城南山人書作撰 F.一般書作1




陶淵明詩の釋文・読み下し・大意は 『岩波中国詩人撰集4』一海知義によりました(以下同じ)。



F-1.陶渕明詩「飲酒」其五

結廬在人境 而無車馬喧 問君何能爾 心遠地自偏 采菊東籬下 悠然見南山 山気日夕佳 飛鳥相與還 此中有真意 欲辨已忘言

 廬(ろ)を結んで人境にあり/而も車馬の喧(かまびす)しき無し/ 君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと/ 心遠ければ地も自ずと偏なり/菊を采る東籬の下/悠然として南山を見る/山気日夕に佳く/飛鳥相与に還る/ 此の中に真意有り/弁ぜんと欲してすでに言を忘る

 庵(いおり)を構えているのは、人里の中。しかもうるさい役人どもの車馬の音は聞こえてこない。よくそんなことがありうるものだね、と人が言う。こせこせした気持ちでいないから、土地も自然とへんぴになるのさ。東の垣根に菊を折り取っていると、ふと目に入ったのは南の山、廬山(ろざん)の悠揚せまらぬ姿、それを私はゆったりと眺めている。山のたたずまいは夕暮れの空気の中にこの上なく素晴らしく、鳥たちがうち連れてあの山の塒へと帰って行く。ここにこそ、何ものにもまとわれない人間の真実、それをねがうものの姿が、私にはよみとれる。が、それを言い表そうとしたその時には、もう言葉を忘れてしまっていた。

行草

和額

王国国宝 300






F-2.陶渕明詩「飲酒」其八

青松在東園 衆草没其姿 凝霜殄異類 卓然見高枝 連林人不覚 独樹衆乃奇 提壷挂寒柯 遠望時復爲 吾生夢幻間 何事紲塵羈

 青松東園にあり/衆草其の姿を没す/凝草の異類を殄(つ)くすとき/卓然として高枝を見わす/林に連なるときは人覚らず/独樹にして衆乃ち奇とす/提げたる壷を寒(ふゆ)の柯(えだ)に挂け/遠望を時に復た為す/吾が生は夢幻の間/何事ぞ塵羈(じんき)に紲(つな)がる

 青々とした松が、東の庭にある。が、雑草に隱れてその姿は見えない。きびしい霜が降りて、ものみなをしおれさすとき、はじめてそれは、高くそびえた枝を、しゃきっと現す。むらがり生えて林になっていると、人は気付かないが、たった一本突っ立っているとき、誰もがはじめて、素晴らしいなと思う。手に提げてきた徳利を、私はその冷たくかたい枝に掛け、遠くからじっと眺めてみたりする。ふと思う。我が命は、夢まぼろしに似てはかなく短いもの。それになぜ、塵にまみれたひも付きの生活などを強いられるのだ。

行草

和額

王国国宝 300









清晨(せいしん)問を叩くを聞き、裳を倒(さかし)まにして往きて自ら開く。

問う子(し)は誰(たれ)とか為すと。田夫(でんぷ)好懐(こうかい)あり。

壷漿(こしょう)もて遠く候(うかが)われ、我の時と乖(そむ)くを疑う。

茅簷(ぼうえん)の下(もと)に襤褸(らんる)するは、未だ高栖(こうせい)と為すに足らず。

一世皆同じくするを尚(とうと)ぶ。願わくは君も其の泥に汨(しず)めと。

深く父老(ふろう)の言に感ずるも、稟気(ひんき)諧(かの)う所寡(すくな)し。

轡(たづな)を紆(ま)ぐること誠に学ぶ可きも、己に違(たご)うはなんぞ迷いに非(あら)ざらんや。

且(しばら)く共に此の飲を歓しまん。我が駕(が)は回(めぐ)らす可からず。




F-3.陶渕明詩「飲酒」其九

清晨聞叩門 倒裳往自開 問子爲誰與 田夫有好懐 壷漿遠見候 疑我與時乖 襤褸茅簷下 未足爲高栖 一世皆尚同 願君汨其泥 深感不老言 稟気寡所諧 紆轡誠可学 違己*非迷 且共歓此飲 吾駕不可回

