現在では光の速度が秒速30万kmであると知っている方も多いでしょう。
しかし、昔はそうでなく、光の速度は無限大で、どんなに遠くても一瞬で届くと考えられていました。
事実、かのデカルトも1637年に刊行された『屈折光学』の中で、光の速度は無限大であると書いています。
その一年後に刊行されたガリレイの『新科学対話』の中では、光の速度が有限であると考えて、ある実験が行われていることが記述されています。
二人の人がカンテラを持ち、そこから出る光を覆いで隠して、すぐまた覆いを取る、ということで光の速度が測れるというものです。
しかし、いかんせん光の速度は速すぎて、この実験は失敗に終わります。
ただ実験自体は失敗しましたが、光の速度を有限だと考えたのは歴史上
ガリレイが最初の人です。
それから約半世紀後デンマークのレーマーが木星の衛星イオの公転周期と地球の公転による到達時間の遅れから光の速度を秒速22万kmであると計測します。
現在の値と違いますが、これは歴史上初めて光の速度が有限であること
を示す証拠となります。
しかし、この結果は当時受け入れられませんでした。というより、ほとんど
注目されなかったのです。
受け入れられるまでには、さらに半世紀の時が必要になります。
まるで、メンデルの遺伝法則のようですね。
レーマーの実験から約半世紀後(ガリレイから数えて約一世紀後です!)
イギリスのブラッドリーが、りゅう座ガンマ星を利用して、恒星の年周視差を観測していたところ、ガンマ星が周期的に位置の変化を起こすということを発見します。
年周視差というのは、簡単に言うと季節ごとに見える恒星の位置の違いのことです。地動説が唱えられて二世紀、地球の位置が変わるのなら恒星の位置も変わると考えたわけです。
そもそも恒星という名前は、天球に貼り付いて動かない星という意味です。
ところが、実際にりゅう座ガンマ星は位置変化を起こしていたのです。
当時の常識からすれば恒星は動かないわけですから、非常に奇妙なことだったのです。
ブラッドリーは、もし光の速度が有限であり、地球が移動してるのなら恒星の位置も見かけ上変化するだろうと考えました。
この考え方は「光行差」と言われるものです。
この光行差によりブラッドリーは光の速度を求め、これが広く世に知られることになります。
ちなみに年周視差の測定は、ブラッドリーから約一世紀後ベッセルにより検出されます。
実際、北極星も少しずつ移動していて一万四千年後にはベガが北極星の
位置に来ると言われています。
ブラッドレーの測定から約一世紀後の19世紀半ばフランスのフィゾーが、歴史上初の地上での光速度測定に成功します。
これ以降、装置の改良や進歩によって光速度の測定の精度は上がっていきます。
この19世紀半ばの実験では、フーコーによるものも有名です。
当時、光は粒子だと信じられていて波動説の立場は、まだ確固たるものではなかったのですが、フーコーの実験により波動説は認められることになります。
フレネルの波動説によれば、光は水中に入ると屈折率の関係で速度が遅くなると考えられていました。しかし粒子説によれば音と同じく水中では速くなると考えられていたのです。
一体どちらが正しいのか?
これを実験で確かめたのがフーコーです。
実験では、フレネルの波動説の正しさが示されることになります。
後に
光の二重性として波動と粒子の両方の性格を持つことが分かります。
ちなみにフレネルは、光が横波であることを発見した人です。
このように光速度の測定に関してはフーコー以降、正確さだけが問題で、
ほとんど重視されることはなくなっていきます。
ところが、そんな時代にあっても光速度の測定に非常に興味を持った一人の人物がいました。
アルバート・マイケルソンです。
マイケルソンは専門の学者ではなく、当時は海軍兵学校卒の海軍少尉でした。その後兵学校で物理と化学の教職に就きます。
彼が光速度の測定を始めた当初は、フーコーの装置を多少改良した程度のものでしたが、だんだんと改良を重ねていき精度は上がっていきます。
しかし、この様な方法でやっていくことに限界を感じヨーロッパに渡ります。
当時のアメリカは現在とは違い、科学の発展途上の段階にあり、その点でヨーロッパは先進的な国が多かったのです。
ヨーロッパに渡ったマイケルソンは
エーテルの存在を知ることになります。
宇宙にエーテルが満ちているのなら、その中を移動する地球によって後ろへと流れるエーテルの風が存在するはずであり、それによって光の速度は変わってくるだろう、と彼は考えました。
しかし、光の速度は秒速30万kmほどもあり、その差を測るには高精度の測定が必要だということになり、装置の改良に心血を注ぎます。
この結果、今でも知られる「マイケルソンの干渉計」を発明します。
この干渉計の精度は非常に高く、人里離れたところで光速度の測定を行うのですが、そこから遠く離れた家の中で人が歩く足音でも影響されるという程のものです。
この装置を使い測定した結果は、残念なものになります。
エーテルの風はどうやっても検出されなかったのです。つまり光の速度は
どの方向から測っても同じなのです。
地球がエーテルの中で静止していれば結果と合いますが、天動説を肯定することになります。
確かに光は横波で、横波というのは音などの縦波(弾性波)と違い固体の中しか伝播しません。エーテルがカチカチなら地球は動かずに静止しているでしょう。しかし、地球が動いているのは事実なのです。
この結果は物理学者達を騒然とさせ、中には結果を否定する人もいたくらいです。
この実験後アメリカに戻ったマイケルソンは、応用物理学校の教職に就きます。
そして、この学校に隣接する大学で教授をしていたエドワード・モーリーと
知り合い、これ以降二人は協力して光速度の測定をすることになります。
今までのマイケルソンの実験に改良を加え、さらに高精度の実験を行いますが、結果は以前と同じくエーテルの存在を否定するものでした。
この結果に対してマイケルソンは不満だったようですが、アインシュタインは、これが大きな拠り所となり
光速度不変の原理を打ち立て、特殊相対論を構築するのです。
今では光速度が秒速30万kmだというのは知る人も多いのですが、昔は
様々な苦労があったのです。
ただ、光そのものに対する謎は未だ解明されていません。
なぜ横波なのに固体中だけでなく色んなところを伝わるのか。質量を持たないのはなぜか等、これからの研究が待たれます。