聖日礼拝説教


 2020年9月13日(日)聖日礼拝   

 回復と再建の約束  エレミヤ31章1~6節

 先週は台風10号が九州全域に接近し、各地に被害がありました。
 今回の10号はこれまでに経験したことのない暴風(最大瞬間風速80メートル)となるとの報道がなされ、本当に心配しましたが、幸いにどこにも被害がなく、主の守りを肌で感じ、感謝の祈りを捧げた。
 近年、災害の規模が激しさを増しているように感じます。地震、豪雨、コロナ等。

(Ⅰペテロ4章7節)
4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
【新共同訳】
4:7 万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。

 私たちはこの厳しい現実の中で、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈らなければならない。またしっかりとみことばの約束を握らなければならないと思います。  
 聖書全体を見る時、神の民イスラエルが様々な困難に遭遇し、このままいけば民が完全に滅びてしまうのではないかと思うその時、神は力強い御手によって彼らを守り、助けられました。イスラエル民族の歴史の中に神の存在を見ることができます。
 また神は多くの預言者を送り、主の御告げ「預言」を通して神の民を励まし、支えられました。今学んでいるエレミヤも大いなる神の預言者でありました。
 そしてエレミヤは31章を通して、全イスラエルがバビロン捕囚から解放され、再び「大いなる喜び」の祭が行われることが預言しました。31章は「回復と再建の預言です」。
 エレミヤが預言活動を始めたのは南ユダ王国16代目の王ヨシヤの治世の13年目でした。
 ヨシヤ王が壊された神殿の修理を命じたとき、大祭司ヒルキヤが主の宮の中で「主の律法の書」を発見しました。ヨシヤ王はこの「主の律法の書」による宗教改革を始めます。
 その改革の中でヨシヤ王はすでにアッシリアによって滅ぼされた北イスラエルの「残りのものたち」と南ユダの人々に呼び掛けて、エルサレムにおいて主の祭りを計画しました。
 しかし、このことは政治的な思惑と理解され実現することがありませんでした。
しかし、すでにこの時、ヨシヤ王に主のビジョンは示されていました。
 そしてそのビジョンは、預言者エレミヤに引き継がれ、今日の31章において語られています。

31:1 「その時、──【主】の御告げ──わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。」

 その時:バビロン捕囚からの解放の時と共に、人類歴史の終末の時の両者を示している。
 神の民は、バビロン捕囚から解放され、エルサレムの神殿を再建し、新たなる歩みを始めるその時、主の律法に立ち返り、主こそわが神であると宣言しました。
 またバビロン捕囚からの帰還は、「第2の出エジプト」であるとエレミヤは語った。

31:2 【主】はこう仰せられる。「剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」

「荒野で恵みを得た」との表現は、バビロンという捕囚の地(荒野)においても神は常に恵みを備え、導いてくださった。主は荒野に道を、荒れ地に川を儲けてくださった。
 神の民イスラエルは、荒野において主を体験し、彼らの信仰は新たにされていった。
 またエレミヤは、主はどこまでも神の民を愛しておられると語りました。

31:3 【主】は遠くから、私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。

 神は永遠の愛を持ってご自分の民イスラエルを愛し、誠実を尽くし続けておられる。
 (口語訳)わたしは絶えずあなたに/真実をつくしてきた。
神は契約を守り、一方的な愛(無条件の愛)、ご自分の民を愛し続けておられる。
 ではイスラエルはどのような態度で、その神の愛に応えたでしょうか?
 彼らはその愛に応えようとせず、心を常に偶像に向け反逆し、背信の罪を犯し続けた。
 神はその罪を裁くため、北イスラエルはアッシリヤ帝国によって、南ユダはバビロンによって滅ぼされ、一旦国を失うこととなりました。
 しかしそのことは、神の民イスラエルを新たに再建し、回復を与える神のご計画の中にあり、神はどこまでもイスラエルを愛しておられることの証明であった。

31:4 おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。
31:5 再びあなたはサマリヤの山々にぶどう畑を作り、植える者たちは植えて、その実を食べることができる。

 神は背信行為によって神から離れ、罪に沈み、傷ついたイスラエルに対して、「おとめイスラエルよ。」と語りかけられている。それは神によって、罪赦され、回復と再建されたイスラエルの姿であり、神はその時が来るなら、彼らをバビロンから解放し、回復と再建を与える。それを必ず成し遂げるという希望のメッセージでありました。

<共に考えたいこと>
 私たち異邦人は、キリストの福音によって、接ぎ木され、霊的イスラエルとされ、神の「回復と再建の約束」に与るものとされている。
 私たちは、できる事なら困難や試練の道を通らずに人生を送りたいと願います。
 しかし、そういかないのが人生で、困難や試練を逃れることはできません。
 でももし困難や試練がなく、すべてが順調に進むとしたら、それは健全なことでしょうか?
 困難や試練があるからこそ、私たちは健全に成長することができるのではないか。
 特にクリスチャンは、荒野の中にこそ神の恵みがあることを体験させられます。

31:2 【主】はこう仰せられる。「剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを得た。イスラエルよ。出て行って休みを得よ。」

 聖書において荒野とは、神と対峙し、神と出会う場所として登場します。
そして神の人は、荒野で神の声を聞き、神を体験し、新しくされました。
 今私たちはどのような場所を歩んでいるでしょうか?
 荒野を歩んでいるとしたら、今が神の声を聞き、神を体験する時なのかもしれません
神は荒野の中でイスラエルを導かれたように、私たちを導こうとされています。なぜなら、神はあなたを永遠の愛をもって愛しておられ真実と誠実を尽くし続けようとされています。
 神は必ず私たちに「回復と再建の時」を備え、休息の時を与えてくださいます。
 私たちはその約束を信じ、主のみことばに期待し、信頼するものでありたい。