 すがすがしく晴れた日の朝早く、門を叩く音を聞きつけ、大慌てで着物の上下を間違えてひっかぶり、出ていって門を開いた。「どなたでしたっけ」と聞いたら、百姓の親爺さんが、何と私に対する好意から、壷に入れた酒を携えて、はるばる訪ねてくれたのだ。私が時世に背を向けて暮らしているのをいぶかって、その爺さんは言う、「ボロをまとってのあばらや住まい、御高尚な生活とも申せますまい。このごろの世の中は、人に歩調を合わせるのが大切、とか。貴方も頑固なことを言ってないで、一つその泥の中に入っておいでなさいよ。」「ごもっともです、ご老人。しかしどうも私は生まれつき、人と調子を合わせることが下手でして。たづなをまげての方向転換を、確かに真似せにゃならんのかも知れませんが、自分自身をまげていつわるのは、やはり間違いではないでしょうか。まあまあ今日はご持参の酒で、一緒に歓を尽くしましょうや。私の車は後へは引き戻せませんぞ。」

草書

和額

王国国宝 300



顔生は仁を為すと称せられ、栄公は有道と言わるるも、

屡(しば)しば空しくして年を獲ず。長(つね)に飢えて老いに至れり。

身後の名を留むと雖も、一生亦た枯槁(ここう)す。

死し去りては何の知る所ぞ。心に稱(かの)うを固(もと)より好しと為す。

千金の躯(からだ)を客養(かくよう)するも、化に臨んでは其の宝を消す。

裸葬(らそう)何ぞ必ずしも悪しからん。人びとよ当に意表を解すべし。



F-4.陶渕明詩「飲酒」其十一

顔生稱爲仁 榮公言有道 屡空不獲年 長飢至於老 雖留身後名 一生亦枯槁 死去何所知 稱心固爲好 客養千金躯 臨化消其寶 裸葬何必悪 人當解意表

 顔回は仁を実践した人だと称せられ、榮啓期は道を体得した人だと言われている。が、顔先生の飯びつはしょっちゅう空っぽだったし、長生きもできなかった。栄老人の方は、年よるまでいつも飢えていた。彼らは死んだ後に名を残したけれども、その一生は枯れしなびたカサカサのものであった。死のあとに何が残ろうと、それが死者にどうして分かろう。生きている間に、思うままにするのが一番良いのだ。この体は千金に値するとて後生大事にあつかっていても、死ぬときにはその大事な宝も消えてしまう。私の言いたいのは、体のことではない。そんなものは漢の王楊孫のようにまるはだかで墓に葬られようと、必ずしも悪くはないのであって、すべてものごとの外面にはあらわれぬ深い意味をこそさとるべきなのだ。

隷書

堂幅

古川喜代治氏蔵





長公は曾つて一たび仕えしも、壮節忽ち時を失う。

門を杜じて復た出でず、終身世と辞す。

仲理は大沢(だいたく)に帰り、高風始めて茲(ここ)に在り。

一たび往きては便ち当に已むべし。何すれぞ復た狐疑せん。

去り去りて当に奚(いず)れにか道すべき。世俗久しく相い欺く。

悠々の談を払い落とし、請う余の之(ゆ)く所に従わん。



F-5.陶渕明詩「飲酒」其十二

長公曾一仕 壯節忽失時 杜門不復出 終身與世辭 仲理歸大澤 高風始在茲 一往便當已 何爲復狐疑 去去當奚道 世俗久相欺 *落悠悠談 請從余所之

 前漢の張長公と言う人は、一度は官職に就いたけれども、たちまち時世とあわず、まだ若いうちにやめてしまった。以後、門をとざして出ようとせず、死ぬまで世間に背を向けて生活した。後漢の楊仲理は、これも職を辞めて大沢の中に帰ってしまった。かくてはじめて、その香り高く厳しい気風はしっかりと確立されたのだ。たとえひとたびは仕えても、結局はすっぱりと辞めるべきなのだ。どうして逡巡などするのか。かくさっさと辞めて、さて、どうした道をとるべきか。世間は久しい間、だましあいばかりを事としている。無責任な連中のお喋りとはすっぱり縁を切ろう。そうして自分は自分の思うが儘にやって行きたい。

草書

和額

王国重文 200




昔長く飢うるに苦しみ、耒(すき)を投じて去きて學(はじ)めて仕う。

 將養(しょうよう)節を得ず。 凍*(とうたい)固より己れに纏う。

是の時立年(りつねん)に向(なんなん)とし、 志意に恥ずる所多し。

遂(か)くて介然たる分を尽くし、衣を払って田里に帰る。

冉冉(ぜんぜん)として星気流れ、亭亭として復た一紀。

世路廓(ひろ)くして悠々たり。楊朱の止まりし所以(ゆえん)ならん。

金を揮(ふる)う事なしと雖も、濁酒聊(いささ)か恃(たの)むべし。



F-6.陶渕明詩「飲酒」其十九

疇昔苦長飢 投耒去學仕 將養不得節 凍*固纏己 是時向立年 志意多所恥 遂盡介然分 拂衣歸田里 冉冉星氣流 亭亭復一紀 世路廓悠悠 楊朱所以止 雖無揮金事 濁酒聊可恃

