長崎先生講義録
人生の転機の心理 2001.1/10
 14人の参加者がありました。
 ふじのくにユースかるたに長崎先生の句が採用されたとのこと。

 このところ人口に介錯しているのが成人式。確かにニュース、新聞などでいろいろと言われているが、聞いた人は「今の若者が全てこうだ」と思ってしまうのではないか。マスコミが扱うことは、あくまでも話題になりそうなことだけである。例え粛々と成人式が進んだところがあってもニュースにはならない。誰もが自分で情報を取捨選択していると思っているが、実はマスコミに与えられているだけである。高知の成人式のことは知っていても、自分の街の成人式がどうだったか誰も知らない。ニュースには小さいものを大きく見せる、遠くのものを近くに見せる、そして近くのものを遠くに見せる、そんな効果がある。

 こういった時代になると、ナマの体験が重要になる。情報の世界においてもただの文字ではなくナマの体験をした情報が交換できることが大切になってくる。それはインターネットも同じである。ナマの体験としての育児情報など、結局は生身のつながりが大事であり必要になっのである。
 また情報がここまで膨大になってくると情報の取捨選択ということも大事になってくる。全ての情報を受け入れていたらあっという間にパンクをしてしまう。上手に情報を聞かない、聞き流す、そんなことが必要になってくる。
 最近はメールでの年賀状が多くなった。特に若い人はメールが当たり前、といった感がある。これに対していろいろな考え方もあるが、郵便という手段もたかだかこの100年のもの。人間は自分の体験をもとにしか物事を考えることができない。
 10年前までは字がうまいことはすごいことだった。だが今では手書きの文書など見たことがない。そしてすぐに時代は音声入力になる。世の中とは移り変わるもの。

 さて、人生には転機がある。それは好むと好まざるとに関わらずやってくる。そしてそれまでとは違う行動様式を要求される。例えば結婚。恋愛中と結婚中とでは要求される相手像は異なる。それまでうまくいっていたカップルが結婚を期に変調を来すことはままある。
 転機には、予定されたものもあるが、予定されない転機もある、しかし転機には必ず予備的なものがある。5kmをいきなり走るのは無理である。1kmずつスモールステップを踏んでいくことが壁を乗り越える力になる。これは死別のようなものでも同様である。例えばペットを飼っていれば、その死を経験することで、少しずつ悲しみに慣れていくことができる。こう考えると、子供の頃から少しずつ、上手に難題を与えることも必要となる。もちろんめったやたらに与えるものではなく、例えば、キャンプに出かけることで不自由を体験すればよい。もっと言えばキャンプの持ち物などもマニュアル的に列挙せず、ただ「キャンプに必要なもの(ご家族で考えて下さい)」とすればよい。そういう中で子供は成長し、力を身につけていくだろう。

 人は、つい自分が感じるように相手も感じるだろうと思いがちである。お肉が好きな人はお肉でもてなそうとする。しかしもてなす相手はベジタリアンかもしれない。誉められて成長してきた人は、「人は誉めて育てるべし」と考えるだろう。だが場合によっては叱った方が良いこともあるだろう。幼児虐待も同じである。殴られて育った子は、親になったとき必ず子供を殴るという。いじめられた子は、自分より弱い子を見ると必ずいじめるという。殴られて成長する人はモチベーションの高い人である。そういう人は厳しく叱責されると「なにくそ!」と思う、思える。たしかにそういう場合もあるだろう。だがそういう人が全てとは限らない。そのことは頭に入れておくべきだろう。

 他人とコミュニケーションが完全にとれることはあり得ない。全員がわかる、楽しい授業などはあり得ない。ただ60%を65%にすることはできる。だがいきなり100%の子を救おうというのは不可能である。それよりも他の場所でその子が能力を発現させられる場所をつくる、みつける、そのことが大切。

 気に入らない人とは、自分の気に入らない部分を持っている人である。自分の好きな人
とは自分を高く評価してくれる人である。人間はつい自分に都合よく考えてしまうものである。でも決して人はそんなに都合良く動いてくれるわけではない。「あんなに良くしてあげたのに」と思うことはよくあることである。

 人は何らかの背景を背負って生きている。関西風の味、関東風の味、白味噌、赤味噌など。人が他の味を否定するのは、味そのものの問題ではなく、その人そのもの、文化が嫌いな時である。他の文化を受容する広い気持ちを持っているときは、相手をけなそうとは思わない。うまくいっているときは嫌いにはならないものである。逆に、嫌いとか文句が出てきたときはうまくいってないときである。そんな時、周囲は「どうした、何か辛い事でもあるんじゃないか」と対応する。子供が「あれ嫌い」と言ったときは「そんなこと言うもんじゃない」と返すのではなく「そうか、嫌いか、どうして嫌いなんだ?」と聞いてやるとよい。そして新しいものを受け入れよう、とけ込もうとすること自体が大切。

 キレる子供が話題になるが、子供がいきなりキレることはありえない。サインは必ずある。このヤローと向かってくる子供は、その前になんらかの必ず伏線がある。そのサインを見落とさないこと、それが大切なこと。河合隼雄は「100%正しい忠告は言っても無意味」だという。「お腹がいたい」に簡単に「がんばれ」と言ってもうまくいかない。「どうした?」「いつからだ?」とゆっくり聞くことで必ずサインは見えてくる。「ダメじゃないか!」とサインを発する間を与えなければサインは見えない。これを何度も繰り返せば子供は何も言わなくなる。

 昔読んだ本を読み返して見ると、どうしてこんな所に線を引いたのだろう、と思うことがある(参考書でも!)。かつてと受け取り方が違う、そんなことはよくある。本の内容は変わらない。自分が成長し、自分が変化しているのだ。また当時の世相によっても意識は変化する。情報そのものよりも、自分自身が変化すること、そのことの方が大事なことではないか。

 心理学を勉強すること、確かにそれは大事なことかもしれない。だが本人の事情を良く聞くことが最も大切。それで大半は解決できる。そこをわかってあげられない先生は生徒の心をわからない先生である。ある校長先生は自分の失敗談からそんなことを話した。失敗談を話せる人は、失敗を乗り越え、クリアして来た人である。そんな人の話にひとは共感し、その人を慕う。そういうものである。
 (文責:菊田)