長崎先生講義録
青年期の問題 2000.6/7
 「永遠の仔」など人間の内面を扱ったTVドラマが多い。自閉症を扱ったものもあった。
これに対し「最近変な人のドラマばっかりで嫌になっちゃうね」と言った人がいるという。
これは身の回りから「変な人」(あくまでカッコ付きの表現であることを申し添えます:菊田)がいなくなってしまったせいではないのか。彼らは「状況に合わせた養育・教育」の名の下に「隔離」されてしまっているのではないか。
人間は身近な存在には親近感を持ち、知らない人(物)を気味が悪いと感じる傾向がある。
核家族で育った子供はおじいちゃん・おばあちゃんになかなか近寄らない。これと全く同じ構造である。

 一方「隠す」「隔離する」ことによって、社会の効率をよくしてきたという面もある。日本の社会はこうしてできてきた。しかしまた現在ではノーマライゼーションnormalizationなどということが叫ばれている。

 最近の子供は、体験が貧困であるため、「乞食」って何? 「筵(むしろ)」(こんな字だったのか!)って何? と言葉が通じないことがある。
例えば少し前に流行った「一杯のかけそば」という話も、一杯のかけそば(でなくてもいいが)を「分け合った」体験がなければ話の意味は分からない。共通の言葉を話せないということはコミュニケーション不全に通じる。そしてそれら必要な体験をさせなかったのは大人であり親である。

 つまり実は「子供の問題は大人の問題」なのである。
17才の犯罪が取りざたされているが、サンプルとして200万分の1事例を取り上げてあれこれ言ってもあまり意味はない。
また自分が変わらないで相手だけを変えようとすると、人は必ず反発する。

 教育は「教え込む」のではなく「気づかせる」ことである。
大人がやるべき事はその「お膳立てをしてわかってもらう」ことであり、そのような援助なしに子供が育つこともない。

 さて、高校生・大学生の年代に身につけておかなければならない発達課題には、
 @個人的同一性
 A性役割同一性 がある。
そしてこれらをもとに
 B職業的同一性  が作られていく。
このような同一性を獲得するということはとりもなおさず「あきらめ」とことである。職業を選択するということは、他の可能性を捨てる、諦めることに他ならない。そういう中で自分を活かすことであり、それを見つけることであり、社会との接点を見つけることである。

 さらに、
 C地域的同一性
 D階層的同一性
の獲得が青年期の課題となる。地域的同一性は「住む場所を受け入れる」ことであり、階層的同一性は「収入に見合った生活ができる」ことである。

 これらの同一性ができているということは、仲間が存在する、ということになる。
つまりサポートが受けられる、ということである。

 学力よりも何よりもこれらの同一性を持てるよう援助することが大切である。
ただし突然できるなどということはない。徐々に作り上げるものであり、作り上げるよう関わる事が必要である。
しかし諦め過ぎも問題である。「どーせ俺はダメだよ」といった無気力・無関心・無感動の場合は少しずつ肯定感を与えてやるようにする。

 となると、自分なりの肯定的価値観を持てるよう子供を育てることが大切なことといえる。

 後半は論理療法について。

 ABC理論というのがある。

  A事実 → Bビリーフ(思いこみ) → C感情

 例えば事実は「窓ガラスを割る」、ビリーフは「ガラスを割るのはいけないことである」、感情は「悪いなあ、しまったなあ、俺はダメだ」など。
事実が人を苦しめるのではなく、それにつながる思いこみが人を苦しめるのである。

 皆が信じている「〜しなければならない」という思いこみは「〜にこしたことはない」に過ぎないことが多い。
思いこみを変えるとラクになれる。先ほどの例でも「ガラスを割るのはいけないことである」を「ガラスを割らないにこしたことはない」「ガラスだもん、割れることもあるさ」と考えれば思い詰める必要はない。

 思いこみには「ビリーフ」=正しい思いこみ、と「イラショナルビリーフ」=論理的でない思いこみの2種類がある。

 「いいかげん」は「良い加減」である。思いこまず、思い詰めず、が大切。

 次回は7/5男女間の心理、8/9結婚の心理について。   
 (文責:菊田)