第四室・瓦拓本

漢瓦当

中国漢代の宮殿に用いられた瓦。絵や文字(吉語や官庁名)で装飾されている。

 私が拓本を頂いたことのある方は、岡村蓉二郎・浦野正一・多田秀夫・吉田真三各氏で、瓦・歌碑・石仏など、随所で当美術館の展示品の一部となっておりますので、ここに記させていただきます。

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「長楽未央」

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「長生無極」

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「萬歳冢屋」

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「長生未央」

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「佐弋」

百済瓦

古代朝鮮(百済)の宮殿・寺院・官衙の屋根をを彩った瓦。

ここに陳列しました百済瓦の拓本はすべて李夕湖氏のコレクションで、そのすべてが、日本で展覧会があったときに会場で求めたものです。

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天王寺址

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金剛寺

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佳増里

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龍井里

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金剛寺

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扶蘇山

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扶余邑内

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扶余邑内

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金剛寺

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東南里寺址

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旧衙里天王寺址

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金剛寺

新羅瓦

 百済が白村江(663年)の戦いで滅び、高句麗も667年に滅ぶのだが、唐の半島支配に熱心でないのを見てとった新羅が677年遂に、朝鮮半島を統一するに至る。しかし瓦に関して新羅系のものが強く日本に影響を及ぼし始めるのは奈良後期以降のこととされる。

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蟾蜍文

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楕円瓦

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飛鳥瓦

 時代と国交の関係で、百済の瓦の影響を色濃く受けているというのがよく分かる。

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法隆寺

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飛鳥寺

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四天王寺

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法隆寺

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飛鳥寺

白鳳瓦

 所謂「川原寺(弘福寺)」式の瓦三種

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法隆寺

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橘寺

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天華寺

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法隆寺

天平瓦

 ここでは偶々、似た傾向の瓦が並びました(ここにあるのは当時都の大寺のものが多いからです。)が、この時期以降、国分寺の瓦をはじめ模様の多様化が始まります。新羅瓦の影響や、地方独特の模様が出てくるからです。

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唐招提寺

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唐招提寺

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唐招提寺

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唐招提寺(平城宮の瓦を転用)

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東大寺

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興福寺

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飛鳥寺

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大安寺

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北九州出土

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北九州出土


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