく自分の中のなにが母にそれほどに反応してしまうのか、そのへんをよくよく内観してゆきたいと思います。相田みつをさんのお母さんも超グレートだったようですけど、みつをさんの苦労がよく忍ばれます。子供とヘソの緒が物理的には切り離されているのに、それでもどこかでつながっていて、永遠に切ることができない恐ろしさを感じます。これは男性にはわからない精神性なのかもしれません。母を完全に他人化できたとき、初めて小生は真宗門徒になれるような気がします。思春期のころよりはずいぶん他人化することができたのですが、まだまだだと思います。親鸞が「われらがこころの善きをば善しと思い、悪しきことをば悪しとおもひて…」と言っていますけど、この精神性を丸ごと対象化されなければダメなんですね。まだまだ聞法が徹底していません。まだまだ、まだまだと聞こえてきます。

 

2003年6月29日

●今朝、何の気なしにケーブルテレビを見ていましたらハーベストタイムというキリスト教伝導番組をやっていました。番組では、イスラエルの民衆の姿を放映していました。パレスチナ過激派のテロに怯える民衆の姿が伝わってきました。報道や取材番組は、何がしかの意図が必ず入っていますから、「事実」なのか、あるいは「脚色」なのかの真意は判断をつけかねます。そういう値引きをしながら見ていました。そこではバスが爆破された事件を取り上げていました。バスに乗客を装って乗ってきた犯人が自爆テロを行ったのです。爆発によって19名の人々が亡くなられたそうです。しかし寸前のところでテロにあわなかった人々がインタビューを受けていました。その時刻のバスで出かけようとバス停でバスをまっていました。まあバスでもタクシーでも、どちらか早いほうで行こうと内心では決めていたそうです。その日はたまたまバスよりもタクシーの方が早く通り掛かったので、彼女はタクシーで出かけました。そのお蔭でテロに遭わなかったのです。また彼女の夫はあのバスで出かけることを知っていましたので、彼女は死んだと思ったそうです。しかし、寸前のところでテロに遭わなかったことを神に感謝しますと話していました。

 別の男性は、そのバスの後部に乗っていて、爆発の直前に床に伏せたそうです。それで怪我だけで済んだのでした。爆発の寸前に床に伏せるような力が働いたのだというのです。それは神がそうして下さってことで、自分は感謝していると話していました。それを聞いていて、「エーッ」それでいいの?と感じてしまいました。確かに、日常的にイスラエルの民衆はテロの危機感の中にあるので、平和ボケの日本とは感性が違うのだといわれてしまえば、それきりです。また、伝導番組の中で、その部分だけを取り出して放映したという企みも感じないではありません。しかし、なんか変だよなぁという感覚が残りました。真宗門徒は、テロへの憎しみと、それを回避した偶然性とを如来のお蔭だとか、仏さまのご加護だとかは言わないと思います。それは、どんな災難であろうと、またどんな幸運なことであろうと、「偶然性」というレベルに置いておかなければならない感性だと思います。そこに何らかの超越的な意志があると理解するならば、それは「エコヒイキ」(依怙贔屓と漢字で書くんですね)です。エコヒイキをする神様を拝む事になります。自分の行いが、神の加護か罰則かを決める条件になってしまいます。ある事件で、自分が幸いに被害に遭わなかったときに人間はホッとします。そのホッとする感覚までは納得できます。でも、そこから、自分の過去を振り返って、「やっぱり日頃、神様・仏様を大事にしているからだ」と解釈したら、それはなんか変でしょう。たとえ、被害に遭ったひとが、神・仏をおろそかにしていたからだとは言わないまでも、どこかに、優越感が隠れているように思います。やはり、それは「偶然性」という出来事なんですよね。つまり、人間の解釈を拒む次元のものなんですよ。そこが一神教の意味世界と仏教の意味世界の違いじゃないかと感じました。

 無量寿経の18願文には、「ただ如来に背いているものは、救いから除く」と教えて、人間が如来に背いていることを自覚させ、その自覚を条件として救済するという厄介な救済論理が示されています。それをひっくり返すと、背いていなければ救われないわけです。ですから如来を愛したいとか、神を拝みたいというこころがあったら救われないともいえるわけです。如来の愛なんてないんだ!うそなんだ!と反逆しているものだけが、如来の救済に叶うのです。ですから一生懸命に神に愛されたい、如来に慈悲を投げかけられたいと思って行為することは、逆に救いから遠ざかってしまうということでもあるのです。そんなことを言ったら、倫理的にはメチャメチャなことになってしまうでしょう。でも信仰は、そんな温厚なものではないのです。もっとグロテスクで、魑魅魍魎のいでくる次元なんだと思います。善よりは悪を丁寧に頂戴していくのが真宗だと思います。それは一言でいえば「逆説的」ということでしょうね。そういう言葉でくくってしまうと旨味がなくなってしまうのですけれども。でも、人生の醍醐味は「逆説」ですよね。阪神の強さも逆説的です。つまり「まさか」と思うようなことが起こるわけです。善人が凶悪犯になったり、悪人が善人になったり。貧乏人が大金持ちになったり、その反対があったり。そういう逆転のない人生を求めるひともいます。「平凡でいいんです」と言っていたひとがいるんです。それに対して「人間には、平凡なんてことはないんだ!」と批判していた先生がありました。両方とも一理あると感じます。毎日、ジェットコースターのようでは疲れてしまいます。かといって、ぬるま湯のような平凡な日々でも飽きてしまいます。人間は贅沢なもんで、決して現状に満足しない生き物ですからね。