 かつて私はいつも生活の糧に困っていた。それで耒を投げ捨てて家を出て、初めて官吏になった。それでも生活は思うように上手くゆかず、飢えと凍えがいつも私にまつわりついて離れなかった。当時私は三十になろうとしていたが、私の気持ちとして、実にいろいろと嫌な思いをさせられた。そこで私は、己自身の道を歩みきるべく、そうした生活にきっぱりと見切りを付け、この田園に帰ってきた。時間はどんどん過ぎ去って、星移り月変わり、かえりみればもう十二年という歳月が経っている。人生の行路は、ひろびろとしてあてどもない。むかし楊朱が分かれ道に立って右すべきか左すべきかと、茫然と立ちすくんだのも、そうしたことからであろう。仕官をやめた私は、漢の世の疏廣や疏受のように、郷党を前にして散在すべき拝領金はないが、このどぶろくが、まずまずたのみになる。

行書

双幅

楠木裕子氏蔵




F-7.玲瓏(文選・班固・東都賦)

 玲瓏(れいろう)

 玉や金属がふれあって鳴る美しい響きの形容。

行書

和額

塚本邦雄氏蔵



月は大堤の上に落ち、女垣(じょえん)棲烏(せいう)起(た)つ。

細露團紅を濕(うる)おし、 寒香(かんこう)夜醉を解く。

女牛天河を渡り、 柳煙城曲に満つ。

上客斷纓(だんえい)を留め、 残蛾雙緑を闘わす。

春帳依微たり蝉翼羅。 横茵(おういん)突金(とっきん)隱體花

帳前輕絮鶴毛起ち、 春心を説かんと欲すれども似る所無し。



F-8.李賀詩「石城暁」

石城(せきじょう)の暁

月落大堤上 女垣棲烏起 細露濕團紅 寒香解夜醉 女牛渡天河 柳煙満城曲 上客留斷纓 残蛾闘雙緑 春帳依微蝉翼羅 横茵突金隱體花 帳前輕絮鶴毛起 欲説春心無所似

 月が大川の土手に落ち、城壁の上の垣根から、ねぐらにいた烏が飛び起つ。細かな露は円く固まった花々の赤さをぬらし、肌寒いその香りは昨夜来の酔いを醒ます。織女と牽牛は天の川を渡って会い、煙るような柳の青さが石城のうちに満ち満ちる。高貴な客は、切れた冠の紐を残して去り、まゆずみも昨夜のままに女は、二つ並んだ緑の眉をひそめる。ひとり残された春の朝、カーテンは、目にもとまらぬほどにごく薄い、蝉の羽のような絹。横たえられたふとんの、飛び出すようにあざやかな金色に気圧され、姿を隠した花模様。カーテンの外に軽やかな柳の花吹雪が、鶴の羽のようにおどり狂う。青春の胸のときめきを表現しようとしても、たとえようがない。

隷書調楷書

双幅

70




F-9.盡十方世界 是一顆明珠(劫外録)

 尽十方(じんじっぽう)世界、是れ一顆(いっか)の明珠(みょうしゅ)

 尽十方世界、つまり全宇宙は、言わば一粒の美しい珠(たま)のようなものだ。「全」は「個」の中に内包される。全き「個」の中に「全」は現成(げんじょう)する。

行書

屏風

60




杜牧詩の釋文・読み下し・大意は 『集英社中国詩人撰6』市野沢寅雄によりました(以下同じ)。



F-10.西山草堂(杜牧詩)

西山草堂(せいざんそうどう)

何處人事少 西峯舊草堂 *書秋日晩 洗薬石泉香 後嶺有微雨 北窗生暁涼 徒労問帰路 峯畳繞家郷

 何れの處か人事少なき/西峯の旧草堂/書をシせば秋日暮れ/薬を洗えば石泉香ばし/後嶺微雨有り/北窗暁涼を生ず/徒労帰路を問う/峯畳みて家郷を繞(めぐ)る

 世俗のことが少ないところは何処か。西峯に残して来たもとの草堂だろう。薬草を掘ってきて洗うと石泉に匂いがうつる。堂の裏側の嶺に小雨が掛かると見れば、北向きの窓は朝方の涼しさを添える。帰り道を聞くのも徒労だ。峰は幾つも重なり合って、故郷を囲んで見せてくれないから。

行草

非売 




F-11.伊耆氏サ辭(古詩源)

