長崎先生講義録
ケーススタディ(5) 2001.10/7

不登校
 「不登校」という言葉は、平成になってからの言葉である。それ以前は「登校拒否」と呼ばれていた。
 現在約13万人が不登校だと言われている。小学生だと100人に1人(1%)、中学生だと50人に1人(2%)の計算だという。
 多いと言えば多い。だが、大枠で考えるとそれほど多くはない。工業製品ではないので、100個に1個くらいはおかしな物がでても不自然ではない。

偏差値
 概ね40歳台を境に、偏差値世代とそうでない世代が分かれるが、偏差値の正規分布というのがある。
 偏差値は学校教育などでもちいられている場合がある。たとえば1000人受験したテストでA君の偏差値が図のa(=56)であったとすると、A君より成績の高い人はだいたい274人いることがわかる。

 偏差値とは、全体の中の分布で、自分がどこにいるかを統計的に示したものである。もちろん、ある一つの物差しを使って計った場合というのが前提である。
 これでわかるのは、偏差値40〜60の間に、65%つまり大半の人が含まれると言うことである。逆に偏差値75以上や25以下の人は、言ってみれば「異常な人」である。以上という言葉が悪ければ「突出した人」と言ってもよい。そういう意味では両者とも〃である。
 不登校の研究によると、最初に研究対象とされたのは、偏差値60〜70くらいの生徒である。知的にレベルが高いにもかかわらず、対人関係の不得手で不登校になる。岩流流優等生の息切れ型である。
 一方、知的にレベルが高いと、言語化が容易なため「おもしろいこと」を言ってくれることが多い。例えば、バウムテストなどをすると、「ブドウの木」などを書いて、「この木は幹が細いんです」などと言う。
 しかし、現在増加している不登校は、偏差値30〜40あたりの生徒である。偏差値の値で見ると先ほどの偏差値60〜70の生徒と対極だが、平均からの距離で言えば全く同じ生徒である。
 平成になると、塾通いの生徒が増加する。これによって偏差値30〜40の生徒らが、学校に行く動機を失っていく。一方偏差値60〜70の子ども達は、なんとか「勉強」という尺度においては優位に立てる。さらに「学校に行かないのも個性だよ」などという流れの中で、偏差値30〜40の子ども達は放置されることになった。
 結局、これらの子ども達は「怠惰型」として切り捨てられていく。一方で三島などではリベラスコーレといったフリースクールができてくる。そのような立場からすると、「学校は新幹線だ」という。これに対し、フリースクールでは「ウチは普通列車を目指す」という。
 要求が高くなればなるほど、子ども達はキツくなる。虐待も同様である。低身長、低体重などの虐待児は、10年前には「欠養護」と呼ばれた。それが今では「虐待」と呼ぶ。


紙上症例研究
 「二年間も登校拒否の小学生への関わり」(月刊学校教育相談 97年8月号より)
<出席者の意見>
・母親の学校に対するイメージに何かあるのではないか。
・学校の良さを伝えること。
・同世代の子からしか学べないことがある。そうでないと、大きくなってから困るのではないか。
・公園で話す、というのは?
・子どもももっと他の人との接触が必要。
・最初の担任の産休後不登校になっている。そこになにかあるのでは。最初の担任に家庭訪問してもらうといいのでは。
・義務教育だから来なくては行けないが、成長には個人差があり、そこが見逃されているのでは。
・行事などにお客さんとして来てもらうといいのでは。
・何か秘められた才能があるかもしれない。
・関わり続けて、信頼関係を作ること。
・こんな先生が一人でも多くいたら、と思う。
・産休がなければ不登校にならなかったのでは。
・先生以外の人が関わったら効果があるのでは。
・父親が見えてこない。

 キーワードは2つ。それは「信頼関係」と「コミュニケーション」ではないだろうか。その上でクリアしなければ行けないハードルを下げる。
 国分先生や八十川先生は「現場でカウンセリングをする人は、フランス料理の一流シェフを目指してはいけない。町の定食屋さんを目指せ」という。
 また到達目標をどこに設定するかもよく考えること。「どうしても学校に来い」なのか、「とにかく信頼関係さえできればいいのか」なのか。
 ケースワークに正答はない。自分では思いつかない考えというのがある。人はどうしても自分の枠で考えてしまう。教育関係者は教育の枠で、法律関係者は法律の枠で、福祉関係者は福祉の枠で。ケースワークで自分の思いもよらない意見に対し、「そんな人もいるんだなー」と受け容れること。それはカウンセリングの勉強でもある。

後半
人間関係づくり
 集団よりも個人が大切とか、個性重視の時代の流れの中で、人間関係を学ぶ機会が失われている。そういった中で、構成的グループエンカウンター(SGE)というのがある。

「私はどっち」
 これは12個の質問に答えることで、「真理」「物質」「精神」「博愛」「地位」「身体」といったその人の指向性、すなわちその人が何を大切にしているかを明らかにするという自己理解の手だてである。中高生は不安が多い。「福祉の仕事をしたいんだけど、本当にいいのかしら」などと自分のことがわからないし、自身が持てない。それに対し自己理解が進む。一方他人が見たところを互いに言い合うことで、気がつかない自分に気付くと言う面もある。
 このようなものは体調にもよるし、質問項目が意図と合うか、といった問題もある。そういった事をふまえて使う必要がある。
 次回はケースとエニアグラム。


 (文責:菊田)