 小生は、生きるということは、時間をただ費す消費ではなくて、「深化」だと思っています。なんでもない日常の微細な部分に光を当てて、そこから無尽の味わいを掘り起こして、それを養分にして生きたいと思っています。ミミズかモグラのような生きざまかもしれません。でも、「味」を徹底して味わいたいという貪欲な精神性がなければダメだと思います。自分に起こったことが良いことでも悪いことでも、そんなことは人間の評価であって、その人間の評価の底を突き破って、「深化」してゆきたいと思います。

 

2003年6月30日

●ものすごくお節介になっていないか?とつくづく思うことがあります。「小さな親切、大きな迷惑」と、よく言われますけど、なんだかお節介になっているような気がしてなりません。とくに坊さんは、そういう傾向があって、また、その傾向性をよしとする傾向があります。でも、小生は、それがイヤなんです。イヤなんですけど、立場上、そういう傾向性を発揮してしまうこともあります。もう、どうしようもないです。門徒のみなさんも聞く立場というところに身を置いたんだから、仕方ないよなぁと思います。本当に御愁傷様です。法事のあとにお話をするんですけど、そんなものは本当はいらないのかもしれません。まったくお節介な話です。お経だけ読んで、それで後は聴衆に任せておけばいいんですよね。その響きをどう受け止めるかは、聴衆に任されていて、こっちがどうのこうのいう必要もないんですよね。最近じゃ、「話してくれないとイヤだ」というマゾヒズムがチラホラ発生してますけど、でも、本当は、なにも言わないというのが本当だと思いますね。もうお経だけ聞けば、それ以上必要としてないんですから、それでもう満足なんですよね。それで充分なんでしょう。何かを感じているわけですから。それで何かを感じない鈍感なものには、話も通じないのですよ。

 池田満寿夫は、油絵が嫌いだと言ってました。油はいくらでも塗り重ねられるから、終われないのだと言ってます。上からいくらでも絵の具を重ねて、それが芸術だと勘違いしている馬鹿がいると。それも一理あると感じました。小生も「終われない症候群」かもしれません。お経だけで終われない、話しだすとなかなか終われないという病気にかかっていました。そう考えると、読経も、なにも座ってお経を読むだけが能じゃないと感じます。踊ったっていいんですよね。一遍聖人のようにね。叫んだっていいんですよね。全身で、宗教を表現するということもできるのではないかと思いました。まぁ、あんまり突拍子もないことはしないほうがいいんですけどね。みんなが、驚いて困ってしまいますから。みんなを困らせないためにも、脅かさないほうがいいです。でも、そういう破天荒が小生は好きなのです。

 常日頃、お節介をするような立場に身を置いているんですけど、極力お節介を排除したいと思っております。これは、矛盾ですね。「宗教は布教がいのちだ」というお節介経になっているひともいますけど、小生は嫌いです。「これが本当だよ!」「これが真実だぜ!」「これしかないぜ!」と言われれば、言われるほど小生は、そこから逃げ出してしまいたいのです。もう、これが楽しいから、それを表現するだけということでしょう。あとは、その表現をどう了解するかは、相手の問題で、それは相手に任せておかなければなりません。相手がどう了解するかということまで越権行為で強制する必要はありません。ここまでいくと宗教も芸術の域に達してきます。「あとは、ご自由に判断して下さい」というのが芸術でしょう。相手に完全に評価を任せるという潔さが芸術のいのちだと思います。宗教もそうありたいと思います。かつてアングラ劇団が聴衆の席にまで煙を撒いたり炎を噴出したり、水をかけたりしていました。つまり私は観るもの、私は演じるものという差別を壊滅してしまおうと、客席も舞台にしていました。客席は水がかかったり、蝋燭の蝋が飛んできたり、迷惑していました。そういうお節介は宗教はしてはダメなんだと思います。やはり、観るひとは観るひと、演じるひとは演じるひと。その境界は大切なんです。境界があるから聴衆は安心して「観る」という行為に没頭できるわけです。なのに、その境界を破壊してしまうということは、聴衆を不安に陥れてしまうのです。ひとは、安心しているときに涙を流したり笑ったりできるのです。安心しているということが、変化をもたらすのであって、その逆ではないと思います。

 真宗の説法の場所では、よく居眠りするひとがいます。これは安心の表現なんです。身も心も安心して、そこから何かが沁みてくるわけです。ですから、お説教のときには安心して眠って下さい。眠ていないひとは、聞く気がないひとではないかと怪しく思います。

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