長崎先生講義録
中学生期の問題 2000.5/10
  17才の犯罪が多発しているが、驚くには値しないと言う。
同年齢の子供は全国に200万人。200万分の1の事例でもって全体を推し量るのは無理がある。

 また「だから学校は……」式の批判をしてもあまり意味はない。かつてはたくさんの兄弟の中、親の手がかかってない子供は多かった。しかし少子化の現状の中で、親は一生懸命子供に関わろうとし、子供は狭い学校社会の中に押し込められ、「学校の中でいかに上手にやるか」という課題を突きつけられ続ける。
学校の先生はそういう学校社会に上手に適応できた人たちである。つまり「優秀」だったこどもなのである。従って「優秀」な子供をかわいがる。そんな学校・先生に子供を任せても仕方がない。自分の子は自分で責任を持つ。親は学校に全てを頼らずにいくべき。

 さて、それではなぜ中高生が難しいのか。この時期はアイデンティティ(identity自我同一性)を確立する時期である。
すなわち「私は何者であるのか」を問い、他とは違う地分を確立する時期である。容姿で悩み、何でこんな家・親の元に生まれてきたんだろう、と考える。これは自分自身について自分の言葉で考え、語ることである。

 小学生にとって親は絶対的な存在である。ボールを投げる、蹴る、自転車に乗る、車を運転する、料理をてきぱき作る、全てが小学生にとってはすごいことであり、親は尊敬に値する。

 しかし中学生期になると、子供も目が肥えてくる。他と比較ができるようになる。一方親も年を取り、衰えてくる。
「なんだ、うちの親も大したことはないんだ」と感じ、親が情けない存在に思えてくる。それは、親と自分が同等に思えてくることでもある。こうして子供は親から自立し、自己を確立していく。

 しかし「いい子」はそうもいかないことがある。いい子とは親、先生にとって都合のいい子である。そういった子は自分を押さえ、親・先生の価値観で生きている。人間には「怠けたい」「サボりたい」といったマイナスの感情がある。それにどう対処するかが人が生きていく上で一番大切なことである。その対処法を学ばないまま成長すれば、大きくなってから感情をコントロールできずに爆発させたり、閉じこもったりすることにつながりかねない。

 さてアイデンティティを確立する際に必要になるのが、おまえはおまえでいいんだよ、自分は自分でいいんだ、という「自己肯定感」である。他と比較して「隣の家の方がお金持ちだ」などと子供が言ったときは、「隣は隣だよ」と現実を受け入れさせた上で「うちはその分一緒にいてやれるよ」と肯定感を与えてやる事が必要。

 長崎先生は、子供に「お前、できるなー」と生徒に何気なく言った言葉に激情された事があるという。その子はいきなり怒って暴れ「オレはバカなんだよ! オレはバカなんだよ!」」と必死で否定した。そして後から理由を問うと「バカとしか言われたことしかないんだから」と言ったという。自分自身のイメージは、自分で作る部分もあるが、他から与えられる部分も多い。そしていったんできあがった自己イメージと違うことを言われると混乱するのだ。そして自己肯定感があれば劣等感はもたない。

 幼児期に繰り返し繰り返し「お前はお前でいいんだよ」というメッセージを与え、自信をつけさせることが大切。  「大人は信用できない」と考える子供の数が増えているという。ある調査によれば4割の子供が大人に信頼を抱いていない。これは終戦直後と同じくらいの数字だという。高度経済成長期は大人は(良くも悪くも)一生懸命だった。そういった姿を見て育った子供は大人を信用する。では、今は?。

 大人が変わらない限り子供は変わらない。子供は親・大人の姿を見て育つのである。

 中学生期に獲得していなければならないもは2つある。一つが「個人的同一性」である。これは自分が自分であることを許せること。「何でこんな家に生まれたんだ」と誰しも一時期イライラするが、いつのまにか治まる。現実を受け入れ、ある意味諦める。そうして自分の足で立って生きていけるようになる。私(菊田)も中学生・高校生のうちは親と一緒に出かけるのがいやだった。こんな姿を見られたら「親から自立できていない」と周囲に思われる、と考えていた。しかし父親と一緒に酒が飲める頃には、関係が「親−子供」ではなく「大人−大人」と変化し、気にならなくなった記憶がある。これが自立すると言うことなのか、と思う。

 もう一つが「性役割同一性」である。本などから知識として男女の差について知っていても、現実として自分の身体に変化(初潮、精通)が起きると誰しもびっくりする。

 その時に「ああ、女(男)として生まれてきて良かった」と思えるようにしたい。そのためには、それ以前にそうなるよう育てる事が大切。

 アヴェロンの野生児は保護されて数年して人間になりかけたころ、精神的な病で死んだ。人間には「原風景」とでもいうべきものがある。

 「個人的同一性」「性役割同一性」のどちらも中学生期の問題なのだが、実はこれは小学生期をどう過ごしたか、が大きな問題になる。自己肯定感をきちんと持てるように育ててくれば問題なくステップアップできるし、そうでなければ中学生期で問題が表面化する。

 17才の犯罪も同様である。「人を殺してやろう」「殺したらどうなるか」というのは、ギャングエイジgang ageと呼ばれる小学校3年生あたりで出てくる行動である。小学校3年生でこんな事を考えても実際には実行できない事が多いしまわりも厳しく対処する。つまり小学生期にやってこなければならなかったことが17才になって出てきただけである。凶悪な犯罪に思えるが実はきわめて幼稚なことをやっているだけである、という。  つまり中高生・17才の犯罪は「発達課題の遅れ」ということができる。であるとすればこれは、そういう(発達課題を順にクリアしてきていない)環境を提供してしまっている大人社会の問題に他ならない。必要なのは、少年法の改正よりも、そういった大人へのペナルティではないだろうか。

 後半の実習はグループワーク。カウンセリングには1対1のいわゆるカウンセリングではなく、集団で行うものがある。ここでは初対面のグループで最初に行うようなものを行った。

 ある文章を一文字ずつバラバラにしたものが配られる。グループで相談しながら、文字を並び替え、文章をつくる。初対面の仲間で「さあ、自由に話をしてごらん」といってもなかなかできない。こういった作業を共同で行うことで相互に交流が生まれる。いったん「これだ」と単語を作ってしまうとなかなかそれを崩せない。そういうときには全てを解体することも必要。

 文字が小さい方が、また難しい方が親密感が増す。

 このときの文章は「風薫る五月元気いっぱい頑張ろう」「クリーン作戦では、いつもまだゴミを取りきれないうちに終わってしまうのでできるだけ時間を長くしたい。」など。    
 (文責:菊田)