長崎先生講義録
家族心理 2000.10/4
 欧米では10月にうつ病になりやすい、という。新学期が9月から始まる、というのも一つの理由だが、落ち葉の季節に寂しい気持ちになる、ということもある。

 日本では五月病といわれるように、5月にうつになりやすい。芽吹きの季節、新緑の季節に乗り遅れた、という心持ちがうつを招く、と考えられる。そこには「みんなと一緒じゃなきゃいけない」という思いこみがある。

 4月から新しい環境で1ヶ月間頑張ってきて、その後にうつは発病する。過剰に適応しすぎた人が発病するという。

 うつの人に「頑張れ」と言ってはいけない。自殺の可能性があるからである。例えハタからはそう見えなくても、一生懸命やっている人に「頑張れ」と言えば、さらに無理を強要することになる。


 交通事故による死者は年間おおむね1万人程度。一方自殺者の数は2万2〜3千人という。自殺かどうか分からないものを含めればもっと多いかもしれない。死ぬ原因としては、ガン、脳卒中、心臓病と呼ばれる三大原因に並ぶと考えられる。

 少年の自殺で言えば、ピークは2回あった。1回目がアイドル歌手岡田有希子sんが自殺した時。自殺が連続して報道されることで「自殺してもよいのだ」というメッセージを受け取ってしまうことがあるからである。2回目が1996年、鹿川くんがいじめで自殺した時である。この時もやはりいじめられたら自殺するしかない、自殺して抗議することが一つの手段として認められてしまったような印象を与えてしまった。

 さて、ボタンを押すと商品が出てくる、など「〜すれば、〜こうなる」的な思考は、きわめて「科学的」な考え方である。これは結果的に「『〜すれば、〜こうなる』はずだ」「〜でなければいけない」という即物的な考えを生み出す。このような考え方が普及しすぎているのではないか。

 かつて小学校の机は長い机を二人で使う形になっていた。その中で、「ここからはは行って来ちゃダメ!」などとケンカをしたものである。しかし一人一人に机が与えられるようになると、「教科書を忘れたら机をくっつけて見せてもらいなさい」と言っても「相手に悪いから」となる。大変窮屈な、管理された考え方が広がっているのではないか。


 これは、障害を持った子供を普通の学校に受け入れるか、という問題にも敷衍できる。障害を持った子供を「排除」するか、受け入れるか、ということである。

 こんな実験がある。働きアリの様子をよく観察すると、実は、ちゃんと働いているアリは2割で、残りの8割は動いているけど仕事をしていなかった。そこでエリート(!)の2割のアリを集めて巣をつくったらどうなるか。エリートばかりの集団のうち、8割のアリが遊びはじめた、という。一方、8割のダメアリを集めると、その内の2割はちゃんと働くようになったという。

 つまり、生活の場が一つしかなければ、そのピラミッドの頂点に立つ2割は固定されてしまう。しかしピラミッドがたくさんあれば、「ここはダメでもここでは2割に入れる」といろいろな場で能力を発揮することが可能なる。社会の中でアウトローになってしまう人は、すべてのピラミッドで8割にいる人である。社会科がダメなら数学で、勉強がダメなら部活でというように、どこか陽のあたる部分があれば人間は頑張れるのである。評価してもらえる部分がなければ、頑張りきれない。

 アメリカに独りで旅に行った人は「〜しなければ、〜いけない」ということが一切になかった。英語ができなきゃアメリカ行っちゃダメだよ、なんてことはない。自分を振り返ってみると、学校では劣等感を植え付けられた気がする、と語ったという。

 最近「家族」が声高に叫ばれるようになった。それは、それまで家族が十分に機能していた、ということでもある。現在機能しなくなったから家族がクローズアップされてくる。

 資本主義とは拡大再生産である。それは「もっと大きく」「もっと、もっと」という右肩上がりの法則に慣れてきた我々の姿である。しかしもうそのような時代は終わりつつある。そしてこれまでのツケが家族にまわってきているのである。

 現在の親の世代は、核家族の2世代目である。モデルを見て育ってない。だから公園デビューが話題になったりするようになる。実際には地図なんてないのに、処方箋なんてないのに育児雑誌に頼ったりする。本は参考にしてもいい。でもそれをバイブルのように、マニュアルのようにすることは無意味である。人間はマニュアル通りにはいかない。何にもなくても大丈夫。あればあったにこしたことはない、程度に考えるたほうがよい。

 村木さんは、アメリカの家族の様子と日本の家族の様子を比べて話をされた。
 アメリカの家族はとてもお互いに気を遣う、という。日本的な良い奥さんにとして「幸せだ」と感じていたら、夫は「君はそれで幸せ?」「僕のお金で一生生きていくんだよ」「ホントにそれでいいの」と聞かれた。ではなぜ結婚するのか、それは個人主義から来る孤独への恐怖ではないかという。逆に日本はべったりくっついて結婚をする、そんな印象を受けた、という。

 何でも分析すればわかる、考えればわかる、というのはウソである。考えれば考えるほどわからなくなるものである。

 ニーチェは何でも疑ってみる、ということをした。すべての物事をホントか? ウソか?と考え続け、最後には疑っている自分の存在さえも疑い、この世に信じられるものは何もない、と考えた。それじゃあ最初から何も考えなきゃいいのに、という話になってしまう。河合隼雄は「心の処方箋」という本の中で「真実は劇薬、ウソは常備薬」といった。ホドホドがよい。


 後半。
 子育てには休みがない。大変ななかで本音の言葉をぶつけ合うとお互い傷つく。子育ては十分な余裕がないと苦しい。また夫が赤ちゃん返りを起こすこと、またそれによって夫が赤ちゃんを愛せないこともありうる。

 正攻法の説教は効かない。これは真実である。理詰めで攻めても相手は納得しない。そんなことは判ってはいるんだけど、となっておしまいである。こんな時「当たり前」「決まってるでしょ」は禁句である。わかってる、けどできない、だから困っているのである。そんなときは「無理しなくていいよ」というしかない。「〜すべきである」をゆるめて、自分のいい加減さを認める。最初から精度を求めすぎない、いい加減な方がよい。「人を許す」とは、自分の定規(価値判断基準)を緩めることである。家庭では他人の目を気にする必要はない。自分達の居場所だからである。ハタから見えるもの、外面ばかり気にしすぎると内面が疎かになる。内面とは居心地の良さ、である。いい加減さ、ホドホド。それが一番大事。


 次回はサポートシステム。                                                           
 (文責:菊田)