 土反其宅 水帰其壑 昆虫毋作草木帰其澤

 土はその宅に反(かえ)れ、水はその壑(みぞ)に帰れ、昆虫作(おこ)ること毋(なか)れ、草木(そうもく)その澤に帰れ

 堤防は壊れず耕地はよく落ち着くように、溝の水は坑道におさまって溢れぬように、昆虫が発生して作物を害せぬように、草や木は沢地に帰って田畑に生えないように(神々の加護を祈り奉る)。

行草

曽野健蔵氏蔵 





F-12.藤井竹外詩「花朝下澱江」

 花の朝に澱江(淀川)を下る

 桃花水暖送軽舟 背指孤鴻欲没頭 雪白比良山一角 春風未到江州

 桃花(とうか)水(みず)暖かにして軽舟を送る。背指(はいし)す孤鴻(ここう)没せんと欲するの頭(ほとり)。雪は白し比良山の一角。春風は猶未だ江州(ごうしゅう)に到らず。

 桃の花の咲く頃、淀川も水が温み、私の乗った小舟も軽やかにすべってゆく。ふと後ろを振り向くと、一羽の雁がはるか天空のあたりに消え去ろうとしていた。ちょうどその方角には比良山が高く聳え、雪を頂いた一角が望まれる。このあたりは春だというのに、江州には春はまだ来ないと見える。

隷書

堂幅

角倉太郎氏蔵 




人生根蔕(こんてい)無く、飄として陌上(はくじょう)の塵の如し。

分散して風に随いて転ず。此れ已(すで)に常身に非ず。

地に落ちては兄弟(けいてい)と成る。何ぞ必ずしも骨肉の親(しん)のみならんや。

歓を得なば当(まさ)に楽しみを作(な)すべく、斗酒(としゅ)もて比隣(ひりん)を聚めん。

盛年重ねては來たらず。一日(いちじつ)再び晨(あした)なり難し。

時に及んで当に勉励すべし。歳月人を待たず。



F-13.陶淵明詩「雑詩」其一

人生無根蔕 飄如陌上塵 分散随風転 此已非常身 落地成兄弟 何必骨肉親 得歓當作楽 斗酒聚比隣 盛年不重來 一日難再晨 及時當勉励 歳月不待人

 人の命は、これをしっかりと何かにつなぎ止めてくれる木の根や果実の蔕(へた)にあたるものとてなく、ちょっとした風にもさっと散る路上の塵のようなものだ。風のまにまにまろび分かれ散る人間、それはもはや永遠に変わらぬ姿を保ち得ぬ。だが、いやだからこそ、この世に生まれ落ちては、すべての人が兄弟としての完全な連帯感を持つ。それは必ずしも血をわけあった人々だけのことではない。歓楽の機会を得ては、楽しみ尽くすべく、なみなみと器に満ちた酒に、近所の仲間の集いを持とう。盛んな若い時代は二度とやって来ぬ。一日に二度の朝はないのだ。この機会に充実した時間を過ごしておかねば、時の流れは人を待ってはくれぬ。

隷書

山添忠久氏蔵




F-14.雪月花(白楽天詩)

 雪月花(せつげっか)

 雪と月と花。美しい眺めの代表。

行書

和額

30



F-15.無塵

 無塵(むじん)

 けがれなし

草書

洋額

楠木順二氏蔵



F-16.テン

 たちもとおる

 心が搖れる

行書

和額

個人蔵



F-17.青陽開動(古詩源・楽府歌辞)

 青陽開動(せいようかいどう)

 青陽(せいよう)すなわち、春の神が動き始めて、春がくる。

行草

衝立

吉田正治氏蔵



F-18.麻三斤(碧巌録・第十二則)

 麻三斤(まさんぎん)

 一握りほどの麻(あさ)にも仏性(さとり)が現成していること。洞山守初に、或る僧が、「いかなるかこれ仏」と問うたところ、手にしていた麻三斤を示して「これだ」と答えたという。

行書

条幅

安藤二雄氏蔵



F-19.喫茶去(趙州録・巻下)

 喫茶去(きっさこ)

 むずかしい話は抜きにして、まあ、お茶でも召し上がれ。お平(たいら)に、お楽(らく)にと言う意味。

行書

条幅

北山伊一氏蔵



F-20.照魔(しょうま)

 魔を照らす

 悪魔の本体を照らし現すという鏡があって照魔鏡といいます。転じて自身の本心を写し出す意にも用います。反省を込めて。

行書

茶掛

山崎正夫氏蔵



F-21.無礙(むげ)

 礙げる無し

 礙げるものがないこと。又、その境地

行書

茶掛

上田潤氏蔵



F-22.剔抉(てっけつ)

 えぐりとる

行書

茶掛

15




F-22.吾心在太古

 吾が心は太古に在り

行書

和額

非売

 

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