長崎先生講義録
現代人と悩み 2000.4/5
 東京の教員時代、一緒に遊んでいる子どもに腕時計を壊された話から。

 カウンセリングとは「盗人にも三分の理」である。
高校入試の時、校門で遅刻した生徒に対して指導する先生の対照的な態度に多くを感じたという。

 ある先生は「受験日は高校生活第一日目だ。それを遅刻するとは高校三年間本当にやっていけるのか」と注意をした。
言われた生徒は頬を紅潮させ拳を握ってキッとその先生をにらみつけた。
一方、ある先生は「間に合ってよかった。心配したぞ。もうこの(遅刻した)ことは忘れろ。今日は試験に全力を尽くせ」と対応した。

 「遅刻した」という事実はひとつである。見方はたくさんある。その見方の狭さが問題を生む事が多い。

 「ヘンだ」という言葉はその好例である。自分の持つ狭い感覚を他に当てはめて「ヘンだ」と断じ、排除する。
実は「ヘンだ」と言う人は自分自信の器量の狭さを公表しているようなものである。
カウンセリングはその「ヘンだ」と断ずることをしない。それをなくすのがカウンセリングである。
そういう意味でもやはり盗人には三分の理がカウンセリングである。

 従ってカウンセリングとは1対1で行う面接的ないわゆるカウンセリングだけでなく、普段の人間関係の中でカウンセリング的な対応は可能である。そしてそれによって人は変わっていく。

 人間関係は相手を信頼するから作られる。「肯定感」が大切。

 河合隼雄は「人の心は全てわかるはずもない。しかしわかろうとしなければわかるはずもない」と言った。

 さて、現代の社会は人が大量に移動し、情報がたくさんになっている。スピードが速くなり、より便利になり、交流範囲が広がる。
その結果現代人は無理をせざるを得なくなる。そして本来の自分を見失っていく。

 未開社会には必ず瞑想の時間がある、という。一日の自分の行いを振り返り「魂の浄化」をする時間である。
現代人はそれすら持てないまま、目に見えない何かに追われ続けている。

 ユダヤ人精神科医のフランクルはアウシュビッツ収容所の惨状を描いた。
多くの人が殺され、発狂していく中、フランクルは「自分にはこの極限状況を世の中に伝える義務がある」という信念を持ち続け、解放後、著書「夜と霧」を3日で書き上げたという。
「どんな状況でも自分の気力を持たせるような命題を持っていれば乗り切れる」。
逆に言えばそういう自信を持たなければ生き残れない。

 ではどうしたら「自信をつける」ことができるのか。
五木寛之は、@自分を好きになる。A過去にこだわらない。B今を精一杯、大事に生きる。を挙げている。  一方で発達の問題は予測可能であり、対処できる。各発達段階における問題を良く知り、コーピングcoping(対処法)をあらかじめ準備しておく。小学生の「〜買って」と大学生が「〜買って」の対処の仕方は別のはずである。

 「好きこそ物の上手なれ」というが実はそれは僅か。
大多数の人にとっては「下手の横好き」である。好きなことに格付けはない。

 後半の実習は、「私は〜である」という文章を20作る、というもの。
思ったより書けないものである。多くの人は、職業、家族など自己の存在にとって大事なことから書く傾向がある。
書けた文章の数が少ない人は、「下手なことは書けない」と心にブレーキがかかっている。心がオープンでないことになる。

 カウンセラーにはあらゆる物に対処できる必要がある。
言ってみれば一流の和食の料理人ではなく、町の料理屋さんでなくてはならない。
そのためには思考の柔軟性、枠にはまらない思考力が重要になってくる。
そういう意味ではヘンに深読みしない方がよい。

 最後は子供のマラソンの話。タイムが早くなったが順位は変わらない。
母親は「変わらないじゃない」というが父親はそれを制して「よけいなことを言うな。35秒も早くなったんだ、もっと伸びるぞ」と言った。結局その言葉が自信になって、その子供はさらに努力した、という。


そういう対応はふだんの生活の中でできる。そしてそれは人を援助する力になるのだ。
カウンセリングの力に改めて気づかされた。

 次回は中学生期の問題について                         
 (文責:菊田)